西陣のいすず張り子で おめでとう

きのうの続きの同じ一日なのに、一月一日は別格です。大層な準備をしなくても、お正月は心を弾ませます。
今も機音が聞こえてきそうな西陣の商店街の一画に、たくさんの張り子が笑顔を投げかけているお店があります。鮮やかな色と愛嬌たっぷりの表情やしぐさに、通りがかりの人も足を止め、顔をほころばせます。お正月気分になれる張り子の数々と本やレコード、「イスズ薬局」と記された銘板、人体模型などが同居する不思議な魅力を感じる空間です。
張り子づくりに忙しいなか、話を聞かせてくださったのは「イスズ楽房」の主人で、張り子の作者、古川豪さんです。張り子創作のこもごも、子どもの頃の西陣、商店街のまちづくりや今も続けるライブのことなど、豊富に湧き出る話の泉です。本年最初の京のさんぽ道は西陣から始まります。

ご両親の出身地伊勢にちなむ「イスズ」の名

イスズ楽房
イスズ楽房は北区の新大宮商店街にあります。最初に見つけたのは京のさんぽ道の「自然の恵みぎっしり正直なパン」の取材の折りに、いかにも地元の商店街という雰囲気がよくて歩いている時でした。鮮やかな色彩をまとった張り子たちは天真爛漫、ほのぼのとしたあたたかみがあります。京都の西陣なのに「いすず」という名前がついているところも興味をひきました。取材をさせていただいて、やはり一回では書ききれないと感じるほどでした。

五十鈴川
由来となった三重県の五十鈴川

お店は古川さんの実家であり、薬局を営んでいました。開業は昭和12年(1938)、ご両親の出身地伊勢の清流、伊勢神宮の杜を流れる「五十鈴川」にちなんで「イスズ薬局」と名付けられました。若い夫婦が京都で新しい道を歩み始める時の思いが込められた名前です。
薬局の仕事をされたのはお母さんで、大正4年(1915)生まれ、三重県初の女性薬剤師でした。好奇心旺盛で研究熱心で「今生きていたらきっとパソコンもやっていたと思います」と古川さんは語ります。まだまだ女性が専門の教育を受けて職業につくことは少なかった時代に、今言われる「リケジョ」の草分けであり、とても先進的な方だったのです。しかし、それを口にすることはなく、亡くなってから「三重県初の女性薬剤師誕生」という新聞記事や表彰状が出てきてはじめて知ったそうです。世の中の評価や権威付けのようなこととは一切無縁に、自分の生き方をされたことは、すばらしいと思いました。

イスズ楽房の張り子
上段中央には今年の干支であるうさぎが。白兎は人気で昨年中に売り切れたそう

また理系でありながら、鴨川でチラシの裏に色鉛筆でスケッチをするというご趣味もあり、そこは今の張り子つくりにつながっていると感じるそうです。古川さんは「薬種商」の資格を取りイスズ薬局を継いでいましたが、薬事法が改正されてからは、それまで販売できていた指定医薬品以外の医薬品や漢方薬や健康食品が扱えなくなり、薬局としての看板は下ろすことを決めました。
今度は「書籍商」の免許を取得し、古本やレコードなどの古いものを置き、また小さいころから手を使うことが好きだったこともあり、「いすず張り子」の工房「イスズ楽房」をたちあげました。新しい選択にもイスズ薬局の名前を受け継ぎました。今も商店街にお店を置き、職住一体の営みを続けています。地に足のついた実のある「京都」を感じるのは、こういう時です。

生まれ育った西陣という地域

イスズ楽房
イスズ楽房のある新大宮商店街は南は北大路通、北は北山通まで1キロメートルにわたる京都で一番長い商店街です。西陣の中心地で、
どこにいても機織りの音が聞こえる地域です。
住んでいる人のほとんど言っていいほど多くの人が西陣織をはじめとする伝統産業にかかわる仕事に従事していました。新大宮商店街は、仕事に忙しい人々にとって日々の暮らしをまかない、また息抜きを楽しむ欠くことのできない場所として機能し続けてきました。
いすず張り子は、この地域を題材とするものがあるのが特長です。氏神様である玄武神社や今宮神社のやすらい祭のお稚児さん、禅宗の托鉢僧、野菜の振り売りにやって来る加茂のおばさん、仏教を庶民にわかりやすく広めるための手段であった「節談説教(ふしだんせっきょう)」のお坊さん等々、それぞれの地域の人々や子どもたちに愛されてきた素朴な張り子にふさわしいものです。

イスズ楽房
地域のキャラクターの中で優しく微笑むモルガンお雪人形(右上)

「モルガンお雪さん」は、明治時代に現在のモルガンスタンレー財閥の一族につらなる大富豪と結婚した実在の人で、日本中がその話題でもちきりだったとか。そのお雪さんが高齢になってから近所に住んでいて「クッキーをもらったことがあって、それまで食べたことのないお菓子やって、ほんとにおいしくて、また食べたいなあと思った。ほっそりしたきれいなおばあさんやった。今になったら、いろいろ話を聞いておいたらよかったなあと思うけれど、子どもやったから」と、びっくりすることを笑って話してくれました。
ものづくりの歴史のみならず、そこで暮らす人々も多彩です。遺跡の発掘ではないけれど、京都の地層はどこでも、あっと驚く話がどんどん、しかもさらりと出てくることに驚愕します。知らないこと、埋もれていることがまだまだあることは確かでしょう。色彩や音、手の動き、交わされる言葉など、培われてきたことが今も、ものづくりにかかわる人々に伝承されていると感じました。

より道は多くの出会いを生む

イスズ楽房の張り子
張り子人形は全国に見られる民芸品で、木型に和紙を貼り、大きさにより何層にも貼り重ね、乾燥させてから切れ目を入れて半分にして木型から抜き取り、それをきちんと合わせて一体にして下地塗りをくり返し、それが乾いてから絵付けをします。なかなか手間と時間のいる仕事です。
古川さんは木型づくりからすべての工程を一人で行って完成させています。そこに自分なりの工夫と創造を加えているのがいすず張り子です。

イスズ楽房の木型
木型もすべて古川さんのお手製です

お面は、平たい木の土台に、鼻や耳、髪形など様々なパーツを穴に差し込み組み合わせて、伝統の顔かたち、豊かな表情をつくっていきます。おもしろいのは、同じ木型がお面によって耳になったり、鼻や眉毛など変幻自在に組み合わせられていることです。かごいっぱいのパーツからふさわしいものを選んで組み合わせる過程はパズルのようです。大変だと思いますが、古川さんは楽しそうでです。
様々な動物や鳥は、筋肉や足がどこにどのようについているかなどを調べてデッサンしてからつくり始めます。伺った時は「おめでたい鶴亀を揃えたいが、鶴の羽はどこから黒くなっているのか考えているところ」とのことでした。
イスズ楽房の張り子
衣装も伝統にならい、配色や模様も後ろ姿まできれいに描かれています。京都は伝統産業に関係するすごい人たちがたくさんいるので、それに比べたら「僕がやっていることなんて、あそびみたいなもん」と言われていましたが、押さえるべきところはきちんと押さえ、ものづくりの骨格がしっかりしていると感じました。自由で楽しい雰囲気はこうした目には見えないけれど、おろそかにしない普段の細かい仕事の積み重ねにあると思います。

 

「ぶれまくり、より道ばかりしてきたけれど、そのおかげで本当に多くの人と出会えてよかったなあと思います」商店街の活動も続け、商店街の主婦を対象にしたアンケートに取り組み「普段から、この地域で暮らし商いを営む人たち」の実態と本音を引き出し報告書も発行しました。夏まつりの歩行者天国や「新大宮商店街振興組合50周年誌」の発刊などにも尽力しました。商店街の活動をしていたことから地元紙に2回、連載の執筆の機会が生まれました。また地元の児童館の館長も8年間務めました。「地域に恩返し」という言葉が使われますが、古川さんの越し方を伺ってみると本当に、その通りと思います。

バンジョーの名手としても知られる古川豪さん

「古川 豪」と聞いて「もちろん知ってる。当たり前」という人も多いことと思います。古川さんは、京都以外でも、静岡、東京など各地でライブのステージに立っています。「待っていてくれる人、喜んでくれる人」がいます。
11月も10日間も東京でライブがありました。ライブには「いすず張り子」も積み込んで自ら運転して行きます。一番人気は托鉢姿の雲水さんだったそうで「わからんもんやなあ」とつぶやいていました。
福蓑
棚に残る薬局時代の備品と本が、張り子の面々と同居しています。新年に福を運んでくれる「福箕(ふくみ)」には、えびすさん、大黒さんのほかにも金の俵、鶴亀、鯛などおめでた尽くしの飾りがどんどん増えていました。「普通に存在していることに意味がある」という古川さんの言葉にとても共感ました。いすず張り子を振ると、やさしい鈴の音が聞こえます。気持をやわらかくしてくれる音です。
地域色濃い新大宮商店街のイスズ楽房へ出かけて、たくさんの個性ある張り子と会ってみてください。そして「関西フォークの草分け」「バンジョーの名手」などのくくり方では、はまらない古川豪さんが静かに楽しそうに、手を動かしていると思います。

 

イスズ楽房
京都市北区紫野上門前町21
営業時間 10:00~18:00
定休日 火曜日

タイルで遊ぶ、知る、 そして使う

建物の外装や少し前まではお風呂や台所の流しなど、ごく身近にあったタイル。最近は目にすることが少なくなりましたが、民家の外壁に貼ってあるごく普通のタイルも、モザイク模様のおもしろさや色使いに、ものづくり精神や職人さんの姿を垣間見る気がします。
そんなタイルについて、どこで、どのようにしてつくられているか、製造方法や種類、最新の製品など、およそタイルに関することのすべてを知ることができるギャラリーがこのほどリニューアルして新たなスタートを切りました。職人の誇りも遊び心、これからの暮らしにどう生かしていくかなど、産地も含めてタイルのおもしろさと可能性を感じるタイルギャラリー京都は、新鮮なおどろきと楽しさがいっぱいでした。

タイルは焼き物、窯元でつくられる

タイルギャラリー京都
タイルギャラリーは、京都駅から歩いて5分ほど、大通りの喧噪から離れた静かな場所にあります。モダンで周囲になじんだよい雰囲気の建物です。
ギャラリーの中へ一歩入ると、広々としたスペースに、めくるめくタイルの世界が広がっていました。色、形状、質感も様々な本当にたくさんのタイルが、すてきなレイアウトで展示されています。余分なものがなく正味タイルだけで構成されていることがすばらしいと感じました。
タイルギャラリー京都
ギャラリーの運営を任されている篠田朱岐さんに「タイル事始め」のようにていねいに説明していただきました。窯元は愛知県の常滑、岐阜県の美濃、多治見など、もともと陶器の産地であった所に多いなど、始めて知ったけれど、聞けばなるほど思うことが多くあり新鮮でした。
窓側も上手に利用して、各窯元の特徴や得意とする製品、新しい提案などがよくわかるように展示されています。ていねいで楽しい話ぶりからも、展示の工夫からも、タイルへの深い思いが伝わってきます。
タイルギャラリー京都
海外ではタイルの需要が増えているそうですが、費用の点で日本はクロス張りが増えていると聞きました。しかし、耐用年数はタイルのほうが優れているので最終的にみればタイルが高いわけではないのです。それでそれぞれの窯元もキッチンのカウンター部分に使うなど、一部でもタイルを取り入れられ、家の雰囲気に合った使い方を発信しています。
需要が減少して厳しいなかでも、これまで培ってきた技術と先進性をもってがんばっている会社が多いのだと思います。デザイン的にも優れ、分業が多い業界のなかで、うわぐすりも自社でつくるなど新しい歩みを始めている会社もあるそうです。「タイルをもっと知ってもらえば使い道はきっとある」という気持で、新たな行く末を考えているのだなと感じました。
タイルギャラリー京都
また、窯元とギャラリー双方の思いが一致しているからこそ、会場全体が楽しく、明るく感じられるのだとも思いました。
「これをひとつ、ひとつ手作業で作ったのか」「ここまで狂いがなく、きちんと合わられる技術と心入れがすごいな」など、タイルがみずから発信しているように感じます。
展示パネルは黒い鉄板で、マグネット式に自由自在に張り付けられるようになっています。ひとつひとつの、1センチにも満たないタイルにもマグネットが付けてあります。生半可ではとてもできないことです。思いのこもったタイルの芸術に物語を感じます。

源流を大切にしつつ、概念をくつがえす

タイルギャラリー京都タイルギャラリー京都
タイルは四角く平たいもの。その概念を打ち破る形状のタイルも生まれています。インテリアとしてもすてきです。ピアスや掛け時計などの雑貨の分野にも進出し、現代の暮らしにあった食器も生産されています。
もともと食器を作っていた窯元がタイル製造に乗り出した例も多く、マグカップやプレートなどは得意分野です。「手元に置きたいな」と思うものがいろいろあります。余った粘土でつくった「うどん玉」という、お茶目な作品には思わず笑ってしまいました。

海外でもタイルは製造されていますが「きちんと作る」の精度が日本はすぐれているそうです。細かいモザイクタイルを貼りつけた四角のタイルをさらに何枚も寄せてきちんと一枚の絵画にした「錦鯉の図」がありました。
寸分の狂いもなく仕上げた迫力に、ものづくりの精神は健在なのだと感じました。
堅持すること、革新していくなかみ、その両輪がしっかり噛み合っています。

日本のものづくりの未来

タイルギャラリー京都
タイルギャラリー京都は、タイルの施工会社「山陶」が運営母体となり、元タイル職人であり代表取締役の山下暁彦さんが館長を務めています。ギャラリーは新たにレンガの展示スペースを設け「煉瓦の家」の構想がスタートしています。
タイルの源であるレンガは、明治の工業の近代化のなかで全国各地にりっぱなレンガの建物ができ今も残して活用している所もあります。新しく始まる「煉瓦の家」の取り組みは、伝統的な煉瓦のすばらしさとそれを積みあげ構築する職人技の融合です。
タイルギャラリー京都
現在、館内にはスマートブリック工法という新しい工法で施工された外壁の小さな家が建てられていて、実際に打ち合わせなどに利用しています。キャスターで移動も可能ということで、これから在宅での働き方が増えるなかで需要が見込まれます。
また、レンガに曲線をつけて積み上げた展示もされています。四角なレンガに曲線をつけて積むのは相当難しいことなのだそうです。職人魂のなせるわざです。それぞれ違った風合いを見せるレンガにあたたかみを感じます。篠田さんも「これが味ですねえ」と愛おしげに口にされました。
タイルギャラリーでは、ワークショップも行っています。これから多くの人に参加してもらえるプログラムも増やしていくそうです。

タイルギャラリーのロゴマークはタイルの花びらが開き、花がさく明るい未来を示しているように見えます。「タイルと出会い、遊んで、活かす」を掲げた本当の京都のものづくりを知ることができる楽しい場所です。
前回の紙箱に続き、伝統産業だけではない京都のものづくりの源流と進取の精神を感じた取材でした。また京都のみならず、日本の各地に、志をもってものづくりに励む人たちがいることも知りました。
京都を訪れた人、また地元の人もぜひ足を運んでもらいたいと思います。最期は土にかえる煉瓦とタイルを身近に置く暮らしが広がりますように。

 

タイルギャラリー京都
京都市下京区木津屋橋通西洞院東入学芸出版社ビル3階
開館時間 11:00~16:00
開館日 毎週月曜、火曜、木曜日/第2・第4の金曜、土曜日

発見いっぱい 京都かみはこ博物館

千年の都京都は、長い歴史のなかで育まれ、磨かれてきた伝統産業、工芸品が今も継承されています。一方、明治以降の近代のものづくりも、めざましい発展をとげています。
前回に続き「京都かみはこ博物館 函咲堂」館長の山田芳弘さんに、京都の紙箱製造のさきがけであった泰山堂と紙箱の歴史、技術や製品の変遷について伺いました。お話からは、伝統と進取の気風があいまった、京都独自のものづくりの姿が見えてきます。山田館長のおだやかな語り口と、函咲堂のユニークな活動に、京都のゆとりと底力を感じ、これからの京都の在り方も指し示していると感じました。

大看板とともに引き継いだもの

京都かみはこ博物館 函咲堂
紙箱製造にかかわる多くの道具や機械とともに、正面に掲げられた木製看板が泰山堂(たいさんどう)の風格を伝えています。
泰山堂は明治35年の創業時に、いち早くドイツから機械を輸入し、その後も本格的に機械化を進めるなど京都の紙箱製造の先駆者となり、業界に大きな役割を果たしました。十数年前に会社を閉じた時に所有されていた機械や貴重な資料、紙器や箱の工業組合のものも含め保存展示されています。
東京や大阪など他の大都市でも機械が導入されていましたが、第二次世界大戦中の金属供出や戦災により、多くが失われてしまいました。そのような状況のなか京都では、軍に50キロ爆弾の弾頭を紙で作ることを命令されました。それは四角い箱のみを作っていた業界に、変形のものも製造できるようになったという、革新的なできごとをもたらしました。函咲堂が発行したパンフレットにはその製造現場の写真も掲載されています。
京都かみはこ博物館 函咲堂
現在展示されている舶来の機械は、おそらく日本最古のものと考えられています。函咲堂では、前回ご紹介したように貼箱体験と、機械や資料の説明と見学を行っています。紙箱の歩みを知ると、函咲堂の展示物や体験によって紙箱の存在を知ってもらうという活動が、本当に貴重でほかに例をみないことがわかります。
函咲堂は「一般社団法人 函咲堂」として、2018年に設立されました。法人としたのは、貴重な機械や資料が個人の都合や状況などで散逸させないためと山田館長は語ります。紙箱以外にも、京都は全国の写真を印刷して絵はがきにする最大の印刷産地であったということで、使用された524枚の銅板も保存展示されています。
機械を2階へ展示するために鉄筋を使ったおおがかりな工事をし、大看板は天井にレールを通し設置しました。公的な所有として保存することとあわせて、製造技術の継承も活動にあげられています。
京都かみはこ博物館 函咲堂京都かみはこ博物館 函咲堂
貼箱の一級技能士資格者であった、泰山堂三代目専務水守千里さんは、貼箱体験の指導もされていました。今年の7月にお亡くなりになりましたが、ほぼ毎日姿を見せ、機械の手入れをし、子どもたちの貼箱体験は元気に楽しそうに指導されていたそうです。展示されている数々の機械はきれいに磨かれ仕事の相棒として大切にされていたことが伝わってきます。
体験の時に感じる現場の臨場感は、泰山堂が築き継承してきたものづくりの精神なのだと感じました。また泰山堂以外の会社の機械や道具、組合に関する資料も保管され、企業や業界の貴重な歩みを後世に継承するかけがえのない場となっています。函咲堂は唯一無二の紙箱の博物館です。

奥が深く間口も広い、紙と箱

京都かみはこ博物館 函咲堂の御朱印帳
体験では貼箱が主ですが、御朱印帳も作ることができます。山田館長は「御朱印帳は紙を使った素朴なものでいいと思います。それを自分ですきなように作れたら楽しいし、思い入れもあるものになります」と、素材の和紙や中身に使うロール紙で説明してくれました。
御朱印帳のかなめは、じゃばらにきちっと折ることです。そのためにまず、練習用の紙を使って折り方やコツを覚えます。紙がロールの形になっているというも発見に思えて新鮮です。
「ここで作るのは大きさも厚さも自由にすきなようにできます。御朱印だけでなく、写真やチケット、お店のカードなど自由に貼ったらいいのです。だから思い出帳なのです」「お孫さんにプレゼントする思い出帳を作る人もいます。楽しそうに作っていて、心がこもっているのでお孫さんも喜ばれたのではないでしょうか」と続けました。
京都かみはこ博物館 函咲堂の木版京都かみはこ博物館 函咲堂
レコードジャケット、木版や箔押しがほどこされた呉服関係の包み、木版刷のデザイン画や型染和紙など見どころも満載です。その意匠は今みても色あせず、モダンであったり優雅であったり感度の高いものばかりです。デザインや絵画を勉強している若い人にも、ぜひ見てほしいと思いました。
伝統産業に分類されるものだけでなく、近代京都の先進的な技術も、もっと広く知られて大切にされるようになってほしいと感じました。

かみはこ博物館はコミュニティーの場

京都かみはこ博物館 函咲堂の木版
体験会とは別に「函咲会」という集まりも行われています。70代を中心に集まって、紙について勉強をして「何を作りたいか」の希望によって、御朱印帳や貼箱作り、みんなで歓談を楽しまれているそうです。
おどろいたことにバランスボールやフィットネスの器具、卓球台まであります。コロナにより中断を余儀なくされていますが山田館長は「またそろそろ始めたい」と考えています。
紙と箱の博物館のみならず、地域の寄合処のようで、参加される方の楽しそうな雰囲気が目に浮かぶようです。

京都かみはこ博物館 函咲堂の木版
御朱印帳を手に説明してくださる山田館長

山田館長に「函咲堂はどなたが考えた名前ですか」と聞くと「僕や。箱はそのままではおもしろくないから函にして、咲くは作る。箱作、そのまま」お茶目な答えが返ってきました。かみはこ博物館という略称については「なんや知らん間に、みんながそう言い始めてそうなった」と鷹揚です。
おみやげに滅菌紙を使用したマスクケースをいただきました。発売元は一般社団法人 函咲堂です。ものづくり現役です。今、京都も含め全国の中小企業は厳しい経営環境にあると思いますが、先人が培ってきた土壌の上で、新たな豊かさを築いているという力強さを感じました。

入口に鎮座している御駕籠は、実際に担ぐ計画をしているそうです。縁あって心ある人によって守られた日本最古の紙箱作りの機械は、こうして多くの人々とかかわりながら、渋い光の存在感を放っています。

 

京都かみはこ博物館 函咲堂(はこさくどう)
京都市下京区西七条比輪田町1-3

紙の手ざわり 貼箱作り体験

季節やお祝い事など、暮らしの場面に合わせた進物は、それぞれ用途に合わせた形、素材の「化粧箱」におさめて先方へ贈られます。美しい意匠の紙箱は、どこの家でも当然のように再利用されていました。子どもの頃、宝物をきれいな箱に入れていた思い出のある人も多いのではないでしょうか。
前回の「高田クリスタルミュージアム」に続く「学びの秋」企画は「貼箱作り体験」です。紙箱を通して、近代京都のものづくりの一端を知ることができる「京都かみはこ博物館 函咲堂」を2回にわたってご紹介します。

紙の手ざわりと、形になる達成感

京都かみはこ博物館 函咲堂の館長
案内された体験の会場には、各工程の機械がずらりと並び、元気に稼働していた様子を彷彿とさせます。指導をしてくださるのは、かみはこ博物館館長、山田芳弘さんとご家族のみなさんです。参加者それぞれの前に、展開図の形に切り抜いた貼箱の本体が、大小2種類置かれています。何種類か用意されたなかから箱に貼る紙を選びます。モダンな雰囲気を選ぶか、でも華やかな色目もいいと迷った末、やっと決めました。

京都かみはこ博物館 函咲堂の紙
会場には多くの紙が展示されています

次は、あらかじめ折り線が深く入れてある厚紙の四辺を折り上げます。四隅をテープで止めて、箱の身とふたができます。
今度は、選んだ紙に刷毛で糊を付けていくのですが、刷毛の扱いもぎこちなく、糊の付き方にむらができてしまいそうです。また、いざ貼ろうとすると、糊が乾いてしまっている部分があり、糊を付け直します。その日の気温などによって糊の乾き具合が違うそうで、こういった微妙なことがわかるのも体験だからこそです。
京都かみはこ博物館 函咲堂の張箱体験
ふたの表面に紙を貼る時、やさしく手でなでようにして、しわやでこぼこができないように気をつけます。無心に作業に没頭する工作の時間のようです。最初は失敗しないようにと、やや緊張気味でしたが、函咲堂のみなさんの、優しく細やかな教え方のおかげで、母娘で参加された方と一緒に、とても和やかな、いい雰囲気で時間が過ぎていきました。
京都かみはこ博物館 函咲堂の紙箱
そしてそれぞれの「私の箱」の完成です。形になったうれしさに、自然と顔がゆるんできます。折り線がしっかり付けてある型取りされた厚紙と、同じ大きさに裁断された紙、このキットがあれば、手先が器用ではないと思っている人も、また、経験や年齢も関係なく貼箱体験ができます。手作業の楽しさを久しぶりに実感しました。

舶来の機械が並ぶ工場のような臨場感

京都かみはこ博物館 函咲堂の山田館長
貼箱が完成した後に、函咲堂に保存・展示されている多くの種類の機械や道具、貴重な資料と、紙箱の歩みについて山田館長さんの解説で見学しました。
ひと口に紙箱と言っても、本体とふたに分かれている貼箱、型で抜いて折る、組み立てるものなど様々なものがあります。また、それぞれの箱の工程に専門の機械があることを知りました。裁断の機械も複数あり、体験で作った箱の厚紙の折り線をつける機械、ホッチキスのように金具を止める機械等々、本当に多くあります。
京都かみはこ博物館 函咲堂の機械
機械は、それぞれの工程を順番に理解できるように配置も工夫されています。紙箱の歴史や、どのようにして作られているのか知ってほしい、そして箱に入れて贈るという文化も伝えていきたいという思いが伝わってきました。
展示されている機械や資料は、明治時代に創業した京都の紙箱業界の雄であった「泰山堂」が所有していたものです。縁あって函咲堂が受け継ぎ、展示しています。展示室は2階にあり、1階に鉄骨を入れて補強し、重機で搬入したそうです。紙箱製造機がこれだけ一堂に展示されている所は他に例を見ないのではないでしょうか。

貴重な資料と歴史を受け継ぐ

京都かみはこ博物館 函咲堂の展示
展示品のなかには箱作りが手作業だった時代のものもあります。糊を入れていた大きな木桶、刷毛、紙を切る包丁など、これらの道具で作るのはさぞ手間ひまがかかったことだろうと想像できます。
しかも今よりもっと、日常的に行き交うものに箱が使われていたと思います。風呂敷を入れる浅い箱、反物用の深く長い箱、うちわや扇子用の箱。商いや暮らしのなかで受け継がれてきた習わしと結びついて、箱の需要も様々あったと思います。そしてそれぞれの時代の箱に携る人々が、時代の大きな波も含め、困難もあるなか、研鑽と研究、工夫を重ねて発展の歴史を刻んできました。
京都かみはこ博物館 函咲堂
おかあさんと小学生の娘さんも興味深そうに熱心に見学されていました。キットを使ってだれでも気軽に貼箱が作れるというだけに終わらず、ものづくりそのものについて知ることは大切なことだと感じました。多くの機械や道具が並ぶ様子は、箱作りの現場にいる臨場感があり、こうした環境で体験できることは貴重です。自分で作った箱が、いっそう思い入れのあるものになりました。
京都かみはこ博物館 函咲堂の紙
紙箱は上に貼る紙や印刷技術も不可決です。紙の材質、デザイン、印刷技術の向上といったことと深くかかわっています。その点にも大いに興味をそそられました。次回は、函咲堂を開設した思いや、これまで取り組んでこられたことなど、山田館長さんに伺います。

 

京都かみはこ博物館 函咲堂(はこさくどう)
京都市下京区西七条比輪田町1-3

暮らしのかたわらに 一閑張を

一閑張(いっかんばり)とは、和紙を張り重ねた上に柿渋や漆を塗って仕上げた生活道具です。軽くて丈夫、また補修して長く使えることから、日々の暮らしに重宝されてきました。形あるものは最後まで使い切って、ものの命をまっとうする大切さに気付かせてくれます。
「伝統を暮らしに生かす」とは、どういうことかについては「そんなに難しく、堅苦しく考えなくていいのですよ。それより楽しんで、そのなかで一閑張の良さを知ってもらえれば」と、語るのは、飛来一閑 泉王子家十四代尾上瑞宝さんです。もの心ついた2、3歳の頃には見よう見まねで、おもちゃを作るように、一閑張にふれていたという申し子のような方です。伝統工芸一閑張の本当の姿を多くの人に知ってもらい、日々の暮らしが少しでも豊かになるようにと熱い思いがあふれるお話を、生まれ育った自然豊かな右京区のアトリエでお聞きしました。

和紙と柿渋、漆。そして人

一閑張 飛来一閑 泉王子家
一閑張の歴史は古く、江戸時代初期に、戦乱の中国から日本へ渡った明の学者、飛来一閑によって伝えられました。乾漆工芸の技術の持ち主でもあったことから、日本の質の良い和紙を主な原料として、独自の技術を開拓したことが日本での一閑張の始まりです。
かごや菓子器、文箱、つづらなど様々な日常の用に使えるものが作られてきました。このように生活に密着したものでしたが、ある時、茶道千家三代家元の目にとまり、茶道具としての用も果たすことになり、ここで千家十職「飛来一閑 飛来(ひき)家」と、暮らしに根差した生活道具を作る「泉王子家」に分かれ、今日まで、それぞれの歴史を刻んでいます。
「泉王子」の名は「菊水紋」とともに、江戸前期の百十二代霊元天皇から賜り、現十五代まで続いています。これだけでもう、泉王子家を雲の上の存在に感じてしまいますが、十四代の尾上さんはいたって気さくな方で、垣根を一切感じさせない物腰で、一閑張についてていねいにお話されました。
泉王子家十四代尾上瑞宝さん

和紙だけで作られたフレーム
和紙だけで作られたフレーム

一閑張は「竹に和紙を張ったもの」と思いこんでいましたが、基本は和紙です。何枚も張り重ねてもとても軽く、その上強度もあります。柿渋や漆を塗ることで防水性や防虫効果も生まれます。実際にアトリエにある作品を手にとると驚くほどの軽さです。和紙を張り重ねただけでも、しっかりしています。現代は「軽量・防水・耐久性」などをうたう商品があふれていますが、一閑張の丈夫で軽く、水に強いということが、江戸の昔の人々にとって、どれほどありがたかったことかと、しみじみ感じました。
和紙は、張り重ねることはもちろん、竹や木、石、布などどんな素材にも使うことができます。その柔軟性は無限に新しいものを生んでいきます。それを可能にしているのが、素材を大切にして、持ち味や特性を生かせる技術、人の手です。日本の素材と物を大切にする作り手によって生まれ、それぞれの時代を経てきました。一閑張を手にした時に感じるあたたかみややさしさは、まさに人の手によるものです。このことが長く愛着をもって使うことにつながると感じました。

家訓は今も変わらず大切な指針

一閑張 飛来一閑 泉王子家
泉王子家の家訓と技術は、代々一子相伝、口伝(くでん)によって受け継がれてきました。家訓の最初に「四十になるまで己の作品を世に問うてはならぬ」とあります。これはまず諸国をめぐり多くの人と出会い、見聞を広めよ、人間としてどうあるべきかが作品にも問われるということにつながります。
そして、長い間各地をめぐり歩き、京都へもどった時は風貌も変わっていることもあったでしょう。確かに泉王子家の者であることを証明する手立てとして「家訓をそらで言える」ことが重要でした。尾上さんは二、三歳の頃にはすでに、門前の小僧習わぬ経を読むのたとえの通り、完全に覚えていたそうです。泉王子家には、研究者や技術を習得したい人など多くの人が出入りしていました。そのお客様へ家訓を披露する時は、いつも尾上さんの出番でした。みんなが感心してほめてくれるのがとてもうれしかったとなつかしそうに話してくれました。

泉王子家十四代尾上瑞宝さんのアトリエ
愛用の道具が並んだ尾上さんのアトリエ

家訓は口伝を固く守ってきましたが、現在は文字にして公開し、伝統的技法も教室を開いてだれでも体験できるようにしています。一閑張の素材の確保は、年々大変になっていますが、信頼できる職人さんから入手しています。和紙はしっかりした技術の職人さんの手漉き和紙を多く使い、糊は添加物の一切ない天然のでんぷん糊、骨格として竹や木を使う時も、天然のものです。そして、受け継がれた技法によって、が天然自然の素材を生かした作品ができあがります。それに対して、合成の接着剤や天然素材ではない紙を使うなど、素材も技法も一閑張とは言い難いものが「一閑張」として世間に出回るようになった背景があります。このことに危機感を持った尾上さんは、本来の一閑張を知ってもらうための活動を始めました。このお話を聞いて、時代の変化のなかで、一閑張を継承していくためにはその時々の決断が必要なのだと感じました。家訓には「血筋にこだわるべからず 技術をもって引き継ぐを主とすべし」という条項があります。これも「本来の姿、本当の一閑張」を継承していくという本筋を大切にするための決断と感じられました。そして血筋にこだわらないという柔軟な考えにも感心しました。尾上さんが始めた、だれでも気軽に一閑張を楽しめ、そのことにより、正しく伝えていくという活動は「家訓の実践」であると感じました。それが実を結び、今の時代に一閑張のすばらしさを広げています。

日々の暮らしを豊かに、人生を楽しく

出前講座の生徒さんのお手製

尾上さんは、小学生や大学生、一般市民向けの教室を各地で開いて、一閑張の普及に積極的に取り組んでいます。近くの小学校へは3年間、出前講座を行いました。作るものは自由。みんな夢中になって、休み時間や給食もそこそこに、作品作りに没頭していたそうです。「自分の部屋がないから作りたい、と本当に自分が入れる大きさの部屋を段ボールなどで作り、家へ持って帰って、その中で宿題をしている」「かばんを作っておかあさんにプレゼントした。おかあさんは毎日使ってくれている」「おもしろい椅子を作った」など、作ることの楽しさ、完成した喜びにあふれた声が寄せられました。
高校生や大学生も、わいわい楽しく作業をしていたそうで「本当にみんな、きらきら生き生きしています。きっかけや出会いさえあれば、だれもが手先を動かすおもしろさを知ることができます。これからも、特におもしろさを伝えていければと思います。そのなかで自分に自信を持てたり、新しいことを知る楽しさを感じられます」と、体験教室の様子を尾上さん自身も楽しそうに生き生きと伝えてくれました。
泉王子家十四代尾上瑞宝さん
東日本大震災が起きた時も福島へおもむき、仮設住宅へ入っている妊婦さんから「中のにおいが耐え難い」という声を聞き、調べると化学物質の資材が原因とわかったそうです。そこであらためて、自然素材を大切にした、ものづくりや暮らし方を思ったそうです。
環境とものづくりがつながっていること、こうした考えを身近にしたい、広げたいと福島へは8年間通い、一閑張のワークショップを続け作品展を開くまでになりました。一心に和紙を張り、形ができる達成感はきっと地元のみなさんの気持ちの支えになったのだと感じました。教室は今も続いているそうです。

一閑張 飛来一閑 泉王子家
尾上さんが修復した網目が見事な思い出のかご

アトリエには、修復した250年前の箱、茶箱など時代を経たものや「おじいちゃんが大切にしていたかごを直してほしい。手元に置くと、僕をかわいがってくれたおじいちゃんの思い出がよみがえる」と持ち込まれた品もあります。また尾上さんは材木屋さんで捨てられていた木の端材をもらって来て、和紙を張り、柿渋を塗って手近に置いて小物として使っています。もう職人さんはいないという和菓子の木型も最後の職人さんからいただいたそうです。尾上さんのところへは、こうして一閑張という枠を超え、またどんな素材とも親しくなじむ一閑張だからこそ、様々な物が集まって来ます。人間が生きる時間より、物の命は長いのだと知らされます。またそのすぐれた特性から驚くものにも使われています。
八代将軍吉宗公に献上された望遠鏡、また全国を測量し日本地図を作った伊能忠敬が使った望遠鏡にも、筒に一閑張が使われています。武士の陣笠も軽くて丈夫、雨も通さない一閑張でした。そして今、だれもが一閑張を体験することができ、身近なアイテムも作られています。
和菓子の木枠
尾上さんは銀行員やその他の職業を経験した後、四十歳を迎えてから十四代となりました。父親の先代は跡継ぎになれとは一度も口にしたことはなかったそうです。尾上さんが跡継ぎになる決心を伝えた時「なぜ継ぎたいと思ったのか」とたずねられ「多くの人とめぐり合い、人との出会いの大切さを知った」と答えたところ「良し」と、こたえられたそうです。先代は常に「人として大事なこと」を基本にして「たて割りで世の中は成り立っていない。横割りで物を見られるように」と言われていたそうです。
失敗から学ぶ。失敗したからこそ工夫する。一閑張は伝統技術を引き継ぎつつ、新しいものをプラスしています。「作り出せるものは無限大。知恵や工夫でもっと使いやすく、おもしろくなります。そしてそれは身近にある物を利用して、だれにもできること。これは人生も同じ」と語ります。生きていく上でマイナスなことに度々出会うけれど、マイナスをプラスに変えていく力をみんな持っていると力を込めました。アトリエの屋号「夢一人」は20年間拠点をおいた北区のお寺のご住職がつけてくれたそうです。「ひとり、ひとりに夢を」という思いと期待を込めて贈ってくださった屋号です。
四百年の伝統は、実は普通の暮らしのすぐそばにあり、工夫することで普段の暮らしに生かせます。「だれもがその知恵をもっている。一閑張を通して、毎日が少しでも豊かになるように。そして自由自在な和紙のように楽しい人生を」というメッセージを強く感じました。そしてその根源にある家訓は、今を生きる指針でもあることを感じた取材でした。

 

一閑張 飛来一閑 泉王子家(いっかんばり ひらいいっかん せんおうしけ)
アトリエ夢一人

祇園に佇む 現代アートギャラリー

観光に訪れた人々でにぎわう四条通や八坂神社あたりから一歩入れば、暮らしが感じられる界隈となります。そんな静かな通りの一画に、ガラス張りの白い建物のギャラリーがあります。
企画展の会期中は通りからも、展示の様子がうかがえます。現代的な建物でありながら、気取ったふうもなく、明るく開放的な雰囲気が感じられます。
祇園祭の鉾建てにわく日、「現代アートうちわ展」を開催中の「ギャラリー白川」のドアを開けました。オーナー池田眞知子さんのお話と執筆された著書から、画廊という発表の場、その役割についてはじめて知ったこと、感じたことを綴ります。

今年で39年を迎えるギャラリー

ギャラリー白川
自宅から見える白い建物の空き店舗を眺めていて「お茶を飲める、可愛い画廊」が目に浮かんだことが、ギャラリー白川の始まりでした。絵の好きな人や作家さんが訪れ、徐々に企画した展覧会を開けるようになりましたが、やがて「世界のアートを自由に紹介したい」という思いがつのり、家族の理解と協力を得て単身パリとニューヨークへ飛び立ちました。

オーナー池田眞知子さんの著作「35年をこえて 偶然を必然に ジョン・ケージからはじまる」
オーナー池田眞知子さんの著作「35年をこえて 偶然を必然に ジョン・ケージからはじまる」

1980年代の躍動感あふれるアメリカンアートの魅力は目にまぶしいほどだったと著書のなかで語っています。何度か訪れるうちに、多くの美術関係者ともつながりができ、京都で紹介できるようになったそうです。ジョン・ケージ、サム・フランシス、フランク・ステラ等々、現代の美術界を華やかに彩る海外の作家たちの展示会を実施したのでした。

当時の日本はバブル景気にわき、絵画もどんどん動いた時代でした。百貨店での企画も多く、また地方に美術館が次々と建設され、「絵具が乾く間がない」というほど、作家も次々と制作を続けたそうです。
現代アートがまだ日本に根付いていない頃から、アメリカで絵画の新しい潮流を目のあたりにしてきた池田さんは、美術館へ作品をおさめたり、展覧会の企画など数多くかかわっていました。

やがてバブル経済の終わりが来て、美術館には作品を買い上げる予算がなく、百貨店でも動きが止まりました。日本全体が不景気の影におおわれた1999年、今後を見据えて、現在の祇園の地に移転しました。それは「ここで何ができるか」という自分自身への問いかけでした。
画廊経営という未知の世界へ飛び込んだ最初とは違い、多くの人との出会いや経験のなかで得た「企画する喜び」を礎に、新たな取り組みを始めたのでした。

17回続く「現代アートうちわ展」

ゆかたとうちわ
アメリカをはじめ海外の現代アートを日本に紹介した草分け的な存在の池田さんは、再び日本の作家へ目を向けるようになりました。
うちわが日本へ伝わったのは6~7世紀とされていますが、はじめは祭祀や貴族のあいだでのみ使われていました。現在の「風を送って涼む」竹骨に紙を張った形となるのは室町時代とされています。江戸時代へ入ると、庶民の間に広まり、浮世絵や人気役者の姿、美人画などが描かれ、床の間へ飾ったり、おしゃれとして持ったり、うちわの文化は見事に花開きました。
ギャラリー白川のうちわ展
池田さんは「この時代の日本人の豊かな感性とすばらしい職人技を、今の作家さんにも知ってほしい」と、現代アートうちわ展を企画しました。今年でもう17回を迎え、27人の作品が展示されています。日本画、漆、油彩、版画、現代美術、水墨画、織り、フレスコ画、グラフィックデザインなど様々な技法、分野の作家さんのうちわが展示されています。
その展示がすばらしく、美術とは縁遠い人も十分楽しめる空間になっています。フランス、カナダ、アメリカ、マカオと海外からの参加もあり、結びつきの広さと確かさを感じます。
ギャラリー白川のうちわ展ギャラリー白川のうちわ展
思い切り飛んでいる作品が日本画の作家さんとか、鮮やかにひまわりを描いたうちわはフレスコ画など、新鮮な驚きが続きます。
「普段は四角なキャンバスと向き合ったいるので、うちわのように丸いなかに描くの難しい」そうです。夏の風物として、普通の制作とは違って楽しんで描いているのかと思ったのですが、そんなものではなく苦労し、一心につくり上げるものでした。
「夏だからこの時期はうちわ、という意図でやっているのではありません。江戸時代に発展した、身近にある道具をアートにして楽しむことを掘り下げていってほしいと思うからです」と話されました。
もちろん、夏の季節感としてうちわを楽しむことはすてきなことです。そのことを十分含んだうえで、池田さんの現代アートうちわ展には、美術・作家・画廊というもに対する、季節の楽しみだけではない、もっと強い意思が伝わってきました。

39年のその先へ、できること

ギャラリー白川
バブル後の激変に備えて新たなスタートをきり、歩んでいましたが、コロナ禍という世界中が巻き込まれている思いもかけない事態が続いています。ギャラリーへ足を運ぶ人もぐんと減ったそうです。そのようななかで池田さんはデジタルでの発信を充実させています。
ユーチューブでの配信は、作家の制作風景と作品が映し出され、娘さんが弾くピアノが想像をふくらませ、ひとつの映像作品として見ごたえがあります。
ギャラリー白川のYoutubeチャンネル
池田さんが「35年をこえて 偶然を必然に ジョン・ケージからはじまる」を著してから4年たちました。池田さんは、コロナになってから人の行動パターンや暮らし方が変わったと実感しています。
外で過ごすことが少なくなり、みんな家でゆっくりする方向になっています。そのようななかで、アートというものをどうやって広げていくのか。池田さんは、いつも「これまでと同じことではなく、ここでできることは何か」をいつも考えています。
ギャラリー白川のうちわ展
今回のような、ギャラリーとアートとの偶然の出会いを必然にする努力を続けています。「偶然を必然に」とはジョン・ケージの言葉なのだそうですが、これは今、アートの世界に限らずどんなところ、職業にも通じることだと思います。「アートや作家さんとの出会う機会を工夫し、支える人をもっと増やすこと」が必要です。
作品を求める人がいて作品が売れて、画廊も継続できる環境やシステム的なことが必要なのだと思います。アートの世界へのとびらはオープンになっています。まずは一歩入って作品と出会うことで観る楽しさ、豊かさを感じてみたいと思います。
ギャラリー白川では、現代アートうちわ展の後にも、企画展が続きます。ぜひホームページ等でチェックしてみてださい。

 

ギャラリー白川
京都市東山区祇園下河原上弁天町430-1
営業時間 12:00~18:00
第17回現代アートうちわ展 7月24日まで開催

西国街道に アートと暮らしの新しい風

多くの人が行き交った歴史の道、西国街道に新しい風が吹いています。長い間空き家だった建物が縁あって、多くの作家さんが参加して改装し、自由な表現と人がつながるギャラリーに生まれ変わりました。アートとていねいな暮らしの提案を共有する空間です。
wind fall(ウインドフォール)という名前には「風の贈り物が届くように、思いがけない幸運が訪れますように」という願いがこめられています。訪れる人々に「日々是好日」と感じられる、心が解き放されるひと時を贈ってくれます。
地域にとけ込み、5月に満1年を迎えたウインドフォールに2年目からはどんな風の贈り物が届くのか。最初の企画展で楽しい風を受けて来けながら3人の織姫さんにそれぞれの作品と「さをり織り」の魅力について話をお聞きしました。

「3人の織姫による45展」とは

wind fall
天井から吊るされた虹のかけ橋は、今回の企画展に参加した作家三人の合作です。

三人三様の個性が発揮された作品に、光と風が自在に通りぬけ、気持ちが軽やかにやさしくなります。「45展」とは「よんじゅうごてん」と読み、100点じゃなくてもいいし、50点でなくてもいい。力をぬいて自分らしくやっていけばいいという思い、見に来てくれる人たちへのメッセージです。

wind fall
来場者と談笑する菊本さん(左)

「それと私たち3人とも45歳なのです」と笑いながら話してくれたのは菊本凡子(なみこ)さんです。若いという年齢ではないけれど高齢ではない、微妙な年齢だけれど、まだまだ体力も気力もある45歳の年に「50歳までの5年間を元気に意欲的に取り組んで、50歳からの人生をまた新しく始めていこう」と企画したと続けました。
広島県で活動する本木ナツコさんに展示会を提案した1年前、ちょうどウインドフォールがオープンし、会場はここと決めて準備を始めました。そこへ築山泰美さんに加わってもらい「強い個性と個性の二人に、やさしくさわやかな風が通った」展示会になりました。
会場の中央に高くかけられた作品は、織りで表現した3人それぞれの虹のかけ橋です。天井の高いこの建物の特徴が生きています。
wind fall
その虹のもとにたたずんでいるのは乙女の夢「ガーデンパーティにまとうドレス」です。3着のドレスも本当によく個性が表れています。難しい技術の苦労のあとを感じさせない、感性がきらめくドレス、強い個性の唯一無二の自分自身を伸び伸び表現したどれす、清楚で可憐、気品あるドレス。ぜひ、自然の風を受けてパーティや結婚式に着てほしいと思いました。

さをり織りの世界観と可能性

wind fall
45展は「さをり織り」の魅力を広く知ってもらう機会にもなっています。普段、ポーチやバッグ、マフラーなど小物や雑貨で、さをり織りを目にした人は多いと思いますが、今回の企画は「使える」ことに加えて「アート」としての出会いをしてもらう、よい機会になっていると感じました。
「さをり織り」は50年ほど前に「技術の決まり事にとらわれず、自己表現として自由に織る」織物として始められました。「キズをデザイン」としてとらえ、年齢や経験、手先の器用さなどを超えて多くの人が楽しめることがこれまでの織物の世界にはなかった大きなことでした。

wind fall
こんな大胆な作品も

菊本さんは、ある時、展示を見た人から「さをり織りは人生模様」と表現された記憶が鮮烈に残っていると語ります。「織り出したら元へもどれない。前へ進むのみ。でも、その時は思ってもみなかったキズが、できあがってみたら「これ、けっこういけてる」と思う。このようにポジティブとらえると、少し重かった気分も軽くなり、さをり織が持っている力と言えます。
「これまでとは違う作品を作らなくては」とか「がんばって織らなくては」という苦しい気持の時は思うように織り進めることができないと聞きました。そういった気持ちにとらわれず、楽しく織っている時はあっという間に一日がたち、作品できあがっていることもよくあるそうです。
wind fall
まさに「自由に楽しく」こそ、さをり織りであり、アートとしての魅力なのだと実感しました。高い天井を生かした立体的な展示は「布」という平面の作品の新たな魅力を発見することができます。作品が、開け放したドアや窓から入って来る風の通り道になって、その時々でいろいろな表情を見せてくれます。作品と自然が呼応するギャラリーです。

建物と文化・アートでまちの循環を

wind fall
3人の作り手さんが語るさをり織の人模様もとても興味深いものがありました。
「作品をふり返ってみると、ここを織っている時は、こんな気持ちだったのだなあと、いとおしく思う」「仕事が忙しかったこともあり、しばらく遠去かっていた時もあったけれど、再開して改めて、さをり織の魅力を感じて続けたいと思った」と、それぞれの思いを話してくれました。

wind fall
菊本さんの教え子のユリちゃん

期間中は織り機が2台置いてあり、ワークショップ的に織り体験をしてもらっています。
菊本さんが指導されているユリちゃんもおかあさんと一緒に来て、本当に楽しそうに、巧みに筬を動かして織っていました。身に付けているすてきな巻きスカートは自分で織って仕立てまでされたとのこと。とてもよく似合っています。
wind fall
またギャラリーの外観は室外機まで「作品展示」のようです。スマートフォンで撮影する人もちらほら見かけます。西国街道の景観つくりにも一役かっています。カウンターと奥にもカフェスペースがあり「ていねいな暮らし」の提案である飲み物や、食事をゆっくり楽しむことができます。
wind fall
菊本さんは「この展示会へ遠くは広島、宝塚、大阪、地元の方と思いがけず多くのみなさんに来ていただています。わざわざ足を運んでいただいたことに、普段忘れがちですが、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と語ります。
この「京のさんぽ道」ではこれまで、西国街道の、元旅籠であった富永屋、中小路家、長岡京市の中野邸とご紹介してきました。今回ギャラリーという地元の人と作家を結ぶよりどころが誕生したのはすばらしいことだと思います。建物が人によって新しい役割を得たのて、文化やアートがまちの循環をになっていくのだと思います。多くの人の気持ちの居場所になりますようにと願っています。

 

Wind fall GALLERY ウインドフォール ギャラリー
京都府向日市寺戸町東ノ段9-14
次回企画:6月17日~28日「夏のアートなTシャツ展」

自分で決めた道 自然体でぶれない農業

三月の声を聞き、暦は土の中の虫も目覚めて動き始める啓蟄を迎えます。
京都の西南部、長岡京市は京都市内・大阪のベッドタウンとして人口が増加したまちですが、西山の緑と住宅地に続く田んぼや畑が広がる自然を身近に感じることができるまちです。
農家の直売所も点在し、季節ごとに新鮮な野菜が並びます。長岡京市の特産、地元では「花菜(はなな)」と呼ぶ菜の花の収穫はそろそろ終わりの頃となり、もうすぐ、全国に誇るブランド品、京筍の出番となります。
長岡京の菜の花畑
化学肥料を使わずに手をかけて育てた野菜やお米が喜ばれている直売所へ、しばらくごぶさたしていましたが、最近またちょくちょく足を運んでいます。それぞれの野菜の特徴や料理のヒントなど次から次へとくり出される興味深い話に、訪ねた時はいつも、つい長居になります。

めずらしいものがある楽しい直売所

山本農園の直売所
山本農園の直売所は、西山の名刹「光明寺」へ向かう、田畑がゆるやかに広がる場所にあります。道路側の側面に大きく「低農薬、有機栽培 季節の野菜 お米販売しています」と書いてあります。通称おとうさんは「そやけど、車やと全然気がつかんと通り過ぎていく」と、さほど残念そうでもなく、おっとりした口ぶりです。それでも、車や自転車、散歩の途中の人など次々とお客さんがやって来ます。
山本農園
すべてその日の朝に収穫された、朝露にしっとりぬれている野菜を、袋詰めをしながら並べていきます。見るからに元気いっぱいの野菜です。5キロもあるはくさいの迫力、切り口のみずみずしさが想像できるずんぐりむっくりした大根の名は「三太郎」。みどりが鮮やかな春菊、養分たっぷりの畑の土がついた里芋やえび芋など、季節の顔がそろっています。
そのなかにちょくちょく、めずらしい野菜や時には果物も並びます。「これは何ですか」と聞くと、少しうれしそうに説明してくれます。
山本農園の黄金カブ
最近目についたものは、中まで黄色の「黄金かぶ」です。中まで黄色なので、サラダにしても色がきれいで、しかもほかの野菜に色が移らないと教えてくれました。炊いてもいいということですので、菜の花と一緒にオリーブオイルで焼くと彩りもきれいでおいしそうですそして「中まで緑色の大根もあるよ」と裏の畑から抜いて来てくれました。成長するにしたがって、どんどん土から上へ出ていくので太陽の光を浴びて緑色になり、皮も固くしっかりした食感になるそうです。「直売所をやっていたら、1シーズンにひとつはめずらしいものを置きたいと思う」ので、種や苗を注文する時に、何か変わったもんはないかとさがすそうです。

山本農園のフェイジョア
パイナップルやイチゴなどをミックスしたような風味がするフェイジョア

定番の季節の野菜と一緒にめずらしい野菜を置いて、お客さんにも喜んでほしいという気持を感じます。秋には「フェイジョア」というとても香りの高いあまずっぱい果物がありました。5月にはピンクのかわいい花が咲き、やはり香りもよく、イタリアンレストランのシェフは、食用花に使っているそうです。ほとんどの人が普通に売られているピーナツしか知らない「落花生」も評判になりました。殻付きのまま塩ゆでにして、まだ温かいうちに食べるおいしさを教えてもらいました。「つくる側もお客さんも楽しくなる」直売所です。

子どもたちに食べてもらえるお米野菜

山本農園の「おとうさん」
大きな芋を手に笑顔で話す「おとうさん」

おとうさんが、建築会社で技術系のサラリーマンから実家の農業を専業にして26年たちました。アレルギー体質の子どもたちにも、安心しておいしく食べてもらえるお米や野菜作りを大切にしています。小学生のお孫さんは「おじいちゃんの作った野菜」はよく食べてくれるそうです。他でとれた野菜は、これはおじいちゃんのと違うとわかると聞いて、普段の食生活の積み重ねの大きさを感じました。
山本農園の大根
「子どもの舌は正直。おとなのようにお世辞を言ったり知識の刷り込みがないから、そのまんま」という言葉には私たち買う側にとっても大切なことが含まれています。田んぼは、さらに自然豊かで水がきれいな美山町にあります。通うのは大変だと思いますが「化学肥料を使わず、減農薬で育てたおいしいお米を作る」という思いで美山へ通い続けています。
そして「うちのお米や野菜つくりの考えに賛同してくれる人がお客さんになり、常連さんになってくれる」という語り口に、26年間つちかってきた確かで静かな自信が感じられます。「来る者は拒まず、去る者は追わず」とほがらかです。
そして「野菜の説明でも、押しつけに感じることになるかもしれないから、これはおいしいというようなことは言わない。たとえば、えび芋なら皮をむく時に手がかゆくならないとかヒントになることに止めておいたほうがいい」という考え方やお客さんとの間合いは、見積りから現場、掃除までやったという建築会社での経験も生かされています。そして「お米も野菜も手をかければかけるほど、ちゃんとこたえてくれる。子どもと一緒。手をかけすぎてもだめやけど、それぞれの特性を生かして育てることが大事」と続けました。経験豊かな人の含蓄のある言葉です。

寿命が来るまで精いっぱい好きなことを

山本農園のおとうさんとおかあさん
「前は正月以外ずっと直売所を開いていた。休むとかえって調子が悪い」そうです。健康管理をして体力を保ち、おいしいものをみんなに食べてもらえるようにと、いつも心がけています。「二人で一人前。ひとりではできないことも二人ならできる」という欠くことのできない大切な存在は「おかあさん」です。
「このあいだのえび芋の頭芋、びっくりするほど大きかったけど、炊いたら本当においしかったです」と伝えると、にこっと、うれしそうに「そやろ。ひと味ちがうやろ」というおとうさんの言葉に続いて「素揚げもおいしいよ。油が飛びそうなら片栗粉を付けて。揚げたてに塩をぱらっと振って、あれば青のりをちょっとかけると香りもいいしね」と教えてくれて二人の間合いが絶妙です。
長岡京市の山本農園に飾られた菜の花
農機具収納庫の直売所には、いつもさり気なく季節の野の花があり、心がなごみます。長岡京市内には、いくつも直売所があります。おとうさんは「それぞれが特色を出してやっていくことが大事」だと考えています。そして化学肥料を使わない減農薬の農業についても「無理をしない程度に、うちはうちの自然体で続けていく。自分でこれと決めた道をぶれないでやっているだけ」と気負いはありません。
ポポーという北アメリカ原産のめずらしい果樹を育てた時は、15本植えたのに、実が付いたのは1本だけという出来事にも「美山やったから目が行き届かんかったから」と原因をとらえ、前向きです。

「自分で一生懸命作った作物を納得する売り方をしたい」と考えて始めた直売所は、これからも私たちに、当たり前のように感じている毎日の食卓は、一年中、田んぼや畑に出て仕事を続ける人たちの存在があってこそという原点に立ち返らせてくれます。普段の暮らしが普通に送れるということの重みと、どれだけかけがえのないものなのかを思い、感謝する気持を忘れてはならないと感じています。
「どんなに寒くても植物は自分でわかっていて、3月になればちゃんと準備を始める」という言葉に励まされました。

 

山本農園
長岡京市 光明寺道と文化センター通り蓮ケ糸交差点西南角
営業時間 10:00~17:00頃(途中、昼食休憩あり)
定休日 水曜日

きっと行きつけになる 着物屋さん

みなさん、すこやかな新年をお迎えのことと思います。また、どのようなお正月風景のなかでお過ごしでしょうか。お正月は着物を着るいい機会ですね。
「着物は持っていないけれどいいなと思う」「家の古いたんすに入ったままの着物を着てみたい」「久しぶりに着てみようかな」また、おかあさんの若い頃のおさがり、おばあちゃんが縫ってくれたウール、市で手に入れたお気に入りなど、着物にまつわるそれぞれの思い出も大切にしながら「着たい気持ち」に応えてくれる着物屋さんがあります。「自由に、今、着る」ことを楽しみ、着物の世界を広がてくれる、頼れるお店が「燈織屋(ひおりや)」さんです。「燈」は着物好きの人の足元を照らすともしび、「織」は、着物にかかわる様々な人たちが糸のように交わり、一緒に布を織りなしていけますようにとの思いをこめて名付けられました。
その燈織屋店主の森島清香さんに話をお聞きしました。汲めども尽きず、湧き上あがるお話は切り上げることができないほどの楽しい時間でした。

自分のすきを基準にしたものたち

燈織屋店内
燈織屋で扱っている着物や帯はリサイクル品も、オリジナル商品もあります。リサイクルの着物は「古物商免許」を持つ森島さんが、自身の感性や「すき」を基準に仕入れしています。旧来の着物の柄の概念にしばられない、大胆でアート作品のようなデザインが特徴の銘仙やアンティーク、手仕事が静かな存在感を放つ友禅や刺繍の着物や帯など、そこに居合わすだけでわくわくしてきます。そのなかに「燈織屋オリジナル」商品が個性を発揮しながらも、他とぶつかることなく一つところに並んでいます。
燈織屋オリジナル帯ちよ
チョコレート好きの森島さんが企画・デザインした半幅帯と角帯シリーズ「ちよ」はチョコレートと、ながい年月を意味する「千代に八千代に」からとって「ちよ」に決めたそうです。色の説明も「ミルク多めな甘め」「ダークな苦め」など、伝え方もオリジナルです。
燈織屋オリジナル名古屋帯
もう一つのシリーズは、大好きなイラストレーターの作品をデザインしています。「線香花火のアイスティー」など、こちらも他にはない世界観をあらわしています。身に付けた人も周囲の人も楽しくする帯です。ほかにも、ころんとした形がほのぼのするガラスの針山、きりっと美しい縫製の袱紗、水引のアクセサリーなど、小物も魅力的です。これはどのように燈織屋へやってきたのか話していただきました。

積み重ねた経験と人との出会いが後ろ盾

燈織屋店主の森島清香さん
森島さんは、とても厳しかった和裁の専門学校、膨大な枚数をこなしていた着物のしみ抜きとクリーニング、手描友禅の各工程のプロに技術を教えていただいた友禅組合、販売に関わったアンティーク着物店など様々な経験をされてきました。
すべて順風満帆というわけではなかったそうですが、それも含め今の燈織屋のなかに生きていると感じます。
燈織屋和裁教室スペース
厳しい和裁の専門学校で、実技のスピードが追いつけない時、友だちが放課後に教えてくれたそうです。今、和裁教室をしていて、生徒さんがどこでつまずいているか、何がわからないかなど、自分がわからなかった経験があるから教えることができると語ります。きものの形、なりたちがわかるように、窓に貼った和裁教室の案内には、たとえば「袖なおし」ならどこの部分をなおすのかが、イラストを使って説明されています。商品に付けられたサイズ表示や、「洗濯済」などのタグも親切です。
リサイクル着物の販売では、そこへやってくるお客さんは正統派だけでなく、和洋折衷の自由な着方を楽しまれている方が多く、普通の着物の着方とは全然ちがうけれど「着方は自由なんだ」と感じたそうです。違いをみて、否定から入らずに発見につなげる柔軟性と軽やかさです。それはとても大切なことだと感じました。
燈織屋の水引アクセサリー燈織屋の数寄屋袋
水引アクセサリーは以前住んでいた新潟県長岡市の和装レンタル店「縁(えにし)」さんの燈織屋オリジナル配色、袱紗は和裁の専門学校時代の友だちとの共同制作とのことです。表と内側の古布の組み合わせなど、すべておまかせですが、縫製はもちろん、センスのある美しいパッケージは「自分に贈りたい」と思います。帯のデザインのもとになった「満月珈琲店」さんの世界にまぎれこんでみたい気持ちになります。
染めやしみ抜き、洗いも信頼できる職方です。それぞれの分野の仕事の人々が専門の技術を生かし、また新たな一面を見せて燈織屋のやりたい事を実現させています。その「織」の重なりが、お店に来てくれる人たちの足元を一層明るくする「燈」になっていると感じます。

着物屋さんですが中身は変化進化しています

燈織屋外観
お店の販売日は週2日、和裁教室は週3日行われています。ゆかたを縫っている生徒さんたちで、縫いあがったら近くにある国登録有形文化財の建物「なかの邸」へ食事に行くのを楽しみにして、そのゴールをめざしてがんばっていたのですが、コロナでやむなく中止になってしまいました。
なかの邸では今、藍を育て、そのワークショップを行っています。森島さんも参加し、手始めに半幅帯を染める目標を掲げて、生徒さんと一緒に楽しみにしています。このようにご近所さんとつながりができ、それが次の新しい試みが生まれることを期待できそうです。
燈織屋内装
燈織屋の店内は上手に内装されていて、青い壁の色が印象的です。この色にする時はだいぶ冒険だったそうですが、個性的な色でありながら、ずっといても疲れない色です。和裁の仕立台を前にしても違和感がありません。空間デザインはすべてご主人がされたそうです。森島さんも全面的に信頼し、いい内装になったと言われていました。めざすもの、やりたいことが共有されているからでしょう。
燈織屋の針山
「ガラスの透明感を大切にしたかった」という針山や、果物をイメージしたおいしそうできれいな帯留め、かんざしなどガラスの作品も手がけておられます。ガラスは硬質、冷たい、鋭いイメージがありますが、ご主人の作るガラスは、やさしく、やわらかささえ感じます。帯の柄や商品の台紙は、森島さんが色鉛筆で描いたイラストをご主人がパソコンに取りこんで完成させているそうです。
燈織屋ディスプレイ燈織屋着物
森島さんは店内のディスプレイや商品、ワークショップなども含め、もっと季節感のある店内にして、季節の移ろいを感じ楽しんでもらえるようにしたいと話していました。水引ピアスの台紙に記された「いろ かさなる 織りなす 季節」の清香さん作のコピーがすてきです。伺った時はウィンドウには、すがすがしい新春の気分の、白地の着物に梅の花の染帯がディスプレイされていました。このウィンドウを楽しみにして通る人もいることでしょう。お店には梅の意匠の着物が他にも集められていました。凛とした花の姿に香りも漂ってくるようです。
燈織屋店主
森島さんは、きちんとした場に着る時はそれなりのきちんとした礼にかなった着方を大切にしています。そして、それ以外、普段のケとハレのあいだにある「ケのなかのハレ」を楽しんで、と言っています。普段の暮らしのなかにこそ、楽しみや喜びを見つけよう、そうやって着物を自由に着る楽しみを多くの人に知ってほしいと森島さんは願っています。
今の季節のヒットは「コーデュロイの羽織」です。思ったよりずっと軽くあたたかい。しかもサイズや色も選べるセミオーダーです。なくて困っている、あったらいいな、をかなえてくれるうれしいお店です。新しい一年が始まりました。着物を着る楽しさを多くの人と分かち合えるよう願っています。

 

燈織屋(ひおりや)
長岡京市友岡3丁目9-3
営業時間 11:00~18:00(販売及び仕立てその他の相談)
営業日 金曜、日曜日

世界に広がれ 京太のはちみつ

コロナの影響でぽっかり時間が空いた日々に、京都大学農学部4年生の3人は「全国各地の農家さんのお手伝いをする旅」に出ました。
そこには自然にあらがわず、様々なことをみずからの力と技術でこなしていく本当に豊かな暮らしぶりと、そこに住む人々の「かっこいい」姿がありました。お米作り、梅の栽培、養蜂や炭焼き等々の達人や師匠となる人々とめぐり合い、二ホンミツバチの養蜂で「百姓として生きていく」夢の一歩を踏み出しました。
4月から始めて10月には、市場に出回ることがきわめて少ない「幻のはちみつ」の販売にまで漕ぎつけました。名付けて「京太のはちみつ」です。
農家さんの生き方に敬意と共感をもち可能性を信じて「百姓」への道を歩む、京太のはちみつ代表の大島武生さん、副代表の三宅新さんと伊藤佑真さんに二ホンミツバチのこと、これからの夢について語っていただきました。巣箱を囲んでの愉快なひと時でした。

養蜂を始めたわけと1パーセントの贅沢

ニホンミツバチ
市販されているはちみつの容器には「国産」「中国産」などと記載されていますが、そもそも国産とは何か、それは二ホンミツバチのはちみつではないのかなど、はじめて知ったことが多くありました。農林水産省の調査によると日本のはちみつ自給率はわずか6パーセント、そのなかで二ホンミツバチが占める割合はたったの1パーセントです。
昔から日本の山野にいた在来種の二ホンミツバチは、人間に育てられるようになっても野生の気質が抜けず、用意した巣箱も気に入らなければ引っ越してしまうという奔放さに付き合わなければなりません。セイヨウミツバチに比べ体は小さく、集める蜜の量も10分の1ほどに過ぎません。養蜂には「不向き」と言える二ホンミツバチですが、その苦労を帳消しにするほどのすばらしいはちみつをつくってくれるのです。

左から大島さん、三宅さん、伊藤さん

三人は口を揃えて、はじめて二ホンミツバチのはちみつを食べた時の味わいと香りは衝撃的だったと言います。「とにかく本当においしい」これが原点になりました。
調べていくうちに、巣箱は自分たちで作れそうなこと、とても希少なものであることがわかりました。受粉の役目をしてくれるミツバチは農家にとっても大切な存在です。将来農業をやってみようと思っている三人にとって仲間になります。かくして、貴重な1パーセントのはちみつを一人でも多くの人に知ってもらい届けるために京太のはちみつプロジェクトが始動し、養蜂を開始しました。

無添加・非加熱の百花蜜を届けるために

京太のはちみつ
二ホンミツバチが野山に咲く複数の花の蜜を集めてできたおいしい百花蜜も、加熱すると香りや味わいや多くの種類が含まれている栄養素が損なわれてしまいます。市販のはちみつのほとんどは熱処理が行われています。採蜜のタイミングや工程の効率をよくすることができるそうです。
京太のはちみつはミツバチや野山の自然のリズムに合わせて、ゆっくり時間をかけて熟成された蜜をいただき、熱処理も添加物も無しの、香りや花粉も味わいを深める「生」のままのはちみつです。
8月は5㎏、9月は2か所で合計10㎏採蜜し、10月に販売を開始しました。採取した巣から自然に垂れてくる蜜を集めた「垂れ蜜」と、垂れ蜜をとった後に巣に圧力をかけて絞った「圧搾蜜」の2種類です。趣味の養蜂ではなく、自分たちが生産したものを世の中に問い、売るというチャレンジです。
京太のはちみつ秋の垂れ密
大島さんは、高校の修学旅行で保津川下りの「船頭体験」をしたことから、すっかり京都に魅せられ、今は「若手船頭」とラフティングガイドとしてアルバイトをしています。この長年のご縁から、商品化された最初のはちみつを、保津川下りの待合所の売店に置いてもらい、130グラム3000円という高額にもかかわらず見事完売となりました。「なかなか手に入らないから」と2個、3個まとめて買ったお客さんもあったそうです。

巣箱の手入れをする三宅さん(左)と大島さん(右)

三宅さんは愛媛県で、お金のやりとりなしで「食事・宿泊場所」と、「力と知識・経験」を交換し、有機農業や環境に負荷をかけない暮らし方などについて知見を深め交流するWWOOF(ウーフ)に初参加し、その経験を現在の活動に生かしています。二人ともバトミントンが得意でその技を、二ホンミツバチを狙って襲来するスズメバチ撃退に発揮しています。

巣箱にはスズメバチ除けの赤いネットが付けられています。

10月からメンバー入りした伊藤さんは、ミツバチより後輩の一番の新参者の序列となっていますが、農業サークルに所属し、全国各地で農家の手伝いをしてきたバイク旅の愛好家です。ホームページやSNSでの発信を一手に引き受けて活躍しています。スズメバチの群れを追い払う、大島さんと三宅さんの目にもとまらぬ速さのラケット技法に感嘆していたら、そこで出くわしたセイヨウミツバチに刺されて大変な目に合ったそうですが、それにもひるまず巣箱の様子を見に来ています。
三人の二ホンミツバチとの付き合いは始まったばかり。まだまだ未知なるミツバチの世界の探求は続きます。

海外にも広げたい二ホンミツバチのはちみつ

京太のはちみつ 亀岡の巣箱
紅葉を楽しんだ野山にも枯れ色が目立つようになった12月はじめ、亀岡と京大付近に設置された巣箱の見学をさせてもらいました。
亀岡の巣箱は静かな山里にあります。ご自身も荒れた竹林整備の活動をされ、二ホンミツバチの養蜂を行っている、真福寺の満林晃典ご住職の厚意で、境内地に続く小高い場所に巣箱が置かれています。少し前まで一面にコスモスが咲いていた所もその先の竹林も、みんなで協力して整備されたそうで、手を入れた自然のよさがよみがっています。周囲の豊かな自然は百花蜜をつくる二ホンミツバチのすみかに最適です。

真福寺のご住職も一緒に様子を見に来られていました。

一週間様子を見に来てなかったそうですが安泰のようでした。これからの寒さ対策としてシートでおおうかどうか検討中ということです。スズメバチの侵入を防ぐ網も張ってありました。「養蜂は野菜や果物のように手をかけなくてもほったらかしておいてもいいから」という話もされていましたが、どうしてどうして、よい蜜をとれるようにするには考えること、やっておかないといけないことが多くあると感じました。
また、あろうことか大家さんであるご住職の巣箱より、店子の京太の巣箱のほうが蜜がたくさん取れたそうです。来年はどうか両方の巣箱にたくさんの蜜が集まりますようにと祈る気持ちです。
京太のはちみつ 京大の巣箱
もう一つの巣箱は京大の近くにあります。通りから構内のイチョウやクスノキの木立が見え「大学のまち」の景観を形づくっています。付近に大学付属の農場や植物園もあるため、まちなかであっても自然度が高く、京太の二ホンミツバチたちにとっても良い環境です。スズメバチとガに攻撃され、ひと群れは壊滅してしまったそうですが、残った巣箱の中は異常なしでした。
ニホンミツバチ
今、二ホンミツバチに限らずミツバチの減少が各地で報告されています。原因の一つとして、ネオニコチノイド系の農薬の影響が指摘されています。二ホンミツバチは農薬にとても弱いので、京太でも巣箱の設置には細心の注意を払っています。作物にとって欠くことのできないミツバチなど小さな生き物との共生の大切さが今また問い直されています。

京太のはちみつを海外へ広げようという構想が考えられています。自然がくれた贈り物のはちみつとプロジェクトの取り組みは、世界中で受け入れられるものだと感じました。
女王バチは2~3年、働きバチは2~3か月しか生きられないという、命をかけてただ花の蜜を集めるだけの一生に哀切さとともに、尊さも感じました。それはミツバチのことを愉快に生き生き話す三人の、農業や自然との向き合い方や「恵みをいただく」という謙虚な気持を感じたからかもしれません。
今までにつながりのある、お世話になったみなさんも、これからの展開を楽しみにしていると思います。はちみつの採取は春までお休みですが、ぜひホームページやSNSをチェックしていただいて現在進行中の京太のはちみつの活動に注目してください。そして少しでも自然の営みを感じられる暮らし方について、考えてみたいと思います。

 

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