この場所と コーヒーとアンティーク

霜が降り、水たまりが凍っている今年の京都の冬です。しばらく前のこと、通りがかりに古びたがっしりした建物が目にとまりました。大きく「COFFEE」とあります。先日、近くに行った時に思い出し、ずっと気になっていた建物まで行きました。
そこはコーヒーの焙煎所とアンティークの雑貨や食器が一緒になった、住んでいる人の思いがやどる「だれかの家」のようなお店でした。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ドアのガラスにはWIFE&HUSBANDに続きDAUGHTERとSONの文字が見えます。「妻と夫」「娘と息子」という、まっすぐな名前に深い思いを感じます。オーナー夫妻の家族との日々も映し出された、かけがえのない空間です。
2015年に賀茂川のすぐ近くに自家焙煎のコーヒー店WIFE&HUSBANDを開いてから1年半たった頃、大きな焙煎所とアンティークが一緒になった空間としてオープンしたROASTERY DAUGHTER /GALLERY SONです。コーヒーの香りとともに、季節や時間によって、差し込む光が変化するゆるやかなひと時を送ってくれます。

 

古いビルが生きる焙煎所&アンティーク

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
新たな夢をかなえる焙煎所に適した場所をさがしていたオーナー夫妻が、やっと見つけたのが現在のビルでした。自然を身近に感じる賀茂川畔のお店とはまったく違う街中の古びたビルでしたが二人で「ここだ」とすぐに決めたそうです。
車が頻繁に通る堀川通に面していますが、落ち着いた雰囲気はそこなわれることなく存在感があり、周囲とも調和しています。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
お店の1階はコーヒーの焙煎と豆の販売、2階はオーナー夫妻がこつこつ集めてきた多くのアンティークの食器や雑貨、ビンテージの洋服がwife&husbandの物語を紡いでいます。
そこに集められたものはフランスの19世紀から20世紀初めの食器や小物、そして日本の文房具や暮らしの道具など洋の東西を問いません。丹念にガラスペンで書かれた古いノートの文字の美しさにおどろいたり、反物の端に付ける下げ札の先端の、針より細いくらいのこよりにも、昔の人の手先の器用さに感服したり、あっと言う間に時がたちます。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
窓辺や壁、天井と、あらゆる空間に国の違いを超えて、人の手が作り、人が使ってきた時を刻んだもののあたたかさやおもしろみを感じます。
毎日の暮らしのなかで、元の使い方と違うものに転用するも楽しいでしょうし、何かに使うという目的がなくても眺めているだけで、気持ちをあたたかく包んでくれそうな気がします。時を経て今もあるもののよさを感じることができる空間です。

 

つくろいながら使い続ける

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONの金継ぎ
販売している古い食器や雑貨には時々「金継(きんつぎ)」が施されているものがあります。これはスタッフの方がされていると聞き、本当に古いものを受け継ぎ、すきになってくれるだれかに手渡す仕事をされているのだと感じました。
日本でも少し前までは、つくろい物をする夜なべ仕事が、ごく当たり前のこととしてありました。ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONは、つくろいながら使い続ける暮らし方を思い起させ、そのことはそんなに難しく考えなくてもよい、自分が心地よいと思えることでいいのだと応援してくれている気持ちになります。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
1階にもアンティークの小物が前からそこにあったようにたたずんでいます。最新の焙煎機とともに、コーヒーの麻袋やアンティークがある風景は、始めて来た人にもおなじみの気安さを感じさせてくれます。
海外からのお客さんもゆっくりと滞留しています。きっと心に残る日本の思い出になることでしょう。

 

お店をみんなで育てている

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ビンテージの雰囲気のユニフォームが似合い、自然な笑顔がすてきなスタッフさん。何か聞いたり、商品をじっと見ていた時に、スタッフの方みんなが的確に答えてくれたり、声をかけてくれたことがとても印象的でした。
みなさん、本当にこのお店が好きで大切にしていることが伝わってきました。コーヒー豆を選別し、お客さんを迎え多くの古いものの様子を確認しながらの毎日を尊く感じます。

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
焙煎前、焙煎後と2回行うコーヒー豆の選別

賀茂川畔のwife&husbandと次に生まれたROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON はこれから、スタッフのみなさんと一緒に育てる家のようです。これからもゆっくりと通いたい空間でした。

 

ロースタリー ドーター/ギャラリー サン
京都市下京区鍵屋町22
営業時間 12:00~18:30
定休日 不定休(ウェブサイト営業カレンダーでご確認ください)

うどんと 本格フレンチが一軒に

時雨模様の寒の内、あたたかい湯気が恋しくなります。千本丸太町に70年以上続くうどん屋さんがあります。しっかりとった出汁と細めの麺。京都らしいうどんです。
大改装を経て「うどんとフレンチのお店」に生まれ変わって8年。その間熟成されてきた心地よいお店の雰囲気を感じます。平日のお昼はうどんや丼物、夜と週末は本格フレンチとワインでゆっくり過ごせる得がたいお店です。

カウンターと蝶ネクタイ

阿さひのきつねうどん
うどん屋はシェフの実家です。ご両親が元気に切り盛りしています。繁華街の喧噪から少し離れた千本丸太町という立地にも、この新しいスタイルがしっくりなじんでいます。
付近は、かつて平安宮の中心地で、大極殿跡とされています。西陣織など伝統産業にかかわる人の住むまちで、個人商店や会社も多く、活気にあふれていました。今はマンションやビルが増えましたが、銭湯や和服しみ抜きなどの看板に、かつての面影が感じられます。
阿さひは、長く地元の人たちに親しまれてきました。近所の会社で働く人たちのお昼ごはんや残業の時の出前と、お世話になった人も多いことでしょう。麺類、どんぶり物の定番から、先代から受け継いだ看板の味、巻き寿司や分厚い身が評判の鯖寿司もお品書きにあります。
 

阿さひ阿さひ
お店は大きな提灯が目印です。うどんの時間は赤地、フレンチは白地になります。入口の通路は、京都の路地の趣です。奥にテーブル席、通路の右手がカウンター席になります。
カウンターをはさんで、シェフのご両親がきりっとした立ち居振る舞いで仕事をしています。蝶ネクタイにベスト、ベレー帽と、とてもおしゃれなお二人も、この新しいお店の雰囲気をつくる欠かせない配役のようです。
昼間は、グラスにたっぷりのあたたかいお茶が出され、ほっと一息つけます。何十本もの洋酒が並んだ様子はインテリアの一部のようです。待つ間に瓶のかたちや、ラベルを見るのも楽しいひと時になります。おうどんは変わらぬ「あさひの味」です。
落ち着いた色合いの、夜はフレンチとワインのお店になるカウンターでおうどんをいただくのは、新鮮な感じがします。オープンキッチンのうどん屋さん、なかなかいいものです。

気取らず楽しめる本格フランス料理

阿さひ
シェフは2002年から左京区で、ビブグルマンにも選定されたフレンチレストランを13年間続けました。生まれ育った地へ移転し、実家のうどん屋も引き継ぎつつ、フランスへ渡って得た経験も生かして、おいしいと自分で納得したフランス料理を提供できるお店をめざしました。そして2015年「うどん屋もありフレンチもやる」という画期的な「阿さひRive gaucahe」を開店しました。
リヴ・ゴォシュにはフランスワインはもちろん、ウイスキーやブランデー、リキュールなど様々な洋酒が揃っています。シェフとソムリエールに聞いて「この一杯」を楽しめます。薬草の風味のとてもめずらしいリキュールなど、ワイン以外にも試してみたいお酒がいろいろあります。
阿さひ
料理は、一つ一つがとてもていねいに作られていて、素材に対する真面目な向き合い方を感じます。その日はおつまみと軽めの一品にしました。おつまみに選んだピクルスは、それぞれの野菜の食感も生かしながら中までしっかり味がして、単調ではないおいしさを感じます。野菜のすごさを改めて思いました。
もう一品は、えびとじゃが芋の料理です。えびとじゃが芋の組み合わせがどんなものかイメージできませんでしたが、オリーブオイルと香草になじんで、これが「出合いもの」になっていい味を出していました。自家製のパンがまたおいしくて、料理のよい相棒です。

合間、合間にシェフやソムリエールの方のワインのこと、お二人とも住んで仕事をしていたフランス郊外のことなど、興味のつきない話も、食事をより豊かにしてくれます。フランスの郊外の家は、広い庭があり料理に使うハーブはそこで摘み、買わない、ヨーロッパは乾燥しているので野菜や果物も水分が少なく固いが、火を通すとすばらしく深い味になるなど、聞きながら、行ったことのない、そのフランスの片田舎の風景が何となく目に浮かんでくるような気がしました。
またフランスでは家具なども含め、生活に必要なものは身のまわりにあるものを生かしているとフランスの暮らしぶりも話してくれました。

料理がよく映えるいい感じの器だったので「雰囲気のいい食器ですね」と言うと「それは彼女が作ったのですよ。ほかにもいろいろ店で使っています」というシェフの答えが返ってきました。ソムリエールで、その上、お店で使える陶器を作れるとは、すごいですねとおどろくと「土をさわっているあいだは無心になれます。その時間がとてもいいのです。何も考えない、頭をからっぽにする時間は必要かなと思います」と言われました。
 
左京区のお店で獲得した「ミシュラン・ビブグルマン」は「費用対効果がよく、価格以上に満足感のある料理」高級レストランではなく気軽に食べられるお店が選定されます。リヴ・ゴォシユはその真価のあるお店です。
シェフと対面する「カウンターのフレンチ」など、緊張するというか、少し気づまりな感じがしそうですが、まったくそんなことはなく、気軽に料理もお酒も楽しめます。一人でも友だちや家族とでも、たまには気前よく、家での食事とはちょっと違う、豊かな時間を持つことを大切にしたいと思いました。

親しみやすく本道を行く得がたい店

阿さひ
フレンチの営業時間に掛けられる白い提灯

シェフは、どんな素材も、ここへ来るまでどれだけの月日と手間をかけ、納品されるまでどれだけ多くの人がかかわっているか、食材やワインをはじめいろいろなものが納品されるがそのうち何か一つ欠けてもだめなのだ、そのことを考え、大切にすること、そしておいしい料理にすることを、スタッフに常に伝えています。その視点で目利きした素材を、信頼できる取引先から仕入れています。それらのことが味に接客にあらわれ、お店の空間が生まれているのだと感じます。
「うどんをフレンチ風にアレンジしたら」などとよく言われるそうですが、そういったことはまったく考えていません。きちんととった出汁とバランスのよい麺、それで完成成立しているあさひのうどんです。フレンチも「渾身のブイヨン、フォン」を使った本格フレンチです。
ビヴ・グルマンに選定されたことはすばらしいことですが、お店のプロフィール的にさらっとふれているだけです。お店を探す時の選択のデータの一つに、といった扱いです。
コロナで休業していた期間に黒だった壁を漆喰で白く塗ったり、カウンターも今の色に塗り替えるなどの作業をおとうさんと一緒にされたそうです。それも含めて「これから店をどのようにしていくのか」を考えるよい機会になったと話されました。
阿さひの折り詰め
ワインセラーを背にして、鯖寿司を作ったり箱詰めをしたり息のあった夫婦二人の仕事が進みます。「あんかけ」用の生姜をすったり出汁を用意していたシェフは、魚をさばき、ブイヨンやフォンの様子をみたり、諸々の下ごしらえや仕込みをしています。奇をてらった「うどんとフレンチ」ではなく、それぞれのおいしいと思う料理でお客さんに喜んでもらう、そこに集約されています。おいしいものをいただくことは幸せなことです。
阿さひet Rive gaucheは、食べることを通して、私たちの気持ちをあたたかくしてくれる、静かな誇りを感じる得がたいお店です。

 
阿さひet Rive gauche
うどん屋「あさひ」 フレンチレストラン「リヴ・ゴォシュ」
京都市上京区千本丸太町上ル東側小山町871
営業時間
フレンチ/平日17:30~22:00、土曜・日曜・祝日11:30~15:00
うどん/11:30~15:00
定休日 フレンチ/不定休、うどん/土日祝

タイルで遊ぶ、知る、 そして使う

建物の外装や少し前まではお風呂や台所の流しなど、ごく身近にあったタイル。最近は目にすることが少なくなりましたが、民家の外壁に貼ってあるごく普通のタイルも、モザイク模様のおもしろさや色使いに、ものづくり精神や職人さんの姿を垣間見る気がします。
そんなタイルについて、どこで、どのようにしてつくられているか、製造方法や種類、最新の製品など、およそタイルに関することのすべてを知ることができるギャラリーがこのほどリニューアルして新たなスタートを切りました。職人の誇りも遊び心、これからの暮らしにどう生かしていくかなど、産地も含めてタイルのおもしろさと可能性を感じるタイルギャラリー京都は、新鮮なおどろきと楽しさがいっぱいでした。

タイルは焼き物、窯元でつくられる

タイルギャラリー京都
タイルギャラリーは、京都駅から歩いて5分ほど、大通りの喧噪から離れた静かな場所にあります。モダンで周囲になじんだよい雰囲気の建物です。
ギャラリーの中へ一歩入ると、広々としたスペースに、めくるめくタイルの世界が広がっていました。色、形状、質感も様々な本当にたくさんのタイルが、すてきなレイアウトで展示されています。余分なものがなく正味タイルだけで構成されていることがすばらしいと感じました。
タイルギャラリー京都
ギャラリーの運営を任されている篠田朱岐さんに「タイル事始め」のようにていねいに説明していただきました。窯元は愛知県の常滑、岐阜県の美濃、多治見など、もともと陶器の産地であった所に多いなど、始めて知ったけれど、聞けばなるほど思うことが多くあり新鮮でした。
窓側も上手に利用して、各窯元の特徴や得意とする製品、新しい提案などがよくわかるように展示されています。ていねいで楽しい話ぶりからも、展示の工夫からも、タイルへの深い思いが伝わってきます。
タイルギャラリー京都
海外ではタイルの需要が増えているそうですが、費用の点で日本はクロス張りが増えていると聞きました。しかし、耐用年数はタイルのほうが優れているので最終的にみればタイルが高いわけではないのです。それでそれぞれの窯元もキッチンのカウンター部分に使うなど、一部でもタイルを取り入れられ、家の雰囲気に合った使い方を発信しています。
需要が減少して厳しいなかでも、これまで培ってきた技術と先進性をもってがんばっている会社が多いのだと思います。デザイン的にも優れ、分業が多い業界のなかで、うわぐすりも自社でつくるなど新しい歩みを始めている会社もあるそうです。「タイルをもっと知ってもらえば使い道はきっとある」という気持で、新たな行く末を考えているのだなと感じました。
タイルギャラリー京都
また、窯元とギャラリー双方の思いが一致しているからこそ、会場全体が楽しく、明るく感じられるのだとも思いました。
「これをひとつ、ひとつ手作業で作ったのか」「ここまで狂いがなく、きちんと合わられる技術と心入れがすごいな」など、タイルがみずから発信しているように感じます。
展示パネルは黒い鉄板で、マグネット式に自由自在に張り付けられるようになっています。ひとつひとつの、1センチにも満たないタイルにもマグネットが付けてあります。生半可ではとてもできないことです。思いのこもったタイルの芸術に物語を感じます。

源流を大切にしつつ、概念をくつがえす

タイルギャラリー京都タイルギャラリー京都
タイルは四角く平たいもの。その概念を打ち破る形状のタイルも生まれています。インテリアとしてもすてきです。ピアスや掛け時計などの雑貨の分野にも進出し、現代の暮らしにあった食器も生産されています。
もともと食器を作っていた窯元がタイル製造に乗り出した例も多く、マグカップやプレートなどは得意分野です。「手元に置きたいな」と思うものがいろいろあります。余った粘土でつくった「うどん玉」という、お茶目な作品には思わず笑ってしまいました。

海外でもタイルは製造されていますが「きちんと作る」の精度が日本はすぐれているそうです。細かいモザイクタイルを貼りつけた四角のタイルをさらに何枚も寄せてきちんと一枚の絵画にした「錦鯉の図」がありました。
寸分の狂いもなく仕上げた迫力に、ものづくりの精神は健在なのだと感じました。
堅持すること、革新していくなかみ、その両輪がしっかり噛み合っています。

日本のものづくりの未来

タイルギャラリー京都
タイルギャラリー京都は、タイルの施工会社「山陶」が運営母体となり、元タイル職人であり代表取締役の山下暁彦さんが館長を務めています。ギャラリーは新たにレンガの展示スペースを設け「煉瓦の家」の構想がスタートしています。
タイルの源であるレンガは、明治の工業の近代化のなかで全国各地にりっぱなレンガの建物ができ今も残して活用している所もあります。新しく始まる「煉瓦の家」の取り組みは、伝統的な煉瓦のすばらしさとそれを積みあげ構築する職人技の融合です。
タイルギャラリー京都
現在、館内にはスマートブリック工法という新しい工法で施工された外壁の小さな家が建てられていて、実際に打ち合わせなどに利用しています。キャスターで移動も可能ということで、これから在宅での働き方が増えるなかで需要が見込まれます。
また、レンガに曲線をつけて積み上げた展示もされています。四角なレンガに曲線をつけて積むのは相当難しいことなのだそうです。職人魂のなせるわざです。それぞれ違った風合いを見せるレンガにあたたかみを感じます。篠田さんも「これが味ですねえ」と愛おしげに口にされました。
タイルギャラリーでは、ワークショップも行っています。これから多くの人に参加してもらえるプログラムも増やしていくそうです。

タイルギャラリーのロゴマークはタイルの花びらが開き、花がさく明るい未来を示しているように見えます。「タイルと出会い、遊んで、活かす」を掲げた本当の京都のものづくりを知ることができる楽しい場所です。
前回の紙箱に続き、伝統産業だけではない京都のものづくりの源流と進取の精神を感じた取材でした。また京都のみならず、日本の各地に、志をもってものづくりに励む人たちがいることも知りました。
京都を訪れた人、また地元の人もぜひ足を運んでもらいたいと思います。最期は土にかえる煉瓦とタイルを身近に置く暮らしが広がりますように。

 

タイルギャラリー京都
京都市下京区木津屋橋通西洞院東入学芸出版社ビル3階
開館時間 11:00~16:00
開館日 毎週月曜、火曜、木曜日/第2・第4の金曜、土曜日

お寺は今も 地域のよりどころ

お寺とは今の私たちにとってどんな存在でしょう。お盆やお彼岸にお経をあげていただくくらいのお付き合い、お寺によってはお庭やご本尊の拝観といったところでしょうか。
「縁がないなあ」という人がほとんどのこの頃、お寺の存在、果たす役割は大きいと感じます。少子高齢化とそれにともなう家族構成や、まちの成り立ちの大きな変化によって「つながり」を持つことが難しい現代に、西本願寺の門前町の面影が今もなお漂う界隈に、地域に開かれ、様々な催しで人と人がつながるお寺があります。法話会や落語、コンサート、学生主催のイベントなど、堅苦しいお寺の敷居をぐんと低くして、みんなが軽々と自由に楽しく集まる「一念寺」の住職、谷治暁雲さんのお話は、まさにお寺と人が育む門前町のまちづくり物語です。

古い歴史のある寺院の再生

一念寺
取材に伺ったのは、ご住職がお経をあげに行かれ、戻られたばかりのお忙しい時でした。「明日お願いします」とお願いされることも度々あると聞き、お参りを大切にされている方にとって、お寺はなくてはならない存在なのだと感じました。
一念寺は西本願寺の門前町にある浄土真宗本願寺派の寺院です。戦国時代(1528年)に創建されたという記録が残っています。明治初期に建てられた現在の建物の、落ち着いたたたずまいは門前町の品格も伝えています。
一念寺
門から本堂までの庭は、少し逸れたように配置された敷石の妙、自然な雰囲気の植えこみなど、茶室の路地のような趣を感じます。そして、すぐにご本尊の阿弥陀如来様と身近に対面することができる、みごとに考え抜かれた構造です。「こじんまりしたお寺」とよく言われるそうですが、その言葉の通り、厳めしさではなく、おだやかなやさしさを感じる空間です。
一念寺の谷治住職
谷治住職は「在家(ざいけ、出家せずに普通の生活をしながら仏教に帰依する)」の人で、大学の専門は社会福祉でしたが、卒業後、仏教の専門学校で研鑽を積み、ご縁があって一念寺を受け継がれました。プロテスタント系の幼稚園へ通い、小学生の頃は毎週教会へ通っていたそうですので、本当にご縁なのだなと感じます。「スカウトされたのです」と茶目っ気のある話しぶりも、場をなごませてくれます。本堂は阿弥陀様はじめ大きなろうそく、お花やなどが「これ以外ない完璧なバランス」で配置されています。当時の名もない職人たちの美意識や感性、それを実際にかたちにした技は本当にすばらしいと住職は語ります。

「一念寺へはじめて来て、前の住職と話した時も、今座っているこの場所でした。この位置から見た阿弥陀様や内陣が本当にすばらしく、導かれているように感じました」とその時のことは今も鮮明です。その導きともいえる出会いから2000年に一念寺を受け継ぎ、自身の人生もお寺も新しい歩みを始めました。

仏教と理系が融合した「DIY」のお寺


受け継いだ時の一念寺は、雨漏り、崩れかけた壁、草が伸び放題の庭など大変な状態だったそうです。本堂以外にも中庭や、渡り廊下の先には洗練された意匠の茶室もあり当初の持ち主の文化度の高さを感じます。
釈迦涅槃図、牡丹が描かれた襖絵や板戸など、何気なくその場にあるものも、美術品・書画骨董と言えるようなものです。おそらく江戸時代後期のものではないかと言われていました。こういった調度品や、木彫の牡丹と格子の欄間もみごとです。
一念寺の涅槃図一念寺の襖絵
日本の美にふれることができるのもお寺の魅力です。「本当は襖もきちんと修復したいのですが、そこまで手が回らなくて」と言っておられましたが、剥がれていた壁はまわりと色を合わせて塗り、雨漏りも自ら修繕し、電気関係や耐震対策も、法律にふれない範囲でみずからやっていると聞いて驚きました。
一念寺の欄間とスピーカー
木彫の牡丹に続く格子の欄間は現代のものですが、牡丹の古色に合わせて色を付けるなど、職人さんの巧みな技とともに美意識が生かされています。また、各部屋の鴨居にスピーカーを取り付け、催しをしている本堂の様子が聞こえるようにしています。楽屋にいてもスピーカーから舞台の進行がわかるのと同じです。そして話の合間に「メーカーはBOSE、ボーズです」とサービス精神満載なコメントもいただきました。

オンライン法要の様子
サイトでは過去のオンライン法要の様子も見られます

また以前通信関係の会社で仕事をしていた経験からネット環境を整え、ホームページで「ひとこと法話」「御門徒様 連絡用ページ」「趣味のページ」など情報発信しています。趣味のページは、浄土真宗の実践活動に関する「真宗学の部屋」、故障が出たタブレットを修復する「改造日記」とマニアックとも言える濃い内容です。「真宗学の部屋」は、宗教者の実践的な社会福祉活動について書かれ、現代社会にも共通する示唆に富んだ内容です。「改造日記」はその分野が好きな人にはとても興味深いのではないかと思います。
一念寺
お寺は会場としてだれでも気軽に低料金で使えるようになっています。住職は、催しは必ず撮影をして、次の時にはその画像を見て必要な状態に整えておいてあげるそうです。「出演者は、傷つけたらいけないとか準備にも、いろいろ気を使ってしまいますが、私ならここへ釘を打とうとかできますから」という心遣いです。「DIYの寺なんですよ」と笑って話されました。副住職を務める奥様の真澄さんと一緒に日々みなさんをお迎えし、奮闘しています。

門前町の地元の大切な拠点


以前、屋根にのぼって修理しているところを門徒さんが見かけて「住職さん、そんなとこのぼって危ないですよ」と驚いて声をかけてくれたそうです。ほのぼのとした間柄がうかがえます。一念寺を受け継いだ時、25匹いた猫の貰い手探しに奔走し、そんなつながりから「犬、猫との出会い」の譲渡会も行っていて、普段地元の人と話す機会がなかなかないマンションに住んでいる人も「ねこちゃん見に来たよ」と交流することができました。また、芸術文化や様々な分野にもお寺を活用されています。
一念寺は門徒さんを「メンバー」と呼んでいます。これはだれでも自由にお寺へ来て、人と会い、話をして楽しく過ごし、そこからまた人と人がつながっていくという思いからです。住職は「建物が持っている力、空間の持つ力」と表現します。
一念寺の谷治住職
若い人もここへ来ると悩みや思っていることを話せる、心が解き放たれる場に感じています。「空」という考え方はこだわりや、ねばならないという思いから解放されることと語ります。それは「自分はどう生きたいか」考え守るために大切なことです。お坊さんは、そういう人々の話を聞く役割を果たせると考えています。「仏教が培ってきた2500年の教えは今こそ生かすことができます」と続けました。お寺に人が集まることでお寺は若返り、今住んでいるまちにとって何が必要かをあきらかにして、みんなで共有することが大切です。お寺はそういった点で、ハブ的な役割を果たせる地域の拠点だと考えています。地域の課題を地域で解決していくことは、これからますます大切になります。
正面通
一念寺の隣の歴史ある番組小学校はホテルの建設が計画され、地域の運動会もできなくなっています。長引くコロナの影響でお祭りの中止も続いています。そのような状況のなかで社会の変化に対応しながら、京都の歴史に学び、その良さを生かしながら住む地域づくりに果たすお寺の役割はますます重要になると感じました。帰り道、本願寺にまっすぐつながる「正面通」界隈を歩くと、法衣や仏具、数珠を商う店や旅館があり、門前町の面影を残しています。暮らしと生業が今も成り立つまちであってほしいと願いました。

 

一念寺
京都市下京区東中筋通花屋町下ル柳町324

築94年の町家 お茶を商い百余年

京都府内のお茶どころでは、茶摘みが終わり、今は加工製造や茶畑の手入れと引き続き忙しい日々が続いていす。「新茶入荷」のぼりや鮮やかな墨文字の張り紙に、もうそんな季節になったと気づかされます。

上京区に、つつましく端正なたたずまいのお店があります。創業から100年を優に超えてお茶を商うでお店です。建物も茶壷や棚も引き継ぎ、母娘で「清水昇栄堂」を守っています。
代表の清水和枝さん、娘さんの内藤幸子さんのお話は、静かで優しい語り口のなかに、京都のまちなかで商いを続け、家を守ってきた家族だからこその内容で、引き込まれずにはいられませんでした。

93歳、現役で店を切り盛り

清水昇栄堂
清水昇栄堂は創業時は別の地に店舗があり、94年前に現在の町家が建てられ、移転されたそうです。「父方のおばが生まれた年に建てられたそうなので、この家とおばは今年94歳の同い年です」一世紀近い築年数の伝統的な京町家も、こんなふうに語られると、重々しさより、家も家族のようなほほえましさを感じます。
清水昇栄堂
店内へ入ると急須、湯飲み、お茶缶、抹茶茶碗、茶せん等々、お茶に必要なものがすべて揃っています。なつかしさを感じる急須もありました。おばあさんがいるお家にはたいてい「萬古焼(ばんこやき)」の急須がありました。うわぐすりをかけてない、少し紫をおびた薄茶色あるいは薄墨色のような地肌をしています。三重県で生産され、丈夫なことと土に含まれている成分によって渋みが抑えられるのが特徴ということです。また鮮やかな朱色の急須は「常滑焼」です。
愛知県の常滑で作られていて、こちらも、うわぐすりをかけない焼き方で、陶土にお茶の雑味などが吸収されて、まろやかでおいしいお茶が飲めるのだそうです。

急須のそそぎ口にビニール製の保護キャップがかぶせてありますが、これは「持って帰らはる時や送る時に欠けないようにするためのものなので、使う時ははずします」と言われました。使う時に欠けないように保護のために付けてあると思っている人も多いようです。次々とお聞きするうちに、母親の清水昇栄堂代表の和枝さんも話に加わってくださいました。

清水昇栄堂代表の清水和枝さん
清水昇栄堂代表の清水和枝さん

「私は93歳。21歳でこの家へ嫁いで、その時からやから、もう72年もお茶を売ってます」と話す笑顔がすてきです。「お茶は日本全国たくさん産地があるけれど、うちは宇治茶だけを扱かってます。お茶も急須もみんな長く取引きしているところばかりです」と、ぶれることなくお店を続けてきた人の重みを感じる言葉です。ご主人は「お茶は斜陽産業やから」と言って、幸子さんに跡を継いでほしいとは言わなかったそうです。しかし早くに亡くなられ、和枝さん一人でがんばっていましたが、幸子さんもやがて通いで手伝うようになったということです。平坦なことばかりではない年月も過ごされてきました。幸子さんも「母は本当にしっかりしています。私が近所へ買い物に行っている間は一人で店を見てくれています」と感心の面持ちで話すのが、母娘の細やかな気持ちの通い合いが感じられて、こちらもあたたかい気持ちになりました。
二人がかもしだすやさしい、おだやかな雰囲気がお客さんにも伝わっているのだと感じました。

昔の道具博物館のようです

清水昇栄堂

清水昇栄堂
「茶 清水」の文字が見えます

仕事に使う道具の類はさておき、よくきれいに残してあったと感心する歴史の証しもあります。見せていただいたのは、出町枡形と下鴨までの範囲の120軒のお店が一同に並んだ昔のチラシです。「明治廿七年十月改正」と記されているので初版はもっと前ということになります。昇栄堂にはチラシとして配布された和紙に印刷されたものが額に入れられ保存状態もよく残されています。
非常に興味深かったのは「支度、走り、棒、かもじ」などというお店があることです。棒は担ぐための棒、支度は特別な衣装に着付け、走りは文字のごとくひとっ走りものを運ぶ仕事ではと、お二人は推測していました。
昭和の終わり頃に復刻印刷されたものも見せていただきました。昇栄堂と黒々と書かれた名前があります。今も残っているのは3軒だけです。前述したようなお店は暮らしそのものが大きく変化し、当然消えゆくところもあるわけですが、昇栄堂がそのなかで建物だけではなく、家業も息をつないでいることは、本当にすごいことと改めて感じました。

清水昇栄堂
箕を手にした内藤幸子さん。後ろには年季の入った茶壷や茶箱が見えます。

お店の造りはもうめずらしくなった「座売り」の形式です。そしてまた重ねてすごいのは、大きな茶壷や茶箱、棚や引き出しもすべて今も使われていることです。和枝さんは「お茶は熱と湿気に弱いので、茶壷の中にさらに容器がある二重式になっていて、気温を25度以下に保つために前は「室(むろ)」へ入れました。生鮮食料品と同じです」と話されました。
またふるいや和紙を張った箕は、お茶の葉にまじった細かい粉を落とす時に使うそうです。おもりをつけて量るはかりも狂いはないそうです。少なくなったとは言え「お茶は急須でいれる」お客さんとも、長いお付き合いがあります。きちんとした仕事で細く、長く、という京都の商いの原点をみた思いがしました。

元気にやれるうちはがんばります

今も残る史跡、大原口道標
江戸時代、寺町今出川は大原口とよばれ今も道標が残っています。

お店のある寺町今出川付近は、昔は大原へ続く「大原道」の交通の要衝でもあり大いににぎわった地域でした。今も出町枡形商店街と鯖街道の縁をつなぐ企画など、地域あげてがんばっている魅力のある商店街です。
この京のさんぽ道でご紹介しました「いのしし肉の改進亭」も昇栄堂のすぐ近くです。すでに商売はたたんでいますが「傘」の看板が今も残る商家「貸布団」の看板、営業を続けられている理髪店など暮らしを支えてきた街道筋の商店の面影を残しています。

元傘屋さんの町家
元傘屋さんの町家

清水さん母娘は「もう、次の世代に継がせるのは無理ですね。お茶を飲む人も本当に少なくなりましたし。私たちにしても暮らし方はいろいろ変わりましたから、これまでと同じようにはいきません」と明るく仕舞う時の来ることを心に置いています。はたから見て「もったいない。なんとか続けられないのかな」「だれか受け継いでくれる人が出てこないかな」などと簡単に口に出せないことだと思いました。
でも、いつも飲んでいるお茶を指定して訪れるお客さんも何人もいて「ここがあってよかった」と喜ばれています。続けてほしいと思う人がいることは励ましになっています。
清水昇栄堂
建物や景観と生業は京都の重要な課題であると思います。当事者でなくても、それを何らかの形で享受してきた私たち一般市民はどう考え、何かできることがあるのか。これからも考えていきたいと思います。
惜しくもなくなる生業や建物があっても、それまでつないできた仕事や家族の様子を、この京のさんぽ道という、小さなブログの領域であっても大切に描き続けていこうと思いました。

 

清水昇栄堂
京都市上京区寺町今出川上る表町37
定休日 日曜、祝日

長岡京の都の夢を つなぐ旧家

京都府の西南部、向日市は住宅地と竹林や田畑のなかに、1200年前の長岡京の都の跡を示す石碑や公園が点在しています。塀をめぐらせ、門を構えた格式ある「旧上田家住宅」も長岡京の跡に建てられています。
2016年、国の登録有形文化財に登録され、昨年11月に一般公開が始まりました。りっぱな床を設えた座敷やおくどさんのある土間、内蔵、外蔵もある伝統的な形式を受け継いだ農家住宅としての見どころとともに、1200年前の歴史の地層の上にいることをイメージできる、他にはない文化施設となっています。

長岡京の都と上田家住宅が刻んだ時

旧上田家住宅旧上田家住宅
旧上田家住宅は明治43年(1910)に、建築され、昭和17年(1942)旧国鉄による、戦地への輸送強化のための通称「弾丸列車」という新線計画によって現在の場所、長岡京跡に移転されました。今も建物の内外に遺跡の一部「築地回廊」の柱や雨落ち溝などの位置を示す表示があります。
今立っている場所が1200年前とつながっているような、どきどきする感覚を覚えました。同時に、移転した経緯や移転先が長岡京の歴史を物語る地であったことに、交錯する歴史を感じます。
旧上田家住宅
敷地の東側には農機具の収納や米蔵として使われた「外蔵」が、主屋脇には野菜を貯蔵した室(むろ)があり、大農家の営みがうかがえます。
主屋に入ると、長岡京の宮と参内する人々を描いた襖がはるかな時代へ誘ってくれます。桓武天皇によって長岡京が造営された時、大極殿の西にあった「西宮」は、6か月という最速の日数で建てられたそうです。遷都の理由の一つとなった大和の寺院や一部の貴族などの勢力に気付かれず、極秘のうちに建設を進める必要があったからです。
背割堤
また、川の少ない大和に比べ、長岡は桂川、宇治川、木津川の三川合流地点にあり、長岡へ入ってからは小畑川があって船運の好条件がそろっていたことがあります。それは平城京で使った木材をそのまま長岡京で再利用するために船が使えることはとても好都合だったのです。「長岡京から平安京へ移った時もまた再利用されました。この時代はとてもエコだったのです」というガイドさんの説明に同感、納得しました。
また当時はごみは川へ流して処理していましたが、川の少ない大和ではごみがたまって困っていたそうです。奈良時代のごみ問題を聞いて当時の人々に親近感を抱きます。

旧上田家住宅
長岡京を北から見た図にもその近さから川が描かれています

襖の反対側には北から南を向いた長岡京の全体図が描かれています。当時の人口は約5万人、そのうち7~8000人が政府の役人だったそうです。「お役人が多いですね」という感想に「当時は記録一つにしても木簡に手書きですから、一つ一つの仕事にとても手間がかかったのです」という答えにまた、なるほどと思いました。
小畑川の洪水や疫病の蔓延、また桓武天皇の身内の不幸が続くなどわざわいが重なり、10年で平安京遷都となりました。長岡京は「幻の都」とも言われていましたが、その存在をあきらかにしたのは、人生をかけて長岡京の発掘を続けた考古学者、中山修一さんの情熱と不屈の精神のたまものです。
旧上田家住宅内の内蔵ギャラリーには、発掘作業の写真パネルが展示されています。そのパネルには中山修一さんと協力した学生たちの姿も写っています。旧上田家住宅の空間は歴史を今につなぎ、そこにかかわった人々の存在を私たちに伝えています。

ていねいな暮らしの痕跡

旧上田家住宅
旧上田家住宅は平成28年(2016)に所有者の方から向日市に寄贈されました。見学して感じたことは「暮らしが見える」ということです。たき口が6つもあるかまどは、Cの形の構造をしていて一人で火焚き番ができます。大きな鍋釜がかけられた様子に多くの人が働いていた大農家の活気が伝わってきます。
床柱や床板やかまちに、最高の材や熟練の技が駆使され、ガラス戸のゆがみのある古いガラスや、美しくそしてしっかり作られた建具など見どころが多くあります。

旧上田家住宅
障子の下部分には玄関に入って来た人を見ることができるスライド式の建具が

旧上田家住宅旧上田家住宅

昭和の初めに製造された柱時計はまだ正確に時を刻み、手押しポンプからは水がほとばしり、子どもたちに大人気だそうです。水質検査も受け、飲料水として使用できます。足踏みミシンは「SINGER」シンガー社製、多くの家庭にあったミシンでなつかしく思う人も多いようです。製造番号があり1929年に製造されたとわかります。
また庭木やりっぱなつくばいも移転の際に運ばれたもので、優に100年を超えています。きりしまつつじは今年もみごとに真っ赤な花が咲きそろい、離れの庭にある金木製が咲く秋は、あたりは甘い香りに包まれるそうです。
旧上田家住宅
現在のご当主で6代目になられるそうですが、代々のていねいな暮らしぶりが思われる建物です。この空間の心地よさは、建物が住む人とともに刻んできた日々の積み重ねなのだと感じました。

足元に古代、そして旧暦を楽しむ空間

旧上田家住宅
今年旧暦のひな祭りに飾られた、地元の方のちりめん細工

今年四月のはじめ、ちょうど桜が咲いた時期に「旧暦で祝うひな祭り」の催しが行われ、ちりめん細工のつるし雛や大正元年作製のお雛様が飾られ、多くの人が足を運び、うららかな桃の節句を楽しみました。
昔の暦では一月は七草、三月桃、五月端午、七月七夕、九月重陽(菊)と五つの節句がありますが、現在では新暦で行っているため実際の季節感より早めになっています。たとえば桃の節句の今の三月三日はまだ寒く、花も開く前です。その点、旧暦(月遅れで行う場合が多い)は、その季節にぴったり合います。旧上田家住宅では五節句を旧歴でお祝いし、季節の習わしを楽しもうと企画されています。
ちなみに五月「端午の節句」は今月24日から開催予定とのことで、着々と準備が進められています。伝統的な建物にふさわしい催しです。
旧上田家住宅
このほかにも、かまどを使って餅米を蒸してお餅つき、また4部屋ある座敷は講演会や仲間うちの気の置けない集まりにも使用できます。内蔵ギャラリーも作品展が予定されているそうです。今を生きている私たちのみなもとには10年の短い間であっても、平安京に匹敵する都があったことを知り、100年を超えて大切に受け継がれてきたすぐれた文化財の建物を身近に使えるすばらしさを、これからも多くに人に広げてほしいと思います。そして地元のみなさんが誇りとする、ふるさとの文化資産を共同して今に生かす活動に期待がふくらみます。

 

国登録有形文化財 旧上田家住宅
京都府向日市 鶏冠井町(かいでちょう)64-2
開館 9:30~16:30
休館日 月曜及び毎月1日

「ヨシ焼き」で始まる 伏見の春

マスク越しでも感じる梅の香り、お米粒のような花が二つ、三つ開き始めた雪柳。ずいぶん日も長くなりました。こんな小さなことにも気持ちが弾みます。自然から受け取る春の知らせが日ごとにふえています。
伏見の宇治川河川敷は、関西でも有数なヨシ原の群生地となっていて、面積は35ヘクタール、甲子園の約27個分にもなる広さです。枯れたヨシを刈り取ったあと、3月に入ると春に元気な新芽が出るようにヨシ焼きを行います。広大なヨシ原に燃える火が今年も伏見に春を告げます。

ヨシを生業としヨシとともに歩んだ地域


ヨシは昔から、よしずやすだれ、屋根を葺く素材として使われてきました。ことに伏見向島の宇治川河川敷や、大きな遊水地であった「巨椋池(おぐらいけ)」は良質のヨシ原が広がり、そのヨシを刈り取り生業とする「ヨシ屋」が何軒もあったそうです。伝統建築の寺院や茶室、民家のほか、地元の三栖神社(みすじんじゃ)の祭礼「炬火祭(たいまつまつり)」には、ヨシのみの大きなたいまつを奉賛会のみなさんが調製されるそうです。たいまつは「松明」の文字をあてるように、松をはじめ竹など木を使うことがほとんどで、ヨシはめずらしいようです。このことからも、ヨシとの古くからのつながりがわかります。

山田雅史さん(山城萱葺株式会社サイトより)

しかし、よしずは安価な中国産に押され、暮らし方の変化などから伝統構法の建築も減少するなどして、ヨシが利用されることも少なくなっていきました。多くの人がかかわっていた「ヨシ屋」も、ついに一軒だけになってしまいました。唯一、京都でヨシを扱い、茅葺屋根工事も行っているのが「山城萱葺株式会社」です。
代表の山田雅史さんは、ヨシ屋の五代目として家業を継いだのですが、その当時すでにヨシのお得意さんである屋根葺職人さんは急減し、少ない職人さんも高齢化していました。そこで「使う側の人」になることを決心して、修業をし、自ら屋根葺職人になったのでした。
今では全国の民家の屋根葺や文化財の修復、また「美しい萱葺屋根をもっと身近に」と新しい事業も展開されています。
そして「ヨシ原を守る」ことを重要な事業として掲げ「伏見のヨシ原、再発見プロジェクト」の事務局を会社内に置き、地元企業として地域の力になっています。

実際にヨシ焼きを目にした時

伏見のヨシ焼
今年のヨシ焼きは3月7日から26日までのあいだの、風の弱い安全な日に5日間ほど、早朝5時30分から10時頃までと予定されています。実際にヨシ焼きの現場へ行き、燃え盛る火を目の前にすると、なぜか胸にこみあげるものがありました。神聖で、あたたかく明るい火。普段、火の用心くらいは思っても、深く感じることもないけれど、広いヨシ原で見た火は落ち着いて振り返ることも大切であると気づかせてくれた気がしました。
帯状に燃やして、ちょうどグラウンドに白線を引くような感じで、焼く区域の区切りをつけたり、ヨシの束をかついで、風向きに細心の注意を払いながら進めていく作業の大変さをつくづく感じました。「春の風物詩などと、のんきに見ているものではないと思いました」いう私の言葉に山田さんは「のんきに見てくれたらいいんですよ。火事にまちがえられて通報されるよりずっといいですよ」と笑いました。
伏見のヨシ焼
以前、煙りが道路に充満して通行止めになってしまったこともあったそうで、ヨシが湿っていると煙りが出るので、よく乾かすなど、とても細やかに厳しいチェックをされています。ヨシ原は、すこやかなヨシを育てることと同時に、動植物のすみかとしてもとても大切です。小さな生き物にとっての35ヘクタールの楽園は、毎年このようにして守られているということが実感できました。
伏見のヨシ
刈り取った3~4メートルもあるヨシが、空に向かって円錐形に束ねられてあります。中へ入れるヨシの「かまくら」版のようにも見えてきます。耕された田んぼや畑にも感じることが、農家の人や職人さんの仕事の美しさです。このヨシの塔も、ヨシ原の景観の重要な要素になっています。このような束ね方も継承されて来たし、これからもそうして、一つ一つ継承されていくことに感慨を覚えました。

地元の文化・自然の資産をみんなでつなぐ

めじろ
この大切なヨシ焼きですが、産廃規制法にふれる可能性があるということで中断されたことがありました。それを知った地元のさまざまな団体・個人が集まり、シンポジウムを開くなどして「地域みんなで考える」ことに取り組み、1年後には「伏見のヨシ原、再発見プロジェクト」が発足するという迅速な動きで次の年には行政にもかけあい「ヨシ焼きスタート」が実現しました。以後、行政とも協調体制ができ、市民参加の恒例行事として定着しています。
つばめ
子どもたちにヨシ原の大切さ、自然のおもしろさを伝えたいと、25000~35000羽もやって来る西日本有数のツバメのねぐらでもあることから「ツバメの観察会」も毎年行っています。このような、地元のみなさんによる地道な活動の積み重ねに、とても希望を感じました。
山城萱葺株式会社の山田社長さんは「京都建築専門学校」の卒業生で、今も学校へ行って後輩の指導をされていると聞き、この京のさんぽ道でも取材させていただいた学校と佐野校長先生につながるご縁がありました。
伏見のヨシ
ウグイスの初音や、名前は知らねど、とてもきれいなさえずりも聞くことができました。枯れ草のあいだから小さな緑の芽が出ています。堤防の道を歩く人の足取りも何となく軽やかに思えます。今回のヨシ焼きの見学は、自然の営みとその環境を守るために日々かかわっているみなさんの活動の重みを感じました。伏見向島のヨシ原の自然は多くのことを告げてくれます。ヨシ原が緑の色におおわれ、何万羽というツバメがネグラへかえってくる夏にまた訪ねたいと思います。

 

山城萱葺株式会社(「伏見のヨシ原,再発見!」プロジェクト事務局)
城陽市寺田中大小100番地

人と産地と 一杯のコーヒー

京都は喫茶店の多いまちです。昭和の老舗喫茶店が健在な一方で今、20~30代の経営者によるコーヒー専門店も注目され、京都の喫茶店文化に新しい風が吹いています。今年7月2日、京都駅に隣接するキャンパスプラザ京都1階に店舗をオープンした「コヨーテ」は、中米のエルサルバドルの生産者から直接コーヒー豆を買い付け、コーヒーが育った土地や、農園で働く人々の姿や思いも一緒に届け、双方の未来へとつなげるコーヒーブランドです。エルサルバドルのコーヒー農園で、一緒に仕事をして信頼関係を築き、生産者と消費者の間に立つ存在でありたいと、この事業を立ち上げた、バイヤーでもある門川雄輔さんも現在29歳です。

意志を込めた「コヨーテ」の名

コーヒーチェリー
コーヒーチェリー

もともとコーヒー好きだった門川さんでしたが、大学生の時にバックパッカーとして中南米を旅するなかで、コーヒー農園で収穫を手伝う機会がありました。そこで、豆はチェリーと呼ばれるさくらんぼのような美しい赤い実であること、収穫は想像以上に重労働であり、コーヒー栽培には多くの人の手がかかっていることを知りました。この時「農作物」としてのコーヒーを実感した体験がその後の「コーヒーを仕事にする」選択のみなもとになりました。コーヒーの魅力をより深く感じるようになり、卒業後はコーヒー製造会社へ就職しました。JCTC(ジャパン・カップテイスターズ・チャンピオンシップ)という、コーヒーの専門家がしのぎを削る「カッピング」の競技大会で決勝に進むほど、技術や知識を深めました。しかし、門川さんが描いていた、コーヒーそのものや、生産者とつながる仕事に直接関わる部署の担当にはならず、悶々とした思いを抱いていたそうです。
COYOTE外観
その時、JICA(ジャイカ)青年海外協力隊の「エルサルバドルでのコーヒー農園支援」の募集を知り、コーヒーの生産について現地で学ぼうと決心し、退職した後2018年に、エルサルバドルへと飛び立ち、農園でマーケティングの仕事をし、経験を積みました。「農作物であるコーヒーは、天候など様々な要因で、毎年まったく同じように品質の良いものを生産することは不可能です。それでも生産者は、良いコーヒーを作るために努力を惜しまず励んでいます。その年の品質だけで判断するのではなく、長期にわたって努力している、信頼できる生産者のコーヒーを買い付けています」と、門川さんはコヨーテの生産者との関係の明確な指針を語ってくれました。
ちなみに「コヨーテ」とは、コーヒー売買の中間業者(搾取する)のことなのだそうです。新規事業に、皮肉な攻めた言い回しとして、名付けたところにも並々ならぬ思いが受け取れます。
一杯のコーヒーに、どれだけ豊かな自然と人の営みがあるかを知り、そこをイメージして味わえば、コーヒーとの関係も、もっと楽しくなると感じました。

内装はワークショップの「共同作品」

カッピング
開店前の重要な仕事が、コーヒーの風味や香り、焙煎の適切さなどを確かめる「カッピング」です。ワインのテイスティングとよく似ています。集中した厳しい空気がこちらにも伝わって来ます。いくつも並んだカップを前に「この香りはいいね」「ローストはどう」などやり取りをして「これで良し」となると、お店で提供するコーヒーになります。
コヨーテでは、生産から流通まできちんと管理され、独自の風味を持つ「スペシャルティコーヒー」と、農園や生産者、品種など細かく分類された単一のコーヒー「シングルオリジン」を扱っています。運ばれてきたコーヒーには、産地の物語、そのコーヒーの個性について記された心のこもったカードが添えられています。シングルオリジンには生産者の直筆サインが入り特徴が、深く豊かな言葉でつづられています。
この日、門川さんが選んでくれたコーヒーには、生産者アントニオさんのサインのあるカードが添えられ「オレンジの花のような爽やかさ、グァバのようなフレッシュな酸と軽やかな甘みが印象的」と記されていました。
COYOTEのコーヒーコヨーテのシングルブレンド
オスカルさんのコーヒーのカードには門川さんとのやり取りが綴られています。オスカルさんは、門川さんをカディート(スペイン語で子猫の意味)と呼び、元気かいと笑顔で迎えています。親しい間柄がわかります。人柄とエルサルバドルの農園を想像しながら飲むコーヒーは、それはもう最高のおいしさです。
コーヒーもワインのように、時間によって味の変化を楽しむことができることを知りました。本当によいコーヒーは、冷めると飲みこんだ後に、脂肪分のとろっとした感じを味わえるのです。コーヒーには、まだまだ新な発見と魅力が尽きません。
COYOTEの店内コヨーテの寄木テーブル
ゆっくりした気分に沿ってくれるような内装もとても良い雰囲気です。これは工務店さんが取りまとめ役になり、20名ほどで取り組んだワークショップの内装と聞き、それも新鮮な驚きでした。キャンパスプラザの一画である場の性格を生かした、つくり過ぎないけれどきちんと仕事がされていて、みんなで楽しく作業した空気感があらわれています。寄木細工のような味のあるテーブルもワークショップの作品です。

COYOTEの藍染ののれん
コーヒーチェリーを咥えた、まさに「コヨーテ」なのれんです。

多治見焼のドリッパー
入り口の印象的な藍染ののれんは、スタッフさんが型もつくり、染めまでやったと聞き、驚きの連続です。「ものをつくることがすきなので、楽しくやりました。ここは西日がきついので、藍の色がいい具合に落ちついてきました」と話してくれました。
くち当たりが良く、手に収まりやすいカップは福井県の窯のもの、ドリッパーは多治見焼と聞きました。エルサルバドルのコーヒーに、日本のものづくり産地の手仕事も参加して、空間をかたちづくる要素になっています。人も内装もモノも「寄り合う」おもしろさにあふれています。

京都とコーヒーの新しい発信の場

コヨーテのカフェラテ
朝のカッピングが終わり、開店時刻になりました。緊張感のある雰囲気だったみんなの顔がぱっと笑顔になりました。常連のお客さんのようです。「おはようございます」のあいさつを交わし、香り高い一杯のコーヒーで一日が始まれば「今日もいい日になりそう」と思えることでしょう。スタッフのみなさんの楽しく働いている様子が生き生きとして明るい店内の雰囲気をつくっています。
またコヨーテはヴィーガンに対応しています。ヴィーガンは肉、魚のほか卵。乳製品、はちみつなど動物性由来の食材を使わない食生活です。コヨーテには仲間が作る焼き菓子も置いてありますが、完全に植物由来の原材料で作られています。カフェラテも牛乳を使わず、オーツミルクを使用しています。それぞれを味わってみて、バターや卵を使ってなくてもコクがあり、ほのかでありながら甘みもしっかりあり、本当においしいと感じました。
ヴィーガンについて「特別なもの」と思っている人が大多数だと思います。しかし実際に食べて飲んでみて「ヴィーガンは、だれにとっても体によく、作物本来の滋味を味わえるもの」と実感しました。ヴィーガンやアレルギーのある人も、だれもが安心してコーヒーやお菓子を楽しめるお店として、この点でもコヨーテが牽引していくのではないかと感じました。

門川さんは「コーヒーは職人気質の気難しい世界と思われていますが、まずは居心地のいい空間だな、コーヒーがおいしいなと思ってもらい、そこから段々深くコーヒーの話になった時、おっ、けっこうよく知ってるやんとなる。そして一杯のコーヒーから生まれる、どこでできた豆だろうという思いにつながっていけばうれしいなと思います」と語りました。
他府県からのコーヒー好きのお客さんも多く、門川さんやスタッフがすきな喫茶店やごはん屋さんを紹介することもあるそうです。場所は京都駅に隣接する京都の玄関口です。コヨーテが思う京都、コーヒーの物語についての発信を多くの人が受け止めていくことでしょう。そんな新しい京都の入り口になってほしいと願っています。そして門川さんが描く「エルサルバドルのコーヒーをもっと、もっとたくさん買いたい」という構想も、実現にむかって進んでいくと感じました。

 

COYOTE the ordinary shop
京都市下京区東塩小路町939 キャンパスプラザ京都1階
営業時間 7:00〜19:00
定休日 毎週月曜日(祝日の場合は営業)

ドロップ缶のように 楽しむ喫茶店

嵐電の路面電車がゆるゆる走る通りから、少し脇へ行ったところに「入ってみたい」と引き付けられる喫茶店があります。店内はヴィンテージのアクセサリーや雑貨が風景のように配置され、独特の世界観をつくり出しています。古き良き時代のきらめきにあふれながら、始めて入っても、よそよそしさを感じさせない心やすさがあります。
おいしいコーヒーと、年代を経たかわいくておしゃれで美しいものの心地よさにふれ、楽しんでもらいたいという経営するお二人の思いが、すみずみまでいきわたっています。
「入ってみたい」が「また行きたい」になるこのお店は「喫茶とヴィンテージ雑貨 サイドロップ」です。

サイドロップ時間を楽しむ

サイドロップス外観
看板を見た時、古き良き時代のアメリカの雰囲気を感じた「サイドロップ」の名前。地名であり嵐電と阪急の駅の名前「西院(さいいん)のさい」と「いろいろな味をつめ込んだドロップ缶のようなお店にしたい」という思いを合わせたと聞き、そのユーモアのあるセンスに拍手する思いでした。
「カタカナは古びないし、簡単に読めるでしょ。そうやって親しんでもらって地域のみんなの憩いの場にしたいと思ったから」と、名付け親のケイコさんは由来を話してくれました。
サイドロップスの看板猫、あめちゃん
開店して今年で9年を迎え、おいしいコーヒーとなじみのある軽食と喫茶メニューで、この地域の得難い喫茶店として月日を重ねています。
開店した年に生後3か月で家族に迎えた男の子ねこの名前も「ドロップは飴だからアメちゃんにしよう。子どもにも覚えてもらいやすいし」と決まりました。アメちゃんはお店へ出れば大人気ですが、テーブルの上へ乗らず、食べ物に手を出さず、お客さんを威嚇せずと、お行儀は完璧です。カメラ目線で撮影にも応じ、取材は何回も受けています。外へは出ませんが、表を通る人や鳩を眺めるのがだいすきで、子ども達にもかわいがられています。
アメちゃんはサイドロップの優秀なスタッフとしての自覚を持ってみんなと接しているのです。でもアメちゃんの出勤はアメちゃんに任せていますので、残念ながら会えないこともあります。その時は次の出会いを楽しみにします。
サイドロップスの店内
ケイコさんとヒロコさんの二人が大切にしていることは、何よりもお客さんにおいしいコーヒーと食事をゆっくり楽しんでもらうことです。サイドロップの居心地のよさは、こうしたお二人のきちんとした考えや毎日の仕事にあると思います。でも、それを当たり前のこととしてことさら強調したり表に出したりしないからこそ感じる、ゆとりなのだと思います。今日もお客さんそれぞれの、自由なサイドロップの時間が流れています。

ヴィンテージで統一された空間

サイドロップスのディスプレイ
サイドロップの大きな特徴は喫茶店であると同時に「道具商」の申請許可を受けて、古い道具やアクセサリー、服飾・雑貨も販売していることです。店内の一段上がったスペースには3つの異なる雰囲気の席と、ため息のでるようなすばらしいヴィンテージのアクセサリーや雑貨がところを得て、静かに輝きを放っています。それぞれのコーナーは独立していながら統一感があり、また不思議と親しい感じをかもし出しています。
サイドロップスの雑貨
仕入れやディスプレーはケイコさん、アクセサリーや洋服、小物のコーディネートはヒロコさんが担当しています。並んでいるアイテムは幅広く、洋の東西にかかわらず「すきなもの、気持ちにかなうもの」を連れて帰って来たような印象で、最初からそこにあったかのようにおさまっています。
そして配置は常に少しずつ変わっています。コロナが続き、商品が入らない状況が続くなか「少ないアイテムで、いかにすてきに新鮮な空間をつくるかがポイント」とケイコさんは語ります。
サイドロップスの帯留
日本の職人技と美意識にほれぼれする帯留め、フランスの繊細なレース、オードリー・ヘプバーンの映画を思い浮かべるアメリカのアクセサリー、雰囲気のあるグラス、日本の洋食器の草分けオールド・ノリタケのカップ&ソーサ―等々、見ているだけでも心が満たされます。若い女性のお客さんが多く「今は買えへんけど、すてきなアクセサリーを見ていると気分が晴れる」「ここで買ったアクセサリーはとても気に入っていて、気持ちが落ち着く。お守りみたいに毎日つけている」と言ってくれる人など様々です。ヒロコさんは「みなさん、このディスプレーを風景として楽しんでくれている」と感じています。
サイドロップのパフェ
コーヒーカップやグラス、ケーキ皿などお店で使っている食器はすべてヴィンテージものです。実際に使って、その良さを知ってほしいと思うし、このサイドロップのお店の雰囲気に合う食器は自然とヴィンテージになったそうです。
「本わさびとクリームチーのスパゲティ」は年代物のノリタケのスープ皿が使われていました。パフェは種類によってグラスを変えているそうです。それも楽しみになります。サイドロップには、あこがれや夢、暮らしを楽しむヒントが詰まっています。

純喫茶サイドロップ末永く

サイドロップス店内
サイドロップのコーヒーは専門店から特別にオリジナルをブレンドしたもらった豆を使い、ていねいに淹れています。お店の外観や店内の雰囲気から「おしゃれ系のカフェ」と思って入ったお客さんから「コーヒーがおいしい店とは思わなかったので、びっくりした」と言われることがあるそうです。
サイドロップスの店内
今「昭和」「純喫茶」が若い世代、ことに女性に注目されています。「おばあちゃんやおかあさんが着ていた洋服はすごくおしゃれ」と昭和ファッションを新鮮に感じて楽しんでいる人も多く、古着屋さんにも若い人が集まっています。
サイドロップでは、すべて厳しく選ばれた状態のよいもののみを置いています。形が洗いにくい食器など、古いものは形や素材など扱いに気をつけないとならないけれど「その不便さを楽しむ」ということもあると話されました。
ケイコさんもヒロコさんも喫茶店や道具商の経験がなかったけれど、今までやったことのない新しいことをやりたいと、サイドロップを始めたというのですから驚きです。それが実現したのは「やりたいと思う執念」と答えました。その執念がつくり出した空間に、ご近所さん、静かに本を読みたい人、仕事帰りの常連さん、甘いもの好きの男性、今後喫茶店や古くてよいものの支え手となる力強い層、若い女性など多様な人々がやって来ます。
嵐電の踏切の信号の音、近所の銭湯、身近なまちにふさわしい喫茶店サイドロップ末永くと願っています。

 

サイドロップ
京都市中京区壬生西土居ノ内町22
営業時間 10:00~20:00
定休日 毎週火曜日、第1日曜日

ついでの寄り道も 奥深い

京都は歩いて出会える楽しみの多いまちです。用事が早く終わり、次の予定までぽっかりあいた時間に寄り道をしてみました。
前から一度行ってみたいと思っていた博物館、久しぶりに訪ねた和菓子屋さん、ひっそりとたたずむ由緒ある神社。歩いて5分の間に出会える奥深く、そして親しみも感じる京都です。
夏休みのイベントや帰省などがかなわず、気持ちの晴れない夏を過ごした方も多かったことと思います。残暑は厳しいながらも、吹く風や雲の様子に秋の気配を感じる今日この頃、今回は「寄り道のすすめ」です。

烏丸の天神さん学問と丑と名水

地下鉄丸太町駅
右側に洋館大丸ヴィラの門が続いています。

出向いたのは烏丸丸太町。市営地下鉄烏丸駅の出入り口は時代を経たレンガが門構えのように積まれています。レンガ塀が続き、その中には鬱蒼とした木立と洋館が見えます。日本に多くの名建築を残したヴォーリズが設計した洋館、大丸ヴィラです。公開はされていませんが、向かい側の広大な京都御苑とも調和したすばらしい景観をなしています。
ほどなく、今年の干支、丑の大きな絵馬と鳥居があります。菅原道真公生誕の地「菅原院天満宮神社」です。地元では親しく「烏丸の天神さん」と呼ばれています。
道真公の先祖三代もお住まいになった場所という由緒ある神社です。
菅原院天満宮神社鳥居
天満院には、道真公がうぶ湯に使われた井戸が今も残り、千百余年前と変わらず清らかな水が湧き出ています。井戸の枠石も当時のままということです。井戸の水を汲みに来る人も多く、給水場が整備されています。水汲みに訪れた方に聞くと「この水で炊いた米は美味しいです。お茶やコーヒーもまるみのある味になります」ということでした。ひと口頂くと、やわらな「水の味」が感じられ、汗だくの身に涼を呼んでくれました。
菅原院天満宮神社 御産湯の井
さて、天神さんと言えば牛がお守りしていますが、その由来についても記されています。道真公は丑年生まれであること、左遷され大宰府へ向かう途中に襲われた時、松原から丑が飛び出して来て道真公を守ったこと、自分の亡骸は牛車が進むままに埋葬後を決めるよう遺言したと伝えられています。社務所で授与品の「貝合わせ」を頂きました。平安時代の雅な遊びの貝合わせは願い事がかなうという意味もあるそうです。大小三つの貝が美しい古布を使って丁寧に作られた心のこもったお守りです。菅原院天満神社は、古い由緒を誇りながらも親しみとやさしさを感じる「烏丸の天神さん」です。

石のふしぎがいっぱいの博物館

聖アグネス教会
菅原院天満宮神社と隣り合って平安女学院の礼拝堂でもある、重厚なレンガ造りの聖アグネス教会が建っています。本当に歩いて楽しい見応えのある界隈です。
次は前から一度行ってみたいと思っていた「石ふしぎ博物館 益富地学会館」へ行きました。閑静な住宅街にあるこじんまりした建物は、国内外にその存在を知られる、鉱物、化石、岩石研究の聖地です。正倉院の薬物や石製の御物の調査も担当された薬学博士の益富寿之先生により昭和48(1973)年に創設され、以来研究者や一般の鉱物や化石マニアが降りにふれ訪れる地学の殿堂として運営を続けられています。
石ふしぎ博物館 公益財団法人 益富地学会館
見学した日は夏休みの最終週でしたが、次々と家族連れの見学者が訪れていました。夏休み自由研究のお手伝いとして、集めた石の名前を調べ、標本にするための指導もされていました。
3階は大迫力の展示室です。大変な点数の種類も様々な標本が整然と展示され、訪れた日はベテランの鉱物鑑定士の方に、とてもていねいにわかりやすい説明をしていただきました。黒い石の中にきれいな形で残るアンモナイト、大きな水晶の山のきらめき、恐竜の爪等々。「石も人も元素から成り立っています。ここにある石は1万年、2万年前の石です。それが今、目の前にこういう形で残っているのは、いくつもの奇跡が重なっているのです。途方もない年月を経てきた石には心があります。石にも心があるのです」と伺いました。
理論的な理解はおぼつかなくても、その宇宙的な石のふしぎに引き込まれました。夏の終わりの「おとなの自由研究」のような体験でした。
黒水晶
1階には、鉱物見本や関連の書籍の他に「ルーペ、ハンマー」といった石のフィールドワークの必需品も販売しています。他の美術館や博物館のいわゆる「ミュージアムショップ」とはひと味ちがう「石のお店」です。
益富地学会館ではこれまで木津川や桂川で石の観察、採集を行いその成果を「木津川の石」「桂川の石」という冊子にまとめています。川や道端など身近なところに目を向けてみれば、いつもの散歩コースでおもしろい石が見つかるかもしれません。
去年今年と、コロナウィルス対策のため例年のような観察会などのイベントがあまり実施できなかったとそうですが、9月には和歌山県での海岸での石観察会、10月9日~11日は左京区のみやこめっせで大規模な「石のふしぎ大発見展」が行われます。益富博士の志を受け継ぎ、地学への関心や理解、その研究を続ける石ふしぎ博物館は「科学・学術の都」京都です。

多くの人が喜んだ州浜の復活

すはま屋外観
寄り道の最後は和菓子屋さんです。5年前に惜しまれつつ閉店した創業350年の老舗「植村義次」のお菓子、州浜が復活し、気軽に飲み物も一緒に楽しめるお店になりました。元の場所に以前と同じたたずまいのお店を見た時は、常連でもありませんが本当にうれしく思いました。
すはま屋の棹物
州浜は大豆の粉を水あめと砂糖、水で練り、州浜の形にした棹もののお菓子です。州浜は浜辺の入り組んだ所であり、それをかたどって意匠化され、おめでたい形として家紋や工芸品にあしらわれてきました。植村義次の州浜はお茶席でもよく使われていました。
同じ生地を指でちょっとひねったような、指先くらいの大きさにしたものが「春日乃豆」です。
お菓子のみならず、店舗も再びよみがえらせたのは、弱冠20代はじめの女性です。一人でお菓子をつくりお店も一人で切盛りしています。どんなパワフルな方かと思いますが、そんな大変さは微塵も感じさせない、もの静かでたおやかな雰囲気の方です。
外観や内部も「使えるものはできる限り生かしたいと思いました」という言葉通り「御州濱司」のすりガラスがはまった戸、天井の梁、お菓子の見本を入れる小さなガラスケースなど、どんなにか、これまでのお店とお菓子、そして植村さんを大切にしているかが伝わって来ます。
すはま屋すはま屋
小さな床の間にとても良い感じの軸が掛けてありました。渋い色あいは店主さんのお父様が集めていたインド更紗とのことでした。
「ああ、前のお店もいつもこの床の間に、感じよく季節の軸やお花があったな」と、懐かしく思い出しました。
テーブルの見事な一枚板は長い間、お家に眠っていたものだそうです。お店にこれまであったものと今回運び入れたものが相まって、新しいすばらしい空間をつくり出しています。

すはま屋の春日乃豆
春日乃豆

お客さんが「春日乃豆を一つお願いします。そうそう、押し物も始めはったとか。予約したら買えますか」と話しています。
「押し物」は十四代の植村さんが考案された、四角な落雁の生地に雨浜の材料で季節感あふれる模様を描き出した「これぞ京都の和菓子」と言えるすばらしいお菓子です。今は青ひょうたんの絵柄です。この押し物の復活にも多くの人が喜んでいます。
すはま屋さんは新聞、雑誌などメディアでも頻繁に紹介されていますが、喧噪のない、本当にゆっくりできるお店です。物音ひとつしない静けさなのですが、堅苦しくないお茶室と言ったらよいでしょうか、そんな空間です。
お菓子を一つ買いに来る、そういうお客さんを大切にまじめなものづくりをする生業と職人のまちが京都なのだと感じました。ちょっと寄り道は、京都の深さと慎しみ、そしてやさしさを改めて教えくれた新鮮なまち歩きでした。

 

石ふしぎ博物館 公益財団法人 益富地学会館
上京区出水通烏丸西入 中出水町394
開館時間 10:00~16:00
展示室公開日 土曜、日曜、祝日

 

すはま屋
中京区丸太町通烏丸西入常真横町193
営業時間 10:00~18:00
定休日 日曜、祝日