京都の繁華街、河原町四条あたりは、買い物や観光の人でいつも溢れかえっています。すぐ近くなのに、その喧噪から離れてほっとひと息つける喫茶店があります。
そこは、周辺の昭和ひと桁創業の老舗や抹茶など京都モノの店、新しいモダンなタイプとも違う、けれども「まぎれもなく京都」を感じる喫茶店です。場所は、木屋町通り四条を下がり、高瀬川にかかる小さな橋のたもとです。
“madame”という呼び方が似合うオーナー
高瀬川沿いの桜が緑の葉を繁らせ、鴨川踊りの朱色のぼんぼりを引き立てています。
Café yoshikoは、カウンター席のみ、10人に満たないほどの席数の、女性オーナーが一人で切り盛りしているお店です。細身の体に、ピンとアイロンのかかった真っ白なシャツを着て、ウエーブのかかった髪を黒いリボンで結んでいるのが定番スタイルです。いつも飾ってあるバラの花とも雰囲気が合っています。「おかあさん、ママ、おねえさんはどうもちがう。マダムが一番ふさわしい」と、密かに思っています。
大きな窓の高瀬川に面したカウンターは、四季の移ろいわかります。春は川岸の桜が満開の枝を差し伸べ、鴨のつがいが毎年姿を見せます。夏は川の流れが涼を運んでくれるようです。秋は桜紅葉、冬はみるみるうちに時雨れてくる薄墨色の景色。また、それよりもっと細やかな季節の変化も感じることができます。日差しの強弱や、川面の色、葉の緑の濃さ。そして、そんな小さなことに気づくと何となく、気持ちの固まりがほどけていく気がします。
徒歩圏内のおなじみのお客さんとマダムとのやりとり、お客さん同士の掛け合いのような話しも癒し効果に感じられます。買い物の成果、おいしい店の情報交換、みせ出しした舞妓さんのこと等々、ネットや週刊誌より「もっと京都」な内容です。常連のお客さんが多くても、他の人がなじみにくい雰囲気ではなく、マダムは誰に対しても丁寧で、みんな気兼ねなく、好きなように過ごすことができるのです。
特定の人を特別扱いしたり、またその反対に、なじみでないお客さんに、どこかぞんざいな応対をするなどは決してしない。恥ずかしいこと、みっともないことは絶対しない。そういうきりっとした姿勢に「京都人気質」を感じます。
たまごサンド マダム・ヨシコ風
メニューは飲み物と、トーストと2種類のサンドイッチとシンプルです。お腹が空いている時は、たまごサンドをいただきます。こちらのたまごサンドは、ゆで卵ではなく、注文のつど焼くたまご焼きに、きゅうりとレタスがはさんであります。トーストにした耳が美味しいので切り落とさず、そのままにしてもらいます。きつね色の香ばしいパンと3種類の具の切り口も美しく、見ただけで美味しさが伝わってきます。高級な具材を使った特別なサンドイッチもありますが、マヨネーズを手や口の周りに付けたりしながら、大きく口を開けて気取らずに食べる、親しみのあるサンドイッチがやっぱりいいなと思います。カフェ ヨシコさんのサンドイッチは、ちゃんと手づくから作ったという存在感があります。
コーヒーとジャズと歴史の交差点
角倉了以とその子素庵が開削した高瀬川は、大正時代まで約300年にわたり、高瀬舟による運搬を担いました。物流の拠点となったことから長州藩や土佐藩など藩邸を設け、その石標が建っています。高瀬川沿い、木屋町通りの三条から四条にかけては、幕末の激動期を駆け抜けた、多くの若者たちの歴史が刻まれています。近代日本の礎となった人物としてまず名前があがる坂本龍馬が投宿していた材木商の「酢屋」は、今も商家の構えと稼業を守っています。龍馬や吉田松陰らに影響を与えた開国論者の信州松代藩の佐久間象山の遭難の碑、池田屋跡などの歴史の足跡を巡る人達も見受けられます。
カフェ ヨシコさんへ向かう時、木屋町四条では、たいてい若いミュージシャンがストリートでのパフォーマンスを展開しています。ギター、サックス、パーカッション、津軽三味線。楽器のケースには、100円コイン、千円札が入り混じって入っています。いつもはクラブで演奏していて休みの日に、ここへ来ているというギタリストの彼は、ストリートは楽しいと話していました。チップを入れてくれるのはほとんど外国人ですね。日本人のお客さんはきっと恥ずかしいのだと思います」と、にっこりして弾き始めた「オーバーザレインボー」を聞き、楽器ケースにありがとうの気持ちを入れました。ここに立つミュージシャンのなかから、メジャーデビューして夢をかなえる人が生まれるかもしれません。
京都は教科書にある歴史がすぐ近くにあり、私たちの日常と交錯しているのだと、改めて感じます。