ぼたん鍋の季節 京都寺町のゐの志し屋

寒の内、京都のまちを囲む三方の山々も冬時雨にけむっています。自然となべ物の登場回数も多くなる季節です。
幅広いふちどりのような脂身がたっぷりある猪肉のぼたん鍋は、代表的なご馳走鍋でしょう。昆布でとった出汁に白みそを入れて、脂身の旨みを味わいます。
煮込むほどにおいしく硬くならない最高のイノシシを販売する、京都市内で一軒だけのお店があります。大正5年の創業時から今も変わらず、寺町今出川で商いを続ける「改進亭総本店」の三代目店主、松岡啓史さんに話をお聞きしました。

牡丹、山くじら、桜に紅葉、薬食い

改進亭総本店店頭
日本では仏教の殺生をしないという教えや、牛や馬は大切な働き手であったことなどから肉食は禁止、あるいははばかられてきた歴史があります。ではそれまでまったく食べていなかったのかといえば、そうでもなかったようです。牛馬以外の、山に住む獣肉は古くから食べられていて、江戸時代には馬を桜、鹿を紅葉、そして猪は牡丹と呼んで楽しんでいいました。その名前がついた理由は諸説ありますが、そうやって隠語を使って舌鼓を打っていた様子を想像するとほほえましく思います。

歌川広重 江戸名所百景 びくにはし雪中
歌川広重 江戸名所百景 びくにはし雪中(wikipediaより)

猪は「山くじら」とも言われていました。「これは山にいるくじらですから、猪ではありません」というわけですね。歌川広重の「名所江戸百景」に、山くじらと書いた看板が見える浮世絵があり、気軽に屋台でも食べることができる人気メニューであったことがうかがえます。
また「薬喰い」と称して、体の養生のために薬として食べていることにするなど、様々にこじつけて食していたようです。おおっぴらに食べられるようになったのは時代が明治になって、牛肉のすき焼きを出す「牛鍋屋」ができてからです。
御所があり寺院の多い京都では、食文化においても有職料理や精進料理、茶懐石の料理を伝えてきましたが、進取の精神で新たな文化も次々取り入れ、すき焼きの店も明治の初めにできていきました。改進亭総本店も大正5年に現在の地で創業しました。

今もみずからの手で解体して店頭へ

改進亭総本店の店頭
創業者は松岡さんのおじいさんで、当時、京都ではまだ豚肉の扱いはなく牛肉のみを販売していました。「加茂牛」という、とてもおいしい牛肉だったそうです。「京都は小さいまちなので、すぐ近くに山があります。それにここは京都のまち中でも北のはてやから、上賀茂や西賀茂の猟師さんから、猪が持ち込まれるようになったと聞いています」と松岡さんは語ります。
その買い取ったイノシシを多くの人に知ってもらい、実際に買ってもらうために考えたすえ「洛北名物」と銘打って売り出しました。才覚のある初代が築いた改進亭は、その時から「寺町のイノシシ屋」として、ぼたん鍋のおいしさを広げ、まちがいのない店として知られるようになりました。
いのしし
イノシシは仕留めたらすぐに血抜きして内臓を出し、冷たい谷水につけるのだそうです。そうすることで肉がいたみません。猟師さんの仕事はそこまでで、皮をはぐ作業は今でもお店でしていると聞いて、これにもおどろきました。イノシシの旨みは何と言っても脂にあり大事なので、できる限り脂が多く残るように、皮と脂の境い目ギリギリのところではぐそうです。
断熱材の役目を果たす脂の層は、普通は2・5センチくらいですが、いいものは3~4センチもあるそうです。「持っている脂がイノシシの財産」なのです。そして「野生で生きているものは太って元気なのがおいしい」と断言します。「苦労して走り回って、たくさんえさを食べたシシはすごくおいしいです。彼らは自分の身ひとつが財産です。人間で言えばお金持ちですね。僕なんかシシだったら生きてられないですよ。けんかも弱いし」と物静かな口調のなかにユーモアを織り交ぜながらの「もっと聞きたい」と引き込まれるお話でした。
改進亭総本店の猪肉
現在は道路網が整備され輸送が短時間になったので、丹波、若狭、丹後、滋賀県のイノシシも入っていますが、産地うんぬんより、そのイノシシがよい個体であることが肝心になります。そして重要なことは血抜きがうまくできているかどうかです。血抜きがうまくできないと、せっかくの宝が台無しになってしまいます。血抜きがうまくできていないと脂身は赤くなり、赤身の部分は黒くなってしまうと聞きました。個体差のあるイノシシを吟味して血抜きの具合も見極めることは、経験に裏打ちされた目利きの仕事です。
精肉の仕事も一度外で修業して店は入ることが多いのですが、イノシシを扱う精肉店は他になかったので、松岡さんは最初からおじいさんとお父さんの仕事を見ながら経験を積んできました。京都市内で一軒だけのイノシシ屋としての信頼をしっかり引き継いでいます。

今も変わらぬ生まれ育った家と店

改進亭総本店のある寺町通り改進亭総本店の店頭
改進亭は、様々な業種のお店が並ぶ地元の頼りになる「出町枡形商店街」に続く寺町通にあります。近所には「傘」や「貸布団」の看板がかかった町家があり、営業を続けるモダンな建築の理髪店や「茶」と染め抜いたのれんが下がるお茶屋さんもあります。
以前、この通りの雰囲気に魅かれて歩いていて目にとまったのが「寺町ノゐの志し屋」の看板でした。出かけられるところの松岡さんと居合わせ、少し立ち話をさせていただき「イノシシは11月から3月まで販売しますので、その頃またどうぞ」と聞き、看板のとおり「イノシシ屋」さんだったのだと思いました。

改進亭総本店のご主人、松岡啓史さん
改進亭総本店のご主人、松岡啓史さん

お店の構えはいかにも「まちのお肉屋さん」の懐かしい雰囲気をまとっています。時々お店を手伝う妹さんから「子どもの頃は、イノシシが店の中へ台車で運ばれてきて、その上に乗って電車ごっこをしていました」という思い出は、他では絶対に聞けない貴重な話でした。
松岡さんは上京中学校でブラスバンド部へ入りホルンを吹いていました。上京中学校は毎年吹奏楽コンクールで上位入賞を果たしていて、練習もかなり厳しく「運動部からも恐れられるくらい」だったそうです。今も自転車にホルンを乗せて、人のいない山のほうへ出かけて吹くことを楽しい趣味にしています。本当はトランペット志望だったのがホルンをあてがわれてしまったけれど、調べてみたら狩りの時に吹いていたと知って「うちはイノシシ屋なので縁があるんやなあと思いました」という、本業以外の話にも、おだやかなお人柄があらわれていました。
ぼたん鍋
お店には毎年来店する常連さんや飲食店の方をはじめ料理屋さんからの注文もあります。猟師さんもお客さんも長い付き合いが続いています。松岡さんは「京都はそういうまちやから」と言います。「昆布出汁をしっかりとって、白みそと赤みその割合は7対3。しっかり煮込んで脂のおいしさを味わう」改進亭総本店流のぼたん鍋が京都の底冷えのなか、多くの人の体と気持ちをあたためてくれます。

 

改進亭総本店
京都市上京区寺町通今出川上る表町35
営業時間 10:00~19:00
定休日 水曜日

世界に広がれ 京太のはちみつ

コロナの影響でぽっかり時間が空いた日々に、京都大学農学部4年生の3人は「全国各地の農家さんのお手伝いをする旅」に出ました。
そこには自然にあらがわず、様々なことをみずからの力と技術でこなしていく本当に豊かな暮らしぶりと、そこに住む人々の「かっこいい」姿がありました。お米作り、梅の栽培、養蜂や炭焼き等々の達人や師匠となる人々とめぐり合い、二ホンミツバチの養蜂で「百姓として生きていく」夢の一歩を踏み出しました。
4月から始めて10月には、市場に出回ることがきわめて少ない「幻のはちみつ」の販売にまで漕ぎつけました。名付けて「京太のはちみつ」です。
農家さんの生き方に敬意と共感をもち可能性を信じて「百姓」への道を歩む、京太のはちみつ代表の大島武生さん、副代表の三宅新さんと伊藤佑真さんに二ホンミツバチのこと、これからの夢について語っていただきました。巣箱を囲んでの愉快なひと時でした。

養蜂を始めたわけと1パーセントの贅沢

ニホンミツバチ
市販されているはちみつの容器には「国産」「中国産」などと記載されていますが、そもそも国産とは何か、それは二ホンミツバチのはちみつではないのかなど、はじめて知ったことが多くありました。農林水産省の調査によると日本のはちみつ自給率はわずか6パーセント、そのなかで二ホンミツバチが占める割合はたったの1パーセントです。
昔から日本の山野にいた在来種の二ホンミツバチは、人間に育てられるようになっても野生の気質が抜けず、用意した巣箱も気に入らなければ引っ越してしまうという奔放さに付き合わなければなりません。セイヨウミツバチに比べ体は小さく、集める蜜の量も10分の1ほどに過ぎません。養蜂には「不向き」と言える二ホンミツバチですが、その苦労を帳消しにするほどのすばらしいはちみつをつくってくれるのです。

左から大島さん、三宅さん、伊藤さん

三人は口を揃えて、はじめて二ホンミツバチのはちみつを食べた時の味わいと香りは衝撃的だったと言います。「とにかく本当においしい」これが原点になりました。
調べていくうちに、巣箱は自分たちで作れそうなこと、とても希少なものであることがわかりました。受粉の役目をしてくれるミツバチは農家にとっても大切な存在です。将来農業をやってみようと思っている三人にとって仲間になります。かくして、貴重な1パーセントのはちみつを一人でも多くの人に知ってもらい届けるために京太のはちみつプロジェクトが始動し、養蜂を開始しました。

無添加・非加熱の百花蜜を届けるために

京太のはちみつ
二ホンミツバチが野山に咲く複数の花の蜜を集めてできたおいしい百花蜜も、加熱すると香りや味わいや多くの種類が含まれている栄養素が損なわれてしまいます。市販のはちみつのほとんどは熱処理が行われています。採蜜のタイミングや工程の効率をよくすることができるそうです。
京太のはちみつはミツバチや野山の自然のリズムに合わせて、ゆっくり時間をかけて熟成された蜜をいただき、熱処理も添加物も無しの、香りや花粉も味わいを深める「生」のままのはちみつです。
8月は5㎏、9月は2か所で合計10㎏採蜜し、10月に販売を開始しました。採取した巣から自然に垂れてくる蜜を集めた「垂れ蜜」と、垂れ蜜をとった後に巣に圧力をかけて絞った「圧搾蜜」の2種類です。趣味の養蜂ではなく、自分たちが生産したものを世の中に問い、売るというチャレンジです。
京太のはちみつ秋の垂れ密
大島さんは、高校の修学旅行で保津川下りの「船頭体験」をしたことから、すっかり京都に魅せられ、今は「若手船頭」とラフティングガイドとしてアルバイトをしています。この長年のご縁から、商品化された最初のはちみつを、保津川下りの待合所の売店に置いてもらい、130グラム3000円という高額にもかかわらず見事完売となりました。「なかなか手に入らないから」と2個、3個まとめて買ったお客さんもあったそうです。

巣箱の手入れをする三宅さん(左)と大島さん(右)

三宅さんは愛媛県で、お金のやりとりなしで「食事・宿泊場所」と、「力と知識・経験」を交換し、有機農業や環境に負荷をかけない暮らし方などについて知見を深め交流するWWOOF(ウーフ)に初参加し、その経験を現在の活動に生かしています。二人ともバトミントンが得意でその技を、二ホンミツバチを狙って襲来するスズメバチ撃退に発揮しています。

巣箱にはスズメバチ除けの赤いネットが付けられています。

10月からメンバー入りした伊藤さんは、ミツバチより後輩の一番の新参者の序列となっていますが、農業サークルに所属し、全国各地で農家の手伝いをしてきたバイク旅の愛好家です。ホームページやSNSでの発信を一手に引き受けて活躍しています。スズメバチの群れを追い払う、大島さんと三宅さんの目にもとまらぬ速さのラケット技法に感嘆していたら、そこで出くわしたセイヨウミツバチに刺されて大変な目に合ったそうですが、それにもひるまず巣箱の様子を見に来ています。
三人の二ホンミツバチとの付き合いは始まったばかり。まだまだ未知なるミツバチの世界の探求は続きます。

海外にも広げたい二ホンミツバチのはちみつ

京太のはちみつ 亀岡の巣箱
紅葉を楽しんだ野山にも枯れ色が目立つようになった12月はじめ、亀岡と京大付近に設置された巣箱の見学をさせてもらいました。
亀岡の巣箱は静かな山里にあります。ご自身も荒れた竹林整備の活動をされ、二ホンミツバチの養蜂を行っている、真福寺の満林晃典ご住職の厚意で、境内地に続く小高い場所に巣箱が置かれています。少し前まで一面にコスモスが咲いていた所もその先の竹林も、みんなで協力して整備されたそうで、手を入れた自然のよさがよみがっています。周囲の豊かな自然は百花蜜をつくる二ホンミツバチのすみかに最適です。

真福寺のご住職も一緒に様子を見に来られていました。

一週間様子を見に来てなかったそうですが安泰のようでした。これからの寒さ対策としてシートでおおうかどうか検討中ということです。スズメバチの侵入を防ぐ網も張ってありました。「養蜂は野菜や果物のように手をかけなくてもほったらかしておいてもいいから」という話もされていましたが、どうしてどうして、よい蜜をとれるようにするには考えること、やっておかないといけないことが多くあると感じました。
また、あろうことか大家さんであるご住職の巣箱より、店子の京太の巣箱のほうが蜜がたくさん取れたそうです。来年はどうか両方の巣箱にたくさんの蜜が集まりますようにと祈る気持ちです。
京太のはちみつ 京大の巣箱
もう一つの巣箱は京大の近くにあります。通りから構内のイチョウやクスノキの木立が見え「大学のまち」の景観を形づくっています。付近に大学付属の農場や植物園もあるため、まちなかであっても自然度が高く、京太の二ホンミツバチたちにとっても良い環境です。スズメバチとガに攻撃され、ひと群れは壊滅してしまったそうですが、残った巣箱の中は異常なしでした。
ニホンミツバチ
今、二ホンミツバチに限らずミツバチの減少が各地で報告されています。原因の一つとして、ネオニコチノイド系の農薬の影響が指摘されています。二ホンミツバチは農薬にとても弱いので、京太でも巣箱の設置には細心の注意を払っています。作物にとって欠くことのできないミツバチなど小さな生き物との共生の大切さが今また問い直されています。

京太のはちみつを海外へ広げようという構想が考えられています。自然がくれた贈り物のはちみつとプロジェクトの取り組みは、世界中で受け入れられるものだと感じました。
女王バチは2~3年、働きバチは2~3か月しか生きられないという、命をかけてただ花の蜜を集めるだけの一生に哀切さとともに、尊さも感じました。それはミツバチのことを愉快に生き生き話す三人の、農業や自然との向き合い方や「恵みをいただく」という謙虚な気持を感じたからかもしれません。
今までにつながりのある、お世話になったみなさんも、これからの展開を楽しみにしていると思います。はちみつの採取は春までお休みですが、ぜひホームページやSNSをチェックしていただいて現在進行中の京太のはちみつの活動に注目してください。そして少しでも自然の営みを感じられる暮らし方について、考えてみたいと思います。

 

京太のはちみつ htpps//forjyapan.kyotahoney.com

タルトとフランス菓子を 長岡京で

世の中にはあらゆる種類のお菓子があふれています。有名シェフと言われる人が作ったものでも、遠く離れたお店のものでも手に入る時代です。そんな今、ケーキを買う日はどんな日でしょう。家族の誕生日、記念日、いいことがあった日、反対に心が沈んだ日。お菓子はその時々の気持ちにもかかわって、思い出として刻まれます。
フランス文学を専攻した青年が、お菓子作りの道へと進み、生まれ育ったまちでお店を開きました。おいしさを追求し、素材に妥協なしの「何気ない普段の日を少し豊かにする」お菓子です。
タルトとフランス菓子の専門店「プチ・ラパン(小さなうさぎ)」は、開店から14年を迎えました。こじんまりしたかわいいお店は、オーナーシェフの個性とお菓子への思いが凝縮されています。お菓子と一緒に楽しい会話も手渡し、味わう場面をより幸せにしてくれます。パリで出会った一つのお菓子が人生を決めたプチ・ラパンの物語です。

フランス菓子にたどり着くまで

プチ・ラパン外観
阪急電車の長岡天神駅から3,4分歩くと、地中海の町を思わせる白い建物のショッピングモールがあります。こみちをたどるように、レンガの通路を進むとそれぞれの感性にあふれる店舗が並んでいます。白地にオレンジ色が映える日よけと、オレンジ色のドアが可愛いお店がプチ・ラパンです。
オーナーシェフの友田成生さんは、高校生の時から友だちを呼んで「パーティのようなこと」をするのが大好きだったそうです。そこで「パーティならフランス料理」と思いたち、インターネットもない頃のこと、すぐに近所の本屋さんで5冊組の料理本を購入し読んでみると、フランス料理の背景や食に対するこだわりに衝撃を受け、あこがれを抱きました。しかし「好きなことは趣味にしたほうが楽しい」と、大学へ進学しました。ただフランスへの思いは断ちがたくフランス文学を専攻。しかし「就職超氷河期」が囁かれる状況となり「フランス文学を学ぶ男子が就職できるのか」という不安がわき上がり、中退してフランス料理の道へ進みました。
パリの街並み
横浜や東京のレストラン、結婚式場、ホテルで経験を積む中で、休暇をとってパリへ行き、有名店めぐりをしてみたものの「これがわざわざパリまで来て食べる味なのか。東京でもどこでも食べられる味だ」と残念な思いがつのりました。そんな時に入った名も知れないパン屋さんの「りんごのパイ」を食べて、お菓子への価値観が一気にくつがえったのでした。良いりんごと小麦粉にバターを使い、ていねいに焼いたごく普通のパイこそ本当においしいのだと教えてくれたのです。友田さんの進むべき道がはっきりした、かけがえのない出会いでした。
プチ・ラパンのモンブランプチ・ラパンのタルト
最高の素材を使ったシンプルなタルトやフランス菓子を、地元長岡京のみなさんに日常でも気軽に楽しんでほしいと、2007年2月にプチ・ラパンが誕生しました。お店に並ぶのは、きらびやかなデコレーションや、生の果物を色とりどりに使った華やかなケーキとは違っています。「菓子屋の仕事は素材の旨みを引き出す最大限の糖分量と火入れの時間の見極め」と語るように、果物も火を入れた、生とは違うおいしさがしっかり味わえる焼き込んだタルトが中心です。
季節限定の商品もありますが、常時5~7種類のタルトとシュークリームなどが並んでいます。時々「甘さ控えめですね」と言われるそうですが、フランス菓子の基本をきちんと踏襲しているので、糖分量を抑えて作ることはないと言います。甘さ控えめのケーキがほしい、あるいはおいしいと思っているお客さんが、ここのケーキをおいしいと感じたということは、素材に妥協せず、ていねいにつくったプチ・ラパンのお菓子の味が伝わったのだと思います。「一生懸命やっていれば必ず見てくれる人がいる」という言葉を大切にしていると話してくれましたが、甘さ控えめ云々の出来事がこの言葉を裏づけています。

早い時期に本物を知ってもらう職場体験

オーナー友田さんとピカピカに磨かれたクリームをたく銅の大鍋
オーナー友田さんとピカピカに磨かれたクリームをたく銅の大鍋

今年はコロナのために実施されませんでしたが、毎年中学生の職場体験を受け入れています。学校へは「アシスタントを一人入れるつもりで受け入れます」と伝え、3日間一人で参加すること、お店のユニフォームを着てお店で日々こなしている仕事と同じ内容で働いてもらうことを条件としています。
実際の仕事は、タルトと並ぶ看板商品のシュークリーム作りです。いつもと同じ量のシュークリーム用のクリームを銅の大鍋でたき、皮に詰め、3日目はお店の外で販売してもらいます。
プチ・ラパンのシュークリーム
大きな銅の鍋でクリームをたきあげることも、皮にいっぱいのクリームを詰めることも、どれだけ大変かを知ると、指示がなくても自ら次々仕事を進めていくそうです。そして、自分が完成までかかわったシュークリームが売れると、顔つきが変わると聞き、友田さんが求めている「仕事の本質を知る」ということに一生懸命取り組んだ中学生は、きっと得難い経験になったに違いないと感じました。
また再生繊維のユニフォームやテイクアウト用には再生紙の箱、夏場はクリームを冷やすために使った水で打ち水をするなど、毎日の仕事のなかでできる少しでも環境への負荷を減らすことを行っています。バターや牛乳、小麦粉などお菓子作りの素材はすべて自然と人の営みのなかから生まれています。プチ・ラパンのお菓子をこれからも多くの人に届けるために、毎日の少しの努力が続けられています。

お菓子だけにとどまらずNEXT GOAL


友田さんにお店の名前はどのようなことからつけられたのか聞くと「よく覚えてないのです。最初はパリの学生街のカルチャラタンからとって、カルチェラパンという名前を考えたのですが、わかりにくかったので、プチ・ラパンならかわいくてミッフィーのイメージもあるし覚えやすかったからだと思います」と返ってきました。肩に力など全然入っていないゆるやかでとても柔軟な答えで笑いがこみあげてきました。

「プチ・ラパンコーポレート」のサイトは「上級ウェブ解析士」の資格を持ち、自社のホームページやフライヤーなどの制作もこなす友田さんが、段々とこの分野の仕事の相談や依頼を受けるようになり、開設されました。食品表示法についてなど、食品や飲食にかかわるすべてのお店に必要な情報が、わかりやすく紹介されています。また、ウェブを活用する一方で紙媒体の良さも生かしています。奥様のMIYAマネージャーさんは、10年以上ほぼ週刊で発行される手書きの「プチ・ラパン通信」を担当されています。
去年のクリスマスケーキの予約チラシを地元中心に新聞折り込みしたところ、すぐに予約数が埋まったそうです。また市内9店舗の洋菓子、和菓子、パンのお店合同の「秋冬コレクション」のチラシも近々折り込みされるとのことでした。経営者、シェフ、ウェブ関連の仕事と、よくこれだけできるものだと感心します。しかし「よく時間がありますね」「すごいですね」などの愚問は差しはさむ余地のない明快でおおらかで、楽しそうな話ぶりです。
プチ・ラパンのガラシャの絆シリーズ
地元長岡京の特色を生かした長岡京産レモンのタルト、細川ガラシャゆかりの地として「ガラシャの絆」シリーズなども商品化されています。絆シリーズはスパイスがきいた焼き菓子「激昂・信長」アーモンドに砂糖の衣かけをほどこした「父光秀の愛情」など傑作ぞろいです。
本場フランスのタルトとフランス菓子の専門店プチ・ラパンはこれからも、私たちに想像もつかないおもしろくておいしいお菓子の夢を見させてくれそうです。

 

プチ・ラパン
京都府長岡京市開田3-3-10ロングヒル1階
営業時間 10:00~19:00
定休日 月曜日

地域農業の成果 名物そばどころ

「新そば」ののぼりを見かけるようになりそろそろ新そばの季節がやって来ました。晴天が続いたある日、思い立って亀岡市の西南端のそばの名所、犬甘野(いぬかんの)へ行って来ました。標高400メートル近い山間地にあり、きれいな空気と水に恵まれ、昼夜の寒暖差が大きいという農業に最適な条件を備え、もともとおいしいお米が作られて来た地域です。転作作物として、そばの栽培に取り組み、自家栽培、自家製粉のそばは今「犬甘野そば」の看板をかかげ、多くのそば好きが繰り返し足を運ぶそば処となっています。運営の主体は、地域ぐるみで豊かな自然環境と農業の継続に取り組んできた「犬甘野営農組合」です。一面に咲く白いそばの花と黄金色の稲は、犬甘野を象徴する秋の風景です。香り高いそばには「ここで暮らす」人々の30年近い年月の活動が土壌となっています。

開店早々から、あふれる活気


JR亀岡駅前から出発し、京都先端科学大学前で小型の「ふるさとバス」に乗り換え、木々が生い茂るつづら折りの険しい道を進みます。途中バス停でなくても自由に乗り降りできる「フリー乗降区間」も設定されていて、その旨の車内アナウンスがありました。地域を持続可能にするためには、こういった配慮や工夫は大切です。30分足らずで目的地「風土館 季楽(ふうどかんきら)」へ到着です。
犬甘野風土館 季楽犬甘野風土館 季楽
秋というには強い日差しを受け、野菜の直売所とそこにつながる飲食スペースに、よしずが優しい影をつくっています。平日の週始めにもかかわらず、地元産の新鮮な季節の野菜や名物のそばを楽しみにして、次々とお客さんが訪れています。
犬甘野地域は、亀岡市街から10㎞、大阪府能勢町や高槻市、兵庫県池田市からは20~25㎞という距離にあり、丹波と北摂地域の境界にあたります。その立地から、京都よりも大阪、兵庫からの来店が多いそうです。
犬甘野風土館 季楽の農産物
代表的な京の伝統野菜の万願寺とうがらし、加茂なす、九条ねぎをはじめ、生産者の名前が記されたラベルが付いた多くのつやつやの野菜が並んでいます。銀寄せと呼ばれる大粒の丹波栗やぶどうなど、季節の味覚もあり「わざわざ買いに来る価値のある直売所。いつも楽しみです」という声に納得します。自家製の切り干し大根やローリエなど加工品もあり、いろいろと工夫され、一生懸命直売所を盛り上げています。
犬甘野で収穫されるお米は豊かな自然のなかで、たい肥を使った土作りを行い、化学肥料や農薬の使用を極力減らした安全でおいいしいお米です。「京都府エコファーマー」の認証も受けています。10月1日から新米の発売となりましたが、毎年大好評で「本当においしいから米はここで買うことに決めている」と10㎏袋を抱えて話す人もありました。隣接の精米所も休みなく動いています。そばはもちろん、お米は、豊かなむらづくりに励んできた犬甘野の象徴です。

新しいものを生み出す工夫や努力

犬甘野風土館 季楽犬甘野のそば
そば好きの人のあいだでも定評のある犬甘野そばの一番人気は、そば粉8割に亀岡産の山芋をつなぎにした二八の手打ちです。早々に売り切れになることもあるそうです。風土館 季楽は開設から27年を迎え、これまでの積み重ねの上に研究と工夫を重ね、経営努力を続けています。そばのメニューも、きつね、山かけ、月見、おろしなどの定番のほか、そばそのものの香りや風味を、ていねいにとった出汁で味わえる「そばがき」もあります。
犬甘野米のおにぎりや、お餅は、そばに足して、しっかりおなかを満たしたい人にもうれしいメニューです。ぜんざいやあん餅の小豆もすべて季楽で炊いています。日曜日限定の、山菜ごはんや草餅は待つ人多しの人気ぶりです。
犬甘野風土館 季楽のぜんざい
季楽でのゆっくりした時を過ごしてもらいたいと力を入れる一方、そばは亀岡市の特産品として出荷を喜ばれていることから、季楽で販売のほか量販店へも出荷しています。「そばパスタ」は打ったそばの端を活用した商品で、ごみを出さず、そばのまるごと活用です。ドレッシングでサラダ風に、また和え物にもよいとスタッフの方に教えてもらいました。
壁には、そば打ち体験をした地元の小学生から寄せられたメッセージを貼ってあります。「自分で作ったそばはおいしかった」「これからも、そばをたくさん作って人気者になってください」など、顔がほころぶ素直な感想が書かれています。窓に面したカウンター席は、目の前に広がる景色を眺めながら食事ができます。

飾られた季節の花は気取りのなさが素敵です。

きびきびと立ち働く女性スタッフの、細やかな情のある接客も気持ちよく、それも季楽の雰囲気の重要な要素になっています。一人一人が、自ら考えながら楽しく働く季楽の雰囲気に、心地よい時間を過ごすことができます。「コロナ以前に驚くほど人が来ていたわけでもないし、また、コロナになっても来店数や売り上げは以前とさほど変わっていません」という言葉にも季楽の強みを感じました。

循環型農業で地域の将来に希望を


「楽しみながら農地活用」「美しいふる里 みんなのおもい」と書かれた看板が周囲の景色に溶けこんで立っています。ふしぎと説得力を感じます。この二つの言葉は、机上のことではなく、まさに犬甘野営農組合がこれまで築き、今も取り組んでいるテーマです。
元組合長の和崎邦夫さん
元組合長の和崎邦夫さんに6年ぶりにお会いしました。変わらぬ意欲で「来年2月で80歳になるけれど、米や野菜を作っていれば健康でいられる」といたって元気な「生涯現役」農家さんです。昨今の異常気象で、去年こうだったからという経験則ではだめで、毎年考えながら農業を続けないといけない状況だと話されました。
昭和50年代後半に入ると、農業に従事する人が減り、農業を中心とする犬甘野でも地域の崩壊が懸念されました。そのようななかで、みんなで地域の自然環境と農業を守ろうという機運が高まりました。そこで3つの集落が一緒になって営農組合として組織化し後に法人として設立しました。
稲からの転作として始めたそばの栽培や製粉、製麺技術も努力して習得し、研究を重ねました。このようにしっかりした土台があったことで、そばや地元の味の提供、加工品製造、販売への思い切った展開ができたのでした。そばの花が咲き、稲穂が揺れる景観は、収益をもたらすとともに、ふるさとの資産となっています。
犬甘野のそば
和崎さんは「30年前からCo2を出さない農法にいち早く取り組んできた」と犬甘野の先見性を力強く語りました。エコファーマー認定項目の一つ、たい肥を入れた土つくりには、近くの和牛肥育場の牛糞を利用しています。循環型農業の実践は地元の他企業と共同して安全で地球に負荷をかけない農業を継続することにつながっています。
犬甘野の牛
肥育場では、現在約70頭の黒牛がいます。一頭につき1回に5㎏の餌が必要であり、朝6時と午後3時の2回餌やりをするので、10㎏が必要になります。牛舎の清掃もあり休む間もない仕事です。「ことみ」「ひさこ」など一頭一頭に名前が付けられていて、餌を食べる合間にこちらに顔を向けるなど愛嬌も感じます。2年間育てると聞き「情がわきませんか」と聞くと「やっぱり情がわくねえ」という答えでした。そのつらさも含めて、本当に大変な仕事であることが深く実感されました。
持続可能な社会と口にするけれど、食料を生産し、そこに住み暮らすことで地域の自然や文化を守る人たちの尊さ、そのおかげで今があるということを強く感じました。少子高齢化や空き家問題などは、全国各地が抱える課題です。それにどう向かっていくのか。犬甘野の「楽しく農地活用」のスローガンが後押ししてくれているように感じました。

 

犬甘野風土館 季楽(いぬかんの ふうどかん きら)
亀岡市西別院町犬甘野樋ノ口1-2
営業時間 10:00~16:00
定休日 木曜日

人と産地と 一杯のコーヒー

京都は喫茶店の多いまちです。昭和の老舗喫茶店が健在な一方で今、20~30代の経営者によるコーヒー専門店も注目され、京都の喫茶店文化に新しい風が吹いています。今年7月2日、京都駅に隣接するキャンパスプラザ京都1階に店舗をオープンした「コヨーテ」は、中米のエルサルバドルの生産者から直接コーヒー豆を買い付け、コーヒーが育った土地や、農園で働く人々の姿や思いも一緒に届け、双方の未来へとつなげるコーヒーブランドです。エルサルバドルのコーヒー農園で、一緒に仕事をして信頼関係を築き、生産者と消費者の間に立つ存在でありたいと、この事業を立ち上げた、バイヤーでもある門川雄輔さんも現在29歳です。

意志を込めた「コヨーテ」の名

コーヒーチェリー
コーヒーチェリー

もともとコーヒー好きだった門川さんでしたが、大学生の時にバックパッカーとして中南米を旅するなかで、コーヒー農園で収穫を手伝う機会がありました。そこで、豆はチェリーと呼ばれるさくらんぼのような美しい赤い実であること、収穫は想像以上に重労働であり、コーヒー栽培には多くの人の手がかかっていることを知りました。この時「農作物」としてのコーヒーを実感した体験がその後の「コーヒーを仕事にする」選択のみなもとになりました。コーヒーの魅力をより深く感じるようになり、卒業後はコーヒー製造会社へ就職しました。JCTC(ジャパン・カップテイスターズ・チャンピオンシップ)という、コーヒーの専門家がしのぎを削る「カッピング」の競技大会で決勝に進むほど、技術や知識を深めました。しかし、門川さんが描いていた、コーヒーそのものや、生産者とつながる仕事に直接関わる部署の担当にはならず、悶々とした思いを抱いていたそうです。
COYOTE外観
その時、JICA(ジャイカ)青年海外協力隊の「エルサルバドルでのコーヒー農園支援」の募集を知り、コーヒーの生産について現地で学ぼうと決心し、退職した後2018年に、エルサルバドルへと飛び立ち、農園でマーケティングの仕事をし、経験を積みました。「農作物であるコーヒーは、天候など様々な要因で、毎年まったく同じように品質の良いものを生産することは不可能です。それでも生産者は、良いコーヒーを作るために努力を惜しまず励んでいます。その年の品質だけで判断するのではなく、長期にわたって努力している、信頼できる生産者のコーヒーを買い付けています」と、門川さんはコヨーテの生産者との関係の明確な指針を語ってくれました。
ちなみに「コヨーテ」とは、コーヒー売買の中間業者(搾取する)のことなのだそうです。新規事業に、皮肉な攻めた言い回しとして、名付けたところにも並々ならぬ思いが受け取れます。
一杯のコーヒーに、どれだけ豊かな自然と人の営みがあるかを知り、そこをイメージして味わえば、コーヒーとの関係も、もっと楽しくなると感じました。

内装はワークショップの「共同作品」

カッピング
開店前の重要な仕事が、コーヒーの風味や香り、焙煎の適切さなどを確かめる「カッピング」です。ワインのテイスティングとよく似ています。集中した厳しい空気がこちらにも伝わって来ます。いくつも並んだカップを前に「この香りはいいね」「ローストはどう」などやり取りをして「これで良し」となると、お店で提供するコーヒーになります。
コヨーテでは、生産から流通まできちんと管理され、独自の風味を持つ「スペシャルティコーヒー」と、農園や生産者、品種など細かく分類された単一のコーヒー「シングルオリジン」を扱っています。運ばれてきたコーヒーには、産地の物語、そのコーヒーの個性について記された心のこもったカードが添えられています。シングルオリジンには生産者の直筆サインが入り特徴が、深く豊かな言葉でつづられています。
この日、門川さんが選んでくれたコーヒーには、生産者アントニオさんのサインのあるカードが添えられ「オレンジの花のような爽やかさ、グァバのようなフレッシュな酸と軽やかな甘みが印象的」と記されていました。
COYOTEのコーヒーコヨーテのシングルブレンド
オスカルさんのコーヒーのカードには門川さんとのやり取りが綴られています。オスカルさんは、門川さんをカディート(スペイン語で子猫の意味)と呼び、元気かいと笑顔で迎えています。親しい間柄がわかります。人柄とエルサルバドルの農園を想像しながら飲むコーヒーは、それはもう最高のおいしさです。
コーヒーもワインのように、時間によって味の変化を楽しむことができることを知りました。本当によいコーヒーは、冷めると飲みこんだ後に、脂肪分のとろっとした感じを味わえるのです。コーヒーには、まだまだ新な発見と魅力が尽きません。
COYOTEの店内コヨーテの寄木テーブル
ゆっくりした気分に沿ってくれるような内装もとても良い雰囲気です。これは工務店さんが取りまとめ役になり、20名ほどで取り組んだワークショップの内装と聞き、それも新鮮な驚きでした。キャンパスプラザの一画である場の性格を生かした、つくり過ぎないけれどきちんと仕事がされていて、みんなで楽しく作業した空気感があらわれています。寄木細工のような味のあるテーブルもワークショップの作品です。

COYOTEの藍染ののれん
コーヒーチェリーを咥えた、まさに「コヨーテ」なのれんです。

多治見焼のドリッパー
入り口の印象的な藍染ののれんは、スタッフさんが型もつくり、染めまでやったと聞き、驚きの連続です。「ものをつくることがすきなので、楽しくやりました。ここは西日がきついので、藍の色がいい具合に落ちついてきました」と話してくれました。
くち当たりが良く、手に収まりやすいカップは福井県の窯のもの、ドリッパーは多治見焼と聞きました。エルサルバドルのコーヒーに、日本のものづくり産地の手仕事も参加して、空間をかたちづくる要素になっています。人も内装もモノも「寄り合う」おもしろさにあふれています。

京都とコーヒーの新しい発信の場

コヨーテのカフェラテ
朝のカッピングが終わり、開店時刻になりました。緊張感のある雰囲気だったみんなの顔がぱっと笑顔になりました。常連のお客さんのようです。「おはようございます」のあいさつを交わし、香り高い一杯のコーヒーで一日が始まれば「今日もいい日になりそう」と思えることでしょう。スタッフのみなさんの楽しく働いている様子が生き生きとして明るい店内の雰囲気をつくっています。
またコヨーテはヴィーガンに対応しています。ヴィーガンは肉、魚のほか卵。乳製品、はちみつなど動物性由来の食材を使わない食生活です。コヨーテには仲間が作る焼き菓子も置いてありますが、完全に植物由来の原材料で作られています。カフェラテも牛乳を使わず、オーツミルクを使用しています。それぞれを味わってみて、バターや卵を使ってなくてもコクがあり、ほのかでありながら甘みもしっかりあり、本当においしいと感じました。
ヴィーガンについて「特別なもの」と思っている人が大多数だと思います。しかし実際に食べて飲んでみて「ヴィーガンは、だれにとっても体によく、作物本来の滋味を味わえるもの」と実感しました。ヴィーガンやアレルギーのある人も、だれもが安心してコーヒーやお菓子を楽しめるお店として、この点でもコヨーテが牽引していくのではないかと感じました。

門川さんは「コーヒーは職人気質の気難しい世界と思われていますが、まずは居心地のいい空間だな、コーヒーがおいしいなと思ってもらい、そこから段々深くコーヒーの話になった時、おっ、けっこうよく知ってるやんとなる。そして一杯のコーヒーから生まれる、どこでできた豆だろうという思いにつながっていけばうれしいなと思います」と語りました。
他府県からのコーヒー好きのお客さんも多く、門川さんやスタッフがすきな喫茶店やごはん屋さんを紹介することもあるそうです。場所は京都駅に隣接する京都の玄関口です。コヨーテが思う京都、コーヒーの物語についての発信を多くの人が受け止めていくことでしょう。そんな新しい京都の入り口になってほしいと願っています。そして門川さんが描く「エルサルバドルのコーヒーをもっと、もっとたくさん買いたい」という構想も、実現にむかって進んでいくと感じました。

 

COYOTE the ordinary shop
京都市下京区東塩小路町939 キャンパスプラザ京都1階
営業時間 7:00〜19:00
定休日 毎週月曜日(祝日の場合は営業)

ドロップ缶のように 楽しむ喫茶店

嵐電の路面電車がゆるゆる走る通りから、少し脇へ行ったところに「入ってみたい」と引き付けられる喫茶店があります。店内はヴィンテージのアクセサリーや雑貨が風景のように配置され、独特の世界観をつくり出しています。古き良き時代のきらめきにあふれながら、始めて入っても、よそよそしさを感じさせない心やすさがあります。
おいしいコーヒーと、年代を経たかわいくておしゃれで美しいものの心地よさにふれ、楽しんでもらいたいという経営するお二人の思いが、すみずみまでいきわたっています。
「入ってみたい」が「また行きたい」になるこのお店は「喫茶とヴィンテージ雑貨 サイドロップ」です。

サイドロップ時間を楽しむ

サイドロップス外観
看板を見た時、古き良き時代のアメリカの雰囲気を感じた「サイドロップ」の名前。地名であり嵐電と阪急の駅の名前「西院(さいいん)のさい」と「いろいろな味をつめ込んだドロップ缶のようなお店にしたい」という思いを合わせたと聞き、そのユーモアのあるセンスに拍手する思いでした。
「カタカナは古びないし、簡単に読めるでしょ。そうやって親しんでもらって地域のみんなの憩いの場にしたいと思ったから」と、名付け親のケイコさんは由来を話してくれました。
サイドロップスの看板猫、あめちゃん
開店して今年で9年を迎え、おいしいコーヒーとなじみのある軽食と喫茶メニューで、この地域の得難い喫茶店として月日を重ねています。
開店した年に生後3か月で家族に迎えた男の子ねこの名前も「ドロップは飴だからアメちゃんにしよう。子どもにも覚えてもらいやすいし」と決まりました。アメちゃんはお店へ出れば大人気ですが、テーブルの上へ乗らず、食べ物に手を出さず、お客さんを威嚇せずと、お行儀は完璧です。カメラ目線で撮影にも応じ、取材は何回も受けています。外へは出ませんが、表を通る人や鳩を眺めるのがだいすきで、子ども達にもかわいがられています。
アメちゃんはサイドロップの優秀なスタッフとしての自覚を持ってみんなと接しているのです。でもアメちゃんの出勤はアメちゃんに任せていますので、残念ながら会えないこともあります。その時は次の出会いを楽しみにします。
サイドロップスの店内
ケイコさんとヒロコさんの二人が大切にしていることは、何よりもお客さんにおいしいコーヒーと食事をゆっくり楽しんでもらうことです。サイドロップの居心地のよさは、こうしたお二人のきちんとした考えや毎日の仕事にあると思います。でも、それを当たり前のこととしてことさら強調したり表に出したりしないからこそ感じる、ゆとりなのだと思います。今日もお客さんそれぞれの、自由なサイドロップの時間が流れています。

ヴィンテージで統一された空間

サイドロップスのディスプレイ
サイドロップの大きな特徴は喫茶店であると同時に「道具商」の申請許可を受けて、古い道具やアクセサリー、服飾・雑貨も販売していることです。店内の一段上がったスペースには3つの異なる雰囲気の席と、ため息のでるようなすばらしいヴィンテージのアクセサリーや雑貨がところを得て、静かに輝きを放っています。それぞれのコーナーは独立していながら統一感があり、また不思議と親しい感じをかもし出しています。
サイドロップスの雑貨
仕入れやディスプレーはケイコさん、アクセサリーや洋服、小物のコーディネートはヒロコさんが担当しています。並んでいるアイテムは幅広く、洋の東西にかかわらず「すきなもの、気持ちにかなうもの」を連れて帰って来たような印象で、最初からそこにあったかのようにおさまっています。
そして配置は常に少しずつ変わっています。コロナが続き、商品が入らない状況が続くなか「少ないアイテムで、いかにすてきに新鮮な空間をつくるかがポイント」とケイコさんは語ります。
サイドロップスの帯留
日本の職人技と美意識にほれぼれする帯留め、フランスの繊細なレース、オードリー・ヘプバーンの映画を思い浮かべるアメリカのアクセサリー、雰囲気のあるグラス、日本の洋食器の草分けオールド・ノリタケのカップ&ソーサ―等々、見ているだけでも心が満たされます。若い女性のお客さんが多く「今は買えへんけど、すてきなアクセサリーを見ていると気分が晴れる」「ここで買ったアクセサリーはとても気に入っていて、気持ちが落ち着く。お守りみたいに毎日つけている」と言ってくれる人など様々です。ヒロコさんは「みなさん、このディスプレーを風景として楽しんでくれている」と感じています。
サイドロップのパフェ
コーヒーカップやグラス、ケーキ皿などお店で使っている食器はすべてヴィンテージものです。実際に使って、その良さを知ってほしいと思うし、このサイドロップのお店の雰囲気に合う食器は自然とヴィンテージになったそうです。
「本わさびとクリームチーのスパゲティ」は年代物のノリタケのスープ皿が使われていました。パフェは種類によってグラスを変えているそうです。それも楽しみになります。サイドロップには、あこがれや夢、暮らしを楽しむヒントが詰まっています。

純喫茶サイドロップ末永く

サイドロップス店内
サイドロップのコーヒーは専門店から特別にオリジナルをブレンドしたもらった豆を使い、ていねいに淹れています。お店の外観や店内の雰囲気から「おしゃれ系のカフェ」と思って入ったお客さんから「コーヒーがおいしい店とは思わなかったので、びっくりした」と言われることがあるそうです。
サイドロップスの店内
今「昭和」「純喫茶」が若い世代、ことに女性に注目されています。「おばあちゃんやおかあさんが着ていた洋服はすごくおしゃれ」と昭和ファッションを新鮮に感じて楽しんでいる人も多く、古着屋さんにも若い人が集まっています。
サイドロップでは、すべて厳しく選ばれた状態のよいもののみを置いています。形が洗いにくい食器など、古いものは形や素材など扱いに気をつけないとならないけれど「その不便さを楽しむ」ということもあると話されました。
ケイコさんもヒロコさんも喫茶店や道具商の経験がなかったけれど、今までやったことのない新しいことをやりたいと、サイドロップを始めたというのですから驚きです。それが実現したのは「やりたいと思う執念」と答えました。その執念がつくり出した空間に、ご近所さん、静かに本を読みたい人、仕事帰りの常連さん、甘いもの好きの男性、今後喫茶店や古くてよいものの支え手となる力強い層、若い女性など多様な人々がやって来ます。
嵐電の踏切の信号の音、近所の銭湯、身近なまちにふさわしい喫茶店サイドロップ末永くと願っています。

 

サイドロップ
京都市中京区壬生西土居ノ内町22
営業時間 10:00~20:00
定休日 毎週火曜日、第1日曜日

ついでの寄り道も 奥深い

京都は歩いて出会える楽しみの多いまちです。用事が早く終わり、次の予定までぽっかりあいた時間に寄り道をしてみました。
前から一度行ってみたいと思っていた博物館、久しぶりに訪ねた和菓子屋さん、ひっそりとたたずむ由緒ある神社。歩いて5分の間に出会える奥深く、そして親しみも感じる京都です。
夏休みのイベントや帰省などがかなわず、気持ちの晴れない夏を過ごした方も多かったことと思います。残暑は厳しいながらも、吹く風や雲の様子に秋の気配を感じる今日この頃、今回は「寄り道のすすめ」です。

烏丸の天神さん学問と丑と名水

地下鉄丸太町駅
右側に洋館大丸ヴィラの門が続いています。

出向いたのは烏丸丸太町。市営地下鉄烏丸駅の出入り口は時代を経たレンガが門構えのように積まれています。レンガ塀が続き、その中には鬱蒼とした木立と洋館が見えます。日本に多くの名建築を残したヴォーリズが設計した洋館、大丸ヴィラです。公開はされていませんが、向かい側の広大な京都御苑とも調和したすばらしい景観をなしています。
ほどなく、今年の干支、丑の大きな絵馬と鳥居があります。菅原道真公生誕の地「菅原院天満宮神社」です。地元では親しく「烏丸の天神さん」と呼ばれています。
道真公の先祖三代もお住まいになった場所という由緒ある神社です。
菅原院天満宮神社鳥居
天満院には、道真公がうぶ湯に使われた井戸が今も残り、千百余年前と変わらず清らかな水が湧き出ています。井戸の枠石も当時のままということです。井戸の水を汲みに来る人も多く、給水場が整備されています。水汲みに訪れた方に聞くと「この水で炊いた米は美味しいです。お茶やコーヒーもまるみのある味になります」ということでした。ひと口頂くと、やわらな「水の味」が感じられ、汗だくの身に涼を呼んでくれました。
菅原院天満宮神社 御産湯の井
さて、天神さんと言えば牛がお守りしていますが、その由来についても記されています。道真公は丑年生まれであること、左遷され大宰府へ向かう途中に襲われた時、松原から丑が飛び出して来て道真公を守ったこと、自分の亡骸は牛車が進むままに埋葬後を決めるよう遺言したと伝えられています。社務所で授与品の「貝合わせ」を頂きました。平安時代の雅な遊びの貝合わせは願い事がかなうという意味もあるそうです。大小三つの貝が美しい古布を使って丁寧に作られた心のこもったお守りです。菅原院天満神社は、古い由緒を誇りながらも親しみとやさしさを感じる「烏丸の天神さん」です。

石のふしぎがいっぱいの博物館

聖アグネス教会
菅原院天満宮神社と隣り合って平安女学院の礼拝堂でもある、重厚なレンガ造りの聖アグネス教会が建っています。本当に歩いて楽しい見応えのある界隈です。
次は前から一度行ってみたいと思っていた「石ふしぎ博物館 益富地学会館」へ行きました。閑静な住宅街にあるこじんまりした建物は、国内外にその存在を知られる、鉱物、化石、岩石研究の聖地です。正倉院の薬物や石製の御物の調査も担当された薬学博士の益富寿之先生により昭和48(1973)年に創設され、以来研究者や一般の鉱物や化石マニアが降りにふれ訪れる地学の殿堂として運営を続けられています。
石ふしぎ博物館 公益財団法人 益富地学会館
見学した日は夏休みの最終週でしたが、次々と家族連れの見学者が訪れていました。夏休み自由研究のお手伝いとして、集めた石の名前を調べ、標本にするための指導もされていました。
3階は大迫力の展示室です。大変な点数の種類も様々な標本が整然と展示され、訪れた日はベテランの鉱物鑑定士の方に、とてもていねいにわかりやすい説明をしていただきました。黒い石の中にきれいな形で残るアンモナイト、大きな水晶の山のきらめき、恐竜の爪等々。「石も人も元素から成り立っています。ここにある石は1万年、2万年前の石です。それが今、目の前にこういう形で残っているのは、いくつもの奇跡が重なっているのです。途方もない年月を経てきた石には心があります。石にも心があるのです」と伺いました。
理論的な理解はおぼつかなくても、その宇宙的な石のふしぎに引き込まれました。夏の終わりの「おとなの自由研究」のような体験でした。
黒水晶
1階には、鉱物見本や関連の書籍の他に「ルーペ、ハンマー」といった石のフィールドワークの必需品も販売しています。他の美術館や博物館のいわゆる「ミュージアムショップ」とはひと味ちがう「石のお店」です。
益富地学会館ではこれまで木津川や桂川で石の観察、採集を行いその成果を「木津川の石」「桂川の石」という冊子にまとめています。川や道端など身近なところに目を向けてみれば、いつもの散歩コースでおもしろい石が見つかるかもしれません。
去年今年と、コロナウィルス対策のため例年のような観察会などのイベントがあまり実施できなかったとそうですが、9月には和歌山県での海岸での石観察会、10月9日~11日は左京区のみやこめっせで大規模な「石のふしぎ大発見展」が行われます。益富博士の志を受け継ぎ、地学への関心や理解、その研究を続ける石ふしぎ博物館は「科学・学術の都」京都です。

多くの人が喜んだ州浜の復活

すはま屋外観
寄り道の最後は和菓子屋さんです。5年前に惜しまれつつ閉店した創業350年の老舗「植村義次」のお菓子、州浜が復活し、気軽に飲み物も一緒に楽しめるお店になりました。元の場所に以前と同じたたずまいのお店を見た時は、常連でもありませんが本当にうれしく思いました。
すはま屋の棹物
州浜は大豆の粉を水あめと砂糖、水で練り、州浜の形にした棹もののお菓子です。州浜は浜辺の入り組んだ所であり、それをかたどって意匠化され、おめでたい形として家紋や工芸品にあしらわれてきました。植村義次の州浜はお茶席でもよく使われていました。
同じ生地を指でちょっとひねったような、指先くらいの大きさにしたものが「春日乃豆」です。
お菓子のみならず、店舗も再びよみがえらせたのは、弱冠20代はじめの女性です。一人でお菓子をつくりお店も一人で切盛りしています。どんなパワフルな方かと思いますが、そんな大変さは微塵も感じさせない、もの静かでたおやかな雰囲気の方です。
外観や内部も「使えるものはできる限り生かしたいと思いました」という言葉通り「御州濱司」のすりガラスがはまった戸、天井の梁、お菓子の見本を入れる小さなガラスケースなど、どんなにか、これまでのお店とお菓子、そして植村さんを大切にしているかが伝わって来ます。
すはま屋すはま屋
小さな床の間にとても良い感じの軸が掛けてありました。渋い色あいは店主さんのお父様が集めていたインド更紗とのことでした。
「ああ、前のお店もいつもこの床の間に、感じよく季節の軸やお花があったな」と、懐かしく思い出しました。
テーブルの見事な一枚板は長い間、お家に眠っていたものだそうです。お店にこれまであったものと今回運び入れたものが相まって、新しいすばらしい空間をつくり出しています。

すはま屋の春日乃豆
春日乃豆

お客さんが「春日乃豆を一つお願いします。そうそう、押し物も始めはったとか。予約したら買えますか」と話しています。
「押し物」は十四代の植村さんが考案された、四角な落雁の生地に雨浜の材料で季節感あふれる模様を描き出した「これぞ京都の和菓子」と言えるすばらしいお菓子です。今は青ひょうたんの絵柄です。この押し物の復活にも多くの人が喜んでいます。
すはま屋さんは新聞、雑誌などメディアでも頻繁に紹介されていますが、喧噪のない、本当にゆっくりできるお店です。物音ひとつしない静けさなのですが、堅苦しくないお茶室と言ったらよいでしょうか、そんな空間です。
お菓子を一つ買いに来る、そういうお客さんを大切にまじめなものづくりをする生業と職人のまちが京都なのだと感じました。ちょっと寄り道は、京都の深さと慎しみ、そしてやさしさを改めて教えくれた新鮮なまち歩きでした。

 

石ふしぎ博物館 公益財団法人 益富地学会館
上京区出水通烏丸西入 中出水町394
開館時間 10:00~16:00
展示室公開日 土曜、日曜、祝日

 

すはま屋
中京区丸太町通烏丸西入常真横町193
営業時間 10:00~18:00
定休日 日曜、祝日

文化をつなぐ 東一口の旧家

お盆間近の猛暑の日、京都府南部久御山町の東一口(ひがしいもあらい)を訪ね「東一口のふる里を学ぶ会」(以下学ぶ会)のみなさんの、お精霊(おしょうらい)さんにお供えする「しんこ団子」作りにおじゃましました。会場は、壮大な長屋門を構えた国登録有形文化財「旧山田家住宅」です。威風堂々とした旧家を背景にして、なごやかにみんなで励むお団子作りは壮観です。現在は久御山町が管理し一般公開されています。
学ぶ会ではこれまで、この旧山田家住宅の清掃や、ここを拠点にして、地元に伝わる行事や食文化の継承を中心に、しっかり地に足のついた活動を続けてきました。
京のさんぽ道では、前回まで3回連続で町家の活用と継承についてご紹介してきましたが今回は番外編として、歴史的な文化財をふるさとの文化継承の実践の場とすることで、地元の人々が活用と保存の担い手となっている東一口の特集です。町家や地元の習わしをどう維持し、次世代へつなげていくかが課題となっているみなさんにとっても、再生継承への希望の糸口になればという思いでお届けします。

巨椋池と東一口の大庄屋山田家

東一口の旧山田家住宅
京都府南部の久御山町「東一口(ひがしいもあらい)」は、かつてあった湖のように大きな「巨椋池(おぐらいけ)」の南西に位置しています。巨椋池が干拓で埋め立てられるまでは、漁業で栄え「京都府南部 東一口のお正月のにらみ鮒」でご紹介したように、川魚を使った豊かな食文化が今も受け継がれています。
旧山田家住宅
山田家は、江戸時代には近郷13か村をまとめる大庄屋の家柄にあり、巨椋池の漁業を取り仕切る重要な役も務め、名字帯刀を許されていました。瓦葺きに漆喰の土蔵造りの長屋門と同様の造りの塀をめぐらせた堂々とした姿は、山田家の格式とともに東一口の歴史をも感じることができます。
北側には前川が流れ、桜並木が続き、お花見、葉桜、紅葉と四季それぞれに美しい風景を楽しむことができます。
旧山田家住宅の長屋門旧山田家住宅の展示室
また長屋門は、一般的には収納や働く人の部屋に使われていましたが、こちらの長屋門は来客の控えの間としても使用できるように床の間を設えたりっぱな造りで、文化的、建築史のうえからも貴重な建物です。現在は「展示室」が置かれ、干拓以前の巨椋池の様子や漁業について知ることができます。竹製の大きなざるなどの漁具、新たに収蔵された実際に漁に使っていた舟など、往時の東一口がしのばれます。
旧山田家住宅の内玄関
主屋の式台のある内玄関をはじめ、内部の欄間などの建具や襖絵、釘隠しに至るまで意匠を凝らした素晴らしい技が見られ、江戸時代の大庄屋の由緒と格式を伝えています。このように山田家は、古くから漁業のまとめ役を果たした地元からの信頼も厚い家であり、また代々守って来られた貴重な歴史的な建造物の邸宅がこの地域の象徴として現在もあるということは、本当に素晴らしいことです。そして今、地元のみなさんの学びと交流の拠点として新たな役割を果たし、新しい歴史を築いています。

季節ごとの行事を楽しく学ぶ

東一口のふる里を学ぶ会のしんこ団子づくり
お盆にお供えするしんこ団子作りの当日、旧山田家住宅には朝早くから作業台や大きな蒸し器が運び込まれ、8時にはお団子作りが始まりました。お盆の精進料理やお団子も家の味付けや流儀があり、それぞれに行われていますが、おさらいのような感じで、説明書を聞きながら作業が進みました。
東一口のふる里を学ぶ会のしんこ団子づくり
火にかけた米粉をダマにならないように、また焦がさないように混ぜていきますが「ふつふつしたら弱火にする」という、ふつふつの見きわめや火加減、火を止めるタイミングなどにコツがいりそうです。
その後、生地をこねますが、思いのほか力がいり、みなさん汗だくになっていました。こねあがった生地を小分けして丸め、細長く伸ばしてから両端をつまんで二回ひねり、決まりの形に仕上げます。これもなかなか難しそうでしたが、器用な会員さんの手ほどきで、きれいに形が揃っていきました。蒸し上がったら風をあてて冷まし、つやを出します。
用の済んだ蒸し器やボールを、男性チームがささっと洗い始め、日頃の活動ぶりが見てとれました。動きがとても自然なのです。つやつやのお団子の試食は、いっそう楽しそうな雰囲気で話もはずみました。

お精霊さんの迎え方、六地蔵めぐりや六道参りなど、東一口の習わしについて次々と豊富に話題が出てきます。にらみ鮒の取材でお世話になった鵜ノ口彦晴さんのお家も、お精霊さん迎えをきちんとされています。7日にお墓参りをし、ご飯、いとこ煮、きゅうりの酢の物、椎茸とぜんまい煮、漬物のお膳をあげ、13日の朝に果物などをお供えし飾りつけ、夕はかぼちゃ煮と始まり、その後14日15日16日まで、おはぎ、なすのおひたし、あらめとお揚げの炊いたん、そうめん、すいかなど朝昼夕と決まった献立のお供えをします。鵜ノ口家では、しんこ団子は16日の朝10時頃にお供えするそうです。

「お精霊さんの献立を書いた帳面がある」「お盆は家を空けられへん」という言葉には、大層なことをしているという雰囲気はなく、毎年お盆の行事を続けられている晴れやかな心を感じました。大切なことはこうして受け継がれています。「昔は新仏様のある家は船大工さんに頼んで舟を造ってもらって、その舟にお供えを乗せて宇治川に流していた」「六道参り」や「六地蔵参り」など聞けば聞くほど興味深い話ばかりです。また「昭和28年の洪水の時は家が浸かった」と聞き、山田家が洪水対策として、石積みをして道路より高くしているという説明も現実に必要性があったのだと実感することができました。
おみやげにいただいたしんこ団子の包みは、まだほのかにあたたかく、その日の集まりの余韻のように感じました。

多彩な活動を生む、会員の引出し


学ぶ会では毎年、お盆に欠かせない蓮を用意して「蓮の生け花教室」を開いて喜ばれています。コロナウイルス感染を避けるために、去年今年と学ぶ会の活動は大幅な縮小を余儀なくされ、恒例のこの蓮の生け花教室も中止せざるを得ませんでしたが、蓮の花の配布は今年も行いました。お盆に間に合うように、12日の早朝に会長の片岡清嗣さんが蓮を運んでくれました。
お供えを盛る大きな葉、お浄めの水に浮かべる小さな葉、巻いた葉に花は開いたものとつぼみが用意されました。会員さんが育てている蓮です。
かつて巨椋池は蓮の名所として知られ、多くの種類の花が咲き誇り、蓮見舟も繰り出しました。やがて干拓によって巨椋池が農地となり姿を消してしまいました。その蓮の種を大切に拾い出し、みごとに復活させたのが、会員さんのお父さんでした。その蓮が引き継がれ、学ぶ会のお盆の生け花教室に使われています。鵜ノ口さんの軽トラで蓮畑へ案内していただきました。

かつて豊かな漁場であった巨椋池跡には、農地が広がり、京野菜の重要な産地となっています。農道にサギが舞い降りて来て、なかなかどきません。鵜ノ口さんは「人間が近づくと逃げるが、軽トラだと逃げない。トラクターで畑を耕していると、ミミズや小さな虫が土のなかから出てくるので、鳥が行列を作って後をついてくる」と、毎日畑へ出ているからこその何とも微笑ましい、愉快な話を聞きました。東一口の地域と学ぶ会からは、どんどん興味深い話に出会うことができます。
鵜ノ口さんは「みんなそれぞれの引出しを持っているので、いろいろなことができます」と語ります。伝承の料理、コンサート、映画上映会など「引出し」の多彩さも学ぶ会の特徴です。地元の文化をより深く知り、普段の暮らしのつながりから、幅広い世代が活動に参加し地域を持続させる力となっている「東一口のふる里を学ぶ会」にこれからも注目していきたいと思います。

 

旧山田家住宅
京都府久御山町東一口35

集いの空間と暮らしが 共存する京町家

活用しながら継承する京町家のご紹介の2回目は、前回のカフェ オリジと同じく西陣の地域にある喫茶・ギャラリー「好文舍(こうぶんしゃ)」です。
親しくしている作家さん達の個展やワークショップ、生け花教室など、様々な企画で人が集い交流し、コーヒーを飲みながらくつろげる場を提供したいと、物件を探している時にめぐり合ったのが現在の京町家でした。
明治時代に建てられた建物、路地や中庭を含め、前の所有者の方がていねいに暮らし、使っていたことが感じられる空間です。住まいとなる部分をはじめ、必要な改修を施して2018年12月1日にオープンしました。「まずこの町家があり、建物がかもし出す空間に合ったことをやりたいと思いました。そして身の丈に合った、自分自身もほっとできる場にしたかったのです」と語る、オーナーの宇野貴佳さんにお話を伺いました。

地域密着の「おてらカフェ」の運営

宇野貴佳さんと星めぐりの器展開催中の陶芸家白川三枝さん
宇野貴佳さんと星めぐりの器展開催中の陶芸家白川三枝さん

宇野さんは東山区の「おてらカフェin金剛寺」の運営にも携わっています。以前から地域密着のお寺の存在に注目し「地域の人が気軽に集まれる場をつくりたい」という宇野さんの思いに共鳴されたご住職の協力を得てスタートして6年になります。地域のみなさんが月に一度、気軽に立ち寄り、コーヒーを飲みながら交流できる場として定着しています。
金剛寺のおてらカフェ
「コーヒーの淹れ方体験」清水焼、歌舞伎文字の勘亭流、日本庭園など、様々な分野で活躍する専門家による「遊びと学びのワークショップ」「住職の朝のお勤め体験」など、京都の文化に身近にふれ、昔から地元の人々のより所であったお寺に親しむ良い機会になっています。
申し込みは不要、ワンコイン500円、だれでも参加できます。毎月第3水曜日、朝7時から10時まで、清浄な空気の境内で、初めて会った人も顔見知りの人も、みんな和やかに過ごせる最高の朝の始まりです。

おてらカフェで知り合った勘亭流書家さんの「好文舍」名入りうちわ
おてらカフェで知り合った勘亭流書家さんの「好文舍」名入りうちわ

宇野さんはこのおてらカフェを運営するなかで、地域にだれもが気軽に足を運べる場の必要性を改めて感じ、また、ワークショップで作家のみなさんと知り合って「工芸を、もう少しみんなの手に渡したい」という思いを強くし、喫茶・ギャラリーの開業を具体的に描き始めました。そこで縁あって現在の建物に出会い「西陣におもしろく楽しい場を提供する」ことが実現しました。

「暮らし方を方向づける建物」を大切にしながらも無理のない改修

好文舎の中庭に面した部屋
「好文舍」という文人好みに感じる名前のいわれを聞くと「改装の時に中庭の植栽に梅の木を植えました。中国語で梅は好文と言うので好文舍にしました。ずっとあたためていた名前とかではなくて、植えた梅の木が先だったのです」と笑って軽やかに答えました。
建物は元、呉服関係の仕事や展示に使われていたそうですが、どことなく、はんなりした雰囲気が漂っています。玄関の間と庭に面した部屋を展示と喫茶に使われています。
好文舎の床の間好文舎の富士山の欄間
りっぱな違い棚やめずらしい富士山と雲の透かしのある欄間がはめられた奥の座敷は、通常より規模の大きな展示企画や、お客さんが立て込んできた時など、その時々で適宜に利用されています。
座敷は明治時代の建築で、ガラス戸の細かい組み方の桟やガラスもその当時か、入れ替えたとしてもずいぶん古いものですが、閉めきりにするのではなく、あくまでも「大事に使って維持する」ことを実際にされていることに「建物は、使って意味があり、それが大切にすること」と改めて感じました。
好文舎の濡れ縁
濡れ縁に使われている古い木材と竹の組み合わせが素晴らしく、これも見応えがあります。お世話になった大工さんは宮大工もされていて、数寄屋建築にも詳しく素晴らしい腕のある方とのこと。使われている木材と竹は、この家に仕舞われていたものを見つけて再利用したそうです。
元の所有者の方も、いずれ役に立つ時のためにと取っておき、何十年もたってから、それを生かす目利き、腕利きの職人さんが存在することに、京都の底力を感じました。
中庭に面した部屋のガラス戸は、古い建具を売る店で見つけたそうですが、この建物にもきちっとはまっています。しっかりした木の枠に、波打って見えるガラスがはめられたかなり古いものです。去年の京のさんぽ道「雨の季節の西陣の京町家 古武邸」で「京町家は一定の寸法で建てられているので、他所の家の建具でも再利用することができる」という当主の古武さんの話を再認識しました。
好文舎の縁側
宇野さんは、できる限り元の姿を残すように改修を進める考えでしたが、すべてを町家普請にすると「驚くほどの金額」で到底かなわなかったそうです。
それで、住まいのところは、予算が折り合い、家族が暮らしやすく使い勝手の良い改修を施し「新しい職住一体」の京町家になりました。この町家改修は、今後、持ち家をどうするか悩む方、町家に住みたいけれど資金が心配、暮らしにくいのではと思案されている方にも一つの生きた事例になるのではないかと感じました。
資金の面はもちろん重要ですが、それに加えて家族、設計や工務店のみなさんが「職住一体の京町家」への思いを共有することができたからこそと感じました。

地域の魅力を高め、ものづくりのまちの可能性を広げる

好文舎の入り口
白麻ののれんをくぐり、路地を入って玄関の戸を開けると沓脱石(くつぬぎいし)があり履物を脱ぐ。障子を開けて中へ入る。敷居を高く感じる人もいるでしょう。ややもすると固くなりそうですが、宇野さんは「場を提供して運営する側」に徹し、だれもがくつろげるように、ごく自然な配慮を欠かしません。
「若い人にしたら気が張ると思います。ですから、どこから来ましたかとか、よくここが分かりましたねとか、必ず声をかけるようにしています」そしてお客さんの様子を感じながら、常連さんとそこに居合わせたなじみのないお客さんを引き合わせて、気づまりな思いをしないように声をかけますが、その絶妙な頃合い、間合いに感心します。喫茶の間の床の間には、ご近所に住む常連さんで日本画家の方の、折々の季節の絵が掛けられています。

この絵を見て話しが弾むこともあり、ある時はその日本画家さんを居合わせた若い大学生のお客さんに紹介すると、長いこと、楽しく話しが続いたそうです。
奥のほうで聞こえる、ゴリゴリゴリという音は、注文ごとに、がっしりした業務用のミルでコーヒー豆を挽く音です。これも何やら楽しい要素になっています。
作品の展示場所や出窓、廊下の隅など、あちらこちらに季節の花がとても良い雰囲気で生けてあります。これは宇野さんのお母様が、身近に見つけた花を生けていらっしゃるそうです。また、メニューにある梅シロップはお母様と奥様のお手製です。
落ち着いた、ものづくりのまちであるこの地域は、近所を歩けばすてきなお店もたくさんあるので、連携して地域を盛り上げていきたいという思いで、宇野さんは楽しい仕掛けをしています。

宇野さんが炊く小豆あんが秀逸なあんトースト
宇野さんが炊く小豆あんが秀逸なあんトースト

近所の和菓子屋さんとケーキ屋さんのお菓子を買って好文舍へ来たお客さんは、注文した飲み物と一緒にここでいただくことができるのです。また「本日のお菓子」はこの和菓子屋さんの季節の生菓子が用意されています。先日ここで展示企画をされた清水焼の若い作家さんのお皿がお菓子としっくり合っています。庭の緑も相まって目でも美味しさを味わえます。
「これもローカルなつながりがあるからできることです」と宇野さんの言葉に、人とのつながりは新しい試みが生まれる可能性を秘めていると感じました。スマートフォンで「ここらへんのカフェ」を検索して来た若い人たちも、京町家でのゆっくりした過ごし方を楽しんでいると思います。
「ただいま」や「宿題終わったよ」の声が聞こえ家族の応援が感じられる好文舍は、京町家と暮らしと仕事、地域と人の、希望のある関係を示してくれています。

 

喫茶・ギャラリー 各種教室 好文舍
京都市上京区油小路通上長者町上る甲斐守町118
営業時間 10:00~18:00
定休日 日曜日

京町家の実家を再生した カフェの誕生

西陣の地域は今も、低層の家が続くまち並みが残っています。手入れの行き届いた京町家に、あたたかい色の灯りと控えめな看板が出ています。木の塀をめぐらせた門を入り、小径をたどるように中へ進むと「こんにちは」と、近しい親戚の家に来たような心持ちになるカフェです。伝統的な木造建築の風格と緑が美しい庭など、京町家の風情を漂わせながらも、くつろぎを感じる空間になっています。
生活様式や家族構成、経済活動の変化のなかで、容易ではないと思われる京町家の維持はどのようにされているのか。所有者、補修や改装にかかわる工務店や建築家、ご近所も含めて様々な人が関係し合うなかで保たれているのだと思います。活用しながら維持されている京町家をご紹介してまいります。1回目は西陣の京町家「カフェ オリジ」です。

二人の思いを設計者、工務店と共有して生まれた空間

オリジ

cafe oriji カフェ オリジ のオーナー夫妻
カフェ オリジは江良周策さん、悦子さんご夫妻で営まれています。悦子さんの実家の町家を改装して今年の1月に開店しました。以前から二人であたためていたカフェの構想と、10年間空き家になっていた悦子さんの実家をどのように生かしたらいいかと取り組み、コロナの影響で1年遅れにはなりましたが、開店に漕ぎ着けたのでした。

cafe oriji カフェ オリジ
元の町家のまま残された見事な桐の欄間

土台の修復や床の板張りは工務店にお願いしましたがそれ以外の箇所、厨房の棚やカウンターの取り付けや壁塗りは自分たちでされたそうです。漆喰は調合して、白すぎず、また暗くないしっくりした色あいにし、庭からの自然光と調和した照明にも配慮されています。
どの席からも中庭が見え、またそれぞれの席が独立した個性を持ち、それが全体の雰囲気をより深く落ち着いたものにしています。廊下側の書斎のような席、壁に面した自分の世界にひたれそうな席、夜に静かに飲みたい感じの厨房前のカウンターなど、その日の気分によって決めるのも楽しそうです。
椅子も手工芸のあたたみと表情を感じるものです。みんな違う椅子で、買った時も場所もばらばらということですがけんかすることなく、同居しています。「いいなと思う、すきなものを集めると自然と似ているものが揃いました」と話されました。
オリジオリジのフィギュア
そして見事な欄間、なげし、床柱など主な部分はそのまま残され、古い本棚もしっくり収まっています。この家への愛着と開業への思い、その全体像を設計者や工務店の方と共有して生まれた空間です。押しつけがましさがなく、それでいて隅々まで二人の思いが行き届いたカフェは、訪れる人それぞれに心地よい時が流れています。
ふと見ると森鴎外や島崎藤村といった大作家全集を背にして、周策さんが製作した妖怪のフィギュアが何事か考えている風情です。あちこちにいる妖怪フィギュアを見つけることを密かな楽しみにしているお客さんもいるそうです。オリジの楽しさは奥が深いのです。

すきなものはおいしい。背伸びせずに決めたメニュー

オリジ コーヒー
オリジでは、お客さん側の「あったらうれしい」に応えてくれるメニューになっています。ちょっと何か食べたい時にぴったりのトーストやワッフル、お腹がすいたと思ったらナポリタンやサンドイッチというふうに。
一杯一杯ていねいにいれてくれる香り高いコーヒーや、季節やその日の気分によって選べるハーブティーなど飲み物も充実しています。
期待の甘いものは、2種類のパフェや、爽やかな酸味に香り、チーズのコクのバランスがすばらしい自家製レモンチーズケーキなどが揃っています。「今度来た時は、あれにしよう」と次回に楽しみを残す気持ちで今日の一品を選びます。
オリジ 苔玉パフェ
取材で伺った日は「苔玉パフェ」をいただきました。オリジの入り口で犬の散歩をされている方から「オリジさん、おいしいですよ。苔玉パフェは絶対食べてみて」というおすすめパフェでした。ひと口めから、抹茶の風味の良さに驚きました。この宇治抹茶と抹茶アイスとソフトクリーム、抹茶ゼリー、小豆あん等々なん層にもなった味わいが楽しめます。「苔玉」としたネーミングセンスと姿形も秀逸です。

オリジ ソフトクリーム
思いの詰まったソフトクリームの看板が鎮座しています

メニューはどうやって決めたのですか、という質問に「背伸びしないで私たちがすきなものをメニューに載せました。それが多分、お客様にもおいしいと感じていただけると思いますので」と答えてくれました。この姿勢が等身大の、素直においしいと感じられる味、心地よい雰囲気をつくり出しているのだと思います。
ソフトクリームのあるカフェはめずらしいですねと聞くと、悦子さんは「子どものころ、千本通にあったケーキ屋さんのソフトクリームを買ってもらうのが本当に楽しみだったので、これはぜひメニューに入れたいと思っていました。近所の公園に遊びに来て、その帰りに親子で寄ってくれる時、子どもさんがソフトクリームを喜んでくれます。それが思い出になればうれしいなと思います」と語ってくれました。
「ここでソフトクリームを食べるのが楽しみやったなあ」と、おとなになってまたオリジを訪れてくれる。そんな場面もきっと生まれることでしょう。

機音が響いた笹屋町のご近所カフェに

笹屋町通 オリジ

京都景観賞京町家部門表彰状
笹屋町通は京都景観賞で表彰されたこともある京町家が残る通りです

オリジのある笹屋町通は、古くから西陣織に携わる多くの職人が住む、機音が響く地域でした。今も「西陣帯地」「金・銀糸、引き箔」などと書かれた看板を掲げるお家があります。
明治8年に疫病がまんえんした時、疫病退散を願い、帯地の切れ端や絹糸、また機織りに使う道具を使って大きな「糸人形」を造り、地蔵盆の頃に町家に飾りました。やがて夏の風物詩として定着し、子どもたちや地域のみなさんの思い出に残る行事となったそうです。一旦途絶えましたが、西陣の職人有志によって復活されています。このように笹屋町界隈は、歴史や伝統の技、生活文化を継承し町並みを守る努力が続けられています。
新しく建築された家も増えていますが、人々が暮らす町であることを大切にしていることが京都の景観も守ることにつながることがよくわかります。

オリジ
オリジはそんな町内にある憩いの場です。いつも買い物のついでに寄ってくれるお客さん、勉強をする学生さん、一人で、友達と一緒にと、それぞれの使い方をして、季節を感じる京町家でのひと時を楽しんでいます。周策さんと悦子さんは「ご近所の方に支えられています」と力を込めました。
始まる、起源や源泉、最初といった意味をもつorijinate orijin originalから発想して付けた「オリジ」の名前には、思いの深い地元西陣の「織」も込められています。「みんなが自由にほっとできる空間を提供したい」と始めたオリジは、訪れた人も自分の源泉や最初の一歩に立ち返ることができる場になっていると感じます。

オリジのフィギュア
町家ならではの外構にはオリジのトレードマーク、やかんのミニチュアが飾られています

取材を終え外へ出ると、お寺の鐘の音と一緒に、公園で遊ぶ子ども達の声が聞こえ、オリジでのひと時をいっそう楽しいものにしてくれました。

 

カフェ オリジ
京都市上京区笹屋町一丁目542-1
営業時間 11:00〜19:00(当面11:00〜18:00)
定休日 毎週火曜日、水曜日・不定休