つばめが里帰りする 和菓子屋さん

今年は初夏の心地よい風を感じる間もなく、観測史上一番早い梅雨入りとなりました。素早く飛び交うつばめの姿は、季節の知らせとともに「今年もやって来た」という、うれしい気持にしてくれます。
幸せを運んで来るという言い伝えのあるつばめが、毎年巣をかける和菓子屋さんがあります。そこには、せっせと手づくりする、おだんごやお餅など、おなじみの気取りのないお菓子が並んでいます。つばめの一家を見守る、心やさしいご夫婦ふたりのお店をご紹介します。

つばめの季節の店先に並ぶもの

乙訓庵寿々屋の店頭
地元の人に親しまれている和菓子屋さん、寿々屋は静かな住宅街にあります。周囲には田んぼの向こうに、山の稜線まで見渡すことができる風景が広がっています。
寿々屋の軒先で、巣から身を乗り出して、親鳥から餌をもらうつばめのひなの様子は、心なごむ風物詩となっています。ひなの成長の様子をお客さんも楽しみにしています。寿々屋のおとうさんは「田んぼが耕され始めると、巣を作り始める。よう、わかってる」と、目を細めます。

乙訓の田園風景
周囲はのどかな田園風景が広がっています

寿々屋では3つの巣で子育てが行われています
寿々屋では3つの巣で子育てが行われています

つばめの巣の完成度にはつくづく感心します。口ばしだけで泥や枯草を運んで作り上げるのですから、つばめ夫婦の絆の強さもうかがえます。巣作りの材料やひなのえさの調達にも、この近辺はうってつけなのでしょう。そして何よりも、寿々屋のご夫婦の毎年あたたかい見守りがあるからこそです。
お菓子にもその人柄があらわれています。茶だんご、いちご大福、柏餅、ういろうなど普段に楽しむお菓子は、どれも美味しそうで決めかねてしまいます。こういった作ったその日に売り切る「朝生(あさなま)」の安定した味や香ばしい自家製かき餅など根強い人気で、常連のお客さんも多くあります。「水無月」「桂鮎」など季節のお菓子も和菓子屋さんの楽しみです。

乙訓庵寿々屋の赤飯
おまんじゅう屋さんお赤飯は小豆がいっぱいです

乙訓庵寿々屋の店頭で売られている野菜
またお店の前には、近所の農家さんから届く野菜も置かれています。この旬の朝取り無農薬野菜は、おかあさんが考えた「新鮮な野菜は喜ばれるし、買ったついでに店へ入ってもらえたら」と、少しでも多くの来店を促す販売促進策です。食べ方やゆがき方などのやり取りから話が弾みます。和菓子の入り口は多様性があっていいと気づかされます。
お客さんから、おとうさん、おかあさんと親しく呼ばれる二人のお店には、いつ行ってもほっとするあたたかい雰囲気が流れています。

和菓子修行の後の独立とドーナツ販売

乙訓庵寿々屋
おとうさんは、地元岡山の中学校を卒業後、15歳で大阪の和菓子店へ住み込みで就職されました。昭和41年(1966)26歳の時に大阪池田市で独立、開店し、その後、縁があって長岡京市の別の場所で営業されていました。店舗を置いていた商業施設には、他にも和菓子店があり、同様の商品は認められないと言われてしまったそうです。そこで信頼する方の勧めもあり「ドーナツとお団子」の店としてスタートしました。
ずいぶん思いきった転換であり、せっかく和菓子の修業をしたのによく決断されたと思いますが、おとうさんには「きっといける」という確信があったと言います。それは新聞で「アメリカにはドーナツ専門店があると知り「アメリカではやったものは、だいたい10年後に日本ではやるようになる」という読みがあったからです。スーパーマーケットもその例です。
ドーナツ
ドーナツの生地は、パンと同じようにイースト菌を使って発酵させる手間ひまをかけるなど、和菓子職人として鍛えた技術と感覚を生かした商品が誕生しました。また、子どもでもおやつに買える金額に設定し、評判を呼び人気商品になりました。ミスタードーナツの1号店が箕面にできる1年前だったそうですから、まさに先見の明です。
その後、現在の地へ移転してから15年がたち、すっかり地元でおなじみになりました。乙訓庵と京都の西の名を冠したところにも「ここでやっていく」という気概を感じます。
以前からの常連のお客さんも新しいお店へ引き続き足を運んでくれたことも、とてもうれしいこことでした。ドーナツはもう販売していませんが復活を望む声も多くあったそうです。
今やまぼろしとなったドーナツですが一度食べてみたいと思います。

地域おこしの一環の新商品と和菓子のこれから

乙訓庵寿々屋

青梅という朝生を作る寿々屋さん
ひとつひとつ全て手仕事で作られる青梅

店内に入ると、いい匂いが漂っています。おだんごには、こんがりした焼き色がつき、とろっとした醤油たれがたっぷりかかっています。
かき餅も一枚一枚並べて焼き、その後に醤油とみりんを合わせたたれを塗って、乾燥させます。どれも手間をいとわず作られています。このような普段使いのお菓子とともに、おとうさんが作る生菓子も秀逸です。取材にうかがった時は「青梅」の製作中でした。
年季の入った技術と季節を映す感性が、お菓子を味わう喜びを与えてくれます。姿形、色あい、素材、菓名が調和して和菓子独自の世界観をつくりだしています。
お茶席にもよく使われていますが、昨年からのコロナ感染予防のため、お茶事やお茶席のある催しがすべて中止になり、出番がぐっと少なくなってしまい本当に残念です。一日も早く収束の兆しが見えるよう祈るばかりです。

乙訓庵寿々屋の鴻臚の郷
たけのこの蜜煮があしらわれて鴻臚の郷(こうろのさと)
乙訓庵寿々屋の竹の子最中
名産品をかたどった竹の子最中

寿々屋には京都の伝統野菜にも指定されている地元の特産品、たけのこを使ったお菓子や長岡京の歴史にちなんだお菓子があります。「鴻臚の郷(こうろのさと)」は、寿々屋のある柴の里地域に、1200年余り前の長岡京の迎賓館であった「鴻臚館」があったという伝承を地域おこしにつなげようと考案されたお菓子です。
当時の自治会の役員の方と親しくていて声をかけられたそうです。試作をくり返し、試食をしてもらうことを重ねて完成したお菓子は、中に黄身あんを包み、上に地元産のたけのこの蜜煮をあしらっています。
たけのこの食感に黄身あんとバターの風味が調和して、緑茶でもコーヒーや紅茶にもよく合います。お菓子の個包装の「鴻臚の郷」という菓名は、懇意にしている茶道の先生の揮毫によるものです。伝承の地元の歴史が埋もれることのないように継承され、そのかたわらに「鴻臚の郷」があるように願っています。
乙訓庵寿々屋のお客さん茶団子などの乙訓庵寿々屋の和菓子
小さな女の子が父親と一緒に入って来て「茶だんごありますか」とかわいい注文をしました。おかあさんが「今日は茶だんごあるよ。この前は売り切れててごめんね」と答えるほほえましいやり取りがありました。
おばあちゃんのおみやげと家でみんなで食る分にと、お赤飯や桜餅を一緒に求めていました。あんこやお餅、お団子が大すきなのだそうです。和菓子の美味しさは、きっかけさえあれば子どももきっと「おいしい」と感じるでしょう。そのおいしさへの入り口に寿々屋がなっていると感じます。
乙訓庵寿々屋の店内
おとうさんが「15歳で住み込みをしたお店の御寮さんから、独立しなさいよ。あきんど、商いと言うやろ。つらいこともあるけど我慢しなさい。商いは飽きずに、細く長く、牛のよだれのように続けることやといつも聞かされていた。今でもそのことを思い出す」と話してくれた時、おかあさんと二人でこれまでお店を続けてきた源を感じました。
二人とも、じっとしていることのできない性分で、お店の仕事の手がすいた時や開店前に畑仕事をし、おとうさんは釣りが趣味で、時には日本海まで出かけるそうです。釣果はいろいろということですが、80歳をいくつか過ぎたという年齢を感じさせない元気さです。これからも末永く、多くの人に寿々屋のお菓子を味わってほしいと思います。
ツバメ
二人にやさしく見守ってもらった5羽のつばめのひなは無事に巣立ち、2回目の巣もりっぱに完成しています。今年も里帰りしたつばめは、安心して寿々屋であとしばらく子育てをします。

 

乙訓庵 寿々屋
長岡京市柴の里1-22
営業時間 10:00~18:00
定休日  火曜日