京都におもしろい 印刷会社あります

デジタル化が進み、読書や新聞もタブレットやスマートフォンという人もめずらしくなくなり、以前は町ごとにあった「名刺、はがき承ります」という印刷屋さんもあまり見かけません。「紙が好き」な者にとっては、さみしい思いがします。
しかし「紙と印刷」はしっかり存在しています。印刷は進化し、紙の手ざわりとも相まって、表現の豊かさは広がっています。新旧の機械と職人さんの協働で「こんなことができるの」と、目を見張る印刷物が生まれています。紙とインクの匂い、印刷機のまわる音。「京都でおもしろい印刷やってます」は商標のごとく、本当におもしろい印刷会社、「修美社」を訪ね、三代目の山下昌毅さんに話をお聞きしました。

「おもしろい」に込められた意味

今も活版の活字を使っての印刷やワークショップも行なっています

京都は印刷屋さんが多いと言われてきました。それは京都が寺社・仏閣、大学のまちであり、必然的に印刷の需要があり、技術も優れたいたことがあげられます。
修美社は、山下さんの祖父で、現在、会長を務める山下修吉さんが、活版職人として腕をみがいた後に独立し、自宅を改装して開業しました。社名は、ご自分と妻・美代子さんの名前から一字ずつとって名づけられました。勢いのある新しい時代に、自分たちで切り開く印刷という仕事へのふたりの思いが込められています。初めて受注した名刺が無事できあがった時の喜びは、修美社のみなもとです。以来60年、創業の地で変わらず印刷業を営んでいます。

1960年代と言えば、ドラえもん、ウルトラマンなどテレビアニメの放映開始、東京オリンピック、東海道新幹線開通など高度成長期の話題に事欠かない、何事においても旺盛な時代で、印刷業も技術革新が進みました。修美社は、この急激な変化に果敢に対応しながらも「人に喜ばれる仕事という原点は、ぶれることはありませんでした。山下さんの父親で、現社長の泰茂さんも一緒に仕事をするようになり、新しい機械を導入し社員も増やすなど会社組織として地盤を固めていきました。

山下さんは、自宅が印刷所という環境で育ちました。両親ともに仕事で忙しく、夜に「これ、頼むわ。なんとかして」と持ち込まれる仕事も断らず仕上げることもしばしばでした。家業を継ぐ気はなく、雑貨屋さんで働きながら、デザインの勉強をしていましたが、段々と家業への道が敷かれ、ついに2005年に入社しました。まわりの同業者からは「えらい業界へ入って来たなあ」「覚悟はあるんか」という言葉で迎えられました。「それなら、おもしろくやってやろう」と心に思ったそうです。しかし最初の3年間は、泣きながら印刷機を動かす毎日でした。「自分の進む道が見えていなかったのですね」と、その頃をふり返ります。

それから製版や印刷デザイン、断裁という工程の仕事ができるようになり、会社という組織や経営に必要なことが理解できたそうです。それは夢をあきらめたのではなく「印刷はおもしろい」と実感し、印刷を通して多くの人と出会い、新しいことに取り組み、それが自分の進む道だという確信でした。どんなところがおもしろいと感じたのですか、という質問に「紙にインクがのって、しゅっ、しゅっと出てくるんですよ。それってすごいですよね」と、いまだに印刷への興味は尽きないといった感じの答えが返ってきました。
印刷はインクの練りや機械の調整、湿気の多い日の紙の具合など、すべての工程に微妙な加減が不可欠であり、それは経験を積み、ベテランの域に達した職人さんだからこそ可能なことです。修美社は総勢14名。今は、ちょうどベテランと若手のバランスがとれていて、技術が次世代へと受け継がれています。おもしろいと思ってつくっている印刷物は、お客さんも「これ、おもしろいなあ」と喜んでくれます。それぞれの持ち場にかかわる社員みんな、そしてお客様も「おもしろい」を実感し、共有しています。

修美社の三代目、山下昌毅さん

山下さんは「おもしろいということは、単に修美社の事業のことだけではないのです。やはり人に喜んでもらう、だれかのためになるということ、印刷でできることは何か、そこを大切にしていきたいと思います」と語ります。
コロナウイルスの自粛要請により、大変な状況にある飲食店を応援しようという企画にも積極的に参画し「テイクアウトチラシ」「前払いフリーチケット」を共同してつくり、とても励みになったと喜ばれています。社会的にも「印刷でできること」の可能性を広げています。修美社の「おもしろい」は、これからも変化し、深くなり、進化を続けます。

行き場のなくなった紙の「生き場」をつくる


印刷の製品には仕上げの段階で「紙出(しで)」と呼ばれる、文字通りの、余り紙や切れ端がたくさん出ます。通常はまとめてリサイクルにまわされ、再生紙になってまた印刷所へ来ます。
原料となる木がいろいろな工程と人の手を経て紙になったのに、そしてまだ使えるのに、最後まで使命を全うできない紙が多くある、これを減らしたいという思いで有志が集まり、チーム「Noteb」をたちあげ、紙出を使ったワークショップや商品開発に取り組んでいます。そこから「星屑ノート」「印刷屋さんの星屑」「試行錯誤」が生まれました。いずれも、紙出を多くの人に知ってもらい、自由に生かす楽しみを見つけてほしいという思いが、まっすぐに伝わる商品です。

オリジナルの製品、カラフルな星屑ノート

星屑ノートは、種類、色、厚みも様々な紙が綴られています。この、紙を選んで揃える仕事を、ご縁ができた障がいのあるみなさんのクルーにお願いしています。みなさんとても楽しんで仕事をされているそうです。色や紙質の選び方など、メンバーそれぞれの個性や感覚があらわれているということです。ノートを手に取ると、一枚、一枚紙を選んで揃えている様子が浮かんできます。紙出は、行き先ができただけでなく、新しいつながりや仕事も生み出しています。この紙出の取り組みには、企業としての修美社の考えが明確に示されています。

ご近所のよしみと、人との出会い・つながり


修美社の界隈は、低層の家が並び「職住一体」のまちのたたずまいが感じられます。山下さんは今でも、近所のおっちゃんには「まさき」と呼び捨てにされる間柄です。
修美社の今日までをたどると「印刷機の音がうるさい」と近所から苦情があった時もありましたが、防音工事は複数回するなど、今の地で仕事を続けるために、ご近所と良好な関係を築いてきました。高度成長期に設備投資が進み、まちなかから南区の広い場所へ移転した印刷工場が多くあった頃です。

3年前、大規模な改修を行った時、山下さんが考えたことは「修美社へたくさんの人に来てほしい。そして印刷や紙のことを知ってほしい」ということでした。住居だったスペースを使って事務室と新たにショールームをつくり、打ち合わせや企画展もできるようにしました。センスが良く、今の雰囲気でありながら、京都らしい周囲の家並みに調和した建物です。外階段の植栽が通りにもやすらぎをもたらしています。
この改築には山下さんが親しくしている同級生や友人のみなさんの力を借りたと聞き、それで、建築主の思いが隅々まで行きわたっているのだと納得しました。

修美社では、他企業やデザイナーと組んで、装丁や印刷、書体などそれぞれの専門性を集約した美しい書籍や、普通の紙と普通のインクに新しい印刷のポスターを綴じ込んだ本など、美術印刷の領域の仕事も増えています。
「自社の商品で実験的なものもありますが、商品化した以上は売らなければなりません」と、その点がきちんとしていることも企業の経営を担う立場として、大切なことだと感じました。そして、社員さんのなかから出たアイデアで画期的な新商品がまもなく発表されるそうです。
常にやっていることをもっと広く簡単に、という考えは一貫しています。山下さんは入社して15年目。「ここでしか刷れない色の開発」を描いています。一人でも多くの人に「紙と印刷」のおもしろさが届くように願っています。
修美社はこれからも、近所のおっちゃんやおばちゃんが、夜かけ込んで来て「これ何とかして。頼むわ」と言われたら「わかった。やるわ」と引き受ける。そんな雰囲気をまとった、京都の印刷屋さんでいそうな気がします。

 

有限会社 修美社
京都市中京区西ノ京右馬寮町2-7
営業時間 9:00~17:30
定休日 第2土曜日、日祝