西陣のいすず張り子で おめでとう

きのうの続きの同じ一日なのに、一月一日は別格です。大層な準備をしなくても、お正月は心を弾ませます。
今も機音が聞こえてきそうな西陣の商店街の一画に、たくさんの張り子が笑顔を投げかけているお店があります。鮮やかな色と愛嬌たっぷりの表情やしぐさに、通りがかりの人も足を止め、顔をほころばせます。お正月気分になれる張り子の数々と本やレコード、「イスズ薬局」と記された銘板、人体模型などが同居する不思議な魅力を感じる空間です。
張り子づくりに忙しいなか、話を聞かせてくださったのは「イスズ楽房」の主人で、張り子の作者、古川豪さんです。張り子創作のこもごも、子どもの頃の西陣、商店街のまちづくりや今も続けるライブのことなど、豊富に湧き出る話の泉です。本年最初の京のさんぽ道は西陣から始まります。

ご両親の出身地伊勢にちなむ「イスズ」の名

イスズ楽房
イスズ楽房は北区の新大宮商店街にあります。最初に見つけたのは京のさんぽ道の「自然の恵みぎっしり正直なパン」の取材の折りに、いかにも地元の商店街という雰囲気がよくて歩いている時でした。鮮やかな色彩をまとった張り子たちは天真爛漫、ほのぼのとしたあたたかみがあります。京都の西陣なのに「いすず」という名前がついているところも興味をひきました。取材をさせていただいて、やはり一回では書ききれないと感じるほどでした。

五十鈴川
由来となった三重県の五十鈴川

お店は古川さんの実家であり、薬局を営んでいました。開業は昭和12年(1938)、ご両親の出身地伊勢の清流、伊勢神宮の杜を流れる「五十鈴川」にちなんで「イスズ薬局」と名付けられました。若い夫婦が京都で新しい道を歩み始める時の思いが込められた名前です。
薬局の仕事をされたのはお母さんで、大正4年(1915)生まれ、三重県初の女性薬剤師でした。好奇心旺盛で研究熱心で「今生きていたらきっとパソコンもやっていたと思います」と古川さんは語ります。まだまだ女性が専門の教育を受けて職業につくことは少なかった時代に、今言われる「リケジョ」の草分けであり、とても先進的な方だったのです。しかし、それを口にすることはなく、亡くなってから「三重県初の女性薬剤師誕生」という新聞記事や表彰状が出てきてはじめて知ったそうです。世の中の評価や権威付けのようなこととは一切無縁に、自分の生き方をされたことは、すばらしいと思いました。

イスズ楽房の張り子
上段中央には今年の干支であるうさぎが。白兎は人気で昨年中に売り切れたそう

また理系でありながら、鴨川でチラシの裏に色鉛筆でスケッチをするというご趣味もあり、そこは今の張り子つくりにつながっていると感じるそうです。古川さんは「薬種商」の資格を取りイスズ薬局を継いでいましたが、薬事法が改正されてからは、それまで販売できていた指定医薬品以外の医薬品や漢方薬や健康食品が扱えなくなり、薬局としての看板は下ろすことを決めました。
今度は「書籍商」の免許を取得し、古本やレコードなどの古いものを置き、また小さいころから手を使うことが好きだったこともあり、「いすず張り子」の工房「イスズ楽房」をたちあげました。新しい選択にもイスズ薬局の名前を受け継ぎました。今も商店街にお店を置き、職住一体の営みを続けています。地に足のついた実のある「京都」を感じるのは、こういう時です。

生まれ育った西陣という地域

イスズ楽房
イスズ楽房のある新大宮商店街は南は北大路通、北は北山通まで1キロメートルにわたる京都で一番長い商店街です。西陣の中心地で、
どこにいても機織りの音が聞こえる地域です。
住んでいる人のほとんど言っていいほど多くの人が西陣織をはじめとする伝統産業にかかわる仕事に従事していました。新大宮商店街は、仕事に忙しい人々にとって日々の暮らしをまかない、また息抜きを楽しむ欠くことのできない場所として機能し続けてきました。
いすず張り子は、この地域を題材とするものがあるのが特長です。氏神様である玄武神社や今宮神社のやすらい祭のお稚児さん、禅宗の托鉢僧、野菜の振り売りにやって来る加茂のおばさん、仏教を庶民にわかりやすく広めるための手段であった「節談説教(ふしだんせっきょう)」のお坊さん等々、それぞれの地域の人々や子どもたちに愛されてきた素朴な張り子にふさわしいものです。

イスズ楽房
地域のキャラクターの中で優しく微笑むモルガンお雪人形(右上)

「モルガンお雪さん」は、明治時代に現在のモルガンスタンレー財閥の一族につらなる大富豪と結婚した実在の人で、日本中がその話題でもちきりだったとか。そのお雪さんが高齢になってから近所に住んでいて「クッキーをもらったことがあって、それまで食べたことのないお菓子やって、ほんとにおいしくて、また食べたいなあと思った。ほっそりしたきれいなおばあさんやった。今になったら、いろいろ話を聞いておいたらよかったなあと思うけれど、子どもやったから」と、びっくりすることを笑って話してくれました。
ものづくりの歴史のみならず、そこで暮らす人々も多彩です。遺跡の発掘ではないけれど、京都の地層はどこでも、あっと驚く話がどんどん、しかもさらりと出てくることに驚愕します。知らないこと、埋もれていることがまだまだあることは確かでしょう。色彩や音、手の動き、交わされる言葉など、培われてきたことが今も、ものづくりにかかわる人々に伝承されていると感じました。

より道は多くの出会いを生む

イスズ楽房の張り子
張り子人形は全国に見られる民芸品で、木型に和紙を貼り、大きさにより何層にも貼り重ね、乾燥させてから切れ目を入れて半分にして木型から抜き取り、それをきちんと合わせて一体にして下地塗りをくり返し、それが乾いてから絵付けをします。なかなか手間と時間のいる仕事です。
古川さんは木型づくりからすべての工程を一人で行って完成させています。そこに自分なりの工夫と創造を加えているのがいすず張り子です。

イスズ楽房の木型
木型もすべて古川さんのお手製です

お面は、平たい木の土台に、鼻や耳、髪形など様々なパーツを穴に差し込み組み合わせて、伝統の顔かたち、豊かな表情をつくっていきます。おもしろいのは、同じ木型がお面によって耳になったり、鼻や眉毛など変幻自在に組み合わせられていることです。かごいっぱいのパーツからふさわしいものを選んで組み合わせる過程はパズルのようです。大変だと思いますが、古川さんは楽しそうでです。
様々な動物や鳥は、筋肉や足がどこにどのようについているかなどを調べてデッサンしてからつくり始めます。伺った時は「おめでたい鶴亀を揃えたいが、鶴の羽はどこから黒くなっているのか考えているところ」とのことでした。
イスズ楽房の張り子
衣装も伝統にならい、配色や模様も後ろ姿まできれいに描かれています。京都は伝統産業に関係するすごい人たちがたくさんいるので、それに比べたら「僕がやっていることなんて、あそびみたいなもん」と言われていましたが、押さえるべきところはきちんと押さえ、ものづくりの骨格がしっかりしていると感じました。自由で楽しい雰囲気はこうした目には見えないけれど、おろそかにしない普段の細かい仕事の積み重ねにあると思います。

 

「ぶれまくり、より道ばかりしてきたけれど、そのおかげで本当に多くの人と出会えてよかったなあと思います」商店街の活動も続け、商店街の主婦を対象にしたアンケートに取り組み「普段から、この地域で暮らし商いを営む人たち」の実態と本音を引き出し報告書も発行しました。夏まつりの歩行者天国や「新大宮商店街振興組合50周年誌」の発刊などにも尽力しました。商店街の活動をしていたことから地元紙に2回、連載の執筆の機会が生まれました。また地元の児童館の館長も8年間務めました。「地域に恩返し」という言葉が使われますが、古川さんの越し方を伺ってみると本当に、その通りと思います。

バンジョーの名手としても知られる古川豪さん

「古川 豪」と聞いて「もちろん知ってる。当たり前」という人も多いことと思います。古川さんは、京都以外でも、静岡、東京など各地でライブのステージに立っています。「待っていてくれる人、喜んでくれる人」がいます。
11月も10日間も東京でライブがありました。ライブには「いすず張り子」も積み込んで自ら運転して行きます。一番人気は托鉢姿の雲水さんだったそうで「わからんもんやなあ」とつぶやいていました。
福蓑
棚に残る薬局時代の備品と本が、張り子の面々と同居しています。新年に福を運んでくれる「福箕(ふくみ)」には、えびすさん、大黒さんのほかにも金の俵、鶴亀、鯛などおめでた尽くしの飾りがどんどん増えていました。「普通に存在していることに意味がある」という古川さんの言葉にとても共感ました。いすず張り子を振ると、やさしい鈴の音が聞こえます。気持をやわらかくしてくれる音です。
地域色濃い新大宮商店街のイスズ楽房へ出かけて、たくさんの個性ある張り子と会ってみてください。そして「関西フォークの草分け」「バンジョーの名手」などのくくり方では、はまらない古川豪さんが静かに楽しそうに、手を動かしていると思います。

 

イスズ楽房
京都市北区紫野上門前町21
営業時間 10:00~18:00
定休日 火曜日