お寺は今も 地域のよりどころ

お寺とは今の私たちにとってどんな存在でしょう。お盆やお彼岸にお経をあげていただくくらいのお付き合い、お寺によってはお庭やご本尊の拝観といったところでしょうか。
「縁がないなあ」という人がほとんどのこの頃、お寺の存在、果たす役割は大きいと感じます。少子高齢化とそれにともなう家族構成や、まちの成り立ちの大きな変化によって「つながり」を持つことが難しい現代に、西本願寺の門前町の面影が今もなお漂う界隈に、地域に開かれ、様々な催しで人と人がつながるお寺があります。法話会や落語、コンサート、学生主催のイベントなど、堅苦しいお寺の敷居をぐんと低くして、みんなが軽々と自由に楽しく集まる「一念寺」の住職、谷治暁雲さんのお話は、まさにお寺と人が育む門前町のまちづくり物語です。

古い歴史のある寺院の再生

一念寺
取材に伺ったのは、ご住職がお経をあげに行かれ、戻られたばかりのお忙しい時でした。「明日お願いします」とお願いされることも度々あると聞き、お参りを大切にされている方にとって、お寺はなくてはならない存在なのだと感じました。
一念寺は西本願寺の門前町にある浄土真宗本願寺派の寺院です。戦国時代(1528年)に創建されたという記録が残っています。明治初期に建てられた現在の建物の、落ち着いたたたずまいは門前町の品格も伝えています。
一念寺
門から本堂までの庭は、少し逸れたように配置された敷石の妙、自然な雰囲気の植えこみなど、茶室の路地のような趣を感じます。そして、すぐにご本尊の阿弥陀如来様と身近に対面することができる、みごとに考え抜かれた構造です。「こじんまりしたお寺」とよく言われるそうですが、その言葉の通り、厳めしさではなく、おだやかなやさしさを感じる空間です。
一念寺の谷治住職
谷治住職は「在家(ざいけ、出家せずに普通の生活をしながら仏教に帰依する)」の人で、大学の専門は社会福祉でしたが、卒業後、仏教の専門学校で研鑽を積み、ご縁があって一念寺を受け継がれました。プロテスタント系の幼稚園へ通い、小学生の頃は毎週教会へ通っていたそうですので、本当にご縁なのだなと感じます。「スカウトされたのです」と茶目っ気のある話しぶりも、場をなごませてくれます。本堂は阿弥陀様はじめ大きなろうそく、お花やなどが「これ以外ない完璧なバランス」で配置されています。当時の名もない職人たちの美意識や感性、それを実際にかたちにした技は本当にすばらしいと住職は語ります。

「一念寺へはじめて来て、前の住職と話した時も、今座っているこの場所でした。この位置から見た阿弥陀様や内陣が本当にすばらしく、導かれているように感じました」とその時のことは今も鮮明です。その導きともいえる出会いから2000年に一念寺を受け継ぎ、自身の人生もお寺も新しい歩みを始めました。

仏教と理系が融合した「DIY」のお寺


受け継いだ時の一念寺は、雨漏り、崩れかけた壁、草が伸び放題の庭など大変な状態だったそうです。本堂以外にも中庭や、渡り廊下の先には洗練された意匠の茶室もあり当初の持ち主の文化度の高さを感じます。
釈迦涅槃図、牡丹が描かれた襖絵や板戸など、何気なくその場にあるものも、美術品・書画骨董と言えるようなものです。おそらく江戸時代後期のものではないかと言われていました。こういった調度品や、木彫の牡丹と格子の欄間もみごとです。
一念寺の涅槃図一念寺の襖絵
日本の美にふれることができるのもお寺の魅力です。「本当は襖もきちんと修復したいのですが、そこまで手が回らなくて」と言っておられましたが、剥がれていた壁はまわりと色を合わせて塗り、雨漏りも自ら修繕し、電気関係や耐震対策も、法律にふれない範囲でみずからやっていると聞いて驚きました。
一念寺の欄間とスピーカー
木彫の牡丹に続く格子の欄間は現代のものですが、牡丹の古色に合わせて色を付けるなど、職人さんの巧みな技とともに美意識が生かされています。また、各部屋の鴨居にスピーカーを取り付け、催しをしている本堂の様子が聞こえるようにしています。楽屋にいてもスピーカーから舞台の進行がわかるのと同じです。そして話の合間に「メーカーはBOSE、ボーズです」とサービス精神満載なコメントもいただきました。

オンライン法要の様子
サイトでは過去のオンライン法要の様子も見られます

また以前通信関係の会社で仕事をしていた経験からネット環境を整え、ホームページで「ひとこと法話」「御門徒様 連絡用ページ」「趣味のページ」など情報発信しています。趣味のページは、浄土真宗の実践活動に関する「真宗学の部屋」、故障が出たタブレットを修復する「改造日記」とマニアックとも言える濃い内容です。「真宗学の部屋」は、宗教者の実践的な社会福祉活動について書かれ、現代社会にも共通する示唆に富んだ内容です。「改造日記」はその分野が好きな人にはとても興味深いのではないかと思います。
一念寺
お寺は会場としてだれでも気軽に低料金で使えるようになっています。住職は、催しは必ず撮影をして、次の時にはその画像を見て必要な状態に整えておいてあげるそうです。「出演者は、傷つけたらいけないとか準備にも、いろいろ気を使ってしまいますが、私ならここへ釘を打とうとかできますから」という心遣いです。「DIYの寺なんですよ」と笑って話されました。副住職を務める奥様の真澄さんと一緒に日々みなさんをお迎えし、奮闘しています。

門前町の地元の大切な拠点


以前、屋根にのぼって修理しているところを門徒さんが見かけて「住職さん、そんなとこのぼって危ないですよ」と驚いて声をかけてくれたそうです。ほのぼのとした間柄がうかがえます。一念寺を受け継いだ時、25匹いた猫の貰い手探しに奔走し、そんなつながりから「犬、猫との出会い」の譲渡会も行っていて、普段地元の人と話す機会がなかなかないマンションに住んでいる人も「ねこちゃん見に来たよ」と交流することができました。また、芸術文化や様々な分野にもお寺を活用されています。
一念寺は門徒さんを「メンバー」と呼んでいます。これはだれでも自由にお寺へ来て、人と会い、話をして楽しく過ごし、そこからまた人と人がつながっていくという思いからです。住職は「建物が持っている力、空間の持つ力」と表現します。
一念寺の谷治住職
若い人もここへ来ると悩みや思っていることを話せる、心が解き放たれる場に感じています。「空」という考え方はこだわりや、ねばならないという思いから解放されることと語ります。それは「自分はどう生きたいか」考え守るために大切なことです。お坊さんは、そういう人々の話を聞く役割を果たせると考えています。「仏教が培ってきた2500年の教えは今こそ生かすことができます」と続けました。お寺に人が集まることでお寺は若返り、今住んでいるまちにとって何が必要かをあきらかにして、みんなで共有することが大切です。お寺はそういった点で、ハブ的な役割を果たせる地域の拠点だと考えています。地域の課題を地域で解決していくことは、これからますます大切になります。
正面通
一念寺の隣の歴史ある番組小学校はホテルの建設が計画され、地域の運動会もできなくなっています。長引くコロナの影響でお祭りの中止も続いています。そのような状況のなかで社会の変化に対応しながら、京都の歴史に学び、その良さを生かしながら住む地域づくりに果たすお寺の役割はますます重要になると感じました。帰り道、本願寺にまっすぐつながる「正面通」界隈を歩くと、法衣や仏具、数珠を商う店や旅館があり、門前町の面影を残しています。暮らしと生業が今も成り立つまちであってほしいと願いました。

 

一念寺
京都市下京区東中筋通花屋町下ル柳町324

築94年の町家 お茶を商い百余年

京都府内のお茶どころでは、茶摘みが終わり、今は加工製造や茶畑の手入れと引き続き忙しい日々が続いていす。「新茶入荷」のぼりや鮮やかな墨文字の張り紙に、もうそんな季節になったと気づかされます。

上京区に、つつましく端正なたたずまいのお店があります。創業から100年を優に超えてお茶を商うでお店です。建物も茶壷や棚も引き継ぎ、母娘で「清水昇栄堂」を守っています。
代表の清水和枝さん、娘さんの内藤幸子さんのお話は、静かで優しい語り口のなかに、京都のまちなかで商いを続け、家を守ってきた家族だからこその内容で、引き込まれずにはいられませんでした。

93歳、現役で店を切り盛り

清水昇栄堂
清水昇栄堂は創業時は別の地に店舗があり、94年前に現在の町家が建てられ、移転されたそうです。「父方のおばが生まれた年に建てられたそうなので、この家とおばは今年94歳の同い年です」一世紀近い築年数の伝統的な京町家も、こんなふうに語られると、重々しさより、家も家族のようなほほえましさを感じます。
清水昇栄堂
店内へ入ると急須、湯飲み、お茶缶、抹茶茶碗、茶せん等々、お茶に必要なものがすべて揃っています。なつかしさを感じる急須もありました。おばあさんがいるお家にはたいてい「萬古焼(ばんこやき)」の急須がありました。うわぐすりをかけてない、少し紫をおびた薄茶色あるいは薄墨色のような地肌をしています。三重県で生産され、丈夫なことと土に含まれている成分によって渋みが抑えられるのが特徴ということです。また鮮やかな朱色の急須は「常滑焼」です。
愛知県の常滑で作られていて、こちらも、うわぐすりをかけない焼き方で、陶土にお茶の雑味などが吸収されて、まろやかでおいしいお茶が飲めるのだそうです。

急須のそそぎ口にビニール製の保護キャップがかぶせてありますが、これは「持って帰らはる時や送る時に欠けないようにするためのものなので、使う時ははずします」と言われました。使う時に欠けないように保護のために付けてあると思っている人も多いようです。次々とお聞きするうちに、母親の清水昇栄堂代表の和枝さんも話に加わってくださいました。

清水昇栄堂代表の清水和枝さん
清水昇栄堂代表の清水和枝さん

「私は93歳。21歳でこの家へ嫁いで、その時からやから、もう72年もお茶を売ってます」と話す笑顔がすてきです。「お茶は日本全国たくさん産地があるけれど、うちは宇治茶だけを扱かってます。お茶も急須もみんな長く取引きしているところばかりです」と、ぶれることなくお店を続けてきた人の重みを感じる言葉です。ご主人は「お茶は斜陽産業やから」と言って、幸子さんに跡を継いでほしいとは言わなかったそうです。しかし早くに亡くなられ、和枝さん一人でがんばっていましたが、幸子さんもやがて通いで手伝うようになったということです。平坦なことばかりではない年月も過ごされてきました。幸子さんも「母は本当にしっかりしています。私が近所へ買い物に行っている間は一人で店を見てくれています」と感心の面持ちで話すのが、母娘の細やかな気持ちの通い合いが感じられて、こちらもあたたかい気持ちになりました。
二人がかもしだすやさしい、おだやかな雰囲気がお客さんにも伝わっているのだと感じました。

昔の道具博物館のようです

清水昇栄堂

清水昇栄堂
「茶 清水」の文字が見えます

仕事に使う道具の類はさておき、よくきれいに残してあったと感心する歴史の証しもあります。見せていただいたのは、出町枡形と下鴨までの範囲の120軒のお店が一同に並んだ昔のチラシです。「明治廿七年十月改正」と記されているので初版はもっと前ということになります。昇栄堂にはチラシとして配布された和紙に印刷されたものが額に入れられ保存状態もよく残されています。
非常に興味深かったのは「支度、走り、棒、かもじ」などというお店があることです。棒は担ぐための棒、支度は特別な衣装に着付け、走りは文字のごとくひとっ走りものを運ぶ仕事ではと、お二人は推測していました。
昭和の終わり頃に復刻印刷されたものも見せていただきました。昇栄堂と黒々と書かれた名前があります。今も残っているのは3軒だけです。前述したようなお店は暮らしそのものが大きく変化し、当然消えゆくところもあるわけですが、昇栄堂がそのなかで建物だけではなく、家業も息をつないでいることは、本当にすごいことと改めて感じました。

清水昇栄堂
箕を手にした内藤幸子さん。後ろには年季の入った茶壷や茶箱が見えます。

お店の造りはもうめずらしくなった「座売り」の形式です。そしてまた重ねてすごいのは、大きな茶壷や茶箱、棚や引き出しもすべて今も使われていることです。和枝さんは「お茶は熱と湿気に弱いので、茶壷の中にさらに容器がある二重式になっていて、気温を25度以下に保つために前は「室(むろ)」へ入れました。生鮮食料品と同じです」と話されました。
またふるいや和紙を張った箕は、お茶の葉にまじった細かい粉を落とす時に使うそうです。おもりをつけて量るはかりも狂いはないそうです。少なくなったとは言え「お茶は急須でいれる」お客さんとも、長いお付き合いがあります。きちんとした仕事で細く、長く、という京都の商いの原点をみた思いがしました。

元気にやれるうちはがんばります

今も残る史跡、大原口道標
江戸時代、寺町今出川は大原口とよばれ今も道標が残っています。

お店のある寺町今出川付近は、昔は大原へ続く「大原道」の交通の要衝でもあり大いににぎわった地域でした。今も出町枡形商店街と鯖街道の縁をつなぐ企画など、地域あげてがんばっている魅力のある商店街です。
この京のさんぽ道でご紹介しました「いのしし肉の改進亭」も昇栄堂のすぐ近くです。すでに商売はたたんでいますが「傘」の看板が今も残る商家「貸布団」の看板、営業を続けられている理髪店など暮らしを支えてきた街道筋の商店の面影を残しています。

元傘屋さんの町家
元傘屋さんの町家

清水さん母娘は「もう、次の世代に継がせるのは無理ですね。お茶を飲む人も本当に少なくなりましたし。私たちにしても暮らし方はいろいろ変わりましたから、これまでと同じようにはいきません」と明るく仕舞う時の来ることを心に置いています。はたから見て「もったいない。なんとか続けられないのかな」「だれか受け継いでくれる人が出てこないかな」などと簡単に口に出せないことだと思いました。
でも、いつも飲んでいるお茶を指定して訪れるお客さんも何人もいて「ここがあってよかった」と喜ばれています。続けてほしいと思う人がいることは励ましになっています。
清水昇栄堂
建物や景観と生業は京都の重要な課題であると思います。当事者でなくても、それを何らかの形で享受してきた私たち一般市民はどう考え、何かできることがあるのか。これからも考えていきたいと思います。
惜しくもなくなる生業や建物があっても、それまでつないできた仕事や家族の様子を、この京のさんぽ道という、小さなブログの領域であっても大切に描き続けていこうと思いました。

 

清水昇栄堂
京都市上京区寺町今出川上る表町37
定休日 日曜、祝日

長岡京の都の夢を つなぐ旧家

京都府の西南部、向日市は住宅地と竹林や田畑のなかに、1200年前の長岡京の都の跡を示す石碑や公園が点在しています。塀をめぐらせ、門を構えた格式ある「旧上田家住宅」も長岡京の跡に建てられています。
2016年、国の登録有形文化財に登録され、昨年11月に一般公開が始まりました。りっぱな床を設えた座敷やおくどさんのある土間、内蔵、外蔵もある伝統的な形式を受け継いだ農家住宅としての見どころとともに、1200年前の歴史の地層の上にいることをイメージできる、他にはない文化施設となっています。

長岡京の都と上田家住宅が刻んだ時

旧上田家住宅旧上田家住宅
旧上田家住宅は明治43年(1910)に、建築され、昭和17年(1942)旧国鉄による、戦地への輸送強化のための通称「弾丸列車」という新線計画によって現在の場所、長岡京跡に移転されました。今も建物の内外に遺跡の一部「築地回廊」の柱や雨落ち溝などの位置を示す表示があります。
今立っている場所が1200年前とつながっているような、どきどきする感覚を覚えました。同時に、移転した経緯や移転先が長岡京の歴史を物語る地であったことに、交錯する歴史を感じます。
旧上田家住宅
敷地の東側には農機具の収納や米蔵として使われた「外蔵」が、主屋脇には野菜を貯蔵した室(むろ)があり、大農家の営みがうかがえます。
主屋に入ると、長岡京の宮と参内する人々を描いた襖がはるかな時代へ誘ってくれます。桓武天皇によって長岡京が造営された時、大極殿の西にあった「西宮」は、6か月という最速の日数で建てられたそうです。遷都の理由の一つとなった大和の寺院や一部の貴族などの勢力に気付かれず、極秘のうちに建設を進める必要があったからです。
背割堤
また、川の少ない大和に比べ、長岡は桂川、宇治川、木津川の三川合流地点にあり、長岡へ入ってからは小畑川があって船運の好条件がそろっていたことがあります。それは平城京で使った木材をそのまま長岡京で再利用するために船が使えることはとても好都合だったのです。「長岡京から平安京へ移った時もまた再利用されました。この時代はとてもエコだったのです」というガイドさんの説明に同感、納得しました。
また当時はごみは川へ流して処理していましたが、川の少ない大和ではごみがたまって困っていたそうです。奈良時代のごみ問題を聞いて当時の人々に親近感を抱きます。

旧上田家住宅
長岡京を北から見た図にもその近さから川が描かれています

襖の反対側には北から南を向いた長岡京の全体図が描かれています。当時の人口は約5万人、そのうち7~8000人が政府の役人だったそうです。「お役人が多いですね」という感想に「当時は記録一つにしても木簡に手書きですから、一つ一つの仕事にとても手間がかかったのです」という答えにまた、なるほどと思いました。
小畑川の洪水や疫病の蔓延、また桓武天皇の身内の不幸が続くなどわざわいが重なり、10年で平安京遷都となりました。長岡京は「幻の都」とも言われていましたが、その存在をあきらかにしたのは、人生をかけて長岡京の発掘を続けた考古学者、中山修一さんの情熱と不屈の精神のたまものです。
旧上田家住宅内の内蔵ギャラリーには、発掘作業の写真パネルが展示されています。そのパネルには中山修一さんと協力した学生たちの姿も写っています。旧上田家住宅の空間は歴史を今につなぎ、そこにかかわった人々の存在を私たちに伝えています。

ていねいな暮らしの痕跡

旧上田家住宅
旧上田家住宅は平成28年(2016)に所有者の方から向日市に寄贈されました。見学して感じたことは「暮らしが見える」ということです。たき口が6つもあるかまどは、Cの形の構造をしていて一人で火焚き番ができます。大きな鍋釜がかけられた様子に多くの人が働いていた大農家の活気が伝わってきます。
床柱や床板やかまちに、最高の材や熟練の技が駆使され、ガラス戸のゆがみのある古いガラスや、美しくそしてしっかり作られた建具など見どころが多くあります。

旧上田家住宅
障子の下部分には玄関に入って来た人を見ることができるスライド式の建具が

旧上田家住宅旧上田家住宅

昭和の初めに製造された柱時計はまだ正確に時を刻み、手押しポンプからは水がほとばしり、子どもたちに大人気だそうです。水質検査も受け、飲料水として使用できます。足踏みミシンは「SINGER」シンガー社製、多くの家庭にあったミシンでなつかしく思う人も多いようです。製造番号があり1929年に製造されたとわかります。
また庭木やりっぱなつくばいも移転の際に運ばれたもので、優に100年を超えています。きりしまつつじは今年もみごとに真っ赤な花が咲きそろい、離れの庭にある金木製が咲く秋は、あたりは甘い香りに包まれるそうです。
旧上田家住宅
現在のご当主で6代目になられるそうですが、代々のていねいな暮らしぶりが思われる建物です。この空間の心地よさは、建物が住む人とともに刻んできた日々の積み重ねなのだと感じました。

足元に古代、そして旧暦を楽しむ空間

旧上田家住宅
今年旧暦のひな祭りに飾られた、地元の方のちりめん細工

今年四月のはじめ、ちょうど桜が咲いた時期に「旧暦で祝うひな祭り」の催しが行われ、ちりめん細工のつるし雛や大正元年作製のお雛様が飾られ、多くの人が足を運び、うららかな桃の節句を楽しみました。
昔の暦では一月は七草、三月桃、五月端午、七月七夕、九月重陽(菊)と五つの節句がありますが、現在では新暦で行っているため実際の季節感より早めになっています。たとえば桃の節句の今の三月三日はまだ寒く、花も開く前です。その点、旧暦(月遅れで行う場合が多い)は、その季節にぴったり合います。旧上田家住宅では五節句を旧歴でお祝いし、季節の習わしを楽しもうと企画されています。
ちなみに五月「端午の節句」は今月24日から開催予定とのことで、着々と準備が進められています。伝統的な建物にふさわしい催しです。
旧上田家住宅
このほかにも、かまどを使って餅米を蒸してお餅つき、また4部屋ある座敷は講演会や仲間うちの気の置けない集まりにも使用できます。内蔵ギャラリーも作品展が予定されているそうです。今を生きている私たちのみなもとには10年の短い間であっても、平安京に匹敵する都があったことを知り、100年を超えて大切に受け継がれてきたすぐれた文化財の建物を身近に使えるすばらしさを、これからも多くに人に広げてほしいと思います。そして地元のみなさんが誇りとする、ふるさとの文化資産を共同して今に生かす活動に期待がふくらみます。

 

国登録有形文化財 旧上田家住宅
京都府向日市 鶏冠井町(かいでちょう)64-2
開館 9:30~16:30
休館日 月曜及び毎月1日

「ヨシ焼き」で始まる 伏見の春

マスク越しでも感じる梅の香り、お米粒のような花が二つ、三つ開き始めた雪柳。ずいぶん日も長くなりました。こんな小さなことにも気持ちが弾みます。自然から受け取る春の知らせが日ごとにふえています。
伏見の宇治川河川敷は、関西でも有数なヨシ原の群生地となっていて、面積は35ヘクタール、甲子園の約27個分にもなる広さです。枯れたヨシを刈り取ったあと、3月に入ると春に元気な新芽が出るようにヨシ焼きを行います。広大なヨシ原に燃える火が今年も伏見に春を告げます。

ヨシを生業としヨシとともに歩んだ地域


ヨシは昔から、よしずやすだれ、屋根を葺く素材として使われてきました。ことに伏見向島の宇治川河川敷や、大きな遊水地であった「巨椋池(おぐらいけ)」は良質のヨシ原が広がり、そのヨシを刈り取り生業とする「ヨシ屋」が何軒もあったそうです。伝統建築の寺院や茶室、民家のほか、地元の三栖神社(みすじんじゃ)の祭礼「炬火祭(たいまつまつり)」には、ヨシのみの大きなたいまつを奉賛会のみなさんが調製されるそうです。たいまつは「松明」の文字をあてるように、松をはじめ竹など木を使うことがほとんどで、ヨシはめずらしいようです。このことからも、ヨシとの古くからのつながりがわかります。

山田雅史さん(山城萱葺株式会社サイトより)

しかし、よしずは安価な中国産に押され、暮らし方の変化などから伝統構法の建築も減少するなどして、ヨシが利用されることも少なくなっていきました。多くの人がかかわっていた「ヨシ屋」も、ついに一軒だけになってしまいました。唯一、京都でヨシを扱い、茅葺屋根工事も行っているのが「山城萱葺株式会社」です。
代表の山田雅史さんは、ヨシ屋の五代目として家業を継いだのですが、その当時すでにヨシのお得意さんである屋根葺職人さんは急減し、少ない職人さんも高齢化していました。そこで「使う側の人」になることを決心して、修業をし、自ら屋根葺職人になったのでした。
今では全国の民家の屋根葺や文化財の修復、また「美しい萱葺屋根をもっと身近に」と新しい事業も展開されています。
そして「ヨシ原を守る」ことを重要な事業として掲げ「伏見のヨシ原、再発見プロジェクト」の事務局を会社内に置き、地元企業として地域の力になっています。

実際にヨシ焼きを目にした時

伏見のヨシ焼
今年のヨシ焼きは3月7日から26日までのあいだの、風の弱い安全な日に5日間ほど、早朝5時30分から10時頃までと予定されています。実際にヨシ焼きの現場へ行き、燃え盛る火を目の前にすると、なぜか胸にこみあげるものがありました。神聖で、あたたかく明るい火。普段、火の用心くらいは思っても、深く感じることもないけれど、広いヨシ原で見た火は落ち着いて振り返ることも大切であると気づかせてくれた気がしました。
帯状に燃やして、ちょうどグラウンドに白線を引くような感じで、焼く区域の区切りをつけたり、ヨシの束をかついで、風向きに細心の注意を払いながら進めていく作業の大変さをつくづく感じました。「春の風物詩などと、のんきに見ているものではないと思いました」いう私の言葉に山田さんは「のんきに見てくれたらいいんですよ。火事にまちがえられて通報されるよりずっといいですよ」と笑いました。
伏見のヨシ焼
以前、煙りが道路に充満して通行止めになってしまったこともあったそうで、ヨシが湿っていると煙りが出るので、よく乾かすなど、とても細やかに厳しいチェックをされています。ヨシ原は、すこやかなヨシを育てることと同時に、動植物のすみかとしてもとても大切です。小さな生き物にとっての35ヘクタールの楽園は、毎年このようにして守られているということが実感できました。
伏見のヨシ
刈り取った3~4メートルもあるヨシが、空に向かって円錐形に束ねられてあります。中へ入れるヨシの「かまくら」版のようにも見えてきます。耕された田んぼや畑にも感じることが、農家の人や職人さんの仕事の美しさです。このヨシの塔も、ヨシ原の景観の重要な要素になっています。このような束ね方も継承されて来たし、これからもそうして、一つ一つ継承されていくことに感慨を覚えました。

地元の文化・自然の資産をみんなでつなぐ

めじろ
この大切なヨシ焼きですが、産廃規制法にふれる可能性があるということで中断されたことがありました。それを知った地元のさまざまな団体・個人が集まり、シンポジウムを開くなどして「地域みんなで考える」ことに取り組み、1年後には「伏見のヨシ原、再発見プロジェクト」が発足するという迅速な動きで次の年には行政にもかけあい「ヨシ焼きスタート」が実現しました。以後、行政とも協調体制ができ、市民参加の恒例行事として定着しています。
つばめ
子どもたちにヨシ原の大切さ、自然のおもしろさを伝えたいと、25000~35000羽もやって来る西日本有数のツバメのねぐらでもあることから「ツバメの観察会」も毎年行っています。このような、地元のみなさんによる地道な活動の積み重ねに、とても希望を感じました。
山城萱葺株式会社の山田社長さんは「京都建築専門学校」の卒業生で、今も学校へ行って後輩の指導をされていると聞き、この京のさんぽ道でも取材させていただいた学校と佐野校長先生につながるご縁がありました。
伏見のヨシ
ウグイスの初音や、名前は知らねど、とてもきれいなさえずりも聞くことができました。枯れ草のあいだから小さな緑の芽が出ています。堤防の道を歩く人の足取りも何となく軽やかに思えます。今回のヨシ焼きの見学は、自然の営みとその環境を守るために日々かかわっているみなさんの活動の重みを感じました。伏見向島のヨシ原の自然は多くのことを告げてくれます。ヨシ原が緑の色におおわれ、何万羽というツバメがネグラへかえってくる夏にまた訪ねたいと思います。

 

山城萱葺株式会社(「伏見のヨシ原,再発見!」プロジェクト事務局)
城陽市寺田中大小100番地

人と産地と 一杯のコーヒー

京都は喫茶店の多いまちです。昭和の老舗喫茶店が健在な一方で今、20~30代の経営者によるコーヒー専門店も注目され、京都の喫茶店文化に新しい風が吹いています。今年7月2日、京都駅に隣接するキャンパスプラザ京都1階に店舗をオープンした「コヨーテ」は、中米のエルサルバドルの生産者から直接コーヒー豆を買い付け、コーヒーが育った土地や、農園で働く人々の姿や思いも一緒に届け、双方の未来へとつなげるコーヒーブランドです。エルサルバドルのコーヒー農園で、一緒に仕事をして信頼関係を築き、生産者と消費者の間に立つ存在でありたいと、この事業を立ち上げた、バイヤーでもある門川雄輔さんも現在29歳です。

意志を込めた「コヨーテ」の名

コーヒーチェリー
コーヒーチェリー

もともとコーヒー好きだった門川さんでしたが、大学生の時にバックパッカーとして中南米を旅するなかで、コーヒー農園で収穫を手伝う機会がありました。そこで、豆はチェリーと呼ばれるさくらんぼのような美しい赤い実であること、収穫は想像以上に重労働であり、コーヒー栽培には多くの人の手がかかっていることを知りました。この時「農作物」としてのコーヒーを実感した体験がその後の「コーヒーを仕事にする」選択のみなもとになりました。コーヒーの魅力をより深く感じるようになり、卒業後はコーヒー製造会社へ就職しました。JCTC(ジャパン・カップテイスターズ・チャンピオンシップ)という、コーヒーの専門家がしのぎを削る「カッピング」の競技大会で決勝に進むほど、技術や知識を深めました。しかし、門川さんが描いていた、コーヒーそのものや、生産者とつながる仕事に直接関わる部署の担当にはならず、悶々とした思いを抱いていたそうです。
COYOTE外観
その時、JICA(ジャイカ)青年海外協力隊の「エルサルバドルでのコーヒー農園支援」の募集を知り、コーヒーの生産について現地で学ぼうと決心し、退職した後2018年に、エルサルバドルへと飛び立ち、農園でマーケティングの仕事をし、経験を積みました。「農作物であるコーヒーは、天候など様々な要因で、毎年まったく同じように品質の良いものを生産することは不可能です。それでも生産者は、良いコーヒーを作るために努力を惜しまず励んでいます。その年の品質だけで判断するのではなく、長期にわたって努力している、信頼できる生産者のコーヒーを買い付けています」と、門川さんはコヨーテの生産者との関係の明確な指針を語ってくれました。
ちなみに「コヨーテ」とは、コーヒー売買の中間業者(搾取する)のことなのだそうです。新規事業に、皮肉な攻めた言い回しとして、名付けたところにも並々ならぬ思いが受け取れます。
一杯のコーヒーに、どれだけ豊かな自然と人の営みがあるかを知り、そこをイメージして味わえば、コーヒーとの関係も、もっと楽しくなると感じました。

内装はワークショップの「共同作品」

カッピング
開店前の重要な仕事が、コーヒーの風味や香り、焙煎の適切さなどを確かめる「カッピング」です。ワインのテイスティングとよく似ています。集中した厳しい空気がこちらにも伝わって来ます。いくつも並んだカップを前に「この香りはいいね」「ローストはどう」などやり取りをして「これで良し」となると、お店で提供するコーヒーになります。
コヨーテでは、生産から流通まできちんと管理され、独自の風味を持つ「スペシャルティコーヒー」と、農園や生産者、品種など細かく分類された単一のコーヒー「シングルオリジン」を扱っています。運ばれてきたコーヒーには、産地の物語、そのコーヒーの個性について記された心のこもったカードが添えられています。シングルオリジンには生産者の直筆サインが入り特徴が、深く豊かな言葉でつづられています。
この日、門川さんが選んでくれたコーヒーには、生産者アントニオさんのサインのあるカードが添えられ「オレンジの花のような爽やかさ、グァバのようなフレッシュな酸と軽やかな甘みが印象的」と記されていました。
COYOTEのコーヒーコヨーテのシングルブレンド
オスカルさんのコーヒーのカードには門川さんとのやり取りが綴られています。オスカルさんは、門川さんをカディート(スペイン語で子猫の意味)と呼び、元気かいと笑顔で迎えています。親しい間柄がわかります。人柄とエルサルバドルの農園を想像しながら飲むコーヒーは、それはもう最高のおいしさです。
コーヒーもワインのように、時間によって味の変化を楽しむことができることを知りました。本当によいコーヒーは、冷めると飲みこんだ後に、脂肪分のとろっとした感じを味わえるのです。コーヒーには、まだまだ新な発見と魅力が尽きません。
COYOTEの店内コヨーテの寄木テーブル
ゆっくりした気分に沿ってくれるような内装もとても良い雰囲気です。これは工務店さんが取りまとめ役になり、20名ほどで取り組んだワークショップの内装と聞き、それも新鮮な驚きでした。キャンパスプラザの一画である場の性格を生かした、つくり過ぎないけれどきちんと仕事がされていて、みんなで楽しく作業した空気感があらわれています。寄木細工のような味のあるテーブルもワークショップの作品です。

COYOTEの藍染ののれん
コーヒーチェリーを咥えた、まさに「コヨーテ」なのれんです。

多治見焼のドリッパー
入り口の印象的な藍染ののれんは、スタッフさんが型もつくり、染めまでやったと聞き、驚きの連続です。「ものをつくることがすきなので、楽しくやりました。ここは西日がきついので、藍の色がいい具合に落ちついてきました」と話してくれました。
くち当たりが良く、手に収まりやすいカップは福井県の窯のもの、ドリッパーは多治見焼と聞きました。エルサルバドルのコーヒーに、日本のものづくり産地の手仕事も参加して、空間をかたちづくる要素になっています。人も内装もモノも「寄り合う」おもしろさにあふれています。

京都とコーヒーの新しい発信の場

コヨーテのカフェラテ
朝のカッピングが終わり、開店時刻になりました。緊張感のある雰囲気だったみんなの顔がぱっと笑顔になりました。常連のお客さんのようです。「おはようございます」のあいさつを交わし、香り高い一杯のコーヒーで一日が始まれば「今日もいい日になりそう」と思えることでしょう。スタッフのみなさんの楽しく働いている様子が生き生きとして明るい店内の雰囲気をつくっています。
またコヨーテはヴィーガンに対応しています。ヴィーガンは肉、魚のほか卵。乳製品、はちみつなど動物性由来の食材を使わない食生活です。コヨーテには仲間が作る焼き菓子も置いてありますが、完全に植物由来の原材料で作られています。カフェラテも牛乳を使わず、オーツミルクを使用しています。それぞれを味わってみて、バターや卵を使ってなくてもコクがあり、ほのかでありながら甘みもしっかりあり、本当においしいと感じました。
ヴィーガンについて「特別なもの」と思っている人が大多数だと思います。しかし実際に食べて飲んでみて「ヴィーガンは、だれにとっても体によく、作物本来の滋味を味わえるもの」と実感しました。ヴィーガンやアレルギーのある人も、だれもが安心してコーヒーやお菓子を楽しめるお店として、この点でもコヨーテが牽引していくのではないかと感じました。

門川さんは「コーヒーは職人気質の気難しい世界と思われていますが、まずは居心地のいい空間だな、コーヒーがおいしいなと思ってもらい、そこから段々深くコーヒーの話になった時、おっ、けっこうよく知ってるやんとなる。そして一杯のコーヒーから生まれる、どこでできた豆だろうという思いにつながっていけばうれしいなと思います」と語りました。
他府県からのコーヒー好きのお客さんも多く、門川さんやスタッフがすきな喫茶店やごはん屋さんを紹介することもあるそうです。場所は京都駅に隣接する京都の玄関口です。コヨーテが思う京都、コーヒーの物語についての発信を多くの人が受け止めていくことでしょう。そんな新しい京都の入り口になってほしいと願っています。そして門川さんが描く「エルサルバドルのコーヒーをもっと、もっとたくさん買いたい」という構想も、実現にむかって進んでいくと感じました。

 

COYOTE the ordinary shop
京都市下京区東塩小路町939 キャンパスプラザ京都1階
営業時間 7:00〜19:00
定休日 毎週月曜日(祝日の場合は営業)

ドロップ缶のように 楽しむ喫茶店

嵐電の路面電車がゆるゆる走る通りから、少し脇へ行ったところに「入ってみたい」と引き付けられる喫茶店があります。店内はヴィンテージのアクセサリーや雑貨が風景のように配置され、独特の世界観をつくり出しています。古き良き時代のきらめきにあふれながら、始めて入っても、よそよそしさを感じさせない心やすさがあります。
おいしいコーヒーと、年代を経たかわいくておしゃれで美しいものの心地よさにふれ、楽しんでもらいたいという経営するお二人の思いが、すみずみまでいきわたっています。
「入ってみたい」が「また行きたい」になるこのお店は「喫茶とヴィンテージ雑貨 サイドロップ」です。

サイドロップ時間を楽しむ

サイドロップス外観
看板を見た時、古き良き時代のアメリカの雰囲気を感じた「サイドロップ」の名前。地名であり嵐電と阪急の駅の名前「西院(さいいん)のさい」と「いろいろな味をつめ込んだドロップ缶のようなお店にしたい」という思いを合わせたと聞き、そのユーモアのあるセンスに拍手する思いでした。
「カタカナは古びないし、簡単に読めるでしょ。そうやって親しんでもらって地域のみんなの憩いの場にしたいと思ったから」と、名付け親のケイコさんは由来を話してくれました。
サイドロップスの看板猫、あめちゃん
開店して今年で9年を迎え、おいしいコーヒーとなじみのある軽食と喫茶メニューで、この地域の得難い喫茶店として月日を重ねています。
開店した年に生後3か月で家族に迎えた男の子ねこの名前も「ドロップは飴だからアメちゃんにしよう。子どもにも覚えてもらいやすいし」と決まりました。アメちゃんはお店へ出れば大人気ですが、テーブルの上へ乗らず、食べ物に手を出さず、お客さんを威嚇せずと、お行儀は完璧です。カメラ目線で撮影にも応じ、取材は何回も受けています。外へは出ませんが、表を通る人や鳩を眺めるのがだいすきで、子ども達にもかわいがられています。
アメちゃんはサイドロップの優秀なスタッフとしての自覚を持ってみんなと接しているのです。でもアメちゃんの出勤はアメちゃんに任せていますので、残念ながら会えないこともあります。その時は次の出会いを楽しみにします。
サイドロップスの店内
ケイコさんとヒロコさんの二人が大切にしていることは、何よりもお客さんにおいしいコーヒーと食事をゆっくり楽しんでもらうことです。サイドロップの居心地のよさは、こうしたお二人のきちんとした考えや毎日の仕事にあると思います。でも、それを当たり前のこととしてことさら強調したり表に出したりしないからこそ感じる、ゆとりなのだと思います。今日もお客さんそれぞれの、自由なサイドロップの時間が流れています。

ヴィンテージで統一された空間

サイドロップスのディスプレイ
サイドロップの大きな特徴は喫茶店であると同時に「道具商」の申請許可を受けて、古い道具やアクセサリー、服飾・雑貨も販売していることです。店内の一段上がったスペースには3つの異なる雰囲気の席と、ため息のでるようなすばらしいヴィンテージのアクセサリーや雑貨がところを得て、静かに輝きを放っています。それぞれのコーナーは独立していながら統一感があり、また不思議と親しい感じをかもし出しています。
サイドロップスの雑貨
仕入れやディスプレーはケイコさん、アクセサリーや洋服、小物のコーディネートはヒロコさんが担当しています。並んでいるアイテムは幅広く、洋の東西にかかわらず「すきなもの、気持ちにかなうもの」を連れて帰って来たような印象で、最初からそこにあったかのようにおさまっています。
そして配置は常に少しずつ変わっています。コロナが続き、商品が入らない状況が続くなか「少ないアイテムで、いかにすてきに新鮮な空間をつくるかがポイント」とケイコさんは語ります。
サイドロップスの帯留
日本の職人技と美意識にほれぼれする帯留め、フランスの繊細なレース、オードリー・ヘプバーンの映画を思い浮かべるアメリカのアクセサリー、雰囲気のあるグラス、日本の洋食器の草分けオールド・ノリタケのカップ&ソーサ―等々、見ているだけでも心が満たされます。若い女性のお客さんが多く「今は買えへんけど、すてきなアクセサリーを見ていると気分が晴れる」「ここで買ったアクセサリーはとても気に入っていて、気持ちが落ち着く。お守りみたいに毎日つけている」と言ってくれる人など様々です。ヒロコさんは「みなさん、このディスプレーを風景として楽しんでくれている」と感じています。
サイドロップのパフェ
コーヒーカップやグラス、ケーキ皿などお店で使っている食器はすべてヴィンテージものです。実際に使って、その良さを知ってほしいと思うし、このサイドロップのお店の雰囲気に合う食器は自然とヴィンテージになったそうです。
「本わさびとクリームチーのスパゲティ」は年代物のノリタケのスープ皿が使われていました。パフェは種類によってグラスを変えているそうです。それも楽しみになります。サイドロップには、あこがれや夢、暮らしを楽しむヒントが詰まっています。

純喫茶サイドロップ末永く

サイドロップス店内
サイドロップのコーヒーは専門店から特別にオリジナルをブレンドしたもらった豆を使い、ていねいに淹れています。お店の外観や店内の雰囲気から「おしゃれ系のカフェ」と思って入ったお客さんから「コーヒーがおいしい店とは思わなかったので、びっくりした」と言われることがあるそうです。
サイドロップスの店内
今「昭和」「純喫茶」が若い世代、ことに女性に注目されています。「おばあちゃんやおかあさんが着ていた洋服はすごくおしゃれ」と昭和ファッションを新鮮に感じて楽しんでいる人も多く、古着屋さんにも若い人が集まっています。
サイドロップでは、すべて厳しく選ばれた状態のよいもののみを置いています。形が洗いにくい食器など、古いものは形や素材など扱いに気をつけないとならないけれど「その不便さを楽しむ」ということもあると話されました。
ケイコさんもヒロコさんも喫茶店や道具商の経験がなかったけれど、今までやったことのない新しいことをやりたいと、サイドロップを始めたというのですから驚きです。それが実現したのは「やりたいと思う執念」と答えました。その執念がつくり出した空間に、ご近所さん、静かに本を読みたい人、仕事帰りの常連さん、甘いもの好きの男性、今後喫茶店や古くてよいものの支え手となる力強い層、若い女性など多様な人々がやって来ます。
嵐電の踏切の信号の音、近所の銭湯、身近なまちにふさわしい喫茶店サイドロップ末永くと願っています。

 

サイドロップ
京都市中京区壬生西土居ノ内町22
営業時間 10:00~20:00
定休日 毎週火曜日、第1日曜日

ついでの寄り道も 奥深い

京都は歩いて出会える楽しみの多いまちです。用事が早く終わり、次の予定までぽっかりあいた時間に寄り道をしてみました。
前から一度行ってみたいと思っていた博物館、久しぶりに訪ねた和菓子屋さん、ひっそりとたたずむ由緒ある神社。歩いて5分の間に出会える奥深く、そして親しみも感じる京都です。
夏休みのイベントや帰省などがかなわず、気持ちの晴れない夏を過ごした方も多かったことと思います。残暑は厳しいながらも、吹く風や雲の様子に秋の気配を感じる今日この頃、今回は「寄り道のすすめ」です。

烏丸の天神さん学問と丑と名水

地下鉄丸太町駅
右側に洋館大丸ヴィラの門が続いています。

出向いたのは烏丸丸太町。市営地下鉄烏丸駅の出入り口は時代を経たレンガが門構えのように積まれています。レンガ塀が続き、その中には鬱蒼とした木立と洋館が見えます。日本に多くの名建築を残したヴォーリズが設計した洋館、大丸ヴィラです。公開はされていませんが、向かい側の広大な京都御苑とも調和したすばらしい景観をなしています。
ほどなく、今年の干支、丑の大きな絵馬と鳥居があります。菅原道真公生誕の地「菅原院天満宮神社」です。地元では親しく「烏丸の天神さん」と呼ばれています。
道真公の先祖三代もお住まいになった場所という由緒ある神社です。
菅原院天満宮神社鳥居
天満院には、道真公がうぶ湯に使われた井戸が今も残り、千百余年前と変わらず清らかな水が湧き出ています。井戸の枠石も当時のままということです。井戸の水を汲みに来る人も多く、給水場が整備されています。水汲みに訪れた方に聞くと「この水で炊いた米は美味しいです。お茶やコーヒーもまるみのある味になります」ということでした。ひと口頂くと、やわらな「水の味」が感じられ、汗だくの身に涼を呼んでくれました。
菅原院天満宮神社 御産湯の井
さて、天神さんと言えば牛がお守りしていますが、その由来についても記されています。道真公は丑年生まれであること、左遷され大宰府へ向かう途中に襲われた時、松原から丑が飛び出して来て道真公を守ったこと、自分の亡骸は牛車が進むままに埋葬後を決めるよう遺言したと伝えられています。社務所で授与品の「貝合わせ」を頂きました。平安時代の雅な遊びの貝合わせは願い事がかなうという意味もあるそうです。大小三つの貝が美しい古布を使って丁寧に作られた心のこもったお守りです。菅原院天満神社は、古い由緒を誇りながらも親しみとやさしさを感じる「烏丸の天神さん」です。

石のふしぎがいっぱいの博物館

聖アグネス教会
菅原院天満宮神社と隣り合って平安女学院の礼拝堂でもある、重厚なレンガ造りの聖アグネス教会が建っています。本当に歩いて楽しい見応えのある界隈です。
次は前から一度行ってみたいと思っていた「石ふしぎ博物館 益富地学会館」へ行きました。閑静な住宅街にあるこじんまりした建物は、国内外にその存在を知られる、鉱物、化石、岩石研究の聖地です。正倉院の薬物や石製の御物の調査も担当された薬学博士の益富寿之先生により昭和48(1973)年に創設され、以来研究者や一般の鉱物や化石マニアが降りにふれ訪れる地学の殿堂として運営を続けられています。
石ふしぎ博物館 公益財団法人 益富地学会館
見学した日は夏休みの最終週でしたが、次々と家族連れの見学者が訪れていました。夏休み自由研究のお手伝いとして、集めた石の名前を調べ、標本にするための指導もされていました。
3階は大迫力の展示室です。大変な点数の種類も様々な標本が整然と展示され、訪れた日はベテランの鉱物鑑定士の方に、とてもていねいにわかりやすい説明をしていただきました。黒い石の中にきれいな形で残るアンモナイト、大きな水晶の山のきらめき、恐竜の爪等々。「石も人も元素から成り立っています。ここにある石は1万年、2万年前の石です。それが今、目の前にこういう形で残っているのは、いくつもの奇跡が重なっているのです。途方もない年月を経てきた石には心があります。石にも心があるのです」と伺いました。
理論的な理解はおぼつかなくても、その宇宙的な石のふしぎに引き込まれました。夏の終わりの「おとなの自由研究」のような体験でした。
黒水晶
1階には、鉱物見本や関連の書籍の他に「ルーペ、ハンマー」といった石のフィールドワークの必需品も販売しています。他の美術館や博物館のいわゆる「ミュージアムショップ」とはひと味ちがう「石のお店」です。
益富地学会館ではこれまで木津川や桂川で石の観察、採集を行いその成果を「木津川の石」「桂川の石」という冊子にまとめています。川や道端など身近なところに目を向けてみれば、いつもの散歩コースでおもしろい石が見つかるかもしれません。
去年今年と、コロナウィルス対策のため例年のような観察会などのイベントがあまり実施できなかったとそうですが、9月には和歌山県での海岸での石観察会、10月9日~11日は左京区のみやこめっせで大規模な「石のふしぎ大発見展」が行われます。益富博士の志を受け継ぎ、地学への関心や理解、その研究を続ける石ふしぎ博物館は「科学・学術の都」京都です。

多くの人が喜んだ州浜の復活

すはま屋外観
寄り道の最後は和菓子屋さんです。5年前に惜しまれつつ閉店した創業350年の老舗「植村義次」のお菓子、州浜が復活し、気軽に飲み物も一緒に楽しめるお店になりました。元の場所に以前と同じたたずまいのお店を見た時は、常連でもありませんが本当にうれしく思いました。
すはま屋の棹物
州浜は大豆の粉を水あめと砂糖、水で練り、州浜の形にした棹もののお菓子です。州浜は浜辺の入り組んだ所であり、それをかたどって意匠化され、おめでたい形として家紋や工芸品にあしらわれてきました。植村義次の州浜はお茶席でもよく使われていました。
同じ生地を指でちょっとひねったような、指先くらいの大きさにしたものが「春日乃豆」です。
お菓子のみならず、店舗も再びよみがえらせたのは、弱冠20代はじめの女性です。一人でお菓子をつくりお店も一人で切盛りしています。どんなパワフルな方かと思いますが、そんな大変さは微塵も感じさせない、もの静かでたおやかな雰囲気の方です。
外観や内部も「使えるものはできる限り生かしたいと思いました」という言葉通り「御州濱司」のすりガラスがはまった戸、天井の梁、お菓子の見本を入れる小さなガラスケースなど、どんなにか、これまでのお店とお菓子、そして植村さんを大切にしているかが伝わって来ます。
すはま屋すはま屋
小さな床の間にとても良い感じの軸が掛けてありました。渋い色あいは店主さんのお父様が集めていたインド更紗とのことでした。
「ああ、前のお店もいつもこの床の間に、感じよく季節の軸やお花があったな」と、懐かしく思い出しました。
テーブルの見事な一枚板は長い間、お家に眠っていたものだそうです。お店にこれまであったものと今回運び入れたものが相まって、新しいすばらしい空間をつくり出しています。

すはま屋の春日乃豆
春日乃豆

お客さんが「春日乃豆を一つお願いします。そうそう、押し物も始めはったとか。予約したら買えますか」と話しています。
「押し物」は十四代の植村さんが考案された、四角な落雁の生地に雨浜の材料で季節感あふれる模様を描き出した「これぞ京都の和菓子」と言えるすばらしいお菓子です。今は青ひょうたんの絵柄です。この押し物の復活にも多くの人が喜んでいます。
すはま屋さんは新聞、雑誌などメディアでも頻繁に紹介されていますが、喧噪のない、本当にゆっくりできるお店です。物音ひとつしない静けさなのですが、堅苦しくないお茶室と言ったらよいでしょうか、そんな空間です。
お菓子を一つ買いに来る、そういうお客さんを大切にまじめなものづくりをする生業と職人のまちが京都なのだと感じました。ちょっと寄り道は、京都の深さと慎しみ、そしてやさしさを改めて教えくれた新鮮なまち歩きでした。

 

石ふしぎ博物館 公益財団法人 益富地学会館
上京区出水通烏丸西入 中出水町394
開館時間 10:00~16:00
展示室公開日 土曜、日曜、祝日

 

すはま屋
中京区丸太町通烏丸西入常真横町193
営業時間 10:00~18:00
定休日 日曜、祝日

京都と世界をむすぶ 京町家

京都の中心部、新町通り界隈は、今も和装関係の企業や伝統的な建築の家も見られる、京都らしいたたずまいを感じる界隈です。そのなかに、目立つ看板などはないものの、通りすがりに、美しい色調や明るく元気な色にあふれた店内が見えます。洋裁指導によって開発途上国の女性を支援する「NPO法人リ・ボーン京都 アンテナショップ三田村」です。
日本の素晴らしい技で染め、織りあげられた、天然素材の着物や帯を全国から寄贈してもらい、ラオスやヨルダン、ルワンダなどの国々の女性たちが仕立てた洋服やバッグ、小物を販売しています。繰り返し訪れる人の多いアンテナショップ三田村の魅力を、販売品と人、そして町家とともにご紹介します。

「甦」のロゴから受け取るメッセージ

NPO法人リ・ボーン京都 アンテナショップ三田村NPO法人リ・ボーン京都 アンテナショップ三田村
アフリカを思わせる鮮やかな色合いと大胆な柄の洋服やバッグ、絹の風合いや着物の色柄を上手に生かしたワンピースやジャケット、ブラウスなど、専門家のデザインとしっかりした縫製の指導によって魅力的な製品が誕生しています。手に取ったり、試着してみたりと、お客さんも楽しそうです。
「よう似おうてますよ」「顔移りもよろしいね」お店で応対するのはボランティアスタッフのみなさんです。親しいご近所に来たような和やかな雰囲気に、はじめてのお客さんも「似合っているかどうか」など、気軽にアドバイスや意見を求めることができます。
ギテンゲ
個性的なアフリカのプリントは、数年前から注目され始めましたが、リ・ボーン京都では2013年からルワンダでのプロジェクトを開始し、製品として手掛けています。「ギテンゲ」と呼ばれるアフリカのプリントは京都のファッションを元気づけています。
また、着物の下に着る長襦袢は多くの場合、薄色で光沢のある生地で作られていますが、洋服にリメイクするのは難しい素材です。それが「絹のパジャマ」として完成していました。気温の高い期間が長くなっているこの頃「昼間は洗いざらしのTシャツを着ていても、夜は贅沢にシルク」とは、購入された方の笑い話です。

なんでも挟めるかわいいクリップ
なんでも挟めるかわいいクリップ

ねこ好きにはたまらないその名も秀逸なお細工物のねこ「はさんでニャンコ」や、ラオスからやって来た恐竜の集団など、楽しさも次々発見できます。
着物をほどき、洗い、素材として使えるようにするには大変な手間がかかりますが、ボランティアさんによって、創作意欲をかき立てる布として送られます。柿渋塗りの壁紙張りや、姿見のまわりの壁紙の破れを見えないようにする布おおいも、着物地ののれんもすべてボランティアさんのお手製と聞き、その底力に驚きました。

製品には「甦」のロゴがつけられています。愛着をもって着たもの、あるいは着なかったけれど親御さんが用意してくれた愛情がこもった着物など、たんすに眠っていた着物や帯は人を介して、新しいかたちによみがえります。作る人や買ってくれた人、縁あって出会えたこと。その喜びや大切さを「甦」のひと文字が伝えています。

お茶目で、はっきり物申す看板娘


アンテナショップの京町家は、もと「三田村金物店」を営み、ご家族の住まいでした。
ショップを取り仕切るのは昭和三年生まれの三田村るい子さんです。今年で満93歳になられました。お店に出てお客さんの質問に答えたり、時にはボランティアさんに「それ違う」と厳しいひと声をかけたりしっかり店内を切りまわしています。

三田村さん
リ・ボーンの製品を着た三田村さん(左)と購入した着物を着てご来店のお客さん

「昭和3年生まれ」と聞いて、年齢としっかり加減にだれもが驚きますが「町内で一番古い」「もう年やし口だけ元気」などと言ってみんなを笑わせ、その場を明るくします。「おかあさんは間違いなく、ここの看板娘」とボランティアさんが合いの手を入れて、また大笑いしています。
金物店は、80歳になるまで続けました。長年「三田村金物店」を中京区で続けてきたこの経験が、今も力を発揮していると感じます。人の気持ちを逸らさない応対、鮮明な記憶力は感心するばかりです。

祇園祭の山鉾、八幡山
祇園祭の山鉾、八幡山

お店のある新町通りは、祇園祭の鉾と山がたち三条町は「八幡山」の地元です。取材に伺った日は後祭り期間にあたり、巡行は中止になったものの、お祭特有の華やぎがありました。町内の家々には、八幡山の向かい合った鳩を染め抜いた幔幕が掛けられ、伝統ある商家の並ぶ中京の町らしい風情がありました。
三田村さんのお家では毎年、宵山の日に親戚や知り合いを招待していたとのこと。おくどさんで蒸すお赤飯は「小豆が腹切りせんように気を使った。今でもお釜さんもせいろも残してある」そうです。時には知らない人も交じっていたけれど、同じようにご馳走したという、なんとも鷹揚な良い時代だったのだと思いました。
巡行は二階の窓の戸を外して観覧します。鉾に乗っている人と同じ高さになり、新町通りは鉾がやっと通れる道幅なので、それは迫力があります。
饅頭袱紗
店内にあったとても手のこんだ袱紗は「饅頭袱紗」と言って、お嫁さんがご近所への挨拶に使う紅白の薯蕷饅頭に掛けるものなのだそうです。今はそのような仕来りは京都といえども、されるお家は本当に少ないようですが、とても雅やかな習わしに思えます。
NPO法人リ・ボーン京都 アンテナショップ三田村の京町家

京町家特有の台所
京町家特有の台所

三田村家は、商家として建てられた典型的な京町家です。「店の間」はそのまま畳敷きで残し「座売り」的な感じになっています。上がり框に腰かけて話すのも「町家体験」のような雰囲気です。店の奥は流しやおくどさんが並ぶ走り庭があり、中庭、そして土蔵も残っています。
ここへ来ると実際に住み暮らしている三田村のおかあさんやボランティアさんに、京都の奥にある習わしや暮らしの文化など、いろいろなことを教えてもらえます。リ・ボーン京都アンテナショップ三田村は、アジアやアフリカから届く製品との出会いとともに、京都の暮らしの文化を伝えています。

かたちあるものを最後まで使い切る心を世界で共有


リ・ボーン京都では、寄贈された着物や帯から新しい商品を生み出すとともに「そのまま着て生かす」ことにも取り組んでいます。
寄贈された着物や帯のなかには、今では手に入れることは難しい、例えば非常に高価であったり、すでに技術が途絶えてしまったものもあります。着物を着たいという人も増えているように思います。染や織の知識が豊富なボランティアさんもいて、新たなきものを着る層の開拓にもつながりそうです。
リメイクうちわ
またリメイクに使った後のはぎれは工夫して様々な小物を作ります。ポーチや布玉のネックレス、マスク、今や定番として多くの人が楽しみにしている、うちわなどです。うちわは細い竹骨を地紙(布)に張り、柄を差し込んだ差し柄が特徴の「京うちわ」です。使われている布は絽に草花や水を描いた季節感あふれる図柄や、「裏に凝る」日本の美的センスやあそび心が楽しい個性ある羽織の裏地「羽裏」など、ここぞという見事な絵柄の取り方で張られいます。

「始末の京都」と言われますが、食材でも着るものでも、ものの命を最後まで使い切る、全うさせる暮らし方は、今こそ求められている考え方であり暮らし方です。それは世界で共有することができます。NPO法人リ・ボーン京都のアンテナショップ三田村へ、足を運んでいただき、途上国の女性への自立支援や着物文化の発信にふれていただきたいと思います。

 

リ・ボーン京都アンテナショップ三田村
京都市中京区新町通三条下る三条町329
営業時間 12:30~16:30
定休日 土曜日、日曜日、月曜日、祝日

集いの空間と暮らしが 共存する京町家

活用しながら継承する京町家のご紹介の2回目は、前回のカフェ オリジと同じく西陣の地域にある喫茶・ギャラリー「好文舍(こうぶんしゃ)」です。
親しくしている作家さん達の個展やワークショップ、生け花教室など、様々な企画で人が集い交流し、コーヒーを飲みながらくつろげる場を提供したいと、物件を探している時にめぐり合ったのが現在の京町家でした。
明治時代に建てられた建物、路地や中庭を含め、前の所有者の方がていねいに暮らし、使っていたことが感じられる空間です。住まいとなる部分をはじめ、必要な改修を施して2018年12月1日にオープンしました。「まずこの町家があり、建物がかもし出す空間に合ったことをやりたいと思いました。そして身の丈に合った、自分自身もほっとできる場にしたかったのです」と語る、オーナーの宇野貴佳さんにお話を伺いました。

地域密着の「おてらカフェ」の運営

宇野貴佳さんと星めぐりの器展開催中の陶芸家白川三枝さん
宇野貴佳さんと星めぐりの器展開催中の陶芸家白川三枝さん

宇野さんは東山区の「おてらカフェin金剛寺」の運営にも携わっています。以前から地域密着のお寺の存在に注目し「地域の人が気軽に集まれる場をつくりたい」という宇野さんの思いに共鳴されたご住職の協力を得てスタートして6年になります。地域のみなさんが月に一度、気軽に立ち寄り、コーヒーを飲みながら交流できる場として定着しています。
金剛寺のおてらカフェ
「コーヒーの淹れ方体験」清水焼、歌舞伎文字の勘亭流、日本庭園など、様々な分野で活躍する専門家による「遊びと学びのワークショップ」「住職の朝のお勤め体験」など、京都の文化に身近にふれ、昔から地元の人々のより所であったお寺に親しむ良い機会になっています。
申し込みは不要、ワンコイン500円、だれでも参加できます。毎月第3水曜日、朝7時から10時まで、清浄な空気の境内で、初めて会った人も顔見知りの人も、みんな和やかに過ごせる最高の朝の始まりです。

おてらカフェで知り合った勘亭流書家さんの「好文舍」名入りうちわ
おてらカフェで知り合った勘亭流書家さんの「好文舍」名入りうちわ

宇野さんはこのおてらカフェを運営するなかで、地域にだれもが気軽に足を運べる場の必要性を改めて感じ、また、ワークショップで作家のみなさんと知り合って「工芸を、もう少しみんなの手に渡したい」という思いを強くし、喫茶・ギャラリーの開業を具体的に描き始めました。そこで縁あって現在の建物に出会い「西陣におもしろく楽しい場を提供する」ことが実現しました。

「暮らし方を方向づける建物」を大切にしながらも無理のない改修

好文舎の中庭に面した部屋
「好文舍」という文人好みに感じる名前のいわれを聞くと「改装の時に中庭の植栽に梅の木を植えました。中国語で梅は好文と言うので好文舍にしました。ずっとあたためていた名前とかではなくて、植えた梅の木が先だったのです」と笑って軽やかに答えました。
建物は元、呉服関係の仕事や展示に使われていたそうですが、どことなく、はんなりした雰囲気が漂っています。玄関の間と庭に面した部屋を展示と喫茶に使われています。
好文舎の床の間好文舎の富士山の欄間
りっぱな違い棚やめずらしい富士山と雲の透かしのある欄間がはめられた奥の座敷は、通常より規模の大きな展示企画や、お客さんが立て込んできた時など、その時々で適宜に利用されています。
座敷は明治時代の建築で、ガラス戸の細かい組み方の桟やガラスもその当時か、入れ替えたとしてもずいぶん古いものですが、閉めきりにするのではなく、あくまでも「大事に使って維持する」ことを実際にされていることに「建物は、使って意味があり、それが大切にすること」と改めて感じました。
好文舎の濡れ縁
濡れ縁に使われている古い木材と竹の組み合わせが素晴らしく、これも見応えがあります。お世話になった大工さんは宮大工もされていて、数寄屋建築にも詳しく素晴らしい腕のある方とのこと。使われている木材と竹は、この家に仕舞われていたものを見つけて再利用したそうです。
元の所有者の方も、いずれ役に立つ時のためにと取っておき、何十年もたってから、それを生かす目利き、腕利きの職人さんが存在することに、京都の底力を感じました。
中庭に面した部屋のガラス戸は、古い建具を売る店で見つけたそうですが、この建物にもきちっとはまっています。しっかりした木の枠に、波打って見えるガラスがはめられたかなり古いものです。去年の京のさんぽ道「雨の季節の西陣の京町家 古武邸」で「京町家は一定の寸法で建てられているので、他所の家の建具でも再利用することができる」という当主の古武さんの話を再認識しました。
好文舎の縁側
宇野さんは、できる限り元の姿を残すように改修を進める考えでしたが、すべてを町家普請にすると「驚くほどの金額」で到底かなわなかったそうです。
それで、住まいのところは、予算が折り合い、家族が暮らしやすく使い勝手の良い改修を施し「新しい職住一体」の京町家になりました。この町家改修は、今後、持ち家をどうするか悩む方、町家に住みたいけれど資金が心配、暮らしにくいのではと思案されている方にも一つの生きた事例になるのではないかと感じました。
資金の面はもちろん重要ですが、それに加えて家族、設計や工務店のみなさんが「職住一体の京町家」への思いを共有することができたからこそと感じました。

地域の魅力を高め、ものづくりのまちの可能性を広げる

好文舎の入り口
白麻ののれんをくぐり、路地を入って玄関の戸を開けると沓脱石(くつぬぎいし)があり履物を脱ぐ。障子を開けて中へ入る。敷居を高く感じる人もいるでしょう。ややもすると固くなりそうですが、宇野さんは「場を提供して運営する側」に徹し、だれもがくつろげるように、ごく自然な配慮を欠かしません。
「若い人にしたら気が張ると思います。ですから、どこから来ましたかとか、よくここが分かりましたねとか、必ず声をかけるようにしています」そしてお客さんの様子を感じながら、常連さんとそこに居合わせたなじみのないお客さんを引き合わせて、気づまりな思いをしないように声をかけますが、その絶妙な頃合い、間合いに感心します。喫茶の間の床の間には、ご近所に住む常連さんで日本画家の方の、折々の季節の絵が掛けられています。

この絵を見て話しが弾むこともあり、ある時はその日本画家さんを居合わせた若い大学生のお客さんに紹介すると、長いこと、楽しく話しが続いたそうです。
奥のほうで聞こえる、ゴリゴリゴリという音は、注文ごとに、がっしりした業務用のミルでコーヒー豆を挽く音です。これも何やら楽しい要素になっています。
作品の展示場所や出窓、廊下の隅など、あちらこちらに季節の花がとても良い雰囲気で生けてあります。これは宇野さんのお母様が、身近に見つけた花を生けていらっしゃるそうです。また、メニューにある梅シロップはお母様と奥様のお手製です。
落ち着いた、ものづくりのまちであるこの地域は、近所を歩けばすてきなお店もたくさんあるので、連携して地域を盛り上げていきたいという思いで、宇野さんは楽しい仕掛けをしています。

宇野さんが炊く小豆あんが秀逸なあんトースト
宇野さんが炊く小豆あんが秀逸なあんトースト

近所の和菓子屋さんとケーキ屋さんのお菓子を買って好文舍へ来たお客さんは、注文した飲み物と一緒にここでいただくことができるのです。また「本日のお菓子」はこの和菓子屋さんの季節の生菓子が用意されています。先日ここで展示企画をされた清水焼の若い作家さんのお皿がお菓子としっくり合っています。庭の緑も相まって目でも美味しさを味わえます。
「これもローカルなつながりがあるからできることです」と宇野さんの言葉に、人とのつながりは新しい試みが生まれる可能性を秘めていると感じました。スマートフォンで「ここらへんのカフェ」を検索して来た若い人たちも、京町家でのゆっくりした過ごし方を楽しんでいると思います。
「ただいま」や「宿題終わったよ」の声が聞こえ家族の応援が感じられる好文舍は、京町家と暮らしと仕事、地域と人の、希望のある関係を示してくれています。

 

喫茶・ギャラリー 各種教室 好文舍
京都市上京区油小路通上長者町上る甲斐守町118
営業時間 10:00~18:00
定休日 日曜日

京町家の実家を再生した カフェの誕生

西陣の地域は今も、低層の家が続くまち並みが残っています。手入れの行き届いた京町家に、あたたかい色の灯りと控えめな看板が出ています。木の塀をめぐらせた門を入り、小径をたどるように中へ進むと「こんにちは」と、近しい親戚の家に来たような心持ちになるカフェです。伝統的な木造建築の風格と緑が美しい庭など、京町家の風情を漂わせながらも、くつろぎを感じる空間になっています。
生活様式や家族構成、経済活動の変化のなかで、容易ではないと思われる京町家の維持はどのようにされているのか。所有者、補修や改装にかかわる工務店や建築家、ご近所も含めて様々な人が関係し合うなかで保たれているのだと思います。活用しながら維持されている京町家をご紹介してまいります。1回目は西陣の京町家「カフェ オリジ」です。

二人の思いを設計者、工務店と共有して生まれた空間

オリジ

cafe oriji カフェ オリジ のオーナー夫妻
カフェ オリジは江良周策さん、悦子さんご夫妻で営まれています。悦子さんの実家の町家を改装して今年の1月に開店しました。以前から二人であたためていたカフェの構想と、10年間空き家になっていた悦子さんの実家をどのように生かしたらいいかと取り組み、コロナの影響で1年遅れにはなりましたが、開店に漕ぎ着けたのでした。

cafe oriji カフェ オリジ
元の町家のまま残された見事な桐の欄間

土台の修復や床の板張りは工務店にお願いしましたがそれ以外の箇所、厨房の棚やカウンターの取り付けや壁塗りは自分たちでされたそうです。漆喰は調合して、白すぎず、また暗くないしっくりした色あいにし、庭からの自然光と調和した照明にも配慮されています。
どの席からも中庭が見え、またそれぞれの席が独立した個性を持ち、それが全体の雰囲気をより深く落ち着いたものにしています。廊下側の書斎のような席、壁に面した自分の世界にひたれそうな席、夜に静かに飲みたい感じの厨房前のカウンターなど、その日の気分によって決めるのも楽しそうです。
椅子も手工芸のあたたみと表情を感じるものです。みんな違う椅子で、買った時も場所もばらばらということですがけんかすることなく、同居しています。「いいなと思う、すきなものを集めると自然と似ているものが揃いました」と話されました。
オリジオリジのフィギュア
そして見事な欄間、なげし、床柱など主な部分はそのまま残され、古い本棚もしっくり収まっています。この家への愛着と開業への思い、その全体像を設計者や工務店の方と共有して生まれた空間です。押しつけがましさがなく、それでいて隅々まで二人の思いが行き届いたカフェは、訪れる人それぞれに心地よい時が流れています。
ふと見ると森鴎外や島崎藤村といった大作家全集を背にして、周策さんが製作した妖怪のフィギュアが何事か考えている風情です。あちこちにいる妖怪フィギュアを見つけることを密かな楽しみにしているお客さんもいるそうです。オリジの楽しさは奥が深いのです。

すきなものはおいしい。背伸びせずに決めたメニュー

オリジ コーヒー
オリジでは、お客さん側の「あったらうれしい」に応えてくれるメニューになっています。ちょっと何か食べたい時にぴったりのトーストやワッフル、お腹がすいたと思ったらナポリタンやサンドイッチというふうに。
一杯一杯ていねいにいれてくれる香り高いコーヒーや、季節やその日の気分によって選べるハーブティーなど飲み物も充実しています。
期待の甘いものは、2種類のパフェや、爽やかな酸味に香り、チーズのコクのバランスがすばらしい自家製レモンチーズケーキなどが揃っています。「今度来た時は、あれにしよう」と次回に楽しみを残す気持ちで今日の一品を選びます。
オリジ 苔玉パフェ
取材で伺った日は「苔玉パフェ」をいただきました。オリジの入り口で犬の散歩をされている方から「オリジさん、おいしいですよ。苔玉パフェは絶対食べてみて」というおすすめパフェでした。ひと口めから、抹茶の風味の良さに驚きました。この宇治抹茶と抹茶アイスとソフトクリーム、抹茶ゼリー、小豆あん等々なん層にもなった味わいが楽しめます。「苔玉」としたネーミングセンスと姿形も秀逸です。

オリジ ソフトクリーム
思いの詰まったソフトクリームの看板が鎮座しています

メニューはどうやって決めたのですか、という質問に「背伸びしないで私たちがすきなものをメニューに載せました。それが多分、お客様にもおいしいと感じていただけると思いますので」と答えてくれました。この姿勢が等身大の、素直においしいと感じられる味、心地よい雰囲気をつくり出しているのだと思います。
ソフトクリームのあるカフェはめずらしいですねと聞くと、悦子さんは「子どものころ、千本通にあったケーキ屋さんのソフトクリームを買ってもらうのが本当に楽しみだったので、これはぜひメニューに入れたいと思っていました。近所の公園に遊びに来て、その帰りに親子で寄ってくれる時、子どもさんがソフトクリームを喜んでくれます。それが思い出になればうれしいなと思います」と語ってくれました。
「ここでソフトクリームを食べるのが楽しみやったなあ」と、おとなになってまたオリジを訪れてくれる。そんな場面もきっと生まれることでしょう。

機音が響いた笹屋町のご近所カフェに

笹屋町通 オリジ

京都景観賞京町家部門表彰状
笹屋町通は京都景観賞で表彰されたこともある京町家が残る通りです

オリジのある笹屋町通は、古くから西陣織に携わる多くの職人が住む、機音が響く地域でした。今も「西陣帯地」「金・銀糸、引き箔」などと書かれた看板を掲げるお家があります。
明治8年に疫病がまんえんした時、疫病退散を願い、帯地の切れ端や絹糸、また機織りに使う道具を使って大きな「糸人形」を造り、地蔵盆の頃に町家に飾りました。やがて夏の風物詩として定着し、子どもたちや地域のみなさんの思い出に残る行事となったそうです。一旦途絶えましたが、西陣の職人有志によって復活されています。このように笹屋町界隈は、歴史や伝統の技、生活文化を継承し町並みを守る努力が続けられています。
新しく建築された家も増えていますが、人々が暮らす町であることを大切にしていることが京都の景観も守ることにつながることがよくわかります。

オリジ
オリジはそんな町内にある憩いの場です。いつも買い物のついでに寄ってくれるお客さん、勉強をする学生さん、一人で、友達と一緒にと、それぞれの使い方をして、季節を感じる京町家でのひと時を楽しんでいます。周策さんと悦子さんは「ご近所の方に支えられています」と力を込めました。
始まる、起源や源泉、最初といった意味をもつorijinate orijin originalから発想して付けた「オリジ」の名前には、思いの深い地元西陣の「織」も込められています。「みんなが自由にほっとできる空間を提供したい」と始めたオリジは、訪れた人も自分の源泉や最初の一歩に立ち返ることができる場になっていると感じます。

オリジのフィギュア
町家ならではの外構にはオリジのトレードマーク、やかんのミニチュアが飾られています

取材を終え外へ出ると、お寺の鐘の音と一緒に、公園で遊ぶ子ども達の声が聞こえ、オリジでのひと時をいっそう楽しいものにしてくれました。

 

カフェ オリジ
京都市上京区笹屋町一丁目542-1
営業時間 11:00〜19:00(当面11:00〜18:00)
定休日 毎週火曜日、水曜日・不定休