左官職人が描く これからの左官屋

しばらく閉店していた喫茶店に、再開のお知らせが貼ってありました。名前は「Cafe silt さかんとおかん」にかわっていました。おかんはお母さん、さかんは左官なのか。窓辺にミニチュアのおくどさんと、どろ団子が並んでいます。色鮮やかな球形のものも、果たしてどろ団子なのかどうか。
左官とおかん、そしてどろ団子。その組み合わせがとても個性的で、強い主張を感じます。大いに興味をひかれ、オーナーで左官職人のその人、三谷涼さんに長時間にわたり話をお聞きしました。「利休さんは大先輩」「土ソムリエ」「おもしろい壁」など次々と意表を突く言葉がつむぎ出され「左官屋が語るこれからの左官」の話に引き込まれました。

小学生の時の左官職人さんとの出会い

三谷左官の三谷涼さん
三谷左官店の三谷涼さん

三谷さんが小学校3年生の時、実家の向かいに新築中の家があり、左官屋さんが毎日仕事をしていました。こてを使う様子がまるで侍の刀のように格好よく、ああいうおとなになりたいとあこがれ、毎日飽きずに見ていました。やがて土を練る手伝いをするようになりました。その頃、同級生はみんな仮面ライダーに夢中になっていましたが、三谷少年は左官の仕事に夢中になったのでした。
毎日左官のおじさんといるのが楽しくて、お昼ごはんも一緒に食べるほど親しくなりました。しかし、いつまでも続くと思っていた職人のおじさんたちとの楽しい日々も、現場の仕事がすんだところで当然のことながら終止符が打たれました。とてもさみしくショックを受けましたが、夏の暑い日の土が発酵した匂いや、練った土の感触、鮮やかにこてを使う所作など、土と親しむ楽しさは深く胸にきざまれました。三谷左官店の歴史は、この小学校3年生の時から始まったと言えます。そしてこの思いが実る道へと進めたのは、中学校の恩師の存在がありました。

三谷さんのアトリエにはさまざまな塗壁が

中学生になっても「壁塗り」への思いは消えず、どうしたらその仕事ができるのか先生に話したところ、親身になって相談に乗ってくれました。そこではじめて、自分がやりたい仕事は左官という職業であることを知ったのでした。「勉強も学校もそんなに好きではなかった」そうですが、自分のやりたいことをどうしていったらいいか悩む生徒に対して、真剣に向き合ってくれた先生との関係を築けていたことは本当に得難いことだと思います。今も交流があり、行き詰った時の励ましがうれしいと語ります。
左官職人のおじさんたち、中学校の恩師と、三谷さんのまわりは生き方の支えになるおとなの存在があり、それはとても大切なことだと感じました。

中学校を卒業すると迷わず、京都で一番厳しいと言われていた左官店へ入りました。当時は住み込みで、親方に仕えるといった感じの修行の日々だったそうです。その修行時代を20年ほど続けました。ずいぶん長い年月に思いますが、三谷さんはあっという間だったと語ります。
経験を積み、左官としての技術や知識がどんどん向上していくうちに「もっとこうしたい」「こういう方法も試したい」と、伝統と自分の感性を掛け合わせたら何ができるかという思いが募り「違う世界で左官の仕事を伝えたい」と考え、2018年9月「京都ぬりかべ屋 三谷左官店」の屋号で独立を果たしました。

左官にまつわるものが飾られた三谷さんのアトリエ

独立に際し、親方からは「これまでのつながりを一切捨てて、裸一貫でやっていけ」と言われたそうです。これまでのつながりを頼って仕事をするな、一から始める覚悟でやれということです。三谷さんは実際に、それまでの関係者や工務店を頼ることなく、独立の一歩を踏み出しました。「失うものがない強さ」とおだやかに話されますが、それは相当な困難を伴うものであったことは想像に難くありません。
とにもかくにもこうしてゼロから左官職人として独り立ちしました。

土を探求し、その可能性を見い出すことが使命


お話を伺ったのは、今年4月に新設されたアトリエです。「土と左官の博物館」と言った趣です。直射日光を避けやや落とした照明に、土の標本や様々な技法のぬり壁、壁土に混ぜ込む藁を細かくした「すさ」鮮やかな色のどろ団子などの見本が浮かびあがっています。まさに美しいアートコレクションです。

三谷さんは「左官は自然との良い関係がとても大切です」と語ります。塗り壁は主に「土、竹、砂、藁、漆喰」などの自然素材で構成され、それぞれの素材が持つ性質、力が合わさって、日本の風土と建物に適した塗壁となるので、素材の本質を知ることは左官の仕事といいます。
土一つとっても、その土地、産出した年によって性質が変わり、また水と混ぜると粘りが出て泥の状態になりますが、この泥の粘り具合が非常に重要になるそうです。そして藁や砂など混ぜる素材の微妙な配合も要求されます。

関西の土は特に塗壁に適した良い土なのだそうです。伝統的な建物の土壁の代表は「聚楽壁」ですが、少しずつ色目の違う聚楽土がずらっと並んでいます。良い素材があり、都であった京都は建築や左官の技術も発達し、全国各地の職人が京都で修業し研鑽を積んだのでした。
それまでは紙張りであった茶室の壁にはじめて土壁を用いた千利休を三谷さんは「利休さんは先輩だと思っています」とにこにこして語ります。400年以上も昔の大茶人と時空を超えて壁のことで交感できるとは、左官とは本当に奥が深いと感じ入りました。

「道具箪笥」とでも呼びたい木の引き出しを開けて見せてもらうと大小様々なこてが、きちんと仕舞われています。こての種類は1000種類ほどもあるそうです。三谷さんのこては、すべて「播州三木の打ち刃物」として知られる三木市の熟練の職人さんの手になるものです。
道具もこのように目の前にできることも、このアトリエの大きな魅力です。今後、左官の仕事、日本の四季に調和した実用と美しさを兼ね備えた塗壁のすばらしさの発信基地になっていくと感じました。

どろ団子から広がる創造する左官の世界


阪急電車の長岡天神駅前の「cafe Slit さかんとおかん」は、どろ団子ワークショップの場として開店しました。子どもの頃、どろ団子作りをした思い出のある人も多いでしょう。カフェ シルトのシルトは左官業で素材を意味するそうです。
三谷さんのお母さんがメニューの考案から調理、接客まで切り盛りしています。ワークショップを開いた時、終わってからみんなで楽しく感想を話したり、余韻を楽しめる場所がほしいと思っていたところ、運よく現在の場所が見つかったそうです。9月の終わりのどろ団子ワークショップを見学させていただきました。

当日参加されたのは、お友達同士の2名の方でした。「どろ団子ワークショップは、左官の仕事を出力したものだと思う」という表現や「手触など感触は実際にやってみないとわからないと思うから」「スポーツでも、自分ができなくても目の前で実際に見たら、すごいと感動する。職人さん、左官の仕事も同じだと思って」など、独自のしっかりした言葉で参加の動機を語っていたことがとても印象的でした。

鮮やかで、またかすかに微妙な色合いなどとても美しいどろ団子は「泥」のイメージをくつがえすものです。化学染料ではなく、すべて天然の鉱物から作られた顔料を配合して独自に作られています。
そもそもどろ団子は、左官の修行中にたくさん作っていたそうです。丸い壁のようなもので、手先の器用さや感性を磨くために切磋琢磨するツールとしてあったとのことです。どろ団子の由来は左官職人さんの修行のなかにあったとは思いもよりませんでした。
参加したお二人の作業中の集中した表情から、完成した時のぱっと輝くよう笑顔に、見ていたこちらもよかったとにこやかになりました。

三谷さんは、職人の仕事を身近に見られた自身の子どもの頃と違い、今は日本の建築や職人の仕事を知るきっかけすらありません。そのような現在、土壁の歴史からひもとき、自然やそれぞれの土地の自然風土をよりどころとした建物やそこで果たす左官の仕事とその大きな可能性を語ります。
三谷さんは長岡京市で生まれ育ち、そして左官店も自宅も長岡京市です。「地元のために」との思いを強く持っています。「今はどろ団子で、次は地元のお米と名産の筍を使った、たけのこご飯をかまどで炊いて、みんなで楽しむこと」と次の展開もイメージされています。

カフェにはかまどが飾られています

「三谷といえば左官職人と思ってもらえるようになりたい。そして100年後、200年後にこの壁、だれが塗ったのかなと思ってもらえる壁を残したいという言葉にも、揺るがない職人魂が感じられます。左官の夢は、確実に広がり、実りをみせています。

 

三谷左官店
アトリエ 長岡京市天神5丁目20-15
見学ご希望の方はご連絡ください。

 

Cafe.silt「さかんとおかん」
長岡京市天神1丁目1-4
営業時間 10:00〜17:00
定休日 金曜、土曜(日曜は月2回)