「麗しい」が語源とされる漆は、少し前までは暮らしの様々な場面で使われてきました。
お客様のお茶には茶托を使い、家で作ったちらし寿司やお赤飯をお重に詰めて届けたり、新年は特別のお椀でお雑煮を祝うなど、漆器が登場する場面は度々ありました。やがて家族構成や暮らし方の変化とともに「塗り物」は日常生活から縁遠いものになり、漆を「うるし」と読めなくても当たり前のように思えるこの頃です。
しかし一方で、伝統の技法を継承すると同時に、漆のあらゆる可能性を引き出し、現代の暮らしのなかに、うるおいや楽しさをもたらしてくれる作品が着実に生まれています。
学生時代の漆の工芸品との衝撃的な出会いから、迷うことなく進んだ漆の道について、生き生きと語る姿が印象的なその人、島本恵未さんに話をお聞きしました。
「なりわいを産業に」蒔絵師、会社代表となる
明るく開放的な工房でお話を伺いました。伝統工芸の工房というと「ひっそりした町家の奥」という思い込みのイメージがありましたが、表望堂の工房は訪れた人が臆せず漆にふれ、学ぶことができる空間です。茶道具の棗、色漆が鮮やかなモダンなお重箱、蒔絵をほどこしたグラスなどがディスプレーされ、漆が持つ多彩な表現を目の当たりにすることができます。
大学で日本画を専攻していた島本さんはある日、優美な金蒔絵をほどこした桃山時代の漆の工芸品と出会い、絵画とは異なる美の表現におどろきを感じたと語ります。そして漆という素材と、人の手による仕事のすばらしさを知ったことは、その後の歩みの道筋となりました。「漆に魅入られ」師匠にも恵まれ弟子入りし、独立を果たした後もひたすら漆に取り組んでいます。
漆の歴史は古く、縄文時代までさかのぼると言われています。狩猟や農具、食器、船や建物など広範囲に、補強や接着材、塗料として、また魔除けの祭具にも使われてきたことがわかっています。はるか一万二千年も前の人々はどのように漆の木と出会い、その樹液が生活するうえでとても役に立つものであることをどうして知ったのか。想像の世界が広がり、縄文の人々の暮らしぶりを思ってみます。
漆は、島本さんが最初に出会った工芸品のような優美、絢爛豪華さを表現する一方で、優れた材料として縁の下の力持ち的な質実剛健な要素も持ち合わせています。そこに漆に宿る力を感じます。また日本の各地に、津軽塗、会津塗、輪島塗などその土地の名前がついた塗りがあり、地元の誇りとなって伝統が受け継がれてきました。
島本さんのお話のなかに「なりわい、産業」という言葉がくり返し出てきます。島本さんは漆の仕事を、暮らしが成り立つように、また、材料、刷毛や筆など道具類を作る職人さんや、それを扱う業者さんも含めて、業界全体が継続できる道をつくることが大切だという思いを強く持っています。その構想を具体的に進める大きな一歩が会社の立ち上げでした。2014年に夫で塗師(ぬし)の杉本晃則さんと漆工房「表望堂」を設立し代表となりました。
手がける仕事はお重箱、グラスなど暮らしの用品、茶道具、神社仏閣の建造物や什器などの修復、ホテルやレストランなど建築物、サイドテーブル、アートパネルなど多岐にわたっています。
蒔絵師としての仕事とともに、商談や様々な打合など、会社の代表としても多忙を極めているはずなのに、きりきりした様子はうかがえません。漆の仕事を通して多くの人と出会い、連携し、仕事を創出する毎日がいかに充実しているかを感じます。「会社の代表をどうするか夫と話し合った時、人と話したり、外へ出るのは私が向いているかなということになりました」と聞いた時「蒔絵師も営業・社長業も天職」と感じました。職人と経営の両輪はしっかり地について回っています。
技と自由な創造力炸裂、かわいくて凛としたウニ
表望堂は、島本さんが蒔絵師、夫の杉本さんは本体に漆を塗る塗師、会社の立ち上げにもかかわった修復を専門とする社員さんと、それぞれが高度な専門技術をもって漆に関する様々な依頼にこたえています。島本さんが専門とする蒔絵は、漆器の表面に漆で文様を描き、それが乾かないうちに、金や銀の粉を「蒔いて」絵にすることから蒔絵と名付けられたといわれる日本独自の技法です。夜光貝や白蝶会、あわびなどの貝を加工してはり付ける螺鈿(らでん)の技法も含みます。
夫の晃則さんの塗師という仕事は、木地本体に一から漆を塗る仕事であり、塗っては研ぎ(磨き)を何回も繰り返す、根気と集中力を必要とする仕事です。塗り重ねられた表面は強度を増し、そして鏡のように静かな美しさをたたえています。これでこそ金蒔絵も映えます。夫婦共同で幅広い要望にこたえる一方で、それぞれの創作も意欲的に続けています。
ある日、螺鈿に使う貝を購入しているおなじみの「貝屋さん」に行った時に、たくさんのウニの殻が積んでありました。食用にはならず増えて困る、何か使えないかと持ち込まれたものの、貝屋さんも持て余していたそうです。それが思わず「かわいい」と言葉が出てしまう作品になりました。ウニの殻をそのまま生かして制作された、その名も「ボンボウニエール」です。
お菓子のボンボンをいれる容器「ボンボニエール」からの発想で名付けられ、色漆をまとった姿で「京都クラフト アンド デザインコンペティション2024-2025」のグランプリを受賞しました。愛らしさだけではなく、堂々とした品格、凛としたたたずまいに心が引かれます。楽しく斬新だけれど奇をてらうことなく、漆の奥深さを伝えています。伝統工芸の世界の新しい風が吹いていると感じます。
なりわいと創作、その密接な関係を追求
表望堂では、漆について知ってもらう間口を広げる「金継ぎ」体験の講座を設けています。
金継ぎは、壊れたり欠けたりした器を漆で接着し、金で縁取るように飾る技法です。
「10年前はほとんどが茶道をたしなんでいる方や、高齢の方が主でしたが、今は若い人が多くなりました。金継ぎを通して若い世代にも漆を知ってもらい、広がっていくことがうれしい」と語ります。
また最近、海外の参加者がとみに増えたことから改めて感じることがあると言います。西洋は「アーティストとクラフトマンは違う」という考え方です。芸術家と職人とで分けられているということでしょうか。ものに対しても「完全なものか、不完全なものか」が基準になります。
それに対して日本は、割れたり欠けたり形は変わっても、手をかけて繕い、使い続けます。そして不完全ななかに美を見出す感性が育まれてきました。食物も、ものも、その命を大切にして、最後まで使い切り始末をつける。日本のもののとらえ方や暮らしぶりは、現代にこそ受け継いでいきたい根本があると感じます。
足が折れてしまったワイングラスに竹の足を継ぎ、ガラス面には蒔絵を施し、新しくよみがえったもの。「flower birthday」と名付けられた、たまごの殻に金彩を施した酒器など、すばらしい出来栄えです。「繕う」ことのなかには、日本の手仕事の美しさとあたたかみがあります。
そこで金継ぎの一工程である、台の上で漆をならすところを実演してもらいました。漆の中にはいろいろな成分が入っているため、それを均等にするための作業です。漆の仕事は、まずはじめにヘラ使いを教えてもらうとのこと。ヘラで盤の上をなぞっているだけのような、簡単な作業に見えますが、慣れないと漆が周囲に広がっていくだけで、なかなか混ざらないそうです。使うヘラは檜、自ら削って作ります。がっしりした台は「定盤(じょうばん)」と言い、高齢の職人さんから受け継いだものだそうです。その先達の確かな仕事と職人魂も伝わっているように思えます。
島本さんは、安定した受注とその仕事の質を高めていくと同時に、毎年自身の作品展を行うと決意しています。
現在、なりわい、つまり職人の仕事と創作が別の分野のようになっているけれど、本来、もっと密接な関係にあったはず、職人と作家という隔てがなかったと語ります。
また、作り手だけで成り立っているわけではなく、これまで一緒に支えてきてくれた、様々な業種のみなさんも含めての積み重ねがあってこそ今があると力を込めました。
工房の片隅に漆の木の鉢植えがあります。これは工房の近くに漆の木を植えて育て、漆の地産地消に取り組むという壮大な夢のかけらです。夢は見るだけでなく、かなえてこそ。目の前に樹液をたたえた漆の木の林が見えてくるようです。本当に実現する気がします。
株式会社 表望堂 (ひょうぼうどう)
京都市右京区太秦安井車道町21-10