京都の学校で師と仲間、 建築の喜び

前号でお届けしました、京都建築専門学校の学園祭伝統の企画「堀川茶室」がめでたく完成し、卒業生とその家族、ご近所の方、通りすがりの人など、多くの人が晴れた空の下、伝統構法で建てられたお茶室を興味深く見学し、薄茶をいただいていました。
ヘルメットや曲尺、金鎚いろいろな工具が置かれた場所もきれいに片付けられ、学生さんたちが最後の追い込みにがんばった、その火照りをほのかに感じる「フルモデルチェンジ堀川茶室」で至福の一服をいただきました。京都の伝統文化や建築の技と精神を受け継ぐ若い世代の可能性を感じた取材でした。

本当に「どなたでもどうぞ」の開放的茶室

堀川茶室
お披露目前夜、堀川茶室は、足場が取り払われ、風格を感じる堂々とした姿を見せていました。翌朝からお客様を迎えるために気息を整えているようにも思え、しばらく夜の風情を楽しみました。
伺ったのは二日目の午後。茶室とそのまわりで、多くの人が思い思いに楽しそうに過ごしています。秋の透明な光を受けてきらきら光るせせらぎに建つ堀川茶室は本当にすばらしく「三日間限定」がなんとも惜しく思えます。佐野校長先生にそう話すと「式年遷宮と同じようなものだから」と笑って返されました。三日間で解体し、使える部分は再利用していく。なるほど、堀川茶室は基本的には伊勢神宮の式年遷宮と同じと、うなずきました。
OBとその家族、先輩、当初から指導にあたっておられる佐野校長先生ご夫妻も見えていました。世代は違っても同窓のよしみで、親しく会話がされている様子も、この茶室と一体の雰囲気を和やかで開放的なものにしています。
お抹茶をいただいた小さな子が、口のまわりを緑色にしてにこにこ遊びまわっているのも微笑ましい光景です。
堀川茶室

堀川茶室
お茶部のみなさんは来年は自分たちで着付けも挑戦するそうです。

「フルモデルチェンジ」をうたった二間続きのお茶室に、それぞれ釜がかけられ「お茶部」メンバーは大忙しです。今年は男子の着物率も高く、可憐な着物女子と好一対の、きりっとした姿でした。若い人の着物姿が華を添え、あらためて「着物はいいな」と思いました。
学校の名前が染め抜かれたはっぴ姿も、毎年楽しみにしています。日本の衣装は後ろ姿もきまっています。着物とお茶室、堀川の流れ、秋の日差し。これ以上ないほどの、すばらしい取り合わせです。にじり口にスニーカーがあるのも堀川茶室ならではではないでしょうか。
堀川茶室堀川茶室
「小さなお客さま」も入れ代わり立ち代わり席入りしていました。こんな頃から正統な伝統構法によるお茶室へ座ることができるのは、とても素晴らしい経験になると思います。
畳の感触、うす暗い内部、お湯のたぎる音、土壁、藁の匂い。お点前をはじめ、それぞれの所作や立ち居振る舞いも、座った目線になると見え方が違ってきます。きっとこれまでにない新鮮な感覚を持ってくれたのではないでしょうか。来年も来てほしいと思いました。
「今年はどんなんができるんや」と声をかけてくれる人もいました。地元の方がそういうふうに見てくれていると知って、とてもうれしかったです。子どもたちにもっとゆっくり体験してもらえるようにしたいですね」と、お茶部の部長さんが話してくれました。そして「堀川通をこんなに車が通っているのに、茶室に座ると川の水の流れる音が聞こえるんです」と続けて話されたのが印象的でした。
堀川茶室堀川茶室
暮れなずむ頃、佐野校長先生ご夫妻と卒業生の方と一緒に席入りさせていただきました。
笹を漉きこんだ和紙の行灯を見て「これは私が作りました。まだ使われている」とうれしそうに話してくれました。
去年は仕事で来られなくて今年やっと来れたそうです。このように卒業生が忙しい合間を縫って足を運んでくれるところにも「京都建築専門学校」の学びをうかがい知ることができます。

堀川茶室
こちらも先生の奥様が生けた茶花

お花は、竹林での活動に、みんなが楽しみにしている「よしこさんカレー」を差し入れしてくださる佐野校長先生の奥様が用意されました。ほととぎすと秋明菊にセイタカアワダチソウの取り合わせです。とても自由な茶花の発想に感心しました。
堀川茶室は、教職員のみなさん、先輩、家族、地域の方々と多くの人に支えられ、学生もそれに応えてがんばり、毎年恒例の風景ができあがっていくことを実感しました。

出会った「師と仲間」はかけがえのない財産

堀川茶室
建築中の楽しいひとコマ

京都建築専門学校では、先生や学生のみならず、伝統建築に携わる様々な分野の職人さんに直接学ぶことができます。「卒業した後、地元へ帰る学生もいます。それぞれのふるさとでも学校の二年間が生きるように願っています。京都の伝統文化にじかに触れた経験はきっと役に立つと思います」という言葉を聞きました。

寺戸大塚古墳の竹林小屋
寺戸大塚古墳の竹林小屋

その現場での体験は堀川茶室のみならず、向日市の「寺戸大塚古墳の竹林小屋」宇治市の通称歴史公園に建てられた、歴史的なお茶栽培・製茶の伝統に基づく「覆い小屋(おいごや)」、清水焼の聖地「五条坂の町家」の改修「仁王門の家」等々、いくつもあります。
これらの建物が、京都の産業や暮らしの文化を伝える目に見えるかたちとして、これから先も見守られていくよう願っています。
そして、学校で出会った先生や職人さん、仲間と培った経験が、卒業後もきっと支えとなると感じました。

 

京都建築専門学校
京都市上京区下立売通堀川東入ル東橋詰町174

学生たちの堀川茶室 今年もまもなく完成

堀川丸太町の下流に建つ、稲藁で屋根を葺いた建物が目を引きます。歩道を行き交う人や犬の散歩の人々が興味深そうに見ていきます。これは京都建築専門学校の学園祭「建工祭」限定の「堀川茶室」です。学生たちが職人さんの指導を受けながら、伝統構法で建てています。木組みから、竹を細く割って縄で編む竹小舞(たけこまい)を壁の下地にするなど、木や竹、土など自然に還る建築資材が使われています。
京都建築専門学校のみなさんには、この京のさんぽ道でも「暮らしの営みや 人とつながる建築の喜び」「京都西山 竹の春 竹林の農小屋完成」「まだ途中 たけのこ畑でかなえる夢」と竹林整備やメンマ作りの活動を通して、度々取材させていただきました。Z世代と言われる年代の学生さんたちが、一心に鑿や鉋を使って作業する様子や、熟練の職人さんに対する敬意など、こちらが教えられることが多々ありました。

京都建築専門学校の建工祭の堀川茶室
昨年の堀川茶室でのお茶会

堀川茶室は、秋深まる頃の恒例行事として定着してきた感があります。だれでも気軽にお茶室に座って薄茶をいただくことができるこの催しを楽しみにしている人も多いことと思います。案内のプレートに「今年は茶室がグレードアップ!どうぞお楽しみに」とあります。最後の追い込みに大忙しの日にお邪魔しました。2回連続でお届けします。

今年はフルモデルチェンジの二室構成

京都建築専門学校の建工祭の堀川茶室
昨年の堀川茶室の様子

堀川茶室はここ4年間、三畳ひと間のお茶室でしたが毎年、その年ごとの趣向が感じられるすばらしい出来上がりでした。今年はこれまでとは大きく異なり、二室のお茶室となっていました。すごい構想だと感じました。一対とも言えるお茶室は、飛び石と水の流れに調和しています。どうやってお茶室へ入るのか、行き来するのか。謎解きのようです。気品、あたたかみ、簡潔な美しさ、風格など、日本の建物・伝統構法のすばらしさを感じました。
京都建築専門学校の建工祭の堀川茶室京都建築専門学校の建工祭の堀川茶室
建築の専門的なことは知らなくても、木や竹、稲藁、土が持つ心が休まる空気が、じんわりと伝わるのだと思います。しぼのある北山丸太が品格を漂わせています。京都が誇る北山杉ですが、林業の厳しい現状が続いていると思いますが、その光沢のある木肌を間近に見て知ってもらうにも、とても良い機会になると思います。
堀川茶室の北山杉の柱
「京北の北山杉です。伐ってその場で皮をむいて運びました」と学生さんが解説してくれました。1年生ということですが、職人さんの気質をすでにまとっているように感じました。現場で学ぶことは、その人を大きく成長させてくれるのだと感じました。
秋の日は釣瓶落とし。汗ばむくらいだった気温も下がり肌寒いなかで、まだ作業が続いていました。

 

先輩もかけつけて技術の伝授

京都建築専門学校の建工祭の堀川茶室
指導する山田さん(左)と佐野校長先生(右下)

あくる日は学校の先輩である、山城萱葺株式会社代表の山田雅史さんが、茅葺屋根の仕上げの指導にかけつけました。稲藁をさばく手つきもやはり違います。佐野校長先生と一緒に補修の箇所や方法を検討されていました。

この藁は学生さんたちが稲刈りをし、はざにかけて天日干しをした後、京北町から軽トラックで運んできたものです。稲の匂い、乾燥した藁の手触り、積み込むときの重みなど、その実感も建築のなかに生かされていくのだと感じました。
取材時はまだ足場がありましたが、足場が取り除かれると見え方も変わると思いますので、それも楽しみです。

学校では、先輩や左官や大工の熟練の職人さんを招いて仕事を直接学ぶ授業も含めて、かけがえのない体験をすることができます。
そのなかで、堀川茶室は、先輩から後輩へ、建築もお茶の接待もしっかり受け継がれています。秋晴れのもと、お茶室の和やかな雰囲気はとても良いものです。お点前、床のお花や軸、お菓子の調達などお茶部の協力もみごとです。子どもさん連れの方も年々増えているように感じます。着物女子やたまに着物男子のお運びも華を添えます。

京都建築専門学校の建工祭の堀川茶室
昨年の堀川茶室

気軽にお茶室見学と薄茶をいただく、とてもよい機会です。学生さんたちのさわやかな応対も気持ちをくつろがせてくれます。学校の教職員のみなさん、学生さん、みんなでつくり上げる堀川茶室間もなく完成です。京都建築専門学校「堀川茶室」11月3日、4日、5日の三日間です。ぜひお出かけください。

 

京都建築専門学校
京都市上京区下立売通堀川東入ル東橋詰町174

*建工祭「堀川茶室」見学と薄茶のお呈茶
堀川遊歩道 丸太町橋近くにて
11月3日(金)4日(土) 12:00~16:30
11月5日(日) 12:00~15:00

茶壷の口切の季節に 訪ねる宇治

実りの秋は、仕込みものも、時をかけて旨みを増します。左党を喜ばす「秋上がり」の日本酒、八十八夜の頃に摘んだお茶も熟成して深い味となります。これからしばらく、お茶会があちこちで行われ、紅葉を楽しむ野外では親しみやすい気軽なお茶席も多くなります。
久しぶりに宇治を訪れ、町並みは変化しても馥郁と香るお茶の歴史と文化を伝える地であることを感じました。

宇治茶師の伝統を伝える長屋門

上林春松家の長屋門上林春松家の長屋門
JR宇治駅で下車し、海外の観光客の姿が目立つにぎやかな宇治橋通りへ進むと、新しいカフェスタイルのお店と、お茶を商う看板を掲げた伝統的な建物が入り交じっています。スーパーマーケットもできていて、観光と地元仕様の店舗が共存しているのでしょうか。スーパーマーケットを出入りする外国の人も多く見かけました。そして、ひときわ目を引くりっぱな門が見えてきます。代々茶師として重要な役割を果たしてきた上林春松家です。
この「長屋門」は、御茶壷道中やの御用茶壷を送り出す格式高い門です。かつて付近にはこのような長屋門が十数軒あったと記されていますが、現存するのはこの長屋門のみになってしまったそうです。貴重であると同時に、今現在も健在で残していくことの大変さを思いました。
邸内に開設されている「宇治・上林記念館」を見学しました。豊臣秀吉や徳川家康、家光など、歴代の天下人にお茶を納め、また優れた武将であり大茶人でもあった、古田織部や小堀遠州とも親交を示す貴重な古文書が目の前に展示され、ガラス越しとはいえ、とても迫力がありました。製造の工程を描いた「製茶図」や写真、お茶作りの道具もとても貴重な資料だと感じました。

上林春松の蔵出し荒茶
上林春松の蔵出し荒茶

建物も茶師の仕事に合わせた独特の建て方となっています。外から見える二階に張り出した部分は「拝見場(はいけんば)」と言い、お茶の件座やブレンドなどを行う一番重要な場所です。直射日光を遮断できるよう、北側が傾斜をつけた壁になっています。唯一天井窓から自然光が入り、時間に関係なく一定した光で葉茶を見ることができるのだそうです。
湯呑以外は、壁や作業台やお盆など、すべて黒でした。艶のない黒色がお茶の緑色を見分けるために適しているからだそうです。拝見という言葉にも、お茶はとても高価で尊いものであったことを感じます。

秀吉公から賜った「清香」の銘がある「呂宋(ルソン)」壺
茶葉壺「清香」

大きな茶壷は昔、将軍家や諸大名、茶人から届いたもので、それに抹茶に挽く前の「碾茶(てんちゃ)」を詰めるためのものでした。新茶の季節に次々と届く茶壷はさぞ壮観だったことでしょう。この壺にお茶をきちんと詰める「茶詰め」も、茶師の大切仕事だったそうです。新茶は茶壷のなかでゆっくり静かに熟成し秋の「口切」を待ちます。茶壷の封印を切って初めて今年のお茶を味わう、おめでたい「口切に茶事」が行われることも多く、風炉から炉へ移る「炉開き」とともには、お茶人さんにとってとても大切な行事になります。「茶人のお正月」ともいわれるゆえんです。

お茶席では11月からは炉を使います

記念館に展示されている茶壷の雄は秀吉公から賜った「清香」の銘がある「呂宋(ルソン)」壺です。ルソンとは今のフィリピンにあたります。中国で作られルソン経由で日本へ渡ったと考えられるそうです。目の前にあるこの茶壷が、遠い昔、はるかに海を越えて無事に日本に着き、その後こうして今ここにあるということに感銘を受けました。
初代春松の弟「竹庵」は士官の道を選び、家康に仕えたそうですが、その恩を忘れず「伏見城の戦」にはせ参じ、討ち死にされた解説にありました。450年にわたり茶師の家を守ってきた一族の歴史の重みを感じずにはいられませんでした。

お茶の町としての繁栄を願って

上林春松家の坪庭
記念館の並びには店舗があり、厳選されたお茶の販売と、喫茶コーナーもあります。
お抹茶で一服させていただきました。大きなガラス戸の外には坪庭があります。こじんまりしとしていますが、よく手入れされた植え込みやつくばいが目に優しくほっとくつろぐことができます。記念館で見た各流派の宗匠が認めた「茶銘」の書き物の軸装が展示されていました。それもまた見事なものでした。
たとえば「濃茶 橋立の昔 表千家猶有斎好」。これは宗匠に納めたお茶に銘をいただき、それを「○○宗匠御好」としてその名を商品名とするのだそうです。つまり、様々な流派の宗匠の御好のお茶を買うことができるということです。何かうれしい気持ちになります。
記念館に展示してある軸は「ご存命の宗匠のものです」と教えてもらいました。こういうことにもきちんと答えてもらえるところに老舗を感じました。外国のお客さんも多く、日本の文化に関心が高いことを伺わせます。

今の季節限定のお茶「蔵出し荒茶」を買いました。茶農家が収穫したお茶をすぐに蒸して揉み、乾燥させただけのお茶のことです。普通流通しているお茶はこのあと、問屋さんで刻んで葉の大きさを揃えたりブレンドされたりしたものですが、荒茶は葉っぱもそのまま、茎も交じっています。ごく限られたところでしか手に入らないお茶で、濃くてこくのある旨みが特徴とのことでした。荒茶を味わえるのも茶処だからこその特典です。ゆっくりていねいにお茶をいれて味わえば、せせこましい暮らし方が少し変化するかもしれないと思いながら、西に傾いた日差しのなかを宇治橋へと進みました。
宇治橋の三の間
橋のなかほどに「三の間」という秀吉が茶の湯に使う水を汲ませたという、少し張り出したところがあります。現在も「宇治茶まつり」ではここから水をくみ上げる行事が続けられています。三の間から眺める宇治川上流は、平安の昔から人々の心を慰めたのだろうと思える景色でした。
2015年(平成27年)「日本茶800年の歴史」が文部科学省の日本遺産に認定され、そのなかに「茶問屋の町並み」として上林記念館も含まれています。紫式部のまちとして注目され、関心が寄せられることは喜ばしいことですが「日本の茶処」としての深い歴史と文化を、住む人も訪れる人も大切にしていきたいと強く思いました。

 

宇治・上林(かんばやし)記念館
宇治市宇治妙楽38番地
開館 10:00~16:00
休館日 金曜日

旧東海道の面影 たどる小半日

日中は真夏日の気温に閉口しても、朝夕はいく分過ごしやすくなりました。時折りのさらっとした風や高い空に、季節は秋の入り口にあることを感じます。日常を離れて、ちょっとどこかへ行ってみたい気分にもなります。
山科の旧東海道沿いに突如、時代を感じる空間があらわれます。六角のお堂やりっぱな手水舎、古い道標など、東海道を行き来する人々や牛馬の休憩場所ともなっていた境内は、往時の面影を今に伝えています。

六地蔵めぐり第六番札所

徳林庵徳林庵
以前、車で通りかかって目にとまった一画は臨済宗南禅寺派のお寺「徳林庵」です。いかめしい塀などは一切なく、旧東海道沿いに開かれ、おおらかな雰囲気が漂っています。徳林庵は八百五十年の歴史のある「六地蔵めぐり」の第六番札所です。
六地蔵めぐりとは、平安時代の公卿であった「小野篁(おののたかむら)」が病にかかりあの世へ行きかけたところで、地獄で苦しむ人々を救う地蔵菩薩と出会い「地獄の苦しさと私のことを広く伝えてほしい」と命じられました。そこで一本の桜の木から六体のお地蔵さまを彫りました。やがてそのお地蔵さまを、疫病や悪鬼から都を守るために、主要な街道の6か所の出入り口に祀ったのが始まりと言い伝えられています。伏見六地蔵、上鳥羽、桂、常盤、鞍馬口、そして徳林庵の山科地蔵の六体です。六地蔵の地名はここに由来しています。

徳林庵のお地蔵様
境内には御本尊の地蔵菩薩像以外にもたくさんのお地蔵様が

六地蔵巡りのお幡
境内のお堂に、六地蔵めぐりでいただく「お幡(はた)」について詳しく説明された額が掲げられていました。六地蔵めぐりで集めたお幡を玄関の軒下へ吊るしておくと、お地蔵さまに守られている印となって、よいことが集まり、わざわいを遠ざけてくれるそうです。
以前この京のさんぽ道で久御山町へ伺った時「少し前まで、朝暗いうちに家を出て六地蔵めぐりをしていた」とお聞きしました。六地蔵めぐりは毎年8月22日、23日の2日間と決まっています。京都のあちこちの町内で地蔵盆が行われる日です。山科地蔵を祀る徳林庵とその周辺も、露店を楽しみにする子どもたちや無病息災を願ってお参りする人々で、たいへんなにぎわいとなるそうです。通りがかった人が「子どもの頃、本当に楽しみやった」と懐かしそうに話してくれました。お堂に祀られたお地蔵さまは毎年の六地蔵めぐりの折にご」開帳されるそうです。訪れた日は、ひっそりしていましたが、一人、二人とお参りする姿が見られました。徳林庵の開放的でだれでも受け入れてくれる雰囲気は、お地蔵さまを大切に祀る素朴な信仰から生まれているように感じました。

旧東海道は通学班の集合場所

徳林庵の井戸
徳林庵の境内にはお堂のほかに、飛脚や牛馬の休憩地であったことを示すりっぱな井戸があります。「文政四年・・・」「京都 大阪 名古屋 金澤 奥州 上州 宰領中」など筆太にくっきり刻まれています。宰領とは飛脚問屋の取り仕切る役目なのだそうです。
また「通」は途中で人を替えずに最後の目的地まで通す「通し飛脚」を意味しています。現在も輸送関係の企業名には「通」がよく使われていますが、飛脚からきていたということを知り興味深く思いました。
京の三条まであと一息、ここで喉をうるおしもうひと踏ん張りと、元気を取り戻したことでしょう。牛や馬のいななき、人々が交わす声も聞こえてきそうで、当時の活気がうかがえます。
おもしろい形の石があります。これは「車石」と言って、重い荷物を積んだ牛馬車が、ぬかるみにはまらず、スムーズに進めるように両側に石を敷き詰めてあったそうです。
徳林庵の車石徳林庵
菩提を弔う仁明天皇第四之宮人康親王(しのみやさねやすしんのう)の供養塔や六体地蔵も静かにたたずんでいます。奉納された扁額には「山城国宇治郡四ノ宮村 六ツの辻四ツのちまたの地蔵そん 道ひきたまへみだの浄土江」と刻まれています。素朴な信仰の心が深く印象に残りました。
境内と隣り合った小道は十禅寺への参道となっています。山に抱かれた静かなお寺です。
徳林庵
歴史の片鱗、証と言えるものがごく普通に存在していることに驚きます。山科は高速道路の建設で住宅開発が進み、このような里や街道の風情とは結び付かなかったのですが、今回訪れてみて、歴史の懐の深さを実感しました。また、山科地蔵が校区の子どもたちの登校時の集合場所になっていると聞き、ますます山科の歴史は普段の生活のなかにあると感じました。旧東海道は21世紀のいま、刻んできた歴史を子どもたちと共有しています。
中臣遺跡、山科本願寺等々、山科の魅力は、簡単には堀つくせないほど豊かです。

 

徳林庵(とくりんあん)
京都市山科区四ノ宮泉水町23

鍾馗さんと 町家のある京都

梅雨の曇り空の下に、鈍く光る屋根瓦が、低層の町並みに、落ち着いた美しさをつくりだしています。その屋根には、風雨に耐え、魔除けとして家を守る鍾馗さんの姿が見えます。
京都は、昔から鍾馗さんを大切にしてきました。普段は見上げることしかできない鍾馗さんと間近に出会えるという興味深い企画を知りました。町家を改装したシェアオフィスを会場にした「瓦と鍾馗さん」へ行って来ました。

屋根から下り立った鍾馗さん

町家シェアオフィス ミセノマ町家シェアオフィス ミセノマ
会場は築約100年の、生糸問屋、そして内科小児科医院として使われていた京町家です。
西陣の生糸問屋としての風格とともに、町内のかかりつけのお医者さんとしての親しみも感じる空間です。
玄関と広い表の間に、鍾馗さんが「百体百様」といった趣で並んでいます。鍾馗さんは古代中国の歴史上の人物で、鬼に襲われた悪夢から玄宗皇帝を救ったという逸話から、鬼を払う神さまとして祀られるようになりました。やがて、瓦製の鍾馗さんを民家に置くようになり、関西、特に京都は多くみられるそうです。
町家の空間をうまく生かした展示に、それぞれの鍾馗さんたちの個性を発揮しています。迫力のある「本家」鍾馗さん、表情もしぐさも愛嬌のある鍾馗さんと、ゆっくり対面するように楽しく見ていきました。格子を通してさし込む淡い午後の光が、陰影をつくりだして作品としての魅力を感じさせてくれます。

鍾馗さんをプロデュースしている光本瓦店の光本大助さんは、多くの社寺仏閣、文化財、民家の仕事にかかわる瓦職人「現代の名工」です。瓦屋根の工事現場で古い鬼瓦や鍾馗さんに出会います。光本さんによって「救出」された、職人の技がひかるその一部も展示されていました。
珍しい狛犬も、ちゃんと「阿吽」の2体揃っています。これは穴をふさいだりした所をそのままむき出しにしないように取り付けたものだそうです。職人さんの高い技術とともにあそび心、しゃれ心が感じられ「粋やねえ」と声をかけたい気持ちになります。腕もいいけれどセンスも光っています。
瓦屋根の現場からは、たくさんのことがわかるのだと知りました。とても奥が深い仕事です。
NEW STYLE NAOKO PRODUCE
きれいな衣装を身に付けたかわいい鍾馗さんが目を引きます。これは娘さんのなお子さんの作品です。子どもの頃から、ものを作ること、それも絵をかくなど平面よりも立体が好きだったそうで、大学で陶芸を専攻し、卒業してからも陶芸家を目指し、経験を積みました。愛らしい3体は「NEW STYLE NAOKO PRODUCE」として発表しています。
「鬼師さんの鍾馗さんは迫力がありますが、私のは、家の中でにらみをきかす、かわいくて、楽しい新しい鍾馗さんです。」家に帰って、こんな鍾馗さんが迎えてくれたら、魔除けだけでなく、思わず微笑む癒しの鍾馗さんになってくれそうです。

光本なお子さん
光本なお子さん

なお子さんは陶芸の技法と異素材が融合した、独自のアクセサリーを制作していますが、師匠について日常に仕える器も手がけています。土をろくろで成型する時「手が覚えてきたな」と感じると語ります。土と向き合っている人の確かな実感です。
「今回の展示は師匠が担当してくれました」とのこと。帯を使ったディスプレーや、ひな壇のような並びなど、この町家の空間がみごとに生きた展示でした。これから様々な、なお子プロデュースの「NEW STYLE」が生まれてくるのか楽しみです。大助さんと二人で「父娘の温故知新」のような企画展を思い描きました。

シェアオフィスを地域に開く取り組み

町家シェアオフィス ミセノマ町家シェアオフィス ミセノマ
リノベーションされた町家シェアオフィスは、現在3つの事務所が入っています。できるだけ元のかたちを残そうとした改修で、そこここに、かつての人や営みを感じることができます。○○銭という墨の文字も鮮やかな、壁の下張りの反古紙もそのままです。水屋や格子など使えるものは使い、建具などの一部は、古道具店で探してきたものもあります。
季節の草花が自然そのままに生けてあるのも、清々しく、建物に沿っています。すべてスタッフのお母さまが育てているものだそうです。
町家シェアオフィス ミセノマ町家シェアオフィス ミセノマ
展示の間だけでなく、奥の仕事スペースも見せていただきました。はしりのスペースをうまく生かし、りっぱな梁が通った高い天井、緑が気持ちをリフレッシュしてくれる庭など、すばらしい環境です。
医院として地域のみなさんに親しまれた家だったこともあり、表の間を、商家の「店の間」に見立て、地域のみなさんに参加してもらえる「ミセノマ」企画を行っています。今回の「瓦と鍾馗さん」で25回を数えます。6月16日には、光本大助さんの「瓦と鍾馗さんのお話」も開かれます。光本さんは「京都府瓦工事組合」町家を再生し次世代へ受け継ぐための相談窓口である「京町家作治組」「古材文化の会」などの活動もされ、京町家とそれを支える職人の技術の継承に取り組んでいます。
「ミセノマ」がある笹屋町通は京のさんぽ道でご紹介した「カフェ オリジ」の近くです。町並み保存と環境を保つ取り組みを、地域でされています。
課題をかかえながらもそれぞれの場所で「京都のまちと暮らし、生業」を成り立たせる営みが続けられていることを感じました。

 

光本瓦店有限会社
京都市北区大北山原谷乾町117-8

 

町家シェアオフィス「ミセノマ」
京都市上京区笹屋町通 大宮西入桝屋町601

京都のろじの ひとり出版社

京都に変わらずあってほしいもの「喫茶店、映画館、おとうふ屋さん」そして「本屋さん」。
伝えること、知ること、楽しむことの手段はインターネットによることが多い一方で「紙」の確かな手ざわりや個性を、好ましい、捨てがたいと感じている人も少なくないと思います。しかし、現実は出版社や書店が置かれた厳しい現状は続いています。
今回はそんななかで「本の周辺にいて、飽きることがない」と語る根っからの本好きの編集者、ひとり出版社「烽火(ほうか)書房」と書店「hoka books」を運営する嶋田翔伍さんに、話をお聞きしました。

ひとり出版社の「のろし」をあげる

嶋田翔伍さん
京都には古書店も含め、老舗あれば、店主の思いが色濃く反映された新しい書店もあり、それぞれに持ち味があり、本屋めぐりの醍醐味を味わえます。
嶋田さんは出版社で編集者として勤務した後、2019年に「烽火書房」をたちあげました。「烽火」とは「のろし」と読みます。勇ましいイメージの社名ですが、嶋田さんご本人はいたっておだやかで、やさしい雰囲気の方です。「烽火」には「情報がおどろくほどの速さで、全体を網羅するように広がっていく時代にあって、小さくても届くべき人のところに届き、その人にとって意味あるものになる本づくり」という思いがこめられています。
「斜陽」と言われる出版・印刷業で独立するには、よほどの覚悟や強い意志があったことと思いますが、身の丈にあった「小商いと考えています」「好き放題、大きなことをやろうとは思わない。アーティストではなく、編集者なのだ思う」と続けました。
烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
出版した本やhoka booksに並んだ本にも「必要とするだれかに届くのろしのように」という思いを感じます。本の仕入れや棚の並べ方について嶋田さんは「本の編集と同じです。いいなと思う本、だれかに手に取って喜んでもらいたい。そういう出会いのある空間になるようにと思ってレイアウトしています」と話してくれました。デジタルとは別の匂いや質感を感じる空間です。

AFURIKA DOGSのカラフルな布
AFURIKA DOGSのカラフルな布

2階は京都で様々な分野で仕事をしている仲間を中心に、意欲的な企画展が行われています。先月は烽火書房から出版された「Gototogo一着の服を旅してつくる」の著者、中須俊治さんがたちあげた「AFURIKA DOGS(アフリカドッグス)」のアフリカンプリントの展示会がありました。アフリカのトーゴ共和国から中須さんとその仲間たちと一緒に、日本にやって来たたくさんの色鮮やかな陽気な布の魅力と可能性は、多くの人を幸せな気持ちにしました。
烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
取材時は、交流のある出版社との「3社合同フェア 本をつくるし、売りもする」という意欲的な企画展が行われていました。三社三様の個性が打ち出された本が並び、とても刺激を受けました。

仲間とろじ、だれかに届く本をこれからも

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
堀川五条近くの路地の入口に「本」と、これ以上ない簡潔な看板があります。路地の入口はわかりにくいことが多いのですが、これは迷うことはありませんし、雰囲気になじんでいます。こうした調和も大事なことだと感じさせてくれます。
嶋田さんは上京区で生まれ育ち、出版社勤務時代を除いてはずっと京都で暮らしています。
hoka booksのある堀川五条のあたりは、子どもの頃、旅行へ出かけた帰り「ああ、遠くから京都へもどってきたんやなあ」と感じる、日常の生活圏とは境界を隔てた場所だったようで、京都市内でも「上京と下京では違う」そうです。
書店と事務所を兼ねられる所をさがしていて、偶然見つかった町家でした。書店の共同運営者の西尾圭悟さんは建築の専門家で、内装を進める際には、家主さんに、建築基準法など法律に関することをはじめ、きちんと説明をされたことで、良好な関係が結べたそうです。

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
町家の面影を残す階段

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
木の棚など什器の多くは、2018年に新潟県で行われたイベントで現地調達した木材を再利用しています。作業は仲間で協力して進めました。京町家の趣や基本は守りながら、新鮮な雰囲気を感じる、他にない書店になっています。この路地を訪ねてまず目が行く、側面の藍色の陶器もご縁つながりのなかで誕生しました。伝統の技がこんなふうに生かされることは、本当にすばらしいことで、入口の木製のドアも含めていろいろな分野、得意な技術や知識を持った仲間の協力を感じました。
烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
書店、本の販売という仕事について嶋田さんは「編集者は本が完成すると頂上をきわめた、さあ下山という気持になりますが、本はそこからが始まりで、売って下山なのだということを、親しい出版社の営業さんに教えられました」と語りました。そして自社の本だけつくっていると何が正しいか、本当にやりたいことは何なのかと、かえって。迷うことがある、そうした時、他の視点、違う分野で仕事をしている人の考えにふれることが大事だと気づいた。三社合同の今回の企画に参加した出版社のベテランの営業さんから「自分の本、自分とこの会社の本だけ売れたらいいのと違う。みんなで協力して、業界全体がよくなることを考えんとだめだ」と言われたと、実感をこめて話してくれました。

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
前述の烽火書房出版「Gototogo一着の服を旅してつくる」も並べられていました

開催中だった「本をつくるし、売りもする」の企画展でも、書体も含めた色使いやデザイン、使用する用紙など隅々まで、つくり手の気合が伝わる本が並んでいました。観光や出張の人が「京都駅に近い本屋」をインターネットで検索して訪れることも度々あるそうです。
「ここは商業的な匂いがしなくて、暮らしている感じや雰囲気があるのでそれにふれてもらうことができるのもいいなと思っています」、言葉のはしばしに「町内の人」となっている感がにじみます。
毎日の暮らしと同じ地面で本をつくり、売る。他府県や外国から訪れた人は、何年たっても記憶の引き出しから取り出すことができる、かけがえのない思い出になることでしょう。本と紙、印刷、路地と人。ここには普段の京都との出会いが生まれ、新しい縁がつながる大切な場所です。これからも、小さくてもだれかの心に届く、のろしをあげつづけていくことでしょう。

 

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
京都市下京区小泉町100-6
営業時間 13:00~19:00
定休日 月曜、火曜(営業情報はInstagramTwitterでご確認ください)

京都裏寺町 若冲ゆかりのお寺

裏寺町通り。短く「うらでら」と呼ばれる京都の繁華街の真ん中の通りは、お寺と個性的なお店が並び、京都だからこそと感じる独特の雰囲気をつくり出しています。
ここに伊藤若冲ゆかりのお寺があります。開創から740余年の歴史を刻んできた、若冲と伊藤家の菩提寺である「宝蔵寺」です。プライスコレクションをきっかけに、若冲の作品と人物像が広く知られることとなり「若冲ブーム」が起きました。宝蔵寺は、忘れられていた時代も含め、若冲が建立した墓石や所蔵する作品を修復し、守っています。
先日行われた「寺宝展」に伺いました。回りの環境は著しく変化して、お寺を見下ろすようなビルが建っても、宝蔵寺は変わりなく、おだやかな日々を願うお参りの人々をあたたかく迎えています。ご住職の小島英裕さんに話をお聞きしました。

若冲とその仲間が目の前に

寺宝展
寺宝展最終日は春うららの気持ちよい日となりました。裏寺町通には大きなお餅を捧げ持った大黒様が目を引く、寺宝展のポスターが道案内のようにはり出されています。
伊藤若冲は、宝蔵寺のすぐ近く、錦小路の青物問屋の長男として生まれました。若冲とは300年以上前からのご縁でつながっていることになります。宝蔵寺では毎年若冲の誕生日である2月8日に合わせて「生誕会」と「寺宝展」を行っています。今回は初公開の作品が3点、若冲筆の「髑髏図」「竹に雄鶏図」も展示されています。
宝蔵院
普段は公開されていない本堂では「若冲応援団」のみなさんが受付のお手伝いをされていました。こうした活動も、宝蔵寺を支える大切な力になります。廊下づたいに手入れの行き届いた中庭を見ながら展示場の書院へ。美術館とは違う、木造畳敷きの空間が作品との間を近づけてくれる気がします。実際に、直に間近に鑑賞できることはとても貴重です。
おかあさんと小学生の息子さんも「すぐそばで、直に見られることがうれしい。貴重なチャンスだと思って来た」と話してくれました。
芸大生支援プロジェクトの第一弾作品 漆
往年の画家の作品だけではなく、寺院の活性化と、芸術大学の学生活躍の場を提供する「芸大生支援プロジェクト」による漆の作品が2点展示されていました。若冲の髑髏図と松本奉時の蛙図が立体になるという刺激的な試みで、学生や若い作家をこんなふうに応援していくことはすばらしいと思いました。お寺と大学・芸術のコラボレーションという、このような活動こそ京都の本領発揮だと感じました。
若冲筆 竹に雄鶏図

中央は初公開「大黒天図」
中央は初公開「大黒天図」

若冲は、鮮やかな色彩や象や鶏、野菜などの絵の印象が強かったのですが、今回髑髏図と竹に雄鶏図を見て、これまでまったく知らなかった若冲を垣間見たと思えました。弟の白歳や弟子、影響を受けたと思われる画家の絵は、奔放というか自由というか、何物にもとらわれていない力強さ、そして軽さ、おもしろみやほほ笑ましさも感じました。
また大黒天図の「讃」の意味は「こころをただし、正直にして、陰徳につとめる 奢らずむさぼることもない。これを名付けて大黒となす」とあり、思わず襟を正す気持ちになりました。
またポスターになった「大黒天図」を描いた北為明(きたいめい)は、若冲の弟子とみられ、作品は希少なのだそうです。
住職のお話によると、確かにこの画家の作品とするには資料をさがして分析したり、研究者や各分野の専門家の力を借りて、本当にこつこつ地道な月日をかけて、あきらかにされるということでした。「離れていた点と点がつながり、そして掛け軸へつながって謎が解ける時がくるのです」と、話された表情は本当に明るくうれしそうでした。
寺宝展
若冲が参考にしていたという古色のついた二幅の大きな軸もありました。所蔵品の保管はさぞ大変だと思います。順番に函から出して、チェックしていくということでした。「木造ですごく寒いけれど、乾燥しているから保管にはいい」と笑って話されました。お寺という存在が果たしてくれている役割の大きさを感じました。

開かれたお寺への大きな力「どくろ」

宝蔵寺の御住職
寺町や裏寺町のお寺は普段は公開されません。宝蔵寺も「若冲のお寺」として認識されているのは研究者や美術関係など専門家がほとんどでした。住職は、観光寺院のようにはできないけれど、もう少し開かれたお寺にしたいと考え、住職に就任したら若冲の絵の公開をあたためていたそうです。それには何か関心を持ってもらえるもので、すそ野を広げたいと思い考えついたのがどくろの御朱印でした。

伊藤若冲生誕会特別ご朱印
伊藤若冲生誕会特別ご朱印

これがSNSで広がり、全国、全世界に存在する「どくろファン」の間に広がったのだそうです。ご自身も「どくろがこんなに反響と広がりがあるとは思いませんでした」と、うれしい予想外だったようです。住職自身も「得意ではなかったのですが」と言われていましたがホームページを充実させ、「双方向がいい」と、SNSでの発信をされています。反応があるとうれしいけれど、何もない時は「なぜかな」と少しがっかりするそうです。ちょっとほほ笑ましくもあるお話でした。印象的だったのは「本当にうれしい瞬間をアップするようにしている。自分が喜びを感じたことでなければいくら書いても読んでくれる人が喜びを感じられないでしょう」という言葉です。自分自身が感じた喜びを素直に、飾らず、おもねず綴ることの大切さを、自分自身に重ねて問いかけました。寺宝展は様々なことを気付かせてくれました。

お寺のあるまち、暮らすまち

宝蔵院寺宝展
若冲ファン、どくろファン、ご朱印ファンのみなさんの応援が大きくなり、応援する会も含めて「みなさんのおかげです。世話をする末裔の方もいなくなって荒れていた若冲が建てた伊藤家のお墓や、竹に雄鶏図の修復など、多くの人の協力があったからこそです」と住職は語ります。住職もお寺の仕事以外に大学や他府県まで出かけてお説教や法話をされるなどの宗教家としての役目や、この裏寺町の町内会長も務めています。
これまでこの京のさんぽ道では、ぞれぞれの地域に根をはり、家族で営む生業をいろいろご紹介させていただきました。今回宝蔵寺さんを取材させていただき、寺宝展を応援のみなさんと一緒に家族で支えている姿を見て、共通するものを感じ、裏寺町は人が暮らしているまちなのだという思いを深くしました。
お寺が集まっているから寺町の名がついた通りでしたが、移転され、そこが大きなビルになる例も増えています。バブル期とその崩壊、リーマンショックという経済の波、また現状まだ続くコロナと、私たちをとりまく環境は厳しい状況が続いていますが、望みも感じることができました。
宝蔵寺
受付の応援は息子さんの大学つながりの友だちでした。「自然を感じられる場所でとても気持ちがよくて、本当にいい経験ができました」と笑顔で話してくれました。まわりの環境は否応なく変化しますが、日々の小さな積み重ねが必ず生きていくと感じました。そしてお寺は静かに手を合わせれば、気持がおちつく、だれにも開かれた場ということを実感しました。

 

宝蔵寺
京都市中京区裏寺町通蛸薬師上る裏寺町587
通常は本堂の一般拝観なし
伊藤若冲親族のお墓へのお参り、御朱印、授与品 午前10:00~午後4:00
(ただし御朱印は月曜休み)

この場所と コーヒーとアンティーク

霜が降り、水たまりが凍っている今年の京都の冬です。しばらく前のこと、通りがかりに古びたがっしりした建物が目にとまりました。大きく「COFFEE」とあります。先日、近くに行った時に思い出し、ずっと気になっていた建物まで行きました。
そこはコーヒーの焙煎所とアンティークの雑貨や食器が一緒になった、住んでいる人の思いがやどる「だれかの家」のようなお店でした。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ドアのガラスにはWIFE&HUSBANDに続きDAUGHTERとSONの文字が見えます。「妻と夫」「娘と息子」という、まっすぐな名前に深い思いを感じます。オーナー夫妻の家族との日々も映し出された、かけがえのない空間です。
2015年に賀茂川のすぐ近くに自家焙煎のコーヒー店WIFE&HUSBANDを開いてから1年半たった頃、大きな焙煎所とアンティークが一緒になった空間としてオープンしたROASTERY DAUGHTER /GALLERY SONです。コーヒーの香りとともに、季節や時間によって、差し込む光が変化するゆるやかなひと時を送ってくれます。

 

古いビルが生きる焙煎所&アンティーク

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
新たな夢をかなえる焙煎所に適した場所をさがしていたオーナー夫妻が、やっと見つけたのが現在のビルでした。自然を身近に感じる賀茂川畔のお店とはまったく違う街中の古びたビルでしたが二人で「ここだ」とすぐに決めたそうです。
車が頻繁に通る堀川通に面していますが、落ち着いた雰囲気はそこなわれることなく存在感があり、周囲とも調和しています。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
お店の1階はコーヒーの焙煎と豆の販売、2階はオーナー夫妻がこつこつ集めてきた多くのアンティークの食器や雑貨、ビンテージの洋服がwife&husbandの物語を紡いでいます。
そこに集められたものはフランスの19世紀から20世紀初めの食器や小物、そして日本の文房具や暮らしの道具など洋の東西を問いません。丹念にガラスペンで書かれた古いノートの文字の美しさにおどろいたり、反物の端に付ける下げ札の先端の、針より細いくらいのこよりにも、昔の人の手先の器用さに感服したり、あっと言う間に時がたちます。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
窓辺や壁、天井と、あらゆる空間に国の違いを超えて、人の手が作り、人が使ってきた時を刻んだもののあたたかさやおもしろみを感じます。
毎日の暮らしのなかで、元の使い方と違うものに転用するも楽しいでしょうし、何かに使うという目的がなくても眺めているだけで、気持ちをあたたかく包んでくれそうな気がします。時を経て今もあるもののよさを感じることができる空間です。

 

つくろいながら使い続ける

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONの金継ぎ
販売している古い食器や雑貨には時々「金継(きんつぎ)」が施されているものがあります。これはスタッフの方がされていると聞き、本当に古いものを受け継ぎ、すきになってくれるだれかに手渡す仕事をされているのだと感じました。
日本でも少し前までは、つくろい物をする夜なべ仕事が、ごく当たり前のこととしてありました。ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONは、つくろいながら使い続ける暮らし方を思い起させ、そのことはそんなに難しく考えなくてもよい、自分が心地よいと思えることでいいのだと応援してくれている気持ちになります。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
1階にもアンティークの小物が前からそこにあったようにたたずんでいます。最新の焙煎機とともに、コーヒーの麻袋やアンティークがある風景は、始めて来た人にもおなじみの気安さを感じさせてくれます。
海外からのお客さんもゆっくりと滞留しています。きっと心に残る日本の思い出になることでしょう。

 

お店をみんなで育てている

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ビンテージの雰囲気のユニフォームが似合い、自然な笑顔がすてきなスタッフさん。何か聞いたり、商品をじっと見ていた時に、スタッフの方みんなが的確に答えてくれたり、声をかけてくれたことがとても印象的でした。
みなさん、本当にこのお店が好きで大切にしていることが伝わってきました。コーヒー豆を選別し、お客さんを迎え多くの古いものの様子を確認しながらの毎日を尊く感じます。

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
焙煎前、焙煎後と2回行うコーヒー豆の選別

賀茂川畔のwife&husbandと次に生まれたROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON はこれから、スタッフのみなさんと一緒に育てる家のようです。これからもゆっくりと通いたい空間でした。

 

ロースタリー ドーター/ギャラリー サン
京都市下京区鍵屋町22
営業時間 12:00~18:30
定休日 不定休(ウェブサイト営業カレンダーでご確認ください)

うどんと 本格フレンチが一軒に

時雨模様の寒の内、あたたかい湯気が恋しくなります。千本丸太町に70年以上続くうどん屋さんがあります。しっかりとった出汁と細めの麺。京都らしいうどんです。
大改装を経て「うどんとフレンチのお店」に生まれ変わって8年。その間熟成されてきた心地よいお店の雰囲気を感じます。平日のお昼はうどんや丼物、夜と週末は本格フレンチとワインでゆっくり過ごせる得がたいお店です。

カウンターと蝶ネクタイ

阿さひのきつねうどん
うどん屋はシェフの実家です。ご両親が元気に切り盛りしています。繁華街の喧噪から少し離れた千本丸太町という立地にも、この新しいスタイルがしっくりなじんでいます。
付近は、かつて平安宮の中心地で、大極殿跡とされています。西陣織など伝統産業にかかわる人の住むまちで、個人商店や会社も多く、活気にあふれていました。今はマンションやビルが増えましたが、銭湯や和服しみ抜きなどの看板に、かつての面影が感じられます。
阿さひは、長く地元の人たちに親しまれてきました。近所の会社で働く人たちのお昼ごはんや残業の時の出前と、お世話になった人も多いことでしょう。麺類、どんぶり物の定番から、先代から受け継いだ看板の味、巻き寿司や分厚い身が評判の鯖寿司もお品書きにあります。
 

阿さひ阿さひ
お店は大きな提灯が目印です。うどんの時間は赤地、フレンチは白地になります。入口の通路は、京都の路地の趣です。奥にテーブル席、通路の右手がカウンター席になります。
カウンターをはさんで、シェフのご両親がきりっとした立ち居振る舞いで仕事をしています。蝶ネクタイにベスト、ベレー帽と、とてもおしゃれなお二人も、この新しいお店の雰囲気をつくる欠かせない配役のようです。
昼間は、グラスにたっぷりのあたたかいお茶が出され、ほっと一息つけます。何十本もの洋酒が並んだ様子はインテリアの一部のようです。待つ間に瓶のかたちや、ラベルを見るのも楽しいひと時になります。おうどんは変わらぬ「あさひの味」です。
落ち着いた色合いの、夜はフレンチとワインのお店になるカウンターでおうどんをいただくのは、新鮮な感じがします。オープンキッチンのうどん屋さん、なかなかいいものです。

気取らず楽しめる本格フランス料理

阿さひ
シェフは2002年から左京区で、ビブグルマンにも選定されたフレンチレストランを13年間続けました。生まれ育った地へ移転し、実家のうどん屋も引き継ぎつつ、フランスへ渡って得た経験も生かして、おいしいと自分で納得したフランス料理を提供できるお店をめざしました。そして2015年「うどん屋もありフレンチもやる」という画期的な「阿さひRive gaucahe」を開店しました。
リヴ・ゴォシュにはフランスワインはもちろん、ウイスキーやブランデー、リキュールなど様々な洋酒が揃っています。シェフとソムリエールに聞いて「この一杯」を楽しめます。薬草の風味のとてもめずらしいリキュールなど、ワイン以外にも試してみたいお酒がいろいろあります。
阿さひ
料理は、一つ一つがとてもていねいに作られていて、素材に対する真面目な向き合い方を感じます。その日はおつまみと軽めの一品にしました。おつまみに選んだピクルスは、それぞれの野菜の食感も生かしながら中までしっかり味がして、単調ではないおいしさを感じます。野菜のすごさを改めて思いました。
もう一品は、えびとじゃが芋の料理です。えびとじゃが芋の組み合わせがどんなものかイメージできませんでしたが、オリーブオイルと香草になじんで、これが「出合いもの」になっていい味を出していました。自家製のパンがまたおいしくて、料理のよい相棒です。

合間、合間にシェフやソムリエールの方のワインのこと、お二人とも住んで仕事をしていたフランス郊外のことなど、興味のつきない話も、食事をより豊かにしてくれます。フランスの郊外の家は、広い庭があり料理に使うハーブはそこで摘み、買わない、ヨーロッパは乾燥しているので野菜や果物も水分が少なく固いが、火を通すとすばらしく深い味になるなど、聞きながら、行ったことのない、そのフランスの片田舎の風景が何となく目に浮かんでくるような気がしました。
またフランスでは家具なども含め、生活に必要なものは身のまわりにあるものを生かしているとフランスの暮らしぶりも話してくれました。

料理がよく映えるいい感じの器だったので「雰囲気のいい食器ですね」と言うと「それは彼女が作ったのですよ。ほかにもいろいろ店で使っています」というシェフの答えが返ってきました。ソムリエールで、その上、お店で使える陶器を作れるとは、すごいですねとおどろくと「土をさわっているあいだは無心になれます。その時間がとてもいいのです。何も考えない、頭をからっぽにする時間は必要かなと思います」と言われました。
 
左京区のお店で獲得した「ミシュラン・ビブグルマン」は「費用対効果がよく、価格以上に満足感のある料理」高級レストランではなく気軽に食べられるお店が選定されます。リヴ・ゴォシユはその真価のあるお店です。
シェフと対面する「カウンターのフレンチ」など、緊張するというか、少し気づまりな感じがしそうですが、まったくそんなことはなく、気軽に料理もお酒も楽しめます。一人でも友だちや家族とでも、たまには気前よく、家での食事とはちょっと違う、豊かな時間を持つことを大切にしたいと思いました。

親しみやすく本道を行く得がたい店

阿さひ
フレンチの営業時間に掛けられる白い提灯

シェフは、どんな素材も、ここへ来るまでどれだけの月日と手間をかけ、納品されるまでどれだけ多くの人がかかわっているか、食材やワインをはじめいろいろなものが納品されるがそのうち何か一つ欠けてもだめなのだ、そのことを考え、大切にすること、そしておいしい料理にすることを、スタッフに常に伝えています。その視点で目利きした素材を、信頼できる取引先から仕入れています。それらのことが味に接客にあらわれ、お店の空間が生まれているのだと感じます。
「うどんをフレンチ風にアレンジしたら」などとよく言われるそうですが、そういったことはまったく考えていません。きちんととった出汁とバランスのよい麺、それで完成成立しているあさひのうどんです。フレンチも「渾身のブイヨン、フォン」を使った本格フレンチです。
ビヴ・グルマンに選定されたことはすばらしいことですが、お店のプロフィール的にさらっとふれているだけです。お店を探す時の選択のデータの一つに、といった扱いです。
コロナで休業していた期間に黒だった壁を漆喰で白く塗ったり、カウンターも今の色に塗り替えるなどの作業をおとうさんと一緒にされたそうです。それも含めて「これから店をどのようにしていくのか」を考えるよい機会になったと話されました。
阿さひの折り詰め
ワインセラーを背にして、鯖寿司を作ったり箱詰めをしたり息のあった夫婦二人の仕事が進みます。「あんかけ」用の生姜をすったり出汁を用意していたシェフは、魚をさばき、ブイヨンやフォンの様子をみたり、諸々の下ごしらえや仕込みをしています。奇をてらった「うどんとフレンチ」ではなく、それぞれのおいしいと思う料理でお客さんに喜んでもらう、そこに集約されています。おいしいものをいただくことは幸せなことです。
阿さひet Rive gaucheは、食べることを通して、私たちの気持ちをあたたかくしてくれる、静かな誇りを感じる得がたいお店です。

 
阿さひet Rive gauche
うどん屋「あさひ」 フレンチレストラン「リヴ・ゴォシュ」
京都市上京区千本丸太町上ル東側小山町871
営業時間
フレンチ/平日17:30~22:00、土曜・日曜・祝日11:30~15:00
うどん/11:30~15:00
定休日 フレンチ/不定休、うどん/土日祝

タイルで遊ぶ、知る、 そして使う

建物の外装や少し前まではお風呂や台所の流しなど、ごく身近にあったタイル。最近は目にすることが少なくなりましたが、民家の外壁に貼ってあるごく普通のタイルも、モザイク模様のおもしろさや色使いに、ものづくり精神や職人さんの姿を垣間見る気がします。
そんなタイルについて、どこで、どのようにしてつくられているか、製造方法や種類、最新の製品など、およそタイルに関することのすべてを知ることができるギャラリーがこのほどリニューアルして新たなスタートを切りました。職人の誇りも遊び心、これからの暮らしにどう生かしていくかなど、産地も含めてタイルのおもしろさと可能性を感じるタイルギャラリー京都は、新鮮なおどろきと楽しさがいっぱいでした。

タイルは焼き物、窯元でつくられる

タイルギャラリー京都
タイルギャラリーは、京都駅から歩いて5分ほど、大通りの喧噪から離れた静かな場所にあります。モダンで周囲になじんだよい雰囲気の建物です。
ギャラリーの中へ一歩入ると、広々としたスペースに、めくるめくタイルの世界が広がっていました。色、形状、質感も様々な本当にたくさんのタイルが、すてきなレイアウトで展示されています。余分なものがなく正味タイルだけで構成されていることがすばらしいと感じました。
タイルギャラリー京都
ギャラリーの運営を任されている篠田朱岐さんに「タイル事始め」のようにていねいに説明していただきました。窯元は愛知県の常滑、岐阜県の美濃、多治見など、もともと陶器の産地であった所に多いなど、始めて知ったけれど、聞けばなるほど思うことが多くあり新鮮でした。
窓側も上手に利用して、各窯元の特徴や得意とする製品、新しい提案などがよくわかるように展示されています。ていねいで楽しい話ぶりからも、展示の工夫からも、タイルへの深い思いが伝わってきます。
タイルギャラリー京都
海外ではタイルの需要が増えているそうですが、費用の点で日本はクロス張りが増えていると聞きました。しかし、耐用年数はタイルのほうが優れているので最終的にみればタイルが高いわけではないのです。それでそれぞれの窯元もキッチンのカウンター部分に使うなど、一部でもタイルを取り入れられ、家の雰囲気に合った使い方を発信しています。
需要が減少して厳しいなかでも、これまで培ってきた技術と先進性をもってがんばっている会社が多いのだと思います。デザイン的にも優れ、分業が多い業界のなかで、うわぐすりも自社でつくるなど新しい歩みを始めている会社もあるそうです。「タイルをもっと知ってもらえば使い道はきっとある」という気持で、新たな行く末を考えているのだなと感じました。
タイルギャラリー京都
また、窯元とギャラリー双方の思いが一致しているからこそ、会場全体が楽しく、明るく感じられるのだとも思いました。
「これをひとつ、ひとつ手作業で作ったのか」「ここまで狂いがなく、きちんと合わられる技術と心入れがすごいな」など、タイルがみずから発信しているように感じます。
展示パネルは黒い鉄板で、マグネット式に自由自在に張り付けられるようになっています。ひとつひとつの、1センチにも満たないタイルにもマグネットが付けてあります。生半可ではとてもできないことです。思いのこもったタイルの芸術に物語を感じます。

源流を大切にしつつ、概念をくつがえす

タイルギャラリー京都タイルギャラリー京都
タイルは四角く平たいもの。その概念を打ち破る形状のタイルも生まれています。インテリアとしてもすてきです。ピアスや掛け時計などの雑貨の分野にも進出し、現代の暮らしにあった食器も生産されています。
もともと食器を作っていた窯元がタイル製造に乗り出した例も多く、マグカップやプレートなどは得意分野です。「手元に置きたいな」と思うものがいろいろあります。余った粘土でつくった「うどん玉」という、お茶目な作品には思わず笑ってしまいました。

海外でもタイルは製造されていますが「きちんと作る」の精度が日本はすぐれているそうです。細かいモザイクタイルを貼りつけた四角のタイルをさらに何枚も寄せてきちんと一枚の絵画にした「錦鯉の図」がありました。
寸分の狂いもなく仕上げた迫力に、ものづくりの精神は健在なのだと感じました。
堅持すること、革新していくなかみ、その両輪がしっかり噛み合っています。

日本のものづくりの未来

タイルギャラリー京都
タイルギャラリー京都は、タイルの施工会社「山陶」が運営母体となり、元タイル職人であり代表取締役の山下暁彦さんが館長を務めています。ギャラリーは新たにレンガの展示スペースを設け「煉瓦の家」の構想がスタートしています。
タイルの源であるレンガは、明治の工業の近代化のなかで全国各地にりっぱなレンガの建物ができ今も残して活用している所もあります。新しく始まる「煉瓦の家」の取り組みは、伝統的な煉瓦のすばらしさとそれを積みあげ構築する職人技の融合です。
タイルギャラリー京都
現在、館内にはスマートブリック工法という新しい工法で施工された外壁の小さな家が建てられていて、実際に打ち合わせなどに利用しています。キャスターで移動も可能ということで、これから在宅での働き方が増えるなかで需要が見込まれます。
また、レンガに曲線をつけて積み上げた展示もされています。四角なレンガに曲線をつけて積むのは相当難しいことなのだそうです。職人魂のなせるわざです。それぞれ違った風合いを見せるレンガにあたたかみを感じます。篠田さんも「これが味ですねえ」と愛おしげに口にされました。
タイルギャラリーでは、ワークショップも行っています。これから多くの人に参加してもらえるプログラムも増やしていくそうです。

タイルギャラリーのロゴマークはタイルの花びらが開き、花がさく明るい未来を示しているように見えます。「タイルと出会い、遊んで、活かす」を掲げた本当の京都のものづくりを知ることができる楽しい場所です。
前回の紙箱に続き、伝統産業だけではない京都のものづくりの源流と進取の精神を感じた取材でした。また京都のみならず、日本の各地に、志をもってものづくりに励む人たちがいることも知りました。
京都を訪れた人、また地元の人もぜひ足を運んでもらいたいと思います。最期は土にかえる煉瓦とタイルを身近に置く暮らしが広がりますように。

 

タイルギャラリー京都
京都市下京区木津屋橋通西洞院東入学芸出版社ビル3階
開館時間 11:00~16:00
開館日 毎週月曜、火曜、木曜日/第2・第4の金曜、土曜日