数年前、街道のおもむきのある道沿いに、京都らしい民家が並ぶ風景に出会いました。車で移動中のことで、そのまま通り過ぎてしまいましたが「いつかまた来てみたい」と思う印象深い町並みでした。
先日その思い出の場所であり、そこに暮らす人々の息遣いが伝わる「樫原(かたぎはら)」を訪ね、心あたたまる時を過ごしました。
街道を行く旅人になったよう
初夏のかおりを感じる風と気持ちよく晴れた空。思い立って出かけるのにぴったりの天気です。
最寄りの阪急電車桂駅からは歩いても行けますが、その日はバスに乗ってみました。すれ違いも大変そうな道を走るバスは、いかにも「地域の足」といった感じです。行く先は漠然と「樫原」と思っていただけで、降りる停留所も決めていない本当のふらり旅です。
旧山陰街道と物集女街道と呼ばれる西国街道が交差する樫原は、昔から交通の要衝であり、宿場町として大いににぎわい栄えた地域です。そのおもかげを今も色濃く残しています。
歩き始めてすぐ目にとまったのは、小さいながら豊かな流れの川と、その川沿いにある「勤皇家殉難之地」と刻まれた石標と駒札です。
石標は、幕末の蛤御門の変で幕府軍と戦い、逃れてきた志士三名がここで討たれたことを悼んで建てられたそうです。石標の下のほうに「山陽之玄孫 頼 新書」とありました。山陽なら、頼山陽。玄孫とあるので新という方は「頼山陽のひ孫の子ども」ということになります。とても興味をひかれました。
石標は昭和に建てられたと刻まれていますが、一緒に祀られている風化の進んだ古い小さな像は、白いよだれかけもきれいで、地元の方が大切にお守りしていることがわかります。
背後の駒札は脇を流れる「小畠川(こばたけがわ)」の由来が記されています。用水路として造られ、西ノ岡と呼ばれたこの地域一帯をうるおしてきました。また別名「明智川」とも呼ばれる明智光秀との関連も説明されています。水に苦労していた地域の人々の、信長の命により水利を改善するために尽くしてきた光秀への感謝と信頼の気持ちが表れています。その用水路が今もよどみなく流れているという目の前の歴史に感慨を覚えました。その向かい側に建つ古めかしくりっぱな土蔵は「郷倉(ごうくら)」です。
平安時代に年貢米を保管するための建物が始まりで、以来、昭和に入って輸送手段が変化するまで、米麦の集積場として大いに活用されました。付近には多くの郷倉があったそうですが、今たった一軒だけ現存する貴重な歴史資産となっています。郷倉の駒札には「樫原町並み整備協議会(英)」とあります。地元のみなさんが地域の歴史遺産・資産を受け継ぎ、伝えていこうと地道な取り組みをされてきたことを感じます。古い民家のたたずまいを伝える「ばったり床几」のあるお家には、説明板がありました。
現在少なくなったこのような民家を目の当たりにできるとは、すばらしいことです。そして徳川三代将軍家光公をはじめ、諸大名が参勤交代などで宿舎とした「樫原本陣」の堂々とした構えは、街道の歴史を伝え、界隈の景観をかたちづくる要となっています。
風格がありながら威圧的でなく歴史を伝えている、どこか親しみのある雰囲気を好ましく感じました。
「樫原」という固有の文化と歴史が生きる
数年前に通った時から見ると、町家にかわってマンションなど現代の建築の建物が多くなり変化していました。しかし、低層の家が並ぶ整然とした町並みや街道の雰囲気は変わらず保たれています。
「公会堂前」というバス停があり、門を入ってすぐのところに据えられた大きなかめは、江戸時代末期に油商として長州藩ご用達であった小泉仁左衛門家で使われていた油壷です。さりげなく置かれている用具も長い歴史を語り継いでいます。
公民館の隣りに、古い民家のとてもいい雰囲気のお店がありました。中川行夫、政美さんご夫妻が切り盛りする「カフェ ちゃーみーちゃっと」です。
築130年の行夫さんの自宅を可能な限り、元の建築を生かした店内になっています。開業して今年で15年。新鮮な野菜をふんだんに使った季節感あふれるランチや、香り高い至福の一杯を味わうコーヒー、そして古民家の風格と心地よさを感じる空間に固定ファンも多く、SNSやウェブサイトで紹介されています。
ランチは前日の予約が必要なので、次回のお楽しみにして、紅茶とチーズケーキをいただきました。ていねいにいれた紅茶と混ぜ物のない素直なおいしさのチーズケーキで、ほっとひと息つきました。
居合わせたご近所の常連のお客様から、樫原のことをいろいろ聞くことができました。
三ノ宮神社の本殿は、伊勢神宮の社を移築した建物であること「福定寺(ふくじょうじ)」の山桜はとてもみごとなので、ぜひ春に行くといい等々。そして「明治時代、京都でビールが作られて、その麦を樫原で栽培していた。子どもの頃は、ここらへんは麦畑が広がっていた」など、地元に生まれ育った方でなくては聞けない話です。おりしも季節は麦秋。一面に金色の麦畑が広がる風景はどんな感じだったのかなと想像がふくらみました。
三ノ宮神社の「子ども神輿」のことを話された時は特にうれしそうな笑顔になったのが印象的でした。地元の子どもたちのことをかわいがり、ほほえましい日常が浮かんでくるのと同時に、地域の習わしを大切にする思いが伝わってきました。
ちゃーみーちゃっとは、広々した座敷から庭が見え、自然の風や光を感じられるのも魅力です。建物に続いて庭と畑があり、今はあじさいが咲き始めています。これは政美さんのお父さんが農業のかたわら育てたものをもらい、それを段々に増やしていったそうです。咲き方や花の形、色も様々なあらゆる種類のあじさいを堪能することができます。あじさいの別名は七変化ですが、微妙な色の変化も存分に楽しめます。常連さんも「今ではここのあじさいは有名になって、あじさいを見たいから来るお客さんも多い」と言われていました。梅雨の時期にゆっくり、あじさいを眺める時間は静かな、すばらしいひと時でしょう。
伺った日は夜の予約も入っていてとてもお忙しいなか、あじさいの庭を案内しくださいました。去年、今年と天候が不順で枯れてしまった木や、花の付きがよくないものがあったそうで、世話も大変だと思いますが、政美さんの「お父さんのあじさい」から始まった花々を愛おしく思い、大切に育てている様子が伝わってきました。
畑には、山椒、しそ、みょうが、ふき、みかん、きんかんなどがあり、カフェのメニューに季節感を添えてくれます。カフェちゃーみーちゃっとは、樫原に住み、普段の暮らしが根底にあるからこそのゆとりやあたたかさがあります。そこが多くの人が「また来たい」と思う気持ちになるのだと感じました。
短い旅で感じた樫原のすばらしさ
ちゃーみーちゃっとの町内には弁天様の祠があり、毎年夏に「弁天祭」の行事が続けられています。その習わしに参加する家は「弁天町」の五軒(当番の意味の当屋と呼ばれる)のみで構成されています。弁天池のほとりにある祠から弁天様をお連れしてお祀りされるそうです。五軒あった当屋が二軒になってしまいましたが、昨年は地域の方にも声をかけて参加してもらい「地元の長老の方のお話を聞く」企画を実施されました。今年も七月十五日に行われるそうです。
このように、それまでは限られた家のみ参加できた祭りごとも、このように「地域に伝わる伝統行事を継続させる」ための決断もとても重要だと感じました。弁天池へは、7月のイベント企画の打合せに見えた方々も一緒に、ご夫妻が案内してくださいました。
朱塗りの鳥居の奥に木々がうっそうと生い茂るなか、小さな祠がありました。池というより広い沼のようです。以前はれんこんの栽培をされていたそうで、蓮の花がきれいに咲くということでした。ぜひ見てみたいものです。
祠の中の藁の敷物は行夫さんのお父さんが作られたと聞き、伝統の習わしに必要なものは本来多くを自分たちで作っていたのだと改めて思いました。木にのぼって池を見下ろしたり、ここはいい遊び場だったという、行夫さんの子ども時代の、楽しい話も聞くことができました。
ちゃーみーちゃっとをお暇して、愛宕詣りの古い石標と御旅所から、さらに歩いてご常連のお客様に聞いた「樫原三ノ宮神社」へ向かいました。静かな境内をイメージしていたところ、意外にも子どもたちの元気な声が聞こえてきました。幼稚園と保育園があり、お迎えの時間でした。なかなか帰らず、友達と遊びわまっている子もけっこういます。心配なく、のびのびできる格好の遊び場のようです。
しゃがんで何やらさがしている男の子は小さな水晶やキラキラの石を拾うのだと教えてくれました。なんでもそれは「じいじの友だちの、カッパのおっちゃんが、撒いてくれた」のだそうです。袋に入れたお米粒ほどのきれいな石を見せてくれて「これあげるわ」と、大切な宝物を分けてくれました。小学校一年生ですが、遊びに来ているそうで、すぐに同級生がやって来てかけっこやかくれんぼを始めました。
こういう遊びをする子どもたちを久しぶりに見た気がしました。かけっこに誘ってくれたのですが、それはお断りさせてもらいました。
帰り道、男の子のお母さんも一緒に途中まで同行させてもらいました。お母さんも樫原幼稚園に樫原小学校卒業、今も樫原ですと笑いました。この夕方のひと時が樫原の印象をいっそう、あたたかくしてくれました。
樫原は、箱庭的な歴史遺産ではなく、今も住み、暮らす人々の存在が地域を生き生きとそして豊かにしていると感じます。代替わりをきっかけに町並みが変化し、伝統の習わしも継続が難しくなっているなどどこも共通する課題はありますが、課題は課題として、あきらめず、できるだけ楽しく、そして多くの人に知ってもらい参加してもらうことに一生懸命取り組んでいる姿が見えました。
ちゃみーちゃっと中村さんの息子さんが、東京から足しげく帰り、一生懸命樫原のまちづくりに取り組んでいると聞きました。こういうひとつひとつのことが明るい光、希望になると思います。
樫原は江戸の昔のように、街道を行く人々をあたたかく迎える習慣が息づいているようです。まちの魅力、地域の魅力はやはり人の力、魅力だとあらためて強く感じました。
このブログ「京のさんぽ道」も、その視点を常に大切にして、京都の地域や人々の姿を伝えていきたいと思います。
樫原三ノ宮神社
京都市西京区樫原杉原町12-1
カフェ ちゃーみーちゃっと
京都市西京区樫原 下ノ町12