雨の季節の西陣の京町家 古武邸

日本には、季節や時間などにより細やかに表現された、400を超える雨の名前があると言われています。西陣の京町家、古武邸の庭の木々や敷石もしっとりと雨に濡れ、この季節ならではの趣をかもし出しています。
暴れ梅雨が早く収まることを祈りつつ、古武博史さんに話をお聞きしました。

面倒でも代えがたい、季節を知る楽しさ

古武邸表座敷の葭戸
伏見の旧家が建て替えでもらった葭戸が使われた表座敷

久しぶりに訪れた古武邸は、使い込まれ、飴色の艶を放つ葭戸や網代など、今年もきちんと夏のしつらいがされていました。昨年、お盆の行事を取材させていただいた折りには(西陣の京町家 古武家のお精霊さん迎え)お供え物があげられていたお仏壇は扉が閉じられ、床の間には「幸有瑞世雨」という、この季節にふさわしい軸が掛けられています。
幸有瑞世雨の掛け軸祇園祭の鉾とちまきを描いた色紙

訶梨勒(かりろく)
蝉の訶梨勒(かりろく)
西陣らしい繭の訶梨勒
西陣らしい繭の訶梨勒

鉾とちまきを描いた色紙や古武さんのお知り合いの方が作った和紙のミニチュア鉾、「訶梨勒(かりろく)」という、平安時代から魔除けとされた柱飾りなど、何となく華やいだ雰囲気も漂っています。この日飾られていた訶梨勒は、蝉と西陣にちなむ繭でした。

二階の座敷のほの暗いなかに浮かび上がる、萩の枝の戸や「四君子」の欄間の、陰影をたたえた美しさは、京町家が育んできた文化と美意識を端的にあらわしていると感じます。
欄間の端のモダンな雰囲気の意匠は、桂離宮の月を抽象化したデザインにならったものだそうです。古武さんはそのことを、見学に来た人から教えてもらったそうで「建築や庭園の研究者、大工や庭師の職人さん、いろいろな人が来るので、この歳になっても教えてもらうことがたくさんある」のだそうです。
奥座敷の廊下の、建てられた当初の建具そのままの戸が、長雨の湿りや、家にも歪みが出てきていることから、片方うまく開け閉めできなくなってしまったと笑って話されました。

古武邸の中庭

庭に敷かれた丸い白石は、汚れたり苔が付いたりするので、時々洗っているそうです。このほんの一例が示すように、町家を維持していくには、この上なく面倒なことがたくさんありますが、古武さんは「できることはするが、無理なことは無理」とさらりと言いながら、町家への情熱は衰えることを知らず、その手間暇には代えがたい、四季折々の発見を楽しんでいます。

店玄関に置かれたがっしりした、たんすは職人だった古武さんのおじい様がつくられたと聞き、つくった人が逝ってもなお生き続ける、職人の力が満ちた、迫るような存在感でした。

庶民の暮らしが回る「文化経済力」

上杉本洛中洛外図屏風の複製
離れは床のしつらいとともに、国宝に指定されている「上杉本洛中洛外図屏風」の四分の一の大きさの複製が置かれています。古武さんはこの複製屏風を使い、応仁の乱後の京都について語る企画を長年続けています。織田信長から上杉謙信へ送られたと伝えられ、老若男女、身分や職業を問わず約2500人もの人や都の四季が、生き生きと描かれています。夏は祇園祭の鉾、対極の冬の場面には雪の金閣寺が見えます。
上杉本洛中洛外図屏風の説明をする古武さん
当時の暮らしや生業がわかるこの屏風絵を古武さんは「その時代の縮図」と表現します。そして「450年前に描かれた図で、今の町並みを説明できるのがこの西陣を中心とする地域なのです」と続けました。そして、町家を維持するにも、資材の調達には林業、農業、園芸、それをかたちづくる専門の職人の存在が欠かせないと繰り返し強調しました。そこがうまくまわっていれば暮らしが成り立つ、庶民の暮らしが成り立つから、西陣をはじめとする伝統産業も継承できる仕組みがあったという、循環型経済です。1200年の地層のように、京都にはその蓄積があること、それをどう生かしていくかを、みんなで考える時が今と語りました。
古武邸の柴垣
古武邸の庭や建物を管理してくれてきた職人さんは90代になっているそうです。庭の柴垣も手を施さないとならない状態なのですが、材料も職人さんもいないという現実です。古武さんはその厳しい現実に直面していることと併せて、町家の文化と空間を多くに人に伝えたいと、新しいつながりに希望を見出しています。

古武邸を拠点とした明るい変化

古武邸
古武邸のご近所には、古くからの西陣の織元があります。和装産業も厳しさを増すなか、織屋さんも減少していますが、この状況を自ら切り開いていこうという動きも生まれています。西陣織の織元さんから、帯の展示会の会場に使わせてほしいと相談を受け、実現されました。古武さんは30年やってきて初めてのことと、驚きと喜びを隠せない様子でした。

また、座敷を会場に、謡曲を朗読形態で謡い、表現する「謡講(うたいこう)」が催されることになりました。これは、昔から京都で盛んにおこなわれ、楽しまれていたそうです。題して「謡講・声で描く能の世界 京の町家で うたいを楽しむ」です。元禄時代から続く、京観世の芸統を受け継ぐ一門のみなさんが出演されます。古武邸のすぐ近くには、観世家ゆかりの観世稲荷社と名水として知られる観世井があり、18年ぶりに行われるという謡講に本当にふさわしい会場であり、すばらしい出会いです。

古武さんは「経済や暮らし方が大きく変化し、高齢化が進むなかで、町家をこのまま残すことは難しい。では、どうするか。どうしていけば、この地域に住み、暮らしていけるのか。みんなで50年先、100年先のビジョンを考え、意見を交わす時です。未来はまず、今生きている私たちが考えんと、と思っています」と力強く語りました。
古いもの、歴史的建造物や文化を継承するためには、多くの人が係われる新しく楽しいことも必要です。みなさんもぜひ、古武邸で雨の匂いや濡れて美しい色を見せる庭石、ほの暗さの中に浮かぶ葭戸や欄間など、京町家の魅力を感じてください。建都も、町家の補修、継承など、住み続けられる住環境を守るために一層力を尽くしてまいります。