純国産メンマと 旭米の進む道

啓蟄の暦どおりの、小さな虫たちも活発に動き始めたような春の日「メンマを食べて竹林再生を」という、楽しくおいしそうなテーマの会がありました。この京のさんぽ道でも、京筍やメンマ作り、伝統的構法の農小屋おひろめなどをご紹介しました石田ファームのメンマ作りのメンバーと、お手伝いしてくださったみなさんが集まりました。
背丈ほどに伸びた「幼竹」(ようちく)を伐り出して、湯がいて塩漬けにしたメンマの試食会です。ここでいうメンマは添加物ゼロ、たけのこと同じように使えます。家庭でも手軽に使える食材としての魅力を引き出し、広げることで、竹林の保全と荒れた竹林の再生につなげたいという願いがこめられています。当日はメンマを使った創作メニューが豪華なワンプレートとなって登場しました。
旧上田家
会場は向日市にある、国の登録有形文化財の「旧上田家住宅」です。おくどさんで炊いたご飯は、石田さんが手塩にかけた農薬、化学肥料不使、天日干しの、現在のコシヒカリやあきたこまちなどのご先祖の「旭米」です。今回の京のさんぽ道は、多くの豊かな出会いがあった、すばらしきかな春の一日のおすそ分けです。

ゆるやかに集まり、得がたい体験

石田ファームのメンマ作りメンバー
この集まりは、石田ファームをホームとしてメンマ作りをする「メンマメンバーズ」の「竹乃舍」(たけのや)が企画しました。
昨年5月に仕込んだメンマの試食を中心に、かかわったみなさんへのお礼と、今後このメンマを広げていくためには、どんなことが考えられるか、何が必要かを出し合い、共有する場にしたいと企画されました。
「自宅でおしゃれな一皿が出せるパーティ料理」の教室を主宰しするLisas(リサス)さんが、他では出会えない「創造的メンマ料理」のワンプレートを完成させてくれました。Lisasさんは、パーティのようにおしゃれな一皿とともに「帰宅して15分で作れる、家族が喜ぶ普段のごはん」を大切にしています。当日も豪華版でありながら「今日からすぐに家で作れる」ヒントがたくさんあるメニューで構成されていました。すべてに「竹乃舍製メンマ」が使われていて、みんなうれしそうでした。
猫柳
もうひとかた、この日の特別参加は、多くの人から「山野草の師匠」と頼りにされているバカボンさんご夫妻でした。朝、大原の里で摘んだ野草と、黒文字と猫柳の枝を抱えて来られました。うす暗い土間に春が舞い込んだようでした。
山野草のことはもちろん、おどろいたのは石田さんが育てたお米の稲わらを「ええ、出汁がでる」とメンマの味付けに使われたことです。その微妙な味わいが感じられるだろうかと少し心配でしたが、とても楽しみで、はじめての体験に期待がふくらみました。
出し取り用の稲藁旧上田家のおくどさん
炊きあがりの時間を計算して、おくどさんに火が入りました。薪をくべるのはコツがいりますが、そこは今まで大量の幼竹メンマを湯がいた経験がものを言い「火の番」は安心してお任せされています。
ゆるい集まりで、時間割もおおまかなのですが、みなさんそれぞれ自分ができることを見つけて手を動かしています。バカボンさんご夫妻に教えてもらいながら、つくしのはかまを取ったり、稲わら出汁で煮たメンマに黒文字や松の小枝を刺す作業はとても楽しそうでした。なんとなく「おとなの課外体験教室」のような雰囲気でした。
さいころ切りにしたメンマの姿はチーズのようです。松葉をあしらうと緑の色がすがすがしく、お祝いの席にもよさそうです。バカボンさんは、そのあしらいを「和の心。日本の料理人の心です」と語りました。味だけではない、食の楽しみと奥深さを教えてもらいました。

つくしのはかま取り

「バカボン」さんに松葉を使っためんまのあしらいを教わりました
中央がみんなに教える「バカボン」さん

羽釜がシュルシュルと湯気が上がり始めました。みんが「せっかくだからおこげが食べたい」と希望するので、火の勢いを調節したり、火焚き番はなかなか大変です。
旧上田家住宅として公開されているこの建物の六代目当主、上田昌弘さんが見えて、おくどさんに火が入っているのを見てうれしそうに、火吹き竹を出して使い方を教えてくれました。「私はこの家でずっと暮らしていましたから、愛着があります。これからもこの建物を大切に残していきたいです」と話されました。家、建物はそこに住んだ人々の歴史も刻まれている家族の暮らしの証しなのだと、しみじみ思いました。
旧上田家のおくどさん石田ファームのメンマ試食会
奥座敷での会食は、久しぶりに食卓を参加者みんなで囲んで話ができる、楽しいひと時となりました。ワンプレートの他にも、みなさん持ち寄りの、おいしいものが並びました。
たっぷりふきのとうが入ったふきのとう味噌、箸休めにぴったりの小かぶの酢の物等々。伊根町の鯖のへしこや「京太のはちみつ」メンバーの伊藤君が琵琶湖で獲ったわかさぎの自家製燻製には「これはビールか日本酒やなあ」の声に笑いと賛同の声が聞かれました。去年の春を思い出しながらメンマと自然の恵みの野草、八十八の手間ひまとお天道さまの力を借りて育てたお米を味わいました。本当の「御馳走」でした。

竹林とメンマを広く知ってもらうために

石田ファームのメンマ試食会
右端が石田ファーム、竹乃舎代表の石田昌司さん

メンマで構成されたお昼ご飯をいただいた後、感想やこれからメンマを広めるうえでの、提案などの意見交換がありました。
竹林整備と抱き合わせて、福岡県糸島市から始まった「純国産メンマ」作りは今全国的に広がり、味付けされた「ご当地メンマ」を販売している例も多くあります。石田ファームのメンマは塩漬け後に、塩抜きをして食材として使ってもらう、または「おうちでメンマ」として幼竹のまま渡すこともしています。
「メンマという名前が、ラーメンに入っているあれ、という固定したイメージを持たれてしまう。こんなにいろいろな料理に使えるのだから名前を変えたら。いっそシンプルに竹にしては」「たけのこと同じように使える。穂先はきれいな形なので、それを生かして、形が大事なお節料理などに使いたいと思う。値段は少々高くても、そういう時期は必ず、国産の安心できる食材の需要はあると思う」「たけのこと比べて、幼竹メンマが優れている点ははっきり言って見当たらない。けれど、メンマを作ること、使うこと自体が放置竹林の解決、京都の美しい竹林を残すことにつながる。そこに共感してくれる人をどれだけ増やすか」「現在、出まわっているメンマやたけのこ水煮の90パーセントが輸入されています。そういう食料自給率の観点からも、安心な国産のメンマを普通の家庭で使ってもらえるようにしたい」「メンマ以外にも、竹の特性を生かした製品が誕生している。紙や繊維など、竹の可能性も合わせて知る機会を増やして、つながっていければ」などの意見が交わされました。

切り方やあしらい次第でチーズのようにも見えるメンマ
切り方やあしらい次第でチーズのようにも見えるメンマ

メンマは部位によって食感が違う点をうまく利用したり、和洋中どれにもなじむ使い勝手のよさがあるので食材として広げられる可能性、素材としての竹が優れていることに、みなさん手ごたえを感じられていました。

メンマと旭米の可能性を夢見て

らっきょむさん
メンマ試食会に参加されていたなかに、石田さんの田んぼのお田植や刈り入れに協力されている向日市の「一穂の会」(いっぽのかい)の紙芝居屋さん、「らっきょむ」さんが来られていました。週末の向日市で家族で楽しめるイベントがあり、そこで旭米のブースも出しますとお話されていたので行ってみました。
旭米
今人気の品種のお米のご先祖、旭米は、向日市がふるさとであり、戦後間もない頃までは、西日本で一番多く生産されていたそうです。そのような歴史と大切なお米なのに、現在は生産農家が本当に少なくなってしまいました。
「一穂」の会は、この旭米を広げる活動をしながら町おこしにつなげようと活動しています。一穂ははじめの「一歩」を踏み出そう、という意味も持っています。
らっきょむさんは向日市の小学校や学童保育所で、紙芝居を見せて旭米を知ってもらおうと一生懸命です。イベントでは古い脱穀機で稲を脱穀するコーナーを担当されていました。
足踏み式脱穀機
Z世代のその先となる小学生たちですが、足踏み式の脱穀機での体験は大人気で順番待ちをしていました。自分のからだを使って、普段自分たちが食べているものがどのようにして届いているのかを知る機会となり、とてもよい企画だと思いました。現在はふっくら粘りがあって甘みを感じるお米が人気で主流です。そのようななかで、旭米は、はっきりした味や食感を感じにくいお米となっています。
言ってみれば、はっきり甘みを感じるお米に比べて、ちょっと素気ないような感じでしょうか。らっきょむさんは「いろいろ食べ比べる機会があれば」と考えています。確かに、味付けの濃い料理には相性がいいように思います。
石田ファームの竹林
竹林や京都の筍、旭米も、これからは、職業も世代も様々な人がつながる、多様な参加の仕方がますます大切になってくると感じました。もうすぐ、長岡京市、向日市など乙訓地域を中心に、京筍の出荷の忙しい季節を迎えます。竹林や田んぼがつくりだす美しい景観が守られ、農業がなりわいとして成り立つ世の中を願ってやみません。
そのためにも、京のさんぽ道も、小さな歩みでも、京都の日々の暮らしをしっかり受け止めていきたいと思いました。メンマと竹林に旭米、そして旧上田家住宅と、みんなの出会いに、夢をかなえるものと感じることができました。

 

石田ファーム 長岡京市井ノ内西ノ口19-1

旧上田家住宅 向日市鶏冠井町東井戸64-2
開館 9:30~16:30
休館日 月曜日、毎月1日

この場所と コーヒーとアンティーク

霜が降り、水たまりが凍っている今年の京都の冬です。しばらく前のこと、通りがかりに古びたがっしりした建物が目にとまりました。大きく「COFFEE」とあります。先日、近くに行った時に思い出し、ずっと気になっていた建物まで行きました。
そこはコーヒーの焙煎所とアンティークの雑貨や食器が一緒になった、住んでいる人の思いがやどる「だれかの家」のようなお店でした。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ドアのガラスにはWIFE&HUSBANDに続きDAUGHTERとSONの文字が見えます。「妻と夫」「娘と息子」という、まっすぐな名前に深い思いを感じます。オーナー夫妻の家族との日々も映し出された、かけがえのない空間です。
2015年に賀茂川のすぐ近くに自家焙煎のコーヒー店WIFE&HUSBANDを開いてから1年半たった頃、大きな焙煎所とアンティークが一緒になった空間としてオープンしたROASTERY DAUGHTER /GALLERY SONです。コーヒーの香りとともに、季節や時間によって、差し込む光が変化するゆるやかなひと時を送ってくれます。

 

古いビルが生きる焙煎所&アンティーク

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
新たな夢をかなえる焙煎所に適した場所をさがしていたオーナー夫妻が、やっと見つけたのが現在のビルでした。自然を身近に感じる賀茂川畔のお店とはまったく違う街中の古びたビルでしたが二人で「ここだ」とすぐに決めたそうです。
車が頻繁に通る堀川通に面していますが、落ち着いた雰囲気はそこなわれることなく存在感があり、周囲とも調和しています。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
お店の1階はコーヒーの焙煎と豆の販売、2階はオーナー夫妻がこつこつ集めてきた多くのアンティークの食器や雑貨、ビンテージの洋服がwife&husbandの物語を紡いでいます。
そこに集められたものはフランスの19世紀から20世紀初めの食器や小物、そして日本の文房具や暮らしの道具など洋の東西を問いません。丹念にガラスペンで書かれた古いノートの文字の美しさにおどろいたり、反物の端に付ける下げ札の先端の、針より細いくらいのこよりにも、昔の人の手先の器用さに感服したり、あっと言う間に時がたちます。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
窓辺や壁、天井と、あらゆる空間に国の違いを超えて、人の手が作り、人が使ってきた時を刻んだもののあたたかさやおもしろみを感じます。
毎日の暮らしのなかで、元の使い方と違うものに転用するも楽しいでしょうし、何かに使うという目的がなくても眺めているだけで、気持ちをあたたかく包んでくれそうな気がします。時を経て今もあるもののよさを感じることができる空間です。

 

つくろいながら使い続ける

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONの金継ぎ
販売している古い食器や雑貨には時々「金継(きんつぎ)」が施されているものがあります。これはスタッフの方がされていると聞き、本当に古いものを受け継ぎ、すきになってくれるだれかに手渡す仕事をされているのだと感じました。
日本でも少し前までは、つくろい物をする夜なべ仕事が、ごく当たり前のこととしてありました。ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONは、つくろいながら使い続ける暮らし方を思い起させ、そのことはそんなに難しく考えなくてもよい、自分が心地よいと思えることでいいのだと応援してくれている気持ちになります。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
1階にもアンティークの小物が前からそこにあったようにたたずんでいます。最新の焙煎機とともに、コーヒーの麻袋やアンティークがある風景は、始めて来た人にもおなじみの気安さを感じさせてくれます。
海外からのお客さんもゆっくりと滞留しています。きっと心に残る日本の思い出になることでしょう。

 

お店をみんなで育てている

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ビンテージの雰囲気のユニフォームが似合い、自然な笑顔がすてきなスタッフさん。何か聞いたり、商品をじっと見ていた時に、スタッフの方みんなが的確に答えてくれたり、声をかけてくれたことがとても印象的でした。
みなさん、本当にこのお店が好きで大切にしていることが伝わってきました。コーヒー豆を選別し、お客さんを迎え多くの古いものの様子を確認しながらの毎日を尊く感じます。

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
焙煎前、焙煎後と2回行うコーヒー豆の選別

賀茂川畔のwife&husbandと次に生まれたROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON はこれから、スタッフのみなさんと一緒に育てる家のようです。これからもゆっくりと通いたい空間でした。

 

ロースタリー ドーター/ギャラリー サン
京都市下京区鍵屋町22
営業時間 12:00~18:30
定休日 不定休(ウェブサイト営業カレンダーでご確認ください)

人と猫、 なごみの神社

寒暖の差の激しい日が続いていましたが、春告げ鳥の名のあるツバメがやって来て、様々な花も次々と咲き始めました。京都は「八百八寺」と言われるように神社仏閣が多くありますが、四季のうちでも、ことに春は訪れるのが楽しみな季節です。
「梅宮大社(うめのみやたいしゃ)」という、たおやかな名前の神社があります。その名の通り、約40種550本の梅が植えられています。創建はおよそ千三百年前と伝わる由緒ある神社は、最近とみに猫さんと会えることで知られるようになりました。
梅は散り、椿は名残となっていましたが、静かな苑内をゆっくりと拝観することができ、そのうえ檜皮葺の社殿を背景に玉砂利を踏みしめて悠々と散歩したり、縁側でまどろんだりする、宮司さん一家がお世話している猫さんたちとも会え、至福のひと時でした。

幅広い守護神がおわします

梅宮大社の楼門
菰樽が並んだ梅宮大社の楼門

梅宮大社のある梅津は、平安京造営のために近くを流れる桂川を利用して運ばれた木材の集積地でした。津は港を意味します。中心にあるのは壮麗な建物を要した梅宮大社です。
そこで「梅宮大社のあるところの津」ということで梅津となったとされています。古には、王朝文化に親しむ平安人が別荘を建て、ひなびた里の風情を楽しんだそうです。付近には現在も、かつて壮大な伽藍を誇った長福寺や材木の搬送などで栄えた旧家などが残り、歴史を物語る証しとなっています。

梅宮大社の石柱
歴史を感じさせる石柱にも酒造りの文字があります

梅宮大社は、その由緒書によると、奈良時代の政界で活躍した橘諸兄の母が、橘氏の氏神様として、京都南部の井手町に創建したと記されています。そして平安時代のはじめに、嵯峨天皇の皇后によって現在の地に移されたそうです。
古くから「酒造の神様」として知られています。古事記に「稲穂で酒を造った」と記されていて、これが穀物から酒を醸した最初とされています。楼門や手水舍の横に並んだ、全国各地の蔵元の菰樽が並んだ様子は壮観です。

梅宮大社の本殿
本殿
梅宮大社拝殿
拝殿

境内は拝殿、中門、回廊、本殿が建ち、檜皮葺の屋根も美しく「梅宮」にふさわしい気品とやさしさを感じるたたずまいです。その一方で「磐座(いわくら)」が祀られ、「自然のものにはすべて神様が宿る」という古代の自然信仰のかたちを表しています。「八百万の神様」ということでしょうか。おおらかで自然を敬う日本の信仰心を、好ましく感じます。酒造、子授、安産、縁結び、学業、音楽芸能と広範囲にわたります。人間の弱さを否定するのでなく、受け入れてくださるようで、気が軽くなります。時には神様頼みの気持ちを持ってもいいのではと、思えてきました。

植物や小さな生き物の天地

梅宮大社
檜皮葺の門の脇には梅の名残が

苑内への入口も、りっぱな檜皮葺の門があり、中は大きな勾玉池を中心に、東側には咲邪池があり、水辺にはこれからの季節が楽しみな、花しょうぶやかきつばたが植えられています。
梅は残念ながら、ほとんどが散っていましたが中には少し花が残っている木もありました。花の盛りにはどんなにきれいだったことかと思います。梅と同じくらい椿も多くの種類が植えられていて、こちらは落ち椿も含めて楽しめました。山吹と平戸つつじはすでに咲き誇っていて、ひときわ鮮やかな色彩であたりを明るくしていました。
梅宮大社梅宮大社の池中亭茶室
勾玉池の端に建つ、芦葺きの建物は、江戸末期に建てられた「池中亭茶室」です。「夕されば門田の稲葉訪れて芦のまろやに秋風ぞ吹く」という古歌に詠われた風雅な田舎家を表現した茶室であり、梅津に残る唯一の芦のまろやとして、とても大切なものであると知りました。四季折々に茶席をしつらえて楽しんだのでしょうか。
そんな物思いをからかうように、カラスがだみ声で鳴きました。うぐいすや、ころころと澄んださえずりは何という鳥なのか。そのうものちにアオサギのような大きな鳥が池中亭の屋根に舞い降りて、あたりを見渡していました。屋根の芦を引っこ抜かないか心配になりました。
梅宮大社
池のそばを歩くと、りっぱな錦鯉が何匹も集まって来ましたが、えさを持ってないのでごめんなさいと謝る気持ちになります。カラスや小鳥の鳴き声、鯉の跳ねる音、枝を渡る風など、自然の音だけ、目に入るものも木や花、木の建築物のみ、というのが実に爽快です。
椿の木の根元に白いたんぽぽと、綿帽子がたくさんありました。このたんぽぽは「白花たんぽぽ」という名前の、日本の在来種のようでした。今はほとんどが西洋たんぽぽに代わられているので、うれしい気持ちがしました。つくしも少しか細いのが出ていました。梅宮大社の庭園は、自然界にあるものみんな、人ものびのびできるすばらしい天地です。

家族そろって守る神社と景観

梅宮大社のソラちゃん
ソラちゃんの横ではマコちゃんが眠っていました

社務所の脇のベッドでまんまるになって眠っているのは、白毛は「ソラちゃん」真っ黒は「しっぽが短かったらマコちゃん、長かったらロクちゃんです」と教えていただきました。どっちかなと思っていると、そこへあらわれたのは真っ黒猫さん。しっぽが長いのでこちらがロクちゃんのようです。縁側でひなぼっこをした後、玉砂利の上で毛づくろいを始めました。移動しながら丹念に続けています。
梅宮大社のロクちゃん梅宮大社のロクちゃん
さすが、境内のどこにいても姿が決まっています。お参りする人の後方に控えていたり、蓮を育てる水がめをのぞきこんだり、パトロールをしているつもりなのでしょうか。訪れた人が次々と「かわいい」と言って、なでても、威嚇したり爪を出したりしません。本当によくできた猫さんたちなのです。

梅宮大社のツキちゃん
パトロールに余念がないツキちゃん

社務所の横の張り紙に「境内にいる猫は神社で飼っている猫です。絶対に餌をやらないでください。マタタビは特に」と書いてありました。神社では、猫とは自由に付き合ってくださいという気持を持って、会いたいという人に接しておられます。私たちはきちんと参拝をして、猫さんには無理じいをしない、これを最低限みんなで守っていくことだと思います。
伝統的な建造物やこれだけ広い境内や庭園の維持管理は本当に大変なことだと思います。この環境が保たれていることに感謝し、経緯を表して四季折々の拝観を楽しませていただきたいと思いました。足を運び、拝観することで微力ながら支えることにつながるはずです。あわせて、不幸な猫さんを出さないことにも協力する人が増えればと願っています。

 

梅宮大社(うめのみやたいしゃ)
京都市右京区梅津フケノ川町30
拝観時間 9:00~17:00

世界に広がれ 京太のはちみつ

コロナの影響でぽっかり時間が空いた日々に、京都大学農学部4年生の3人は「全国各地の農家さんのお手伝いをする旅」に出ました。
そこには自然にあらがわず、様々なことをみずからの力と技術でこなしていく本当に豊かな暮らしぶりと、そこに住む人々の「かっこいい」姿がありました。お米作り、梅の栽培、養蜂や炭焼き等々の達人や師匠となる人々とめぐり合い、二ホンミツバチの養蜂で「百姓として生きていく」夢の一歩を踏み出しました。
4月から始めて10月には、市場に出回ることがきわめて少ない「幻のはちみつ」の販売にまで漕ぎつけました。名付けて「京太のはちみつ」です。
農家さんの生き方に敬意と共感をもち可能性を信じて「百姓」への道を歩む、京太のはちみつ代表の大島武生さん、副代表の三宅新さんと伊藤佑真さんに二ホンミツバチのこと、これからの夢について語っていただきました。巣箱を囲んでの愉快なひと時でした。

養蜂を始めたわけと1パーセントの贅沢

ニホンミツバチ
市販されているはちみつの容器には「国産」「中国産」などと記載されていますが、そもそも国産とは何か、それは二ホンミツバチのはちみつではないのかなど、はじめて知ったことが多くありました。農林水産省の調査によると日本のはちみつ自給率はわずか6パーセント、そのなかで二ホンミツバチが占める割合はたったの1パーセントです。
昔から日本の山野にいた在来種の二ホンミツバチは、人間に育てられるようになっても野生の気質が抜けず、用意した巣箱も気に入らなければ引っ越してしまうという奔放さに付き合わなければなりません。セイヨウミツバチに比べ体は小さく、集める蜜の量も10分の1ほどに過ぎません。養蜂には「不向き」と言える二ホンミツバチですが、その苦労を帳消しにするほどのすばらしいはちみつをつくってくれるのです。

左から大島さん、三宅さん、伊藤さん

三人は口を揃えて、はじめて二ホンミツバチのはちみつを食べた時の味わいと香りは衝撃的だったと言います。「とにかく本当においしい」これが原点になりました。
調べていくうちに、巣箱は自分たちで作れそうなこと、とても希少なものであることがわかりました。受粉の役目をしてくれるミツバチは農家にとっても大切な存在です。将来農業をやってみようと思っている三人にとって仲間になります。かくして、貴重な1パーセントのはちみつを一人でも多くの人に知ってもらい届けるために京太のはちみつプロジェクトが始動し、養蜂を開始しました。

無添加・非加熱の百花蜜を届けるために

京太のはちみつ
二ホンミツバチが野山に咲く複数の花の蜜を集めてできたおいしい百花蜜も、加熱すると香りや味わいや多くの種類が含まれている栄養素が損なわれてしまいます。市販のはちみつのほとんどは熱処理が行われています。採蜜のタイミングや工程の効率をよくすることができるそうです。
京太のはちみつはミツバチや野山の自然のリズムに合わせて、ゆっくり時間をかけて熟成された蜜をいただき、熱処理も添加物も無しの、香りや花粉も味わいを深める「生」のままのはちみつです。
8月は5㎏、9月は2か所で合計10㎏採蜜し、10月に販売を開始しました。採取した巣から自然に垂れてくる蜜を集めた「垂れ蜜」と、垂れ蜜をとった後に巣に圧力をかけて絞った「圧搾蜜」の2種類です。趣味の養蜂ではなく、自分たちが生産したものを世の中に問い、売るというチャレンジです。
京太のはちみつ秋の垂れ密
大島さんは、高校の修学旅行で保津川下りの「船頭体験」をしたことから、すっかり京都に魅せられ、今は「若手船頭」とラフティングガイドとしてアルバイトをしています。この長年のご縁から、商品化された最初のはちみつを、保津川下りの待合所の売店に置いてもらい、130グラム3000円という高額にもかかわらず見事完売となりました。「なかなか手に入らないから」と2個、3個まとめて買ったお客さんもあったそうです。

巣箱の手入れをする三宅さん(左)と大島さん(右)

三宅さんは愛媛県で、お金のやりとりなしで「食事・宿泊場所」と、「力と知識・経験」を交換し、有機農業や環境に負荷をかけない暮らし方などについて知見を深め交流するWWOOF(ウーフ)に初参加し、その経験を現在の活動に生かしています。二人ともバトミントンが得意でその技を、二ホンミツバチを狙って襲来するスズメバチ撃退に発揮しています。

巣箱にはスズメバチ除けの赤いネットが付けられています。

10月からメンバー入りした伊藤さんは、ミツバチより後輩の一番の新参者の序列となっていますが、農業サークルに所属し、全国各地で農家の手伝いをしてきたバイク旅の愛好家です。ホームページやSNSでの発信を一手に引き受けて活躍しています。スズメバチの群れを追い払う、大島さんと三宅さんの目にもとまらぬ速さのラケット技法に感嘆していたら、そこで出くわしたセイヨウミツバチに刺されて大変な目に合ったそうですが、それにもひるまず巣箱の様子を見に来ています。
三人の二ホンミツバチとの付き合いは始まったばかり。まだまだ未知なるミツバチの世界の探求は続きます。

海外にも広げたい二ホンミツバチのはちみつ

京太のはちみつ 亀岡の巣箱
紅葉を楽しんだ野山にも枯れ色が目立つようになった12月はじめ、亀岡と京大付近に設置された巣箱の見学をさせてもらいました。
亀岡の巣箱は静かな山里にあります。ご自身も荒れた竹林整備の活動をされ、二ホンミツバチの養蜂を行っている、真福寺の満林晃典ご住職の厚意で、境内地に続く小高い場所に巣箱が置かれています。少し前まで一面にコスモスが咲いていた所もその先の竹林も、みんなで協力して整備されたそうで、手を入れた自然のよさがよみがっています。周囲の豊かな自然は百花蜜をつくる二ホンミツバチのすみかに最適です。

真福寺のご住職も一緒に様子を見に来られていました。

一週間様子を見に来てなかったそうですが安泰のようでした。これからの寒さ対策としてシートでおおうかどうか検討中ということです。スズメバチの侵入を防ぐ網も張ってありました。「養蜂は野菜や果物のように手をかけなくてもほったらかしておいてもいいから」という話もされていましたが、どうしてどうして、よい蜜をとれるようにするには考えること、やっておかないといけないことが多くあると感じました。
また、あろうことか大家さんであるご住職の巣箱より、店子の京太の巣箱のほうが蜜がたくさん取れたそうです。来年はどうか両方の巣箱にたくさんの蜜が集まりますようにと祈る気持ちです。
京太のはちみつ 京大の巣箱
もう一つの巣箱は京大の近くにあります。通りから構内のイチョウやクスノキの木立が見え「大学のまち」の景観を形づくっています。付近に大学付属の農場や植物園もあるため、まちなかであっても自然度が高く、京太の二ホンミツバチたちにとっても良い環境です。スズメバチとガに攻撃され、ひと群れは壊滅してしまったそうですが、残った巣箱の中は異常なしでした。
ニホンミツバチ
今、二ホンミツバチに限らずミツバチの減少が各地で報告されています。原因の一つとして、ネオニコチノイド系の農薬の影響が指摘されています。二ホンミツバチは農薬にとても弱いので、京太でも巣箱の設置には細心の注意を払っています。作物にとって欠くことのできないミツバチなど小さな生き物との共生の大切さが今また問い直されています。

京太のはちみつを海外へ広げようという構想が考えられています。自然がくれた贈り物のはちみつとプロジェクトの取り組みは、世界中で受け入れられるものだと感じました。
女王バチは2~3年、働きバチは2~3か月しか生きられないという、命をかけてただ花の蜜を集めるだけの一生に哀切さとともに、尊さも感じました。それはミツバチのことを愉快に生き生き話す三人の、農業や自然との向き合い方や「恵みをいただく」という謙虚な気持を感じたからかもしれません。
今までにつながりのある、お世話になったみなさんも、これからの展開を楽しみにしていると思います。はちみつの採取は春までお休みですが、ぜひホームページやSNSをチェックしていただいて現在進行中の京太のはちみつの活動に注目してください。そして少しでも自然の営みを感じられる暮らし方について、考えてみたいと思います。

 

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地元や氏子で守る 豊かな水の恵み

川の流れがやわらかな日差しにきらきらと輝いています。光の春の訪れです。まちなかを歩くと、京都は豊かな水の都であることをあらためて感じます。川や運河があり、名水の湧く井戸があります。伝統の生業や物資の運搬にと役割を果たして来た流れや湧き出る水は、今も枯れることはありません。身近にある水の恵みをたどりました。

歴史ある番組小学校の地域の「銅駝水」

二条大橋から見た鴨川
二条大橋のたもとから見る風景はまさに「山紫水明」。まちの中心部を流れる鴨川と、ゆるやかな山並みを見渡す眺めは、やはり京都の象徴です。そこから少し北へ行き、静かな通りへ入ると「銅駝会館の銘板のある建物の前に「防火用」のプレートと蛇口があります。これがおいしい水の名が高く、毎日多くの人が汲みに来る「銅駝水(どうだすい)」です。
銅駝水
この地域は明治2年(1896)に開校した「上京第三十一番組小学校」の歴史ある校区です。銅駝小学校、銅駝中学校、そして京都市立銅駝美術工芸高等高校(美工)となった今も、教育熱心で自治の意識の高い「銅駝学区」が継承されています。そして銅駝水も、銅駝自治連合会で維持・管理し、水質検査も受けています。
銅駝水
利用者からの募金の使いみちを美工の生徒が描いた楽しいイラストで紹介するなど、学校と地域とのつながりを感じます。水を汲みに来た方に聞くと「この水でいれたコーヒーは最高です」という答えが返ってきました。汲み終えると「いつもありがたく汲ませてもらってますので、わずかですけどね」と協力金を入れて帰って行きました。
一年中24時間、だれでも自由に汲めるおいしい水。それは「自分たちのまちは、そこに住む人も参加して一緒に考え、守っていく」という地元のみなさんの努力のたまものです。150年余の歴史を刻む番組小学校の自治の伝統が脈々と受け継がれています。
京都市立銅駝美術工芸高等学校
銅駝会館に隣り合う京都市立銅駝美術工芸高等学校、通称美工は、日本で最初の画学校として明治13年(1880)に創立されました。校舎は昭和14年(1939)に7年かけて完成したコンクリート造りアールデコ様式のモダンな建物です。千年の都、京都は近代建築もしっくり調和するまちです。これからも美工と銅駝水が、地域のつながりの象徴として存続することを願っています。

疫病退散、怨霊を祀る神社の伝承の水

下御霊神社の鳥居
墨、お茶、骨董などの和文化の老舗と、明治創業の洋菓子店や画廊、ハンドメイドの雑貨店など和と洋、新旧が一体となった寺町通は、さんぽ気分でゆっくり歩いてこそ感じられる魅力があります。
朱塗りの鳥居を構えさらに正門、拝殿、本殿へと続く土塀をめぐらせた神社は、平安時代初期の神泉苑での御霊会を起源とする下御霊神社です。冤罪によって亡くなった菅原道真公をはじめとする七人の貴人の怨霊をなぐさめ、疫病厄災を退散させる「御所の産土神」として天皇、貴族、町衆に敬われてきました。
下御霊神社の手水舎下御霊神社の手水舎
正門を入ると手水舎があり、清らかな水がたたえられています。この水は、江戸時代の明和七年に京の市中が旱魃に見舞われた際、下御霊神社の神主さんが夢のお告げによって境内を掘ったところ清冽な水が湧き出て、人々に飲ませることができたと伝えられています。井戸の跡は残りませんでしたが、この当時と同じ水脈の地下水が「御霊水」名付けられ、今も多くの人がその恩恵にあずかっています。手水舎は手入れが行き届き、柄杓を置く青竹がいっそう清浄な雰囲気を漂わせています。

平成の始めに御霊水として復活してから毎日、汲みに来ているという方と出会いました。「名水と言われる他の所のお水も汲んで来たことがありましたけど、主人が、ここのお水でいれたコーヒーが一番や、よそのやと味が変わる言うて」と、少し微笑んで話してくれました。そして「それで毎日汲ませていただいて、主人にお供えしています」と続けました。
下御霊神社の梅下御霊神社
境内は八重咲の紅梅が咲き誇っています。社殿は宮廷神殿を伝えるものとして貴重であり、大門の梁の龍や、玄武と朱雀に乗った仙人の彫刻など、見どころもたくさんあります。これだけの建造物を、修復を重ねながら維持保存していくのは並大抵のことではないと思います。御霊水を汲みに来るみなさんも含め、ぜひ多くの人に身の回りの歴史に関心を持ってもらい、協力してもらえたらと思いを強くしました。

水と親しく暮らす京都の水の文化

高瀬川一之船入
高瀬川沿いの桜のつぼみの先が、そろそろふくらみ始める頃になりました。川べりにぼんぼりが灯る桜の時期の風情、また力強い若葉が影をつくる頃の散策も楽しいものです。
物資を積んだたくさんの高瀬舟が行き交った川は、今の時期立ち止まる人もなく静かに流れています。観光用に飾られたものではない、もとの京都の姿を感じられます。
以前、高瀬川を開いた角倉了以の子孫の方が「了以が考えていたことは、高瀬川から淀川を下り、外国へ出たかったのではないか」と語られていたことが今も記憶に残っています。先人の抱いた、苦労にも勝る夢があったことは、今を生きる私たちにも大切なことを教えてくれている気がします。

食文化、染織、農業など水とかかわる仕事は多くあります。水が磨き、育んできた文化とも言えます。身近に川が流れ、おとうふやお酒、お醤油が地元で作ら京野菜が育てられる、この京都の水の文化を大切にしていきたいと切に感じました。

 

下御霊神社
京都市中京区寺町丸太町下る下御霊前町634

京都発 木と火のある暮らしの提案

時雨れて底冷えのする京都。火のぬくもりが恋しくなります。薪や炭、またペレットなど、木からできる燃料の良さを広げ、木と火のある暮らしを始めようと取り組んでいる会社があります。それぞれができる、小さなことから始め、その積み重ねが、私たちの暮らしを豊かにし、京都の森を再び元気にすることにつながると語ります。名付けて「薪炭革命(しんたんかくめい)」。

だれもが参加でき、出入り自由のほのぼのとした革命は、しかし進めるのは容易ではありません。これに果敢に取り組む、株式会社Hibana(ひばな)のアンテナショップであり活動拠点の「京都ペレット町家ヒノコ」で、代表の松田直子さんにお話を伺いました。

木と火のものが集まっている町家


バイオマス、ペレット。名前は良く聞くけど何だろう。バイオマスは、生物(bio)由来の物質(mas)のことを指し、木が由来のものを「森林(木質)バイオマスと言います。地球温暖化が世界中の大きな課題となっている今、注目を集め次世代の再生可能エネルギーとして期待が高まっています。間伐材や端材、おがくずなどの粉を固めて粒状にしたものが木製ペレットです。
松田さんは、熱帯林や日本の林業に関心を持ったことから「燃料としての活用」に至り、NPOで森林バイオマスの普及活動に取組んできました。より多くの人へ広げるためには、会社の設立が必要であると考え、2006年にバイオマス研究会で一緒だったメンバーと二人でHibanaをたちあげました。「いつまでも人の心を和ませ、ぱちぱちとバイオマスの火を灯していけたら」という気持と決意をこめて社名としたそうです。

Hibanaが運営する、アンテナショップであり、環境や森林にかかわる団体や関心のある人々のプラットフォーム「京都ペレット町家ヒノコ」は、前回ご紹介しました村上開新堂のすぐ近く、京都市役所北側にあります。
「京都ペレットあります」ののぼりと「森の燃料 道具 雑貨など」の木の看板の脇に、まな板や赤い色がかわいい火ばさみや灰すくい、木のクラフトが並んでいます。寺町通りのそぞろ歩きを楽しむ人たちも足を止め「この道具、懐かしい」「桧のまな板っていい匂い」などと話したり、商品を手に取ってみています。

建物は大正時代に建てられた京町家です。走り庭と呼ばれる台所のたたきも残り、知り合いの家へ来た気分の、気兼ねなく過ごせる空間になっています。店内は、木と火にかかわるもののワンダーランドです。ペレットストーブ、炭や火おこし、七輪、スプーンやお箸、食器、アクセサリー等々、何時間いても飽きることがないと感じる空間です。

愛嬌たっぷりの大きなピンクのぶたは、ペレットグリルです。イベントに貸し出され、実際にバーべキューに使われて、木の燃料の使用を呼び掛ける広報の一翼を担う人気者です。
クリスマスが近い季節柄、サンタやかんなくずで作られたリースや花が、冬の楽しさを盛り上げています。積み重ねて仲間や家族を増やしていけるネコのおもちゃには、一つ一つ木の名前が刻印されています。
商品展示もとてもセンスが良く、作家さんや森林の仕事をする人々とヒノコの、森や環境に対する深い思いと愛情が伝わってきます。無理せずに、木や火のある暮らしを始めるよいきっかけの場となっています。

ヒノコは森と人のプラットホーム


ヒノコの2階は、イベント、教室、展示会やミーティングなどに活用できるレンタル空間です。元写真館だったという建物の2階は、高い天井、漆喰の壁、大きくとった窓など、建物の魅力を感じます。ここでは、できるだけ京都産のエネルギーを活用できる設備や道具を備えています。炉を切り、床の間を設えた和室もあり、幅広い目的、企画での使用が可能です。

ペレットストーブ、ペレット七輪、炭火を使う昔ながらの火鉢や七輪、人数によって調整のきく可動式のメインテーブル、大きなドングリ型の火鉢、木地師のていねいなつくりの器などを使用することができます。壁には250種類の木からつくられた彫刻の作品「木の卵」が並んでいます。卵にはそれぞれの木の名前が添えられています。コシアブラ、カリン、枇杷、イチイガシ・・。制作者の思いから、すべてを、手に取りさわることができます。作品を手に取ること、七輪や火鉢に火を入れることは、火事になったら、やけどをしたら、作品を傷つけたらなどの心配が尽きません。しかしヒノコは「どんどん使ってください、さわってみましょう」を実践しています。太っ腹です。
壁の漆喰はスタッフが集まって塗ったそうです。大変でしたねと言うと「楽しかったですよ。この建物のこともいろいろ知ることができましたし」という答えが返ってきました。和室の片隅には、子どもの木のおもちゃも用意されています。空間まるごと木の心地良さと火の力を体験できます。

木のエネルギーの地産地消をめざして


障子、畳と長火鉢に鉄瓶。ペレットストーブのやわらかな暖かさが心地よい部屋で話を伺いました。バイオマス普及のため、もっと認知度を高めたい。そのためには、まちなかへ打って出ようと考え、この町家にめぐり合い移転して10年がたちました。
事業化して必死に活動を続けるなかで、松田さんが気にかかったのは、70%を森林が占める京都市の木の燃料が少ないことでした。他の地域から運んでいては輸送コストや環境面での負荷が大きくなってしまいます。そこで、京都府内で初のペレット製造会社「森の力京都」の設立にかかわり、実現させました。「京都ペレット」の誕生です。
ペレットストーブは、国産メーカーができたのが2000年で、一般に認知され始めてまだ十数年しかたっていません。海外では普及していて、韓国や中国でも増えているそうです。先進国のなかで唯一ペレットが広まってないのが日本という現状です。

松田さんはペレットストーブについて「都心部や住宅街でも比較的設置しやすく、日本の住宅事情に合っている」と語ります。取り付けはエアコンに近い簡単な工事ですみ、ペレットを燃やすだけなので、手軽に扱うことができます。「ちょうど家電と薪ストーブの中間、両方のいいとこどりした暖房機」なのだそうです。
ただ松田さんは、購入を検討する人に対して「ペレットストーブの良い点だけでなく、こういうこともありますよ」と伝えることが大切だと言います。灰の掃除や燃料を毎日補充しなければならないことなどです。その多少の「不便さ」とも付き合いながら、木や火を身近に取り入れる暮らしを始めてみませんか、という提案です。ヒノコの種々のリーフレットには、森や山々に木を植えた先人への思い、多くの人とかかわれる場の大切さが、真摯に熱く、そして深くわかりやすく書かれています。環境やペレットに関しての入門書としてもうってつけです。

ペレットストーブに使う木質ペレットは、地域の山の木でつくられています。
今は小さな単位であっても、木質ペレットを製造することでその仕事にかかわる雇用も生み出すことにもつながります。またペレットストーブはアフターメンテナンスが伴うので、その部分を担う仕事が生まれます。スト―ブ製造、燃料製造、輸送、販売、メンテナンスという地産地消ビジネスです。
Hibanaは、エネルギーと森林、木質ペレット、クラフト、そして私たちの暮らし、すべてが循環していること、少しの手間や煩わしさは、本当の豊かさをもたらすことに気づかせてくれる身近な存在です。

 

株式会社Hibana(京都ペレット町家ヒノコ)
京都市中京区寺町二条下ル榎木町98-7
営業時間 10:00~19:00
定休日 水曜日

洋菓子の香り漂う 京都寺町二条

クリスマスの華やかな色があふれる繁華街をよそに、古美術、墨、お茶、洋菓子などのお店やギャラリーや書店が並ぶ寺町二条界隈は、いつもと変わらない静かな雰囲気です。文化芸術系の店舗に交じり、暮らしを感じる鮮魚店や青果店が軒を並べています。目を引く、町並みに調和した木造の白い洋風建築は、明治40年、御所近くのこの地に開業した洋菓子の草分け「村上開新堂」です。ドアを開けてみましょう。

村上開新堂のお菓子の系譜


村上家は代々宮中に奉仕し、遷都の際には東京へ移り、引き続き御用を務めました。京都村上開新堂初代となる清太郎氏は、伯父にあたる、東京村上開新堂の初代、村上光安氏に洋菓子の製造を習い、明治40年に現の地に開業しました。

その後、各種博覧会の審査員に推され、東京大正博覧会では金杯を受賞。大正から昭和期には、現在の大丸松坂屋の食堂の喫茶部門を任され、各種学校や自治会からの注文も多く、地元に支持され、名実ともに第一級の西洋菓子舗となりました。バターやミルクの味や香りに初めて出会った当時の人々は、その話題に花を咲かせたことでしょう。
大正時代には、初代によって、紀州のみかんを使ったゼリー「好事福蘆(こうずぶくろ)」が完成しました。今も当時と同じ味わいと意匠が受け継がれる代表銘菓となりました。こうして、村上開新堂のお菓子は広く知られるようになりましたが、昭和15年頃には、砂糖が配給制となり、約10年間休業を余儀なくされました。しかし昭和26年に再開を果たし、ロシアケーキや缶入りクッキーなどの焼菓子が製造されるようになりました。

村上開新堂のお菓子は、素材の良さと、ていねいなつくり方がそのまま伝わる、てらいのないシンプルな美味しさです。好事福蘆は「ふたにも果肉が残っていますから、搾って召し上がってください」とお店で教えられたとおり、ゼリーに搾ると、たっぷりの果汁に、たちまち香りが立ちあがってきました。11月から3月までの限られた季節の味です。
ロシアケーキは、はじめサクッとしてほろっとする、独特の食感です。赤いチェリーや橙色のあんずジャムが乗った形も楽しくなります。今では製造している所は全国でも数店しかないそうです。焼菓子は均一的ではなく、それぞれの個性が感じられます。「素朴で懐かしい」という言葉では言い尽くせない深い味わいに、老舗の味を感じました。

文化歴史博物館さながらの店内

明治の三筆と言われた書家が揮ごうした店名額


焼菓子4種類と、ロシアケーキをお願いしました。箱詰めや包装ができるまでに少し間があり、店内を見させていただきました。漆喰の壁、高い天井、木製の棚、照明具もとても凝ったつくりです。古いガラス、モザイクのようなタイルも今では製造されていないものです。「開新堂」の扁額は、明治の三筆と言われた「日下部鳴鶴(くさかべめいかく)」の揮ごうとのこと。元彦根藩士で、大久保利通に使えたこともある書道家なのだそうです。店内にはこんな歴史の素材も見つけることができます。

天井には、今ではすっかり見ることもなくなった気がする、箱にかける紙ひものロールがつられています。従業員さんの包装紙で包んだり紐をかけてゆるみなく結ぶ様子に見入ってしまいます。今の暮らしのなかで「待つ」ことができなくなっていると感じます。
しかしここでは、待つことができるというより「待つことを楽しめる」のです。90年たった建物は、衰えも感じさせず、日々愛おしんで手入れされているのだなと感じました。

お菓子の箱は、銀ねず色にエジプト文様の包装紙に、ぶどう色の紐が良く映えて、きりっと結ばれています。そして包装を取ると、なんと掛け紙に幅広の真っ赤なリボンが結ばれていました。これを、お使いものにしたらどんなに喜ばれることか。今の暮らしのなかでは、贈答、お使いものという言葉も行為も少なくなっていますが、村上開新堂のお菓子とその包みは儀礼だけではない、相手を思いやる自分自身の心のゆとりが持てる贈物があるということを教えてくれた気がしました。

「村上開新堂らしさ」ということ

和紙が張られた壁と北欧家具のマッチング

四代目の村上彰一さんは「昭和初期の建物の中で、お菓子を味わいながらゆっくりしてもらいたい」と、店舗の奥の和室をカフェとしてリノベーションしました。
店舗からカフェへの通路は茶室の路地のような趣きです。カフェは個性の異なる三つのスペースからなっています。正面に坪庭の見える広いスペース、壁に黒谷の和紙を張った、照明の陰影が美しい二人用茶室を改装したクラシックな雰囲気の三つです。内部は、鶴の透かし彫りが施された床の間の羽目板や、竹を瓢箪の形に細工した欄間など、職人の技とセンスがあちこちに見られます。

錫で囲われたカウンター
カフェの席からは坪庭が見えます

濡れ縁と庭が見える場所は、季節の移ろいを感じることができます。そして濡れ縁へ出ると店舗と隣り合っている工房でお菓子を焼く、甘い香りが漂ってきて幸せな気持ちになれます。だれも考えたことのない錫のカウンター、北欧の家具や入口の李朝のタンスも違和感なく心地よく調和しています。

彰一さんはまた、お店としては35年ぶりとなる新商品をつくりました。クリームのようになめらかでコクのあり手みやげにもなる、その名も「寺町バニラプリン」と、アーモンドの香りが豊かなマドレーヌ、苦みのある塩キャラメルが味を引きしめるダックワーズです。「これまでの味をしっかり守っていきたいと思います。ただ変えないというのは何もしないということではありません。新しいことも必要です。トレンドに流されずに、しかも若い世代へのアプローチできることが必要です。新しいことのかたちがカフェでありプリンなどの新商品です」と語ります。

そして村上開新堂らしさとは、シンプルであきのこないお菓子、そしてこの場所のこの建物で営業を続けるということまで含めてのことです。その意味で、カフェの開設やプリンなど新商品の開発は、まさに村上開新堂らしい新しい一歩です」という明快な言葉に、四代目の矜持と、流されない芯の通った自信が伺えました。
取材の時、60代と思しき男性のお客様がカフェにみえ「子どもの頃から、ここのロシアケーキをよう食べてました」と、思い出につながるお菓子に久しぶりに出会えて懐かしそうでした。四代目、彰一さんが語った「この場所に、この建物が存在していること」の大きさと深い意味を感じた取材でした。
建都も地域に根付く企業として、これからも京都のまちとと営みが継承されるために、力を尽くしてまいります。

 

村上開新堂
京都市中京区寺町二条上ル東側
営業時間 10:00~18:00
定休日 日曜、祝日 第3月曜

暮らしながら活用する 西国街道の旧家

白壁の土蔵に塀、堂々とした門構えの民家が点在する石畳の道は束の間、昔の街道の雰囲気を感じることができます。
西国街道に面して建つ中小路家住宅は、平成20年、向日市で初めての国登録有形文化財に指定されました。この京のさんぽ道で「400年の歴史を刻む西国街道の旅籠」富永屋、「旧家に灯る地域を照らす灯り」中野家住宅に続き、西国街道の歴史を伝える古民家の3回めは、住まいである建物を「地域のサロン」として活用する道を選んだ中小路家住宅の中小路多忠也さん、睦子さんご夫妻にお話を伺いました。

今につながる170年ぶりの改修


中小路家の祖先は、菅原道真の一族で、大宰府へ従った後に、京都へもどり、道真を祀る長岡天満宮を造営したと伝わっています。中小路家に伝来する古文書などから、400年近く前から現在地に住まわれていたと推定されています。家の西側には、都のあった長岡京時代には、外国からの使者を乗せた船が着いた小畑川が流れています。現在の建物は170年前に建てられてから内蔵の増築など多少手を加えたところはありますが、座敷まわりは今日まで大きな変更なく維持されてきたことがわかっているそうです。

歴史のある建物は、現代の暮らしには不向きな部分があることを、これまでの取材のなかでお聞きしました。「虫籠窓は素通しなので風や虫はもちろん、鳥やヘビまで入って来てました」という睦子さんの話に仰天です。お母様が高齢になられたことから、寒さ対策と段差をなくす「中小路家の平成の大改修」と言えるリフォームで、安全で快適な住まいにされました。そして、ほぼ同時期に国登録有形文化財の打診があり、指定を受けました。そこで「遠くへ出かけなくても、近所で音楽を聞いたり、みんなが集まって楽しいことができたら」とイベントを企画して喜ばれ「活用しながら保存する」活動が始まりました。

小林かいちコーナーの前で当主の中小路忠也さん

内へ入ると、忠也さんが好きな竹久夢二の絵や、ご子息とのご縁のある、大正から昭和にアール・デコの画風で活躍した京都の画家「小林かいち」のコーナーなど、時代を経た和の空間にモダンな雰囲気がいい感じに調和しています。襖や神棚もあるスペースは、知り合いの家へ来たような気分になります。手さぐりで始め、それから10年。中小路家住宅は、人がつながり、様々な文化に触れる地域のサロンになりました。

ずっと来られるように、元気でいたい


畳敷きの座敷や洋間を会場に、様々なイベントが行われています。クラシックやジャズ、浪曲や落語、能、人形浄瑠璃等々ジャンルを問わず驚くほど多彩な企画です。お客さんが希望した企画が、お客さんの「つて」で実現するなど人のつながりが企画の輪を広げていきました。歌声喫茶やジャズコンサートはロングランの人気企画です。また、娘さんも強力な助っ人です。「手書きでない回覧板にしたい」「年賀状をパソコンで作りたい」などの要望があり、娘さんの指導による「パソコン教室」も開かれるようになり、そこから、お茶、アクセサリー、ピアノなど教室も増えていきました。パソコン教室は「スマホ教室」的になるなど進化もしているそうです。

奥さんの睦子さん

インターネットで中小路家住宅を検索すると、よく「喫茶」でヒットしますが、この喫茶室の始まりもお客さんの声でした。
イベントの時、飲み物をサービスしていたところ、回を重ねるうちに「普段もここでゆっくりお茶したい」とリクエストがあり、さらに「何かちょっとしたものが食べたい」となり、ケーキやオムライスなどメニューが増えました。家を公開してイベントを企画した段階で、睦子さんが喫茶の学校で勉強し、飲食提供に必要な内容を取得されています。

取材時に見えた常連のお客さん

多くの人が注文するオムライスは「ああ、この味」という、なじみのあるおいしさです。お客さんは、今どきのふわふわした卵の厚みのあるオムライスはお好みではないそうです。「注文ごとにオムライスを作るのは大変ではないですか」と聞いた時「いつも子ども達に作っていたので」と、ほほえんで答えました。「ここへ来ると落ち着くし、楽しい。これからも来られるように元気でいようと思う」とは、取材時に見えた常連のお客さんの言葉です。
地域にあってほしい、人と人が言葉を交わし、気持がやさしくなれる場所です。

これからを考えながらも今日も楽しく


今、お二人が心配しているのは地震などの自然災害が起きた時のことです。忠也さんは「想定外のことが起きた場合、お客さんに何かあったら大変です。耐震について工務店などとも相談しましたが、こういう古い建物は難しいようで、まだこれといった対策が決められていないのです」と話されました。昨年の台風では、蔵の壁の漆喰が一部はがれてしまったそうです。部分的な補修だけではだめで、全体を塗り直さないとならないそうです。こういった補修など維持管理費は大変なものであることは想像に難くありません。「それにだんだん歳もいくしね。いつまでできるかな。最初は10年だけのつもりで始めたので。お客さんも年齢がいって、畳に座るイベントはできなくなったし」「でも、行きあたりばったりでやって来たのに、あっと言う間の10年やったなあ」と、感慨深げにお二人で顔を見合わせました。
今後のことを考えれば簡単には決め難いことが多いと思いますが「今は、どっちがお客さんかわからない」常連さんや、観光で訪れる外国の人や若い人も含め、中野家住宅が西国街道沿いに「暮らしながら活用する」みんなが集う場として存在することの大きさを改めて感じました。
保全と活用の課題はさらに増えていくと考えられます。当事者でない、一般市民の私たちも、代々の努力で継承されてきた建物や町並み、暮らしの文化について考えていくことが大切だと思います。

建都も、住み慣れた家で安全に快適に住み続けられること、そしてそのことが景観を保全することにつながるよう、力を尽くしてまいります。

朝6時30分 喫茶チロルの開店

すでに太陽が高くのぼっている夏の日も、まだ暗く、息が白く見える真冬も、開店は変わらず朝6時半。喫茶チロルは、昭和43年4月開業、今年で51年を迎えました。常連さんも旅行者も「おはようございます」「いらっしゃいませ」と笑顔で迎えられ、「ありがとうございました」「お気ばりやす」の言葉で見送ってもらい、みんなが、あたたかく満ち足りた気持ちになれるお店です。

お客さんが喜んでくれることが一番


JR二条駅から御池通りを東へ進んだ角。格子のはまったガラス窓と、赤と黒の縞模様の軒先テント、かわいい看板がかかった建物が見えます。外観も店内も、なんとなく山小屋の雰囲気があります。喫茶チロルは、先代の秋岡勇さん、登茂さん夫妻が開きました。息子さんが後を継ぎ、登茂さんは今も元気にお店に立っています。チロルは「子どもにも言える、だれもが覚えやすい名前」であり、また、山や写真、クラシック音楽が好きだった勇さんの感性と、「お客さんに愛される喫茶店に」との、お二人の思いがこめられています。

メニューはずっと一緒で、ホットケーキもアイスクリームもない店ですが、コーヒーの味わいとともに、まろやかな辛味のきいたカレーは、必ず注文するファン多数の名物です。そして満腹できる定食も品数多く用意されています。これは、近所で仕事をしている人たちのお昼ご飯のために「カレーだけじゃ、ちょっと気の毒」と考えられたメニューです。「アジフライ&コロッケ」「鯖の塩焼き」「てりやき丼」などもあり、「目玉焼きのせ」とか「おかずの組み合わせ・追加できます。ご相談ください」と書かれています。
「こんなに種類があると大変ですね」の問いかけに「お客さんが喜んでくれるから」と、力まない、まっすぐな答えが返ってきました。毎日、奥の厨房でつくる気取りのない美味しさは、多くの人にうれしい、お昼の楽しみです。

朝の始まりに元気をくれる店


6時半に開店してすぐは主に、毎日通う常連さんで、モーニングのメニューも、組み合わせは自由になっていますが、「フルコース」のひと言で注文が通じます。「おかあさん」と呼ばれ、お客さんから慕われている登茂さんが「二人合わせて153歳の珍コンビ」と笑うベスト相方さんは、赤いエプロンに黒のベレー帽、スニーカーも赤で合わせた、チロルにぴったりのコーディネートで、きびきびと立ち働いています。
お客さんの「お姉さん」という呼びかけに「そう呼んでもらったら、返事も良くなる」と言って笑わせ、朝から店内は和気あいあいの空気です。7時過ぎには、ガイドブックを持った人や、外国からの旅行者など、次々とやって来てほぼ満席になりました。厨房担当の息子さんと3人での見事なチームワークで、みんなが心地よい時を過ごすことができます。

「お待たせしました」と、いい感じに焦げ目がついたトーストと、黄身のゆで加減がちょうど好みのゆで玉子が運ばれて来ました。ゆで玉子は、つるんと殻がむいてあって、まだほんのり温かみが残っています。飲み物を持って来てくれた時は「手盆ですみません」新しいお客さんが入って来た時は「すぐに整えますので、ちょっとお待ちくださいね」と、言葉を添えられます。親しげな雰囲気のなかにも、きちんとしたチロルの応対はさわやかで、とても気持ちよく感じます。
そして笑顔で「おおきに、ありがとうございました」と見送られると、今日一日頑張れる気がしてくるのです。

今も京都に根付く、喫茶店文化


チロルの壁には、写真や山が好きだった初代が、明治・大正時代の京都駅や嵐山などの大きく引き伸ばした写真を架かけています。歴史を実写したこの写真にみんなが注目し、話の糸口にもなります。また、チロルをイメージしたデザインのカードなどが置かれたおなじみさんのデザイナーのコーナーもあり、その下にお客さんのために、度数が強・中・弱と揃った老眼鏡が置いてあって、微笑ましく思いました。

京都を拠点にして、舞台や映画、テレビ等、活躍めざましい劇団「ヨーロッパ企画」を主宰する上田誠さんは、デビュー前からチロルで脚本を書いていたという、古い常連さんの一人です。訪れた人がメッセージを書き込む「ヨーロッパ企画ノート」は、もう3冊目になっています。最近の若い人は何でもSNSですますとか、字を書くことをしないなどと言われますが、このノートを見ると、それぞれが自分の思いをしっかり書いています。これも発見でした。

「ここでデートして結婚して、子どもを連れて来てくれたり。なかには30年ぶりに来て、この店まだあったんかとか、おかあさん生きてたか、なんて言う人やら。そういう時は本当にうれしい」と。そして「人それぞれ好きなことや、思っていることがあるから、私はそれを聞くだけ。いい聞き役になることが大事やと思ってます」と続けました。

「2日続けて休んでいたら、もうそわそわして、早く店へ出てお客さんと話がしたい」と思うそうです。「コーヒー飲んだこともないのに店始めて。にこにこ笑って食べてもらって、みんなに愛される店にと思ってやってて、気が付いたら50年たってたの」息子さんは「京都には昔から喫茶店文化があると言われてきました。お客さん同士が知り合って、いろいろなつながりが生まれます。そういう喫茶店を残していきたいと思っています」と話されました。全国紙に地方紙、スポーツ新聞もあり、テレビも見られて「コーヒーを飲みながら新聞を読んで出勤する」今では少なくなったタイプの喫茶店です。
暮れやすい秋の日差しが、窓辺に差し込む閉店前の静かな時間もいいものです。
毎日が楽しいことばかりではないけれど、チロルへ来れば、何となく心が軽く明るくなります。一日の始まりも終わりもチロルの、だれにもやさしい空間が待っていてくれます。

 

喫茶 チロル
京都市中京区門前町539-1
営業時間 6:30~17:00
定休日 日曜日、祝日

澄んだ空のもと ずいき神輿が行く

京都の秋祭りの先頭を切って、北野天満宮「瑞饋祭(ずいきまつり)」が始まりました。御神輿の屋根をずいき(里芋の茎)で葺き、全体を穀物や野菜、草花、乾物を使って趣向をこらした装飾がなされた、他に類を見ない「瑞饋神輿」を奉り、氏子地域を巡行します。

屋根を葺くずいきの茎

御神輿に使う材料は、この晴れの日のために、精魂こめて地元で作られたものです。細工やお祭の運営もすべて「西之京」という地域の人々によって行われています。起源は平安時代までさかのぼると言われる由緒あるこのお祭が、目まぐるしく変化する今日まで続いているのは、天神様・菅原道真公を信仰する変わらぬ心と、お祭の伝統を守るために力を合わせる、「西之京瑞饋神輿保存会」を中心とする地域の結束の賜物です。お祭を三日後に控えて、慌ただしさも最高潮のなか、会所へお邪魔させていただきました。

お祭の由来と「西之京」の地域


京都西北部の西之京に住み、北野天満宮の祭礼や供物の準備などを行う「西之京神人(にしのきょうじにん)」と呼ばれる人々が、五穀豊穣に感謝し、収穫した新米や野菜、果実などをお供えしたことが瑞饋祭の始まりとされています。
ありがたい意味の「随喜」めでたい食物を捧げる「瑞饋」と、音が同じことから、里芋の茎のずいきで屋根を葺いた「ずいき神輿」が生まれました。

西之京には「御供所」と呼ばれる拠点をつくり、天神様を祀り、今もその旧跡が残っています。保存会の近くには、最初の天満宮である「安楽時天満宮」や、道真公を北野の地に祀れとのご宣託を受けた、多治比文子の「文子(あやこ)天満宮旧跡」があり、毎年4月には「文子祭」も執り行われています。
保存会が面している天神通(てんじんみち)は、御供所などの歴史的に貴重な遺構も点在し、落ち着いた町並みの通りです。「御神酒」の張り紙や、ずいき祭のポスターを張ってあるお家もたくさんあり「西之京神人」としての精神が受け継がれ、地域全体でお祭を支え、楽しみにしている様子がうかがえます。この静けさが、お祭の熱気に包まれる巡行の日も間近です。

一年通して活動があるお祭の仕事


西之京瑞饋祭保存会の会所は、時代を経た木造の建物と、漆喰の壁のどっしりした蔵が並んでいます。取材に伺った時は、ちょうど扉が開けられていて、中を見せていただくことができました。神輿車や御神輿を担ぐ時の太い角材のような棒、その太い棒を固定させるための太い縄も見えました。縄はつやがあり、藍の色あいもすばらしく、ただ者ではない風格を漂わせています。「麻縄です。地元の祭ということで、職人が本当にいい仕事をしてくれています」と、会長の佐伯 昌和さん。強く美しい縄は、職人さんの心意気が伝わってきました。

会所の中へ入ると、御神輿を飾る各部分が競演を繰り広げているような迫力です。
「真紅(しんく)」と呼ばれる4本の柱には「ドライフラワーでよく見かける、千日紅(せんにちこう)という花が使われています。御神輿の飾り付けの準備は、9月1日のこの千日紅摘みから始まります。一つずつ花に糸を通していき、2メートルくらいになれば乾燥させ、二人で柱に糊付けしていきます。一本の柱に2000個の花が必要となり、四本の柱と子ども神輿の分も含めて一万個の花が必要なのだそうです。それを一つずつ針で糸を通してつないでいく。気が遠くなりそうな作業です。すき間もむらもなくきれいに揃った柱に、白の千日紅で「天満宮」の文字がくっりと浮かび上がっています。

天神さんの紋である梅鉢のわら細工もたくさんできあがっています。まず稲わらを作り、槌でたたいてやわらかくして、縄をない、梅鉢にかたち作ります。御神輿のお飾り用と、御神酒をいただいたお家へのお礼用も準備します。昨年「暮らし 商う 職住一体の京町家」の回にも、この梅鉢のわらのお飾りを紹介しました。

御神輿の四隅を華麗に飾るのは「隅瓔珞(すみようらく)」という、吊り下げ式のものです。赤なすの赤いのと緑のと、そして五色とうがらしが材料です。全体のバランスを見ながら慎重に作業が進められていました。

御神輿の四面を飾る「欄間」「桂馬」「腰板」を見ると、自然と顔がほころんできます。担当の会員さんが、自由な発想で何を作るかを一年かけて練るのだそうです。農作物や乾物など自然のものを使用するという決まりは同じです。
御旅所で公開されるまで、何がテーマに作られているかは秘密です。とうもろこしの皮やひげ、松かさ、ひょうたん、種など工夫次第で何でも素材になります。担当した会員さんは「あれこれ細かい細工はしないで、できるだけそのものの形を生かすように心がけています」という言葉になるほどと思いました。ライオンキング、恐竜、鳥獣戯画など、今年も話題をさらいそうです。ハリネズミには肉球までちゃんと付いていました。
鳥居の柱や千木などに施された梅鉢や七宝、龍、松など、本当の金細工のような精緻な細工は、驚くことに麦わら細工です。ストロー状にした麦わらを切り開いて薄い紙のようにして和紙に貼りつけます。それを友禅染の型彫りの技法で彫ってあります。京都の職人の粋を見る思いです。
ずいき神輿は、使われている稲わら、麦わら、穀物や野菜などみんな農家の会員さんが育てたもの、そして華やかでありながら、素朴な味わいがあり、なおかつ職人の技が光る、新鮮な楽しみと見どころが満載の御神輿です。

西之京ずいき神輿が伝えることは


軒先に干してある麦わらは来年用のもので、3月からもう作業が始まるそうです。取材日の作業の終わりには、これも来年用に種を採るための赤なすを選んでいました。もうすぐ、クライマックスを迎えて終わりではなく、今年の作業をしながら来年のことを考えておられます。こうして、お祭が滞りなく続けられていきます。四日の巡行が終わり、五日には今年作った御神輿は解体して土にかえします。来年の良い作物ができる養分になるのです。

残っている麦わらストローを、近くの小学校の子ども達にプレゼントされるそうです。神様のお下がりですね。麦わらストローから、子ども達はきっと、ずいき祭や地元に息づく文化や農業について知るきっかけになることと思います。
暮らしの環境やまちの様子は変わっても「ずいき神輿のために」の思いが、困難はあってもみんなを結びつけていると感じました。高く澄んだ空に、ずいき神輿と子ども神輿が晴れやかに巡行し、たくさんの人が「今年もずいき神輿が拝めた。良かったなあ」と、感謝とともに、住み続けられる地域の良さを改めて実感されることでしょう。

 

北野天満宮 ずいき祭
神幸祭 10月1日、2日、3日 御旅所にてずいき神輿、鳳輦ともにご鎮座
還幸祭 10月4日12時30分 巡行御旅所出発
后宴祭 10月5日