「ヘタ」と名付けた 職人の矜持

かつては地元京都民が週末の外出を楽しんだ新京極も、清水や嵐山などと同様に多くの観光客でにぎわい、外国語が飛び交っています。
繁華街の新陳代謝は激しく、店舗も入れ替わっていますが、ずっと同じたたずまいのお店を見るとほっとします。そのなかで「ヘタな標札屋」という強烈な名前の看板と言えば「ああ」と思い当たる人は多いと思います。「へた」は腕に覚えのある職人の心意気です。
ひさしを並べるお隣は、泉式部ゆかりの誠心院というこれ以上ないほどの、京都な立地の、表札とともに手の仕事が伝わる陶器が並ぶお店で話をお聞きしました。

観光都市の繁華街の表札屋

新京極商店街
常日ごろに使う商店街というより、観光で訪れた人や、家族や友だちと食事や買い物をする新京極。そこにある表札の専門店の存在が際立っています。「光昭堂」は昭和10年(1935)の創業ですから今年で88年を迎えました。明治になり東京遷都ですっかり意気消沈してしまった京都をまた盛り立てようと、当時の槇村正直京都府知事が付近の寺院の境内を整備して造った南北の通りが、新京極です。芝居小屋、寄席、そして映画館や飲食店が立ち並んでとてもにぎやかだったようです。
へたな表札屋 光昭堂へたな表札屋 光昭堂
光昭堂はその新京極の変遷を見つめてきました。「ヘタな標札屋」と名付けたのは先代で「自分の書く字に誇りを持っていたのやと思います。ヘタと言い切るとこがすごいと思います。」と語ってくれたのは当代の奥様です。当代は大学の法学部で勉強した人でしたが「息子は父親の跡を継ぐもの」として粛々として表札の仕事についたそうです。
へたな表札屋 光昭堂
現在はマンションが増え、表札を目にすること自体少なくなっていますが、それぞれの家にふさわしい表札はまさに「家の顔」です。年月を経た木造の家、モダンな時代を写した家など、表札はその家の一部のようです。
材質も桧、桜などの木質に大理石、陶製など多種多様です。それぞれの注文に合った文字を書ける書き手に仕事を割り振るのも仕事です。和装業界の悉皆屋さんのような、言ってみればプロデューサーのような役目と言えるでしょうか。
「大学の法科を出て、その勉強はこの仕事に直接関係なかったけれど、英語ができたので外国のお客さんと話しが通じてたしね。英語を日本語に訳して文字を書いてあげて喜ばれました」そして「人間だれもみんな、いくつになっても勉強が大事やね。勉強することで人は大きくなっていく」と続けました。けれんみのないその言葉は、しっかり胸に響きました。

表札と陶芸の共存、新たな選択

安藤陶房の器
表札とともに店内のかなりのスペースに並んでいる陶器は宇治市の炭山工芸村に「安藤陶房」を構える娘さん夫妻が作製しています。清水焼の伝統に学びながら、自由に日常的に使える食器がつくられ、その数々が、暮らしの一場面のようにディスプレーされています。
「私の父は清水焼の問屋をしていましたので、子供の頃から食器は清水焼でした。娘たちがつくっているのは土ものなので、最初は磁器とは口当たりが違うなあと思いました。けれどなれると、土ものは水分を吸いますから、ご飯が美味しくて。土ものの良さですね」作品はつくった人の個性があらわれるそうで、娘さんははっきりした性格なので作品も大胆なものが多い。反対に娘婿さんは、絵付けなども優しい雰囲気なのだそうです。
安藤陶房の器
外国の風物をもとにしたエキゾチックな文様、野原に咲いてるかのような花一輪など違う個性が湯呑、ご飯茶碗やカップなど、日常使う食器が思い思いに彩られています。どうぞ手に取って見てくださいと、すすめてくださったので、ひとつずつたなごころで包むようにして見ていきました。手にすっきりおさまります。探していたのは少し大ぶりの湯呑みでしたが、青磁色をしたフリーカップに決めました。下のほうに、ぐるっと金彩が施されています。厚く盛るように描かれた金彩は、下のほうのぐるりだけというのも潔いデザインに感じます。ろくろと絵付け、夫婦合作と聞きました。店内には清水焼の問屋をしていた頃の茶器なども展示品として置いてあり、土ものとの持ち味の違いを知ることができます。
安藤陶房の器
表札の店に陶器を置くようになったのは、少しでも展示する場所を増やし、娘さん夫妻の助けになることを考えてのこと。多くの人にまず知ってもらうことが大事と踏み切ったそうです。今現在、陶芸も他の伝統産業も従事する人が少なくなっている現状があります。そのようななかで、例えばこうした「異素材」の手仕事を組み合わせることもできれば、また新たな展開が生まれると感じます。
へたな表札屋 光昭堂
「新京極も本当に変わりました。これまでと同じ場所で店を続けているところは本当に少なくなりました。うちも跡継ぎは決まってませんけど。でも身内でなくても、だれかこういうことに興味を持つ若い人が、インターネットも使いながらこの店をやってもらえたら、きっと面白いことができると思います。そういう人はどこかにいると思いますしね」そして最後に「私もまだまだ勉強することがあります。人間は勉強せんとね」とくり返されました。「ヘタ」に込められた職人さんの誇りと志を教えられました。志ある若い人が「光昭堂」のヘタの心意気を継承されるよう、願っています。

 

光昭堂(こうしょうどう)
京都市中京区新京極通六角下ル中筋町487-6
営業時間 11:00〜
定休日 なし

鍾馗さんと 町家のある京都

梅雨の曇り空の下に、鈍く光る屋根瓦が、低層の町並みに、落ち着いた美しさをつくりだしています。その屋根には、風雨に耐え、魔除けとして家を守る鍾馗さんの姿が見えます。
京都は、昔から鍾馗さんを大切にしてきました。普段は見上げることしかできない鍾馗さんと間近に出会えるという興味深い企画を知りました。町家を改装したシェアオフィスを会場にした「瓦と鍾馗さん」へ行って来ました。

屋根から下り立った鍾馗さん

町家シェアオフィス ミセノマ町家シェアオフィス ミセノマ
会場は築約100年の、生糸問屋、そして内科小児科医院として使われていた京町家です。
西陣の生糸問屋としての風格とともに、町内のかかりつけのお医者さんとしての親しみも感じる空間です。
玄関と広い表の間に、鍾馗さんが「百体百様」といった趣で並んでいます。鍾馗さんは古代中国の歴史上の人物で、鬼に襲われた悪夢から玄宗皇帝を救ったという逸話から、鬼を払う神さまとして祀られるようになりました。やがて、瓦製の鍾馗さんを民家に置くようになり、関西、特に京都は多くみられるそうです。
町家の空間をうまく生かした展示に、それぞれの鍾馗さんたちの個性を発揮しています。迫力のある「本家」鍾馗さん、表情もしぐさも愛嬌のある鍾馗さんと、ゆっくり対面するように楽しく見ていきました。格子を通してさし込む淡い午後の光が、陰影をつくりだして作品としての魅力を感じさせてくれます。

鍾馗さんをプロデュースしている光本瓦店の光本大助さんは、多くの社寺仏閣、文化財、民家の仕事にかかわる瓦職人「現代の名工」です。瓦屋根の工事現場で古い鬼瓦や鍾馗さんに出会います。光本さんによって「救出」された、職人の技がひかるその一部も展示されていました。
珍しい狛犬も、ちゃんと「阿吽」の2体揃っています。これは穴をふさいだりした所をそのままむき出しにしないように取り付けたものだそうです。職人さんの高い技術とともにあそび心、しゃれ心が感じられ「粋やねえ」と声をかけたい気持ちになります。腕もいいけれどセンスも光っています。
瓦屋根の現場からは、たくさんのことがわかるのだと知りました。とても奥が深い仕事です。
NEW STYLE NAOKO PRODUCE
きれいな衣装を身に付けたかわいい鍾馗さんが目を引きます。これは娘さんのなお子さんの作品です。子どもの頃から、ものを作ること、それも絵をかくなど平面よりも立体が好きだったそうで、大学で陶芸を専攻し、卒業してからも陶芸家を目指し、経験を積みました。愛らしい3体は「NEW STYLE NAOKO PRODUCE」として発表しています。
「鬼師さんの鍾馗さんは迫力がありますが、私のは、家の中でにらみをきかす、かわいくて、楽しい新しい鍾馗さんです。」家に帰って、こんな鍾馗さんが迎えてくれたら、魔除けだけでなく、思わず微笑む癒しの鍾馗さんになってくれそうです。

光本なお子さん
光本なお子さん

なお子さんは陶芸の技法と異素材が融合した、独自のアクセサリーを制作していますが、師匠について日常に仕える器も手がけています。土をろくろで成型する時「手が覚えてきたな」と感じると語ります。土と向き合っている人の確かな実感です。
「今回の展示は師匠が担当してくれました」とのこと。帯を使ったディスプレーや、ひな壇のような並びなど、この町家の空間がみごとに生きた展示でした。これから様々な、なお子プロデュースの「NEW STYLE」が生まれてくるのか楽しみです。大助さんと二人で「父娘の温故知新」のような企画展を思い描きました。

シェアオフィスを地域に開く取り組み

町家シェアオフィス ミセノマ町家シェアオフィス ミセノマ
リノベーションされた町家シェアオフィスは、現在3つの事務所が入っています。できるだけ元のかたちを残そうとした改修で、そこここに、かつての人や営みを感じることができます。○○銭という墨の文字も鮮やかな、壁の下張りの反古紙もそのままです。水屋や格子など使えるものは使い、建具などの一部は、古道具店で探してきたものもあります。
季節の草花が自然そのままに生けてあるのも、清々しく、建物に沿っています。すべてスタッフのお母さまが育てているものだそうです。
町家シェアオフィス ミセノマ町家シェアオフィス ミセノマ
展示の間だけでなく、奥の仕事スペースも見せていただきました。はしりのスペースをうまく生かし、りっぱな梁が通った高い天井、緑が気持ちをリフレッシュしてくれる庭など、すばらしい環境です。
医院として地域のみなさんに親しまれた家だったこともあり、表の間を、商家の「店の間」に見立て、地域のみなさんに参加してもらえる「ミセノマ」企画を行っています。今回の「瓦と鍾馗さん」で25回を数えます。6月16日には、光本大助さんの「瓦と鍾馗さんのお話」も開かれます。光本さんは「京都府瓦工事組合」町家を再生し次世代へ受け継ぐための相談窓口である「京町家作治組」「古材文化の会」などの活動もされ、京町家とそれを支える職人の技術の継承に取り組んでいます。
「ミセノマ」がある笹屋町通は京のさんぽ道でご紹介した「カフェ オリジ」の近くです。町並み保存と環境を保つ取り組みを、地域でされています。
課題をかかえながらもそれぞれの場所で「京都のまちと暮らし、生業」を成り立たせる営みが続けられていることを感じました。

 

光本瓦店有限会社
京都市北区大北山原谷乾町117-8

 

町家シェアオフィス「ミセノマ」
京都市上京区笹屋町通 大宮西入桝屋町601

京都のろじの ひとり出版社

京都に変わらずあってほしいもの「喫茶店、映画館、おとうふ屋さん」そして「本屋さん」。
伝えること、知ること、楽しむことの手段はインターネットによることが多い一方で「紙」の確かな手ざわりや個性を、好ましい、捨てがたいと感じている人も少なくないと思います。しかし、現実は出版社や書店が置かれた厳しい現状は続いています。
今回はそんななかで「本の周辺にいて、飽きることがない」と語る根っからの本好きの編集者、ひとり出版社「烽火(ほうか)書房」と書店「hoka books」を運営する嶋田翔伍さんに、話をお聞きしました。

ひとり出版社の「のろし」をあげる

嶋田翔伍さん
京都には古書店も含め、老舗あれば、店主の思いが色濃く反映された新しい書店もあり、それぞれに持ち味があり、本屋めぐりの醍醐味を味わえます。
嶋田さんは出版社で編集者として勤務した後、2019年に「烽火書房」をたちあげました。「烽火」とは「のろし」と読みます。勇ましいイメージの社名ですが、嶋田さんご本人はいたっておだやかで、やさしい雰囲気の方です。「烽火」には「情報がおどろくほどの速さで、全体を網羅するように広がっていく時代にあって、小さくても届くべき人のところに届き、その人にとって意味あるものになる本づくり」という思いがこめられています。
「斜陽」と言われる出版・印刷業で独立するには、よほどの覚悟や強い意志があったことと思いますが、身の丈にあった「小商いと考えています」「好き放題、大きなことをやろうとは思わない。アーティストではなく、編集者なのだ思う」と続けました。
烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
出版した本やhoka booksに並んだ本にも「必要とするだれかに届くのろしのように」という思いを感じます。本の仕入れや棚の並べ方について嶋田さんは「本の編集と同じです。いいなと思う本、だれかに手に取って喜んでもらいたい。そういう出会いのある空間になるようにと思ってレイアウトしています」と話してくれました。デジタルとは別の匂いや質感を感じる空間です。

AFURIKA DOGSのカラフルな布
AFURIKA DOGSのカラフルな布

2階は京都で様々な分野で仕事をしている仲間を中心に、意欲的な企画展が行われています。先月は烽火書房から出版された「Gototogo一着の服を旅してつくる」の著者、中須俊治さんがたちあげた「AFURIKA DOGS(アフリカドッグス)」のアフリカンプリントの展示会がありました。アフリカのトーゴ共和国から中須さんとその仲間たちと一緒に、日本にやって来たたくさんの色鮮やかな陽気な布の魅力と可能性は、多くの人を幸せな気持ちにしました。
烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
取材時は、交流のある出版社との「3社合同フェア 本をつくるし、売りもする」という意欲的な企画展が行われていました。三社三様の個性が打ち出された本が並び、とても刺激を受けました。

仲間とろじ、だれかに届く本をこれからも

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
堀川五条近くの路地の入口に「本」と、これ以上ない簡潔な看板があります。路地の入口はわかりにくいことが多いのですが、これは迷うことはありませんし、雰囲気になじんでいます。こうした調和も大事なことだと感じさせてくれます。
嶋田さんは上京区で生まれ育ち、出版社勤務時代を除いてはずっと京都で暮らしています。
hoka booksのある堀川五条のあたりは、子どもの頃、旅行へ出かけた帰り「ああ、遠くから京都へもどってきたんやなあ」と感じる、日常の生活圏とは境界を隔てた場所だったようで、京都市内でも「上京と下京では違う」そうです。
書店と事務所を兼ねられる所をさがしていて、偶然見つかった町家でした。書店の共同運営者の西尾圭悟さんは建築の専門家で、内装を進める際には、家主さんに、建築基準法など法律に関することをはじめ、きちんと説明をされたことで、良好な関係が結べたそうです。

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
町家の面影を残す階段

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
木の棚など什器の多くは、2018年に新潟県で行われたイベントで現地調達した木材を再利用しています。作業は仲間で協力して進めました。京町家の趣や基本は守りながら、新鮮な雰囲気を感じる、他にない書店になっています。この路地を訪ねてまず目が行く、側面の藍色の陶器もご縁つながりのなかで誕生しました。伝統の技がこんなふうに生かされることは、本当にすばらしいことで、入口の木製のドアも含めていろいろな分野、得意な技術や知識を持った仲間の協力を感じました。
烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
書店、本の販売という仕事について嶋田さんは「編集者は本が完成すると頂上をきわめた、さあ下山という気持になりますが、本はそこからが始まりで、売って下山なのだということを、親しい出版社の営業さんに教えられました」と語りました。そして自社の本だけつくっていると何が正しいか、本当にやりたいことは何なのかと、かえって。迷うことがある、そうした時、他の視点、違う分野で仕事をしている人の考えにふれることが大事だと気づいた。三社合同の今回の企画に参加した出版社のベテランの営業さんから「自分の本、自分とこの会社の本だけ売れたらいいのと違う。みんなで協力して、業界全体がよくなることを考えんとだめだ」と言われたと、実感をこめて話してくれました。

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
前述の烽火書房出版「Gototogo一着の服を旅してつくる」も並べられていました

開催中だった「本をつくるし、売りもする」の企画展でも、書体も含めた色使いやデザイン、使用する用紙など隅々まで、つくり手の気合が伝わる本が並んでいました。観光や出張の人が「京都駅に近い本屋」をインターネットで検索して訪れることも度々あるそうです。
「ここは商業的な匂いがしなくて、暮らしている感じや雰囲気があるのでそれにふれてもらうことができるのもいいなと思っています」、言葉のはしばしに「町内の人」となっている感がにじみます。
毎日の暮らしと同じ地面で本をつくり、売る。他府県や外国から訪れた人は、何年たっても記憶の引き出しから取り出すことができる、かけがえのない思い出になることでしょう。本と紙、印刷、路地と人。ここには普段の京都との出会いが生まれ、新しい縁がつながる大切な場所です。これからも、小さくてもだれかの心に届く、のろしをあげつづけていくことでしょう。

 

烽火書房・京都 ろじの本屋hoka books
京都市下京区小泉町100-6
営業時間 13:00~19:00
定休日 月曜、火曜(営業情報はInstagramTwitterでご確認ください)

大学の街に 今日もコーヒーの香り

緑したたる季節は、若々しい学生の街に似合います。左京区の京都大学周辺は、学術的な空気と、普段の学生生活をうかがわせる親しみのある雰囲気があいまっています。そんな学生の街にふさわしいもの、あってほしいのは本屋と喫茶店です。
京都大学の周辺の、それぞれ物語のある喫茶店や古本屋さんは、以前より少なくなっているとは言え、現在も健闘しています。百万遍の交差点から少し脇へ入ったところに、その喫茶店はありました。

ダンディーな初代マスターは明治生まれ

ゆにおんの外観
久しぶりに足を向けた百万遍で、落ち着ける喫茶店に入りたいとぶらぶら歩いていていました。「ゆにおん」と、やさしいひらがなで書かれた看板、高くそびえる棕櫚の木、緑に囲まれ年輪を感じさせながらもどこか愛らしさがあるお店がありました。少し汗ばむくらいの午後の日差しの中、中へ入るとほっと一息つける空間です。おやつの時間帯に、コーヒーとトーストのセットをお願いしました。
お店はお父さんから受け継いだという店主さんが一人で切り盛りされています。
コーヒーをいれたり、トーストを焼いたりしながらも気の置けない、楽しいやりとりが居心地をよくしてくれます。
壁に沿って趣きのある木彫の装飾が施され、見まわすとカウンターの食器棚などにも同様のしつらいがされています。木の色は飴色になり、このお店の雰囲気をつくりだしています。絵がすきで自ら絵筆をふるうこともあったという、お父さんが懇意にされていた作家さんの作品ということでした。
ゆにおんの天井照明
天井の灯りはお父さんがつくられたそうで、芸術に造詣が深い型だったのだなと、そんな会話をはさんで運ばれてきたセットは、しっかり噛みごたえがあって小麦の香りがする天然酵母のパンに、新鮮ないちごミルクがついていました。たまごサンドもおいしくて、すべてがきちんとていねいに作られています。
味とともに「作ってくれた」というあたたかさを感じます。カップやグラスも、お店の雰囲気と調和した味わいがあるものです。自家焙煎のコーヒーは香り高くしっかりした味わいでした。
ゆにおんのトーストセット
ゆにおんは開店から今年で75年を迎えました。初代は明治生まれですが、毎日きちんとチョッキを着て店に立ち「本当に喫茶店のマスターでしたね。娘から見ても本当に格好よかったです」という言葉に、会ったことはないけれど「さぞ、素敵だっただろうな」と思いをはせました。
カウンターの奥には見守っているかのように、やさしい顔立ちのマスターの写真が置かれています。聞けば店主さんもずっと一緒に仕事をされていたそうで、父娘で紡いできた年月が、ゆにおんのおだやかな空間をつくりだしているのだと感じました。
ゆにおん
壁には多くの絵画がかけてあります。「すきなものをかけてある」という言葉の通り、それぞれの個性を放ちながら調和しています。テーブルや花瓶に入った季節の花もすべてが、自然体であるべき場所に置かれています。飾ったり、奇をてらうことのない姿勢が、だれにとっても居心地のよい場所になっているのだと感じます。

歴史や文化は日々の営みの積み重ね

ゆにおんの店内
ゆにおんの店内は、さほど広くはありませんが、とてもいい感じにレイアウトされています。窓の取り方もおしゃれです。建物はその時々の補修をしながら、基本的には変えていません。前は木のドアでとてもいい雰囲気だったのを、代えないとならず今のドアになって、とても残念と話されました。現在のドアもいい感じだと思いますが「どんなドアだったのかな」と想像してみたりしました。
清風荘
窓から見える向かい側の鬱蒼と繁る木々の緑にいやされます。この広大な敷地は「清風荘」と言い、明治時代に首相を務め、立命館大学を創設した西園寺公望の別邸で、現在は京都大学の所有となっています。
新緑の今もすばらしいですが、秋の紅葉は、それは見事なのだそうです。お客さんが「ここに座って、こんなきれいな紅葉見たら、わざわざ他所へ行かんでもええわ」と言われるそうです。
お客さんは初代の頃からの常連さんや京都大学の先生が多く、90歳になった方も来てくれるそうです。なかには久しぶりにやって来て「おお、まだあったか」と言われると笑って話されました。

おとうさんは明治まれですが、その年代の人にしてはめずらしく、偉そうにすることがなく、家族をとても大切にされていたそうです。お孫さんに「おじいちゃん、この宿題教えて」と言われて勉強をみたり、絵を描いていると「上手やなあ」と、とてもうれしそうにされていたということです。曾孫さんもかわいがり、危なっかしい抱っこをしていたという話を、ほほえましく聞きました。
お客さんや周囲の人々に愛されたお人柄を感じます。明治時代にはとてもめずらしい、大恋愛の末の結婚だったとか。自由で愛情深く「コーヒー、喫茶店」という進取の分野に乗り出した明治の京都人です。98歳で亡くなる少し前までカウンターに立ち、お客さんと話しを交わしていたという見事な生き方を聞き、京都の文化、京都のまちの深さを感じました。

ゆにおんのメニュー
手書きのメニューの横にはさりげない彩りが

店主さんは「これまで、いいこともあったけれど、本当に大変なこともたくさんありました。それでもずっと店を開け続けてきました。あきらめへんことやね」と語ります。大学院生の若い人もよく来てくれて「若い人はこんな古い店より、新しいきれいな店のほうがいいんと違うの」と言うと「ここは静かで落ち着けていい」と言って来てくれるそうです。世代を超えて、香り高いコーヒーと喫茶店文化は、京都の学生街に息づいています。
「気まぐれやから」という営業は、だいたい10時開店、閉店は午後4時です。話しているうちに時間切れで頼めなかったプリンを、次回はぜひと思いを残しながら、あたたかい気持ちで帰路につきました。

 

ゆにおん
京都市左京区田中大堰町92
営業時間 10:00~16:00
定休日 日曜日
(ただし営業時間、休業日は変更となる場合があります)

猫がつなぐ 幸せの帽子と普段着

気分がはずむ帽子、どこかへ出かけたくなるデニムパンツ。そして「こんにちは」といった表情のハチワレねこのイラストもほのぼのとした町家工房に出会いました。
帽子やおとなの普段着を、一点一点ていねいに製作する「ハンサム・ベレット」です。いつもの最寄駅ではなく、手前の駅で降りて見つけました。たたずまいやディスプレーから「きっと楽しいものがある」と感じて訪ねました。やはりそこは、猫と人、人と人がつむぎだす幸せな空間でした。

「こういうのがほしい」思いがかたちに

ハンサムベレット
四条から三条商店街までの大宮通は、老舗の京料理店あり、居酒屋に飲み屋横丁のような路地ありというふうに飲食店が多くありますが、地元の商店街といった渋い落ち着きを感じる通りです。
そこに「ハンサム・ベレット」はあります。ウインドー越しに見える帽子や洋服、「看板娘」のようなトルソーや、ディスプレーに使われているミシンにも味わいを感じます。「たたずまい」という言葉がしっくりしてこの通りの風景をつくっています。
ハンサムベレット
ハンサム・ベレットは布作家のご夫妻がユニットを組んで営む「おとなの普段着」をテーマに、帽子や洋服、その他バッグなどを製作する工房です。
髪に悩みがあったことから、洋裁の技術があったので、自分で作った帽子をかぶっていたところ「それ、いいな。私にも作って」とリクエストされたことが始まりだったそうです。持ち込んだ布や洋服を使ったリメイクやセミオーダーにも応じ、お父さんのジャケットや大好きな布など、それぞれに愛着ある一点が生まれ、たくさんの物語をつむいできました。
ハンサムベレットのパンツハンサムベレットのパンツ
以前は工房内でいろいろなタイプの帽子を販売していましたが、今は「はきやすくて、カッコいい」ボトムスが評判を呼び、ネット販売や受注製作が主になっています。ストレッチ機能のあるデニムはめずらしいのですが、長年の付き合いのある仕入れ先から入ります。
ゆったりしたデザインですが「シルエットがきれいでスタイルが良く見える」と好評です。「ストレッチでウエストがゴムなんて、おしゃれじゃない」という大方の思い込みを、うれしいかたちで裏切る定番商品になりました。年配の方に支持されているのかと思いきや、小さなお子さんのいるおかあさんたちにも喜ばれていると聞き「ユニバーサルデザインとは、こういうことなのか」と思いました。
ポケットの位置や大きさ等々、細かいところまで行き届いた丁寧なものづくりで、多くの人が信頼し、またワクワクしながら注文しているのでしょう。生地は「岡山デニム」や国内製造の生地を主に、デザインや雰囲気に合わせて海外のヴィンテージも使います。

ハンサムベレットの帽子
柄にも猫があしらわれたハンサムベレットの帽子
ハンサムベレットハンサムベレットのヘアバンド
ツィギーのヘッドトルソーに飾られたヘアバンド

このベレー帽が一つの完成形というものや、リバーシブルタイプで何通りにも楽しめるターバンもとてもおしゃれです。
「自分自身がこんなのがほしいな、いいなと思うものを作っています。悩みというものは人それぞれで、他人から見たらどうってことないことかもしれませんが、本人は気になったり辛かったりします。あきらめないでその悩みをときほぐす、おしゃれなアイテムがあれば喜んでもらえます」と話されました。性別や年齢、体形にかかわらず、だれもがおしゃれを楽しめる世の中は、いい世の中だと感じました。

猫がいるから今がある

ハンサムベレットのロゴマークの猫
トレードマークになっていることからも察せられるように、工房の内外に、製品にとあちこちに猫と遭遇します。それが少しもうるさいとか、盛り過ぎを感じさせない、ごく自然に「そこにいる」といったふうです。
お二人とも深い愛情を持って猫と暮らし、仕事をしています。以前、野良猫のおかあさんが「これからこの子たちをどうぞよろしくお願いします」というかのように、仔猫たちを連れてきたことは、ハンサム・ベレットの物語が展開した時とも言えます。野良猫かあさんが連れてきた仔猫から生まれた仔猫の家族を探して奔走したり、保護猫活動にも参加されてきました。猫を通して多くの人とつながりができ、猫との暮らしから、やさしく楽しいものが作り出されています。
以前この京のさんぽ道でご紹介した猫本サロンのある「三条会」の商店街もすぐ近くです。
ハンサムベレットのミシン
今はディスプレーに使っているミシンは前の持ち主の方から「ここなら大切にしてくれると思うから」といただいたそうです。「家主さんやご近所さん、三条会のみなさんとは、いいお付き合いをさせていただいてお世話になっています。この棚も、トルソーも、昭和なラジオも気にかけてくださって、いただいたものです」と続けました。
この地に根をおろして14、15年ほどですが、2回も町内会の組長を務め、お地蔵さんなど地域の行事のお世話もされ、すっかり地域の一員です。

ハンサムベレットの猫たち
お手製の猫ちゃんたちの紹介ボード

工房のキャラクターになっているのは「カイちゃん」です。すてきなイラストは自作だそうです。愛情があふれています。ハンサム・ベレットのアイテムは猫柄であっても、子どもっぽいかわいらしさではなく、理屈ではなく「猫が好きな人、わかっている人が選んだ」となんとなく伝わるすてきな生地です。
猫とともにある暮らしはものづくりの大きな力になっています。お二人は「すべて猫がつないでくれた縁です。今あるのは猫のおかげなのです」と語ります。ホームページやSNSでは、猫のベル、アサ、ソラ、アトム、ハル、テラの日常やモデルとしての活躍ぶりが見られます。みんなでハンサム・ベレットの「家業」を盛り立てています。ゆったりのんびりした空気が漂い、みんなが優しい気持ちと笑顔になれる工房です。ぜひ一度お訪ねください。

 

ハンサム・ベレット
京都市中京区大宮通六角下る六角大宮町207
営業時間 10:00~17:00頃
定休日 不定休

新京極で70余年の ハイカラ菓子

満開の桜を見る人であふれかえる、高瀬川沿いから、新京極へ進むと、ここもまた海外の人も多く、にぎわっていました。京都で一番の繁華街の入口はいつも、ふんわり甘い匂いと「カッシャン、カッシャン」という楽し気な音が迎えてくれます。
「子どもの頃から大好きなお菓子」という人の多いお店です。観光で訪れた人はお菓子が作られる工程が見える様子に、思わず足を止めて見入っています。
創業70余年の「ロンドンヤ」の看板商品は「かすてら饅頭ロンドン焼」ただ一品という潔さです。今も「ハイカラ京都」味を守り続けています。

洗練された和菓子を感じる普段菓子

ロンドンヤのロンドン焼
「かすてら饅頭ロンドン焼」は、戦後間もない京都で「ハイカラなお菓子を作りたい」と、その頃はまだ新しかったカステラ生地を使ったお菓子を考案したことに始まります。名前もハイカラにと「ロンドン」を付けたそうです。その響きやカタカナ文字の雰囲気がハイカラに感じられたのでしょうか。
ふんわりしたカステラ生地のお饅頭は、やっと迎えた戦後の暮らしに明るさを与えてくれたことと思います。「ハイカラなお菓子を作りたい」という創業者の思いには、多くの人にお菓子を食べる幸せを感じてほしいという願いも込められていたように感じます。
ロンドン焼は「あきないおいしさ」「また食べたいと思う味」という人が多い、気の置けないおやつのような身近なお菓子です。白こしあんのさらっとした甘さと生地との調和は、洗練された京都の和菓子がみなもとにあるように感じます。意識されたわけではないかもしれませんが、こういうところに京都の文化や技の積み重ね、歴史を思わせます。
ロンドンヤのロンドン焼
機械がかすてら饅頭を作っていく様子は、一種のショーのような楽しさです。生地の入った丸い型が一周すると、くるっとひっくり返ります。オートメーションの機械なのに、祇園祭などで見る「からくり」のように見えて、ほほえましくなります。
しかし、すべて機械まかせにしているわけではなく、火加減や油の引き加減、開店速度など常に微調整が必要なのだそうです。そして最後に、丸い型からはみ出した生地を切り落として形を整えるのは手作業でないとできないと聞きました。やはり手の仕事が必要なのです。
ロンドンヤのロンドン焼
見て感心するのはお菓子作りだけではありません。お菓子は一種類だけですが、10個箱入り、15個箱入り等々、また簡易な「へぎ包み」や、すぐ食べる人には小袋に入れるなど、そのつど対応されています。注文聞いて箱を折り、焼きあがりを入れた木箱から素早くへらで取り、きれいに箱に詰めて包装します。そして会計です。
それをたった一人でされています。その流れるような手際のよさは、これも職人技です。行列に並んだとしても、目の前で繰り広げられる見事な実技を見ているので退屈せず、いらいらすることもありません。
お店で聞こえるのは、注文の確認と、商品を渡す時の「お待たせしましまたありがとうございます」というやりとりだけです。余分なこと、ものがないすがすがしさもロンドンヤの好きなところです。

子どものころの思い出は今も健在

新京極商店街ロンドンヤのロンドン焼
新京極にほど近い所に生まれ育った人が「子どもの頃、「しょっちゅうロンドンヤのガラスに顔をくっつけてカッシャン、カッシャンいうて回る機械を見てたわ。隣りの漢方薬屋さんに、ヘビの入った大きなガラス瓶があって、もう怖くて怖くて。いつもロンドンヤの前に行ってた」「おかあちゃんが買い物の帰りに買ってきてくれるとうれしかった」「いつもロンドン焼を持って来てくれるおばさんがいた」など、楽しい思い出と結びついた話をしてくれました。
ふと思いついて、生まれてこの方、ずっと町なか暮らしの知人にロンドン焼を渡したところ「うわー、ほんま久しぶり。なつかしい」と喜んでいました。新京極はお店の入れ替わりが激しい繁華街ですが、そのなかでも何十年も続くお店もしっかり残っています。
ロンドンヤのロンドン焼
急激に変化する状況のなかで、商店街やお店を続けていくのは本当に大変なことと思います。そのような環境のもとでも、今求められていることは何かを考え、新しいことにも取り組んでいます。
ロンドンヤも抹茶生地のロンドン焼を月に一度、販売しています。500個限定、売り切れご免です。また、日持ち2週間の個包装もあり、遠方のお客様の求めに応えています。
本道をしっかり守り、その本道を歩み続けるために、新しいことも柔軟性を持って取り入れていく。まさに「ハイカラ京都」の精神と感じます。京都の奥深さ、底力です。そして、そのことは京都に暮らす喜びでもあります。それを噛みしめた、一日でした。

 

ロンドンヤ
京都市中京区新京極四条上がる仲之町565
営業時間 平日/10:00~19:30 土曜、日曜、祝日/10:00~20:00

純国産メンマと 旭米の進む道

啓蟄の暦どおりの、小さな虫たちも活発に動き始めたような春の日「メンマを食べて竹林再生を」という、楽しくおいしそうなテーマの会がありました。この京のさんぽ道でも、京筍やメンマ作り、伝統的構法の農小屋おひろめなどをご紹介しました石田ファームのメンマ作りのメンバーと、お手伝いしてくださったみなさんが集まりました。
背丈ほどに伸びた「幼竹」(ようちく)を伐り出して、湯がいて塩漬けにしたメンマの試食会です。ここでいうメンマは添加物ゼロ、たけのこと同じように使えます。家庭でも手軽に使える食材としての魅力を引き出し、広げることで、竹林の保全と荒れた竹林の再生につなげたいという願いがこめられています。当日はメンマを使った創作メニューが豪華なワンプレートとなって登場しました。
旧上田家
会場は向日市にある、国の登録有形文化財の「旧上田家住宅」です。おくどさんで炊いたご飯は、石田さんが手塩にかけた農薬、化学肥料不使、天日干しの、現在のコシヒカリやあきたこまちなどのご先祖の「旭米」です。今回の京のさんぽ道は、多くの豊かな出会いがあった、すばらしきかな春の一日のおすそ分けです。

ゆるやかに集まり、得がたい体験

石田ファームのメンマ作りメンバー
この集まりは、石田ファームをホームとしてメンマ作りをする「メンマメンバーズ」の「竹乃舍」(たけのや)が企画しました。
昨年5月に仕込んだメンマの試食を中心に、かかわったみなさんへのお礼と、今後このメンマを広げていくためには、どんなことが考えられるか、何が必要かを出し合い、共有する場にしたいと企画されました。
「自宅でおしゃれな一皿が出せるパーティ料理」の教室を主宰しするLisas(リサス)さんが、他では出会えない「創造的メンマ料理」のワンプレートを完成させてくれました。Lisasさんは、パーティのようにおしゃれな一皿とともに「帰宅して15分で作れる、家族が喜ぶ普段のごはん」を大切にしています。当日も豪華版でありながら「今日からすぐに家で作れる」ヒントがたくさんあるメニューで構成されていました。すべてに「竹乃舍製メンマ」が使われていて、みんなうれしそうでした。
猫柳
もうひとかた、この日の特別参加は、多くの人から「山野草の師匠」と頼りにされているバカボンさんご夫妻でした。朝、大原の里で摘んだ野草と、黒文字と猫柳の枝を抱えて来られました。うす暗い土間に春が舞い込んだようでした。
山野草のことはもちろん、おどろいたのは石田さんが育てたお米の稲わらを「ええ、出汁がでる」とメンマの味付けに使われたことです。その微妙な味わいが感じられるだろうかと少し心配でしたが、とても楽しみで、はじめての体験に期待がふくらみました。
出し取り用の稲藁旧上田家のおくどさん
炊きあがりの時間を計算して、おくどさんに火が入りました。薪をくべるのはコツがいりますが、そこは今まで大量の幼竹メンマを湯がいた経験がものを言い「火の番」は安心してお任せされています。
ゆるい集まりで、時間割もおおまかなのですが、みなさんそれぞれ自分ができることを見つけて手を動かしています。バカボンさんご夫妻に教えてもらいながら、つくしのはかまを取ったり、稲わら出汁で煮たメンマに黒文字や松の小枝を刺す作業はとても楽しそうでした。なんとなく「おとなの課外体験教室」のような雰囲気でした。
さいころ切りにしたメンマの姿はチーズのようです。松葉をあしらうと緑の色がすがすがしく、お祝いの席にもよさそうです。バカボンさんは、そのあしらいを「和の心。日本の料理人の心です」と語りました。味だけではない、食の楽しみと奥深さを教えてもらいました。

つくしのはかま取り

「バカボン」さんに松葉を使っためんまのあしらいを教わりました
中央がみんなに教える「バカボン」さん

羽釜がシュルシュルと湯気が上がり始めました。みんが「せっかくだからおこげが食べたい」と希望するので、火の勢いを調節したり、火焚き番はなかなか大変です。
旧上田家住宅として公開されているこの建物の六代目当主、上田昌弘さんが見えて、おくどさんに火が入っているのを見てうれしそうに、火吹き竹を出して使い方を教えてくれました。「私はこの家でずっと暮らしていましたから、愛着があります。これからもこの建物を大切に残していきたいです」と話されました。家、建物はそこに住んだ人々の歴史も刻まれている家族の暮らしの証しなのだと、しみじみ思いました。
旧上田家のおくどさん石田ファームのメンマ試食会
奥座敷での会食は、久しぶりに食卓を参加者みんなで囲んで話ができる、楽しいひと時となりました。ワンプレートの他にも、みなさん持ち寄りの、おいしいものが並びました。
たっぷりふきのとうが入ったふきのとう味噌、箸休めにぴったりの小かぶの酢の物等々。伊根町の鯖のへしこや「京太のはちみつ」メンバーの伊藤君が琵琶湖で獲ったわかさぎの自家製燻製には「これはビールか日本酒やなあ」の声に笑いと賛同の声が聞かれました。去年の春を思い出しながらメンマと自然の恵みの野草、八十八の手間ひまとお天道さまの力を借りて育てたお米を味わいました。本当の「御馳走」でした。

竹林とメンマを広く知ってもらうために

石田ファームのメンマ試食会
右端が石田ファーム、竹乃舎代表の石田昌司さん

メンマで構成されたお昼ご飯をいただいた後、感想やこれからメンマを広めるうえでの、提案などの意見交換がありました。
竹林整備と抱き合わせて、福岡県糸島市から始まった「純国産メンマ」作りは今全国的に広がり、味付けされた「ご当地メンマ」を販売している例も多くあります。石田ファームのメンマは塩漬け後に、塩抜きをして食材として使ってもらう、または「おうちでメンマ」として幼竹のまま渡すこともしています。
「メンマという名前が、ラーメンに入っているあれ、という固定したイメージを持たれてしまう。こんなにいろいろな料理に使えるのだから名前を変えたら。いっそシンプルに竹にしては」「たけのこと同じように使える。穂先はきれいな形なので、それを生かして、形が大事なお節料理などに使いたいと思う。値段は少々高くても、そういう時期は必ず、国産の安心できる食材の需要はあると思う」「たけのこと比べて、幼竹メンマが優れている点ははっきり言って見当たらない。けれど、メンマを作ること、使うこと自体が放置竹林の解決、京都の美しい竹林を残すことにつながる。そこに共感してくれる人をどれだけ増やすか」「現在、出まわっているメンマやたけのこ水煮の90パーセントが輸入されています。そういう食料自給率の観点からも、安心な国産のメンマを普通の家庭で使ってもらえるようにしたい」「メンマ以外にも、竹の特性を生かした製品が誕生している。紙や繊維など、竹の可能性も合わせて知る機会を増やして、つながっていければ」などの意見が交わされました。

切り方やあしらい次第でチーズのようにも見えるメンマ
切り方やあしらい次第でチーズのようにも見えるメンマ

メンマは部位によって食感が違う点をうまく利用したり、和洋中どれにもなじむ使い勝手のよさがあるので食材として広げられる可能性、素材としての竹が優れていることに、みなさん手ごたえを感じられていました。

メンマと旭米の可能性を夢見て

らっきょむさん
メンマ試食会に参加されていたなかに、石田さんの田んぼのお田植や刈り入れに協力されている向日市の「一穂の会」(いっぽのかい)の紙芝居屋さん、「らっきょむ」さんが来られていました。週末の向日市で家族で楽しめるイベントがあり、そこで旭米のブースも出しますとお話されていたので行ってみました。
旭米
今人気の品種のお米のご先祖、旭米は、向日市がふるさとであり、戦後間もない頃までは、西日本で一番多く生産されていたそうです。そのような歴史と大切なお米なのに、現在は生産農家が本当に少なくなってしまいました。
「一穂」の会は、この旭米を広げる活動をしながら町おこしにつなげようと活動しています。一穂ははじめの「一歩」を踏み出そう、という意味も持っています。
らっきょむさんは向日市の小学校や学童保育所で、紙芝居を見せて旭米を知ってもらおうと一生懸命です。イベントでは古い脱穀機で稲を脱穀するコーナーを担当されていました。
足踏み式脱穀機
Z世代のその先となる小学生たちですが、足踏み式の脱穀機での体験は大人気で順番待ちをしていました。自分のからだを使って、普段自分たちが食べているものがどのようにして届いているのかを知る機会となり、とてもよい企画だと思いました。現在はふっくら粘りがあって甘みを感じるお米が人気で主流です。そのようななかで、旭米は、はっきりした味や食感を感じにくいお米となっています。
言ってみれば、はっきり甘みを感じるお米に比べて、ちょっと素気ないような感じでしょうか。らっきょむさんは「いろいろ食べ比べる機会があれば」と考えています。確かに、味付けの濃い料理には相性がいいように思います。
石田ファームの竹林
竹林や京都の筍、旭米も、これからは、職業も世代も様々な人がつながる、多様な参加の仕方がますます大切になってくると感じました。もうすぐ、長岡京市、向日市など乙訓地域を中心に、京筍の出荷の忙しい季節を迎えます。竹林や田んぼがつくりだす美しい景観が守られ、農業がなりわいとして成り立つ世の中を願ってやみません。
そのためにも、京のさんぽ道も、小さな歩みでも、京都の日々の暮らしをしっかり受け止めていきたいと思いました。メンマと竹林に旭米、そして旧上田家住宅と、みんなの出会いに、夢をかなえるものと感じることができました。

 

石田ファーム 長岡京市井ノ内西ノ口19-1

旧上田家住宅 向日市鶏冠井町東井戸64-2
開館 9:30~16:30
休館日 月曜日、毎月1日

人と人をつなぐ 花街の宿

春は桜に柳。鴨川べりの枝垂れ柳が芽吹き、桜のつぼみはまだ固いものの、日ごとに開花が近づいていることを感じます。街中には、舞妓さんや芸妓さんがほほ笑む、春の踊りのポスターがはり出され、いっそう華やいだ雰囲気が漂っています。
京都五花街のひとつ「宮川町」も、恒例の「京おどり」を4月に控え、お稽古に向かう芸妓さん舞妓さんの姿があります。この花街で、元お茶屋だった建物の旅館が、新たな展開を始めています。伝統建築の町家を気軽に、より多くの人に知ってもらい「人と人が出会い、新たなつながりが生まれる場」を目ざし奮闘するその人、藤田恵子さんの案内で「澤食(さわい)ツアー」を体験しました。
澤食 kyoto sawai
隅ずみまで職人の技が光り、はたまた迷路のような内部は、見ごたえ十分で、はじめて知ることも多く、京都に住んでいても花街とは縁遠い私たちにとっても、とてもよい機会になります。そしてこのように伝統建築を日常的に生かし、住み続けることで守られている京都の町並みにも思いを寄せました。

卓抜した技と常連さんの「私」を守る工夫

澤食 kyoto sawai
宮川町にあたる地域は四条より南、かつて鴨川の広い河原だったと思われ、江戸時代に町並みが形成されたとされています。芝居小屋が立ち、多くの人でにぎわった四条河原と同様、活気を呈していました。「宮川」の名前は、毎年、祇園祭の神輿洗いが四条より南で行われていたため、四条より南の鴨川を宮川と呼ぶようになったそうです。歌舞伎の流行と相まって、にぎわいは増し、人々をもてなすお茶屋が集まり、発展していきました。今の宮川町の美しい町並みと花街の始まりです。
澤食 kyoto sawai
澤食のパンフレットにお茶屋の建物の特徴が記されています。二階、三階の窓には手すりが付けられ、すだれをかける、もてなし空間の上階の階段を上がったところに「踊り場」があるなどです。そのほかは、格子、奥に細長い「通り庭」など一般に京町家とされる建物と似ています。
二階、三階がお客様を迎える空間です。まず感じたことは、各部屋につながる階段や廊下の狭い幅です。狭いというより、建物の表現にふさわしくないかもしれませんが「華奢でほっそり」した感じを受けました。建物の持つ魅力と持ち主の感性のなせるところなのか、どこか艶めいた、はんなりした雰囲気を感じます。
澤食 kyoto sawai 階段
狭く急な隠し階段から押し入れのような襖をあけると、一階から三階までまっすぐ通った、かつて昇降機があった吹き抜けが現れます。そちらから下をのぞくと、奈落の底へと吸い込まれるようで、怖くなります。「ここは元ふとん部屋だったのですよ」という話など、いちいちおどろいてばかりでした。
お茶屋も旅館も、常連さんがゆっくりくつろげなければなりません。そのためには、他の人と顔を合わさないですむようにという配慮があちこちになされていると推察しました。昇降機も、一階まで続く「かくし階段」も、緊急時だけでなく、お客様の「個」を守るために考えらえたのではないかなど、謎ときのようで興味は尽きません。
澤食 kyoto sawai

澤食 kyoto sawai 
伝統工芸のような和を感じさせるバスタブ

この建物は、登記簿の日付は明治30年(1897)ということですので120年以上歴史を刻み、建築当時の姿をとどめています。階段のらんかん、お茶屋建築の特徴を示す格子、天井や床の間の造り、ふすまに至るまで、この家にかかわった多くの職人の、静かな矜持を感じます。
一方、宿泊することに関しては、快適に整えられています。特に洗面所やお風呂の水回りの造作は、最新のものを設置されています。手間と時間、選び抜かれた資材など、贅を尽くした空間と現代の利便性を兼ね備えた、最上の旅の宿です。

知ってもらい使ってもらって残す道

澤食 kyoto sawai 藤田さん
宮川町が描かれている江戸時代の木版画を手にする藤田さん

澤食は、藤田さんの父方の叔母様が、お茶屋だった建物を買い取り旅館にして、昭和56年(1981)から平成29年(2017)まで営んでいました。
高齢になったことなどもあり、藤田さんが跡を継ぎました。藤田さんは兵庫県や大阪で教師をされていました。しばらくは通って、叔母様のお世話や手伝いをしていましたが、とても二足のわらじをはいてはやっていけないと思い、選択を迫られました。そして「叔母が大切に守って来たこの建物を受け継ごう」と決心し、退職して京都へ移り住みました。
花街は普通はなじみのないところですが、以前から通っていた藤田さんは、ご近所ともよい間合いの関係をつくっています。
澤食 kyoto sawai
4年前から、本格的に引き継ぎ、改修に着手しましたが、そこでコロナになってしまいした。「本当に思案に暮れる毎日でしたが、その期間にゆっくり、これからここをどのように活用したらよいか。それにはどんな方法があるか。伝統的なこの建物を生かし、これからも宿泊施設として続けるためのよい改修とはなど、考えることができました」と語ります。
改修も、可能な限り、元のかたちを残し、また宮川町の町並みを損なうことのないようにと強い思いを持って実行されました。

澤食 kyoto sawai
3階のすだれの合間からわずかに見える比叡山

見学すると、建物本体に加え、建具もしっかり残して今も使っていることに気付きます。それがなんとも言えない風趣をかもしだしています。お茶屋建ての特徴である格子、表に面したすだれ越しに見る通りは美しく、圧迫感のない低層の建物だからこその見え方なのだと感じました。
澤食は現在では希少な木造三階建てです。以前、三階の表の部屋からは真正面に八坂塔、左前方にはくっきりと比叡山が見え、反対側の西側は、宮川と名を変えて流れる鴨川が見えたそうです。どんなにか、よい風景だったことでしょう。
その少しの願望をかなえられるのが、藤田さん自慢のお風呂です大きく窓をとり、外が見えるようになっています。「全体的に居心地は、かなりよくなったと思います」と藤田さん。最初はどきどきしながらやっていたけれど、泊まった方に笑顔で帰ってもらうとうれしいと顔をほころばせました。
澤食 kyoto sawai 打ち掛け
現在宿泊する人の大半は、叔母様の時代からのご常連や知り合いの固定のお客様ということでした。その紹介でフランスやドイツからのお客様もあるそうです。
取材に伺った日は、少しでも伝統の建物を知って、関心をもってもらいたいと企画したお「お茶屋建て澤食を全部みるツアー」を開催されていた日でした。探検気分で狭い階段や和室の美しさに、歓声があがっていました。
一通り見学が終わると広い茶の間のような部屋でハーブティーととびきりおいしいお菓子で一服していただくという趣向です。みなさんとてもよかった、楽しかったですという感想でした。
ここでまた、おどろく企画がありました。叔母様の膨大な和装関係の収蔵品のひとつ、打掛を羽織って記念撮影というプログラムです。年代、男女問わず好評ということでした。教師をしていた経験から、こういうことを考えるのは得意なのだそうです。しっかり前職の経験も生かされています。

頼もしい友人と究極の夢「市民オペラ」

澤食 kyoto sawai フロランタン
毎日てんてこ舞いの藤田さんですが、一緒に楽しく澤食を支えてくれる、頼もしく心強い友だちの存在があります。
一人は澤食でも使っている、飛び切りおいしいお菓子を焼き、ほがらかなヨシムラさん。ハーブティーと一緒にいただいた何種類ものナッツが入ったフロランタンは、まじりけのないおいしさでした。ツアー中も参加者の案内や店頭に立つなど、軽やかに立ち働いていました。
もうひとりの強い味方は、叔母様の旅館を手伝い、ご自身も先斗町でお店を営んでいたベテランのミヤコさんです。お掃除からベッドメーキング等々、その経験が生きる、見ていて気持ちのよい仕事をされていました。
澤食 kyoto sawai ベッドメイキング
藤田さんもお二人を「本当に助かっています」と、とても頼りにしています。そして「この建物は不思議な力があって、人が集まって来て、ご縁を感じる出会いがたくさんあります。人のつながりが生まれる場所なのです」と続けました。
お茶をいただいた部屋は元ダンスホールだったそうで、古いガラス戸がよい雰囲気です。一段高くしたステージで、これまでも、宮川町の芸妓さん、舞妓さんを招き、舞を鑑賞して、料亭のお弁当をいただくという集まりもされてきました。
今年はさらにいろいろな企画を考えたいし、この建物をどんどん利用してほしいと語ります。それを通して、日本建築、和室の魅力を感じてほしいと願っています。
「日本建築のよいところは、とてもフレシキブルな点です。ベッドだと動かせないし、人数は限定されるけれど畳なら、布団を敷けば融通がききます。座卓も簡単に動かせますから。」元ダンスホールの棟はキッチン付きで一棟貸切りにもできます。まだまだ片付けが追い付かないと大忙しですが、実は大きな夢をあたためています。

澤食 kyoto sawai
ダンスホールを改装したお部屋

藤田さんは声楽家で、その仕事もされています。そして究極の夢は、今京都にない「市民オペラ」を立ち上げることです。それも夢のまた夢にするのでなく、着実に進めていく構想を描いています。
澤食の運営、経営だけでも、普通なら手に余りそうなのに、その上、一から始める京都での市民オペラ立ち上げとは。おどろくほどの行動力です。夢への思いを強く持っているからこそ、夢は実現するのでしょう。
人のつながりが生まれる、この場所がその後押しをしてくれると思います。

 

宮川町の宿 澤食(さわい)
京都市東山区宮川筋4丁目320

京都裏寺町 若冲ゆかりのお寺

裏寺町通り。短く「うらでら」と呼ばれる京都の繁華街の真ん中の通りは、お寺と個性的なお店が並び、京都だからこそと感じる独特の雰囲気をつくり出しています。
ここに伊藤若冲ゆかりのお寺があります。開創から740余年の歴史を刻んできた、若冲と伊藤家の菩提寺である「宝蔵寺」です。プライスコレクションをきっかけに、若冲の作品と人物像が広く知られることとなり「若冲ブーム」が起きました。宝蔵寺は、忘れられていた時代も含め、若冲が建立した墓石や所蔵する作品を修復し、守っています。
先日行われた「寺宝展」に伺いました。回りの環境は著しく変化して、お寺を見下ろすようなビルが建っても、宝蔵寺は変わりなく、おだやかな日々を願うお参りの人々をあたたかく迎えています。ご住職の小島英裕さんに話をお聞きしました。

若冲とその仲間が目の前に

寺宝展
寺宝展最終日は春うららの気持ちよい日となりました。裏寺町通には大きなお餅を捧げ持った大黒様が目を引く、寺宝展のポスターが道案内のようにはり出されています。
伊藤若冲は、宝蔵寺のすぐ近く、錦小路の青物問屋の長男として生まれました。若冲とは300年以上前からのご縁でつながっていることになります。宝蔵寺では毎年若冲の誕生日である2月8日に合わせて「生誕会」と「寺宝展」を行っています。今回は初公開の作品が3点、若冲筆の「髑髏図」「竹に雄鶏図」も展示されています。
宝蔵院
普段は公開されていない本堂では「若冲応援団」のみなさんが受付のお手伝いをされていました。こうした活動も、宝蔵寺を支える大切な力になります。廊下づたいに手入れの行き届いた中庭を見ながら展示場の書院へ。美術館とは違う、木造畳敷きの空間が作品との間を近づけてくれる気がします。実際に、直に間近に鑑賞できることはとても貴重です。
おかあさんと小学生の息子さんも「すぐそばで、直に見られることがうれしい。貴重なチャンスだと思って来た」と話してくれました。
芸大生支援プロジェクトの第一弾作品 漆
往年の画家の作品だけではなく、寺院の活性化と、芸術大学の学生活躍の場を提供する「芸大生支援プロジェクト」による漆の作品が2点展示されていました。若冲の髑髏図と松本奉時の蛙図が立体になるという刺激的な試みで、学生や若い作家をこんなふうに応援していくことはすばらしいと思いました。お寺と大学・芸術のコラボレーションという、このような活動こそ京都の本領発揮だと感じました。
若冲筆 竹に雄鶏図

中央は初公開「大黒天図」
中央は初公開「大黒天図」

若冲は、鮮やかな色彩や象や鶏、野菜などの絵の印象が強かったのですが、今回髑髏図と竹に雄鶏図を見て、これまでまったく知らなかった若冲を垣間見たと思えました。弟の白歳や弟子、影響を受けたと思われる画家の絵は、奔放というか自由というか、何物にもとらわれていない力強さ、そして軽さ、おもしろみやほほ笑ましさも感じました。
また大黒天図の「讃」の意味は「こころをただし、正直にして、陰徳につとめる 奢らずむさぼることもない。これを名付けて大黒となす」とあり、思わず襟を正す気持ちになりました。
またポスターになった「大黒天図」を描いた北為明(きたいめい)は、若冲の弟子とみられ、作品は希少なのだそうです。
住職のお話によると、確かにこの画家の作品とするには資料をさがして分析したり、研究者や各分野の専門家の力を借りて、本当にこつこつ地道な月日をかけて、あきらかにされるということでした。「離れていた点と点がつながり、そして掛け軸へつながって謎が解ける時がくるのです」と、話された表情は本当に明るくうれしそうでした。
寺宝展
若冲が参考にしていたという古色のついた二幅の大きな軸もありました。所蔵品の保管はさぞ大変だと思います。順番に函から出して、チェックしていくということでした。「木造ですごく寒いけれど、乾燥しているから保管にはいい」と笑って話されました。お寺という存在が果たしてくれている役割の大きさを感じました。

開かれたお寺への大きな力「どくろ」

宝蔵寺の御住職
寺町や裏寺町のお寺は普段は公開されません。宝蔵寺も「若冲のお寺」として認識されているのは研究者や美術関係など専門家がほとんどでした。住職は、観光寺院のようにはできないけれど、もう少し開かれたお寺にしたいと考え、住職に就任したら若冲の絵の公開をあたためていたそうです。それには何か関心を持ってもらえるもので、すそ野を広げたいと思い考えついたのがどくろの御朱印でした。

伊藤若冲生誕会特別ご朱印
伊藤若冲生誕会特別ご朱印

これがSNSで広がり、全国、全世界に存在する「どくろファン」の間に広がったのだそうです。ご自身も「どくろがこんなに反響と広がりがあるとは思いませんでした」と、うれしい予想外だったようです。住職自身も「得意ではなかったのですが」と言われていましたがホームページを充実させ、「双方向がいい」と、SNSでの発信をされています。反応があるとうれしいけれど、何もない時は「なぜかな」と少しがっかりするそうです。ちょっとほほ笑ましくもあるお話でした。印象的だったのは「本当にうれしい瞬間をアップするようにしている。自分が喜びを感じたことでなければいくら書いても読んでくれる人が喜びを感じられないでしょう」という言葉です。自分自身が感じた喜びを素直に、飾らず、おもねず綴ることの大切さを、自分自身に重ねて問いかけました。寺宝展は様々なことを気付かせてくれました。

お寺のあるまち、暮らすまち

宝蔵院寺宝展
若冲ファン、どくろファン、ご朱印ファンのみなさんの応援が大きくなり、応援する会も含めて「みなさんのおかげです。世話をする末裔の方もいなくなって荒れていた若冲が建てた伊藤家のお墓や、竹に雄鶏図の修復など、多くの人の協力があったからこそです」と住職は語ります。住職もお寺の仕事以外に大学や他府県まで出かけてお説教や法話をされるなどの宗教家としての役目や、この裏寺町の町内会長も務めています。
これまでこの京のさんぽ道では、ぞれぞれの地域に根をはり、家族で営む生業をいろいろご紹介させていただきました。今回宝蔵寺さんを取材させていただき、寺宝展を応援のみなさんと一緒に家族で支えている姿を見て、共通するものを感じ、裏寺町は人が暮らしているまちなのだという思いを深くしました。
お寺が集まっているから寺町の名がついた通りでしたが、移転され、そこが大きなビルになる例も増えています。バブル期とその崩壊、リーマンショックという経済の波、また現状まだ続くコロナと、私たちをとりまく環境は厳しい状況が続いていますが、望みも感じることができました。
宝蔵寺
受付の応援は息子さんの大学つながりの友だちでした。「自然を感じられる場所でとても気持ちがよくて、本当にいい経験ができました」と笑顔で話してくれました。まわりの環境は否応なく変化しますが、日々の小さな積み重ねが必ず生きていくと感じました。そしてお寺は静かに手を合わせれば、気持がおちつく、だれにも開かれた場ということを実感しました。

 

宝蔵寺
京都市中京区裏寺町通蛸薬師上る裏寺町587
通常は本堂の一般拝観なし
伊藤若冲親族のお墓へのお参り、御朱印、授与品 午前10:00~午後4:00
(ただし御朱印は月曜休み)

この場所と コーヒーとアンティーク

霜が降り、水たまりが凍っている今年の京都の冬です。しばらく前のこと、通りがかりに古びたがっしりした建物が目にとまりました。大きく「COFFEE」とあります。先日、近くに行った時に思い出し、ずっと気になっていた建物まで行きました。
そこはコーヒーの焙煎所とアンティークの雑貨や食器が一緒になった、住んでいる人の思いがやどる「だれかの家」のようなお店でした。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ドアのガラスにはWIFE&HUSBANDに続きDAUGHTERとSONの文字が見えます。「妻と夫」「娘と息子」という、まっすぐな名前に深い思いを感じます。オーナー夫妻の家族との日々も映し出された、かけがえのない空間です。
2015年に賀茂川のすぐ近くに自家焙煎のコーヒー店WIFE&HUSBANDを開いてから1年半たった頃、大きな焙煎所とアンティークが一緒になった空間としてオープンしたROASTERY DAUGHTER /GALLERY SONです。コーヒーの香りとともに、季節や時間によって、差し込む光が変化するゆるやかなひと時を送ってくれます。

 

古いビルが生きる焙煎所&アンティーク

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
新たな夢をかなえる焙煎所に適した場所をさがしていたオーナー夫妻が、やっと見つけたのが現在のビルでした。自然を身近に感じる賀茂川畔のお店とはまったく違う街中の古びたビルでしたが二人で「ここだ」とすぐに決めたそうです。
車が頻繁に通る堀川通に面していますが、落ち着いた雰囲気はそこなわれることなく存在感があり、周囲とも調和しています。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
お店の1階はコーヒーの焙煎と豆の販売、2階はオーナー夫妻がこつこつ集めてきた多くのアンティークの食器や雑貨、ビンテージの洋服がwife&husbandの物語を紡いでいます。
そこに集められたものはフランスの19世紀から20世紀初めの食器や小物、そして日本の文房具や暮らしの道具など洋の東西を問いません。丹念にガラスペンで書かれた古いノートの文字の美しさにおどろいたり、反物の端に付ける下げ札の先端の、針より細いくらいのこよりにも、昔の人の手先の器用さに感服したり、あっと言う間に時がたちます。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
窓辺や壁、天井と、あらゆる空間に国の違いを超えて、人の手が作り、人が使ってきた時を刻んだもののあたたかさやおもしろみを感じます。
毎日の暮らしのなかで、元の使い方と違うものに転用するも楽しいでしょうし、何かに使うという目的がなくても眺めているだけで、気持ちをあたたかく包んでくれそうな気がします。時を経て今もあるもののよさを感じることができる空間です。

 

つくろいながら使い続ける

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONの金継ぎ
販売している古い食器や雑貨には時々「金継(きんつぎ)」が施されているものがあります。これはスタッフの方がされていると聞き、本当に古いものを受け継ぎ、すきになってくれるだれかに手渡す仕事をされているのだと感じました。
日本でも少し前までは、つくろい物をする夜なべ仕事が、ごく当たり前のこととしてありました。ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONは、つくろいながら使い続ける暮らし方を思い起させ、そのことはそんなに難しく考えなくてもよい、自分が心地よいと思えることでいいのだと応援してくれている気持ちになります。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
1階にもアンティークの小物が前からそこにあったようにたたずんでいます。最新の焙煎機とともに、コーヒーの麻袋やアンティークがある風景は、始めて来た人にもおなじみの気安さを感じさせてくれます。
海外からのお客さんもゆっくりと滞留しています。きっと心に残る日本の思い出になることでしょう。

 

お店をみんなで育てている

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ビンテージの雰囲気のユニフォームが似合い、自然な笑顔がすてきなスタッフさん。何か聞いたり、商品をじっと見ていた時に、スタッフの方みんなが的確に答えてくれたり、声をかけてくれたことがとても印象的でした。
みなさん、本当にこのお店が好きで大切にしていることが伝わってきました。コーヒー豆を選別し、お客さんを迎え多くの古いものの様子を確認しながらの毎日を尊く感じます。

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
焙煎前、焙煎後と2回行うコーヒー豆の選別

賀茂川畔のwife&husbandと次に生まれたROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON はこれから、スタッフのみなさんと一緒に育てる家のようです。これからもゆっくりと通いたい空間でした。

 

ロースタリー ドーター/ギャラリー サン
京都市下京区鍵屋町22
営業時間 12:00~18:30
定休日 不定休(ウェブサイト営業カレンダーでご確認ください)