西陣のまちと人と ともに148年

機音が聞こえて来そうな西陣の通りの一画。「たんきり飴」と筆太に書かれた看板で、お店の所在がひと目でわかります。京都の人と「あめさん」は、とても近しい間柄です。「母はお針をしていて、ほっこりすると、そばに置いてあるあめさんを口に入れて、一息ついていました」と、懐かしそうに話す方もあります。
職人さんの熟練の仕事からなる飴を、明治8年の創業からこの地で商う、その名も「たんきり飴本舗」を久しぶりに訪ねました。変わらぬたたずまいと、様々な飴やお菓子に気持ちが浮き立ちます。ご両親からお店を継ぎ、四代目となる姉妹お二人の話から、西陣の暮らしとなりわいが生き生きと浮かび上がってきます。

家族で切り盛りする「職住一体」の飴屋さん

たんきり飴本舗
「京都では、前の戦争とは応仁の乱のこと」と、まことしやかに語られますが、西陣は応仁の乱からその名が生まれ、誰もが知る京都の顔である西陣織発祥の地です。
たんきり飴本舗の界隈も、西陣織に関係する仕事を生業とする家が多く、住まいと仕事場を同じくする「職住一体」の暮らしが営まれてきました。たんきり飴はこの地で長くかたわらに置かれて織子さんたちののどを守り、気持ちをほっとさせてきました。
たんきり飴
「前は、まわりにお店もたくさんありました。隣は洋品店でしたし、果物屋さん、肉屋さんといろいろなお店があってお客さんも多くて、とてもにぎやかだったのですよ」そして「うちも工場がすぐそこにあって、両親、おじ、おば、職人さん、みんなで飴を作っていました」と続けられました。以前はカップ麺やインスタントコーヒー、シュークリームなど多くの商品を扱っていたそうで、常日頃使う食品の、よろづ屋的な存在だったのでしょう。大晦日は一晩中大勢のお客さんでにぎわったそうです。
たんきり飴本舗

たんきり飴本舗のはかり
レトロなガラス瓶やはかりも現役で活躍中

お店を休むのは元旦から四日までのみですが、お父さんだけは二日の日もお店に出ていたそうです。「家で、ぼうっとしているより店に出ていたほうがよかったのでしょう。それに当時はデパートも近所の商店街も三が日はお休みでしたから、きっと売れるともくろんだのでしょう。飴はあまり食べない夏は氷も売っていましたし、まあ本当に店が好きやったのですね。」お話を聞いていて、商才があったのは確かですが、それ以上に「お客さんが喜んでくれるのがうれしい」と思う気持ちを強く持たれていたのだと感じました。お店とお客さんへの思いが様々なところに垣間見られます。
たんきり飴本舗
お店の内外に掲げてある「百二十年余りの歴史と伝統の味 西陣名物 たんきり飴本舗」のキャッチコピーを考案されました。「明治八年にしといたらよかったのに。もう148年たったのに」と言われましたが、その看板は外されることなく健在です。また「土しょうがを入れてたいた飴は先代からの秘伝で・・・・」の宣伝文もお父さん作。自ら健筆を奮った張り紙が今も残り「百二十年余り・・・」の看板とともにお二人を見守っているかのようです。

熟練の技から生まれる奥の深い飴作り

たんきり飴本舗たんきり飴本舗
お店の中には多くの種類の飴や、半生菓子やあられ、今も根強い人気のラムネ菓子など、めくるめくお菓子の世界が広がっています。生姜の辛味が効いた看板商品のたんきり飴をはじめ、ニッキ、しそ、べっこう、豆平糖など、今は長年の付き合いの、熟練の職人さんに依頼して20種類ほどの飴を作ってもらっています。たんきり飴は、炊いた飴に生姜を入れた時、火柱が立つので、天井が高くないと危険なのだと聞いて驚きました。

手まりのような飴にも白い線が入っています

たんきり飴本舗
たんきり飴とニッキ飴に入っている白い線は、違う種類の飴ではなく、生地はまったく同じで、空気を含ませて白くした飴を合わせているということにも、ただただ感心するばかりです。飴の色は火の入れ方によって変わるという話にも、微妙な火加減の難しさを思いました。手まりのようなかわいい飴、光が当たると透明な石のように輝きを放つべっこう飴など、ひとつひとつが本当に美しく、職人さんの手仕事の尊さを感じます。飴やお菓子の袋詰めも、口をひだをとって折りたたみ、扇のように整えた姿に、職人さんの仕事を大切にする気持ちが伝わってきます。香料を一切使わず、ただただ真面目にていねいに作られた飴。すっきりした後味の良さにその値打ちがあらわれています。

伝統を受け継ぎながら、新しい商品も取り入れる

たんきり飴本舗
京都盆地は南北の標高差があり今出川通から北は、気温が違うと言われ、市内中心部との体感温度の違いを実感します。たんきり飴本舗は、お客さんが入りやすいようにと、表の戸は開け放しています。そのうえ土間は石畳になっているので「足元から冷えがのぼってきて本当に寒い」と言われましたが、話をお聞きするあいだにも、じわじわと冷え込んできて、ここに立ち続けての仕事は大変なことだと実感しました。
「こんなに古い店やのに、お客さんから絶対変えんといてと言われています」と笑って話されました。「人からもらって、おいしかったから買いに来ました」というお客さんも多く、まとめ買いも少なくないそうです。
たくさんの商品ですが、飴はお姉さん、おかきや半生などその他のお菓子は妹さんの担当となっています。お火炊き祭のお決まりの柚子おこし、梅や今年の干支の辰をかたどった半生菓子など冬の季節のお菓子が並んでいるところにも、習わしが生きる西陣のお店を感じます。
たんきり飴本舗
姉妹お二人が気がかりなのは、飴も他のお菓子もだんだん職人さんが高齢化して少なくなっていることです。後継者の問題はあらゆるところで深刻になっていますが、今のところは何とか続けてもらっているので、できるところまでは頑張って続けると言われていました。
そういった気がかりもありますが、お菓子担当の妹さんは、自分の味覚にかなうおいしいものと出会うと、その新顔を早速売り場へ並べるなど営業力を発揮しています。
動物ビスケットやラムネ菓子など、かわいいお菓子もあります。動物ビスケットは意外にも年配の男性がよく買っていくそうです。どんな思い出があるのかなと、想像します。ラムネはいろいろな味を詰め合わせています。手間のいることなのに「そのほうが楽しいと思うし、お客さんが喜んでくれるから」と、苦にする様子もありません。
たんきり飴本舗は「古さや老舗」を敢えて言うこともせず、しかし西陣という地で商いを続けている重みや風格、そして懐かしさとともに、新しい軽やかな空気も感じさせてくれる、いつまでもあってほしいお店です。

 

たんきり飴本舗
京都市上京区大宮通 寺之内下ル107
不定休

京都の味と人の魅力 境内の屋台

お参りもそこそこに境内の屋台を、わくわくしながらのぞいて歩いたのは、子どもの頃の楽しい思い出です。そんな淡く遠い記憶を抱いて、久しぶりに八坂神社へお参りしました。
お参りの後、境内をゆっくり回りました。様々な屋台が出ていて、多くの人がその楽しさにふれていました。
「長老格」の風格がにじみ出る屋台の主の、片言までいかない英単語のみの会話でも、多様な国のお客さんとコミュニケーションが成立し、お客さんも名物の味を楽しんでいます。
境内の屋台は、国の違いを超えて気取りのない京都を満喫できます。身近なところで京都の観光を支えているのは、こういう人たちなのだと感じます。
それぞれの名物とともに人の魅力にあふれる、筋金入りの老舗屋台です。

観光客も同業者も「おたがいさま」の心

冬の八坂神社楼門
「祇園石段下」が地名となっている八坂神社の楼門前の大石段は、最高の撮影スポットとなっています。中学生の男子三人組に「三人そろったところを撮ってほしい」と頼まれました。聞けば岩手県奥州市から来たとのこと。スマホで撮ったあの写真は修学旅行の思い出として、消えずに保存されるだろうか、何年もたってから開いて懐かしんだり、笑ったりすることはあるのだろうかと思いました。青春などという言葉は最近、聞くことも見ることもなくなりましたが、ふとその言葉がよぎりました。修学旅行も一種独特の感傷的な響きを感じます。
八坂神社の出店八坂神社境内の出店
境内に並ぶ屋台は、定番のたこ焼き、いか焼、ベビーカステラ、りんご飴、古道具、七味のほかに、和牛串焼、小籠包など「こだわりの味を屋台でどうぞ」風なものあります。
進化系大福のフルーツ大福と同じように、りんご飴も、みかん、マスカットもあり世相もうかがえます。屋台の主同士「これだけ頼めるかな」と両替を融通したり「腰、どうしたんや」と声をかけるなど「長年のおなじみやさかいに」という、暑苦しくなく、ほど良い間合いの付き合いが感じられました。
八坂神社のたこ焼き屋台
たこ焼き屋台は2軒あり、2軒ともベンチを置き、空になった容器を回収しています。今は飲食を扱うほとんどのお店が、テイクアウトに応じています。「その空容器はどこでどうなるのか」です。「ゴミは、ちょっとあったらすぐに広がるさかいに。こうしてまとめておかんとな」と言われました。「販売から廃棄まで」がきちんとなされています。「商売してる者も、お客さんもみんなおたがいさま。お参りに来た人やお客さんがまず一番や」レンタル着物の海外の人たちがうきうきと境内をめぐっています。「ワン?ツウ?オッケー。キャッシュオンリー」十分通じています。

何十年も立ち続けて備わった人間味

赤ずきんの七味唐辛子八坂神社のたこ焼き屋台
それぞれの屋台にはその商品を示す工夫がされていて、微笑ましい風景です。たこのぬいぐるみ、唐がらしは伏見稲荷にちなみ、きつねのぬいぐるみとひょうたんなどが楽しい店先を演出しています。
「たこ焼き、本当においしかったです」と伝えると「ほんまか。出汁も卵も多めに入れて、材料もええの使うてるし」と返ってきました。和食の出汁と同じです。ソースと青のり、マヨネーズは自由に使えるように置いてあります。太っ腹です。理由は「かけて出すと、もっとかけてほしいとか言われて面倒」だからそうです。
ここで60年くらい出ているそうですが「75歳で引退したいと思ってる。あと3年や」と晴れ晴れと語ります。「明日は用事があるし休みやし」と、にこっと笑いました。
赤ずきんの七味唐辛子
「七味唐がらし あかづきん」は、伏見稲荷で商売を続けて三代目のお店が出店しています。七味は「山椒を多めに」などと伝えると、希望に応じて調合してくれます。
今の時期におすすめなのは「柚子七味」です。次々訪れる外国人のお客さんに「ユズ スパイス。ジャパニーズ スパイス」と説明しながら「あかんな。英語は通じひん。どこの国の人やろ」とつぶやきが聞こえました。
味見もさせてくれるので、若い男性は味みしたうえで、柚子七味をお買い上げとなりました。「外国の男の人は欧米でもアジアでも、みんな優しいよ。ほんまレディーファーストや」なのだそうです。毎日多くの人と接していると、見えてくることがいろいろありそうです。
赤ずきんの七味唐辛子
竹筒やひょうたん型の七味入れにも興味をひかれるようで、足を止めて見ている人がかなりいます。ひょうたんの飾り紐も手作業です。そうした細かいところの手間が商品としての完成度を高めていると感じます。
唐辛子の辛味も深く奥行があり、山椒の香はふわっと立ちのぼります。鍋物、麺類以外にも、おみそ汁、漬物、ドレッシングなど活躍の場は多いでしょう。
ずっと伏見稲荷と八坂神社の2か所に出店していましたが、伏見稲荷はインバウンドで参拝が膨大になった時に、一切の出店が撤退となったそうで「とても残念」と話されました。
八坂神社のたこ焼き屋台
また、たこ焼き、七味唐辛子両方に共通する問題が物価高です。たこ、小麦粉、油、そして燃料。七味唐辛子も山椒の値上がりはすさまじいそうです。それに加えて、みなさんの悩みは腰痛です。雨の日以外は、炎天下の日も木枯らしの日も立ち続ける仕事は並大抵のことではできません。これからの季節は冷え込みがきついので余計痛みが出ると話されていました。
またあの味な話やお客さんとの楽しいやり取りを聞けるよう、この冬の寒さが厳しくなりませんようにと願っています。味とともに、あの笑顔や軽妙な語り口に心も体も温まります。
八坂神社の疫神社
屋台を離れてふと見ると、境内にある疫病退散の「疫神社」に、海外から来た若い女性が静かに手を合わせている姿がありました。その姿は新しい年を迎えた神社の清々しい空気をまとっているようでした。

 

八坂神社
京都市東山区祇園町北側625
社務所受付 9:00~17:00
参拝時間 24時間可能

茶壷の口切の季節に 訪ねる宇治

実りの秋は、仕込みものも、時をかけて旨みを増します。左党を喜ばす「秋上がり」の日本酒、八十八夜の頃に摘んだお茶も熟成して深い味となります。これからしばらく、お茶会があちこちで行われ、紅葉を楽しむ野外では親しみやすい気軽なお茶席も多くなります。
久しぶりに宇治を訪れ、町並みは変化しても馥郁と香るお茶の歴史と文化を伝える地であることを感じました。

宇治茶師の伝統を伝える長屋門

上林春松家の長屋門上林春松家の長屋門
JR宇治駅で下車し、海外の観光客の姿が目立つにぎやかな宇治橋通りへ進むと、新しいカフェスタイルのお店と、お茶を商う看板を掲げた伝統的な建物が入り交じっています。スーパーマーケットもできていて、観光と地元仕様の店舗が共存しているのでしょうか。スーパーマーケットを出入りする外国の人も多く見かけました。そして、ひときわ目を引くりっぱな門が見えてきます。代々茶師として重要な役割を果たしてきた上林春松家です。
この「長屋門」は、御茶壷道中やの御用茶壷を送り出す格式高い門です。かつて付近にはこのような長屋門が十数軒あったと記されていますが、現存するのはこの長屋門のみになってしまったそうです。貴重であると同時に、今現在も健在で残していくことの大変さを思いました。
邸内に開設されている「宇治・上林記念館」を見学しました。豊臣秀吉や徳川家康、家光など、歴代の天下人にお茶を納め、また優れた武将であり大茶人でもあった、古田織部や小堀遠州とも親交を示す貴重な古文書が目の前に展示され、ガラス越しとはいえ、とても迫力がありました。製造の工程を描いた「製茶図」や写真、お茶作りの道具もとても貴重な資料だと感じました。

上林春松の蔵出し荒茶
上林春松の蔵出し荒茶

建物も茶師の仕事に合わせた独特の建て方となっています。外から見える二階に張り出した部分は「拝見場(はいけんば)」と言い、お茶の件座やブレンドなどを行う一番重要な場所です。直射日光を遮断できるよう、北側が傾斜をつけた壁になっています。唯一天井窓から自然光が入り、時間に関係なく一定した光で葉茶を見ることができるのだそうです。
湯呑以外は、壁や作業台やお盆など、すべて黒でした。艶のない黒色がお茶の緑色を見分けるために適しているからだそうです。拝見という言葉にも、お茶はとても高価で尊いものであったことを感じます。

秀吉公から賜った「清香」の銘がある「呂宋(ルソン)」壺
茶葉壺「清香」

大きな茶壷は昔、将軍家や諸大名、茶人から届いたもので、それに抹茶に挽く前の「碾茶(てんちゃ)」を詰めるためのものでした。新茶の季節に次々と届く茶壷はさぞ壮観だったことでしょう。この壺にお茶をきちんと詰める「茶詰め」も、茶師の大切仕事だったそうです。新茶は茶壷のなかでゆっくり静かに熟成し秋の「口切」を待ちます。茶壷の封印を切って初めて今年のお茶を味わう、おめでたい「口切に茶事」が行われることも多く、風炉から炉へ移る「炉開き」とともには、お茶人さんにとってとても大切な行事になります。「茶人のお正月」ともいわれるゆえんです。

お茶席では11月からは炉を使います

記念館に展示されている茶壷の雄は秀吉公から賜った「清香」の銘がある「呂宋(ルソン)」壺です。ルソンとは今のフィリピンにあたります。中国で作られルソン経由で日本へ渡ったと考えられるそうです。目の前にあるこの茶壷が、遠い昔、はるかに海を越えて無事に日本に着き、その後こうして今ここにあるということに感銘を受けました。
初代春松の弟「竹庵」は士官の道を選び、家康に仕えたそうですが、その恩を忘れず「伏見城の戦」にはせ参じ、討ち死にされた解説にありました。450年にわたり茶師の家を守ってきた一族の歴史の重みを感じずにはいられませんでした。

お茶の町としての繁栄を願って

上林春松家の坪庭
記念館の並びには店舗があり、厳選されたお茶の販売と、喫茶コーナーもあります。
お抹茶で一服させていただきました。大きなガラス戸の外には坪庭があります。こじんまりしとしていますが、よく手入れされた植え込みやつくばいが目に優しくほっとくつろぐことができます。記念館で見た各流派の宗匠が認めた「茶銘」の書き物の軸装が展示されていました。それもまた見事なものでした。
たとえば「濃茶 橋立の昔 表千家猶有斎好」。これは宗匠に納めたお茶に銘をいただき、それを「○○宗匠御好」としてその名を商品名とするのだそうです。つまり、様々な流派の宗匠の御好のお茶を買うことができるということです。何かうれしい気持ちになります。
記念館に展示してある軸は「ご存命の宗匠のものです」と教えてもらいました。こういうことにもきちんと答えてもらえるところに老舗を感じました。外国のお客さんも多く、日本の文化に関心が高いことを伺わせます。

今の季節限定のお茶「蔵出し荒茶」を買いました。茶農家が収穫したお茶をすぐに蒸して揉み、乾燥させただけのお茶のことです。普通流通しているお茶はこのあと、問屋さんで刻んで葉の大きさを揃えたりブレンドされたりしたものですが、荒茶は葉っぱもそのまま、茎も交じっています。ごく限られたところでしか手に入らないお茶で、濃くてこくのある旨みが特徴とのことでした。荒茶を味わえるのも茶処だからこその特典です。ゆっくりていねいにお茶をいれて味わえば、せせこましい暮らし方が少し変化するかもしれないと思いながら、西に傾いた日差しのなかを宇治橋へと進みました。
宇治橋の三の間
橋のなかほどに「三の間」という秀吉が茶の湯に使う水を汲ませたという、少し張り出したところがあります。現在も「宇治茶まつり」ではここから水をくみ上げる行事が続けられています。三の間から眺める宇治川上流は、平安の昔から人々の心を慰めたのだろうと思える景色でした。
2015年(平成27年)「日本茶800年の歴史」が文部科学省の日本遺産に認定され、そのなかに「茶問屋の町並み」として上林記念館も含まれています。紫式部のまちとして注目され、関心が寄せられることは喜ばしいことですが「日本の茶処」としての深い歴史と文化を、住む人も訪れる人も大切にしていきたいと強く思いました。

 

宇治・上林(かんばやし)記念館
宇治市宇治妙楽38番地
開館 10:00~16:00
休館日 金曜日

店主の人柄 てらいのない中華そばの味

ラーメンは今や、京都を楽しむ要素の一つとなっています。海外からの観光客が行列に並ぶ光景もめずらしくありません。歴史ある古都の別の顔、魅力を感じるのでしょう。新しいお店もよく見かけます。
2年ほど前に一度入っただけのお店ですが、ふと思い出して北野天満宮近くの商店街にあるラーメン屋さんへ行って来ました。外観のたたずまい、赤い提灯やのれんも変わっていません。「これこれ、この味」という中華そばと、大将の「祭よもやま話」という思いがけないおまけ付きで楽しませてもらいました。
誠養軒は「京都の街中華」というような類型に当てはまらない、てらいのない、おおらかさが魅力の得難いお店です。こういうラーメン屋さんがあるところは、人が暮らす町の息遣いが感じられるいい町なのだと思いました。

中華そばや餃子を待つ間も楽しい

誠養軒の店内
はじめて誠養軒へ入ったのは、所用で北野商店街へ来た時でした。用事をすませて歩いていた時、くっきりと潔い「中華そば」の提灯とのれんが見えました。店の前まで行ったものの、個性強めのお店の風貌に少し躊躇しましたが、思い切って入りました。
お昼の時間帯を過ぎた、やや中途半端な時だったので他にお客さんの姿はありませんでした。一人なので、カウンター席へ座ろうとしたら、カウンターの上にいろいろと物が置かれていたので少し迷いましたがテーブル席に行かせてもらいました。
誠養軒の中華そば
冷麺にしようか迷った末に、やはり「中華そば」にしました。中華そば・ラーメンの類は、競うようにいろいろなタイプが出ていますが、誠養軒のものは、なじみのある定番を守っていました。麺の食感、こくはあるけれど、すっきりしたスープ、メンマが好きなので多めに乗っているのがうれしい。叉焼も、もやしのしゃっきり感もすべてが「自家製」のていねいさを感じるおいしさでした。肩肘張って対面しなくてよい、安心感、気安さが心地よかったです。
その後に来店されたご常連らしいふたりのお客さんも一緒に「おいしい七味唐辛子」について懇切ていねいに教えてもらいました。
「常連と一見」のように、分け隔てする感じがなく、ごく自然に会話ができた、そんなところもこの日のことを覚えていたことにつながっていると思います。
今回訪れたのも、午後の遅い時間で、お客は私ひとり。店主さんが「クーラーが一番よく効くのはあの席。一番弱いのはこの席」とにこにこ気さくに声をかけてくれました。
誠養軒の店主
地元紙の京都新聞と「巨大ブラックホール」「素粒子」などの文字が並ぶ科学雑誌が置いてありました。「ずいぶん難しい雑誌ですね」と言うと、1冊の値段は高いけれど、1か月に1回だから週刊誌を買うより安いからと、返ってきました。それに「難しいから読むのに1か月はかかるから、ちょうどいい」のだそうです。こんな愉快なやり取りをしながらも、手はおろそかになっていません。水餃子を作るための片手鍋にお湯が沸いています。

誠養軒の水餃子
手作り水餃子と一緒にずいき祭りの本を見せていただきました

自家製の麺に叉焼、餃子は注文の都度に包んでいます。安心できるおいしさ、満ち足りた気持ちになります。誠養軒はお父さんが始めお店で、53年たちます。「いろいろ新しい店ができているけれど、うちはずっと同じ」この安定感が味にもお店の雰囲気にもあらわれていると感じました。
メニューに書かれた「やる気がなくなり次第帰ります」のひと言や、閉店時刻の「午後11時59分」という設定も茶目っ気があります。こうしてみていると「昭和なアナログなお店」という表現が使われそうですが、それだけでは少し違う気もします。実はまだまだインターネットなど一般的ではなかった時期に、いち早くホームページを立ち上げたそうです。その世界にかなり 詳しいとお見受けしました。なかなかに奥が深いのです。
京都の伝統のお祭りについても、「それは知らなかった」という話がどんどん出てきました。

次回が楽しみになるお祭りの話

北野商店街
誠養軒は、北野天満宮のおひざ元の商店街の一番西にあります。取材時はちょうど、起源も平安時代までさかのぼるとされる、北野の天神さんの「ずいき祭」直前の時でした。商店街にもお祭りののぼりが立ち、地域あげての大切なお祭りであることが感じられます。

ずいき神輿につけられていた縄
ずいき神輿の梅鉢のわら細工が飾られていました

ずいき祭の花形「ずいき神輿」を製作する保存会の会員に、店主さんの同級生もいるということで、興味深い話を聞かせてもらいました。ことに、お祭りの名前の由来にもなった、お神輿の屋根を葺くずいきが、今年は天候不順で育てるのが大変だったそうです。
太さや長さが一定のものを、準備段階までにうまく育てるのは相当な苦労があるそうですが、本当に大変なことだと思います。「ずいきはアクが強いから切り口がすぐ黒ずんでしまうので、毎日切っている」「ずいきの親芋は、逆さにして根っこをたてがみに見立てて獅子頭を作る。そして、お祭りが終わった後は、神様からのおさがりとしてみんなでいただく」等々、知れば知るほど奥は深いのです。
ずいき祭の岩波新書
テーブルの上にずいき祭に関する岩波新書が置いてありました。「神輿の横で保存会が売ってたんや。友達やし買わなあかんし」と笑っていました。少し前に買われたものでしょうか。油やたれのしみがついた新書は、その汚れが逆に、毎日少しずつ大切に読んでいたことを物語っているようでした。
また、お客さんのなかには祇園祭の山鉾の関係者もいて、祇園祭についても熱心に調べたり、足を運んでいます。「同じ鉾を見ても、毎年発見がある。そういうふうに、今年はここを見ておこうとか考えて鉾をまわったらええんや。楽しいよ」と極意を授けてくれました。
誠養軒のちょうちん
中華そばと水餃子もなくなり、次のお客さんの来店です。このお二人もご常連らしく、表の入り口そばの冷蔵ケースからビールを持って入って来ました。「ビールや水はセルフでお願い」それが誠養軒の流儀です。
はじめはわからなくて、水を飲まずに帰ったのも今となっては笑える話です。早速「餃子2人前」の注文です。それをしおに、ごちそうさまでしたと、立ち上がると「また、どうぞ来てください」と忙しく餃子の世話をしながらも声をかけてくれました。この親近感、あたたかさがうれしいです。暮れなずむ頃。提灯とのれんが夜のお客さんを迎えます。とっておきの京都です。

 

誠養軒
京都市上京区新建町10
営業時間 正午~23:59(早く閉める日もあります)
定休日 月曜(ただし25日の北野天満宮例祭の日は営業)

旧東海道の面影 たどる小半日

日中は真夏日の気温に閉口しても、朝夕はいく分過ごしやすくなりました。時折りのさらっとした風や高い空に、季節は秋の入り口にあることを感じます。日常を離れて、ちょっとどこかへ行ってみたい気分にもなります。
山科の旧東海道沿いに突如、時代を感じる空間があらわれます。六角のお堂やりっぱな手水舎、古い道標など、東海道を行き来する人々や牛馬の休憩場所ともなっていた境内は、往時の面影を今に伝えています。

六地蔵めぐり第六番札所

徳林庵徳林庵
以前、車で通りかかって目にとまった一画は臨済宗南禅寺派のお寺「徳林庵」です。いかめしい塀などは一切なく、旧東海道沿いに開かれ、おおらかな雰囲気が漂っています。徳林庵は八百五十年の歴史のある「六地蔵めぐり」の第六番札所です。
六地蔵めぐりとは、平安時代の公卿であった「小野篁(おののたかむら)」が病にかかりあの世へ行きかけたところで、地獄で苦しむ人々を救う地蔵菩薩と出会い「地獄の苦しさと私のことを広く伝えてほしい」と命じられました。そこで一本の桜の木から六体のお地蔵さまを彫りました。やがてそのお地蔵さまを、疫病や悪鬼から都を守るために、主要な街道の6か所の出入り口に祀ったのが始まりと言い伝えられています。伏見六地蔵、上鳥羽、桂、常盤、鞍馬口、そして徳林庵の山科地蔵の六体です。六地蔵の地名はここに由来しています。

徳林庵のお地蔵様
境内には御本尊の地蔵菩薩像以外にもたくさんのお地蔵様が

六地蔵巡りのお幡
境内のお堂に、六地蔵めぐりでいただく「お幡(はた)」について詳しく説明された額が掲げられていました。六地蔵めぐりで集めたお幡を玄関の軒下へ吊るしておくと、お地蔵さまに守られている印となって、よいことが集まり、わざわいを遠ざけてくれるそうです。
以前この京のさんぽ道で久御山町へ伺った時「少し前まで、朝暗いうちに家を出て六地蔵めぐりをしていた」とお聞きしました。六地蔵めぐりは毎年8月22日、23日の2日間と決まっています。京都のあちこちの町内で地蔵盆が行われる日です。山科地蔵を祀る徳林庵とその周辺も、露店を楽しみにする子どもたちや無病息災を願ってお参りする人々で、たいへんなにぎわいとなるそうです。通りがかった人が「子どもの頃、本当に楽しみやった」と懐かしそうに話してくれました。お堂に祀られたお地蔵さまは毎年の六地蔵めぐりの折にご」開帳されるそうです。訪れた日は、ひっそりしていましたが、一人、二人とお参りする姿が見られました。徳林庵の開放的でだれでも受け入れてくれる雰囲気は、お地蔵さまを大切に祀る素朴な信仰から生まれているように感じました。

旧東海道は通学班の集合場所

徳林庵の井戸
徳林庵の境内にはお堂のほかに、飛脚や牛馬の休憩地であったことを示すりっぱな井戸があります。「文政四年・・・」「京都 大阪 名古屋 金澤 奥州 上州 宰領中」など筆太にくっきり刻まれています。宰領とは飛脚問屋の取り仕切る役目なのだそうです。
また「通」は途中で人を替えずに最後の目的地まで通す「通し飛脚」を意味しています。現在も輸送関係の企業名には「通」がよく使われていますが、飛脚からきていたということを知り興味深く思いました。
京の三条まであと一息、ここで喉をうるおしもうひと踏ん張りと、元気を取り戻したことでしょう。牛や馬のいななき、人々が交わす声も聞こえてきそうで、当時の活気がうかがえます。
おもしろい形の石があります。これは「車石」と言って、重い荷物を積んだ牛馬車が、ぬかるみにはまらず、スムーズに進めるように両側に石を敷き詰めてあったそうです。
徳林庵の車石徳林庵
菩提を弔う仁明天皇第四之宮人康親王(しのみやさねやすしんのう)の供養塔や六体地蔵も静かにたたずんでいます。奉納された扁額には「山城国宇治郡四ノ宮村 六ツの辻四ツのちまたの地蔵そん 道ひきたまへみだの浄土江」と刻まれています。素朴な信仰の心が深く印象に残りました。
境内と隣り合った小道は十禅寺への参道となっています。山に抱かれた静かなお寺です。
徳林庵
歴史の片鱗、証と言えるものがごく普通に存在していることに驚きます。山科は高速道路の建設で住宅開発が進み、このような里や街道の風情とは結び付かなかったのですが、今回訪れてみて、歴史の懐の深さを実感しました。また、山科地蔵が校区の子どもたちの登校時の集合場所になっていると聞き、ますます山科の歴史は普段の生活のなかにあると感じました。旧東海道は21世紀のいま、刻んできた歴史を子どもたちと共有しています。
中臣遺跡、山科本願寺等々、山科の魅力は、簡単には堀つくせないほど豊かです。

 

徳林庵(とくりんあん)
京都市山科区四ノ宮泉水町23

麹の力で 心も体もほがらかに

あと一週間もすれば、草木に露が宿る「白露」を迎えようとしているのに、真夏並みの気温が続いています。甘酒は夏の季語ですが、江戸の昔から、夏の弱った体にいい、おいしい飲み物でした。「健康と発酵」に多くの人が関心を寄せています。味噌、醤油、酒など日本の身近な発酵食品の素となる麹。その不思議な力、奥深さに魅入られ、麹を毎日の暮らしに取り入れることで得られる幸せを多くの人に広げようと、楽しく奮闘する「京都花糀」代表の野中恵美さんにお話を伺ました。

「上級麹士」として新たな道すじ

京都花糀の野中さん
野中さんが麹と出会ったのは、医薬品販売の専門資格である登録販売者として、ドラッグストアで働いている時でした。お客さんと接し、健康の悩みは複合的なものが多いことを感じるなかで、ある日、来る人来る人みんなが、甘酒を買う現象が起こりました。テレビの番組で甘酒が取り上げられたのです。それからしばらくは、大量に発注した甘酒が品切れになる日が続きました。
甘酒
甘酒から麹へ目を向けると、知れば知るほど「麹ってすごい」と、そのすばらしさに引かれていきました。そして栄養士でもある職業的性格も頭をもたげ、麹についてもっときちんと知りたいと強く思うようになりました。調べていくうちに、福岡県で麹について学ぶ二泊三日の講座があることがわかりました。それから後の行動は素早く、仕事のシフトも考えたうえで、2か月後の講座に参加したのです。

京都花麹
店内にずらりと並ぶ麹と味噌

この講座は、福岡県で自然農無農薬のみそ、麹を製造販売する会社が運営する「麹でロハス推進会」が主催しています。「自家製の麹を使って多くの人に発酵食文化のすばらしさを伝える」ことを主旨としています。その実践者として「麹士」を育成し、野中さんは2016年「上級麹士」の認定を受けました。
「麹は、日本人で合わない人はいないこの国の菌です。麹のおかげで調味料としていろいろな食品ができました。麹は腸の働きを良くしますし、脳と腸はつながっています。だから朝、お味噌汁を飲む食習慣は理にかなっているのです。」そう語る野中さんは「麹を正しく伝えるためには器がいる」と、上級麹士になって2年後2018年8月、満を持して「京都花糀」のお店をオープンしました。

麹を語る姿がきらきらしていた

京都花糀京都花糀
「手作り自家製麹」花糀のお店は、阪急電車の東向日駅からすぐ、JR向日町駅からも徒歩5~6分という立地の良さです。元パン屋さんだったというこの物件を見た時、ぴったりのいい物件だと思ったそうです。しかし、予算の1.5倍の資金が必要でした。その日は考えますと答えて帰りました。さんざん考えて出した答えが「1.5倍がんばろう」でした。
1か月後に家主さんの所へ行くと「きっと、また来ると思っていた。実は複数問い合わせがあった。でも、これからやりたいことを話している時、きらきらしていたから待っていた」と話してくれたそうです。
京都花糀
麹への熱く本物の思いは困難も味方につけて、新しい扉を開きました。それから満5年。お味噌やフルーツ酵素が時間と手をかけてゆっくり熟成するように「麹と発酵」のお店も5年のあいだに色合いや味わいが進化しています。
果物が重ねられ、季節によってかわるフルーツ酵素は「瓶詰の宝石」といった華やいだ香りたつような雰囲気です。パイン、ドラゴンフルーツ、パパイヤ、レモンを漬けた酵素は「南の風ゆらゆら」という名前です。傑作はくすっと笑える「帰省のち同窓会」マンゴー、もも、ブドウなど7種もの果物は、にぎやかにおしゃべりをしている様子を思わせます。
棚に並んだお味噌は色や風合いも様々、どっしりと貫禄があります。野中さんが「地味以外の何物でもない」と表現する麹の底力を感じます。一汁一菜を旨とする、日本の食卓をつくってきた頼りになる発酵食品なのだと、あらためて感じる存在感です。
京都花糀
花糀では、麹を使ったメニューを常に開発しています。甘酒だけでも様々な種類があり、フルーツ酵素も水や炭酸水などお好みで割って楽しめます。市販のルーや小麦粉、水を使わず麹を入れたカレーはあくまでも「花糀のカレー」です。風味豊かで満足感がありながら重くありません。また、毎月末には「発酵おかずのランチ会」を企画して「今月はどんなおかずかな」と楽しみになります。
8月は九州の郷土料理「鶏飯(けいはん)」と「冷や汁」のそれぞれのいいとこ取りをしたメニューでした。食感、味、香りが、自家製味噌を溶いただし汁がまとめ役となって、渾然一体となったまさに「恵美流創作ごはん」になっています。求肥も手作りのあんみつは、柚子がほのかに香る小豆あんが、寒天とも相性がよく秀逸でした。赤えんどう豆は塩麴を入れてゆでるなど、必ずひと手間かけています。

野中さんが言うところの「少しの手間と時間」をかけた一品、一品の確かな味や食感、香りが伝わってきます。そして「手間、時間」をかけることを、少しも苦ではなく、おもしろがり、思い切り楽しんでいます。また、麹と発酵についてわかりやすく説明し、普段の暮らしに生かしてほしいと、味噌の仕込みや、麹ビギナーコースのワークショップを開いています。ワークショップを通して「待つ」という日本の文化、日本の特性を再認識してほしいと思っています。
情報があふれている今、引き算が苦手な世の中になっているのでは、「加減や塩梅」を知って暮らせたら、もっとほっと楽になるのではと感じています。ワークショップやお店でのひと時は、がんばって何でも取り込まなくてもよいのだと思えて、ほっとできる大切な時間にもなっていると感じます。

「主役はお客さん」のお店は6年生に

京都花麹
「私は店番」とほがらかに宣言する野中さん。入ってきたお客さんは中学校の同級生でした。卒業してからずいぶん長いこと会ってなかったけれど、このお店ができたからこうしてごくたまにだけれど、来て会えると、楽しそうに話していました。またフィットネスに出かける前に、水分補給用にフルーツ酵素の水割りをマイボトルに入れていくお客さん。ご近所の常連さんも「友達の家へ来た」ような雰囲気でくつろいでいます。
コロナの時は全面休業の決断をしましたが、麹が手に入らないのは困るという声を多く聞き、希望の商品を渡す日を限定して設けました。「お客さんのほしいもの、してほしいことを実現するための店」と野中さんは語ります。
小さいお子さんのいる若いおかあさんが気持ちを解きほぐす場所にもなっています。麹と発酵の力は体にはもちろん、訪れる人の心もほがらかにしてくれます。花糀は6年目に入りました。野中さんは「6年生をちゃんとやっていけるかな」とにこにこしています。次はどんな夢を描いて見せてくれるでしょう。楽しみにして通いたいと思います。

 

京都花糀
向日市寺戸町西田中瀬3―2
営業時間 11:00~18:00
定休日 土曜、日曜、月曜日

清水焼発祥の地に 新しい息吹

8月初め、東山五条坂あたりは、近くの六道珍皇寺や大谷本廟へお参りする人の姿が多く見られます。ここは清水焼の中心地であり、参拝者に向けて陶器を販売したことが「陶器まつり」のはじまりとされています。
夏の風物詩として長く親しまれたこの催しもコロナ禍のもと、中止が続いていましたが、今年みごとに復興されました。五条坂一帯で行われていたようなかつての規模ではありませんが「清水焼発祥の地」としての歴史と伝統を感じ、また「地元のお祭り」的な和やかで親しみやすい、とてもよい雰囲気でした。
「新生陶器祭」の今回、府立陶工技術専門校を卒業し独立した若い作家さんと出会い、その作品や焼物にかける思いをお聞きしました。

はじめての出展、確かな手ごたえ

五条若宮陶器祭
本殿のちょうちんにも陶器神社の文字が

今年陶器祭の本部が置かれた「若宮八幡宮」は境内に「陶祖神」が祀られている「陶器神社」としても知られています。毎年恒例の陶器市は、八幡宮の例大祭として8月7日から10日まで行われるようになったそうです。
昼間の猛暑も一息つき暮れなずむ頃、五条坂や若宮八幡宮の境内は次第ににぎわいをみせていきました。それぞれの窯による個性も当に様々で、土の違いで生まれる色、釉薬の流れ方等々、身近に多くのやきものにふれることができるとても良い機会であり、やきもの談義に花が咲く場面も見られました。
五条若宮陶器祭
まずは、八幡宮会場へ。朱塗りの鳥居が西へ傾きはじめた日差しに映えています。本殿へお参りし、境内を一巡しました。奥は木々の緑に一服の涼を感じる静かな空間が広がっています。車が激しく行きかう五条通りに近いとは思えない、一画です。
大きな鍾馗さんも祀られています。若宮八幡宮には陶器神社があり、瓦を素材とする鍾馗さんも同じやきものからできているということから、この地に大きな鍾馗さん像が建立されたと由緒書きにあります。この大きな鍾馗さんは、それを造った職人技も伝えるよすがとなっています。
五条若宮陶器祭 廻窯舎五条若宮陶器祭 廻窯舎
お参りを終えて、ゆっくり見ていくなかに、鮮やかな青色や、藤色がかった微妙な色合いの食器が印象的なブースがありました。「廻窯舎(かいようしゃ)」は、多賀洋輝、楓夏さん夫妻が2019年に立ち上げ、陶磁器の制作・販売を行っています。釉薬は洋輝さんがつくり、製作は楓夏さんです。「時代と暮らしの廻りに合わせた器づくり」というテーマを実践する二人の共同作品です。「磁器に使う土に赤い土を混ぜて使うと、同じ釉薬でも色の出方が違うのです」という説明も興味深く、やきもの奥深さの一端を教えてもらいました。

廻窯舎の多賀楓夏さん
廻窯舎の多賀楓夏さん

お二人とも大学卒業後、別の仕事に就いてから、府立陶工高遊学等技術専門校へ入学し、それから陶磁器を生業とする道へと進みました。専門校では「湯呑を100個」など同じものを多数つくることを課され、成形のための道具も自作するなど「職人としての基礎を勉強できました」と語ります。
今回、専門校の先生が足を運んで「お客さんの反応はどう?」と声をかけてくれたそうです。「知り合いの若い世代の人も出展していたり、顔見知りの人が来てくれてとてもうれしいです」と続けました。
五条若宮陶器祭 廻窯舎
陶工専門校がこの五条坂にある意味は大きいと感じました。友達同士で来た学生が「この色きれいやなあ。使ってみたい」と、楽しそうに話していたり、何点かお買い上げのお客さんに「袋にいれましょうか」と聞くと「近所ですから、いいですよ」と返ってくるやり取りを聞いて「地域密着陶器祭」の始まりを感じました。
楓夏さんのに「もっといろいろ作っていきたい」という言葉に力強さと清水焼の可能性を感じます。「今回出展して手ごたえはありましたか」とたずねると「はい、ありました」ときっぱり明るい声で返ってきました。

五条坂界隈を歩いて感じる魅力

今も五条坂に残る登り窯の煉瓦造りの煙突
今も五条坂に残る登り窯の煉瓦造りの煙突

今年から新たに始まった「五条若宮陶器祭」は、五条坂の清水焼にたずさわるみなさんが実行委員会をたちあげ、準備を重ねて開催に漕ぎついた「清水焼発祥の地」の地域力のたまものです。各店舗や会場に用意されたリーフレットからもその熱意が読み取れます。
五条坂沿いのいかにも専門店といった風格の、敷居を高く感じるお店へも「この際、せっかくだから」と入ってみることができ、清水焼との接点になります。また地元・地域のみなさんもあらためて「自分たちのまち」について知り、つながるきっかけになると感じました。登り窯の公開・自由見学、またこの登り窯の活用についてのシンポジウムが行われるなど、今後の五条坂界隈について歩みが始まっています。界隈には清水焼の中心地であった面影が今もただよい、誇り高い「陶工のまち」を感じました。
若宮八幡宮の飲食ブースで、売り込みの声をかけていた子どもたちからも夏の元気をもらいました。

 

廻窯舎(かいようしゃ)
京都市西京区川島東代町43-4桂事業所

ワインとカレー、 敷居の低い名店

あと一週間もすれば暦は「立秋」を迎えるというのに、記録的な猛暑が続いています。食欲も減退する夏こそ、ピリッと辛いカレーです。定番の家庭料理であり、また以前から洋食屋さんのなじみのメニューとして親しまれてきたカレー。
世界中のおいしいものであふれる日本は、カレーも様々な専門店がありますが、今までに出会ったことのないカレーの店とめぐり合いました。気取りのないなかにも、どこかきりっとした雰囲気を感じるお店です。今では聞くこともまれな「上等」という言葉が浮かびました。そのお店は高瀬川沿いの小さなビルの2階にあります。

フレンチを感じるカレーとワインのお店

イグレック ヨシキ カレー
暑くても寒くても、若い人でにぎわう四条木屋町のとあるビルの階段を上がって2階へ。特徴的な「Y」の文字と赤の色が印象的なドアがあります。外の喧騒とは別の空間への入り口のように感じます。「Y」は、少量生産のフランスの白ワイン「”Y” Ygrec(イグレック)」のイニシャルです。店名の由来を示しています。お店の中は広々として、窓辺には桜が枝を差し伸べています。この緑を目にするだけでも、一服の涼を感じます。春の花の見ごろや、これから迎える秋の紅葉も楽しみになります。
イグレック ヨシキ カレー
店主さんは、寸胴鍋を小さな櫂のような道具を操って黙々と仕込んでいます。最高気温37度、38度の日にこの仕事を長時間するのは並大抵なことではないと思いますが「まあ、こんなもんやと思ってるしねえ」と、ことさら大仰に語ることはありません。
イグレックのカレーは、ビーフ、小エビ、野菜の三種類です。毎回迷うのですが、何回食べても食べ飽きない深いおいしさを感じるカレーなのです。カレーは「おふくろの味」的な側面もあって、人によって「じゃが芋がゴロゴロ入っているのが好き」「小麦粉でこってりとろみがついたカレーがなつかしい」など思い出と好みが相まって、好きなカレーの幅は広いと言えます。
イグレックの野菜カレー
イグレックのカレーは、家のカレーとはもちろん、専門店のカレーとも違う「唯一独自」のカレーです。15歳から料理の道へ入り、ホテルでも仕事をしたマスターの研鑽が生み出した味なのだと感じました。
たとえば野菜カレーです。15種類もの野菜がたっぷり乗っているのに、ルーが薄まったり、水っぽさがありません。土台がしっかりしているという感じで、野菜のみずみずしさや甘みなどが複雑で深いルーと調和しています。最初から最後まで、しっかり手をかけた料理人のカレーは常連さんのみならず、多くの人の記憶に刻まれています。
またマスターは本当のワイン好きで、その知識も半端ではありません。その日選んでもらったワインは、辛口だけれどぶどうの果実味が感じられる、ぴったりの味わいでした。

居ずまい正しく敷居は低い本格派

イグレックの小エビカレー
イグレックの営業時間は午後2時間の休憩はありますが、閉店は午後11時という長丁場です。「営業時間は場所柄やねえ」と、さらりと言いますがかなりの重労働にちがいありません。それでも悲壮感や肩を怒らせてという雰囲気は微塵もありません。カレー以外にアルコールに合う単品も用意されています。
休みの日に明るいうちの一杯、また一日の最後のしめのカレーとお酒。それぞれに楽しめる貴重なお店です。

イグレック
店名の由来にもなった貴腐ワインの名品「イグレック」のエチケット

シャンパンの王冠
ディスプレーされているワインのラベルやシャンパンの王冠は知識がなくても、すてきだなと思えます。おどろくことに、すべてマスターの自作なのだそうです。シャンペンは全部で99個。今ではもう手に入らないものもあるとか。30年ほどかかって「すべて実際に飲んだ」という話もスケールの大きさに、ただただおどろくばかりです。「まだあるから、2枚目のパネルを作ろうと思っているんやけど、なかなか時間がねえ」と言われましたが、作ろうと思う気持ちがすばらしいです。「作れるものは自分で作ることは、父親の影響やね。いつも何か自分で作っていたから」と話されました。


今まで世界のあちこちのレストランを訪れた時の手書きのメニューが特注の赤いフレームにバランスよく配置されています。この中には超有名な「トゥール ジャルダン」の鴨のナンバーが示されたものもあります。シャンペンもしかりですが、集めたのではなくすべて自分で実際に行って体験したとい探求心に感服します。ワインのラベルもそれぞれの思い出を話してくれました。

リモージュのカップ
デミタスカップ、素敵ですねというと「リモージュ」ですと、すぐ返ってきました。お店にあるものは開店前から少しずつ、見つけた時に買いそろえたそうです。
世界のレストランのメニューパネルの横には、包丁の名店の手ぬぐいがあります。「大根のかつら剥きをしているでしょう。この包丁はかつら剥き専用の包丁なんですよ」等々、ここにはまだ知らないこと、知って楽しいことがたくさんあります。

内装もマスターが一人で。壁を取り払い作った窓。左には包丁柄の手ぬぐいも。

フランス料理やワイン、その歴史や文化がさりげなく香り、感じることができるお店です。こういうお店こそ本当の名店なのだと思いました。マスターは「基本、カレーは一人でつくるもんやから」と、今日もいつもと変わらず仕込みをし、ワインのことをたずねられると、手を止めてうれしそうに答えています。奥様と二人で切り盛りされていて、落ち着いておいしさを堪能できます。
京都のまちもまたさらに変わり始めていますが、イグレックのようなお店が、京都を支えていると強く感じました。ふるさと福知山を大切にする思いがそこかしこにあらわれているところにも、お人柄を感じました。

 

イグレック ヨシキ カレー
京都市下京区 西木屋町四条上ル真町455 第一小橋会館2階
営業時間 11:30~14:00/16:30~23:00
定休日 月曜日

染工場から発信 私たちが着たい着物

浴衣の季節です。1か月間、祇園祭の様々な神事が続く京都に、海外の人も含め多くの人たちが浴衣姿を楽しんでいます。レンタル着物店も一気に増えました。その点では、だれでもいつでも気軽に浴衣や着物をまとうことができるようになったと言えます。着物には縁遠いと思われる若い世代の人たちのなかにも、浴衣をきっかけに着物に興味を持つ人も増えているようです。
きっかけさえあれば着物を着る人を増やし、着物の楽しみを広げることできると感じていたなかで、染職人自らが立ち上げたブランドに出会いました。量産品にはない「手染めの妙」が美しく楽しい着物が作られています。間近に迫った「Tシャツ展」の準備も佳境を迎えたお忙しいなか、仕事場の染め工場へ伺い「染め屋・ファイブ」の久田容子さん、高瀬千夏さん、宇野由希恵さんに話をお聞きしました。

反響に確かな手ごたえ「お出かけ浴衣展2」

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
夏めく日差しに青梅の実が大きくなる頃、上京区のギャラリー&カフェを会場で「お出かけ浴衣展2」が開かれました。この会場は、以前この京のさんぽ道でご紹介しました「好文舎」です。元呉服屋さんの展示会場だった建物は浴衣展にふさわしい雰囲気で、訪れた人もゆっくり見てまわったり、着付けてもらうなどして思い思いに楽しんでいる様子でした。
比較的若い世代の人たちが多い感じがしましたが、ファイブの3人が頃良い間合いで声をかけて、着物について気軽に親しめる雰囲気をつくっています。手でさわって布の感じを確かめてもらったり、積極的に反物を着付けて「着物になるとこうなる」と実感してもらっていました。巻物状態の反物を裁断することなく、体に巻き付けただけで「着物」を着たのと同じようにできるということにも感嘆します。
浴衣展というタイトルですが、「おでかけ」の表現に見てとれるように、夏着物として十分楽しめる高い技術とデザイン性が特長です。「こういう機会にぜひ実際にいろいろなものをあててみてくださいね」という声が押してくれて着付けてもらうと、いつもとはまったく違う自分が現れて、気分も上がります。色やデザイン、染めの技法の違いから生まれる味わいに引き込まれていました。

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
ほとんどの人が「着物を着たい」と思い、手持ちの浴衣から一歩先へ行きたいけれど、どうしたらよいのかわからない、百貨店の呉服売り場や専門店をのぞく前に相談できるところがあれば、という思いは多くの人に共通していると感じます。「気軽に着物のことを聞けて、楽しく話しができる場」として、この「おでかけ浴衣展」は打ってつけです。
着物に合わせて帯選びもできるように半幅帯も用意されています。また、展示は完成品の着物や帯だけでなく、染めについて少しでも知ってもらえるようにと、工程や道具の説明もされていました。染職人の土台を感じる、とても大切なコーナーだと思いました。

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
好文舎では企画に合わせたお菓子をカフェで提供。お出かけ浴衣展に合わせた練り切り

今回2回目のこの企画は、楽しみにしてかけつけてくれた方「カフェに来たらおもしろいことをやっていた」等々、染めの奥深い世界、着物の楽しさを知ってもらえると感じました。「男物」も注目されていました。
これから、こういった着て快適、家で洗える木綿や綿麻の、しかも「ちょっとよそ行き」な、新ジャンルの着物姿が増える予感がします。「展示会の前は、なんとか一反でも売れたら」とか「そうそう、うまくはいかないだろう」などと思いめぐらす「毎回びっくり箱のよう」なのだそうですが、2回目も開けて正解、確かな手ごたえのあるものとなりました。

五感のものづくりはここから生まれる

染め屋・ファイブ
染め屋・ファイブのロゴマークの入ったあさぎ色に染めた布のカーテン

染め屋ファイブのブランドロゴマークは、羽ばたくような形の手とFIVEの文字が組み合われています。代表の久田さんは「ファイブは五感を意味しています」と説明してくれました。
作品に取り組む場であり、生業とする染めの仕事に日々励む染め工場の見学も兼ねて、制作の合間の息抜きの時間に話をお聞きしました。仕事と作品作りの両輪を回すのは大変だと思うのですが、悲壮感やがんがんやっています感を感じさせません。作品のように、伸びやかで明るい雰囲気です。
染め屋・ファイブ染め屋・ファイブ 引き染め
ファイブの浴衣・着物の大きな特長は引き染めにあります。浴衣は型染がほとんどですが、引き染めは染料を刷毛で染め分け、そこに生まれる「ぼかし」を生かすことができます。
反物の長さは約13メートル。反物の端を両側に針のついた「伸子」でぴんと張って、刷毛で一気に染めていく技法です。気温や湿度、染料の知識や布の材質による違いなど多くのことを理解し、技術を伴わないと染められない難易度の高い手間のかかる染め方です。それでほとんどの場合、絹に染められます。木綿や綿麻に染めていては高い値段がつけられない、染めにくくて儲からないから、誰もやらないのです。
ですからファイブの綿麻の引き染めは、とても贅沢な着物なのです。「ましてやそこに、手描きや型染を施すなど、贅沢きわまりない着物です」と3人とも笑って話してくれました。「それで採算とれてるの」と、よく聞かれるそうですが「浴衣展の作品に採算を考えてなんて制作できない、作りたいものを自由に作る」と、そこも一致していました。「世の中にないモノ作り」をコンセプトとするファイブの真骨頂です。

染め屋・ファイブ お出かけ浴衣展2 好文舎
お出かけ浴衣展2での染め屋・ファイブのみなさん

染め屋・ファイブ
作品が採算ベースで制作しないとは言っても、広い染め工場の家賃や反物や染料、道具などの費用かかります。しかしそこは「なんとかなってきている」そうです。
最近は引き染めをする工場も減ってきているそうで、京都の町なかにこれだけ広い仕事場を維持するだけでも苦労があるだろうと察しられます。刷毛や伸子など引き染めに必要な道具もよいものは年々手に入れることが困難になっていると聞きました。それでも、この染め工場には何となく苦労の空気よりも、モノ作りが本当にすきな人たちの活気が感じられました。染め工場(こうば)という呼び方がしっくりくる仕事場は力強く、頑丈で、そしてしなやかでした。

異なることのつながりから、新たな展開

好文舎の中庭に面した部屋
浴衣展の会場の好文舎との縁は、友人が開いた企画展をメンバーの宇野由希恵さんが見に行ったことからでした。それまで会場としては染め工場のみだったけれど、外でもやってみたいと考えていたファイブにとっても、良いタイミングでした。
好文舎オーナーの宇野貴佳さんは以前和装関係の会社で仕事をされていたことから、着物に関する知識も豊かで、ファイブの浴衣展でこまめなサポートをしていただいたそうです。ギャラリーという場と制作者、そこへ来た人がつながることで、それぞれの仕事や役割もまた新たな方向性を見出せるのだと感じました。

染め屋・ファイブ
左から代表の久田容子さん、高瀬千夏さん、宇野由希恵さん

この京のさんぽ道ではこれまで「洋服生地で作るきもの」「和裁士さんが発信するオリジナルの着物や帯」そして今回の染めやファイブと、それぞれ、制作者であり「着手」であることが共通しています。「着物は最高のおしゃれ着」「色選びをするだけでも五感が磨かれる」「着物を着た時の高揚感」買いやすい価格設定で、しかも自由な発想の着物作りが、しっかりと着る人の心をとらえています。
新しい着物の時代が確実に動き出しています。「着物へのあこがれや着たい気持ち」にこたえる、一点一点に思いのこもったファイブの着物もさらに多くの人と出会うことでしょう。
帰り際に工場の前で撮った3人の清々しい表情に、楽しく試行錯誤し続けるモノ作りの力強さがあらわれていました。

 

染め屋・ファイブ
京都市下京区中堂寺庄ノ内町1-130 2階
お問合せ、ご訪問等についてはお問合せフォームよりお願いいたします

「ヘタ」と名付けた 職人の矜持

かつては地元京都民が週末の外出を楽しんだ新京極も、清水や嵐山などと同様に多くの観光客でにぎわい、外国語が飛び交っています。
繁華街の新陳代謝は激しく、店舗も入れ替わっていますが、ずっと同じたたずまいのお店を見るとほっとします。そのなかで「ヘタな標札屋」という強烈な名前の看板と言えば「ああ」と思い当たる人は多いと思います。「へた」は腕に覚えのある職人の心意気です。
ひさしを並べるお隣は、泉式部ゆかりの誠心院というこれ以上ないほどの、京都な立地の、表札とともに手の仕事が伝わる陶器が並ぶお店で話をお聞きしました。

観光都市の繁華街の表札屋

新京極商店街
常日ごろに使う商店街というより、観光で訪れた人や、家族や友だちと食事や買い物をする新京極。そこにある表札の専門店の存在が際立っています。「光昭堂」は昭和10年(1935)の創業ですから今年で88年を迎えました。明治になり東京遷都ですっかり意気消沈してしまった京都をまた盛り立てようと、当時の槇村正直京都府知事が付近の寺院の境内を整備して造った南北の通りが、新京極です。芝居小屋、寄席、そして映画館や飲食店が立ち並んでとてもにぎやかだったようです。
へたな表札屋 光昭堂へたな表札屋 光昭堂
光昭堂はその新京極の変遷を見つめてきました。「ヘタな標札屋」と名付けたのは先代で「自分の書く字に誇りを持っていたのやと思います。ヘタと言い切るとこがすごいと思います。」と語ってくれたのは当代の奥様です。当代は大学の法学部で勉強した人でしたが「息子は父親の跡を継ぐもの」として粛々として表札の仕事についたそうです。
へたな表札屋 光昭堂
現在はマンションが増え、表札を目にすること自体少なくなっていますが、それぞれの家にふさわしい表札はまさに「家の顔」です。年月を経た木造の家、モダンな時代を写した家など、表札はその家の一部のようです。
材質も桧、桜などの木質に大理石、陶製など多種多様です。それぞれの注文に合った文字を書ける書き手に仕事を割り振るのも仕事です。和装業界の悉皆屋さんのような、言ってみればプロデューサーのような役目と言えるでしょうか。
「大学の法科を出て、その勉強はこの仕事に直接関係なかったけれど、英語ができたので外国のお客さんと話しが通じてたしね。英語を日本語に訳して文字を書いてあげて喜ばれました」そして「人間だれもみんな、いくつになっても勉強が大事やね。勉強することで人は大きくなっていく」と続けました。けれんみのないその言葉は、しっかり胸に響きました。

表札と陶芸の共存、新たな選択

安藤陶房の器
表札とともに店内のかなりのスペースに並んでいる陶器は宇治市の炭山工芸村に「安藤陶房」を構える娘さん夫妻が作製しています。清水焼の伝統に学びながら、自由に日常的に使える食器がつくられ、その数々が、暮らしの一場面のようにディスプレーされています。
「私の父は清水焼の問屋をしていましたので、子供の頃から食器は清水焼でした。娘たちがつくっているのは土ものなので、最初は磁器とは口当たりが違うなあと思いました。けれどなれると、土ものは水分を吸いますから、ご飯が美味しくて。土ものの良さですね」作品はつくった人の個性があらわれるそうで、娘さんははっきりした性格なので作品も大胆なものが多い。反対に娘婿さんは、絵付けなども優しい雰囲気なのだそうです。
安藤陶房の器
外国の風物をもとにしたエキゾチックな文様、野原に咲いてるかのような花一輪など違う個性が湯呑、ご飯茶碗やカップなど、日常使う食器が思い思いに彩られています。どうぞ手に取って見てくださいと、すすめてくださったので、ひとつずつたなごころで包むようにして見ていきました。手にすっきりおさまります。探していたのは少し大ぶりの湯呑みでしたが、青磁色をしたフリーカップに決めました。下のほうに、ぐるっと金彩が施されています。厚く盛るように描かれた金彩は、下のほうのぐるりだけというのも潔いデザインに感じます。ろくろと絵付け、夫婦合作と聞きました。店内には清水焼の問屋をしていた頃の茶器なども展示品として置いてあり、土ものとの持ち味の違いを知ることができます。
安藤陶房の器
表札の店に陶器を置くようになったのは、少しでも展示する場所を増やし、娘さん夫妻の助けになることを考えてのこと。多くの人にまず知ってもらうことが大事と踏み切ったそうです。今現在、陶芸も他の伝統産業も従事する人が少なくなっている現状があります。そのようななかで、例えばこうした「異素材」の手仕事を組み合わせることもできれば、また新たな展開が生まれると感じます。
へたな表札屋 光昭堂
「新京極も本当に変わりました。これまでと同じ場所で店を続けているところは本当に少なくなりました。うちも跡継ぎは決まってませんけど。でも身内でなくても、だれかこういうことに興味を持つ若い人が、インターネットも使いながらこの店をやってもらえたら、きっと面白いことができると思います。そういう人はどこかにいると思いますしね」そして最後に「私もまだまだ勉強することがあります。人間は勉強せんとね」とくり返されました。「ヘタ」に込められた職人さんの誇りと志を教えられました。志ある若い人が「光昭堂」のヘタの心意気を継承されるよう、願っています。

 

光昭堂(こうしょうどう)
京都市中京区新京極通六角下ル中筋町487-6
営業時間 11:00〜
定休日 なし