京のさんぽ道 100回を迎えて 

京のさんぽ道は、2017年5月のスタートから、100回を迎えました。
自然と文化、歴史が重なり合う京都を、日々の暮らしを通して発信していきたいと始めたブログでした。回を重ねるほど「普段の京都」の奥深さを感じます。これまで取材にご協力いただきましたみなさま、ブログをご覧くださっているみなさまに心から感謝申し上げます。
今回は、建都の井上誠二代表が「建築・不動産の会社がなぜ、こうした発信をしているのか」について、このブログを始めたきっかけや京都へ寄せる思いを語ります。京都とのなれそめや人柄、また建都という企業の一端をお伝えできればと思います。
 
語り手:井上誠二 建都住宅販売株式会社代表取締役
聞き手:京のさんぽ道編集部

すべての始まりは修学旅行で訪れた京都から


高校の修学旅行で訪れた京都の魅力は、その後の生き方を決定付けたほど、群馬県からやって来た私の心に大きな影響を与えました。
高校は明治に創立された「質実剛健 気宇雄大」を校訓に掲げる男子校で、まわりは県下から集まった精鋭、猛者が揃っていました。そういった校風や環境もあり、私も独立心は旺盛でした。大学は迷わず、京都を選びました。
大学へ通いながら、夜はアルバイトながらもバーのチーフの仕事をして、月々の生活費や学費は自分でまかないました。200人のお客様のボトルを覚えて、来店した時にさっと出すと「おっ、よう覚えてたな」ということになり、段々親しく言葉を交わせるようになります。その頃のお客様は、豊かな経験と見識に裏打ちされた魅力にあふれる方が多く、将来独立を志していた私は、ここで人間として鍛えられました。今思い返してみても、我ながら本当に営業向きの性格だと感じますし、営業マンとしての片鱗を垣間見るような気がします。

京都への思いと同じように、音楽への情熱も持ち続けています。

授業とアルバイトで相当忙しかったはずですが、生来楽天的で楽しいことが好きな私は、趣味の世界も広げていきました。下宿の先輩にジャズのおもしろさを教えられ、また邦楽部に入って都山流の尺八を始めるなど、目いっぱい京都での学生生活を楽しむ明け暮れでした。当時関西はフォークソング全盛期でしたし、学生バンドがビートルズの曲をコピーしたり、伝説のライブハウスや喫茶店も数多くありました。
歴史や伝統という重厚な要素の一方で、新しいものを取り入れ洗練された文化へと育んでいく風土、「大学・学生のまち」の学術的、開放的な雰囲気もあわせ持つ京都の魅力を強く感じ「京都で起業しよう」という気持ちはいよいよ強くなりました。

あこがれの京で「都」を「建てる」起業の際には資金のいらない「建築・不動産業」と決めていましたが、一部上場企業にも1か月だけ席を置きました。
中学生の時に母親を亡くしていたので、父親を安心させたい気持もあり、いったん就職したのです。狭き門を通った大企業ですから、父親は喜んでくれましたが、私自身は「ここでずっと働いても、やりたいことはできないな」と感じました。それで父親には「自分で会社をつくって、社長になるから」と話したら納得してくれました。
そこで地元の建売会社と不動産仲介会社を経験し、その後創業の準備を始めました。最初の建売の会社で同時入社した守山 穰現専務との出会いが創業への大きな力となりました。
その当時は学生の就職志望先とし「一番最後が不動産業界」でしたし、不真面目な人やトラブルも多く「人生で一番高い買い物なのにこんなことでいいのか」「この業界を何とかしないといけない」と真剣に考えました。酒を酌み交わしながら悩みや夢を語り合い、ともに建都のたち上げの日を迎えることができました。左京区の私の自宅の一室を事務所にして、不動産会社で働いた時から7年後の昭和59年(1984)4月、ついに創業の日を迎えたのです。

上京区の本社に、支店は創業の地である左京区をはじめ7店舗になりました

社名はいろいろ考ました。「京都不動産」ではイメージが合わないし「井上不動産」と個人名では、21世紀にも継続し、社員が楽しく働ける企業に合わないと感じ、大きく「都」を「建てる」という社名にしました。多くのお客様に、それぞれの「みやこ」を建て、地域にこれからの「都」を建設していこうという熱い思いと希望を込めて「建都」としました。しばらくして「建都1200年」という官民あげた記念企画がありましたが、私たちが先達であり登録商標もしました。
1年めから黒字経営を続け、2年目から支店を展開していきました。事業は着実に伸びて、社員も増えましたが、もちろん順調なことばかりではありませんでした。バブル経済の崩壊、リーマンショック後の激動期、東日本大震災などを乗り越えてきました。そして今、世界的なコロナ感染拡大の試練の時、どのようにしてお客様や地域のために役に立てるかが問われています。

京都の町に溶け込む家づくり、京都まちなかこだわり住宅の受賞作

私たちは、たとえばバブルの絶頂期にも、決して「転売」はしない、一般のお客様のみの仲介という方針を貫いてきました。それには、社員みんなが「お客様のみやこ」を理解し、生き生き働ける企業つくりが不可欠です。
また、早くから町家のリフォームや京都産の木材を使った家づくり、それにかかわる伝統建築の職人さんや工務店とのネットワークも大切にしてきました。そのなかで「京都まちなかこだわり住宅コンペ」での受賞、社会福祉法人様が運営する工房を備えた洋菓子店、木造の教会、町家を改装した書店など、京都の町並みにとけこみ、歴史的景観の構成要素にふさわしい建築を手がける機会をいただいてまいりました。
冬の寒さや段差を解消して、住み慣れた家での暮らしを実現できるように、町家のリフォームは超高齢化時代を迎えて喫緊の課題となっています。ピンチを乗り越えるには人の力、社員の存在があってこそです。困難な時も「人がいる」ことが回復を早めます。

野菜づくりも私の趣味の一つです

私はそろそろ第一線からは身を引いて、畑を耕し本を読み、好きな尺八やギターの演奏を楽しむ「仙人」のように暮らそうと思っていて、その草庵のような家には「遊耕庵」とい名前まで決めていたのですが、この状況では仙人になるのはまだ先のことのようです。「天職」の不動産の営業として、あとしばらく社員と一緒に会社を支えます。

建都の理念と並走する「京のさんぽ道」


以前は「KENTO NEWS」という広報紙を発行し、お客様や取引先に送付していました。内容は、「相続について」「空き家問題」「リノベーション」など、その時々の不動産にかかわる関心事の特集と、建都の不動産に関する案内、京都のまち企画を掲載していました。
B4サイズのタブロイド判でこれはこれで好評だったのですが年2回の発行でした。旬の情報をお届けするには間隔が開き過ぎるという点がありました。
そこで提案のあった、公式サイトのブログで、月2回の発信に切り替えました。最初は1年やってみて様子をみようという感じでしたが、100回を迎え、内心少し驚いています。続けたら続くもんやなあと思っています。

「建築・不動産会社がなぜ、不動産情報ではないテーマのブログを開設しているのか」と不思議に思われることも多いと思いますが、「美しい自然や歴史・文化と共存するまちづくりは重要なテーマである」という建都の経営方針に沿うものだからです。このテーマを営業とは違うポジションから、自由にすくいとって発信するのが、京のさんぽ道です。
思いがけず、これまで取材させていただいたみなさんから「人が暮らす京都に視点を置いている」「細やかで丁寧な記事にしてくれた」などの声を寄せていただき大変うれしく思っています。
これからも住まいを通して、京都の町並みや生業、暮らしの文化の継承する企業として地域に貢献してまいりたいと決意を新たにしています。これからも「建都が見つけた京都」京のさんぽ道に、ぜひお立ち寄りください。