笑顔のお返し 京都寺町の駄菓子屋さん

だれもが目をきらきらさせて、どれにしようかと夢中になる駄菓子屋さん。いつまでもあってほしい大切なものの一つです。京都一番の繁華街、四条通り寺町南界隈の様子は大きく変貌しましたが、そのなかに幅広い年代の人が、吸い込まれていく駄菓子屋さんがあります。
初めてやって来た人も、子どもの頃によく来ていた人も、それぞれの思い出がよみがえり、懐かしさを感じる「船はしや」です。辻清之さん、扶公子さん夫婦で切り盛りしています。だれに対してもていねいで優しい応対に、ふっと顔がほころんで来ます。みんなを楽しく幸せな気持ちにしてくれる、とっておきの場所です。

グラフィックデザイナーの夢を乗せた店内

船はしやの店頭
いったいどのくらいあるのか想像もつかない量のお菓子やおもちゃ、人気キャラクターのお面がぎっしり、圧巻の店内です。入ると同時に迷ったり興奮したりの探検が始まります。「全部でどのくらいあるのですか」と、よく聞かれるそうですが、ついその言葉が口をついて出てしまいます。以前、おもちゃとお菓子で1,000種類くらい、お面は約300 種類と聞いたたことがありますが、今もその時と変わらない、わくわくする店内です。
船はしやのざる絵船はしやのざる絵
選んだ商品を入れるざるには「ざる絵」と呼んでいるイラストが描かれた紙が敷いてあります。イラストも、そこに添えられた言葉も清次さんの作です。お祭など季節の風物や職人尽くしなど、京都の情緒や伝統行事が楽しく描かれています。清次さんは若い頃、グラフィックの仕事を希望し、大手印刷会社に就職が決まっていましたが、卒業と同時に店を継ぎました。そこから50年。商品POPをはじめ、清次さんの夢がかたちになって店内にあふれています。

ざる絵の話をする辻清之さんと扶公子さん
ざる絵の話をする辻清之さんと扶公子さん

地域の絵手紙教室で講師をつとめたりコミュニテイー冊子に4コマ漫画を連載した、もうすぐ個展が始まることなど、お店だけではなく地元でも絵の技術を生かして活動をしていることを扶公子さんが話してくれました。こういう場面も自然と息が合っていて、その雰囲気もお店の魅力です。遠くに住んでいるお孫さんにお誕生日のお祝いメッセージをLINEしたと、そのイラストを見せてくれた時は二人とも、幸せな「じっちゃん、ばっちゃん」の顔になりました。

流行りの鬼滅イラスト入りお孫さんへのメッセージ
流行りの鬼滅イラスト入りお孫さんへのメッセージ

代々のアイドルねこたちも、イラスト化され広告塔になってきました。ダンちゃん、オムちゃん、そして今も健在のジュンちゃんです。辻さんの子どもさんはみんな本好きだったことから、近所の本屋さんにちなんだ名前をつけたそうです。こんな楽しい話や発見がたくさんある船はしやです。

駄菓子の仕事から見えてくる社会の様子


船はしやは、五色豆の老舗として知られる寺町二条の船はしや総本店から分家して、清次さんのお父さんが昭和2年(1937)に豆菓子の製造卸とお菓子の小売り店として開業しました。清次さんも「煎り豆マイスター」として表彰されています。
寺町通綾小路下るにある船はし屋
電気街としてにぎわいを見せた寺町通りは、平成に入ってから電気店の減少が始まり、相次いで撤退していきました。また寺町通りの名前が示すように、仏具店、線香、すだれ・御簾などの専門店が並んでいましたが、ホテルと宿泊客のための飲食店が増えるなどまちの風景もさらに変わりました。
船はしやの店内
そして今また、コロナウイルスにより急激な変化が起きています。いつもよく話す明るい子が、最近はしゃべらなくなっているなど、お店にやって来る子どもたちもその影響を受けていると感じています。学区の運動会やお祭など行事が次々と中止になり、友だちとも自由に遊べないなど、おとなも子どもも、これまでとは違う毎日が続いていることを気にかけています。
仕入れする商品も国内生産は減少を続け、海外生産が増えているそうです。後継者の問題や利益が薄いこと、嗜好の変化、インバウンドの需要に合わせて生産していた商品の生産停止など、継続を困難にする要因があげられます。

「ひとり勝ち」状態の鬼滅の刃シリーズは、入荷してもすぐに品切れになり、人気は衰えそうにありませんが、昔ながらのロングセラーのきなこ飴、きなこ棒、もち類、いか、するめ類なども店頭に並んでいます。また季節の決まりのお菓子「柚子おこし」や昔懐かしいはったい粉や豆菓子、あられなど京都で長年親しまれているお菓子もあります。
国内の製造所の多くが、家内工業の小さな規模だそうです。商品の袋に記載された製造所の住所を見ると、家族や少ない従業員さんで、がんばってお菓子を作っている様子が目に浮かぶようです。そして、ほっとできる場所になっている駄菓子屋さんのある幸せを感じます。

ふたりだからできる仕事を元気に続ける

船はしやの店頭
いくつもの段ボール箱で納品された、おびただしい数の商品の検品、値付けがタブレットを使って始まりました。そしてあるべき場所へ次々と並べられていきます。入り口から奥、周囲の壁、そして天井まで目いっぱいの商品なのに、ささっと配置していく、その記憶力に脱帽です。
またお客さんの会計は、20個、30個の点数であっても暗算です。体と頭脳の元気さに脱帽です。

遊びながら学べると人気の知育菓子
遊びながら学べると人気の知育菓子

最近の特徴的な売れ筋は「知育菓子」ということです。家族でおもしろく遊べるひと時を、金額も手頃な知育菓子がつくってくれているようです。また在宅ワークの広がりからか、おとなのお客さんが買っていくことも多いそうです。夢中になれる時間はだれにも必要なのだと感じました。お店でアルバイトをしていた人が30年ぶりに遠くから来てくれたり、子どもの頃いつも来ていた人がおとなになってたずねてくれるなど、うれしい再会もあります。観光客や関西圏のお客さんの姿も多く見られます。
「子どもの頃、100円玉を握って必死に選んでた」「こんなに大きい袋にいっぱいで1000円。ものすごいお得感」など口々に話しながらお店を後にしていました。一個税込み20円、30円などばら売りを多くして、子どもの普段のお小遣いで買えるようにしています。

清次さんは大学で、駄菓子屋と子どもとのかかわりついて講義もされました。駄菓子の歴史から人間関係論、流通や国際経済等々、多岐にわたる内容です。「駄菓子屋を知らない」という若い人も多くなっている一方で、SNSで知ってやって来る人も少なくありません。地域で子どもたちを見守り続けて50年。去年金婚式を迎えました。「二人とも健康だから、これまでやってこれた。一人ではできない仕事」と、口を揃えました。
まちの様子は大きく変わっても、船はしやは変わらぬたたずまいと笑顔でみんなを迎えてくれます。京都の庶民の文化と楽しさここにあり、です。クリスマスやお正月、子どもたちの明るい笑顔と元気なおしゃべりが聞こえますように。

 

船はしや
京都市下京区 寺町通綾小路下る中之町570
営業時間 平日 13:30頃〜18:00頃 土・日・祝 12:00頃〜18:00頃
定休日 木曜日

家族で営む京都のほっこり ちから餅食堂

朝晩の冷え込みに秋が深まります。通りを歩いていたら、出汁のいい匂いが漂ってきて「あったかい、おうどん食べよか」とお店へ入ります。うどんの味とともにお店の人と交わすひと言、ふた言にほっこりする。そんな小さな幸せが気持ちを満たしてくれます。初代が住み込み奉公から独立して構えたお店を、家族で切盛りする地域密着のお店、伏見区の「ちから餅食堂」の、のれんをくぐりました。

住み込み奉公から築いた食堂


京都市内に点在する「力餅食堂」あるいは「ちから餅食堂」と名前に「餅」がついた食堂は、どこも地域の人が日常的に使うまちの食堂です。関西以外から就職や進学で京都へやって来た人、また通常の観光ルートを外したまち歩きをした人は、この力餅食堂を「おもしろいな」と思った人もいることでしょう。
今回、取材させていただいた伏見区深草の商店街にある「ちから餅食堂」は、店主の柿中清隆さんの父親、清次さんが昭和41年に独立開店しました。清次さんは、同じく伏見区の大手筋商店街の力餅で住み込み奉公を務めた後に、親方からのれん分けを許されました。
ちから餅食堂の店内
力餅についてひも解いてみると、明治22年(1889年)に池口力蔵さんという方が開いたお饅頭のお店が始まりでした。それがお饅頭などの甘味に麺類や丼物を加えた庶民的な食堂へ発展したのだそうです。特徴は、一定の年数、経験を積んで、良しと認めた人をのれん分けして独立させていったことです。そこがチューン展開やフランチャイズ店と違うところで、みんな独立した一国一城の主です。こうして力餅食堂は、京阪神に広がっていきました。のれん分けのお店はみんな、交差した杵を染め抜いたのれんをかけています。

ちから餅食堂の調理場
手前の大きな機械は餅つき機。奥には孝子さんの姿が見えます。

清次さんの修業時代は弟子が7人もいたそうで、つらいこともあったと思いますが、奥さんの孝子さんとともに、晴れて念願の開店の日を迎えた時は、言い表せないほどの喜びだったことでしょう。清隆さんは、会社勤めをしてから後継ぎとなって今年でちょうど20年たちました。「サラリーマンから、まったく違うこのお店に入って大変ではなかったですか」とたずねると「子どもの頃からずっと、父親の仕事を見て育ったので、違和感は全然ありませんでした。ケーキ屋になれと言われたら困ったでしょうが」と笑って答えました。お店は地域に根付いて55年。家族で力を合わせて守る「柿中のちから餅」の味と、ほっとできるひと時に、多くの人がやすらぎを感じています。

安定した、飽きないおいしさ

ちから餅食堂店頭は真由美さんの担当
店頭は真由美さんの担当

朝6時から仕事を始め、10時には店頭のショーケースに二種類のおはぎ、いなり寿司、お赤飯が並びます。この売り場の担当は清隆さんの姉の真由美さんです。
開店早々にみえるお客さんの「いなり5個に、お赤飯1パック」「私はおはぎ。きな粉2個に小豆3個。あ、お赤飯も」などという様々な注文の品を手早くパックに詰め、代金を受け取っておつりを渡しています。そのきびきびした仕事ぶりと「おはようございます」のあいさつが、朝の始まりを気持ちのよいものにしてくれます。お客さん同士が「いや、久しぶりやね」などと言葉を交わす光景は、なかなかいい感じです。

ちから餅食堂の店内
清隆さんの奥さんのみさきさん

10時を少しまわると、店内にもお客さんが入り始めました。中は清隆さんの奥さんのみさきさんと母親の孝子さんの持ち場です。常連らしいお客さんは「いつものお願いとだけ言いました。みさきさんが、厨房の清隆さんに注文を通し、いなり寿司1個を「どうぞ」と運んで来ました。「いつものだけで通じるのですね」と思わず声をかけると、笑って「つーかーの仲やから」と返ってきました。
お昼の時間は近所で仕事をする人たちがいっときにやって来ます。清隆さんは「特に今は密を避けないとならないので、だんどりが大事で、それが狂うと大変ことになります。お客さんも協力してくれます」と話しました。お客さんとお店の間合いがみごとです。
ちから餅食堂のあんかけうどん
うどん屋さんの中華そばが好きと言う人も多く、また餅うどんを毎回注文する人もいます。「中華そばにしたいけどお餅も食べたい」という人には、希望の数のお餅を入れてもらえます。
このお餅は餅搗き機で店内で搗いています。チャーシューも自家製、おはぎの小豆あんも炊いています。朝6時からの仕事です。ちから餅の味はどれも、あっさりした出しゃばらない味です。だから、いなり寿司を麺類や丼物と食べても、それぞれの味を邪魔せず食べ終えることができます。また「ひと口サイズ」が多いこの頃には珍しく、いなり寿司もおはぎもたっぷりおおらかな大きさですが、濃い味付けではないのでメインメニューと一緒でも完食できるのです。
ちから餅食堂のいなり寿司
いなり寿司のすし飯には黒ごまとにんじんがまぜ込まれていますが、そのにんじんの刻み方の細かさ、丁寧さに驚きました。こういうところにも、お店の実直な仕事と姿勢が垣間見えます。孝子さんと、みさきさんの「ゆっくりしていってくださいね」という言葉に本当に気持ちがこもっていて「また来よう」と思うのです。

みんなが今日も足を運ぶ商店街

ちから餅食堂のある深草商店街
ちから餅食堂は、深草商店街の通りにあり、近くの深草小学校の子どもたちの通学路でもあります。学校帰りの子どもたちが「あ、出汁の匂いや」と言って通っているそうです。深草小学校の「校区探検」の行事で、子どもたちが見学にやって来た時の感想のまとめが、お店に張ってありました。

深草小学校の子どもたちの地域探検レポート
深草小学校の子どもたちの地域探検レポート

「お餅は搗くもの」だということを初めて知った子は、餅搗き機のイラスト付きです。「人気NO.1中華そば」の文字も見えます。小学校の子どもたちが、地域のことを知ることはとても大切なことです。毎日の暮らしを支える地元の商店街の生き生きした姿や、プロの知識や仕事ぶりに、きっと発見や感じたこがあったと思います。
さまざまな業種がそろい、お客様が通う商店街の存在はこれからますます重要になってくると思います。コロナウイルスの影響で、商店街や学校のイベントも中止となり、さみしい状況が続きましたが、この商店街を必要とする地域のみなさんを支え支えられる、双方向の強さと気取りのない明るさのある商店街です。清隆さんは「深草商店街振興組合」の理事と動画プロジェクトのメンバーもつとめ、商店街の仕事にも一生懸命です。
ちから餅食堂のおはぎ
お店には、学生時代に来ていた、子どもの頃よく親に連れて来てもらったという人が、20年ぶり30年ぶりに現れます。そして異口同音に「この店あって良かった。前と一緒や」と言うそうです。家族で営む、みんながほっこりできるかけがえのないお店、ちから餅食堂は、これからも多くの人を、変わらぬ味とあたたかい心で迎えます。

 

ちから餅食堂
伏見区深草直違橋2丁目425-1
営業時間 10:00~18:00
定休日 日曜

深草商店街振興組合

京印章の 1000年先をつくる

社内の書類、様々な手続きなど、はんこが必要な場面は多くあります。高校卒業の記念品として「はんこをもらった」という人も多いと思います。自分の印鑑を持つことは、おとなになった気持ちを促します。
行政手続きでの押印廃止案が発表され、メディアでも頻繁に取り上げられていますが、そのような騒がしさとは別に、印章(はんこ)は、長い歴史のなかで培われてきた技術と、崇高な文化を持っています。数センチの限られた面積のはんこに込められた作り手の思いと、その可能性について、府庁前のはんこやさん、河政印房の河合良彦さん、祥子さんに話をお聞きしました。

日本のはんこの源「京印章」

河政印房
府庁前に、大きく「はんこ」と書いた看板と「年賀状印刷」「お急ぎの実印、銀行印、認印すぐ彫ります」の張り紙も見えます。
はんこの代表的な文字は「篆書体」ですが、秦の始皇帝が決めたとされる「小篆」という書体、その後の漢の時代に「印篆」という印章に適した書体が生まれ、これが「京印章」の代表的な書体となったそうです。
金の落款
良彦さんは、このような歴史や印章全般についても、よく勉強されている「学究肌」の職人さんです。このように成り立ちの一端を聞いただけでも、はんこの奥深さを感じます。
「京印章」は、地域ブランドとして国から認定を受けています。平安時代からの伝統と技術を受け継いだ職人が京都でつくる印章を京印章と規定しています。

珍しい竹の根のはんこ
珍しい竹の根のはんこ

店内に様々な書体の「寿」の印を押した色紙が展示してありました。これは、良彦さんと祥子さんが所属する京都印章技能士会の取り組みで、100種類の寿を彫るというものです。色紙には妥協のない技術と、強く静かな心持ちがみなぎっています。来年には100種類に届く予定とのことで、京印章に新たな歴史が刻まれます。

尊重し合い刺激し合って、高みをめざす


河政印房は、良彦さんが三代目です。大学卒業後、地元の会社に就職しましたが、お父様が体調を崩されたことからサラリーマンとお店の二足のわらじの生活になりました。そして、残念なことにお父様が亡くなられ、決断の時は早く来てしまいました。その頃のはんこやさんは、注文を受けてそれを職人さんに発注する形態でしたので、良彦さんも、職人としての仕事を教えられたわけではなかったのです。しかし、せっかくここまで家族で守ってきた店を閉めるのはもったいないと、会社を退職して店を継ぎました。そして、外注して売るだけでは、はんこは、いつか消えてしまう、自分でもはんこを彫れるようになろうと決心して、職人さんに教えを乞う道を選びました。奥様の祥子さんは、結婚するまで歌劇のステージという、まったく違う世界で活躍されていましたが、職人の道を良彦さんと一緒に歩み始めたのでした。

苦労のあとを微塵も感じさせない、明るいお二人ですが、話し尽くせないほど様々なことがあったことと思います。祥子さんは時々「私たち本気やなあ。よし、本気や」と、お互いに確かめ、自分自身でも確認してきたと語ります。「大変苦労をされたと思いますが」という問いに「楽しかったのです。今も楽しいです。限られた面に、私なりの表現ができた時は本当にうれしいですし、もっと、もっと上手になろうと、いつも思います」と続けました。

はんこを彫るには、最初にお客様の好みや使用目的などに沿って、書体を決め、文字を入れるバランスなどデザインを考えます。次にそれを左右逆にした鏡文字にして、印材の面に筆で書いていきます。次は荒彫り、仕上げ、微調整という工程となります。手彫りの仕事は、見ているこちらも思わず息を詰めるほど、集中しての仕事です。その極小のスペースに広がる文字の深い世界に圧倒されました。彫りの技術以外にデザイン、書、印材など幅広い専門的な力が求められる仕事です。かたわらには、何本もの印刀が並んでいます。中には仕事を辞められた大先輩の職人さんから譲ってもらったものもあるそうで、とても大切にして手入れを怠りません。
はんこを掘る道具京もの認定工芸士の証
お二人はともに、国認定の一級印章彫刻技能士、京都府の京もの認定工芸士の資格があります。また、今年の10月には、大阪府技能競技大会に二人で出場し、祥子さんは並みいるベテラン職人さんのなかで、みごと2位に入りました。この結果を、お子さん達や先輩の職人さん達も喜んでくれたそうです。
「職人夫婦」と自ら語るお二人ですが、話しの端々から、お互いに尊重し合い、刺激し合って、京印章の高みを追求していることが伝わってきました。「彼女がワークショップで実技指導をすると、みんな本当に楽しそうで、雰囲気がすごくいいのです。デザインも繊細で感性にあふれていて」と良彦さんが、語ると「それは前段で、主人がはんこの知識をいろいろ楽しく話すので、みんな興味を持ってやってくれるからです」と、祥子さんが受けます。この間というか呼吸が絶妙です。ものづくりの道を歩む同士として、またお互いの仕事の環境をつくる家族として、そのひたむきな姿勢が、まわりも勇気づけているのだと感じました。

自在に広がる、異業種のものづくりの輪


10月の末、京の台所、錦小路の店舗の一画で「錦市場で伝統工芸 @丹後テーブル」というミニ展示会とワークショップが開かれました。飾金具、金箔、漆工芸、そして印章の4業種です。たくさんの人に楽しんでもらい、手応えがあったそうで、次はこういうものもいいね、などと話しをしたそうで、今後に期待がふくらみます。
このように、異業種の志を同じくする人たちとの出会いは大きなみのりをもたらしてくれます。京のさんぽ道でご紹介した「京都におもしろい印刷会社あります」の修美社さんの企画にも参加され、文字とはんこの世界を広げています。

新製品のシーリングスタンプ
新製品の封蝋(シーリングスタンプ)

「脱はんこ」が注目され、テレビや新聞の取材が相次いだそうですが、河政印房では、もっと以前から、はんこの新しい方向性を考えていました。実印、銀行印など今まだ必要とされるはんこはもちろんのこと、遊印、花や和柄をモチーフにしたかわいいはんこ、落款、さらに封蝋(シーリングスタンプ)など、新しい企画商品が生まれています。はがきや手紙、スケッチなどに押した、朱肉のワンポイントの色は、若い世代にも、きっとすてきに映ることでしょう。生活を豊かにし、楽しむことに、はんこを使う人が増える可能性を感じます。
「パソコンが普及すれば、なくなっていくものも当然あるでしょう。だから時代にも、技術にもしっかり向き合っていきます」と明快です。作り手の個性があらわれる、はんこ。「注文した人とはんこと職人は、一期一会。そういう気持ちで彫っています。京印章の歴史は千年ですが、次の千年を今の私たちがつくっていくのだと思っています」
取材中も、注文したはんこを受け取るお客様が続けてあり、電話での問い合わせも次々かかってきました。身近にある、まちのはんこやさんを、みんなが頼りにしています。

 

河政印房
京都市中京区丸太町釜座東入 梅屋町175-1 井川ビル1階
営業時間 月曜~金曜 10:00~20:00 土曜13:00~17:00
定休日 日曜、祝日

京都西山、竹の春 竹林の農小屋完成

京のさんぽ道「暮らしの営みや人とつながる建築の喜び」でご紹介しました山の竹林の農小屋が、竹林を管理する石田昌司さんの見守りと理解、京都建築専門学校の佐野春仁校長先生と学生さんたちの、献身的な作業のすえに完成しました。構想から2年近く、寒風に吹かれ、雨に打たれ、蚊の襲撃に耐え、ついに迎えたこの日をお祝いする集まりは、限られた人数となりましたが、とても心あたたまるものでした。

秋のしつらいのお披露目茶席


板戸が閉められた小屋の中は午後の光が弱まり、しんとして「陰翳礼讃」の世界に招かれたようです。前日まで作業が続けられていたとは思えない静けさです。藁がすき込まれた壁と掛花入れの秋明菊(しゅうめいぎく)が、一層ひなびた秋の風情を漂わせています。もう一つの白釉の花入れには秋明菊と秋海棠(しゅうかいどう)が入っていました。このお茶花は佐野先生の心遣いです。

密を避けるために一席を少人数にしてあり、ゆっくりと一服をいただくことができました。一緒の席になった初めて会う方とも、自然に会話ができる、こういった間合いを心地よく感じます。久しぶりにお茶の席に座ってみて、和やかさと一種の引き締まった空気が共存する空間は、やはり良いものでした。
この時のお点前は、建築専門学校2年生の浅原海斗さん、前回の京のさんぽ道に、土練りや壁塗りに奮闘する姿を取材させていただいた松井風太さんの同級生です。浅原さんのお家は左官業を営んでいると聞き、職人さんの技術を子どもの頃から日情的に目にして、体のなかに刻み込まれているのだろうなと思いました。若い世代は頼もしい、という感を強く持ちました。

出窓には、柿の照り葉の上に、いが栗が乗せられていました。これは石田さんの畑の栗で、自らしつらえました。お菓子も秋の装いの栗きんとんです。参加者の方の、お手製と聞きました。しつらいからお菓子まで、すべてに心がこもっていました。準備はさぞ大変だったと思いますが、大変なだけでなく、楽しみながら準備してくださった様子がうかがえた、心地の良い披露目のお茶会でした。こういうお茶会なら「堅苦しいからいや」と敬遠している人も「お茶って、案外いいね」と感じるのではないかと思います。
季節は「竹の春」。筍に栄養を使い、葉を落とす時期を「竹の秋」、養分を蓄えて青々と葉を繁らせた今を、竹の春と呼びます。いずれも季語となっています。
そんな俳句の世界にも通じた、豊かな季節感を感じられたのは「農小屋のお茶席」だからこそと感じました。

五感の楽しみを贈ってくれた友情の輪


竹の皮のお弁当箱に、きれいに詰められた秋の彩りのご馳走は、お茶のお菓子を担当してくださった管理栄養士さんの薬膳のお弁当です。美味しくて体に良いものが何種類も入っています。いちじくは石田さんの畑のものでした。
タイの弦楽器サロータイの笛「クルイ」
そして、お茶をいただいた小屋の板の間が、小さなコンサートのステージになりました。民族音楽の研究のため、タイから日本に来られている演奏家の方の音楽の贈り物です。
ココナツの胴に板を張った「サロー」という弦楽器と「クルイ」という笛を演奏していただきました。サローは見た目には簡素ですが、とても深く、様々な表情のある音色でした。クルイもやわらかく素朴で郷愁を感じる音を奏でていました。演奏者のお人柄もあるのか、やさしさが伝わってきて、涙ぐみそうになりました。
竹の葉ずれや風の音も、演奏に合わせているかのようでした。国や言葉、それぞれの立場等々を超えて、心を通わせ、思いを共有できるすばらしさ、尊さが胸に刻まれたひと時でした。

農小屋の未来図をみんなで描く


当日は、お隣の大山崎町のふるさとガイドや、えごま油を復活させる会で活躍されている方や、長年竹に関する活動に参加されているみなさん、竹林の前の持ち主の方、竹林の向い側にお住まいの方も参加され、お祝いして頂きました。農小屋が、小さくても地域につながるきっかけをつくり、その輪が広がっていくように願っています。

農小屋には、筍掘りの道具などを仕舞います。また、竹林の作業は筍掘り以外にも幼竹伐りや、秋に藁敷き、冬に土入れなど、大勢でする仕事があり、そういう時にも活躍します。できる作業に参加して、多くの人がたけのこ栽培や竹林をきれいに整備し、保つことの大変さを知ることにつながればと思います。
また「伝統構法」で建てられたこの農小屋は、その見どころや日本の建築の初歩から教えてもらうことがたくさんあります。そして、青竹の雨樋や、それを受ける800kgの雨水タンクを埋めこむための地盤強化、足場がそのまま見えないように間伐した青竹を置くなど、自然に沿った構法や工夫にも着目です。石田さんと佐野校長先生、学生さんのチーム力があったからこそ、この日を迎えられたと感じます。

山の竹林の農小屋は、今年の卒業生と2年生のみなさんの、2年間の学校での学びの証です。松井さんと浅原さんが「壁の色や窓枠のべんがら色の赤が、どんな風に変化していくのか見たい。経年変化が楽しみ」と話していました。竹林の季節を感じながら、新しい集いの場となりますように、期待をこめてこれからもみなさんの取り組みを、しっかりお伝えしてまいります。

 

京都建築専門学校

京都の三味線職人と 職住一体の路地

京都のなかでも最も華やかな祇園界隈。顔見世興行決定の話題に湧く南座の近辺は、和装小物やぞうり、べっ甲、和楽器店などの専門店があり、三味線の爪弾きが聞こえてきそうな情緒を感じます。
「歌舞音曲」と言いますが、今まで縁のなかった邦楽のことを知る機会がありました。三味線職人であり、弾き手としても活躍するその人、野中智史さんの工房で話をお聞きしました。

棹や胴、皮張り、分業の三味線製作

野中智史さんの作られた三味線
三味線は多くの場合、分業制がとられていて、主に「棹」「同」「皮張り」に分かれて仕事をしています。
野中さんは棹作りです。工房には作業中の棹とともに、材料の木や様々な道具で埋まっていますが、整然とした感じがします。使う場所や作業の内容により、ノミだけでも何種類も使い分け、のこぎりや木づちまであります。

取材に伺った時は棹の修理中で、手元に置いた砥石でノミを研ぎながら、丹念に仕事をされていました。このような道具も、熟練の職人技で鍛えられたものですが、柄が継ぎ足されているなど、使いやすいようにカスタマイズされています。
何年も使い込まれたノミは、新しいものと比べると、先が、ずいぶんすり減っていました。まさに自分の手先となっています。三味線は通常三つ折りの仕様で作られますが、昔は「八折り」作らせて、職人さんの技を披露させた酔狂な人もいたのでそうです。

野中さんは、現在の工房の近く、祇園界隈で生まれ幼少を過ごしました。三味線や常磐津など邦楽を教える人も身近にいて、4歳から、けい古を始めたそうです。高校卒業後、伝統産業の専門学校に入学し、20歳の時に卒業制作の三味線を完成させたのが最初ということです。20歳の時、師匠のもとへ弟子入りを志願し、3回めにやっと承知してくれた時にかけられた言葉は「ただし、給料は払えない」でした。アルバイトをしながら師匠のもとに通い、やっと三味線で暮らしていけるようになったのは27~28歳の時だったそうです。
そして今日、京都に二人しかいない、棹作り職人の一人となって伝統の三味線作りを担っています。

野中智史さんが作った三味線の部品
三味線には、固くて緻密な木材である黒檀、かりん、紅木(こうき)が使われていますが、木目も美しい紅木が最高なのだそうです。実際にかりんと紅木の棹用の木材を持たせてもらいましたが、その固さと重さに驚きました。三味線の作り手がほとんどいなくなったと同じように、木材も枯渇してきて、あっても良い材が少ないということでした。危機には違いありませんが「良い音が出るなら、他の木でもいいのです」という野中さんの言葉に、悲観ばかりするのではない、こんな柔軟な思考がとても新鮮でした。かたわらのブリキの中には、木端がたくさん入っています。「捨てられなくて置いているのですが、修理の時に良い具合に使えて役に立ちます」ということでした。日々三味線に向かう、職人さんの言葉だと感じました。

いくつものけい古事のなかで唯一続いた三味線


野中さんは、先述したように幼い時から、芸事に親しんできました。謡、仕舞、踊り、常磐津のけい古もつけてもらったそうです。そして三味線だけは、途中で途切れることなく習い続けました。三味線の魅力を「フォルムも音色もすべてが美しい」と語る言葉に、好きを超えて、三味線と二人三脚のようにして、この楽器を究めていく姿を、垣間見た気がしました。
野中さんは、古くからの知り合いの依頼で、「ジャンルは色々、散財節」を、お座敷の宴席で弾いています。散財節とは「芸妓さん、舞妓さんを呼んで散財する」ことからきているとのこと。そういった粋なあそびをするお人が、まだいるいうことなのですね。最初に野中さんと会った時は、宴席での仕事が終わったところでした。銀鼠色の単衣に黒の絽の羽織を重ね、惚れ惚れする姿でした。
野中さんは「小唄くらいなら、だれでも気軽に始められます。初心者でも教えてくれるお師匠さんもおられますので、ぜひ、邦楽の世界をのぞいてほしい」と、思っています。また、芸術系の大学や、長唄三味線の方のワークショップ、お寺の檀家さんの集いなどで、講演mされています。縁遠い世界と食わず嫌いにならずに、一歩奥の京都へ、踏み出してみても楽しそうです。

「職住一体」京都の再生、あじき路地


野中さんは、若手の作家たちの、住まい兼工房が並ぶ路地の住人で、住人歴11年になります。空き家だった町家のある路地を再生して、若手作家が巣立ち、近所も含めて界隈の活気を生んだ例として、これまで様々なメディアで紹介され「京都景観賞」も受賞しています。西に五花街のひとつ宮川町、東に奈良の大和へ続く大和大路の間にある、この大黒町通は、町内が機能している地域です。

あじき路地を訪ねる時、目印になる「大黒湯」の高い煙突も、風景としてなじみ、路地にある現代アートのような手押しポンプもしっくりとけこんでいます。今回の取材を通して、ものづくり、職住一体、路地と町家といった、長年培ってきた京都の本来の姿は、まだまだ健在であることを認識できました。あじき路地には次々と魅力的な工房やショップができています。
東山区はことに変貌が激しかったここ数年ですが、暮らしのまちは脈々と生きています。

 

あじき路地
京都市東山区大黒町松原下ル2丁目山城町284
*工房もありますが居住もされていますので、訪問の際はご配慮ください。

京都西山のふもとに たたずむカフェ&バー

りっぱな門構え、広々とした敷地の中に、手入れの行き届いた庭に面して、家族で営むカフェがあります。つくばいに入れられた季節の花、また内装や建具にも細部にわたって心入れが感じられ「邸宅カフェ」と呼びたくなる趣です。

しかし、いかめしさはなく、心身が解きほぐされていく空間です。生まれ育った地域で、家族で紡いできた思いが、訪れる人の気持ちを優しくしてくれる大切な場所です。京都の西南、長岡京市の山裾にあるカフェ&バー「花平(かへい)」へお誘いします。

「花平」の名前に込められた思い

花平の外観

花平オーナーの妹の小百合さん
オーナーの妹の小百合さん

花平はオーナーの岡正樹さんと、妹さんの小百合さんの二人で切り盛りしています。50年前に建てられ、ここ20年ほど使われていなかった離れを活かしたいと考え、来た人にのんびり、気持ちのゆとりを感じてもらえるカフェを計画しました。小百合さんは、調理師免許があり、また正樹さんは、大学時代にバーでアルバイトをしていた経験から「昼間はカフェ、夜はバー」というスタイルに決まりました。

細い格子の建具、竹をイメージしてガラスに和紙を張ったバーカウンターの壁など、細部にわたって、明確なイメージがうかがえます。障子に工夫をした屏風式の間仕切りから、やわらかな光が差し込んでいます。木がふんだんに使ってあることも特徴です。岡さんは「木が多いと優しい気持になれるでしょう。僕自身がこういう雰囲気の所がいいなあ、こんな店にいたいなあと思う、そのイメージでつくりました」と語ります。
花平の床の間
この空間の要と感じられる床の間は、黒石を何枚も張り合わせてあり、典型的な和の様式でありながら、正樹さんの言うところの「和モダン」な雰囲気を漂わせています。「花平」の掛け軸は、いとこの方の、書道展金賞受賞作品を軸装されたものです。
岡家のご先祖は代々「平左衛門」を名乗り、名前には「平」が付けられていたそうです。父親の平一郎さんは、植木や造園の仕事をされていて、いけ花のお生花(おせいか)にも造詣が深く、人にも教えておられたそうです。
店名はそこから、お生花を能くされていた平一郎さんにちなみ「花」と、岡家ゆかりの「平」をつなげて花平としました。そして平一郎さんに「花を活けてもらおう」と、設えた床の間でしたが、残念ながら平一郎さんは亡くなられ、かないませんでした。花平にいて感じる穏やかな空気感は、このような家族の間に込められた情愛があって生まれているように感じました。開店から満一年を過ぎ、一度行くと「すてきな所があるよ」と、自慢したくなるお店になっています。

「チーム花平」が機能しています

花平の抹茶ゼリー花平のほうじ茶ゼリー
遠くからやって来る人も多い花平は、常連さんだけでなく、様々な人が交わることでさらに楽しくなる自由で開放的な雰囲気も魅力です。
カフェのメニューには、小百合さんが現在お茶どころ宇治に住んでいる利点から、お茶に関連するメニューが用意されています。老舗の茶問屋から入れている上質の抹茶を使用した「抹茶ゼリー」は、香りと、ふっくらした抹茶の風味が秀逸です。また新たに「ほうじ茶ゼリー」も登場し、こちらはまず、ほうじ茶の香ばしさが感じられ、すっきりした甘さが好印象です。秋の始まりを感じる季節によく合っていました。
花平のおばあちゃんのおはぎ
「これは必ず」と思っていたのが「おばあちゃんのおはぎ」です。おはぎ担当は現在89歳のお母様です。抹茶とほうじ茶のゼリーにも「おばあちゃんのあんこ」が使われています。粒の食感も楽しめて小豆の香りもよく、甘すぎず、さりとて素気ない「甘さ控えめ」でもなく、本当に年季の入った安定の美味しさです。小百合さんは思いの込もった口調で「おはぎにはどうしても、おばあちゃんの、と付けたかったのです。」と語りました。
運ばれてきたおはぎは、ほんのりと温かみが残っていました。おばあちゃんのおはぎは様々なことを伝えてくれます。小百合さんも我が家の味を大切にし、お母様を励ます気持ちもあわせて、メニューに取り入れたように感じました。


お住まいの母屋を、特別に見せていただきました。「文政三年 神足村大工なにがし」と書かれた棟札が見つかったという、寄棟造りの建物は、屋根にも非常に珍しい技法が用いられているそうです。
建物を支える堂々とした梁、毎日の煮炊きで煤けた鍾馗さんたち、職人技の力を感じる葭戸等々、今日まで継承されて来るには、さぞご苦労が多かったことと、その大変さを思いました。

花平のオーナー岡さん
オーナーの岡さん

岡さんと小百合さんは、「おはぎを作ったら近所へ配っていた」「お祭の時は親戚が大勢集まって、鶏のすき焼きをした。それも家で飼っていた鶏だった」など、子どもの頃の様子を、懐かしそうに話してくれました。幼い頃から見てきた習わしや家の習慣は、知らず知らずのうちに身に備わっていくのだと思います。
岡さんは、子どもの頃から「見てないようで見ていた」親の仕事、造園業を継ぎ、花平の庭木の剪定や庭の造作も自ら行い、頼まれて近所の庭の手入れもされています。植木職人とバーのマスターも、岡さんのなかでごく自然に同居できていることに感心します。バータイムには、静かにお酒を楽しみたい人が遠くからも訪れています。お客さんの好みや、時にはオリジナルでカクテルを作ってくれます。夜のしじまのなかの花平もとてもいい雰囲気です。
花平は、大きかった父親の平一郎さんの存在も含めて「チーム花平」で動いています。4月18日の開店1周年の記念日も、その後の営業も、コロナウイルスの影響で自粛せざるをえませんでしたが、再開し、ほっとくつろげる場がもどって来ました。

根本を大切に、さらに進化する花平

花平の外観
花平のある「奥海印寺(おくかいいんじ)」は、早くに集落が形成された歴史のある地域です。かつては山と竹藪に囲まれていましたが、宅地開発が進み環境が変貌した今も、旧村のたたずまいを感じることができます。
長岡京市は最高級の筍産地ですが、岡さんも筍を栽培し、地元の中学校で筍について講義をされています。京都縦貫道も開通し、環境がさらに変貌したなかで、地域の歴史や特産の農産物の大切さ、暮らしの営みを次世代へつないでいくことにも取り組んでおられます。
取材に伺った日は、残暑のなかにも秋の気配を感じられました。小百合さんは、庭のもみじの葉が、ついこの間までは緑色だったのに、気がついたら葉先が赤く色づき始めていたと、季節は確実に移ろっていることを教えてくれました。
縁側から入る午後の西日を、屏風のように仕立てた葭戸が和らげてくれました。秋から冬にかけて、縁側のひだまりが気持ちよさそうです。「根本を変えず、発想を変えて進化する」「自分が楽しいことをやる」この名言がかたちになっている花平の進化は、とどまることを知りません。

 

カフェ 花平(かへい)
長岡京市奥海印寺北垣外20
営業時間:カフェ10:30~17:00
◎休業日;日、月、火、水

だれもが笑顔になる 京都の猫本サロン

あどけない子猫、目やにのついたとぼけた表情の猫、不敵な面構えのボス風等々、たくさんの猫が迎えてくれます。思わず顔がゆるみます。棚一面に収められた2000冊以上もの本の中にいる猫たちです。ここは猫と人、人と人のよい関係を紡ぐ猫本専門の古本屋さんです。猫と本と旅をこよなく愛すオーナーと、店長を務める妹さんの櫻井映さんの、猫への愛情に満ちた店内には、今日もゆるく和やかな空気が流れています。地元の人が普段使いする商店街の猫本サロンを、久しぶりに訪ねました。

自由で気楽なサロンは開店3周年

猫本サロン サクラヤ
この京のさんぽ道でも「毎日通いたい京都三条会商店街」でご紹介した「猫本サロン 京都三条サクラヤ」は、文芸書、世界の名作、写真集、文庫、雑誌など、2年前よりさらに増殖し、よくも集めたり、天井近くまでぎっしり埋まっています。猫の本て、こんなにあるのかと思います。「どうぞ、手に取って見くださいね」と声をかけてもらい、夏目漱石、内田百閒、ヘミングウエイという文豪から岩合光昭など、洋の東西を問わず猫と深い結びつきのある作家や写真家、イラストレーターの本や作品集をゆっくり見ることができます。ミュージシャンにも猫好きが多いことを知り、ほのぼのとした気持ちになりました。なかには、現在、なかなか手に入らないものもあり、インターネットでの問い合わせや注文にも対応しています。
陶器の猫たち

立命館大学猫の会RitsCatのグッズ
立命館大学猫の会RitsCatのグッズ

本と同じように旅が好きなオーナーが、本に出てくる国や場所を訪ねた時に求めた、陶器の猫たちも、トルコ、ロシア、ウズベキスタンなど国際色豊かに並んでいます。作家さん持ち込みのポストカードや可愛い猫柄のマスクも あります。また、大学生がキャンパスで世話をしている猫の保護資金を得るための、猫の写真のポストカードやシールを置いたコーナーが、良く目立つ棚にあります。猫のしあわせのために頑張る、オーナーの大学の後輩たちへのエールです。ついつい長居をしてしまう人が多いのもうなずける空間です。「みんなが自由に気軽に集まり、楽しくいられるサロンに」という思いは、しっかりと3年の実りをみせています。猫本専門の古本屋さんは他にないそうですが、サクラヤの本はどれもきれいで、状態の良いものばかりです。仕入れたすべての本をアルコールで拭いて埃を落とし、透明のカバーをきちんとかけています。なかには新刊本と思いこんでいて、支払いの時に定価と違うので「え、これ古本なのですか」と驚く人もいるそうです。こういった本を大切にする心入れの一つ、一つも居心地の良い空間をつくっているのだと感じます。

小さな生き物への愛情は筋金入り

猫本サロン サクラヤの店内
映さんは、ご両親とお兄さん二人に弟さんの6人家族で育ち、お父さん以外は全員猫好きです。映さんがもの心ついた時にはすでに、家には猫が数匹と犬に小鳥がいたそうで、まさに小さな生き物たちと家族同様に育ちました。お母さんは「つい目が合ってしまったから」と捨て猫を度々連れ帰っていたそうです。家にいた猫や犬のエピソードは語り尽くせないほどです。

「子ねこが生まれる時にはお母さん猫が呼びに来ました。お腹をさすってあげたり、全部生まれるまでずっと一緒についていました。小学校の頃からお産婆さん役をしていたのです」と、微笑んで話をされた時には驚きました。逆児で難産だった時は、お母さんとふたりで必死に子ねこを取り上げたそうです。強い兄弟猫に押しやられて、なかなかお乳を飲めない弱い子ねこは、弟さんも自分のふところに入れて温め、授乳や排泄もさせてりっぱに育てたというのですから、櫻井家のみなさんの、猫との向き合い方は筋金入りです。
猫嫌いだったお父さですが、最後に白い子ねこ生まれた時に「白猫は神さんのお使いやから、よそにはやらん」と猫好きに鞍替えされ、その猫は20歳という長寿を全うしたそうです。
櫻井家には犬もいましたが、白猫が亡くなった後にやって来た黒トラねこと、とても仲が良く、黒トラが亡くなった時は、一週間くらい、その姿を探し回っていたという話や、お母さんが亡くなった時、そのわんちゃんは、ずっと側にいて4日間ごはんを食べなかったという話を聞いて、胸がいっぱいになりました。みんな本当に家族なのです。
サクラヤのあたたかい空気感は、猫本がたくさんあるからだけではなく、猫や犬と一緒に暮らし、気持ちを通わせた家族として最後まで見届けたことから生まれていると感じました。

猫が人の輪を広げてくれる、ゆるい場所

猫本サロン サクラヤの店内
映さんは「私は書店の仕事の経験がないし、本について知らないことが多いけれど、お客さんに教えてもらって、いろいろなことを知ることができました」と語ります。「こういう本はありませんか」と聞かれると「どこかにあるかなとお客さんと一緒に探したり」と笑います。このゆるく、それでいて親身な接客もサクラヤの魅力です。猫好きのためのマニアックな店というより、だれもが気軽に立ち寄って楽しく過ごせる場所です。
保護猫活動をしている人やボランティアで読み聞かせをしている人もやって来ます。「年齢がいって本を読むのはしんどいけれど、絵本は楽しくていい」と、時々顔を見せる人、常連の小学生のお母さんが一緒にやって来て「楽しい本屋さんですね」と安心したように言ってくれるなど、様々な人がやって来て、お客さん同士が親しくなることもしばしばとのことです。「外国の人でも猫好きな人は入って来た瞬間にわかります。言葉は話せなくても気持ちは通じますから、飼っている猫の写真をスマホで見せてくれて、一緒に笑ったり。人との出会いが本当に楽しいです」と映さんは語ります。
サクラヤの猫の絵本
将来、本のあるカフェを開きたいのでと、2、3か月ごとに猫の写真集を揃えている人もいると聞きました。そんな夢も育つ猫本サロン。学生時代、旅先から「櫻井金太様」と、猫の名前で絵葉書を送ってきたというオーナーのロマンと夢は続きます。映さんは「母が生きていたらきっとこの店を喜んでくれたと思います」と感慨を込めて続けました。オーナーの仕入れる本は、ますます増え、並べきれない本がまだたくさんあるそうです。
昨今は人通りが減り、少しさみしい日々ですが、多くの人が猫本探しや猫談義で盛り上がることができますように、一日も早くコロナウイルスと猛暑の影響が収束することを心から願っています。

 

猫本サロン 京都三条サクラヤ
京都市中京区 壬生馬場町5-1(京都三条会商店街)
営業時間:11:00~17、18:00頃
定休日:月曜日

西陣に開店 どら焼き&クラフト

北野天満宮にほど近い千本中立売(せんぼんなかだちうり)界隈は「せんなか」とも呼ばれ、西陣織の繁栄とともに歩んできた庶民的な繁華街です。観光地や四条、河原町近辺の繁華街とはひと違う、奥まった濃い京都が存在する地域です。
その千中に先月、素敵なカフェ&クラフトショップが開店しました。店内には紙と染を中心としたオリジナル商品が展示され、自社工房で作られるレアチーズケーキやどら焼きを、香り高いコーヒーと楽しめます。
スタイリッシュでありながら、どこか職人気質を感じるその店「天御八(てんみはち)」へ伺いました。

伝統的な味わいを大切にしながら、自由に

天御八の看板
「天御八(てんみはち)」という個性的な店名は、清水寺参道にある既存店「天」から一字取り御八は「おやつ」。しかしそのままおやつではおもしろみに欠けるので、読みは「みはち」としたそうです。店舗は、喫茶と雑貨の企画・デザインのメーカーである羅工房が、以前から工房としていた建物の一階をリノベーションし、自社で営業を始めました。
天御八の張子の猫
店内にディスプレイされた様々な紙の雑貨が、目を和ませ楽しい気分にしてくれます。とぼけた表情の張子や、手摺りの味わいのあるぽち袋や金封、何を入れようかと心が躍る小箱など、自社で企画・制作しています。
企画展として開催中の「かばんいろいろ展」では、シルクスクリーンや手描き、ステンシルなどの技法のおもしろいかばんに加え、インドシルクに手刺繍、刺し子などアジアの魅力ある手仕事も紹介しています。

中野憲二さんご家族
中野憲二さんとご家族

羅工房の代表、中野憲二さんは陶芸、飲食店、手漉きの紙雑貨、染めを手がけるなど、多方面にわたって仕事をされてきました。多くの作家さんと組んで暖簾の制作をするなど、プロデューサーとしても力を発揮しています。「桜」をテーマにした暖簾展は、会場を鹿児島から段々と桜前線のように北上する、日本の季節感と呼応したすばらしい企画も実施されました。
また、ものづくりについて共感し、刺激し合う間柄の石川県の呉服店と、昨年11月、のれんやタペストリー、パネルを一堂に展示した、圧巻の「百の絵展」も行なわれました。「作家」という定位置に納まらず、制作を続けながら、30年前にメーカーとして会社を起ち上げた中野さんの行動力と決断は、天御八の開店にも発揮されています。
清水店は、コロナウイルスの逆風を受け、半年前には夢にも思わなかった状況ですが、そのなかで、伝統的な味わいや季節感を大切にしながら、和の文化を今の暮らしのなかに生かせるものづくりを追求しています。
そして「天御八」が「千中の、てんみはち」として親しまれるお店になるように、地元のみなさんの息抜きの場、他愛のない世間話ができる場となるようにと、汗を流す毎日です。

心強い、ご近所さんからの応援

天御八のある千本中立売
天御八のお店のある、千本通りの界隈は、古くは平安京の中心であり、豊臣秀吉の時代には聚楽第が造営された歴史ある土地柄です。
西陣織の織元や職人のまちとして栄え、チンチン電車が通り、飲食店や寄席、映画館などが建ち並んでいました。庶民的な親しみのある繁華街で多くの人が「千ぶら」を楽しみ、それはそれはにぎやかだったという話を聞くことは、以前はさほど珍しくなかったように思います。今は商店街の店舗も減り、人出も少なくなってはいますが地元の方が子どもの頃から行ってた店や、気取りのない雰囲気はまだまだ残っています。

天御八の外観
ガラス戸が素敵な天御八の外観

天御八の店舗の工事を始めた頃、近所のみなさんは「引っ越してしまうのやろか」と心配されたそうです。コーヒー屋さんとわかってからは、「がんばってや」「ここ何屋さんかわからんし、帰らはった人がいるし看板出したらどうや」などど、親身な助言もいただいたそうです。

天御八の内観
店内は木材を多く使ったシンプルなつくりの、今の雰囲気を感じるおしゃれな空間になっています。道路に面した扉の全面が波板ガラスで、外の風景が映像のように映ります。アンティークの風合いのランプシェード、ドアや壁にはめ込まれたステンドグラスなどは、中尾さんとご家族で、お店を回って探して来たそうです。コーヒーで一服し、ショップスペースを見て、一人でのんびり過ごすもよし、友達とおしゃべりを楽しむもよし。こんなお店が近所にあったらいいのになあと思う空間です。
お店へ来るのに、着替えて来られたお客さんもいたそうです。もちろん、気軽にげたばきで来られるお店がいいと思いますが、ちょっとおしゃれをしてお茶の時間を楽しむ。そういう喫茶店の使い方もすてきだなと思いました。お客さんの個性が交ざりあって、天御八というお店の個性も表れてくるのが楽しみでもあります。

スタイリッシュで職人気質の「家業」

天御八のどら焼き
お店におやつをイメージした名前をつけたことからもうかがえるように、厳選したコーヒーとともに「甘いもの」に力を入れています。飲食部門担当は、息子さんの凜さんです。清水店での経験を積み、今回は「どら焼き」に取り組みました。皮の微妙な焼き具合に苦労し、試行錯誤の末、出来上がったどら焼きはおやつを楽しむ天御八の看板です。中のあんにも工夫を加え、5種類が完成しました。うち一種類は季節のどら焼きで、この季節は粒あんに柑橘系の寒天との組み合わせが秀逸です。
天御八のキューバサンド
また、お客さんからの要望もあり、ランチタイムも楽しんもらえるよう「キューバサンド」の新メニューが登場します。チーズ、ハム、ローストポークにピクルスが定番ですが、凜さんはここに新味を出し、柴漬けとべったら漬け、白みそを使っています。マヨネーズには辛子に柚子胡椒を加え、これもまた風味があり、単なる添え物と言えない仕上がりで、すべてに手を抜くことがありません。和風味のおいしさも食べ応えも十分です。
取材でうかがった日は、スタッフの坂本圭さんがメニューの撮影中でした。ホームページやSNSの、美しく情感のある写真は坂本さんの撮影です。
来年の干支のカレンダー
ショップコーナーには、早くも来年の干支「丑」のカレンダーがありました。これは娘さんの清(さや)さんのデザインとお聞きしました。新鮮かつ日本の伝統色を思い出す色使いが印象的です。奥さんの幸恵さんも染めの仕事をされてきたそうで、商品についてもとても詳しく、ていねいに説明してくださいました。手摺りのぽち袋や金封、はがきも様々なデザインがあり、それを楽しむことができるのも、このお店の魅力です。
ぽち袋が並んだ天御八の店内
中野さんは、お祝いの心を表す金封や、感謝やお礼の気持ちをさらりと渡すポチ袋など、この文化をぜひ、受け継いでほしいと語ります。SNSは、とても便利で伝達手段で、今では誰でも使うと言っても過言ではありませんし、なくては困ります。それは必要として使いながら、手紙やはがきにしたためた便りを送るということも、大事にしたいと思いました。家にいる時間が多くなった今、手仕事の味わいを感じるはがきや、ぽち袋の新しい使い方が生まれて来るように思います。
取り澄ました感じがなく、居心地が良い天御八に「家業」の良さと「京都の生業」の精神が脈打っていることを感じました。京都のなかでも「ディープ」な場所にあるスタイリッシュなお店のこれからが楽しみです。

 

天御八(てんみはち)
京都市上京区一条下ル西側中筋町19-84
営業時間 10:00~18:00
定休日 水曜日

京都のお花屋さんは 町家とフランスの粋

京都のまちなかの細い通りに、様々な緑にあふれ、個性的でありながら自然な感じの花屋さんがあります。よい風合いに錆びたプレートにペンキで記された「noix」とは、フランス語で木の実、くるみのことです。店主が学び、今の仕事の礎となった、フランスアルザス地方の風土のすばらしさへの敬意と思いが込められ、かけがえのない体験につながる名前です。
ノアはお豆腐屋さんの向かいにあります
京都の町並みにしっくりなじみながら、外国の町角のような雰囲気も漂わせるノアの魅力と、京都の生業のしなやかな強さを、花屋四代目、丸山沙記さんの言葉を借りてお伝えします。

花屋の実家を自らリノベーション

ノアの店頭
上長者町(かみちょうじゃまち)猪熊東入る(いのくまひがしいる)。歴史のある、いかめしい名の町内にノアはあります。丸山さんが生まれ育った実家を店舗兼住まいにしている、まさに職住一体の花屋さんです。
高校の園芸コースへ進み、専門的に学んだことを生かし、鉢植えや草花について、お客様に適切なアドバイスができます。店内にも外にも大胆に緑が配され、高い天井や窓の取り方など、ここが町家であるとは思えないモダンかつ古き良き時代の趣きもある空間となっています。
シックな水色の壁がおしゃれな店内
3年前、烏丸にあった店舗を移転し戻って来た時に、思い切ったリノベーションをしました。構造的な大きなところは、工務店さんにお願いしましたが、もともとインテリアが好きだったこともあり「できることは自分でやろう」と壁や天井のペンキ塗りや表の花壇は、自ら手掛けました。花壇つくりに孤軍奮闘していたところ、工務店の職人さんが見かねたのか「やったるわ」と、助けてくれたそうです。
ノアの店主、丸山さん
丸山さんは、華奢でやさしい雰囲気のなかに、強い思いやパワーを秘めた方とお見受けしました。それがお店の空間やディスプレイに表れ、訪れる人を「また来てみたいな。次はどんなものがあるのかな」という気持ちを抱かせるのだと思います。
お客様の好みもその時々で変わり、今はグリーン多めの草花系や、ドライフラワーにできるものを相談されることが多いそうです。花束やアレンジなど「自然ぽく」というのは一番難しいとという言葉も理解できる気がしました。また、花は実際の季節を先取りして店頭に並びます。「来る季節を待つ」という、日本人の感性である季節の楽しみ方について「季節ものはテンションが上がりますね」と語りました。
アジサイやバラなど色とりどりの花
花の種類の多さや微妙な色合い、それぞれの花に合った水揚げの仕方など、日本は栽培農家のみなさんがとても頑張っていてくれると、敬意を持って話されました。
また花屋も同業者同士、仲が良く、1店舗ではロットが多くて無理な花は、ほしい店で分け合うなど、協力し合っているそうです。以前は「競争相手」とみなしていた間柄だったそうですが、若い世代の人たちが参入することで、今は良い方向に変化し、発展しているのだと感じました。

フランス アルザス地方で培われたデザイン


丸山さんは、フランスのアルザス地方の花屋さんで働き学んだ経験があります。クリスマスツリー発祥の地と言われるストラスブールに近い村で、秋から冬の数か月を過ごしたのです。パリよりドイツやスイスのほうが近いという、日本人は一人もいない村で「日本人がいる」と、噂になったくらい日本とは遠い地です。よくぞその地へ一人で行ったと、その行動力に感嘆します。
クリスマスイブまでの約4週間を「アドベント」と言い、家々にはリースやオーナメントを飾り、ろうそくを灯し、この時だけのお菓子を食べたりして楽しく過ごすのだそうです。一年のうちで一番にぎやかで楽しい時のようです。この期間の花屋さんの店内は、それぞれドライフラワーや木の枝や実を使った手づくりのリースや吊り提げ型のスワッグや様々な飾りでいっぱいになるのだそうです。
息が白い寒いアルザスの冬、色とりどりのリースやオーナメント、ろうそくの灯はどんなに美しいでしょう。この時はまだ日本では、スワッグはもちろん、リースも一般的には知られていませんでした。丸山さんは伝統的なクリスマスリースやオーナメントの作り方など多くを学んだのでした。

「言葉のこともあるし、よく一人で行れましたね」という問いには「フランス語は1年くらい勉強しましたが、片言で話しているうちに段々お互いのことを知って通じるようになるのです」また「なだらかな丘が続いて、そこに羊の群れがいたり、かわいい家の集落があって、また丘があってという風景で、移動する時でもいつでも飽きるということはなかったですね」と語りました。
そしてノアの店名については「部屋を借りていた家に大きなくるみの木があったのです」と、目を輝かせて教えてくれました。独立してつくったお店の名前に本当にふさわしく、源なのだと感じました。

朝8時開店。お仏花もギフトも配達もあり

ノアの店頭
ノアは、定休日の木曜と月曜、金曜を除いては毎朝8時に開店します。朝早く開けるのは、ご近所のおなじみのお客様がお供え用の花を買いにみえるからです。こんなに早いのは大変と思いますが、丸山さんは「家と店が一緒なので、朝ごはん食べててもお客さんがあれば、すぐ出ていけますから、特別にどうと言うことはないのです」と、実にあっさりと答えが返り「住まいと店が一緒というのは便利です。私が配達や仕入れでいない時は、アレンジなどは無理ですが、それ以外のことなら家族が対応できますし、夜の配達にも行けます」と続けました。
ご近所の方がくれた古いミシンをディスプレイにご近所の方がくれた古い金庫をディスプレイに
ノアのインテリアは、全体に経年変化の味わい、あたたかみのようなものが感じらます。実際に古いラジオ、ミシン、頑丈な金庫などがディスプレイされて、いい雰囲気をつくっています。ラジオはおじいさんが使っていたもの、ミシンと金庫はご近所の方からの頂き物です。高齢のご近所の方が金庫を見て「こういうふうに使こうてるの」と感心されたそうです。その情景を思い浮かべると微笑ましくなります。
アンティーク風の空き缶を使った植木鉢
アンティーク風の植木缶は、「家族にも手伝ってもらいました」という、ペンキを塗りコラージュを施したオリジナルです。好きな缶を選んで好きな植物を植えて楽しむ人も多いそうです。また「一輪挿しに飾りたいので、1本だけでもいいですか」という方も増えているそうです。このような楽しみ方や、フランスのように、手みやげやちょっとしたプレゼントに気軽に花を贈ることが多くなればと思います。
丸山さんがインスタグラムにあげたアレンジメントなどを見て「こういう感じに」という注文も入るそうです。

花や緑のある暮らし、花で知る季節感、お仏花など暮らしの習わしとともにある花。ノアは、それを満たし、何でも相談できるうれしい、まちの花屋さんです。

 

Noixノア
京都市上京区上長者町通猪熊東入る杉本町462
営業時間 月・金 11:00~19:00
     火・水・土 8:00~19:00
     日・祝 8:00~17:00
定休日 木曜日

雨の季節の西陣の京町家 古武邸

日本には、季節や時間などにより細やかに表現された、400を超える雨の名前があると言われています。西陣の京町家、古武邸の庭の木々や敷石もしっとりと雨に濡れ、この季節ならではの趣をかもし出しています。
暴れ梅雨が早く収まることを祈りつつ、古武博史さんに話をお聞きしました。

面倒でも代えがたい、季節を知る楽しさ

古武邸表座敷の葭戸
伏見の旧家が建て替えでもらった葭戸が使われた表座敷

久しぶりに訪れた古武邸は、使い込まれ、飴色の艶を放つ葭戸や網代など、今年もきちんと夏のしつらいがされていました。昨年、お盆の行事を取材させていただいた折りには(西陣の京町家 古武家のお精霊さん迎え)お供え物があげられていたお仏壇は扉が閉じられ、床の間には「幸有瑞世雨」という、この季節にふさわしい軸が掛けられています。
幸有瑞世雨の掛け軸祇園祭の鉾とちまきを描いた色紙

訶梨勒(かりろく)
蝉の訶梨勒(かりろく)
西陣らしい繭の訶梨勒
西陣らしい繭の訶梨勒

鉾とちまきを描いた色紙や古武さんのお知り合いの方が作った和紙のミニチュア鉾、「訶梨勒(かりろく)」という、平安時代から魔除けとされた柱飾りなど、何となく華やいだ雰囲気も漂っています。この日飾られていた訶梨勒は、蝉と西陣にちなむ繭でした。

二階の座敷のほの暗いなかに浮かび上がる、萩の枝の戸や「四君子」の欄間の、陰影をたたえた美しさは、京町家が育んできた文化と美意識を端的にあらわしていると感じます。
欄間の端のモダンな雰囲気の意匠は、桂離宮の月を抽象化したデザインにならったものだそうです。古武さんはそのことを、見学に来た人から教えてもらったそうで「建築や庭園の研究者、大工や庭師の職人さん、いろいろな人が来るので、この歳になっても教えてもらうことがたくさんある」のだそうです。
奥座敷の廊下の、建てられた当初の建具そのままの戸が、長雨の湿りや、家にも歪みが出てきていることから、片方うまく開け閉めできなくなってしまったと笑って話されました。

古武邸の中庭

庭に敷かれた丸い白石は、汚れたり苔が付いたりするので、時々洗っているそうです。このほんの一例が示すように、町家を維持していくには、この上なく面倒なことがたくさんありますが、古武さんは「できることはするが、無理なことは無理」とさらりと言いながら、町家への情熱は衰えることを知らず、その手間暇には代えがたい、四季折々の発見を楽しんでいます。

店玄関に置かれたがっしりした、たんすは職人だった古武さんのおじい様がつくられたと聞き、つくった人が逝ってもなお生き続ける、職人の力が満ちた、迫るような存在感でした。

庶民の暮らしが回る「文化経済力」

上杉本洛中洛外図屏風の複製
離れは床のしつらいとともに、国宝に指定されている「上杉本洛中洛外図屏風」の四分の一の大きさの複製が置かれています。古武さんはこの複製屏風を使い、応仁の乱後の京都について語る企画を長年続けています。織田信長から上杉謙信へ送られたと伝えられ、老若男女、身分や職業を問わず約2500人もの人や都の四季が、生き生きと描かれています。夏は祇園祭の鉾、対極の冬の場面には雪の金閣寺が見えます。
上杉本洛中洛外図屏風の説明をする古武さん
当時の暮らしや生業がわかるこの屏風絵を古武さんは「その時代の縮図」と表現します。そして「450年前に描かれた図で、今の町並みを説明できるのがこの西陣を中心とする地域なのです」と続けました。そして、町家を維持するにも、資材の調達には林業、農業、園芸、それをかたちづくる専門の職人の存在が欠かせないと繰り返し強調しました。そこがうまくまわっていれば暮らしが成り立つ、庶民の暮らしが成り立つから、西陣をはじめとする伝統産業も継承できる仕組みがあったという、循環型経済です。1200年の地層のように、京都にはその蓄積があること、それをどう生かしていくかを、みんなで考える時が今と語りました。
古武邸の柴垣
古武邸の庭や建物を管理してくれてきた職人さんは90代になっているそうです。庭の柴垣も手を施さないとならない状態なのですが、材料も職人さんもいないという現実です。古武さんはその厳しい現実に直面していることと併せて、町家の文化と空間を多くに人に伝えたいと、新しいつながりに希望を見出しています。

古武邸を拠点とした明るい変化

古武邸
古武邸のご近所には、古くからの西陣の織元があります。和装産業も厳しさを増すなか、織屋さんも減少していますが、この状況を自ら切り開いていこうという動きも生まれています。西陣織の織元さんから、帯の展示会の会場に使わせてほしいと相談を受け、実現されました。古武さんは30年やってきて初めてのことと、驚きと喜びを隠せない様子でした。

また、座敷を会場に、謡曲を朗読形態で謡い、表現する「謡講(うたいこう)」が催されることになりました。これは、昔から京都で盛んにおこなわれ、楽しまれていたそうです。題して「謡講・声で描く能の世界 京の町家で うたいを楽しむ」です。元禄時代から続く、京観世の芸統を受け継ぐ一門のみなさんが出演されます。古武邸のすぐ近くには、観世家ゆかりの観世稲荷社と名水として知られる観世井があり、18年ぶりに行われるという謡講に本当にふさわしい会場であり、すばらしい出会いです。

古武さんは「経済や暮らし方が大きく変化し、高齢化が進むなかで、町家をこのまま残すことは難しい。では、どうするか。どうしていけば、この地域に住み、暮らしていけるのか。みんなで50年先、100年先のビジョンを考え、意見を交わす時です。未来はまず、今生きている私たちが考えんと、と思っています」と力強く語りました。
古いもの、歴史的建造物や文化を継承するためには、多くの人が係われる新しく楽しいことも必要です。みなさんもぜひ、古武邸で雨の匂いや濡れて美しい色を見せる庭石、ほの暗さの中に浮かぶ葭戸や欄間など、京町家の魅力を感じてください。建都も、町家の補修、継承など、住み続けられる住環境を守るために一層力を尽くしてまいります。