朝6時30分 喫茶チロルの開店

すでに太陽が高くのぼっている夏の日も、まだ暗く、息が白く見える真冬も、開店は変わらず朝6時半。喫茶チロルは、昭和43年4月開業、今年で51年を迎えました。常連さんも旅行者も「おはようございます」「いらっしゃいませ」と笑顔で迎えられ、「ありがとうございました」「お気ばりやす」の言葉で見送ってもらい、みんなが、あたたかく満ち足りた気持ちになれるお店です。

お客さんが喜んでくれることが一番


JR二条駅から御池通りを東へ進んだ角。格子のはまったガラス窓と、赤と黒の縞模様の軒先テント、かわいい看板がかかった建物が見えます。外観も店内も、なんとなく山小屋の雰囲気があります。喫茶チロルは、先代の秋岡勇さん、登茂さん夫妻が開きました。息子さんが後を継ぎ、登茂さんは今も元気にお店に立っています。チロルは「子どもにも言える、だれもが覚えやすい名前」であり、また、山や写真、クラシック音楽が好きだった勇さんの感性と、「お客さんに愛される喫茶店に」との、お二人の思いがこめられています。

メニューはずっと一緒で、ホットケーキもアイスクリームもない店ですが、コーヒーの味わいとともに、まろやかな辛味のきいたカレーは、必ず注文するファン多数の名物です。そして満腹できる定食も品数多く用意されています。これは、近所で仕事をしている人たちのお昼ご飯のために「カレーだけじゃ、ちょっと気の毒」と考えられたメニューです。「アジフライ&コロッケ」「鯖の塩焼き」「てりやき丼」などもあり、「目玉焼きのせ」とか「おかずの組み合わせ・追加できます。ご相談ください」と書かれています。
「こんなに種類があると大変ですね」の問いかけに「お客さんが喜んでくれるから」と、力まない、まっすぐな答えが返ってきました。毎日、奥の厨房でつくる気取りのない美味しさは、多くの人にうれしい、お昼の楽しみです。

朝の始まりに元気をくれる店


6時半に開店してすぐは主に、毎日通う常連さんで、モーニングのメニューも、組み合わせは自由になっていますが、「フルコース」のひと言で注文が通じます。「おかあさん」と呼ばれ、お客さんから慕われている登茂さんが「二人合わせて153歳の珍コンビ」と笑うベスト相方さんは、赤いエプロンに黒のベレー帽、スニーカーも赤で合わせた、チロルにぴったりのコーディネートで、きびきびと立ち働いています。
お客さんの「お姉さん」という呼びかけに「そう呼んでもらったら、返事も良くなる」と言って笑わせ、朝から店内は和気あいあいの空気です。7時過ぎには、ガイドブックを持った人や、外国からの旅行者など、次々とやって来てほぼ満席になりました。厨房担当の息子さんと3人での見事なチームワークで、みんなが心地よい時を過ごすことができます。

「お待たせしました」と、いい感じに焦げ目がついたトーストと、黄身のゆで加減がちょうど好みのゆで玉子が運ばれて来ました。ゆで玉子は、つるんと殻がむいてあって、まだほんのり温かみが残っています。飲み物を持って来てくれた時は「手盆ですみません」新しいお客さんが入って来た時は「すぐに整えますので、ちょっとお待ちくださいね」と、言葉を添えられます。親しげな雰囲気のなかにも、きちんとしたチロルの応対はさわやかで、とても気持ちよく感じます。
そして笑顔で「おおきに、ありがとうございました」と見送られると、今日一日頑張れる気がしてくるのです。

今も京都に根付く、喫茶店文化


チロルの壁には、写真や山が好きだった初代が、明治・大正時代の京都駅や嵐山などの大きく引き伸ばした写真を架かけています。歴史を実写したこの写真にみんなが注目し、話の糸口にもなります。また、チロルをイメージしたデザインのカードなどが置かれたおなじみさんのデザイナーのコーナーもあり、その下にお客さんのために、度数が強・中・弱と揃った老眼鏡が置いてあって、微笑ましく思いました。

京都を拠点にして、舞台や映画、テレビ等、活躍めざましい劇団「ヨーロッパ企画」を主宰する上田誠さんは、デビュー前からチロルで脚本を書いていたという、古い常連さんの一人です。訪れた人がメッセージを書き込む「ヨーロッパ企画ノート」は、もう3冊目になっています。最近の若い人は何でもSNSですますとか、字を書くことをしないなどと言われますが、このノートを見ると、それぞれが自分の思いをしっかり書いています。これも発見でした。

「ここでデートして結婚して、子どもを連れて来てくれたり。なかには30年ぶりに来て、この店まだあったんかとか、おかあさん生きてたか、なんて言う人やら。そういう時は本当にうれしい」と。そして「人それぞれ好きなことや、思っていることがあるから、私はそれを聞くだけ。いい聞き役になることが大事やと思ってます」と続けました。

「2日続けて休んでいたら、もうそわそわして、早く店へ出てお客さんと話がしたい」と思うそうです。「コーヒー飲んだこともないのに店始めて。にこにこ笑って食べてもらって、みんなに愛される店にと思ってやってて、気が付いたら50年たってたの」息子さんは「京都には昔から喫茶店文化があると言われてきました。お客さん同士が知り合って、いろいろなつながりが生まれます。そういう喫茶店を残していきたいと思っています」と話されました。全国紙に地方紙、スポーツ新聞もあり、テレビも見られて「コーヒーを飲みながら新聞を読んで出勤する」今では少なくなったタイプの喫茶店です。
暮れやすい秋の日差しが、窓辺に差し込む閉店前の静かな時間もいいものです。
毎日が楽しいことばかりではないけれど、チロルへ来れば、何となく心が軽く明るくなります。一日の始まりも終わりもチロルの、だれにもやさしい空間が待っていてくれます。

 

喫茶 チロル
京都市中京区門前町539-1
営業時間 6:30~17:00
定休日 日曜日、祝日