清水焼発祥の地に 新しい息吹

8月初め、東山五条坂あたりは、近くの六道珍皇寺や大谷本廟へお参りする人の姿が多く見られます。ここは清水焼の中心地であり、参拝者に向けて陶器を販売したことが「陶器まつり」のはじまりとされています。
夏の風物詩として長く親しまれたこの催しもコロナ禍のもと、中止が続いていましたが、今年みごとに復興されました。五条坂一帯で行われていたようなかつての規模ではありませんが「清水焼発祥の地」としての歴史と伝統を感じ、また「地元のお祭り」的な和やかで親しみやすい、とてもよい雰囲気でした。
「新生陶器祭」の今回、府立陶工技術専門校を卒業し独立した若い作家さんと出会い、その作品や焼物にかける思いをお聞きしました。

はじめての出展、確かな手ごたえ

五条若宮陶器祭
本殿のちょうちんにも陶器神社の文字が

今年陶器祭の本部が置かれた「若宮八幡宮」は境内に「陶祖神」が祀られている「陶器神社」としても知られています。毎年恒例の陶器市は、八幡宮の例大祭として8月7日から10日まで行われるようになったそうです。
昼間の猛暑も一息つき暮れなずむ頃、五条坂や若宮八幡宮の境内は次第ににぎわいをみせていきました。それぞれの窯による個性も当に様々で、土の違いで生まれる色、釉薬の流れ方等々、身近に多くのやきものにふれることができるとても良い機会であり、やきもの談義に花が咲く場面も見られました。
五条若宮陶器祭
まずは、八幡宮会場へ。朱塗りの鳥居が西へ傾きはじめた日差しに映えています。本殿へお参りし、境内を一巡しました。奥は木々の緑に一服の涼を感じる静かな空間が広がっています。車が激しく行きかう五条通りに近いとは思えない、一画です。
大きな鍾馗さんも祀られています。若宮八幡宮には陶器神社があり、瓦を素材とする鍾馗さんも同じやきものからできているということから、この地に大きな鍾馗さん像が建立されたと由緒書きにあります。この大きな鍾馗さんは、それを造った職人技も伝えるよすがとなっています。
五条若宮陶器祭 廻窯舎五条若宮陶器祭 廻窯舎
お参りを終えて、ゆっくり見ていくなかに、鮮やかな青色や、藤色がかった微妙な色合いの食器が印象的なブースがありました。「廻窯舎(かいようしゃ)」は、多賀洋輝、楓夏さん夫妻が2019年に立ち上げ、陶磁器の制作・販売を行っています。釉薬は洋輝さんがつくり、製作は楓夏さんです。「時代と暮らしの廻りに合わせた器づくり」というテーマを実践する二人の共同作品です。「磁器に使う土に赤い土を混ぜて使うと、同じ釉薬でも色の出方が違うのです」という説明も興味深く、やきもの奥深さの一端を教えてもらいました。

廻窯舎の多賀楓夏さん
廻窯舎の多賀楓夏さん

お二人とも大学卒業後、別の仕事に就いてから、府立陶工高遊学等技術専門校へ入学し、それから陶磁器を生業とする道へと進みました。専門校では「湯呑を100個」など同じものを多数つくることを課され、成形のための道具も自作するなど「職人としての基礎を勉強できました」と語ります。
今回、専門校の先生が足を運んで「お客さんの反応はどう?」と声をかけてくれたそうです。「知り合いの若い世代の人も出展していたり、顔見知りの人が来てくれてとてもうれしいです」と続けました。
五条若宮陶器祭 廻窯舎
陶工専門校がこの五条坂にある意味は大きいと感じました。友達同士で来た学生が「この色きれいやなあ。使ってみたい」と、楽しそうに話していたり、何点かお買い上げのお客さんに「袋にいれましょうか」と聞くと「近所ですから、いいですよ」と返ってくるやり取りを聞いて「地域密着陶器祭」の始まりを感じました。
楓夏さんのに「もっといろいろ作っていきたい」という言葉に力強さと清水焼の可能性を感じます。「今回出展して手ごたえはありましたか」とたずねると「はい、ありました」ときっぱり明るい声で返ってきました。

五条坂界隈を歩いて感じる魅力

今も五条坂に残る登り窯の煉瓦造りの煙突
今も五条坂に残る登り窯の煉瓦造りの煙突

今年から新たに始まった「五条若宮陶器祭」は、五条坂の清水焼にたずさわるみなさんが実行委員会をたちあげ、準備を重ねて開催に漕ぎついた「清水焼発祥の地」の地域力のたまものです。各店舗や会場に用意されたリーフレットからもその熱意が読み取れます。
五条坂沿いのいかにも専門店といった風格の、敷居を高く感じるお店へも「この際、せっかくだから」と入ってみることができ、清水焼との接点になります。また地元・地域のみなさんもあらためて「自分たちのまち」について知り、つながるきっかけになると感じました。登り窯の公開・自由見学、またこの登り窯の活用についてのシンポジウムが行われるなど、今後の五条坂界隈について歩みが始まっています。界隈には清水焼の中心地であった面影が今もただよい、誇り高い「陶工のまち」を感じました。
若宮八幡宮の飲食ブースで、売り込みの声をかけていた子どもたちからも夏の元気をもらいました。

 

廻窯舎(かいようしゃ)
京都市西京区川島東代町43-4桂事業所

染工場から発信 私たちが着たい着物

浴衣の季節です。1か月間、祇園祭の様々な神事が続く京都に、海外の人も含め多くの人たちが浴衣姿を楽しんでいます。レンタル着物店も一気に増えました。その点では、だれでもいつでも気軽に浴衣や着物をまとうことができるようになったと言えます。着物には縁遠いと思われる若い世代の人たちのなかにも、浴衣をきっかけに着物に興味を持つ人も増えているようです。
きっかけさえあれば着物を着る人を増やし、着物の楽しみを広げることできると感じていたなかで、染職人自らが立ち上げたブランドに出会いました。量産品にはない「手染めの妙」が美しく楽しい着物が作られています。間近に迫った「Tシャツ展」の準備も佳境を迎えたお忙しいなか、仕事場の染め工場へ伺い「染め屋・ファイブ」の久田容子さん、高瀬千夏さん、宇野由希恵さんに話をお聞きしました。

反響に確かな手ごたえ「お出かけ浴衣展2」

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
夏めく日差しに青梅の実が大きくなる頃、上京区のギャラリー&カフェを会場で「お出かけ浴衣展2」が開かれました。この会場は、以前この京のさんぽ道でご紹介しました「好文舎」です。元呉服屋さんの展示会場だった建物は浴衣展にふさわしい雰囲気で、訪れた人もゆっくり見てまわったり、着付けてもらうなどして思い思いに楽しんでいる様子でした。
比較的若い世代の人たちが多い感じがしましたが、ファイブの3人が頃良い間合いで声をかけて、着物について気軽に親しめる雰囲気をつくっています。手でさわって布の感じを確かめてもらったり、積極的に反物を着付けて「着物になるとこうなる」と実感してもらっていました。巻物状態の反物を裁断することなく、体に巻き付けただけで「着物」を着たのと同じようにできるということにも感嘆します。
浴衣展というタイトルですが、「おでかけ」の表現に見てとれるように、夏着物として十分楽しめる高い技術とデザイン性が特長です。「こういう機会にぜひ実際にいろいろなものをあててみてくださいね」という声が押してくれて着付けてもらうと、いつもとはまったく違う自分が現れて、気分も上がります。色やデザイン、染めの技法の違いから生まれる味わいに引き込まれていました。

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
ほとんどの人が「着物を着たい」と思い、手持ちの浴衣から一歩先へ行きたいけれど、どうしたらよいのかわからない、百貨店の呉服売り場や専門店をのぞく前に相談できるところがあれば、という思いは多くの人に共通していると感じます。「気軽に着物のことを聞けて、楽しく話しができる場」として、この「おでかけ浴衣展」は打ってつけです。
着物に合わせて帯選びもできるように半幅帯も用意されています。また、展示は完成品の着物や帯だけでなく、染めについて少しでも知ってもらえるようにと、工程や道具の説明もされていました。染職人の土台を感じる、とても大切なコーナーだと思いました。

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
好文舎では企画に合わせたお菓子をカフェで提供。お出かけ浴衣展に合わせた練り切り

今回2回目のこの企画は、楽しみにしてかけつけてくれた方「カフェに来たらおもしろいことをやっていた」等々、染めの奥深い世界、着物の楽しさを知ってもらえると感じました。「男物」も注目されていました。
これから、こういった着て快適、家で洗える木綿や綿麻の、しかも「ちょっとよそ行き」な、新ジャンルの着物姿が増える予感がします。「展示会の前は、なんとか一反でも売れたら」とか「そうそう、うまくはいかないだろう」などと思いめぐらす「毎回びっくり箱のよう」なのだそうですが、2回目も開けて正解、確かな手ごたえのあるものとなりました。

五感のものづくりはここから生まれる

染め屋・ファイブ
染め屋・ファイブのロゴマークの入ったあさぎ色に染めた布のカーテン

染め屋ファイブのブランドロゴマークは、羽ばたくような形の手とFIVEの文字が組み合われています。代表の久田さんは「ファイブは五感を意味しています」と説明してくれました。
作品に取り組む場であり、生業とする染めの仕事に日々励む染め工場の見学も兼ねて、制作の合間の息抜きの時間に話をお聞きしました。仕事と作品作りの両輪を回すのは大変だと思うのですが、悲壮感やがんがんやっています感を感じさせません。作品のように、伸びやかで明るい雰囲気です。
染め屋・ファイブ染め屋・ファイブ 引き染め
ファイブの浴衣・着物の大きな特長は引き染めにあります。浴衣は型染がほとんどですが、引き染めは染料を刷毛で染め分け、そこに生まれる「ぼかし」を生かすことができます。
反物の長さは約13メートル。反物の端を両側に針のついた「伸子」でぴんと張って、刷毛で一気に染めていく技法です。気温や湿度、染料の知識や布の材質による違いなど多くのことを理解し、技術を伴わないと染められない難易度の高い手間のかかる染め方です。それでほとんどの場合、絹に染められます。木綿や綿麻に染めていては高い値段がつけられない、染めにくくて儲からないから、誰もやらないのです。
ですからファイブの綿麻の引き染めは、とても贅沢な着物なのです。「ましてやそこに、手描きや型染を施すなど、贅沢きわまりない着物です」と3人とも笑って話してくれました。「それで採算とれてるの」と、よく聞かれるそうですが「浴衣展の作品に採算を考えてなんて制作できない、作りたいものを自由に作る」と、そこも一致していました。「世の中にないモノ作り」をコンセプトとするファイブの真骨頂です。

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
お出かけ浴衣展2での染め屋・ファイブのみなさん

染め屋・ファイブ
作品が採算ベースで制作しないとは言っても、広い染め工場の家賃や反物や染料、道具などの費用かかります。しかしそこは「なんとかなってきている」そうです。
最近は引き染めをする工場も減ってきているそうで、京都の町なかにこれだけ広い仕事場を維持するだけでも苦労があるだろうと察しられます。刷毛や伸子など引き染めに必要な道具もよいものは年々手に入れることが困難になっていると聞きました。それでも、この染め工場には何となく苦労の空気よりも、モノ作りが本当にすきな人たちの活気が感じられました。染め工場(こうば)という呼び方がしっくりくる仕事場は力強く、頑丈で、そしてしなやかでした。

異なることのつながりから、新たな展開

好文舎の中庭に面した部屋
浴衣展の会場の好文舎との縁は、友人が開いた企画展をメンバーの宇野由希恵さんが見に行ったことからでした。それまで会場としては染め工場のみだったけれど、外でもやってみたいと考えていたファイブにとっても、良いタイミングでした。
好文舎オーナーの宇野貴佳さんは以前和装関係の会社で仕事をされていたことから、着物に関する知識も豊かで、ファイブの浴衣展でこまめなサポートをしていただいたそうです。ギャラリーという場と制作者、そこへ来た人がつながることで、それぞれの仕事や役割もまた新たな方向性を見出せるのだと感じました。

染め屋・ファイブ
左から代表の久田容子さん、高瀬千夏さん、宇野由希恵さん

この京のさんぽ道ではこれまで「洋服生地で作るきもの」「和裁士さんが発信するオリジナルの着物や帯」そして今回の染めやファイブと、それぞれ、制作者であり「着手」であることが共通しています。「着物は最高のおしゃれ着」「色選びをするだけでも五感が磨かれる」「着物を着た時の高揚感」買いやすい価格設定で、しかも自由な発想の着物作りが、しっかりと着る人の心をとらえています。
新しい着物の時代が確実に動き出しています。「着物へのあこがれや着たい気持ち」にこたえる、一点一点に思いのこもったファイブの着物もさらに多くの人と出会うことでしょう。
帰り際に工場の前で撮った3人の清々しい表情に、楽しく試行錯誤し続けるモノ作りの力強さがあらわれていました。

 

染め屋・ファイブ
京都市下京区中堂寺庄ノ内町1-130 2階
お問合せ、ご訪問等についてはお問合せフォームよりお願いいたします

京都のろじの ひとり出版社

京都に変わらずあってほしいもの「喫茶店、映画館、おとうふ屋さん」そして「本屋さん」。
伝えること、知ること、楽しむことの手段はインターネットによることが多い一方で「紙」の確かな手ざわりや個性を、好ましい、捨てがたいと感じている人も少なくないと思います。しかし、現実は出版社や書店が置かれた厳しい現状は続いています。
今回はそんななかで「本の周辺にいて、飽きることがない」と語る根っからの本好きの編集者、ひとり出版社「烽火(ほうか)書房」と書店「hoka books」を運営する嶋田翔伍さんに、話をお聞きしました。

ひとり出版社の「のろし」をあげる

嶋田翔伍さん
京都には古書店も含め、老舗あれば、店主の思いが色濃く反映された新しい書店もあり、それぞれに持ち味があり、本屋めぐりの醍醐味を味わえます。
嶋田さんは出版社で編集者として勤務した後、2019年に「烽火書房」をたちあげました。「烽火」とは「のろし」と読みます。勇ましいイメージの社名ですが、嶋田さんご本人はいたっておだやかで、やさしい雰囲気の方です。「烽火」には「情報がおどろくほどの速さで、全体を網羅するように広がっていく時代にあって、小さくても届くべき人のところに届き、その人にとって意味あるものになる本づくり」という思いがこめられています。
「斜陽」と言われる出版・印刷業で独立するには、よほどの覚悟や強い意志があったことと思いますが、身の丈にあった「小商いと考えています」「好き放題、大きなことをやろうとは思わない。アーティストではなく、編集者なのだ思う」と続けました。
烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
出版した本やhoka booksに並んだ本にも「必要とするだれかに届くのろしのように」という思いを感じます。本の仕入れや棚の並べ方について嶋田さんは「本の編集と同じです。いいなと思う本、だれかに手に取って喜んでもらいたい。そういう出会いのある空間になるようにと思ってレイアウトしています」と話してくれました。デジタルとは別の匂いや質感を感じる空間です。

AFURIKA DOGSのカラフルな布
AFURIKA DOGSのカラフルな布

2階は京都で様々な分野で仕事をしている仲間を中心に、意欲的な企画展が行われています。先月は烽火書房から出版された「Gototogo一着の服を旅してつくる」の著者、中須俊治さんがたちあげた「AFURIKA DOGS(アフリカドッグス)」のアフリカンプリントの展示会がありました。アフリカのトーゴ共和国から中須さんとその仲間たちと一緒に、日本にやって来たたくさんの色鮮やかな陽気な布の魅力と可能性は、多くの人を幸せな気持ちにしました。
烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
取材時は、交流のある出版社との「3社合同フェア 本をつくるし、売りもする」という意欲的な企画展が行われていました。三社三様の個性が打ち出された本が並び、とても刺激を受けました。

仲間とろじ、だれかに届く本をこれからも

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
堀川五条近くの路地の入口に「本」と、これ以上ない簡潔な看板があります。路地の入口はわかりにくいことが多いのですが、これは迷うことはありませんし、雰囲気になじんでいます。こうした調和も大事なことだと感じさせてくれます。
嶋田さんは上京区で生まれ育ち、出版社勤務時代を除いてはずっと京都で暮らしています。
hoka booksのある堀川五条のあたりは、子どもの頃、旅行へ出かけた帰り「ああ、遠くから京都へもどってきたんやなあ」と感じる、日常の生活圏とは境界を隔てた場所だったようで、京都市内でも「上京と下京では違う」そうです。
書店と事務所を兼ねられる所をさがしていて、偶然見つかった町家でした。書店の共同運営者の西尾圭悟さんは建築の専門家で、内装を進める際には、家主さんに、建築基準法など法律に関することをはじめ、きちんと説明をされたことで、良好な関係が結べたそうです。

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
町家の面影を残す階段

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
木の棚など什器の多くは、2018年に新潟県で行われたイベントで現地調達した木材を再利用しています。作業は仲間で協力して進めました。京町家の趣や基本は守りながら、新鮮な雰囲気を感じる、他にない書店になっています。この路地を訪ねてまず目が行く、側面の藍色の陶器もご縁つながりのなかで誕生しました。伝統の技がこんなふうに生かされることは、本当にすばらしいことで、入口の木製のドアも含めていろいろな分野、得意な技術や知識を持った仲間の協力を感じました。
烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
書店、本の販売という仕事について嶋田さんは「編集者は本が完成すると頂上をきわめた、さあ下山という気持になりますが、本はそこからが始まりで、売って下山なのだということを、親しい出版社の営業さんに教えられました」と語りました。そして自社の本だけつくっていると何が正しいか、本当にやりたいことは何なのかと、かえって。迷うことがある、そうした時、他の視点、違う分野で仕事をしている人の考えにふれることが大事だと気づいた。三社合同の今回の企画に参加した出版社のベテランの営業さんから「自分の本、自分とこの会社の本だけ売れたらいいのと違う。みんなで協力して、業界全体がよくなることを考えんとだめだ」と言われたと、実感をこめて話してくれました。

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
前述の烽火書房出版「Gototogo一着の服を旅してつくる」も並べられていました

開催中だった「本をつくるし、売りもする」の企画展でも、書体も含めた色使いやデザイン、使用する用紙など隅々まで、つくり手の気合が伝わる本が並んでいました。観光や出張の人が「京都駅に近い本屋」をインターネットで検索して訪れることも度々あるそうです。
「ここは商業的な匂いがしなくて、暮らしている感じや雰囲気があるのでそれにふれてもらうことができるのもいいなと思っています」、言葉のはしばしに「町内の人」となっている感がにじみます。
毎日の暮らしと同じ地面で本をつくり、売る。他府県や外国から訪れた人は、何年たっても記憶の引き出しから取り出すことができる、かけがえのない思い出になることでしょう。本と紙、印刷、路地と人。ここには普段の京都との出会いが生まれ、新しい縁がつながる大切な場所です。これからも、小さくてもだれかの心に届く、のろしをあげつづけていくことでしょう。

 

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
京都市下京区小泉町100-6
営業時間 13:00~19:00
定休日 月曜、火曜(営業情報はInstagramTwitterでご確認ください)

猫がつなぐ 幸せの帽子と普段着

気分がはずむ帽子、どこかへ出かけたくなるデニムパンツ。そして「こんにちは」といった表情のハチワレねこのイラストもほのぼのとした町家工房に出会いました。
帽子やおとなの普段着を、一点一点ていねいに製作する「ハンサム・ベレット」です。いつもの最寄駅ではなく、手前の駅で降りて見つけました。たたずまいやディスプレーから「きっと楽しいものがある」と感じて訪ねました。やはりそこは、猫と人、人と人がつむぎだす幸せな空間でした。

「こういうのがほしい」思いがかたちに

ハンサムベレット
四条から三条商店街までの大宮通は、老舗の京料理店あり、居酒屋に飲み屋横丁のような路地ありというふうに飲食店が多くありますが、地元の商店街といった渋い落ち着きを感じる通りです。
そこに「ハンサム・ベレット」はあります。ウインドー越しに見える帽子や洋服、「看板娘」のようなトルソーや、ディスプレーに使われているミシンにも味わいを感じます。「たたずまい」という言葉がしっくりしてこの通りの風景をつくっています。
ハンサムベレット
ハンサム・ベレットは布作家のご夫妻がユニットを組んで営む「おとなの普段着」をテーマに、帽子や洋服、その他バッグなどを製作する工房です。
髪に悩みがあったことから、洋裁の技術があったので、自分で作った帽子をかぶっていたところ「それ、いいな。私にも作って」とリクエストされたことが始まりだったそうです。持ち込んだ布や洋服を使ったリメイクやセミオーダーにも応じ、お父さんのジャケットや大好きな布など、それぞれに愛着ある一点が生まれ、たくさんの物語をつむいできました。
ハンサムベレットのパンツハンサムベレットのパンツ
以前は工房内でいろいろなタイプの帽子を販売していましたが、今は「はきやすくて、カッコいい」ボトムスが評判を呼び、ネット販売や受注製作が主になっています。ストレッチ機能のあるデニムはめずらしいのですが、長年の付き合いのある仕入れ先から入ります。
ゆったりしたデザインですが「シルエットがきれいでスタイルが良く見える」と好評です。「ストレッチでウエストがゴムなんて、おしゃれじゃない」という大方の思い込みを、うれしいかたちで裏切る定番商品になりました。年配の方に支持されているのかと思いきや、小さなお子さんのいるおかあさんたちにも喜ばれていると聞き「ユニバーサルデザインとは、こういうことなのか」と思いました。
ポケットの位置や大きさ等々、細かいところまで行き届いた丁寧なものづくりで、多くの人が信頼し、またワクワクしながら注文しているのでしょう。生地は「岡山デニム」や国内製造の生地を主に、デザインや雰囲気に合わせて海外のヴィンテージも使います。

ハンサムベレットの帽子
柄にも猫があしらわれたハンサムベレットの帽子
ハンサムベレットハンサムベレットのヘアバンド
ツィギーのヘッドトルソーに飾られたヘアバンド

このベレー帽が一つの完成形というものや、リバーシブルタイプで何通りにも楽しめるターバンもとてもおしゃれです。
「自分自身がこんなのがほしいな、いいなと思うものを作っています。悩みというものは人それぞれで、他人から見たらどうってことないことかもしれませんが、本人は気になったり辛かったりします。あきらめないでその悩みをときほぐす、おしゃれなアイテムがあれば喜んでもらえます」と話されました。性別や年齢、体形にかかわらず、だれもがおしゃれを楽しめる世の中は、いい世の中だと感じました。

猫がいるから今がある

ハンサムベレットのロゴマークの猫
トレードマークになっていることからも察せられるように、工房の内外に、製品にとあちこちに猫と遭遇します。それが少しもうるさいとか、盛り過ぎを感じさせない、ごく自然に「そこにいる」といったふうです。
お二人とも深い愛情を持って猫と暮らし、仕事をしています。以前、野良猫のおかあさんが「これからこの子たちをどうぞよろしくお願いします」というかのように、仔猫たちを連れてきたことは、ハンサム・ベレットの物語が展開した時とも言えます。野良猫かあさんが連れてきた仔猫から生まれた仔猫の家族を探して奔走したり、保護猫活動にも参加されてきました。猫を通して多くの人とつながりができ、猫との暮らしから、やさしく楽しいものが作り出されています。
以前この京のさんぽ道でご紹介した猫本サロンのある「三条会」の商店街もすぐ近くです。
ハンサムベレットのミシン
今はディスプレーに使っているミシンは前の持ち主の方から「ここなら大切にしてくれると思うから」といただいたそうです。「家主さんやご近所さん、三条会のみなさんとは、いいお付き合いをさせていただいてお世話になっています。この棚も、トルソーも、昭和なラジオも気にかけてくださって、いただいたものです」と続けました。
この地に根をおろして14、15年ほどですが、2回も町内会の組長を務め、お地蔵さんなど地域の行事のお世話もされ、すっかり地域の一員です。

ハンサムベレットの猫たち
お手製の猫ちゃんたちの紹介ボード

工房のキャラクターになっているのは「カイちゃん」です。すてきなイラストは自作だそうです。愛情があふれています。ハンサム・ベレットのアイテムは猫柄であっても、子どもっぽいかわいらしさではなく、理屈ではなく「猫が好きな人、わかっている人が選んだ」となんとなく伝わるすてきな生地です。
猫とともにある暮らしはものづくりの大きな力になっています。お二人は「すべて猫がつないでくれた縁です。今あるのは猫のおかげなのです」と語ります。ホームページやSNSでは、猫のベル、アサ、ソラ、アトム、ハル、テラの日常やモデルとしての活躍ぶりが見られます。みんなでハンサム・ベレットの「家業」を盛り立てています。ゆったりのんびりした空気が漂い、みんなが優しい気持ちと笑顔になれる工房です。ぜひ一度お訪ねください。

 

ハンサム・ベレット
京都市中京区大宮通六角下る六角大宮町207
営業時間 10:00~17:00頃
定休日 不定休

西陣のいすず張り子で おめでとう

きのうの続きの同じ一日なのに、一月一日は別格です。大層な準備をしなくても、お正月は心を弾ませます。
今も機音が聞こえてきそうな西陣の商店街の一画に、たくさんの張り子が笑顔を投げかけているお店があります。鮮やかな色と愛嬌たっぷりの表情やしぐさに、通りがかりの人も足を止め、顔をほころばせます。お正月気分になれる張り子の数々と本やレコード、「イスズ薬局」と記された銘板、人体模型などが同居する不思議な魅力を感じる空間です。
張り子づくりに忙しいなか、話を聞かせてくださったのは「イスズ楽房」の主人で、張り子の作者、古川豪さんです。張り子創作のこもごも、子どもの頃の西陣、商店街のまちづくりや今も続けるライブのことなど、豊富に湧き出る話の泉です。本年最初の京のさんぽ道は西陣から始まります。

ご両親の出身地伊勢にちなむ「イスズ」の名

イスズ楽房
イスズ楽房は北区の新大宮商店街にあります。最初に見つけたのは京のさんぽ道の「自然の恵みぎっしり正直なパン」の取材の折りに、いかにも地元の商店街という雰囲気がよくて歩いている時でした。鮮やかな色彩をまとった張り子たちは天真爛漫、ほのぼのとしたあたたかみがあります。京都の西陣なのに「いすず」という名前がついているところも興味をひきました。取材をさせていただいて、やはり一回では書ききれないと感じるほどでした。

五十鈴川
由来となった三重県の五十鈴川

お店は古川さんの実家であり、薬局を営んでいました。開業は昭和12年(1938)、ご両親の出身地伊勢の清流、伊勢神宮の杜を流れる「五十鈴川」にちなんで「イスズ薬局」と名付けられました。若い夫婦が京都で新しい道を歩み始める時の思いが込められた名前です。
薬局の仕事をされたのはお母さんで、大正4年(1915)生まれ、三重県初の女性薬剤師でした。好奇心旺盛で研究熱心で「今生きていたらきっとパソコンもやっていたと思います」と古川さんは語ります。まだまだ女性が専門の教育を受けて職業につくことは少なかった時代に、今言われる「リケジョ」の草分けであり、とても先進的な方だったのです。しかし、それを口にすることはなく、亡くなってから「三重県初の女性薬剤師誕生」という新聞記事や表彰状が出てきてはじめて知ったそうです。世の中の評価や権威付けのようなこととは一切無縁に、自分の生き方をされたことは、すばらしいと思いました。

イスズ楽房の張り子
上段中央には今年の干支であるうさぎが。白兎は人気で昨年中に売り切れたそう

また理系でありながら、鴨川でチラシの裏に色鉛筆でスケッチをするというご趣味もあり、そこは今の張り子つくりにつながっていると感じるそうです。古川さんは「薬種商」の資格を取りイスズ薬局を継いでいましたが、薬事法が改正されてからは、それまで販売できていた指定医薬品以外の医薬品や漢方薬や健康食品が扱えなくなり、薬局としての看板は下ろすことを決めました。
今度は「書籍商」の免許を取得し、古本やレコードなどの古いものを置き、また小さいころから手を使うことが好きだったこともあり、「いすず張り子」の工房「イスズ楽房」をたちあげました。新しい選択にもイスズ薬局の名前を受け継ぎました。今も商店街にお店を置き、職住一体の営みを続けています。地に足のついた実のある「京都」を感じるのは、こういう時です。

生まれ育った西陣という地域

イスズ楽房
イスズ楽房のある新大宮商店街は南は北大路通、北は北山通まで1キロメートルにわたる京都で一番長い商店街です。西陣の中心地で、
どこにいても機織りの音が聞こえる地域です。
住んでいる人のほとんど言っていいほど多くの人が西陣織をはじめとする伝統産業にかかわる仕事に従事していました。新大宮商店街は、仕事に忙しい人々にとって日々の暮らしをまかない、また息抜きを楽しむ欠くことのできない場所として機能し続けてきました。
いすず張り子は、この地域を題材とするものがあるのが特長です。氏神様である玄武神社や今宮神社のやすらい祭のお稚児さん、禅宗の托鉢僧、野菜の振り売りにやって来る加茂のおばさん、仏教を庶民にわかりやすく広めるための手段であった「節談説教(ふしだんせっきょう)」のお坊さん等々、それぞれの地域の人々や子どもたちに愛されてきた素朴な張り子にふさわしいものです。

イスズ楽房
地域のキャラクターの中で優しく微笑むモルガンお雪人形(右上)

「モルガンお雪さん」は、明治時代に現在のモルガンスタンレー財閥の一族につらなる大富豪と結婚した実在の人で、日本中がその話題でもちきりだったとか。そのお雪さんが高齢になってから近所に住んでいて「クッキーをもらったことがあって、それまで食べたことのないお菓子やって、ほんとにおいしくて、また食べたいなあと思った。ほっそりしたきれいなおばあさんやった。今になったら、いろいろ話を聞いておいたらよかったなあと思うけれど、子どもやったから」と、びっくりすることを笑って話してくれました。
ものづくりの歴史のみならず、そこで暮らす人々も多彩です。遺跡の発掘ではないけれど、京都の地層はどこでも、あっと驚く話がどんどん、しかもさらりと出てくることに驚愕します。知らないこと、埋もれていることがまだまだあることは確かでしょう。色彩や音、手の動き、交わされる言葉など、培われてきたことが今も、ものづくりにかかわる人々に伝承されていると感じました。

より道は多くの出会いを生む

イスズ楽房の張り子
張り子人形は全国に見られる民芸品で、木型に和紙を貼り、大きさにより何層にも貼り重ね、乾燥させてから切れ目を入れて半分にして木型から抜き取り、それをきちんと合わせて一体にして下地塗りをくり返し、それが乾いてから絵付けをします。なかなか手間と時間のいる仕事です。
古川さんは木型づくりからすべての工程を一人で行って完成させています。そこに自分なりの工夫と創造を加えているのがいすず張り子です。

イスズ楽房の木型
木型もすべて古川さんのお手製です

お面は、平たい木の土台に、鼻や耳、髪形など様々なパーツを穴に差し込み組み合わせて、伝統の顔かたち、豊かな表情をつくっていきます。おもしろいのは、同じ木型がお面によって耳になったり、鼻や眉毛など変幻自在に組み合わせられていることです。かごいっぱいのパーツからふさわしいものを選んで組み合わせる過程はパズルのようです。大変だと思いますが、古川さんは楽しそうでです。
様々な動物や鳥は、筋肉や足がどこにどのようについているかなどを調べてデッサンしてからつくり始めます。伺った時は「おめでたい鶴亀を揃えたいが、鶴の羽はどこから黒くなっているのか考えているところ」とのことでした。
イスズ楽房の張り子
衣装も伝統にならい、配色や模様も後ろ姿まできれいに描かれています。京都は伝統産業に関係するすごい人たちがたくさんいるので、それに比べたら「僕がやっていることなんて、あそびみたいなもん」と言われていましたが、押さえるべきところはきちんと押さえ、ものづくりの骨格がしっかりしていると感じました。自由で楽しい雰囲気はこうした目には見えないけれど、おろそかにしない普段の細かい仕事の積み重ねにあると思います。

 

「ぶれまくり、より道ばかりしてきたけれど、そのおかげで本当に多くの人と出会えてよかったなあと思います」商店街の活動も続け、商店街の主婦を対象にしたアンケートに取り組み「普段から、この地域で暮らし商いを営む人たち」の実態と本音を引き出し報告書も発行しました。夏まつりの歩行者天国や「新大宮商店街振興組合50周年誌」の発刊などにも尽力しました。商店街の活動をしていたことから地元紙に2回、連載の執筆の機会が生まれました。また地元の児童館の館長も8年間務めました。「地域に恩返し」という言葉が使われますが、古川さんの越し方を伺ってみると本当に、その通りと思います。

バンジョーの名手としても知られる古川豪さん

「古川 豪」と聞いて「もちろん知ってる。当たり前」という人も多いことと思います。古川さんは、京都以外でも、静岡、東京など各地でライブのステージに立っています。「待っていてくれる人、喜んでくれる人」がいます。
11月も10日間も東京でライブがありました。ライブには「いすず張り子」も積み込んで自ら運転して行きます。一番人気は托鉢姿の雲水さんだったそうで「わからんもんやなあ」とつぶやいていました。
福蓑
棚に残る薬局時代の備品と本が、張り子の面々と同居しています。新年に福を運んでくれる「福箕(ふくみ)」には、えびすさん、大黒さんのほかにも金の俵、鶴亀、鯛などおめでた尽くしの飾りがどんどん増えていました。「普通に存在していることに意味がある」という古川さんの言葉にとても共感ました。いすず張り子を振ると、やさしい鈴の音が聞こえます。気持をやわらかくしてくれる音です。
地域色濃い新大宮商店街のイスズ楽房へ出かけて、たくさんの個性ある張り子と会ってみてください。そして「関西フォークの草分け」「バンジョーの名手」などのくくり方では、はまらない古川豪さんが静かに楽しそうに、手を動かしていると思います。

 

イスズ楽房
京都市北区紫野上門前町21
営業時間 10:00~18:00
定休日 火曜日

タイルで遊ぶ、知る、 そして使う

建物の外装や少し前まではお風呂や台所の流しなど、ごく身近にあったタイル。最近は目にすることが少なくなりましたが、民家の外壁に貼ってあるごく普通のタイルも、モザイク模様のおもしろさや色使いに、ものづくり精神や職人さんの姿を垣間見る気がします。
そんなタイルについて、どこで、どのようにしてつくられているか、製造方法や種類、最新の製品など、およそタイルに関することのすべてを知ることができるギャラリーがこのほどリニューアルして新たなスタートを切りました。職人の誇りも遊び心、これからの暮らしにどう生かしていくかなど、産地も含めてタイルのおもしろさと可能性を感じるタイルギャラリー京都は、新鮮なおどろきと楽しさがいっぱいでした。

タイルは焼き物、窯元でつくられる

タイルギャラリー京都
タイルギャラリーは、京都駅から歩いて5分ほど、大通りの喧噪から離れた静かな場所にあります。モダンで周囲になじんだよい雰囲気の建物です。
ギャラリーの中へ一歩入ると、広々としたスペースに、めくるめくタイルの世界が広がっていました。色、形状、質感も様々な本当にたくさんのタイルが、すてきなレイアウトで展示されています。余分なものがなく正味タイルだけで構成されていることがすばらしいと感じました。
タイルギャラリー京都
ギャラリーの運営を任されている篠田朱岐さんに「タイル事始め」のようにていねいに説明していただきました。窯元は愛知県の常滑、岐阜県の美濃、多治見など、もともと陶器の産地であった所に多いなど、始めて知ったけれど、聞けばなるほど思うことが多くあり新鮮でした。
窓側も上手に利用して、各窯元の特徴や得意とする製品、新しい提案などがよくわかるように展示されています。ていねいで楽しい話ぶりからも、展示の工夫からも、タイルへの深い思いが伝わってきます。
タイルギャラリー京都
海外ではタイルの需要が増えているそうですが、費用の点で日本はクロス張りが増えていると聞きました。しかし、耐用年数はタイルのほうが優れているので最終的にみればタイルが高いわけではないのです。それでそれぞれの窯元もキッチンのカウンター部分に使うなど、一部でもタイルを取り入れられ、家の雰囲気に合った使い方を発信しています。
需要が減少して厳しいなかでも、これまで培ってきた技術と先進性をもってがんばっている会社が多いのだと思います。デザイン的にも優れ、分業が多い業界のなかで、うわぐすりも自社でつくるなど新しい歩みを始めている会社もあるそうです。「タイルをもっと知ってもらえば使い道はきっとある」という気持で、新たな行く末を考えているのだなと感じました。
タイルギャラリー京都
また、窯元とギャラリー双方の思いが一致しているからこそ、会場全体が楽しく、明るく感じられるのだとも思いました。
「これをひとつ、ひとつ手作業で作ったのか」「ここまで狂いがなく、きちんと合わられる技術と心入れがすごいな」など、タイルがみずから発信しているように感じます。
展示パネルは黒い鉄板で、マグネット式に自由自在に張り付けられるようになっています。ひとつひとつの、1センチにも満たないタイルにもマグネットが付けてあります。生半可ではとてもできないことです。思いのこもったタイルの芸術に物語を感じます。

源流を大切にしつつ、概念をくつがえす

タイルギャラリー京都タイルギャラリー京都
タイルは四角く平たいもの。その概念を打ち破る形状のタイルも生まれています。インテリアとしてもすてきです。ピアスや掛け時計などの雑貨の分野にも進出し、現代の暮らしにあった食器も生産されています。
もともと食器を作っていた窯元がタイル製造に乗り出した例も多く、マグカップやプレートなどは得意分野です。「手元に置きたいな」と思うものがいろいろあります。余った粘土でつくった「うどん玉」という、お茶目な作品には思わず笑ってしまいました。

海外でもタイルは製造されていますが「きちんと作る」の精度が日本はすぐれているそうです。細かいモザイクタイルを貼りつけた四角のタイルをさらに何枚も寄せてきちんと一枚の絵画にした「錦鯉の図」がありました。
寸分の狂いもなく仕上げた迫力に、ものづくりの精神は健在なのだと感じました。
堅持すること、革新していくなかみ、その両輪がしっかり噛み合っています。

日本のものづくりの未来

タイルギャラリー京都
タイルギャラリー京都は、タイルの施工会社「山陶」が運営母体となり、元タイル職人であり代表取締役の山下暁彦さんが館長を務めています。ギャラリーは新たにレンガの展示スペースを設け「煉瓦の家」の構想がスタートしています。
タイルの源であるレンガは、明治の工業の近代化のなかで全国各地にりっぱなレンガの建物ができ今も残して活用している所もあります。新しく始まる「煉瓦の家」の取り組みは、伝統的な煉瓦のすばらしさとそれを積みあげ構築する職人技の融合です。
タイルギャラリー京都
現在、館内にはスマートブリック工法という新しい工法で施工された外壁の小さな家が建てられていて、実際に打ち合わせなどに利用しています。キャスターで移動も可能ということで、これから在宅での働き方が増えるなかで需要が見込まれます。
また、レンガに曲線をつけて積み上げた展示もされています。四角なレンガに曲線をつけて積むのは相当難しいことなのだそうです。職人魂のなせるわざです。それぞれ違った風合いを見せるレンガにあたたかみを感じます。篠田さんも「これが味ですねえ」と愛おしげに口にされました。
タイルギャラリーでは、ワークショップも行っています。これから多くの人に参加してもらえるプログラムも増やしていくそうです。

タイルギャラリーのロゴマークはタイルの花びらが開き、花がさく明るい未来を示しているように見えます。「タイルと出会い、遊んで、活かす」を掲げた本当の京都のものづくりを知ることができる楽しい場所です。
前回の紙箱に続き、伝統産業だけではない京都のものづくりの源流と進取の精神を感じた取材でした。また京都のみならず、日本の各地に、志をもってものづくりに励む人たちがいることも知りました。
京都を訪れた人、また地元の人もぜひ足を運んでもらいたいと思います。最期は土にかえる煉瓦とタイルを身近に置く暮らしが広がりますように。

 

タイルギャラリー京都
京都市下京区木津屋橋通西洞院東入学芸出版社ビル3階
開館時間 11:00~16:00
開館日 毎週月曜、火曜、木曜日/第2・第4の金曜、土曜日

発見いっぱい 京都かみはこ博物館

千年の都京都は、長い歴史のなかで育まれ、磨かれてきた伝統産業、工芸品が今も継承されています。一方、明治以降の近代のものづくりも、めざましい発展をとげています。
前回に続き「京都かみはこ博物館 函咲堂」館長の山田芳弘さんに、京都の紙箱製造のさきがけであった泰山堂と紙箱の歴史、技術や製品の変遷について伺いました。お話からは、伝統と進取の気風があいまった、京都独自のものづくりの姿が見えてきます。山田館長のおだやかな語り口と、函咲堂のユニークな活動に、京都のゆとりと底力を感じ、これからの京都の在り方も指し示していると感じました。

大看板とともに引き継いだもの

京都かみはこ博物館 函咲堂
紙箱製造にかかわる多くの道具や機械とともに、正面に掲げられた木製看板が泰山堂(たいさんどう)の風格を伝えています。
泰山堂は明治35年の創業時に、いち早くドイツから機械を輸入し、その後も本格的に機械化を進めるなど京都の紙箱製造の先駆者となり、業界に大きな役割を果たしました。十数年前に会社を閉じた時に所有されていた機械や貴重な資料、紙器や箱の工業組合のものも含め保存展示されています。
東京や大阪など他の大都市でも機械が導入されていましたが、第二次世界大戦中の金属供出や戦災により、多くが失われてしまいました。そのような状況のなか京都では、軍に50キロ爆弾の弾頭を紙で作ることを命令されました。それは四角い箱のみを作っていた業界に、変形のものも製造できるようになったという、革新的なできごとをもたらしました。函咲堂が発行したパンフレットにはその製造現場の写真も掲載されています。
京都かみはこ博物館 函咲堂
現在展示されている舶来の機械は、おそらく日本最古のものと考えられています。函咲堂では、前回ご紹介したように貼箱体験と、機械や資料の説明と見学を行っています。紙箱の歩みを知ると、函咲堂の展示物や体験によって紙箱の存在を知ってもらうという活動が、本当に貴重でほかに例をみないことがわかります。
函咲堂は「一般社団法人 函咲堂」として、2018年に設立されました。法人としたのは、貴重な機械や資料が個人の都合や状況などで散逸させないためと山田館長は語ります。紙箱以外にも、京都は全国の写真を印刷して絵はがきにする最大の印刷産地であったということで、使用された524枚の銅板も保存展示されています。
機械を2階へ展示するために鉄筋を使ったおおがかりな工事をし、大看板は天井にレールを通し設置しました。公的な所有として保存することとあわせて、製造技術の継承も活動にあげられています。
京都かみはこ博物館 函咲堂京都かみはこ博物館 函咲堂
貼箱の一級技能士資格者であった、泰山堂三代目専務水守千里さんは、貼箱体験の指導もされていました。今年の7月にお亡くなりになりましたが、ほぼ毎日姿を見せ、機械の手入れをし、子どもたちの貼箱体験は元気に楽しそうに指導されていたそうです。展示されている数々の機械はきれいに磨かれ仕事の相棒として大切にされていたことが伝わってきます。
体験の時に感じる現場の臨場感は、泰山堂が築き継承してきたものづくりの精神なのだと感じました。また泰山堂以外の会社の機械や道具、組合に関する資料も保管され、企業や業界の貴重な歩みを後世に継承するかけがえのない場となっています。函咲堂は唯一無二の紙箱の博物館です。

奥が深く間口も広い、紙と箱

京都かみはこ博物館 函咲堂の御朱印帳
体験では貼箱が主ですが、御朱印帳も作ることができます。山田館長は「御朱印帳は紙を使った素朴なものでいいと思います。それを自分ですきなように作れたら楽しいし、思い入れもあるものになります」と、素材の和紙や中身に使うロール紙で説明してくれました。
御朱印帳のかなめは、じゃばらにきちっと折ることです。そのためにまず、練習用の紙を使って折り方やコツを覚えます。紙がロールの形になっているというも発見に思えて新鮮です。
「ここで作るのは大きさも厚さも自由にすきなようにできます。御朱印だけでなく、写真やチケット、お店のカードなど自由に貼ったらいいのです。だから思い出帳なのです」「お孫さんにプレゼントする思い出帳を作る人もいます。楽しそうに作っていて、心がこもっているのでお孫さんも喜ばれたのではないでしょうか」と続けました。
京都かみはこ博物館 函咲堂の木版京都かみはこ博物館 函咲堂
レコードジャケット、木版や箔押しがほどこされた呉服関係の包み、木版刷のデザイン画や型染和紙など見どころも満載です。その意匠は今みても色あせず、モダンであったり優雅であったり感度の高いものばかりです。デザインや絵画を勉強している若い人にも、ぜひ見てほしいと思いました。
伝統産業に分類されるものだけでなく、近代京都の先進的な技術も、もっと広く知られて大切にされるようになってほしいと感じました。

かみはこ博物館はコミュニティーの場

京都かみはこ博物館 函咲堂の木版
体験会とは別に「函咲会」という集まりも行われています。70代を中心に集まって、紙について勉強をして「何を作りたいか」の希望によって、御朱印帳や貼箱作り、みんなで歓談を楽しまれているそうです。
おどろいたことにバランスボールやフィットネスの器具、卓球台まであります。コロナにより中断を余儀なくされていますが山田館長は「またそろそろ始めたい」と考えています。
紙と箱の博物館のみならず、地域の寄合処のようで、参加される方の楽しそうな雰囲気が目に浮かぶようです。

京都かみはこ博物館 函咲堂の木版
御朱印帳を手に説明してくださる山田館長

山田館長に「函咲堂はどなたが考えた名前ですか」と聞くと「僕や。箱はそのままではおもしろくないから函にして、咲くは作る。箱作、そのまま」お茶目な答えが返ってきました。かみはこ博物館という略称については「なんや知らん間に、みんながそう言い始めてそうなった」と鷹揚です。
おみやげに滅菌紙を使用したマスクケースをいただきました。発売元は一般社団法人 函咲堂です。ものづくり現役です。今、京都も含め全国の中小企業は厳しい経営環境にあると思いますが、先人が培ってきた土壌の上で、新たな豊かさを築いているという力強さを感じました。

入口に鎮座している御駕籠は、実際に担ぐ計画をしているそうです。縁あって心ある人によって守られた日本最古の紙箱作りの機械は、こうして多くの人々とかかわりながら、渋い光の存在感を放っています。

 

京都かみはこ博物館 函咲堂(はこさくどう)
京都市下京区西七条比輪田町1-3

紙の手ざわり 貼箱作り体験

季節やお祝い事など、暮らしの場面に合わせた進物は、それぞれ用途に合わせた形、素材の「化粧箱」におさめて先方へ贈られます。美しい意匠の紙箱は、どこの家でも当然のように再利用されていました。子どもの頃、宝物をきれいな箱に入れていた思い出のある人も多いのではないでしょうか。
前回の「高田クリスタルミュージアム」に続く「学びの秋」企画は「貼箱作り体験」です。紙箱を通して、近代京都のものづくりの一端を知ることができる「京都かみはこ博物館 函咲堂」を2回にわたってご紹介します。

紙の手ざわりと、形になる達成感

京都かみはこ博物館 函咲堂の館長
案内された体験の会場には、各工程の機械がずらりと並び、元気に稼働していた様子を彷彿とさせます。指導をしてくださるのは、かみはこ博物館館長、山田芳弘さんとご家族のみなさんです。参加者それぞれの前に、展開図の形に切り抜いた貼箱の本体が、大小2種類置かれています。何種類か用意されたなかから箱に貼る紙を選びます。モダンな雰囲気を選ぶか、でも華やかな色目もいいと迷った末、やっと決めました。

京都かみはこ博物館 函咲堂の紙
会場には多くの紙が展示されています

次は、あらかじめ折り線が深く入れてある厚紙の四辺を折り上げます。四隅をテープで止めて、箱の身とふたができます。
今度は、選んだ紙に刷毛で糊を付けていくのですが、刷毛の扱いもぎこちなく、糊の付き方にむらができてしまいそうです。また、いざ貼ろうとすると、糊が乾いてしまっている部分があり、糊を付け直します。その日の気温などによって糊の乾き具合が違うそうで、こういった微妙なことがわかるのも体験だからこそです。
京都かみはこ博物館 函咲堂の張箱体験
ふたの表面に紙を貼る時、やさしく手でなでようにして、しわやでこぼこができないように気をつけます。無心に作業に没頭する工作の時間のようです。最初は失敗しないようにと、やや緊張気味でしたが、函咲堂のみなさんの、優しく細やかな教え方のおかげで、母娘で参加された方と一緒に、とても和やかな、いい雰囲気で時間が過ぎていきました。
京都かみはこ博物館 函咲堂の紙箱
そしてそれぞれの「私の箱」の完成です。形になったうれしさに、自然と顔がゆるんできます。折り線がしっかり付けてある型取りされた厚紙と、同じ大きさに裁断された紙、このキットがあれば、手先が器用ではないと思っている人も、また、経験や年齢も関係なく貼箱体験ができます。手作業の楽しさを久しぶりに実感しました。

舶来の機械が並ぶ工場のような臨場感

京都かみはこ博物館 函咲堂の山田館長
貼箱が完成した後に、函咲堂に保存・展示されている多くの種類の機械や道具、貴重な資料と、紙箱の歩みについて山田館長さんの解説で見学しました。
ひと口に紙箱と言っても、本体とふたに分かれている貼箱、型で抜いて折る、組み立てるものなど様々なものがあります。また、それぞれの箱の工程に専門の機械があることを知りました。裁断の機械も複数あり、体験で作った箱の厚紙の折り線をつける機械、ホッチキスのように金具を止める機械等々、本当に多くあります。
京都かみはこ博物館 函咲堂の機械
機械は、それぞれの工程を順番に理解できるように配置も工夫されています。紙箱の歴史や、どのようにして作られているのか知ってほしい、そして箱に入れて贈るという文化も伝えていきたいという思いが伝わってきました。
展示されている機械や資料は、明治時代に創業した京都の紙箱業界の雄であった「泰山堂」が所有していたものです。縁あって函咲堂が受け継ぎ、展示しています。展示室は2階にあり、1階に鉄骨を入れて補強し、重機で搬入したそうです。紙箱製造機がこれだけ一堂に展示されている所は他に例を見ないのではないでしょうか。

貴重な資料と歴史を受け継ぐ

京都かみはこ博物館 函咲堂の展示
展示品のなかには箱作りが手作業だった時代のものもあります。糊を入れていた大きな木桶、刷毛、紙を切る包丁など、これらの道具で作るのはさぞ手間ひまがかかったことだろうと想像できます。
しかも今よりもっと、日常的に行き交うものに箱が使われていたと思います。風呂敷を入れる浅い箱、反物用の深く長い箱、うちわや扇子用の箱。商いや暮らしのなかで受け継がれてきた習わしと結びついて、箱の需要も様々あったと思います。そしてそれぞれの時代の箱に携る人々が、時代の大きな波も含め、困難もあるなか、研鑽と研究、工夫を重ねて発展の歴史を刻んできました。
京都かみはこ博物館 函咲堂
おかあさんと小学生の娘さんも興味深そうに熱心に見学されていました。キットを使ってだれでも気軽に貼箱が作れるというだけに終わらず、ものづくりそのものについて知ることは大切なことだと感じました。多くの機械や道具が並ぶ様子は、箱作りの現場にいる臨場感があり、こうした環境で体験できることは貴重です。自分で作った箱が、いっそう思い入れのあるものになりました。
京都かみはこ博物館 函咲堂の紙
紙箱は上に貼る紙や印刷技術も不可決です。紙の材質、デザイン、印刷技術の向上といったことと深くかかわっています。その点にも大いに興味をそそられました。次回は、函咲堂を開設した思いや、これまで取り組んでこられたことなど、山田館長さんに伺います。

 

京都かみはこ博物館 函咲堂(はこさくどう)
京都市下京区西七条比輪田町1-3

暮らしのかたわらに 一閑張を

一閑張(いっかんばり)とは、和紙を張り重ねた上に柿渋や漆を塗って仕上げた生活道具です。軽くて丈夫、また補修して長く使えることから、日々の暮らしに重宝されてきました。形あるものは最後まで使い切って、ものの命をまっとうする大切さに気付かせてくれます。
「伝統を暮らしに生かす」とは、どういうことかについては「そんなに難しく、堅苦しく考えなくていいのですよ。それより楽しんで、そのなかで一閑張の良さを知ってもらえれば」と、語るのは、飛来一閑 泉王子家十四代尾上瑞宝さんです。もの心ついた2、3歳の頃には見よう見まねで、おもちゃを作るように、一閑張にふれていたという申し子のような方です。伝統工芸一閑張の本当の姿を多くの人に知ってもらい、日々の暮らしが少しでも豊かになるようにと熱い思いがあふれるお話を、生まれ育った自然豊かな右京区のアトリエでお聞きしました。

和紙と柿渋、漆。そして人

一閑張 飛来一閑 泉王子家
一閑張の歴史は古く、江戸時代初期に、戦乱の中国から日本へ渡った明の学者、飛来一閑によって伝えられました。乾漆工芸の技術の持ち主でもあったことから、日本の質の良い和紙を主な原料として、独自の技術を開拓したことが日本での一閑張の始まりです。
かごや菓子器、文箱、つづらなど様々な日常の用に使えるものが作られてきました。このように生活に密着したものでしたが、ある時、茶道千家三代家元の目にとまり、茶道具としての用も果たすことになり、ここで千家十職「飛来一閑 飛来(ひき)家」と、暮らしに根差した生活道具を作る「泉王子家」に分かれ、今日まで、それぞれの歴史を刻んでいます。
「泉王子」の名は「菊水紋」とともに、江戸前期の百十二代霊元天皇から賜り、現十五代まで続いています。これだけでもう、泉王子家を雲の上の存在に感じてしまいますが、十四代の尾上さんはいたって気さくな方で、垣根を一切感じさせない物腰で、一閑張についてていねいにお話されました。
泉王子家十四代尾上瑞宝さん

和紙だけで作られたフレーム
和紙だけで作られたフレーム

一閑張は「竹に和紙を張ったもの」と思いこんでいましたが、基本は和紙です。何枚も張り重ねてもとても軽く、その上強度もあります。柿渋や漆を塗ることで防水性や防虫効果も生まれます。実際にアトリエにある作品を手にとると驚くほどの軽さです。和紙を張り重ねただけでも、しっかりしています。現代は「軽量・防水・耐久性」などをうたう商品があふれていますが、一閑張の丈夫で軽く、水に強いということが、江戸の昔の人々にとって、どれほどありがたかったことかと、しみじみ感じました。
和紙は、張り重ねることはもちろん、竹や木、石、布などどんな素材にも使うことができます。その柔軟性は無限に新しいものを生んでいきます。それを可能にしているのが、素材を大切にして、持ち味や特性を生かせる技術、人の手です。日本の素材と物を大切にする作り手によって生まれ、それぞれの時代を経てきました。一閑張を手にした時に感じるあたたかみややさしさは、まさに人の手によるものです。このことが長く愛着をもって使うことにつながると感じました。

家訓は今も変わらず大切な指針

一閑張 飛来一閑 泉王子家
泉王子家の家訓と技術は、代々一子相伝、口伝(くでん)によって受け継がれてきました。家訓の最初に「四十になるまで己の作品を世に問うてはならぬ」とあります。これはまず諸国をめぐり多くの人と出会い、見聞を広めよ、人間としてどうあるべきかが作品にも問われるということにつながります。
そして、長い間各地をめぐり歩き、京都へもどった時は風貌も変わっていることもあったでしょう。確かに泉王子家の者であることを証明する手立てとして「家訓をそらで言える」ことが重要でした。尾上さんは二、三歳の頃にはすでに、門前の小僧習わぬ経を読むのたとえの通り、完全に覚えていたそうです。泉王子家には、研究者や技術を習得したい人など多くの人が出入りしていました。そのお客様へ家訓を披露する時は、いつも尾上さんの出番でした。みんなが感心してほめてくれるのがとてもうれしかったとなつかしそうに話してくれました。

泉王子家十四代尾上瑞宝さんのアトリエ
愛用の道具が並んだ尾上さんのアトリエ

家訓は口伝を固く守ってきましたが、現在は文字にして公開し、伝統的技法も教室を開いてだれでも体験できるようにしています。一閑張の素材の確保は、年々大変になっていますが、信頼できる職人さんから入手しています。和紙はしっかりした技術の職人さんの手漉き和紙を多く使い、糊は添加物の一切ない天然のでんぷん糊、骨格として竹や木を使う時も、天然のものです。そして、受け継がれた技法によって、が天然自然の素材を生かした作品ができあがります。それに対して、合成の接着剤や天然素材ではない紙を使うなど、素材も技法も一閑張とは言い難いものが「一閑張」として世間に出回るようになった背景があります。このことに危機感を持った尾上さんは、本来の一閑張を知ってもらうための活動を始めました。このお話を聞いて、時代の変化のなかで、一閑張を継承していくためにはその時々の決断が必要なのだと感じました。家訓には「血筋にこだわるべからず 技術をもって引き継ぐを主とすべし」という条項があります。これも「本来の姿、本当の一閑張」を継承していくという本筋を大切にするための決断と感じられました。そして血筋にこだわらないという柔軟な考えにも感心しました。尾上さんが始めた、だれでも気軽に一閑張を楽しめ、そのことにより、正しく伝えていくという活動は「家訓の実践」であると感じました。それが実を結び、今の時代に一閑張のすばらしさを広げています。

日々の暮らしを豊かに、人生を楽しく

出前講座の生徒さんのお手製

尾上さんは、小学生や大学生、一般市民向けの教室を各地で開いて、一閑張の普及に積極的に取り組んでいます。近くの小学校へは3年間、出前講座を行いました。作るものは自由。みんな夢中になって、休み時間や給食もそこそこに、作品作りに没頭していたそうです。「自分の部屋がないから作りたい、と本当に自分が入れる大きさの部屋を段ボールなどで作り、家へ持って帰って、その中で宿題をしている」「かばんを作っておかあさんにプレゼントした。おかあさんは毎日使ってくれている」「おもしろい椅子を作った」など、作ることの楽しさ、完成した喜びにあふれた声が寄せられました。
高校生や大学生も、わいわい楽しく作業をしていたそうで「本当にみんな、きらきら生き生きしています。きっかけや出会いさえあれば、だれもが手先を動かすおもしろさを知ることができます。これからも、特におもしろさを伝えていければと思います。そのなかで自分に自信を持てたり、新しいことを知る楽しさを感じられます」と、体験教室の様子を尾上さん自身も楽しそうに生き生きと伝えてくれました。
泉王子家十四代尾上瑞宝さん
東日本大震災が起きた時も福島へおもむき、仮設住宅へ入っている妊婦さんから「中のにおいが耐え難い」という声を聞き、調べると化学物質の資材が原因とわかったそうです。そこであらためて、自然素材を大切にした、ものづくりや暮らし方を思ったそうです。
環境とものづくりがつながっていること、こうした考えを身近にしたい、広げたいと福島へは8年間通い、一閑張のワークショップを続け作品展を開くまでになりました。一心に和紙を張り、形ができる達成感はきっと地元のみなさんの気持ちの支えになったのだと感じました。教室は今も続いているそうです。

一閑張 飛来一閑 泉王子家
尾上さんが修復した網目が見事な思い出のかご

アトリエには、修復した250年前の箱、茶箱など時代を経たものや「おじいちゃんが大切にしていたかごを直してほしい。手元に置くと、僕をかわいがってくれたおじいちゃんの思い出がよみがえる」と持ち込まれた品もあります。また尾上さんは材木屋さんで捨てられていた木の端材をもらって来て、和紙を張り、柿渋を塗って手近に置いて小物として使っています。もう職人さんはいないという和菓子の木型も最後の職人さんからいただいたそうです。尾上さんのところへは、こうして一閑張という枠を超え、またどんな素材とも親しくなじむ一閑張だからこそ、様々な物が集まって来ます。人間が生きる時間より、物の命は長いのだと知らされます。またそのすぐれた特性から驚くものにも使われています。
八代将軍吉宗公に献上された望遠鏡、また全国を測量し日本地図を作った伊能忠敬が使った望遠鏡にも、筒に一閑張が使われています。武士の陣笠も軽くて丈夫、雨も通さない一閑張でした。そして今、だれもが一閑張を体験することができ、身近なアイテムも作られています。
和菓子の木枠
尾上さんは銀行員やその他の職業を経験した後、四十歳を迎えてから十四代となりました。父親の先代は跡継ぎになれとは一度も口にしたことはなかったそうです。尾上さんが跡継ぎになる決心を伝えた時「なぜ継ぎたいと思ったのか」とたずねられ「多くの人とめぐり合い、人との出会いの大切さを知った」と答えたところ「良し」と、こたえられたそうです。先代は常に「人として大事なこと」を基本にして「たて割りで世の中は成り立っていない。横割りで物を見られるように」と言われていたそうです。
失敗から学ぶ。失敗したからこそ工夫する。一閑張は伝統技術を引き継ぎつつ、新しいものをプラスしています。「作り出せるものは無限大。知恵や工夫でもっと使いやすく、おもしろくなります。そしてそれは身近にある物を利用して、だれにもできること。これは人生も同じ」と語ります。生きていく上でマイナスなことに度々出会うけれど、マイナスをプラスに変えていく力をみんな持っていると力を込めました。アトリエの屋号「夢一人」は20年間拠点をおいた北区のお寺のご住職がつけてくれたそうです。「ひとり、ひとりに夢を」という思いと期待を込めて贈ってくださった屋号です。
四百年の伝統は、実は普通の暮らしのすぐそばにあり、工夫することで普段の暮らしに生かせます。「だれもがその知恵をもっている。一閑張を通して、毎日が少しでも豊かになるように。そして自由自在な和紙のように楽しい人生を」というメッセージを強く感じました。そしてその根源にある家訓は、今を生きる指針でもあることを感じた取材でした。

 

一閑張 飛来一閑 泉王子家(いっかんばり ひらいいっかん せんおうしけ)
アトリエ夢一人

祇園に佇む 現代アートギャラリー

観光に訪れた人々でにぎわう四条通や八坂神社あたりから一歩入れば、暮らしが感じられる界隈となります。そんな静かな通りの一画に、ガラス張りの白い建物のギャラリーがあります。
企画展の会期中は通りからも、展示の様子がうかがえます。現代的な建物でありながら、気取ったふうもなく、明るく開放的な雰囲気が感じられます。
祇園祭の鉾建てにわく日、「現代アートうちわ展」を開催中の「ギャラリー白川」のドアを開けました。オーナー池田眞知子さんのお話と執筆された著書から、画廊という発表の場、その役割についてはじめて知ったこと、感じたことを綴ります。

今年で39年を迎えるギャラリー

ギャラリー白川
自宅から見える白い建物の空き店舗を眺めていて「お茶を飲める、可愛い画廊」が目に浮かんだことが、ギャラリー白川の始まりでした。絵の好きな人や作家さんが訪れ、徐々に企画した展覧会を開けるようになりましたが、やがて「世界のアートを自由に紹介したい」という思いがつのり、家族の理解と協力を得て単身パリとニューヨークへ飛び立ちました。

オーナー池田眞知子さんの著作「35年をこえて 偶然を必然に ジョン・ケージからはじまる」
オーナー池田眞知子さんの著作「35年をこえて 偶然を必然に ジョン・ケージからはじまる」

1980年代の躍動感あふれるアメリカンアートの魅力は目にまぶしいほどだったと著書のなかで語っています。何度か訪れるうちに、多くの美術関係者ともつながりができ、京都で紹介できるようになったそうです。ジョン・ケージ、サム・フランシス、フランク・ステラ等々、現代の美術界を華やかに彩る海外の作家たちの展示会を実施したのでした。

当時の日本はバブル景気にわき、絵画もどんどん動いた時代でした。百貨店での企画も多く、また地方に美術館が次々と建設され、「絵具が乾く間がない」というほど、作家も次々と制作を続けたそうです。
現代アートがまだ日本に根付いていない頃から、アメリカで絵画の新しい潮流を目のあたりにしてきた池田さんは、美術館へ作品をおさめたり、展覧会の企画など数多くかかわっていました。

やがてバブル経済の終わりが来て、美術館には作品を買い上げる予算がなく、百貨店でも動きが止まりました。日本全体が不景気の影におおわれた1999年、今後を見据えて、現在の祇園の地に移転しました。それは「ここで何ができるか」という自分自身への問いかけでした。
画廊経営という未知の世界へ飛び込んだ最初とは違い、多くの人との出会いや経験のなかで得た「企画する喜び」を礎に、新たな取り組みを始めたのでした。

17回続く「現代アートうちわ展」

ゆかたとうちわ
アメリカをはじめ海外の現代アートを日本に紹介した草分け的な存在の池田さんは、再び日本の作家へ目を向けるようになりました。
うちわが日本へ伝わったのは6~7世紀とされていますが、はじめは祭祀や貴族のあいだでのみ使われていました。現在の「風を送って涼む」竹骨に紙を張った形となるのは室町時代とされています。江戸時代へ入ると、庶民の間に広まり、浮世絵や人気役者の姿、美人画などが描かれ、床の間へ飾ったり、おしゃれとして持ったり、うちわの文化は見事に花開きました。
ギャラリー白川のうちわ展
池田さんは「この時代の日本人の豊かな感性とすばらしい職人技を、今の作家さんにも知ってほしい」と、現代アートうちわ展を企画しました。今年でもう17回を迎え、27人の作品が展示されています。日本画、漆、油彩、版画、現代美術、水墨画、織り、フレスコ画、グラフィックデザインなど様々な技法、分野の作家さんのうちわが展示されています。
その展示がすばらしく、美術とは縁遠い人も十分楽しめる空間になっています。フランス、カナダ、アメリカ、マカオと海外からの参加もあり、結びつきの広さと確かさを感じます。
ギャラリー白川のうちわ展ギャラリー白川のうちわ展
思い切り飛んでいる作品が日本画の作家さんとか、鮮やかにひまわりを描いたうちわはフレスコ画など、新鮮な驚きが続きます。
「普段は四角なキャンバスと向き合ったいるので、うちわのように丸いなかに描くの難しい」そうです。夏の風物として、普通の制作とは違って楽しんで描いているのかと思ったのですが、そんなものではなく苦労し、一心につくり上げるものでした。
「夏だからこの時期はうちわ、という意図でやっているのではありません。江戸時代に発展した、身近にある道具をアートにして楽しむことを掘り下げていってほしいと思うからです」と話されました。
もちろん、夏の季節感としてうちわを楽しむことはすてきなことです。そのことを十分含んだうえで、池田さんの現代アートうちわ展には、美術・作家・画廊というもに対する、季節の楽しみだけではない、もっと強い意思が伝わってきました。

39年のその先へ、できること

ギャラリー白川
バブル後の激変に備えて新たなスタートをきり、歩んでいましたが、コロナ禍という世界中が巻き込まれている思いもかけない事態が続いています。ギャラリーへ足を運ぶ人もぐんと減ったそうです。そのようななかで池田さんはデジタルでの発信を充実させています。
ユーチューブでの配信は、作家の制作風景と作品が映し出され、娘さんが弾くピアノが想像をふくらませ、ひとつの映像作品として見ごたえがあります。
ギャラリー白川のYoutubeチャンネル
池田さんが「35年をこえて 偶然を必然に ジョン・ケージからはじまる」を著してから4年たちました。池田さんは、コロナになってから人の行動パターンや暮らし方が変わったと実感しています。
外で過ごすことが少なくなり、みんな家でゆっくりする方向になっています。そのようななかで、アートというものをどうやって広げていくのか。池田さんは、いつも「これまでと同じことではなく、ここでできることは何か」をいつも考えています。
ギャラリー白川のうちわ展
今回のような、ギャラリーとアートとの偶然の出会いを必然にする努力を続けています。「偶然を必然に」とはジョン・ケージの言葉なのだそうですが、これは今、アートの世界に限らずどんなところ、職業にも通じることだと思います。「アートや作家さんとの出会う機会を工夫し、支える人をもっと増やすこと」が必要です。
作品を求める人がいて作品が売れて、画廊も継続できる環境やシステム的なことが必要なのだと思います。アートの世界へのとびらはオープンになっています。まずは一歩入って作品と出会うことで観る楽しさ、豊かさを感じてみたいと思います。
ギャラリー白川では、現代アートうちわ展の後にも、企画展が続きます。ぜひホームページ等でチェックしてみてださい。

 

ギャラリー白川
京都市東山区祇園下河原上弁天町430-1
営業時間 12:00~18:00
第17回現代アートうちわ展 7月24日まで開催