京の茶室文化 数寄屋建築を支える木の文化

京都の特徴的な文化の一つ、茶室・数寄屋建築は、林業、木材の製材・加工、大工など、多様な職人の技や知恵によって支えられてきました。
実際に現地を訪れ、木の文化の源流を学ぶツアーが「林業女子会@京都」主催、「京都発 火と木のある暮らしの提案」でご紹介しました「京都ペレット町家ヒノコ」共催により2日間にわたって開催されました。
講師は職人さんや、建築、木材の専門家という特別企画の、数寄屋建築と庭園、銘木加工、製材所見学コースに参加しました。その様子を3回続けてお届けします。

その1、日本文化の精神を感じる建築と庭


京都御所の西側の静かな住宅街に、古風な門が見えます。門から路地を入り、さらにもう一つ門をくぐると、数寄屋建築の建物と手入の行き届いた広い庭があります。ここが日本文化と歴史を伝える場としてよみがえった「有斐斎弘道館」(ゆうひさいこうどうかん)です。
江戸時代中期の京都を代表する儒者、皆川淇園(みながわきえん)が創立した学問所跡に建てられています。このあたりは「どんどん焼け」とも言われた、京の町を焼き尽くす幕末の大火に見舞われましたが、明治時代から昭和にかけて増改築された建物が現在の弘道館です。約550坪の庭に、二つの茶室と広間のある建物は、お茶事をはじめ日本の伝統文化を学ぶ場となっています。

今回のツアーでは、京都建築専門学校副校長、建築史家の桐浴邦夫さんから、数寄屋建築や茶室の見方や歴史について説明していただきました。
室町時代、東山山麓の慈照寺(銀閣寺)のように、風光明媚な自然のなかで行われていた茶の湯は、次第に市中の富裕層の間に広がっていきました。
当時の人々は、自然に乏しい町なかでも、建物の土の壁や木から、自然を感じることができるよう工夫し、それを理解する感性を備えていました。そしてこの「侘数寄」(わびすき)の風趣は、小堀遠州に代表される、自由で明るく洗練された「きれい寂」(さび)という美意識へとつながっていきました。

弘道館の茶室は、この侘数寄ときれい寂の両方を兼ね備えていて見どころが多く、何回も訪れるなかで今まで気がつかなったところが発見できる楽しみがあるとお話しされました。また「日本の庭は、より自然に近づけるかたちで人工的に造ります。自然の要素と人工的なものをどう組み合わせるか。いろいろな技術を駆使しながらも、それを露骨に見せないことが、外国の庭園と大きく違う点です」と説明されました。こうして茶室や庭の見方の概略を聞いたうえで見学するのと、ただなんとなく見ていたのでは大きな違いがありました。

より自然に近づける卓抜した技術


六畳の茶室「有斐斎」は、床の間の内壁の墨蹟窓、高い天井などに特徴があります。これまでと同じ茶室にすることに異を唱える人があらわれ、お客様をもてなすという意味合いで、点前座を狭く、お客様の場所を広くとっています。

また、床の上部に竹材が使われていますが、よく見ると漆が施されています。高い所でもあり、最初は気がつきませんでした。すぐには見えない所にも技と工夫を凝らし、木の選び方や削り方なども、荒々しくする人、優しくする人など職人さんの気性や感性が伺えるそうです。

一方の茶室「汲古庵」(きゅうこあん)は、「表千家八代 卒啄斎(そったくさい)好み七畳」の茶室の写しです。卒啄斎は、自由に遊び心を取り入れる風潮にあったお茶に厳しさを求め、もう一度侘び数寄の世界へもどり、自然を感じようと取り組んだ人です。
特殊な加工や材を使っているわけではなく、土壁と丸太で素朴さを表現し、より心で自然を感じるつくり方になっています。「茶室は極限の広さの空間でお茶を点て、喫する場であり、狭いほど客と亭主の緊張感が生まれる。」とのお話に、先人のお茶人たちの心を推しはかる気持ちになりました。茶室は亭主と招かれた側が織りなす、一期一会の物語なのだと感じました。

歴史と文化を五感で感じる場


現在の有斐斎弘道館は、以前にも和の文化サロンとして活用されていましたが、2009年に建物と庭を取り壊し、マンション計画が持ち上がりました。すでに御所近くの町家も次々と姿を消す中で、庭や路地、茶室と、日本の文化が凝縮されたこの場は、なくなれば二度と取り返すことはできないと立ち上がった、研究者や企業人などの有志による奮闘と尽力で、保存が成し遂げられました。それが現在の弘道館の礎となり、2013年には公益財団法人化され、有志のみなさんによる活動が続けられています。

当日は、フランスからのお客様を迎えてのお茶会の準備で、財団理事の太田達さんはじめ、みなさんお忙しくされていましたが、とても丁寧におもてなしいただきました。お茶会のテーマは平安時代から11世紀までの桜ということで、それにちなんだすばらしい室礼でした。吊釜が掛けられ、炉縁は花筏、生垣は望月ので、これは「花の下にて春死なむ この如月の望月の頃」と詠んだ西行の歌にちなむなど、太田さんのお話に「もっと和歌や文学、歴史の素養があったら、どんなにこの場を楽しめたことか」と、つくづく思いました。

お菓子は今年の歌会始の御題「望」にちなむ「令聞令望」を頂きました。お茶は銘々、違茶碗を出していただきました。
太田さんは京菓子調進所のご当主です。「昔は政治家や経済人でもスケッチを持って来て、こういう菓子を作ってほしいと言ったものですが」と言われました。桐浴さんの「利休は、工務店の親父みたいなもんだったし、戦前は茶人が茶室を設計する例が多かったのです」という話も興味深く聞きました。

弘道館は、2019年7月7日に再興10周年を迎え、様々な企画が行われています。畳に座った視線で眺める庭、障子越しに差す光、湿りを帯びた苔の匂い。そして茶室という静謐な空間。
自然を大切する日本の美意識や伝統文化、職人の技を未来に伝えるために、弘道館という空間のすべてが必要なのだと得心しました。維持管理には、資金はもちろん、庭の手入れなど多くの人出が必要です。ぜひ多くの人が、その担い手になっていただけるよう願っています。手始めにご自分の好きな講座や企画に参加してみてください。

 

公益財団法人 有斐斎 弘道館
京都市上京区上長者町通新町東入ル元土御門町524-1