長岡京の都の夢を つなぐ旧家

京都府の西南部、向日市は住宅地と竹林や田畑のなかに、1200年前の長岡京の都の跡を示す石碑や公園が点在しています。塀をめぐらせ、門を構えた格式ある「旧上田家住宅」も長岡京の跡に建てられています。
2016年、国の登録有形文化財に登録され、昨年11月に一般公開が始まりました。りっぱな床を設えた座敷やおくどさんのある土間、内蔵、外蔵もある伝統的な形式を受け継いだ農家住宅としての見どころとともに、1200年前の歴史の地層の上にいることをイメージできる、他にはない文化施設となっています。

長岡京の都と上田家住宅が刻んだ時

旧上田家住宅旧上田家住宅
旧上田家住宅は明治43年(1910)に、建築され、昭和17年(1942)旧国鉄による、戦地への輸送強化のための通称「弾丸列車」という新線計画によって現在の場所、長岡京跡に移転されました。今も建物の内外に遺跡の一部「築地回廊」の柱や雨落ち溝などの位置を示す表示があります。
今立っている場所が1200年前とつながっているような、どきどきする感覚を覚えました。同時に、移転した経緯や移転先が長岡京の歴史を物語る地であったことに、交錯する歴史を感じます。
旧上田家住宅
敷地の東側には農機具の収納や米蔵として使われた「外蔵」が、主屋脇には野菜を貯蔵した室(むろ)があり、大農家の営みがうかがえます。
主屋に入ると、長岡京の宮と参内する人々を描いた襖がはるかな時代へ誘ってくれます。桓武天皇によって長岡京が造営された時、大極殿の西にあった「西宮」は、6か月という最速の日数で建てられたそうです。遷都の理由の一つとなった大和の寺院や一部の貴族などの勢力に気付かれず、極秘のうちに建設を進める必要があったからです。
背割堤
また、川の少ない大和に比べ、長岡は桂川、宇治川、木津川の三川合流地点にあり、長岡へ入ってからは小畑川があって船運の好条件がそろっていたことがあります。それは平城京で使った木材をそのまま長岡京で再利用するために船が使えることはとても好都合だったのです。「長岡京から平安京へ移った時もまた再利用されました。この時代はとてもエコだったのです」というガイドさんの説明に同感、納得しました。
また当時はごみは川へ流して処理していましたが、川の少ない大和ではごみがたまって困っていたそうです。奈良時代のごみ問題を聞いて当時の人々に親近感を抱きます。

旧上田家住宅
長岡京を北から見た図にもその近さから川が描かれています

襖の反対側には北から南を向いた長岡京の全体図が描かれています。当時の人口は約5万人、そのうち7~8000人が政府の役人だったそうです。「お役人が多いですね」という感想に「当時は記録一つにしても木簡に手書きですから、一つ一つの仕事にとても手間がかかったのです」という答えにまた、なるほどと思いました。
小畑川の洪水や疫病の蔓延、また桓武天皇の身内の不幸が続くなどわざわいが重なり、10年で平安京遷都となりました。長岡京は「幻の都」とも言われていましたが、その存在をあきらかにしたのは、人生をかけて長岡京の発掘を続けた考古学者、中山修一さんの情熱と不屈の精神のたまものです。
旧上田家住宅内の内蔵ギャラリーには、発掘作業の写真パネルが展示されています。そのパネルには中山修一さんと協力した学生たちの姿も写っています。旧上田家住宅の空間は歴史を今につなぎ、そこにかかわった人々の存在を私たちに伝えています。

ていねいな暮らしの痕跡

旧上田家住宅
旧上田家住宅は平成28年(2016)に所有者の方から向日市に寄贈されました。見学して感じたことは「暮らしが見える」ということです。たき口が6つもあるかまどは、Cの形の構造をしていて一人で火焚き番ができます。大きな鍋釜がかけられた様子に多くの人が働いていた大農家の活気が伝わってきます。
床柱や床板やかまちに、最高の材や熟練の技が駆使され、ガラス戸のゆがみのある古いガラスや、美しくそしてしっかり作られた建具など見どころが多くあります。

旧上田家住宅
障子の下部分には玄関に入って来た人を見ることができるスライド式の建具が

旧上田家住宅旧上田家住宅

昭和の初めに製造された柱時計はまだ正確に時を刻み、手押しポンプからは水がほとばしり、子どもたちに大人気だそうです。水質検査も受け、飲料水として使用できます。足踏みミシンは「SINGER」シンガー社製、多くの家庭にあったミシンでなつかしく思う人も多いようです。製造番号があり1929年に製造されたとわかります。
また庭木やりっぱなつくばいも移転の際に運ばれたもので、優に100年を超えています。きりしまつつじは今年もみごとに真っ赤な花が咲きそろい、離れの庭にある金木製が咲く秋は、あたりは甘い香りに包まれるそうです。
旧上田家住宅
現在のご当主で6代目になられるそうですが、代々のていねいな暮らしぶりが思われる建物です。この空間の心地よさは、建物が住む人とともに刻んできた日々の積み重ねなのだと感じました。

足元に古代、そして旧暦を楽しむ空間

旧上田家住宅
今年旧暦のひな祭りに飾られた、地元の方のちりめん細工

今年四月のはじめ、ちょうど桜が咲いた時期に「旧暦で祝うひな祭り」の催しが行われ、ちりめん細工のつるし雛や大正元年作製のお雛様が飾られ、多くの人が足を運び、うららかな桃の節句を楽しみました。
昔の暦では一月は七草、三月桃、五月端午、七月七夕、九月重陽(菊)と五つの節句がありますが、現在では新暦で行っているため実際の季節感より早めになっています。たとえば桃の節句の今の三月三日はまだ寒く、花も開く前です。その点、旧暦(月遅れで行う場合が多い)は、その季節にぴったり合います。旧上田家住宅では五節句を旧歴でお祝いし、季節の習わしを楽しもうと企画されています。
ちなみに五月「端午の節句」は今月24日から開催予定とのことで、着々と準備が進められています。伝統的な建物にふさわしい催しです。
旧上田家住宅
このほかにも、かまどを使って餅米を蒸してお餅つき、また4部屋ある座敷は講演会や仲間うちの気の置けない集まりにも使用できます。内蔵ギャラリーも作品展が予定されているそうです。今を生きている私たちのみなもとには10年の短い間であっても、平安京に匹敵する都があったことを知り、100年を超えて大切に受け継がれてきたすぐれた文化財の建物を身近に使えるすばらしさを、これからも多くに人に広げてほしいと思います。そして地元のみなさんが誇りとする、ふるさとの文化資産を共同して今に生かす活動に期待がふくらみます。

 

国登録有形文化財 旧上田家住宅
京都府向日市 鶏冠井町(かいでちょう)64-2
開館 9:30~16:30
休館日 月曜及び毎月1日

ふたりで営む喫茶店 42年たちました

長岡京市の中心部から少し離れた住宅街に「京都スタイル」という形容がふさわしい雰囲気の喫茶店があります。サイフォン式コーヒーの味わいと心のこもった応対で、多くの人に「喫茶店で過ごす心地よいひと時」を提供し続けています。「コロラドコーヒーショップ マサヒロ」は今年で開店42年を迎えます。
蝶ネクタイがピシッと決まっているダンディなオーナー、マサヒロさんと、おかあさんのようなほがらかさが魅力の奥さま、メグミさんに話をお聞きしました。

コーヒーと京都へのあこがれが出発点

コロラドコーヒーショップマサヒロのご夫妻
マサヒロさんは京都にあこがれてふるさとの徳島からやって来ました。「70~80年代の京都はおもしろかったですね」と語ります。アニメやマンガが若者文化として広がり、伝説のライブハウスが元気で、雑誌や広告が華やかな時代でした。長い歴史と伝統の上に、新しい文化を取り入れていく進取の気風も旺盛で、そのなかにコーヒーと喫茶店もありました。
マサヒロさんは、もともとコーヒー好きだったことから、京都のコーヒー文化広げ、本格的なコーヒーが飲めるコーヒーショップを牽引した「ワールドコーヒー」の北白川本店で仕事をしました。白川通りのけやき並木と天井が高いガラス張りのこの本店は、京都の老舗喫茶店の代表の一つです。
コロラドコーヒーショップマサヒロ
はじめから開業を決心し経験を積み、1981年自らの名を付けた「コロラドコーヒーショップ マサヒロ」を長岡京市に開店しました。当時の長岡京市は、京都市内はもとより、大阪への通勤圏として人口が急増している時期でしたが、ほかの都市にもみられるように、今は子育て世代よりもシニア層にあたる人の比率が高くなっています。それでも、近くに小学校と中学校があるため、店の前を通る小学生や中学生の姿にほっとし「地域のなかにある喫茶店」であることを思い起こさせてくれます。
コロラドコーヒーショップマサヒロ
7時30分の開店早々から、電話でコーヒー豆の注文が入り、モーニングメニューで一日をスタートするお客さんもやって来ます。カウンター席に座ると、マスターがサイフォンでコーヒーをいれる様子が目の前に見え、待つことも楽しい気分にさせてくます。マスターのコーヒーをいれる様子は「所作」という言葉が浮かぶ、流れるような動きです。きちんと並んだカップやグラスの棚を背にして立つ、蝶ネクタイのマスターの姿はさすが絵になります。朝の一杯のコーヒーから、それぞれの一日が始まります。

いつも一生懸命のおいしいメニューと空間

コロラドコーヒーショップマサヒロのランチ
厨房は奥様のメグミさんの担当です。モーニングセットもランチメニューも、一切手抜きということをしない、おどろくほどの充実ぶりです。サラダも野菜の量と種類がしっかりあり、ランチの定番カレーとオムライスにはサラダのほかに「おかず」が2品も付いているなど、はじめてなら思わず声をあげてしまう豊富な内容です。朝は「今日も気持ちのいい日になるといいね。行ってらっしゃい」、お昼は「午後から、もうひとがんばりやね」と励ましてくれるメニューです。
コロラドコーヒーショップマサヒロのインスタグラム
メグミさんはインスタグラムでメニューや店内の様子などを@coloradomeguchanで日々発信しています。これは「コロナに負けたくない」と2018年の秋から始めました。フォロワーが200人になった時はその記念に、感謝をこめて、上にケチャップで「200」と書いたオムライスをアップしました。こういう、くすっと笑えるほほえましいセンスもすてきです。
また「コロナで時間ができたから」と、カウンターのスツールのカバーやテーブル席のクッションを生地選びから縫製まですべて自らの手で作りました。柄や色あいもすてきで格調を感じる店内によく調和しています。

コロナの影響でだれもが不安を抱え、気持ちが暗く落ち込みそうになる時、メグミさんは少しでも先に向かって切り開いていこうとしました。このお店とお客さん双方が明るい気持ちになって今を乗り越えられるようにという思いでした。欠くことのできない最高の同士です。たまにマスターと「言った」「聞いてない」で、ちょっとした応酬がありますが、それもすぐに通常の状態にもどる「けんかするのも仲がよろしい証拠」とみえます。42年間一緒に積みあげてきたことの厚みを感じます。

コーヒーと文化が香る得がたいお店


ゆったり広々した店内は、カウンターと4人がけ席のほかに、ソファーと長テーブルの席、入口の近くにはテラスかサンルームのようなコーナーなど、一つの店内とは思えない個性の席があります。
コーヒーの収穫の様子を描いた銅のレリーフ、ワールドコーヒー時代から使っているコーヒー豆の缶、食事を出してなかった頃に使っていた狭いテーブルを重ねて作った衝立など、お店の隅ずみまでお二人の思いが表現されています。それぞれがまだお店に存在する現役なのです。
また珍しい実をつけたコーヒーの木は、娘さんのホームステイ先のカナダのホストさんが京都へ来られて1か月半も一緒に過ごした時に、お礼と記念にとプレゼントされた苗木です。その若苗がりっぱに成長しました。
コロラドコーヒーショップマサヒロ

コーヒーの実
喫茶店はセルフ式のチェーン店が増え、このような個人のお店は少ない現状のなかで、どうしたら42年間も継続できたのか、すごいとしか言いようがないと思いましたが、今回の取材で少し感じたことがありました。
それは、お店にあるものそれぞれに物語があり、その思いのこもったものたちを大切にして、ものにも心があるように一緒にお店をつくってこられたのだということです。そしてこういコーヒーショップが近くにあってよかった、うれしいと思うお客さんが大勢いるということです。

お店の前のプランターで育てたビオラの花を飾ったテーブルに明るい季節を感じさせてくれます。つばめも毎年、巣をつくるそうです。
つばめが巣をつくると幸運がやって来ると言います。お二人のお元気でお店を続けられることをお祈りしています。

 

COLORADO COFFEE SHOPマサヒロ
長岡京市今里北ノ岡18―5
営業時間 7:30~17:00
定休日 日曜、祝日

憩いのカフェ&バーは 徒歩圏内

気の置けないご町内の親しい雰囲気を感じる千本丸太町に、去年の秋の初め、全面ガラス張りのお店ができました。建物の少し突き出た部分は、ショーウインドウのようですが、そうでもなさそうです。と、ふさふさした毛並みの堂々としたネコがひらりと身をひるがえしてキャットタワーにのぼりました。
彼は昨年9月に開店したカフェ&バー モチモチの副店長を務めるメインクーンの「おもちくん」2歳です。おもちくんに会いたい人はどんどん増えて、さらに新規の層を招く、すばらしい働きぶりです。しかし、このお店はネコカフェではありません。昼間は内容の充実したランチメニューや看板メニューのパンケーキでおいしいひと時を過ごし、夜は一日の終わりにゆっくりとお酒を楽しむバーになります。 早くもお客さんの8割がご近所さんという、地域に愛されるお店となっています。店長の廣畑真紀子さんに話をお聞きしました。

縁と偶然が呼び寄せた出会い

カフェアンドバーモチモチ店長の廣畑真紀子さん
カフェアンドバーモチモチ店長の廣畑真紀子さん(左)

飲食店の経験なし、ねこや犬と暮らしたこともなかったという廣畑さんですが、2年前、おもちくんとは目が合ったその瞬間に、お互いに通じ合うものを感じたそうです。また、お店は繁華街ではなく、住宅街よりの地域にしたいと考え、物件をいろいろとあたっていくうちに出会ったのが現在の場所でした。
カフェアンドバーモチモチ
千本界隈は廣畑さんが以前よく訪れていたなじみの地であり、雰囲気もすきだったこと「出っぱり部分をおもちの部屋にすれば、さみしく留守番させなくてもいいし、キャットブースの中にいれば、アレルギーなど、ねこがだめなお客さんにも、ゆっくり食事やお酒を楽しんでもらえる」と決断は早かったそうです。
カフェアンドバーモチモチ
そしてお店の名前もはじめに考えていた名前とはまったく違う「モチモチ」になりました。店内は、廣畑さんがすきなピンク色の壁と、カウンターのいすや喫煙ブースの回りの赤が、かわいらしさとモダンな雰囲気がうまく調和しています。かわいいねこのロゴマークがあちこちに見られ、思わず口元がゆるむなごみの空間になっています。
おもちくんは、キャットブースのハンモックに揺られたり、ふれ合いたそうな人の近くに行ってなでられたりと、かわいがられながらもほどよい距離感を保っています。さすがです。「ほとんどの方がおもちに会いたくて来られています」と廣畑さんは笑います。
カフェアンドバーモチモチのおもちくんカフェアンドバーモチモチのおもちくん
この場所は以前酒屋さんを営んでいて、キャットブースになっているショーウインドーには、ビールなどの販促物とともにまっ白の美しいペルシャ猫が悠然と座り、歩いている人がよく「あの猫、ぬいぐるみやろか。あっ、動いた」などと話していました。男の子ですがマリちゃんという名前で「マリちゃんのお酒屋さん」と呼ぶ人もいました。
マリちゃんはだいぶ前に病気で亡くなりましたが、今モチモチカフェとなり、マリちゃんがいつもすわっていたウインドーが今、おもちくんの部屋になっています。
廣畑さんは「全然知りませんでしたが、開店してからそのねこちゃんの話を聞いて、おどろきました。偶然の出会いでしたが、何かのご縁かなと思いました」と感慨深げに話されました。おもちくんの存在は、お客さんはもちろん、道行く人たちも「今日も会えるかな」と、ほのぼのした気持ちにしています。

みんなで一から作り上げたお店

カフェアンドバーモチモチの猫パンケーキ猫パンケーキの金型
飲食店の計画が動きだし、カフェを重点的に50軒まわったそうです。メニューの種類や味、店内の雰囲気、接客などいろいろな観点で見ていきましたが、答えはみつかりませんでした。それなら自分たちが食べておいしいと思うものを一生懸命つくろうと、みんなで意見を出し合ってメニューを考え、試作と試食をくり返し、試行錯誤しながら決めたそうです。
お客さんの様子や注文されるメニューの傾向など様々に見て、改良は変更を加えています。なかにはお客さんの声に応えて生まれたものもあります。その代表が看板メニューの「にゃんこパンケーキ」の小さいサイズと抹茶入りです。従来のサイズは直径15センチ、厚さは約4センチという大きさです。「もう少し小さかったらなあ」「小さいサイズがあれば食事の後に食べられるのに」の声に「ちびにゃんこパンケーキ」が登場しました。また「抹茶味がすき」との声にこれもメニューに加わりました。「あったらいいな」の思いをかなえてくれたのです。このパンケーキは、何か話題になるメニューを作ろうと考えられたものでした。
大きな型は、大阪道具屋筋の金型専門店で特注で作ってもらったものです。簡単なラフスケッチを見せただけなのに、思い通りの金型ができあがったと、職人さんの技の確かさについて語ってくれました。
カフェアンドバーモチモチのランチ
限定の「本日のサービスランチ」は本当に充実しています。夏日となった日は、涼し気でさっぱりしたパスタが用意されていました。そのなかで選んだのは「なめたけおろし」です。上にたっぷりかかった花かつおとバターがなめたけと好相性となって、奥深いおいしさでした。サラダとスープも、しっかりきちんと作ってあります。スープはキャベツやにんじんなどの野菜がトロトロに煮込んであり、サラダの野菜はみずみずしく、ドレッシングも自家製でした。心のこもったおいしさで何気ない毎日を応援し、幸せにしてくれます。

地域に愛され、みんなに元気と笑顔を

カフェアンドバーモチモチの常連さん
毎日のようにお店を訪れる常連さん

モチモチカフェは最初「全部ガラス張りで何の店かようわからんし、入りにくかった」とよく言われたそうです。でも「一回行ったら入りやすい」と、ほとんどの人がご常連になってくれます。お孫さんと一緒に、友だち同士、一人でとお客さんの層は様々です。取材当日のバータイムには「明日が誕生日」という常連のお客さんに、居合わせたみんなが、おめでとうの声をかけていました。
カフェアンドバーモチモチのオムライス
「私たちがおいしいと思うものを、一生懸命ていねいに作っています。その料理をお客様がおいしいと感じて、ほっとして、ああ幸せと思っていただけたら私たちもうれしいです」と廣原さん。スタッフのみなさんも「なめたけおろしパスタ、私もだいすきです」「スープは厨房で朝からコトコト煮込んでいるんですよ」などと、おいしさにつろくする(つろくする:調和や釣り合いががとれていることを表す京ことば)、気持ちのよい言葉が返ってきます。

客席の下でくつろぐおもちくん
客席の下でくつろぐおもちくん

モチモチカフェで感じることは、アルバイトスタッフも含めて全員が「このお店がすき、ここで働くことが楽しい」という思いで、生き生きと仕事をしていることです。当初はランチタイムは若い女性中心、夜はおとなのくつろぎのバータイムと考えていましたが、毎日来店される人もめずらしくない、ご近所さんの憩いの場になりました。
廣原さんは「人と接する仕事、どうしたら喜んでもらえるかを考えることがすき」と語り「モチモチのコンセプトの、みんなが元気になる憩いの場としてのお店はできています。アルバイトスタッフも、自分自身で考えてお客様に接してくれています。ゆっくり過ごしてもらうのが一番」と続けました。千本丸太町に生まれたカフェ&バーは町の景色を明るくしています。ご近所付き合いの心でくつろぐ場があるということは、人のつながりのある地域である証しです。「このあたり、ええとこや」とあらためてみんなが思うことでしょう。居心地のよい空間へ、どうぞおでかけください。

 

Café & Bar MOCHI MOCHI(カフェ アンド バー モチモチ)
京都市上京区千本通丸太町上ル小山町880ピアージュ1階
営業時間 カフェタイム11:00〜18:00/バータイム18:00〜24:00
定休日 水曜

人と猫、 なごみの神社

寒暖の差の激しい日が続いていましたが、春告げ鳥の名のあるツバメがやって来て、様々な花も次々と咲き始めました。京都は「八百八寺」と言われるように神社仏閣が多くありますが、四季のうちでも、ことに春は訪れるのが楽しみな季節です。
「梅宮大社(うめのみやたいしゃ)」という、たおやかな名前の神社があります。その名の通り、約40種550本の梅が植えられています。創建はおよそ千三百年前と伝わる由緒ある神社は、最近とみに猫さんと会えることで知られるようになりました。
梅は散り、椿は名残となっていましたが、静かな苑内をゆっくりと拝観することができ、そのうえ檜皮葺の社殿を背景に玉砂利を踏みしめて悠々と散歩したり、縁側でまどろんだりする、宮司さん一家がお世話している猫さんたちとも会え、至福のひと時でした。

幅広い守護神がおわします

梅宮大社の楼門
菰樽が並んだ梅宮大社の楼門

梅宮大社のある梅津は、平安京造営のために近くを流れる桂川を利用して運ばれた木材の集積地でした。津は港を意味します。中心にあるのは壮麗な建物を要した梅宮大社です。
そこで「梅宮大社のあるところの津」ということで梅津となったとされています。古には、王朝文化に親しむ平安人が別荘を建て、ひなびた里の風情を楽しんだそうです。付近には現在も、かつて壮大な伽藍を誇った長福寺や材木の搬送などで栄えた旧家などが残り、歴史を物語る証しとなっています。

梅宮大社の石柱
歴史を感じさせる石柱にも酒造りの文字があります

梅宮大社は、その由緒書によると、奈良時代の政界で活躍した橘諸兄の母が、橘氏の氏神様として、京都南部の井手町に創建したと記されています。そして平安時代のはじめに、嵯峨天皇の皇后によって現在の地に移されたそうです。
古くから「酒造の神様」として知られています。古事記に「稲穂で酒を造った」と記されていて、これが穀物から酒を醸した最初とされています。楼門や手水舍の横に並んだ、全国各地の蔵元の菰樽が並んだ様子は壮観です。

梅宮大社の本殿
本殿
梅宮大社拝殿
拝殿

境内は拝殿、中門、回廊、本殿が建ち、檜皮葺の屋根も美しく「梅宮」にふさわしい気品とやさしさを感じるたたずまいです。その一方で「磐座(いわくら)」が祀られ、「自然のものにはすべて神様が宿る」という古代の自然信仰のかたちを表しています。「八百万の神様」ということでしょうか。おおらかで自然を敬う日本の信仰心を、好ましく感じます。酒造、子授、安産、縁結び、学業、音楽芸能と広範囲にわたります。人間の弱さを否定するのでなく、受け入れてくださるようで、気が軽くなります。時には神様頼みの気持ちを持ってもいいのではと、思えてきました。

植物や小さな生き物の天地

梅宮大社
檜皮葺の門の脇には梅の名残が

苑内への入口も、りっぱな檜皮葺の門があり、中は大きな勾玉池を中心に、東側には咲邪池があり、水辺にはこれからの季節が楽しみな、花しょうぶやかきつばたが植えられています。
梅は残念ながら、ほとんどが散っていましたが中には少し花が残っている木もありました。花の盛りにはどんなにきれいだったことかと思います。梅と同じくらい椿も多くの種類が植えられていて、こちらは落ち椿も含めて楽しめました。山吹と平戸つつじはすでに咲き誇っていて、ひときわ鮮やかな色彩であたりを明るくしていました。
梅宮大社梅宮大社の池中亭茶室
勾玉池の端に建つ、芦葺きの建物は、江戸末期に建てられた「池中亭茶室」です。「夕されば門田の稲葉訪れて芦のまろやに秋風ぞ吹く」という古歌に詠われた風雅な田舎家を表現した茶室であり、梅津に残る唯一の芦のまろやとして、とても大切なものであると知りました。四季折々に茶席をしつらえて楽しんだのでしょうか。
そんな物思いをからかうように、カラスがだみ声で鳴きました。うぐいすや、ころころと澄んださえずりは何という鳥なのか。そのうものちにアオサギのような大きな鳥が池中亭の屋根に舞い降りて、あたりを見渡していました。屋根の芦を引っこ抜かないか心配になりました。
梅宮大社
池のそばを歩くと、りっぱな錦鯉が何匹も集まって来ましたが、えさを持ってないのでごめんなさいと謝る気持ちになります。カラスや小鳥の鳴き声、鯉の跳ねる音、枝を渡る風など、自然の音だけ、目に入るものも木や花、木の建築物のみ、というのが実に爽快です。
椿の木の根元に白いたんぽぽと、綿帽子がたくさんありました。このたんぽぽは「白花たんぽぽ」という名前の、日本の在来種のようでした。今はほとんどが西洋たんぽぽに代わられているので、うれしい気持ちがしました。つくしも少しか細いのが出ていました。梅宮大社の庭園は、自然界にあるものみんな、人ものびのびできるすばらしい天地です。

家族そろって守る神社と景観

梅宮大社のソラちゃん
ソラちゃんの横ではマコちゃんが眠っていました

社務所の脇のベッドでまんまるになって眠っているのは、白毛は「ソラちゃん」真っ黒は「しっぽが短かったらマコちゃん、長かったらロクちゃんです」と教えていただきました。どっちかなと思っていると、そこへあらわれたのは真っ黒猫さん。しっぽが長いのでこちらがロクちゃんのようです。縁側でひなぼっこをした後、玉砂利の上で毛づくろいを始めました。移動しながら丹念に続けています。
梅宮大社のロクちゃん梅宮大社のロクちゃん
さすが、境内のどこにいても姿が決まっています。お参りする人の後方に控えていたり、蓮を育てる水がめをのぞきこんだり、パトロールをしているつもりなのでしょうか。訪れた人が次々と「かわいい」と言って、なでても、威嚇したり爪を出したりしません。本当によくできた猫さんたちなのです。

梅宮大社のツキちゃん
パトロールに余念がないツキちゃん

社務所の横の張り紙に「境内にいる猫は神社で飼っている猫です。絶対に餌をやらないでください。マタタビは特に」と書いてありました。神社では、猫とは自由に付き合ってくださいという気持を持って、会いたいという人に接しておられます。私たちはきちんと参拝をして、猫さんには無理じいをしない、これを最低限みんなで守っていくことだと思います。
伝統的な建造物やこれだけ広い境内や庭園の維持管理は本当に大変なことだと思います。この環境が保たれていることに感謝し、経緯を表して四季折々の拝観を楽しませていただきたいと思いました。足を運び、拝観することで微力ながら支えることにつながるはずです。あわせて、不幸な猫さんを出さないことにも協力する人が増えればと願っています。

 

梅宮大社(うめのみやたいしゃ)
京都市右京区梅津フケノ川町30
拝観時間 9:00~17:00

「ヨシ焼き」で始まる 伏見の春

マスク越しでも感じる梅の香り、お米粒のような花が二つ、三つ開き始めた雪柳。ずいぶん日も長くなりました。こんな小さなことにも気持ちが弾みます。自然から受け取る春の知らせが日ごとにふえています。
伏見の宇治川河川敷は、関西でも有数なヨシ原の群生地となっていて、面積は35ヘクタール、甲子園の約27個分にもなる広さです。枯れたヨシを刈り取ったあと、3月に入ると春に元気な新芽が出るようにヨシ焼きを行います。広大なヨシ原に燃える火が今年も伏見に春を告げます。

ヨシを生業としヨシとともに歩んだ地域


ヨシは昔から、よしずやすだれ、屋根を葺く素材として使われてきました。ことに伏見向島の宇治川河川敷や、大きな遊水地であった「巨椋池(おぐらいけ)」は良質のヨシ原が広がり、そのヨシを刈り取り生業とする「ヨシ屋」が何軒もあったそうです。伝統建築の寺院や茶室、民家のほか、地元の三栖神社(みすじんじゃ)の祭礼「炬火祭(たいまつまつり)」には、ヨシのみの大きなたいまつを奉賛会のみなさんが調製されるそうです。たいまつは「松明」の文字をあてるように、松をはじめ竹など木を使うことがほとんどで、ヨシはめずらしいようです。このことからも、ヨシとの古くからのつながりがわかります。

山田雅史さん(山城萱葺株式会社サイトより)

しかし、よしずは安価な中国産に押され、暮らし方の変化などから伝統構法の建築も減少するなどして、ヨシが利用されることも少なくなっていきました。多くの人がかかわっていた「ヨシ屋」も、ついに一軒だけになってしまいました。唯一、京都でヨシを扱い、茅葺屋根工事も行っているのが「山城萱葺株式会社」です。
代表の山田雅史さんは、ヨシ屋の五代目として家業を継いだのですが、その当時すでにヨシのお得意さんである屋根葺職人さんは急減し、少ない職人さんも高齢化していました。そこで「使う側の人」になることを決心して、修業をし、自ら屋根葺職人になったのでした。
今では全国の民家の屋根葺や文化財の修復、また「美しい萱葺屋根をもっと身近に」と新しい事業も展開されています。
そして「ヨシ原を守る」ことを重要な事業として掲げ「伏見のヨシ原、再発見プロジェクト」の事務局を会社内に置き、地元企業として地域の力になっています。

実際にヨシ焼きを目にした時

伏見のヨシ焼
今年のヨシ焼きは3月7日から26日までのあいだの、風の弱い安全な日に5日間ほど、早朝5時30分から10時頃までと予定されています。実際にヨシ焼きの現場へ行き、燃え盛る火を目の前にすると、なぜか胸にこみあげるものがありました。神聖で、あたたかく明るい火。普段、火の用心くらいは思っても、深く感じることもないけれど、広いヨシ原で見た火は落ち着いて振り返ることも大切であると気づかせてくれた気がしました。
帯状に燃やして、ちょうどグラウンドに白線を引くような感じで、焼く区域の区切りをつけたり、ヨシの束をかついで、風向きに細心の注意を払いながら進めていく作業の大変さをつくづく感じました。「春の風物詩などと、のんきに見ているものではないと思いました」いう私の言葉に山田さんは「のんきに見てくれたらいいんですよ。火事にまちがえられて通報されるよりずっといいですよ」と笑いました。
伏見のヨシ焼
以前、煙りが道路に充満して通行止めになってしまったこともあったそうで、ヨシが湿っていると煙りが出るので、よく乾かすなど、とても細やかに厳しいチェックをされています。ヨシ原は、すこやかなヨシを育てることと同時に、動植物のすみかとしてもとても大切です。小さな生き物にとっての35ヘクタールの楽園は、毎年このようにして守られているということが実感できました。
伏見のヨシ
刈り取った3~4メートルもあるヨシが、空に向かって円錐形に束ねられてあります。中へ入れるヨシの「かまくら」版のようにも見えてきます。耕された田んぼや畑にも感じることが、農家の人や職人さんの仕事の美しさです。このヨシの塔も、ヨシ原の景観の重要な要素になっています。このような束ね方も継承されて来たし、これからもそうして、一つ一つ継承されていくことに感慨を覚えました。

地元の文化・自然の資産をみんなでつなぐ

めじろ
この大切なヨシ焼きですが、産廃規制法にふれる可能性があるということで中断されたことがありました。それを知った地元のさまざまな団体・個人が集まり、シンポジウムを開くなどして「地域みんなで考える」ことに取り組み、1年後には「伏見のヨシ原、再発見プロジェクト」が発足するという迅速な動きで次の年には行政にもかけあい「ヨシ焼きスタート」が実現しました。以後、行政とも協調体制ができ、市民参加の恒例行事として定着しています。
つばめ
子どもたちにヨシ原の大切さ、自然のおもしろさを伝えたいと、25000~35000羽もやって来る西日本有数のツバメのねぐらでもあることから「ツバメの観察会」も毎年行っています。このような、地元のみなさんによる地道な活動の積み重ねに、とても希望を感じました。
山城萱葺株式会社の山田社長さんは「京都建築専門学校」の卒業生で、今も学校へ行って後輩の指導をされていると聞き、この京のさんぽ道でも取材させていただいた学校と佐野校長先生につながるご縁がありました。
伏見のヨシ
ウグイスの初音や、名前は知らねど、とてもきれいなさえずりも聞くことができました。枯れ草のあいだから小さな緑の芽が出ています。堤防の道を歩く人の足取りも何となく軽やかに思えます。今回のヨシ焼きの見学は、自然の営みとその環境を守るために日々かかわっているみなさんの活動の重みを感じました。伏見向島のヨシ原の自然は多くのことを告げてくれます。ヨシ原が緑の色におおわれ、何万羽というツバメがネグラへかえってくる夏にまた訪ねたいと思います。

 

山城萱葺株式会社(「伏見のヨシ原,再発見!」プロジェクト事務局)
城陽市寺田中大小100番地

自分で決めた道 自然体でぶれない農業

三月の声を聞き、暦は土の中の虫も目覚めて動き始める啓蟄を迎えます。
京都の西南部、長岡京市は京都市内・大阪のベッドタウンとして人口が増加したまちですが、西山の緑と住宅地に続く田んぼや畑が広がる自然を身近に感じることができるまちです。
農家の直売所も点在し、季節ごとに新鮮な野菜が並びます。長岡京市の特産、地元では「花菜(はなな)」と呼ぶ菜の花の収穫はそろそろ終わりの頃となり、もうすぐ、全国に誇るブランド品、京筍の出番となります。
長岡京の菜の花畑
化学肥料を使わずに手をかけて育てた野菜やお米が喜ばれている直売所へ、しばらくごぶさたしていましたが、最近またちょくちょく足を運んでいます。それぞれの野菜の特徴や料理のヒントなど次から次へとくり出される興味深い話に、訪ねた時はいつも、つい長居になります。

めずらしいものがある楽しい直売所

山本農園の直売所
山本農園の直売所は、西山の名刹「光明寺」へ向かう、田畑がゆるやかに広がる場所にあります。道路側の側面に大きく「低農薬、有機栽培 季節の野菜 お米販売しています」と書いてあります。通称おとうさんは「そやけど、車やと全然気がつかんと通り過ぎていく」と、さほど残念そうでもなく、おっとりした口ぶりです。それでも、車や自転車、散歩の途中の人など次々とお客さんがやって来ます。
山本農園
すべてその日の朝に収穫された、朝露にしっとりぬれている野菜を、袋詰めをしながら並べていきます。見るからに元気いっぱいの野菜です。5キロもあるはくさいの迫力、切り口のみずみずしさが想像できるずんぐりむっくりした大根の名は「三太郎」。みどりが鮮やかな春菊、養分たっぷりの畑の土がついた里芋やえび芋など、季節の顔がそろっています。
そのなかにちょくちょく、めずらしい野菜や時には果物も並びます。「これは何ですか」と聞くと、少しうれしそうに説明してくれます。
山本農園の黄金カブ
最近目についたものは、中まで黄色の「黄金かぶ」です。中まで黄色なので、サラダにしても色がきれいで、しかもほかの野菜に色が移らないと教えてくれました。炊いてもいいということですので、菜の花と一緒にオリーブオイルで焼くと彩りもきれいでおいしそうですそして「中まで緑色の大根もあるよ」と裏の畑から抜いて来てくれました。成長するにしたがって、どんどん土から上へ出ていくので太陽の光を浴びて緑色になり、皮も固くしっかりした食感になるそうです。「直売所をやっていたら、1シーズンにひとつはめずらしいものを置きたいと思う」ので、種や苗を注文する時に、何か変わったもんはないかとさがすそうです。

山本農園のフェイジョア
パイナップルやイチゴなどをミックスしたような風味がするフェイジョア

定番の季節の野菜と一緒にめずらしい野菜を置いて、お客さんにも喜んでほしいという気持を感じます。秋には「フェイジョア」というとても香りの高いあまずっぱい果物がありました。5月にはピンクのかわいい花が咲き、やはり香りもよく、イタリアンレストランのシェフは、食用花に使っているそうです。ほとんどの人が普通に売られているピーナツしか知らない「落花生」も評判になりました。殻付きのまま塩ゆでにして、まだ温かいうちに食べるおいしさを教えてもらいました。「つくる側もお客さんも楽しくなる」直売所です。

子どもたちに食べてもらえるお米野菜

山本農園の「おとうさん」
大きな芋を手に笑顔で話す「おとうさん」

おとうさんが、建築会社で技術系のサラリーマンから実家の農業を専業にして26年たちました。アレルギー体質の子どもたちにも、安心しておいしく食べてもらえるお米や野菜作りを大切にしています。小学生のお孫さんは「おじいちゃんの作った野菜」はよく食べてくれるそうです。他でとれた野菜は、これはおじいちゃんのと違うとわかると聞いて、普段の食生活の積み重ねの大きさを感じました。
山本農園の大根
「子どもの舌は正直。おとなのようにお世辞を言ったり知識の刷り込みがないから、そのまんま」という言葉には私たち買う側にとっても大切なことが含まれています。田んぼは、さらに自然豊かで水がきれいな美山町にあります。通うのは大変だと思いますが「化学肥料を使わず、減農薬で育てたおいしいお米を作る」という思いで美山へ通い続けています。
そして「うちのお米や野菜つくりの考えに賛同してくれる人がお客さんになり、常連さんになってくれる」という語り口に、26年間つちかってきた確かで静かな自信が感じられます。「来る者は拒まず、去る者は追わず」とほがらかです。
そして「野菜の説明でも、押しつけに感じることになるかもしれないから、これはおいしいというようなことは言わない。たとえば、えび芋なら皮をむく時に手がかゆくならないとかヒントになることに止めておいたほうがいい」という考え方やお客さんとの間合いは、見積りから現場、掃除までやったという建築会社での経験も生かされています。そして「お米も野菜も手をかければかけるほど、ちゃんとこたえてくれる。子どもと一緒。手をかけすぎてもだめやけど、それぞれの特性を生かして育てることが大事」と続けました。経験豊かな人の含蓄のある言葉です。

寿命が来るまで精いっぱい好きなことを

山本農園のおとうさんとおかあさん
「前は正月以外ずっと直売所を開いていた。休むとかえって調子が悪い」そうです。健康管理をして体力を保ち、おいしいものをみんなに食べてもらえるようにと、いつも心がけています。「二人で一人前。ひとりではできないことも二人ならできる」という欠くことのできない大切な存在は「おかあさん」です。
「このあいだのえび芋の頭芋、びっくりするほど大きかったけど、炊いたら本当においしかったです」と伝えると、にこっと、うれしそうに「そやろ。ひと味ちがうやろ」というおとうさんの言葉に続いて「素揚げもおいしいよ。油が飛びそうなら片栗粉を付けて。揚げたてに塩をぱらっと振って、あれば青のりをちょっとかけると香りもいいしね」と教えてくれて二人の間合いが絶妙です。
長岡京市の山本農園に飾られた菜の花
農機具収納庫の直売所には、いつもさり気なく季節の野の花があり、心がなごみます。長岡京市内には、いくつも直売所があります。おとうさんは「それぞれが特色を出してやっていくことが大事」だと考えています。そして化学肥料を使わない減農薬の農業についても「無理をしない程度に、うちはうちの自然体で続けていく。自分でこれと決めた道をぶれないでやっているだけ」と気負いはありません。
ポポーという北アメリカ原産のめずらしい果樹を育てた時は、15本植えたのに、実が付いたのは1本だけという出来事にも「美山やったから目が行き届かんかったから」と原因をとらえ、前向きです。

「自分で一生懸命作った作物を納得する売り方をしたい」と考えて始めた直売所は、これからも私たちに、当たり前のように感じている毎日の食卓は、一年中、田んぼや畑に出て仕事を続ける人たちの存在があってこそという原点に立ち返らせてくれます。普段の暮らしが普通に送れるということの重みと、どれだけかけがえのないものなのかを思い、感謝する気持を忘れてはならないと感じています。
「どんなに寒くても植物は自分でわかっていて、3月になればちゃんと準備を始める」という言葉に励まされました。

 

山本農園
長岡京市 光明寺道と文化センター通り蓮ケ糸交差点西南角
営業時間 10:00~17:00頃(途中、昼食休憩あり)
定休日 水曜日

時代の彩りと空気を 伝える紙のもの

デジタル化が進み、スマートフォンがあれば情報をいち早く受け取り、本は電子書籍で読めます。それにつれて紙の印刷物がずいぶん少なくなり、紙だから伝わるものがあるのにと、さみしい気持ちのこの頃でしたが「アンティーク&ヴィンテージプリント」を集めたお店「Comfy design(コンフィーデザイン)」に出会いました。
1700~1800年代はじめ、1900年代にかけてヨーロッパやアメリカで制作された図鑑やポスター、書籍、ラベル、カードなど、今の最先端の技術にはみられないあたたかみや美しさを感じます。すべて店主みずからフランス、イギリス、北欧で買い付けたものです。知り合いのお宅を訪問したような雰囲気の空間で、店主のマキさんに話をお聞きしました。

雑貨からアンティークプリント専門に

コンフィーデザインの外観コンフィーデザインのマキさん
マキさんは子どもの頃から古いものが好きだったそうで、おかあさんの1970~80年代の洋服がおしゃれでかわいかったので着ていたという感性の持ち主です。そして20代のはじめには大阪から京都へ度々来て骨董屋さんめぐりをしたそうです。
「今なら、とても入っていけない骨董屋さんへも若気の至りで入りました」と笑って話してくれましたが、たくさん良いものを見てお店の人からいろいろ教えてもらったことが、後々の糧になったのだと思います。
コンフィーデザインの店内
以前扱っていたアンティーク雑貨の販売をしていましたが、雑貨のお店が急激に増えたことと、インテリア関係の勉強をしていたこともあり、アンティークプリントはインテリアとして楽しめると考え、紙もの専門に決めて再スタートしました。商品は1000点を超え、さらに増えているそうで、取材に伺った日も荷物が届いたところでした。
コンフィーデザインのアンティークプリント
1700~1800年代の銅版画に手作業で彩色された植物や鳥の図録は、実物を忠実に描いているのですが、本当に細やかに彩色がほどこされ、また余白の取り方や配置のバランスもみごとです。お客さんに気の遠くなるような細かい彩色を手仕事でしていると説明すると、みんなおどろくそうです。
ラ・ヴィ・パリジェンヌ
1863年に創刊されたフランスの週刊誌「LA VIE PARISIENNE(ラ・ヴィ・パリジェンヌ)」は当時の売れっ子イラストレーターの作品が表紙や広告ページをサイン入りで飾っています。
女性たちのしぐさや表情、ファッションも楽しめる大型サイズです。コンフィーデザインのすばらしいコレクションのひとつです。1900年代テレビコマーシャルの時代になる前のポスターや雑誌広告は、力のあるイラストレーターやデザイナーが腕を振るっています。広告が一般に届くようになった幕開けの時代に、制作にかかわった人たちのエネルギーが伝わってきます。
マキさんは「手彩色の部分をルーペで見ると少しはみ出していることがあるけれど、それも愛おしい」と感じるそうです。彩色に手を動かしている名もない人たちを思うと情がわいてきます。紙の手ざわりや色合いから遠いヨーロッパの昔の職人さんを知っているような心持ちになりました。紙が伝えてくれる豊かさです。

心にひびく自分がすきなものが一番

コンフィーデザインの店内コンフィーデザインのアンティーク
お店にはいい具合に年を経たテーブルやいす、ランプシェード、鏡、マントルピースなど家具もあります。マキさんは「錆び、キズやへこみも味になります」と語ります。希望があれば販売するとのこと。錆び、キズ、へこみを味として長く愛用してくれる人のもとへ行くのもいいなと思いました。
コンフィーデザインのボタニカルアート
お客さんに「何がおすすめですか」とたずねられることもあるそうですが、手はじめには植物の彩色したものを提案するとのことでした。はじめてでも、このようなアドバイスがあればどきどきしなくて安心できます。
そのうえで「自分がすきなものが一番ということを大切にしてほしい。無名のプリントであっても自分の心にひびくもの、直観を信じて選んでほしい」と続けました。
アンティークも希少なものは当然高額ですし、そこに価値もあります。それは一つのしっかりした基準として、あとは信頼できるアドバイスと自分のすきという気持で決めることができるかどうかだと思いました。それを自分に問うてみると、けっこうぐらぐらしそうな気もしてきます。
「自分の好きが一番、自分の心にひびくものを大切に」という言葉は、毎日を送るなかのいろいろな場面にも生きてくる言葉だと感じました。

改めて感じる京都のブランド力

以前ご紹介した昆布屋さんもある昔ながらの北野商店街

コンフィーデザインは、通称下の森と呼ばれる北野商店街にあります。顔なじみのお客さんが変わらず通って日常の買い物をする地域密着型の商店街です。
偶然通りかかってお店を見つけた時は「雰囲気の違うお店」と感じましたが、そこがまたこういう商店街のおもしろいところだとも思います。ここでオープンしたのは2019年4月。もうすぐ満3年を迎えます。この建物は前に洋品店だったそうで、広さも手ごろで一度見てすぐ決めて、自分たちで楽しく壁塗りをして入居したそうです。
もっとまちなかは考えなかったのですかという質問には「まちなかだと、お客さんがちょっと入ってみようかなと次々来られて、ゆっくりしてもらえないと思ったからです。気軽にゆっくりできるお店にしたかったので」という答えでした。
マキさんは京都で暮らして20年以上になるそうですが来たきっかけは「古いものを扱うなら京都、という軽いのりで引っ越して来ました」と笑いました。

壁に飾られているのはスウェーデンで作られた石版画の果物図鑑

紙ものだけのお店はお客さんは限定されると思いますが、紙がすきなひとは遠くからでもさがしてやってくるそうです。そしてオンラインで買ってくれたお客さんが京都観光の折にお店に寄ってくれたそうです。京都なら行きたいと思う「京都のブランド力」は強いと感じるそうです。京都は大学が多い街なので、時々学生さんも入って来るそうですが、かえって若い人のほうが緊張せずに入って来るので、アンティークプリントのこともいろいろ話せるのだそうです。「敷居を高く感じないで。気軽に入って、ゆっくりしてください」と願っています。
コンフィーデザイン
マキさんはもちろん、本は紙派です。「コーヒーを飲みながらページをめくるのと、クリックやタップするのとは全然違う、いちいちめくる楽しさがいい」そして「アンティーク屋はとてもエコだと思います」と続けました。
ものを大切に使い続けるというヨーロッパの人と、始末のこころでとことん使い切る日本人も本来は似ている気もします。急ぎすぎたり、少し疲れた時、古い紙の手ざわりや色合いがきっと気持ちをおだやかにしてくれます。
通勤に使っているという、赤いかわいい自転車が戸口にあれば開店しています。

 

コンフィーデザイン
京都市上京区三軒町48-7
営業時間 12:00~18:00
定休日 木曜日

商店街の乾物屋さんが 教えてくれたこと

立春のころが一番寒いという、京の底冷えを実感する毎日に、湯気があがるあたたかかい食卓は何よりうれしく感じます。普段の食材を買いにくるおなじみの地元のお客さんが多い出町枡形商店街に、産地名が書かれた様々な昆布や鰹節、豆などが並んだ乾物屋さんがあります。
最近は乾物について聞いたり教えてもらう機会が身近には、なかなかありませんが「和食の基本はだし」と言います。日本の風土気候と昔の人の知恵が育んだ、すぐれた食材である乾物は、保存がきいて、濃厚なうま味を持ち体によい成分があると、いいことづくめです。今の時代こそ乾物を上手に活用したいと思います。
京都の食や素材、だしの取り方、さらに鰹節や昆布が育つ海の変化など、とても深く広い興味深い話を「ふじや鰹節店」店主 藤井英蔵さんにお聞きしました。

諸国名産が集まった京の都


千年の都の京都には、宮中や寺社へ全国から逸品が献上され、そのなかに今も伝統野菜として栽培されている野菜や、鰹節に昆布もありました。次第に京都でも野菜の栽培が盛んになり、風土にあった改良も重ねられました。鰹節や昆布も一般に手にすることができるようになり、海から遠く離れていることもあり、野菜と出汁すぐれた素材を組み合わせて独自の食文化が発達したと言われています。

ふじや鰹節店の藤井英蔵さん
ふじや鰹節店の藤井英蔵さん

藤井さんも「京都は特に格付け、ものの良しあしに厳しいところです。京の都には全国から超一級品、最上のものが入ってきたので」と話しておられました。お店に置いてあるきれいな銀色の煮干しは、ほっそりと小ぶりです。「小さいのを好まはる」ので、10センチまでのものを仕入れているということでした。普段使いの煮干しにも「好み」という表現に違和感がないのが京都のすごさとも感じます。
鰹節に昆布、小豆や黒豆、椎茸等々、乾物とはこんなにいろいろあるのだと知るだけでも、いい勉強になります。さらに何でも答えてもらえる先生がいる「まちかど乾物博物館」のようです。

専門店としての特色が大きな強み

ふじや鰹節店の店頭
ふじや鰹節店は「乾物は不況に強い商い」とうことで藤井さんのおばあさんが開業しました。藤井さんが小学校3~4年生頃から高度成長期に入り大阪万博もあり、商店街はたいへんな人出で沸き返ったような様子だったそうです。藤井さんも高校生の時にはバイクの免許をとり、学校から帰ると毎日、遠くは鞍馬あたりまで配達していたそうです。
それは経済活動が活発であったこともありますが、いつもお店で削った削りたての鰹節を買うことができ、昆布もきちんとしたまちがいのないものを届けてくれたからだと思います。

ふじや鰹節店の藤井英蔵さん
まだまだ現役、30年選手の鰹節削り機

今お店にある鰹節削り機は3代目、使い始めて30年になります。製造メーカーは廃業してしまいましたが、かろうじて社員だった方がメンテナンスをしてくれているそうです。
こうして鰹節を削って袋詰めするお店はほとんどなくなり、乾物屋さん自体を見かけることがありません。以前は町内に2~3軒はあり、この枡形商店街にもほかに乾物屋さんがあったそうですが今はふじや一軒だけとなりました。
「食生活や暮らし方そのものの大きな変化のなかで、乾物屋としてどうしていくか」それは「ほかにはない商品がある。目利きが選び、作った商品でふじやというブランドにして専門店としての強みを大切にすること」と方向を定めました。
ふじや鰹節店の鰹節
取材伺った日はいつもにも増して、鰹節のいい香りがただよっていました。鰹節を削る日に当たっていて、削りたての鰹節が次々と袋詰めされていきます。おいしいものは美しいと感じます。今では製造できる人はわずかとなった「薩摩形本枯節」を使っています。
1匹、1匹、職人さんが見定めて15㎏はある一本釣りされた鰹を4節に切り分けることから始まります。カビ付と天日干しをくり返し、7~8か月かけてやっと完成する最高の鰹節で日本料理には欠かせません。
ふじや鰹節店の鰹節
ふじやは鹿児島県の熟練の職人さんのものだけを扱っています。昆布も普通出まわっているのは養殖物ですが、ふじやでは天然ものを揃えています。最近は海水温の上昇が続き、昆布の生育にも異変が起きているそうです。
これまでも取材などの折に「後継者はいるのですか、とよう聞かれましたけれど、後継者うんぬんの前に、売るものがなくなりそう」という危機感を抱いています。

お正月に作るたつくり用のごまめは、毎年宮津で11月に水揚げしたものだけを入れていますが、今年は不漁で非常な高値となり仕入れることができなかったそうで異変は広がっています。
長引くコロナの影響など社会の変化は個々の暮らしにも及んで、今は「すぐに食べられるもの、価格が安いもの」に傾いている状況ですがそのなかでも少しでも鰹節や昆布のことを知ってもらいたいと、切り出しや色が少しよくないといったもので買いやすい価格の「品質はそのままのお買い得商品」をつくっています。

地域のなかの店だから続いてきた

ふじや鰹節店のある出町枡形商店街
「変化のなかだからこそ、鰹節や昆布についての豊富な知識、お客さんにとって役に立つ情報」を商品と一緒に提供しています。乾物入門的なお客さんには、質問に答え相談にのり、乾物を取り入れた食生活のよいところなど、無理をしない利用の仕方をアドバイスしています。もうすぐ節分・立春ということで枡形商店街では「立春大吉大売り出し」中です。藤井さんはお客さん一人一人に、大売り出しのチラシを渡しながら「抽選会もあるので」と宣伝も怠りません。

ふじや鰹節店で昆布も豊富に取り扱っています。
昆布も種類豊富に取り扱っています。

ふじや鰹節店ではお寺やお宮さんのお供え用の昆布も納めています。藤井さんは「それがあるんで店をやめられへんかった」と笑いました。
また「鰹節の持ち込み」があり、削りを頼まれることもあります。「加工代をいただいている」そうですが、預かった鰹節は洗って蒸して乾燥させてから削り機にかけるそうです。「商店街でずっとやって来た乾物屋やから、こういうこともやらせてもらってます。」
ふじや鰹節店の福豆
鬼のお面と豆の横に栃木県産のかんぴょうが置いてありました。節分のころは巻きずしを作るお客さんが多いのだそうです。巻きずし用にと干し椎茸をしな定めしていたお客さんには「芯にいれるんなら薄いほうが巻きやすいから」と具合のよいものを選んであげていました。
京都というまちと暮らしをお互いに支えている枡形商店街とお客さん、そしてふじやのようなお店があることが、京都の誇りとするところだと思いました。地域密着のお店にははじめて知ること、発見がたくさんあります。

 

ふじや鰹節店
京都市上京区枡形通寺町東入三栄町63
営業時間 10:00〜18:00
定休日 水曜日

ぼたん鍋の季節 京都寺町のゐの志し屋

寒の内、京都のまちを囲む三方の山々も冬時雨にけむっています。自然となべ物の登場回数も多くなる季節です。
幅広いふちどりのような脂身がたっぷりある猪肉のぼたん鍋は、代表的なご馳走鍋でしょう。昆布でとった出汁に白みそを入れて、脂身の旨みを味わいます。
煮込むほどにおいしく硬くならない最高のイノシシを販売する、京都市内で一軒だけのお店があります。大正5年の創業時から今も変わらず、寺町今出川で商いを続ける「改進亭総本店」の三代目店主、松岡啓史さんに話をお聞きしました。

牡丹、山くじら、桜に紅葉、薬食い

改進亭総本店店頭
日本では仏教の殺生をしないという教えや、牛や馬は大切な働き手であったことなどから肉食は禁止、あるいははばかられてきた歴史があります。ではそれまでまったく食べていなかったのかといえば、そうでもなかったようです。牛馬以外の、山に住む獣肉は古くから食べられていて、江戸時代には馬を桜、鹿を紅葉、そして猪は牡丹と呼んで楽しんでいいました。その名前がついた理由は諸説ありますが、そうやって隠語を使って舌鼓を打っていた様子を想像するとほほえましく思います。

歌川広重 江戸名所百景 びくにはし雪中
歌川広重 江戸名所百景 びくにはし雪中(wikipediaより)

猪は「山くじら」とも言われていました。「これは山にいるくじらですから、猪ではありません」というわけですね。歌川広重の「名所江戸百景」に、山くじらと書いた看板が見える浮世絵があり、気軽に屋台でも食べることができる人気メニューであったことがうかがえます。
また「薬喰い」と称して、体の養生のために薬として食べていることにするなど、様々にこじつけて食していたようです。おおっぴらに食べられるようになったのは時代が明治になって、牛肉のすき焼きを出す「牛鍋屋」ができてからです。
御所があり寺院の多い京都では、食文化においても有職料理や精進料理、茶懐石の料理を伝えてきましたが、進取の精神で新たな文化も次々取り入れ、すき焼きの店も明治の初めにできていきました。改進亭総本店も大正5年に現在の地で創業しました。

今もみずからの手で解体して店頭へ

改進亭総本店の店頭
創業者は松岡さんのおじいさんで、当時、京都ではまだ豚肉の扱いはなく牛肉のみを販売していました。「加茂牛」という、とてもおいしい牛肉だったそうです。「京都は小さいまちなので、すぐ近くに山があります。それにここは京都のまち中でも北のはてやから、上賀茂や西賀茂の猟師さんから、猪が持ち込まれるようになったと聞いています」と松岡さんは語ります。
その買い取ったイノシシを多くの人に知ってもらい、実際に買ってもらうために考えたすえ「洛北名物」と銘打って売り出しました。才覚のある初代が築いた改進亭は、その時から「寺町のイノシシ屋」として、ぼたん鍋のおいしさを広げ、まちがいのない店として知られるようになりました。
いのしし
イノシシは仕留めたらすぐに血抜きして内臓を出し、冷たい谷水につけるのだそうです。そうすることで肉がいたみません。猟師さんの仕事はそこまでで、皮をはぐ作業は今でもお店でしていると聞いて、これにもおどろきました。イノシシの旨みは何と言っても脂にあり大事なので、できる限り脂が多く残るように、皮と脂の境い目ギリギリのところではぐそうです。
断熱材の役目を果たす脂の層は、普通は2・5センチくらいですが、いいものは3~4センチもあるそうです。「持っている脂がイノシシの財産」なのです。そして「野生で生きているものは太って元気なのがおいしい」と断言します。「苦労して走り回って、たくさんえさを食べたシシはすごくおいしいです。彼らは自分の身ひとつが財産です。人間で言えばお金持ちですね。僕なんかシシだったら生きてられないですよ。けんかも弱いし」と物静かな口調のなかにユーモアを織り交ぜながらの「もっと聞きたい」と引き込まれるお話でした。
改進亭総本店の猪肉
現在は道路網が整備され輸送が短時間になったので、丹波、若狭、丹後、滋賀県のイノシシも入っていますが、産地うんぬんより、そのイノシシがよい個体であることが肝心になります。そして重要なことは血抜きがうまくできているかどうかです。血抜きがうまくできないと、せっかくの宝が台無しになってしまいます。血抜きがうまくできていないと脂身は赤くなり、赤身の部分は黒くなってしまうと聞きました。個体差のあるイノシシを吟味して血抜きの具合も見極めることは、経験に裏打ちされた目利きの仕事です。
精肉の仕事も一度外で修業して店は入ることが多いのですが、イノシシを扱う精肉店は他になかったので、松岡さんは最初からおじいさんとお父さんの仕事を見ながら経験を積んできました。京都市内で一軒だけのイノシシ屋としての信頼をしっかり引き継いでいます。

今も変わらぬ生まれ育った家と店

改進亭総本店のある寺町通り改進亭総本店の店頭
改進亭は、様々な業種のお店が並ぶ地元の頼りになる「出町枡形商店街」に続く寺町通にあります。近所には「傘」や「貸布団」の看板がかかった町家があり、営業を続けるモダンな建築の理髪店や「茶」と染め抜いたのれんが下がるお茶屋さんもあります。
以前、この通りの雰囲気に魅かれて歩いていて目にとまったのが「寺町ノゐの志し屋」の看板でした。出かけられるところの松岡さんと居合わせ、少し立ち話をさせていただき「イノシシは11月から3月まで販売しますので、その頃またどうぞ」と聞き、看板のとおり「イノシシ屋」さんだったのだと思いました。

改進亭総本店のご主人、松岡啓史さん
改進亭総本店のご主人、松岡啓史さん

お店の構えはいかにも「まちのお肉屋さん」の懐かしい雰囲気をまとっています。時々お店を手伝う妹さんから「子どもの頃は、イノシシが店の中へ台車で運ばれてきて、その上に乗って電車ごっこをしていました」という思い出は、他では絶対に聞けない貴重な話でした。
松岡さんは上京中学校でブラスバンド部へ入りホルンを吹いていました。上京中学校は毎年吹奏楽コンクールで上位入賞を果たしていて、練習もかなり厳しく「運動部からも恐れられるくらい」だったそうです。今も自転車にホルンを乗せて、人のいない山のほうへ出かけて吹くことを楽しい趣味にしています。本当はトランペット志望だったのがホルンをあてがわれてしまったけれど、調べてみたら狩りの時に吹いていたと知って「うちはイノシシ屋なので縁があるんやなあと思いました」という、本業以外の話にも、おだやかなお人柄があらわれていました。
ぼたん鍋
お店には毎年来店する常連さんや飲食店の方をはじめ料理屋さんからの注文もあります。猟師さんもお客さんも長い付き合いが続いています。松岡さんは「京都はそういうまちやから」と言います。「昆布出汁をしっかりとって、白みそと赤みその割合は7対3。しっかり煮込んで脂のおいしさを味わう」改進亭総本店流のぼたん鍋が京都の底冷えのなか、多くの人の体と気持ちをあたためてくれます。

 

改進亭総本店
京都市上京区寺町通今出川上る表町35
営業時間 10:00~19:00
定休日 水曜日

きっと行きつけになる 着物屋さん

みなさん、すこやかな新年をお迎えのことと思います。また、どのようなお正月風景のなかでお過ごしでしょうか。お正月は着物を着るいい機会ですね。
「着物は持っていないけれどいいなと思う」「家の古いたんすに入ったままの着物を着てみたい」「久しぶりに着てみようかな」また、おかあさんの若い頃のおさがり、おばあちゃんが縫ってくれたウール、市で手に入れたお気に入りなど、着物にまつわるそれぞれの思い出も大切にしながら「着たい気持ち」に応えてくれる着物屋さんがあります。「自由に、今、着る」ことを楽しみ、着物の世界を広がてくれる、頼れるお店が「燈織屋(ひおりや)」さんです。「燈」は着物好きの人の足元を照らすともしび、「織」は、着物にかかわる様々な人たちが糸のように交わり、一緒に布を織りなしていけますようにとの思いをこめて名付けられました。
その燈織屋店主の森島清香さんに話をお聞きしました。汲めども尽きず、湧き上あがるお話は切り上げることができないほどの楽しい時間でした。

自分のすきを基準にしたものたち

燈織屋店内
燈織屋で扱っている着物や帯はリサイクル品も、オリジナル商品もあります。リサイクルの着物は「古物商免許」を持つ森島さんが、自身の感性や「すき」を基準に仕入れしています。旧来の着物の柄の概念にしばられない、大胆でアート作品のようなデザインが特徴の銘仙やアンティーク、手仕事が静かな存在感を放つ友禅や刺繍の着物や帯など、そこに居合わすだけでわくわくしてきます。そのなかに「燈織屋オリジナル」商品が個性を発揮しながらも、他とぶつかることなく一つところに並んでいます。
燈織屋オリジナル帯ちよ
チョコレート好きの森島さんが企画・デザインした半幅帯と角帯シリーズ「ちよ」はチョコレートと、ながい年月を意味する「千代に八千代に」からとって「ちよ」に決めたそうです。色の説明も「ミルク多めな甘め」「ダークな苦め」など、伝え方もオリジナルです。
燈織屋オリジナル名古屋帯
もう一つのシリーズは、大好きなイラストレーターの作品をデザインしています。「線香花火のアイスティー」など、こちらも他にはない世界観をあらわしています。身に付けた人も周囲の人も楽しくする帯です。ほかにも、ころんとした形がほのぼのするガラスの針山、きりっと美しい縫製の袱紗、水引のアクセサリーなど、小物も魅力的です。これはどのように燈織屋へやってきたのか話していただきました。

積み重ねた経験と人との出会いが後ろ盾

燈織屋店主の森島清香さん
森島さんは、とても厳しかった和裁の専門学校、膨大な枚数をこなしていた着物のしみ抜きとクリーニング、手描友禅の各工程のプロに技術を教えていただいた友禅組合、販売に関わったアンティーク着物店など様々な経験をされてきました。
すべて順風満帆というわけではなかったそうですが、それも含め今の燈織屋のなかに生きていると感じます。
燈織屋和裁教室スペース
厳しい和裁の専門学校で、実技のスピードが追いつけない時、友だちが放課後に教えてくれたそうです。今、和裁教室をしていて、生徒さんがどこでつまずいているか、何がわからないかなど、自分がわからなかった経験があるから教えることができると語ります。きものの形、なりたちがわかるように、窓に貼った和裁教室の案内には、たとえば「袖なおし」ならどこの部分をなおすのかが、イラストを使って説明されています。商品に付けられたサイズ表示や、「洗濯済」などのタグも親切です。
リサイクル着物の販売では、そこへやってくるお客さんは正統派だけでなく、和洋折衷の自由な着方を楽しまれている方が多く、普通の着物の着方とは全然ちがうけれど「着方は自由なんだ」と感じたそうです。違いをみて、否定から入らずに発見につなげる柔軟性と軽やかさです。それはとても大切なことだと感じました。
燈織屋の水引アクセサリー燈織屋の数寄屋袋
水引アクセサリーは以前住んでいた新潟県長岡市の和装レンタル店「縁(えにし)」さんの燈織屋オリジナル配色、袱紗は和裁の専門学校時代の友だちとの共同制作とのことです。表と内側の古布の組み合わせなど、すべておまかせですが、縫製はもちろん、センスのある美しいパッケージは「自分に贈りたい」と思います。帯のデザインのもとになった「満月珈琲店」さんの世界にまぎれこんでみたい気持ちになります。
染めやしみ抜き、洗いも信頼できる職方です。それぞれの分野の仕事の人々が専門の技術を生かし、また新たな一面を見せて燈織屋のやりたい事を実現させています。その「織」の重なりが、お店に来てくれる人たちの足元を一層明るくする「燈」になっていると感じます。

着物屋さんですが中身は変化進化しています

燈織屋外観
お店の販売日は週2日、和裁教室は週3日行われています。ゆかたを縫っている生徒さんたちで、縫いあがったら近くにある国登録有形文化財の建物「なかの邸」へ食事に行くのを楽しみにして、そのゴールをめざしてがんばっていたのですが、コロナでやむなく中止になってしまいました。
なかの邸では今、藍を育て、そのワークショップを行っています。森島さんも参加し、手始めに半幅帯を染める目標を掲げて、生徒さんと一緒に楽しみにしています。このようにご近所さんとつながりができ、それが次の新しい試みが生まれることを期待できそうです。
燈織屋内装
燈織屋の店内は上手に内装されていて、青い壁の色が印象的です。この色にする時はだいぶ冒険だったそうですが、個性的な色でありながら、ずっといても疲れない色です。和裁の仕立台を前にしても違和感がありません。空間デザインはすべてご主人がされたそうです。森島さんも全面的に信頼し、いい内装になったと言われていました。めざすもの、やりたいことが共有されているからでしょう。
燈織屋の針山
「ガラスの透明感を大切にしたかった」という針山や、果物をイメージしたおいしそうできれいな帯留め、かんざしなどガラスの作品も手がけておられます。ガラスは硬質、冷たい、鋭いイメージがありますが、ご主人の作るガラスは、やさしく、やわらかささえ感じます。帯の柄や商品の台紙は、森島さんが色鉛筆で描いたイラストをご主人がパソコンに取りこんで完成させているそうです。
燈織屋ディスプレイ燈織屋着物
森島さんは店内のディスプレイや商品、ワークショップなども含め、もっと季節感のある店内にして、季節の移ろいを感じ楽しんでもらえるようにしたいと話していました。水引ピアスの台紙に記された「いろ かさなる 織りなす 季節」の清香さん作のコピーがすてきです。伺った時はウィンドウには、すがすがしい新春の気分の、白地の着物に梅の花の染帯がディスプレイされていました。このウィンドウを楽しみにして通る人もいることでしょう。お店には梅の意匠の着物が他にも集められていました。凛とした花の姿に香りも漂ってくるようです。
燈織屋店主
森島さんは、きちんとした場に着る時はそれなりのきちんとした礼にかなった着方を大切にしています。そして、それ以外、普段のケとハレのあいだにある「ケのなかのハレ」を楽しんで、と言っています。普段の暮らしのなかにこそ、楽しみや喜びを見つけよう、そうやって着物を自由に着る楽しみを多くの人に知ってほしいと森島さんは願っています。
今の季節のヒットは「コーデュロイの羽織」です。思ったよりずっと軽くあたたかい。しかもサイズや色も選べるセミオーダーです。なくて困っている、あったらいいな、をかなえてくれるうれしいお店です。新しい一年が始まりました。着物を着る楽しさを多くの人と分かち合えるよう願っています。

 

燈織屋(ひおりや)
長岡京市友岡3丁目9-3
営業時間 11:00~18:00(販売及び仕立てその他の相談)
営業日 金曜、日曜日