旧東海道の面影 たどる小半日

日中は真夏日の気温に閉口しても、朝夕はいく分過ごしやすくなりました。時折りのさらっとした風や高い空に、季節は秋の入り口にあることを感じます。日常を離れて、ちょっとどこかへ行ってみたい気分にもなります。
山科の旧東海道沿いに突如、時代を感じる空間があらわれます。六角のお堂やりっぱな手水舎、古い道標など、東海道を行き来する人々や牛馬の休憩場所ともなっていた境内は、往時の面影を今に伝えています。

六地蔵めぐり第六番札所

徳林庵徳林庵
以前、車で通りかかって目にとまった一画は臨済宗南禅寺派のお寺「徳林庵」です。いかめしい塀などは一切なく、旧東海道沿いに開かれ、おおらかな雰囲気が漂っています。徳林庵は八百五十年の歴史のある「六地蔵めぐり」の第六番札所です。
六地蔵めぐりとは、平安時代の公卿であった「小野篁(おののたかむら)」が病にかかりあの世へ行きかけたところで、地獄で苦しむ人々を救う地蔵菩薩と出会い「地獄の苦しさと私のことを広く伝えてほしい」と命じられました。そこで一本の桜の木から六体のお地蔵さまを彫りました。やがてそのお地蔵さまを、疫病や悪鬼から都を守るために、主要な街道の6か所の出入り口に祀ったのが始まりと言い伝えられています。伏見六地蔵、上鳥羽、桂、常盤、鞍馬口、そして徳林庵の山科地蔵の六体です。六地蔵の地名はここに由来しています。

徳林庵のお地蔵様
境内には御本尊の地蔵菩薩像以外にもたくさんのお地蔵様が

六地蔵巡りのお幡
境内のお堂に、六地蔵めぐりでいただく「お幡(はた)」について詳しく説明された額が掲げられていました。六地蔵めぐりで集めたお幡を玄関の軒下へ吊るしておくと、お地蔵さまに守られている印となって、よいことが集まり、わざわいを遠ざけてくれるそうです。
以前この京のさんぽ道で久御山町へ伺った時「少し前まで、朝暗いうちに家を出て六地蔵めぐりをしていた」とお聞きしました。六地蔵めぐりは毎年8月22日、23日の2日間と決まっています。京都のあちこちの町内で地蔵盆が行われる日です。山科地蔵を祀る徳林庵とその周辺も、露店を楽しみにする子どもたちや無病息災を願ってお参りする人々で、たいへんなにぎわいとなるそうです。通りがかった人が「子どもの頃、本当に楽しみやった」と懐かしそうに話してくれました。お堂に祀られたお地蔵さまは毎年の六地蔵めぐりの折にご」開帳されるそうです。訪れた日は、ひっそりしていましたが、一人、二人とお参りする姿が見られました。徳林庵の開放的でだれでも受け入れてくれる雰囲気は、お地蔵さまを大切に祀る素朴な信仰から生まれているように感じました。

旧東海道は通学班の集合場所

徳林庵の井戸
徳林庵の境内にはお堂のほかに、飛脚や牛馬の休憩地であったことを示すりっぱな井戸があります。「文政四年・・・」「京都 大阪 名古屋 金澤 奥州 上州 宰領中」など筆太にくっきり刻まれています。宰領とは飛脚問屋の取り仕切る役目なのだそうです。
また「通」は途中で人を替えずに最後の目的地まで通す「通し飛脚」を意味しています。現在も輸送関係の企業名には「通」がよく使われていますが、飛脚からきていたということを知り興味深く思いました。
京の三条まであと一息、ここで喉をうるおしもうひと踏ん張りと、元気を取り戻したことでしょう。牛や馬のいななき、人々が交わす声も聞こえてきそうで、当時の活気がうかがえます。
おもしろい形の石があります。これは「車石」と言って、重い荷物を積んだ牛馬車が、ぬかるみにはまらず、スムーズに進めるように両側に石を敷き詰めてあったそうです。
徳林庵の車石徳林庵
菩提を弔う仁明天皇第四之宮人康親王(しのみやさねやすしんのう)の供養塔や六体地蔵も静かにたたずんでいます。奉納された扁額には「山城国宇治郡四ノ宮村 六ツの辻四ツのちまたの地蔵そん 道ひきたまへみだの浄土江」と刻まれています。素朴な信仰の心が深く印象に残りました。
境内と隣り合った小道は十禅寺への参道となっています。山に抱かれた静かなお寺です。
徳林庵
歴史の片鱗、証と言えるものがごく普通に存在していることに驚きます。山科は高速道路の建設で住宅開発が進み、このような里や街道の風情とは結び付かなかったのですが、今回訪れてみて、歴史の懐の深さを実感しました。また、山科地蔵が校区の子どもたちの登校時の集合場所になっていると聞き、ますます山科の歴史は普段の生活のなかにあると感じました。旧東海道は21世紀のいま、刻んできた歴史を子どもたちと共有しています。
中臣遺跡、山科本願寺等々、山科の魅力は、簡単には堀つくせないほど豊かです。

 

徳林庵(とくりんあん)
京都市山科区四ノ宮泉水町23

麹の力で 心も体もほがらかに

あと一週間もすれば、草木に露が宿る「白露」を迎えようとしているのに、真夏並みの気温が続いています。甘酒は夏の季語ですが、江戸の昔から、夏の弱った体にいい、おいしい飲み物でした。「健康と発酵」に多くの人が関心を寄せています。味噌、醤油、酒など日本の身近な発酵食品の素となる麹。その不思議な力、奥深さに魅入られ、麹を毎日の暮らしに取り入れることで得られる幸せを多くの人に広げようと、楽しく奮闘する「京都花糀」代表の野中恵美さんにお話を伺ました。

「上級麹士」として新たな道すじ

京都花糀の野中さん
野中さんが麹と出会ったのは、医薬品販売の専門資格である登録販売者として、ドラッグストアで働いている時でした。お客さんと接し、健康の悩みは複合的なものが多いことを感じるなかで、ある日、来る人来る人みんなが、甘酒を買う現象が起こりました。テレビの番組で甘酒が取り上げられたのです。それからしばらくは、大量に発注した甘酒が品切れになる日が続きました。
甘酒
甘酒から麹へ目を向けると、知れば知るほど「麹ってすごい」と、そのすばらしさに引かれていきました。そして栄養士でもある職業的性格も頭をもたげ、麹についてもっときちんと知りたいと強く思うようになりました。調べていくうちに、福岡県で麹について学ぶ二泊三日の講座があることがわかりました。それから後の行動は素早く、仕事のシフトも考えたうえで、2か月後の講座に参加したのです。

京都花麹
店内にずらりと並ぶ麹と味噌

この講座は、福岡県で自然農無農薬のみそ、麹を製造販売する会社が運営する「麹でロハス推進会」が主催しています。「自家製の麹を使って多くの人に発酵食文化のすばらしさを伝える」ことを主旨としています。その実践者として「麹士」を育成し、野中さんは2016年「上級麹士」の認定を受けました。
「麹は、日本人で合わない人はいないこの国の菌です。麹のおかげで調味料としていろいろな食品ができました。麹は腸の働きを良くしますし、脳と腸はつながっています。だから朝、お味噌汁を飲む食習慣は理にかなっているのです。」そう語る野中さんは「麹を正しく伝えるためには器がいる」と、上級麹士になって2年後2018年8月、満を持して「京都花糀」のお店をオープンしました。

麹を語る姿がきらきらしていた

京都花糀京都花糀
「手作り自家製麹」花糀のお店は、阪急電車の東向日駅からすぐ、JR向日町駅からも徒歩5~6分という立地の良さです。元パン屋さんだったというこの物件を見た時、ぴったりのいい物件だと思ったそうです。しかし、予算の1.5倍の資金が必要でした。その日は考えますと答えて帰りました。さんざん考えて出した答えが「1.5倍がんばろう」でした。
1か月後に家主さんの所へ行くと「きっと、また来ると思っていた。実は複数問い合わせがあった。でも、これからやりたいことを話している時、きらきらしていたから待っていた」と話してくれたそうです。
京都花糀
麹への熱く本物の思いは困難も味方につけて、新しい扉を開きました。それから満5年。お味噌やフルーツ酵素が時間と手をかけてゆっくり熟成するように「麹と発酵」のお店も5年のあいだに色合いや味わいが進化しています。
果物が重ねられ、季節によってかわるフルーツ酵素は「瓶詰の宝石」といった華やいだ香りたつような雰囲気です。パイン、ドラゴンフルーツ、パパイヤ、レモンを漬けた酵素は「南の風ゆらゆら」という名前です。傑作はくすっと笑える「帰省のち同窓会」マンゴー、もも、ブドウなど7種もの果物は、にぎやかにおしゃべりをしている様子を思わせます。
棚に並んだお味噌は色や風合いも様々、どっしりと貫禄があります。野中さんが「地味以外の何物でもない」と表現する麹の底力を感じます。一汁一菜を旨とする、日本の食卓をつくってきた頼りになる発酵食品なのだと、あらためて感じる存在感です。
京都花糀
花糀では、麹を使ったメニューを常に開発しています。甘酒だけでも様々な種類があり、フルーツ酵素も水や炭酸水などお好みで割って楽しめます。市販のルーや小麦粉、水を使わず麹を入れたカレーはあくまでも「花糀のカレー」です。風味豊かで満足感がありながら重くありません。また、毎月末には「発酵おかずのランチ会」を企画して「今月はどんなおかずかな」と楽しみになります。
8月は九州の郷土料理「鶏飯(けいはん)」と「冷や汁」のそれぞれのいいとこ取りをしたメニューでした。食感、味、香りが、自家製味噌を溶いただし汁がまとめ役となって、渾然一体となったまさに「恵美流創作ごはん」になっています。求肥も手作りのあんみつは、柚子がほのかに香る小豆あんが、寒天とも相性がよく秀逸でした。赤えんどう豆は塩麴を入れてゆでるなど、必ずひと手間かけています。

野中さんが言うところの「少しの手間と時間」をかけた一品、一品の確かな味や食感、香りが伝わってきます。そして「手間、時間」をかけることを、少しも苦ではなく、おもしろがり、思い切り楽しんでいます。また、麹と発酵についてわかりやすく説明し、普段の暮らしに生かしてほしいと、味噌の仕込みや、麹ビギナーコースのワークショップを開いています。ワークショップを通して「待つ」という日本の文化、日本の特性を再認識してほしいと思っています。
情報があふれている今、引き算が苦手な世の中になっているのでは、「加減や塩梅」を知って暮らせたら、もっとほっと楽になるのではと感じています。ワークショップやお店でのひと時は、がんばって何でも取り込まなくてもよいのだと思えて、ほっとできる大切な時間にもなっていると感じます。

「主役はお客さん」のお店は6年生に

京都花麹
「私は店番」とほがらかに宣言する野中さん。入ってきたお客さんは中学校の同級生でした。卒業してからずいぶん長いこと会ってなかったけれど、このお店ができたからこうしてごくたまにだけれど、来て会えると、楽しそうに話していました。またフィットネスに出かける前に、水分補給用にフルーツ酵素の水割りをマイボトルに入れていくお客さん。ご近所の常連さんも「友達の家へ来た」ような雰囲気でくつろいでいます。
コロナの時は全面休業の決断をしましたが、麹が手に入らないのは困るという声を多く聞き、希望の商品を渡す日を限定して設けました。「お客さんのほしいもの、してほしいことを実現するための店」と野中さんは語ります。
小さいお子さんのいる若いおかあさんが気持ちを解きほぐす場所にもなっています。麹と発酵の力は体にはもちろん、訪れる人の心もほがらかにしてくれます。花糀は6年目に入りました。野中さんは「6年生をちゃんとやっていけるかな」とにこにこしています。次はどんな夢を描いて見せてくれるでしょう。楽しみにして通いたいと思います。

 

京都花糀
向日市寺戸町西田中瀬3―2
営業時間 11:00~18:00
定休日 土曜、日曜、月曜日

清水焼発祥の地に 新しい息吹

8月初め、東山五条坂あたりは、近くの六道珍皇寺や大谷本廟へお参りする人の姿が多く見られます。ここは清水焼の中心地であり、参拝者に向けて陶器を販売したことが「陶器まつり」のはじまりとされています。
夏の風物詩として長く親しまれたこの催しもコロナ禍のもと、中止が続いていましたが、今年みごとに復興されました。五条坂一帯で行われていたようなかつての規模ではありませんが「清水焼発祥の地」としての歴史と伝統を感じ、また「地元のお祭り」的な和やかで親しみやすい、とてもよい雰囲気でした。
「新生陶器祭」の今回、府立陶工技術専門校を卒業し独立した若い作家さんと出会い、その作品や焼物にかける思いをお聞きしました。

はじめての出展、確かな手ごたえ

五条若宮陶器祭
本殿のちょうちんにも陶器神社の文字が

今年陶器祭の本部が置かれた「若宮八幡宮」は境内に「陶祖神」が祀られている「陶器神社」としても知られています。毎年恒例の陶器市は、八幡宮の例大祭として8月7日から10日まで行われるようになったそうです。
昼間の猛暑も一息つき暮れなずむ頃、五条坂や若宮八幡宮の境内は次第ににぎわいをみせていきました。それぞれの窯による個性も当に様々で、土の違いで生まれる色、釉薬の流れ方等々、身近に多くのやきものにふれることができるとても良い機会であり、やきもの談義に花が咲く場面も見られました。
五条若宮陶器祭
まずは、八幡宮会場へ。朱塗りの鳥居が西へ傾きはじめた日差しに映えています。本殿へお参りし、境内を一巡しました。奥は木々の緑に一服の涼を感じる静かな空間が広がっています。車が激しく行きかう五条通りに近いとは思えない、一画です。
大きな鍾馗さんも祀られています。若宮八幡宮には陶器神社があり、瓦を素材とする鍾馗さんも同じやきものからできているということから、この地に大きな鍾馗さん像が建立されたと由緒書きにあります。この大きな鍾馗さんは、それを造った職人技も伝えるよすがとなっています。
五条若宮陶器祭 廻窯舎五条若宮陶器祭 廻窯舎
お参りを終えて、ゆっくり見ていくなかに、鮮やかな青色や、藤色がかった微妙な色合いの食器が印象的なブースがありました。「廻窯舎(かいようしゃ)」は、多賀洋輝、楓夏さん夫妻が2019年に立ち上げ、陶磁器の制作・販売を行っています。釉薬は洋輝さんがつくり、製作は楓夏さんです。「時代と暮らしの廻りに合わせた器づくり」というテーマを実践する二人の共同作品です。「磁器に使う土に赤い土を混ぜて使うと、同じ釉薬でも色の出方が違うのです」という説明も興味深く、やきもの奥深さの一端を教えてもらいました。

廻窯舎の多賀楓夏さん
廻窯舎の多賀楓夏さん

お二人とも大学卒業後、別の仕事に就いてから、府立陶工高遊学等技術専門校へ入学し、それから陶磁器を生業とする道へと進みました。専門校では「湯呑を100個」など同じものを多数つくることを課され、成形のための道具も自作するなど「職人としての基礎を勉強できました」と語ります。
今回、専門校の先生が足を運んで「お客さんの反応はどう?」と声をかけてくれたそうです。「知り合いの若い世代の人も出展していたり、顔見知りの人が来てくれてとてもうれしいです」と続けました。
五条若宮陶器祭 廻窯舎
陶工専門校がこの五条坂にある意味は大きいと感じました。友達同士で来た学生が「この色きれいやなあ。使ってみたい」と、楽しそうに話していたり、何点かお買い上げのお客さんに「袋にいれましょうか」と聞くと「近所ですから、いいですよ」と返ってくるやり取りを聞いて「地域密着陶器祭」の始まりを感じました。
楓夏さんのに「もっといろいろ作っていきたい」という言葉に力強さと清水焼の可能性を感じます。「今回出展して手ごたえはありましたか」とたずねると「はい、ありました」ときっぱり明るい声で返ってきました。

五条坂界隈を歩いて感じる魅力

今も五条坂に残る登り窯の煉瓦造りの煙突
今も五条坂に残る登り窯の煉瓦造りの煙突

今年から新たに始まった「五条若宮陶器祭」は、五条坂の清水焼にたずさわるみなさんが実行委員会をたちあげ、準備を重ねて開催に漕ぎついた「清水焼発祥の地」の地域力のたまものです。各店舗や会場に用意されたリーフレットからもその熱意が読み取れます。
五条坂沿いのいかにも専門店といった風格の、敷居を高く感じるお店へも「この際、せっかくだから」と入ってみることができ、清水焼との接点になります。また地元・地域のみなさんもあらためて「自分たちのまち」について知り、つながるきっかけになると感じました。登り窯の公開・自由見学、またこの登り窯の活用についてのシンポジウムが行われるなど、今後の五条坂界隈について歩みが始まっています。界隈には清水焼の中心地であった面影が今もただよい、誇り高い「陶工のまち」を感じました。
若宮八幡宮の飲食ブースで、売り込みの声をかけていた子どもたちからも夏の元気をもらいました。

 

廻窯舎(かいようしゃ)
京都市西京区川島東代町43-4桂事業所

ワインとカレー、 敷居の低い名店

あと一週間もすれば暦は「立秋」を迎えるというのに、記録的な猛暑が続いています。食欲も減退する夏こそ、ピリッと辛いカレーです。定番の家庭料理であり、また以前から洋食屋さんのなじみのメニューとして親しまれてきたカレー。
世界中のおいしいものであふれる日本は、カレーも様々な専門店がありますが、今までに出会ったことのないカレーの店とめぐり合いました。気取りのないなかにも、どこかきりっとした雰囲気を感じるお店です。今では聞くこともまれな「上等」という言葉が浮かびました。そのお店は高瀬川沿いの小さなビルの2階にあります。

フレンチを感じるカレーとワインのお店

イグレック ヨシキ カレー
暑くても寒くても、若い人でにぎわう四条木屋町のとあるビルの階段を上がって2階へ。特徴的な「Y」の文字と赤の色が印象的なドアがあります。外の喧騒とは別の空間への入り口のように感じます。「Y」は、少量生産のフランスの白ワイン「”Y” Ygrec(イグレック)」のイニシャルです。店名の由来を示しています。お店の中は広々として、窓辺には桜が枝を差し伸べています。この緑を目にするだけでも、一服の涼を感じます。春の花の見ごろや、これから迎える秋の紅葉も楽しみになります。
イグレック ヨシキ カレー
店主さんは、寸胴鍋を小さな櫂のような道具を操って黙々と仕込んでいます。最高気温37度、38度の日にこの仕事を長時間するのは並大抵なことではないと思いますが「まあ、こんなもんやと思ってるしねえ」と、ことさら大仰に語ることはありません。
イグレックのカレーは、ビーフ、小エビ、野菜の三種類です。毎回迷うのですが、何回食べても食べ飽きない深いおいしさを感じるカレーなのです。カレーは「おふくろの味」的な側面もあって、人によって「じゃが芋がゴロゴロ入っているのが好き」「小麦粉でこってりとろみがついたカレーがなつかしい」など思い出と好みが相まって、好きなカレーの幅は広いと言えます。
イグレックの野菜カレー
イグレックのカレーは、家のカレーとはもちろん、専門店のカレーとも違う「唯一独自」のカレーです。15歳から料理の道へ入り、ホテルでも仕事をしたマスターの研鑽が生み出した味なのだと感じました。
たとえば野菜カレーです。15種類もの野菜がたっぷり乗っているのに、ルーが薄まったり、水っぽさがありません。土台がしっかりしているという感じで、野菜のみずみずしさや甘みなどが複雑で深いルーと調和しています。最初から最後まで、しっかり手をかけた料理人のカレーは常連さんのみならず、多くの人の記憶に刻まれています。
またマスターは本当のワイン好きで、その知識も半端ではありません。その日選んでもらったワインは、辛口だけれどぶどうの果実味が感じられる、ぴったりの味わいでした。

居ずまい正しく敷居は低い本格派

イグレックの小エビカレー
イグレックの営業時間は午後2時間の休憩はありますが、閉店は午後11時という長丁場です。「営業時間は場所柄やねえ」と、さらりと言いますがかなりの重労働にちがいありません。それでも悲壮感や肩を怒らせてという雰囲気は微塵もありません。カレー以外にアルコールに合う単品も用意されています。
休みの日に明るいうちの一杯、また一日の最後のしめのカレーとお酒。それぞれに楽しめる貴重なお店です。

イグレック
店名の由来にもなった貴腐ワインの名品「イグレック」のエチケット

シャンパンの王冠
ディスプレーされているワインのラベルやシャンパンの王冠は知識がなくても、すてきだなと思えます。おどろくことに、すべてマスターの自作なのだそうです。シャンペンは全部で99個。今ではもう手に入らないものもあるとか。30年ほどかかって「すべて実際に飲んだ」という話もスケールの大きさに、ただただおどろくばかりです。「まだあるから、2枚目のパネルを作ろうと思っているんやけど、なかなか時間がねえ」と言われましたが、作ろうと思う気持ちがすばらしいです。「作れるものは自分で作ることは、父親の影響やね。いつも何か自分で作っていたから」と話されました。


今まで世界のあちこちのレストランを訪れた時の手書きのメニューが特注の赤いフレームにバランスよく配置されています。この中には超有名な「トゥール ジャルダン」の鴨のナンバーが示されたものもあります。シャンペンもしかりですが、集めたのではなくすべて自分で実際に行って体験したとい探求心に感服します。ワインのラベルもそれぞれの思い出を話してくれました。

リモージュのカップ
デミタスカップ、素敵ですねというと「リモージュ」ですと、すぐ返ってきました。お店にあるものは開店前から少しずつ、見つけた時に買いそろえたそうです。
世界のレストランのメニューパネルの横には、包丁の名店の手ぬぐいがあります。「大根のかつら剥きをしているでしょう。この包丁はかつら剥き専用の包丁なんですよ」等々、ここにはまだ知らないこと、知って楽しいことがたくさんあります。

内装もマスターが一人で。壁を取り払い作った窓。左には包丁柄の手ぬぐいも。

フランス料理やワイン、その歴史や文化がさりげなく香り、感じることができるお店です。こういうお店こそ本当の名店なのだと思いました。マスターは「基本、カレーは一人でつくるもんやから」と、今日もいつもと変わらず仕込みをし、ワインのことをたずねられると、手を止めてうれしそうに答えています。奥様と二人で切り盛りされていて、落ち着いておいしさを堪能できます。
京都のまちもまたさらに変わり始めていますが、イグレックのようなお店が、京都を支えていると強く感じました。ふるさと福知山を大切にする思いがそこかしこにあらわれているところにも、お人柄を感じました。

 

イグレック ヨシキ カレー
京都市下京区 西木屋町四条上ル真町455 第一小橋会館2階
営業時間 11:30~14:00/16:30~23:00
定休日 月曜日

染工場から発信 私たちが着たい着物

浴衣の季節です。1か月間、祇園祭の様々な神事が続く京都に、海外の人も含め多くの人たちが浴衣姿を楽しんでいます。レンタル着物店も一気に増えました。その点では、だれでもいつでも気軽に浴衣や着物をまとうことができるようになったと言えます。着物には縁遠いと思われる若い世代の人たちのなかにも、浴衣をきっかけに着物に興味を持つ人も増えているようです。
きっかけさえあれば着物を着る人を増やし、着物の楽しみを広げることできると感じていたなかで、染職人自らが立ち上げたブランドに出会いました。量産品にはない「手染めの妙」が美しく楽しい着物が作られています。間近に迫った「Tシャツ展」の準備も佳境を迎えたお忙しいなか、仕事場の染め工場へ伺い「染め屋・ファイブ」の久田容子さん、高瀬千夏さん、宇野由希恵さんに話をお聞きしました。

反響に確かな手ごたえ「お出かけ浴衣展2」

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
夏めく日差しに青梅の実が大きくなる頃、上京区のギャラリー&カフェを会場で「お出かけ浴衣展2」が開かれました。この会場は、以前この京のさんぽ道でご紹介しました「好文舎」です。元呉服屋さんの展示会場だった建物は浴衣展にふさわしい雰囲気で、訪れた人もゆっくり見てまわったり、着付けてもらうなどして思い思いに楽しんでいる様子でした。
比較的若い世代の人たちが多い感じがしましたが、ファイブの3人が頃良い間合いで声をかけて、着物について気軽に親しめる雰囲気をつくっています。手でさわって布の感じを確かめてもらったり、積極的に反物を着付けて「着物になるとこうなる」と実感してもらっていました。巻物状態の反物を裁断することなく、体に巻き付けただけで「着物」を着たのと同じようにできるということにも感嘆します。
浴衣展というタイトルですが、「おでかけ」の表現に見てとれるように、夏着物として十分楽しめる高い技術とデザイン性が特長です。「こういう機会にぜひ実際にいろいろなものをあててみてくださいね」という声が押してくれて着付けてもらうと、いつもとはまったく違う自分が現れて、気分も上がります。色やデザイン、染めの技法の違いから生まれる味わいに引き込まれていました。

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
ほとんどの人が「着物を着たい」と思い、手持ちの浴衣から一歩先へ行きたいけれど、どうしたらよいのかわからない、百貨店の呉服売り場や専門店をのぞく前に相談できるところがあれば、という思いは多くの人に共通していると感じます。「気軽に着物のことを聞けて、楽しく話しができる場」として、この「おでかけ浴衣展」は打ってつけです。
着物に合わせて帯選びもできるように半幅帯も用意されています。また、展示は完成品の着物や帯だけでなく、染めについて少しでも知ってもらえるようにと、工程や道具の説明もされていました。染職人の土台を感じる、とても大切なコーナーだと思いました。

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
好文舎では企画に合わせたお菓子をカフェで提供。お出かけ浴衣展に合わせた練り切り

今回2回目のこの企画は、楽しみにしてかけつけてくれた方「カフェに来たらおもしろいことをやっていた」等々、染めの奥深い世界、着物の楽しさを知ってもらえると感じました。「男物」も注目されていました。
これから、こういった着て快適、家で洗える木綿や綿麻の、しかも「ちょっとよそ行き」な、新ジャンルの着物姿が増える予感がします。「展示会の前は、なんとか一反でも売れたら」とか「そうそう、うまくはいかないだろう」などと思いめぐらす「毎回びっくり箱のよう」なのだそうですが、2回目も開けて正解、確かな手ごたえのあるものとなりました。

五感のものづくりはここから生まれる

染め屋・ファイブ
染め屋・ファイブのロゴマークの入ったあさぎ色に染めた布のカーテン

染め屋ファイブのブランドロゴマークは、羽ばたくような形の手とFIVEの文字が組み合われています。代表の久田さんは「ファイブは五感を意味しています」と説明してくれました。
作品に取り組む場であり、生業とする染めの仕事に日々励む染め工場の見学も兼ねて、制作の合間の息抜きの時間に話をお聞きしました。仕事と作品作りの両輪を回すのは大変だと思うのですが、悲壮感やがんがんやっています感を感じさせません。作品のように、伸びやかで明るい雰囲気です。
染め屋・ファイブ染め屋・ファイブ 引き染め
ファイブの浴衣・着物の大きな特長は引き染めにあります。浴衣は型染がほとんどですが、引き染めは染料を刷毛で染め分け、そこに生まれる「ぼかし」を生かすことができます。
反物の長さは約13メートル。反物の端を両側に針のついた「伸子」でぴんと張って、刷毛で一気に染めていく技法です。気温や湿度、染料の知識や布の材質による違いなど多くのことを理解し、技術を伴わないと染められない難易度の高い手間のかかる染め方です。それでほとんどの場合、絹に染められます。木綿や綿麻に染めていては高い値段がつけられない、染めにくくて儲からないから、誰もやらないのです。
ですからファイブの綿麻の引き染めは、とても贅沢な着物なのです。「ましてやそこに、手描きや型染を施すなど、贅沢きわまりない着物です」と3人とも笑って話してくれました。「それで採算とれてるの」と、よく聞かれるそうですが「浴衣展の作品に採算を考えてなんて制作できない、作りたいものを自由に作る」と、そこも一致していました。「世の中にないモノ作り」をコンセプトとするファイブの真骨頂です。

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
お出かけ浴衣展2での染め屋・ファイブのみなさん

染め屋・ファイブ
作品が採算ベースで制作しないとは言っても、広い染め工場の家賃や反物や染料、道具などの費用かかります。しかしそこは「なんとかなってきている」そうです。
最近は引き染めをする工場も減ってきているそうで、京都の町なかにこれだけ広い仕事場を維持するだけでも苦労があるだろうと察しられます。刷毛や伸子など引き染めに必要な道具もよいものは年々手に入れることが困難になっていると聞きました。それでも、この染め工場には何となく苦労の空気よりも、モノ作りが本当にすきな人たちの活気が感じられました。染め工場(こうば)という呼び方がしっくりくる仕事場は力強く、頑丈で、そしてしなやかでした。

異なることのつながりから、新たな展開

好文舎の中庭に面した部屋
浴衣展の会場の好文舎との縁は、友人が開いた企画展をメンバーの宇野由希恵さんが見に行ったことからでした。それまで会場としては染め工場のみだったけれど、外でもやってみたいと考えていたファイブにとっても、良いタイミングでした。
好文舎オーナーの宇野貴佳さんは以前和装関係の会社で仕事をされていたことから、着物に関する知識も豊かで、ファイブの浴衣展でこまめなサポートをしていただいたそうです。ギャラリーという場と制作者、そこへ来た人がつながることで、それぞれの仕事や役割もまた新たな方向性を見出せるのだと感じました。

染め屋・ファイブ
左から代表の久田容子さん、高瀬千夏さん、宇野由希恵さん

この京のさんぽ道ではこれまで「洋服生地で作るきもの」「和裁士さんが発信するオリジナルの着物や帯」そして今回の染めやファイブと、それぞれ、制作者であり「着手」であることが共通しています。「着物は最高のおしゃれ着」「色選びをするだけでも五感が磨かれる」「着物を着た時の高揚感」買いやすい価格設定で、しかも自由な発想の着物作りが、しっかりと着る人の心をとらえています。
新しい着物の時代が確実に動き出しています。「着物へのあこがれや着たい気持ち」にこたえる、一点一点に思いのこもったファイブの着物もさらに多くの人と出会うことでしょう。
帰り際に工場の前で撮った3人の清々しい表情に、楽しく試行錯誤し続けるモノ作りの力強さがあらわれていました。

 

染め屋・ファイブ
京都市下京区中堂寺庄ノ内町1-130 2階
お問合せ、ご訪問等についてはお問合せフォームよりお願いいたします

「ヘタ」と名付けた 職人の矜持

かつては地元京都民が週末の外出を楽しんだ新京極も、清水や嵐山などと同様に多くの観光客でにぎわい、外国語が飛び交っています。
繁華街の新陳代謝は激しく、店舗も入れ替わっていますが、ずっと同じたたずまいのお店を見るとほっとします。そのなかで「ヘタな標札屋」という強烈な名前の看板と言えば「ああ」と思い当たる人は多いと思います。「へた」は腕に覚えのある職人の心意気です。
ひさしを並べるお隣は、泉式部ゆかりの誠心院というこれ以上ないほどの、京都な立地の、表札とともに手の仕事が伝わる陶器が並ぶお店で話をお聞きしました。

観光都市の繁華街の表札屋

新京極商店街
常日ごろに使う商店街というより、観光で訪れた人や、家族や友だちと食事や買い物をする新京極。そこにある表札の専門店の存在が際立っています。「光昭堂」は昭和10年(1935)の創業ですから今年で88年を迎えました。明治になり東京遷都ですっかり意気消沈してしまった京都をまた盛り立てようと、当時の槇村正直京都府知事が付近の寺院の境内を整備して造った南北の通りが、新京極です。芝居小屋、寄席、そして映画館や飲食店が立ち並んでとてもにぎやかだったようです。
へたな表札屋 光昭堂へたな表札屋 光昭堂
光昭堂はその新京極の変遷を見つめてきました。「ヘタな標札屋」と名付けたのは先代で「自分の書く字に誇りを持っていたのやと思います。ヘタと言い切るとこがすごいと思います。」と語ってくれたのは当代の奥様です。当代は大学の法学部で勉強した人でしたが「息子は父親の跡を継ぐもの」として粛々として表札の仕事についたそうです。
へたな表札屋 光昭堂
現在はマンションが増え、表札を目にすること自体少なくなっていますが、それぞれの家にふさわしい表札はまさに「家の顔」です。年月を経た木造の家、モダンな時代を写した家など、表札はその家の一部のようです。
材質も桧、桜などの木質に大理石、陶製など多種多様です。それぞれの注文に合った文字を書ける書き手に仕事を割り振るのも仕事です。和装業界の悉皆屋さんのような、言ってみればプロデューサーのような役目と言えるでしょうか。
「大学の法科を出て、その勉強はこの仕事に直接関係なかったけれど、英語ができたので外国のお客さんと話しが通じてたしね。英語を日本語に訳して文字を書いてあげて喜ばれました」そして「人間だれもみんな、いくつになっても勉強が大事やね。勉強することで人は大きくなっていく」と続けました。けれんみのないその言葉は、しっかり胸に響きました。

表札と陶芸の共存、新たな選択

安藤陶房の器
表札とともに店内のかなりのスペースに並んでいる陶器は宇治市の炭山工芸村に「安藤陶房」を構える娘さん夫妻が作製しています。清水焼の伝統に学びながら、自由に日常的に使える食器がつくられ、その数々が、暮らしの一場面のようにディスプレーされています。
「私の父は清水焼の問屋をしていましたので、子供の頃から食器は清水焼でした。娘たちがつくっているのは土ものなので、最初は磁器とは口当たりが違うなあと思いました。けれどなれると、土ものは水分を吸いますから、ご飯が美味しくて。土ものの良さですね」作品はつくった人の個性があらわれるそうで、娘さんははっきりした性格なので作品も大胆なものが多い。反対に娘婿さんは、絵付けなども優しい雰囲気なのだそうです。
安藤陶房の器
外国の風物をもとにしたエキゾチックな文様、野原に咲いてるかのような花一輪など違う個性が湯呑、ご飯茶碗やカップなど、日常使う食器が思い思いに彩られています。どうぞ手に取って見てくださいと、すすめてくださったので、ひとつずつたなごころで包むようにして見ていきました。手にすっきりおさまります。探していたのは少し大ぶりの湯呑みでしたが、青磁色をしたフリーカップに決めました。下のほうに、ぐるっと金彩が施されています。厚く盛るように描かれた金彩は、下のほうのぐるりだけというのも潔いデザインに感じます。ろくろと絵付け、夫婦合作と聞きました。店内には清水焼の問屋をしていた頃の茶器なども展示品として置いてあり、土ものとの持ち味の違いを知ることができます。
安藤陶房の器
表札の店に陶器を置くようになったのは、少しでも展示する場所を増やし、娘さん夫妻の助けになることを考えてのこと。多くの人にまず知ってもらうことが大事と踏み切ったそうです。今現在、陶芸も他の伝統産業も従事する人が少なくなっている現状があります。そのようななかで、例えばこうした「異素材」の手仕事を組み合わせることもできれば、また新たな展開が生まれると感じます。
へたな表札屋 光昭堂
「新京極も本当に変わりました。これまでと同じ場所で店を続けているところは本当に少なくなりました。うちも跡継ぎは決まってませんけど。でも身内でなくても、だれかこういうことに興味を持つ若い人が、インターネットも使いながらこの店をやってもらえたら、きっと面白いことができると思います。そういう人はどこかにいると思いますしね」そして最後に「私もまだまだ勉強することがあります。人間は勉強せんとね」とくり返されました。「ヘタ」に込められた職人さんの誇りと志を教えられました。志ある若い人が「光昭堂」のヘタの心意気を継承されるよう、願っています。

 

光昭堂(こうしょうどう)
京都市中京区新京極通六角下ル中筋町487-6
営業時間 11:00〜
定休日 なし

鍾馗さんと 町家のある京都

梅雨の曇り空の下に、鈍く光る屋根瓦が、低層の町並みに、落ち着いた美しさをつくりだしています。その屋根には、風雨に耐え、魔除けとして家を守る鍾馗さんの姿が見えます。
京都は、昔から鍾馗さんを大切にしてきました。普段は見上げることしかできない鍾馗さんと間近に出会えるという興味深い企画を知りました。町家を改装したシェアオフィスを会場にした「瓦と鍾馗さん」へ行って来ました。

屋根から下り立った鍾馗さん

町家シェアオフィス ミセノマ町家シェアオフィス ミセノマ
会場は築約100年の、生糸問屋、そして内科小児科医院として使われていた京町家です。
西陣の生糸問屋としての風格とともに、町内のかかりつけのお医者さんとしての親しみも感じる空間です。
玄関と広い表の間に、鍾馗さんが「百体百様」といった趣で並んでいます。鍾馗さんは古代中国の歴史上の人物で、鬼に襲われた悪夢から玄宗皇帝を救ったという逸話から、鬼を払う神さまとして祀られるようになりました。やがて、瓦製の鍾馗さんを民家に置くようになり、関西、特に京都は多くみられるそうです。
町家の空間をうまく生かした展示に、それぞれの鍾馗さんたちの個性を発揮しています。迫力のある「本家」鍾馗さん、表情もしぐさも愛嬌のある鍾馗さんと、ゆっくり対面するように楽しく見ていきました。格子を通してさし込む淡い午後の光が、陰影をつくりだして作品としての魅力を感じさせてくれます。

鍾馗さんをプロデュースしている光本瓦店の光本大助さんは、多くの社寺仏閣、文化財、民家の仕事にかかわる瓦職人「現代の名工」です。瓦屋根の工事現場で古い鬼瓦や鍾馗さんに出会います。光本さんによって「救出」された、職人の技がひかるその一部も展示されていました。
珍しい狛犬も、ちゃんと「阿吽」の2体揃っています。これは穴をふさいだりした所をそのままむき出しにしないように取り付けたものだそうです。職人さんの高い技術とともにあそび心、しゃれ心が感じられ「粋やねえ」と声をかけたい気持ちになります。腕もいいけれどセンスも光っています。
瓦屋根の現場からは、たくさんのことがわかるのだと知りました。とても奥が深い仕事です。
NEW STYLE NAOKO PRODUCE
きれいな衣装を身に付けたかわいい鍾馗さんが目を引きます。これは娘さんのなお子さんの作品です。子どもの頃から、ものを作ること、それも絵をかくなど平面よりも立体が好きだったそうで、大学で陶芸を専攻し、卒業してからも陶芸家を目指し、経験を積みました。愛らしい3体は「NEW STYLE NAOKO PRODUCE」として発表しています。
「鬼師さんの鍾馗さんは迫力がありますが、私のは、家の中でにらみをきかす、かわいくて、楽しい新しい鍾馗さんです。」家に帰って、こんな鍾馗さんが迎えてくれたら、魔除けだけでなく、思わず微笑む癒しの鍾馗さんになってくれそうです。

光本なお子さん
光本なお子さん

なお子さんは陶芸の技法と異素材が融合した、独自のアクセサリーを制作していますが、師匠について日常に仕える器も手がけています。土をろくろで成型する時「手が覚えてきたな」と感じると語ります。土と向き合っている人の確かな実感です。
「今回の展示は師匠が担当してくれました」とのこと。帯を使ったディスプレーや、ひな壇のような並びなど、この町家の空間がみごとに生きた展示でした。これから様々な、なお子プロデュースの「NEW STYLE」が生まれてくるのか楽しみです。大助さんと二人で「父娘の温故知新」のような企画展を思い描きました。

シェアオフィスを地域に開く取り組み

町家シェアオフィス ミセノマ町家シェアオフィス ミセノマ
リノベーションされた町家シェアオフィスは、現在3つの事務所が入っています。できるだけ元のかたちを残そうとした改修で、そこここに、かつての人や営みを感じることができます。○○銭という墨の文字も鮮やかな、壁の下張りの反古紙もそのままです。水屋や格子など使えるものは使い、建具などの一部は、古道具店で探してきたものもあります。
季節の草花が自然そのままに生けてあるのも、清々しく、建物に沿っています。すべてスタッフのお母さまが育てているものだそうです。
町家シェアオフィス ミセノマ町家シェアオフィス ミセノマ
展示の間だけでなく、奥の仕事スペースも見せていただきました。はしりのスペースをうまく生かし、りっぱな梁が通った高い天井、緑が気持ちをリフレッシュしてくれる庭など、すばらしい環境です。
医院として地域のみなさんに親しまれた家だったこともあり、表の間を、商家の「店の間」に見立て、地域のみなさんに参加してもらえる「ミセノマ」企画を行っています。今回の「瓦と鍾馗さん」で25回を数えます。6月16日には、光本大助さんの「瓦と鍾馗さんのお話」も開かれます。光本さんは「京都府瓦工事組合」町家を再生し次世代へ受け継ぐための相談窓口である「京町家作治組」「古材文化の会」などの活動もされ、京町家とそれを支える職人の技術の継承に取り組んでいます。
「ミセノマ」がある笹屋町通は京のさんぽ道でご紹介した「カフェ オリジ」の近くです。町並み保存と環境を保つ取り組みを、地域でされています。
課題をかかえながらもそれぞれの場所で「京都のまちと暮らし、生業」を成り立たせる営みが続けられていることを感じました。

 

光本瓦店有限会社
京都市北区大北山原谷乾町117-8

 

町家シェアオフィス「ミセノマ」
京都市上京区笹屋町通 大宮西入桝屋町601

京都のろじの ひとり出版社

京都に変わらずあってほしいもの「喫茶店、映画館、おとうふ屋さん」そして「本屋さん」。
伝えること、知ること、楽しむことの手段はインターネットによることが多い一方で「紙」の確かな手ざわりや個性を、好ましい、捨てがたいと感じている人も少なくないと思います。しかし、現実は出版社や書店が置かれた厳しい現状は続いています。
今回はそんななかで「本の周辺にいて、飽きることがない」と語る根っからの本好きの編集者、ひとり出版社「烽火(ほうか)書房」と書店「hoka books」を運営する嶋田翔伍さんに、話をお聞きしました。

ひとり出版社の「のろし」をあげる

嶋田翔伍さん
京都には古書店も含め、老舗あれば、店主の思いが色濃く反映された新しい書店もあり、それぞれに持ち味があり、本屋めぐりの醍醐味を味わえます。
嶋田さんは出版社で編集者として勤務した後、2019年に「烽火書房」をたちあげました。「烽火」とは「のろし」と読みます。勇ましいイメージの社名ですが、嶋田さんご本人はいたっておだやかで、やさしい雰囲気の方です。「烽火」には「情報がおどろくほどの速さで、全体を網羅するように広がっていく時代にあって、小さくても届くべき人のところに届き、その人にとって意味あるものになる本づくり」という思いがこめられています。
「斜陽」と言われる出版・印刷業で独立するには、よほどの覚悟や強い意志があったことと思いますが、身の丈にあった「小商いと考えています」「好き放題、大きなことをやろうとは思わない。アーティストではなく、編集者なのだ思う」と続けました。
烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
出版した本やhoka booksに並んだ本にも「必要とするだれかに届くのろしのように」という思いを感じます。本の仕入れや棚の並べ方について嶋田さんは「本の編集と同じです。いいなと思う本、だれかに手に取って喜んでもらいたい。そういう出会いのある空間になるようにと思ってレイアウトしています」と話してくれました。デジタルとは別の匂いや質感を感じる空間です。

AFURIKA DOGSのカラフルな布
AFURIKA DOGSのカラフルな布

2階は京都で様々な分野で仕事をしている仲間を中心に、意欲的な企画展が行われています。先月は烽火書房から出版された「Gototogo一着の服を旅してつくる」の著者、中須俊治さんがたちあげた「AFURIKA DOGS(アフリカドッグス)」のアフリカンプリントの展示会がありました。アフリカのトーゴ共和国から中須さんとその仲間たちと一緒に、日本にやって来たたくさんの色鮮やかな陽気な布の魅力と可能性は、多くの人を幸せな気持ちにしました。
烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
取材時は、交流のある出版社との「3社合同フェア 本をつくるし、売りもする」という意欲的な企画展が行われていました。三社三様の個性が打ち出された本が並び、とても刺激を受けました。

仲間とろじ、だれかに届く本をこれからも

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
堀川五条近くの路地の入口に「本」と、これ以上ない簡潔な看板があります。路地の入口はわかりにくいことが多いのですが、これは迷うことはありませんし、雰囲気になじんでいます。こうした調和も大事なことだと感じさせてくれます。
嶋田さんは上京区で生まれ育ち、出版社勤務時代を除いてはずっと京都で暮らしています。
hoka booksのある堀川五条のあたりは、子どもの頃、旅行へ出かけた帰り「ああ、遠くから京都へもどってきたんやなあ」と感じる、日常の生活圏とは境界を隔てた場所だったようで、京都市内でも「上京と下京では違う」そうです。
書店と事務所を兼ねられる所をさがしていて、偶然見つかった町家でした。書店の共同運営者の西尾圭悟さんは建築の専門家で、内装を進める際には、家主さんに、建築基準法など法律に関することをはじめ、きちんと説明をされたことで、良好な関係が結べたそうです。

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
町家の面影を残す階段

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
木の棚など什器の多くは、2018年に新潟県で行われたイベントで現地調達した木材を再利用しています。作業は仲間で協力して進めました。京町家の趣や基本は守りながら、新鮮な雰囲気を感じる、他にない書店になっています。この路地を訪ねてまず目が行く、側面の藍色の陶器もご縁つながりのなかで誕生しました。伝統の技がこんなふうに生かされることは、本当にすばらしいことで、入口の木製のドアも含めていろいろな分野、得意な技術や知識を持った仲間の協力を感じました。
烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
書店、本の販売という仕事について嶋田さんは「編集者は本が完成すると頂上をきわめた、さあ下山という気持になりますが、本はそこからが始まりで、売って下山なのだということを、親しい出版社の営業さんに教えられました」と語りました。そして自社の本だけつくっていると何が正しいか、本当にやりたいことは何なのかと、かえって。迷うことがある、そうした時、他の視点、違う分野で仕事をしている人の考えにふれることが大事だと気づいた。三社合同の今回の企画に参加した出版社のベテランの営業さんから「自分の本、自分とこの会社の本だけ売れたらいいのと違う。みんなで協力して、業界全体がよくなることを考えんとだめだ」と言われたと、実感をこめて話してくれました。

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
前述の烽火書房出版「Gototogo一着の服を旅してつくる」も並べられていました

開催中だった「本をつくるし、売りもする」の企画展でも、書体も含めた色使いやデザイン、使用する用紙など隅々まで、つくり手の気合が伝わる本が並んでいました。観光や出張の人が「京都駅に近い本屋」をインターネットで検索して訪れることも度々あるそうです。
「ここは商業的な匂いがしなくて、暮らしている感じや雰囲気があるのでそれにふれてもらうことができるのもいいなと思っています」、言葉のはしばしに「町内の人」となっている感がにじみます。
毎日の暮らしと同じ地面で本をつくり、売る。他府県や外国から訪れた人は、何年たっても記憶の引き出しから取り出すことができる、かけがえのない思い出になることでしょう。本と紙、印刷、路地と人。ここには普段の京都との出会いが生まれ、新しい縁がつながる大切な場所です。これからも、小さくてもだれかの心に届く、のろしをあげつづけていくことでしょう。

 

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
京都市下京区小泉町100-6
営業時間 13:00~19:00
定休日 月曜、火曜(営業情報はInstagramTwitterでご確認ください)

大学の街に 今日もコーヒーの香り

緑したたる季節は、若々しい学生の街に似合います。左京区の京都大学周辺は、学術的な空気と、普段の学生生活をうかがわせる親しみのある雰囲気があいまっています。そんな学生の街にふさわしいもの、あってほしいのは本屋と喫茶店です。
京都大学の周辺の、それぞれ物語のある喫茶店や古本屋さんは、以前より少なくなっているとは言え、現在も健闘しています。百万遍の交差点から少し脇へ入ったところに、その喫茶店はありました。

ダンディーな初代マスターは明治生まれ

ゆにおんの外観
久しぶりに足を向けた百万遍で、落ち着ける喫茶店に入りたいとぶらぶら歩いていていました。「ゆにおん」と、やさしいひらがなで書かれた看板、高くそびえる棕櫚の木、緑に囲まれ年輪を感じさせながらもどこか愛らしさがあるお店がありました。少し汗ばむくらいの午後の日差しの中、中へ入るとほっと一息つける空間です。おやつの時間帯に、コーヒーとトーストのセットをお願いしました。
お店はお父さんから受け継いだという店主さんが一人で切り盛りされています。
コーヒーをいれたり、トーストを焼いたりしながらも気の置けない、楽しいやりとりが居心地をよくしてくれます。
壁に沿って趣きのある木彫の装飾が施され、見まわすとカウンターの食器棚などにも同様のしつらいがされています。木の色は飴色になり、このお店の雰囲気をつくりだしています。絵がすきで自ら絵筆をふるうこともあったという、お父さんが懇意にされていた作家さんの作品ということでした。
ゆにおんの天井照明
天井の灯りはお父さんがつくられたそうで、芸術に造詣が深い型だったのだなと、そんな会話をはさんで運ばれてきたセットは、しっかり噛みごたえがあって小麦の香りがする天然酵母のパンに、新鮮ないちごミルクがついていました。たまごサンドもおいしくて、すべてがきちんとていねいに作られています。
味とともに「作ってくれた」というあたたかさを感じます。カップやグラスも、お店の雰囲気と調和した味わいがあるものです。自家焙煎のコーヒーは香り高くしっかりした味わいでした。
ゆにおんのトーストセット
ゆにおんは開店から今年で75年を迎えました。初代は明治生まれですが、毎日きちんとチョッキを着て店に立ち「本当に喫茶店のマスターでしたね。娘から見ても本当に格好よかったです」という言葉に、会ったことはないけれど「さぞ、素敵だっただろうな」と思いをはせました。
カウンターの奥には見守っているかのように、やさしい顔立ちのマスターの写真が置かれています。聞けば店主さんもずっと一緒に仕事をされていたそうで、父娘で紡いできた年月が、ゆにおんのおだやかな空間をつくりだしているのだと感じました。
ゆにおん
壁には多くの絵画がかけてあります。「すきなものをかけてある」という言葉の通り、それぞれの個性を放ちながら調和しています。テーブルや花瓶に入った季節の花もすべてが、自然体であるべき場所に置かれています。飾ったり、奇をてらうことのない姿勢が、だれにとっても居心地のよい場所になっているのだと感じます。

歴史や文化は日々の営みの積み重ね

ゆにおんの店内
ゆにおんの店内は、さほど広くはありませんが、とてもいい感じにレイアウトされています。窓の取り方もおしゃれです。建物はその時々の補修をしながら、基本的には変えていません。前は木のドアでとてもいい雰囲気だったのを、代えないとならず今のドアになって、とても残念と話されました。現在のドアもいい感じだと思いますが「どんなドアだったのかな」と想像してみたりしました。
清風荘
窓から見える向かい側の鬱蒼と繁る木々の緑にいやされます。この広大な敷地は「清風荘」と言い、明治時代に首相を務め、立命館大学を創設した西園寺公望の別邸で、現在は京都大学の所有となっています。
新緑の今もすばらしいですが、秋の紅葉は、それは見事なのだそうです。お客さんが「ここに座って、こんなきれいな紅葉見たら、わざわざ他所へ行かんでもええわ」と言われるそうです。
お客さんは初代の頃からの常連さんや京都大学の先生が多く、90歳になった方も来てくれるそうです。なかには久しぶりにやって来て「おお、まだあったか」と言われると笑って話されました。

おとうさんは明治まれですが、その年代の人にしてはめずらしく、偉そうにすることがなく、家族をとても大切にされていたそうです。お孫さんに「おじいちゃん、この宿題教えて」と言われて勉強をみたり、絵を描いていると「上手やなあ」と、とてもうれしそうにされていたということです。曾孫さんもかわいがり、危なっかしい抱っこをしていたという話を、ほほえましく聞きました。
お客さんや周囲の人々に愛されたお人柄を感じます。明治時代にはとてもめずらしい、大恋愛の末の結婚だったとか。自由で愛情深く「コーヒー、喫茶店」という進取の分野に乗り出した明治の京都人です。98歳で亡くなる少し前までカウンターに立ち、お客さんと話しを交わしていたという見事な生き方を聞き、京都の文化、京都のまちの深さを感じました。

ゆにおんのメニュー
手書きのメニューの横にはさりげない彩りが

店主さんは「これまで、いいこともあったけれど、本当に大変なこともたくさんありました。それでもずっと店を開け続けてきました。あきらめへんことやね」と語ります。大学院生の若い人もよく来てくれて「若い人はこんな古い店より、新しいきれいな店のほうがいいんと違うの」と言うと「ここは静かで落ち着けていい」と言って来てくれるそうです。世代を超えて、香り高いコーヒーと喫茶店文化は、京都の学生街に息づいています。
「気まぐれやから」という営業は、だいたい10時開店、閉店は午後4時です。話しているうちに時間切れで頼めなかったプリンを、次回はぜひと思いを残しながら、あたたかい気持ちで帰路につきました。

 

ゆにおん
京都市左京区田中大堰町92
営業時間 10:00~16:00
定休日 日曜日
(ただし営業時間、休業日は変更となる場合があります)

猫がつなぐ 幸せの帽子と普段着

気分がはずむ帽子、どこかへ出かけたくなるデニムパンツ。そして「こんにちは」といった表情のハチワレねこのイラストもほのぼのとした町家工房に出会いました。
帽子やおとなの普段着を、一点一点ていねいに製作する「ハンサム・ベレット」です。いつもの最寄駅ではなく、手前の駅で降りて見つけました。たたずまいやディスプレーから「きっと楽しいものがある」と感じて訪ねました。やはりそこは、猫と人、人と人がつむぎだす幸せな空間でした。

「こういうのがほしい」思いがかたちに

ハンサムベレット
四条から三条商店街までの大宮通は、老舗の京料理店あり、居酒屋に飲み屋横丁のような路地ありというふうに飲食店が多くありますが、地元の商店街といった渋い落ち着きを感じる通りです。
そこに「ハンサム・ベレット」はあります。ウインドー越しに見える帽子や洋服、「看板娘」のようなトルソーや、ディスプレーに使われているミシンにも味わいを感じます。「たたずまい」という言葉がしっくりしてこの通りの風景をつくっています。
ハンサムベレット
ハンサム・ベレットは布作家のご夫妻がユニットを組んで営む「おとなの普段着」をテーマに、帽子や洋服、その他バッグなどを製作する工房です。
髪に悩みがあったことから、洋裁の技術があったので、自分で作った帽子をかぶっていたところ「それ、いいな。私にも作って」とリクエストされたことが始まりだったそうです。持ち込んだ布や洋服を使ったリメイクやセミオーダーにも応じ、お父さんのジャケットや大好きな布など、それぞれに愛着ある一点が生まれ、たくさんの物語をつむいできました。
ハンサムベレットのパンツハンサムベレットのパンツ
以前は工房内でいろいろなタイプの帽子を販売していましたが、今は「はきやすくて、カッコいい」ボトムスが評判を呼び、ネット販売や受注製作が主になっています。ストレッチ機能のあるデニムはめずらしいのですが、長年の付き合いのある仕入れ先から入ります。
ゆったりしたデザインですが「シルエットがきれいでスタイルが良く見える」と好評です。「ストレッチでウエストがゴムなんて、おしゃれじゃない」という大方の思い込みを、うれしいかたちで裏切る定番商品になりました。年配の方に支持されているのかと思いきや、小さなお子さんのいるおかあさんたちにも喜ばれていると聞き「ユニバーサルデザインとは、こういうことなのか」と思いました。
ポケットの位置や大きさ等々、細かいところまで行き届いた丁寧なものづくりで、多くの人が信頼し、またワクワクしながら注文しているのでしょう。生地は「岡山デニム」や国内製造の生地を主に、デザインや雰囲気に合わせて海外のヴィンテージも使います。

ハンサムベレットの帽子
柄にも猫があしらわれたハンサムベレットの帽子
ハンサムベレットハンサムベレットのヘアバンド
ツィギーのヘッドトルソーに飾られたヘアバンド

このベレー帽が一つの完成形というものや、リバーシブルタイプで何通りにも楽しめるターバンもとてもおしゃれです。
「自分自身がこんなのがほしいな、いいなと思うものを作っています。悩みというものは人それぞれで、他人から見たらどうってことないことかもしれませんが、本人は気になったり辛かったりします。あきらめないでその悩みをときほぐす、おしゃれなアイテムがあれば喜んでもらえます」と話されました。性別や年齢、体形にかかわらず、だれもがおしゃれを楽しめる世の中は、いい世の中だと感じました。

猫がいるから今がある

ハンサムベレットのロゴマークの猫
トレードマークになっていることからも察せられるように、工房の内外に、製品にとあちこちに猫と遭遇します。それが少しもうるさいとか、盛り過ぎを感じさせない、ごく自然に「そこにいる」といったふうです。
お二人とも深い愛情を持って猫と暮らし、仕事をしています。以前、野良猫のおかあさんが「これからこの子たちをどうぞよろしくお願いします」というかのように、仔猫たちを連れてきたことは、ハンサム・ベレットの物語が展開した時とも言えます。野良猫かあさんが連れてきた仔猫から生まれた仔猫の家族を探して奔走したり、保護猫活動にも参加されてきました。猫を通して多くの人とつながりができ、猫との暮らしから、やさしく楽しいものが作り出されています。
以前この京のさんぽ道でご紹介した猫本サロンのある「三条会」の商店街もすぐ近くです。
ハンサムベレットのミシン
今はディスプレーに使っているミシンは前の持ち主の方から「ここなら大切にしてくれると思うから」といただいたそうです。「家主さんやご近所さん、三条会のみなさんとは、いいお付き合いをさせていただいてお世話になっています。この棚も、トルソーも、昭和なラジオも気にかけてくださって、いただいたものです」と続けました。
この地に根をおろして14、15年ほどですが、2回も町内会の組長を務め、お地蔵さんなど地域の行事のお世話もされ、すっかり地域の一員です。

ハンサムベレットの猫たち
お手製の猫ちゃんたちの紹介ボード

工房のキャラクターになっているのは「カイちゃん」です。すてきなイラストは自作だそうです。愛情があふれています。ハンサム・ベレットのアイテムは猫柄であっても、子どもっぽいかわいらしさではなく、理屈ではなく「猫が好きな人、わかっている人が選んだ」となんとなく伝わるすてきな生地です。
猫とともにある暮らしはものづくりの大きな力になっています。お二人は「すべて猫がつないでくれた縁です。今あるのは猫のおかげなのです」と語ります。ホームページやSNSでは、猫のベル、アサ、ソラ、アトム、ハル、テラの日常やモデルとしての活躍ぶりが見られます。みんなでハンサム・ベレットの「家業」を盛り立てています。ゆったりのんびりした空気が漂い、みんなが優しい気持ちと笑顔になれる工房です。ぜひ一度お訪ねください。

 

ハンサム・ベレット
京都市中京区大宮通六角下る六角大宮町207
営業時間 10:00~17:00頃
定休日 不定休