新京極で70余年の ハイカラ菓子

満開の桜を見る人であふれかえる、高瀬川沿いから、新京極へ進むと、ここもまた海外の人も多く、にぎわっていました。京都で一番の繁華街の入口はいつも、ふんわり甘い匂いと「カッシャン、カッシャン」という楽し気な音が迎えてくれます。
「子どもの頃から大好きなお菓子」という人の多いお店です。観光で訪れた人はお菓子が作られる工程が見える様子に、思わず足を止めて見入っています。
創業70余年の「ロンドンヤ」の看板商品は「かすてら饅頭ロンドン焼」ただ一品という潔さです。今も「ハイカラ京都」味を守り続けています。

洗練された和菓子を感じる普段菓子

ロンドンヤのロンドン焼
「かすてら饅頭ロンドン焼」は、戦後間もない京都で「ハイカラなお菓子を作りたい」と、その頃はまだ新しかったカステラ生地を使ったお菓子を考案したことに始まります。名前もハイカラにと「ロンドン」を付けたそうです。その響きやカタカナ文字の雰囲気がハイカラに感じられたのでしょうか。
ふんわりしたカステラ生地のお饅頭は、やっと迎えた戦後の暮らしに明るさを与えてくれたことと思います。「ハイカラなお菓子を作りたい」という創業者の思いには、多くの人にお菓子を食べる幸せを感じてほしいという願いも込められていたように感じます。
ロンドン焼は「あきないおいしさ」「また食べたいと思う味」という人が多い、気の置けないおやつのような身近なお菓子です。白こしあんのさらっとした甘さと生地との調和は、洗練された京都の和菓子がみなもとにあるように感じます。意識されたわけではないかもしれませんが、こういうところに京都の文化や技の積み重ね、歴史を思わせます。
ロンドンヤのロンドン焼
機械がかすてら饅頭を作っていく様子は、一種のショーのような楽しさです。生地の入った丸い型が一周すると、くるっとひっくり返ります。オートメーションの機械なのに、祇園祭などで見る「からくり」のように見えて、ほほえましくなります。
しかし、すべて機械まかせにしているわけではなく、火加減や油の引き加減、開店速度など常に微調整が必要なのだそうです。そして最後に、丸い型からはみ出した生地を切り落として形を整えるのは手作業でないとできないと聞きました。やはり手の仕事が必要なのです。
ロンドンヤのロンドン焼
見て感心するのはお菓子作りだけではありません。お菓子は一種類だけですが、10個箱入り、15個箱入り等々、また簡易な「へぎ包み」や、すぐ食べる人には小袋に入れるなど、そのつど対応されています。注文聞いて箱を折り、焼きあがりを入れた木箱から素早くへらで取り、きれいに箱に詰めて包装します。そして会計です。
それをたった一人でされています。その流れるような手際のよさは、これも職人技です。行列に並んだとしても、目の前で繰り広げられる見事な実技を見ているので退屈せず、いらいらすることもありません。
お店で聞こえるのは、注文の確認と、商品を渡す時の「お待たせしましまたありがとうございます」というやりとりだけです。余分なこと、ものがないすがすがしさもロンドンヤの好きなところです。

子どものころの思い出は今も健在

新京極商店街ロンドンヤのロンドン焼
新京極にほど近い所に生まれ育った人が「子どもの頃、「しょっちゅうロンドンヤのガラスに顔をくっつけてカッシャン、カッシャンいうて回る機械を見てたわ。隣りの漢方薬屋さんに、ヘビの入った大きなガラス瓶があって、もう怖くて怖くて。いつもロンドンヤの前に行ってた」「おかあちゃんが買い物の帰りに買ってきてくれるとうれしかった」「いつもロンドン焼を持って来てくれるおばさんがいた」など、楽しい思い出と結びついた話をしてくれました。
ふと思いついて、生まれてこの方、ずっと町なか暮らしの知人にロンドン焼を渡したところ「うわー、ほんま久しぶり。なつかしい」と喜んでいました。新京極はお店の入れ替わりが激しい繁華街ですが、そのなかでも何十年も続くお店もしっかり残っています。
ロンドンヤのロンドン焼
急激に変化する状況のなかで、商店街やお店を続けていくのは本当に大変なことと思います。そのような環境のもとでも、今求められていることは何かを考え、新しいことにも取り組んでいます。
ロンドンヤも抹茶生地のロンドン焼を月に一度、販売しています。500個限定、売り切れご免です。また、日持ち2週間の個包装もあり、遠方のお客様の求めに応えています。
本道をしっかり守り、その本道を歩み続けるために、新しいことも柔軟性を持って取り入れていく。まさに「ハイカラ京都」の精神と感じます。京都の奥深さ、底力です。そして、そのことは京都に暮らす喜びでもあります。それを噛みしめた、一日でした。

 

ロンドンヤ
京都市中京区新京極四条上がる仲之町565
営業時間 平日/10:00~19:30 土曜、日曜、祝日/10:00~20:00

純国産メンマと 旭米の進む道

啓蟄の暦どおりの、小さな虫たちも活発に動き始めたような春の日「メンマを食べて竹林再生を」という、楽しくおいしそうなテーマの会がありました。この京のさんぽ道でも、京筍やメンマ作り、伝統的構法の農小屋おひろめなどをご紹介しました石田ファームのメンマ作りのメンバーと、お手伝いしてくださったみなさんが集まりました。
背丈ほどに伸びた「幼竹」(ようちく)を伐り出して、湯がいて塩漬けにしたメンマの試食会です。ここでいうメンマは添加物ゼロ、たけのこと同じように使えます。家庭でも手軽に使える食材としての魅力を引き出し、広げることで、竹林の保全と荒れた竹林の再生につなげたいという願いがこめられています。当日はメンマを使った創作メニューが豪華なワンプレートとなって登場しました。
旧上田家
会場は向日市にある、国の登録有形文化財の「旧上田家住宅」です。おくどさんで炊いたご飯は、石田さんが手塩にかけた農薬、化学肥料不使、天日干しの、現在のコシヒカリやあきたこまちなどのご先祖の「旭米」です。今回の京のさんぽ道は、多くの豊かな出会いがあった、すばらしきかな春の一日のおすそ分けです。

ゆるやかに集まり、得がたい体験

石田ファームのメンマ作りメンバー
この集まりは、石田ファームをホームとしてメンマ作りをする「メンマメンバーズ」の「竹乃舍」(たけのや)が企画しました。
昨年5月に仕込んだメンマの試食を中心に、かかわったみなさんへのお礼と、今後このメンマを広げていくためには、どんなことが考えられるか、何が必要かを出し合い、共有する場にしたいと企画されました。
「自宅でおしゃれな一皿が出せるパーティ料理」の教室を主宰しするLisas(リサス)さんが、他では出会えない「創造的メンマ料理」のワンプレートを完成させてくれました。Lisasさんは、パーティのようにおしゃれな一皿とともに「帰宅して15分で作れる、家族が喜ぶ普段のごはん」を大切にしています。当日も豪華版でありながら「今日からすぐに家で作れる」ヒントがたくさんあるメニューで構成されていました。すべてに「竹乃舍製メンマ」が使われていて、みんなうれしそうでした。
猫柳
もうひとかた、この日の特別参加は、多くの人から「山野草の師匠」と頼りにされているバカボンさんご夫妻でした。朝、大原の里で摘んだ野草と、黒文字と猫柳の枝を抱えて来られました。うす暗い土間に春が舞い込んだようでした。
山野草のことはもちろん、おどろいたのは石田さんが育てたお米の稲わらを「ええ、出汁がでる」とメンマの味付けに使われたことです。その微妙な味わいが感じられるだろうかと少し心配でしたが、とても楽しみで、はじめての体験に期待がふくらみました。
出し取り用の稲藁旧上田家のおくどさん
炊きあがりの時間を計算して、おくどさんに火が入りました。薪をくべるのはコツがいりますが、そこは今まで大量の幼竹メンマを湯がいた経験がものを言い「火の番」は安心してお任せされています。
ゆるい集まりで、時間割もおおまかなのですが、みなさんそれぞれ自分ができることを見つけて手を動かしています。バカボンさんご夫妻に教えてもらいながら、つくしのはかまを取ったり、稲わら出汁で煮たメンマに黒文字や松の小枝を刺す作業はとても楽しそうでした。なんとなく「おとなの課外体験教室」のような雰囲気でした。
さいころ切りにしたメンマの姿はチーズのようです。松葉をあしらうと緑の色がすがすがしく、お祝いの席にもよさそうです。バカボンさんは、そのあしらいを「和の心。日本の料理人の心です」と語りました。味だけではない、食の楽しみと奥深さを教えてもらいました。

つくしのはかま取り

「バカボン」さんに松葉を使っためんまのあしらいを教わりました
中央がみんなに教える「バカボン」さん

羽釜がシュルシュルと湯気が上がり始めました。みんが「せっかくだからおこげが食べたい」と希望するので、火の勢いを調節したり、火焚き番はなかなか大変です。
旧上田家住宅として公開されているこの建物の六代目当主、上田昌弘さんが見えて、おくどさんに火が入っているのを見てうれしそうに、火吹き竹を出して使い方を教えてくれました。「私はこの家でずっと暮らしていましたから、愛着があります。これからもこの建物を大切に残していきたいです」と話されました。家、建物はそこに住んだ人々の歴史も刻まれている家族の暮らしの証しなのだと、しみじみ思いました。
旧上田家のおくどさん石田ファームのメンマ試食会
奥座敷での会食は、久しぶりに食卓を参加者みんなで囲んで話ができる、楽しいひと時となりました。ワンプレートの他にも、みなさん持ち寄りの、おいしいものが並びました。
たっぷりふきのとうが入ったふきのとう味噌、箸休めにぴったりの小かぶの酢の物等々。伊根町の鯖のへしこや「京太のはちみつ」メンバーの伊藤君が琵琶湖で獲ったわかさぎの自家製燻製には「これはビールか日本酒やなあ」の声に笑いと賛同の声が聞かれました。去年の春を思い出しながらメンマと自然の恵みの野草、八十八の手間ひまとお天道さまの力を借りて育てたお米を味わいました。本当の「御馳走」でした。

竹林とメンマを広く知ってもらうために

石田ファームのメンマ試食会
右端が石田ファーム、竹乃舎代表の石田昌司さん

メンマで構成されたお昼ご飯をいただいた後、感想やこれからメンマを広めるうえでの、提案などの意見交換がありました。
竹林整備と抱き合わせて、福岡県糸島市から始まった「純国産メンマ」作りは今全国的に広がり、味付けされた「ご当地メンマ」を販売している例も多くあります。石田ファームのメンマは塩漬け後に、塩抜きをして食材として使ってもらう、または「おうちでメンマ」として幼竹のまま渡すこともしています。
「メンマという名前が、ラーメンに入っているあれ、という固定したイメージを持たれてしまう。こんなにいろいろな料理に使えるのだから名前を変えたら。いっそシンプルに竹にしては」「たけのこと同じように使える。穂先はきれいな形なので、それを生かして、形が大事なお節料理などに使いたいと思う。値段は少々高くても、そういう時期は必ず、国産の安心できる食材の需要はあると思う」「たけのこと比べて、幼竹メンマが優れている点ははっきり言って見当たらない。けれど、メンマを作ること、使うこと自体が放置竹林の解決、京都の美しい竹林を残すことにつながる。そこに共感してくれる人をどれだけ増やすか」「現在、出まわっているメンマやたけのこ水煮の90パーセントが輸入されています。そういう食料自給率の観点からも、安心な国産のメンマを普通の家庭で使ってもらえるようにしたい」「メンマ以外にも、竹の特性を生かした製品が誕生している。紙や繊維など、竹の可能性も合わせて知る機会を増やして、つながっていければ」などの意見が交わされました。

切り方やあしらい次第でチーズのようにも見えるメンマ
切り方やあしらい次第でチーズのようにも見えるメンマ

メンマは部位によって食感が違う点をうまく利用したり、和洋中どれにもなじむ使い勝手のよさがあるので食材として広げられる可能性、素材としての竹が優れていることに、みなさん手ごたえを感じられていました。

メンマと旭米の可能性を夢見て

らっきょむさん
メンマ試食会に参加されていたなかに、石田さんの田んぼのお田植や刈り入れに協力されている向日市の「一穂の会」(いっぽのかい)の紙芝居屋さん、「らっきょむ」さんが来られていました。週末の向日市で家族で楽しめるイベントがあり、そこで旭米のブースも出しますとお話されていたので行ってみました。
旭米
今人気の品種のお米のご先祖、旭米は、向日市がふるさとであり、戦後間もない頃までは、西日本で一番多く生産されていたそうです。そのような歴史と大切なお米なのに、現在は生産農家が本当に少なくなってしまいました。
「一穂」の会は、この旭米を広げる活動をしながら町おこしにつなげようと活動しています。一穂ははじめの「一歩」を踏み出そう、という意味も持っています。
らっきょむさんは向日市の小学校や学童保育所で、紙芝居を見せて旭米を知ってもらおうと一生懸命です。イベントでは古い脱穀機で稲を脱穀するコーナーを担当されていました。
足踏み式脱穀機
Z世代のその先となる小学生たちですが、足踏み式の脱穀機での体験は大人気で順番待ちをしていました。自分のからだを使って、普段自分たちが食べているものがどのようにして届いているのかを知る機会となり、とてもよい企画だと思いました。現在はふっくら粘りがあって甘みを感じるお米が人気で主流です。そのようななかで、旭米は、はっきりした味や食感を感じにくいお米となっています。
言ってみれば、はっきり甘みを感じるお米に比べて、ちょっと素気ないような感じでしょうか。らっきょむさんは「いろいろ食べ比べる機会があれば」と考えています。確かに、味付けの濃い料理には相性がいいように思います。
石田ファームの竹林
竹林や京都の筍、旭米も、これからは、職業も世代も様々な人がつながる、多様な参加の仕方がますます大切になってくると感じました。もうすぐ、長岡京市、向日市など乙訓地域を中心に、京筍の出荷の忙しい季節を迎えます。竹林や田んぼがつくりだす美しい景観が守られ、農業がなりわいとして成り立つ世の中を願ってやみません。
そのためにも、京のさんぽ道も、小さな歩みでも、京都の日々の暮らしをしっかり受け止めていきたいと思いました。メンマと竹林に旭米、そして旧上田家住宅と、みんなの出会いに、夢をかなえるものと感じることができました。

 

石田ファーム 長岡京市井ノ内西ノ口19-1

旧上田家住宅 向日市鶏冠井町東井戸64-2
開館 9:30~16:30
休館日 月曜日、毎月1日

人と人をつなぐ 花街の宿

春は桜に柳。鴨川べりの枝垂れ柳が芽吹き、桜のつぼみはまだ固いものの、日ごとに開花が近づいていることを感じます。街中には、舞妓さんや芸妓さんがほほ笑む、春の踊りのポスターがはり出され、いっそう華やいだ雰囲気が漂っています。
京都五花街のひとつ「宮川町」も、恒例の「京おどり」を4月に控え、お稽古に向かう芸妓さん舞妓さんの姿があります。この花街で、元お茶屋だった建物の旅館が、新たな展開を始めています。伝統建築の町家を気軽に、より多くの人に知ってもらい「人と人が出会い、新たなつながりが生まれる場」を目ざし奮闘するその人、藤田恵子さんの案内で「澤食(さわい)ツアー」を体験しました。
澤食 kyoto sawai
隅ずみまで職人の技が光り、はたまた迷路のような内部は、見ごたえ十分で、はじめて知ることも多く、京都に住んでいても花街とは縁遠い私たちにとっても、とてもよい機会になります。そしてこのように伝統建築を日常的に生かし、住み続けることで守られている京都の町並みにも思いを寄せました。

卓抜した技と常連さんの「私」を守る工夫

澤食 kyoto sawai
宮川町にあたる地域は四条より南、かつて鴨川の広い河原だったと思われ、江戸時代に町並みが形成されたとされています。芝居小屋が立ち、多くの人でにぎわった四条河原と同様、活気を呈していました。「宮川」の名前は、毎年、祇園祭の神輿洗いが四条より南で行われていたため、四条より南の鴨川を宮川と呼ぶようになったそうです。歌舞伎の流行と相まって、にぎわいは増し、人々をもてなすお茶屋が集まり、発展していきました。今の宮川町の美しい町並みと花街の始まりです。
澤食 kyoto sawai
澤食のパンフレットにお茶屋の建物の特徴が記されています。二階、三階の窓には手すりが付けられ、すだれをかける、もてなし空間の上階の階段を上がったところに「踊り場」があるなどです。そのほかは、格子、奥に細長い「通り庭」など一般に京町家とされる建物と似ています。
二階、三階がお客様を迎える空間です。まず感じたことは、各部屋につながる階段や廊下の狭い幅です。狭いというより、建物の表現にふさわしくないかもしれませんが「華奢でほっそり」した感じを受けました。建物の持つ魅力と持ち主の感性のなせるところなのか、どこか艶めいた、はんなりした雰囲気を感じます。
澤食 kyoto sawai 階段
狭く急な隠し階段から押し入れのような襖をあけると、一階から三階までまっすぐ通った、かつて昇降機があった吹き抜けが現れます。そちらから下をのぞくと、奈落の底へと吸い込まれるようで、怖くなります。「ここは元ふとん部屋だったのですよ」という話など、いちいちおどろいてばかりでした。
お茶屋も旅館も、常連さんがゆっくりくつろげなければなりません。そのためには、他の人と顔を合わさないですむようにという配慮があちこちになされていると推察しました。昇降機も、一階まで続く「かくし階段」も、緊急時だけでなく、お客様の「個」を守るために考えらえたのではないかなど、謎ときのようで興味は尽きません。
澤食 kyoto sawai

澤食 kyoto sawai 
伝統工芸のような和を感じさせるバスタブ

この建物は、登記簿の日付は明治30年(1897)ということですので120年以上歴史を刻み、建築当時の姿をとどめています。階段のらんかん、お茶屋建築の特徴を示す格子、天井や床の間の造り、ふすまに至るまで、この家にかかわった多くの職人の、静かな矜持を感じます。
一方、宿泊することに関しては、快適に整えられています。特に洗面所やお風呂の水回りの造作は、最新のものを設置されています。手間と時間、選び抜かれた資材など、贅を尽くした空間と現代の利便性を兼ね備えた、最上の旅の宿です。

知ってもらい使ってもらって残す道

澤食 kyoto sawai 藤田さん
宮川町が描かれている江戸時代の木版画を手にする藤田さん

澤食は、藤田さんの父方の叔母様が、お茶屋だった建物を買い取り旅館にして、昭和56年(1981)から平成29年(2017)まで営んでいました。
高齢になったことなどもあり、藤田さんが跡を継ぎました。藤田さんは兵庫県や大阪で教師をされていました。しばらくは通って、叔母様のお世話や手伝いをしていましたが、とても二足のわらじをはいてはやっていけないと思い、選択を迫られました。そして「叔母が大切に守って来たこの建物を受け継ごう」と決心し、退職して京都へ移り住みました。
花街は普通はなじみのないところですが、以前から通っていた藤田さんは、ご近所ともよい間合いの関係をつくっています。
澤食 kyoto sawai
4年前から、本格的に引き継ぎ、改修に着手しましたが、そこでコロナになってしまいした。「本当に思案に暮れる毎日でしたが、その期間にゆっくり、これからここをどのように活用したらよいか。それにはどんな方法があるか。伝統的なこの建物を生かし、これからも宿泊施設として続けるためのよい改修とはなど、考えることができました」と語ります。
改修も、可能な限り、元のかたちを残し、また宮川町の町並みを損なうことのないようにと強い思いを持って実行されました。

澤食 kyoto sawai
3階のすだれの合間からわずかに見える比叡山

見学すると、建物本体に加え、建具もしっかり残して今も使っていることに気付きます。それがなんとも言えない風趣をかもしだしています。お茶屋建ての特徴である格子、表に面したすだれ越しに見る通りは美しく、圧迫感のない低層の建物だからこその見え方なのだと感じました。
澤食は現在では希少な木造三階建てです。以前、三階の表の部屋からは真正面に八坂塔、左前方にはくっきりと比叡山が見え、反対側の西側は、宮川と名を変えて流れる鴨川が見えたそうです。どんなにか、よい風景だったことでしょう。
その少しの願望をかなえられるのが、藤田さん自慢のお風呂です大きく窓をとり、外が見えるようになっています。「全体的に居心地は、かなりよくなったと思います」と藤田さん。最初はどきどきしながらやっていたけれど、泊まった方に笑顔で帰ってもらうとうれしいと顔をほころばせました。
澤食 kyoto sawai 打ち掛け
現在宿泊する人の大半は、叔母様の時代からのご常連や知り合いの固定のお客様ということでした。その紹介でフランスやドイツからのお客様もあるそうです。
取材に伺った日は、少しでも伝統の建物を知って、関心をもってもらいたいと企画したお「お茶屋建て澤食を全部みるツアー」を開催されていた日でした。探検気分で狭い階段や和室の美しさに、歓声があがっていました。
一通り見学が終わると広い茶の間のような部屋でハーブティーととびきりおいしいお菓子で一服していただくという趣向です。みなさんとてもよかった、楽しかったですという感想でした。
ここでまた、おどろく企画がありました。叔母様の膨大な和装関係の収蔵品のひとつ、打掛を羽織って記念撮影というプログラムです。年代、男女問わず好評ということでした。教師をしていた経験から、こういうことを考えるのは得意なのだそうです。しっかり前職の経験も生かされています。

頼もしい友人と究極の夢「市民オペラ」

澤食 kyoto sawai フロランタン
毎日てんてこ舞いの藤田さんですが、一緒に楽しく澤食を支えてくれる、頼もしく心強い友だちの存在があります。
一人は澤食でも使っている、飛び切りおいしいお菓子を焼き、ほがらかなヨシムラさん。ハーブティーと一緒にいただいた何種類ものナッツが入ったフロランタンは、まじりけのないおいしさでした。ツアー中も参加者の案内や店頭に立つなど、軽やかに立ち働いていました。
もうひとりの強い味方は、叔母様の旅館を手伝い、ご自身も先斗町でお店を営んでいたベテランのミヤコさんです。お掃除からベッドメーキング等々、その経験が生きる、見ていて気持ちのよい仕事をされていました。
澤食 kyoto sawai ベッドメイキング
藤田さんもお二人を「本当に助かっています」と、とても頼りにしています。そして「この建物は不思議な力があって、人が集まって来て、ご縁を感じる出会いがたくさんあります。人のつながりが生まれる場所なのです」と続けました。
お茶をいただいた部屋は元ダンスホールだったそうで、古いガラス戸がよい雰囲気です。一段高くしたステージで、これまでも、宮川町の芸妓さん、舞妓さんを招き、舞を鑑賞して、料亭のお弁当をいただくという集まりもされてきました。
今年はさらにいろいろな企画を考えたいし、この建物をどんどん利用してほしいと語ります。それを通して、日本建築、和室の魅力を感じてほしいと願っています。
「日本建築のよいところは、とてもフレシキブルな点です。ベッドだと動かせないし、人数は限定されるけれど畳なら、布団を敷けば融通がききます。座卓も簡単に動かせますから。」元ダンスホールの棟はキッチン付きで一棟貸切りにもできます。まだまだ片付けが追い付かないと大忙しですが、実は大きな夢をあたためています。

澤食 kyoto sawai
ダンスホールを改装したお部屋

藤田さんは声楽家で、その仕事もされています。そして究極の夢は、今京都にない「市民オペラ」を立ち上げることです。それも夢のまた夢にするのでなく、着実に進めていく構想を描いています。
澤食の運営、経営だけでも、普通なら手に余りそうなのに、その上、一から始める京都での市民オペラ立ち上げとは。おどろくほどの行動力です。夢への思いを強く持っているからこそ、夢は実現するのでしょう。
人のつながりが生まれる、この場所がその後押しをしてくれると思います。

 

宮川町の宿 澤食(さわい)
京都市東山区宮川筋4丁目320

この場所と コーヒーとアンティーク

霜が降り、水たまりが凍っている今年の京都の冬です。しばらく前のこと、通りがかりに古びたがっしりした建物が目にとまりました。大きく「COFFEE」とあります。先日、近くに行った時に思い出し、ずっと気になっていた建物まで行きました。
そこはコーヒーの焙煎所とアンティークの雑貨や食器が一緒になった、住んでいる人の思いがやどる「だれかの家」のようなお店でした。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ドアのガラスにはWIFE&HUSBANDに続きDAUGHTERとSONの文字が見えます。「妻と夫」「娘と息子」という、まっすぐな名前に深い思いを感じます。オーナー夫妻の家族との日々も映し出された、かけがえのない空間です。
2015年に賀茂川のすぐ近くに自家焙煎のコーヒー店WIFE&HUSBANDを開いてから1年半たった頃、大きな焙煎所とアンティークが一緒になった空間としてオープンしたROASTERY DAUGHTER /GALLERY SONです。コーヒーの香りとともに、季節や時間によって、差し込む光が変化するゆるやかなひと時を送ってくれます。

 

古いビルが生きる焙煎所&アンティーク

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
新たな夢をかなえる焙煎所に適した場所をさがしていたオーナー夫妻が、やっと見つけたのが現在のビルでした。自然を身近に感じる賀茂川畔のお店とはまったく違う街中の古びたビルでしたが二人で「ここだ」とすぐに決めたそうです。
車が頻繁に通る堀川通に面していますが、落ち着いた雰囲気はそこなわれることなく存在感があり、周囲とも調和しています。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
お店の1階はコーヒーの焙煎と豆の販売、2階はオーナー夫妻がこつこつ集めてきた多くのアンティークの食器や雑貨、ビンテージの洋服がwife&husbandの物語を紡いでいます。
そこに集められたものはフランスの19世紀から20世紀初めの食器や小物、そして日本の文房具や暮らしの道具など洋の東西を問いません。丹念にガラスペンで書かれた古いノートの文字の美しさにおどろいたり、反物の端に付ける下げ札の先端の、針より細いくらいのこよりにも、昔の人の手先の器用さに感服したり、あっと言う間に時がたちます。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
窓辺や壁、天井と、あらゆる空間に国の違いを超えて、人の手が作り、人が使ってきた時を刻んだもののあたたかさやおもしろみを感じます。
毎日の暮らしのなかで、元の使い方と違うものに転用するも楽しいでしょうし、何かに使うという目的がなくても眺めているだけで、気持ちをあたたかく包んでくれそうな気がします。時を経て今もあるもののよさを感じることができる空間です。

 

つくろいながら使い続ける

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONの金継ぎ
販売している古い食器や雑貨には時々「金継(きんつぎ)」が施されているものがあります。これはスタッフの方がされていると聞き、本当に古いものを受け継ぎ、すきになってくれるだれかに手渡す仕事をされているのだと感じました。
日本でも少し前までは、つくろい物をする夜なべ仕事が、ごく当たり前のこととしてありました。ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONは、つくろいながら使い続ける暮らし方を思い起させ、そのことはそんなに難しく考えなくてもよい、自分が心地よいと思えることでいいのだと応援してくれている気持ちになります。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
1階にもアンティークの小物が前からそこにあったようにたたずんでいます。最新の焙煎機とともに、コーヒーの麻袋やアンティークがある風景は、始めて来た人にもおなじみの気安さを感じさせてくれます。
海外からのお客さんもゆっくりと滞留しています。きっと心に残る日本の思い出になることでしょう。

 

お店をみんなで育てている

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ビンテージの雰囲気のユニフォームが似合い、自然な笑顔がすてきなスタッフさん。何か聞いたり、商品をじっと見ていた時に、スタッフの方みんなが的確に答えてくれたり、声をかけてくれたことがとても印象的でした。
みなさん、本当にこのお店が好きで大切にしていることが伝わってきました。コーヒー豆を選別し、お客さんを迎え多くの古いものの様子を確認しながらの毎日を尊く感じます。

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
焙煎前、焙煎後と2回行うコーヒー豆の選別

賀茂川畔のwife&husbandと次に生まれたROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON はこれから、スタッフのみなさんと一緒に育てる家のようです。これからもゆっくりと通いたい空間でした。

 

ロースタリー ドーター/ギャラリー サン
京都市下京区鍵屋町22
営業時間 12:00~18:30
定休日 不定休(ウェブサイト営業カレンダーでご確認ください)

うどんと 本格フレンチが一軒に

時雨模様の寒の内、あたたかい湯気が恋しくなります。千本丸太町に70年以上続くうどん屋さんがあります。しっかりとった出汁と細めの麺。京都らしいうどんです。
大改装を経て「うどんとフレンチのお店」に生まれ変わって8年。その間熟成されてきた心地よいお店の雰囲気を感じます。平日のお昼はうどんや丼物、夜と週末は本格フレンチとワインでゆっくり過ごせる得がたいお店です。

カウンターと蝶ネクタイ

阿さひのきつねうどん
うどん屋はシェフの実家です。ご両親が元気に切り盛りしています。繁華街の喧噪から少し離れた千本丸太町という立地にも、この新しいスタイルがしっくりなじんでいます。
付近は、かつて平安宮の中心地で、大極殿跡とされています。西陣織など伝統産業にかかわる人の住むまちで、個人商店や会社も多く、活気にあふれていました。今はマンションやビルが増えましたが、銭湯や和服しみ抜きなどの看板に、かつての面影が感じられます。
阿さひは、長く地元の人たちに親しまれてきました。近所の会社で働く人たちのお昼ごはんや残業の時の出前と、お世話になった人も多いことでしょう。麺類、どんぶり物の定番から、先代から受け継いだ看板の味、巻き寿司や分厚い身が評判の鯖寿司もお品書きにあります。
 

阿さひ阿さひ
お店は大きな提灯が目印です。うどんの時間は赤地、フレンチは白地になります。入口の通路は、京都の路地の趣です。奥にテーブル席、通路の右手がカウンター席になります。
カウンターをはさんで、シェフのご両親がきりっとした立ち居振る舞いで仕事をしています。蝶ネクタイにベスト、ベレー帽と、とてもおしゃれなお二人も、この新しいお店の雰囲気をつくる欠かせない配役のようです。
昼間は、グラスにたっぷりのあたたかいお茶が出され、ほっと一息つけます。何十本もの洋酒が並んだ様子はインテリアの一部のようです。待つ間に瓶のかたちや、ラベルを見るのも楽しいひと時になります。おうどんは変わらぬ「あさひの味」です。
落ち着いた色合いの、夜はフレンチとワインのお店になるカウンターでおうどんをいただくのは、新鮮な感じがします。オープンキッチンのうどん屋さん、なかなかいいものです。

気取らず楽しめる本格フランス料理

阿さひ
シェフは2002年から左京区で、ビブグルマンにも選定されたフレンチレストランを13年間続けました。生まれ育った地へ移転し、実家のうどん屋も引き継ぎつつ、フランスへ渡って得た経験も生かして、おいしいと自分で納得したフランス料理を提供できるお店をめざしました。そして2015年「うどん屋もありフレンチもやる」という画期的な「阿さひRive gaucahe」を開店しました。
リヴ・ゴォシュにはフランスワインはもちろん、ウイスキーやブランデー、リキュールなど様々な洋酒が揃っています。シェフとソムリエールに聞いて「この一杯」を楽しめます。薬草の風味のとてもめずらしいリキュールなど、ワイン以外にも試してみたいお酒がいろいろあります。
阿さひ
料理は、一つ一つがとてもていねいに作られていて、素材に対する真面目な向き合い方を感じます。その日はおつまみと軽めの一品にしました。おつまみに選んだピクルスは、それぞれの野菜の食感も生かしながら中までしっかり味がして、単調ではないおいしさを感じます。野菜のすごさを改めて思いました。
もう一品は、えびとじゃが芋の料理です。えびとじゃが芋の組み合わせがどんなものかイメージできませんでしたが、オリーブオイルと香草になじんで、これが「出合いもの」になっていい味を出していました。自家製のパンがまたおいしくて、料理のよい相棒です。

合間、合間にシェフやソムリエールの方のワインのこと、お二人とも住んで仕事をしていたフランス郊外のことなど、興味のつきない話も、食事をより豊かにしてくれます。フランスの郊外の家は、広い庭があり料理に使うハーブはそこで摘み、買わない、ヨーロッパは乾燥しているので野菜や果物も水分が少なく固いが、火を通すとすばらしく深い味になるなど、聞きながら、行ったことのない、そのフランスの片田舎の風景が何となく目に浮かんでくるような気がしました。
またフランスでは家具なども含め、生活に必要なものは身のまわりにあるものを生かしているとフランスの暮らしぶりも話してくれました。

料理がよく映えるいい感じの器だったので「雰囲気のいい食器ですね」と言うと「それは彼女が作ったのですよ。ほかにもいろいろ店で使っています」というシェフの答えが返ってきました。ソムリエールで、その上、お店で使える陶器を作れるとは、すごいですねとおどろくと「土をさわっているあいだは無心になれます。その時間がとてもいいのです。何も考えない、頭をからっぽにする時間は必要かなと思います」と言われました。
 
左京区のお店で獲得した「ミシュラン・ビブグルマン」は「費用対効果がよく、価格以上に満足感のある料理」高級レストランではなく気軽に食べられるお店が選定されます。リヴ・ゴォシユはその真価のあるお店です。
シェフと対面する「カウンターのフレンチ」など、緊張するというか、少し気づまりな感じがしそうですが、まったくそんなことはなく、気軽に料理もお酒も楽しめます。一人でも友だちや家族とでも、たまには気前よく、家での食事とはちょっと違う、豊かな時間を持つことを大切にしたいと思いました。

親しみやすく本道を行く得がたい店

阿さひ
フレンチの営業時間に掛けられる白い提灯

シェフは、どんな素材も、ここへ来るまでどれだけの月日と手間をかけ、納品されるまでどれだけ多くの人がかかわっているか、食材やワインをはじめいろいろなものが納品されるがそのうち何か一つ欠けてもだめなのだ、そのことを考え、大切にすること、そしておいしい料理にすることを、スタッフに常に伝えています。その視点で目利きした素材を、信頼できる取引先から仕入れています。それらのことが味に接客にあらわれ、お店の空間が生まれているのだと感じます。
「うどんをフレンチ風にアレンジしたら」などとよく言われるそうですが、そういったことはまったく考えていません。きちんととった出汁とバランスのよい麺、それで完成成立しているあさひのうどんです。フレンチも「渾身のブイヨン、フォン」を使った本格フレンチです。
ビヴ・グルマンに選定されたことはすばらしいことですが、お店のプロフィール的にさらっとふれているだけです。お店を探す時の選択のデータの一つに、といった扱いです。
コロナで休業していた期間に黒だった壁を漆喰で白く塗ったり、カウンターも今の色に塗り替えるなどの作業をおとうさんと一緒にされたそうです。それも含めて「これから店をどのようにしていくのか」を考えるよい機会になったと話されました。
阿さひの折り詰め
ワインセラーを背にして、鯖寿司を作ったり箱詰めをしたり息のあった夫婦二人の仕事が進みます。「あんかけ」用の生姜をすったり出汁を用意していたシェフは、魚をさばき、ブイヨンやフォンの様子をみたり、諸々の下ごしらえや仕込みをしています。奇をてらった「うどんとフレンチ」ではなく、それぞれのおいしいと思う料理でお客さんに喜んでもらう、そこに集約されています。おいしいものをいただくことは幸せなことです。
阿さひet Rive gaucheは、食べることを通して、私たちの気持ちをあたたかくしてくれる、静かな誇りを感じる得がたいお店です。

 
阿さひet Rive gauche
うどん屋「あさひ」 フレンチレストラン「リヴ・ゴォシュ」
京都市上京区千本丸太町上ル東側小山町871
営業時間
フレンチ/平日17:30~22:00、土曜・日曜・祝日11:30~15:00
うどん/11:30~15:00
定休日 フレンチ/不定休、うどん/土日祝

昔からの京の生菓子、 今日も店頭に

「気がついたら今年ももう終わり」と、毎日が過ぎていく早さにおどろきます。
地域の商店街も、決まり事に沿ったお正月用の品揃えを厚くし、ここ一番と力が入っています。おせち料理に注連縄や松飾など、お正月迎えも年々簡略化されている昨今ですが「これだけは外せない」のがお餅です。「正月餅承ります」の堂々とした筆太の文字が師走の気分を高めています。
お正月のお餅はつつがなく今年をしめくくり、すこやかな新年へ向かう暮らしの暦です。
「大福餅老舗」は、創業110年。お餅と、なじみのある生菓子やお赤飯、年中行事に欠かせないお菓子が並ぶ、西陣に根付くお店です。忙しい合間を縫って三代目西井裕さんと敏恵さんご夫妻、息子さんで四代目の一樹さんに話をお聞きしました。お菓子作りに誠実に向き合い、親子でともにお店を盛りたてて来た家族の歴史とものづくりのこころがしっかり伝わってきました。

気持ちのよい売り買いと建物の持つ力

大福餅老舗のおけそく
お店には、お供え用の小さなお餅「おけそく」も毎朝、店頭に並びます。開店は朝8時と早いのは「お供え用のおけそくさんを買いに来はるから」です。年中行事以外にも、日々の習わしがしっかり根付いている地域であることがわかります。
8時にお店を開けるには5時起床です。目覚まし時計がなくても、長年の習慣で自然と目が覚めるのだそうです。こうしたことを大層に言うわけでもなく、ごく普通のことになっているところが、すごいです。
また「みたらしを2本、大福1個でもいいですか」と遠慮がちのお客さんに、敏恵さんは「はい、どうぞ。一個からでけっこうですよ」と、ていねいに答えました。お客さんも気遣いがあり、それに対してお店の、ほっとする答えが返ってくる。そうすれば、お互いに気持ちのよい売り買いができると感じました。
大福餅老舗
大福餅老舗は大正元年(1912)創業、昭和3年(1928)に現在の地に店舗を新築し、移転しました。今の建物は当時のまま、戸棚やショーウインドー、工房と売り場を仕切る格子戸は建築当時のものと、新しいもの両方ありますが、新しく作った格子戸も見事な仕事がなされています。ずっとお世話になってきた職人さんの仕事なのだそうですが、高齢となり引退されてしまったそうです。建具や大工仕事も技術の継承と道具や材料となる木材の確保がますます重要になると感じました。
大福餅老舗大福餅老舗
もち蓋、古い台秤など道具も現役です。三代目は、材料を量る単位は「匁(もんめ)」で教えられたので、今でも匁を採用しています。今ではもう製造されていない台秤は、しっかり手入れされています。お店の奥に石臼の餅つき機が見えます。新しい餅つき機を入れたので今は使っていないとのことですが、現役さながらにきれいです。お店のたたずまいに魅かれるのは、年月を経た趣があることはもちろんですが、このようにお菓子作りの現場や道具を大切にしていることも深くかかわっていると感じました。建物が放つ魅力は人とともにあるということを教えてくれました。

四代目が開拓した新たな看板菓子

三代目西井裕さんと敏恵さんご夫妻、息子さんで四代目の一樹さん
四代目の一樹さんとお母さんの敏恵さん
三代目西井裕さんと敏恵さんご夫妻、息子さんで四代目の一樹さん
三代目の西井裕さん

製菓学校で学んだ一樹さんが、四代目としてご両親と一緒に仕事をするようになってから、いろいろな面で新しい展開が生まれています。
まずカステラができました。底についている紙を慎重にはがすと、焦げ茶色の生地とザラメがあらわれます。これはカステラを食べる時のお楽しみです。てらいのない素直な味が好ましく、安定した人気で常連さんも少なくありません。掛け紙のセンスもよく、西陣のイメージにつながる糸巻きの図柄と「かすてら」の書き文字がよく調和しています。気のきいた手みやげにも重宝しそうです。この、かすてらの文字は四代目の手書きと聞き、取り組むことの幅の広さにも感心しました。
1回に焼けるカステラは20個ということで、品切れにならないように気をつけているそうですが、それでも「ああ、残念」というお客さんもあります。「西陣の手みやげ」の定番になることでしょう。
大福餅老舗

大福餅老舗
一級技能検定試験の課題のお菓子

Pay Pay も早くから導入し、利用する人は多いと聞きました。四代目を頼もしく感じながら、自分たちも今の持ち場をしっかり守っている三代目夫妻の存在も光っています。ショーウインドーにつつましく置いてある工芸菓子は、一樹さんが和菓子の「一級技能検定試験」を受験した時の試験の課題です。毎日家で一生懸命練習し、見事合格されました。
「作ってから何年もたって、色も変わって割れたところもあるけれど残してある」と敏恵さんは思いのこもった言葉で語りました。二世代で、職住一体の老舗の屋台骨を支える大福餅老舗のこれからの展開に明るさと可能性を感じました。

季節と紋日が生きる西陣に根を張る

大福餅老舗
これからの毎日は「正月餅」で大忙しの毎日になります。鏡餅の形をした半透明のケースは、お餅がひび割れたりかびたりせず、長もちするというすぐれものです。このように新しく良いものは素早く取り入れる経営感覚にも注目しました。そしてケースに入れた後に、もう一度蒸すというていねいな仕事に職人としての姿勢を感じます。
大福餅老舗
今は正月餅中心の時期であり、店頭に並ぶお菓子の種類も一番少ない時です。「いつもはもっと、いろいろ並んでるんやけど、今はほんま一番少ない時やから」と敏恵さんはとても残念そうでした。そう言ってくれる気持ちもとてもよくわかるし、うれしく思いました。「京都は少なくても月に一日は紋日があって、決まったお菓子がある」と聞き、改めて暦や年中行事とお菓子は深く結びついていることを感じました。
12月に入ったばかりの時、お火焚きまんじゅうがあったので「今日はありませんか」と聞くと「あれは11月のものやから。まあ12月の頭くらいは作ってたけど」という返事に深く納得しました。お二人が季節ごとのお菓子を教えてくれました。もう少し早く来たら「栗赤飯があったのになあ。うちの作り方はお米とお米の間に栗をまるごと入れる。そうすると栗の甘みがごはんに移ってほんまにおいしい」と力を込めて話してくれました。それはぜひとも、来年を楽しみに1年待つことにします。

大福餅老舗
栗入りではありませんが、通常のお赤飯はいつも店頭に

また、年末はもちろん超多忙ですが、今宮神社のお祭と重なる端午の節句あたりもとても忙しいそうです。またお盆の五日間は朝四時起きとなるとのこと。十五日にお供えする糯米だけを蒸した「白むし」はおいしいと評判で、お供えだけでなく食卓用もつくるとのことでした。また食べたい人のために十五日だけでなく、前後の何日かは「白むしあります」となるそうです。定番のお赤飯は、色合いもやさしく、糯米のおいしをしっかり感じます。小豆はふっくら大粒です。白むしもさぞ、と思います。
お店の名前にもなっている大福はむだのない、きれいな動きに見とれてしまいます。この大福は技術だけではなく、誠実な仕事を日々重ねるなかで生まれる形でありおいしさです。

雅な京都の本筋、底流は大福餅老舗のようなお店の存在がになっていると感じました。京都の奥深さはこうした地域の暮らしを支ええている商店街の営みにあると思います。
年が明け、店頭にうぐいす餅や桜餅、桜もち、よもぎ餅、花見だんご等々彩も豊かに並んだ時にまた訪ねます。来る年が平和でお明るいとしになりますようにと願い、今年の京のさんぽ道で出会ったみなさん、お世話になったみなさんにお礼申し上げます。

 

大福餅老舗(だいふくもちろうほ)
京都市上京区千本通寺之内上る西五辻北町439
営業時間 8:00~18:00
定休日 おおむね月曜(月によって異なります。事前にご確認ください)

老舗の文具店 目印は真っ赤なトマト

学校の近所には必ずと言っていいほど文房具屋さんがありました。いい匂いのする消しゴム、かきかたえんぴつ、キャラクターのついた筆箱、おしゃれなシャープペンシル、ノート。そこにはたくさんのほしいものと、子どもたちとお店の人との他愛もない会話がありました。
そういうお店は今はめずらしくなってしまったなと思っていたら、ありました。店頭の真っ赤なトマトとイタリアンレストランのようなチョークアートの看板に引きつけられて行ってみると、ノート一冊、えんぴつ一本を、気兼ねなく買える「まちの文房具屋さん」です。中央卸売市場の近くで80年間お店を営む「マエダ文具店」の前田幸子さん、娘さんの小川知亜妃さんと夫の茂樹さんに話を伺いました。

夏休みの宿題解決の味方です

マエダ文房店
暦は立秋となり、早やお盆を迎えました。お墓参りやお供えのあれこれや、お盆の間の精進料理の決まりの献立を守っているお家もあることでしょう。夏休みも後半、そろそろ宿題や自由研究など、気になる頃でしょうか。
取材に伺った時も、小学生が小さな財布を握りしめてやって来ました。母親の幸子さんは「工作の材料や画用紙とかよく出ます。学校が始まる間際は、もう、ばたばたです」と笑いました。焦っても片付かず、親の手助けで何とか仕上げた思い出のある人もけっこう多いのではないでしょうか。そのあたりは昔も今も変わらないようです。
マエダ文房店
夏休みの宿題のかけ込みもありますが、たとえば便せんや封筒など「ここにあってよかった」と、ほっとしたお客さんに喜ばれています。「ノート一冊、鉛筆一本を買ってくれはる近所の方に来てもらって店が続いています」という言葉に「あってよかった」と思ってもらえる地域のお店としての筋を感じます。
以前は、子どもたちが登下校の途中に学用品を買うことも多く、朝は8時に開けていたそうです。今は集団登下校となりましたが「友だちと同じものを使いたい」「だいすきなキャラクターグッズがほしい」など、お目あてをさがしに来る子どもたちの、お楽しみワールドに変わりありません。

野菜の廃棄ロスを減らす野菜販売

マエダ文房店
手書きの看板や赤いトマトが印象的なマエダ文具店ですが、店内は創業80年の老舗のどっしりした構えに安心感があります。近くに中央卸売市場があり、そのなかの仲買さんとも古くからの取引が続いています。伝票、封筒、ハンコなど細々した事務用品を引きうけ、配達しています。

「赤いトマトを売っている文具店」として定着した野菜の販売は、知り合いの仲買さんから「サイズが揃わないなどで廃棄処分される野菜のなかには、食べる分には何のさしさわりのないものがたくさんあります。それを売ってほしい」と依頼されたことが始まりでした。
「文房具屋で野菜を売るのもなあ」という気持もあったそうですが、始めてみるとお客さんに喜ばれ、今では遠くからでも「箱買い」する人もやってくるそうです。今では、トマトと文具店は違和感なく「定番」となっています。トマト以外に、京野菜の万願寺唐辛子など扱う種類も増えてきました。
梅小路公園
近くには休日は多くの家族でにぎわう梅小路公園があり、帰り道に偶然、マエダ文房具店のトマトを見つけ、それが口コミで広がっているそうです。また、茂樹さんがこまめに発信するSNSを見て買いに来る人も多く、口コミとデジタルという両方の伝達手段で広がっているのは、理想的です。ことに口コミは、商品とお店の対応がよくなければ広がりません。
フードロス問題
この野菜販売から、いろいろなことが見えてきます。新しいチャンスを広げるきっかけになったのは、地元でもある中央卸売市場の仲買さんとの長い付き合いがあったこと、その販売が食品ロスを減らす、現代の社会に求められている課題解決につながることです。普段の売り買いが、本質的なことにつながっています。地域のみなさんから頼りにされるお店の大切さを改めて感じました。

新鮮な視点を生かした新たな展開

マエダ文房店
とても仲が良い前田さんファミリー

マエダ文具店の魅力は、伝票や帳簿など「伝統的」な事務用品や、子どもたちの学習帳、鉛筆など文具店としての基本がきちんと揃っていること、そして人気のキャラクターグッズや雑貨など、今求められているアイテムもセンス良くディスプレーされていて、双方のバランスがいいことです。
知亜紀さんは「かわいいな、置いたら店のなかも明るくなっていいだろうなと思う文具は、対象が中・高校生です。今はその中・高生が少なくなっているので、なかなか仕入れも難しくて」と語り、母親の幸子さんも「ボールペン一つとっても、どこそこのメーカーがいい、今度出た新しいのがほしいとか、ちゃんと指定されます。メーカーも競うようにして新商品を出しますしね。今はSNSなどで情報がすぐ伝わるので」と続けました。
マエダ文房店
そういった悩みはあっても、店内は「さすがに創業80年の文房具店と思わせる風格と、白木のをうまく配置したセンスのよいディスプレーに気持ちあがります。担当は茂樹さんです。きちんと計測して木の棚も自作し、全体のレイアウトもかえました。店内に飾られた絵も、名実ともにお店の看板となった、トマトのチョークアート、野菜売り場の干支看板も茂樹さんの作品です。「広くなった、きれいになった」とお客さんからも好評です。
マエダ文房店
またこれまでのように文具だけの品ぞろえでは大変なので、文房具店にもなじんで、喜んでもらえるものをと考え、駄菓子コーナーもできました。お店に入ってすぐのところにある、たくさんの駄菓子は子どものみならず、親御さんも、目がきらきらして「こんなん、どうや」と楽しんでいるそうです。親子のコミュニケーションにも一役かっています。
知亜紀さんは「私はこの家で育ったので、これはここに置くとか、どうしても今までと同じようにしか思いつかないのですが、夫はそういった先入観がないので、新しいことをやって、できあがったのを見て、なるほどなあと思いました」、幸子さんも「若い世代の人は考えることが全然違いますわ。野菜や駄菓子を売るようになるとは思っていませんでした」と、話してくれました。
ご本人の茂樹さんは、いたって自然体で、おだやかに「インバウンドの頃は。近所にゲストハウスが何軒もあって外国からの観光客が多かったので、おみやげにちょうどいい、京都や日本を感じられる手ごろな商品も置いていました。野菜や駄菓子、雑貨などが多少なりともそこをカバーしてくれています。トマトを置いたことで若い人も来てくれるようになりました」と話してくれました。
マエダ文房店
知亜紀さんが店を手伝い始めて8年、茂樹さんは4年たちました。文房具店としての基本はしっかり受け継ぎ「なんでトマトを」と言った時期から「真っ赤なトマトのある文房具屋さん」は、多くの人に親しまれ、知られるようになりました。
取材中にもトマトを買う人、おにいちゃんの誕生日プレゼントを選びに来たり、また「金封の白黒と黄白の水引はどう使い分けたらいいのですか」というお客さんなど、次々やって来ました。マエダ文具店は今年創業80年を迎えました。今、業種にかかわらず商品の値上げが続いています。このような厳しい環境も、80年間、地域で生業を継続してきた底力と新しい視点での変化を成功させた3人のチームワークで「地域の文房具店」としてともしびを灯し続けていくと実感しました。

 

マエダ文具店
京都市下京区七条壬生川西入夷馬場町35
営業時間 月曜~金曜9:00~19:00/土曜10:00~18:00
定休日 日曜、祝日

自然の恵みぎっしり 正直なパン

大徳寺の近く、新大宮商店街の一画にあるパン屋さんは、釣り竿のかわりに麦の穂をかついだ、えびすさんの看板が目印です。
レーズン酵母を自家培養し、国産小麦と沖縄の塩、湧き出る清水のような水だけで、ゆっくりゆっくり時間をかけて作るパンは、独特の香りと噛みしめるほどに感じる豊かな味わいにおどろきます。大切に「育てる」ようにして作るパンを「パンたち」と慈しむように語る、今年で開店満20年の「えびすやのパン」藤原雄三さん、嘉代子さんの、仲睦まじいお二人に話をお聞きしました。

サラリーマン時代からあたためていた夢

えびすやのパン
藤原さんは、サラリーマンだった時、定年後の第二の人生をどのように生きていくかを模索していたと言います。環境汚染やアレルギーの子どもが増えるなど、様々な問題が起きていました。そして「これからはスピードや大量生産を競うのではなく、もっとゆっくり時間をかけて安全安心の食生活を大切にし、自然の恵みをいただくことに感謝する時代に、きっとなる」と感じたそうです。
だれもが安心して食べられる安全な食品が大切だと考え、無農薬の農業をやろうと思い立ちました。ところが嘉代子さんに相談すると、賛成してもらえませんでした。なぜか「虫が苦手やから、ちょっとなあ」ということで農業は断念し、では何かと考えた時にひらめいたのがパン作りでした。
えびすやのパン
それからは独自に研究を重ね、あちこち材料をさがし、多くの素材を試し研究しました。そのなかで出会ったのが現在も使い続けている「北海道産小麦はるゆたか」「天然のおいしさの回帰水」「ミネラル豊富な沖縄の粟国(あぐに)の塩」です。そして培養するレーズン酵母は4日ほどかけて発酵させ、液をしぼり、小麦粉をまぜて約一日おいて天然酵母となります。

えびすやのパンは、このように小麦粉、水、塩、レーズンの4つの材料だけで作られています。「レーズン酵母、小麦粉、水、塩はそのままでは食べられないが、それぞれの特徴を引き出して、人がちょっと手助けをしてやればパンに生まれ変わる。素材も人もお互いに生きている。ゆっくりした時間とはこういうことだったのか」と、10年くらいした時、パンを作りながら、ふと気がついたと語ります。
「それは一生懸命作ってきたからこそ、そこに到達できました」と続けました。雄三さんのパン作りは、生き方や人生に対する考えそのものです。

「長く続けて」とお客さんからの声援

えびすやのパン
えびすやのパンがある新大宮商店街は、大徳寺の近くにある南北に長い商店街です。西陣織の伝統産業に携る職人さんの日々の暮らしを支えてきた商店街として、今も多くのお客さんが来やすく、世間話をする光景をよく見かけます。
えびすやも、おなじみのお客さんが多く「がんばって長く続けてや」と声援が送られています。あかちゃんのいる若いおかあさんからも「安心して離乳食にできる」と喜ばれています。
えびすやのパン
雄三さんは「パンたち」を作る時、いい子や、いい子や。おおきに、ありがとう」と声をかけていると言います。条件を整えてやれば、ちゃんとふくれてくれる、いい子たちなのです。「たまに手順や発酵の時間を間違えても、ちゃんとふくれてくれる。そういう時は、こっちのミスをカバーして、ふくれてくれて辛抱強い子やなあ。おおきに、おおきに」と、自然に感謝の気持ちがわいてくると続けました。
安全安心の素材との共同作業です。「発酵のスピードなど、その日その時によって違う。同じことはない。いつも違って難しいから、ものづくりはおもしろい」と、本当に楽しそうな表情です。
えびすやのパン
雄三さんは、今年の1、2月に入院しお店を休みました。退院後の静養中もいろいろと思案をめぐらせ、研究しました。これまでは仕込んだ次の日の朝に必ず焼かないとならないと思ってやってきましたが「一日冷蔵庫でねかせたらどうなるか」とテストをし、その結果「ちゃんと焼けた。うちのパンはすごい。ありがとう」という結果を得ることができました。
冷蔵で休んでもらう一日ができたことにより、体がとても楽になったそうです。「作っていける期間が伸びたかなあ」と、お客さんとの「長く続けて」という約束も果たせるでしょう。
えびすやのパンのレーズン食パン
今、原材料費が高騰しています。ことに酵母にもレーズンパンにも使っているカルフォルニア産のレーズンはすさまじい高騰が続いているそうです。仕入れ分が終わった時、どうするか。大変な難題が突き付けられています。雄三さんは、サイズを小さくしたりレーズンの量を減らすことはしたくないと、その点ははっきりしています。価格の変更は止むを得ないけれど、高くなった値段でお客さんはどうかなど、いろいろと考えています。
今、あらゆる食材の値上げや内容量を減らすなどが始まっています。こういう時こそ、作り手、売り手、そして私たち消費者が協同して乗り越える時だと思います。えびすやのパンもきっと、雄三さん嘉代子さん二人と、お客さんの歩み寄りで解決していけると感じています。
えびすやのパン
余った生地で作るかわいいパンをいただきました。わずか4センチ足らずの極小サイズながら、ちゃんと「あんぱん」です。食玩ではないのです。「ちびちゃん」と呼ばれて子どもたちにも人気です。ここにも、材料は無駄せず、あそび心を感じるパン職人としての雄三さんの気質が垣間見られます。

パンは夫婦二人からのメッセージ

えびすやのパンえびすやのパンのショップカード
えびすやのお店は、以前5年ほどパン作りを手伝っていた方が描いた、気分が明るくなる花の絵が飾られ、カウンターのショップカードや小物もかわいらしくディスプレーされています。嘉代子さんのやさしい雰囲気を思わせます。窓際にパンが並び、小さなカウンターの向こう側は、さえぎるものはなく、そのまま厨房になっています。オープンキッチンではあるのですが、こんなにオープンな店舗兼厨房は他に例を見ないのではと思うほどです。
えびすやのパン
最初からオープンキッチンにしたと思っていたかをたずねると、きっぱり「最初からです。小麦粉の袋、生地をこねる様子、大きなオーブン、すべてを見て知ってほしいと思っていたので。見られて困ることも、困るところも一つもありません」と堂々とした答えがかえってきました。
利益や効率を優先したら、自分が思っていることとは違ってしまう。開店した時からのこの覚悟と言うか、信念があったからこそ、4つの素材だけのパンを世に出すことができたのだと思いました。「やっていることは利益や効率最優先とは、真逆のことやから」と優しい口調できっぱり語りました。雄三さんの手の指は太くがっしりしていて、長年生地をこねてきたことにより、力の入る方向へ曲がっています。この手が20年間、えびすやのパンを作ってきたことを何より雄弁に物語っています。
「えびすやのパン」藤原雄三さん、嘉代子さん
今、お二人は「第三の人生のステージ」をどうするか相談しているのだそうです。できるだけ長くの声に応えてがんばるけれど、いつかは第2ステージも終幕になる。それはさみしい、悲しいことではなく、次の新たなスタートになるのです。
雄三さんは「安心して食べられるパンで、みんなに喜んでもらえて、第2の人生の選択はまちがっていなかった」と何回か口にされ「パンは夫婦二人のメッセージやなあ」と続けたのです。その確かな実感を持って、第3の人生を話し合っているのだと感じました。「えびすや」の名前は嘉代子さんの旧姓「胡(えびす)」からとったとのこと。このお店へ来た人がえびす顔になり、パンを食べてまたえびす顔になる、そんなイメージがわいてきます。
お二人の写真を撮らせてくださいとお願いした時、けがをして歩行が少し不自由になった嘉代子さんに何度も「ゆっくり来たらええから、ゆっくり」と声をかけていました。その姿は夫婦であり、まさにえびすやのパンの同志でした。奇をてらわず、おもねず、正直に焼くパンが、これからも多くの人の心も体もやさしく健やかにしてくれることを願ってやみません。

 

えびすやのパン
京都市北区紫野門前町45
営業時間 9:00~
定休日 日曜、月曜、木曜

築94年の町家 お茶を商い百余年

京都府内のお茶どころでは、茶摘みが終わり、今は加工製造や茶畑の手入れと引き続き忙しい日々が続いていす。「新茶入荷」のぼりや鮮やかな墨文字の張り紙に、もうそんな季節になったと気づかされます。

上京区に、つつましく端正なたたずまいのお店があります。創業から100年を優に超えてお茶を商うでお店です。建物も茶壷や棚も引き継ぎ、母娘で「清水昇栄堂」を守っています。
代表の清水和枝さん、娘さんの内藤幸子さんのお話は、静かで優しい語り口のなかに、京都のまちなかで商いを続け、家を守ってきた家族だからこその内容で、引き込まれずにはいられませんでした。

93歳、現役で店を切り盛り

清水昇栄堂
清水昇栄堂は創業時は別の地に店舗があり、94年前に現在の町家が建てられ、移転されたそうです。「父方のおばが生まれた年に建てられたそうなので、この家とおばは今年94歳の同い年です」一世紀近い築年数の伝統的な京町家も、こんなふうに語られると、重々しさより、家も家族のようなほほえましさを感じます。
清水昇栄堂
店内へ入ると急須、湯飲み、お茶缶、抹茶茶碗、茶せん等々、お茶に必要なものがすべて揃っています。なつかしさを感じる急須もありました。おばあさんがいるお家にはたいてい「萬古焼(ばんこやき)」の急須がありました。うわぐすりをかけてない、少し紫をおびた薄茶色あるいは薄墨色のような地肌をしています。三重県で生産され、丈夫なことと土に含まれている成分によって渋みが抑えられるのが特徴ということです。また鮮やかな朱色の急須は「常滑焼」です。
愛知県の常滑で作られていて、こちらも、うわぐすりをかけない焼き方で、陶土にお茶の雑味などが吸収されて、まろやかでおいしいお茶が飲めるのだそうです。

急須のそそぎ口にビニール製の保護キャップがかぶせてありますが、これは「持って帰らはる時や送る時に欠けないようにするためのものなので、使う時ははずします」と言われました。使う時に欠けないように保護のために付けてあると思っている人も多いようです。次々とお聞きするうちに、母親の清水昇栄堂代表の和枝さんも話に加わってくださいました。

清水昇栄堂代表の清水和枝さん
清水昇栄堂代表の清水和枝さん

「私は93歳。21歳でこの家へ嫁いで、その時からやから、もう72年もお茶を売ってます」と話す笑顔がすてきです。「お茶は日本全国たくさん産地があるけれど、うちは宇治茶だけを扱かってます。お茶も急須もみんな長く取引きしているところばかりです」と、ぶれることなくお店を続けてきた人の重みを感じる言葉です。ご主人は「お茶は斜陽産業やから」と言って、幸子さんに跡を継いでほしいとは言わなかったそうです。しかし早くに亡くなられ、和枝さん一人でがんばっていましたが、幸子さんもやがて通いで手伝うようになったということです。平坦なことばかりではない年月も過ごされてきました。幸子さんも「母は本当にしっかりしています。私が近所へ買い物に行っている間は一人で店を見てくれています」と感心の面持ちで話すのが、母娘の細やかな気持ちの通い合いが感じられて、こちらもあたたかい気持ちになりました。
二人がかもしだすやさしい、おだやかな雰囲気がお客さんにも伝わっているのだと感じました。

昔の道具博物館のようです

清水昇栄堂

清水昇栄堂
「茶 清水」の文字が見えます

仕事に使う道具の類はさておき、よくきれいに残してあったと感心する歴史の証しもあります。見せていただいたのは、出町枡形と下鴨までの範囲の120軒のお店が一同に並んだ昔のチラシです。「明治廿七年十月改正」と記されているので初版はもっと前ということになります。昇栄堂にはチラシとして配布された和紙に印刷されたものが額に入れられ保存状態もよく残されています。
非常に興味深かったのは「支度、走り、棒、かもじ」などというお店があることです。棒は担ぐための棒、支度は特別な衣装に着付け、走りは文字のごとくひとっ走りものを運ぶ仕事ではと、お二人は推測していました。
昭和の終わり頃に復刻印刷されたものも見せていただきました。昇栄堂と黒々と書かれた名前があります。今も残っているのは3軒だけです。前述したようなお店は暮らしそのものが大きく変化し、当然消えゆくところもあるわけですが、昇栄堂がそのなかで建物だけではなく、家業も息をつないでいることは、本当にすごいことと改めて感じました。

清水昇栄堂
箕を手にした内藤幸子さん。後ろには年季の入った茶壷や茶箱が見えます。

お店の造りはもうめずらしくなった「座売り」の形式です。そしてまた重ねてすごいのは、大きな茶壷や茶箱、棚や引き出しもすべて今も使われていることです。和枝さんは「お茶は熱と湿気に弱いので、茶壷の中にさらに容器がある二重式になっていて、気温を25度以下に保つために前は「室(むろ)」へ入れました。生鮮食料品と同じです」と話されました。
またふるいや和紙を張った箕は、お茶の葉にまじった細かい粉を落とす時に使うそうです。おもりをつけて量るはかりも狂いはないそうです。少なくなったとは言え「お茶は急須でいれる」お客さんとも、長いお付き合いがあります。きちんとした仕事で細く、長く、という京都の商いの原点をみた思いがしました。

元気にやれるうちはがんばります

今も残る史跡、大原口道標
江戸時代、寺町今出川は大原口とよばれ今も道標が残っています。

お店のある寺町今出川付近は、昔は大原へ続く「大原道」の交通の要衝でもあり大いににぎわった地域でした。今も出町枡形商店街と鯖街道の縁をつなぐ企画など、地域あげてがんばっている魅力のある商店街です。
この京のさんぽ道でご紹介しました「いのしし肉の改進亭」も昇栄堂のすぐ近くです。すでに商売はたたんでいますが「傘」の看板が今も残る商家「貸布団」の看板、営業を続けられている理髪店など暮らしを支えてきた街道筋の商店の面影を残しています。

元傘屋さんの町家
元傘屋さんの町家

清水さん母娘は「もう、次の世代に継がせるのは無理ですね。お茶を飲む人も本当に少なくなりましたし。私たちにしても暮らし方はいろいろ変わりましたから、これまでと同じようにはいきません」と明るく仕舞う時の来ることを心に置いています。はたから見て「もったいない。なんとか続けられないのかな」「だれか受け継いでくれる人が出てこないかな」などと簡単に口に出せないことだと思いました。
でも、いつも飲んでいるお茶を指定して訪れるお客さんも何人もいて「ここがあってよかった」と喜ばれています。続けてほしいと思う人がいることは励ましになっています。
清水昇栄堂
建物や景観と生業は京都の重要な課題であると思います。当事者でなくても、それを何らかの形で享受してきた私たち一般市民はどう考え、何かできることがあるのか。これからも考えていきたいと思います。
惜しくもなくなる生業や建物があっても、それまでつないできた仕事や家族の様子を、この京のさんぽ道という、小さなブログの領域であっても大切に描き続けていこうと思いました。

 

清水昇栄堂
京都市上京区寺町今出川上る表町37
定休日 日曜、祝日

ふたりで営む喫茶店 42年たちました

長岡京市の中心部から少し離れた住宅街に「京都スタイル」という形容がふさわしい雰囲気の喫茶店があります。サイフォン式コーヒーの味わいと心のこもった応対で、多くの人に「喫茶店で過ごす心地よいひと時」を提供し続けています。「コロラドコーヒーショップ マサヒロ」は今年で開店42年を迎えます。
蝶ネクタイがピシッと決まっているダンディなオーナー、マサヒロさんと、おかあさんのようなほがらかさが魅力の奥さま、メグミさんに話をお聞きしました。

コーヒーと京都へのあこがれが出発点

コロラドコーヒーショップマサヒロのご夫妻
マサヒロさんは京都にあこがれてふるさとの徳島からやって来ました。「70~80年代の京都はおもしろかったですね」と語ります。アニメやマンガが若者文化として広がり、伝説のライブハウスが元気で、雑誌や広告が華やかな時代でした。長い歴史と伝統の上に、新しい文化を取り入れていく進取の気風も旺盛で、そのなかにコーヒーと喫茶店もありました。
マサヒロさんは、もともとコーヒー好きだったことから、京都のコーヒー文化広げ、本格的なコーヒーが飲めるコーヒーショップを牽引した「ワールドコーヒー」の北白川本店で仕事をしました。白川通りのけやき並木と天井が高いガラス張りのこの本店は、京都の老舗喫茶店の代表の一つです。
コロラドコーヒーショップマサヒロ
はじめから開業を決心し経験を積み、1981年自らの名を付けた「コロラドコーヒーショップ マサヒロ」を長岡京市に開店しました。当時の長岡京市は、京都市内はもとより、大阪への通勤圏として人口が急増している時期でしたが、ほかの都市にもみられるように、今は子育て世代よりもシニア層にあたる人の比率が高くなっています。それでも、近くに小学校と中学校があるため、店の前を通る小学生や中学生の姿にほっとし「地域のなかにある喫茶店」であることを思い起こさせてくれます。
コロラドコーヒーショップマサヒロ
7時30分の開店早々から、電話でコーヒー豆の注文が入り、モーニングメニューで一日をスタートするお客さんもやって来ます。カウンター席に座ると、マスターがサイフォンでコーヒーをいれる様子が目の前に見え、待つことも楽しい気分にさせてくます。マスターのコーヒーをいれる様子は「所作」という言葉が浮かぶ、流れるような動きです。きちんと並んだカップやグラスの棚を背にして立つ、蝶ネクタイのマスターの姿はさすが絵になります。朝の一杯のコーヒーから、それぞれの一日が始まります。

いつも一生懸命のおいしいメニューと空間

コロラドコーヒーショップマサヒロのランチ
厨房は奥様のメグミさんの担当です。モーニングセットもランチメニューも、一切手抜きということをしない、おどろくほどの充実ぶりです。サラダも野菜の量と種類がしっかりあり、ランチの定番カレーとオムライスにはサラダのほかに「おかず」が2品も付いているなど、はじめてなら思わず声をあげてしまう豊富な内容です。朝は「今日も気持ちのいい日になるといいね。行ってらっしゃい」、お昼は「午後から、もうひとがんばりやね」と励ましてくれるメニューです。
コロラドコーヒーショップマサヒロのインスタグラム
メグミさんはインスタグラムでメニューや店内の様子などを@coloradomeguchanで日々発信しています。これは「コロナに負けたくない」と2018年の秋から始めました。フォロワーが200人になった時はその記念に、感謝をこめて、上にケチャップで「200」と書いたオムライスをアップしました。こういう、くすっと笑えるほほえましいセンスもすてきです。
また「コロナで時間ができたから」と、カウンターのスツールのカバーやテーブル席のクッションを生地選びから縫製まですべて自らの手で作りました。柄や色あいもすてきで格調を感じる店内によく調和しています。

コロナの影響でだれもが不安を抱え、気持ちが暗く落ち込みそうになる時、メグミさんは少しでも先に向かって切り開いていこうとしました。このお店とお客さん双方が明るい気持ちになって今を乗り越えられるようにという思いでした。欠くことのできない最高の同士です。たまにマスターと「言った」「聞いてない」で、ちょっとした応酬がありますが、それもすぐに通常の状態にもどる「けんかするのも仲がよろしい証拠」とみえます。42年間一緒に積みあげてきたことの厚みを感じます。

コーヒーと文化が香る得がたいお店


ゆったり広々した店内は、カウンターと4人がけ席のほかに、ソファーと長テーブルの席、入口の近くにはテラスかサンルームのようなコーナーなど、一つの店内とは思えない個性の席があります。
コーヒーの収穫の様子を描いた銅のレリーフ、ワールドコーヒー時代から使っているコーヒー豆の缶、食事を出してなかった頃に使っていた狭いテーブルを重ねて作った衝立など、お店の隅ずみまでお二人の思いが表現されています。それぞれがまだお店に存在する現役なのです。
また珍しい実をつけたコーヒーの木は、娘さんのホームステイ先のカナダのホストさんが京都へ来られて1か月半も一緒に過ごした時に、お礼と記念にとプレゼントされた苗木です。その若苗がりっぱに成長しました。
コロラドコーヒーショップマサヒロ

コーヒーの実
喫茶店はセルフ式のチェーン店が増え、このような個人のお店は少ない現状のなかで、どうしたら42年間も継続できたのか、すごいとしか言いようがないと思いましたが、今回の取材で少し感じたことがありました。
それは、お店にあるものそれぞれに物語があり、その思いのこもったものたちを大切にして、ものにも心があるように一緒にお店をつくってこられたのだということです。そしてこういコーヒーショップが近くにあってよかった、うれしいと思うお客さんが大勢いるということです。

お店の前のプランターで育てたビオラの花を飾ったテーブルに明るい季節を感じさせてくれます。つばめも毎年、巣をつくるそうです。
つばめが巣をつくると幸運がやって来ると言います。お二人のお元気でお店を続けられることをお祈りしています。

 

COLORADO COFFEE SHOPマサヒロ
長岡京市今里北ノ岡18―5
営業時間 7:30~17:00
定休日 日曜、祝日