この場所と コーヒーとアンティーク

霜が降り、水たまりが凍っている今年の京都の冬です。しばらく前のこと、通りがかりに古びたがっしりした建物が目にとまりました。大きく「COFFEE」とあります。先日、近くに行った時に思い出し、ずっと気になっていた建物まで行きました。
そこはコーヒーの焙煎所とアンティークの雑貨や食器が一緒になった、住んでいる人の思いがやどる「だれかの家」のようなお店でした。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ドアのガラスにはWIFE&HUSBANDに続きDAUGHTERとSONの文字が見えます。「妻と夫」「娘と息子」という、まっすぐな名前に深い思いを感じます。オーナー夫妻の家族との日々も映し出された、かけがえのない空間です。
2015年に賀茂川のすぐ近くに自家焙煎のコーヒー店WIFE&HUSBANDを開いてから1年半たった頃、大きな焙煎所とアンティークが一緒になった空間としてオープンしたROASTERY DAUGHTER /GALLERY SONです。コーヒーの香りとともに、季節や時間によって、差し込む光が変化するゆるやかなひと時を送ってくれます。

 

古いビルが生きる焙煎所&アンティーク

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
新たな夢をかなえる焙煎所に適した場所をさがしていたオーナー夫妻が、やっと見つけたのが現在のビルでした。自然を身近に感じる賀茂川畔のお店とはまったく違う街中の古びたビルでしたが二人で「ここだ」とすぐに決めたそうです。
車が頻繁に通る堀川通に面していますが、落ち着いた雰囲気はそこなわれることなく存在感があり、周囲とも調和しています。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
お店の1階はコーヒーの焙煎と豆の販売、2階はオーナー夫妻がこつこつ集めてきた多くのアンティークの食器や雑貨、ビンテージの洋服がwife&husbandの物語を紡いでいます。
そこに集められたものはフランスの19世紀から20世紀初めの食器や小物、そして日本の文房具や暮らしの道具など洋の東西を問いません。丹念にガラスペンで書かれた古いノートの文字の美しさにおどろいたり、反物の端に付ける下げ札の先端の、針より細いくらいのこよりにも、昔の人の手先の器用さに感服したり、あっと言う間に時がたちます。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
窓辺や壁、天井と、あらゆる空間に国の違いを超えて、人の手が作り、人が使ってきた時を刻んだもののあたたかさやおもしろみを感じます。
毎日の暮らしのなかで、元の使い方と違うものに転用するも楽しいでしょうし、何かに使うという目的がなくても眺めているだけで、気持ちをあたたかく包んでくれそうな気がします。時を経て今もあるもののよさを感じることができる空間です。

 

つくろいながら使い続ける

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONの金継ぎ
販売している古い食器や雑貨には時々「金継(きんつぎ)」が施されているものがあります。これはスタッフの方がされていると聞き、本当に古いものを受け継ぎ、すきになってくれるだれかに手渡す仕事をされているのだと感じました。
日本でも少し前までは、つくろい物をする夜なべ仕事が、ごく当たり前のこととしてありました。ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONは、つくろいながら使い続ける暮らし方を思い起させ、そのことはそんなに難しく考えなくてもよい、自分が心地よいと思えることでいいのだと応援してくれている気持ちになります。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
1階にもアンティークの小物が前からそこにあったようにたたずんでいます。最新の焙煎機とともに、コーヒーの麻袋やアンティークがある風景は、始めて来た人にもおなじみの気安さを感じさせてくれます。
海外からのお客さんもゆっくりと滞留しています。きっと心に残る日本の思い出になることでしょう。

 

お店をみんなで育てている

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ビンテージの雰囲気のユニフォームが似合い、自然な笑顔がすてきなスタッフさん。何か聞いたり、商品をじっと見ていた時に、スタッフの方みんなが的確に答えてくれたり、声をかけてくれたことがとても印象的でした。
みなさん、本当にこのお店が好きで大切にしていることが伝わってきました。コーヒー豆を選別し、お客さんを迎え多くの古いものの様子を確認しながらの毎日を尊く感じます。

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
焙煎前、焙煎後と2回行うコーヒー豆の選別

賀茂川畔のwife&husbandと次に生まれたROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON はこれから、スタッフのみなさんと一緒に育てる家のようです。これからもゆっくりと通いたい空間でした。

 

ロースタリー ドーター/ギャラリー サン
京都市下京区鍵屋町22
営業時間 12:00~18:30
定休日 不定休(ウェブサイト営業カレンダーでご確認ください)

うどんと 本格フレンチが一軒に

時雨模様の寒の内、あたたかい湯気が恋しくなります。千本丸太町に70年以上続くうどん屋さんがあります。しっかりとった出汁と細めの麺。京都らしいうどんです。
大改装を経て「うどんとフレンチのお店」に生まれ変わって8年。その間熟成されてきた心地よいお店の雰囲気を感じます。平日のお昼はうどんや丼物、夜と週末は本格フレンチとワインでゆっくり過ごせる得がたいお店です。

カウンターと蝶ネクタイ

阿さひのきつねうどん
うどん屋はシェフの実家です。ご両親が元気に切り盛りしています。繁華街の喧噪から少し離れた千本丸太町という立地にも、この新しいスタイルがしっくりなじんでいます。
付近は、かつて平安宮の中心地で、大極殿跡とされています。西陣織など伝統産業にかかわる人の住むまちで、個人商店や会社も多く、活気にあふれていました。今はマンションやビルが増えましたが、銭湯や和服しみ抜きなどの看板に、かつての面影が感じられます。
阿さひは、長く地元の人たちに親しまれてきました。近所の会社で働く人たちのお昼ごはんや残業の時の出前と、お世話になった人も多いことでしょう。麺類、どんぶり物の定番から、先代から受け継いだ看板の味、巻き寿司や分厚い身が評判の鯖寿司もお品書きにあります。
 

阿さひ阿さひ
お店は大きな提灯が目印です。うどんの時間は赤地、フレンチは白地になります。入口の通路は、京都の路地の趣です。奥にテーブル席、通路の右手がカウンター席になります。
カウンターをはさんで、シェフのご両親がきりっとした立ち居振る舞いで仕事をしています。蝶ネクタイにベスト、ベレー帽と、とてもおしゃれなお二人も、この新しいお店の雰囲気をつくる欠かせない配役のようです。
昼間は、グラスにたっぷりのあたたかいお茶が出され、ほっと一息つけます。何十本もの洋酒が並んだ様子はインテリアの一部のようです。待つ間に瓶のかたちや、ラベルを見るのも楽しいひと時になります。おうどんは変わらぬ「あさひの味」です。
落ち着いた色合いの、夜はフレンチとワインのお店になるカウンターでおうどんをいただくのは、新鮮な感じがします。オープンキッチンのうどん屋さん、なかなかいいものです。

気取らず楽しめる本格フランス料理

阿さひ
シェフは2002年から左京区で、ビブグルマンにも選定されたフレンチレストランを13年間続けました。生まれ育った地へ移転し、実家のうどん屋も引き継ぎつつ、フランスへ渡って得た経験も生かして、おいしいと自分で納得したフランス料理を提供できるお店をめざしました。そして2015年「うどん屋もありフレンチもやる」という画期的な「阿さひRive gaucahe」を開店しました。
リヴ・ゴォシュにはフランスワインはもちろん、ウイスキーやブランデー、リキュールなど様々な洋酒が揃っています。シェフとソムリエールに聞いて「この一杯」を楽しめます。薬草の風味のとてもめずらしいリキュールなど、ワイン以外にも試してみたいお酒がいろいろあります。
阿さひ
料理は、一つ一つがとてもていねいに作られていて、素材に対する真面目な向き合い方を感じます。その日はおつまみと軽めの一品にしました。おつまみに選んだピクルスは、それぞれの野菜の食感も生かしながら中までしっかり味がして、単調ではないおいしさを感じます。野菜のすごさを改めて思いました。
もう一品は、えびとじゃが芋の料理です。えびとじゃが芋の組み合わせがどんなものかイメージできませんでしたが、オリーブオイルと香草になじんで、これが「出合いもの」になっていい味を出していました。自家製のパンがまたおいしくて、料理のよい相棒です。

合間、合間にシェフやソムリエールの方のワインのこと、お二人とも住んで仕事をしていたフランス郊外のことなど、興味のつきない話も、食事をより豊かにしてくれます。フランスの郊外の家は、広い庭があり料理に使うハーブはそこで摘み、買わない、ヨーロッパは乾燥しているので野菜や果物も水分が少なく固いが、火を通すとすばらしく深い味になるなど、聞きながら、行ったことのない、そのフランスの片田舎の風景が何となく目に浮かんでくるような気がしました。
またフランスでは家具なども含め、生活に必要なものは身のまわりにあるものを生かしているとフランスの暮らしぶりも話してくれました。

料理がよく映えるいい感じの器だったので「雰囲気のいい食器ですね」と言うと「それは彼女が作ったのですよ。ほかにもいろいろ店で使っています」というシェフの答えが返ってきました。ソムリエールで、その上、お店で使える陶器を作れるとは、すごいですねとおどろくと「土をさわっているあいだは無心になれます。その時間がとてもいいのです。何も考えない、頭をからっぽにする時間は必要かなと思います」と言われました。
 
左京区のお店で獲得した「ミシュラン・ビブグルマン」は「費用対効果がよく、価格以上に満足感のある料理」高級レストランではなく気軽に食べられるお店が選定されます。リヴ・ゴォシユはその真価のあるお店です。
シェフと対面する「カウンターのフレンチ」など、緊張するというか、少し気づまりな感じがしそうですが、まったくそんなことはなく、気軽に料理もお酒も楽しめます。一人でも友だちや家族とでも、たまには気前よく、家での食事とはちょっと違う、豊かな時間を持つことを大切にしたいと思いました。

親しみやすく本道を行く得がたい店

阿さひ
フレンチの営業時間に掛けられる白い提灯

シェフは、どんな素材も、ここへ来るまでどれだけの月日と手間をかけ、納品されるまでどれだけ多くの人がかかわっているか、食材やワインをはじめいろいろなものが納品されるがそのうち何か一つ欠けてもだめなのだ、そのことを考え、大切にすること、そしておいしい料理にすることを、スタッフに常に伝えています。その視点で目利きした素材を、信頼できる取引先から仕入れています。それらのことが味に接客にあらわれ、お店の空間が生まれているのだと感じます。
「うどんをフレンチ風にアレンジしたら」などとよく言われるそうですが、そういったことはまったく考えていません。きちんととった出汁とバランスのよい麺、それで完成成立しているあさひのうどんです。フレンチも「渾身のブイヨン、フォン」を使った本格フレンチです。
ビヴ・グルマンに選定されたことはすばらしいことですが、お店のプロフィール的にさらっとふれているだけです。お店を探す時の選択のデータの一つに、といった扱いです。
コロナで休業していた期間に黒だった壁を漆喰で白く塗ったり、カウンターも今の色に塗り替えるなどの作業をおとうさんと一緒にされたそうです。それも含めて「これから店をどのようにしていくのか」を考えるよい機会になったと話されました。
阿さひの折り詰め
ワインセラーを背にして、鯖寿司を作ったり箱詰めをしたり息のあった夫婦二人の仕事が進みます。「あんかけ」用の生姜をすったり出汁を用意していたシェフは、魚をさばき、ブイヨンやフォンの様子をみたり、諸々の下ごしらえや仕込みをしています。奇をてらった「うどんとフレンチ」ではなく、それぞれのおいしいと思う料理でお客さんに喜んでもらう、そこに集約されています。おいしいものをいただくことは幸せなことです。
阿さひet Rive gaucheは、食べることを通して、私たちの気持ちをあたたかくしてくれる、静かな誇りを感じる得がたいお店です。

 
阿さひet Rive gauche
うどん屋「あさひ」 フレンチレストラン「リヴ・ゴォシュ」
京都市上京区千本丸太町上ル東側小山町871
営業時間
フレンチ/平日17:30~22:00、土曜・日曜・祝日11:30~15:00
うどん/11:30~15:00
定休日 フレンチ/不定休、うどん/土日祝

昔からの京の生菓子、 今日も店頭に

「気がついたら今年ももう終わり」と、毎日が過ぎていく早さにおどろきます。
地域の商店街も、決まり事に沿ったお正月用の品揃えを厚くし、ここ一番と力が入っています。おせち料理に注連縄や松飾など、お正月迎えも年々簡略化されている昨今ですが「これだけは外せない」のがお餅です。「正月餅承ります」の堂々とした筆太の文字が師走の気分を高めています。
お正月のお餅はつつがなく今年をしめくくり、すこやかな新年へ向かう暮らしの暦です。
「大福餅老舗」は、創業110年。お餅と、なじみのある生菓子やお赤飯、年中行事に欠かせないお菓子が並ぶ、西陣に根付くお店です。忙しい合間を縫って三代目西井裕さんと敏恵さんご夫妻、息子さんで四代目の一樹さんに話をお聞きしました。お菓子作りに誠実に向き合い、親子でともにお店を盛りたてて来た家族の歴史とものづくりのこころがしっかり伝わってきました。

気持ちのよい売り買いと建物の持つ力

大福餅老舗のおけそく
お店には、お供え用の小さなお餅「おけそく」も毎朝、店頭に並びます。開店は朝8時と早いのは「お供え用のおけそくさんを買いに来はるから」です。年中行事以外にも、日々の習わしがしっかり根付いている地域であることがわかります。
8時にお店を開けるには5時起床です。目覚まし時計がなくても、長年の習慣で自然と目が覚めるのだそうです。こうしたことを大層に言うわけでもなく、ごく普通のことになっているところが、すごいです。
また「みたらしを2本、大福1個でもいいですか」と遠慮がちのお客さんに、敏恵さんは「はい、どうぞ。一個からでけっこうですよ」と、ていねいに答えました。お客さんも気遣いがあり、それに対してお店の、ほっとする答えが返ってくる。そうすれば、お互いに気持ちのよい売り買いができると感じました。
大福餅老舗
大福餅老舗は大正元年(1912)創業、昭和3年(1928)に現在の地に店舗を新築し、移転しました。今の建物は当時のまま、戸棚やショーウインドー、工房と売り場を仕切る格子戸は建築当時のものと、新しいもの両方ありますが、新しく作った格子戸も見事な仕事がなされています。ずっとお世話になってきた職人さんの仕事なのだそうですが、高齢となり引退されてしまったそうです。建具や大工仕事も技術の継承と道具や材料となる木材の確保がますます重要になると感じました。
大福餅老舗大福餅老舗
もち蓋、古い台秤など道具も現役です。三代目は、材料を量る単位は「匁(もんめ)」で教えられたので、今でも匁を採用しています。今ではもう製造されていない台秤は、しっかり手入れされています。お店の奥に石臼の餅つき機が見えます。新しい餅つき機を入れたので今は使っていないとのことですが、現役さながらにきれいです。お店のたたずまいに魅かれるのは、年月を経た趣があることはもちろんですが、このようにお菓子作りの現場や道具を大切にしていることも深くかかわっていると感じました。建物が放つ魅力は人とともにあるということを教えてくれました。

四代目が開拓した新たな看板菓子

三代目西井裕さんと敏恵さんご夫妻、息子さんで四代目の一樹さん
四代目の一樹さんとお母さんの敏恵さん
三代目西井裕さんと敏恵さんご夫妻、息子さんで四代目の一樹さん
三代目の西井裕さん

製菓学校で学んだ一樹さんが、四代目としてご両親と一緒に仕事をするようになってから、いろいろな面で新しい展開が生まれています。
まずカステラができました。底についている紙を慎重にはがすと、焦げ茶色の生地とザラメがあらわれます。これはカステラを食べる時のお楽しみです。てらいのない素直な味が好ましく、安定した人気で常連さんも少なくありません。掛け紙のセンスもよく、西陣のイメージにつながる糸巻きの図柄と「かすてら」の書き文字がよく調和しています。気のきいた手みやげにも重宝しそうです。この、かすてらの文字は四代目の手書きと聞き、取り組むことの幅の広さにも感心しました。
1回に焼けるカステラは20個ということで、品切れにならないように気をつけているそうですが、それでも「ああ、残念」というお客さんもあります。「西陣の手みやげ」の定番になることでしょう。
大福餅老舗

大福餅老舗
一級技能検定試験の課題のお菓子

Pay Pay も早くから導入し、利用する人は多いと聞きました。四代目を頼もしく感じながら、自分たちも今の持ち場をしっかり守っている三代目夫妻の存在も光っています。ショーウインドーにつつましく置いてある工芸菓子は、一樹さんが和菓子の「一級技能検定試験」を受験した時の試験の課題です。毎日家で一生懸命練習し、見事合格されました。
「作ってから何年もたって、色も変わって割れたところもあるけれど残してある」と敏恵さんは思いのこもった言葉で語りました。二世代で、職住一体の老舗の屋台骨を支える大福餅老舗のこれからの展開に明るさと可能性を感じました。

季節と紋日が生きる西陣に根を張る

大福餅老舗
これからの毎日は「正月餅」で大忙しの毎日になります。鏡餅の形をした半透明のケースは、お餅がひび割れたりかびたりせず、長もちするというすぐれものです。このように新しく良いものは素早く取り入れる経営感覚にも注目しました。そしてケースに入れた後に、もう一度蒸すというていねいな仕事に職人としての姿勢を感じます。
大福餅老舗
今は正月餅中心の時期であり、店頭に並ぶお菓子の種類も一番少ない時です。「いつもはもっと、いろいろ並んでるんやけど、今はほんま一番少ない時やから」と敏恵さんはとても残念そうでした。そう言ってくれる気持ちもとてもよくわかるし、うれしく思いました。「京都は少なくても月に一日は紋日があって、決まったお菓子がある」と聞き、改めて暦や年中行事とお菓子は深く結びついていることを感じました。
12月に入ったばかりの時、お火焚きまんじゅうがあったので「今日はありませんか」と聞くと「あれは11月のものやから。まあ12月の頭くらいは作ってたけど」という返事に深く納得しました。お二人が季節ごとのお菓子を教えてくれました。もう少し早く来たら「栗赤飯があったのになあ。うちの作り方はお米とお米の間に栗をまるごと入れる。そうすると栗の甘みがごはんに移ってほんまにおいしい」と力を込めて話してくれました。それはぜひとも、来年を楽しみに1年待つことにします。

大福餅老舗
栗入りではありませんが、通常のお赤飯はいつも店頭に

また、年末はもちろん超多忙ですが、今宮神社のお祭と重なる端午の節句あたりもとても忙しいそうです。またお盆の五日間は朝四時起きとなるとのこと。十五日にお供えする糯米だけを蒸した「白むし」はおいしいと評判で、お供えだけでなく食卓用もつくるとのことでした。また食べたい人のために十五日だけでなく、前後の何日かは「白むしあります」となるそうです。定番のお赤飯は、色合いもやさしく、糯米のおいしをしっかり感じます。小豆はふっくら大粒です。白むしもさぞ、と思います。
お店の名前にもなっている大福はむだのない、きれいな動きに見とれてしまいます。この大福は技術だけではなく、誠実な仕事を日々重ねるなかで生まれる形でありおいしさです。

雅な京都の本筋、底流は大福餅老舗のようなお店の存在がになっていると感じました。京都の奥深さはこうした地域の暮らしを支ええている商店街の営みにあると思います。
年が明け、店頭にうぐいす餅や桜餅、桜もち、よもぎ餅、花見だんご等々彩も豊かに並んだ時にまた訪ねます。来る年が平和でお明るいとしになりますようにと願い、今年の京のさんぽ道で出会ったみなさん、お世話になったみなさんにお礼申し上げます。

 

大福餅老舗(だいふくもちろうほ)
京都市上京区千本通寺之内上る西五辻北町439
営業時間 8:00~18:00
定休日 おおむね月曜(月によって異なります。事前にご確認ください)

老舗の文具店 目印は真っ赤なトマト

学校の近所には必ずと言っていいほど文房具屋さんがありました。いい匂いのする消しゴム、かきかたえんぴつ、キャラクターのついた筆箱、おしゃれなシャープペンシル、ノート。そこにはたくさんのほしいものと、子どもたちとお店の人との他愛もない会話がありました。
そういうお店は今はめずらしくなってしまったなと思っていたら、ありました。店頭の真っ赤なトマトとイタリアンレストランのようなチョークアートの看板に引きつけられて行ってみると、ノート一冊、えんぴつ一本を、気兼ねなく買える「まちの文房具屋さん」です。中央卸売市場の近くで80年間お店を営む「マエダ文具店」の前田幸子さん、娘さんの小川知亜妃さんと夫の茂樹さんに話を伺いました。

夏休みの宿題解決の味方です

マエダ文房店
暦は立秋となり、早やお盆を迎えました。お墓参りやお供えのあれこれや、お盆の間の精進料理の決まりの献立を守っているお家もあることでしょう。夏休みも後半、そろそろ宿題や自由研究など、気になる頃でしょうか。
取材に伺った時も、小学生が小さな財布を握りしめてやって来ました。母親の幸子さんは「工作の材料や画用紙とかよく出ます。学校が始まる間際は、もう、ばたばたです」と笑いました。焦っても片付かず、親の手助けで何とか仕上げた思い出のある人もけっこう多いのではないでしょうか。そのあたりは昔も今も変わらないようです。
マエダ文房店
夏休みの宿題のかけ込みもありますが、たとえば便せんや封筒など「ここにあってよかった」と、ほっとしたお客さんに喜ばれています。「ノート一冊、鉛筆一本を買ってくれはる近所の方に来てもらって店が続いています」という言葉に「あってよかった」と思ってもらえる地域のお店としての筋を感じます。
以前は、子どもたちが登下校の途中に学用品を買うことも多く、朝は8時に開けていたそうです。今は集団登下校となりましたが「友だちと同じものを使いたい」「だいすきなキャラクターグッズがほしい」など、お目あてをさがしに来る子どもたちの、お楽しみワールドに変わりありません。

野菜の廃棄ロスを減らす野菜販売

マエダ文房店
手書きの看板や赤いトマトが印象的なマエダ文具店ですが、店内は創業80年の老舗のどっしりした構えに安心感があります。近くに中央卸売市場があり、そのなかの仲買さんとも古くからの取引が続いています。伝票、封筒、ハンコなど細々した事務用品を引きうけ、配達しています。

「赤いトマトを売っている文具店」として定着した野菜の販売は、知り合いの仲買さんから「サイズが揃わないなどで廃棄処分される野菜のなかには、食べる分には何のさしさわりのないものがたくさんあります。それを売ってほしい」と依頼されたことが始まりでした。
「文房具屋で野菜を売るのもなあ」という気持もあったそうですが、始めてみるとお客さんに喜ばれ、今では遠くからでも「箱買い」する人もやってくるそうです。今では、トマトと文具店は違和感なく「定番」となっています。トマト以外に、京野菜の万願寺唐辛子など扱う種類も増えてきました。
梅小路公園
近くには休日は多くの家族でにぎわう梅小路公園があり、帰り道に偶然、マエダ文房具店のトマトを見つけ、それが口コミで広がっているそうです。また、茂樹さんがこまめに発信するSNSを見て買いに来る人も多く、口コミとデジタルという両方の伝達手段で広がっているのは、理想的です。ことに口コミは、商品とお店の対応がよくなければ広がりません。
フードロス問題
この野菜販売から、いろいろなことが見えてきます。新しいチャンスを広げるきっかけになったのは、地元でもある中央卸売市場の仲買さんとの長い付き合いがあったこと、その販売が食品ロスを減らす、現代の社会に求められている課題解決につながることです。普段の売り買いが、本質的なことにつながっています。地域のみなさんから頼りにされるお店の大切さを改めて感じました。

新鮮な視点を生かした新たな展開

マエダ文房店
とても仲が良い前田さんファミリー

マエダ文具店の魅力は、伝票や帳簿など「伝統的」な事務用品や、子どもたちの学習帳、鉛筆など文具店としての基本がきちんと揃っていること、そして人気のキャラクターグッズや雑貨など、今求められているアイテムもセンス良くディスプレーされていて、双方のバランスがいいことです。
知亜紀さんは「かわいいな、置いたら店のなかも明るくなっていいだろうなと思う文具は、対象が中・高校生です。今はその中・高生が少なくなっているので、なかなか仕入れも難しくて」と語り、母親の幸子さんも「ボールペン一つとっても、どこそこのメーカーがいい、今度出た新しいのがほしいとか、ちゃんと指定されます。メーカーも競うようにして新商品を出しますしね。今はSNSなどで情報がすぐ伝わるので」と続けました。
マエダ文房店
そういった悩みはあっても、店内は「さすがに創業80年の文房具店と思わせる風格と、白木のをうまく配置したセンスのよいディスプレーに気持ちあがります。担当は茂樹さんです。きちんと計測して木の棚も自作し、全体のレイアウトもかえました。店内に飾られた絵も、名実ともにお店の看板となった、トマトのチョークアート、野菜売り場の干支看板も茂樹さんの作品です。「広くなった、きれいになった」とお客さんからも好評です。
マエダ文房店
またこれまでのように文具だけの品ぞろえでは大変なので、文房具店にもなじんで、喜んでもらえるものをと考え、駄菓子コーナーもできました。お店に入ってすぐのところにある、たくさんの駄菓子は子どものみならず、親御さんも、目がきらきらして「こんなん、どうや」と楽しんでいるそうです。親子のコミュニケーションにも一役かっています。
知亜紀さんは「私はこの家で育ったので、これはここに置くとか、どうしても今までと同じようにしか思いつかないのですが、夫はそういった先入観がないので、新しいことをやって、できあがったのを見て、なるほどなあと思いました」、幸子さんも「若い世代の人は考えることが全然違いますわ。野菜や駄菓子を売るようになるとは思っていませんでした」と、話してくれました。
ご本人の茂樹さんは、いたって自然体で、おだやかに「インバウンドの頃は。近所にゲストハウスが何軒もあって外国からの観光客が多かったので、おみやげにちょうどいい、京都や日本を感じられる手ごろな商品も置いていました。野菜や駄菓子、雑貨などが多少なりともそこをカバーしてくれています。トマトを置いたことで若い人も来てくれるようになりました」と話してくれました。
マエダ文房店
知亜紀さんが店を手伝い始めて8年、茂樹さんは4年たちました。文房具店としての基本はしっかり受け継ぎ「なんでトマトを」と言った時期から「真っ赤なトマトのある文房具屋さん」は、多くの人に親しまれ、知られるようになりました。
取材中にもトマトを買う人、おにいちゃんの誕生日プレゼントを選びに来たり、また「金封の白黒と黄白の水引はどう使い分けたらいいのですか」というお客さんなど、次々やって来ました。マエダ文具店は今年創業80年を迎えました。今、業種にかかわらず商品の値上げが続いています。このような厳しい環境も、80年間、地域で生業を継続してきた底力と新しい視点での変化を成功させた3人のチームワークで「地域の文房具店」としてともしびを灯し続けていくと実感しました。

 

マエダ文具店
京都市下京区七条壬生川西入夷馬場町35
営業時間 月曜~金曜9:00~19:00/土曜10:00~18:00
定休日 日曜、祝日

自然の恵みぎっしり 正直なパン

大徳寺の近く、新大宮商店街の一画にあるパン屋さんは、釣り竿のかわりに麦の穂をかついだ、えびすさんの看板が目印です。
レーズン酵母を自家培養し、国産小麦と沖縄の塩、湧き出る清水のような水だけで、ゆっくりゆっくり時間をかけて作るパンは、独特の香りと噛みしめるほどに感じる豊かな味わいにおどろきます。大切に「育てる」ようにして作るパンを「パンたち」と慈しむように語る、今年で開店満20年の「えびすやのパン」藤原雄三さん、嘉代子さんの、仲睦まじいお二人に話をお聞きしました。

サラリーマン時代からあたためていた夢

えびすやのパン
藤原さんは、サラリーマンだった時、定年後の第二の人生をどのように生きていくかを模索していたと言います。環境汚染やアレルギーの子どもが増えるなど、様々な問題が起きていました。そして「これからはスピードや大量生産を競うのではなく、もっとゆっくり時間をかけて安全安心の食生活を大切にし、自然の恵みをいただくことに感謝する時代に、きっとなる」と感じたそうです。
だれもが安心して食べられる安全な食品が大切だと考え、無農薬の農業をやろうと思い立ちました。ところが嘉代子さんに相談すると、賛成してもらえませんでした。なぜか「虫が苦手やから、ちょっとなあ」ということで農業は断念し、では何かと考えた時にひらめいたのがパン作りでした。
えびすやのパン
それからは独自に研究を重ね、あちこち材料をさがし、多くの素材を試し研究しました。そのなかで出会ったのが現在も使い続けている「北海道産小麦はるゆたか」「天然のおいしさの回帰水」「ミネラル豊富な沖縄の粟国(あぐに)の塩」です。そして培養するレーズン酵母は4日ほどかけて発酵させ、液をしぼり、小麦粉をまぜて約一日おいて天然酵母となります。

えびすやのパンは、このように小麦粉、水、塩、レーズンの4つの材料だけで作られています。「レーズン酵母、小麦粉、水、塩はそのままでは食べられないが、それぞれの特徴を引き出して、人がちょっと手助けをしてやればパンに生まれ変わる。素材も人もお互いに生きている。ゆっくりした時間とはこういうことだったのか」と、10年くらいした時、パンを作りながら、ふと気がついたと語ります。
「それは一生懸命作ってきたからこそ、そこに到達できました」と続けました。雄三さんのパン作りは、生き方や人生に対する考えそのものです。

「長く続けて」とお客さんからの声援

えびすやのパン
えびすやのパンがある新大宮商店街は、大徳寺の近くにある南北に長い商店街です。西陣織の伝統産業に携る職人さんの日々の暮らしを支えてきた商店街として、今も多くのお客さんが来やすく、世間話をする光景をよく見かけます。
えびすやも、おなじみのお客さんが多く「がんばって長く続けてや」と声援が送られています。あかちゃんのいる若いおかあさんからも「安心して離乳食にできる」と喜ばれています。
えびすやのパン
雄三さんは「パンたち」を作る時、いい子や、いい子や。おおきに、ありがとう」と声をかけていると言います。条件を整えてやれば、ちゃんとふくれてくれる、いい子たちなのです。「たまに手順や発酵の時間を間違えても、ちゃんとふくれてくれる。そういう時は、こっちのミスをカバーして、ふくれてくれて辛抱強い子やなあ。おおきに、おおきに」と、自然に感謝の気持ちがわいてくると続けました。
安全安心の素材との共同作業です。「発酵のスピードなど、その日その時によって違う。同じことはない。いつも違って難しいから、ものづくりはおもしろい」と、本当に楽しそうな表情です。
えびすやのパン
雄三さんは、今年の1、2月に入院しお店を休みました。退院後の静養中もいろいろと思案をめぐらせ、研究しました。これまでは仕込んだ次の日の朝に必ず焼かないとならないと思ってやってきましたが「一日冷蔵庫でねかせたらどうなるか」とテストをし、その結果「ちゃんと焼けた。うちのパンはすごい。ありがとう」という結果を得ることができました。
冷蔵で休んでもらう一日ができたことにより、体がとても楽になったそうです。「作っていける期間が伸びたかなあ」と、お客さんとの「長く続けて」という約束も果たせるでしょう。
えびすやのパンのレーズン食パン
今、原材料費が高騰しています。ことに酵母にもレーズンパンにも使っているカルフォルニア産のレーズンはすさまじい高騰が続いているそうです。仕入れ分が終わった時、どうするか。大変な難題が突き付けられています。雄三さんは、サイズを小さくしたりレーズンの量を減らすことはしたくないと、その点ははっきりしています。価格の変更は止むを得ないけれど、高くなった値段でお客さんはどうかなど、いろいろと考えています。
今、あらゆる食材の値上げや内容量を減らすなどが始まっています。こういう時こそ、作り手、売り手、そして私たち消費者が協同して乗り越える時だと思います。えびすやのパンもきっと、雄三さん嘉代子さん二人と、お客さんの歩み寄りで解決していけると感じています。
えびすやのパン
余った生地で作るかわいいパンをいただきました。わずか4センチ足らずの極小サイズながら、ちゃんと「あんぱん」です。食玩ではないのです。「ちびちゃん」と呼ばれて子どもたちにも人気です。ここにも、材料は無駄せず、あそび心を感じるパン職人としての雄三さんの気質が垣間見られます。

パンは夫婦二人からのメッセージ

えびすやのパンえびすやのパンのショップカード
えびすやのお店は、以前5年ほどパン作りを手伝っていた方が描いた、気分が明るくなる花の絵が飾られ、カウンターのショップカードや小物もかわいらしくディスプレーされています。嘉代子さんのやさしい雰囲気を思わせます。窓際にパンが並び、小さなカウンターの向こう側は、さえぎるものはなく、そのまま厨房になっています。オープンキッチンではあるのですが、こんなにオープンな店舗兼厨房は他に例を見ないのではと思うほどです。
えびすやのパン
最初からオープンキッチンにしたと思っていたかをたずねると、きっぱり「最初からです。小麦粉の袋、生地をこねる様子、大きなオーブン、すべてを見て知ってほしいと思っていたので。見られて困ることも、困るところも一つもありません」と堂々とした答えがかえってきました。
利益や効率を優先したら、自分が思っていることとは違ってしまう。開店した時からのこの覚悟と言うか、信念があったからこそ、4つの素材だけのパンを世に出すことができたのだと思いました。「やっていることは利益や効率最優先とは、真逆のことやから」と優しい口調できっぱり語りました。雄三さんの手の指は太くがっしりしていて、長年生地をこねてきたことにより、力の入る方向へ曲がっています。この手が20年間、えびすやのパンを作ってきたことを何より雄弁に物語っています。
「えびすやのパン」藤原雄三さん、嘉代子さん
今、お二人は「第三の人生のステージ」をどうするか相談しているのだそうです。できるだけ長くの声に応えてがんばるけれど、いつかは第2ステージも終幕になる。それはさみしい、悲しいことではなく、次の新たなスタートになるのです。
雄三さんは「安心して食べられるパンで、みんなに喜んでもらえて、第2の人生の選択はまちがっていなかった」と何回か口にされ「パンは夫婦二人のメッセージやなあ」と続けたのです。その確かな実感を持って、第3の人生を話し合っているのだと感じました。「えびすや」の名前は嘉代子さんの旧姓「胡(えびす)」からとったとのこと。このお店へ来た人がえびす顔になり、パンを食べてまたえびす顔になる、そんなイメージがわいてきます。
お二人の写真を撮らせてくださいとお願いした時、けがをして歩行が少し不自由になった嘉代子さんに何度も「ゆっくり来たらええから、ゆっくり」と声をかけていました。その姿は夫婦であり、まさにえびすやのパンの同志でした。奇をてらわず、おもねず、正直に焼くパンが、これからも多くの人の心も体もやさしく健やかにしてくれることを願ってやみません。

 

えびすやのパン
京都市北区紫野門前町45
営業時間 9:00~
定休日 日曜、月曜、木曜

築94年の町家 お茶を商い百余年

京都府内のお茶どころでは、茶摘みが終わり、今は加工製造や茶畑の手入れと引き続き忙しい日々が続いていす。「新茶入荷」のぼりや鮮やかな墨文字の張り紙に、もうそんな季節になったと気づかされます。

上京区に、つつましく端正なたたずまいのお店があります。創業から100年を優に超えてお茶を商うでお店です。建物も茶壷や棚も引き継ぎ、母娘で「清水昇栄堂」を守っています。
代表の清水和枝さん、娘さんの内藤幸子さんのお話は、静かで優しい語り口のなかに、京都のまちなかで商いを続け、家を守ってきた家族だからこその内容で、引き込まれずにはいられませんでした。

93歳、現役で店を切り盛り

清水昇栄堂
清水昇栄堂は創業時は別の地に店舗があり、94年前に現在の町家が建てられ、移転されたそうです。「父方のおばが生まれた年に建てられたそうなので、この家とおばは今年94歳の同い年です」一世紀近い築年数の伝統的な京町家も、こんなふうに語られると、重々しさより、家も家族のようなほほえましさを感じます。
清水昇栄堂
店内へ入ると急須、湯飲み、お茶缶、抹茶茶碗、茶せん等々、お茶に必要なものがすべて揃っています。なつかしさを感じる急須もありました。おばあさんがいるお家にはたいてい「萬古焼(ばんこやき)」の急須がありました。うわぐすりをかけてない、少し紫をおびた薄茶色あるいは薄墨色のような地肌をしています。三重県で生産され、丈夫なことと土に含まれている成分によって渋みが抑えられるのが特徴ということです。また鮮やかな朱色の急須は「常滑焼」です。
愛知県の常滑で作られていて、こちらも、うわぐすりをかけない焼き方で、陶土にお茶の雑味などが吸収されて、まろやかでおいしいお茶が飲めるのだそうです。

急須のそそぎ口にビニール製の保護キャップがかぶせてありますが、これは「持って帰らはる時や送る時に欠けないようにするためのものなので、使う時ははずします」と言われました。使う時に欠けないように保護のために付けてあると思っている人も多いようです。次々とお聞きするうちに、母親の清水昇栄堂代表の和枝さんも話に加わってくださいました。

清水昇栄堂代表の清水和枝さん
清水昇栄堂代表の清水和枝さん

「私は93歳。21歳でこの家へ嫁いで、その時からやから、もう72年もお茶を売ってます」と話す笑顔がすてきです。「お茶は日本全国たくさん産地があるけれど、うちは宇治茶だけを扱かってます。お茶も急須もみんな長く取引きしているところばかりです」と、ぶれることなくお店を続けてきた人の重みを感じる言葉です。ご主人は「お茶は斜陽産業やから」と言って、幸子さんに跡を継いでほしいとは言わなかったそうです。しかし早くに亡くなられ、和枝さん一人でがんばっていましたが、幸子さんもやがて通いで手伝うようになったということです。平坦なことばかりではない年月も過ごされてきました。幸子さんも「母は本当にしっかりしています。私が近所へ買い物に行っている間は一人で店を見てくれています」と感心の面持ちで話すのが、母娘の細やかな気持ちの通い合いが感じられて、こちらもあたたかい気持ちになりました。
二人がかもしだすやさしい、おだやかな雰囲気がお客さんにも伝わっているのだと感じました。

昔の道具博物館のようです

清水昇栄堂

清水昇栄堂
「茶 清水」の文字が見えます

仕事に使う道具の類はさておき、よくきれいに残してあったと感心する歴史の証しもあります。見せていただいたのは、出町枡形と下鴨までの範囲の120軒のお店が一同に並んだ昔のチラシです。「明治廿七年十月改正」と記されているので初版はもっと前ということになります。昇栄堂にはチラシとして配布された和紙に印刷されたものが額に入れられ保存状態もよく残されています。
非常に興味深かったのは「支度、走り、棒、かもじ」などというお店があることです。棒は担ぐための棒、支度は特別な衣装に着付け、走りは文字のごとくひとっ走りものを運ぶ仕事ではと、お二人は推測していました。
昭和の終わり頃に復刻印刷されたものも見せていただきました。昇栄堂と黒々と書かれた名前があります。今も残っているのは3軒だけです。前述したようなお店は暮らしそのものが大きく変化し、当然消えゆくところもあるわけですが、昇栄堂がそのなかで建物だけではなく、家業も息をつないでいることは、本当にすごいことと改めて感じました。

清水昇栄堂
箕を手にした内藤幸子さん。後ろには年季の入った茶壷や茶箱が見えます。

お店の造りはもうめずらしくなった「座売り」の形式です。そしてまた重ねてすごいのは、大きな茶壷や茶箱、棚や引き出しもすべて今も使われていることです。和枝さんは「お茶は熱と湿気に弱いので、茶壷の中にさらに容器がある二重式になっていて、気温を25度以下に保つために前は「室(むろ)」へ入れました。生鮮食料品と同じです」と話されました。
またふるいや和紙を張った箕は、お茶の葉にまじった細かい粉を落とす時に使うそうです。おもりをつけて量るはかりも狂いはないそうです。少なくなったとは言え「お茶は急須でいれる」お客さんとも、長いお付き合いがあります。きちんとした仕事で細く、長く、という京都の商いの原点をみた思いがしました。

元気にやれるうちはがんばります

今も残る史跡、大原口道標
江戸時代、寺町今出川は大原口とよばれ今も道標が残っています。

お店のある寺町今出川付近は、昔は大原へ続く「大原道」の交通の要衝でもあり大いににぎわった地域でした。今も出町枡形商店街と鯖街道の縁をつなぐ企画など、地域あげてがんばっている魅力のある商店街です。
この京のさんぽ道でご紹介しました「いのしし肉の改進亭」も昇栄堂のすぐ近くです。すでに商売はたたんでいますが「傘」の看板が今も残る商家「貸布団」の看板、営業を続けられている理髪店など暮らしを支えてきた街道筋の商店の面影を残しています。

元傘屋さんの町家
元傘屋さんの町家

清水さん母娘は「もう、次の世代に継がせるのは無理ですね。お茶を飲む人も本当に少なくなりましたし。私たちにしても暮らし方はいろいろ変わりましたから、これまでと同じようにはいきません」と明るく仕舞う時の来ることを心に置いています。はたから見て「もったいない。なんとか続けられないのかな」「だれか受け継いでくれる人が出てこないかな」などと簡単に口に出せないことだと思いました。
でも、いつも飲んでいるお茶を指定して訪れるお客さんも何人もいて「ここがあってよかった」と喜ばれています。続けてほしいと思う人がいることは励ましになっています。
清水昇栄堂
建物や景観と生業は京都の重要な課題であると思います。当事者でなくても、それを何らかの形で享受してきた私たち一般市民はどう考え、何かできることがあるのか。これからも考えていきたいと思います。
惜しくもなくなる生業や建物があっても、それまでつないできた仕事や家族の様子を、この京のさんぽ道という、小さなブログの領域であっても大切に描き続けていこうと思いました。

 

清水昇栄堂
京都市上京区寺町今出川上る表町37
定休日 日曜、祝日

ふたりで営む喫茶店 42年たちました

長岡京市の中心部から少し離れた住宅街に「京都スタイル」という形容がふさわしい雰囲気の喫茶店があります。サイフォン式コーヒーの味わいと心のこもった応対で、多くの人に「喫茶店で過ごす心地よいひと時」を提供し続けています。「コロラドコーヒーショップ マサヒロ」は今年で開店42年を迎えます。
蝶ネクタイがピシッと決まっているダンディなオーナー、マサヒロさんと、おかあさんのようなほがらかさが魅力の奥さま、メグミさんに話をお聞きしました。

コーヒーと京都へのあこがれが出発点

コロラドコーヒーショップマサヒロのご夫妻
マサヒロさんは京都にあこがれてふるさとの徳島からやって来ました。「70~80年代の京都はおもしろかったですね」と語ります。アニメやマンガが若者文化として広がり、伝説のライブハウスが元気で、雑誌や広告が華やかな時代でした。長い歴史と伝統の上に、新しい文化を取り入れていく進取の気風も旺盛で、そのなかにコーヒーと喫茶店もありました。
マサヒロさんは、もともとコーヒー好きだったことから、京都のコーヒー文化広げ、本格的なコーヒーが飲めるコーヒーショップを牽引した「ワールドコーヒー」の北白川本店で仕事をしました。白川通りのけやき並木と天井が高いガラス張りのこの本店は、京都の老舗喫茶店の代表の一つです。
コロラドコーヒーショップマサヒロ
はじめから開業を決心し経験を積み、1981年自らの名を付けた「コロラドコーヒーショップ マサヒロ」を長岡京市に開店しました。当時の長岡京市は、京都市内はもとより、大阪への通勤圏として人口が急増している時期でしたが、ほかの都市にもみられるように、今は子育て世代よりもシニア層にあたる人の比率が高くなっています。それでも、近くに小学校と中学校があるため、店の前を通る小学生や中学生の姿にほっとし「地域のなかにある喫茶店」であることを思い起こさせてくれます。
コロラドコーヒーショップマサヒロ
7時30分の開店早々から、電話でコーヒー豆の注文が入り、モーニングメニューで一日をスタートするお客さんもやって来ます。カウンター席に座ると、マスターがサイフォンでコーヒーをいれる様子が目の前に見え、待つことも楽しい気分にさせてくます。マスターのコーヒーをいれる様子は「所作」という言葉が浮かぶ、流れるような動きです。きちんと並んだカップやグラスの棚を背にして立つ、蝶ネクタイのマスターの姿はさすが絵になります。朝の一杯のコーヒーから、それぞれの一日が始まります。

いつも一生懸命のおいしいメニューと空間

コロラドコーヒーショップマサヒロのランチ
厨房は奥様のメグミさんの担当です。モーニングセットもランチメニューも、一切手抜きということをしない、おどろくほどの充実ぶりです。サラダも野菜の量と種類がしっかりあり、ランチの定番カレーとオムライスにはサラダのほかに「おかず」が2品も付いているなど、はじめてなら思わず声をあげてしまう豊富な内容です。朝は「今日も気持ちのいい日になるといいね。行ってらっしゃい」、お昼は「午後から、もうひとがんばりやね」と励ましてくれるメニューです。
コロラドコーヒーショップマサヒロのインスタグラム
メグミさんはインスタグラムでメニューや店内の様子などを@coloradomeguchanで日々発信しています。これは「コロナに負けたくない」と2018年の秋から始めました。フォロワーが200人になった時はその記念に、感謝をこめて、上にケチャップで「200」と書いたオムライスをアップしました。こういう、くすっと笑えるほほえましいセンスもすてきです。
また「コロナで時間ができたから」と、カウンターのスツールのカバーやテーブル席のクッションを生地選びから縫製まですべて自らの手で作りました。柄や色あいもすてきで格調を感じる店内によく調和しています。

コロナの影響でだれもが不安を抱え、気持ちが暗く落ち込みそうになる時、メグミさんは少しでも先に向かって切り開いていこうとしました。このお店とお客さん双方が明るい気持ちになって今を乗り越えられるようにという思いでした。欠くことのできない最高の同士です。たまにマスターと「言った」「聞いてない」で、ちょっとした応酬がありますが、それもすぐに通常の状態にもどる「けんかするのも仲がよろしい証拠」とみえます。42年間一緒に積みあげてきたことの厚みを感じます。

コーヒーと文化が香る得がたいお店


ゆったり広々した店内は、カウンターと4人がけ席のほかに、ソファーと長テーブルの席、入口の近くにはテラスかサンルームのようなコーナーなど、一つの店内とは思えない個性の席があります。
コーヒーの収穫の様子を描いた銅のレリーフ、ワールドコーヒー時代から使っているコーヒー豆の缶、食事を出してなかった頃に使っていた狭いテーブルを重ねて作った衝立など、お店の隅ずみまでお二人の思いが表現されています。それぞれがまだお店に存在する現役なのです。
また珍しい実をつけたコーヒーの木は、娘さんのホームステイ先のカナダのホストさんが京都へ来られて1か月半も一緒に過ごした時に、お礼と記念にとプレゼントされた苗木です。その若苗がりっぱに成長しました。
コロラドコーヒーショップマサヒロ

コーヒーの実
喫茶店はセルフ式のチェーン店が増え、このような個人のお店は少ない現状のなかで、どうしたら42年間も継続できたのか、すごいとしか言いようがないと思いましたが、今回の取材で少し感じたことがありました。
それは、お店にあるものそれぞれに物語があり、その思いのこもったものたちを大切にして、ものにも心があるように一緒にお店をつくってこられたのだということです。そしてこういコーヒーショップが近くにあってよかった、うれしいと思うお客さんが大勢いるということです。

お店の前のプランターで育てたビオラの花を飾ったテーブルに明るい季節を感じさせてくれます。つばめも毎年、巣をつくるそうです。
つばめが巣をつくると幸運がやって来ると言います。お二人のお元気でお店を続けられることをお祈りしています。

 

COLORADO COFFEE SHOPマサヒロ
長岡京市今里北ノ岡18―5
営業時間 7:30~17:00
定休日 日曜、祝日

憩いのカフェ&バーは 徒歩圏内

気の置けないご町内の親しい雰囲気を感じる千本丸太町に、去年の秋の初め、全面ガラス張りのお店ができました。建物の少し突き出た部分は、ショーウインドウのようですが、そうでもなさそうです。と、ふさふさした毛並みの堂々としたネコがひらりと身をひるがえしてキャットタワーにのぼりました。
彼は昨年9月に開店したカフェ&バー モチモチの副店長を務めるメインクーンの「おもちくん」2歳です。おもちくんに会いたい人はどんどん増えて、さらに新規の層を招く、すばらしい働きぶりです。しかし、このお店はネコカフェではありません。昼間は内容の充実したランチメニューや看板メニューのパンケーキでおいしいひと時を過ごし、夜は一日の終わりにゆっくりとお酒を楽しむバーになります。 早くもお客さんの8割がご近所さんという、地域に愛されるお店となっています。店長の廣畑真紀子さんに話をお聞きしました。

縁と偶然が呼び寄せた出会い

カフェアンドバーモチモチ店長の廣畑真紀子さん
カフェアンドバーモチモチ店長の廣畑真紀子さん(左)

飲食店の経験なし、ねこや犬と暮らしたこともなかったという廣畑さんですが、2年前、おもちくんとは目が合ったその瞬間に、お互いに通じ合うものを感じたそうです。また、お店は繁華街ではなく、住宅街よりの地域にしたいと考え、物件をいろいろとあたっていくうちに出会ったのが現在の場所でした。
カフェアンドバーモチモチ
千本界隈は廣畑さんが以前よく訪れていたなじみの地であり、雰囲気もすきだったこと「出っぱり部分をおもちの部屋にすれば、さみしく留守番させなくてもいいし、キャットブースの中にいれば、アレルギーなど、ねこがだめなお客さんにも、ゆっくり食事やお酒を楽しんでもらえる」と決断は早かったそうです。
カフェアンドバーモチモチ
そしてお店の名前もはじめに考えていた名前とはまったく違う「モチモチ」になりました。店内は、廣畑さんがすきなピンク色の壁と、カウンターのいすや喫煙ブースの回りの赤が、かわいらしさとモダンな雰囲気がうまく調和しています。かわいいねこのロゴマークがあちこちに見られ、思わず口元がゆるむなごみの空間になっています。
おもちくんは、キャットブースのハンモックに揺られたり、ふれ合いたそうな人の近くに行ってなでられたりと、かわいがられながらもほどよい距離感を保っています。さすがです。「ほとんどの方がおもちに会いたくて来られています」と廣畑さんは笑います。
カフェアンドバーモチモチのおもちくんカフェアンドバーモチモチのおもちくん
この場所は以前酒屋さんを営んでいて、キャットブースになっているショーウインドーには、ビールなどの販促物とともにまっ白の美しいペルシャ猫が悠然と座り、歩いている人がよく「あの猫、ぬいぐるみやろか。あっ、動いた」などと話していました。男の子ですがマリちゃんという名前で「マリちゃんのお酒屋さん」と呼ぶ人もいました。
マリちゃんはだいぶ前に病気で亡くなりましたが、今モチモチカフェとなり、マリちゃんがいつもすわっていたウインドーが今、おもちくんの部屋になっています。
廣畑さんは「全然知りませんでしたが、開店してからそのねこちゃんの話を聞いて、おどろきました。偶然の出会いでしたが、何かのご縁かなと思いました」と感慨深げに話されました。おもちくんの存在は、お客さんはもちろん、道行く人たちも「今日も会えるかな」と、ほのぼのした気持ちにしています。

みんなで一から作り上げたお店

カフェアンドバーモチモチの猫パンケーキ猫パンケーキの金型
飲食店の計画が動きだし、カフェを重点的に50軒まわったそうです。メニューの種類や味、店内の雰囲気、接客などいろいろな観点で見ていきましたが、答えはみつかりませんでした。それなら自分たちが食べておいしいと思うものを一生懸命つくろうと、みんなで意見を出し合ってメニューを考え、試作と試食をくり返し、試行錯誤しながら決めたそうです。
お客さんの様子や注文されるメニューの傾向など様々に見て、改良は変更を加えています。なかにはお客さんの声に応えて生まれたものもあります。その代表が看板メニューの「にゃんこパンケーキ」の小さいサイズと抹茶入りです。従来のサイズは直径15センチ、厚さは約4センチという大きさです。「もう少し小さかったらなあ」「小さいサイズがあれば食事の後に食べられるのに」の声に「ちびにゃんこパンケーキ」が登場しました。また「抹茶味がすき」との声にこれもメニューに加わりました。「あったらいいな」の思いをかなえてくれたのです。このパンケーキは、何か話題になるメニューを作ろうと考えられたものでした。
大きな型は、大阪道具屋筋の金型専門店で特注で作ってもらったものです。簡単なラフスケッチを見せただけなのに、思い通りの金型ができあがったと、職人さんの技の確かさについて語ってくれました。
カフェアンドバーモチモチのランチ
限定の「本日のサービスランチ」は本当に充実しています。夏日となった日は、涼し気でさっぱりしたパスタが用意されていました。そのなかで選んだのは「なめたけおろし」です。上にたっぷりかかった花かつおとバターがなめたけと好相性となって、奥深いおいしさでした。サラダとスープも、しっかりきちんと作ってあります。スープはキャベツやにんじんなどの野菜がトロトロに煮込んであり、サラダの野菜はみずみずしく、ドレッシングも自家製でした。心のこもったおいしさで何気ない毎日を応援し、幸せにしてくれます。

地域に愛され、みんなに元気と笑顔を

カフェアンドバーモチモチの常連さん
毎日のようにお店を訪れる常連さん

モチモチカフェは最初「全部ガラス張りで何の店かようわからんし、入りにくかった」とよく言われたそうです。でも「一回行ったら入りやすい」と、ほとんどの人がご常連になってくれます。お孫さんと一緒に、友だち同士、一人でとお客さんの層は様々です。取材当日のバータイムには「明日が誕生日」という常連のお客さんに、居合わせたみんなが、おめでとうの声をかけていました。
カフェアンドバーモチモチのオムライス
「私たちがおいしいと思うものを、一生懸命ていねいに作っています。その料理をお客様がおいしいと感じて、ほっとして、ああ幸せと思っていただけたら私たちもうれしいです」と廣原さん。スタッフのみなさんも「なめたけおろしパスタ、私もだいすきです」「スープは厨房で朝からコトコト煮込んでいるんですよ」などと、おいしさにつろくする(つろくする:調和や釣り合いががとれていることを表す京ことば)、気持ちのよい言葉が返ってきます。

客席の下でくつろぐおもちくん
客席の下でくつろぐおもちくん

モチモチカフェで感じることは、アルバイトスタッフも含めて全員が「このお店がすき、ここで働くことが楽しい」という思いで、生き生きと仕事をしていることです。当初はランチタイムは若い女性中心、夜はおとなのくつろぎのバータイムと考えていましたが、毎日来店される人もめずらしくない、ご近所さんの憩いの場になりました。
廣原さんは「人と接する仕事、どうしたら喜んでもらえるかを考えることがすき」と語り「モチモチのコンセプトの、みんなが元気になる憩いの場としてのお店はできています。アルバイトスタッフも、自分自身で考えてお客様に接してくれています。ゆっくり過ごしてもらうのが一番」と続けました。千本丸太町に生まれたカフェ&バーは町の景色を明るくしています。ご近所付き合いの心でくつろぐ場があるということは、人のつながりのある地域である証しです。「このあたり、ええとこや」とあらためてみんなが思うことでしょう。居心地のよい空間へ、どうぞおでかけください。

 

Café & Bar MOCHI MOCHI(カフェ アンド バー モチモチ)
京都市上京区千本通丸太町上ル小山町880ピアージュ1階
営業時間 カフェタイム11:00〜18:00/バータイム18:00〜24:00
定休日 水曜

自分で決めた道 自然体でぶれない農業

三月の声を聞き、暦は土の中の虫も目覚めて動き始める啓蟄を迎えます。
京都の西南部、長岡京市は京都市内・大阪のベッドタウンとして人口が増加したまちですが、西山の緑と住宅地に続く田んぼや畑が広がる自然を身近に感じることができるまちです。
農家の直売所も点在し、季節ごとに新鮮な野菜が並びます。長岡京市の特産、地元では「花菜(はなな)」と呼ぶ菜の花の収穫はそろそろ終わりの頃となり、もうすぐ、全国に誇るブランド品、京筍の出番となります。
長岡京の菜の花畑
化学肥料を使わずに手をかけて育てた野菜やお米が喜ばれている直売所へ、しばらくごぶさたしていましたが、最近またちょくちょく足を運んでいます。それぞれの野菜の特徴や料理のヒントなど次から次へとくり出される興味深い話に、訪ねた時はいつも、つい長居になります。

めずらしいものがある楽しい直売所

山本農園の直売所
山本農園の直売所は、西山の名刹「光明寺」へ向かう、田畑がゆるやかに広がる場所にあります。道路側の側面に大きく「低農薬、有機栽培 季節の野菜 お米販売しています」と書いてあります。通称おとうさんは「そやけど、車やと全然気がつかんと通り過ぎていく」と、さほど残念そうでもなく、おっとりした口ぶりです。それでも、車や自転車、散歩の途中の人など次々とお客さんがやって来ます。
山本農園
すべてその日の朝に収穫された、朝露にしっとりぬれている野菜を、袋詰めをしながら並べていきます。見るからに元気いっぱいの野菜です。5キロもあるはくさいの迫力、切り口のみずみずしさが想像できるずんぐりむっくりした大根の名は「三太郎」。みどりが鮮やかな春菊、養分たっぷりの畑の土がついた里芋やえび芋など、季節の顔がそろっています。
そのなかにちょくちょく、めずらしい野菜や時には果物も並びます。「これは何ですか」と聞くと、少しうれしそうに説明してくれます。
山本農園の黄金カブ
最近目についたものは、中まで黄色の「黄金かぶ」です。中まで黄色なので、サラダにしても色がきれいで、しかもほかの野菜に色が移らないと教えてくれました。炊いてもいいということですので、菜の花と一緒にオリーブオイルで焼くと彩りもきれいでおいしそうですそして「中まで緑色の大根もあるよ」と裏の畑から抜いて来てくれました。成長するにしたがって、どんどん土から上へ出ていくので太陽の光を浴びて緑色になり、皮も固くしっかりした食感になるそうです。「直売所をやっていたら、1シーズンにひとつはめずらしいものを置きたいと思う」ので、種や苗を注文する時に、何か変わったもんはないかとさがすそうです。

山本農園のフェイジョア
パイナップルやイチゴなどをミックスしたような風味がするフェイジョア

定番の季節の野菜と一緒にめずらしい野菜を置いて、お客さんにも喜んでほしいという気持を感じます。秋には「フェイジョア」というとても香りの高いあまずっぱい果物がありました。5月にはピンクのかわいい花が咲き、やはり香りもよく、イタリアンレストランのシェフは、食用花に使っているそうです。ほとんどの人が普通に売られているピーナツしか知らない「落花生」も評判になりました。殻付きのまま塩ゆでにして、まだ温かいうちに食べるおいしさを教えてもらいました。「つくる側もお客さんも楽しくなる」直売所です。

子どもたちに食べてもらえるお米野菜

山本農園の「おとうさん」
大きな芋を手に笑顔で話す「おとうさん」

おとうさんが、建築会社で技術系のサラリーマンから実家の農業を専業にして26年たちました。アレルギー体質の子どもたちにも、安心しておいしく食べてもらえるお米や野菜作りを大切にしています。小学生のお孫さんは「おじいちゃんの作った野菜」はよく食べてくれるそうです。他でとれた野菜は、これはおじいちゃんのと違うとわかると聞いて、普段の食生活の積み重ねの大きさを感じました。
山本農園の大根
「子どもの舌は正直。おとなのようにお世辞を言ったり知識の刷り込みがないから、そのまんま」という言葉には私たち買う側にとっても大切なことが含まれています。田んぼは、さらに自然豊かで水がきれいな美山町にあります。通うのは大変だと思いますが「化学肥料を使わず、減農薬で育てたおいしいお米を作る」という思いで美山へ通い続けています。
そして「うちのお米や野菜つくりの考えに賛同してくれる人がお客さんになり、常連さんになってくれる」という語り口に、26年間つちかってきた確かで静かな自信が感じられます。「来る者は拒まず、去る者は追わず」とほがらかです。
そして「野菜の説明でも、押しつけに感じることになるかもしれないから、これはおいしいというようなことは言わない。たとえば、えび芋なら皮をむく時に手がかゆくならないとかヒントになることに止めておいたほうがいい」という考え方やお客さんとの間合いは、見積りから現場、掃除までやったという建築会社での経験も生かされています。そして「お米も野菜も手をかければかけるほど、ちゃんとこたえてくれる。子どもと一緒。手をかけすぎてもだめやけど、それぞれの特性を生かして育てることが大事」と続けました。経験豊かな人の含蓄のある言葉です。

寿命が来るまで精いっぱい好きなことを

山本農園のおとうさんとおかあさん
「前は正月以外ずっと直売所を開いていた。休むとかえって調子が悪い」そうです。健康管理をして体力を保ち、おいしいものをみんなに食べてもらえるようにと、いつも心がけています。「二人で一人前。ひとりではできないことも二人ならできる」という欠くことのできない大切な存在は「おかあさん」です。
「このあいだのえび芋の頭芋、びっくりするほど大きかったけど、炊いたら本当においしかったです」と伝えると、にこっと、うれしそうに「そやろ。ひと味ちがうやろ」というおとうさんの言葉に続いて「素揚げもおいしいよ。油が飛びそうなら片栗粉を付けて。揚げたてに塩をぱらっと振って、あれば青のりをちょっとかけると香りもいいしね」と教えてくれて二人の間合いが絶妙です。
長岡京市の山本農園に飾られた菜の花
農機具収納庫の直売所には、いつもさり気なく季節の野の花があり、心がなごみます。長岡京市内には、いくつも直売所があります。おとうさんは「それぞれが特色を出してやっていくことが大事」だと考えています。そして化学肥料を使わない減農薬の農業についても「無理をしない程度に、うちはうちの自然体で続けていく。自分でこれと決めた道をぶれないでやっているだけ」と気負いはありません。
ポポーという北アメリカ原産のめずらしい果樹を育てた時は、15本植えたのに、実が付いたのは1本だけという出来事にも「美山やったから目が行き届かんかったから」と原因をとらえ、前向きです。

「自分で一生懸命作った作物を納得する売り方をしたい」と考えて始めた直売所は、これからも私たちに、当たり前のように感じている毎日の食卓は、一年中、田んぼや畑に出て仕事を続ける人たちの存在があってこそという原点に立ち返らせてくれます。普段の暮らしが普通に送れるということの重みと、どれだけかけがえのないものなのかを思い、感謝する気持を忘れてはならないと感じています。
「どんなに寒くても植物は自分でわかっていて、3月になればちゃんと準備を始める」という言葉に励まされました。

 

山本農園
長岡京市 光明寺道と文化センター通り蓮ケ糸交差点西南角
営業時間 10:00~17:00頃(途中、昼食休憩あり)
定休日 水曜日

商店街の乾物屋さんが 教えてくれたこと

立春のころが一番寒いという、京の底冷えを実感する毎日に、湯気があがるあたたかかい食卓は何よりうれしく感じます。普段の食材を買いにくるおなじみの地元のお客さんが多い出町枡形商店街に、産地名が書かれた様々な昆布や鰹節、豆などが並んだ乾物屋さんがあります。
最近は乾物について聞いたり教えてもらう機会が身近には、なかなかありませんが「和食の基本はだし」と言います。日本の風土気候と昔の人の知恵が育んだ、すぐれた食材である乾物は、保存がきいて、濃厚なうま味を持ち体によい成分があると、いいことづくめです。今の時代こそ乾物を上手に活用したいと思います。
京都の食や素材、だしの取り方、さらに鰹節や昆布が育つ海の変化など、とても深く広い興味深い話を「ふじや鰹節店」店主 藤井英蔵さんにお聞きしました。

諸国名産が集まった京の都


千年の都の京都には、宮中や寺社へ全国から逸品が献上され、そのなかに今も伝統野菜として栽培されている野菜や、鰹節に昆布もありました。次第に京都でも野菜の栽培が盛んになり、風土にあった改良も重ねられました。鰹節や昆布も一般に手にすることができるようになり、海から遠く離れていることもあり、野菜と出汁すぐれた素材を組み合わせて独自の食文化が発達したと言われています。

ふじや鰹節店の藤井英蔵さん
ふじや鰹節店の藤井英蔵さん

藤井さんも「京都は特に格付け、ものの良しあしに厳しいところです。京の都には全国から超一級品、最上のものが入ってきたので」と話しておられました。お店に置いてあるきれいな銀色の煮干しは、ほっそりと小ぶりです。「小さいのを好まはる」ので、10センチまでのものを仕入れているということでした。普段使いの煮干しにも「好み」という表現に違和感がないのが京都のすごさとも感じます。
鰹節に昆布、小豆や黒豆、椎茸等々、乾物とはこんなにいろいろあるのだと知るだけでも、いい勉強になります。さらに何でも答えてもらえる先生がいる「まちかど乾物博物館」のようです。

専門店としての特色が大きな強み

ふじや鰹節店の店頭
ふじや鰹節店は「乾物は不況に強い商い」とうことで藤井さんのおばあさんが開業しました。藤井さんが小学校3~4年生頃から高度成長期に入り大阪万博もあり、商店街はたいへんな人出で沸き返ったような様子だったそうです。藤井さんも高校生の時にはバイクの免許をとり、学校から帰ると毎日、遠くは鞍馬あたりまで配達していたそうです。
それは経済活動が活発であったこともありますが、いつもお店で削った削りたての鰹節を買うことができ、昆布もきちんとしたまちがいのないものを届けてくれたからだと思います。

ふじや鰹節店の藤井英蔵さん
まだまだ現役、30年選手の鰹節削り機

今お店にある鰹節削り機は3代目、使い始めて30年になります。製造メーカーは廃業してしまいましたが、かろうじて社員だった方がメンテナンスをしてくれているそうです。
こうして鰹節を削って袋詰めするお店はほとんどなくなり、乾物屋さん自体を見かけることがありません。以前は町内に2~3軒はあり、この枡形商店街にもほかに乾物屋さんがあったそうですが今はふじや一軒だけとなりました。
「食生活や暮らし方そのものの大きな変化のなかで、乾物屋としてどうしていくか」それは「ほかにはない商品がある。目利きが選び、作った商品でふじやというブランドにして専門店としての強みを大切にすること」と方向を定めました。
ふじや鰹節店の鰹節
取材伺った日はいつもにも増して、鰹節のいい香りがただよっていました。鰹節を削る日に当たっていて、削りたての鰹節が次々と袋詰めされていきます。おいしいものは美しいと感じます。今では製造できる人はわずかとなった「薩摩形本枯節」を使っています。
1匹、1匹、職人さんが見定めて15㎏はある一本釣りされた鰹を4節に切り分けることから始まります。カビ付と天日干しをくり返し、7~8か月かけてやっと完成する最高の鰹節で日本料理には欠かせません。
ふじや鰹節店の鰹節
ふじやは鹿児島県の熟練の職人さんのものだけを扱っています。昆布も普通出まわっているのは養殖物ですが、ふじやでは天然ものを揃えています。最近は海水温の上昇が続き、昆布の生育にも異変が起きているそうです。
これまでも取材などの折に「後継者はいるのですか、とよう聞かれましたけれど、後継者うんぬんの前に、売るものがなくなりそう」という危機感を抱いています。

お正月に作るたつくり用のごまめは、毎年宮津で11月に水揚げしたものだけを入れていますが、今年は不漁で非常な高値となり仕入れることができなかったそうで異変は広がっています。
長引くコロナの影響など社会の変化は個々の暮らしにも及んで、今は「すぐに食べられるもの、価格が安いもの」に傾いている状況ですがそのなかでも少しでも鰹節や昆布のことを知ってもらいたいと、切り出しや色が少しよくないといったもので買いやすい価格の「品質はそのままのお買い得商品」をつくっています。

地域のなかの店だから続いてきた

ふじや鰹節店のある出町枡形商店街
「変化のなかだからこそ、鰹節や昆布についての豊富な知識、お客さんにとって役に立つ情報」を商品と一緒に提供しています。乾物入門的なお客さんには、質問に答え相談にのり、乾物を取り入れた食生活のよいところなど、無理をしない利用の仕方をアドバイスしています。もうすぐ節分・立春ということで枡形商店街では「立春大吉大売り出し」中です。藤井さんはお客さん一人一人に、大売り出しのチラシを渡しながら「抽選会もあるので」と宣伝も怠りません。

ふじや鰹節店で昆布も豊富に取り扱っています。
昆布も種類豊富に取り扱っています。

ふじや鰹節店ではお寺やお宮さんのお供え用の昆布も納めています。藤井さんは「それがあるんで店をやめられへんかった」と笑いました。
また「鰹節の持ち込み」があり、削りを頼まれることもあります。「加工代をいただいている」そうですが、預かった鰹節は洗って蒸して乾燥させてから削り機にかけるそうです。「商店街でずっとやって来た乾物屋やから、こういうこともやらせてもらってます。」
ふじや鰹節店の福豆
鬼のお面と豆の横に栃木県産のかんぴょうが置いてありました。節分のころは巻きずしを作るお客さんが多いのだそうです。巻きずし用にと干し椎茸をしな定めしていたお客さんには「芯にいれるんなら薄いほうが巻きやすいから」と具合のよいものを選んであげていました。
京都というまちと暮らしをお互いに支えている枡形商店街とお客さん、そしてふじやのようなお店があることが、京都の誇りとするところだと思いました。地域密着のお店にははじめて知ること、発見がたくさんあります。

 

ふじや鰹節店
京都市上京区枡形通寺町東入三栄町63
営業時間 10:00〜18:00
定休日 水曜日