悉皆とは「ことごとくみな」 全方位の着物の仲介役

悉皆は「しっかい」と読み、ことごとくみなを意味し、着る人とあらゆる工程の専門職を結んで、依頼にこたえる仕事です。それには染織に関する知識と、幅広い職域の職人さんとのネットワークが不可欠です。
「おばあちゃんやおかあさんの着物をどうしたらいいかわからない」「しつけ糸がついたままの嫁入り道具の着物が眠っている」という方も多いと思います。でも、どうしたらよいか、だれに、どこに相談したらよいかわからないという場合が大半ではないでしょうか。そんな時に頼れる相談役になってくれる専門職が「悉皆屋さん」です。親世代も着物はよくわからないという現状の今こそ、その役割の重要性が増しています。
「悉皆 きもの まゆ」の天野まゆこさんと大宮俊介さんお二人の、着物やの本の文化、和装産業を支える職人さんに対するほとばしる思いをお伝えします。

日本の文化に常にふれ合える京都へ

異業種交流会での天野さん(左)と大宮さん(右)
異業種交流会での天野さん(左)と大宮さん(右)

天野さんは美術大学で日本画を専攻し、大宮さんは美術品や工芸品など漆の修復を学んだという経歴を持ち、二人とも日本の伝統文化や技術に対する土壌がありました。
天野さんの着物の原風景とも言える経験は幼い頃にあります。「毎年訪れていた田舎の祖母に、夏はゆかた、初詣にはウールのアンサンブルを着せてもらうのがうれしかったことです。ここが着物の原点となり今につながっています」とその思い出を今も大切にしています。
悉皆 きもの まゆ
一方、大宮さんは大学で修復を学ぶなかで「使う文化を残したい。それは今あるものをどのように使うかという、パズルのようなもの。これは悉皆という仕事と共通しているなと感じました」と語ります。
天野さんは大学卒業後すぐに「日本の文化と常に身近にふれ合えるまち京都」へ、単身やって来ました。知縁も何もないなかで、着物、日本の文化、手仕事へのあこがれと尊敬が、迷うことのない京都行きを決めたのだと思います。そして現金呉服卸問屋へ就職し、悉皆の仕事の基礎となる様々な経験を積むことになります。
毎日多くの反物に囲まれ、全国の産地の染や織の知識をたくわえ、仕入担当を任されるまでになりました。働きながら、和裁や手描き友禅を勉強するなど、あこがれの京都で忙しくも充実した10年間をかけ抜けました。
そして2023年5月、満を持して「きもの まゆ」を開業しました。
悉皆 きもの まゆ
一方、大宮さんは、全国展開する大手の呉服販売会社へ入社しましたが、もっと着る人の側にたった身近に着物を楽しめる提案ができる仕事をしたいと着物リサイクルの会社へ転職。7年間仕事をするなかで、着物好きの同年代と知り合ったり、自分なりの工夫をこらした着物を実際に楽しむなど、思いをかたちにできた7年間を送りました。
そして今年、天野さんと合流し、得意の動画制作も担当するなど、着物に関心のある人、着物好きのすそ野を広げています。

分業で成り立つ和装産業

悉皆 きもの まゆ
伝統産業は分業で成り立っていると言われます。染織の分野でも、呉服の西陣織や京友禅、のれんや手ぬぐいも、いくつもの工程、多くの職人さんがいてこそです。
着物のサイズが合わなかったり、全体に汚れやしみがある場合は「仕立て直し」をして、新しい着物としてよみがえらせることができます。また、部分的な直し方が可能かどうかの検討もします。部分的なら仕立て直しより費用は押さえられます。お直しの方法が決まったところで総額の見積を示します。ファストファッションと言われる低価格の衣料品が多く流通している現在、その金額を見てどう判断するか、依頼主の希望や気持ちを大切にしながら、専門的な観点から適格にアドバイスをします。
一部の直しですむのか、お金がかかっても小物全体を染め直す染替えや仕立て直しをするか、あきらめるか、あるいは他のものに作り替えるかなど、選択肢を示して一緒に考えます。悉皆の仕事で大切なことの一つは、依頼主の気持ちに沿いながら、冷静に判断し伝えることだと感じました。
は縫い専用ミシン
仕立て直しをどのように進めていくかの説明を聞くと、それぞれの工程が欠かせないということがよくわかります。
仕立て直しには「洗い張り」が必要です。洗い張りはまず始めに、着物をすべてほどく(解く)「解き」の作業があります。着物は解いた部分ごとの布をつなぎ合わせるとまた元の反物の形になり、縫い直すことができます。そこが洋服との大きな違いです。着物は本当によくできた衣料だと感心します。このつなぎ合わせる工程を「端縫い(は縫い)」といいます。は縫いには専用のミシンを使います。まゆさんには頂き物のこのミシンがあり、大宮さんが器用に実演して見せてくれました。現在はもう製造されてないそうで、貴重なものとなっています。
は縫いの次は汚れを洗い落とす洗い張り、そして生地を歪みなく整え、幅を一定にする「湯のし」と続きます。また、反物を染めた後に糊や余分な染料を落とす「洗い」、そして色を定着させる「蒸し」、しみ抜きによって色が抜けた部分を目立たなくする「染色補正」もあります。それぞれが専門の職人さんによって確かな仕事がなされ、「目を疑うような」新しく生まれ変わった姿で持ち主のもとに返ってきます。
悉皆 きもの まゆ
天野さんがおばあ様の80年ほど前の着物を仕立て直したものを見せてくれました。帯を締めれば見えない位置に他の布を足して丈を長くしています。「この着物は違う布を足していますが、着物は前身ごろ、後ろ身ごろ、おくみ、衿など直線裁ちの各パーツで成り立っているので、うまく利用してサイズ直しをすることもできます。どれをどう使えばうまく寸法が出せるかなど、まるでパズルのようです。着物は本当によくできていると思います。その優れたところを生かせるのは、分業の専門の職人さんがいるからこそです。土台を支える現場の職人さんにしっかり仕事を発注することで、それぞれの専門職が継続できます。」と、好きなのでつい買ってしまうという反物の山と、どっしりしたたんすを前に尺の物指しを手にして力を込めました。

悉皆屋は着物の可能性と未来を拓く

大宮俊介さん
大宮さんが関西へ拠点を移した時に「へえ、普段でも着物を着るの」とめずらしがられたそうです。「今、20~30代で着物を着る人は増えています。その世代はファッションとして楽しんでいますね」と語ります。
大宮さん自身「男物の着物は多くが茶や紺系で、柄行も同じようなものが多いけれど、違うものも着たい」と思い、女物の着物を羽織に、帯は角帯に仕立てるなどして自由に、自分のセンスで着物を楽しんでいます。
「裏に凝る」羽織は羽裏で遊んだり、着物は別布を継いで袖の幅を出して着られるようにするなど、様々に工夫しながら着物生活を送っています。実際に着ているからこそのアドバイスで、着てみたいと思う人のよい相談相手になっています。
天野さんが染めたすばらしい着物を何点か見せていただきました。着物の構成を知って染めることを大切にされています。帯を締める位置を念頭に柄や色の配置を考えます。こうした染の技術の訓練を受けたことも大きく役立っています。
悉皆 きもの まゆ
家紋を総集した紋帳、内外文様類聚、色見本帳など資料も多くあり、染替えや仕立て直しの時に使います。たとえば、すそや袖口の裏地となる「八掛(はっかけ)」の色はどうするか、見本帳を見て相談します。色を選ぶ時、迷ったり悩んだりするのも楽しみのうちです。「染替えは、お客様がたとうを開ける時まで、思い通りの仕上がりになっているか、満足していただけるか本当にどきどきします」
染替えは落語家さん、芸妓さん、地唄など伝統芸能の分野の方はよくされるそうです。京都という地の特色でしょう。
悉皆 きもの まゆ
天野さんは「おばあちゃんやお母さんの着物、七五三に着せてもらった着物など、思い入れのあるものを大切に伝えていきたい」と語ります。可憐で華やかな七五三用の帯がありました。振袖の赤色に合わせて揃えたものです。
このように、新しい商品の相談に乗り、手配することもできます。現金呉服卸問屋で働いた時、一般消費者のお客様にも良心的に販売していた社長さんの志を継ぐものです。10年間の卸問屋勤務は、多くの問屋、メーカー、職人さんとつながり、呉服の知識を積んだだけでなく、お客様とそれぞれの専門職をつなぐ、だれもが良いようにという精神も養われました。
天野さんと大宮さんお二人が進める、「ことごとくみな、現代の悉皆屋さん」の仕事は、「こういう相談ができるところを探していた」と、多くの人の共感を得ていくことと思います。
悉皆 きもの まゆ
古き良きものに今の暮らしや気持ちにかなう変化をつけながら、本道を伝えていく。
前回の「漆の表望堂」と続けて、熟練世代より若い世代が日本の文化、伝統に取り組む姿をご紹介しました。志あるこの世代が先達に敬意を払い、技術や精神を受け継ぎ、さらに次の世代へとつなげていく、その実感を強くした取材でした。

 

悉皆 きもの まゆ

語り尽くせない 漆の魅力と可能性

「麗しい」が語源とされる漆は、少し前までは暮らしの様々な場面で使われてきました。
お客様のお茶には茶托を使い、家で作ったちらし寿司やお赤飯をお重に詰めて届けたり、新年は特別のお椀でお雑煮を祝うなど、漆器が登場する場面は度々ありました。やがて家族構成や暮らし方の変化とともに「塗り物」は日常生活から縁遠いものになり、漆を「うるし」と読めなくても当たり前のように思えるこの頃です。
しかし一方で、伝統の技法を継承すると同時に、漆のあらゆる可能性を引き出し、現代の暮らしのなかに、うるおいや楽しさをもたらしてくれる作品が着実に生まれています。
学生時代の漆の工芸品との衝撃的な出会いから、迷うことなく進んだ漆の道について、生き生きと語る姿が印象的なその人、島本恵未さんに話をお聞きしました。

「なりわいを産業に」蒔絵師、会社代表となる

表望堂

表望堂の島本恵未さん
表望堂の島本恵未さん

明るく開放的な工房でお話を伺いました。伝統工芸の工房というと「ひっそりした町家の奥」という思い込みのイメージがありましたが、表望堂の工房は訪れた人が臆せず漆にふれ、学ぶことができる空間です。茶道具の棗、色漆が鮮やかなモダンなお重箱、蒔絵をほどこしたグラスなどがディスプレーされ、漆が持つ多彩な表現を目の当たりにすることができます。
大学で日本画を専攻していた島本さんはある日、優美な金蒔絵をほどこした桃山時代の漆の工芸品と出会い、絵画とは異なる美の表現におどろきを感じたと語ります。そして漆という素材と、人の手による仕事のすばらしさを知ったことは、その後の歩みの道筋となりました。「漆に魅入られ」師匠にも恵まれ弟子入りし、独立を果たした後もひたすら漆に取り組んでいます。
表望堂
漆の歴史は古く、縄文時代までさかのぼると言われています。狩猟や農具、食器、船や建物など広範囲に、補強や接着材、塗料として、また魔除けの祭具にも使われてきたことがわかっています。はるか一万二千年も前の人々はどのように漆の木と出会い、その樹液が生活するうえでとても役に立つものであることをどうして知ったのか。想像の世界が広がり、縄文の人々の暮らしぶりを思ってみます。
漆は、島本さんが最初に出会った工芸品のような優美、絢爛豪華さを表現する一方で、優れた材料として縁の下の力持ち的な質実剛健な要素も持ち合わせています。そこに漆に宿る力を感じます。また日本の各地に、津軽塗、会津塗、輪島塗などその土地の名前がついた塗りがあり、地元の誇りとなって伝統が受け継がれてきました。
表望堂
島本さんのお話のなかに「なりわい、産業」という言葉がくり返し出てきます。島本さんは漆の仕事を、暮らしが成り立つように、また、材料、刷毛や筆など道具類を作る職人さんや、それを扱う業者さんも含めて、業界全体が継続できる道をつくることが大切だという思いを強く持っています。その構想を具体的に進める大きな一歩が会社の立ち上げでした。2014年に夫で塗師(ぬし)の杉本晃則さんと漆工房「表望堂」を設立し代表となりました。
手がける仕事はお重箱、グラスなど暮らしの用品、茶道具、神社仏閣の建造物や什器などの修復、ホテルやレストランなど建築物、サイドテーブル、アートパネルなど多岐にわたっています。
蒔絵師としての仕事とともに、商談や様々な打合など、会社の代表としても多忙を極めているはずなのに、きりきりした様子はうかがえません。漆の仕事を通して多くの人と出会い、連携し、仕事を創出する毎日がいかに充実しているかを感じます。「会社の代表をどうするか夫と話し合った時、人と話したり、外へ出るのは私が向いているかなということになりました」と聞いた時「蒔絵師も営業・社長業も天職」と感じました。職人と経営の両輪はしっかり地について回っています。

技と自由な創造力炸裂、かわいくて凛としたウニ

表望堂表望堂表望堂
表望堂は、島本さんが蒔絵師、夫の杉本さんは本体に漆を塗る塗師、会社の立ち上げにもかかわった修復を専門とする社員さんと、それぞれが高度な専門技術をもって漆に関する様々な依頼にこたえています。島本さんが専門とする蒔絵は、漆器の表面に漆で文様を描き、それが乾かないうちに、金や銀の粉を「蒔いて」絵にすることから蒔絵と名付けられたといわれる日本独自の技法です。夜光貝や白蝶会、あわびなどの貝を加工してはり付ける螺鈿(らでん)の技法も含みます。
夫の晃則さんの塗師という仕事は、木地本体に一から漆を塗る仕事であり、塗っては研ぎ(磨き)を何回も繰り返す、根気と集中力を必要とする仕事です。塗り重ねられた表面は強度を増し、そして鏡のように静かな美しさをたたえています。これでこそ金蒔絵も映えます。夫婦共同で幅広い要望にこたえる一方で、それぞれの創作も意欲的に続けています。
ボンボウニエール
ある日、螺鈿に使う貝を購入しているおなじみの「貝屋さん」に行った時に、たくさんのウニの殻が積んでありました。食用にはならず増えて困る、何か使えないかと持ち込まれたものの、貝屋さんも持て余していたそうです。それが思わず「かわいい」と言葉が出てしまう作品になりました。ウニの殻をそのまま生かして制作された、その名も「ボンボウニエール」です。
お菓子のボンボンをいれる容器「ボンボニエール」からの発想で名付けられ、色漆をまとった姿で「京都クラフト アンド デザインコンペティション2024-2025」のグランプリを受賞しました。愛らしさだけではなく、堂々とした品格、凛としたたたずまいに心が引かれます。楽しく斬新だけれど奇をてらうことなく、漆の奥深さを伝えています。伝統工芸の世界の新しい風が吹いていると感じます。

なりわいと創作、その密接な関係を追求

表望堂の金継ぎ表望堂
表望堂では、漆について知ってもらう間口を広げる「金継ぎ」体験の講座を設けています。
金継ぎは、壊れたり欠けたりした器を漆で接着し、金で縁取るように飾る技法です。
「10年前はほとんどが茶道をたしなんでいる方や、高齢の方が主でしたが、今は若い人が多くなりました。金継ぎを通して若い世代にも漆を知ってもらい、広がっていくことがうれしい」と語ります。
また最近、海外の参加者がとみに増えたことから改めて感じることがあると言います。西洋は「アーティストとクラフトマンは違う」という考え方です。芸術家と職人とで分けられているということでしょうか。ものに対しても「完全なものか、不完全なものか」が基準になります。
表望堂の島本恵未さん
それに対して日本は、割れたり欠けたり形は変わっても、手をかけて繕い、使い続けます。そして不完全ななかに美を見出す感性が育まれてきました。食物も、ものも、その命を大切にして、最後まで使い切り始末をつける。日本のもののとらえ方や暮らしぶりは、現代にこそ受け継いでいきたい根本があると感じます。
足が折れてしまったワイングラスに竹の足を継ぎ、ガラス面には蒔絵を施し、新しくよみがえったもの。「flower birthday」と名付けられた、たまごの殻に金彩を施した酒器など、すばらしい出来栄えです。「繕う」ことのなかには、日本の手仕事の美しさとあたたかみがあります。
表望堂の島本恵未さん
そこで金継ぎの一工程である、台の上で漆をならすところを実演してもらいました。漆の中にはいろいろな成分が入っているため、それを均等にするための作業です。漆の仕事は、まずはじめにヘラ使いを教えてもらうとのこと。ヘラで盤の上をなぞっているだけのような、簡単な作業に見えますが、慣れないと漆が周囲に広がっていくだけで、なかなか混ざらないそうです。使うヘラは檜、自ら削って作ります。がっしりした台は「定盤(じょうばん)」と言い、高齢の職人さんから受け継いだものだそうです。その先達の確かな仕事と職人魂も伝わっているように思えます。
表望堂
島本さんは、安定した受注とその仕事の質を高めていくと同時に、毎年自身の作品展を行うと決意しています。
現在、なりわい、つまり職人の仕事と創作が別の分野のようになっているけれど、本来、もっと密接な関係にあったはず、職人と作家という隔てがなかったと語ります。
また、作り手だけで成り立っているわけではなく、これまで一緒に支えてきてくれた、様々な業種のみなさんも含めての積み重ねがあってこそ今があると力を込めました。
工房の片隅に漆の木の鉢植えがあります。これは工房の近くに漆の木を植えて育て、漆の地産地消に取り組むという壮大な夢のかけらです。夢は見るだけでなく、かなえてこそ。目の前に樹液をたたえた漆の木の林が見えてくるようです。本当に実現する気がします。

 

株式会社 表望堂 (ひょうぼうどう)
京都市右京区太秦安井車道町21-10

京のよきもの お町内・路地・町家

春は堀川の流れに沿って、行き交う人の目を楽しませてくれた桜と芽吹きの柳。今は濃い緑の葉を茂らせ、影をつくっています。
朝夕は遊歩道で犬の散歩やウィーキングを楽しむ人の姿が多く見られます。顔見知りらしい飼い主さん同士がお互いの愛犬の名前を呼んであいさつを交わす様子に、近隣のみなさんに親しまれている散歩コースであることがうかがえます。堀川通周辺もマンションが増えましたが、路地と町家という典型的な京都の町並みを見ることができます。
堀川

SORAE ソラエ
ガラス作家作のステンドグラスの看板

路地に建つ、築90年の町家を改修して、シェアオフィスとカフェができると聞いたのは冬のことでした。設計を生業とされている店子と大家さん、そしてその縁につながる人たちも含め「参加型」で改修を進めていること、ライブもできるカフェにするという興味津々の計画です。
「春のオープン」を楽しみに待つこと数か月。初夏、梅雨の晴れ間のおひろめとなり、7月からは週末にバータイムも楽しめるようになりました。
大家・設計工房経営・そして「Cafe&Bar SORAE」マスターの竹内智久さんに、1年2か月に及んだ改修のあれこれや、生まれ変わった町家でかなえる夢を語っていただきました。

90年後にあらためてこんにちは

SORAE ソラエ
二条城の少し北、東堀川通は町家が並んだ静かな一画です。江戸時代の漢学者、伊藤仁斎の旧宅とりっぱな松が、界隈の雰囲気に落ち着きを与えています。「お町内」という仕組みが成り立っている界隈であることを感じます。路地を入ると、新しい白木がすがすがしい町家があります。軒先のステンドグラスの看板は、美しく存在感のある目印になっています。入り口のすべりのよい格子戸を開ける時、知り合いのお宅を訪ねるような心持ちになります。
SORAE ソラエ
内部は町家の基本をよく残しながら、西洋アンティークの家具や欄間にはめ込まれたガラス、ジャズピアノを習っていた竹内さん所有のピアノともよく調和しています。壁の色に合わせた青いどろ団子は、長年お付き合いのある左官屋さんからのお祝いです。さり気なく置かれた小さな陶器は、長年陶芸講師をされている奥様の作品です。新旧、和洋の別なく、自然と主の感性に合ったものが集まっているのだと感じます。
この建物は竹内さんのお祖父さまが住んでいた築90年の2戸一棟の町家です。2戸とも空き家となっていましたが、時を経てすばらしい空間に生まれ変わりました。改修前は建物の南側にあったコンクリート塀が取り払われ、町家の外観が見えるようになり、京都らしいたたずまいの路地となりました。そして内部は、ガラス戸からの光りが、時間や季節によって美しく微妙に変化します。
竹内智久さん
竹内さんは設計の仕事中も、お客さんがあるとさっと、カフェのマスターに早変わりします。「設計とカフェと両方手伝ってもらっていて、本当に頼りになる」というスタッフさんと二人で切り盛りしています。
「パソコンを使っている時にお客さんがあると、もう少し集中して仕事がしたかったのに困ったなと思うことがあります」と話すものの、にこにこしていて、さして困ったふうではありません。竹内さんがかもし出す、この何だかとても楽しそうな雰囲気がSORAEというお店を表していると感じます。

SORAE ソラエ
竹内さん所持のピアノもディスプレイに。ライブでも使用します

オープン初日に、お町内のみなさんのご来店がありました。話もはずんだ様子で、帰り際に「ゆっくりさせてもらいました。おおきに」という言葉が聞こえてきました。
これからこのご近所、お町内のみなさんが気軽に使える、良い感じの寄り合いの場になる予感がします。
店内にはいつもクラシックが流れ、週末のバータイムは竹内さんが選んだワインやクラフトビールをジャズとともに楽しめます。土壁の木造家屋は音の響きがやわらかくなるのがうれしいところです。竹内さん自身もピアノをたしなみ、友人知人にも楽器をよくする人がいるので「月1ライブ」を計画しています。ライブスポットとしてのSORAEも期待できそうです。

多くの人がかかわった痕跡が味わいに

竹内智久さん
2戸一棟の長屋をつなげてひとつにしたこの建物は、1階がカフェスペース、2階は竹内さん、そして旧知の間柄である、同業の設計工房のシェアオフィスになっています。竹内さんに2階を案内していただいた時に、設計工房へもお邪魔しました。そこで「はい、回覧板」と渡されていたのがおかしくもあり、ちゃんと町内の一員になっているのだなあ、大切なことだなと思いました。

SORAE ソラエ
参加型で塗った「そら色」の壁

1階のカフェ空間を強く印象づけているのが青色の壁です。壁の色としてはとても斬新ですが、お店の名前のごとく果てしなく広がる大空のようでもあり、また、どこか海のような落ち着いた雰囲気をかもし出し、何人もの人の手によって塗られた「ムラ」がよい味わいを生んでいます。
竹内さんによると「完璧に塗るのではなく、素人が楽しんで塗った雰囲気にしたかった。思い通りの仕上がりになった」とのこと。古い町家の改修には、壁や柱、梁など残す部分と新しくするところの見極めが重要です。今回の改修では、たとえば柱は固定せずに石で支え、揺れを逃がす伝統構法を採用しています。日本の風土に適した優れた構法に感心します。
SORAE ソラエSORAE ソラエSORAE ソラエ
今回の改修には熟練の職人さんに交じり、壁塗り、カフェに続く1階のスペースの三和土(たたき)を固める作業などに、竹内さんの母校でもある「京都建築専門学校」の佐野校長先生と学生さん、店子である設計工房のみなさんも参加されました。その様子が冊子にまとめられています。改修にかかる前の建物からは想像できない生まれ変わった姿になったことがわかります。
楽しそうに壁塗りをしているページは、わいわいと声が聞こえてきそうです。おとなになっても、こんなにおもしろくもの事に取り組めるということに新鮮な驚きを感じました。
あえて古いまま残した荒壁や漆喰の壁と、新しく塗った壁が混在しているところも味があります。学生さんたちは「卒業制作」としての参加でしたが、残念ながら完成前に卒業になりました。ぜひこの完成した姿を見てほしいと思いました。90年前の職人さんも含め、この町家にかかわった人々の手の仕事の痕跡は、これから何十年、あるいはもっと先にわたって、この家の物語を伝えていきます。

路地にビリヤニの香り漂う

SORAE ソラエ
お店のあちこちに飾られた花はご近所の方が「田舎へ帰ったから」とくださったもの、鉢植も頂き物とのこと。よい感じのご近所付き合いが始まっています。
竹内さんは大好きなインドを何回も訪ね、インドのメニューをとりいれることにしました。何種類もの複雑な香りのスパイスが特徴の、インドの代表的なお米料理「ビリヤニ」です。
マトンと野菜、ぱらっとしたお米を煮込む手間と時間がかかる料理ですが、ランチメニューとして限定で提供します。
様々な世代の人がビリヤニを食べながら「はじめての味や。意外といける」などと話している光景を想像すると、ほほえましくなります。江戸時代の高名な儒学者ゆかりの地の名物になるのでしょうか。
SORAE ソラエ
カフェにした一戸には、別のご家族が住まわれていましたが、縁あって竹内さんの所有となりました。「前の所有者のご家族に、お家がこういうカフェになりましたと伝えて来てもらいたいなと思っています」と話されました。それが実現できたらご家族はどんなにうれしいことでしょう。家の記憶がよみがえってくるのではないでしょうか。
竹内さんはまた、この場所を町内会の会議や寄り合いで使ってもらえればと考えています。
そこでまた新しい出会いと地域のつながりが生まれていくと思います。この京のさんぽ道ではこれまで、京都建築専門学校、三条会商店街、好文舎と堀川の地域をご紹介してきました。暮らしの営みが見えるまち、人と人が交わる地域の魅力を感じます。
今後のSORAEにも注目して、気持ちがゆるやかになる空間を楽しみたいと思います。

 

Cafe&Bar SORAE(カフェアンドバー ソラエ)
京都市上京区東堀川通出水下ル四丁目198-8
営業時間 10:00~17:00/
     バータイム:金曜・土曜 19:00~23:00(土曜はバータイムのみの営業)
休業日 日曜・祝日/定休日以外の休業日もあります。インスタグラムでご確認ください。

 

いっぺんに好きになる 井手の町

前号では、駅前から始まった井手のつながりの物語の一端をご紹介しました。
山川知恵里さんとお母さんが営む銘木カフェSHIKIはすっかり、みんなが寄り合う場となり、木造の建物が放つ気の流れにゆるゆると癒されながら、日々新しい物語が紡がれています。
そして、週末はそこから飛び出して、より開放的な屋外でのひと時を楽しめる「お酒とオールディーズ」「犬と自転車とモーニング」が開かれています。
元製材工所だった450坪の広々とした敷地の「ベラシティハウス」は、山川さんと志を同じくする人たちが力を合わせ、地元のみなさんはじめ多くの人に週末の楽しさを届けています。
顔を合わせば、知り合いであってもなくても「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」と自然とあいさつが交わされます。
一度行ったら「また行きたい」とみんなが思う週末の広場です。

行けばだれもが仲間になる広場

井手町お酒とオールディーズ
初夏の日は長く、ゆったり暮れていきます。毎週金曜、土曜の夕方からは「玉水夜市 お酒とオールディーズ」が開かれます。
お子さんも一緒の家族、友だち同士、ご夫婦、一人でと次々と人がやって来ます。不思議と、ばらばら雑多な感じがなく、落ち着いた親近感のある広場になっています。いわゆる「客層」や「ターゲット」というビジネスのとらえ方とはまったく無関係の「好きだから、来たいから」来ているお客さんばかりです。
玉水夜市
一人で来たお客さん同士でお酒を飲みながら話をしたり、友だちを見つけて遊ぶ子どもたちの元気な様子もこの場を盛り上げています。親御さんたちも解放感を満喫しているような晴れ晴れとした笑顔です。「歩いて来れるからビールが飲めてうれしい。昨日も来ました」と笑い「ここへ来ると子どもたちも友だちと会って遊べるのがいいですね」と続けました。一段落してボードゲームを始めた家族もありました。しあわせな光景です。シェフの今日のおすすめメニューを前にして「迷うなあ」「これおいしいですよ」などとお客さん同士がやり取りしています。
お酒とオールディーズ
静かにお酒を楽しんでいたご夫婦は、井手町のとなり木津川市から。「JR棚倉からひと駅。着いたら歩いてすぐなので、とても来やすい」と話してくれました。すすめてくださった地元棚倉のクラフトビールを味わいながら、すっかりこの場に同化し機嫌よく楽しんでいる自分におどろきました。
山川さんとお母さんも、知り合いの方と同じテーブルでくつろいでいます。わびすけセンムも看板犬としてお出迎えです。だれもが気兼ねや気おくれすることなく、それぞれのペースで過ごせる広場です。個性あるキッチンカーの存在もこのエリアを一層楽しく生き生きとした場にしています。

SHIKIで使うパンは噛みしめておいしいtetoteのパン
SHIKIで使うパンは噛みしめておいしいtetoteのパン

金曜、土曜の夜市が明けると、毎週日曜日は「犬と自転車とモーニング」青空のもとの広場になります。
なだらかな坂道のある井手町は、格好のサイクリングロードです。早々に食事をすませ、サイクリングウエアに身を包みさっそうと出発する人、入れかわるように犬と一緒に日曜のモーニングを楽しみに来る家族、ドライブがてら立ち寄る人たちと、様々です。前日に棚倉のクラフトビールをすすめてくださった息子さんに遭遇しました。「何かご縁がありますね」と言葉を交わし、すばらしい日曜日の始まりになりました。

この場所を一緒につくり、支えてくれる人たち


ベラシティハウスは犬も人もだれもが気持ちよく過ごせる場です。飼い主さんは他のお客さんの迷惑にならないように、また犬同士がけんかをしないようにと気を配っている様子がうかがえます。一般のお客さんもまた、心をなごませる動物の存在を寛容に受け入れています。
「お酒とオールディーズ」「犬と自転車とモーニング」の企画は2022年、解体した製材所の跡地の駐車場エリアにキッチンカーが集合して始まりました。世界中を襲ったコロナのため、飲食店をはじめ様々な業種の営業やイベントが中止された時期に当たります。
料理を提供していた側もお客さんも行き場がなく、不安と閉塞感がつのるなかで、人が集い、美味しいものを食べるしあわせを実現させたという実行力と熱意に、本当に敬服します。多くのキッチンカーの出店もあり、まったくの屋外という条件のもとで、暑い日も寒い日も、休まずに提供されたおいしい料理と心があたたまるひと時は、お客さんにとっても大切な思い出深いものになっていると感じます。
井手町

地元特産たけのこのシェフの一品
地元特産たけのこのシェフの一品

オールディーズの夜、お隣のテーブルの方が「今はこんなりっぱな所でこうして飲んでいるけれど、僕はテントの時から通って来ているんや」と話されたことの意味を思いました。提供するお店もお客さんも一緒に寄り合う場をつくり、育てているのだと実感しました。
ベラシティハウスの建物が完成しお披露目されてから1年と少し。コンパクトながら設備の整った厨房からは「こんなに本格的なメニューが出せるの」とお客さんをおどろかせ、喜ばせています。すでに井手の名所となっています。井手に住んでいる人、以前住んでいた人、よそ者だけれどここが好きな人、そういう様々な人が「かかわれてうれしい」と思える土壌があると感じます。ベラシティハウスに感じるおおらかな空気感もそれを示しています。

気兼ねなし、気遣いありの交流の広場

犬と自転車とモーニング
平成の趣きのCDラジカセから懐かしく心地よい曲が流れています。そしてテーブルやベンチ、いすは、かつて製材場で使われていたものです。古いからと捨ててしまうのではなく、引き続き現役で活用できる道を考えることが、これからますます大切になってくると思います。古びていても年季の入った渋い味、新しいものにはない、あたたかみや包容力を感じます。こういったことも人と人の間を取り持ち、近づけている要素となり、魅力であると思います。
お客さん同士も仲良くなりますが、キッチンカーの店主さん同士、シェフも手がすいた時に談笑する様子に気心の知れた信頼できる間柄を感じます。

茶そばの和風ペペロンチーノ
茶そばの和風ペペロンチーノ

めずらしい茶そばのキッチンカー KITCHEN FREEDOMの店主さんは隣り町の多賀町出身。中学校は井手町と同じなので知り合いも多いのだそうです。
男の子たちがサッカーボールを蹴ってあそび始めると、茶そばの店主さんはその中に入っていきました。男の子の友だち同士といった感じです。「みんなと友だちなのですか」と聞くと「ここのあそび場の園長なんです」と笑って答えてくれました。なんと愉快な場所でしょう。ここの茶そばが大好きという常連さんは、入院してしばらく来られなかった時、息子さんが店主さんにそれを伝えに来たそうです。そして退院して初めて来た時は「おかあさん、退院できてよかったなあ」と声をかけてくれたと話してくれました。こんなかたちで思いやる「安否確認」ができるつながりが生まれています。

いつも美味しい料理と気持ちのこもった接客の室シェフ夫妻
いつも美味しい料理と気持ちのこもった接客の室シェフ夫妻

ベラシティハウスのキッチンを受け持つ、よつ葉マートの室シェフは長年イタリアンレストランで腕を磨いてきたベテランです。季節の素材を使った本格的なレストランの味を気軽に楽しむことができます。元気いっぱいの地元の野菜と時々の魚介を合わせた一皿は、気取らずもりもり食べるのがおいしいのです。料理はできあがると、席まで運んでくれます。ご夫婦二人で切り盛りされているので、てんてこ舞いできりきりしそうですが、そんな様子は微塵もなく自然に軽やかに「お待たせしました」とおいしい一皿が運ばれて来ます。
室さん一家は、仕事の関係で亀岡から移住されました。家を探していた時に自然豊かな井手の里の風景が心にとまり、いつか住みたいと思ったそうです。そして縁あって井手の町民となり、今や井手のにぎわいつくりの中心の存在となっています。住んでみて井手はどんなところでしたかとたずねると、ご夫婦そろって「みんな優しくて、とてもいいところです。ここに住んで本当によかったと思っています」と即答されました。室さんの料理がおいしいのは腕もさることながら、こうした家族みんなが「住んでよかった」という井手への深い思いがあるからだと思います。
犬と自転車とモーニング
だれもがのびのびと気兼ねせず、そしてさりげない気遣いを感じる空間、この空気感を山川さんが運営するゲストハウスの外国のお客さんも楽しんでいます。常連さんも「ここへ来るといろいろな国の人に会えてええわ。フランス、ベルギー、マレーシア、中国、ほかにも」と話していました。何も垣根のない自由でゆるやかな国際交流の場です。銘木カフェや元製材所だったベラシティハウスという屋外の広場から、どんどん井手の町と人のすばらしさが世界中へ発信されていくことでしょう。
犬と自転車とモーニング
一人で来ていた若い女性のお客さんの「ほぼ毎週来ています。すごく元気な時も、すごくしんどい時もここへ来るんです。」という言葉に、この場所の持つ意味と役割を感じました。これから先、自然災害も含め思わぬできごとや困難に出会うかもしれません。そうした状況のもとでもきっと「ここはみんなにとって大切な場所なのだ」と、多くの人が我が事として力を貸してくれると思います。井手へ通うなかで、ここが好きと思う一人一人の存在が町の将来をつくっていくのだといっそう強く感じています。

駅前から始まった つながりの物語

今回訪ねた井手町は京都府南部、奈良県に近く、万葉の時代から多くの歌に詠まれてきた歴史と自然にはぐくまれた町です。
この人口約7000人ののどかな町に、今、静かな熱気がみなぎっています。
銘木をふんだんに使った建物の駅前カフェに人が集まり、知り合いであってもなくても、お客さん同士みんなが木の空間の心地よさを共有し、寄り合う「場」をつくりあげています。
地元のみなさんが気軽に立ち寄って、朝の一杯のコーヒーを味わい、家族でおいしいご飯をいただき、気ごころの知れた同士で、ほがらかなおしゃべりで盛り上がります。
あたたく、のんびりできる心地よい陽だまりのような空間。みんなが待ち望んでいた、気軽に寄り合える「駅前カフェ」ができました。井手の良さを楽しく発信する場「銘木カフェSHIKI」店長、山川知恵里さんに、ここに至るまでのこもごも、そして今実感することなど、おおらかに自在に語っていただきました。

先人が守り伝えた三つの宝「玉川・山吹・桜並木」

JR奈良線
訪れたのは4月初旬。玉水駅から井手探訪を始めました。玉水という美しい名前にたがわず、古歌に詠まれた豊かな風景が広がっています。玉水駅は駅舎がきれいになり、道路も拡幅されていて以前とは雰囲気が変わりましたが、どっしりした構えの家並みは、昔の街道筋のおもかげをとどめています。
近くを流れる玉川の水は「井手の玉水」と言われ、古くから名水とされてきました。訪れた日の玉川沿いは、桜と早くも咲き始めた山吹、そして名残りの椿と、これぞ爛漫の春という風景でした。山吹は井手に別邸を構えた奈良時代の高官、橘諸兄が好んだと伝えられ、古来より多くの歌に詠まれてきました。玉川沿いにはいにしえの歌人の歌碑があり、それを見ながら歩くのも楽しいものです。
井手町でお花見を楽しむ外国人グループ
ご近所の方らしいご夫婦が何か語らいながらゆっくりと歩いて行きます。赤ちゃんをベビーカーに乗せカメラを片手にしたおかあさんが二人、ハイキングスタイルの女性グループ。みんなこの季節の贈り物を満喫しています。
職場の仲間で、河原でバーベキューを楽しんでいる人たちがいました。お手製のふるさとタイのソースを持参して、桜の下で最高の宴です。お相伴にあずかりました。彼女たちの明るさが、のどかな井手のお花見をいっそう楽しいものにしてくれました。
井手の玉川
井手は昭和28年「南山城大水害」に見舞われ、玉川も大きくその姿を変えてしまいました。しかしその後、地元のみなさんの尽力で壊滅状態となった山吹と、さらに桜を植樹され、それが今私たちが楽しんでいる玉川沿いの美しい景観となっています。
この景観を保つために地元の方たちが手をかけ、大切にされていることを心に留めたいと思いました。

お花見期間の10日間、SHIKIでは今年も井手町を盛り上げる「桜横丁・玉水夜桜市」が取り組まれました。地元のみなさんも楽しみにしているマルシェは、多くの出展者の参加で最高のにぎわいを見せました。終了後の「春眠休業」を終えると、普段通りに次々とお客さんがやって来ます。それぞれのお客さんにとって、この場所がすでに日常になっていると感じます。

木のすばらしさを感じながらつながる場所

銘木カフェSHIKI銘木カフェSHIKI
銘木カフェの建物は、山川さんの父親で建築士の元志さんが自ら設計し、仕事をしていた建物です。元志さんは「人に優しい呼吸するムク木の家」を提唱し、数多く手がけてきました。
カフェの建物も、天然木や無垢の木など銘木が使われ、壁には漆喰が塗られています。
「木を味わう」カフェは天井が高く、窓から差し込む自然光が気持ちをよりおだやかにしてくれます。2階はフリースペースになっていて、様々な講座やコンサートにも使用できるようになっています。
この建物を「喫茶店だと思った」と言われることが多く、山川さん自身も井手には行く場所、お店がないなと感じていました。駅前のにぎわいつくりにこの建物と場の役割は大きいと感じたそうです。
銘木カフェSHIKIの看板犬、侘助くん
2022年4月、調理師免許を持つ山川さんのお母さん、そして柴犬の侘助(わびすけ)くん(肩書は看板犬、または専務)で「銘木カフェSHIKI」立ち上げに至りました。
これは「木を志す」企業としての志木の理念、そして父親の元志さんの志を継ぐものであり、同時に、地元の企業や人とつながり取り組む「駅前賑やかし計画」でもあります。
銘木カフェSHIKI銘木カフェSHIKI
取材で伺った日の午後。「来店頻度ナンバーワン」というお客さんをはじめ、ご常連の方と一緒になりました。お客さん同士もゆるやかに会話し、ここが気の置けない空間であることが伝わってきます。地元食材を使ったメニューは、名物メニューになっている山背(やましろ)オムカレー、ロコモコ、ハンバーグなど、すでにすばらしい洋食屋さんの味になっています。自宅で収穫したはっさくで作ったピールのチョコレートがけも絶品です。
店内にはほかに、ジャムやクッキー、焼き菓子、「金曜日の朝焼パン」など、思いを同じくする近隣のみなさんの食品も置かれ「ちょっとした買い物」も楽しむことができます。
「木」を素材とするアクセサリー、また「わびちゃんに会いたいから来るの」と絶大な人気を誇る「WABISUKE」のグッズ専用コーナーもあります。侘助くんのイラストや店内外の看板など、とても雰囲気のよい手書き文字もすべて山川さんの手になるものです。ひとつひとつをおざなりにせず、楽しみ慈しみながらの店づくりがSHIKIという唯一無二の空間をつくりだしています。
銘木カフェSHIKIの看板犬、侘助くん銘木カフェSHIKIの看板
小学生の男の子がかけこんで来ました。「おかあさんと待ち合わせ」という言葉がごく自然に感じられます。おかあさんが到着後は宿題にとりかかっていました。
「ここへ来るといろいろな人に会えるから楽しい」と、みなさん様々にSHIKIの良さを話してくれました。
井手町の以前のにぎわいを思い起させる「駅前喫茶」として、気取りのないみんなの居場所となっています。

一木一会、銘木創古

「銘木カフェSHIKI」店長、山川智恵里さん
2020年、世界中がコロナに見舞われ様々な仕事や活動が休止を余儀なくされた年、山川さんが始めた、祖父母の日本家屋を活用したゲストハウスなどの運営もストップせざるを得なくなります。
そのようななかでも、桜の季節にマルシェを実行し、他のイベントが中止され、行き場のなくなったキッチンカーが出店できたなど、先行きが見通せないなかでも周囲の人と一緒に考え、動きました。
そして、そういった取り組みの最中、元志さんが倒れ、亡くなられてしまいました。その大変な状況のもと、国の「事業再構築補助金事業」に取り組み、クラウドファンディングに挑戦し、多くの人の支援を得て2回のクラウドファンディングを成功させました。
その力のみなもとは、一緒に地域盛り上げに取り組んできた仲間や友人、そして家族・親族の存在と信頼関係だと感じました。それは本当にかけがえのないものとなっていると感じます。
クラウドファンディング実を結んだ結果、製材工場を解体し生まれた新たな建物が「ベラシティハウス」とその前の広場です。キッチン、銘木倉庫、スタジオスペースです。
銘木創古銘木創古銘木創古
木への愛情と山川さんのセンスを感じる「銘木創古」は、字のごとく大量の銘木や先代が設計、製作した家具などが収納されています。オープンは毎週日曜日です。山川さんは「小さな木端でも捨てられません。少しでも多くの人に知ってもらってこの銘木たちを役立たせてほしい」と願っています。
小さくても大きくてもそれぞれの木に存在感があり、生命が宿っているように感じます。山川さんの木を志す歩みは続きます。これからどのような経年変化をたどって、元山川製材所だった場が新たな歩みをするのかとても楽しみになります。
次回は、ベラシティエリアで開かれている「酒とオールディーズ」「犬と自転車とモーニング」の様子をお伝えします。

 

銘木カフェSHIKI (めいぼくカフェしき)
京都府綴喜郡井手町(つづきぐん いでちょう)柏原37(JR奈良線 玉水駅前)
営業時間 火曜・水曜・木曜 8:30~17:00
     金曜・土曜 11:00~17:00
定休日 日曜・月曜

街のふとん屋さんに 相談しよう

子どもの頃、年末に新しい寝具を買ってもらうと「もうすぐお正月」とわくわくしました。近ごろはあまり見かけなくなりましたが、以前は商店街には必ずと言っていいほど布団屋さんがあったと思います。
まわりに知っている人が意外と少ない布団のことを、気軽になんでも相談できる布団屋さんがあります。阪急電車長岡天神駅前の大通り、紅白幕と「ふとん重田」とだけ潔く書かれた看板が目印です。歳末セール中のお忙しいなか、家族で営む親切で頼りになる布団屋さん「重田ふとん店」三代目店主の重田正登さんに話をお聞きしました。

布団作りへの変わらぬ姿勢

重田ふとん店
おじいさんにあたる初代が西陣で、主に布団の打ち直しの仕事をされていたのが、重田ふとん店の出発となります。
打ち直しとは、使っているうちに固くなった状態の布団の綿を取り出してほぐし、再びふかふかの状態にすることを言います。昭和30年代の西陣はずいぶん活気があり、住み込みで働く人も多かったことから、打ち直しの依頼も頻繁にあったことでしょう。運搬用のがっしりした自転車に布団を積んで、忙しく走り回っていたそうです。その姿や西陣のまちの様子が目に浮かぶようでした。
そして昭和42年(1967)当時の長岡町(現長岡京市)へ移転し、阪急電車長岡天神駅前の現在の場所に実店舗を構えました。

アザリア通り
重田ふとん店がある長岡京市のアゼリア通り

当時はお店のまわりは田んぼが広がり、とてものどかだったそうです。重田ふとん店の建物は、よく言われるところの「うなぎの寝床」のように奥行があり、以前はそこが仕立て場でした。正登さんは、子どもの頃から布団つくりを日常の風景として育ちました。やがてのどかな田園風景が広がっていた長岡京市も人口がどんどん増え、小学校が新設され、駅前の商店街は活況をきわめていきます。重田ふとん店も店舗を改装して仕立て場を売り場にしてたくさんの商品を置くようになりました。「家の出入りはシャッターを開けたり閉めたりだったので、どこも家はそういうものだと思っていました」と笑って話してくれました。
重田ふとん店
大量生産、大量消費のバブル景気の時代に、これまでの日本の暮らし方は急速に変化し、様々な商品が売り出されていきました。そのようななかで重田ふとん店は、新たなブランドやアイテム数を増やしながらも西陣時代からの職人さんによる、優れたものづくりを変えることなく大切にしました。そして後継者となり布団作りの職人でもある正登さんも「どこへ出しても恥ずかしくない」商品作りを継承しています。

日本の文化や精神も垣間見える布団

重田ふとん店
店頭に立つ正登さんとお母さん

「質の良い睡眠」「安眠できる音楽」「快眠」など、眠りについての関心は以前にも増して高まっているように感じます。布団はそのためにとても重要です。今は本やインターネットでも情報があふれていますが、身近なところで相談するのが一番です。
押し入れに長い間しまったままの来客用だという布団、ほとんど使わなかった嫁入り道具の豪華な布団、おばあちゃんが作ってくれた思い出の布団、長く使って綿が固くなった布団。思い返してみると心あたりがあるのではないでしょうか。これを捨てるのではなく、打ち直しによってよみがえらせ、快適な眠りに役立てることができます。
1年間に大型ごみとして廃棄される布団は1億枚にものぼるそうです。1枚の布団を作るためには、たくさんの綿と布団側となる布が必要です。それを無駄にすることなく、手をいれながら長く使うことが数十年前まではごく普通にされていました。今またそういった暮らし方が求められている時なのだと実感します。実際に打ち直しを希望される件数は多く、すべてには応えられない状況ということでした。打ち直し、丸洗いなど要望や布団の状態によって最善の方法を示してくれる頼もしい布団屋さんとして信頼されています。
またそれには優れた技術でつくり上げる職人さんの腕があってこそですが、その点でもそれぞれの工程でしっかりした連携で仕事を進めています。
布団のとじ
布団のサイズに合わせて角まできちんと綿が入り、ふんわり、そしてきりっとした見た目にも美しい、手作業だからこその仕上がりです。考えてみれば、布団は綿と布に針と糸で完成されています。それだけの道具と材料で完結するということにおどろき、感心します。また取材では布団にまつわるとても興味深いお話も聞きました。
敷、掛布団でも座布団でも、中心と四隅の角にある房のような糸の美しさにも心が引かれます。これは「とじ」といい、中の綿が動かないようにしています。綿の固定という実用的な役割と同時に目で見る美しさ、そして昔から伝えられてきた邪気を払うという意味があります。
正登さんは、西陣時代からの職人さんに「邪気を追い払う房は必ず付けるように」と教えられたそうです。
このとじ方は関東などは二か所とじ十字の形ですが、関西は「三か所とじ」と違いがあります。全体に均一に綿を入れることや、綿がたっぷり入った布団にずれることなく針を通してとじる熟練の技に敬服します。ある時、お寺の本堂で大きな座布団の真ん中にぐっと糸が通り、房が流れている様子を目にして美しさとともに神々しさ、力強さを感じました。布団についての話は「実用と習わし、暮らしの文化」にもつながるとても奥の深いものでした。

こだわりを貫き信頼してもらえる商品作り

重田ふとん店
取材の日、ご年配のお客様が「こういう布団がほしいのだけれど」と見えました。
応対されていたのは、長年ここで仕事をされている家族のようなベテラン従業員さんです。
子どもサイズの3点セットを見て「この掛け布団がちょうどいいのだけれどもう少し薄いのがほしい。寒いから掛け布団の下に重ねるので」ということでした。サイズ、綿の厚さなどご希望のように作ることができますという説明に「ではあらためてまた来ます」と返されました。正登さんの奥さんはミシン加工も担当されているそうです。布団側は、綿を包み込むために真っすぐ縫わないとならないので難しく、技術が要求されると以前聞いたことがあります。それが家族でできるということはとても心強いことだと思いました。

重田ふとん店
かわいらしい子供用のお布団も

店内の商品は色あいやプリントのデザインの感覚がすてきだなと思えるものが多くあります。正登さんのおかあさんのセンスで構成されているそうですが、とてもいい雰囲気です。
おかあさんとベテラン従業員さんが着ているスモックがとてもよく似合ってすてきでした。かっぽう着だそうです。とてもおしゃれです。「日本製で素材は綿。洗濯してもしわになりにくい」そうです。
前述の子ども用3点セットの枕は余った生地を使っています。店頭に並んでいる小さな座布団も布団を作った残りの生地を余さず活用したものです。小さくても職人技と良質な日本製生地が生かされた座り心地のよい優れものです。しかし、この生地も段々と手に入りにくくなっているそうです。
ふとん
住環境が変わり、出まわる寝具も化学繊維が多くなりました。そういった現状のなかでも正登さんは、天然素材、日本製、そして一点一点ていねいな職人の手作り仕立てへのこだわりを曲げずに続けています。取材の途中の「布団を作り始めてから22年か」という、ふとしたつぶやきには様々な感慨がこもっているように感じました。
そして続いた「最後まで見届けます」という言葉には「このお店を続けてください。なくならないでほしい」と簡単に言えることではない現実の重みと同時に、できることは精一杯やっていくというすがすがしい覚悟を感じました。
長岡京市での京のさんぽ道を3回連続でお届けしましたが、家族で営む生業の本当の強さ、あたたかさを感じ、こういう人たちの存在や日々の営みが街をつくっているのだということを改めて強く思いました。

 

重田ふとん店
長岡京市長岡2丁目1-2
営業時間 10:00~18:00
定休日 不定休

左官職人が描く これからの左官屋

しばらく閉店していた喫茶店に、再開のお知らせが貼ってありました。名前は「Cafe silt さかんとおかん」にかわっていました。おかんはお母さん、さかんは左官なのか。窓辺にミニチュアのおくどさんと、どろ団子が並んでいます。色鮮やかな球形のものも、果たしてどろ団子なのかどうか。
左官とおかん、そしてどろ団子。その組み合わせがとても個性的で、強い主張を感じます。大いに興味をひかれ、オーナーで左官職人のその人、三谷涼さんに長時間にわたり話をお聞きしました。「利休さんは大先輩」「土ソムリエ」「おもしろい壁」など次々と意表を突く言葉がつむぎ出され「左官屋が語るこれからの左官」の話に引き込まれました。

小学生の時の左官職人さんとの出会い

三谷左官の三谷涼さん
三谷左官店の三谷涼さん

三谷さんが小学校3年生の時、実家の向かいに新築中の家があり、左官屋さんが毎日仕事をしていました。こてを使う様子がまるで侍の刀のように格好よく、ああいうおとなになりたいとあこがれ、毎日飽きずに見ていました。やがて土を練る手伝いをするようになりました。その頃、同級生はみんな仮面ライダーに夢中になっていましたが、三谷少年は左官の仕事に夢中になったのでした。
毎日左官のおじさんといるのが楽しくて、お昼ごはんも一緒に食べるほど親しくなりました。しかし、いつまでも続くと思っていた職人のおじさんたちとの楽しい日々も、現場の仕事がすんだところで当然のことながら終止符が打たれました。とてもさみしくショックを受けましたが、夏の暑い日の土が発酵した匂いや、練った土の感触、鮮やかにこてを使う所作など、土と親しむ楽しさは深く胸にきざまれました。三谷左官店の歴史は、この小学校3年生の時から始まったと言えます。そしてこの思いが実る道へと進めたのは、中学校の恩師の存在がありました。

三谷さんのアトリエにはさまざまな塗壁が

中学生になっても「壁塗り」への思いは消えず、どうしたらその仕事ができるのか先生に話したところ、親身になって相談に乗ってくれました。そこではじめて、自分がやりたい仕事は左官という職業であることを知ったのでした。「勉強も学校もそんなに好きではなかった」そうですが、自分のやりたいことをどうしていったらいいか悩む生徒に対して、真剣に向き合ってくれた先生との関係を築けていたことは本当に得難いことだと思います。今も交流があり、行き詰った時の励ましがうれしいと語ります。
左官職人のおじさんたち、中学校の恩師と、三谷さんのまわりは生き方の支えになるおとなの存在があり、それはとても大切なことだと感じました。

中学校を卒業すると迷わず、京都で一番厳しいと言われていた左官店へ入りました。当時は住み込みで、親方に仕えるといった感じの修行の日々だったそうです。その修行時代を20年ほど続けました。ずいぶん長い年月に思いますが、三谷さんはあっという間だったと語ります。
経験を積み、左官としての技術や知識がどんどん向上していくうちに「もっとこうしたい」「こういう方法も試したい」と、伝統と自分の感性を掛け合わせたら何ができるかという思いが募り「違う世界で左官の仕事を伝えたい」と考え、2018年9月「京都ぬりかべ屋 三谷左官店」の屋号で独立を果たしました。

左官にまつわるものが飾られた三谷さんのアトリエ

独立に際し、親方からは「これまでのつながりを一切捨てて、裸一貫でやっていけ」と言われたそうです。これまでのつながりを頼って仕事をするな、一から始める覚悟でやれということです。三谷さんは実際に、それまでの関係者や工務店を頼ることなく、独立の一歩を踏み出しました。「失うものがない強さ」とおだやかに話されますが、それは相当な困難を伴うものであったことは想像に難くありません。
とにもかくにもこうしてゼロから左官職人として独り立ちしました。

土を探求し、その可能性を見い出すことが使命


お話を伺ったのは、今年4月に新設されたアトリエです。「土と左官の博物館」と言った趣です。直射日光を避けやや落とした照明に、土の標本や様々な技法のぬり壁、壁土に混ぜ込む藁を細かくした「すさ」鮮やかな色のどろ団子などの見本が浮かびあがっています。まさに美しいアートコレクションです。

三谷さんは「左官は自然との良い関係がとても大切です」と語ります。塗り壁は主に「土、竹、砂、藁、漆喰」などの自然素材で構成され、それぞれの素材が持つ性質、力が合わさって、日本の風土と建物に適した塗壁となるので、素材の本質を知ることは左官の仕事といいます。
土一つとっても、その土地、産出した年によって性質が変わり、また水と混ぜると粘りが出て泥の状態になりますが、この泥の粘り具合が非常に重要になるそうです。そして藁や砂など混ぜる素材の微妙な配合も要求されます。

関西の土は特に塗壁に適した良い土なのだそうです。伝統的な建物の土壁の代表は「聚楽壁」ですが、少しずつ色目の違う聚楽土がずらっと並んでいます。良い素材があり、都であった京都は建築や左官の技術も発達し、全国各地の職人が京都で修業し研鑽を積んだのでした。
それまでは紙張りであった茶室の壁にはじめて土壁を用いた千利休を三谷さんは「利休さんは先輩だと思っています」とにこにこして語ります。400年以上も昔の大茶人と時空を超えて壁のことで交感できるとは、左官とは本当に奥が深いと感じ入りました。

「道具箪笥」とでも呼びたい木の引き出しを開けて見せてもらうと大小様々なこてが、きちんと仕舞われています。こての種類は1000種類ほどもあるそうです。三谷さんのこては、すべて「播州三木の打ち刃物」として知られる三木市の熟練の職人さんの手になるものです。
道具もこのように目の前にできることも、このアトリエの大きな魅力です。今後、左官の仕事、日本の四季に調和した実用と美しさを兼ね備えた塗壁のすばらしさの発信基地になっていくと感じました。

どろ団子から広がる創造する左官の世界


阪急電車の長岡天神駅前の「cafe Slit さかんとおかん」は、どろ団子ワークショップの場として開店しました。子どもの頃、どろ団子作りをした思い出のある人も多いでしょう。カフェ シルトのシルトは左官業で素材を意味するそうです。
三谷さんのお母さんがメニューの考案から調理、接客まで切り盛りしています。ワークショップを開いた時、終わってからみんなで楽しく感想を話したり、余韻を楽しめる場所がほしいと思っていたところ、運よく現在の場所が見つかったそうです。9月の終わりのどろ団子ワークショップを見学させていただきました。

当日参加されたのは、お友達同士の2名の方でした。「どろ団子ワークショップは、左官の仕事を出力したものだと思う」という表現や「手触など感触は実際にやってみないとわからないと思うから」「スポーツでも、自分ができなくても目の前で実際に見たら、すごいと感動する。職人さん、左官の仕事も同じだと思って」など、独自のしっかりした言葉で参加の動機を語っていたことがとても印象的でした。

鮮やかで、またかすかに微妙な色合いなどとても美しいどろ団子は「泥」のイメージをくつがえすものです。化学染料ではなく、すべて天然の鉱物から作られた顔料を配合して独自に作られています。
そもそもどろ団子は、左官の修行中にたくさん作っていたそうです。丸い壁のようなもので、手先の器用さや感性を磨くために切磋琢磨するツールとしてあったとのことです。どろ団子の由来は左官職人さんの修行のなかにあったとは思いもよりませんでした。
参加したお二人の作業中の集中した表情から、完成した時のぱっと輝くよう笑顔に、見ていたこちらもよかったとにこやかになりました。

三谷さんは、職人の仕事を身近に見られた自身の子どもの頃と違い、今は日本の建築や職人の仕事を知るきっかけすらありません。そのような現在、土壁の歴史からひもとき、自然やそれぞれの土地の自然風土をよりどころとした建物やそこで果たす左官の仕事とその大きな可能性を語ります。
三谷さんは長岡京市で生まれ育ち、そして左官店も自宅も長岡京市です。「地元のために」との思いを強く持っています。「今はどろ団子で、次は地元のお米と名産の筍を使った、たけのこご飯をかまどで炊いて、みんなで楽しむこと」と次の展開もイメージされています。

カフェにはかまどが飾られています

「三谷といえば左官職人と思ってもらえるようになりたい。そして100年後、200年後にこの壁、だれが塗ったのかなと思ってもらえる壁を残したいという言葉にも、揺るがない職人魂が感じられます。左官の夢は、確実に広がり、実りをみせています。

 

三谷左官店
アトリエ 長岡京市天神5丁目20-15
見学ご希望の方はご連絡ください。

 

Cafe.silt「さかんとおかん」
長岡京市天神1丁目1-4
営業時間 10:00〜17:00
定休日 金曜、土曜(日曜は月2回)

五感に響く お香づくり190年

堀川三条東、和菓子屋さん、染物、呉服関係のお家、そしてお香屋さんの前を通ると、ほのかな香りが漂っています。お香の原材料やはるかな歴史、そして独自の文化にまで高めた日本人の繊細な感性など、その奥深さにおどろきます。
天保5年(1834)創業、今年で190周年を迎えた、お香の老舗「林龍昇堂」の林 英明さんにお盆休み中にも次々と入った注文の発送にお忙しいなか、お話をお聞きしました。お香についてのあらまし、そして新たな商品開発など伝統を継承しつつ、常に「今の時代のお香」を模索されている様子など、興味の尽きないお話の一端をお届けします。

お香について、ひも解いてみると

林龍昇堂林龍昇堂
落ち着きのある京都らしいたたずまいの木造の店構えが目を引きます。建物の両脇のショーウインドーには、香炉、昔の道具や看板に写真など貴重な品々が展示されていて、さながら「まちかど博物館」のようです。
通りすがりに足を止め、写真を撮っている人も見かけます。「日下恵」は「控え」であり、お香の調合表とのことで、原材料の変遷や時代によって変化する調合など、とても貴重な記録です。
林さんが構想を練って原案を作り、ウェブデザイナーの提案も入れながら完成させたホームページには、読み物的なおもしろさもあり、お香の始めの一歩からとてもわかりやすく説明されています。
林龍昇堂

林龍昇堂
すぐに試していただける場所にも香木が置かれています。

お香は仏教とともに日本に伝わったとされ、儀式に使われていましたが、平安時代に入って、貴族のあいだで流行し、それぞれ独自の香りを調合して衣服に香りを移して楽しむようになりました。お香の原材料は伽羅(きゃら)白檀(びゃくだん)沈香(じんこう)の香木と、他の天然原材料に丁子、桂皮、大ウイキョウなどがあり、スパイスとしてもおなじみのものもあります。
そして実際のお香になるまでには、原材料を調合して香りの素となる「匂香」を調製します。匂香には数種類から数十種類の原材料を使用するそうですが、林龍昇堂ではこの原材料の一つ一つを吟味して使用しています。
店内には今では手に入れるのが困難になってきた貴重な香木も目の前にあり、最高の体験の場となっています。

地域の特産品使用のお香の誕生

林龍昇堂の二条城梅だより
伝統的なお香を継承すると同時に、今の社会で求められている課題の取り組みの一つとして、環境の保全とあわせて地域の原材料や特産品を有効活用した商品開発に取り組んでいます。
世界遺産二条城は、ご近所と言えるところにあります。その梅園の梅の実をいただいてつくったのが「二条城 梅だより」です。白檀の香りのなかにほんのり梅を感じる、梅の花をかたどった紅梅色の雅なお香が完成しました。
また、福井県若桜町特産の梅と京都のお香が出会い、新商品になりました。梅のピューレを練り込み、天然の梅の香りを追求したお線香です。古くから若狭と京都を結ぶ鯖街道にちなみ、これからは梅を通したご縁がつながるように「梅街道」の名がついています。「若桜路女将の会」と林龍昇堂の共同企画は、梅、沈香、白檀の3種セットです。これからも人と人、昔と今をつなぐ架け橋となるようにと願いをこめて「香け橋」と名づけられました。この香け橋の香りが若狭の女将さんたちをどれだけ元気づけたことでしょう。
林龍昇堂の明けの橙台
直近に発売となったもう一つの商品は、竹の間伐材の有効利用として竹炭の生産に取り組む企業からの問い合わせが始まりでした。竹炭と一緒に、宮津を中心とする丹後の名産である「完熟みかん」の搾りかすも活用するという画期的な商品です。持続可能な地域の未来を照らす道しるべとなってほしいとの願いをこめて、その名は「明けの橙台」。お香は落ち着いた色合いの、これまでの柑橘系のものにはない、やわらかい酸味と甘さを感じる新しい感覚の香りがしました。
他の天然材料と違い、梅もみかんも果実そのものをお香にすることはかなり難しいことだったと思います。それぞれの香りを再現することや、色のバランスなど苦労を重ねた結果がまさに実を結んだと言えます。
「地域に今あるものを生かす」ものづくりは、それぞれの地元のみなさんが今住んでいる地域を見つめなおし、その良さを再発見することにつながると感じます。
新しい香りの共同の取り組みは、産地の人を勇気づけ、また多くの人にみかんの名産地であることを知ってもらうよい手立てになると思います。商品の広がりが期待されます。

家族4人で切り盛りする、まちなかの店

6代目店主の林慶治郎さん
息子さんの林英明さん

林龍昇堂のある三条通界隈は、お店と民家が並び「みんな顔なじみのお町内」といった親しみを感じます。
林龍昇堂は家族ですべてを切り盛りされています。原材料は吟味しているけれど、質の良いものが少なくなっているし、入手困難なものもある。その時々の実情に合わせながら調合しているそうです。「家族4人でやっているまちなかの店が、大きな店と同じようなことをしても始まらない。本当の意味でオンリーワンにならないと」と語ります。
お話を伺いながら感じるのは、応対も一つ一つの物事に対しても、とてもていねいで商品に対する思いや、根本の姿勢が本当にまっすぐであるということです。商品名にしても「架け橋」は「香け橋」「明けの橙台」と、原材料のみかんとつながる「橙」を当てています。お香の選び方を聞かれた時は「最初に自分で感じた感想を大切にしてください」と伝えているとのことでした。店舗なら商品をいろいろ見てもらい「試し焚き」をして実際の香りを体験することもできるので、ぜひ気軽にご来店くださいと続けました。
お線香はお盆や暮れにお供え・お使い物として使われる人は多いと聞き、そういった暮らしの習わしが続いていることにほっとしました。
林龍昇堂林龍昇堂
林龍曻堂の創業からの歴史を見ると、江戸時代にはすでに調香技術を確立し、明治時代にはアメリカなど海外取引を開始、その後も各種博覧会へ積極的に出展し、優秀な成績を収めるなど代々、進取の精神を持たれています。そして、お客さんを大切にするおおもとが少しも揺るがないという点もすばらしいと感じました。
それは英明さんの父親で六代目の慶治郎さんも「心のやすらぎをお届けしたいという信念」「香りを楽しんでもらえることが最上の喜び」と述べられているように、脈々と受け継がれている精神なのだと感じます。英明さんはサラリーマン生活を経てお店へ入られたと聞き「190年の暖簾を背負うことに、決心がいったのではありませんか」とたずねると、やや間をおいて「190年はとても重くて背負いきれませんよ」と、にこっとして、みごとな答えが返ってきました。
190年の歴史は、お客様を大切にし、誠実に仕事に向きあう日々の積み重ねにあると実感しました。香りとともにその形や色、立ち昇る煙にも奥深さ、美しさがあるお香の楽しみを一人でも多くの人に知ってもらいたいと思います。

 

香老舗 林龍昇堂(はやしりゅうしょうどう)
京都市中京区三条通堀川東入 橋東詰町15
営業時間 9:00~19:00(日曜、祝日は18:00まで)
定休日 日曜日

清水焼発祥の地に 新しい息吹

8月初め、東山五条坂あたりは、近くの六道珍皇寺や大谷本廟へお参りする人の姿が多く見られます。ここは清水焼の中心地であり、参拝者に向けて陶器を販売したことが「陶器まつり」のはじまりとされています。
夏の風物詩として長く親しまれたこの催しもコロナ禍のもと、中止が続いていましたが、今年みごとに復興されました。五条坂一帯で行われていたようなかつての規模ではありませんが「清水焼発祥の地」としての歴史と伝統を感じ、また「地元のお祭り」的な和やかで親しみやすい、とてもよい雰囲気でした。
「新生陶器祭」の今回、府立陶工技術専門校を卒業し独立した若い作家さんと出会い、その作品や焼物にかける思いをお聞きしました。

はじめての出展、確かな手ごたえ

五条若宮陶器祭
本殿のちょうちんにも陶器神社の文字が

今年陶器祭の本部が置かれた「若宮八幡宮」は境内に「陶祖神」が祀られている「陶器神社」としても知られています。毎年恒例の陶器市は、八幡宮の例大祭として8月7日から10日まで行われるようになったそうです。
昼間の猛暑も一息つき暮れなずむ頃、五条坂や若宮八幡宮の境内は次第ににぎわいをみせていきました。それぞれの窯による個性も当に様々で、土の違いで生まれる色、釉薬の流れ方等々、身近に多くのやきものにふれることができるとても良い機会であり、やきもの談義に花が咲く場面も見られました。
五条若宮陶器祭
まずは、八幡宮会場へ。朱塗りの鳥居が西へ傾きはじめた日差しに映えています。本殿へお参りし、境内を一巡しました。奥は木々の緑に一服の涼を感じる静かな空間が広がっています。車が激しく行きかう五条通りに近いとは思えない、一画です。
大きな鍾馗さんも祀られています。若宮八幡宮には陶器神社があり、瓦を素材とする鍾馗さんも同じやきものからできているということから、この地に大きな鍾馗さん像が建立されたと由緒書きにあります。この大きな鍾馗さんは、それを造った職人技も伝えるよすがとなっています。
五条若宮陶器祭 廻窯舎五条若宮陶器祭 廻窯舎
お参りを終えて、ゆっくり見ていくなかに、鮮やかな青色や、藤色がかった微妙な色合いの食器が印象的なブースがありました。「廻窯舎(かいようしゃ)」は、多賀洋輝、楓夏さん夫妻が2019年に立ち上げ、陶磁器の制作・販売を行っています。釉薬は洋輝さんがつくり、製作は楓夏さんです。「時代と暮らしの廻りに合わせた器づくり」というテーマを実践する二人の共同作品です。「磁器に使う土に赤い土を混ぜて使うと、同じ釉薬でも色の出方が違うのです」という説明も興味深く、やきもの奥深さの一端を教えてもらいました。

廻窯舎の多賀楓夏さん
廻窯舎の多賀楓夏さん

お二人とも大学卒業後、別の仕事に就いてから、府立陶工高遊学等技術専門校へ入学し、それから陶磁器を生業とする道へと進みました。専門校では「湯呑を100個」など同じものを多数つくることを課され、成形のための道具も自作するなど「職人としての基礎を勉強できました」と語ります。
今回、専門校の先生が足を運んで「お客さんの反応はどう?」と声をかけてくれたそうです。「知り合いの若い世代の人も出展していたり、顔見知りの人が来てくれてとてもうれしいです」と続けました。
五条若宮陶器祭 廻窯舎
陶工専門校がこの五条坂にある意味は大きいと感じました。友達同士で来た学生が「この色きれいやなあ。使ってみたい」と、楽しそうに話していたり、何点かお買い上げのお客さんに「袋にいれましょうか」と聞くと「近所ですから、いいですよ」と返ってくるやり取りを聞いて「地域密着陶器祭」の始まりを感じました。
楓夏さんのに「もっといろいろ作っていきたい」という言葉に力強さと清水焼の可能性を感じます。「今回出展して手ごたえはありましたか」とたずねると「はい、ありました」ときっぱり明るい声で返ってきました。

五条坂界隈を歩いて感じる魅力

今も五条坂に残る登り窯の煉瓦造りの煙突
今も五条坂に残る登り窯の煉瓦造りの煙突

今年から新たに始まった「五条若宮陶器祭」は、五条坂の清水焼にたずさわるみなさんが実行委員会をたちあげ、準備を重ねて開催に漕ぎついた「清水焼発祥の地」の地域力のたまものです。各店舗や会場に用意されたリーフレットからもその熱意が読み取れます。
五条坂沿いのいかにも専門店といった風格の、敷居を高く感じるお店へも「この際、せっかくだから」と入ってみることができ、清水焼との接点になります。また地元・地域のみなさんもあらためて「自分たちのまち」について知り、つながるきっかけになると感じました。登り窯の公開・自由見学、またこの登り窯の活用についてのシンポジウムが行われるなど、今後の五条坂界隈について歩みが始まっています。界隈には清水焼の中心地であった面影が今もただよい、誇り高い「陶工のまち」を感じました。
若宮八幡宮の飲食ブースで、売り込みの声をかけていた子どもたちからも夏の元気をもらいました。

 

廻窯舎(かいようしゃ)
京都市西京区川島東代町43-4桂事業所

染工場から発信 私たちが着たい着物

浴衣の季節です。1か月間、祇園祭の様々な神事が続く京都に、海外の人も含め多くの人たちが浴衣姿を楽しんでいます。レンタル着物店も一気に増えました。その点では、だれでもいつでも気軽に浴衣や着物をまとうことができるようになったと言えます。着物には縁遠いと思われる若い世代の人たちのなかにも、浴衣をきっかけに着物に興味を持つ人も増えているようです。
きっかけさえあれば着物を着る人を増やし、着物の楽しみを広げることできると感じていたなかで、染職人自らが立ち上げたブランドに出会いました。量産品にはない「手染めの妙」が美しく楽しい着物が作られています。間近に迫った「Tシャツ展」の準備も佳境を迎えたお忙しいなか、仕事場の染め工場へ伺い「染め屋・ファイブ」の久田容子さん、高瀬千夏さん、宇野由希恵さんに話をお聞きしました。

反響に確かな手ごたえ「お出かけ浴衣展2」

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
夏めく日差しに青梅の実が大きくなる頃、上京区のギャラリー&カフェを会場で「お出かけ浴衣展2」が開かれました。この会場は、以前この京のさんぽ道でご紹介しました「好文舎」です。元呉服屋さんの展示会場だった建物は浴衣展にふさわしい雰囲気で、訪れた人もゆっくり見てまわったり、着付けてもらうなどして思い思いに楽しんでいる様子でした。
比較的若い世代の人たちが多い感じがしましたが、ファイブの3人が頃良い間合いで声をかけて、着物について気軽に親しめる雰囲気をつくっています。手でさわって布の感じを確かめてもらったり、積極的に反物を着付けて「着物になるとこうなる」と実感してもらっていました。巻物状態の反物を裁断することなく、体に巻き付けただけで「着物」を着たのと同じようにできるということにも感嘆します。
浴衣展というタイトルですが、「おでかけ」の表現に見てとれるように、夏着物として十分楽しめる高い技術とデザイン性が特長です。「こういう機会にぜひ実際にいろいろなものをあててみてくださいね」という声が押してくれて着付けてもらうと、いつもとはまったく違う自分が現れて、気分も上がります。色やデザイン、染めの技法の違いから生まれる味わいに引き込まれていました。

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
ほとんどの人が「着物を着たい」と思い、手持ちの浴衣から一歩先へ行きたいけれど、どうしたらよいのかわからない、百貨店の呉服売り場や専門店をのぞく前に相談できるところがあれば、という思いは多くの人に共通していると感じます。「気軽に着物のことを聞けて、楽しく話しができる場」として、この「おでかけ浴衣展」は打ってつけです。
着物に合わせて帯選びもできるように半幅帯も用意されています。また、展示は完成品の着物や帯だけでなく、染めについて少しでも知ってもらえるようにと、工程や道具の説明もされていました。染職人の土台を感じる、とても大切なコーナーだと思いました。

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
好文舎では企画に合わせたお菓子をカフェで提供。お出かけ浴衣展に合わせた練り切り

今回2回目のこの企画は、楽しみにしてかけつけてくれた方「カフェに来たらおもしろいことをやっていた」等々、染めの奥深い世界、着物の楽しさを知ってもらえると感じました。「男物」も注目されていました。
これから、こういった着て快適、家で洗える木綿や綿麻の、しかも「ちょっとよそ行き」な、新ジャンルの着物姿が増える予感がします。「展示会の前は、なんとか一反でも売れたら」とか「そうそう、うまくはいかないだろう」などと思いめぐらす「毎回びっくり箱のよう」なのだそうですが、2回目も開けて正解、確かな手ごたえのあるものとなりました。

五感のものづくりはここから生まれる

染め屋・ファイブ
染め屋・ファイブのロゴマークの入ったあさぎ色に染めた布のカーテン

染め屋ファイブのブランドロゴマークは、羽ばたくような形の手とFIVEの文字が組み合われています。代表の久田さんは「ファイブは五感を意味しています」と説明してくれました。
作品に取り組む場であり、生業とする染めの仕事に日々励む染め工場の見学も兼ねて、制作の合間の息抜きの時間に話をお聞きしました。仕事と作品作りの両輪を回すのは大変だと思うのですが、悲壮感やがんがんやっています感を感じさせません。作品のように、伸びやかで明るい雰囲気です。
染め屋・ファイブ染め屋・ファイブ 引き染め
ファイブの浴衣・着物の大きな特長は引き染めにあります。浴衣は型染がほとんどですが、引き染めは染料を刷毛で染め分け、そこに生まれる「ぼかし」を生かすことができます。
反物の長さは約13メートル。反物の端を両側に針のついた「伸子」でぴんと張って、刷毛で一気に染めていく技法です。気温や湿度、染料の知識や布の材質による違いなど多くのことを理解し、技術を伴わないと染められない難易度の高い手間のかかる染め方です。それでほとんどの場合、絹に染められます。木綿や綿麻に染めていては高い値段がつけられない、染めにくくて儲からないから、誰もやらないのです。
ですからファイブの綿麻の引き染めは、とても贅沢な着物なのです。「ましてやそこに、手描きや型染を施すなど、贅沢きわまりない着物です」と3人とも笑って話してくれました。「それで採算とれてるの」と、よく聞かれるそうですが「浴衣展の作品に採算を考えてなんて制作できない、作りたいものを自由に作る」と、そこも一致していました。「世の中にないモノ作り」をコンセプトとするファイブの真骨頂です。

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
お出かけ浴衣展2での染め屋・ファイブのみなさん

染め屋・ファイブ
作品が採算ベースで制作しないとは言っても、広い染め工場の家賃や反物や染料、道具などの費用かかります。しかしそこは「なんとかなってきている」そうです。
最近は引き染めをする工場も減ってきているそうで、京都の町なかにこれだけ広い仕事場を維持するだけでも苦労があるだろうと察しられます。刷毛や伸子など引き染めに必要な道具もよいものは年々手に入れることが困難になっていると聞きました。それでも、この染め工場には何となく苦労の空気よりも、モノ作りが本当にすきな人たちの活気が感じられました。染め工場(こうば)という呼び方がしっくりくる仕事場は力強く、頑丈で、そしてしなやかでした。

異なることのつながりから、新たな展開

好文舎の中庭に面した部屋
浴衣展の会場の好文舎との縁は、友人が開いた企画展をメンバーの宇野由希恵さんが見に行ったことからでした。それまで会場としては染め工場のみだったけれど、外でもやってみたいと考えていたファイブにとっても、良いタイミングでした。
好文舎オーナーの宇野貴佳さんは以前和装関係の会社で仕事をされていたことから、着物に関する知識も豊かで、ファイブの浴衣展でこまめなサポートをしていただいたそうです。ギャラリーという場と制作者、そこへ来た人がつながることで、それぞれの仕事や役割もまた新たな方向性を見出せるのだと感じました。

染め屋・ファイブ
左から代表の久田容子さん、高瀬千夏さん、宇野由希恵さん

この京のさんぽ道ではこれまで「洋服生地で作るきもの」「和裁士さんが発信するオリジナルの着物や帯」そして今回の染めやファイブと、それぞれ、制作者であり「着手」であることが共通しています。「着物は最高のおしゃれ着」「色選びをするだけでも五感が磨かれる」「着物を着た時の高揚感」買いやすい価格設定で、しかも自由な発想の着物作りが、しっかりと着る人の心をとらえています。
新しい着物の時代が確実に動き出しています。「着物へのあこがれや着たい気持ち」にこたえる、一点一点に思いのこもったファイブの着物もさらに多くの人と出会うことでしょう。
帰り際に工場の前で撮った3人の清々しい表情に、楽しく試行錯誤し続けるモノ作りの力強さがあらわれていました。

 

染め屋・ファイブ
京都市下京区中堂寺庄ノ内町1-130 2階
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