「バイトの子もみんな家族」 のそば処

「ちょっと軽く、そばかうどんでも食べてこか」「ええなあ」という時、気軽に入れる店は重宝するありがたい存在です。「そば処 志な乃」は、その典型です。以前の場所からすぐ近くへ移転・開店してから2年半。大将が毎朝手打ちするそばときちんととった出汁の風味、ていねいな接客、ほがらかな活気に満ちた雰囲気はそのままに、木の材質を生かしたすてきな店舗になりました。
短時間ですませたい昼食も、ビールや日本酒でゆっくりやりたい時も、ほっと一息ついて満ち足りた気持ちになるそば処です。

てんてこ舞の忙しさが活気に変わるチーム力

志な乃の店構え
お彼岸の中日はめずらしく、吹雪になりました。寒いなか空腹をかかえて「まだ間に合う」と志な乃へかけ込みました。志な乃は出前にも応じています。夜7時を過ぎても出前の電話がかかっていました。
雨カッパ姿で吹雪のなか、続けて出前に行く大将に思わず「お疲れさまです」と声をかけました。すると「病院の先生方ががんばってくれてはりますからね。届けて来ます」と笑顔で返ってきました。京大病院はご近所さんなのです。
この大将の言葉からも志な乃とお客さんのつながりを感じました。昼11時開店夜8時までの営業は長いなと思いましたが、こういう人たちに応えているのだなあと感じました。そして「こんな寒い日にありがとうございます」と言葉をかけてくれました。

使い込まれた出前用のおかもち
使い込まれた出前用のおかもち

出前はご飯時とは限らず常に電話がかかってきます。注文の品や数、届ける場所の詳細、名前と電話番号、立て込んでいる時は少し時間がかかる旨等々、確認することが多くあります。メモを取り復唱し、それを間違いなく調理場へ伝えます。
大将はもどって来るとすぐに、次の出前を確認して出発します。奥の調理場ではみんなが「おかあさん」と呼んでいる奥さんが、てきぱきと注文の品をあげていきます。大将夫婦と「看板娘」のアルバイトさんの3人で、これだけの仕事をきびきびした流れで進めていました。それが少しも騒がしさがなく、店内のお客さんにはきちんと気配りがされています。気持ちの良い息が合った仕事ぶりです。
志な乃が常連さんでも、観光のお客さんでもみんなが満ち足りた気持ちになれるのは、味はもちろんこういうこともおいしさにつながっていると得心しました。

関西の麺の特徴を受け継ぐ安心のおいしさ

志な乃のざるそば
志な乃の麺は、そばもうどんもやわらかめにあげられています。そばについては、ゆで加減も含め、一家言ある人も多そうですが、志な乃はそうした評論はふわふわとどこかへ舞っていってしまう、安心するおいしさがあります。
「少しやわらかめやな」と思ってもそれはそれで受け入れることができるのだと思います。また味付けは少し甘めですが、これも関西の味と納得されているように感じます。全体に細やかに手が入っていて、しかも奇をてらうことをせず、普通の「麺類」「丼」の安心するおいしさをぶれずにつくることに専心してこられたことが「また来たい」という気持ちになるのだと思います。
志な乃のきつねうどん
奥からおかあさんの声が聞こえてきました。「きつねそば、まもなくです」続いて「お待っとうさんでした。きつねそばです」そして、看板娘さんが「お待たせしました」と運んで来てくれた時の笑顔がまたすてきでした。甘めのお揚げとしっかりした出汁、関東に住む京都出身者が「これこれ、ねぎはこれ」という九条ねぎと。
真ん中にどんとおさまった大きなにしんの上に、そばがきれいに揃えて渡してあるのも、京都らしいあしらいに感じます。時間をかけてたき上げた身欠きにしんのじんわり深い味とそばもまた最高の出合いもんです。海のない京都の先人の知恵が受け継がれ、手間ひまかかる味を、このように食べたい時にめぐり合えるのは幸せなことだとしみじみ思いました。

志な乃でみる幸せの風景

ご近所さんの京都大学
ご近所さんの京都大学

志な乃は京都大学が近いこともあり、代々アルバイトは京大生に引き継がれてきました。大将は「みんな、おとうさん、おかあさんて呼んでくれるし、うちは息子が三人おるけど同じようにバイトの子も息子やと思ってます。店を始めて48年。毎年バイトのOB会をやっています。前夜祭をやって次の日は、私がゴルフが好きなのでゴルフコンペをしてくれるんです」と聞いてそのつながりはおどろくばかりです。今年は大将が喜寿を迎えるので盛大に催される計画です。ゴルフをしない人も参加したいと希望しているので、今年は前夜祭の日にボーリング大会も開くことに決まっているそうです。まだまだ進化をとげています。
店内のりっぱな墨蹟はバイトOBがお金を出し合って贈ってくれたもの。東海道五十三次の浮世絵の額もOBからの開店祝いとのことです。本当に家族なのだなあと思いました。
志な乃の店内
大将夫妻はつい先日、金婚式を迎えられたそうです。奥さんは「子どもを保育園へ送ったら飛んで帰ってきてすぐ店へ入って。子ども三人育てながら、本当にようやってきたなあと自分でも思います」と話されました。そして「まだまだがんばりますよ」と、はじけるような笑顔で続けました。
志な乃店内

削り跡の凹凸が表情を生む名栗(なぐり)加工が施された志な乃のカウンター席
削り跡の凹凸が表情を生む名栗(なぐり)加工が施されたカウンター席

新しい今の店舗は木のぬくもりや落ち着きを感じます。入り口のドアやカウンターの側面は、あえて表面を削ったあとを残し、味わいを出す伝統的な仕上げとなっています。また貴重な一枚板もカウンターなどにさりげなく使われています。これは三男さんとその友人たちが担当してくれたそうです。
常連さんがカウンター越しに大将や奥さんと話様子も和やかな感じです。この一枚板をことさら主張するもではなく、時には届けられた食材が置かれたり、またある時はアルバイトさんがまな板を置いて包丁で何やら刻んでいたりと、屈託のない使い方が志な乃の空気感を表しているようで、親しい感じがしました。
志な乃のにしんそば
「清水のほうから歩いてきたら、えらい人やったわ。これで桜が咲いたら大変なことになるで。えらいこっちゃ」「ほんま、どうしようもなくなるなあ。えらいこっちゃ」などという、常連さんとのやり取りも、困ったと言いながら、どこかおっとりした感じで楽しいなと思いました。
それぞれの好みにかかわらず、志な乃を多くの人がいいお店だと感じるのは、大将ご夫婦のお二人やアルバイトさん、そしてゆっくりおそばやおうどんをすする人や、ボリュームのある丼のセットを旺盛に食べる人など、みんなが自分そのままに食事をしている、その風景に心が和むからだと思います。
今日まで、家族と家族となった歴代のアルバイトさん、そしてお客さんと築いてきたそば処です。その幸せな風景がこれからも末永く続き、多くの人のよりどころとなるよう願っています。

 

そば処 志な乃
京都市左京区二条通新高倉東入 正往寺町462-1 インペリアル岡崎1階
営業時間 11:00~20:00
定休日 毎週月曜日、第3火曜日

西陣のまちと人と ともに148年

機音が聞こえて来そうな西陣の通りの一画。「たんきり飴」と筆太に書かれた看板で、お店の所在がひと目でわかります。京都の人と「あめさん」は、とても近しい間柄です。「母はお針をしていて、ほっこりすると、そばに置いてあるあめさんを口に入れて、一息ついていました」と、懐かしそうに話す方もあります。
職人さんの熟練の仕事からなる飴を、明治8年の創業からこの地で商う、その名も「たんきり飴本舗」を久しぶりに訪ねました。変わらぬたたずまいと、様々な飴やお菓子に気持ちが浮き立ちます。ご両親からお店を継ぎ、四代目となる姉妹お二人の話から、西陣の暮らしとなりわいが生き生きと浮かび上がってきます。

家族で切り盛りする「職住一体」の飴屋さん

たんきり飴本舗
「京都では、前の戦争とは応仁の乱のこと」と、まことしやかに語られますが、西陣は応仁の乱からその名が生まれ、誰もが知る京都の顔である西陣織発祥の地です。
たんきり飴本舗の界隈も、西陣織に関係する仕事を生業とする家が多く、住まいと仕事場を同じくする「職住一体」の暮らしが営まれてきました。たんきり飴はこの地で長くかたわらに置かれて織子さんたちののどを守り、気持ちをほっとさせてきました。
たんきり飴
「前は、まわりにお店もたくさんありました。隣は洋品店でしたし、果物屋さん、肉屋さんといろいろなお店があってお客さんも多くて、とてもにぎやかだったのですよ」そして「うちも工場がすぐそこにあって、両親、おじ、おば、職人さん、みんなで飴を作っていました」と続けられました。以前はカップ麺やインスタントコーヒー、シュークリームなど多くの商品を扱っていたそうで、常日頃使う食品の、よろづ屋的な存在だったのでしょう。大晦日は一晩中大勢のお客さんでにぎわったそうです。
たんきり飴本舗

たんきり飴本舗のはかり
レトロなガラス瓶やはかりも現役で活躍中

お店を休むのは元旦から四日までのみですが、お父さんだけは二日の日もお店に出ていたそうです。「家で、ぼうっとしているより店に出ていたほうがよかったのでしょう。それに当時はデパートも近所の商店街も三が日はお休みでしたから、きっと売れるともくろんだのでしょう。飴はあまり食べない夏は氷も売っていましたし、まあ本当に店が好きやったのですね。」お話を聞いていて、商才があったのは確かですが、それ以上に「お客さんが喜んでくれるのがうれしい」と思う気持ちを強く持たれていたのだと感じました。お店とお客さんへの思いが様々なところに垣間見られます。
たんきり飴本舗
お店の内外に掲げてある「百二十年余りの歴史と伝統の味 西陣名物 たんきり飴本舗」のキャッチコピーを考案されました。「明治八年にしといたらよかったのに。もう148年たったのに」と言われましたが、その看板は外されることなく健在です。また「土しょうがを入れてたいた飴は先代からの秘伝で・・・・」の宣伝文もお父さん作。自ら健筆を奮った張り紙が今も残り「百二十年余り・・・」の看板とともにお二人を見守っているかのようです。

熟練の技から生まれる奥の深い飴作り

たんきり飴本舗たんきり飴本舗
お店の中には多くの種類の飴や、半生菓子やあられ、今も根強い人気のラムネ菓子など、めくるめくお菓子の世界が広がっています。生姜の辛味が効いた看板商品のたんきり飴をはじめ、ニッキ、しそ、べっこう、豆平糖など、今は長年の付き合いの、熟練の職人さんに依頼して20種類ほどの飴を作ってもらっています。たんきり飴は、炊いた飴に生姜を入れた時、火柱が立つので、天井が高くないと危険なのだと聞いて驚きました。

手まりのような飴にも白い線が入っています

たんきり飴本舗
たんきり飴とニッキ飴に入っている白い線は、違う種類の飴ではなく、生地はまったく同じで、空気を含ませて白くした飴を合わせているということにも、ただただ感心するばかりです。飴の色は火の入れ方によって変わるという話にも、微妙な火加減の難しさを思いました。手まりのようなかわいい飴、光が当たると透明な石のように輝きを放つべっこう飴など、ひとつひとつが本当に美しく、職人さんの手仕事の尊さを感じます。飴やお菓子の袋詰めも、口をひだをとって折りたたみ、扇のように整えた姿に、職人さんの仕事を大切にする気持ちが伝わってきます。香料を一切使わず、ただただ真面目にていねいに作られた飴。すっきりした後味の良さにその値打ちがあらわれています。

伝統を受け継ぎながら、新しい商品も取り入れる

たんきり飴本舗
京都盆地は南北の標高差があり今出川通から北は、気温が違うと言われ、市内中心部との体感温度の違いを実感します。たんきり飴本舗は、お客さんが入りやすいようにと、表の戸は開け放しています。そのうえ土間は石畳になっているので「足元から冷えがのぼってきて本当に寒い」と言われましたが、話をお聞きするあいだにも、じわじわと冷え込んできて、ここに立ち続けての仕事は大変なことだと実感しました。
「こんなに古い店やのに、お客さんから絶対変えんといてと言われています」と笑って話されました。「人からもらって、おいしかったから買いに来ました」というお客さんも多く、まとめ買いも少なくないそうです。
たくさんの商品ですが、飴はお姉さん、おかきや半生などその他のお菓子は妹さんの担当となっています。お火炊き祭のお決まりの柚子おこし、梅や今年の干支の辰をかたどった半生菓子など冬の季節のお菓子が並んでいるところにも、習わしが生きる西陣のお店を感じます。
たんきり飴本舗
姉妹お二人が気がかりなのは、飴も他のお菓子もだんだん職人さんが高齢化して少なくなっていることです。後継者の問題はあらゆるところで深刻になっていますが、今のところは何とか続けてもらっているので、できるところまでは頑張って続けると言われていました。
そういった気がかりもありますが、お菓子担当の妹さんは、自分の味覚にかなうおいしいものと出会うと、その新顔を早速売り場へ並べるなど営業力を発揮しています。
動物ビスケットやラムネ菓子など、かわいいお菓子もあります。動物ビスケットは意外にも年配の男性がよく買っていくそうです。どんな思い出があるのかなと、想像します。ラムネはいろいろな味を詰め合わせています。手間のいることなのに「そのほうが楽しいと思うし、お客さんが喜んでくれるから」と、苦にする様子もありません。
たんきり飴本舗は「古さや老舗」を敢えて言うこともせず、しかし西陣という地で商いを続けている重みや風格、そして懐かしさとともに、新しい軽やかな空気も感じさせてくれる、いつまでもあってほしいお店です。

 

たんきり飴本舗
京都市上京区大宮通 寺之内下ル107
不定休

京都の味と人の魅力 境内の屋台

お参りもそこそこに境内の屋台を、わくわくしながらのぞいて歩いたのは、子どもの頃の楽しい思い出です。そんな淡く遠い記憶を抱いて、久しぶりに八坂神社へお参りしました。
お参りの後、境内をゆっくり回りました。様々な屋台が出ていて、多くの人がその楽しさにふれていました。
「長老格」の風格がにじみ出る屋台の主の、片言までいかない英単語のみの会話でも、多様な国のお客さんとコミュニケーションが成立し、お客さんも名物の味を楽しんでいます。
境内の屋台は、国の違いを超えて気取りのない京都を満喫できます。身近なところで京都の観光を支えているのは、こういう人たちなのだと感じます。
それぞれの名物とともに人の魅力にあふれる、筋金入りの老舗屋台です。

観光客も同業者も「おたがいさま」の心

冬の八坂神社楼門
「祇園石段下」が地名となっている八坂神社の楼門前の大石段は、最高の撮影スポットとなっています。中学生の男子三人組に「三人そろったところを撮ってほしい」と頼まれました。聞けば岩手県奥州市から来たとのこと。スマホで撮ったあの写真は修学旅行の思い出として、消えずに保存されるだろうか、何年もたってから開いて懐かしんだり、笑ったりすることはあるのだろうかと思いました。青春などという言葉は最近、聞くことも見ることもなくなりましたが、ふとその言葉がよぎりました。修学旅行も一種独特の感傷的な響きを感じます。
八坂神社の出店八坂神社境内の出店
境内に並ぶ屋台は、定番のたこ焼き、いか焼、ベビーカステラ、りんご飴、古道具、七味のほかに、和牛串焼、小籠包など「こだわりの味を屋台でどうぞ」風なものあります。
進化系大福のフルーツ大福と同じように、りんご飴も、みかん、マスカットもあり世相もうかがえます。屋台の主同士「これだけ頼めるかな」と両替を融通したり「腰、どうしたんや」と声をかけるなど「長年のおなじみやさかいに」という、暑苦しくなく、ほど良い間合いの付き合いが感じられました。
八坂神社のたこ焼き屋台
たこ焼き屋台は2軒あり、2軒ともベンチを置き、空になった容器を回収しています。今は飲食を扱うほとんどのお店が、テイクアウトに応じています。「その空容器はどこでどうなるのか」です。「ゴミは、ちょっとあったらすぐに広がるさかいに。こうしてまとめておかんとな」と言われました。「販売から廃棄まで」がきちんとなされています。「商売してる者も、お客さんもみんなおたがいさま。お参りに来た人やお客さんがまず一番や」レンタル着物の海外の人たちがうきうきと境内をめぐっています。「ワン?ツウ?オッケー。キャッシュオンリー」十分通じています。

何十年も立ち続けて備わった人間味

赤ずきんの七味唐辛子八坂神社のたこ焼き屋台
それぞれの屋台にはその商品を示す工夫がされていて、微笑ましい風景です。たこのぬいぐるみ、唐がらしは伏見稲荷にちなみ、きつねのぬいぐるみとひょうたんなどが楽しい店先を演出しています。
「たこ焼き、本当においしかったです」と伝えると「ほんまか。出汁も卵も多めに入れて、材料もええの使うてるし」と返ってきました。和食の出汁と同じです。ソースと青のり、マヨネーズは自由に使えるように置いてあります。太っ腹です。理由は「かけて出すと、もっとかけてほしいとか言われて面倒」だからそうです。
ここで60年くらい出ているそうですが「75歳で引退したいと思ってる。あと3年や」と晴れ晴れと語ります。「明日は用事があるし休みやし」と、にこっと笑いました。
赤ずきんの七味唐辛子
「七味唐がらし あかづきん」は、伏見稲荷で商売を続けて三代目のお店が出店しています。七味は「山椒を多めに」などと伝えると、希望に応じて調合してくれます。
今の時期におすすめなのは「柚子七味」です。次々訪れる外国人のお客さんに「ユズ スパイス。ジャパニーズ スパイス」と説明しながら「あかんな。英語は通じひん。どこの国の人やろ」とつぶやきが聞こえました。
味見もさせてくれるので、若い男性は味みしたうえで、柚子七味をお買い上げとなりました。「外国の男の人は欧米でもアジアでも、みんな優しいよ。ほんまレディーファーストや」なのだそうです。毎日多くの人と接していると、見えてくることがいろいろありそうです。
赤ずきんの七味唐辛子
竹筒やひょうたん型の七味入れにも興味をひかれるようで、足を止めて見ている人がかなりいます。ひょうたんの飾り紐も手作業です。そうした細かいところの手間が商品としての完成度を高めていると感じます。
唐辛子の辛味も深く奥行があり、山椒の香はふわっと立ちのぼります。鍋物、麺類以外にも、おみそ汁、漬物、ドレッシングなど活躍の場は多いでしょう。
ずっと伏見稲荷と八坂神社の2か所に出店していましたが、伏見稲荷はインバウンドで参拝が膨大になった時に、一切の出店が撤退となったそうで「とても残念」と話されました。
八坂神社のたこ焼き屋台
また、たこ焼き、七味唐辛子両方に共通する問題が物価高です。たこ、小麦粉、油、そして燃料。七味唐辛子も山椒の値上がりはすさまじいそうです。それに加えて、みなさんの悩みは腰痛です。雨の日以外は、炎天下の日も木枯らしの日も立ち続ける仕事は並大抵のことではできません。これからの季節は冷え込みがきついので余計痛みが出ると話されていました。
またあの味な話やお客さんとの楽しいやり取りを聞けるよう、この冬の寒さが厳しくなりませんようにと願っています。味とともに、あの笑顔や軽妙な語り口に心も体も温まります。
八坂神社の疫神社
屋台を離れてふと見ると、境内にある疫病退散の「疫神社」に、海外から来た若い女性が静かに手を合わせている姿がありました。その姿は新しい年を迎えた神社の清々しい空気をまとっているようでした。

 

八坂神社
京都市東山区祇園町北側625
社務所受付 9:00~17:00
参拝時間 24時間可能

店主の人柄 てらいのない中華そばの味

ラーメンは今や、京都を楽しむ要素の一つとなっています。海外からの観光客が行列に並ぶ光景もめずらしくありません。歴史ある古都の別の顔、魅力を感じるのでしょう。新しいお店もよく見かけます。
2年ほど前に一度入っただけのお店ですが、ふと思い出して北野天満宮近くの商店街にあるラーメン屋さんへ行って来ました。外観のたたずまい、赤い提灯やのれんも変わっていません。「これこれ、この味」という中華そばと、大将の「祭よもやま話」という思いがけないおまけ付きで楽しませてもらいました。
誠養軒は「京都の街中華」というような類型に当てはまらない、てらいのない、おおらかさが魅力の得難いお店です。こういうラーメン屋さんがあるところは、人が暮らす町の息遣いが感じられるいい町なのだと思いました。

中華そばや餃子を待つ間も楽しい

誠養軒の店内
はじめて誠養軒へ入ったのは、所用で北野商店街へ来た時でした。用事をすませて歩いていた時、くっきりと潔い「中華そば」の提灯とのれんが見えました。店の前まで行ったものの、個性強めのお店の風貌に少し躊躇しましたが、思い切って入りました。
お昼の時間帯を過ぎた、やや中途半端な時だったので他にお客さんの姿はありませんでした。一人なので、カウンター席へ座ろうとしたら、カウンターの上にいろいろと物が置かれていたので少し迷いましたがテーブル席に行かせてもらいました。
誠養軒の中華そば
冷麺にしようか迷った末に、やはり「中華そば」にしました。中華そば・ラーメンの類は、競うようにいろいろなタイプが出ていますが、誠養軒のものは、なじみのある定番を守っていました。麺の食感、こくはあるけれど、すっきりしたスープ、メンマが好きなので多めに乗っているのがうれしい。叉焼も、もやしのしゃっきり感もすべてが「自家製」のていねいさを感じるおいしさでした。肩肘張って対面しなくてよい、安心感、気安さが心地よかったです。
その後に来店されたご常連らしいふたりのお客さんも一緒に「おいしい七味唐辛子」について懇切ていねいに教えてもらいました。
「常連と一見」のように、分け隔てする感じがなく、ごく自然に会話ができた、そんなところもこの日のことを覚えていたことにつながっていると思います。
今回訪れたのも、午後の遅い時間で、お客は私ひとり。店主さんが「クーラーが一番よく効くのはあの席。一番弱いのはこの席」とにこにこ気さくに声をかけてくれました。
誠養軒の店主
地元紙の京都新聞と「巨大ブラックホール」「素粒子」などの文字が並ぶ科学雑誌が置いてありました。「ずいぶん難しい雑誌ですね」と言うと、1冊の値段は高いけれど、1か月に1回だから週刊誌を買うより安いからと、返ってきました。それに「難しいから読むのに1か月はかかるから、ちょうどいい」のだそうです。こんな愉快なやり取りをしながらも、手はおろそかになっていません。水餃子を作るための片手鍋にお湯が沸いています。

誠養軒の水餃子
手作り水餃子と一緒にずいき祭りの本を見せていただきました

自家製の麺に叉焼、餃子は注文の都度に包んでいます。安心できるおいしさ、満ち足りた気持ちになります。誠養軒はお父さんが始めお店で、53年たちます。「いろいろ新しい店ができているけれど、うちはずっと同じ」この安定感が味にもお店の雰囲気にもあらわれていると感じました。
メニューに書かれた「やる気がなくなり次第帰ります」のひと言や、閉店時刻の「午後11時59分」という設定も茶目っ気があります。こうしてみていると「昭和なアナログなお店」という表現が使われそうですが、それだけでは少し違う気もします。実はまだまだインターネットなど一般的ではなかった時期に、いち早くホームページを立ち上げたそうです。その世界にかなり 詳しいとお見受けしました。なかなかに奥が深いのです。
京都の伝統のお祭りについても、「それは知らなかった」という話がどんどん出てきました。

次回が楽しみになるお祭りの話

北野商店街
誠養軒は、北野天満宮のおひざ元の商店街の一番西にあります。取材時はちょうど、起源も平安時代までさかのぼるとされる、北野の天神さんの「ずいき祭」直前の時でした。商店街にもお祭りののぼりが立ち、地域あげての大切なお祭りであることが感じられます。

ずいき神輿につけられていた縄
ずいき神輿の梅鉢のわら細工が飾られていました

ずいき祭の花形「ずいき神輿」を製作する保存会の会員に、店主さんの同級生もいるということで、興味深い話を聞かせてもらいました。ことに、お祭りの名前の由来にもなった、お神輿の屋根を葺くずいきが、今年は天候不順で育てるのが大変だったそうです。
太さや長さが一定のものを、準備段階までにうまく育てるのは相当な苦労があるそうですが、本当に大変なことだと思います。「ずいきはアクが強いから切り口がすぐ黒ずんでしまうので、毎日切っている」「ずいきの親芋は、逆さにして根っこをたてがみに見立てて獅子頭を作る。そして、お祭りが終わった後は、神様からのおさがりとしてみんなでいただく」等々、知れば知るほど奥は深いのです。
ずいき祭の岩波新書
テーブルの上にずいき祭に関する岩波新書が置いてありました。「神輿の横で保存会が売ってたんや。友達やし買わなあかんし」と笑っていました。少し前に買われたものでしょうか。油やたれのしみがついた新書は、その汚れが逆に、毎日少しずつ大切に読んでいたことを物語っているようでした。
また、お客さんのなかには祇園祭の山鉾の関係者もいて、祇園祭についても熱心に調べたり、足を運んでいます。「同じ鉾を見ても、毎年発見がある。そういうふうに、今年はここを見ておこうとか考えて鉾をまわったらええんや。楽しいよ」と極意を授けてくれました。
誠養軒のちょうちん
中華そばと水餃子もなくなり、次のお客さんの来店です。このお二人もご常連らしく、表の入り口そばの冷蔵ケースからビールを持って入って来ました。「ビールや水はセルフでお願い」それが誠養軒の流儀です。
はじめはわからなくて、水を飲まずに帰ったのも今となっては笑える話です。早速「餃子2人前」の注文です。それをしおに、ごちそうさまでしたと、立ち上がると「また、どうぞ来てください」と忙しく餃子の世話をしながらも声をかけてくれました。この親近感、あたたかさがうれしいです。暮れなずむ頃。提灯とのれんが夜のお客さんを迎えます。とっておきの京都です。

 

誠養軒
京都市上京区新建町10
営業時間 正午~23:59(早く閉める日もあります)
定休日 月曜(ただし25日の北野天満宮例祭の日は営業)

麹の力で 心も体もほがらかに

あと一週間もすれば、草木に露が宿る「白露」を迎えようとしているのに、真夏並みの気温が続いています。甘酒は夏の季語ですが、江戸の昔から、夏の弱った体にいい、おいしい飲み物でした。「健康と発酵」に多くの人が関心を寄せています。味噌、醤油、酒など日本の身近な発酵食品の素となる麹。その不思議な力、奥深さに魅入られ、麹を毎日の暮らしに取り入れることで得られる幸せを多くの人に広げようと、楽しく奮闘する「京都花糀」代表の野中恵美さんにお話を伺ました。

「上級麹士」として新たな道すじ

京都花糀の野中さん
野中さんが麹と出会ったのは、医薬品販売の専門資格である登録販売者として、ドラッグストアで働いている時でした。お客さんと接し、健康の悩みは複合的なものが多いことを感じるなかで、ある日、来る人来る人みんなが、甘酒を買う現象が起こりました。テレビの番組で甘酒が取り上げられたのです。それからしばらくは、大量に発注した甘酒が品切れになる日が続きました。
甘酒
甘酒から麹へ目を向けると、知れば知るほど「麹ってすごい」と、そのすばらしさに引かれていきました。そして栄養士でもある職業的性格も頭をもたげ、麹についてもっときちんと知りたいと強く思うようになりました。調べていくうちに、福岡県で麹について学ぶ二泊三日の講座があることがわかりました。それから後の行動は素早く、仕事のシフトも考えたうえで、2か月後の講座に参加したのです。

京都花麹
店内にずらりと並ぶ麹と味噌

この講座は、福岡県で自然農無農薬のみそ、麹を製造販売する会社が運営する「麹でロハス推進会」が主催しています。「自家製の麹を使って多くの人に発酵食文化のすばらしさを伝える」ことを主旨としています。その実践者として「麹士」を育成し、野中さんは2016年「上級麹士」の認定を受けました。
「麹は、日本人で合わない人はいないこの国の菌です。麹のおかげで調味料としていろいろな食品ができました。麹は腸の働きを良くしますし、脳と腸はつながっています。だから朝、お味噌汁を飲む食習慣は理にかなっているのです。」そう語る野中さんは「麹を正しく伝えるためには器がいる」と、上級麹士になって2年後2018年8月、満を持して「京都花糀」のお店をオープンしました。

麹を語る姿がきらきらしていた

京都花糀京都花糀
「手作り自家製麹」花糀のお店は、阪急電車の東向日駅からすぐ、JR向日町駅からも徒歩5~6分という立地の良さです。元パン屋さんだったというこの物件を見た時、ぴったりのいい物件だと思ったそうです。しかし、予算の1.5倍の資金が必要でした。その日は考えますと答えて帰りました。さんざん考えて出した答えが「1.5倍がんばろう」でした。
1か月後に家主さんの所へ行くと「きっと、また来ると思っていた。実は複数問い合わせがあった。でも、これからやりたいことを話している時、きらきらしていたから待っていた」と話してくれたそうです。
京都花糀
麹への熱く本物の思いは困難も味方につけて、新しい扉を開きました。それから満5年。お味噌やフルーツ酵素が時間と手をかけてゆっくり熟成するように「麹と発酵」のお店も5年のあいだに色合いや味わいが進化しています。
果物が重ねられ、季節によってかわるフルーツ酵素は「瓶詰の宝石」といった華やいだ香りたつような雰囲気です。パイン、ドラゴンフルーツ、パパイヤ、レモンを漬けた酵素は「南の風ゆらゆら」という名前です。傑作はくすっと笑える「帰省のち同窓会」マンゴー、もも、ブドウなど7種もの果物は、にぎやかにおしゃべりをしている様子を思わせます。
棚に並んだお味噌は色や風合いも様々、どっしりと貫禄があります。野中さんが「地味以外の何物でもない」と表現する麹の底力を感じます。一汁一菜を旨とする、日本の食卓をつくってきた頼りになる発酵食品なのだと、あらためて感じる存在感です。
京都花糀
花糀では、麹を使ったメニューを常に開発しています。甘酒だけでも様々な種類があり、フルーツ酵素も水や炭酸水などお好みで割って楽しめます。市販のルーや小麦粉、水を使わず麹を入れたカレーはあくまでも「花糀のカレー」です。風味豊かで満足感がありながら重くありません。また、毎月末には「発酵おかずのランチ会」を企画して「今月はどんなおかずかな」と楽しみになります。
8月は九州の郷土料理「鶏飯(けいはん)」と「冷や汁」のそれぞれのいいとこ取りをしたメニューでした。食感、味、香りが、自家製味噌を溶いただし汁がまとめ役となって、渾然一体となったまさに「恵美流創作ごはん」になっています。求肥も手作りのあんみつは、柚子がほのかに香る小豆あんが、寒天とも相性がよく秀逸でした。赤えんどう豆は塩麴を入れてゆでるなど、必ずひと手間かけています。

野中さんが言うところの「少しの手間と時間」をかけた一品、一品の確かな味や食感、香りが伝わってきます。そして「手間、時間」をかけることを、少しも苦ではなく、おもしろがり、思い切り楽しんでいます。また、麹と発酵についてわかりやすく説明し、普段の暮らしに生かしてほしいと、味噌の仕込みや、麹ビギナーコースのワークショップを開いています。ワークショップを通して「待つ」という日本の文化、日本の特性を再認識してほしいと思っています。
情報があふれている今、引き算が苦手な世の中になっているのでは、「加減や塩梅」を知って暮らせたら、もっとほっと楽になるのではと感じています。ワークショップやお店でのひと時は、がんばって何でも取り込まなくてもよいのだと思えて、ほっとできる大切な時間にもなっていると感じます。

「主役はお客さん」のお店は6年生に

京都花麹
「私は店番」とほがらかに宣言する野中さん。入ってきたお客さんは中学校の同級生でした。卒業してからずいぶん長いこと会ってなかったけれど、このお店ができたからこうしてごくたまにだけれど、来て会えると、楽しそうに話していました。またフィットネスに出かける前に、水分補給用にフルーツ酵素の水割りをマイボトルに入れていくお客さん。ご近所の常連さんも「友達の家へ来た」ような雰囲気でくつろいでいます。
コロナの時は全面休業の決断をしましたが、麹が手に入らないのは困るという声を多く聞き、希望の商品を渡す日を限定して設けました。「お客さんのほしいもの、してほしいことを実現するための店」と野中さんは語ります。
小さいお子さんのいる若いおかあさんが気持ちを解きほぐす場所にもなっています。麹と発酵の力は体にはもちろん、訪れる人の心もほがらかにしてくれます。花糀は6年目に入りました。野中さんは「6年生をちゃんとやっていけるかな」とにこにこしています。次はどんな夢を描いて見せてくれるでしょう。楽しみにして通いたいと思います。

 

京都花糀
向日市寺戸町西田中瀬3―2
営業時間 11:00~18:00
定休日 土曜、日曜、月曜日

ワインとカレー、 敷居の低い名店

あと一週間もすれば暦は「立秋」を迎えるというのに、記録的な猛暑が続いています。食欲も減退する夏こそ、ピリッと辛いカレーです。定番の家庭料理であり、また以前から洋食屋さんのなじみのメニューとして親しまれてきたカレー。
世界中のおいしいものであふれる日本は、カレーも様々な専門店がありますが、今までに出会ったことのないカレーの店とめぐり合いました。気取りのないなかにも、どこかきりっとした雰囲気を感じるお店です。今では聞くこともまれな「上等」という言葉が浮かびました。そのお店は高瀬川沿いの小さなビルの2階にあります。

フレンチを感じるカレーとワインのお店

イグレック ヨシキ カレー
暑くても寒くても、若い人でにぎわう四条木屋町のとあるビルの階段を上がって2階へ。特徴的な「Y」の文字と赤の色が印象的なドアがあります。外の喧騒とは別の空間への入り口のように感じます。「Y」は、少量生産のフランスの白ワイン「”Y” Ygrec(イグレック)」のイニシャルです。店名の由来を示しています。お店の中は広々として、窓辺には桜が枝を差し伸べています。この緑を目にするだけでも、一服の涼を感じます。春の花の見ごろや、これから迎える秋の紅葉も楽しみになります。
イグレック ヨシキ カレー
店主さんは、寸胴鍋を小さな櫂のような道具を操って黙々と仕込んでいます。最高気温37度、38度の日にこの仕事を長時間するのは並大抵なことではないと思いますが「まあ、こんなもんやと思ってるしねえ」と、ことさら大仰に語ることはありません。
イグレックのカレーは、ビーフ、小エビ、野菜の三種類です。毎回迷うのですが、何回食べても食べ飽きない深いおいしさを感じるカレーなのです。カレーは「おふくろの味」的な側面もあって、人によって「じゃが芋がゴロゴロ入っているのが好き」「小麦粉でこってりとろみがついたカレーがなつかしい」など思い出と好みが相まって、好きなカレーの幅は広いと言えます。
イグレックの野菜カレー
イグレックのカレーは、家のカレーとはもちろん、専門店のカレーとも違う「唯一独自」のカレーです。15歳から料理の道へ入り、ホテルでも仕事をしたマスターの研鑽が生み出した味なのだと感じました。
たとえば野菜カレーです。15種類もの野菜がたっぷり乗っているのに、ルーが薄まったり、水っぽさがありません。土台がしっかりしているという感じで、野菜のみずみずしさや甘みなどが複雑で深いルーと調和しています。最初から最後まで、しっかり手をかけた料理人のカレーは常連さんのみならず、多くの人の記憶に刻まれています。
またマスターは本当のワイン好きで、その知識も半端ではありません。その日選んでもらったワインは、辛口だけれどぶどうの果実味が感じられる、ぴったりの味わいでした。

居ずまい正しく敷居は低い本格派

イグレックの小エビカレー
イグレックの営業時間は午後2時間の休憩はありますが、閉店は午後11時という長丁場です。「営業時間は場所柄やねえ」と、さらりと言いますがかなりの重労働にちがいありません。それでも悲壮感や肩を怒らせてという雰囲気は微塵もありません。カレー以外にアルコールに合う単品も用意されています。
休みの日に明るいうちの一杯、また一日の最後のしめのカレーとお酒。それぞれに楽しめる貴重なお店です。

イグレック
店名の由来にもなった貴腐ワインの名品「イグレック」のエチケット

シャンパンの王冠
ディスプレーされているワインのラベルやシャンパンの王冠は知識がなくても、すてきだなと思えます。おどろくことに、すべてマスターの自作なのだそうです。シャンペンは全部で99個。今ではもう手に入らないものもあるとか。30年ほどかかって「すべて実際に飲んだ」という話もスケールの大きさに、ただただおどろくばかりです。「まだあるから、2枚目のパネルを作ろうと思っているんやけど、なかなか時間がねえ」と言われましたが、作ろうと思う気持ちがすばらしいです。「作れるものは自分で作ることは、父親の影響やね。いつも何か自分で作っていたから」と話されました。


今まで世界のあちこちのレストランを訪れた時の手書きのメニューが特注の赤いフレームにバランスよく配置されています。この中には超有名な「トゥール ジャルダン」の鴨のナンバーが示されたものもあります。シャンペンもしかりですが、集めたのではなくすべて自分で実際に行って体験したとい探求心に感服します。ワインのラベルもそれぞれの思い出を話してくれました。

リモージュのカップ
デミタスカップ、素敵ですねというと「リモージュ」ですと、すぐ返ってきました。お店にあるものは開店前から少しずつ、見つけた時に買いそろえたそうです。
世界のレストランのメニューパネルの横には、包丁の名店の手ぬぐいがあります。「大根のかつら剥きをしているでしょう。この包丁はかつら剥き専用の包丁なんですよ」等々、ここにはまだ知らないこと、知って楽しいことがたくさんあります。

内装もマスターが一人で。壁を取り払い作った窓。左には包丁柄の手ぬぐいも。

フランス料理やワイン、その歴史や文化がさりげなく香り、感じることができるお店です。こういうお店こそ本当の名店なのだと思いました。マスターは「基本、カレーは一人でつくるもんやから」と、今日もいつもと変わらず仕込みをし、ワインのことをたずねられると、手を止めてうれしそうに答えています。奥様と二人で切り盛りされていて、落ち着いておいしさを堪能できます。
京都のまちもまたさらに変わり始めていますが、イグレックのようなお店が、京都を支えていると強く感じました。ふるさと福知山を大切にする思いがそこかしこにあらわれているところにも、お人柄を感じました。

 

イグレック ヨシキ カレー
京都市下京区 西木屋町四条上ル真町455 第一小橋会館2階
営業時間 11:30~14:00/16:30~23:00
定休日 月曜日

大学の街に 今日もコーヒーの香り

緑したたる季節は、若々しい学生の街に似合います。左京区の京都大学周辺は、学術的な空気と、普段の学生生活をうかがわせる親しみのある雰囲気があいまっています。そんな学生の街にふさわしいもの、あってほしいのは本屋と喫茶店です。
京都大学の周辺の、それぞれ物語のある喫茶店や古本屋さんは、以前より少なくなっているとは言え、現在も健闘しています。百万遍の交差点から少し脇へ入ったところに、その喫茶店はありました。

ダンディーな初代マスターは明治生まれ

ゆにおんの外観
久しぶりに足を向けた百万遍で、落ち着ける喫茶店に入りたいとぶらぶら歩いていていました。「ゆにおん」と、やさしいひらがなで書かれた看板、高くそびえる棕櫚の木、緑に囲まれ年輪を感じさせながらもどこか愛らしさがあるお店がありました。少し汗ばむくらいの午後の日差しの中、中へ入るとほっと一息つける空間です。おやつの時間帯に、コーヒーとトーストのセットをお願いしました。
お店はお父さんから受け継いだという店主さんが一人で切り盛りされています。
コーヒーをいれたり、トーストを焼いたりしながらも気の置けない、楽しいやりとりが居心地をよくしてくれます。
壁に沿って趣きのある木彫の装飾が施され、見まわすとカウンターの食器棚などにも同様のしつらいがされています。木の色は飴色になり、このお店の雰囲気をつくりだしています。絵がすきで自ら絵筆をふるうこともあったという、お父さんが懇意にされていた作家さんの作品ということでした。
ゆにおんの天井照明
天井の灯りはお父さんがつくられたそうで、芸術に造詣が深い型だったのだなと、そんな会話をはさんで運ばれてきたセットは、しっかり噛みごたえがあって小麦の香りがする天然酵母のパンに、新鮮ないちごミルクがついていました。たまごサンドもおいしくて、すべてがきちんとていねいに作られています。
味とともに「作ってくれた」というあたたかさを感じます。カップやグラスも、お店の雰囲気と調和した味わいがあるものです。自家焙煎のコーヒーは香り高くしっかりした味わいでした。
ゆにおんのトーストセット
ゆにおんは開店から今年で75年を迎えました。初代は明治生まれですが、毎日きちんとチョッキを着て店に立ち「本当に喫茶店のマスターでしたね。娘から見ても本当に格好よかったです」という言葉に、会ったことはないけれど「さぞ、素敵だっただろうな」と思いをはせました。
カウンターの奥には見守っているかのように、やさしい顔立ちのマスターの写真が置かれています。聞けば店主さんもずっと一緒に仕事をされていたそうで、父娘で紡いできた年月が、ゆにおんのおだやかな空間をつくりだしているのだと感じました。
ゆにおん
壁には多くの絵画がかけてあります。「すきなものをかけてある」という言葉の通り、それぞれの個性を放ちながら調和しています。テーブルや花瓶に入った季節の花もすべてが、自然体であるべき場所に置かれています。飾ったり、奇をてらうことのない姿勢が、だれにとっても居心地のよい場所になっているのだと感じます。

歴史や文化は日々の営みの積み重ね

ゆにおんの店内
ゆにおんの店内は、さほど広くはありませんが、とてもいい感じにレイアウトされています。窓の取り方もおしゃれです。建物はその時々の補修をしながら、基本的には変えていません。前は木のドアでとてもいい雰囲気だったのを、代えないとならず今のドアになって、とても残念と話されました。現在のドアもいい感じだと思いますが「どんなドアだったのかな」と想像してみたりしました。
清風荘
窓から見える向かい側の鬱蒼と繁る木々の緑にいやされます。この広大な敷地は「清風荘」と言い、明治時代に首相を務め、立命館大学を創設した西園寺公望の別邸で、現在は京都大学の所有となっています。
新緑の今もすばらしいですが、秋の紅葉は、それは見事なのだそうです。お客さんが「ここに座って、こんなきれいな紅葉見たら、わざわざ他所へ行かんでもええわ」と言われるそうです。
お客さんは初代の頃からの常連さんや京都大学の先生が多く、90歳になった方も来てくれるそうです。なかには久しぶりにやって来て「おお、まだあったか」と言われると笑って話されました。

おとうさんは明治まれですが、その年代の人にしてはめずらしく、偉そうにすることがなく、家族をとても大切にされていたそうです。お孫さんに「おじいちゃん、この宿題教えて」と言われて勉強をみたり、絵を描いていると「上手やなあ」と、とてもうれしそうにされていたということです。曾孫さんもかわいがり、危なっかしい抱っこをしていたという話を、ほほえましく聞きました。
お客さんや周囲の人々に愛されたお人柄を感じます。明治時代にはとてもめずらしい、大恋愛の末の結婚だったとか。自由で愛情深く「コーヒー、喫茶店」という進取の分野に乗り出した明治の京都人です。98歳で亡くなる少し前までカウンターに立ち、お客さんと話しを交わしていたという見事な生き方を聞き、京都の文化、京都のまちの深さを感じました。

ゆにおんのメニュー
手書きのメニューの横にはさりげない彩りが

店主さんは「これまで、いいこともあったけれど、本当に大変なこともたくさんありました。それでもずっと店を開け続けてきました。あきらめへんことやね」と語ります。大学院生の若い人もよく来てくれて「若い人はこんな古い店より、新しいきれいな店のほうがいいんと違うの」と言うと「ここは静かで落ち着けていい」と言って来てくれるそうです。世代を超えて、香り高いコーヒーと喫茶店文化は、京都の学生街に息づいています。
「気まぐれやから」という営業は、だいたい10時開店、閉店は午後4時です。話しているうちに時間切れで頼めなかったプリンを、次回はぜひと思いを残しながら、あたたかい気持ちで帰路につきました。

 

ゆにおん
京都市左京区田中大堰町92
営業時間 10:00~16:00
定休日 日曜日
(ただし営業時間、休業日は変更となる場合があります)

新京極で70余年の ハイカラ菓子

満開の桜を見る人であふれかえる、高瀬川沿いから、新京極へ進むと、ここもまた海外の人も多く、にぎわっていました。京都で一番の繁華街の入口はいつも、ふんわり甘い匂いと「カッシャン、カッシャン」という楽し気な音が迎えてくれます。
「子どもの頃から大好きなお菓子」という人の多いお店です。観光で訪れた人はお菓子が作られる工程が見える様子に、思わず足を止めて見入っています。
創業70余年の「ロンドンヤ」の看板商品は「かすてら饅頭ロンドン焼」ただ一品という潔さです。今も「ハイカラ京都」味を守り続けています。

洗練された和菓子を感じる普段菓子

ロンドンヤのロンドン焼
「かすてら饅頭ロンドン焼」は、戦後間もない京都で「ハイカラなお菓子を作りたい」と、その頃はまだ新しかったカステラ生地を使ったお菓子を考案したことに始まります。名前もハイカラにと「ロンドン」を付けたそうです。その響きやカタカナ文字の雰囲気がハイカラに感じられたのでしょうか。
ふんわりしたカステラ生地のお饅頭は、やっと迎えた戦後の暮らしに明るさを与えてくれたことと思います。「ハイカラなお菓子を作りたい」という創業者の思いには、多くの人にお菓子を食べる幸せを感じてほしいという願いも込められていたように感じます。
ロンドン焼は「あきないおいしさ」「また食べたいと思う味」という人が多い、気の置けないおやつのような身近なお菓子です。白こしあんのさらっとした甘さと生地との調和は、洗練された京都の和菓子がみなもとにあるように感じます。意識されたわけではないかもしれませんが、こういうところに京都の文化や技の積み重ね、歴史を思わせます。
ロンドンヤのロンドン焼
機械がかすてら饅頭を作っていく様子は、一種のショーのような楽しさです。生地の入った丸い型が一周すると、くるっとひっくり返ります。オートメーションの機械なのに、祇園祭などで見る「からくり」のように見えて、ほほえましくなります。
しかし、すべて機械まかせにしているわけではなく、火加減や油の引き加減、開店速度など常に微調整が必要なのだそうです。そして最後に、丸い型からはみ出した生地を切り落として形を整えるのは手作業でないとできないと聞きました。やはり手の仕事が必要なのです。
ロンドンヤのロンドン焼
見て感心するのはお菓子作りだけではありません。お菓子は一種類だけですが、10個箱入り、15個箱入り等々、また簡易な「へぎ包み」や、すぐ食べる人には小袋に入れるなど、そのつど対応されています。注文聞いて箱を折り、焼きあがりを入れた木箱から素早くへらで取り、きれいに箱に詰めて包装します。そして会計です。
それをたった一人でされています。その流れるような手際のよさは、これも職人技です。行列に並んだとしても、目の前で繰り広げられる見事な実技を見ているので退屈せず、いらいらすることもありません。
お店で聞こえるのは、注文の確認と、商品を渡す時の「お待たせしましまたありがとうございます」というやりとりだけです。余分なこと、ものがないすがすがしさもロンドンヤの好きなところです。

子どものころの思い出は今も健在

新京極商店街ロンドンヤのロンドン焼
新京極にほど近い所に生まれ育った人が「子どもの頃、「しょっちゅうロンドンヤのガラスに顔をくっつけてカッシャン、カッシャンいうて回る機械を見てたわ。隣りの漢方薬屋さんに、ヘビの入った大きなガラス瓶があって、もう怖くて怖くて。いつもロンドンヤの前に行ってた」「おかあちゃんが買い物の帰りに買ってきてくれるとうれしかった」「いつもロンドン焼を持って来てくれるおばさんがいた」など、楽しい思い出と結びついた話をしてくれました。
ふと思いついて、生まれてこの方、ずっと町なか暮らしの知人にロンドン焼を渡したところ「うわー、ほんま久しぶり。なつかしい」と喜んでいました。新京極はお店の入れ替わりが激しい繁華街ですが、そのなかでも何十年も続くお店もしっかり残っています。
ロンドンヤのロンドン焼
急激に変化する状況のなかで、商店街やお店を続けていくのは本当に大変なことと思います。そのような環境のもとでも、今求められていることは何かを考え、新しいことにも取り組んでいます。
ロンドンヤも抹茶生地のロンドン焼を月に一度、販売しています。500個限定、売り切れご免です。また、日持ち2週間の個包装もあり、遠方のお客様の求めに応えています。
本道をしっかり守り、その本道を歩み続けるために、新しいことも柔軟性を持って取り入れていく。まさに「ハイカラ京都」の精神と感じます。京都の奥深さ、底力です。そして、そのことは京都に暮らす喜びでもあります。それを噛みしめた、一日でした。

 

ロンドンヤ
京都市中京区新京極四条上がる仲之町565
営業時間 平日/10:00~19:30 土曜、日曜、祝日/10:00~20:00

純国産メンマと 旭米の進む道

啓蟄の暦どおりの、小さな虫たちも活発に動き始めたような春の日「メンマを食べて竹林再生を」という、楽しくおいしそうなテーマの会がありました。この京のさんぽ道でも、京筍やメンマ作り、伝統的構法の農小屋おひろめなどをご紹介しました石田ファームのメンマ作りのメンバーと、お手伝いしてくださったみなさんが集まりました。
背丈ほどに伸びた「幼竹」(ようちく)を伐り出して、湯がいて塩漬けにしたメンマの試食会です。ここでいうメンマは添加物ゼロ、たけのこと同じように使えます。家庭でも手軽に使える食材としての魅力を引き出し、広げることで、竹林の保全と荒れた竹林の再生につなげたいという願いがこめられています。当日はメンマを使った創作メニューが豪華なワンプレートとなって登場しました。
旧上田家
会場は向日市にある、国の登録有形文化財の「旧上田家住宅」です。おくどさんで炊いたご飯は、石田さんが手塩にかけた農薬、化学肥料不使、天日干しの、現在のコシヒカリやあきたこまちなどのご先祖の「旭米」です。今回の京のさんぽ道は、多くの豊かな出会いがあった、すばらしきかな春の一日のおすそ分けです。

ゆるやかに集まり、得がたい体験

石田ファームのメンマ作りメンバー
この集まりは、石田ファームをホームとしてメンマ作りをする「メンマメンバーズ」の「竹乃舍」(たけのや)が企画しました。
昨年5月に仕込んだメンマの試食を中心に、かかわったみなさんへのお礼と、今後このメンマを広げていくためには、どんなことが考えられるか、何が必要かを出し合い、共有する場にしたいと企画されました。
「自宅でおしゃれな一皿が出せるパーティ料理」の教室を主宰しするLisas(リサス)さんが、他では出会えない「創造的メンマ料理」のワンプレートを完成させてくれました。Lisasさんは、パーティのようにおしゃれな一皿とともに「帰宅して15分で作れる、家族が喜ぶ普段のごはん」を大切にしています。当日も豪華版でありながら「今日からすぐに家で作れる」ヒントがたくさんあるメニューで構成されていました。すべてに「竹乃舍製メンマ」が使われていて、みんなうれしそうでした。
猫柳
もうひとかた、この日の特別参加は、多くの人から「山野草の師匠」と頼りにされているバカボンさんご夫妻でした。朝、大原の里で摘んだ野草と、黒文字と猫柳の枝を抱えて来られました。うす暗い土間に春が舞い込んだようでした。
山野草のことはもちろん、おどろいたのは石田さんが育てたお米の稲わらを「ええ、出汁がでる」とメンマの味付けに使われたことです。その微妙な味わいが感じられるだろうかと少し心配でしたが、とても楽しみで、はじめての体験に期待がふくらみました。
出し取り用の稲藁旧上田家のおくどさん
炊きあがりの時間を計算して、おくどさんに火が入りました。薪をくべるのはコツがいりますが、そこは今まで大量の幼竹メンマを湯がいた経験がものを言い「火の番」は安心してお任せされています。
ゆるい集まりで、時間割もおおまかなのですが、みなさんそれぞれ自分ができることを見つけて手を動かしています。バカボンさんご夫妻に教えてもらいながら、つくしのはかまを取ったり、稲わら出汁で煮たメンマに黒文字や松の小枝を刺す作業はとても楽しそうでした。なんとなく「おとなの課外体験教室」のような雰囲気でした。
さいころ切りにしたメンマの姿はチーズのようです。松葉をあしらうと緑の色がすがすがしく、お祝いの席にもよさそうです。バカボンさんは、そのあしらいを「和の心。日本の料理人の心です」と語りました。味だけではない、食の楽しみと奥深さを教えてもらいました。

つくしのはかま取り

「バカボン」さんに松葉を使っためんまのあしらいを教わりました
中央がみんなに教える「バカボン」さん

羽釜がシュルシュルと湯気が上がり始めました。みんが「せっかくだからおこげが食べたい」と希望するので、火の勢いを調節したり、火焚き番はなかなか大変です。
旧上田家住宅として公開されているこの建物の六代目当主、上田昌弘さんが見えて、おくどさんに火が入っているのを見てうれしそうに、火吹き竹を出して使い方を教えてくれました。「私はこの家でずっと暮らしていましたから、愛着があります。これからもこの建物を大切に残していきたいです」と話されました。家、建物はそこに住んだ人々の歴史も刻まれている家族の暮らしの証しなのだと、しみじみ思いました。
旧上田家のおくどさん石田ファームのメンマ試食会
奥座敷での会食は、久しぶりに食卓を参加者みんなで囲んで話ができる、楽しいひと時となりました。ワンプレートの他にも、みなさん持ち寄りの、おいしいものが並びました。
たっぷりふきのとうが入ったふきのとう味噌、箸休めにぴったりの小かぶの酢の物等々。伊根町の鯖のへしこや「京太のはちみつ」メンバーの伊藤君が琵琶湖で獲ったわかさぎの自家製燻製には「これはビールか日本酒やなあ」の声に笑いと賛同の声が聞かれました。去年の春を思い出しながらメンマと自然の恵みの野草、八十八の手間ひまとお天道さまの力を借りて育てたお米を味わいました。本当の「御馳走」でした。

竹林とメンマを広く知ってもらうために

石田ファームのメンマ試食会
右端が石田ファーム、竹乃舎代表の石田昌司さん

メンマで構成されたお昼ご飯をいただいた後、感想やこれからメンマを広めるうえでの、提案などの意見交換がありました。
竹林整備と抱き合わせて、福岡県糸島市から始まった「純国産メンマ」作りは今全国的に広がり、味付けされた「ご当地メンマ」を販売している例も多くあります。石田ファームのメンマは塩漬け後に、塩抜きをして食材として使ってもらう、または「おうちでメンマ」として幼竹のまま渡すこともしています。
「メンマという名前が、ラーメンに入っているあれ、という固定したイメージを持たれてしまう。こんなにいろいろな料理に使えるのだから名前を変えたら。いっそシンプルに竹にしては」「たけのこと同じように使える。穂先はきれいな形なので、それを生かして、形が大事なお節料理などに使いたいと思う。値段は少々高くても、そういう時期は必ず、国産の安心できる食材の需要はあると思う」「たけのこと比べて、幼竹メンマが優れている点ははっきり言って見当たらない。けれど、メンマを作ること、使うこと自体が放置竹林の解決、京都の美しい竹林を残すことにつながる。そこに共感してくれる人をどれだけ増やすか」「現在、出まわっているメンマやたけのこ水煮の90パーセントが輸入されています。そういう食料自給率の観点からも、安心な国産のメンマを普通の家庭で使ってもらえるようにしたい」「メンマ以外にも、竹の特性を生かした製品が誕生している。紙や繊維など、竹の可能性も合わせて知る機会を増やして、つながっていければ」などの意見が交わされました。

切り方やあしらい次第でチーズのようにも見えるメンマ
切り方やあしらい次第でチーズのようにも見えるメンマ

メンマは部位によって食感が違う点をうまく利用したり、和洋中どれにもなじむ使い勝手のよさがあるので食材として広げられる可能性、素材としての竹が優れていることに、みなさん手ごたえを感じられていました。

メンマと旭米の可能性を夢見て

らっきょむさん
メンマ試食会に参加されていたなかに、石田さんの田んぼのお田植や刈り入れに協力されている向日市の「一穂の会」(いっぽのかい)の紙芝居屋さん、「らっきょむ」さんが来られていました。週末の向日市で家族で楽しめるイベントがあり、そこで旭米のブースも出しますとお話されていたので行ってみました。
旭米
今人気の品種のお米のご先祖、旭米は、向日市がふるさとであり、戦後間もない頃までは、西日本で一番多く生産されていたそうです。そのような歴史と大切なお米なのに、現在は生産農家が本当に少なくなってしまいました。
「一穂」の会は、この旭米を広げる活動をしながら町おこしにつなげようと活動しています。一穂ははじめの「一歩」を踏み出そう、という意味も持っています。
らっきょむさんは向日市の小学校や学童保育所で、紙芝居を見せて旭米を知ってもらおうと一生懸命です。イベントでは古い脱穀機で稲を脱穀するコーナーを担当されていました。
足踏み式脱穀機
Z世代のその先となる小学生たちですが、足踏み式の脱穀機での体験は大人気で順番待ちをしていました。自分のからだを使って、普段自分たちが食べているものがどのようにして届いているのかを知る機会となり、とてもよい企画だと思いました。現在はふっくら粘りがあって甘みを感じるお米が人気で主流です。そのようななかで、旭米は、はっきりした味や食感を感じにくいお米となっています。
言ってみれば、はっきり甘みを感じるお米に比べて、ちょっと素気ないような感じでしょうか。らっきょむさんは「いろいろ食べ比べる機会があれば」と考えています。確かに、味付けの濃い料理には相性がいいように思います。
石田ファームの竹林
竹林や京都の筍、旭米も、これからは、職業も世代も様々な人がつながる、多様な参加の仕方がますます大切になってくると感じました。もうすぐ、長岡京市、向日市など乙訓地域を中心に、京筍の出荷の忙しい季節を迎えます。竹林や田んぼがつくりだす美しい景観が守られ、農業がなりわいとして成り立つ世の中を願ってやみません。
そのためにも、京のさんぽ道も、小さな歩みでも、京都の日々の暮らしをしっかり受け止めていきたいと思いました。メンマと竹林に旭米、そして旧上田家住宅と、みんなの出会いに、夢をかなえるものと感じることができました。

 

石田ファーム 長岡京市井ノ内西ノ口19-1

旧上田家住宅 向日市鶏冠井町東井戸64-2
開館 9:30~16:30
休館日 月曜日、毎月1日

人と人をつなぐ 花街の宿

春は桜に柳。鴨川べりの枝垂れ柳が芽吹き、桜のつぼみはまだ固いものの、日ごとに開花が近づいていることを感じます。街中には、舞妓さんや芸妓さんがほほ笑む、春の踊りのポスターがはり出され、いっそう華やいだ雰囲気が漂っています。
京都五花街のひとつ「宮川町」も、恒例の「京おどり」を4月に控え、お稽古に向かう芸妓さん舞妓さんの姿があります。この花街で、元お茶屋だった建物の旅館が、新たな展開を始めています。伝統建築の町家を気軽に、より多くの人に知ってもらい「人と人が出会い、新たなつながりが生まれる場」を目ざし奮闘するその人、藤田恵子さんの案内で「澤食(さわい)ツアー」を体験しました。
澤食 kyoto sawai
隅ずみまで職人の技が光り、はたまた迷路のような内部は、見ごたえ十分で、はじめて知ることも多く、京都に住んでいても花街とは縁遠い私たちにとっても、とてもよい機会になります。そしてこのように伝統建築を日常的に生かし、住み続けることで守られている京都の町並みにも思いを寄せました。

卓抜した技と常連さんの「私」を守る工夫

澤食 kyoto sawai
宮川町にあたる地域は四条より南、かつて鴨川の広い河原だったと思われ、江戸時代に町並みが形成されたとされています。芝居小屋が立ち、多くの人でにぎわった四条河原と同様、活気を呈していました。「宮川」の名前は、毎年、祇園祭の神輿洗いが四条より南で行われていたため、四条より南の鴨川を宮川と呼ぶようになったそうです。歌舞伎の流行と相まって、にぎわいは増し、人々をもてなすお茶屋が集まり、発展していきました。今の宮川町の美しい町並みと花街の始まりです。
澤食 kyoto sawai
澤食のパンフレットにお茶屋の建物の特徴が記されています。二階、三階の窓には手すりが付けられ、すだれをかける、もてなし空間の上階の階段を上がったところに「踊り場」があるなどです。そのほかは、格子、奥に細長い「通り庭」など一般に京町家とされる建物と似ています。
二階、三階がお客様を迎える空間です。まず感じたことは、各部屋につながる階段や廊下の狭い幅です。狭いというより、建物の表現にふさわしくないかもしれませんが「華奢でほっそり」した感じを受けました。建物の持つ魅力と持ち主の感性のなせるところなのか、どこか艶めいた、はんなりした雰囲気を感じます。
澤食 kyoto sawai 階段
狭く急な隠し階段から押し入れのような襖をあけると、一階から三階までまっすぐ通った、かつて昇降機があった吹き抜けが現れます。そちらから下をのぞくと、奈落の底へと吸い込まれるようで、怖くなります。「ここは元ふとん部屋だったのですよ」という話など、いちいちおどろいてばかりでした。
お茶屋も旅館も、常連さんがゆっくりくつろげなければなりません。そのためには、他の人と顔を合わさないですむようにという配慮があちこちになされていると推察しました。昇降機も、一階まで続く「かくし階段」も、緊急時だけでなく、お客様の「個」を守るために考えらえたのではないかなど、謎ときのようで興味は尽きません。
澤食 kyoto sawai

澤食 kyoto sawai 
伝統工芸のような和を感じさせるバスタブ

この建物は、登記簿の日付は明治30年(1897)ということですので120年以上歴史を刻み、建築当時の姿をとどめています。階段のらんかん、お茶屋建築の特徴を示す格子、天井や床の間の造り、ふすまに至るまで、この家にかかわった多くの職人の、静かな矜持を感じます。
一方、宿泊することに関しては、快適に整えられています。特に洗面所やお風呂の水回りの造作は、最新のものを設置されています。手間と時間、選び抜かれた資材など、贅を尽くした空間と現代の利便性を兼ね備えた、最上の旅の宿です。

知ってもらい使ってもらって残す道

澤食 kyoto sawai 藤田さん
宮川町が描かれている江戸時代の木版画を手にする藤田さん

澤食は、藤田さんの父方の叔母様が、お茶屋だった建物を買い取り旅館にして、昭和56年(1981)から平成29年(2017)まで営んでいました。
高齢になったことなどもあり、藤田さんが跡を継ぎました。藤田さんは兵庫県や大阪で教師をされていました。しばらくは通って、叔母様のお世話や手伝いをしていましたが、とても二足のわらじをはいてはやっていけないと思い、選択を迫られました。そして「叔母が大切に守って来たこの建物を受け継ごう」と決心し、退職して京都へ移り住みました。
花街は普通はなじみのないところですが、以前から通っていた藤田さんは、ご近所ともよい間合いの関係をつくっています。
澤食 kyoto sawai
4年前から、本格的に引き継ぎ、改修に着手しましたが、そこでコロナになってしまいした。「本当に思案に暮れる毎日でしたが、その期間にゆっくり、これからここをどのように活用したらよいか。それにはどんな方法があるか。伝統的なこの建物を生かし、これからも宿泊施設として続けるためのよい改修とはなど、考えることができました」と語ります。
改修も、可能な限り、元のかたちを残し、また宮川町の町並みを損なうことのないようにと強い思いを持って実行されました。

澤食 kyoto sawai
3階のすだれの合間からわずかに見える比叡山

見学すると、建物本体に加え、建具もしっかり残して今も使っていることに気付きます。それがなんとも言えない風趣をかもしだしています。お茶屋建ての特徴である格子、表に面したすだれ越しに見る通りは美しく、圧迫感のない低層の建物だからこその見え方なのだと感じました。
澤食は現在では希少な木造三階建てです。以前、三階の表の部屋からは真正面に八坂塔、左前方にはくっきりと比叡山が見え、反対側の西側は、宮川と名を変えて流れる鴨川が見えたそうです。どんなにか、よい風景だったことでしょう。
その少しの願望をかなえられるのが、藤田さん自慢のお風呂です大きく窓をとり、外が見えるようになっています。「全体的に居心地は、かなりよくなったと思います」と藤田さん。最初はどきどきしながらやっていたけれど、泊まった方に笑顔で帰ってもらうとうれしいと顔をほころばせました。
澤食 kyoto sawai 打ち掛け
現在宿泊する人の大半は、叔母様の時代からのご常連や知り合いの固定のお客様ということでした。その紹介でフランスやドイツからのお客様もあるそうです。
取材に伺った日は、少しでも伝統の建物を知って、関心をもってもらいたいと企画したお「お茶屋建て澤食を全部みるツアー」を開催されていた日でした。探検気分で狭い階段や和室の美しさに、歓声があがっていました。
一通り見学が終わると広い茶の間のような部屋でハーブティーととびきりおいしいお菓子で一服していただくという趣向です。みなさんとてもよかった、楽しかったですという感想でした。
ここでまた、おどろく企画がありました。叔母様の膨大な和装関係の収蔵品のひとつ、打掛を羽織って記念撮影というプログラムです。年代、男女問わず好評ということでした。教師をしていた経験から、こういうことを考えるのは得意なのだそうです。しっかり前職の経験も生かされています。

頼もしい友人と究極の夢「市民オペラ」

澤食 kyoto sawai フロランタン
毎日てんてこ舞いの藤田さんですが、一緒に楽しく澤食を支えてくれる、頼もしく心強い友だちの存在があります。
一人は澤食でも使っている、飛び切りおいしいお菓子を焼き、ほがらかなヨシムラさん。ハーブティーと一緒にいただいた何種類ものナッツが入ったフロランタンは、まじりけのないおいしさでした。ツアー中も参加者の案内や店頭に立つなど、軽やかに立ち働いていました。
もうひとりの強い味方は、叔母様の旅館を手伝い、ご自身も先斗町でお店を営んでいたベテランのミヤコさんです。お掃除からベッドメーキング等々、その経験が生きる、見ていて気持ちのよい仕事をされていました。
澤食 kyoto sawai ベッドメイキング
藤田さんもお二人を「本当に助かっています」と、とても頼りにしています。そして「この建物は不思議な力があって、人が集まって来て、ご縁を感じる出会いがたくさんあります。人のつながりが生まれる場所なのです」と続けました。
お茶をいただいた部屋は元ダンスホールだったそうで、古いガラス戸がよい雰囲気です。一段高くしたステージで、これまでも、宮川町の芸妓さん、舞妓さんを招き、舞を鑑賞して、料亭のお弁当をいただくという集まりもされてきました。
今年はさらにいろいろな企画を考えたいし、この建物をどんどん利用してほしいと語ります。それを通して、日本建築、和室の魅力を感じてほしいと願っています。
「日本建築のよいところは、とてもフレシキブルな点です。ベッドだと動かせないし、人数は限定されるけれど畳なら、布団を敷けば融通がききます。座卓も簡単に動かせますから。」元ダンスホールの棟はキッチン付きで一棟貸切りにもできます。まだまだ片付けが追い付かないと大忙しですが、実は大きな夢をあたためています。

澤食 kyoto sawai
ダンスホールを改装したお部屋

藤田さんは声楽家で、その仕事もされています。そして究極の夢は、今京都にない「市民オペラ」を立ち上げることです。それも夢のまた夢にするのでなく、着実に進めていく構想を描いています。
澤食の運営、経営だけでも、普通なら手に余りそうなのに、その上、一から始める京都での市民オペラ立ち上げとは。おどろくほどの行動力です。夢への思いを強く持っているからこそ、夢は実現するのでしょう。
人のつながりが生まれる、この場所がその後押しをしてくれると思います。

 

宮川町の宿 澤食(さわい)
京都市東山区宮川筋4丁目320