自然の恵みぎっしり 正直なパン

大徳寺の近く、新大宮商店街の一画にあるパン屋さんは、釣り竿のかわりに麦の穂をかついだ、えびすさんの看板が目印です。
レーズン酵母を自家培養し、国産小麦と沖縄の塩、湧き出る清水のような水だけで、ゆっくりゆっくり時間をかけて作るパンは、独特の香りと噛みしめるほどに感じる豊かな味わいにおどろきます。大切に「育てる」ようにして作るパンを「パンたち」と慈しむように語る、今年で開店満20年の「えびすやのパン」藤原雄三さん、嘉代子さんの、仲睦まじいお二人に話をお聞きしました。

サラリーマン時代からあたためていた夢

えびすやのパン
藤原さんは、サラリーマンだった時、定年後の第二の人生をどのように生きていくかを模索していたと言います。環境汚染やアレルギーの子どもが増えるなど、様々な問題が起きていました。そして「これからはスピードや大量生産を競うのではなく、もっとゆっくり時間をかけて安全安心の食生活を大切にし、自然の恵みをいただくことに感謝する時代に、きっとなる」と感じたそうです。
だれもが安心して食べられる安全な食品が大切だと考え、無農薬の農業をやろうと思い立ちました。ところが嘉代子さんに相談すると、賛成してもらえませんでした。なぜか「虫が苦手やから、ちょっとなあ」ということで農業は断念し、では何かと考えた時にひらめいたのがパン作りでした。
えびすやのパン
それからは独自に研究を重ね、あちこち材料をさがし、多くの素材を試し研究しました。そのなかで出会ったのが現在も使い続けている「北海道産小麦はるゆたか」「天然のおいしさの回帰水」「ミネラル豊富な沖縄の粟国(あぐに)の塩」です。そして培養するレーズン酵母は4日ほどかけて発酵させ、液をしぼり、小麦粉をまぜて約一日おいて天然酵母となります。

えびすやのパンは、このように小麦粉、水、塩、レーズンの4つの材料だけで作られています。「レーズン酵母、小麦粉、水、塩はそのままでは食べられないが、それぞれの特徴を引き出して、人がちょっと手助けをしてやればパンに生まれ変わる。素材も人もお互いに生きている。ゆっくりした時間とはこういうことだったのか」と、10年くらいした時、パンを作りながら、ふと気がついたと語ります。
「それは一生懸命作ってきたからこそ、そこに到達できました」と続けました。雄三さんのパン作りは、生き方や人生に対する考えそのものです。

「長く続けて」とお客さんからの声援

えびすやのパン
えびすやのパンがある新大宮商店街は、大徳寺の近くにある南北に長い商店街です。西陣織の伝統産業に携る職人さんの日々の暮らしを支えてきた商店街として、今も多くのお客さんが来やすく、世間話をする光景をよく見かけます。
えびすやも、おなじみのお客さんが多く「がんばって長く続けてや」と声援が送られています。あかちゃんのいる若いおかあさんからも「安心して離乳食にできる」と喜ばれています。
えびすやのパン
雄三さんは「パンたち」を作る時、いい子や、いい子や。おおきに、ありがとう」と声をかけていると言います。条件を整えてやれば、ちゃんとふくれてくれる、いい子たちなのです。「たまに手順や発酵の時間を間違えても、ちゃんとふくれてくれる。そういう時は、こっちのミスをカバーして、ふくれてくれて辛抱強い子やなあ。おおきに、おおきに」と、自然に感謝の気持ちがわいてくると続けました。
安全安心の素材との共同作業です。「発酵のスピードなど、その日その時によって違う。同じことはない。いつも違って難しいから、ものづくりはおもしろい」と、本当に楽しそうな表情です。
えびすやのパン
雄三さんは、今年の1、2月に入院しお店を休みました。退院後の静養中もいろいろと思案をめぐらせ、研究しました。これまでは仕込んだ次の日の朝に必ず焼かないとならないと思ってやってきましたが「一日冷蔵庫でねかせたらどうなるか」とテストをし、その結果「ちゃんと焼けた。うちのパンはすごい。ありがとう」という結果を得ることができました。
冷蔵で休んでもらう一日ができたことにより、体がとても楽になったそうです。「作っていける期間が伸びたかなあ」と、お客さんとの「長く続けて」という約束も果たせるでしょう。
えびすやのパンのレーズン食パン
今、原材料費が高騰しています。ことに酵母にもレーズンパンにも使っているカルフォルニア産のレーズンはすさまじい高騰が続いているそうです。仕入れ分が終わった時、どうするか。大変な難題が突き付けられています。雄三さんは、サイズを小さくしたりレーズンの量を減らすことはしたくないと、その点ははっきりしています。価格の変更は止むを得ないけれど、高くなった値段でお客さんはどうかなど、いろいろと考えています。
今、あらゆる食材の値上げや内容量を減らすなどが始まっています。こういう時こそ、作り手、売り手、そして私たち消費者が協同して乗り越える時だと思います。えびすやのパンもきっと、雄三さん嘉代子さん二人と、お客さんの歩み寄りで解決していけると感じています。
えびすやのパン
余った生地で作るかわいいパンをいただきました。わずか4センチ足らずの極小サイズながら、ちゃんと「あんぱん」です。食玩ではないのです。「ちびちゃん」と呼ばれて子どもたちにも人気です。ここにも、材料は無駄せず、あそび心を感じるパン職人としての雄三さんの気質が垣間見られます。

パンは夫婦二人からのメッセージ

えびすやのパンえびすやのパンのショップカード
えびすやのお店は、以前5年ほどパン作りを手伝っていた方が描いた、気分が明るくなる花の絵が飾られ、カウンターのショップカードや小物もかわいらしくディスプレーされています。嘉代子さんのやさしい雰囲気を思わせます。窓際にパンが並び、小さなカウンターの向こう側は、さえぎるものはなく、そのまま厨房になっています。オープンキッチンではあるのですが、こんなにオープンな店舗兼厨房は他に例を見ないのではと思うほどです。
えびすやのパン
最初からオープンキッチンにしたと思っていたかをたずねると、きっぱり「最初からです。小麦粉の袋、生地をこねる様子、大きなオーブン、すべてを見て知ってほしいと思っていたので。見られて困ることも、困るところも一つもありません」と堂々とした答えがかえってきました。
利益や効率を優先したら、自分が思っていることとは違ってしまう。開店した時からのこの覚悟と言うか、信念があったからこそ、4つの素材だけのパンを世に出すことができたのだと思いました。「やっていることは利益や効率最優先とは、真逆のことやから」と優しい口調できっぱり語りました。雄三さんの手の指は太くがっしりしていて、長年生地をこねてきたことにより、力の入る方向へ曲がっています。この手が20年間、えびすやのパンを作ってきたことを何より雄弁に物語っています。
「えびすやのパン」藤原雄三さん、嘉代子さん
今、お二人は「第三の人生のステージ」をどうするか相談しているのだそうです。できるだけ長くの声に応えてがんばるけれど、いつかは第2ステージも終幕になる。それはさみしい、悲しいことではなく、次の新たなスタートになるのです。
雄三さんは「安心して食べられるパンで、みんなに喜んでもらえて、第2の人生の選択はまちがっていなかった」と何回か口にされ「パンは夫婦二人のメッセージやなあ」と続けたのです。その確かな実感を持って、第3の人生を話し合っているのだと感じました。「えびすや」の名前は嘉代子さんの旧姓「胡(えびす)」からとったとのこと。このお店へ来た人がえびす顔になり、パンを食べてまたえびす顔になる、そんなイメージがわいてきます。
お二人の写真を撮らせてくださいとお願いした時、けがをして歩行が少し不自由になった嘉代子さんに何度も「ゆっくり来たらええから、ゆっくり」と声をかけていました。その姿は夫婦であり、まさにえびすやのパンの同志でした。奇をてらわず、おもねず、正直に焼くパンが、これからも多くの人の心も体もやさしく健やかにしてくれることを願ってやみません。

 

えびすやのパン
京都市北区紫野門前町45
営業時間 9:00~
定休日 日曜、月曜、木曜

築94年の町家 お茶を商い百余年

京都府内のお茶どころでは、茶摘みが終わり、今は加工製造や茶畑の手入れと引き続き忙しい日々が続いていす。「新茶入荷」のぼりや鮮やかな墨文字の張り紙に、もうそんな季節になったと気づかされます。

上京区に、つつましく端正なたたずまいのお店があります。創業から100年を優に超えてお茶を商うでお店です。建物も茶壷や棚も引き継ぎ、母娘で「清水昇栄堂」を守っています。
代表の清水和枝さん、娘さんの内藤幸子さんのお話は、静かで優しい語り口のなかに、京都のまちなかで商いを続け、家を守ってきた家族だからこその内容で、引き込まれずにはいられませんでした。

93歳、現役で店を切り盛り

清水昇栄堂
清水昇栄堂は創業時は別の地に店舗があり、94年前に現在の町家が建てられ、移転されたそうです。「父方のおばが生まれた年に建てられたそうなので、この家とおばは今年94歳の同い年です」一世紀近い築年数の伝統的な京町家も、こんなふうに語られると、重々しさより、家も家族のようなほほえましさを感じます。
清水昇栄堂
店内へ入ると急須、湯飲み、お茶缶、抹茶茶碗、茶せん等々、お茶に必要なものがすべて揃っています。なつかしさを感じる急須もありました。おばあさんがいるお家にはたいてい「萬古焼(ばんこやき)」の急須がありました。うわぐすりをかけてない、少し紫をおびた薄茶色あるいは薄墨色のような地肌をしています。三重県で生産され、丈夫なことと土に含まれている成分によって渋みが抑えられるのが特徴ということです。また鮮やかな朱色の急須は「常滑焼」です。
愛知県の常滑で作られていて、こちらも、うわぐすりをかけない焼き方で、陶土にお茶の雑味などが吸収されて、まろやかでおいしいお茶が飲めるのだそうです。

急須のそそぎ口にビニール製の保護キャップがかぶせてありますが、これは「持って帰らはる時や送る時に欠けないようにするためのものなので、使う時ははずします」と言われました。使う時に欠けないように保護のために付けてあると思っている人も多いようです。次々とお聞きするうちに、母親の清水昇栄堂代表の和枝さんも話に加わってくださいました。

清水昇栄堂代表の清水和枝さん
清水昇栄堂代表の清水和枝さん

「私は93歳。21歳でこの家へ嫁いで、その時からやから、もう72年もお茶を売ってます」と話す笑顔がすてきです。「お茶は日本全国たくさん産地があるけれど、うちは宇治茶だけを扱かってます。お茶も急須もみんな長く取引きしているところばかりです」と、ぶれることなくお店を続けてきた人の重みを感じる言葉です。ご主人は「お茶は斜陽産業やから」と言って、幸子さんに跡を継いでほしいとは言わなかったそうです。しかし早くに亡くなられ、和枝さん一人でがんばっていましたが、幸子さんもやがて通いで手伝うようになったということです。平坦なことばかりではない年月も過ごされてきました。幸子さんも「母は本当にしっかりしています。私が近所へ買い物に行っている間は一人で店を見てくれています」と感心の面持ちで話すのが、母娘の細やかな気持ちの通い合いが感じられて、こちらもあたたかい気持ちになりました。
二人がかもしだすやさしい、おだやかな雰囲気がお客さんにも伝わっているのだと感じました。

昔の道具博物館のようです

清水昇栄堂

清水昇栄堂
「茶 清水」の文字が見えます

仕事に使う道具の類はさておき、よくきれいに残してあったと感心する歴史の証しもあります。見せていただいたのは、出町枡形と下鴨までの範囲の120軒のお店が一同に並んだ昔のチラシです。「明治廿七年十月改正」と記されているので初版はもっと前ということになります。昇栄堂にはチラシとして配布された和紙に印刷されたものが額に入れられ保存状態もよく残されています。
非常に興味深かったのは「支度、走り、棒、かもじ」などというお店があることです。棒は担ぐための棒、支度は特別な衣装に着付け、走りは文字のごとくひとっ走りものを運ぶ仕事ではと、お二人は推測していました。
昭和の終わり頃に復刻印刷されたものも見せていただきました。昇栄堂と黒々と書かれた名前があります。今も残っているのは3軒だけです。前述したようなお店は暮らしそのものが大きく変化し、当然消えゆくところもあるわけですが、昇栄堂がそのなかで建物だけではなく、家業も息をつないでいることは、本当にすごいことと改めて感じました。

清水昇栄堂
箕を手にした内藤幸子さん。後ろには年季の入った茶壷や茶箱が見えます。

お店の造りはもうめずらしくなった「座売り」の形式です。そしてまた重ねてすごいのは、大きな茶壷や茶箱、棚や引き出しもすべて今も使われていることです。和枝さんは「お茶は熱と湿気に弱いので、茶壷の中にさらに容器がある二重式になっていて、気温を25度以下に保つために前は「室(むろ)」へ入れました。生鮮食料品と同じです」と話されました。
またふるいや和紙を張った箕は、お茶の葉にまじった細かい粉を落とす時に使うそうです。おもりをつけて量るはかりも狂いはないそうです。少なくなったとは言え「お茶は急須でいれる」お客さんとも、長いお付き合いがあります。きちんとした仕事で細く、長く、という京都の商いの原点をみた思いがしました。

元気にやれるうちはがんばります

今も残る史跡、大原口道標
江戸時代、寺町今出川は大原口とよばれ今も道標が残っています。

お店のある寺町今出川付近は、昔は大原へ続く「大原道」の交通の要衝でもあり大いににぎわった地域でした。今も出町枡形商店街と鯖街道の縁をつなぐ企画など、地域あげてがんばっている魅力のある商店街です。
この京のさんぽ道でご紹介しました「いのしし肉の改進亭」も昇栄堂のすぐ近くです。すでに商売はたたんでいますが「傘」の看板が今も残る商家「貸布団」の看板、営業を続けられている理髪店など暮らしを支えてきた街道筋の商店の面影を残しています。

元傘屋さんの町家
元傘屋さんの町家

清水さん母娘は「もう、次の世代に継がせるのは無理ですね。お茶を飲む人も本当に少なくなりましたし。私たちにしても暮らし方はいろいろ変わりましたから、これまでと同じようにはいきません」と明るく仕舞う時の来ることを心に置いています。はたから見て「もったいない。なんとか続けられないのかな」「だれか受け継いでくれる人が出てこないかな」などと簡単に口に出せないことだと思いました。
でも、いつも飲んでいるお茶を指定して訪れるお客さんも何人もいて「ここがあってよかった」と喜ばれています。続けてほしいと思う人がいることは励ましになっています。
清水昇栄堂
建物や景観と生業は京都の重要な課題であると思います。当事者でなくても、それを何らかの形で享受してきた私たち一般市民はどう考え、何かできることがあるのか。これからも考えていきたいと思います。
惜しくもなくなる生業や建物があっても、それまでつないできた仕事や家族の様子を、この京のさんぽ道という、小さなブログの領域であっても大切に描き続けていこうと思いました。

 

清水昇栄堂
京都市上京区寺町今出川上る表町37
定休日 日曜、祝日

ふたりで営む喫茶店 42年たちました

長岡京市の中心部から少し離れた住宅街に「京都スタイル」という形容がふさわしい雰囲気の喫茶店があります。サイフォン式コーヒーの味わいと心のこもった応対で、多くの人に「喫茶店で過ごす心地よいひと時」を提供し続けています。「コロラドコーヒーショップ マサヒロ」は今年で開店42年を迎えます。
蝶ネクタイがピシッと決まっているダンディなオーナー、マサヒロさんと、おかあさんのようなほがらかさが魅力の奥さま、メグミさんに話をお聞きしました。

コーヒーと京都へのあこがれが出発点

コロラドコーヒーショップマサヒロのご夫妻
マサヒロさんは京都にあこがれてふるさとの徳島からやって来ました。「70~80年代の京都はおもしろかったですね」と語ります。アニメやマンガが若者文化として広がり、伝説のライブハウスが元気で、雑誌や広告が華やかな時代でした。長い歴史と伝統の上に、新しい文化を取り入れていく進取の気風も旺盛で、そのなかにコーヒーと喫茶店もありました。
マサヒロさんは、もともとコーヒー好きだったことから、京都のコーヒー文化広げ、本格的なコーヒーが飲めるコーヒーショップを牽引した「ワールドコーヒー」の北白川本店で仕事をしました。白川通りのけやき並木と天井が高いガラス張りのこの本店は、京都の老舗喫茶店の代表の一つです。
コロラドコーヒーショップマサヒロ
はじめから開業を決心し経験を積み、1981年自らの名を付けた「コロラドコーヒーショップ マサヒロ」を長岡京市に開店しました。当時の長岡京市は、京都市内はもとより、大阪への通勤圏として人口が急増している時期でしたが、ほかの都市にもみられるように、今は子育て世代よりもシニア層にあたる人の比率が高くなっています。それでも、近くに小学校と中学校があるため、店の前を通る小学生や中学生の姿にほっとし「地域のなかにある喫茶店」であることを思い起こさせてくれます。
コロラドコーヒーショップマサヒロ
7時30分の開店早々から、電話でコーヒー豆の注文が入り、モーニングメニューで一日をスタートするお客さんもやって来ます。カウンター席に座ると、マスターがサイフォンでコーヒーをいれる様子が目の前に見え、待つことも楽しい気分にさせてくます。マスターのコーヒーをいれる様子は「所作」という言葉が浮かぶ、流れるような動きです。きちんと並んだカップやグラスの棚を背にして立つ、蝶ネクタイのマスターの姿はさすが絵になります。朝の一杯のコーヒーから、それぞれの一日が始まります。

いつも一生懸命のおいしいメニューと空間

コロラドコーヒーショップマサヒロのランチ
厨房は奥様のメグミさんの担当です。モーニングセットもランチメニューも、一切手抜きということをしない、おどろくほどの充実ぶりです。サラダも野菜の量と種類がしっかりあり、ランチの定番カレーとオムライスにはサラダのほかに「おかず」が2品も付いているなど、はじめてなら思わず声をあげてしまう豊富な内容です。朝は「今日も気持ちのいい日になるといいね。行ってらっしゃい」、お昼は「午後から、もうひとがんばりやね」と励ましてくれるメニューです。
コロラドコーヒーショップマサヒロのインスタグラム
メグミさんはインスタグラムでメニューや店内の様子などを@coloradomeguchanで日々発信しています。これは「コロナに負けたくない」と2018年の秋から始めました。フォロワーが200人になった時はその記念に、感謝をこめて、上にケチャップで「200」と書いたオムライスをアップしました。こういう、くすっと笑えるほほえましいセンスもすてきです。
また「コロナで時間ができたから」と、カウンターのスツールのカバーやテーブル席のクッションを生地選びから縫製まですべて自らの手で作りました。柄や色あいもすてきで格調を感じる店内によく調和しています。

コロナの影響でだれもが不安を抱え、気持ちが暗く落ち込みそうになる時、メグミさんは少しでも先に向かって切り開いていこうとしました。このお店とお客さん双方が明るい気持ちになって今を乗り越えられるようにという思いでした。欠くことのできない最高の同士です。たまにマスターと「言った」「聞いてない」で、ちょっとした応酬がありますが、それもすぐに通常の状態にもどる「けんかするのも仲がよろしい証拠」とみえます。42年間一緒に積みあげてきたことの厚みを感じます。

コーヒーと文化が香る得がたいお店


ゆったり広々した店内は、カウンターと4人がけ席のほかに、ソファーと長テーブルの席、入口の近くにはテラスかサンルームのようなコーナーなど、一つの店内とは思えない個性の席があります。
コーヒーの収穫の様子を描いた銅のレリーフ、ワールドコーヒー時代から使っているコーヒー豆の缶、食事を出してなかった頃に使っていた狭いテーブルを重ねて作った衝立など、お店の隅ずみまでお二人の思いが表現されています。それぞれがまだお店に存在する現役なのです。
また珍しい実をつけたコーヒーの木は、娘さんのホームステイ先のカナダのホストさんが京都へ来られて1か月半も一緒に過ごした時に、お礼と記念にとプレゼントされた苗木です。その若苗がりっぱに成長しました。
コロラドコーヒーショップマサヒロ

コーヒーの実
喫茶店はセルフ式のチェーン店が増え、このような個人のお店は少ない現状のなかで、どうしたら42年間も継続できたのか、すごいとしか言いようがないと思いましたが、今回の取材で少し感じたことがありました。
それは、お店にあるものそれぞれに物語があり、その思いのこもったものたちを大切にして、ものにも心があるように一緒にお店をつくってこられたのだということです。そしてこういコーヒーショップが近くにあってよかった、うれしいと思うお客さんが大勢いるということです。

お店の前のプランターで育てたビオラの花を飾ったテーブルに明るい季節を感じさせてくれます。つばめも毎年、巣をつくるそうです。
つばめが巣をつくると幸運がやって来ると言います。お二人のお元気でお店を続けられることをお祈りしています。

 

COLORADO COFFEE SHOPマサヒロ
長岡京市今里北ノ岡18―5
営業時間 7:30~17:00
定休日 日曜、祝日

憩いのカフェ&バーは 徒歩圏内

気の置けないご町内の親しい雰囲気を感じる千本丸太町に、去年の秋の初め、全面ガラス張りのお店ができました。建物の少し突き出た部分は、ショーウインドウのようですが、そうでもなさそうです。と、ふさふさした毛並みの堂々としたネコがひらりと身をひるがえしてキャットタワーにのぼりました。
彼は昨年9月に開店したカフェ&バー モチモチの副店長を務めるメインクーンの「おもちくん」2歳です。おもちくんに会いたい人はどんどん増えて、さらに新規の層を招く、すばらしい働きぶりです。しかし、このお店はネコカフェではありません。昼間は内容の充実したランチメニューや看板メニューのパンケーキでおいしいひと時を過ごし、夜は一日の終わりにゆっくりとお酒を楽しむバーになります。 早くもお客さんの8割がご近所さんという、地域に愛されるお店となっています。店長の廣畑真紀子さんに話をお聞きしました。

縁と偶然が呼び寄せた出会い

カフェアンドバーモチモチ店長の廣畑真紀子さん
カフェアンドバーモチモチ店長の廣畑真紀子さん(左)

飲食店の経験なし、ねこや犬と暮らしたこともなかったという廣畑さんですが、2年前、おもちくんとは目が合ったその瞬間に、お互いに通じ合うものを感じたそうです。また、お店は繁華街ではなく、住宅街よりの地域にしたいと考え、物件をいろいろとあたっていくうちに出会ったのが現在の場所でした。
カフェアンドバーモチモチ
千本界隈は廣畑さんが以前よく訪れていたなじみの地であり、雰囲気もすきだったこと「出っぱり部分をおもちの部屋にすれば、さみしく留守番させなくてもいいし、キャットブースの中にいれば、アレルギーなど、ねこがだめなお客さんにも、ゆっくり食事やお酒を楽しんでもらえる」と決断は早かったそうです。
カフェアンドバーモチモチ
そしてお店の名前もはじめに考えていた名前とはまったく違う「モチモチ」になりました。店内は、廣畑さんがすきなピンク色の壁と、カウンターのいすや喫煙ブースの回りの赤が、かわいらしさとモダンな雰囲気がうまく調和しています。かわいいねこのロゴマークがあちこちに見られ、思わず口元がゆるむなごみの空間になっています。
おもちくんは、キャットブースのハンモックに揺られたり、ふれ合いたそうな人の近くに行ってなでられたりと、かわいがられながらもほどよい距離感を保っています。さすがです。「ほとんどの方がおもちに会いたくて来られています」と廣畑さんは笑います。
カフェアンドバーモチモチのおもちくんカフェアンドバーモチモチのおもちくん
この場所は以前酒屋さんを営んでいて、キャットブースになっているショーウインドーには、ビールなどの販促物とともにまっ白の美しいペルシャ猫が悠然と座り、歩いている人がよく「あの猫、ぬいぐるみやろか。あっ、動いた」などと話していました。男の子ですがマリちゃんという名前で「マリちゃんのお酒屋さん」と呼ぶ人もいました。
マリちゃんはだいぶ前に病気で亡くなりましたが、今モチモチカフェとなり、マリちゃんがいつもすわっていたウインドーが今、おもちくんの部屋になっています。
廣畑さんは「全然知りませんでしたが、開店してからそのねこちゃんの話を聞いて、おどろきました。偶然の出会いでしたが、何かのご縁かなと思いました」と感慨深げに話されました。おもちくんの存在は、お客さんはもちろん、道行く人たちも「今日も会えるかな」と、ほのぼのした気持ちにしています。

みんなで一から作り上げたお店

カフェアンドバーモチモチの猫パンケーキ猫パンケーキの金型
飲食店の計画が動きだし、カフェを重点的に50軒まわったそうです。メニューの種類や味、店内の雰囲気、接客などいろいろな観点で見ていきましたが、答えはみつかりませんでした。それなら自分たちが食べておいしいと思うものを一生懸命つくろうと、みんなで意見を出し合ってメニューを考え、試作と試食をくり返し、試行錯誤しながら決めたそうです。
お客さんの様子や注文されるメニューの傾向など様々に見て、改良は変更を加えています。なかにはお客さんの声に応えて生まれたものもあります。その代表が看板メニューの「にゃんこパンケーキ」の小さいサイズと抹茶入りです。従来のサイズは直径15センチ、厚さは約4センチという大きさです。「もう少し小さかったらなあ」「小さいサイズがあれば食事の後に食べられるのに」の声に「ちびにゃんこパンケーキ」が登場しました。また「抹茶味がすき」との声にこれもメニューに加わりました。「あったらいいな」の思いをかなえてくれたのです。このパンケーキは、何か話題になるメニューを作ろうと考えられたものでした。
大きな型は、大阪道具屋筋の金型専門店で特注で作ってもらったものです。簡単なラフスケッチを見せただけなのに、思い通りの金型ができあがったと、職人さんの技の確かさについて語ってくれました。
カフェアンドバーモチモチのランチ
限定の「本日のサービスランチ」は本当に充実しています。夏日となった日は、涼し気でさっぱりしたパスタが用意されていました。そのなかで選んだのは「なめたけおろし」です。上にたっぷりかかった花かつおとバターがなめたけと好相性となって、奥深いおいしさでした。サラダとスープも、しっかりきちんと作ってあります。スープはキャベツやにんじんなどの野菜がトロトロに煮込んであり、サラダの野菜はみずみずしく、ドレッシングも自家製でした。心のこもったおいしさで何気ない毎日を応援し、幸せにしてくれます。

地域に愛され、みんなに元気と笑顔を

カフェアンドバーモチモチの常連さん
毎日のようにお店を訪れる常連さん

モチモチカフェは最初「全部ガラス張りで何の店かようわからんし、入りにくかった」とよく言われたそうです。でも「一回行ったら入りやすい」と、ほとんどの人がご常連になってくれます。お孫さんと一緒に、友だち同士、一人でとお客さんの層は様々です。取材当日のバータイムには「明日が誕生日」という常連のお客さんに、居合わせたみんなが、おめでとうの声をかけていました。
カフェアンドバーモチモチのオムライス
「私たちがおいしいと思うものを、一生懸命ていねいに作っています。その料理をお客様がおいしいと感じて、ほっとして、ああ幸せと思っていただけたら私たちもうれしいです」と廣原さん。スタッフのみなさんも「なめたけおろしパスタ、私もだいすきです」「スープは厨房で朝からコトコト煮込んでいるんですよ」などと、おいしさにつろくする(つろくする:調和や釣り合いががとれていることを表す京ことば)、気持ちのよい言葉が返ってきます。

客席の下でくつろぐおもちくん
客席の下でくつろぐおもちくん

モチモチカフェで感じることは、アルバイトスタッフも含めて全員が「このお店がすき、ここで働くことが楽しい」という思いで、生き生きと仕事をしていることです。当初はランチタイムは若い女性中心、夜はおとなのくつろぎのバータイムと考えていましたが、毎日来店される人もめずらしくない、ご近所さんの憩いの場になりました。
廣原さんは「人と接する仕事、どうしたら喜んでもらえるかを考えることがすき」と語り「モチモチのコンセプトの、みんなが元気になる憩いの場としてのお店はできています。アルバイトスタッフも、自分自身で考えてお客様に接してくれています。ゆっくり過ごしてもらうのが一番」と続けました。千本丸太町に生まれたカフェ&バーは町の景色を明るくしています。ご近所付き合いの心でくつろぐ場があるということは、人のつながりのある地域である証しです。「このあたり、ええとこや」とあらためてみんなが思うことでしょう。居心地のよい空間へ、どうぞおでかけください。

 

Café & Bar MOCHI MOCHI(カフェ アンド バー モチモチ)
京都市上京区千本通丸太町上ル小山町880ピアージュ1階
営業時間 カフェタイム11:00〜18:00/バータイム18:00〜24:00
定休日 水曜

自分で決めた道 自然体でぶれない農業

三月の声を聞き、暦は土の中の虫も目覚めて動き始める啓蟄を迎えます。
京都の西南部、長岡京市は京都市内・大阪のベッドタウンとして人口が増加したまちですが、西山の緑と住宅地に続く田んぼや畑が広がる自然を身近に感じることができるまちです。
農家の直売所も点在し、季節ごとに新鮮な野菜が並びます。長岡京市の特産、地元では「花菜(はなな)」と呼ぶ菜の花の収穫はそろそろ終わりの頃となり、もうすぐ、全国に誇るブランド品、京筍の出番となります。
長岡京の菜の花畑
化学肥料を使わずに手をかけて育てた野菜やお米が喜ばれている直売所へ、しばらくごぶさたしていましたが、最近またちょくちょく足を運んでいます。それぞれの野菜の特徴や料理のヒントなど次から次へとくり出される興味深い話に、訪ねた時はいつも、つい長居になります。

めずらしいものがある楽しい直売所

山本農園の直売所
山本農園の直売所は、西山の名刹「光明寺」へ向かう、田畑がゆるやかに広がる場所にあります。道路側の側面に大きく「低農薬、有機栽培 季節の野菜 お米販売しています」と書いてあります。通称おとうさんは「そやけど、車やと全然気がつかんと通り過ぎていく」と、さほど残念そうでもなく、おっとりした口ぶりです。それでも、車や自転車、散歩の途中の人など次々とお客さんがやって来ます。
山本農園
すべてその日の朝に収穫された、朝露にしっとりぬれている野菜を、袋詰めをしながら並べていきます。見るからに元気いっぱいの野菜です。5キロもあるはくさいの迫力、切り口のみずみずしさが想像できるずんぐりむっくりした大根の名は「三太郎」。みどりが鮮やかな春菊、養分たっぷりの畑の土がついた里芋やえび芋など、季節の顔がそろっています。
そのなかにちょくちょく、めずらしい野菜や時には果物も並びます。「これは何ですか」と聞くと、少しうれしそうに説明してくれます。
山本農園の黄金カブ
最近目についたものは、中まで黄色の「黄金かぶ」です。中まで黄色なので、サラダにしても色がきれいで、しかもほかの野菜に色が移らないと教えてくれました。炊いてもいいということですので、菜の花と一緒にオリーブオイルで焼くと彩りもきれいでおいしそうですそして「中まで緑色の大根もあるよ」と裏の畑から抜いて来てくれました。成長するにしたがって、どんどん土から上へ出ていくので太陽の光を浴びて緑色になり、皮も固くしっかりした食感になるそうです。「直売所をやっていたら、1シーズンにひとつはめずらしいものを置きたいと思う」ので、種や苗を注文する時に、何か変わったもんはないかとさがすそうです。

山本農園のフェイジョア
パイナップルやイチゴなどをミックスしたような風味がするフェイジョア

定番の季節の野菜と一緒にめずらしい野菜を置いて、お客さんにも喜んでほしいという気持を感じます。秋には「フェイジョア」というとても香りの高いあまずっぱい果物がありました。5月にはピンクのかわいい花が咲き、やはり香りもよく、イタリアンレストランのシェフは、食用花に使っているそうです。ほとんどの人が普通に売られているピーナツしか知らない「落花生」も評判になりました。殻付きのまま塩ゆでにして、まだ温かいうちに食べるおいしさを教えてもらいました。「つくる側もお客さんも楽しくなる」直売所です。

子どもたちに食べてもらえるお米野菜

山本農園の「おとうさん」
大きな芋を手に笑顔で話す「おとうさん」

おとうさんが、建築会社で技術系のサラリーマンから実家の農業を専業にして26年たちました。アレルギー体質の子どもたちにも、安心しておいしく食べてもらえるお米や野菜作りを大切にしています。小学生のお孫さんは「おじいちゃんの作った野菜」はよく食べてくれるそうです。他でとれた野菜は、これはおじいちゃんのと違うとわかると聞いて、普段の食生活の積み重ねの大きさを感じました。
山本農園の大根
「子どもの舌は正直。おとなのようにお世辞を言ったり知識の刷り込みがないから、そのまんま」という言葉には私たち買う側にとっても大切なことが含まれています。田んぼは、さらに自然豊かで水がきれいな美山町にあります。通うのは大変だと思いますが「化学肥料を使わず、減農薬で育てたおいしいお米を作る」という思いで美山へ通い続けています。
そして「うちのお米や野菜つくりの考えに賛同してくれる人がお客さんになり、常連さんになってくれる」という語り口に、26年間つちかってきた確かで静かな自信が感じられます。「来る者は拒まず、去る者は追わず」とほがらかです。
そして「野菜の説明でも、押しつけに感じることになるかもしれないから、これはおいしいというようなことは言わない。たとえば、えび芋なら皮をむく時に手がかゆくならないとかヒントになることに止めておいたほうがいい」という考え方やお客さんとの間合いは、見積りから現場、掃除までやったという建築会社での経験も生かされています。そして「お米も野菜も手をかければかけるほど、ちゃんとこたえてくれる。子どもと一緒。手をかけすぎてもだめやけど、それぞれの特性を生かして育てることが大事」と続けました。経験豊かな人の含蓄のある言葉です。

寿命が来るまで精いっぱい好きなことを

山本農園のおとうさんとおかあさん
「前は正月以外ずっと直売所を開いていた。休むとかえって調子が悪い」そうです。健康管理をして体力を保ち、おいしいものをみんなに食べてもらえるようにと、いつも心がけています。「二人で一人前。ひとりではできないことも二人ならできる」という欠くことのできない大切な存在は「おかあさん」です。
「このあいだのえび芋の頭芋、びっくりするほど大きかったけど、炊いたら本当においしかったです」と伝えると、にこっと、うれしそうに「そやろ。ひと味ちがうやろ」というおとうさんの言葉に続いて「素揚げもおいしいよ。油が飛びそうなら片栗粉を付けて。揚げたてに塩をぱらっと振って、あれば青のりをちょっとかけると香りもいいしね」と教えてくれて二人の間合いが絶妙です。
長岡京市の山本農園に飾られた菜の花
農機具収納庫の直売所には、いつもさり気なく季節の野の花があり、心がなごみます。長岡京市内には、いくつも直売所があります。おとうさんは「それぞれが特色を出してやっていくことが大事」だと考えています。そして化学肥料を使わない減農薬の農業についても「無理をしない程度に、うちはうちの自然体で続けていく。自分でこれと決めた道をぶれないでやっているだけ」と気負いはありません。
ポポーという北アメリカ原産のめずらしい果樹を育てた時は、15本植えたのに、実が付いたのは1本だけという出来事にも「美山やったから目が行き届かんかったから」と原因をとらえ、前向きです。

「自分で一生懸命作った作物を納得する売り方をしたい」と考えて始めた直売所は、これからも私たちに、当たり前のように感じている毎日の食卓は、一年中、田んぼや畑に出て仕事を続ける人たちの存在があってこそという原点に立ち返らせてくれます。普段の暮らしが普通に送れるということの重みと、どれだけかけがえのないものなのかを思い、感謝する気持を忘れてはならないと感じています。
「どんなに寒くても植物は自分でわかっていて、3月になればちゃんと準備を始める」という言葉に励まされました。

 

山本農園
長岡京市 光明寺道と文化センター通り蓮ケ糸交差点西南角
営業時間 10:00~17:00頃(途中、昼食休憩あり)
定休日 水曜日

商店街の乾物屋さんが 教えてくれたこと

立春のころが一番寒いという、京の底冷えを実感する毎日に、湯気があがるあたたかかい食卓は何よりうれしく感じます。普段の食材を買いにくるおなじみの地元のお客さんが多い出町枡形商店街に、産地名が書かれた様々な昆布や鰹節、豆などが並んだ乾物屋さんがあります。
最近は乾物について聞いたり教えてもらう機会が身近には、なかなかありませんが「和食の基本はだし」と言います。日本の風土気候と昔の人の知恵が育んだ、すぐれた食材である乾物は、保存がきいて、濃厚なうま味を持ち体によい成分があると、いいことづくめです。今の時代こそ乾物を上手に活用したいと思います。
京都の食や素材、だしの取り方、さらに鰹節や昆布が育つ海の変化など、とても深く広い興味深い話を「ふじや鰹節店」店主 藤井英蔵さんにお聞きしました。

諸国名産が集まった京の都


千年の都の京都には、宮中や寺社へ全国から逸品が献上され、そのなかに今も伝統野菜として栽培されている野菜や、鰹節に昆布もありました。次第に京都でも野菜の栽培が盛んになり、風土にあった改良も重ねられました。鰹節や昆布も一般に手にすることができるようになり、海から遠く離れていることもあり、野菜と出汁すぐれた素材を組み合わせて独自の食文化が発達したと言われています。

ふじや鰹節店の藤井英蔵さん
ふじや鰹節店の藤井英蔵さん

藤井さんも「京都は特に格付け、ものの良しあしに厳しいところです。京の都には全国から超一級品、最上のものが入ってきたので」と話しておられました。お店に置いてあるきれいな銀色の煮干しは、ほっそりと小ぶりです。「小さいのを好まはる」ので、10センチまでのものを仕入れているということでした。普段使いの煮干しにも「好み」という表現に違和感がないのが京都のすごさとも感じます。
鰹節に昆布、小豆や黒豆、椎茸等々、乾物とはこんなにいろいろあるのだと知るだけでも、いい勉強になります。さらに何でも答えてもらえる先生がいる「まちかど乾物博物館」のようです。

専門店としての特色が大きな強み

ふじや鰹節店の店頭
ふじや鰹節店は「乾物は不況に強い商い」とうことで藤井さんのおばあさんが開業しました。藤井さんが小学校3~4年生頃から高度成長期に入り大阪万博もあり、商店街はたいへんな人出で沸き返ったような様子だったそうです。藤井さんも高校生の時にはバイクの免許をとり、学校から帰ると毎日、遠くは鞍馬あたりまで配達していたそうです。
それは経済活動が活発であったこともありますが、いつもお店で削った削りたての鰹節を買うことができ、昆布もきちんとしたまちがいのないものを届けてくれたからだと思います。

ふじや鰹節店の藤井英蔵さん
まだまだ現役、30年選手の鰹節削り機

今お店にある鰹節削り機は3代目、使い始めて30年になります。製造メーカーは廃業してしまいましたが、かろうじて社員だった方がメンテナンスをしてくれているそうです。
こうして鰹節を削って袋詰めするお店はほとんどなくなり、乾物屋さん自体を見かけることがありません。以前は町内に2~3軒はあり、この枡形商店街にもほかに乾物屋さんがあったそうですが今はふじや一軒だけとなりました。
「食生活や暮らし方そのものの大きな変化のなかで、乾物屋としてどうしていくか」それは「ほかにはない商品がある。目利きが選び、作った商品でふじやというブランドにして専門店としての強みを大切にすること」と方向を定めました。
ふじや鰹節店の鰹節
取材伺った日はいつもにも増して、鰹節のいい香りがただよっていました。鰹節を削る日に当たっていて、削りたての鰹節が次々と袋詰めされていきます。おいしいものは美しいと感じます。今では製造できる人はわずかとなった「薩摩形本枯節」を使っています。
1匹、1匹、職人さんが見定めて15㎏はある一本釣りされた鰹を4節に切り分けることから始まります。カビ付と天日干しをくり返し、7~8か月かけてやっと完成する最高の鰹節で日本料理には欠かせません。
ふじや鰹節店の鰹節
ふじやは鹿児島県の熟練の職人さんのものだけを扱っています。昆布も普通出まわっているのは養殖物ですが、ふじやでは天然ものを揃えています。最近は海水温の上昇が続き、昆布の生育にも異変が起きているそうです。
これまでも取材などの折に「後継者はいるのですか、とよう聞かれましたけれど、後継者うんぬんの前に、売るものがなくなりそう」という危機感を抱いています。

お正月に作るたつくり用のごまめは、毎年宮津で11月に水揚げしたものだけを入れていますが、今年は不漁で非常な高値となり仕入れることができなかったそうで異変は広がっています。
長引くコロナの影響など社会の変化は個々の暮らしにも及んで、今は「すぐに食べられるもの、価格が安いもの」に傾いている状況ですがそのなかでも少しでも鰹節や昆布のことを知ってもらいたいと、切り出しや色が少しよくないといったもので買いやすい価格の「品質はそのままのお買い得商品」をつくっています。

地域のなかの店だから続いてきた

ふじや鰹節店のある出町枡形商店街
「変化のなかだからこそ、鰹節や昆布についての豊富な知識、お客さんにとって役に立つ情報」を商品と一緒に提供しています。乾物入門的なお客さんには、質問に答え相談にのり、乾物を取り入れた食生活のよいところなど、無理をしない利用の仕方をアドバイスしています。もうすぐ節分・立春ということで枡形商店街では「立春大吉大売り出し」中です。藤井さんはお客さん一人一人に、大売り出しのチラシを渡しながら「抽選会もあるので」と宣伝も怠りません。

ふじや鰹節店で昆布も豊富に取り扱っています。
昆布も種類豊富に取り扱っています。

ふじや鰹節店ではお寺やお宮さんのお供え用の昆布も納めています。藤井さんは「それがあるんで店をやめられへんかった」と笑いました。
また「鰹節の持ち込み」があり、削りを頼まれることもあります。「加工代をいただいている」そうですが、預かった鰹節は洗って蒸して乾燥させてから削り機にかけるそうです。「商店街でずっとやって来た乾物屋やから、こういうこともやらせてもらってます。」
ふじや鰹節店の福豆
鬼のお面と豆の横に栃木県産のかんぴょうが置いてありました。節分のころは巻きずしを作るお客さんが多いのだそうです。巻きずし用にと干し椎茸をしな定めしていたお客さんには「芯にいれるんなら薄いほうが巻きやすいから」と具合のよいものを選んであげていました。
京都というまちと暮らしをお互いに支えている枡形商店街とお客さん、そしてふじやのようなお店があることが、京都の誇りとするところだと思いました。地域密着のお店にははじめて知ること、発見がたくさんあります。

 

ふじや鰹節店
京都市上京区枡形通寺町東入三栄町63
営業時間 10:00〜18:00
定休日 水曜日

ぼたん鍋の季節 京都寺町のゐの志し屋

寒の内、京都のまちを囲む三方の山々も冬時雨にけむっています。自然となべ物の登場回数も多くなる季節です。
幅広いふちどりのような脂身がたっぷりある猪肉のぼたん鍋は、代表的なご馳走鍋でしょう。昆布でとった出汁に白みそを入れて、脂身の旨みを味わいます。
煮込むほどにおいしく硬くならない最高のイノシシを販売する、京都市内で一軒だけのお店があります。大正5年の創業時から今も変わらず、寺町今出川で商いを続ける「改進亭総本店」の三代目店主、松岡啓史さんに話をお聞きしました。

牡丹、山くじら、桜に紅葉、薬食い

改進亭総本店店頭
日本では仏教の殺生をしないという教えや、牛や馬は大切な働き手であったことなどから肉食は禁止、あるいははばかられてきた歴史があります。ではそれまでまったく食べていなかったのかといえば、そうでもなかったようです。牛馬以外の、山に住む獣肉は古くから食べられていて、江戸時代には馬を桜、鹿を紅葉、そして猪は牡丹と呼んで楽しんでいいました。その名前がついた理由は諸説ありますが、そうやって隠語を使って舌鼓を打っていた様子を想像するとほほえましく思います。

歌川広重 江戸名所百景 びくにはし雪中
歌川広重 江戸名所百景 びくにはし雪中(wikipediaより)

猪は「山くじら」とも言われていました。「これは山にいるくじらですから、猪ではありません」というわけですね。歌川広重の「名所江戸百景」に、山くじらと書いた看板が見える浮世絵があり、気軽に屋台でも食べることができる人気メニューであったことがうかがえます。
また「薬喰い」と称して、体の養生のために薬として食べていることにするなど、様々にこじつけて食していたようです。おおっぴらに食べられるようになったのは時代が明治になって、牛肉のすき焼きを出す「牛鍋屋」ができてからです。
御所があり寺院の多い京都では、食文化においても有職料理や精進料理、茶懐石の料理を伝えてきましたが、進取の精神で新たな文化も次々取り入れ、すき焼きの店も明治の初めにできていきました。改進亭総本店も大正5年に現在の地で創業しました。

今もみずからの手で解体して店頭へ

改進亭総本店の店頭
創業者は松岡さんのおじいさんで、当時、京都ではまだ豚肉の扱いはなく牛肉のみを販売していました。「加茂牛」という、とてもおいしい牛肉だったそうです。「京都は小さいまちなので、すぐ近くに山があります。それにここは京都のまち中でも北のはてやから、上賀茂や西賀茂の猟師さんから、猪が持ち込まれるようになったと聞いています」と松岡さんは語ります。
その買い取ったイノシシを多くの人に知ってもらい、実際に買ってもらうために考えたすえ「洛北名物」と銘打って売り出しました。才覚のある初代が築いた改進亭は、その時から「寺町のイノシシ屋」として、ぼたん鍋のおいしさを広げ、まちがいのない店として知られるようになりました。
いのしし
イノシシは仕留めたらすぐに血抜きして内臓を出し、冷たい谷水につけるのだそうです。そうすることで肉がいたみません。猟師さんの仕事はそこまでで、皮をはぐ作業は今でもお店でしていると聞いて、これにもおどろきました。イノシシの旨みは何と言っても脂にあり大事なので、できる限り脂が多く残るように、皮と脂の境い目ギリギリのところではぐそうです。
断熱材の役目を果たす脂の層は、普通は2・5センチくらいですが、いいものは3~4センチもあるそうです。「持っている脂がイノシシの財産」なのです。そして「野生で生きているものは太って元気なのがおいしい」と断言します。「苦労して走り回って、たくさんえさを食べたシシはすごくおいしいです。彼らは自分の身ひとつが財産です。人間で言えばお金持ちですね。僕なんかシシだったら生きてられないですよ。けんかも弱いし」と物静かな口調のなかにユーモアを織り交ぜながらの「もっと聞きたい」と引き込まれるお話でした。
改進亭総本店の猪肉
現在は道路網が整備され輸送が短時間になったので、丹波、若狭、丹後、滋賀県のイノシシも入っていますが、産地うんぬんより、そのイノシシがよい個体であることが肝心になります。そして重要なことは血抜きがうまくできているかどうかです。血抜きがうまくできないと、せっかくの宝が台無しになってしまいます。血抜きがうまくできていないと脂身は赤くなり、赤身の部分は黒くなってしまうと聞きました。個体差のあるイノシシを吟味して血抜きの具合も見極めることは、経験に裏打ちされた目利きの仕事です。
精肉の仕事も一度外で修業して店は入ることが多いのですが、イノシシを扱う精肉店は他になかったので、松岡さんは最初からおじいさんとお父さんの仕事を見ながら経験を積んできました。京都市内で一軒だけのイノシシ屋としての信頼をしっかり引き継いでいます。

今も変わらぬ生まれ育った家と店

改進亭総本店のある寺町通り改進亭総本店の店頭
改進亭は、様々な業種のお店が並ぶ地元の頼りになる「出町枡形商店街」に続く寺町通にあります。近所には「傘」や「貸布団」の看板がかかった町家があり、営業を続けるモダンな建築の理髪店や「茶」と染め抜いたのれんが下がるお茶屋さんもあります。
以前、この通りの雰囲気に魅かれて歩いていて目にとまったのが「寺町ノゐの志し屋」の看板でした。出かけられるところの松岡さんと居合わせ、少し立ち話をさせていただき「イノシシは11月から3月まで販売しますので、その頃またどうぞ」と聞き、看板のとおり「イノシシ屋」さんだったのだと思いました。

改進亭総本店のご主人、松岡啓史さん
改進亭総本店のご主人、松岡啓史さん

お店の構えはいかにも「まちのお肉屋さん」の懐かしい雰囲気をまとっています。時々お店を手伝う妹さんから「子どもの頃は、イノシシが店の中へ台車で運ばれてきて、その上に乗って電車ごっこをしていました」という思い出は、他では絶対に聞けない貴重な話でした。
松岡さんは上京中学校でブラスバンド部へ入りホルンを吹いていました。上京中学校は毎年吹奏楽コンクールで上位入賞を果たしていて、練習もかなり厳しく「運動部からも恐れられるくらい」だったそうです。今も自転車にホルンを乗せて、人のいない山のほうへ出かけて吹くことを楽しい趣味にしています。本当はトランペット志望だったのがホルンをあてがわれてしまったけれど、調べてみたら狩りの時に吹いていたと知って「うちはイノシシ屋なので縁があるんやなあと思いました」という、本業以外の話にも、おだやかなお人柄があらわれていました。
ぼたん鍋
お店には毎年来店する常連さんや飲食店の方をはじめ料理屋さんからの注文もあります。猟師さんもお客さんも長い付き合いが続いています。松岡さんは「京都はそういうまちやから」と言います。「昆布出汁をしっかりとって、白みそと赤みその割合は7対3。しっかり煮込んで脂のおいしさを味わう」改進亭総本店流のぼたん鍋が京都の底冷えのなか、多くの人の体と気持ちをあたためてくれます。

 

改進亭総本店
京都市上京区寺町通今出川上る表町35
営業時間 10:00~19:00
定休日 水曜日

世界に広がれ 京太のはちみつ

コロナの影響でぽっかり時間が空いた日々に、京都大学農学部4年生の3人は「全国各地の農家さんのお手伝いをする旅」に出ました。
そこには自然にあらがわず、様々なことをみずからの力と技術でこなしていく本当に豊かな暮らしぶりと、そこに住む人々の「かっこいい」姿がありました。お米作り、梅の栽培、養蜂や炭焼き等々の達人や師匠となる人々とめぐり合い、二ホンミツバチの養蜂で「百姓として生きていく」夢の一歩を踏み出しました。
4月から始めて10月には、市場に出回ることがきわめて少ない「幻のはちみつ」の販売にまで漕ぎつけました。名付けて「京太のはちみつ」です。
農家さんの生き方に敬意と共感をもち可能性を信じて「百姓」への道を歩む、京太のはちみつ代表の大島武生さん、副代表の三宅新さんと伊藤佑真さんに二ホンミツバチのこと、これからの夢について語っていただきました。巣箱を囲んでの愉快なひと時でした。

養蜂を始めたわけと1パーセントの贅沢

ニホンミツバチ
市販されているはちみつの容器には「国産」「中国産」などと記載されていますが、そもそも国産とは何か、それは二ホンミツバチのはちみつではないのかなど、はじめて知ったことが多くありました。農林水産省の調査によると日本のはちみつ自給率はわずか6パーセント、そのなかで二ホンミツバチが占める割合はたったの1パーセントです。
昔から日本の山野にいた在来種の二ホンミツバチは、人間に育てられるようになっても野生の気質が抜けず、用意した巣箱も気に入らなければ引っ越してしまうという奔放さに付き合わなければなりません。セイヨウミツバチに比べ体は小さく、集める蜜の量も10分の1ほどに過ぎません。養蜂には「不向き」と言える二ホンミツバチですが、その苦労を帳消しにするほどのすばらしいはちみつをつくってくれるのです。

左から大島さん、三宅さん、伊藤さん

三人は口を揃えて、はじめて二ホンミツバチのはちみつを食べた時の味わいと香りは衝撃的だったと言います。「とにかく本当においしい」これが原点になりました。
調べていくうちに、巣箱は自分たちで作れそうなこと、とても希少なものであることがわかりました。受粉の役目をしてくれるミツバチは農家にとっても大切な存在です。将来農業をやってみようと思っている三人にとって仲間になります。かくして、貴重な1パーセントのはちみつを一人でも多くの人に知ってもらい届けるために京太のはちみつプロジェクトが始動し、養蜂を開始しました。

無添加・非加熱の百花蜜を届けるために

京太のはちみつ
二ホンミツバチが野山に咲く複数の花の蜜を集めてできたおいしい百花蜜も、加熱すると香りや味わいや多くの種類が含まれている栄養素が損なわれてしまいます。市販のはちみつのほとんどは熱処理が行われています。採蜜のタイミングや工程の効率をよくすることができるそうです。
京太のはちみつはミツバチや野山の自然のリズムに合わせて、ゆっくり時間をかけて熟成された蜜をいただき、熱処理も添加物も無しの、香りや花粉も味わいを深める「生」のままのはちみつです。
8月は5㎏、9月は2か所で合計10㎏採蜜し、10月に販売を開始しました。採取した巣から自然に垂れてくる蜜を集めた「垂れ蜜」と、垂れ蜜をとった後に巣に圧力をかけて絞った「圧搾蜜」の2種類です。趣味の養蜂ではなく、自分たちが生産したものを世の中に問い、売るというチャレンジです。
京太のはちみつ秋の垂れ密
大島さんは、高校の修学旅行で保津川下りの「船頭体験」をしたことから、すっかり京都に魅せられ、今は「若手船頭」とラフティングガイドとしてアルバイトをしています。この長年のご縁から、商品化された最初のはちみつを、保津川下りの待合所の売店に置いてもらい、130グラム3000円という高額にもかかわらず見事完売となりました。「なかなか手に入らないから」と2個、3個まとめて買ったお客さんもあったそうです。

巣箱の手入れをする三宅さん(左)と大島さん(右)

三宅さんは愛媛県で、お金のやりとりなしで「食事・宿泊場所」と、「力と知識・経験」を交換し、有機農業や環境に負荷をかけない暮らし方などについて知見を深め交流するWWOOF(ウーフ)に初参加し、その経験を現在の活動に生かしています。二人ともバトミントンが得意でその技を、二ホンミツバチを狙って襲来するスズメバチ撃退に発揮しています。

巣箱にはスズメバチ除けの赤いネットが付けられています。

10月からメンバー入りした伊藤さんは、ミツバチより後輩の一番の新参者の序列となっていますが、農業サークルに所属し、全国各地で農家の手伝いをしてきたバイク旅の愛好家です。ホームページやSNSでの発信を一手に引き受けて活躍しています。スズメバチの群れを追い払う、大島さんと三宅さんの目にもとまらぬ速さのラケット技法に感嘆していたら、そこで出くわしたセイヨウミツバチに刺されて大変な目に合ったそうですが、それにもひるまず巣箱の様子を見に来ています。
三人の二ホンミツバチとの付き合いは始まったばかり。まだまだ未知なるミツバチの世界の探求は続きます。

海外にも広げたい二ホンミツバチのはちみつ

京太のはちみつ 亀岡の巣箱
紅葉を楽しんだ野山にも枯れ色が目立つようになった12月はじめ、亀岡と京大付近に設置された巣箱の見学をさせてもらいました。
亀岡の巣箱は静かな山里にあります。ご自身も荒れた竹林整備の活動をされ、二ホンミツバチの養蜂を行っている、真福寺の満林晃典ご住職の厚意で、境内地に続く小高い場所に巣箱が置かれています。少し前まで一面にコスモスが咲いていた所もその先の竹林も、みんなで協力して整備されたそうで、手を入れた自然のよさがよみがっています。周囲の豊かな自然は百花蜜をつくる二ホンミツバチのすみかに最適です。

真福寺のご住職も一緒に様子を見に来られていました。

一週間様子を見に来てなかったそうですが安泰のようでした。これからの寒さ対策としてシートでおおうかどうか検討中ということです。スズメバチの侵入を防ぐ網も張ってありました。「養蜂は野菜や果物のように手をかけなくてもほったらかしておいてもいいから」という話もされていましたが、どうしてどうして、よい蜜をとれるようにするには考えること、やっておかないといけないことが多くあると感じました。
また、あろうことか大家さんであるご住職の巣箱より、店子の京太の巣箱のほうが蜜がたくさん取れたそうです。来年はどうか両方の巣箱にたくさんの蜜が集まりますようにと祈る気持ちです。
京太のはちみつ 京大の巣箱
もう一つの巣箱は京大の近くにあります。通りから構内のイチョウやクスノキの木立が見え「大学のまち」の景観を形づくっています。付近に大学付属の農場や植物園もあるため、まちなかであっても自然度が高く、京太の二ホンミツバチたちにとっても良い環境です。スズメバチとガに攻撃され、ひと群れは壊滅してしまったそうですが、残った巣箱の中は異常なしでした。
ニホンミツバチ
今、二ホンミツバチに限らずミツバチの減少が各地で報告されています。原因の一つとして、ネオニコチノイド系の農薬の影響が指摘されています。二ホンミツバチは農薬にとても弱いので、京太でも巣箱の設置には細心の注意を払っています。作物にとって欠くことのできないミツバチなど小さな生き物との共生の大切さが今また問い直されています。

京太のはちみつを海外へ広げようという構想が考えられています。自然がくれた贈り物のはちみつとプロジェクトの取り組みは、世界中で受け入れられるものだと感じました。
女王バチは2~3年、働きバチは2~3か月しか生きられないという、命をかけてただ花の蜜を集めるだけの一生に哀切さとともに、尊さも感じました。それはミツバチのことを愉快に生き生き話す三人の、農業や自然との向き合い方や「恵みをいただく」という謙虚な気持を感じたからかもしれません。
今までにつながりのある、お世話になったみなさんも、これからの展開を楽しみにしていると思います。はちみつの採取は春までお休みですが、ぜひホームページやSNSをチェックしていただいて現在進行中の京太のはちみつの活動に注目してください。そして少しでも自然の営みを感じられる暮らし方について、考えてみたいと思います。

 

京太のはちみつ htpps//forjyapan.kyotahoney.com

タルトとフランス菓子を 長岡京で

世の中にはあらゆる種類のお菓子があふれています。有名シェフと言われる人が作ったものでも、遠く離れたお店のものでも手に入る時代です。そんな今、ケーキを買う日はどんな日でしょう。家族の誕生日、記念日、いいことがあった日、反対に心が沈んだ日。お菓子はその時々の気持ちにもかかわって、思い出として刻まれます。
フランス文学を専攻した青年が、お菓子作りの道へと進み、生まれ育ったまちでお店を開きました。おいしさを追求し、素材に妥協なしの「何気ない普段の日を少し豊かにする」お菓子です。
タルトとフランス菓子の専門店「プチ・ラパン(小さなうさぎ)」は、開店から14年を迎えました。こじんまりしたかわいいお店は、オーナーシェフの個性とお菓子への思いが凝縮されています。お菓子と一緒に楽しい会話も手渡し、味わう場面をより幸せにしてくれます。パリで出会った一つのお菓子が人生を決めたプチ・ラパンの物語です。

フランス菓子にたどり着くまで

プチ・ラパン外観
阪急電車の長岡天神駅から3,4分歩くと、地中海の町を思わせる白い建物のショッピングモールがあります。こみちをたどるように、レンガの通路を進むとそれぞれの感性にあふれる店舗が並んでいます。白地にオレンジ色が映える日よけと、オレンジ色のドアが可愛いお店がプチ・ラパンです。
オーナーシェフの友田成生さんは、高校生の時から友だちを呼んで「パーティのようなこと」をするのが大好きだったそうです。そこで「パーティならフランス料理」と思いたち、インターネットもない頃のこと、すぐに近所の本屋さんで5冊組の料理本を購入し読んでみると、フランス料理の背景や食に対するこだわりに衝撃を受け、あこがれを抱きました。しかし「好きなことは趣味にしたほうが楽しい」と、大学へ進学しました。ただフランスへの思いは断ちがたくフランス文学を専攻。しかし「就職超氷河期」が囁かれる状況となり「フランス文学を学ぶ男子が就職できるのか」という不安がわき上がり、中退してフランス料理の道へ進みました。
パリの街並み
横浜や東京のレストラン、結婚式場、ホテルで経験を積む中で、休暇をとってパリへ行き、有名店めぐりをしてみたものの「これがわざわざパリまで来て食べる味なのか。東京でもどこでも食べられる味だ」と残念な思いがつのりました。そんな時に入った名も知れないパン屋さんの「りんごのパイ」を食べて、お菓子への価値観が一気にくつがえったのでした。良いりんごと小麦粉にバターを使い、ていねいに焼いたごく普通のパイこそ本当においしいのだと教えてくれたのです。友田さんの進むべき道がはっきりした、かけがえのない出会いでした。
プチ・ラパンのモンブランプチ・ラパンのタルト
最高の素材を使ったシンプルなタルトやフランス菓子を、地元長岡京のみなさんに日常でも気軽に楽しんでほしいと、2007年2月にプチ・ラパンが誕生しました。お店に並ぶのは、きらびやかなデコレーションや、生の果物を色とりどりに使った華やかなケーキとは違っています。「菓子屋の仕事は素材の旨みを引き出す最大限の糖分量と火入れの時間の見極め」と語るように、果物も火を入れた、生とは違うおいしさがしっかり味わえる焼き込んだタルトが中心です。
季節限定の商品もありますが、常時5~7種類のタルトとシュークリームなどが並んでいます。時々「甘さ控えめですね」と言われるそうですが、フランス菓子の基本をきちんと踏襲しているので、糖分量を抑えて作ることはないと言います。甘さ控えめのケーキがほしい、あるいはおいしいと思っているお客さんが、ここのケーキをおいしいと感じたということは、素材に妥協せず、ていねいにつくったプチ・ラパンのお菓子の味が伝わったのだと思います。「一生懸命やっていれば必ず見てくれる人がいる」という言葉を大切にしていると話してくれましたが、甘さ控えめ云々の出来事がこの言葉を裏づけています。

早い時期に本物を知ってもらう職場体験

オーナー友田さんとピカピカに磨かれたクリームをたく銅の大鍋
オーナー友田さんとピカピカに磨かれたクリームをたく銅の大鍋

今年はコロナのために実施されませんでしたが、毎年中学生の職場体験を受け入れています。学校へは「アシスタントを一人入れるつもりで受け入れます」と伝え、3日間一人で参加すること、お店のユニフォームを着てお店で日々こなしている仕事と同じ内容で働いてもらうことを条件としています。
実際の仕事は、タルトと並ぶ看板商品のシュークリーム作りです。いつもと同じ量のシュークリーム用のクリームを銅の大鍋でたき、皮に詰め、3日目はお店の外で販売してもらいます。
プチ・ラパンのシュークリーム
大きな銅の鍋でクリームをたきあげることも、皮にいっぱいのクリームを詰めることも、どれだけ大変かを知ると、指示がなくても自ら次々仕事を進めていくそうです。そして、自分が完成までかかわったシュークリームが売れると、顔つきが変わると聞き、友田さんが求めている「仕事の本質を知る」ということに一生懸命取り組んだ中学生は、きっと得難い経験になったに違いないと感じました。
また再生繊維のユニフォームやテイクアウト用には再生紙の箱、夏場はクリームを冷やすために使った水で打ち水をするなど、毎日の仕事のなかでできる少しでも環境への負荷を減らすことを行っています。バターや牛乳、小麦粉などお菓子作りの素材はすべて自然と人の営みのなかから生まれています。プチ・ラパンのお菓子をこれからも多くの人に届けるために、毎日の少しの努力が続けられています。

お菓子だけにとどまらずNEXT GOAL


友田さんにお店の名前はどのようなことからつけられたのか聞くと「よく覚えてないのです。最初はパリの学生街のカルチャラタンからとって、カルチェラパンという名前を考えたのですが、わかりにくかったので、プチ・ラパンならかわいくてミッフィーのイメージもあるし覚えやすかったからだと思います」と返ってきました。肩に力など全然入っていないゆるやかでとても柔軟な答えで笑いがこみあげてきました。

「プチ・ラパンコーポレート」のサイトは「上級ウェブ解析士」の資格を持ち、自社のホームページやフライヤーなどの制作もこなす友田さんが、段々とこの分野の仕事の相談や依頼を受けるようになり、開設されました。食品表示法についてなど、食品や飲食にかかわるすべてのお店に必要な情報が、わかりやすく紹介されています。また、ウェブを活用する一方で紙媒体の良さも生かしています。奥様のMIYAマネージャーさんは、10年以上ほぼ週刊で発行される手書きの「プチ・ラパン通信」を担当されています。
去年のクリスマスケーキの予約チラシを地元中心に新聞折り込みしたところ、すぐに予約数が埋まったそうです。また市内9店舗の洋菓子、和菓子、パンのお店合同の「秋冬コレクション」のチラシも近々折り込みされるとのことでした。経営者、シェフ、ウェブ関連の仕事と、よくこれだけできるものだと感心します。しかし「よく時間がありますね」「すごいですね」などの愚問は差しはさむ余地のない明快でおおらかで、楽しそうな話ぶりです。
プチ・ラパンのガラシャの絆シリーズ
地元長岡京の特色を生かした長岡京産レモンのタルト、細川ガラシャゆかりの地として「ガラシャの絆」シリーズなども商品化されています。絆シリーズはスパイスがきいた焼き菓子「激昂・信長」アーモンドに砂糖の衣かけをほどこした「父光秀の愛情」など傑作ぞろいです。
本場フランスのタルトとフランス菓子の専門店プチ・ラパンはこれからも、私たちに想像もつかないおもしろくておいしいお菓子の夢を見させてくれそうです。

 

プチ・ラパン
京都府長岡京市開田3-3-10ロングヒル1階
営業時間 10:00~19:00
定休日 月曜日

地域農業の成果 名物そばどころ

「新そば」ののぼりを見かけるようになりそろそろ新そばの季節がやって来ました。晴天が続いたある日、思い立って亀岡市の西南端のそばの名所、犬甘野(いぬかんの)へ行って来ました。標高400メートル近い山間地にあり、きれいな空気と水に恵まれ、昼夜の寒暖差が大きいという農業に最適な条件を備え、もともとおいしいお米が作られて来た地域です。転作作物として、そばの栽培に取り組み、自家栽培、自家製粉のそばは今「犬甘野そば」の看板をかかげ、多くのそば好きが繰り返し足を運ぶそば処となっています。運営の主体は、地域ぐるみで豊かな自然環境と農業の継続に取り組んできた「犬甘野営農組合」です。一面に咲く白いそばの花と黄金色の稲は、犬甘野を象徴する秋の風景です。香り高いそばには「ここで暮らす」人々の30年近い年月の活動が土壌となっています。

開店早々から、あふれる活気


JR亀岡駅前から出発し、京都先端科学大学前で小型の「ふるさとバス」に乗り換え、木々が生い茂るつづら折りの険しい道を進みます。途中バス停でなくても自由に乗り降りできる「フリー乗降区間」も設定されていて、その旨の車内アナウンスがありました。地域を持続可能にするためには、こういった配慮や工夫は大切です。30分足らずで目的地「風土館 季楽(ふうどかんきら)」へ到着です。
犬甘野風土館 季楽犬甘野風土館 季楽
秋というには強い日差しを受け、野菜の直売所とそこにつながる飲食スペースに、よしずが優しい影をつくっています。平日の週始めにもかかわらず、地元産の新鮮な季節の野菜や名物のそばを楽しみにして、次々とお客さんが訪れています。
犬甘野地域は、亀岡市街から10㎞、大阪府能勢町や高槻市、兵庫県池田市からは20~25㎞という距離にあり、丹波と北摂地域の境界にあたります。その立地から、京都よりも大阪、兵庫からの来店が多いそうです。
犬甘野風土館 季楽の農産物
代表的な京の伝統野菜の万願寺とうがらし、加茂なす、九条ねぎをはじめ、生産者の名前が記されたラベルが付いた多くのつやつやの野菜が並んでいます。銀寄せと呼ばれる大粒の丹波栗やぶどうなど、季節の味覚もあり「わざわざ買いに来る価値のある直売所。いつも楽しみです」という声に納得します。自家製の切り干し大根やローリエなど加工品もあり、いろいろと工夫され、一生懸命直売所を盛り上げています。
犬甘野で収穫されるお米は豊かな自然のなかで、たい肥を使った土作りを行い、化学肥料や農薬の使用を極力減らした安全でおいいしいお米です。「京都府エコファーマー」の認証も受けています。10月1日から新米の発売となりましたが、毎年大好評で「本当においしいから米はここで買うことに決めている」と10㎏袋を抱えて話す人もありました。隣接の精米所も休みなく動いています。そばはもちろん、お米は、豊かなむらづくりに励んできた犬甘野の象徴です。

新しいものを生み出す工夫や努力

犬甘野風土館 季楽犬甘野のそば
そば好きの人のあいだでも定評のある犬甘野そばの一番人気は、そば粉8割に亀岡産の山芋をつなぎにした二八の手打ちです。早々に売り切れになることもあるそうです。風土館 季楽は開設から27年を迎え、これまでの積み重ねの上に研究と工夫を重ね、経営努力を続けています。そばのメニューも、きつね、山かけ、月見、おろしなどの定番のほか、そばそのものの香りや風味を、ていねいにとった出汁で味わえる「そばがき」もあります。
犬甘野米のおにぎりや、お餅は、そばに足して、しっかりおなかを満たしたい人にもうれしいメニューです。ぜんざいやあん餅の小豆もすべて季楽で炊いています。日曜日限定の、山菜ごはんや草餅は待つ人多しの人気ぶりです。
犬甘野風土館 季楽のぜんざい
季楽でのゆっくりした時を過ごしてもらいたいと力を入れる一方、そばは亀岡市の特産品として出荷を喜ばれていることから、季楽で販売のほか量販店へも出荷しています。「そばパスタ」は打ったそばの端を活用した商品で、ごみを出さず、そばのまるごと活用です。ドレッシングでサラダ風に、また和え物にもよいとスタッフの方に教えてもらいました。
壁には、そば打ち体験をした地元の小学生から寄せられたメッセージを貼ってあります。「自分で作ったそばはおいしかった」「これからも、そばをたくさん作って人気者になってください」など、顔がほころぶ素直な感想が書かれています。窓に面したカウンター席は、目の前に広がる景色を眺めながら食事ができます。

飾られた季節の花は気取りのなさが素敵です。

きびきびと立ち働く女性スタッフの、細やかな情のある接客も気持ちよく、それも季楽の雰囲気の重要な要素になっています。一人一人が、自ら考えながら楽しく働く季楽の雰囲気に、心地よい時間を過ごすことができます。「コロナ以前に驚くほど人が来ていたわけでもないし、また、コロナになっても来店数や売り上げは以前とさほど変わっていません」という言葉にも季楽の強みを感じました。

循環型農業で地域の将来に希望を


「楽しみながら農地活用」「美しいふる里 みんなのおもい」と書かれた看板が周囲の景色に溶けこんで立っています。ふしぎと説得力を感じます。この二つの言葉は、机上のことではなく、まさに犬甘野営農組合がこれまで築き、今も取り組んでいるテーマです。
元組合長の和崎邦夫さん
元組合長の和崎邦夫さんに6年ぶりにお会いしました。変わらぬ意欲で「来年2月で80歳になるけれど、米や野菜を作っていれば健康でいられる」といたって元気な「生涯現役」農家さんです。昨今の異常気象で、去年こうだったからという経験則ではだめで、毎年考えながら農業を続けないといけない状況だと話されました。
昭和50年代後半に入ると、農業に従事する人が減り、農業を中心とする犬甘野でも地域の崩壊が懸念されました。そのようななかで、みんなで地域の自然環境と農業を守ろうという機運が高まりました。そこで3つの集落が一緒になって営農組合として組織化し後に法人として設立しました。
稲からの転作として始めたそばの栽培や製粉、製麺技術も努力して習得し、研究を重ねました。このようにしっかりした土台があったことで、そばや地元の味の提供、加工品製造、販売への思い切った展開ができたのでした。そばの花が咲き、稲穂が揺れる景観は、収益をもたらすとともに、ふるさとの資産となっています。
犬甘野のそば
和崎さんは「30年前からCo2を出さない農法にいち早く取り組んできた」と犬甘野の先見性を力強く語りました。エコファーマー認定項目の一つ、たい肥を入れた土つくりには、近くの和牛肥育場の牛糞を利用しています。循環型農業の実践は地元の他企業と共同して安全で地球に負荷をかけない農業を継続することにつながっています。
犬甘野の牛
肥育場では、現在約70頭の黒牛がいます。一頭につき1回に5㎏の餌が必要であり、朝6時と午後3時の2回餌やりをするので、10㎏が必要になります。牛舎の清掃もあり休む間もない仕事です。「ことみ」「ひさこ」など一頭一頭に名前が付けられていて、餌を食べる合間にこちらに顔を向けるなど愛嬌も感じます。2年間育てると聞き「情がわきませんか」と聞くと「やっぱり情がわくねえ」という答えでした。そのつらさも含めて、本当に大変な仕事であることが深く実感されました。
持続可能な社会と口にするけれど、食料を生産し、そこに住み暮らすことで地域の自然や文化を守る人たちの尊さ、そのおかげで今があるということを強く感じました。少子高齢化や空き家問題などは、全国各地が抱える課題です。それにどう向かっていくのか。犬甘野の「楽しく農地活用」のスローガンが後押ししてくれているように感じました。

 

犬甘野風土館 季楽(いぬかんの ふうどかん きら)
亀岡市西別院町犬甘野樋ノ口1-2
営業時間 10:00~16:00
定休日 木曜日