栄枯盛衰の跡と 秋の夕暮れ

「いつまで続くの、この暑さ」こう言った会話が途切れることのない今年の猛暑です。それでも日の暮れはおどろくほど早くなっていますし、たまに吹く涼風に秋の気配が感じられます。
かすかな秋を見つけられるかなと思い、以前、偶然通りかかった時に気になっていた神社を目指して東山七条へ向かいました。
そこは、現代の京都のなかに栄枯盛衰の歴史を垣間見る、独特の空気を感じる場所でした。

身近なところに歴史を知るよすがあり


東大路通と七条通の大きな交差点の東側、広く勾配のある坂道が山のふもとまで続いています。これは豊臣秀吉公が葬られたとされる「阿弥陀ヶ峰」(あみだがみね)へと続く「豊国廟」(ほうこくびょう)の参道です。少し上っていくと、豊臣廟の大きな鳥居の左手に「新日吉神宮」と染め抜いたのぼりが立てられ、鳥居も見えます。はじめにこちらからお参りすることにしました。
新日吉神宮
新日吉は「いまひえ」と読み、京都市の駒札には、永禄元年(1160)後白河法皇により、都の表鬼門にあたる比叡山坂本の日吉大社から方除け、魔除けの神様としてお招きされたのが始まりと記されています。酒造、医薬、縁結びの神様として大いに信仰を集めたとされています。
「豊国神社」は、この近くの国立博物館のそばにありますが、新日吉神宮境内にも「豊国神社」のお社があります。交差点の参道入口の立て看板には「新日吉神宮 江戸幕府により廃祀された豊臣秀吉公の御霊代を密かに祀り続けてきました」とあります。
新日吉神宮
左側にある「山口稲荷神社」は、鳥居の色は年月を感じさせますが「阿吽」の狐は風雪に耐えてお守りする風格とともに、かわいらしさも感じます。
鳥居と朱塗りの楼門の奥に本殿があり、境内には「菊の紋」の入った灯篭や、珍しい様相の狛犬、神様のお使いでもあり厄除け、金運のご利益のある阿吽の狛猿「真猿」(まさる)が迎えてくれます。
樹下社
境内にある豊国神社は「木下藤吉郎」の姓に通じることから「樹下社」(このもとのやしろ)という名で祀られ、豊臣家が滅亡後、徳川からの排斥を受けた秀吉公にまつわる寺院やご廟を守ってきたという由緒を今に伝えています。
豊国廟
次は今回「秋は夕暮れ」の景色を東山山麓から眺めたいということもあり「豊臣廟」阿弥陀ヶ原へ向かいました。
日も陰る、うっそうとした木立に季節知らずのミンミンゼミが勢いよく鳴いています。
まっすぐに伸びる石段を圧倒される思いで眺め、気持ちを奮い立たせました。
登拝料100円なりを志納金箱に納め、進んでいくと「御参拝の皆様へ」の表示があります。
ご墳墓までは五百段近く手すりのない石段が続くので、日没にかかる御登拝は大変危険ですと、呼びかけています。
すでに暮れかかって来ています。滝のような汗を流しながら「やめようかな」とも思いましたが「ここでやめたら意味がない」と続けました。しかし、最後の200段近くありそうな一直線の石段の手前で断念しました。人っ子一人いない山の中腹で、暗いなか急な階段をひたすら下りるのは相当危険で、物の怪ではないけれど何だか怖い。

萩の花
道中に萩の花が咲いていました

夕陽を拝むのは、秀吉さんもねねさんもみんな、最後は西方浄土へ行けることを願ったことでしょう。阿弥陀ヶ原一体は昔「鳥辺野」と呼ばれた葬送の地です。
そういう場に立って胸によぎるのは何だったのだろうという気持ちがわき上がってきました。

大学のキャンパスに囲まれた旧跡

豊国廟の鳥居
日はすっかり傾き、西の空は刻刻と色を変えていきます。さっきまでふうふう上っていた東の山手をふり返ると、こちらの空も薄紅色に染まっていました。
西の空の茜色はさらに鮮やかになりました。
東山七条からずっと、京都女子大学のキャンパスが並んでいます。授業を終えた学生さんたちでしょう、坂道を下っていきます。西日がきつい時間、また朝の登校時間に東に向かってこの坂を歩いていくのは大変だと思います。豊国廟の鳥居をくぐって歩いている人もいます。そうやってキャンパスを行き来するとは、京都のこの地だからこそと思います。

多くの人が足を止めて夕焼けを写しています。「きれい。今日もいい日やったなと思える」という声が聞こえてきました。自然が織りなす風景のなかに身を置くと、自然と気持ちがおだやかになって、その雄大さ、美しさや優しさを感じることができるのだと思います。そしてその感覚を共有することで、人と人は共感できるのだと感じました。
いろいろと感じることがあり、また少し心細い思いで山からおりて来て、家々やお店の灯りを見た時に、なぜか胸にこみあげるものがありました。
カスガ東林書房
お参りに行くときに気になった、本屋さんとカフェが一体となったようなお店はまだ明るく、閉店にはなっていないようでしたので、入ってみました。「カスガ東林書房」100年続く老舗の書店がリニューアルされたのだそうです。店内は木の香りが漂い、本当にこころが静まります。レモンとチーズのミルクジェラートをお願いしました。
カスガ東林書房カスガ東林書房のジェラート
お父さんと息子さんと思しきお二人応対がとても気持ちよく、はじめてのお店なのにくつろぎ気分になれました。そして今日の旧跡めぐりで感じたことを思い返しました。
歴史に名を馳せた勝者と言える人々も、壮大な建物も長い年月のあいだに様々なできごとにさらされて生きていくのだということを強く感じました。栄枯盛衰を繰り返してきた歴史。そして今もなかなか思うようにならない現実も厳然としてあります。でも、だからこそ、日々を普通に暮らすことのまぎれもない重みを感じました。旧跡と日常の接点がありました。
秋の夕暮れを見に来た東山山麓めぐりは、感じることの多いものになりました。
外へ出るとすっかり暮れていました。

 

カスガ東林書房
京都市東山区妙法院前側町435-1
営業時間 平日/11:00~18:30 土曜/11:00~18;00
定休日 日曜、祝日

門前の名物菓子 「源氏巻」よみがえる

向日市の西国街道沿いにある創建1300年の由緒ある向日神社。その参道脇にあった和菓子店は、白あんを赤い羊羹で巻いた「源氏巻」が名物でした。惜しまれつつ閉店して20年、多くの人々の記憶に刻まれた源氏巻が創業者のひ孫にあたる辻山由紀子さんによってよみがえりました。
今年の1月25日に開業したばかりですが、源氏巻との再会を喜ぶ地元のみなさんが足を運び「なつかしい」「うれしい」という声を置きみやげのように寄せています。
つじ山久養堂
お店の十字の紋のロゴには「多くの人が交わり、交流できる和菓子店にしたい」という思いが込められています。「突き動かされるような思い」で再び掲げた「辻山久養堂」の看板には、明治30年創業の家業と和菓子の文化への辻山さんの熱意と覚悟がうかがえます。
お客さんとのなごやかなやり取りのなかにも、店としてのきちんとした居ずまいにすがすがしさを感じ、帰り際に「また来ます」と自然に言葉が出る、地域のみなさんの身近な和菓子屋さんの姿をお伝えします。

和菓子の伝統を大切にしつつ、新たな工夫

つじ山久養堂の辻山由紀子さん
「源氏巻」は、白こしあんと羊羹という和菓子の定番中の定番を組み合わせたお菓子ですが、辻山さんの曾祖父の初代が考案し、源平合戦の紅白の旗の色をイメージして名前が付けられました。
以前は夏は製造せず「お正月には必ず源氏巻をいただきました」と話してくれるお客様もあり、この地域の新年を祝うお決まりのお菓子だったことがわかります。羊羹のような棹物のお菓子ですが、おいしいうちに食べきれるカットした単品も並んでいます。また、基本は当日お召し上がりくださいの生ものですが、少し日もちする個包装もあります。カットされた面々は、渦巻き模様に愛嬌があり、単純な意匠ながら個性的です。
源氏巻の元祖「赤」に加え、抹茶、ほうじ茶、柚子、そして季節限定のお楽しみ版も販売されます。すべての商品に着色料は一切使用せず、自然素材の色あいや風味を最大限生かしています。そのため使用する原材料は吟味し、信頼できる取引先のものに限っています。白あんには北海産大手亡豆、素材の持ち味を引き出すゆっくり溶ける粒の大きなザラメ糖、天草100%の寒天など、お菓子の土台をしっかり支えています。
つじ山久養堂の源氏巻
「白あんを炊いたり、羊羹で巻いて、それを一切れずつに切って。大変ではないですか」という問いに「白あんの煮詰め方が難しいです。煮詰めすぎると巻く時に割れるし、ゆるいと巻けないので」と引き締まった職人の表情になりました。和菓子作りの原点を守りながら、今の生活にも和菓子が受け入れられるように「どうしたら喜ばれるか、おいしく楽しく食べてもらえるか」を考えたうえでの、一切れずつ買える、サイズ小さめ、色どりはきれいにといった工夫がなされています。

つじ山久養堂の7月限定源氏巻「源氏水羹」
7月限定源氏巻「源氏水羹」
つじ山久養堂の季節限定源氏巻「はれおう」
季節限定源氏巻「はれおう」

以前はどら焼きや柏餅や水無月なども作っていましたが、今は源氏巻のみの販売です。そのなかで辻山さんは、せめて和菓子の楽しみであり特長である季節感を提供したいと、源氏巻の新しい試みを次々と商品化しています。6月は「渦水無月(うずみなづき)」と名付けた豆の風味豊かな水無月源氏、7月は2種類の食感を楽しめる水ようかん仕立ての「源氏水羹(げんじすいかん)」が評判を呼びました。
春にいちごが登場した旬の果物シリーズも次は何だろうと、みんな心待ちにしています。夏はシャインマスカット「晴王(はれおう)」入りという太っ腹な「はれおう源氏」です。
一つ一つに菓名がつけられていうところにも、辻山さんのお菓子との真摯な向き合い方を感じます。地元のお店はこうしてお客様との関係を作っていくのだと感じます。

昔からやっていたことが今の時代にかなう

つじ山久養堂の辻山由紀子さん
辻山久養堂というどっしりした店名ですが「源氏巻と量り売りおかきのお店」と、とても潔い商いの中身です。
量り売りは最近、実施されているお店もありますが「おかきの量り売りは以前からやっていたのですよ」とのこと。源氏巻もさることながら、おかきも根強い人気商品です。求めるおかきをさがして試食し、何件もまわった結果、たどり着いたのは従来取引していたおかきや屋さんだったそうです。「好きなおかき、食べたいおかきを色々ほしい分だけ」を聞いてもらえる。買う側にとってうれしい販売の仕方です。
色とりどりのキャンディーを選ぶように、店頭に並んだおかきの品定めも子ども心を呼び覚ますような楽しいひと時です。昔からの定番おかきのなかでも、「たがねの里」は、ぱりぱりと粒々の食感も楽しめて指名買いされるお客様も多く、2.5キログラムの缶入りで買う方もめずらしくないとのことで驚きました。
つじ山久養堂のたがねの里つじ山久養堂のおかき
また最近は「マイ容器」持参のお客様も増えているそうです。手近にある容器や、お気に入りの缶やビンに詰めてもらえばそれだけでも楽しいし、気取らない贈り物にもぴったりで、そして小さくても省資源にもつながります。ショーケースの上の小さな木製プレートは、今あるものを大切にする暮らしの取り組みを進める「くるん京都」の「包装なしの商品から好きなものをすきなだけ」を実施している協力店を示すプレートです。
ひいお祖父さんの代からの商いは、少しゆっくり身の回りに目を向けてみようという今の流れと重なります。お話を聞いていて、大切なことのみなもとは100年前の久養堂にあったのだと感じました。

多くの人の力を借りて、思い描く和菓子店へ

つじ山久養堂
お店は阪急電車西向日駅から、歩いて10分足らずの静かな住宅街にあります。久養堂創業の地である向日神社のあたりにも近く、西国街道、光明寺道、善峰道など古くからの街道筋であった名残も見られます。
住み慣れた自宅を改装した店舗は、ケーキ屋さんと間違えて入ってくる人もあるというすてきな雰囲気をかもしだしています。店主の辻山久養堂というお店をこうしたいという思いと感性が隅々にまで生きていると感じる空間です。これは辻山さんの考えや思いをしっかり理解してくれて、それを専門的な立場から課題を見つけ出し、希望をかなえるために一緒に取り組んでくれたすばらしい工務店さんとめぐり合って実現しました。レジカウンターの後ろのふすまもぱっと目を引くデザインながら木を基調とした空間になじみ、モダンな明るさを添えてくれています。
つじ山久養堂
こじんまりしたスペースの上がりがまちは、さながら縁側のようです。辻山さんの思い描く「地域の方がほっとひと息つけるお菓子、多くの人が交わる場所」を表しています。いかにも縁側みたいでしょ、という主張ではなく、普通に、お菓子のことや子どもの学校のことなど、ここに座って雑談をしてしまう、そんな気取らない雰囲気がいい感じです。店内にいながら、緑が見えるのも気持ちがなごみます。
つじ山久養堂の辻山由紀子さん
地元の金融機関で働いていた辻山さんは、実は和菓子店を再興させよう、和菓子を作ろうとは思っていなかったそうです。金融機関の窓口でネームプレートを見たお客様から「辻山さんて、あの久養堂さんか」と話しかけてくれたことで「つき動かされるように」久養堂再興への道へ進みました。
まったく違う仕事からの転身は、お菓子作りに必要な素材や技術はもちろんの、包材ひとつにしても「量り売りには袋がいると、開業が近づいてから気づいたくらいでした」と、今では笑って話せることですが、てんてこ舞いだった様子がしのばれます。
ロゴや簡素で雰囲気のあるパッケージデザインやホームページもすてきですねと話すと「困った時、必ず助けてくれる人が現れるのです。本当に多くの人に助けてもらってやっていけています」と続けました。
つじ山久養堂つじ山久養堂
ショップカードや毎日がすてきな日になりそうに思えるイラストのカレンダーの作者は娘さん。また店内に置いてある思い思いに書き込み、訪れたひとがつながるノートも娘さんのアイディアです。
お店のコーナーに置かれた革や木の作品は息子さんが手がけました。お母さんはお菓子作りの欠かせない相棒です。
つじ山久養堂
源氏巻の風格ある看板は親戚の方がずっと保管してくれていたもので、新聞記事で開業を知り、運んで来てくれたそうです。
向かい側の散髪屋さんは子どもの頃からかわいがってもらいました。ずっと立ち仕事をする大ベテランの奥さんが「立ち仕事にスリッパ履いてたらあかん。足がむくむから」と教えてくれたり、すぐ近所の洋品店もお客さんに久養堂を紹介してくれたりと「うちの町内の、ひいお祖父さんの跡を継いだ店」を応援しようという気持ちがありがたいと辻山さんは語ります。お店にやってくるお客様が「おじいちゃんがこのお菓子すきやった」「子どもの頃に食べていたのでなつかしい。また食べられるとは思わなかった」など、源氏巻は地域の人々の大切な思い出ともなっています。
つじ山久養堂
地域のみなさん、家族、親戚、友人、仕入先等々、お客様やお店にかかわるすべての人々が新しい久養堂をつくりあげていると感じます。「源氏巻とおかきの量り売りのお店」が地域のしあわせにつながりますように、その思いをこめてこのブログを綴りました。

 

辻山久養堂(つじやまきゅうようどう)
京都府長岡京市滝ノ町2丁目2-6
営業時間 10:00~17:00
定休日 日曜、月曜日、祝日

やさいと元銭湯 「もったいない」の親和性

銭湯も、まちに似合うもの、あってほしいもののひとつです。
長年、地域の人々の一日の疲れを癒し、雑談に花を咲かす交流の場でもあった銭湯は、残念ながら減少の一途をたどっています。消えゆく銭湯に歯止めをかけることは困難でもその一方で、銭湯の魅力を発信する様々な出版物や企画が生まれています。
「銭湯としての役目は終えたけれど、この建物を再び人が集う場にしたい。なくしてはもったいない」「不ぞろいだけれど、手塩にかけて育てた新鮮な野菜。廃棄するのはしのびない、もったいない」その思いと、関心を持った人々が寄り合い、新しい使命を持って動き始めた元銭湯があります。伝統的な銭湯建築の空間で人と人がつながり、これまでにない何かを生み出す場として生まれ変わった「九条湯」。そこは何度も足を運びたいと思わせる魅力にあふれていました。

営業終了後10年。人がつながる場として再開。

コワーケーションスペース九条湯
九条湯は京都駅から歩いても15分ほど、大通りから少し入ったところにあります。民家が並び「お町内」といった暮らしの営みが感じられる、静かなところです。そこに、思いがけなくという感じで、堂々とした「唐破風(からはふ)」の玄関を備えた伝統建築の建物があらわれます。2008年(平成20)に営業を終えた九条湯です。建物はそのまま残されました。
持ち主の方の「この建物を再び人が集まり交流できる場に」という思いを大切に、現在も運営を担う「猪ベーションハウス(イノベーションハウス)」が話し合いを重ね、改装ののち2018年に、多くの人が利用できる場としてのかたちが生まれました。以来、コロナの影響により運営の見直しを余儀なくされる困難もありましたが、多彩な人々が参画して、ワークショップや様々なイベント、飲食など活用が続けられています。
コワーケーションスペース九条湯コワーケーションスペース九条湯
九条湯は外観、内部も含め、伝統の銭湯建築も大きな魅力です。番台、大きな扇風機、柳ごおりの脱衣かご、色鮮やかなプラスチックのおけ、店名やキャッチコピーが書かれた鏡。次々におもしろいものを発見します。「カラーテレビの時代です」という強烈なコピーや「喫茶パール」には、店をどんなお店だったのかなと想像します。今も残るその一つ、一つに九条湯が刻んできた歴史を感じました。

天井はがっしりした角材を組んだ「格天井(ごうてんじょう)」その下には欄間がはめ込まれています。意匠は竹に雀。また、銭湯のタイルにも注目です。小さなタイルを貼り合わせ絵画のように表現したモザイクタイルやモダンなデザインや色合いのものなど様々です。古い伝統のある産業ではないけれど、タイル製造に携わった陶器産業の人々、職人さんの意欲を感じました。「九条湯タイルガイドツアー」などという企画もおもしろそうです。
高い天井、外から差し込むやわらかい光。表通りの喧騒と離れた場所でのひと時は、心身がゆったりとほどけていくような心地よさでした。

健康な新鮮やさいが主役のランチ

コワーケーションスペース九条湯
時代を経たレストランのような趣の内部。ゆっくりお茶や食事を楽しめます。木の床がやさしい脱衣場スペース、タイル張りが楽しくおもしろそうな浴室スペース。ずらりと並んだヴィンテージの雰囲気のラベルがすてきな、クラフトビールやご当地サイダーの瓶がおしゃれ感をかもし出しています。奥の厨房は調理しているところが見えます。浴槽の名残の岩がそのまま残っていたり、およそほかでは見られない映画のセットのようです。
コワーケーションスペース九条湯
飲食は現在、伏見区や久御山町で九条ねぎ、聖護院大根、金時にんじんなどの京野菜を中心に生産している「しんやさい京都」が水曜日限定で「しんやさい九条湯@農家メシ」を提供しています。ひと目見ただけでその元気さがわかる、安心して食べられる新鮮な野菜がいっぱいです。野菜の持ち味、その味の濃さにも感動します。香り、食感、複雑で繊細な甘み等々、野菜が持つ力を感じます。サラダの野菜は、大きくちぎる、せん切りにする、すりおろすなど細やかに工夫されています。
しんやさい京都はフードロスに取り組み、規格外の野菜を生かす循環を常に工夫し、また近隣の農家の余剰分の野菜を買い取り、加工・販売するなど、安定的な生産や農家の収入の安定のために貢献しています。九条湯では水曜日のランチのほかに、毎月第三土曜日は「もったいない野菜たち」がどっさり並ぶ「もったいないマルシェ」を開いています。

代表の石崎信也さんは「自分たちで生産しているから野菜の味や状態もわかっています。不ぞろいというだけで使わないのは本当にもったいない。野菜の潜在能力をもっと生かしたいと思っています。それには他分野も含め多くの人といかに、どんなふうにコラボレーションできるかが大切だと考えています」と語ります。今メニューに載っている「豆腐ティラミス アイスプラント添え(ヴィーガン仕様)」は、京都橘大学経営学部のゼミの学生さんと連携して誕生しました。日の目を見るまでは何回も試行錯誤を繰り返したと推察しますが、連携して多くの人に楽しんでもらえるかたちで完成したことは何ものにもかえがたい喜びだったのではと思います。
元気な野菜いっぱいのお昼ごはんは、おいしさとともに大切なことを伝え、気づかせてくれます。

人もやさいも建物も「もったいない」でつながる

コワーケーションスペース九条湯
石崎さんは、しんやさい京都と九条湯は「もったいないがキーワード。とても親和性があります」と語ります。長く歴史を刻み、多くの人の思い出のある貴重な銭湯建築も、規格外の野菜も「もったいない」は一致する思いです。
石崎さんはここに「人」も加えて考えています。ランチの提供は、スタッフそれぞれが持っている能力を発揮できる取り組みです。「人はそれぞれ個性や得意なことがあります。その力を発揮してもらわないのはとてももったいないことです。その点、飲食はいろいろな作業があるのでみんなが得意なことを生かせます。本当にいい仕事だと思っています。」しんやさい京都は実習生を受け入れていますが、農作業だけでなく調理実習が体験できるのも得難いことだと思います。生産という川上から、自分たちで作った野菜を、規格外でも工夫して調理し、喜んでもらうという川下までを体験できるということは、とても貴重です。
梶山さん
メニューの組み立てから調理まで引き受けているのは、和束町のお茶農家で働く梶山幸一さんです。「もともと調理の仕事をしていたし、好きなのでずっといつかやりたいと思っていました。」11時開店で、仕込み開始は9時。意外に短い準備時間に思いましたが「その日に入った野菜を見て、あまり手がかからず作れるように考えます。週一日なので作り置きはできないし、短時間で簡単は大事なのです」と聞き、なるほどと感心しました。SNSを見て来る人が多いそうですが「銭湯」で検索して滋賀県からやって来た人もありました。これから九条湯がどんなふうに進化していくのか楽しみです。「九条湯」の名前を継承しているところにも、家主さん、再生にかかわったみなさんの思いや願いが込められていると感じます。
一人で来てもだれかと来ても、おだやかな気持ちになれる大切な空間、生き生きと仕事ができる九条湯が末永く健在であるよう願ってやみません。

 

コワーケーションスペース九条湯 京都市南区東九条中御霊町65
しんやさい京都 ランチ:毎週水曜日11:00~15:00
もったいないマルシェ 毎月第3土曜日10:00~15:00
 
https://camp-fire.jp/projects/view/749392
多様な人がいきいき働けるユニバーサル農園めざしクラウドファンディングに取り組んでいます。

「バイトの子もみんな家族」 のそば処

「ちょっと軽く、そばかうどんでも食べてこか」「ええなあ」という時、気軽に入れる店は重宝するありがたい存在です。「そば処 志な乃」は、その典型です。以前の場所からすぐ近くへ移転・開店してから2年半。大将が毎朝手打ちするそばときちんととった出汁の風味、ていねいな接客、ほがらかな活気に満ちた雰囲気はそのままに、木の材質を生かしたすてきな店舗になりました。
短時間ですませたい昼食も、ビールや日本酒でゆっくりやりたい時も、ほっと一息ついて満ち足りた気持ちになるそば処です。

てんてこ舞の忙しさが活気に変わるチーム力

志な乃の店構え
お彼岸の中日はめずらしく、吹雪になりました。寒いなか空腹をかかえて「まだ間に合う」と志な乃へかけ込みました。志な乃は出前にも応じています。夜7時を過ぎても出前の電話がかかっていました。
雨カッパ姿で吹雪のなか、続けて出前に行く大将に思わず「お疲れさまです」と声をかけました。すると「病院の先生方ががんばってくれてはりますからね。届けて来ます」と笑顔で返ってきました。京大病院はご近所さんなのです。
この大将の言葉からも志な乃とお客さんのつながりを感じました。昼11時開店夜8時までの営業は長いなと思いましたが、こういう人たちに応えているのだなあと感じました。そして「こんな寒い日にありがとうございます」と言葉をかけてくれました。

使い込まれた出前用のおかもち
使い込まれた出前用のおかもち

出前はご飯時とは限らず常に電話がかかってきます。注文の品や数、届ける場所の詳細、名前と電話番号、立て込んでいる時は少し時間がかかる旨等々、確認することが多くあります。メモを取り復唱し、それを間違いなく調理場へ伝えます。
大将はもどって来るとすぐに、次の出前を確認して出発します。奥の調理場ではみんなが「おかあさん」と呼んでいる奥さんが、てきぱきと注文の品をあげていきます。大将夫婦と「看板娘」のアルバイトさんの3人で、これだけの仕事をきびきびした流れで進めていました。それが少しも騒がしさがなく、店内のお客さんにはきちんと気配りがされています。気持ちの良い息が合った仕事ぶりです。
志な乃が常連さんでも、観光のお客さんでもみんなが満ち足りた気持ちになれるのは、味はもちろんこういうこともおいしさにつながっていると得心しました。

関西の麺の特徴を受け継ぐ安心のおいしさ

志な乃のざるそば
志な乃の麺は、そばもうどんもやわらかめにあげられています。そばについては、ゆで加減も含め、一家言ある人も多そうですが、志な乃はそうした評論はふわふわとどこかへ舞っていってしまう、安心するおいしさがあります。
「少しやわらかめやな」と思ってもそれはそれで受け入れることができるのだと思います。また味付けは少し甘めですが、これも関西の味と納得されているように感じます。全体に細やかに手が入っていて、しかも奇をてらうことをせず、普通の「麺類」「丼」の安心するおいしさをぶれずにつくることに専心してこられたことが「また来たい」という気持ちになるのだと思います。
志な乃のきつねうどん
奥からおかあさんの声が聞こえてきました。「きつねそば、まもなくです」続いて「お待っとうさんでした。きつねそばです」そして、看板娘さんが「お待たせしました」と運んで来てくれた時の笑顔がまたすてきでした。甘めのお揚げとしっかりした出汁、関東に住む京都出身者が「これこれ、ねぎはこれ」という九条ねぎと。
真ん中にどんとおさまった大きなにしんの上に、そばがきれいに揃えて渡してあるのも、京都らしいあしらいに感じます。時間をかけてたき上げた身欠きにしんのじんわり深い味とそばもまた最高の出合いもんです。海のない京都の先人の知恵が受け継がれ、手間ひまかかる味を、このように食べたい時にめぐり合えるのは幸せなことだとしみじみ思いました。

志な乃でみる幸せの風景

ご近所さんの京都大学
ご近所さんの京都大学

志な乃は京都大学が近いこともあり、代々アルバイトは京大生に引き継がれてきました。大将は「みんな、おとうさん、おかあさんて呼んでくれるし、うちは息子が三人おるけど同じようにバイトの子も息子やと思ってます。店を始めて48年。毎年バイトのOB会をやっています。前夜祭をやって次の日は、私がゴルフが好きなのでゴルフコンペをしてくれるんです」と聞いてそのつながりはおどろくばかりです。今年は大将が喜寿を迎えるので盛大に催される計画です。ゴルフをしない人も参加したいと希望しているので、今年は前夜祭の日にボーリング大会も開くことに決まっているそうです。まだまだ進化をとげています。
店内のりっぱな墨蹟はバイトOBがお金を出し合って贈ってくれたもの。東海道五十三次の浮世絵の額もOBからの開店祝いとのことです。本当に家族なのだなあと思いました。
志な乃の店内
大将夫妻はつい先日、金婚式を迎えられたそうです。奥さんは「子どもを保育園へ送ったら飛んで帰ってきてすぐ店へ入って。子ども三人育てながら、本当にようやってきたなあと自分でも思います」と話されました。そして「まだまだがんばりますよ」と、はじけるような笑顔で続けました。
志な乃店内

削り跡の凹凸が表情を生む名栗(なぐり)加工が施された志な乃のカウンター席
削り跡の凹凸が表情を生む名栗(なぐり)加工が施されたカウンター席

新しい今の店舗は木のぬくもりや落ち着きを感じます。入り口のドアやカウンターの側面は、あえて表面を削ったあとを残し、味わいを出す伝統的な仕上げとなっています。また貴重な一枚板もカウンターなどにさりげなく使われています。これは三男さんとその友人たちが担当してくれたそうです。
常連さんがカウンター越しに大将や奥さんと話様子も和やかな感じです。この一枚板をことさら主張するもではなく、時には届けられた食材が置かれたり、またある時はアルバイトさんがまな板を置いて包丁で何やら刻んでいたりと、屈託のない使い方が志な乃の空気感を表しているようで、親しい感じがしました。
志な乃のにしんそば
「清水のほうから歩いてきたら、えらい人やったわ。これで桜が咲いたら大変なことになるで。えらいこっちゃ」「ほんま、どうしようもなくなるなあ。えらいこっちゃ」などという、常連さんとのやり取りも、困ったと言いながら、どこかおっとりした感じで楽しいなと思いました。
それぞれの好みにかかわらず、志な乃を多くの人がいいお店だと感じるのは、大将ご夫婦のお二人やアルバイトさん、そしてゆっくりおそばやおうどんをすする人や、ボリュームのある丼のセットを旺盛に食べる人など、みんなが自分そのままに食事をしている、その風景に心が和むからだと思います。
今日まで、家族と家族となった歴代のアルバイトさん、そしてお客さんと築いてきたそば処です。その幸せな風景がこれからも末永く続き、多くの人のよりどころとなるよう願っています。

 

そば処 志な乃
京都市左京区二条通新高倉東入 正往寺町462-1 インペリアル岡崎1階
営業時間 11:00~20:00
定休日 毎週月曜日、第3火曜日

西陣のまちと人と ともに148年

機音が聞こえて来そうな西陣の通りの一画。「たんきり飴」と筆太に書かれた看板で、お店の所在がひと目でわかります。京都の人と「あめさん」は、とても近しい間柄です。「母はお針をしていて、ほっこりすると、そばに置いてあるあめさんを口に入れて、一息ついていました」と、懐かしそうに話す方もあります。
職人さんの熟練の仕事からなる飴を、明治8年の創業からこの地で商う、その名も「たんきり飴本舗」を久しぶりに訪ねました。変わらぬたたずまいと、様々な飴やお菓子に気持ちが浮き立ちます。ご両親からお店を継ぎ、四代目となる姉妹お二人の話から、西陣の暮らしとなりわいが生き生きと浮かび上がってきます。

家族で切り盛りする「職住一体」の飴屋さん

たんきり飴本舗
「京都では、前の戦争とは応仁の乱のこと」と、まことしやかに語られますが、西陣は応仁の乱からその名が生まれ、誰もが知る京都の顔である西陣織発祥の地です。
たんきり飴本舗の界隈も、西陣織に関係する仕事を生業とする家が多く、住まいと仕事場を同じくする「職住一体」の暮らしが営まれてきました。たんきり飴はこの地で長くかたわらに置かれて織子さんたちののどを守り、気持ちをほっとさせてきました。
たんきり飴
「前は、まわりにお店もたくさんありました。隣は洋品店でしたし、果物屋さん、肉屋さんといろいろなお店があってお客さんも多くて、とてもにぎやかだったのですよ」そして「うちも工場がすぐそこにあって、両親、おじ、おば、職人さん、みんなで飴を作っていました」と続けられました。以前はカップ麺やインスタントコーヒー、シュークリームなど多くの商品を扱っていたそうで、常日頃使う食品の、よろづ屋的な存在だったのでしょう。大晦日は一晩中大勢のお客さんでにぎわったそうです。
たんきり飴本舗

たんきり飴本舗のはかり
レトロなガラス瓶やはかりも現役で活躍中

お店を休むのは元旦から四日までのみですが、お父さんだけは二日の日もお店に出ていたそうです。「家で、ぼうっとしているより店に出ていたほうがよかったのでしょう。それに当時はデパートも近所の商店街も三が日はお休みでしたから、きっと売れるともくろんだのでしょう。飴はあまり食べない夏は氷も売っていましたし、まあ本当に店が好きやったのですね。」お話を聞いていて、商才があったのは確かですが、それ以上に「お客さんが喜んでくれるのがうれしい」と思う気持ちを強く持たれていたのだと感じました。お店とお客さんへの思いが様々なところに垣間見られます。
たんきり飴本舗
お店の内外に掲げてある「百二十年余りの歴史と伝統の味 西陣名物 たんきり飴本舗」のキャッチコピーを考案されました。「明治八年にしといたらよかったのに。もう148年たったのに」と言われましたが、その看板は外されることなく健在です。また「土しょうがを入れてたいた飴は先代からの秘伝で・・・・」の宣伝文もお父さん作。自ら健筆を奮った張り紙が今も残り「百二十年余り・・・」の看板とともにお二人を見守っているかのようです。

熟練の技から生まれる奥の深い飴作り

たんきり飴本舗たんきり飴本舗
お店の中には多くの種類の飴や、半生菓子やあられ、今も根強い人気のラムネ菓子など、めくるめくお菓子の世界が広がっています。生姜の辛味が効いた看板商品のたんきり飴をはじめ、ニッキ、しそ、べっこう、豆平糖など、今は長年の付き合いの、熟練の職人さんに依頼して20種類ほどの飴を作ってもらっています。たんきり飴は、炊いた飴に生姜を入れた時、火柱が立つので、天井が高くないと危険なのだと聞いて驚きました。

手まりのような飴にも白い線が入っています

たんきり飴本舗
たんきり飴とニッキ飴に入っている白い線は、違う種類の飴ではなく、生地はまったく同じで、空気を含ませて白くした飴を合わせているということにも、ただただ感心するばかりです。飴の色は火の入れ方によって変わるという話にも、微妙な火加減の難しさを思いました。手まりのようなかわいい飴、光が当たると透明な石のように輝きを放つべっこう飴など、ひとつひとつが本当に美しく、職人さんの手仕事の尊さを感じます。飴やお菓子の袋詰めも、口をひだをとって折りたたみ、扇のように整えた姿に、職人さんの仕事を大切にする気持ちが伝わってきます。香料を一切使わず、ただただ真面目にていねいに作られた飴。すっきりした後味の良さにその値打ちがあらわれています。

伝統を受け継ぎながら、新しい商品も取り入れる

たんきり飴本舗
京都盆地は南北の標高差があり今出川通から北は、気温が違うと言われ、市内中心部との体感温度の違いを実感します。たんきり飴本舗は、お客さんが入りやすいようにと、表の戸は開け放しています。そのうえ土間は石畳になっているので「足元から冷えがのぼってきて本当に寒い」と言われましたが、話をお聞きするあいだにも、じわじわと冷え込んできて、ここに立ち続けての仕事は大変なことだと実感しました。
「こんなに古い店やのに、お客さんから絶対変えんといてと言われています」と笑って話されました。「人からもらって、おいしかったから買いに来ました」というお客さんも多く、まとめ買いも少なくないそうです。
たくさんの商品ですが、飴はお姉さん、おかきや半生などその他のお菓子は妹さんの担当となっています。お火炊き祭のお決まりの柚子おこし、梅や今年の干支の辰をかたどった半生菓子など冬の季節のお菓子が並んでいるところにも、習わしが生きる西陣のお店を感じます。
たんきり飴本舗
姉妹お二人が気がかりなのは、飴も他のお菓子もだんだん職人さんが高齢化して少なくなっていることです。後継者の問題はあらゆるところで深刻になっていますが、今のところは何とか続けてもらっているので、できるところまでは頑張って続けると言われていました。
そういった気がかりもありますが、お菓子担当の妹さんは、自分の味覚にかなうおいしいものと出会うと、その新顔を早速売り場へ並べるなど営業力を発揮しています。
動物ビスケットやラムネ菓子など、かわいいお菓子もあります。動物ビスケットは意外にも年配の男性がよく買っていくそうです。どんな思い出があるのかなと、想像します。ラムネはいろいろな味を詰め合わせています。手間のいることなのに「そのほうが楽しいと思うし、お客さんが喜んでくれるから」と、苦にする様子もありません。
たんきり飴本舗は「古さや老舗」を敢えて言うこともせず、しかし西陣という地で商いを続けている重みや風格、そして懐かしさとともに、新しい軽やかな空気も感じさせてくれる、いつまでもあってほしいお店です。

 

たんきり飴本舗
京都市上京区大宮通 寺之内下ル107
不定休

京都の味と人の魅力 境内の屋台

お参りもそこそこに境内の屋台を、わくわくしながらのぞいて歩いたのは、子どもの頃の楽しい思い出です。そんな淡く遠い記憶を抱いて、久しぶりに八坂神社へお参りしました。
お参りの後、境内をゆっくり回りました。様々な屋台が出ていて、多くの人がその楽しさにふれていました。
「長老格」の風格がにじみ出る屋台の主の、片言までいかない英単語のみの会話でも、多様な国のお客さんとコミュニケーションが成立し、お客さんも名物の味を楽しんでいます。
境内の屋台は、国の違いを超えて気取りのない京都を満喫できます。身近なところで京都の観光を支えているのは、こういう人たちなのだと感じます。
それぞれの名物とともに人の魅力にあふれる、筋金入りの老舗屋台です。

観光客も同業者も「おたがいさま」の心

冬の八坂神社楼門
「祇園石段下」が地名となっている八坂神社の楼門前の大石段は、最高の撮影スポットとなっています。中学生の男子三人組に「三人そろったところを撮ってほしい」と頼まれました。聞けば岩手県奥州市から来たとのこと。スマホで撮ったあの写真は修学旅行の思い出として、消えずに保存されるだろうか、何年もたってから開いて懐かしんだり、笑ったりすることはあるのだろうかと思いました。青春などという言葉は最近、聞くことも見ることもなくなりましたが、ふとその言葉がよぎりました。修学旅行も一種独特の感傷的な響きを感じます。
八坂神社の出店八坂神社境内の出店
境内に並ぶ屋台は、定番のたこ焼き、いか焼、ベビーカステラ、りんご飴、古道具、七味のほかに、和牛串焼、小籠包など「こだわりの味を屋台でどうぞ」風なものあります。
進化系大福のフルーツ大福と同じように、りんご飴も、みかん、マスカットもあり世相もうかがえます。屋台の主同士「これだけ頼めるかな」と両替を融通したり「腰、どうしたんや」と声をかけるなど「長年のおなじみやさかいに」という、暑苦しくなく、ほど良い間合いの付き合いが感じられました。
八坂神社のたこ焼き屋台
たこ焼き屋台は2軒あり、2軒ともベンチを置き、空になった容器を回収しています。今は飲食を扱うほとんどのお店が、テイクアウトに応じています。「その空容器はどこでどうなるのか」です。「ゴミは、ちょっとあったらすぐに広がるさかいに。こうしてまとめておかんとな」と言われました。「販売から廃棄まで」がきちんとなされています。「商売してる者も、お客さんもみんなおたがいさま。お参りに来た人やお客さんがまず一番や」レンタル着物の海外の人たちがうきうきと境内をめぐっています。「ワン?ツウ?オッケー。キャッシュオンリー」十分通じています。

何十年も立ち続けて備わった人間味

赤ずきんの七味唐辛子八坂神社のたこ焼き屋台
それぞれの屋台にはその商品を示す工夫がされていて、微笑ましい風景です。たこのぬいぐるみ、唐がらしは伏見稲荷にちなみ、きつねのぬいぐるみとひょうたんなどが楽しい店先を演出しています。
「たこ焼き、本当においしかったです」と伝えると「ほんまか。出汁も卵も多めに入れて、材料もええの使うてるし」と返ってきました。和食の出汁と同じです。ソースと青のり、マヨネーズは自由に使えるように置いてあります。太っ腹です。理由は「かけて出すと、もっとかけてほしいとか言われて面倒」だからそうです。
ここで60年くらい出ているそうですが「75歳で引退したいと思ってる。あと3年や」と晴れ晴れと語ります。「明日は用事があるし休みやし」と、にこっと笑いました。
赤ずきんの七味唐辛子
「七味唐がらし あかづきん」は、伏見稲荷で商売を続けて三代目のお店が出店しています。七味は「山椒を多めに」などと伝えると、希望に応じて調合してくれます。
今の時期におすすめなのは「柚子七味」です。次々訪れる外国人のお客さんに「ユズ スパイス。ジャパニーズ スパイス」と説明しながら「あかんな。英語は通じひん。どこの国の人やろ」とつぶやきが聞こえました。
味見もさせてくれるので、若い男性は味みしたうえで、柚子七味をお買い上げとなりました。「外国の男の人は欧米でもアジアでも、みんな優しいよ。ほんまレディーファーストや」なのだそうです。毎日多くの人と接していると、見えてくることがいろいろありそうです。
赤ずきんの七味唐辛子
竹筒やひょうたん型の七味入れにも興味をひかれるようで、足を止めて見ている人がかなりいます。ひょうたんの飾り紐も手作業です。そうした細かいところの手間が商品としての完成度を高めていると感じます。
唐辛子の辛味も深く奥行があり、山椒の香はふわっと立ちのぼります。鍋物、麺類以外にも、おみそ汁、漬物、ドレッシングなど活躍の場は多いでしょう。
ずっと伏見稲荷と八坂神社の2か所に出店していましたが、伏見稲荷はインバウンドで参拝が膨大になった時に、一切の出店が撤退となったそうで「とても残念」と話されました。
八坂神社のたこ焼き屋台
また、たこ焼き、七味唐辛子両方に共通する問題が物価高です。たこ、小麦粉、油、そして燃料。七味唐辛子も山椒の値上がりはすさまじいそうです。それに加えて、みなさんの悩みは腰痛です。雨の日以外は、炎天下の日も木枯らしの日も立ち続ける仕事は並大抵のことではできません。これからの季節は冷え込みがきついので余計痛みが出ると話されていました。
またあの味な話やお客さんとの楽しいやり取りを聞けるよう、この冬の寒さが厳しくなりませんようにと願っています。味とともに、あの笑顔や軽妙な語り口に心も体も温まります。
八坂神社の疫神社
屋台を離れてふと見ると、境内にある疫病退散の「疫神社」に、海外から来た若い女性が静かに手を合わせている姿がありました。その姿は新しい年を迎えた神社の清々しい空気をまとっているようでした。

 

八坂神社
京都市東山区祇園町北側625
社務所受付 9:00~17:00
参拝時間 24時間可能

店主の人柄 てらいのない中華そばの味

ラーメンは今や、京都を楽しむ要素の一つとなっています。海外からの観光客が行列に並ぶ光景もめずらしくありません。歴史ある古都の別の顔、魅力を感じるのでしょう。新しいお店もよく見かけます。
2年ほど前に一度入っただけのお店ですが、ふと思い出して北野天満宮近くの商店街にあるラーメン屋さんへ行って来ました。外観のたたずまい、赤い提灯やのれんも変わっていません。「これこれ、この味」という中華そばと、大将の「祭よもやま話」という思いがけないおまけ付きで楽しませてもらいました。
誠養軒は「京都の街中華」というような類型に当てはまらない、てらいのない、おおらかさが魅力の得難いお店です。こういうラーメン屋さんがあるところは、人が暮らす町の息遣いが感じられるいい町なのだと思いました。

中華そばや餃子を待つ間も楽しい

誠養軒の店内
はじめて誠養軒へ入ったのは、所用で北野商店街へ来た時でした。用事をすませて歩いていた時、くっきりと潔い「中華そば」の提灯とのれんが見えました。店の前まで行ったものの、個性強めのお店の風貌に少し躊躇しましたが、思い切って入りました。
お昼の時間帯を過ぎた、やや中途半端な時だったので他にお客さんの姿はありませんでした。一人なので、カウンター席へ座ろうとしたら、カウンターの上にいろいろと物が置かれていたので少し迷いましたがテーブル席に行かせてもらいました。
誠養軒の中華そば
冷麺にしようか迷った末に、やはり「中華そば」にしました。中華そば・ラーメンの類は、競うようにいろいろなタイプが出ていますが、誠養軒のものは、なじみのある定番を守っていました。麺の食感、こくはあるけれど、すっきりしたスープ、メンマが好きなので多めに乗っているのがうれしい。叉焼も、もやしのしゃっきり感もすべてが「自家製」のていねいさを感じるおいしさでした。肩肘張って対面しなくてよい、安心感、気安さが心地よかったです。
その後に来店されたご常連らしいふたりのお客さんも一緒に「おいしい七味唐辛子」について懇切ていねいに教えてもらいました。
「常連と一見」のように、分け隔てする感じがなく、ごく自然に会話ができた、そんなところもこの日のことを覚えていたことにつながっていると思います。
今回訪れたのも、午後の遅い時間で、お客は私ひとり。店主さんが「クーラーが一番よく効くのはあの席。一番弱いのはこの席」とにこにこ気さくに声をかけてくれました。
誠養軒の店主
地元紙の京都新聞と「巨大ブラックホール」「素粒子」などの文字が並ぶ科学雑誌が置いてありました。「ずいぶん難しい雑誌ですね」と言うと、1冊の値段は高いけれど、1か月に1回だから週刊誌を買うより安いからと、返ってきました。それに「難しいから読むのに1か月はかかるから、ちょうどいい」のだそうです。こんな愉快なやり取りをしながらも、手はおろそかになっていません。水餃子を作るための片手鍋にお湯が沸いています。

誠養軒の水餃子
手作り水餃子と一緒にずいき祭りの本を見せていただきました

自家製の麺に叉焼、餃子は注文の都度に包んでいます。安心できるおいしさ、満ち足りた気持ちになります。誠養軒はお父さんが始めお店で、53年たちます。「いろいろ新しい店ができているけれど、うちはずっと同じ」この安定感が味にもお店の雰囲気にもあらわれていると感じました。
メニューに書かれた「やる気がなくなり次第帰ります」のひと言や、閉店時刻の「午後11時59分」という設定も茶目っ気があります。こうしてみていると「昭和なアナログなお店」という表現が使われそうですが、それだけでは少し違う気もします。実はまだまだインターネットなど一般的ではなかった時期に、いち早くホームページを立ち上げたそうです。その世界にかなり 詳しいとお見受けしました。なかなかに奥が深いのです。
京都の伝統のお祭りについても、「それは知らなかった」という話がどんどん出てきました。

次回が楽しみになるお祭りの話

北野商店街
誠養軒は、北野天満宮のおひざ元の商店街の一番西にあります。取材時はちょうど、起源も平安時代までさかのぼるとされる、北野の天神さんの「ずいき祭」直前の時でした。商店街にもお祭りののぼりが立ち、地域あげての大切なお祭りであることが感じられます。

ずいき神輿につけられていた縄
ずいき神輿の梅鉢のわら細工が飾られていました

ずいき祭の花形「ずいき神輿」を製作する保存会の会員に、店主さんの同級生もいるということで、興味深い話を聞かせてもらいました。ことに、お祭りの名前の由来にもなった、お神輿の屋根を葺くずいきが、今年は天候不順で育てるのが大変だったそうです。
太さや長さが一定のものを、準備段階までにうまく育てるのは相当な苦労があるそうですが、本当に大変なことだと思います。「ずいきはアクが強いから切り口がすぐ黒ずんでしまうので、毎日切っている」「ずいきの親芋は、逆さにして根っこをたてがみに見立てて獅子頭を作る。そして、お祭りが終わった後は、神様からのおさがりとしてみんなでいただく」等々、知れば知るほど奥は深いのです。
ずいき祭の岩波新書
テーブルの上にずいき祭に関する岩波新書が置いてありました。「神輿の横で保存会が売ってたんや。友達やし買わなあかんし」と笑っていました。少し前に買われたものでしょうか。油やたれのしみがついた新書は、その汚れが逆に、毎日少しずつ大切に読んでいたことを物語っているようでした。
また、お客さんのなかには祇園祭の山鉾の関係者もいて、祇園祭についても熱心に調べたり、足を運んでいます。「同じ鉾を見ても、毎年発見がある。そういうふうに、今年はここを見ておこうとか考えて鉾をまわったらええんや。楽しいよ」と極意を授けてくれました。
誠養軒のちょうちん
中華そばと水餃子もなくなり、次のお客さんの来店です。このお二人もご常連らしく、表の入り口そばの冷蔵ケースからビールを持って入って来ました。「ビールや水はセルフでお願い」それが誠養軒の流儀です。
はじめはわからなくて、水を飲まずに帰ったのも今となっては笑える話です。早速「餃子2人前」の注文です。それをしおに、ごちそうさまでしたと、立ち上がると「また、どうぞ来てください」と忙しく餃子の世話をしながらも声をかけてくれました。この親近感、あたたかさがうれしいです。暮れなずむ頃。提灯とのれんが夜のお客さんを迎えます。とっておきの京都です。

 

誠養軒
京都市上京区新建町10
営業時間 正午~23:59(早く閉める日もあります)
定休日 月曜(ただし25日の北野天満宮例祭の日は営業)

麹の力で 心も体もほがらかに

あと一週間もすれば、草木に露が宿る「白露」を迎えようとしているのに、真夏並みの気温が続いています。甘酒は夏の季語ですが、江戸の昔から、夏の弱った体にいい、おいしい飲み物でした。「健康と発酵」に多くの人が関心を寄せています。味噌、醤油、酒など日本の身近な発酵食品の素となる麹。その不思議な力、奥深さに魅入られ、麹を毎日の暮らしに取り入れることで得られる幸せを多くの人に広げようと、楽しく奮闘する「京都花糀」代表の野中恵美さんにお話を伺ました。

「上級麹士」として新たな道すじ

京都花糀の野中さん
野中さんが麹と出会ったのは、医薬品販売の専門資格である登録販売者として、ドラッグストアで働いている時でした。お客さんと接し、健康の悩みは複合的なものが多いことを感じるなかで、ある日、来る人来る人みんなが、甘酒を買う現象が起こりました。テレビの番組で甘酒が取り上げられたのです。それからしばらくは、大量に発注した甘酒が品切れになる日が続きました。
甘酒
甘酒から麹へ目を向けると、知れば知るほど「麹ってすごい」と、そのすばらしさに引かれていきました。そして栄養士でもある職業的性格も頭をもたげ、麹についてもっときちんと知りたいと強く思うようになりました。調べていくうちに、福岡県で麹について学ぶ二泊三日の講座があることがわかりました。それから後の行動は素早く、仕事のシフトも考えたうえで、2か月後の講座に参加したのです。

京都花麹
店内にずらりと並ぶ麹と味噌

この講座は、福岡県で自然農無農薬のみそ、麹を製造販売する会社が運営する「麹でロハス推進会」が主催しています。「自家製の麹を使って多くの人に発酵食文化のすばらしさを伝える」ことを主旨としています。その実践者として「麹士」を育成し、野中さんは2016年「上級麹士」の認定を受けました。
「麹は、日本人で合わない人はいないこの国の菌です。麹のおかげで調味料としていろいろな食品ができました。麹は腸の働きを良くしますし、脳と腸はつながっています。だから朝、お味噌汁を飲む食習慣は理にかなっているのです。」そう語る野中さんは「麹を正しく伝えるためには器がいる」と、上級麹士になって2年後2018年8月、満を持して「京都花糀」のお店をオープンしました。

麹を語る姿がきらきらしていた

京都花糀京都花糀
「手作り自家製麹」花糀のお店は、阪急電車の東向日駅からすぐ、JR向日町駅からも徒歩5~6分という立地の良さです。元パン屋さんだったというこの物件を見た時、ぴったりのいい物件だと思ったそうです。しかし、予算の1.5倍の資金が必要でした。その日は考えますと答えて帰りました。さんざん考えて出した答えが「1.5倍がんばろう」でした。
1か月後に家主さんの所へ行くと「きっと、また来ると思っていた。実は複数問い合わせがあった。でも、これからやりたいことを話している時、きらきらしていたから待っていた」と話してくれたそうです。
京都花糀
麹への熱く本物の思いは困難も味方につけて、新しい扉を開きました。それから満5年。お味噌やフルーツ酵素が時間と手をかけてゆっくり熟成するように「麹と発酵」のお店も5年のあいだに色合いや味わいが進化しています。
果物が重ねられ、季節によってかわるフルーツ酵素は「瓶詰の宝石」といった華やいだ香りたつような雰囲気です。パイン、ドラゴンフルーツ、パパイヤ、レモンを漬けた酵素は「南の風ゆらゆら」という名前です。傑作はくすっと笑える「帰省のち同窓会」マンゴー、もも、ブドウなど7種もの果物は、にぎやかにおしゃべりをしている様子を思わせます。
棚に並んだお味噌は色や風合いも様々、どっしりと貫禄があります。野中さんが「地味以外の何物でもない」と表現する麹の底力を感じます。一汁一菜を旨とする、日本の食卓をつくってきた頼りになる発酵食品なのだと、あらためて感じる存在感です。
京都花糀
花糀では、麹を使ったメニューを常に開発しています。甘酒だけでも様々な種類があり、フルーツ酵素も水や炭酸水などお好みで割って楽しめます。市販のルーや小麦粉、水を使わず麹を入れたカレーはあくまでも「花糀のカレー」です。風味豊かで満足感がありながら重くありません。また、毎月末には「発酵おかずのランチ会」を企画して「今月はどんなおかずかな」と楽しみになります。
8月は九州の郷土料理「鶏飯(けいはん)」と「冷や汁」のそれぞれのいいとこ取りをしたメニューでした。食感、味、香りが、自家製味噌を溶いただし汁がまとめ役となって、渾然一体となったまさに「恵美流創作ごはん」になっています。求肥も手作りのあんみつは、柚子がほのかに香る小豆あんが、寒天とも相性がよく秀逸でした。赤えんどう豆は塩麴を入れてゆでるなど、必ずひと手間かけています。

野中さんが言うところの「少しの手間と時間」をかけた一品、一品の確かな味や食感、香りが伝わってきます。そして「手間、時間」をかけることを、少しも苦ではなく、おもしろがり、思い切り楽しんでいます。また、麹と発酵についてわかりやすく説明し、普段の暮らしに生かしてほしいと、味噌の仕込みや、麹ビギナーコースのワークショップを開いています。ワークショップを通して「待つ」という日本の文化、日本の特性を再認識してほしいと思っています。
情報があふれている今、引き算が苦手な世の中になっているのでは、「加減や塩梅」を知って暮らせたら、もっとほっと楽になるのではと感じています。ワークショップやお店でのひと時は、がんばって何でも取り込まなくてもよいのだと思えて、ほっとできる大切な時間にもなっていると感じます。

「主役はお客さん」のお店は6年生に

京都花麹
「私は店番」とほがらかに宣言する野中さん。入ってきたお客さんは中学校の同級生でした。卒業してからずいぶん長いこと会ってなかったけれど、このお店ができたからこうしてごくたまにだけれど、来て会えると、楽しそうに話していました。またフィットネスに出かける前に、水分補給用にフルーツ酵素の水割りをマイボトルに入れていくお客さん。ご近所の常連さんも「友達の家へ来た」ような雰囲気でくつろいでいます。
コロナの時は全面休業の決断をしましたが、麹が手に入らないのは困るという声を多く聞き、希望の商品を渡す日を限定して設けました。「お客さんのほしいもの、してほしいことを実現するための店」と野中さんは語ります。
小さいお子さんのいる若いおかあさんが気持ちを解きほぐす場所にもなっています。麹と発酵の力は体にはもちろん、訪れる人の心もほがらかにしてくれます。花糀は6年目に入りました。野中さんは「6年生をちゃんとやっていけるかな」とにこにこしています。次はどんな夢を描いて見せてくれるでしょう。楽しみにして通いたいと思います。

 

京都花糀
向日市寺戸町西田中瀬3―2
営業時間 11:00~18:00
定休日 土曜、日曜、月曜日

ワインとカレー、 敷居の低い名店

あと一週間もすれば暦は「立秋」を迎えるというのに、記録的な猛暑が続いています。食欲も減退する夏こそ、ピリッと辛いカレーです。定番の家庭料理であり、また以前から洋食屋さんのなじみのメニューとして親しまれてきたカレー。
世界中のおいしいものであふれる日本は、カレーも様々な専門店がありますが、今までに出会ったことのないカレーの店とめぐり合いました。気取りのないなかにも、どこかきりっとした雰囲気を感じるお店です。今では聞くこともまれな「上等」という言葉が浮かびました。そのお店は高瀬川沿いの小さなビルの2階にあります。

フレンチを感じるカレーとワインのお店

イグレック ヨシキ カレー
暑くても寒くても、若い人でにぎわう四条木屋町のとあるビルの階段を上がって2階へ。特徴的な「Y」の文字と赤の色が印象的なドアがあります。外の喧騒とは別の空間への入り口のように感じます。「Y」は、少量生産のフランスの白ワイン「”Y” Ygrec(イグレック)」のイニシャルです。店名の由来を示しています。お店の中は広々として、窓辺には桜が枝を差し伸べています。この緑を目にするだけでも、一服の涼を感じます。春の花の見ごろや、これから迎える秋の紅葉も楽しみになります。
イグレック ヨシキ カレー
店主さんは、寸胴鍋を小さな櫂のような道具を操って黙々と仕込んでいます。最高気温37度、38度の日にこの仕事を長時間するのは並大抵なことではないと思いますが「まあ、こんなもんやと思ってるしねえ」と、ことさら大仰に語ることはありません。
イグレックのカレーは、ビーフ、小エビ、野菜の三種類です。毎回迷うのですが、何回食べても食べ飽きない深いおいしさを感じるカレーなのです。カレーは「おふくろの味」的な側面もあって、人によって「じゃが芋がゴロゴロ入っているのが好き」「小麦粉でこってりとろみがついたカレーがなつかしい」など思い出と好みが相まって、好きなカレーの幅は広いと言えます。
イグレックの野菜カレー
イグレックのカレーは、家のカレーとはもちろん、専門店のカレーとも違う「唯一独自」のカレーです。15歳から料理の道へ入り、ホテルでも仕事をしたマスターの研鑽が生み出した味なのだと感じました。
たとえば野菜カレーです。15種類もの野菜がたっぷり乗っているのに、ルーが薄まったり、水っぽさがありません。土台がしっかりしているという感じで、野菜のみずみずしさや甘みなどが複雑で深いルーと調和しています。最初から最後まで、しっかり手をかけた料理人のカレーは常連さんのみならず、多くの人の記憶に刻まれています。
またマスターは本当のワイン好きで、その知識も半端ではありません。その日選んでもらったワインは、辛口だけれどぶどうの果実味が感じられる、ぴったりの味わいでした。

居ずまい正しく敷居は低い本格派

イグレックの小エビカレー
イグレックの営業時間は午後2時間の休憩はありますが、閉店は午後11時という長丁場です。「営業時間は場所柄やねえ」と、さらりと言いますがかなりの重労働にちがいありません。それでも悲壮感や肩を怒らせてという雰囲気は微塵もありません。カレー以外にアルコールに合う単品も用意されています。
休みの日に明るいうちの一杯、また一日の最後のしめのカレーとお酒。それぞれに楽しめる貴重なお店です。

イグレック
店名の由来にもなった貴腐ワインの名品「イグレック」のエチケット

シャンパンの王冠
ディスプレーされているワインのラベルやシャンパンの王冠は知識がなくても、すてきだなと思えます。おどろくことに、すべてマスターの自作なのだそうです。シャンペンは全部で99個。今ではもう手に入らないものもあるとか。30年ほどかかって「すべて実際に飲んだ」という話もスケールの大きさに、ただただおどろくばかりです。「まだあるから、2枚目のパネルを作ろうと思っているんやけど、なかなか時間がねえ」と言われましたが、作ろうと思う気持ちがすばらしいです。「作れるものは自分で作ることは、父親の影響やね。いつも何か自分で作っていたから」と話されました。


今まで世界のあちこちのレストランを訪れた時の手書きのメニューが特注の赤いフレームにバランスよく配置されています。この中には超有名な「トゥール ジャルダン」の鴨のナンバーが示されたものもあります。シャンペンもしかりですが、集めたのではなくすべて自分で実際に行って体験したとい探求心に感服します。ワインのラベルもそれぞれの思い出を話してくれました。

リモージュのカップ
デミタスカップ、素敵ですねというと「リモージュ」ですと、すぐ返ってきました。お店にあるものは開店前から少しずつ、見つけた時に買いそろえたそうです。
世界のレストランのメニューパネルの横には、包丁の名店の手ぬぐいがあります。「大根のかつら剥きをしているでしょう。この包丁はかつら剥き専用の包丁なんですよ」等々、ここにはまだ知らないこと、知って楽しいことがたくさんあります。

内装もマスターが一人で。壁を取り払い作った窓。左には包丁柄の手ぬぐいも。

フランス料理やワイン、その歴史や文化がさりげなく香り、感じることができるお店です。こういうお店こそ本当の名店なのだと思いました。マスターは「基本、カレーは一人でつくるもんやから」と、今日もいつもと変わらず仕込みをし、ワインのことをたずねられると、手を止めてうれしそうに答えています。奥様と二人で切り盛りされていて、落ち着いておいしさを堪能できます。
京都のまちもまたさらに変わり始めていますが、イグレックのようなお店が、京都を支えていると強く感じました。ふるさと福知山を大切にする思いがそこかしこにあらわれているところにも、お人柄を感じました。

 

イグレック ヨシキ カレー
京都市下京区 西木屋町四条上ル真町455 第一小橋会館2階
営業時間 11:30~14:00/16:30~23:00
定休日 月曜日

大学の街に 今日もコーヒーの香り

緑したたる季節は、若々しい学生の街に似合います。左京区の京都大学周辺は、学術的な空気と、普段の学生生活をうかがわせる親しみのある雰囲気があいまっています。そんな学生の街にふさわしいもの、あってほしいのは本屋と喫茶店です。
京都大学の周辺の、それぞれ物語のある喫茶店や古本屋さんは、以前より少なくなっているとは言え、現在も健闘しています。百万遍の交差点から少し脇へ入ったところに、その喫茶店はありました。

ダンディーな初代マスターは明治生まれ

ゆにおんの外観
久しぶりに足を向けた百万遍で、落ち着ける喫茶店に入りたいとぶらぶら歩いていていました。「ゆにおん」と、やさしいひらがなで書かれた看板、高くそびえる棕櫚の木、緑に囲まれ年輪を感じさせながらもどこか愛らしさがあるお店がありました。少し汗ばむくらいの午後の日差しの中、中へ入るとほっと一息つける空間です。おやつの時間帯に、コーヒーとトーストのセットをお願いしました。
お店はお父さんから受け継いだという店主さんが一人で切り盛りされています。
コーヒーをいれたり、トーストを焼いたりしながらも気の置けない、楽しいやりとりが居心地をよくしてくれます。
壁に沿って趣きのある木彫の装飾が施され、見まわすとカウンターの食器棚などにも同様のしつらいがされています。木の色は飴色になり、このお店の雰囲気をつくりだしています。絵がすきで自ら絵筆をふるうこともあったという、お父さんが懇意にされていた作家さんの作品ということでした。
ゆにおんの天井照明
天井の灯りはお父さんがつくられたそうで、芸術に造詣が深い型だったのだなと、そんな会話をはさんで運ばれてきたセットは、しっかり噛みごたえがあって小麦の香りがする天然酵母のパンに、新鮮ないちごミルクがついていました。たまごサンドもおいしくて、すべてがきちんとていねいに作られています。
味とともに「作ってくれた」というあたたかさを感じます。カップやグラスも、お店の雰囲気と調和した味わいがあるものです。自家焙煎のコーヒーは香り高くしっかりした味わいでした。
ゆにおんのトーストセット
ゆにおんは開店から今年で75年を迎えました。初代は明治生まれですが、毎日きちんとチョッキを着て店に立ち「本当に喫茶店のマスターでしたね。娘から見ても本当に格好よかったです」という言葉に、会ったことはないけれど「さぞ、素敵だっただろうな」と思いをはせました。
カウンターの奥には見守っているかのように、やさしい顔立ちのマスターの写真が置かれています。聞けば店主さんもずっと一緒に仕事をされていたそうで、父娘で紡いできた年月が、ゆにおんのおだやかな空間をつくりだしているのだと感じました。
ゆにおん
壁には多くの絵画がかけてあります。「すきなものをかけてある」という言葉の通り、それぞれの個性を放ちながら調和しています。テーブルや花瓶に入った季節の花もすべてが、自然体であるべき場所に置かれています。飾ったり、奇をてらうことのない姿勢が、だれにとっても居心地のよい場所になっているのだと感じます。

歴史や文化は日々の営みの積み重ね

ゆにおんの店内
ゆにおんの店内は、さほど広くはありませんが、とてもいい感じにレイアウトされています。窓の取り方もおしゃれです。建物はその時々の補修をしながら、基本的には変えていません。前は木のドアでとてもいい雰囲気だったのを、代えないとならず今のドアになって、とても残念と話されました。現在のドアもいい感じだと思いますが「どんなドアだったのかな」と想像してみたりしました。
清風荘
窓から見える向かい側の鬱蒼と繁る木々の緑にいやされます。この広大な敷地は「清風荘」と言い、明治時代に首相を務め、立命館大学を創設した西園寺公望の別邸で、現在は京都大学の所有となっています。
新緑の今もすばらしいですが、秋の紅葉は、それは見事なのだそうです。お客さんが「ここに座って、こんなきれいな紅葉見たら、わざわざ他所へ行かんでもええわ」と言われるそうです。
お客さんは初代の頃からの常連さんや京都大学の先生が多く、90歳になった方も来てくれるそうです。なかには久しぶりにやって来て「おお、まだあったか」と言われると笑って話されました。

おとうさんは明治まれですが、その年代の人にしてはめずらしく、偉そうにすることがなく、家族をとても大切にされていたそうです。お孫さんに「おじいちゃん、この宿題教えて」と言われて勉強をみたり、絵を描いていると「上手やなあ」と、とてもうれしそうにされていたということです。曾孫さんもかわいがり、危なっかしい抱っこをしていたという話を、ほほえましく聞きました。
お客さんや周囲の人々に愛されたお人柄を感じます。明治時代にはとてもめずらしい、大恋愛の末の結婚だったとか。自由で愛情深く「コーヒー、喫茶店」という進取の分野に乗り出した明治の京都人です。98歳で亡くなる少し前までカウンターに立ち、お客さんと話しを交わしていたという見事な生き方を聞き、京都の文化、京都のまちの深さを感じました。

ゆにおんのメニュー
手書きのメニューの横にはさりげない彩りが

店主さんは「これまで、いいこともあったけれど、本当に大変なこともたくさんありました。それでもずっと店を開け続けてきました。あきらめへんことやね」と語ります。大学院生の若い人もよく来てくれて「若い人はこんな古い店より、新しいきれいな店のほうがいいんと違うの」と言うと「ここは静かで落ち着けていい」と言って来てくれるそうです。世代を超えて、香り高いコーヒーと喫茶店文化は、京都の学生街に息づいています。
「気まぐれやから」という営業は、だいたい10時開店、閉店は午後4時です。話しているうちに時間切れで頼めなかったプリンを、次回はぜひと思いを残しながら、あたたかい気持ちで帰路につきました。

 

ゆにおん
京都市左京区田中大堰町92
営業時間 10:00~16:00
定休日 日曜日
(ただし営業時間、休業日は変更となる場合があります)