子どもの頃、年末に新しい寝具を買ってもらうと「もうすぐお正月」とわくわくしました。近ごろはあまり見かけなくなりましたが、以前は商店街には必ずと言っていいほど布団屋さんがあったと思います。
まわりに知っている人が意外と少ない布団のことを、気軽になんでも相談できる布団屋さんがあります。阪急電車長岡天神駅前の大通り、紅白幕と「ふとん重田」とだけ潔く書かれた看板が目印です。歳末セール中のお忙しいなか、家族で営む親切で頼りになる布団屋さん「重田ふとん店」三代目店主の重田正登さんに話をお聞きしました。
布団作りへの変わらぬ姿勢
おじいさんにあたる初代が西陣で、主に布団の打ち直しの仕事をされていたのが、重田ふとん店の出発となります。
打ち直しとは、使っているうちに固くなった状態の布団の綿を取り出してほぐし、再びふかふかの状態にすることを言います。昭和30年代の西陣はずいぶん活気があり、住み込みで働く人も多かったことから、打ち直しの依頼も頻繁にあったことでしょう。運搬用のがっしりした自転車に布団を積んで、忙しく走り回っていたそうです。その姿や西陣のまちの様子が目に浮かぶようでした。
そして昭和42年(1967)当時の長岡町(現長岡京市)へ移転し、阪急電車長岡天神駅前の現在の場所に実店舗を構えました。
当時はお店のまわりは田んぼが広がり、とてものどかだったそうです。重田ふとん店の建物は、よく言われるところの「うなぎの寝床」のように奥行があり、以前はそこが仕立て場でした。正登さんは、子どもの頃から布団つくりを日常の風景として育ちました。やがてのどかな田園風景が広がっていた長岡京市も人口がどんどん増え、小学校が新設され、駅前の商店街は活況をきわめていきます。重田ふとん店も店舗を改装して仕立て場を売り場にしてたくさんの商品を置くようになりました。「家の出入りはシャッターを開けたり閉めたりだったので、どこも家はそういうものだと思っていました」と笑って話してくれました。
大量生産、大量消費のバブル景気の時代に、これまでの日本の暮らし方は急速に変化し、様々な商品が売り出されていきました。そのようななかで重田ふとん店は、新たなブランドやアイテム数を増やしながらも西陣時代からの職人さんによる、優れたものづくりを変えることなく大切にしました。そして後継者となり布団作りの職人でもある正登さんも「どこへ出しても恥ずかしくない」商品作りを継承しています。
日本の文化や精神も垣間見える布団
「質の良い睡眠」「安眠できる音楽」「快眠」など、眠りについての関心は以前にも増して高まっているように感じます。布団はそのためにとても重要です。今は本やインターネットでも情報があふれていますが、身近なところで相談するのが一番です。
押し入れに長い間しまったままの来客用だという布団、ほとんど使わなかった嫁入り道具の豪華な布団、おばあちゃんが作ってくれた思い出の布団、長く使って綿が固くなった布団。思い返してみると心あたりがあるのではないでしょうか。これを捨てるのではなく、打ち直しによってよみがえらせ、快適な眠りに役立てることができます。
1年間に大型ごみとして廃棄される布団は1億枚にものぼるそうです。1枚の布団を作るためには、たくさんの綿と布団側となる布が必要です。それを無駄にすることなく、手をいれながら長く使うことが数十年前まではごく普通にされていました。今またそういった暮らし方が求められている時なのだと実感します。実際に打ち直しを希望される件数は多く、すべてには応えられない状況ということでした。打ち直し、丸洗いなど要望や布団の状態によって最善の方法を示してくれる頼もしい布団屋さんとして信頼されています。
またそれには優れた技術でつくり上げる職人さんの腕があってこそですが、その点でもそれぞれの工程でしっかりした連携で仕事を進めています。
布団のサイズに合わせて角まできちんと綿が入り、ふんわり、そしてきりっとした見た目にも美しい、手作業だからこその仕上がりです。考えてみれば、布団は綿と布に針と糸で完成されています。それだけの道具と材料で完結するということにおどろき、感心します。また取材では布団にまつわるとても興味深いお話も聞きました。
敷、掛布団でも座布団でも、中心と四隅の角にある房のような糸の美しさにも心が引かれます。これは「とじ」といい、中の綿が動かないようにしています。綿の固定という実用的な役割と同時に目で見る美しさ、そして昔から伝えられてきた邪気を払うという意味があります。
正登さんは、西陣時代からの職人さんに「邪気を追い払う房は必ず付けるように」と教えられたそうです。
このとじ方は関東などは二か所とじ十字の形ですが、関西は「三か所とじ」と違いがあります。全体に均一に綿を入れることや、綿がたっぷり入った布団にずれることなく針を通してとじる熟練の技に敬服します。ある時、お寺の本堂で大きな座布団の真ん中にぐっと糸が通り、房が流れている様子を目にして美しさとともに神々しさ、力強さを感じました。布団についての話は「実用と習わし、暮らしの文化」にもつながるとても奥の深いものでした。
こだわりを貫き信頼してもらえる商品作り
取材の日、ご年配のお客様が「こういう布団がほしいのだけれど」と見えました。
応対されていたのは、長年ここで仕事をされている家族のようなベテラン従業員さんです。
子どもサイズの3点セットを見て「この掛け布団がちょうどいいのだけれどもう少し薄いのがほしい。寒いから掛け布団の下に重ねるので」ということでした。サイズ、綿の厚さなどご希望のように作ることができますという説明に「ではあらためてまた来ます」と返されました。正登さんの奥さんはミシン加工も担当されているそうです。布団側は、綿を包み込むために真っすぐ縫わないとならないので難しく、技術が要求されると以前聞いたことがあります。それが家族でできるということはとても心強いことだと思いました。
店内の商品は色あいやプリントのデザインの感覚がすてきだなと思えるものが多くあります。正登さんのおかあさんのセンスで構成されているそうですが、とてもいい雰囲気です。
おかあさんとベテラン従業員さんが着ているスモックがとてもよく似合ってすてきでした。かっぽう着だそうです。とてもおしゃれです。「日本製で素材は綿。洗濯してもしわになりにくい」そうです。
前述の子ども用3点セットの枕は余った生地を使っています。店頭に並んでいる小さな座布団も布団を作った残りの生地を余さず活用したものです。小さくても職人技と良質な日本製生地が生かされた座り心地のよい優れものです。しかし、この生地も段々と手に入りにくくなっているそうです。
住環境が変わり、出まわる寝具も化学繊維が多くなりました。そういった現状のなかでも正登さんは、天然素材、日本製、そして一点一点ていねいな職人の手作り仕立てへのこだわりを曲げずに続けています。取材の途中の「布団を作り始めてから22年か」という、ふとしたつぶやきには様々な感慨がこもっているように感じました。
そして続いた「最後まで見届けます」という言葉には「このお店を続けてください。なくならないでほしい」と簡単に言えることではない現実の重みと同時に、できることは精一杯やっていくというすがすがしい覚悟を感じました。
長岡京市での京のさんぽ道を3回連続でお届けしましたが、家族で営む生業の本当の強さ、あたたかさを感じ、こういう人たちの存在や日々の営みが街をつくっているのだということを改めて強く思いました。
重田ふとん店
長岡京市長岡2丁目1-2
営業時間 10:00~18:00
定休日 不定休