「バイトの子もみんな家族」 のそば処

「ちょっと軽く、そばかうどんでも食べてこか」「ええなあ」という時、気軽に入れる店は重宝するありがたい存在です。「そば処 志な乃」は、その典型です。以前の場所からすぐ近くへ移転・開店してから2年半。大将が毎朝手打ちするそばときちんととった出汁の風味、ていねいな接客、ほがらかな活気に満ちた雰囲気はそのままに、木の材質を生かしたすてきな店舗になりました。
短時間ですませたい昼食も、ビールや日本酒でゆっくりやりたい時も、ほっと一息ついて満ち足りた気持ちになるそば処です。

てんてこ舞の忙しさが活気に変わるチーム力

志な乃の店構え
お彼岸の中日はめずらしく、吹雪になりました。寒いなか空腹をかかえて「まだ間に合う」と志な乃へかけ込みました。志な乃は出前にも応じています。夜7時を過ぎても出前の電話がかかっていました。
雨カッパ姿で吹雪のなか、続けて出前に行く大将に思わず「お疲れさまです」と声をかけました。すると「病院の先生方ががんばってくれてはりますからね。届けて来ます」と笑顔で返ってきました。京大病院はご近所さんなのです。
この大将の言葉からも志な乃とお客さんのつながりを感じました。昼11時開店夜8時までの営業は長いなと思いましたが、こういう人たちに応えているのだなあと感じました。そして「こんな寒い日にありがとうございます」と言葉をかけてくれました。

使い込まれた出前用のおかもち
使い込まれた出前用のおかもち

出前はご飯時とは限らず常に電話がかかってきます。注文の品や数、届ける場所の詳細、名前と電話番号、立て込んでいる時は少し時間がかかる旨等々、確認することが多くあります。メモを取り復唱し、それを間違いなく調理場へ伝えます。
大将はもどって来るとすぐに、次の出前を確認して出発します。奥の調理場ではみんなが「おかあさん」と呼んでいる奥さんが、てきぱきと注文の品をあげていきます。大将夫婦と「看板娘」のアルバイトさんの3人で、これだけの仕事をきびきびした流れで進めていました。それが少しも騒がしさがなく、店内のお客さんにはきちんと気配りがされています。気持ちの良い息が合った仕事ぶりです。
志な乃が常連さんでも、観光のお客さんでもみんなが満ち足りた気持ちになれるのは、味はもちろんこういうこともおいしさにつながっていると得心しました。

関西の麺の特徴を受け継ぐ安心のおいしさ

志な乃のざるそば
志な乃の麺は、そばもうどんもやわらかめにあげられています。そばについては、ゆで加減も含め、一家言ある人も多そうですが、志な乃はそうした評論はふわふわとどこかへ舞っていってしまう、安心するおいしさがあります。
「少しやわらかめやな」と思ってもそれはそれで受け入れることができるのだと思います。また味付けは少し甘めですが、これも関西の味と納得されているように感じます。全体に細やかに手が入っていて、しかも奇をてらうことをせず、普通の「麺類」「丼」の安心するおいしさをぶれずにつくることに専心してこられたことが「また来たい」という気持ちになるのだと思います。
志な乃のきつねうどん
奥からおかあさんの声が聞こえてきました。「きつねそば、まもなくです」続いて「お待っとうさんでした。きつねそばです」そして、看板娘さんが「お待たせしました」と運んで来てくれた時の笑顔がまたすてきでした。甘めのお揚げとしっかりした出汁、関東に住む京都出身者が「これこれ、ねぎはこれ」という九条ねぎと。
真ん中にどんとおさまった大きなにしんの上に、そばがきれいに揃えて渡してあるのも、京都らしいあしらいに感じます。時間をかけてたき上げた身欠きにしんのじんわり深い味とそばもまた最高の出合いもんです。海のない京都の先人の知恵が受け継がれ、手間ひまかかる味を、このように食べたい時にめぐり合えるのは幸せなことだとしみじみ思いました。

志な乃でみる幸せの風景

ご近所さんの京都大学
ご近所さんの京都大学

志な乃は京都大学が近いこともあり、代々アルバイトは京大生に引き継がれてきました。大将は「みんな、おとうさん、おかあさんて呼んでくれるし、うちは息子が三人おるけど同じようにバイトの子も息子やと思ってます。店を始めて48年。毎年バイトのOB会をやっています。前夜祭をやって次の日は、私がゴルフが好きなのでゴルフコンペをしてくれるんです」と聞いてそのつながりはおどろくばかりです。今年は大将が喜寿を迎えるので盛大に催される計画です。ゴルフをしない人も参加したいと希望しているので、今年は前夜祭の日にボーリング大会も開くことに決まっているそうです。まだまだ進化をとげています。
店内のりっぱな墨蹟はバイトOBがお金を出し合って贈ってくれたもの。東海道五十三次の浮世絵の額もOBからの開店祝いとのことです。本当に家族なのだなあと思いました。
志な乃の店内
大将夫妻はつい先日、金婚式を迎えられたそうです。奥さんは「子どもを保育園へ送ったら飛んで帰ってきてすぐ店へ入って。子ども三人育てながら、本当にようやってきたなあと自分でも思います」と話されました。そして「まだまだがんばりますよ」と、はじけるような笑顔で続けました。
志な乃店内

削り跡の凹凸が表情を生む名栗(なぐり)加工が施された志な乃のカウンター席
削り跡の凹凸が表情を生む名栗(なぐり)加工が施されたカウンター席

新しい今の店舗は木のぬくもりや落ち着きを感じます。入り口のドアやカウンターの側面は、あえて表面を削ったあとを残し、味わいを出す伝統的な仕上げとなっています。また貴重な一枚板もカウンターなどにさりげなく使われています。これは三男さんとその友人たちが担当してくれたそうです。
常連さんがカウンター越しに大将や奥さんと話様子も和やかな感じです。この一枚板をことさら主張するもではなく、時には届けられた食材が置かれたり、またある時はアルバイトさんがまな板を置いて包丁で何やら刻んでいたりと、屈託のない使い方が志な乃の空気感を表しているようで、親しい感じがしました。
志な乃のにしんそば
「清水のほうから歩いてきたら、えらい人やったわ。これで桜が咲いたら大変なことになるで。えらいこっちゃ」「ほんま、どうしようもなくなるなあ。えらいこっちゃ」などという、常連さんとのやり取りも、困ったと言いながら、どこかおっとりした感じで楽しいなと思いました。
それぞれの好みにかかわらず、志な乃を多くの人がいいお店だと感じるのは、大将ご夫婦のお二人やアルバイトさん、そしてゆっくりおそばやおうどんをすする人や、ボリュームのある丼のセットを旺盛に食べる人など、みんなが自分そのままに食事をしている、その風景に心が和むからだと思います。
今日まで、家族と家族となった歴代のアルバイトさん、そしてお客さんと築いてきたそば処です。その幸せな風景がこれからも末永く続き、多くの人のよりどころとなるよう願っています。

 

そば処 志な乃
京都市左京区二条通新高倉東入 正往寺町462-1 インペリアル岡崎1階
営業時間 11:00~20:00
定休日 毎週月曜日、第3火曜日

季節を知るよろこび 花店に山野の春

鴨川沿いの柳が芽吹き、風にそよいでいます。今年は桜の開花も早く、三月の末には満開という予想が出ています。花の名所がにぎわうのも間近です。京都でもっとも華やかな祇園にある様々なお店も春の装いで、道行く人もうきうきしている様子です。
いち早く季節の訪れを教えてくれる花屋さんは、明るい色にあふれ、華やいだ気配に満ちています。次々とお客さんが訪れるお忙しいなか「ぎおん 花重(はなじゅう)」のご夫妻に話をお聞きしました。

お客様は何でも知っている先生。毎日が勉強。

ぎおん 花重ぎおん 花重
古くは平安京と奈良を結ぶ道であったと言われる大和大路は、祇園の花街の地元として、専門店や長く営業を続けるお店が並ぶしっとりした雰囲気の通りです。インバウンドからコロナ禍を経て、新しい飲食店やゲストハウス、駐車場にかわるなど大きな変化を経て、そこからまた様相を変えています。
しかし、そのようななかでも変わらずに、しっかり家業を続けるお店も少なからずあり、地元に根を下ろしたそのたたずまいが、通りに落ち着きを与えています。「花重」もそういうお店の一つです。
早咲きの桜、鮮やかな黄色のミモザや可憐な鉢植えが出迎えくれます。花重は「枝もの」が多いことも特長です。店内には黒文字、青文字、山茱萸(さんしゅゆ)まんさくなど、普通はなかなか見ることのない花木が、生い茂るように立っています。目の前に早春の野山が広がっているようです。
ぎおん 花重
お客様には祇園の料理屋、旅館、お茶屋さんが多く、注文も季節感を大切にした和花が多くまります。床の間、玄関、客室と、それぞれの場所と季節、行事、様々な取り合わせを考えて花材を選ぶ、知識と美意識を備えた目利きの方ばかりです。
「いつもお母さん方に教えてもらっています。」と語るご主人に「長年花の仕事をされていても、まだ知らないことがありますか」と聞くと「まだまだ知らないことのほうが多いです。毎日が勉強ですわ」と明るく答えてくれました。
ぎおん 花重
花の知識だけではなく、日本の文化としての理解が必要です。京都を拠点にして奈良や大阪、神戸など近隣へ足を延ばす連泊のお客様に「お部屋の花を毎日替えられています。日本のおもてなしですね」と、言葉をつなぎました。一日の小さな旅を終えてもどって来たら、昨日とはまた趣の違う花が入っていたら、きっと心地よく、自宅でくつろぐような気持ちになれるのではないでしょうか。「お客様に心地よく過ごしてもらう」ことを大切にする旅館とその求めに一生懸命こたえる花店。「もてなす」「もてなし」という言葉の本来の意味を思い出させてくれました。

全国の産地の信頼できる人の手によって届く花

ぎおん 花重
伺った時はお茶花としてもよく使われる多くの種類の椿が集まっていました。
胡蝶侘助(こちょうわびすけ)白玉椿、乙女椿、そして長崎県五島で発見され、幻の椿と言われた玉之浦など、咲き方や色、大きさも様々です。洋花は一年に2~3回咲かせられますが、和花や枝物は一年に一度、その季節だけのものなので仕入れがとても難しいそうです。市場だけでなく、産地の個人を指定して入れる花もあります。その時々のお客様の求めに一番かなう仕入れ先に発注します。早く出荷したい産地に対し、お客さんは「ぴったりの季節、この時にほしい」という思いがあるので、そのタイミングをはかる調整も大事です。それがスムーズに運ぶのも長年の信頼関係が築かれているからこそ可能なことです。ことに最近のように、暑い期間が長く続くとその影響はとても大きく、仕入れに苦労されるそうです。その時に生きるのがやはり、長年培ってきた生産者さんとのネットワークです。
青文字の花
山野草や枝ものは、華やかではありませんが、地味ながら自然界の季節感を運んでくれる存在感があります。うっすら黄緑色の小さなつぼみをつけた枝が目に入り、たずねると「青文字の花です。全部が全部花をつけるわけではないので、育つ条件や切り時がよかったんでしょうね」という答えがかえってきました。こういう言葉にも産地との関係が垣間見られます。
最近の気がかりは、産地で仕事をされる方の高齢化で、若い世代の後継者をつくることが急務となっています。「若い人に継いでもらいたいけれど、じゃあ、あんたやってくれるかと私に言われたら、とてもできませんし、難しいことではあります」と言われました。後継者問題は業種を問わず、全国で大きな課題となっています。自然と向き合いながらの仕事は生やさしいことではないと思いますが、なんとか志ある若い人が見つかればと心から願う気持ちになりました。

手をかけ笑顔で話しかければこたえてくれる


店内は、舞妓さんや芸妓さんのうちわや青竹の花入れなどがはんなりした雰囲気をかもしだしています。花重は市場のセリ人でもあったお祖父さんが並行して開き、すでに創業100年くらいにはなっているそうです。それから現在まで、変わることなくこの場所で花店を営んでいます。
究極の京都が集約されている祇園で、料理屋、旅館、お茶屋さんを相手に100年も営業を続けていることは驚きですが「何年何月に始めたとか、書いてあるものがあるわけでもないし」と軽く言って笑っています。
途中で「福寿草はありませんか」と、高齢の男性がたずねてきました。「ちょっと、うちにはないのです。福寿草は鉢植えなので園芸店のほうがあるかと思います。ただ時期的に少し遅いかもしれませんね。すみませんねえ」と、ご夫婦でとても丁寧な応対をされました。「ここで長く店を続けていくことは、誰に対しても丁寧に花店としての対応をされることなのだ。それはどんな仕事でも同じことなのだ」と、教えられた気持ちでした。

「たくさんの花を盛りこむ洋花に対し、和花は主役に一種を足すだけ、引き算の美です。真逆の感覚ですね。でも花屋ですから、もちろんアレンジメントでも花束でも何でもやりますよ。洋花も扱いますし。これは今日入ってきた忘れな草です」りっぱな胡蝶蘭も並んでいます。お店のお祝い事に胡蝶蘭に代わるランが出て来ないのだそうです。
世相や業界など、奥深い話が続きます。「たとえばお正月飾りの根引の松でも、本来は男松と女松があって大小がついています。その習わし通りにお渡ししてもお店によっては、きちっと左右同じにしてほしいと希望されることもあります。意識も時代につれて変わりますし、押し付けるものでもありませんし。本来の形はしっかり守りながら、柔軟にやっていくことが必要ですね」と話されました。
和花や山野草はマニア的なお客さんが多いので「負けんように勉強せんとあかんのですわ」と、それが苦ではなく、楽しそうに話されました。「前にいただいた桃の花が次々つぼみが開いてまだ咲いています」と伝えると「それはきちんと手をかけてくれてはるからです。ありがとうございます」と本当にうれしそうに返してくれました。そして「毎日、きれいやなと見ているだけでもこたえてくれます」「きれいに咲いてねと毎日声をかけています」とご夫婦で話され、本当に花を大切にする心が伝わってきました。ぎおん 花重
「同級生でもお商売の家はここに残ってます」そうで、時代の波は押し寄せてもしっかり京都の営みは続いていると確かに感じることができました。
お店には早咲きの桜が数種類が入っていて「啓翁桜(けいおうさくら)」という名も初めて聞きました。鮮やかな色の菊は洋花で「日本の菊は9月からですね。やはり日本のものはその季節だけのものですね」と話されました。花重は、だれでも気軽に入ることができる心やすいお店です。花や自然が身近になり季節を知る楽しみを見つける暮らしが始まります。

 

ぎおん 花重(はなじゅう)
京都市東山区 大和大路四条下ル博多町64
営業時間 9:00~17:00
定休日 日曜、祝日

縁をつないで 犬猫も人も幸せに

猫の恋、子猫は春の季語。昔から身近にいる猫は多くの句に詠まれています。
「あの声は 何いふ声ぞ 猫の恋(正岡子規)」、「なりふりも 親そっくりの子猫かな(小林一茶)」など、表現しようのない声や、無邪気な子猫の仕草を思い浮かべて、そうそうとうなずく方も多いのではないでしょうか。
早春の一日、訪れたのは、人と犬・猫の新しい出会いの場です。不幸な犬・猫を少しでも多く救いたい、安心できる家に迎えられるようにと、「動物たちの縁結び」に取り組む「京都縁(えん)の会」の定例の譲渡会を見学させていただきました。主役の犬・猫たちと保護主さん、スタッフのみなさん、また家に迎えることを考えているご家族が集まり、会場はあたたかくおだやかな空気に包まれていました。

愛情あふれる「自己紹介プレート」と、行き届いた設営

因幡堂 平等寺
会場は、ビルが立ち並ぶ京都の中心街にある「因幡堂 平等寺」のホールです。千年を超える歴史があり、がん封じのお寺としても知られ、人々の信仰を集めています。ご縁を結ぶに最高の場を貸してくださっています。

縁の会
縁の会のみなさんに声をかけられながらも緊張気味の面持ち

11時の開始時刻に、保護主さんと犬・猫が揃って、見学や家族に迎えたいと考えているみなさんを待っています。
広々として、おだやかな光が差し込む良い条件のもとで、ゆっくり顔合わせをして保護主さんにいろいろたずねたり、アドバイスをもらうなど和やかに楽しく会話が交わされていました。それぞれが「ワイヤーケージ」に入って参加するのが決まりです。車に乗せられて移動して着いたら知らない人たちに囲まれて緊張している子もいます。それでも騒いだり暴れたりすることなく一生懸命コミュニケーションをはかっていました。
縁の会縁の会
「この子は外で家族で暮らしていたのですが、夫婦で子育てしていたすばらしいパパなんですよ」「お外に長くいた子は、人になれるまでに時間がかかりましたが、だんだん心を許してくれて今は甘えっ子です」「この二人はきょうだいで、とても仲良しです。だから一緒に新しいお家へ行けたらいいのですが」
みんなそれぞれ個性があり、保護主さんはその性格や保護した時の状況など、質問に応じてきちんと伝えています。それぞれが持つ性格や健康状態も含めて、きちんと理解してもらうことが大切なのだということがよくわかりました。
お手製の紹介パネルは保護主さんの愛情にあふれ「うちの子」たちが魅力的に、しかし虚飾なしに紹介されていて、読んでいるこちらの気持ちもやさしくなりました。
縁の会縁の会
犬のエリアはサークル型のケージです。見学のみなさんも、その周りを囲んでゆっくりふれあいを楽しんでいます。「森永ちゃん」「明治ちゃん」すぐに名前を覚えてもらっていました。ずっと抱っこされている甘えっ子もいて、人間の子どもと同じなのだなあと改めて思いました。ケージを囲んでいた子どもたちは、お迎えした犬と散歩したり走ったりする場面を想い浮かべていたのかもしれません。
会のスタッフのみなさんも、笑顔できびきびと応対されていました。床には一面にシートが張られ、手づくりの表示で順路が示され、隅々まで気遣いされています。そして、会場へ来られない人たちにも、犬・猫たちの様子を知ってもらえるよう「インスタライブ配信」もされました。準備、そして当日の運営などさぞ大変なことと思いますが、それを感じさせない、動物と人との関係を実感できた譲渡会でした。
犬・猫と人が縁を結ぶには、こうした縁の下の支えが不可欠なのだと感じました。

人も犬・猫も幸せで平和な世の中のための一歩を

縁の会
当日は参加者に、手引きとなる「譲渡会へお越しの皆さまへ」、参加の目的などを書いてもらうアンケート用紙と一緒に「一時預かりボランティアさん募集」や他団体の譲渡会のチラシも手渡されました。
事情があって野良になったり、行き場のない犬・猫を引き取っている保護主さんは、複数を飼っている場合が多くあります。実際に会場で「今は6匹ですが以前は10匹保護していました」と話された保護主さんもいました。里親さんが見つかって家族として迎えられるのが一番ですが、そこまでに至らないこともあります。保護主さんの負担を少しでも軽くする、一時預かりボランティアさんが助けとなります。

縁の会
ゲージの中で眠りこける豪胆な黒猫ちゃん

一時預かりボランティアでも、家族として迎えたい場合でも2週間のトライアル期間を設けるなど「厳しいかな」と感じられるかもしれませんが、その条件をクリアする必要があります。それは単に厳しいのではなく、犬・猫と迎える人の双方にとってとても大切であり、それぞれが良い家族として暮らせるようになるために必要なことなのだと理解してもらうことの重要性の理解が深まりました。また保護される犬・猫、保護しきれない子も多くいることを知ってもらう機会としても譲渡会はいろいろな役割を果たしていると思いました。
犬・猫がすきだけれど飼える条件がないという人は「寄付」という援助・協力の方法もあります。京都の町の真ん中で、多くの人の協力で「縁を結ぶ」活動が続けられています。

「それぞれができること」の輪を広げる


縁の会と因幡薬師のご縁は、毎月8日に境内で開かれている「手づくり市」に、保護犬・猫について知ってもらうため写真を展示したことからでした。
譲渡会の会場として借りられないかをお話したしたところ快諾してくださったそうです。2017年6月に本格的にスタートして今年で8年目を迎えます。千年前から人々とともに歩んできたお寺は、今もまた、このようなかたちで町や人と親しくかかわる存在です。
縁の会では、今後[動物福祉]など学びにも力を入れていく考えです。2月は「欧米の犬猫福祉と日本の現状」について、8か国70か所の保護施設を取材し啓発に取り組む、情報発信サイト「ヒトノワ」代表の大西結衣さんのお話を聞く会を実施しました。
一人でも多くの人が「できること」で参加することが、小さな命と人が共生できる社会への、遠いようで一番確かな道であることを強く感じました。

 

京都縁の会 (きょうと えんのかい)
毎月第2日曜日に譲渡会開催

西陣のまちと人と ともに148年

機音が聞こえて来そうな西陣の通りの一画。「たんきり飴」と筆太に書かれた看板で、お店の所在がひと目でわかります。京都の人と「あめさん」は、とても近しい間柄です。「母はお針をしていて、ほっこりすると、そばに置いてあるあめさんを口に入れて、一息ついていました」と、懐かしそうに話す方もあります。
職人さんの熟練の仕事からなる飴を、明治8年の創業からこの地で商う、その名も「たんきり飴本舗」を久しぶりに訪ねました。変わらぬたたずまいと、様々な飴やお菓子に気持ちが浮き立ちます。ご両親からお店を継ぎ、四代目となる姉妹お二人の話から、西陣の暮らしとなりわいが生き生きと浮かび上がってきます。

家族で切り盛りする「職住一体」の飴屋さん

たんきり飴本舗
「京都では、前の戦争とは応仁の乱のこと」と、まことしやかに語られますが、西陣は応仁の乱からその名が生まれ、誰もが知る京都の顔である西陣織発祥の地です。
たんきり飴本舗の界隈も、西陣織に関係する仕事を生業とする家が多く、住まいと仕事場を同じくする「職住一体」の暮らしが営まれてきました。たんきり飴はこの地で長くかたわらに置かれて織子さんたちののどを守り、気持ちをほっとさせてきました。
たんきり飴
「前は、まわりにお店もたくさんありました。隣は洋品店でしたし、果物屋さん、肉屋さんといろいろなお店があってお客さんも多くて、とてもにぎやかだったのですよ」そして「うちも工場がすぐそこにあって、両親、おじ、おば、職人さん、みんなで飴を作っていました」と続けられました。以前はカップ麺やインスタントコーヒー、シュークリームなど多くの商品を扱っていたそうで、常日頃使う食品の、よろづ屋的な存在だったのでしょう。大晦日は一晩中大勢のお客さんでにぎわったそうです。
たんきり飴本舗

たんきり飴本舗のはかり
レトロなガラス瓶やはかりも現役で活躍中

お店を休むのは元旦から四日までのみですが、お父さんだけは二日の日もお店に出ていたそうです。「家で、ぼうっとしているより店に出ていたほうがよかったのでしょう。それに当時はデパートも近所の商店街も三が日はお休みでしたから、きっと売れるともくろんだのでしょう。飴はあまり食べない夏は氷も売っていましたし、まあ本当に店が好きやったのですね。」お話を聞いていて、商才があったのは確かですが、それ以上に「お客さんが喜んでくれるのがうれしい」と思う気持ちを強く持たれていたのだと感じました。お店とお客さんへの思いが様々なところに垣間見られます。
たんきり飴本舗
お店の内外に掲げてある「百二十年余りの歴史と伝統の味 西陣名物 たんきり飴本舗」のキャッチコピーを考案されました。「明治八年にしといたらよかったのに。もう148年たったのに」と言われましたが、その看板は外されることなく健在です。また「土しょうがを入れてたいた飴は先代からの秘伝で・・・・」の宣伝文もお父さん作。自ら健筆を奮った張り紙が今も残り「百二十年余り・・・」の看板とともにお二人を見守っているかのようです。

熟練の技から生まれる奥の深い飴作り

たんきり飴本舗たんきり飴本舗
お店の中には多くの種類の飴や、半生菓子やあられ、今も根強い人気のラムネ菓子など、めくるめくお菓子の世界が広がっています。生姜の辛味が効いた看板商品のたんきり飴をはじめ、ニッキ、しそ、べっこう、豆平糖など、今は長年の付き合いの、熟練の職人さんに依頼して20種類ほどの飴を作ってもらっています。たんきり飴は、炊いた飴に生姜を入れた時、火柱が立つので、天井が高くないと危険なのだと聞いて驚きました。

手まりのような飴にも白い線が入っています

たんきり飴本舗
たんきり飴とニッキ飴に入っている白い線は、違う種類の飴ではなく、生地はまったく同じで、空気を含ませて白くした飴を合わせているということにも、ただただ感心するばかりです。飴の色は火の入れ方によって変わるという話にも、微妙な火加減の難しさを思いました。手まりのようなかわいい飴、光が当たると透明な石のように輝きを放つべっこう飴など、ひとつひとつが本当に美しく、職人さんの手仕事の尊さを感じます。飴やお菓子の袋詰めも、口をひだをとって折りたたみ、扇のように整えた姿に、職人さんの仕事を大切にする気持ちが伝わってきます。香料を一切使わず、ただただ真面目にていねいに作られた飴。すっきりした後味の良さにその値打ちがあらわれています。

伝統を受け継ぎながら、新しい商品も取り入れる

たんきり飴本舗
京都盆地は南北の標高差があり今出川通から北は、気温が違うと言われ、市内中心部との体感温度の違いを実感します。たんきり飴本舗は、お客さんが入りやすいようにと、表の戸は開け放しています。そのうえ土間は石畳になっているので「足元から冷えがのぼってきて本当に寒い」と言われましたが、話をお聞きするあいだにも、じわじわと冷え込んできて、ここに立ち続けての仕事は大変なことだと実感しました。
「こんなに古い店やのに、お客さんから絶対変えんといてと言われています」と笑って話されました。「人からもらって、おいしかったから買いに来ました」というお客さんも多く、まとめ買いも少なくないそうです。
たくさんの商品ですが、飴はお姉さん、おかきや半生などその他のお菓子は妹さんの担当となっています。お火炊き祭のお決まりの柚子おこし、梅や今年の干支の辰をかたどった半生菓子など冬の季節のお菓子が並んでいるところにも、習わしが生きる西陣のお店を感じます。
たんきり飴本舗
姉妹お二人が気がかりなのは、飴も他のお菓子もだんだん職人さんが高齢化して少なくなっていることです。後継者の問題はあらゆるところで深刻になっていますが、今のところは何とか続けてもらっているので、できるところまでは頑張って続けると言われていました。
そういった気がかりもありますが、お菓子担当の妹さんは、自分の味覚にかなうおいしいものと出会うと、その新顔を早速売り場へ並べるなど営業力を発揮しています。
動物ビスケットやラムネ菓子など、かわいいお菓子もあります。動物ビスケットは意外にも年配の男性がよく買っていくそうです。どんな思い出があるのかなと、想像します。ラムネはいろいろな味を詰め合わせています。手間のいることなのに「そのほうが楽しいと思うし、お客さんが喜んでくれるから」と、苦にする様子もありません。
たんきり飴本舗は「古さや老舗」を敢えて言うこともせず、しかし西陣という地で商いを続けている重みや風格、そして懐かしさとともに、新しい軽やかな空気も感じさせてくれる、いつまでもあってほしいお店です。

 

たんきり飴本舗
京都市上京区大宮通 寺之内下ル107
不定休

京都の味と人の魅力 境内の屋台

お参りもそこそこに境内の屋台を、わくわくしながらのぞいて歩いたのは、子どもの頃の楽しい思い出です。そんな淡く遠い記憶を抱いて、久しぶりに八坂神社へお参りしました。
お参りの後、境内をゆっくり回りました。様々な屋台が出ていて、多くの人がその楽しさにふれていました。
「長老格」の風格がにじみ出る屋台の主の、片言までいかない英単語のみの会話でも、多様な国のお客さんとコミュニケーションが成立し、お客さんも名物の味を楽しんでいます。
境内の屋台は、国の違いを超えて気取りのない京都を満喫できます。身近なところで京都の観光を支えているのは、こういう人たちなのだと感じます。
それぞれの名物とともに人の魅力にあふれる、筋金入りの老舗屋台です。

観光客も同業者も「おたがいさま」の心

冬の八坂神社楼門
「祇園石段下」が地名となっている八坂神社の楼門前の大石段は、最高の撮影スポットとなっています。中学生の男子三人組に「三人そろったところを撮ってほしい」と頼まれました。聞けば岩手県奥州市から来たとのこと。スマホで撮ったあの写真は修学旅行の思い出として、消えずに保存されるだろうか、何年もたってから開いて懐かしんだり、笑ったりすることはあるのだろうかと思いました。青春などという言葉は最近、聞くことも見ることもなくなりましたが、ふとその言葉がよぎりました。修学旅行も一種独特の感傷的な響きを感じます。
八坂神社の出店八坂神社境内の出店
境内に並ぶ屋台は、定番のたこ焼き、いか焼、ベビーカステラ、りんご飴、古道具、七味のほかに、和牛串焼、小籠包など「こだわりの味を屋台でどうぞ」風なものあります。
進化系大福のフルーツ大福と同じように、りんご飴も、みかん、マスカットもあり世相もうかがえます。屋台の主同士「これだけ頼めるかな」と両替を融通したり「腰、どうしたんや」と声をかけるなど「長年のおなじみやさかいに」という、暑苦しくなく、ほど良い間合いの付き合いが感じられました。
八坂神社のたこ焼き屋台
たこ焼き屋台は2軒あり、2軒ともベンチを置き、空になった容器を回収しています。今は飲食を扱うほとんどのお店が、テイクアウトに応じています。「その空容器はどこでどうなるのか」です。「ゴミは、ちょっとあったらすぐに広がるさかいに。こうしてまとめておかんとな」と言われました。「販売から廃棄まで」がきちんとなされています。「商売してる者も、お客さんもみんなおたがいさま。お参りに来た人やお客さんがまず一番や」レンタル着物の海外の人たちがうきうきと境内をめぐっています。「ワン?ツウ?オッケー。キャッシュオンリー」十分通じています。

何十年も立ち続けて備わった人間味

赤ずきんの七味唐辛子八坂神社のたこ焼き屋台
それぞれの屋台にはその商品を示す工夫がされていて、微笑ましい風景です。たこのぬいぐるみ、唐がらしは伏見稲荷にちなみ、きつねのぬいぐるみとひょうたんなどが楽しい店先を演出しています。
「たこ焼き、本当においしかったです」と伝えると「ほんまか。出汁も卵も多めに入れて、材料もええの使うてるし」と返ってきました。和食の出汁と同じです。ソースと青のり、マヨネーズは自由に使えるように置いてあります。太っ腹です。理由は「かけて出すと、もっとかけてほしいとか言われて面倒」だからそうです。
ここで60年くらい出ているそうですが「75歳で引退したいと思ってる。あと3年や」と晴れ晴れと語ります。「明日は用事があるし休みやし」と、にこっと笑いました。
赤ずきんの七味唐辛子
「七味唐がらし あかづきん」は、伏見稲荷で商売を続けて三代目のお店が出店しています。七味は「山椒を多めに」などと伝えると、希望に応じて調合してくれます。
今の時期におすすめなのは「柚子七味」です。次々訪れる外国人のお客さんに「ユズ スパイス。ジャパニーズ スパイス」と説明しながら「あかんな。英語は通じひん。どこの国の人やろ」とつぶやきが聞こえました。
味見もさせてくれるので、若い男性は味みしたうえで、柚子七味をお買い上げとなりました。「外国の男の人は欧米でもアジアでも、みんな優しいよ。ほんまレディーファーストや」なのだそうです。毎日多くの人と接していると、見えてくることがいろいろありそうです。
赤ずきんの七味唐辛子
竹筒やひょうたん型の七味入れにも興味をひかれるようで、足を止めて見ている人がかなりいます。ひょうたんの飾り紐も手作業です。そうした細かいところの手間が商品としての完成度を高めていると感じます。
唐辛子の辛味も深く奥行があり、山椒の香はふわっと立ちのぼります。鍋物、麺類以外にも、おみそ汁、漬物、ドレッシングなど活躍の場は多いでしょう。
ずっと伏見稲荷と八坂神社の2か所に出店していましたが、伏見稲荷はインバウンドで参拝が膨大になった時に、一切の出店が撤退となったそうで「とても残念」と話されました。
八坂神社のたこ焼き屋台
また、たこ焼き、七味唐辛子両方に共通する問題が物価高です。たこ、小麦粉、油、そして燃料。七味唐辛子も山椒の値上がりはすさまじいそうです。それに加えて、みなさんの悩みは腰痛です。雨の日以外は、炎天下の日も木枯らしの日も立ち続ける仕事は並大抵のことではできません。これからの季節は冷え込みがきついので余計痛みが出ると話されていました。
またあの味な話やお客さんとの楽しいやり取りを聞けるよう、この冬の寒さが厳しくなりませんようにと願っています。味とともに、あの笑顔や軽妙な語り口に心も体も温まります。
八坂神社の疫神社
屋台を離れてふと見ると、境内にある疫病退散の「疫神社」に、海外から来た若い女性が静かに手を合わせている姿がありました。その姿は新しい年を迎えた神社の清々しい空気をまとっているようでした。

 

八坂神社
京都市東山区祇園町北側625
社務所受付 9:00~17:00
参拝時間 24時間可能

茶壷の口切の季節に 訪ねる宇治

実りの秋は、仕込みものも、時をかけて旨みを増します。左党を喜ばす「秋上がり」の日本酒、八十八夜の頃に摘んだお茶も熟成して深い味となります。これからしばらく、お茶会があちこちで行われ、紅葉を楽しむ野外では親しみやすい気軽なお茶席も多くなります。
久しぶりに宇治を訪れ、町並みは変化しても馥郁と香るお茶の歴史と文化を伝える地であることを感じました。

宇治茶師の伝統を伝える長屋門

上林春松家の長屋門上林春松家の長屋門
JR宇治駅で下車し、海外の観光客の姿が目立つにぎやかな宇治橋通りへ進むと、新しいカフェスタイルのお店と、お茶を商う看板を掲げた伝統的な建物が入り交じっています。スーパーマーケットもできていて、観光と地元仕様の店舗が共存しているのでしょうか。スーパーマーケットを出入りする外国の人も多く見かけました。そして、ひときわ目を引くりっぱな門が見えてきます。代々茶師として重要な役割を果たしてきた上林春松家です。
この「長屋門」は、御茶壷道中やの御用茶壷を送り出す格式高い門です。かつて付近にはこのような長屋門が十数軒あったと記されていますが、現存するのはこの長屋門のみになってしまったそうです。貴重であると同時に、今現在も健在で残していくことの大変さを思いました。
邸内に開設されている「宇治・上林記念館」を見学しました。豊臣秀吉や徳川家康、家光など、歴代の天下人にお茶を納め、また優れた武将であり大茶人でもあった、古田織部や小堀遠州とも親交を示す貴重な古文書が目の前に展示され、ガラス越しとはいえ、とても迫力がありました。製造の工程を描いた「製茶図」や写真、お茶作りの道具もとても貴重な資料だと感じました。

上林春松の蔵出し荒茶
上林春松の蔵出し荒茶

建物も茶師の仕事に合わせた独特の建て方となっています。外から見える二階に張り出した部分は「拝見場(はいけんば)」と言い、お茶の件座やブレンドなどを行う一番重要な場所です。直射日光を遮断できるよう、北側が傾斜をつけた壁になっています。唯一天井窓から自然光が入り、時間に関係なく一定した光で葉茶を見ることができるのだそうです。
湯呑以外は、壁や作業台やお盆など、すべて黒でした。艶のない黒色がお茶の緑色を見分けるために適しているからだそうです。拝見という言葉にも、お茶はとても高価で尊いものであったことを感じます。

秀吉公から賜った「清香」の銘がある「呂宋(ルソン)」壺
茶葉壺「清香」

大きな茶壷は昔、将軍家や諸大名、茶人から届いたもので、それに抹茶に挽く前の「碾茶(てんちゃ)」を詰めるためのものでした。新茶の季節に次々と届く茶壷はさぞ壮観だったことでしょう。この壺にお茶をきちんと詰める「茶詰め」も、茶師の大切仕事だったそうです。新茶は茶壷のなかでゆっくり静かに熟成し秋の「口切」を待ちます。茶壷の封印を切って初めて今年のお茶を味わう、おめでたい「口切に茶事」が行われることも多く、風炉から炉へ移る「炉開き」とともには、お茶人さんにとってとても大切な行事になります。「茶人のお正月」ともいわれるゆえんです。

お茶席では11月からは炉を使います

記念館に展示されている茶壷の雄は秀吉公から賜った「清香」の銘がある「呂宋(ルソン)」壺です。ルソンとは今のフィリピンにあたります。中国で作られルソン経由で日本へ渡ったと考えられるそうです。目の前にあるこの茶壷が、遠い昔、はるかに海を越えて無事に日本に着き、その後こうして今ここにあるということに感銘を受けました。
初代春松の弟「竹庵」は士官の道を選び、家康に仕えたそうですが、その恩を忘れず「伏見城の戦」にはせ参じ、討ち死にされた解説にありました。450年にわたり茶師の家を守ってきた一族の歴史の重みを感じずにはいられませんでした。

お茶の町としての繁栄を願って

上林春松家の坪庭
記念館の並びには店舗があり、厳選されたお茶の販売と、喫茶コーナーもあります。
お抹茶で一服させていただきました。大きなガラス戸の外には坪庭があります。こじんまりしとしていますが、よく手入れされた植え込みやつくばいが目に優しくほっとくつろぐことができます。記念館で見た各流派の宗匠が認めた「茶銘」の書き物の軸装が展示されていました。それもまた見事なものでした。
たとえば「濃茶 橋立の昔 表千家猶有斎好」。これは宗匠に納めたお茶に銘をいただき、それを「○○宗匠御好」としてその名を商品名とするのだそうです。つまり、様々な流派の宗匠の御好のお茶を買うことができるということです。何かうれしい気持ちになります。
記念館に展示してある軸は「ご存命の宗匠のものです」と教えてもらいました。こういうことにもきちんと答えてもらえるところに老舗を感じました。外国のお客さんも多く、日本の文化に関心が高いことを伺わせます。

今の季節限定のお茶「蔵出し荒茶」を買いました。茶農家が収穫したお茶をすぐに蒸して揉み、乾燥させただけのお茶のことです。普通流通しているお茶はこのあと、問屋さんで刻んで葉の大きさを揃えたりブレンドされたりしたものですが、荒茶は葉っぱもそのまま、茎も交じっています。ごく限られたところでしか手に入らないお茶で、濃くてこくのある旨みが特徴とのことでした。荒茶を味わえるのも茶処だからこその特典です。ゆっくりていねいにお茶をいれて味わえば、せせこましい暮らし方が少し変化するかもしれないと思いながら、西に傾いた日差しのなかを宇治橋へと進みました。
宇治橋の三の間
橋のなかほどに「三の間」という秀吉が茶の湯に使う水を汲ませたという、少し張り出したところがあります。現在も「宇治茶まつり」ではここから水をくみ上げる行事が続けられています。三の間から眺める宇治川上流は、平安の昔から人々の心を慰めたのだろうと思える景色でした。
2015年(平成27年)「日本茶800年の歴史」が文部科学省の日本遺産に認定され、そのなかに「茶問屋の町並み」として上林記念館も含まれています。紫式部のまちとして注目され、関心が寄せられることは喜ばしいことですが「日本の茶処」としての深い歴史と文化を、住む人も訪れる人も大切にしていきたいと強く思いました。

 

宇治・上林(かんばやし)記念館
宇治市宇治妙楽38番地
開館 10:00~16:00
休館日 金曜日

店主の人柄 てらいのない中華そばの味

ラーメンは今や、京都を楽しむ要素の一つとなっています。海外からの観光客が行列に並ぶ光景もめずらしくありません。歴史ある古都の別の顔、魅力を感じるのでしょう。新しいお店もよく見かけます。
2年ほど前に一度入っただけのお店ですが、ふと思い出して北野天満宮近くの商店街にあるラーメン屋さんへ行って来ました。外観のたたずまい、赤い提灯やのれんも変わっていません。「これこれ、この味」という中華そばと、大将の「祭よもやま話」という思いがけないおまけ付きで楽しませてもらいました。
誠養軒は「京都の街中華」というような類型に当てはまらない、てらいのない、おおらかさが魅力の得難いお店です。こういうラーメン屋さんがあるところは、人が暮らす町の息遣いが感じられるいい町なのだと思いました。

中華そばや餃子を待つ間も楽しい

誠養軒の店内
はじめて誠養軒へ入ったのは、所用で北野商店街へ来た時でした。用事をすませて歩いていた時、くっきりと潔い「中華そば」の提灯とのれんが見えました。店の前まで行ったものの、個性強めのお店の風貌に少し躊躇しましたが、思い切って入りました。
お昼の時間帯を過ぎた、やや中途半端な時だったので他にお客さんの姿はありませんでした。一人なので、カウンター席へ座ろうとしたら、カウンターの上にいろいろと物が置かれていたので少し迷いましたがテーブル席に行かせてもらいました。
誠養軒の中華そば
冷麺にしようか迷った末に、やはり「中華そば」にしました。中華そば・ラーメンの類は、競うようにいろいろなタイプが出ていますが、誠養軒のものは、なじみのある定番を守っていました。麺の食感、こくはあるけれど、すっきりしたスープ、メンマが好きなので多めに乗っているのがうれしい。叉焼も、もやしのしゃっきり感もすべてが「自家製」のていねいさを感じるおいしさでした。肩肘張って対面しなくてよい、安心感、気安さが心地よかったです。
その後に来店されたご常連らしいふたりのお客さんも一緒に「おいしい七味唐辛子」について懇切ていねいに教えてもらいました。
「常連と一見」のように、分け隔てする感じがなく、ごく自然に会話ができた、そんなところもこの日のことを覚えていたことにつながっていると思います。
今回訪れたのも、午後の遅い時間で、お客は私ひとり。店主さんが「クーラーが一番よく効くのはあの席。一番弱いのはこの席」とにこにこ気さくに声をかけてくれました。
誠養軒の店主
地元紙の京都新聞と「巨大ブラックホール」「素粒子」などの文字が並ぶ科学雑誌が置いてありました。「ずいぶん難しい雑誌ですね」と言うと、1冊の値段は高いけれど、1か月に1回だから週刊誌を買うより安いからと、返ってきました。それに「難しいから読むのに1か月はかかるから、ちょうどいい」のだそうです。こんな愉快なやり取りをしながらも、手はおろそかになっていません。水餃子を作るための片手鍋にお湯が沸いています。

誠養軒の水餃子
手作り水餃子と一緒にずいき祭りの本を見せていただきました

自家製の麺に叉焼、餃子は注文の都度に包んでいます。安心できるおいしさ、満ち足りた気持ちになります。誠養軒はお父さんが始めお店で、53年たちます。「いろいろ新しい店ができているけれど、うちはずっと同じ」この安定感が味にもお店の雰囲気にもあらわれていると感じました。
メニューに書かれた「やる気がなくなり次第帰ります」のひと言や、閉店時刻の「午後11時59分」という設定も茶目っ気があります。こうしてみていると「昭和なアナログなお店」という表現が使われそうですが、それだけでは少し違う気もします。実はまだまだインターネットなど一般的ではなかった時期に、いち早くホームページを立ち上げたそうです。その世界にかなり 詳しいとお見受けしました。なかなかに奥が深いのです。
京都の伝統のお祭りについても、「それは知らなかった」という話がどんどん出てきました。

次回が楽しみになるお祭りの話

北野商店街
誠養軒は、北野天満宮のおひざ元の商店街の一番西にあります。取材時はちょうど、起源も平安時代までさかのぼるとされる、北野の天神さんの「ずいき祭」直前の時でした。商店街にもお祭りののぼりが立ち、地域あげての大切なお祭りであることが感じられます。

ずいき神輿につけられていた縄
ずいき神輿の梅鉢のわら細工が飾られていました

ずいき祭の花形「ずいき神輿」を製作する保存会の会員に、店主さんの同級生もいるということで、興味深い話を聞かせてもらいました。ことに、お祭りの名前の由来にもなった、お神輿の屋根を葺くずいきが、今年は天候不順で育てるのが大変だったそうです。
太さや長さが一定のものを、準備段階までにうまく育てるのは相当な苦労があるそうですが、本当に大変なことだと思います。「ずいきはアクが強いから切り口がすぐ黒ずんでしまうので、毎日切っている」「ずいきの親芋は、逆さにして根っこをたてがみに見立てて獅子頭を作る。そして、お祭りが終わった後は、神様からのおさがりとしてみんなでいただく」等々、知れば知るほど奥は深いのです。
ずいき祭の岩波新書
テーブルの上にずいき祭に関する岩波新書が置いてありました。「神輿の横で保存会が売ってたんや。友達やし買わなあかんし」と笑っていました。少し前に買われたものでしょうか。油やたれのしみがついた新書は、その汚れが逆に、毎日少しずつ大切に読んでいたことを物語っているようでした。
また、お客さんのなかには祇園祭の山鉾の関係者もいて、祇園祭についても熱心に調べたり、足を運んでいます。「同じ鉾を見ても、毎年発見がある。そういうふうに、今年はここを見ておこうとか考えて鉾をまわったらええんや。楽しいよ」と極意を授けてくれました。
誠養軒のちょうちん
中華そばと水餃子もなくなり、次のお客さんの来店です。このお二人もご常連らしく、表の入り口そばの冷蔵ケースからビールを持って入って来ました。「ビールや水はセルフでお願い」それが誠養軒の流儀です。
はじめはわからなくて、水を飲まずに帰ったのも今となっては笑える話です。早速「餃子2人前」の注文です。それをしおに、ごちそうさまでしたと、立ち上がると「また、どうぞ来てください」と忙しく餃子の世話をしながらも声をかけてくれました。この親近感、あたたかさがうれしいです。暮れなずむ頃。提灯とのれんが夜のお客さんを迎えます。とっておきの京都です。

 

誠養軒
京都市上京区新建町10
営業時間 正午~23:59(早く閉める日もあります)
定休日 月曜(ただし25日の北野天満宮例祭の日は営業)

旧東海道の面影 たどる小半日

日中は真夏日の気温に閉口しても、朝夕はいく分過ごしやすくなりました。時折りのさらっとした風や高い空に、季節は秋の入り口にあることを感じます。日常を離れて、ちょっとどこかへ行ってみたい気分にもなります。
山科の旧東海道沿いに突如、時代を感じる空間があらわれます。六角のお堂やりっぱな手水舎、古い道標など、東海道を行き来する人々や牛馬の休憩場所ともなっていた境内は、往時の面影を今に伝えています。

六地蔵めぐり第六番札所

徳林庵徳林庵
以前、車で通りかかって目にとまった一画は臨済宗南禅寺派のお寺「徳林庵」です。いかめしい塀などは一切なく、旧東海道沿いに開かれ、おおらかな雰囲気が漂っています。徳林庵は八百五十年の歴史のある「六地蔵めぐり」の第六番札所です。
六地蔵めぐりとは、平安時代の公卿であった「小野篁(おののたかむら)」が病にかかりあの世へ行きかけたところで、地獄で苦しむ人々を救う地蔵菩薩と出会い「地獄の苦しさと私のことを広く伝えてほしい」と命じられました。そこで一本の桜の木から六体のお地蔵さまを彫りました。やがてそのお地蔵さまを、疫病や悪鬼から都を守るために、主要な街道の6か所の出入り口に祀ったのが始まりと言い伝えられています。伏見六地蔵、上鳥羽、桂、常盤、鞍馬口、そして徳林庵の山科地蔵の六体です。六地蔵の地名はここに由来しています。

徳林庵のお地蔵様
境内には御本尊の地蔵菩薩像以外にもたくさんのお地蔵様が

六地蔵巡りのお幡
境内のお堂に、六地蔵めぐりでいただく「お幡(はた)」について詳しく説明された額が掲げられていました。六地蔵めぐりで集めたお幡を玄関の軒下へ吊るしておくと、お地蔵さまに守られている印となって、よいことが集まり、わざわいを遠ざけてくれるそうです。
以前この京のさんぽ道で久御山町へ伺った時「少し前まで、朝暗いうちに家を出て六地蔵めぐりをしていた」とお聞きしました。六地蔵めぐりは毎年8月22日、23日の2日間と決まっています。京都のあちこちの町内で地蔵盆が行われる日です。山科地蔵を祀る徳林庵とその周辺も、露店を楽しみにする子どもたちや無病息災を願ってお参りする人々で、たいへんなにぎわいとなるそうです。通りがかった人が「子どもの頃、本当に楽しみやった」と懐かしそうに話してくれました。お堂に祀られたお地蔵さまは毎年の六地蔵めぐりの折にご」開帳されるそうです。訪れた日は、ひっそりしていましたが、一人、二人とお参りする姿が見られました。徳林庵の開放的でだれでも受け入れてくれる雰囲気は、お地蔵さまを大切に祀る素朴な信仰から生まれているように感じました。

旧東海道は通学班の集合場所

徳林庵の井戸
徳林庵の境内にはお堂のほかに、飛脚や牛馬の休憩地であったことを示すりっぱな井戸があります。「文政四年・・・」「京都 大阪 名古屋 金澤 奥州 上州 宰領中」など筆太にくっきり刻まれています。宰領とは飛脚問屋の取り仕切る役目なのだそうです。
また「通」は途中で人を替えずに最後の目的地まで通す「通し飛脚」を意味しています。現在も輸送関係の企業名には「通」がよく使われていますが、飛脚からきていたということを知り興味深く思いました。
京の三条まであと一息、ここで喉をうるおしもうひと踏ん張りと、元気を取り戻したことでしょう。牛や馬のいななき、人々が交わす声も聞こえてきそうで、当時の活気がうかがえます。
おもしろい形の石があります。これは「車石」と言って、重い荷物を積んだ牛馬車が、ぬかるみにはまらず、スムーズに進めるように両側に石を敷き詰めてあったそうです。
徳林庵の車石徳林庵
菩提を弔う仁明天皇第四之宮人康親王(しのみやさねやすしんのう)の供養塔や六体地蔵も静かにたたずんでいます。奉納された扁額には「山城国宇治郡四ノ宮村 六ツの辻四ツのちまたの地蔵そん 道ひきたまへみだの浄土江」と刻まれています。素朴な信仰の心が深く印象に残りました。
境内と隣り合った小道は十禅寺への参道となっています。山に抱かれた静かなお寺です。
徳林庵
歴史の片鱗、証と言えるものがごく普通に存在していることに驚きます。山科は高速道路の建設で住宅開発が進み、このような里や街道の風情とは結び付かなかったのですが、今回訪れてみて、歴史の懐の深さを実感しました。また、山科地蔵が校区の子どもたちの登校時の集合場所になっていると聞き、ますます山科の歴史は普段の生活のなかにあると感じました。旧東海道は21世紀のいま、刻んできた歴史を子どもたちと共有しています。
中臣遺跡、山科本願寺等々、山科の魅力は、簡単には堀つくせないほど豊かです。

 

徳林庵(とくりんあん)
京都市山科区四ノ宮泉水町23

麹の力で 心も体もほがらかに

あと一週間もすれば、草木に露が宿る「白露」を迎えようとしているのに、真夏並みの気温が続いています。甘酒は夏の季語ですが、江戸の昔から、夏の弱った体にいい、おいしい飲み物でした。「健康と発酵」に多くの人が関心を寄せています。味噌、醤油、酒など日本の身近な発酵食品の素となる麹。その不思議な力、奥深さに魅入られ、麹を毎日の暮らしに取り入れることで得られる幸せを多くの人に広げようと、楽しく奮闘する「京都花糀」代表の野中恵美さんにお話を伺ました。

「上級麹士」として新たな道すじ

京都花糀の野中さん
野中さんが麹と出会ったのは、医薬品販売の専門資格である登録販売者として、ドラッグストアで働いている時でした。お客さんと接し、健康の悩みは複合的なものが多いことを感じるなかで、ある日、来る人来る人みんなが、甘酒を買う現象が起こりました。テレビの番組で甘酒が取り上げられたのです。それからしばらくは、大量に発注した甘酒が品切れになる日が続きました。
甘酒
甘酒から麹へ目を向けると、知れば知るほど「麹ってすごい」と、そのすばらしさに引かれていきました。そして栄養士でもある職業的性格も頭をもたげ、麹についてもっときちんと知りたいと強く思うようになりました。調べていくうちに、福岡県で麹について学ぶ二泊三日の講座があることがわかりました。それから後の行動は素早く、仕事のシフトも考えたうえで、2か月後の講座に参加したのです。

京都花麹
店内にずらりと並ぶ麹と味噌

この講座は、福岡県で自然農無農薬のみそ、麹を製造販売する会社が運営する「麹でロハス推進会」が主催しています。「自家製の麹を使って多くの人に発酵食文化のすばらしさを伝える」ことを主旨としています。その実践者として「麹士」を育成し、野中さんは2016年「上級麹士」の認定を受けました。
「麹は、日本人で合わない人はいないこの国の菌です。麹のおかげで調味料としていろいろな食品ができました。麹は腸の働きを良くしますし、脳と腸はつながっています。だから朝、お味噌汁を飲む食習慣は理にかなっているのです。」そう語る野中さんは「麹を正しく伝えるためには器がいる」と、上級麹士になって2年後2018年8月、満を持して「京都花糀」のお店をオープンしました。

麹を語る姿がきらきらしていた

京都花糀京都花糀
「手作り自家製麹」花糀のお店は、阪急電車の東向日駅からすぐ、JR向日町駅からも徒歩5~6分という立地の良さです。元パン屋さんだったというこの物件を見た時、ぴったりのいい物件だと思ったそうです。しかし、予算の1.5倍の資金が必要でした。その日は考えますと答えて帰りました。さんざん考えて出した答えが「1.5倍がんばろう」でした。
1か月後に家主さんの所へ行くと「きっと、また来ると思っていた。実は複数問い合わせがあった。でも、これからやりたいことを話している時、きらきらしていたから待っていた」と話してくれたそうです。
京都花糀
麹への熱く本物の思いは困難も味方につけて、新しい扉を開きました。それから満5年。お味噌やフルーツ酵素が時間と手をかけてゆっくり熟成するように「麹と発酵」のお店も5年のあいだに色合いや味わいが進化しています。
果物が重ねられ、季節によってかわるフルーツ酵素は「瓶詰の宝石」といった華やいだ香りたつような雰囲気です。パイン、ドラゴンフルーツ、パパイヤ、レモンを漬けた酵素は「南の風ゆらゆら」という名前です。傑作はくすっと笑える「帰省のち同窓会」マンゴー、もも、ブドウなど7種もの果物は、にぎやかにおしゃべりをしている様子を思わせます。
棚に並んだお味噌は色や風合いも様々、どっしりと貫禄があります。野中さんが「地味以外の何物でもない」と表現する麹の底力を感じます。一汁一菜を旨とする、日本の食卓をつくってきた頼りになる発酵食品なのだと、あらためて感じる存在感です。
京都花糀
花糀では、麹を使ったメニューを常に開発しています。甘酒だけでも様々な種類があり、フルーツ酵素も水や炭酸水などお好みで割って楽しめます。市販のルーや小麦粉、水を使わず麹を入れたカレーはあくまでも「花糀のカレー」です。風味豊かで満足感がありながら重くありません。また、毎月末には「発酵おかずのランチ会」を企画して「今月はどんなおかずかな」と楽しみになります。
8月は九州の郷土料理「鶏飯(けいはん)」と「冷や汁」のそれぞれのいいとこ取りをしたメニューでした。食感、味、香りが、自家製味噌を溶いただし汁がまとめ役となって、渾然一体となったまさに「恵美流創作ごはん」になっています。求肥も手作りのあんみつは、柚子がほのかに香る小豆あんが、寒天とも相性がよく秀逸でした。赤えんどう豆は塩麴を入れてゆでるなど、必ずひと手間かけています。

野中さんが言うところの「少しの手間と時間」をかけた一品、一品の確かな味や食感、香りが伝わってきます。そして「手間、時間」をかけることを、少しも苦ではなく、おもしろがり、思い切り楽しんでいます。また、麹と発酵についてわかりやすく説明し、普段の暮らしに生かしてほしいと、味噌の仕込みや、麹ビギナーコースのワークショップを開いています。ワークショップを通して「待つ」という日本の文化、日本の特性を再認識してほしいと思っています。
情報があふれている今、引き算が苦手な世の中になっているのでは、「加減や塩梅」を知って暮らせたら、もっとほっと楽になるのではと感じています。ワークショップやお店でのひと時は、がんばって何でも取り込まなくてもよいのだと思えて、ほっとできる大切な時間にもなっていると感じます。

「主役はお客さん」のお店は6年生に

京都花麹
「私は店番」とほがらかに宣言する野中さん。入ってきたお客さんは中学校の同級生でした。卒業してからずいぶん長いこと会ってなかったけれど、このお店ができたからこうしてごくたまにだけれど、来て会えると、楽しそうに話していました。またフィットネスに出かける前に、水分補給用にフルーツ酵素の水割りをマイボトルに入れていくお客さん。ご近所の常連さんも「友達の家へ来た」ような雰囲気でくつろいでいます。
コロナの時は全面休業の決断をしましたが、麹が手に入らないのは困るという声を多く聞き、希望の商品を渡す日を限定して設けました。「お客さんのほしいもの、してほしいことを実現するための店」と野中さんは語ります。
小さいお子さんのいる若いおかあさんが気持ちを解きほぐす場所にもなっています。麹と発酵の力は体にはもちろん、訪れる人の心もほがらかにしてくれます。花糀は6年目に入りました。野中さんは「6年生をちゃんとやっていけるかな」とにこにこしています。次はどんな夢を描いて見せてくれるでしょう。楽しみにして通いたいと思います。

 

京都花糀
向日市寺戸町西田中瀬3―2
営業時間 11:00~18:00
定休日 土曜、日曜、月曜日

清水焼発祥の地に 新しい息吹

8月初め、東山五条坂あたりは、近くの六道珍皇寺や大谷本廟へお参りする人の姿が多く見られます。ここは清水焼の中心地であり、参拝者に向けて陶器を販売したことが「陶器まつり」のはじまりとされています。
夏の風物詩として長く親しまれたこの催しもコロナ禍のもと、中止が続いていましたが、今年みごとに復興されました。五条坂一帯で行われていたようなかつての規模ではありませんが「清水焼発祥の地」としての歴史と伝統を感じ、また「地元のお祭り」的な和やかで親しみやすい、とてもよい雰囲気でした。
「新生陶器祭」の今回、府立陶工技術専門校を卒業し独立した若い作家さんと出会い、その作品や焼物にかける思いをお聞きしました。

はじめての出展、確かな手ごたえ

五条若宮陶器祭
本殿のちょうちんにも陶器神社の文字が

今年陶器祭の本部が置かれた「若宮八幡宮」は境内に「陶祖神」が祀られている「陶器神社」としても知られています。毎年恒例の陶器市は、八幡宮の例大祭として8月7日から10日まで行われるようになったそうです。
昼間の猛暑も一息つき暮れなずむ頃、五条坂や若宮八幡宮の境内は次第ににぎわいをみせていきました。それぞれの窯による個性も当に様々で、土の違いで生まれる色、釉薬の流れ方等々、身近に多くのやきものにふれることができるとても良い機会であり、やきもの談義に花が咲く場面も見られました。
五条若宮陶器祭
まずは、八幡宮会場へ。朱塗りの鳥居が西へ傾きはじめた日差しに映えています。本殿へお参りし、境内を一巡しました。奥は木々の緑に一服の涼を感じる静かな空間が広がっています。車が激しく行きかう五条通りに近いとは思えない、一画です。
大きな鍾馗さんも祀られています。若宮八幡宮には陶器神社があり、瓦を素材とする鍾馗さんも同じやきものからできているということから、この地に大きな鍾馗さん像が建立されたと由緒書きにあります。この大きな鍾馗さんは、それを造った職人技も伝えるよすがとなっています。
五条若宮陶器祭 廻窯舎五条若宮陶器祭 廻窯舎
お参りを終えて、ゆっくり見ていくなかに、鮮やかな青色や、藤色がかった微妙な色合いの食器が印象的なブースがありました。「廻窯舎(かいようしゃ)」は、多賀洋輝、楓夏さん夫妻が2019年に立ち上げ、陶磁器の制作・販売を行っています。釉薬は洋輝さんがつくり、製作は楓夏さんです。「時代と暮らしの廻りに合わせた器づくり」というテーマを実践する二人の共同作品です。「磁器に使う土に赤い土を混ぜて使うと、同じ釉薬でも色の出方が違うのです」という説明も興味深く、やきもの奥深さの一端を教えてもらいました。

廻窯舎の多賀楓夏さん
廻窯舎の多賀楓夏さん

お二人とも大学卒業後、別の仕事に就いてから、府立陶工高遊学等技術専門校へ入学し、それから陶磁器を生業とする道へと進みました。専門校では「湯呑を100個」など同じものを多数つくることを課され、成形のための道具も自作するなど「職人としての基礎を勉強できました」と語ります。
今回、専門校の先生が足を運んで「お客さんの反応はどう?」と声をかけてくれたそうです。「知り合いの若い世代の人も出展していたり、顔見知りの人が来てくれてとてもうれしいです」と続けました。
五条若宮陶器祭 廻窯舎
陶工専門校がこの五条坂にある意味は大きいと感じました。友達同士で来た学生が「この色きれいやなあ。使ってみたい」と、楽しそうに話していたり、何点かお買い上げのお客さんに「袋にいれましょうか」と聞くと「近所ですから、いいですよ」と返ってくるやり取りを聞いて「地域密着陶器祭」の始まりを感じました。
楓夏さんのに「もっといろいろ作っていきたい」という言葉に力強さと清水焼の可能性を感じます。「今回出展して手ごたえはありましたか」とたずねると「はい、ありました」ときっぱり明るい声で返ってきました。

五条坂界隈を歩いて感じる魅力

今も五条坂に残る登り窯の煉瓦造りの煙突
今も五条坂に残る登り窯の煉瓦造りの煙突

今年から新たに始まった「五条若宮陶器祭」は、五条坂の清水焼にたずさわるみなさんが実行委員会をたちあげ、準備を重ねて開催に漕ぎついた「清水焼発祥の地」の地域力のたまものです。各店舗や会場に用意されたリーフレットからもその熱意が読み取れます。
五条坂沿いのいかにも専門店といった風格の、敷居を高く感じるお店へも「この際、せっかくだから」と入ってみることができ、清水焼との接点になります。また地元・地域のみなさんもあらためて「自分たちのまち」について知り、つながるきっかけになると感じました。登り窯の公開・自由見学、またこの登り窯の活用についてのシンポジウムが行われるなど、今後の五条坂界隈について歩みが始まっています。界隈には清水焼の中心地であった面影が今もただよい、誇り高い「陶工のまち」を感じました。
若宮八幡宮の飲食ブースで、売り込みの声をかけていた子どもたちからも夏の元気をもらいました。

 

廻窯舎(かいようしゃ)
京都市西京区川島東代町43-4桂事業所