白壁の土蔵に塀、堂々とした門構えの民家が点在する石畳の道は束の間、昔の街道の雰囲気を感じることができます。
西国街道に面して建つ中小路家住宅は、平成20年、向日市で初めての国登録有形文化財に指定されました。この京のさんぽ道で「400年の歴史を刻む西国街道の旅籠」富永屋、「旧家に灯る地域を照らす灯り」中野家住宅に続き、西国街道の歴史を伝える古民家の3回めは、住まいである建物を「地域のサロン」として活用する道を選んだ中小路家住宅の中小路多忠也さん、睦子さんご夫妻にお話を伺いました。
今につながる170年ぶりの改修
中小路家の祖先は、菅原道真の一族で、大宰府へ従った後に、京都へもどり、道真を祀る長岡天満宮を造営したと伝わっています。中小路家に伝来する古文書などから、400年近く前から現在地に住まわれていたと推定されています。家の西側には、都のあった長岡京時代には、外国からの使者を乗せた船が着いた小畑川が流れています。現在の建物は170年前に建てられてから内蔵の増築など多少手を加えたところはありますが、座敷まわりは今日まで大きな変更なく維持されてきたことがわかっているそうです。
歴史のある建物は、現代の暮らしには不向きな部分があることを、これまでの取材のなかでお聞きしました。「虫籠窓は素通しなので風や虫はもちろん、鳥やヘビまで入って来てました」という睦子さんの話に仰天です。お母様が高齢になられたことから、寒さ対策と段差をなくす「中小路家の平成の大改修」と言えるリフォームで、安全で快適な住まいにされました。そして、ほぼ同時期に国登録有形文化財の打診があり、指定を受けました。そこで「遠くへ出かけなくても、近所で音楽を聞いたり、みんなが集まって楽しいことができたら」とイベントを企画して喜ばれ「活用しながら保存する」活動が始まりました。
内へ入ると、忠也さんが好きな竹久夢二の絵や、ご子息とのご縁のある、大正から昭和にアール・デコの画風で活躍した京都の画家「小林かいち」のコーナーなど、時代を経た和の空間にモダンな雰囲気がいい感じに調和しています。襖や神棚もあるスペースは、知り合いの家へ来たような気分になります。手さぐりで始め、それから10年。中小路家住宅は、人がつながり、様々な文化に触れる地域のサロンになりました。
ずっと来られるように、元気でいたい
畳敷きの座敷や洋間を会場に、様々なイベントが行われています。クラシックやジャズ、浪曲や落語、能、人形浄瑠璃等々ジャンルを問わず驚くほど多彩な企画です。お客さんが希望した企画が、お客さんの「つて」で実現するなど人のつながりが企画の輪を広げていきました。歌声喫茶やジャズコンサートはロングランの人気企画です。また、娘さんも強力な助っ人です。「手書きでない回覧板にしたい」「年賀状をパソコンで作りたい」などの要望があり、娘さんの指導による「パソコン教室」も開かれるようになり、そこから、お茶、アクセサリー、ピアノなど教室も増えていきました。パソコン教室は「スマホ教室」的になるなど進化もしているそうです。
インターネットで中小路家住宅を検索すると、よく「喫茶」でヒットしますが、この喫茶室の始まりもお客さんの声でした。
イベントの時、飲み物をサービスしていたところ、回を重ねるうちに「普段もここでゆっくりお茶したい」とリクエストがあり、さらに「何かちょっとしたものが食べたい」となり、ケーキやオムライスなどメニューが増えました。家を公開してイベントを企画した段階で、睦子さんが喫茶の学校で勉強し、飲食提供に必要な内容を取得されています。
多くの人が注文するオムライスは「ああ、この味」という、なじみのあるおいしさです。お客さんは、今どきのふわふわした卵の厚みのあるオムライスはお好みではないそうです。「注文ごとにオムライスを作るのは大変ではないですか」と聞いた時「いつも子ども達に作っていたので」と、ほほえんで答えました。「ここへ来ると落ち着くし、楽しい。これからも来られるように元気でいようと思う」とは、取材時に見えた常連のお客さんの言葉です。
地域にあってほしい、人と人が言葉を交わし、気持がやさしくなれる場所です。
これからを考えながらも今日も楽しく
今、お二人が心配しているのは地震などの自然災害が起きた時のことです。忠也さんは「想定外のことが起きた場合、お客さんに何かあったら大変です。耐震について工務店などとも相談しましたが、こういう古い建物は難しいようで、まだこれといった対策が決められていないのです」と話されました。昨年の台風では、蔵の壁の漆喰が一部はがれてしまったそうです。部分的な補修だけではだめで、全体を塗り直さないとならないそうです。こういった補修など維持管理費は大変なものであることは想像に難くありません。「それにだんだん歳もいくしね。いつまでできるかな。最初は10年だけのつもりで始めたので。お客さんも年齢がいって、畳に座るイベントはできなくなったし」「でも、行きあたりばったりでやって来たのに、あっと言う間の10年やったなあ」と、感慨深げにお二人で顔を見合わせました。
今後のことを考えれば簡単には決め難いことが多いと思いますが「今は、どっちがお客さんかわからない」常連さんや、観光で訪れる外国の人や若い人も含め、中野家住宅が西国街道沿いに「暮らしながら活用する」みんなが集う場として存在することの大きさを改めて感じました。
保全と活用の課題はさらに増えていくと考えられます。当事者でない、一般市民の私たちも、代々の努力で継承されてきた建物や町並み、暮らしの文化について考えていくことが大切だと思います。
建都も、住み慣れた家で安全に快適に住み続けられること、そしてそのことが景観を保全することにつながるよう、力を尽くしてまいります。