お寺とは今の私たちにとってどんな存在でしょう。お盆やお彼岸にお経をあげていただくくらいのお付き合い、お寺によってはお庭やご本尊の拝観といったところでしょうか。
「縁がないなあ」という人がほとんどのこの頃、お寺の存在、果たす役割は大きいと感じます。少子高齢化とそれにともなう家族構成や、まちの成り立ちの大きな変化によって「つながり」を持つことが難しい現代に、西本願寺の門前町の面影が今もなお漂う界隈に、地域に開かれ、様々な催しで人と人がつながるお寺があります。法話会や落語、コンサート、学生主催のイベントなど、堅苦しいお寺の敷居をぐんと低くして、みんなが軽々と自由に楽しく集まる「一念寺」の住職、谷治暁雲さんのお話は、まさにお寺と人が育む門前町のまちづくり物語です。
古い歴史のある寺院の再生
取材に伺ったのは、ご住職がお経をあげに行かれ、戻られたばかりのお忙しい時でした。「明日お願いします」とお願いされることも度々あると聞き、お参りを大切にされている方にとって、お寺はなくてはならない存在なのだと感じました。
一念寺は西本願寺の門前町にある浄土真宗本願寺派の寺院です。戦国時代(1528年)に創建されたという記録が残っています。明治初期に建てられた現在の建物の、落ち着いたたたずまいは門前町の品格も伝えています。
門から本堂までの庭は、少し逸れたように配置された敷石の妙、自然な雰囲気の植えこみなど、茶室の路地のような趣を感じます。そして、すぐにご本尊の阿弥陀如来様と身近に対面することができる、みごとに考え抜かれた構造です。「こじんまりしたお寺」とよく言われるそうですが、その言葉の通り、厳めしさではなく、おだやかなやさしさを感じる空間です。
谷治住職は「在家(ざいけ、出家せずに普通の生活をしながら仏教に帰依する)」の人で、大学の専門は社会福祉でしたが、卒業後、仏教の専門学校で研鑽を積み、ご縁があって一念寺を受け継がれました。プロテスタント系の幼稚園へ通い、小学生の頃は毎週教会へ通っていたそうですので、本当にご縁なのだなと感じます。「スカウトされたのです」と茶目っ気のある話しぶりも、場をなごませてくれます。本堂は阿弥陀様はじめ大きなろうそく、お花やなどが「これ以外ない完璧なバランス」で配置されています。当時の名もない職人たちの美意識や感性、それを実際にかたちにした技は本当にすばらしいと住職は語ります。
「一念寺へはじめて来て、前の住職と話した時も、今座っているこの場所でした。この位置から見た阿弥陀様や内陣が本当にすばらしく、導かれているように感じました」とその時のことは今も鮮明です。その導きともいえる出会いから2000年に一念寺を受け継ぎ、自身の人生もお寺も新しい歩みを始めました。
仏教と理系が融合した「DIY」のお寺
受け継いだ時の一念寺は、雨漏り、崩れかけた壁、草が伸び放題の庭など大変な状態だったそうです。本堂以外にも中庭や、渡り廊下の先には洗練された意匠の茶室もあり当初の持ち主の文化度の高さを感じます。
釈迦涅槃図、牡丹が描かれた襖絵や板戸など、何気なくその場にあるものも、美術品・書画骨董と言えるようなものです。おそらく江戸時代後期のものではないかと言われていました。こういった調度品や、木彫の牡丹と格子の欄間もみごとです。
日本の美にふれることができるのもお寺の魅力です。「本当は襖もきちんと修復したいのですが、そこまで手が回らなくて」と言っておられましたが、剥がれていた壁はまわりと色を合わせて塗り、雨漏りも自ら修繕し、電気関係や耐震対策も、法律にふれない範囲でみずからやっていると聞いて驚きました。
木彫の牡丹に続く格子の欄間は現代のものですが、牡丹の古色に合わせて色を付けるなど、職人さんの巧みな技とともに美意識が生かされています。また、各部屋の鴨居にスピーカーを取り付け、催しをしている本堂の様子が聞こえるようにしています。楽屋にいてもスピーカーから舞台の進行がわかるのと同じです。そして話の合間に「メーカーはBOSE、ボーズです」とサービス精神満載なコメントもいただきました。
また以前通信関係の会社で仕事をしていた経験からネット環境を整え、ホームページで「ひとこと法話」「御門徒様 連絡用ページ」「趣味のページ」など情報発信しています。趣味のページは、浄土真宗の実践活動に関する「真宗学の部屋」、故障が出たタブレットを修復する「改造日記」とマニアックとも言える濃い内容です。「真宗学の部屋」は、宗教者の実践的な社会福祉活動について書かれ、現代社会にも共通する示唆に富んだ内容です。「改造日記」はその分野が好きな人にはとても興味深いのではないかと思います。
お寺は会場としてだれでも気軽に低料金で使えるようになっています。住職は、催しは必ず撮影をして、次の時にはその画像を見て必要な状態に整えておいてあげるそうです。「出演者は、傷つけたらいけないとか準備にも、いろいろ気を使ってしまいますが、私ならここへ釘を打とうとかできますから」という心遣いです。「DIYの寺なんですよ」と笑って話されました。副住職を務める奥様の真澄さんと一緒に日々みなさんをお迎えし、奮闘しています。
門前町の地元の大切な拠点
以前、屋根にのぼって修理しているところを門徒さんが見かけて「住職さん、そんなとこのぼって危ないですよ」と驚いて声をかけてくれたそうです。ほのぼのとした間柄がうかがえます。一念寺を受け継いだ時、25匹いた猫の貰い手探しに奔走し、そんなつながりから「犬、猫との出会い」の譲渡会も行っていて、普段地元の人と話す機会がなかなかないマンションに住んでいる人も「ねこちゃん見に来たよ」と交流することができました。また、芸術文化や様々な分野にもお寺を活用されています。
一念寺は門徒さんを「メンバー」と呼んでいます。これはだれでも自由にお寺へ来て、人と会い、話をして楽しく過ごし、そこからまた人と人がつながっていくという思いからです。住職は「建物が持っている力、空間の持つ力」と表現します。
若い人もここへ来ると悩みや思っていることを話せる、心が解き放たれる場に感じています。「空」という考え方はこだわりや、ねばならないという思いから解放されることと語ります。それは「自分はどう生きたいか」考え守るために大切なことです。お坊さんは、そういう人々の話を聞く役割を果たせると考えています。「仏教が培ってきた2500年の教えは今こそ生かすことができます」と続けました。お寺に人が集まることでお寺は若返り、今住んでいるまちにとって何が必要かをあきらかにして、みんなで共有することが大切です。お寺はそういった点で、ハブ的な役割を果たせる地域の拠点だと考えています。地域の課題を地域で解決していくことは、これからますます大切になります。
一念寺の隣の歴史ある番組小学校はホテルの建設が計画され、地域の運動会もできなくなっています。長引くコロナの影響でお祭りの中止も続いています。そのような状況のなかで社会の変化に対応しながら、京都の歴史に学び、その良さを生かしながら住む地域づくりに果たすお寺の役割はますます重要になると感じました。帰り道、本願寺にまっすぐつながる「正面通」界隈を歩くと、法衣や仏具、数珠を商う店や旅館があり、門前町の面影を残しています。暮らしと生業が今も成り立つまちであってほしいと願いました。
一念寺
京都市下京区東中筋通花屋町下ル柳町324