人と産地と 一杯のコーヒー

京都は喫茶店の多いまちです。昭和の老舗喫茶店が健在な一方で今、20~30代の経営者によるコーヒー専門店も注目され、京都の喫茶店文化に新しい風が吹いています。今年7月2日、京都駅に隣接するキャンパスプラザ京都1階に店舗をオープンした「コヨーテ」は、中米のエルサルバドルの生産者から直接コーヒー豆を買い付け、コーヒーが育った土地や、農園で働く人々の姿や思いも一緒に届け、双方の未来へとつなげるコーヒーブランドです。エルサルバドルのコーヒー農園で、一緒に仕事をして信頼関係を築き、生産者と消費者の間に立つ存在でありたいと、この事業を立ち上げた、バイヤーでもある門川雄輔さんも現在29歳です。

意志を込めた「コヨーテ」の名

コーヒーチェリー
コーヒーチェリー

もともとコーヒー好きだった門川さんでしたが、大学生の時にバックパッカーとして中南米を旅するなかで、コーヒー農園で収穫を手伝う機会がありました。そこで、豆はチェリーと呼ばれるさくらんぼのような美しい赤い実であること、収穫は想像以上に重労働であり、コーヒー栽培には多くの人の手がかかっていることを知りました。この時「農作物」としてのコーヒーを実感した体験がその後の「コーヒーを仕事にする」選択のみなもとになりました。コーヒーの魅力をより深く感じるようになり、卒業後はコーヒー製造会社へ就職しました。JCTC(ジャパン・カップテイスターズ・チャンピオンシップ)という、コーヒーの専門家がしのぎを削る「カッピング」の競技大会で決勝に進むほど、技術や知識を深めました。しかし、門川さんが描いていた、コーヒーそのものや、生産者とつながる仕事に直接関わる部署の担当にはならず、悶々とした思いを抱いていたそうです。
COYOTE外観
その時、JICA(ジャイカ)青年海外協力隊の「エルサルバドルでのコーヒー農園支援」の募集を知り、コーヒーの生産について現地で学ぼうと決心し、退職した後2018年に、エルサルバドルへと飛び立ち、農園でマーケティングの仕事をし、経験を積みました。「農作物であるコーヒーは、天候など様々な要因で、毎年まったく同じように品質の良いものを生産することは不可能です。それでも生産者は、良いコーヒーを作るために努力を惜しまず励んでいます。その年の品質だけで判断するのではなく、長期にわたって努力している、信頼できる生産者のコーヒーを買い付けています」と、門川さんはコヨーテの生産者との関係の明確な指針を語ってくれました。
ちなみに「コヨーテ」とは、コーヒー売買の中間業者(搾取する)のことなのだそうです。新規事業に、皮肉な攻めた言い回しとして、名付けたところにも並々ならぬ思いが受け取れます。
一杯のコーヒーに、どれだけ豊かな自然と人の営みがあるかを知り、そこをイメージして味わえば、コーヒーとの関係も、もっと楽しくなると感じました。

内装はワークショップの「共同作品」

カッピング
開店前の重要な仕事が、コーヒーの風味や香り、焙煎の適切さなどを確かめる「カッピング」です。ワインのテイスティングとよく似ています。集中した厳しい空気がこちらにも伝わって来ます。いくつも並んだカップを前に「この香りはいいね」「ローストはどう」などやり取りをして「これで良し」となると、お店で提供するコーヒーになります。
コヨーテでは、生産から流通まできちんと管理され、独自の風味を持つ「スペシャルティコーヒー」と、農園や生産者、品種など細かく分類された単一のコーヒー「シングルオリジン」を扱っています。運ばれてきたコーヒーには、産地の物語、そのコーヒーの個性について記された心のこもったカードが添えられています。シングルオリジンには生産者の直筆サインが入り特徴が、深く豊かな言葉でつづられています。
この日、門川さんが選んでくれたコーヒーには、生産者アントニオさんのサインのあるカードが添えられ「オレンジの花のような爽やかさ、グァバのようなフレッシュな酸と軽やかな甘みが印象的」と記されていました。
COYOTEのコーヒーコヨーテのシングルブレンド
オスカルさんのコーヒーのカードには門川さんとのやり取りが綴られています。オスカルさんは、門川さんをカディート(スペイン語で子猫の意味)と呼び、元気かいと笑顔で迎えています。親しい間柄がわかります。人柄とエルサルバドルの農園を想像しながら飲むコーヒーは、それはもう最高のおいしさです。
コーヒーもワインのように、時間によって味の変化を楽しむことができることを知りました。本当によいコーヒーは、冷めると飲みこんだ後に、脂肪分のとろっとした感じを味わえるのです。コーヒーには、まだまだ新な発見と魅力が尽きません。
COYOTEの店内コヨーテの寄木テーブル
ゆっくりした気分に沿ってくれるような内装もとても良い雰囲気です。これは工務店さんが取りまとめ役になり、20名ほどで取り組んだワークショップの内装と聞き、それも新鮮な驚きでした。キャンパスプラザの一画である場の性格を生かした、つくり過ぎないけれどきちんと仕事がされていて、みんなで楽しく作業した空気感があらわれています。寄木細工のような味のあるテーブルもワークショップの作品です。

COYOTEの藍染ののれん
コーヒーチェリーを咥えた、まさに「コヨーテ」なのれんです。

多治見焼のドリッパー
入り口の印象的な藍染ののれんは、スタッフさんが型もつくり、染めまでやったと聞き、驚きの連続です。「ものをつくることがすきなので、楽しくやりました。ここは西日がきついので、藍の色がいい具合に落ちついてきました」と話してくれました。
くち当たりが良く、手に収まりやすいカップは福井県の窯のもの、ドリッパーは多治見焼と聞きました。エルサルバドルのコーヒーに、日本のものづくり産地の手仕事も参加して、空間をかたちづくる要素になっています。人も内装もモノも「寄り合う」おもしろさにあふれています。

京都とコーヒーの新しい発信の場

コヨーテのカフェラテ
朝のカッピングが終わり、開店時刻になりました。緊張感のある雰囲気だったみんなの顔がぱっと笑顔になりました。常連のお客さんのようです。「おはようございます」のあいさつを交わし、香り高い一杯のコーヒーで一日が始まれば「今日もいい日になりそう」と思えることでしょう。スタッフのみなさんの楽しく働いている様子が生き生きとして明るい店内の雰囲気をつくっています。
またコヨーテはヴィーガンに対応しています。ヴィーガンは肉、魚のほか卵。乳製品、はちみつなど動物性由来の食材を使わない食生活です。コヨーテには仲間が作る焼き菓子も置いてありますが、完全に植物由来の原材料で作られています。カフェラテも牛乳を使わず、オーツミルクを使用しています。それぞれを味わってみて、バターや卵を使ってなくてもコクがあり、ほのかでありながら甘みもしっかりあり、本当においしいと感じました。
ヴィーガンについて「特別なもの」と思っている人が大多数だと思います。しかし実際に食べて飲んでみて「ヴィーガンは、だれにとっても体によく、作物本来の滋味を味わえるもの」と実感しました。ヴィーガンやアレルギーのある人も、だれもが安心してコーヒーやお菓子を楽しめるお店として、この点でもコヨーテが牽引していくのではないかと感じました。

門川さんは「コーヒーは職人気質の気難しい世界と思われていますが、まずは居心地のいい空間だな、コーヒーがおいしいなと思ってもらい、そこから段々深くコーヒーの話になった時、おっ、けっこうよく知ってるやんとなる。そして一杯のコーヒーから生まれる、どこでできた豆だろうという思いにつながっていけばうれしいなと思います」と語りました。
他府県からのコーヒー好きのお客さんも多く、門川さんやスタッフがすきな喫茶店やごはん屋さんを紹介することもあるそうです。場所は京都駅に隣接する京都の玄関口です。コヨーテが思う京都、コーヒーの物語についての発信を多くの人が受け止めていくことでしょう。そんな新しい京都の入り口になってほしいと願っています。そして門川さんが描く「エルサルバドルのコーヒーをもっと、もっとたくさん買いたい」という構想も、実現にむかって進んでいくと感じました。

 

COYOTE the ordinary shop
京都市下京区東塩小路町939 キャンパスプラザ京都1階
営業時間 7:00〜19:00
定休日 毎週月曜日(祝日の場合は営業)

ドロップ缶のように 楽しむ喫茶店

嵐電の路面電車がゆるゆる走る通りから、少し脇へ行ったところに「入ってみたい」と引き付けられる喫茶店があります。店内はヴィンテージのアクセサリーや雑貨が風景のように配置され、独特の世界観をつくり出しています。古き良き時代のきらめきにあふれながら、始めて入っても、よそよそしさを感じさせない心やすさがあります。
おいしいコーヒーと、年代を経たかわいくておしゃれで美しいものの心地よさにふれ、楽しんでもらいたいという経営するお二人の思いが、すみずみまでいきわたっています。
「入ってみたい」が「また行きたい」になるこのお店は「喫茶とヴィンテージ雑貨 サイドロップ」です。

サイドロップ時間を楽しむ

サイドロップス外観
看板を見た時、古き良き時代のアメリカの雰囲気を感じた「サイドロップ」の名前。地名であり嵐電と阪急の駅の名前「西院(さいいん)のさい」と「いろいろな味をつめ込んだドロップ缶のようなお店にしたい」という思いを合わせたと聞き、そのユーモアのあるセンスに拍手する思いでした。
「カタカナは古びないし、簡単に読めるでしょ。そうやって親しんでもらって地域のみんなの憩いの場にしたいと思ったから」と、名付け親のケイコさんは由来を話してくれました。
サイドロップスの看板猫、あめちゃん
開店して今年で9年を迎え、おいしいコーヒーとなじみのある軽食と喫茶メニューで、この地域の得難い喫茶店として月日を重ねています。
開店した年に生後3か月で家族に迎えた男の子ねこの名前も「ドロップは飴だからアメちゃんにしよう。子どもにも覚えてもらいやすいし」と決まりました。アメちゃんはお店へ出れば大人気ですが、テーブルの上へ乗らず、食べ物に手を出さず、お客さんを威嚇せずと、お行儀は完璧です。カメラ目線で撮影にも応じ、取材は何回も受けています。外へは出ませんが、表を通る人や鳩を眺めるのがだいすきで、子ども達にもかわいがられています。
アメちゃんはサイドロップの優秀なスタッフとしての自覚を持ってみんなと接しているのです。でもアメちゃんの出勤はアメちゃんに任せていますので、残念ながら会えないこともあります。その時は次の出会いを楽しみにします。
サイドロップスの店内
ケイコさんとヒロコさんの二人が大切にしていることは、何よりもお客さんにおいしいコーヒーと食事をゆっくり楽しんでもらうことです。サイドロップの居心地のよさは、こうしたお二人のきちんとした考えや毎日の仕事にあると思います。でも、それを当たり前のこととしてことさら強調したり表に出したりしないからこそ感じる、ゆとりなのだと思います。今日もお客さんそれぞれの、自由なサイドロップの時間が流れています。

ヴィンテージで統一された空間

サイドロップスのディスプレイ
サイドロップの大きな特徴は喫茶店であると同時に「道具商」の申請許可を受けて、古い道具やアクセサリー、服飾・雑貨も販売していることです。店内の一段上がったスペースには3つの異なる雰囲気の席と、ため息のでるようなすばらしいヴィンテージのアクセサリーや雑貨がところを得て、静かに輝きを放っています。それぞれのコーナーは独立していながら統一感があり、また不思議と親しい感じをかもし出しています。
サイドロップスの雑貨
仕入れやディスプレーはケイコさん、アクセサリーや洋服、小物のコーディネートはヒロコさんが担当しています。並んでいるアイテムは幅広く、洋の東西にかかわらず「すきなもの、気持ちにかなうもの」を連れて帰って来たような印象で、最初からそこにあったかのようにおさまっています。
そして配置は常に少しずつ変わっています。コロナが続き、商品が入らない状況が続くなか「少ないアイテムで、いかにすてきに新鮮な空間をつくるかがポイント」とケイコさんは語ります。
サイドロップスの帯留
日本の職人技と美意識にほれぼれする帯留め、フランスの繊細なレース、オードリー・ヘプバーンの映画を思い浮かべるアメリカのアクセサリー、雰囲気のあるグラス、日本の洋食器の草分けオールド・ノリタケのカップ&ソーサ―等々、見ているだけでも心が満たされます。若い女性のお客さんが多く「今は買えへんけど、すてきなアクセサリーを見ていると気分が晴れる」「ここで買ったアクセサリーはとても気に入っていて、気持ちが落ち着く。お守りみたいに毎日つけている」と言ってくれる人など様々です。ヒロコさんは「みなさん、このディスプレーを風景として楽しんでくれている」と感じています。
サイドロップのパフェ
コーヒーカップやグラス、ケーキ皿などお店で使っている食器はすべてヴィンテージものです。実際に使って、その良さを知ってほしいと思うし、このサイドロップのお店の雰囲気に合う食器は自然とヴィンテージになったそうです。
「本わさびとクリームチーのスパゲティ」は年代物のノリタケのスープ皿が使われていました。パフェは種類によってグラスを変えているそうです。それも楽しみになります。サイドロップには、あこがれや夢、暮らしを楽しむヒントが詰まっています。

純喫茶サイドロップ末永く

サイドロップス店内
サイドロップのコーヒーは専門店から特別にオリジナルをブレンドしたもらった豆を使い、ていねいに淹れています。お店の外観や店内の雰囲気から「おしゃれ系のカフェ」と思って入ったお客さんから「コーヒーがおいしい店とは思わなかったので、びっくりした」と言われることがあるそうです。
サイドロップスの店内
今「昭和」「純喫茶」が若い世代、ことに女性に注目されています。「おばあちゃんやおかあさんが着ていた洋服はすごくおしゃれ」と昭和ファッションを新鮮に感じて楽しんでいる人も多く、古着屋さんにも若い人が集まっています。
サイドロップでは、すべて厳しく選ばれた状態のよいもののみを置いています。形が洗いにくい食器など、古いものは形や素材など扱いに気をつけないとならないけれど「その不便さを楽しむ」ということもあると話されました。
ケイコさんもヒロコさんも喫茶店や道具商の経験がなかったけれど、今までやったことのない新しいことをやりたいと、サイドロップを始めたというのですから驚きです。それが実現したのは「やりたいと思う執念」と答えました。その執念がつくり出した空間に、ご近所さん、静かに本を読みたい人、仕事帰りの常連さん、甘いもの好きの男性、今後喫茶店や古くてよいものの支え手となる力強い層、若い女性など多様な人々がやって来ます。
嵐電の踏切の信号の音、近所の銭湯、身近なまちにふさわしい喫茶店サイドロップ末永くと願っています。

 

サイドロップ
京都市中京区壬生西土居ノ内町22
営業時間 10:00~20:00
定休日 毎週火曜日、第1日曜日

ついでの寄り道も 奥深い

京都は歩いて出会える楽しみの多いまちです。用事が早く終わり、次の予定までぽっかりあいた時間に寄り道をしてみました。
前から一度行ってみたいと思っていた博物館、久しぶりに訪ねた和菓子屋さん、ひっそりとたたずむ由緒ある神社。歩いて5分の間に出会える奥深く、そして親しみも感じる京都です。
夏休みのイベントや帰省などがかなわず、気持ちの晴れない夏を過ごした方も多かったことと思います。残暑は厳しいながらも、吹く風や雲の様子に秋の気配を感じる今日この頃、今回は「寄り道のすすめ」です。

烏丸の天神さん学問と丑と名水

地下鉄丸太町駅
右側に洋館大丸ヴィラの門が続いています。

出向いたのは烏丸丸太町。市営地下鉄烏丸駅の出入り口は時代を経たレンガが門構えのように積まれています。レンガ塀が続き、その中には鬱蒼とした木立と洋館が見えます。日本に多くの名建築を残したヴォーリズが設計した洋館、大丸ヴィラです。公開はされていませんが、向かい側の広大な京都御苑とも調和したすばらしい景観をなしています。
ほどなく、今年の干支、丑の大きな絵馬と鳥居があります。菅原道真公生誕の地「菅原院天満宮神社」です。地元では親しく「烏丸の天神さん」と呼ばれています。
道真公の先祖三代もお住まいになった場所という由緒ある神社です。
菅原院天満宮神社鳥居
天満院には、道真公がうぶ湯に使われた井戸が今も残り、千百余年前と変わらず清らかな水が湧き出ています。井戸の枠石も当時のままということです。井戸の水を汲みに来る人も多く、給水場が整備されています。水汲みに訪れた方に聞くと「この水で炊いた米は美味しいです。お茶やコーヒーもまるみのある味になります」ということでした。ひと口頂くと、やわらな「水の味」が感じられ、汗だくの身に涼を呼んでくれました。
菅原院天満宮神社 御産湯の井
さて、天神さんと言えば牛がお守りしていますが、その由来についても記されています。道真公は丑年生まれであること、左遷され大宰府へ向かう途中に襲われた時、松原から丑が飛び出して来て道真公を守ったこと、自分の亡骸は牛車が進むままに埋葬後を決めるよう遺言したと伝えられています。社務所で授与品の「貝合わせ」を頂きました。平安時代の雅な遊びの貝合わせは願い事がかなうという意味もあるそうです。大小三つの貝が美しい古布を使って丁寧に作られた心のこもったお守りです。菅原院天満神社は、古い由緒を誇りながらも親しみとやさしさを感じる「烏丸の天神さん」です。

石のふしぎがいっぱいの博物館

聖アグネス教会
菅原院天満宮神社と隣り合って平安女学院の礼拝堂でもある、重厚なレンガ造りの聖アグネス教会が建っています。本当に歩いて楽しい見応えのある界隈です。
次は前から一度行ってみたいと思っていた「石ふしぎ博物館 益富地学会館」へ行きました。閑静な住宅街にあるこじんまりした建物は、国内外にその存在を知られる、鉱物、化石、岩石研究の聖地です。正倉院の薬物や石製の御物の調査も担当された薬学博士の益富寿之先生により昭和48(1973)年に創設され、以来研究者や一般の鉱物や化石マニアが降りにふれ訪れる地学の殿堂として運営を続けられています。
石ふしぎ博物館 公益財団法人 益富地学会館
見学した日は夏休みの最終週でしたが、次々と家族連れの見学者が訪れていました。夏休み自由研究のお手伝いとして、集めた石の名前を調べ、標本にするための指導もされていました。
3階は大迫力の展示室です。大変な点数の種類も様々な標本が整然と展示され、訪れた日はベテランの鉱物鑑定士の方に、とてもていねいにわかりやすい説明をしていただきました。黒い石の中にきれいな形で残るアンモナイト、大きな水晶の山のきらめき、恐竜の爪等々。「石も人も元素から成り立っています。ここにある石は1万年、2万年前の石です。それが今、目の前にこういう形で残っているのは、いくつもの奇跡が重なっているのです。途方もない年月を経てきた石には心があります。石にも心があるのです」と伺いました。
理論的な理解はおぼつかなくても、その宇宙的な石のふしぎに引き込まれました。夏の終わりの「おとなの自由研究」のような体験でした。
黒水晶
1階には、鉱物見本や関連の書籍の他に「ルーペ、ハンマー」といった石のフィールドワークの必需品も販売しています。他の美術館や博物館のいわゆる「ミュージアムショップ」とはひと味ちがう「石のお店」です。
益富地学会館ではこれまで木津川や桂川で石の観察、採集を行いその成果を「木津川の石」「桂川の石」という冊子にまとめています。川や道端など身近なところに目を向けてみれば、いつもの散歩コースでおもしろい石が見つかるかもしれません。
去年今年と、コロナウィルス対策のため例年のような観察会などのイベントがあまり実施できなかったとそうですが、9月には和歌山県での海岸での石観察会、10月9日~11日は左京区のみやこめっせで大規模な「石のふしぎ大発見展」が行われます。益富博士の志を受け継ぎ、地学への関心や理解、その研究を続ける石ふしぎ博物館は「科学・学術の都」京都です。

多くの人が喜んだ州浜の復活

すはま屋外観
寄り道の最後は和菓子屋さんです。5年前に惜しまれつつ閉店した創業350年の老舗「植村義次」のお菓子、州浜が復活し、気軽に飲み物も一緒に楽しめるお店になりました。元の場所に以前と同じたたずまいのお店を見た時は、常連でもありませんが本当にうれしく思いました。
すはま屋の棹物
州浜は大豆の粉を水あめと砂糖、水で練り、州浜の形にした棹もののお菓子です。州浜は浜辺の入り組んだ所であり、それをかたどって意匠化され、おめでたい形として家紋や工芸品にあしらわれてきました。植村義次の州浜はお茶席でもよく使われていました。
同じ生地を指でちょっとひねったような、指先くらいの大きさにしたものが「春日乃豆」です。
お菓子のみならず、店舗も再びよみがえらせたのは、弱冠20代はじめの女性です。一人でお菓子をつくりお店も一人で切盛りしています。どんなパワフルな方かと思いますが、そんな大変さは微塵も感じさせない、もの静かでたおやかな雰囲気の方です。
外観や内部も「使えるものはできる限り生かしたいと思いました」という言葉通り「御州濱司」のすりガラスがはまった戸、天井の梁、お菓子の見本を入れる小さなガラスケースなど、どんなにか、これまでのお店とお菓子、そして植村さんを大切にしているかが伝わって来ます。
すはま屋すはま屋
小さな床の間にとても良い感じの軸が掛けてありました。渋い色あいは店主さんのお父様が集めていたインド更紗とのことでした。
「ああ、前のお店もいつもこの床の間に、感じよく季節の軸やお花があったな」と、懐かしく思い出しました。
テーブルの見事な一枚板は長い間、お家に眠っていたものだそうです。お店にこれまであったものと今回運び入れたものが相まって、新しいすばらしい空間をつくり出しています。

すはま屋の春日乃豆
春日乃豆

お客さんが「春日乃豆を一つお願いします。そうそう、押し物も始めはったとか。予約したら買えますか」と話しています。
「押し物」は十四代の植村さんが考案された、四角な落雁の生地に雨浜の材料で季節感あふれる模様を描き出した「これぞ京都の和菓子」と言えるすばらしいお菓子です。今は青ひょうたんの絵柄です。この押し物の復活にも多くの人が喜んでいます。
すはま屋さんは新聞、雑誌などメディアでも頻繁に紹介されていますが、喧噪のない、本当にゆっくりできるお店です。物音ひとつしない静けさなのですが、堅苦しくないお茶室と言ったらよいでしょうか、そんな空間です。
お菓子を一つ買いに来る、そういうお客さんを大切にまじめなものづくりをする生業と職人のまちが京都なのだと感じました。ちょっと寄り道は、京都の深さと慎しみ、そしてやさしさを改めて教えくれた新鮮なまち歩きでした。

 

石ふしぎ博物館 公益財団法人 益富地学会館
上京区出水通烏丸西入 中出水町394
開館時間 10:00~16:00
展示室公開日 土曜、日曜、祝日

 

すはま屋
中京区丸太町通烏丸西入常真横町193
営業時間 10:00~18:00
定休日 日曜、祝日

文化をつなぐ 東一口の旧家

お盆間近の猛暑の日、京都府南部久御山町の東一口(ひがしいもあらい)を訪ね「東一口のふる里を学ぶ会」(以下学ぶ会)のみなさんの、お精霊(おしょうらい)さんにお供えする「しんこ団子」作りにおじゃましました。会場は、壮大な長屋門を構えた国登録有形文化財「旧山田家住宅」です。威風堂々とした旧家を背景にして、なごやかにみんなで励むお団子作りは壮観です。現在は久御山町が管理し一般公開されています。
学ぶ会ではこれまで、この旧山田家住宅の清掃や、ここを拠点にして、地元に伝わる行事や食文化の継承を中心に、しっかり地に足のついた活動を続けてきました。
京のさんぽ道では、前回まで3回連続で町家の活用と継承についてご紹介してきましたが今回は番外編として、歴史的な文化財をふるさとの文化継承の実践の場とすることで、地元の人々が活用と保存の担い手となっている東一口の特集です。町家や地元の習わしをどう維持し、次世代へつなげていくかが課題となっているみなさんにとっても、再生継承への希望の糸口になればという思いでお届けします。

巨椋池と東一口の大庄屋山田家

東一口の旧山田家住宅
京都府南部の久御山町「東一口(ひがしいもあらい)」は、かつてあった湖のように大きな「巨椋池(おぐらいけ)」の南西に位置しています。巨椋池が干拓で埋め立てられるまでは、漁業で栄え「京都府南部 東一口のお正月のにらみ鮒」でご紹介したように、川魚を使った豊かな食文化が今も受け継がれています。
旧山田家住宅
山田家は、江戸時代には近郷13か村をまとめる大庄屋の家柄にあり、巨椋池の漁業を取り仕切る重要な役も務め、名字帯刀を許されていました。瓦葺きに漆喰の土蔵造りの長屋門と同様の造りの塀をめぐらせた堂々とした姿は、山田家の格式とともに東一口の歴史をも感じることができます。
北側には前川が流れ、桜並木が続き、お花見、葉桜、紅葉と四季それぞれに美しい風景を楽しむことができます。
旧山田家住宅の長屋門旧山田家住宅の展示室
また長屋門は、一般的には収納や働く人の部屋に使われていましたが、こちらの長屋門は来客の控えの間としても使用できるように床の間を設えたりっぱな造りで、文化的、建築史のうえからも貴重な建物です。現在は「展示室」が置かれ、干拓以前の巨椋池の様子や漁業について知ることができます。竹製の大きなざるなどの漁具、新たに収蔵された実際に漁に使っていた舟など、往時の東一口がしのばれます。
旧山田家住宅の内玄関
主屋の式台のある内玄関をはじめ、内部の欄間などの建具や襖絵、釘隠しに至るまで意匠を凝らした素晴らしい技が見られ、江戸時代の大庄屋の由緒と格式を伝えています。このように山田家は、古くから漁業のまとめ役を果たした地元からの信頼も厚い家であり、また代々守って来られた貴重な歴史的な建造物の邸宅がこの地域の象徴として現在もあるということは、本当に素晴らしいことです。そして今、地元のみなさんの学びと交流の拠点として新たな役割を果たし、新しい歴史を築いています。

季節ごとの行事を楽しく学ぶ

東一口のふる里を学ぶ会のしんこ団子づくり
お盆にお供えするしんこ団子作りの当日、旧山田家住宅には朝早くから作業台や大きな蒸し器が運び込まれ、8時にはお団子作りが始まりました。お盆の精進料理やお団子も家の味付けや流儀があり、それぞれに行われていますが、おさらいのような感じで、説明書を聞きながら作業が進みました。
東一口のふる里を学ぶ会のしんこ団子づくり
火にかけた米粉をダマにならないように、また焦がさないように混ぜていきますが「ふつふつしたら弱火にする」という、ふつふつの見きわめや火加減、火を止めるタイミングなどにコツがいりそうです。
その後、生地をこねますが、思いのほか力がいり、みなさん汗だくになっていました。こねあがった生地を小分けして丸め、細長く伸ばしてから両端をつまんで二回ひねり、決まりの形に仕上げます。これもなかなか難しそうでしたが、器用な会員さんの手ほどきで、きれいに形が揃っていきました。蒸し上がったら風をあてて冷まし、つやを出します。
用の済んだ蒸し器やボールを、男性チームがささっと洗い始め、日頃の活動ぶりが見てとれました。動きがとても自然なのです。つやつやのお団子の試食は、いっそう楽しそうな雰囲気で話もはずみました。

お精霊さんの迎え方、六地蔵めぐりや六道参りなど、東一口の習わしについて次々と豊富に話題が出てきます。にらみ鮒の取材でお世話になった鵜ノ口彦晴さんのお家も、お精霊さん迎えをきちんとされています。7日にお墓参りをし、ご飯、いとこ煮、きゅうりの酢の物、椎茸とぜんまい煮、漬物のお膳をあげ、13日の朝に果物などをお供えし飾りつけ、夕はかぼちゃ煮と始まり、その後14日15日16日まで、おはぎ、なすのおひたし、あらめとお揚げの炊いたん、そうめん、すいかなど朝昼夕と決まった献立のお供えをします。鵜ノ口家では、しんこ団子は16日の朝10時頃にお供えするそうです。

「お精霊さんの献立を書いた帳面がある」「お盆は家を空けられへん」という言葉には、大層なことをしているという雰囲気はなく、毎年お盆の行事を続けられている晴れやかな心を感じました。大切なことはこうして受け継がれています。「昔は新仏様のある家は船大工さんに頼んで舟を造ってもらって、その舟にお供えを乗せて宇治川に流していた」「六道参り」や「六地蔵参り」など聞けば聞くほど興味深い話ばかりです。また「昭和28年の洪水の時は家が浸かった」と聞き、山田家が洪水対策として、石積みをして道路より高くしているという説明も現実に必要性があったのだと実感することができました。
おみやげにいただいたしんこ団子の包みは、まだほのかにあたたかく、その日の集まりの余韻のように感じました。

多彩な活動を生む、会員の引出し


学ぶ会では毎年、お盆に欠かせない蓮を用意して「蓮の生け花教室」を開いて喜ばれています。コロナウイルス感染を避けるために、去年今年と学ぶ会の活動は大幅な縮小を余儀なくされ、恒例のこの蓮の生け花教室も中止せざるを得ませんでしたが、蓮の花の配布は今年も行いました。お盆に間に合うように、12日の早朝に会長の片岡清嗣さんが蓮を運んでくれました。
お供えを盛る大きな葉、お浄めの水に浮かべる小さな葉、巻いた葉に花は開いたものとつぼみが用意されました。会員さんが育てている蓮です。
かつて巨椋池は蓮の名所として知られ、多くの種類の花が咲き誇り、蓮見舟も繰り出しました。やがて干拓によって巨椋池が農地となり姿を消してしまいました。その蓮の種を大切に拾い出し、みごとに復活させたのが、会員さんのお父さんでした。その蓮が引き継がれ、学ぶ会のお盆の生け花教室に使われています。鵜ノ口さんの軽トラで蓮畑へ案内していただきました。

かつて豊かな漁場であった巨椋池跡には、農地が広がり、京野菜の重要な産地となっています。農道にサギが舞い降りて来て、なかなかどきません。鵜ノ口さんは「人間が近づくと逃げるが、軽トラだと逃げない。トラクターで畑を耕していると、ミミズや小さな虫が土のなかから出てくるので、鳥が行列を作って後をついてくる」と、毎日畑へ出ているからこその何とも微笑ましい、愉快な話を聞きました。東一口の地域と学ぶ会からは、どんどん興味深い話に出会うことができます。
鵜ノ口さんは「みんなそれぞれの引出しを持っているので、いろいろなことができます」と語ります。伝承の料理、コンサート、映画上映会など「引出し」の多彩さも学ぶ会の特徴です。地元の文化をより深く知り、普段の暮らしのつながりから、幅広い世代が活動に参加し地域を持続させる力となっている「東一口のふる里を学ぶ会」にこれからも注目していきたいと思います。

 

旧山田家住宅
京都府久御山町東一口35

集いの空間と暮らしが 共存する京町家

活用しながら継承する京町家のご紹介の2回目は、前回のカフェ オリジと同じく西陣の地域にある喫茶・ギャラリー「好文舍(こうぶんしゃ)」です。
親しくしている作家さん達の個展やワークショップ、生け花教室など、様々な企画で人が集い交流し、コーヒーを飲みながらくつろげる場を提供したいと、物件を探している時にめぐり合ったのが現在の京町家でした。
明治時代に建てられた建物、路地や中庭を含め、前の所有者の方がていねいに暮らし、使っていたことが感じられる空間です。住まいとなる部分をはじめ、必要な改修を施して2018年12月1日にオープンしました。「まずこの町家があり、建物がかもし出す空間に合ったことをやりたいと思いました。そして身の丈に合った、自分自身もほっとできる場にしたかったのです」と語る、オーナーの宇野貴佳さんにお話を伺いました。

地域密着の「おてらカフェ」の運営

宇野貴佳さんと星めぐりの器展開催中の陶芸家白川三枝さん
宇野貴佳さんと星めぐりの器展開催中の陶芸家白川三枝さん

宇野さんは東山区の「おてらカフェin金剛寺」の運営にも携わっています。以前から地域密着のお寺の存在に注目し「地域の人が気軽に集まれる場をつくりたい」という宇野さんの思いに共鳴されたご住職の協力を得てスタートして6年になります。地域のみなさんが月に一度、気軽に立ち寄り、コーヒーを飲みながら交流できる場として定着しています。
金剛寺のおてらカフェ
「コーヒーの淹れ方体験」清水焼、歌舞伎文字の勘亭流、日本庭園など、様々な分野で活躍する専門家による「遊びと学びのワークショップ」「住職の朝のお勤め体験」など、京都の文化に身近にふれ、昔から地元の人々のより所であったお寺に親しむ良い機会になっています。
申し込みは不要、ワンコイン500円、だれでも参加できます。毎月第3水曜日、朝7時から10時まで、清浄な空気の境内で、初めて会った人も顔見知りの人も、みんな和やかに過ごせる最高の朝の始まりです。

おてらカフェで知り合った勘亭流書家さんの「好文舍」名入りうちわ
おてらカフェで知り合った勘亭流書家さんの「好文舍」名入りうちわ

宇野さんはこのおてらカフェを運営するなかで、地域にだれもが気軽に足を運べる場の必要性を改めて感じ、また、ワークショップで作家のみなさんと知り合って「工芸を、もう少しみんなの手に渡したい」という思いを強くし、喫茶・ギャラリーの開業を具体的に描き始めました。そこで縁あって現在の建物に出会い「西陣におもしろく楽しい場を提供する」ことが実現しました。

「暮らし方を方向づける建物」を大切にしながらも無理のない改修

好文舎の中庭に面した部屋
「好文舍」という文人好みに感じる名前のいわれを聞くと「改装の時に中庭の植栽に梅の木を植えました。中国語で梅は好文と言うので好文舍にしました。ずっとあたためていた名前とかではなくて、植えた梅の木が先だったのです」と笑って軽やかに答えました。
建物は元、呉服関係の仕事や展示に使われていたそうですが、どことなく、はんなりした雰囲気が漂っています。玄関の間と庭に面した部屋を展示と喫茶に使われています。
好文舎の床の間好文舎の富士山の欄間
りっぱな違い棚やめずらしい富士山と雲の透かしのある欄間がはめられた奥の座敷は、通常より規模の大きな展示企画や、お客さんが立て込んできた時など、その時々で適宜に利用されています。
座敷は明治時代の建築で、ガラス戸の細かい組み方の桟やガラスもその当時か、入れ替えたとしてもずいぶん古いものですが、閉めきりにするのではなく、あくまでも「大事に使って維持する」ことを実際にされていることに「建物は、使って意味があり、それが大切にすること」と改めて感じました。
好文舎の濡れ縁
濡れ縁に使われている古い木材と竹の組み合わせが素晴らしく、これも見応えがあります。お世話になった大工さんは宮大工もされていて、数寄屋建築にも詳しく素晴らしい腕のある方とのこと。使われている木材と竹は、この家に仕舞われていたものを見つけて再利用したそうです。
元の所有者の方も、いずれ役に立つ時のためにと取っておき、何十年もたってから、それを生かす目利き、腕利きの職人さんが存在することに、京都の底力を感じました。
中庭に面した部屋のガラス戸は、古い建具を売る店で見つけたそうですが、この建物にもきちっとはまっています。しっかりした木の枠に、波打って見えるガラスがはめられたかなり古いものです。去年の京のさんぽ道「雨の季節の西陣の京町家 古武邸」で「京町家は一定の寸法で建てられているので、他所の家の建具でも再利用することができる」という当主の古武さんの話を再認識しました。
好文舎の縁側
宇野さんは、できる限り元の姿を残すように改修を進める考えでしたが、すべてを町家普請にすると「驚くほどの金額」で到底かなわなかったそうです。
それで、住まいのところは、予算が折り合い、家族が暮らしやすく使い勝手の良い改修を施し「新しい職住一体」の京町家になりました。この町家改修は、今後、持ち家をどうするか悩む方、町家に住みたいけれど資金が心配、暮らしにくいのではと思案されている方にも一つの生きた事例になるのではないかと感じました。
資金の面はもちろん重要ですが、それに加えて家族、設計や工務店のみなさんが「職住一体の京町家」への思いを共有することができたからこそと感じました。

地域の魅力を高め、ものづくりのまちの可能性を広げる

好文舎の入り口
白麻ののれんをくぐり、路地を入って玄関の戸を開けると沓脱石(くつぬぎいし)があり履物を脱ぐ。障子を開けて中へ入る。敷居を高く感じる人もいるでしょう。ややもすると固くなりそうですが、宇野さんは「場を提供して運営する側」に徹し、だれもがくつろげるように、ごく自然な配慮を欠かしません。
「若い人にしたら気が張ると思います。ですから、どこから来ましたかとか、よくここが分かりましたねとか、必ず声をかけるようにしています」そしてお客さんの様子を感じながら、常連さんとそこに居合わせたなじみのないお客さんを引き合わせて、気づまりな思いをしないように声をかけますが、その絶妙な頃合い、間合いに感心します。喫茶の間の床の間には、ご近所に住む常連さんで日本画家の方の、折々の季節の絵が掛けられています。

この絵を見て話しが弾むこともあり、ある時はその日本画家さんを居合わせた若い大学生のお客さんに紹介すると、長いこと、楽しく話しが続いたそうです。
奥のほうで聞こえる、ゴリゴリゴリという音は、注文ごとに、がっしりした業務用のミルでコーヒー豆を挽く音です。これも何やら楽しい要素になっています。
作品の展示場所や出窓、廊下の隅など、あちらこちらに季節の花がとても良い雰囲気で生けてあります。これは宇野さんのお母様が、身近に見つけた花を生けていらっしゃるそうです。また、メニューにある梅シロップはお母様と奥様のお手製です。
落ち着いた、ものづくりのまちであるこの地域は、近所を歩けばすてきなお店もたくさんあるので、連携して地域を盛り上げていきたいという思いで、宇野さんは楽しい仕掛けをしています。

宇野さんが炊く小豆あんが秀逸なあんトースト
宇野さんが炊く小豆あんが秀逸なあんトースト

近所の和菓子屋さんとケーキ屋さんのお菓子を買って好文舍へ来たお客さんは、注文した飲み物と一緒にここでいただくことができるのです。また「本日のお菓子」はこの和菓子屋さんの季節の生菓子が用意されています。先日ここで展示企画をされた清水焼の若い作家さんのお皿がお菓子としっくり合っています。庭の緑も相まって目でも美味しさを味わえます。
「これもローカルなつながりがあるからできることです」と宇野さんの言葉に、人とのつながりは新しい試みが生まれる可能性を秘めていると感じました。スマートフォンで「ここらへんのカフェ」を検索して来た若い人たちも、京町家でのゆっくりした過ごし方を楽しんでいると思います。
「ただいま」や「宿題終わったよ」の声が聞こえ家族の応援が感じられる好文舍は、京町家と暮らしと仕事、地域と人の、希望のある関係を示してくれています。

 

喫茶・ギャラリー 各種教室 好文舍
京都市上京区油小路通上長者町上る甲斐守町118
営業時間 10:00~18:00
定休日 日曜日

京町家の実家を再生した カフェの誕生

西陣の地域は今も、低層の家が続くまち並みが残っています。手入れの行き届いた京町家に、あたたかい色の灯りと控えめな看板が出ています。木の塀をめぐらせた門を入り、小径をたどるように中へ進むと「こんにちは」と、近しい親戚の家に来たような心持ちになるカフェです。伝統的な木造建築の風格と緑が美しい庭など、京町家の風情を漂わせながらも、くつろぎを感じる空間になっています。
生活様式や家族構成、経済活動の変化のなかで、容易ではないと思われる京町家の維持はどのようにされているのか。所有者、補修や改装にかかわる工務店や建築家、ご近所も含めて様々な人が関係し合うなかで保たれているのだと思います。活用しながら維持されている京町家をご紹介してまいります。1回目は西陣の京町家「カフェ オリジ」です。

二人の思いを設計者、工務店と共有して生まれた空間

オリジ

cafe oriji カフェ オリジ のオーナー夫妻
カフェ オリジは江良周策さん、悦子さんご夫妻で営まれています。悦子さんの実家の町家を改装して今年の1月に開店しました。以前から二人であたためていたカフェの構想と、10年間空き家になっていた悦子さんの実家をどのように生かしたらいいかと取り組み、コロナの影響で1年遅れにはなりましたが、開店に漕ぎ着けたのでした。

cafe oriji カフェ オリジ
元の町家のまま残された見事な桐の欄間

土台の修復や床の板張りは工務店にお願いしましたがそれ以外の箇所、厨房の棚やカウンターの取り付けや壁塗りは自分たちでされたそうです。漆喰は調合して、白すぎず、また暗くないしっくりした色あいにし、庭からの自然光と調和した照明にも配慮されています。
どの席からも中庭が見え、またそれぞれの席が独立した個性を持ち、それが全体の雰囲気をより深く落ち着いたものにしています。廊下側の書斎のような席、壁に面した自分の世界にひたれそうな席、夜に静かに飲みたい感じの厨房前のカウンターなど、その日の気分によって決めるのも楽しそうです。
椅子も手工芸のあたたみと表情を感じるものです。みんな違う椅子で、買った時も場所もばらばらということですがけんかすることなく、同居しています。「いいなと思う、すきなものを集めると自然と似ているものが揃いました」と話されました。
オリジオリジのフィギュア
そして見事な欄間、なげし、床柱など主な部分はそのまま残され、古い本棚もしっくり収まっています。この家への愛着と開業への思い、その全体像を設計者や工務店の方と共有して生まれた空間です。押しつけがましさがなく、それでいて隅々まで二人の思いが行き届いたカフェは、訪れる人それぞれに心地よい時が流れています。
ふと見ると森鴎外や島崎藤村といった大作家全集を背にして、周策さんが製作した妖怪のフィギュアが何事か考えている風情です。あちこちにいる妖怪フィギュアを見つけることを密かな楽しみにしているお客さんもいるそうです。オリジの楽しさは奥が深いのです。

すきなものはおいしい。背伸びせずに決めたメニュー

オリジ コーヒー
オリジでは、お客さん側の「あったらうれしい」に応えてくれるメニューになっています。ちょっと何か食べたい時にぴったりのトーストやワッフル、お腹がすいたと思ったらナポリタンやサンドイッチというふうに。
一杯一杯ていねいにいれてくれる香り高いコーヒーや、季節やその日の気分によって選べるハーブティーなど飲み物も充実しています。
期待の甘いものは、2種類のパフェや、爽やかな酸味に香り、チーズのコクのバランスがすばらしい自家製レモンチーズケーキなどが揃っています。「今度来た時は、あれにしよう」と次回に楽しみを残す気持ちで今日の一品を選びます。
オリジ 苔玉パフェ
取材で伺った日は「苔玉パフェ」をいただきました。オリジの入り口で犬の散歩をされている方から「オリジさん、おいしいですよ。苔玉パフェは絶対食べてみて」というおすすめパフェでした。ひと口めから、抹茶の風味の良さに驚きました。この宇治抹茶と抹茶アイスとソフトクリーム、抹茶ゼリー、小豆あん等々なん層にもなった味わいが楽しめます。「苔玉」としたネーミングセンスと姿形も秀逸です。

オリジ ソフトクリーム
思いの詰まったソフトクリームの看板が鎮座しています

メニューはどうやって決めたのですか、という質問に「背伸びしないで私たちがすきなものをメニューに載せました。それが多分、お客様にもおいしいと感じていただけると思いますので」と答えてくれました。この姿勢が等身大の、素直においしいと感じられる味、心地よい雰囲気をつくり出しているのだと思います。
ソフトクリームのあるカフェはめずらしいですねと聞くと、悦子さんは「子どものころ、千本通にあったケーキ屋さんのソフトクリームを買ってもらうのが本当に楽しみだったので、これはぜひメニューに入れたいと思っていました。近所の公園に遊びに来て、その帰りに親子で寄ってくれる時、子どもさんがソフトクリームを喜んでくれます。それが思い出になればうれしいなと思います」と語ってくれました。
「ここでソフトクリームを食べるのが楽しみやったなあ」と、おとなになってまたオリジを訪れてくれる。そんな場面もきっと生まれることでしょう。

機音が響いた笹屋町のご近所カフェに

笹屋町通 オリジ

京都景観賞京町家部門表彰状
笹屋町通は京都景観賞で表彰されたこともある京町家が残る通りです

オリジのある笹屋町通は、古くから西陣織に携わる多くの職人が住む、機音が響く地域でした。今も「西陣帯地」「金・銀糸、引き箔」などと書かれた看板を掲げるお家があります。
明治8年に疫病がまんえんした時、疫病退散を願い、帯地の切れ端や絹糸、また機織りに使う道具を使って大きな「糸人形」を造り、地蔵盆の頃に町家に飾りました。やがて夏の風物詩として定着し、子どもたちや地域のみなさんの思い出に残る行事となったそうです。一旦途絶えましたが、西陣の職人有志によって復活されています。このように笹屋町界隈は、歴史や伝統の技、生活文化を継承し町並みを守る努力が続けられています。
新しく建築された家も増えていますが、人々が暮らす町であることを大切にしていることが京都の景観も守ることにつながることがよくわかります。

オリジ
オリジはそんな町内にある憩いの場です。いつも買い物のついでに寄ってくれるお客さん、勉強をする学生さん、一人で、友達と一緒にと、それぞれの使い方をして、季節を感じる京町家でのひと時を楽しんでいます。周策さんと悦子さんは「ご近所の方に支えられています」と力を込めました。
始まる、起源や源泉、最初といった意味をもつorijinate orijin originalから発想して付けた「オリジ」の名前には、思いの深い地元西陣の「織」も込められています。「みんなが自由にほっとできる空間を提供したい」と始めたオリジは、訪れた人も自分の源泉や最初の一歩に立ち返ることができる場になっていると感じます。

オリジのフィギュア
町家ならではの外構にはオリジのトレードマーク、やかんのミニチュアが飾られています

取材を終え外へ出ると、お寺の鐘の音と一緒に、公園で遊ぶ子ども達の声が聞こえ、オリジでのひと時をいっそう楽しいものにしてくれました。

 

カフェ オリジ
京都市上京区笹屋町一丁目542-1
営業時間 11:00〜19:00(当面11:00〜18:00)
定休日 毎週火曜日、水曜日・不定休

つばめが里帰りする 和菓子屋さん

今年は初夏の心地よい風を感じる間もなく、観測史上一番早い梅雨入りとなりました。素早く飛び交うつばめの姿は、季節の知らせとともに「今年もやって来た」という、うれしい気持にしてくれます。
幸せを運んで来るという言い伝えのあるつばめが、毎年巣をかける和菓子屋さんがあります。そこには、せっせと手づくりする、おだんごやお餅など、おなじみの気取りのないお菓子が並んでいます。つばめの一家を見守る、心やさしいご夫婦ふたりのお店をご紹介します。

つばめの季節の店先に並ぶもの

乙訓庵寿々屋の店頭
地元の人に親しまれている和菓子屋さん、寿々屋は静かな住宅街にあります。周囲には田んぼの向こうに、山の稜線まで見渡すことができる風景が広がっています。
寿々屋の軒先で、巣から身を乗り出して、親鳥から餌をもらうつばめのひなの様子は、心なごむ風物詩となっています。ひなの成長の様子をお客さんも楽しみにしています。寿々屋のおとうさんは「田んぼが耕され始めると、巣を作り始める。よう、わかってる」と、目を細めます。

乙訓の田園風景
周囲はのどかな田園風景が広がっています

寿々屋では3つの巣で子育てが行われています
寿々屋では3つの巣で子育てが行われています

つばめの巣の完成度にはつくづく感心します。口ばしだけで泥や枯草を運んで作り上げるのですから、つばめ夫婦の絆の強さもうかがえます。巣作りの材料やひなのえさの調達にも、この近辺はうってつけなのでしょう。そして何よりも、寿々屋のご夫婦の毎年あたたかい見守りがあるからこそです。
お菓子にもその人柄があらわれています。茶だんご、いちご大福、柏餅、ういろうなど普段に楽しむお菓子は、どれも美味しそうで決めかねてしまいます。こういった作ったその日に売り切る「朝生(あさなま)」の安定した味や香ばしい自家製かき餅など根強い人気で、常連のお客さんも多くあります。「水無月」「桂鮎」など季節のお菓子も和菓子屋さんの楽しみです。

乙訓庵寿々屋の赤飯
おまんじゅう屋さんお赤飯は小豆がいっぱいです

乙訓庵寿々屋の店頭で売られている野菜
またお店の前には、近所の農家さんから届く野菜も置かれています。この旬の朝取り無農薬野菜は、おかあさんが考えた「新鮮な野菜は喜ばれるし、買ったついでに店へ入ってもらえたら」と、少しでも多くの来店を促す販売促進策です。食べ方やゆがき方などのやり取りから話が弾みます。和菓子の入り口は多様性があっていいと気づかされます。
お客さんから、おとうさん、おかあさんと親しく呼ばれる二人のお店には、いつ行ってもほっとするあたたかい雰囲気が流れています。

和菓子修行の後の独立とドーナツ販売

乙訓庵寿々屋
おとうさんは、地元岡山の中学校を卒業後、15歳で大阪の和菓子店へ住み込みで就職されました。昭和41年(1966)26歳の時に大阪池田市で独立、開店し、その後、縁があって長岡京市の別の場所で営業されていました。店舗を置いていた商業施設には、他にも和菓子店があり、同様の商品は認められないと言われてしまったそうです。そこで信頼する方の勧めもあり「ドーナツとお団子」の店としてスタートしました。
ずいぶん思いきった転換であり、せっかく和菓子の修業をしたのによく決断されたと思いますが、おとうさんには「きっといける」という確信があったと言います。それは新聞で「アメリカにはドーナツ専門店があると知り「アメリカではやったものは、だいたい10年後に日本ではやるようになる」という読みがあったからです。スーパーマーケットもその例です。
ドーナツ
ドーナツの生地は、パンと同じようにイースト菌を使って発酵させる手間ひまをかけるなど、和菓子職人として鍛えた技術と感覚を生かした商品が誕生しました。また、子どもでもおやつに買える金額に設定し、評判を呼び人気商品になりました。ミスタードーナツの1号店が箕面にできる1年前だったそうですから、まさに先見の明です。
その後、現在の地へ移転してから15年がたち、すっかり地元でおなじみになりました。乙訓庵と京都の西の名を冠したところにも「ここでやっていく」という気概を感じます。
以前からの常連のお客さんも新しいお店へ引き続き足を運んでくれたことも、とてもうれしいこことでした。ドーナツはもう販売していませんが復活を望む声も多くあったそうです。
今やまぼろしとなったドーナツですが一度食べてみたいと思います。

地域おこしの一環の新商品と和菓子のこれから

乙訓庵寿々屋

青梅という朝生を作る寿々屋さん
ひとつひとつ全て手仕事で作られる青梅

店内に入ると、いい匂いが漂っています。おだんごには、こんがりした焼き色がつき、とろっとした醤油たれがたっぷりかかっています。
かき餅も一枚一枚並べて焼き、その後に醤油とみりんを合わせたたれを塗って、乾燥させます。どれも手間をいとわず作られています。このような普段使いのお菓子とともに、おとうさんが作る生菓子も秀逸です。取材にうかがった時は「青梅」の製作中でした。
年季の入った技術と季節を映す感性が、お菓子を味わう喜びを与えてくれます。姿形、色あい、素材、菓名が調和して和菓子独自の世界観をつくりだしています。
お茶席にもよく使われていますが、昨年からのコロナ感染予防のため、お茶事やお茶席のある催しがすべて中止になり、出番がぐっと少なくなってしまい本当に残念です。一日も早く収束の兆しが見えるよう祈るばかりです。

乙訓庵寿々屋の鴻臚の郷
たけのこの蜜煮があしらわれて鴻臚の郷(こうろのさと)
乙訓庵寿々屋の竹の子最中
名産品をかたどった竹の子最中

寿々屋には京都の伝統野菜にも指定されている地元の特産品、たけのこを使ったお菓子や長岡京の歴史にちなんだお菓子があります。「鴻臚の郷(こうろのさと)」は、寿々屋のある柴の里地域に、1200年余り前の長岡京の迎賓館であった「鴻臚館」があったという伝承を地域おこしにつなげようと考案されたお菓子です。
当時の自治会の役員の方と親しくていて声をかけられたそうです。試作をくり返し、試食をしてもらうことを重ねて完成したお菓子は、中に黄身あんを包み、上に地元産のたけのこの蜜煮をあしらっています。
たけのこの食感に黄身あんとバターの風味が調和して、緑茶でもコーヒーや紅茶にもよく合います。お菓子の個包装の「鴻臚の郷」という菓名は、懇意にしている茶道の先生の揮毫によるものです。伝承の地元の歴史が埋もれることのないように継承され、そのかたわらに「鴻臚の郷」があるように願っています。
乙訓庵寿々屋のお客さん茶団子などの乙訓庵寿々屋の和菓子
小さな女の子が父親と一緒に入って来て「茶だんごありますか」とかわいい注文をしました。おかあさんが「今日は茶だんごあるよ。この前は売り切れててごめんね」と答えるほほえましいやり取りがありました。
おばあちゃんのおみやげと家でみんなで食る分にと、お赤飯や桜餅を一緒に求めていました。あんこやお餅、お団子が大すきなのだそうです。和菓子の美味しさは、きっかけさえあれば子どももきっと「おいしい」と感じるでしょう。そのおいしさへの入り口に寿々屋がなっていると感じます。
乙訓庵寿々屋の店内
おとうさんが「15歳で住み込みをしたお店の御寮さんから、独立しなさいよ。あきんど、商いと言うやろ。つらいこともあるけど我慢しなさい。商いは飽きずに、細く長く、牛のよだれのように続けることやといつも聞かされていた。今でもそのことを思い出す」と話してくれた時、おかあさんと二人でこれまでお店を続けてきた源を感じました。
二人とも、じっとしていることのできない性分で、お店の仕事の手がすいた時や開店前に畑仕事をし、おとうさんは釣りが趣味で、時には日本海まで出かけるそうです。釣果はいろいろということですが、80歳をいくつか過ぎたという年齢を感じさせない元気さです。これからも末永く、多くの人に寿々屋のお菓子を味わってほしいと思います。
ツバメ
二人にやさしく見守ってもらった5羽のつばめのひなは無事に巣立ち、2回目の巣もりっぱに完成しています。今年も里帰りしたつばめは、安心して寿々屋であとしばらく子育てをします。

 

乙訓庵 寿々屋
長岡京市柴の里1-22
営業時間 10:00~18:00
定休日  火曜日

世代をつなぎ 宇治茶作りひと筋

五月一日は、立春から数えて八十八日め「八十八夜」茶摘みの季節です。茶畑には、やわらかな新芽が育ち、茶農家は寝る間も惜しむほどの忙しい日々が続いています。
急須やお茶の葉と縁がないお家はめずらしくなく、またコロナの影響でお茶会やけい古、お茶席のある催事がほとんど中止されるという、かつてない逆風のなかでも、日本のお茶の文化、栽培や製茶の技術の継承のため、家族と社員が一丸となって日々励んでいる茶農家があります。
お茶の発展の歴史を誇る宇治で、十六代にわたってお茶作りひと筋に生業を守る、宇治茶製造卸販売「丸利吉田銘茶園」を訪ね、忙しいさ中、専務の吉田勝治さん、実店舗とオンラインショップを担当する息子さんの昌弘さんに、お茶に寄せる思い、宇治茶の可能性について語っていただきました。

玉露発祥の地、歴史の面影がやどる小倉地区

吉田銘茶園の茶畑
吉田銘茶園では、今年は例年より早く4月25日から茶摘みが始まりました。「八十八夜の別れ霜」と言われる遅霜がないように、お茶の摘み手さんが集まるように、摘んだお茶の加工が滞りなく進むように等々、細やかな気配りが欠かせません。
本社製造所と主な茶園のある小倉地区は玉露発祥の地とされ、旧大和街道沿いには、茶問屋の伝統的な建物が並び、古くからの茶どころの面影を今も色濃く残しています。
巨椋氏の氏神様であり旧小倉村の産土神の巨椋神社と、その境内には子どもの守り神の子安神社があります。ウオーキング途中の人が、鳥居の前で足を止め、ごく自然な感じで拝礼された姿にも、地元で親しまれている神社であることがうかがえます。

本ず覆下栽培
本ず覆下栽培

宇治のお茶栽培の大きな特徴は、茶園に覆いをして日光をさえぎる「覆下栽培(おおいしたさいばい)」にあります。玉露や抹茶になる碾茶(てんちゃ)は、日光をさえぎることにより、甘みと旨みが多く、香りと豊かな風味のお茶となります。吉田銘茶園では、茶園の上をよしずとわらでおおう伝統的な「本ず覆下栽培(ほんずおおいしたさいばい)」を継承しています。
琵琶湖産のよしは、自園の竹林や田んぼの竹やわら使います。よしずを編み、丸太と竹でやぐらを組んで、やぐらの上にわらをふき、周囲を囲うこも編みなども、すべて社内で行っています。
よしずの上のわらは、茶摘みの時期には畑に敷かれ、土の養分になります。


お茶摘みさんが摘んだお茶は、発酵しないうちにすぐに蒸す作業に入り、もみながら乾燥します。宇治茶栽培には、このようにお茶にかかわる技術が総合的に発揮されて守られてきました。
本社製茶場前の本ず覆下茶園は「日本遺産」に認定されています。茶畑の広がる景観は、宇治を特徴づける、かけがえのない景観であり、それは茶農家とそこに働く人々によって保たれています。

「六次産業」のさきがけ、十五代の先進性

吉田銘茶園の茶箱
吉田銘茶園では茶問屋への卸しのほか、生産から仕上げまで行い、法人化した販売部門で小売りまで行っています。当時、茶農家がこのような業態をとることは非常にめずらしく、画期的なことでした。
この道を開いたのは、勝治さんの父、十五代の利喜三でした。生産から加工・販売も行う「6次産業化」のさきがけと言えます。「作った者が価格を決められる」を重要視し、それが喜びともなり、茶農家を存続させるかぎともなると考えたのです。
そして40年前、小倉駅前に完成したショッピングセンターのテナントとして開店しました。卸先の茶問屋とはお互いに話し合って数量と価格を決める「相対取り引き」ができていて信頼関係が築かれ、それも大切にしながら新たな道を切り開いたのです。しかし、勝治さんが大学3年生の、開店して1年もたたない時、十五代が急逝されるという、思いもよらない哀しみに見舞われました。
吉田銘茶園の店舗

丸利吉田銘茶園専務の吉田勝治さんと息子さんの昌弘さん
丸利吉田銘茶園専務の吉田勝治さんと息子さんの昌弘さん

利一さんは栽培と加工、勝治さんは販売部門を担当してこの困難を乗り越え「生産者が価値を決める」業態を継続することができました。
そして2017年11月に店舗を移転オープンしました。現在、勝治さんの息子さんの昌弘さんが担当しています。
奥にかかったのれんと茶釜が「お茶の店」の雰囲気を作り出しています。昌弘さんが丁寧にいれてくれる煎茶や、薄茶を気軽に味わうことができます。勝治さんと二人で宇治市役所の新採用の職員研修でお茶についての指南、海外との取引に発展したSNSでの発信など、宇治のお茶を広げるため利喜三さんの志を継いで、奮闘されています。

お茶の魅力を、次世代や海外へもつなげる

吉田銘茶園のだんご茶
吉田銘茶園のだんご茶

駅前店の店内には、手もみの最高級のお茶をはじめ、様々な種類のお茶、そして新茶が並んでいます。テーブルの上には、一番茶を摘んだお茶のひと枝がさり気なく生けてあります。
玉露を作る過程でできる数量もまったくわからない、知る人ぞ知る「偶然のたまもの」「だんご茶」もあります。もちろん玉露として飲むことはできますが「このまま食べる」ことをすすめています。噛むと濃い旨みと香り、清々しさが広がり、まさに甘露の味わいです。わざわざ遠くから買いに見えるという話もうなづけます。
吉田銘茶園のかご
店内にディスプレーされた、碾茶を挽いて抹茶にする石臼、茶箱、竹製のふるいなどお茶の製造に関係する道具もお茶について話しをする良いきっかけとなっています。
工芸品並みの細かい編み目の大きなかごは、仕上げる前の葉と茎がきれいにわかれ、お茶にも手にも優しい、すばらしい道具なのだそうですが、もう作る所はなく、自分たちで繕いながら大切に使っているそうです。

勝治さんと昌弘さんは「お茶を急須で飲む文化を絶やさないために」と、近くの小学校や保育園で「お茶の体験教室」のボランティアを引き受けています。今年行った保育園は昌弘さんの卒園した園で、当時の園長先生が現在も務めておられ、SNSを見て申し込まれたそうです。
抹茶を飲んで「苦い」と驚いて泣き出す子もいたそうですが、楽しく飲む子が多かったそうです。「やはり日本人のDNAなんでしょうね」と昌弘さん。小学生から「今までお茶は、ウーロン茶と麦茶しか知らなかったけれど、こういうお茶があることをはじめて知りました」という感想文をうれしそうに見せてくれたことを思い出しました。

吉田銘茶園インスタグラムより

昌弘さんが英語で発信したインスタグラムで、海外のショップや個人と直接取引が増えているということで、インバウンドとは異なる海外とのつながりが確実に広がっています。ティーショップの経営者が、取り引きを開始する時に来店され、とてもお茶に興味を持たれたそうです。
吉田銘茶園の茶畑
吉田銘茶園では他の茶農家の茶畑の栽培管理を依頼されることもあるそうです。
市街地の茶畑が年々少なくなる様子を何とか食い止めたいと思う昌弘さんは「いとこも一緒に頑張っているので、これ以上茶畑を減らさないようにやっていきます」と、はっきりとした答えが返ってきました。
栂ノ尾高山寺に、800年前に明恵上人が植えたのが始まりとされる日本最古の茶園があります。この茶園を十四代の時代から吉田銘茶園が管理を任され、毎月手入れをされています。日本のお茶の歴史は、このようにして守られ後世に伝えられています。
お茶はコロナウイルスを迅速、効果的に不活化するという研究発表も報道されています。科学的な効果もありますが、何より、新茶の香りで季節を感じるという、ゆとりの時を多くの人に過ごしてもらいたいと思います。

 

丸利吉田銘茶園 駅前店
宇治市小倉老ノ木45-2
営業時間 10:00~18:00
定休日 日曜日

竹と筍 京都石田ファームから発信

この京のさんぽ道で、昨年は筍の収穫、メンマ作り、山の竹林の農小屋建築と、度々取材させていただいた石田昌司さんの石田ファームを訪ねました。
季節は竹の秋。美しい竹林の竹は、一年の仕事を終えて黄色に色付いた葉を落とします。今年は暖かい日が続いたので筍の成長も早く、収穫はすでに終盤を迎えています。朝早くから掘って、計量、箱詰め、出荷というあわただしい合間を縫い、メンマ作りや「高圧処理」した筍の試食と検討などが活発に行われました。
竹やたけのこに関心のある人たちが寄り合い、活動を続けていくうちに、知れば知るほど、通えば通うほど、竹と筍の不思議さ、おもしろさに引かれ、興味は尽きません。

おとなの日帰り林間学校のような一日

石田ファームの竹林
4月の良く晴れた日曜日、石田ファームの今年最初のメンマ作りと「高圧処理」した筍の試食会の会場は、整備された筍畑に囲まれた石田ファームの作業場です。
作業に入る前に、まかないのお昼ご飯のお相伴にあずかりました。玄米ご飯に筍入りカレー、筍と春キャベツの炒め物を頂きました。石田ファームの食材、付け合わせのらっきょうは参加された元学校の先生の自家製という、本当のご馳走でした。「滋養」がからだにしみこむ感じに、張り切ってメンマ作り開始です。
石田ファームのメンマ作り
良い筍がとれる「親竹」を残し、それ以外の伸びたたけのこは伐って、日が差し、風が通るようにします。「幼竹(ようちく)」と呼んでいる、その「竹未満」のものを、捨てるのではなく活用方法を模索するなかで考えられたのがメンマです。今、このメンマ作りは全国的にも広がりを見せ、商品化を実現した所もあります。
石田ファームのメンマ作り
皮をはぎ、寸法を考えて切る、大きな寸胴にお湯を沸かす釜焚きと、自然と分担ができて作業が進みます。薪割り担当の方のあっぱれな腕前に、みんながどよめきました。
石田ファームのメンマ作り
包丁がさくっと入ったところからが使える部分、塩分30%等々、手順を追ううちに「ああ、もう一年たったのだなあ」と、筍や竹つながりで、多くのみなさんと出会ったことがよみがえってきました。そして、関心のある人が可能な範囲で参加し、それぞれの意志で自由に続けられている、この自立した活動がすばらしいと思いました。実際に竹林に囲まれた中で、みんなで和やかに無心に作業をすると、とても楽しく、やはり人と人が一緒に共同で何かをすることは大切なことと改めて感じました。
石田ファームのメンマ作り

石田ファームのメンマ作り
ゆで上がった幼竹は、熱いうちに塩をして重石を乗せて樽に仕込み、発酵させます。出来上がりを期待して、待つことも楽しみになります。メンマとして食べられるようにするにはさらに、発酵の後、塩出しをして味付けという、けっこうな手間ひまがかかったものになります。

石田ファームは「竹とたけのこラボ」

石田ファームのメンマ作り
幼竹を湯がいている時間を利用して「高圧処理筍試食会」も行われました。石田さんが食品会社に依頼して、高圧で生の筍を処理するという実験を行い、その結果の検証と試食という興味津々の企画でした。形状はどうなったか、えぐみはどうか、筍本来の香りや甘みのある味わいは残っているかなど、みんなで試食し、意見を交わしました。
高圧処理筍の試食会
当日は、アスリートフードマイスターや管理栄養士という「食」関係の常連さん、自他ともに認める竹好き、竹ひと筋の研究者という専門家も参加していました。試食しているうちに、「えぐみが口の中に残ってるなあ。すっきりさせたい」と、「利きたけのこ」を中断してお茶の時間となりました。お持たせのふきのとうのクッキーと、ハト麦やおからパウダー、ブルーべリーなどを使ったグラノーラの最高のおやつを頂き、コーヒーでひと休みしました。

石田ファームの親竹
来年良い筍がとれる「親竹」

石田ファームでは、ホームページや通販サイトは開設していませんが、筍の高い品質は口コミで広がり、関東方面からも注文があります。しかし石田さんは、高値で売れる筍を育てるだけではなく、余ったけれど同じように、しっかり手入れされた、ふかふかの畑で育ったたけのこを何とかして生かしたいと奮闘を続けています。
それも同じことを続けるだけでなく、今回の高圧処理のように新しい方法も果敢に試みています。そのため、多くの人がおもしろくて楽しい活動と感じて集まって来るのだと思います。
メンマ
幼竹でメンマを作るのは、とても手間とコストがかかってしまいますが、今の完全手作業から他の良い方法に移行できれば、安く、安心で美味しい「純国産 京都のメンマ」ができます。そう思うと夢が広がります。そして、その夢は現実のものに、きっとできると感じます。
石田ファームはこれからも、ラボのように幅広い人が集まって実験をくり返し、竹とたけのこの未来図が描かれていくことと思います。

受け継がれる技術と、地域に根ざした暮らし

石田ファームの竹林
竹林の間のこみちは、うぐいすのさえずりと竹の葉が風に揺れる音だけが聞こえる別世界です。数年前から石田ファームで仕事をされている、兵藤暁人さんが、筍掘りに励んでいました。
石田ファームの兵藤暁人さん

石田ファームの石田昌司さんと兵藤暁人さん
その日も気温は20度を超えていて、兵藤さんは汗をかきながらの作業です。地面のひび割れを見つけて、地下茎の張り方も見極めながら慎重に「ホリ」を差し込んでいます。兵藤さんは、次々移動して、手早く掘りあげていきます。午前中にすべて掘らないと出荷が間に合わないし、次の日には大きくなり過ぎる筍もあります。
離れた筍畑へ行っていた石田さんがもどり、兵藤さんにアドバイスや確認をしています。
たけのこの計量
計量すると兵藤さん一人で60kgもありました。そして何といっても、兵藤さんのこれまでの最高、1.5kgの大物を掘りあげたのです。大物を手にした兵藤さんはうれしさの広がる、とても良い表情をしていました。
石田ファームの親竹
竹の棒を差し込んであるのは来年、筍を取る「親竹」の候補です。筍だけを見て選ぶのでなく、良い筍ができるかどうか、地下茎をしっかり見て決めるのだと教えてもらいました。竹は一本、一本単独に生えているように思いがちですが、地下茎が横へ伸びた所から地面の上へ出てきます。ですから、良い筍を取る親竹を選ぶには、地下茎を見る目利きとなることが大切です。
ふかふかの畑と、すっと伸びた竹を見ていると、いつも気持ちが軽くなります。美しいと感じる竹林も田畑も里山も、それは必ず人の手が入っているからこそ、ということを改めて感じました。
石田ファームのお地蔵様
帰り道、大きな樫の木の根元に祀られた、古い三体の石の仏様にお参りしました。石田さんの父親の健司さんが長年お世話をされている、石田家のご先祖様なのだそうです。ひっそりと、優し気なたたずまいに引かれます。
すがれの菜の花が咲く畑には、6月にはお正月用の「雑煮大根」の種まきをされるそうです。
農作業には、季節の物差しが生きています。その地に根付いた季節や暮らしの尺度から、多くを学ぶことができます。
石田ファームの今年のメンマ作りは、まだ続きます。

 

石田ファーム
長岡京市井ノ内西ノ口19―1

京都のまちかどの おとうふ屋さん

「今日は湯どうふ」と、何回もお鍋を囲んだお家も多いことと思います。季節を問わず、年中お世話になっているおとうふ。良い水に恵まれている京都は昔から「京のよきものとうふ」と名をあげていました。
上京のまちに今も、おくどさんで薪を焚いておとうふを作り続けるお店があります。
「創業文政年間」と染め抜いたのれんが、京町家にしっくり調和する入山豆腐店です。ご主人の入山貴之さんに話をお聞きました。おとうふのこと、お客さんのやりとり、京都の歴史等々の話題が次々と繰り出し「もっと聞きたい」入山さんの味なお話を、ほんの一部ですが、おすそ分けいたします。

ものは人の手がつくっている

入山とうふ
入山とうふ店主の入山貴之さん

京都のまちなかには、名水の湧く井戸がいくつもあります。上京区の「滋野井(しげのい)」の名水は、元滋野中学校の校歌にも「滋野井の泉のほとり」と歌われ、地元の宝として大切にされてきました。入山豆腐店もこの地域にあり、井戸から地下水をくみ上げています。近辺にはおとうふ、生麩、醤油など良い水があってこその生業が営まれています。
入山とうふのおくどさん
入山さんのお店では、機械を使うのは大豆をすりつぶす作業だけです。このすりつぶした大豆を、おくどさんにかけた大釜のお湯に入れて炊いていきます。ガスにすれば手間はかかりませんが、カロリーが低いので時間を要します。その点、常に火加減に注意し、微妙な調整も必要ですが、薪は火力が強く短時間で炊きあがり、香りや風味を生かすことができます。
按配のよいところを見きわめて、炊いた大豆を袋で濾すと、豆乳ができます。この豆乳に、にがりをまぜて型に流し、余分な水を除いてから水槽の中で切って、おとうふの完成です。焼豆腐は串を打って炭火で焼き上げています。これは秋から4月いっぱいくらいまでの季節のものです。焼目こんがり、こうばしい味、よい香りは「入山さんのお焼き」だけのものです。
入山とうふの油揚げ
お揚げやひろうすもおくどさんで、きれいな油を使い、丁寧に揚げているので、油抜きする必要はありません。豆乳も機械でぎゅうぎゅうしぼり切ることがないので「お客さんから、ジューシーやと、よう言われる」しっとりしたおからになります。炒らずに、そのまま使っておいしくできます。豆乳も毎日買いに来るお客さんも多く、冬は豆乳鍋にするお家もあるとか。質の良い水と原料、誠実な手仕事で作られたものは、何にしてもその素のよさが生きています。
薪を割る入山さん
大豆を水に漬けるのは前の晩、朝4時からおとうふを作りお客さんに応対し、合間には薪を割りその他諸々、仕事がたくさんあります。年2回は近くの小学校の見学を受け入れています。「体を使って働く姿を見ることがないと思う。ものは人間の手がつくり出しているのだということを知ってもらえたら」という思いです。ものづくりは人の手がつくり出す。入山豆腐店はおいしさとともに、その大切さを教えてくれます。

鐘の音と「入山さーん」と呼ぶ声

姪ごさんの太田真莉子さん
姪ごさんの太田真莉子さん

2年前から、火曜、木曜、土曜の午後は近くの町内をリヤカーでまわる「まわり」を復活させました。担当は、2年前からお店を手伝っている姪ごさんの太田真莉子さんです。真莉子さんの後にくっついて、まわりに同行させてもらいました。リヤカーに真莉子さん手書きの「入山とうふ」の看板を付け、入山さんのお祖父さんの時代からのりっぱな鐘とともに出発です。

あいにくの冷たい雨でしたが、晴天続きで井戸が枯れかけていた入山豆腐店にとっては、恵みの雨です。よく響く鐘の音が家の中にも届いて「入山さーん」と声がかかります。「雨の日は本当に助かる。まわって来てくれはるし、ありがたいわぁ。入山さんとこのは、おいしいしね」そして「雨の日は大変でしょう。気ぃつけてね。いつもありがとう」という言葉に、信頼関係や感謝の気持ちがこもった、とてもあたたかいものを感じました。
まちなかでも、このあたりはお店がなく、高齢の方をはじめ多くの人が真莉子さんのまわりを頼りにしています。一言ふた言でも、そこで交わす会話に気持ちがなごむことでしょう。
2階からかごを降ろして買う思いがけない楽しい場面にも遭遇できました。

「今日はお客さんが多かったです。3人だけとかいう日もあります」と真莉子さん。まわりを始めたのは、どういうことからですかという問いには「必ず需要はあると思っていました。入山豆腐店がせっかくこれまでやってきたことを大切にしないともったいない。必要とされているところ、待っていてくれている方に応えたいと思って冬も夏も、お客さんが少ない日も、曜日も時間も変えることなくまわりをしています。」
みなさんも運が良ければ真莉子さんのまわりに巡り合えるかもしれません。鐘の音が聞こえてくるか、耳をすませてみてください。

江戸時代の作り方は、究極のエコだった

入山とうふの店頭
薪をたくなつかしい匂いと、煙突からうっすらと上がるけむり。入山さんがのれんを出し、店頭にはみずみずしいおとうふをはじめ、揚げたて、焼きたてが次々と並んでいきます。同時にお客さんがやって来ます。「ただ今開店しました」というふうではなく、何となくゆるく開店する感じも、ほんわかした雰囲気です。
入山さんのお父さんが跡を継いだ時は昭和30年代、世の中が大きく変化し始めた時でした。豆腐製造業も機械化が進み、多くのお店が機械化・量産化へ舵を切りました。スーパーマーケットができ、食品へも大量生産、価格競争の波が押し寄せた時代です。お父さんも機械の導入を考え、先代に相談したところ「とうふ屋が数に走って売り上げを上げたらあかん」と返され「これまで通り」を続けてきました。「結果、よかったかな」と入山さんは思っています。

おとうふは、外国の人に多いベジタリアンやヴィーガンの人たちも食べられます。「そういう点でも日本のとうふは世界の人に安心して食べてもらえる優れた食品で、食べ方もいろいろアレンジできる。しかも歴史や文化的な価値がある。シンプルという日本人の考え方はすごい」と可能性を感じています。

おくどさんで焚く薪は、大工さんから手に入れる端材を利用し、消し炭も火付け用に取っておき、灰は豆乳をこすふきんなどを洗う時に使います。「捨てるものは何もない究極のエコ」です。あるものを生かして使い切り、循環させる作り方には、今の時代に多くの人が感じ、見つめなおして大切にしようという暮らし方、ものづくりの本来の姿があります。
入山さんは人と話すことが大好き、本が好き、いろいろなことに興味があり、多くの人、外国のお客さんともコミュニケーションを楽しんでいます。入山さんは「それが、まち店の意味」と語ります。そこからお店の経営や考え方にも柔軟性が発揮されているように感じます。

商品名を書いた札や、イラスト入りのボードなどは、すべて真莉子さんの手になります。真莉子さんの「リヤカーを、赤とか明るい色にして、もっとかわいくしたい」という構想に、入山さんは「それもええなあ」と応じます。二人のやり取りや、かもしだす雰囲気が何かいい感じです。淡々と明るく仕事を進める二人の様子は、二百年ののれんも軽々と、とても身近に感じられます。おいしいおとうふ屋さんが近くある幸せ。ささやかな喜びの積み重ねが、京都のまちと暮らしをかたちつくっています。

 

入山豆腐店
京都市上京区椹木町通油小路 東魚谷町347
営業時間 9:30頃~18:00頃