ぼたん鍋の季節 京都寺町のゐの志し屋

寒の内、京都のまちを囲む三方の山々も冬時雨にけむっています。自然となべ物の登場回数も多くなる季節です。
幅広いふちどりのような脂身がたっぷりある猪肉のぼたん鍋は、代表的なご馳走鍋でしょう。昆布でとった出汁に白みそを入れて、脂身の旨みを味わいます。
煮込むほどにおいしく硬くならない最高のイノシシを販売する、京都市内で一軒だけのお店があります。大正5年の創業時から今も変わらず、寺町今出川で商いを続ける「改進亭総本店」の三代目店主、松岡啓史さんに話をお聞きしました。

牡丹、山くじら、桜に紅葉、薬食い

改進亭総本店店頭
日本では仏教の殺生をしないという教えや、牛や馬は大切な働き手であったことなどから肉食は禁止、あるいははばかられてきた歴史があります。ではそれまでまったく食べていなかったのかといえば、そうでもなかったようです。牛馬以外の、山に住む獣肉は古くから食べられていて、江戸時代には馬を桜、鹿を紅葉、そして猪は牡丹と呼んで楽しんでいいました。その名前がついた理由は諸説ありますが、そうやって隠語を使って舌鼓を打っていた様子を想像するとほほえましく思います。

歌川広重 江戸名所百景 びくにはし雪中
歌川広重 江戸名所百景 びくにはし雪中(wikipediaより)

猪は「山くじら」とも言われていました。「これは山にいるくじらですから、猪ではありません」というわけですね。歌川広重の「名所江戸百景」に、山くじらと書いた看板が見える浮世絵があり、気軽に屋台でも食べることができる人気メニューであったことがうかがえます。
また「薬喰い」と称して、体の養生のために薬として食べていることにするなど、様々にこじつけて食していたようです。おおっぴらに食べられるようになったのは時代が明治になって、牛肉のすき焼きを出す「牛鍋屋」ができてからです。
御所があり寺院の多い京都では、食文化においても有職料理や精進料理、茶懐石の料理を伝えてきましたが、進取の精神で新たな文化も次々取り入れ、すき焼きの店も明治の初めにできていきました。改進亭総本店も大正5年に現在の地で創業しました。

今もみずからの手で解体して店頭へ

改進亭総本店の店頭
創業者は松岡さんのおじいさんで、当時、京都ではまだ豚肉の扱いはなく牛肉のみを販売していました。「加茂牛」という、とてもおいしい牛肉だったそうです。「京都は小さいまちなので、すぐ近くに山があります。それにここは京都のまち中でも北のはてやから、上賀茂や西賀茂の猟師さんから、猪が持ち込まれるようになったと聞いています」と松岡さんは語ります。
その買い取ったイノシシを多くの人に知ってもらい、実際に買ってもらうために考えたすえ「洛北名物」と銘打って売り出しました。才覚のある初代が築いた改進亭は、その時から「寺町のイノシシ屋」として、ぼたん鍋のおいしさを広げ、まちがいのない店として知られるようになりました。
いのしし
イノシシは仕留めたらすぐに血抜きして内臓を出し、冷たい谷水につけるのだそうです。そうすることで肉がいたみません。猟師さんの仕事はそこまでで、皮をはぐ作業は今でもお店でしていると聞いて、これにもおどろきました。イノシシの旨みは何と言っても脂にあり大事なので、できる限り脂が多く残るように、皮と脂の境い目ギリギリのところではぐそうです。
断熱材の役目を果たす脂の層は、普通は2・5センチくらいですが、いいものは3~4センチもあるそうです。「持っている脂がイノシシの財産」なのです。そして「野生で生きているものは太って元気なのがおいしい」と断言します。「苦労して走り回って、たくさんえさを食べたシシはすごくおいしいです。彼らは自分の身ひとつが財産です。人間で言えばお金持ちですね。僕なんかシシだったら生きてられないですよ。けんかも弱いし」と物静かな口調のなかにユーモアを織り交ぜながらの「もっと聞きたい」と引き込まれるお話でした。
改進亭総本店の猪肉
現在は道路網が整備され輸送が短時間になったので、丹波、若狭、丹後、滋賀県のイノシシも入っていますが、産地うんぬんより、そのイノシシがよい個体であることが肝心になります。そして重要なことは血抜きがうまくできているかどうかです。血抜きがうまくできないと、せっかくの宝が台無しになってしまいます。血抜きがうまくできていないと脂身は赤くなり、赤身の部分は黒くなってしまうと聞きました。個体差のあるイノシシを吟味して血抜きの具合も見極めることは、経験に裏打ちされた目利きの仕事です。
精肉の仕事も一度外で修業して店は入ることが多いのですが、イノシシを扱う精肉店は他になかったので、松岡さんは最初からおじいさんとお父さんの仕事を見ながら経験を積んできました。京都市内で一軒だけのイノシシ屋としての信頼をしっかり引き継いでいます。

今も変わらぬ生まれ育った家と店

改進亭総本店のある寺町通り改進亭総本店の店頭
改進亭は、様々な業種のお店が並ぶ地元の頼りになる「出町枡形商店街」に続く寺町通にあります。近所には「傘」や「貸布団」の看板がかかった町家があり、営業を続けるモダンな建築の理髪店や「茶」と染め抜いたのれんが下がるお茶屋さんもあります。
以前、この通りの雰囲気に魅かれて歩いていて目にとまったのが「寺町ノゐの志し屋」の看板でした。出かけられるところの松岡さんと居合わせ、少し立ち話をさせていただき「イノシシは11月から3月まで販売しますので、その頃またどうぞ」と聞き、看板のとおり「イノシシ屋」さんだったのだと思いました。

改進亭総本店のご主人、松岡啓史さん
改進亭総本店のご主人、松岡啓史さん

お店の構えはいかにも「まちのお肉屋さん」の懐かしい雰囲気をまとっています。時々お店を手伝う妹さんから「子どもの頃は、イノシシが店の中へ台車で運ばれてきて、その上に乗って電車ごっこをしていました」という思い出は、他では絶対に聞けない貴重な話でした。
松岡さんは上京中学校でブラスバンド部へ入りホルンを吹いていました。上京中学校は毎年吹奏楽コンクールで上位入賞を果たしていて、練習もかなり厳しく「運動部からも恐れられるくらい」だったそうです。今も自転車にホルンを乗せて、人のいない山のほうへ出かけて吹くことを楽しい趣味にしています。本当はトランペット志望だったのがホルンをあてがわれてしまったけれど、調べてみたら狩りの時に吹いていたと知って「うちはイノシシ屋なので縁があるんやなあと思いました」という、本業以外の話にも、おだやかなお人柄があらわれていました。
ぼたん鍋
お店には毎年来店する常連さんや飲食店の方をはじめ料理屋さんからの注文もあります。猟師さんもお客さんも長い付き合いが続いています。松岡さんは「京都はそういうまちやから」と言います。「昆布出汁をしっかりとって、白みそと赤みその割合は7対3。しっかり煮込んで脂のおいしさを味わう」改進亭総本店流のぼたん鍋が京都の底冷えのなか、多くの人の体と気持ちをあたためてくれます。

 

改進亭総本店
京都市上京区寺町通今出川上る表町35
営業時間 10:00~19:00
定休日 水曜日