お寺は今も 地域のよりどころ

お寺とは今の私たちにとってどんな存在でしょう。お盆やお彼岸にお経をあげていただくくらいのお付き合い、お寺によってはお庭やご本尊の拝観といったところでしょうか。
「縁がないなあ」という人がほとんどのこの頃、お寺の存在、果たす役割は大きいと感じます。少子高齢化とそれにともなう家族構成や、まちの成り立ちの大きな変化によって「つながり」を持つことが難しい現代に、西本願寺の門前町の面影が今もなお漂う界隈に、地域に開かれ、様々な催しで人と人がつながるお寺があります。法話会や落語、コンサート、学生主催のイベントなど、堅苦しいお寺の敷居をぐんと低くして、みんなが軽々と自由に楽しく集まる「一念寺」の住職、谷治暁雲さんのお話は、まさにお寺と人が育む門前町のまちづくり物語です。

古い歴史のある寺院の再生

一念寺
取材に伺ったのは、ご住職がお経をあげに行かれ、戻られたばかりのお忙しい時でした。「明日お願いします」とお願いされることも度々あると聞き、お参りを大切にされている方にとって、お寺はなくてはならない存在なのだと感じました。
一念寺は西本願寺の門前町にある浄土真宗本願寺派の寺院です。戦国時代(1528年)に創建されたという記録が残っています。明治初期に建てられた現在の建物の、落ち着いたたたずまいは門前町の品格も伝えています。
一念寺
門から本堂までの庭は、少し逸れたように配置された敷石の妙、自然な雰囲気の植えこみなど、茶室の路地のような趣を感じます。そして、すぐにご本尊の阿弥陀如来様と身近に対面することができる、みごとに考え抜かれた構造です。「こじんまりしたお寺」とよく言われるそうですが、その言葉の通り、厳めしさではなく、おだやかなやさしさを感じる空間です。
一念寺の谷治住職
谷治住職は「在家(ざいけ、出家せずに普通の生活をしながら仏教に帰依する)」の人で、大学の専門は社会福祉でしたが、卒業後、仏教の専門学校で研鑽を積み、ご縁があって一念寺を受け継がれました。プロテスタント系の幼稚園へ通い、小学生の頃は毎週教会へ通っていたそうですので、本当にご縁なのだなと感じます。「スカウトされたのです」と茶目っ気のある話しぶりも、場をなごませてくれます。本堂は阿弥陀様はじめ大きなろうそく、お花やなどが「これ以外ない完璧なバランス」で配置されています。当時の名もない職人たちの美意識や感性、それを実際にかたちにした技は本当にすばらしいと住職は語ります。

「一念寺へはじめて来て、前の住職と話した時も、今座っているこの場所でした。この位置から見た阿弥陀様や内陣が本当にすばらしく、導かれているように感じました」とその時のことは今も鮮明です。その導きともいえる出会いから2000年に一念寺を受け継ぎ、自身の人生もお寺も新しい歩みを始めました。

仏教と理系が融合した「DIY」のお寺


受け継いだ時の一念寺は、雨漏り、崩れかけた壁、草が伸び放題の庭など大変な状態だったそうです。本堂以外にも中庭や、渡り廊下の先には洗練された意匠の茶室もあり当初の持ち主の文化度の高さを感じます。
釈迦涅槃図、牡丹が描かれた襖絵や板戸など、何気なくその場にあるものも、美術品・書画骨董と言えるようなものです。おそらく江戸時代後期のものではないかと言われていました。こういった調度品や、木彫の牡丹と格子の欄間もみごとです。
一念寺の涅槃図一念寺の襖絵
日本の美にふれることができるのもお寺の魅力です。「本当は襖もきちんと修復したいのですが、そこまで手が回らなくて」と言っておられましたが、剥がれていた壁はまわりと色を合わせて塗り、雨漏りも自ら修繕し、電気関係や耐震対策も、法律にふれない範囲でみずからやっていると聞いて驚きました。
一念寺の欄間とスピーカー
木彫の牡丹に続く格子の欄間は現代のものですが、牡丹の古色に合わせて色を付けるなど、職人さんの巧みな技とともに美意識が生かされています。また、各部屋の鴨居にスピーカーを取り付け、催しをしている本堂の様子が聞こえるようにしています。楽屋にいてもスピーカーから舞台の進行がわかるのと同じです。そして話の合間に「メーカーはBOSE、ボーズです」とサービス精神満載なコメントもいただきました。

オンライン法要の様子
サイトでは過去のオンライン法要の様子も見られます

また以前通信関係の会社で仕事をしていた経験からネット環境を整え、ホームページで「ひとこと法話」「御門徒様 連絡用ページ」「趣味のページ」など情報発信しています。趣味のページは、浄土真宗の実践活動に関する「真宗学の部屋」、故障が出たタブレットを修復する「改造日記」とマニアックとも言える濃い内容です。「真宗学の部屋」は、宗教者の実践的な社会福祉活動について書かれ、現代社会にも共通する示唆に富んだ内容です。「改造日記」はその分野が好きな人にはとても興味深いのではないかと思います。
一念寺
お寺は会場としてだれでも気軽に低料金で使えるようになっています。住職は、催しは必ず撮影をして、次の時にはその画像を見て必要な状態に整えておいてあげるそうです。「出演者は、傷つけたらいけないとか準備にも、いろいろ気を使ってしまいますが、私ならここへ釘を打とうとかできますから」という心遣いです。「DIYの寺なんですよ」と笑って話されました。副住職を務める奥様の真澄さんと一緒に日々みなさんをお迎えし、奮闘しています。

門前町の地元の大切な拠点


以前、屋根にのぼって修理しているところを門徒さんが見かけて「住職さん、そんなとこのぼって危ないですよ」と驚いて声をかけてくれたそうです。ほのぼのとした間柄がうかがえます。一念寺を受け継いだ時、25匹いた猫の貰い手探しに奔走し、そんなつながりから「犬、猫との出会い」の譲渡会も行っていて、普段地元の人と話す機会がなかなかないマンションに住んでいる人も「ねこちゃん見に来たよ」と交流することができました。また、芸術文化や様々な分野にもお寺を活用されています。
一念寺は門徒さんを「メンバー」と呼んでいます。これはだれでも自由にお寺へ来て、人と会い、話をして楽しく過ごし、そこからまた人と人がつながっていくという思いからです。住職は「建物が持っている力、空間の持つ力」と表現します。
一念寺の谷治住職
若い人もここへ来ると悩みや思っていることを話せる、心が解き放たれる場に感じています。「空」という考え方はこだわりや、ねばならないという思いから解放されることと語ります。それは「自分はどう生きたいか」考え守るために大切なことです。お坊さんは、そういう人々の話を聞く役割を果たせると考えています。「仏教が培ってきた2500年の教えは今こそ生かすことができます」と続けました。お寺に人が集まることでお寺は若返り、今住んでいるまちにとって何が必要かをあきらかにして、みんなで共有することが大切です。お寺はそういった点で、ハブ的な役割を果たせる地域の拠点だと考えています。地域の課題を地域で解決していくことは、これからますます大切になります。
正面通
一念寺の隣の歴史ある番組小学校はホテルの建設が計画され、地域の運動会もできなくなっています。長引くコロナの影響でお祭りの中止も続いています。そのような状況のなかで社会の変化に対応しながら、京都の歴史に学び、その良さを生かしながら住む地域づくりに果たすお寺の役割はますます重要になると感じました。帰り道、本願寺にまっすぐつながる「正面通」界隈を歩くと、法衣や仏具、数珠を商う店や旅館があり、門前町の面影を残しています。暮らしと生業が今も成り立つまちであってほしいと願いました。

 

一念寺
京都市下京区東中筋通花屋町下ル柳町324

老舗の文具店 目印は真っ赤なトマト

学校の近所には必ずと言っていいほど文房具屋さんがありました。いい匂いのする消しゴム、かきかたえんぴつ、キャラクターのついた筆箱、おしゃれなシャープペンシル、ノート。そこにはたくさんのほしいものと、子どもたちとお店の人との他愛もない会話がありました。
そういうお店は今はめずらしくなってしまったなと思っていたら、ありました。店頭の真っ赤なトマトとイタリアンレストランのようなチョークアートの看板に引きつけられて行ってみると、ノート一冊、えんぴつ一本を、気兼ねなく買える「まちの文房具屋さん」です。中央卸売市場の近くで80年間お店を営む「マエダ文具店」の前田幸子さん、娘さんの小川知亜妃さんと夫の茂樹さんに話を伺いました。

夏休みの宿題解決の味方です

マエダ文房店
暦は立秋となり、早やお盆を迎えました。お墓参りやお供えのあれこれや、お盆の間の精進料理の決まりの献立を守っているお家もあることでしょう。夏休みも後半、そろそろ宿題や自由研究など、気になる頃でしょうか。
取材に伺った時も、小学生が小さな財布を握りしめてやって来ました。母親の幸子さんは「工作の材料や画用紙とかよく出ます。学校が始まる間際は、もう、ばたばたです」と笑いました。焦っても片付かず、親の手助けで何とか仕上げた思い出のある人もけっこう多いのではないでしょうか。そのあたりは昔も今も変わらないようです。
マエダ文房店
夏休みの宿題のかけ込みもありますが、たとえば便せんや封筒など「ここにあってよかった」と、ほっとしたお客さんに喜ばれています。「ノート一冊、鉛筆一本を買ってくれはる近所の方に来てもらって店が続いています」という言葉に「あってよかった」と思ってもらえる地域のお店としての筋を感じます。
以前は、子どもたちが登下校の途中に学用品を買うことも多く、朝は8時に開けていたそうです。今は集団登下校となりましたが「友だちと同じものを使いたい」「だいすきなキャラクターグッズがほしい」など、お目あてをさがしに来る子どもたちの、お楽しみワールドに変わりありません。

野菜の廃棄ロスを減らす野菜販売

マエダ文房店
手書きの看板や赤いトマトが印象的なマエダ文具店ですが、店内は創業80年の老舗のどっしりした構えに安心感があります。近くに中央卸売市場があり、そのなかの仲買さんとも古くからの取引が続いています。伝票、封筒、ハンコなど細々した事務用品を引きうけ、配達しています。

「赤いトマトを売っている文具店」として定着した野菜の販売は、知り合いの仲買さんから「サイズが揃わないなどで廃棄処分される野菜のなかには、食べる分には何のさしさわりのないものがたくさんあります。それを売ってほしい」と依頼されたことが始まりでした。
「文房具屋で野菜を売るのもなあ」という気持もあったそうですが、始めてみるとお客さんに喜ばれ、今では遠くからでも「箱買い」する人もやってくるそうです。今では、トマトと文具店は違和感なく「定番」となっています。トマト以外に、京野菜の万願寺唐辛子など扱う種類も増えてきました。
梅小路公園
近くには休日は多くの家族でにぎわう梅小路公園があり、帰り道に偶然、マエダ文房具店のトマトを見つけ、それが口コミで広がっているそうです。また、茂樹さんがこまめに発信するSNSを見て買いに来る人も多く、口コミとデジタルという両方の伝達手段で広がっているのは、理想的です。ことに口コミは、商品とお店の対応がよくなければ広がりません。
フードロス問題
この野菜販売から、いろいろなことが見えてきます。新しいチャンスを広げるきっかけになったのは、地元でもある中央卸売市場の仲買さんとの長い付き合いがあったこと、その販売が食品ロスを減らす、現代の社会に求められている課題解決につながることです。普段の売り買いが、本質的なことにつながっています。地域のみなさんから頼りにされるお店の大切さを改めて感じました。

新鮮な視点を生かした新たな展開

マエダ文房店
とても仲が良い前田さんファミリー

マエダ文具店の魅力は、伝票や帳簿など「伝統的」な事務用品や、子どもたちの学習帳、鉛筆など文具店としての基本がきちんと揃っていること、そして人気のキャラクターグッズや雑貨など、今求められているアイテムもセンス良くディスプレーされていて、双方のバランスがいいことです。
知亜紀さんは「かわいいな、置いたら店のなかも明るくなっていいだろうなと思う文具は、対象が中・高校生です。今はその中・高生が少なくなっているので、なかなか仕入れも難しくて」と語り、母親の幸子さんも「ボールペン一つとっても、どこそこのメーカーがいい、今度出た新しいのがほしいとか、ちゃんと指定されます。メーカーも競うようにして新商品を出しますしね。今はSNSなどで情報がすぐ伝わるので」と続けました。
マエダ文房店
そういった悩みはあっても、店内は「さすがに創業80年の文房具店と思わせる風格と、白木のをうまく配置したセンスのよいディスプレーに気持ちあがります。担当は茂樹さんです。きちんと計測して木の棚も自作し、全体のレイアウトもかえました。店内に飾られた絵も、名実ともにお店の看板となった、トマトのチョークアート、野菜売り場の干支看板も茂樹さんの作品です。「広くなった、きれいになった」とお客さんからも好評です。
マエダ文房店
またこれまでのように文具だけの品ぞろえでは大変なので、文房具店にもなじんで、喜んでもらえるものをと考え、駄菓子コーナーもできました。お店に入ってすぐのところにある、たくさんの駄菓子は子どものみならず、親御さんも、目がきらきらして「こんなん、どうや」と楽しんでいるそうです。親子のコミュニケーションにも一役かっています。
知亜紀さんは「私はこの家で育ったので、これはここに置くとか、どうしても今までと同じようにしか思いつかないのですが、夫はそういった先入観がないので、新しいことをやって、できあがったのを見て、なるほどなあと思いました」、幸子さんも「若い世代の人は考えることが全然違いますわ。野菜や駄菓子を売るようになるとは思っていませんでした」と、話してくれました。
ご本人の茂樹さんは、いたって自然体で、おだやかに「インバウンドの頃は。近所にゲストハウスが何軒もあって外国からの観光客が多かったので、おみやげにちょうどいい、京都や日本を感じられる手ごろな商品も置いていました。野菜や駄菓子、雑貨などが多少なりともそこをカバーしてくれています。トマトを置いたことで若い人も来てくれるようになりました」と話してくれました。
マエダ文房店
知亜紀さんが店を手伝い始めて8年、茂樹さんは4年たちました。文房具店としての基本はしっかり受け継ぎ「なんでトマトを」と言った時期から「真っ赤なトマトのある文房具屋さん」は、多くの人に親しまれ、知られるようになりました。
取材中にもトマトを買う人、おにいちゃんの誕生日プレゼントを選びに来たり、また「金封の白黒と黄白の水引はどう使い分けたらいいのですか」というお客さんなど、次々やって来ました。マエダ文具店は今年創業80年を迎えました。今、業種にかかわらず商品の値上げが続いています。このような厳しい環境も、80年間、地域で生業を継続してきた底力と新しい視点での変化を成功させた3人のチームワークで「地域の文房具店」としてともしびを灯し続けていくと実感しました。

 

マエダ文具店
京都市下京区七条壬生川西入夷馬場町35
営業時間 月曜~金曜9:00~19:00/土曜10:00~18:00
定休日 日曜、祝日

自然の恵みぎっしり 正直なパン

大徳寺の近く、新大宮商店街の一画にあるパン屋さんは、釣り竿のかわりに麦の穂をかついだ、えびすさんの看板が目印です。
レーズン酵母を自家培養し、国産小麦と沖縄の塩、湧き出る清水のような水だけで、ゆっくりゆっくり時間をかけて作るパンは、独特の香りと噛みしめるほどに感じる豊かな味わいにおどろきます。大切に「育てる」ようにして作るパンを「パンたち」と慈しむように語る、今年で開店満20年の「えびすやのパン」藤原雄三さん、嘉代子さんの、仲睦まじいお二人に話をお聞きしました。

サラリーマン時代からあたためていた夢

えびすやのパン
藤原さんは、サラリーマンだった時、定年後の第二の人生をどのように生きていくかを模索していたと言います。環境汚染やアレルギーの子どもが増えるなど、様々な問題が起きていました。そして「これからはスピードや大量生産を競うのではなく、もっとゆっくり時間をかけて安全安心の食生活を大切にし、自然の恵みをいただくことに感謝する時代に、きっとなる」と感じたそうです。
だれもが安心して食べられる安全な食品が大切だと考え、無農薬の農業をやろうと思い立ちました。ところが嘉代子さんに相談すると、賛成してもらえませんでした。なぜか「虫が苦手やから、ちょっとなあ」ということで農業は断念し、では何かと考えた時にひらめいたのがパン作りでした。
えびすやのパン
それからは独自に研究を重ね、あちこち材料をさがし、多くの素材を試し研究しました。そのなかで出会ったのが現在も使い続けている「北海道産小麦はるゆたか」「天然のおいしさの回帰水」「ミネラル豊富な沖縄の粟国(あぐに)の塩」です。そして培養するレーズン酵母は4日ほどかけて発酵させ、液をしぼり、小麦粉をまぜて約一日おいて天然酵母となります。

えびすやのパンは、このように小麦粉、水、塩、レーズンの4つの材料だけで作られています。「レーズン酵母、小麦粉、水、塩はそのままでは食べられないが、それぞれの特徴を引き出して、人がちょっと手助けをしてやればパンに生まれ変わる。素材も人もお互いに生きている。ゆっくりした時間とはこういうことだったのか」と、10年くらいした時、パンを作りながら、ふと気がついたと語ります。
「それは一生懸命作ってきたからこそ、そこに到達できました」と続けました。雄三さんのパン作りは、生き方や人生に対する考えそのものです。

「長く続けて」とお客さんからの声援

えびすやのパン
えびすやのパンがある新大宮商店街は、大徳寺の近くにある南北に長い商店街です。西陣織の伝統産業に携る職人さんの日々の暮らしを支えてきた商店街として、今も多くのお客さんが来やすく、世間話をする光景をよく見かけます。
えびすやも、おなじみのお客さんが多く「がんばって長く続けてや」と声援が送られています。あかちゃんのいる若いおかあさんからも「安心して離乳食にできる」と喜ばれています。
えびすやのパン
雄三さんは「パンたち」を作る時、いい子や、いい子や。おおきに、ありがとう」と声をかけていると言います。条件を整えてやれば、ちゃんとふくれてくれる、いい子たちなのです。「たまに手順や発酵の時間を間違えても、ちゃんとふくれてくれる。そういう時は、こっちのミスをカバーして、ふくれてくれて辛抱強い子やなあ。おおきに、おおきに」と、自然に感謝の気持ちがわいてくると続けました。
安全安心の素材との共同作業です。「発酵のスピードなど、その日その時によって違う。同じことはない。いつも違って難しいから、ものづくりはおもしろい」と、本当に楽しそうな表情です。
えびすやのパン
雄三さんは、今年の1、2月に入院しお店を休みました。退院後の静養中もいろいろと思案をめぐらせ、研究しました。これまでは仕込んだ次の日の朝に必ず焼かないとならないと思ってやってきましたが「一日冷蔵庫でねかせたらどうなるか」とテストをし、その結果「ちゃんと焼けた。うちのパンはすごい。ありがとう」という結果を得ることができました。
冷蔵で休んでもらう一日ができたことにより、体がとても楽になったそうです。「作っていける期間が伸びたかなあ」と、お客さんとの「長く続けて」という約束も果たせるでしょう。
えびすやのパンのレーズン食パン
今、原材料費が高騰しています。ことに酵母にもレーズンパンにも使っているカルフォルニア産のレーズンはすさまじい高騰が続いているそうです。仕入れ分が終わった時、どうするか。大変な難題が突き付けられています。雄三さんは、サイズを小さくしたりレーズンの量を減らすことはしたくないと、その点ははっきりしています。価格の変更は止むを得ないけれど、高くなった値段でお客さんはどうかなど、いろいろと考えています。
今、あらゆる食材の値上げや内容量を減らすなどが始まっています。こういう時こそ、作り手、売り手、そして私たち消費者が協同して乗り越える時だと思います。えびすやのパンもきっと、雄三さん嘉代子さん二人と、お客さんの歩み寄りで解決していけると感じています。
えびすやのパン
余った生地で作るかわいいパンをいただきました。わずか4センチ足らずの極小サイズながら、ちゃんと「あんぱん」です。食玩ではないのです。「ちびちゃん」と呼ばれて子どもたちにも人気です。ここにも、材料は無駄せず、あそび心を感じるパン職人としての雄三さんの気質が垣間見られます。

パンは夫婦二人からのメッセージ

えびすやのパンえびすやのパンのショップカード
えびすやのお店は、以前5年ほどパン作りを手伝っていた方が描いた、気分が明るくなる花の絵が飾られ、カウンターのショップカードや小物もかわいらしくディスプレーされています。嘉代子さんのやさしい雰囲気を思わせます。窓際にパンが並び、小さなカウンターの向こう側は、さえぎるものはなく、そのまま厨房になっています。オープンキッチンではあるのですが、こんなにオープンな店舗兼厨房は他に例を見ないのではと思うほどです。
えびすやのパン
最初からオープンキッチンにしたと思っていたかをたずねると、きっぱり「最初からです。小麦粉の袋、生地をこねる様子、大きなオーブン、すべてを見て知ってほしいと思っていたので。見られて困ることも、困るところも一つもありません」と堂々とした答えがかえってきました。
利益や効率を優先したら、自分が思っていることとは違ってしまう。開店した時からのこの覚悟と言うか、信念があったからこそ、4つの素材だけのパンを世に出すことができたのだと思いました。「やっていることは利益や効率最優先とは、真逆のことやから」と優しい口調できっぱり語りました。雄三さんの手の指は太くがっしりしていて、長年生地をこねてきたことにより、力の入る方向へ曲がっています。この手が20年間、えびすやのパンを作ってきたことを何より雄弁に物語っています。
「えびすやのパン」藤原雄三さん、嘉代子さん
今、お二人は「第三の人生のステージ」をどうするか相談しているのだそうです。できるだけ長くの声に応えてがんばるけれど、いつかは第2ステージも終幕になる。それはさみしい、悲しいことではなく、次の新たなスタートになるのです。
雄三さんは「安心して食べられるパンで、みんなに喜んでもらえて、第2の人生の選択はまちがっていなかった」と何回か口にされ「パンは夫婦二人のメッセージやなあ」と続けたのです。その確かな実感を持って、第3の人生を話し合っているのだと感じました。「えびすや」の名前は嘉代子さんの旧姓「胡(えびす)」からとったとのこと。このお店へ来た人がえびす顔になり、パンを食べてまたえびす顔になる、そんなイメージがわいてきます。
お二人の写真を撮らせてくださいとお願いした時、けがをして歩行が少し不自由になった嘉代子さんに何度も「ゆっくり来たらええから、ゆっくり」と声をかけていました。その姿は夫婦であり、まさにえびすやのパンの同志でした。奇をてらわず、おもねず、正直に焼くパンが、これからも多くの人の心も体もやさしく健やかにしてくれることを願ってやみません。

 

えびすやのパン
京都市北区紫野門前町45
営業時間 9:00~
定休日 日曜、月曜、木曜

祇園に佇む 現代アートギャラリー

観光に訪れた人々でにぎわう四条通や八坂神社あたりから一歩入れば、暮らしが感じられる界隈となります。そんな静かな通りの一画に、ガラス張りの白い建物のギャラリーがあります。
企画展の会期中は通りからも、展示の様子がうかがえます。現代的な建物でありながら、気取ったふうもなく、明るく開放的な雰囲気が感じられます。
祇園祭の鉾建てにわく日、「現代アートうちわ展」を開催中の「ギャラリー白川」のドアを開けました。オーナー池田眞知子さんのお話と執筆された著書から、画廊という発表の場、その役割についてはじめて知ったこと、感じたことを綴ります。

今年で39年を迎えるギャラリー

ギャラリー白川
自宅から見える白い建物の空き店舗を眺めていて「お茶を飲める、可愛い画廊」が目に浮かんだことが、ギャラリー白川の始まりでした。絵の好きな人や作家さんが訪れ、徐々に企画した展覧会を開けるようになりましたが、やがて「世界のアートを自由に紹介したい」という思いがつのり、家族の理解と協力を得て単身パリとニューヨークへ飛び立ちました。

オーナー池田眞知子さんの著作「35年をこえて 偶然を必然に ジョン・ケージからはじまる」
オーナー池田眞知子さんの著作「35年をこえて 偶然を必然に ジョン・ケージからはじまる」

1980年代の躍動感あふれるアメリカンアートの魅力は目にまぶしいほどだったと著書のなかで語っています。何度か訪れるうちに、多くの美術関係者ともつながりができ、京都で紹介できるようになったそうです。ジョン・ケージ、サム・フランシス、フランク・ステラ等々、現代の美術界を華やかに彩る海外の作家たちの展示会を実施したのでした。

当時の日本はバブル景気にわき、絵画もどんどん動いた時代でした。百貨店での企画も多く、また地方に美術館が次々と建設され、「絵具が乾く間がない」というほど、作家も次々と制作を続けたそうです。
現代アートがまだ日本に根付いていない頃から、アメリカで絵画の新しい潮流を目のあたりにしてきた池田さんは、美術館へ作品をおさめたり、展覧会の企画など数多くかかわっていました。

やがてバブル経済の終わりが来て、美術館には作品を買い上げる予算がなく、百貨店でも動きが止まりました。日本全体が不景気の影におおわれた1999年、今後を見据えて、現在の祇園の地に移転しました。それは「ここで何ができるか」という自分自身への問いかけでした。
画廊経営という未知の世界へ飛び込んだ最初とは違い、多くの人との出会いや経験のなかで得た「企画する喜び」を礎に、新たな取り組みを始めたのでした。

17回続く「現代アートうちわ展」

ゆかたとうちわ
アメリカをはじめ海外の現代アートを日本に紹介した草分け的な存在の池田さんは、再び日本の作家へ目を向けるようになりました。
うちわが日本へ伝わったのは6~7世紀とされていますが、はじめは祭祀や貴族のあいだでのみ使われていました。現在の「風を送って涼む」竹骨に紙を張った形となるのは室町時代とされています。江戸時代へ入ると、庶民の間に広まり、浮世絵や人気役者の姿、美人画などが描かれ、床の間へ飾ったり、おしゃれとして持ったり、うちわの文化は見事に花開きました。
ギャラリー白川のうちわ展
池田さんは「この時代の日本人の豊かな感性とすばらしい職人技を、今の作家さんにも知ってほしい」と、現代アートうちわ展を企画しました。今年でもう17回を迎え、27人の作品が展示されています。日本画、漆、油彩、版画、現代美術、水墨画、織り、フレスコ画、グラフィックデザインなど様々な技法、分野の作家さんのうちわが展示されています。
その展示がすばらしく、美術とは縁遠い人も十分楽しめる空間になっています。フランス、カナダ、アメリカ、マカオと海外からの参加もあり、結びつきの広さと確かさを感じます。
ギャラリー白川のうちわ展ギャラリー白川のうちわ展
思い切り飛んでいる作品が日本画の作家さんとか、鮮やかにひまわりを描いたうちわはフレスコ画など、新鮮な驚きが続きます。
「普段は四角なキャンバスと向き合ったいるので、うちわのように丸いなかに描くの難しい」そうです。夏の風物として、普通の制作とは違って楽しんで描いているのかと思ったのですが、そんなものではなく苦労し、一心につくり上げるものでした。
「夏だからこの時期はうちわ、という意図でやっているのではありません。江戸時代に発展した、身近にある道具をアートにして楽しむことを掘り下げていってほしいと思うからです」と話されました。
もちろん、夏の季節感としてうちわを楽しむことはすてきなことです。そのことを十分含んだうえで、池田さんの現代アートうちわ展には、美術・作家・画廊というもに対する、季節の楽しみだけではない、もっと強い意思が伝わってきました。

39年のその先へ、できること

ギャラリー白川
バブル後の激変に備えて新たなスタートをきり、歩んでいましたが、コロナ禍という世界中が巻き込まれている思いもかけない事態が続いています。ギャラリーへ足を運ぶ人もぐんと減ったそうです。そのようななかで池田さんはデジタルでの発信を充実させています。
ユーチューブでの配信は、作家の制作風景と作品が映し出され、娘さんが弾くピアノが想像をふくらませ、ひとつの映像作品として見ごたえがあります。
ギャラリー白川のYoutubeチャンネル
池田さんが「35年をこえて 偶然を必然に ジョン・ケージからはじまる」を著してから4年たちました。池田さんは、コロナになってから人の行動パターンや暮らし方が変わったと実感しています。
外で過ごすことが少なくなり、みんな家でゆっくりする方向になっています。そのようななかで、アートというものをどうやって広げていくのか。池田さんは、いつも「これまでと同じことではなく、ここでできることは何か」をいつも考えています。
ギャラリー白川のうちわ展
今回のような、ギャラリーとアートとの偶然の出会いを必然にする努力を続けています。「偶然を必然に」とはジョン・ケージの言葉なのだそうですが、これは今、アートの世界に限らずどんなところ、職業にも通じることだと思います。「アートや作家さんとの出会う機会を工夫し、支える人をもっと増やすこと」が必要です。
作品を求める人がいて作品が売れて、画廊も継続できる環境やシステム的なことが必要なのだと思います。アートの世界へのとびらはオープンになっています。まずは一歩入って作品と出会うことで観る楽しさ、豊かさを感じてみたいと思います。
ギャラリー白川では、現代アートうちわ展の後にも、企画展が続きます。ぜひホームページ等でチェックしてみてださい。

 

ギャラリー白川
京都市東山区祇園下河原上弁天町430-1
営業時間 12:00~18:00
第17回現代アートうちわ展 7月24日まで開催

漢方が教えてくれる 健やかな暮らし

漢方薬、生薬、薬草。聞いたことはあるし、歯みがきや入浴剤、化粧品など身のまわりのものにも「生薬配合」などと記されている商品は多くあるけれど、よく知らないという人は多いことと思います。また、知らないけれど「体に良さそう」と思っている人も多いでしょう。
「お医者さんへ行くほどでもないけれど、何となく体の不調を感じる」また「体質を改善したい」そんな時に気軽に相談できる漢方薬専門の薬屋さんがあります。
うかがい知れないほど奥が深いと思われる漢方薬のお店に少しどきどきしますが、笑顔のていねいな受け答えが、気持ちをやわらげてくれます。やり取りするなかですすめてくれたのは、取り入れやすい薬草茶でした。漢方や薬草のやさしい案内人「いなり薬院」の福田佳子さんにお話しを伺いました。

会話を大切に、その人に合った提案

いなり薬院
いなり薬院は福田さんのお祖父さんが、昭和5年に開業されました。三重県の農家の生まれで京都で丁稚奉公をされ、その後、漢方の専門の勉強をして、独立を果たしました。以来90年、この地で漢方薬専門店の生業を続けています。
いなり薬院
漢方薬専門店と聞くと、いかめしい雰囲気のお店を想像しますが、いなり薬院はそのイメージを軽々と払拭してくれます。こじんまりとした明るい店内は親しみを感じるやさしい雰囲気です。あちらこちらにいる張子の虎は、薬種問屋が集まる大阪道修町(どしょうまち)の神農さんとも親しみを込めて呼ばれる「少彦名神社」で毎年11月に行われる神農祭の縁起物なのだそうです。
神農さんの虎
最初に、漢方薬、生薬、薬草とは何かを少しお話いただきました。
「薬草」は文字通り薬用に使う植物そのものを指します。「生薬」は、薬用植物のほか、動物、鉱物など天然由来の、薬用として使うものの総称です。「漢方薬」は、生薬を複数配合して確立された医薬品を指します。薬草と生薬は医薬品と非医薬品が混在していますが、漢方薬は医薬品になります。
最近はインターネットで調べて最初から、買う商品を決めて来るお客さんもあるそうですが、福田さんはできるだけ会話をするように心がけています。
「今はインターネットもドラッグストアもあって買い物の仕方が変わりました。お店とお客さんがひと言も会話せずに買い物がすみます。今の時代は、そのほうが気楽でいいのかもしれません。では、いなり薬院でできること、足を運んで来てくださるお客さんに対して、どんなことなのだろうと考えてきました。
それは、できるだけお客さんと話すこと。話せば何が必要かわかります。一人、一人のお客さんに合ったオリジナルの薬草茶を提案することもできます。お客さんと話すことはとても大事です」と続けました。

いなり薬院の薬草茶
オリジナルの薬草茶は煎じて飲みます。

そして漢方薬専門店としてのいなり薬院は「医薬品」と「民間薬」の二本柱を立てていると話されました。民間系とは、古くから庶民のあいだで、暮らしの知恵として伝えられてきた民間療法の範疇のものです。
「庭や野原にある葉っぱなど身近にある植物を使って、お茶や入浴剤、薬としてきたものです。このようなおばあちゃんやおじいちゃんから教えられたことは、もう少し今の暮らしに取り入れられたらと思っています」と話されました。怪我をした時、熱冷まし、打ち身、お腹が痛い時など家にあるもので何とかしてきたのです。この知恵を引き継いでいけたらと思いました。
いなり薬院の福田さん
福田さんがもう一つ大切にしていることは「無理をしないで続けること」です。薬草はお茶や入浴剤にすると毎日の暮らしのなかに取り入れやすいのです。代表的な薬草茶は、効能が多くあることから「十薬」という名も持つドクダミです。デトックス作用もあります。葉っぱの量や煮出し方も「これなら簡単、続けられそう」と思うアドバイスの仕方です。
またドクダミ以外も、薬草の入浴剤は、体をあたため、香りはアロマ効果があり、お肌もつるつるになるなど、若い世代の人たちにも十分発信できる効果があります。核家族の家庭が多くなり、世代間で伝える機会が格段に少なくなっています。福田さんがしている仕事はその伝え役にもなっています。
無理をしないでじんわり、徐々に体に作用していく漢方の考えは、何でも即効性を求めてきたなかで「一歩引いてスローに」という流れも生まれてきた今、暮らしに取り入れることが多くあると感じました。

ご縁があって今があります

いなり薬院
いなり薬院はお祖父さんが初代、その後継者となったのは福田さんのお母さんでした。お父さんはサラリーマンで、別の仕事をされていました。本格的に漢方薬の勉強を始め、店を継ぐことを決心されたのは、子どもたちが高校生になって手が離れた40~50代の頃だったそうです。
家事一切を引き受けながら60代近くなってから化学や薬に関する法律などを勉強し、試験にみごと合格し、取り扱いの免許を取得され、お店をずっと取り仕切ってこられました。取材中、麦茶とハト麦茶、決明子(けつめいし)をブレンドした、とてもおいしいお茶を出してくださいました。
いなり薬院の薬草茶
お歳は91歳と聞いて本当に驚きました。福田さんは「家のこともしながら勉強して免許を取って、店を続けてきたのは大変だったと思いますが、それは母の生きがい、やりがいになったのだと思います。親のことを褒めるようですが本当にすごいと思います。今でもしっかりしています」と語りました。
「私も薬学とは全く関係のない方面へ進み、仕事も違う仕事をしていました。それが母と同じように、薬学を勉強してこうして店を継いでいるのも縁のものやなあと思います」と感慨をこめて話してくれました。
いなり薬院
お店の前に、健康そのものといった野菜が並んでいます。これは福田さんご夫妻が丹波の畑で育てている無農薬、有機栽培の路地ものの野菜です。この畑もいろいろなご縁がつながって借りることができたのだそうです。
夫の陽一さんは生薬の専門家で、ここで生薬も育てています。「家で食べるぶん」のつもりで作っていたのですが、30年近く野菜作りを続けるうち、路地ものなので、できる時はどっさりできご近所へ配ってまわったそうです。それでも余ってしまうくらいで、ご近所の方から「店の前に置いたらどうや」とすすめられて3年前くらいから置くようになったそうです。
まだあかちゃんだった子どもさんを畑へ連れて行った時、ハイハイをしながら土を食べてしまったこともあったと、なつかしそうに笑って話してくれました。自然と折り合い、植物や作物の呼吸を感じながらの農業との縁も、お店を続けるうえで大きなよりどころとなっていると感じました。

できる範囲で、できることを

いなり薬院の参鶏湯
「参鶏湯セット」はお客さんの声から生まれた商品です。参鶏湯(サムゲタン)は、鶏肉に朝鮮人参、干しナツメやにんにく、生姜などが入った、人気の薬膳メニューですが、材料を揃えるのは大変です。「漢方薬屋なら材料を揃えやすいでしょう」という声にこたえて、完成させた商品です。鶏肉と一緒に煮込めばご家庭で簡単にサムゲタンとなります。
「薬膳の考え方で身近な食材を使えばいいのです。夏は体のほてりをとる野菜、冬は体をあたためる根菜類というように。たとえば、冬瓜は夏の野菜ですが、冬まで貯蔵できるので冬瓜と言います。冬は体をあたためる葛の根から作ったくず粉のあんかけは、理にかなっているのです」と、生活に取り入れやすいアドバイスをしています。
いなり薬院
「バスに乗っていて」「通りがかりに」と、何となく見かけことで来店するお客さんもいるそうです。前に見かけたお店がそのままあるということは、とても重要なことだと思います。伏見稲荷の氏子が多い町内のいなり薬院。年期の入った薬だんすや薬研(やげん)が展示された「くすりのまちかど博物館」のようなウインドーも、まちの風景の一部になっています。「できる範囲で、できることをする」こうした確かな商いこそ、京都のまちを支えているのだと感じました。

 

漢方専門 いなり薬院
京都市下京区七条通壬生川西入
営業時間 9:00~19:00
定休日 日曜、祝日

「下京サマーフェスタ ひんやり商店街2022」開催
8月1日~9月3日の期間中、ご来店の方に「自家製ブレンドはと麦茶」をお出しします。

西国街道に アートと暮らしの新しい風

多くの人が行き交った歴史の道、西国街道に新しい風が吹いています。長い間空き家だった建物が縁あって、多くの作家さんが参加して改装し、自由な表現と人がつながるギャラリーに生まれ変わりました。アートとていねいな暮らしの提案を共有する空間です。
wind fall(ウインドフォール)という名前には「風の贈り物が届くように、思いがけない幸運が訪れますように」という願いがこめられています。訪れる人々に「日々是好日」と感じられる、心が解き放されるひと時を贈ってくれます。
地域にとけ込み、5月に満1年を迎えたウインドフォールに2年目からはどんな風の贈り物が届くのか。最初の企画展で楽しい風を受けて来けながら3人の織姫さんにそれぞれの作品と「さをり織り」の魅力について話をお聞きしました。

「3人の織姫による45展」とは

wind fall
天井から吊るされた虹のかけ橋は、今回の企画展に参加した作家三人の合作です。

三人三様の個性が発揮された作品に、光と風が自在に通りぬけ、気持ちが軽やかにやさしくなります。「45展」とは「よんじゅうごてん」と読み、100点じゃなくてもいいし、50点でなくてもいい。力をぬいて自分らしくやっていけばいいという思い、見に来てくれる人たちへのメッセージです。

wind fall
来場者と談笑する菊本さん(左)

「それと私たち3人とも45歳なのです」と笑いながら話してくれたのは菊本凡子(なみこ)さんです。若いという年齢ではないけれど高齢ではない、微妙な年齢だけれど、まだまだ体力も気力もある45歳の年に「50歳までの5年間を元気に意欲的に取り組んで、50歳からの人生をまた新しく始めていこう」と企画したと続けました。
広島県で活動する本木ナツコさんに展示会を提案した1年前、ちょうどウインドフォールがオープンし、会場はここと決めて準備を始めました。そこへ築山泰美さんに加わってもらい「強い個性と個性の二人に、やさしくさわやかな風が通った」展示会になりました。
会場の中央に高くかけられた作品は、織りで表現した3人それぞれの虹のかけ橋です。天井の高いこの建物の特徴が生きています。
wind fall
その虹のもとにたたずんでいるのは乙女の夢「ガーデンパーティにまとうドレス」です。3着のドレスも本当によく個性が表れています。難しい技術の苦労のあとを感じさせない、感性がきらめくドレス、強い個性の唯一無二の自分自身を伸び伸び表現したどれす、清楚で可憐、気品あるドレス。ぜひ、自然の風を受けてパーティや結婚式に着てほしいと思いました。

さをり織りの世界観と可能性

wind fall
45展は「さをり織り」の魅力を広く知ってもらう機会にもなっています。普段、ポーチやバッグ、マフラーなど小物や雑貨で、さをり織りを目にした人は多いと思いますが、今回の企画は「使える」ことに加えて「アート」としての出会いをしてもらう、よい機会になっていると感じました。
「さをり織り」は50年ほど前に「技術の決まり事にとらわれず、自己表現として自由に織る」織物として始められました。「キズをデザイン」としてとらえ、年齢や経験、手先の器用さなどを超えて多くの人が楽しめることがこれまでの織物の世界にはなかった大きなことでした。

wind fall
こんな大胆な作品も

菊本さんは、ある時、展示を見た人から「さをり織りは人生模様」と表現された記憶が鮮烈に残っていると語ります。「織り出したら元へもどれない。前へ進むのみ。でも、その時は思ってもみなかったキズが、できあがってみたら「これ、けっこういけてる」と思う。このようにポジティブとらえると、少し重かった気分も軽くなり、さをり織が持っている力と言えます。
「これまでとは違う作品を作らなくては」とか「がんばって織らなくては」という苦しい気持の時は思うように織り進めることができないと聞きました。そういった気持ちにとらわれず、楽しく織っている時はあっという間に一日がたち、作品できあがっていることもよくあるそうです。
wind fall
まさに「自由に楽しく」こそ、さをり織りであり、アートとしての魅力なのだと実感しました。高い天井を生かした立体的な展示は「布」という平面の作品の新たな魅力を発見することができます。作品が、開け放したドアや窓から入って来る風の通り道になって、その時々でいろいろな表情を見せてくれます。作品と自然が呼応するギャラリーです。

建物と文化・アートでまちの循環を

wind fall
3人の作り手さんが語るさをり織の人模様もとても興味深いものがありました。
「作品をふり返ってみると、ここを織っている時は、こんな気持ちだったのだなあと、いとおしく思う」「仕事が忙しかったこともあり、しばらく遠去かっていた時もあったけれど、再開して改めて、さをり織の魅力を感じて続けたいと思った」と、それぞれの思いを話してくれました。

wind fall
菊本さんの教え子のユリちゃん

期間中は織り機が2台置いてあり、ワークショップ的に織り体験をしてもらっています。
菊本さんが指導されているユリちゃんもおかあさんと一緒に来て、本当に楽しそうに、巧みに筬を動かして織っていました。身に付けているすてきな巻きスカートは自分で織って仕立てまでされたとのこと。とてもよく似合っています。
wind fall
またギャラリーの外観は室外機まで「作品展示」のようです。スマートフォンで撮影する人もちらほら見かけます。西国街道の景観つくりにも一役かっています。カウンターと奥にもカフェスペースがあり「ていねいな暮らし」の提案である飲み物や、食事をゆっくり楽しむことができます。
wind fall
菊本さんは「この展示会へ遠くは広島、宝塚、大阪、地元の方と思いがけず多くのみなさんに来ていただています。わざわざ足を運んでいただいたことに、普段忘れがちですが、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と語ります。
この「京のさんぽ道」ではこれまで、西国街道の、元旅籠であった富永屋、中小路家、長岡京市の中野邸とご紹介してきました。今回ギャラリーという地元の人と作家を結ぶよりどころが誕生したのはすばらしいことだと思います。建物が人によって新しい役割を得たのて、文化やアートがまちの循環をになっていくのだと思います。多くの人の気持ちの居場所になりますようにと願っています。

 

Wind fall GALLERY ウインドフォール ギャラリー
京都府向日市寺戸町東ノ段9-14
次回企画:6月17日~28日「夏のアートなTシャツ展」

築94年の町家 お茶を商い百余年

京都府内のお茶どころでは、茶摘みが終わり、今は加工製造や茶畑の手入れと引き続き忙しい日々が続いていす。「新茶入荷」のぼりや鮮やかな墨文字の張り紙に、もうそんな季節になったと気づかされます。

上京区に、つつましく端正なたたずまいのお店があります。創業から100年を優に超えてお茶を商うでお店です。建物も茶壷や棚も引き継ぎ、母娘で「清水昇栄堂」を守っています。
代表の清水和枝さん、娘さんの内藤幸子さんのお話は、静かで優しい語り口のなかに、京都のまちなかで商いを続け、家を守ってきた家族だからこその内容で、引き込まれずにはいられませんでした。

93歳、現役で店を切り盛り

清水昇栄堂
清水昇栄堂は創業時は別の地に店舗があり、94年前に現在の町家が建てられ、移転されたそうです。「父方のおばが生まれた年に建てられたそうなので、この家とおばは今年94歳の同い年です」一世紀近い築年数の伝統的な京町家も、こんなふうに語られると、重々しさより、家も家族のようなほほえましさを感じます。
清水昇栄堂
店内へ入ると急須、湯飲み、お茶缶、抹茶茶碗、茶せん等々、お茶に必要なものがすべて揃っています。なつかしさを感じる急須もありました。おばあさんがいるお家にはたいてい「萬古焼(ばんこやき)」の急須がありました。うわぐすりをかけてない、少し紫をおびた薄茶色あるいは薄墨色のような地肌をしています。三重県で生産され、丈夫なことと土に含まれている成分によって渋みが抑えられるのが特徴ということです。また鮮やかな朱色の急須は「常滑焼」です。
愛知県の常滑で作られていて、こちらも、うわぐすりをかけない焼き方で、陶土にお茶の雑味などが吸収されて、まろやかでおいしいお茶が飲めるのだそうです。

急須のそそぎ口にビニール製の保護キャップがかぶせてありますが、これは「持って帰らはる時や送る時に欠けないようにするためのものなので、使う時ははずします」と言われました。使う時に欠けないように保護のために付けてあると思っている人も多いようです。次々とお聞きするうちに、母親の清水昇栄堂代表の和枝さんも話に加わってくださいました。

清水昇栄堂代表の清水和枝さん
清水昇栄堂代表の清水和枝さん

「私は93歳。21歳でこの家へ嫁いで、その時からやから、もう72年もお茶を売ってます」と話す笑顔がすてきです。「お茶は日本全国たくさん産地があるけれど、うちは宇治茶だけを扱かってます。お茶も急須もみんな長く取引きしているところばかりです」と、ぶれることなくお店を続けてきた人の重みを感じる言葉です。ご主人は「お茶は斜陽産業やから」と言って、幸子さんに跡を継いでほしいとは言わなかったそうです。しかし早くに亡くなられ、和枝さん一人でがんばっていましたが、幸子さんもやがて通いで手伝うようになったということです。平坦なことばかりではない年月も過ごされてきました。幸子さんも「母は本当にしっかりしています。私が近所へ買い物に行っている間は一人で店を見てくれています」と感心の面持ちで話すのが、母娘の細やかな気持ちの通い合いが感じられて、こちらもあたたかい気持ちになりました。
二人がかもしだすやさしい、おだやかな雰囲気がお客さんにも伝わっているのだと感じました。

昔の道具博物館のようです

清水昇栄堂

清水昇栄堂
「茶 清水」の文字が見えます

仕事に使う道具の類はさておき、よくきれいに残してあったと感心する歴史の証しもあります。見せていただいたのは、出町枡形と下鴨までの範囲の120軒のお店が一同に並んだ昔のチラシです。「明治廿七年十月改正」と記されているので初版はもっと前ということになります。昇栄堂にはチラシとして配布された和紙に印刷されたものが額に入れられ保存状態もよく残されています。
非常に興味深かったのは「支度、走り、棒、かもじ」などというお店があることです。棒は担ぐための棒、支度は特別な衣装に着付け、走りは文字のごとくひとっ走りものを運ぶ仕事ではと、お二人は推測していました。
昭和の終わり頃に復刻印刷されたものも見せていただきました。昇栄堂と黒々と書かれた名前があります。今も残っているのは3軒だけです。前述したようなお店は暮らしそのものが大きく変化し、当然消えゆくところもあるわけですが、昇栄堂がそのなかで建物だけではなく、家業も息をつないでいることは、本当にすごいことと改めて感じました。

清水昇栄堂
箕を手にした内藤幸子さん。後ろには年季の入った茶壷や茶箱が見えます。

お店の造りはもうめずらしくなった「座売り」の形式です。そしてまた重ねてすごいのは、大きな茶壷や茶箱、棚や引き出しもすべて今も使われていることです。和枝さんは「お茶は熱と湿気に弱いので、茶壷の中にさらに容器がある二重式になっていて、気温を25度以下に保つために前は「室(むろ)」へ入れました。生鮮食料品と同じです」と話されました。
またふるいや和紙を張った箕は、お茶の葉にまじった細かい粉を落とす時に使うそうです。おもりをつけて量るはかりも狂いはないそうです。少なくなったとは言え「お茶は急須でいれる」お客さんとも、長いお付き合いがあります。きちんとした仕事で細く、長く、という京都の商いの原点をみた思いがしました。

元気にやれるうちはがんばります

今も残る史跡、大原口道標
江戸時代、寺町今出川は大原口とよばれ今も道標が残っています。

お店のある寺町今出川付近は、昔は大原へ続く「大原道」の交通の要衝でもあり大いににぎわった地域でした。今も出町枡形商店街と鯖街道の縁をつなぐ企画など、地域あげてがんばっている魅力のある商店街です。
この京のさんぽ道でご紹介しました「いのしし肉の改進亭」も昇栄堂のすぐ近くです。すでに商売はたたんでいますが「傘」の看板が今も残る商家「貸布団」の看板、営業を続けられている理髪店など暮らしを支えてきた街道筋の商店の面影を残しています。

元傘屋さんの町家
元傘屋さんの町家

清水さん母娘は「もう、次の世代に継がせるのは無理ですね。お茶を飲む人も本当に少なくなりましたし。私たちにしても暮らし方はいろいろ変わりましたから、これまでと同じようにはいきません」と明るく仕舞う時の来ることを心に置いています。はたから見て「もったいない。なんとか続けられないのかな」「だれか受け継いでくれる人が出てこないかな」などと簡単に口に出せないことだと思いました。
でも、いつも飲んでいるお茶を指定して訪れるお客さんも何人もいて「ここがあってよかった」と喜ばれています。続けてほしいと思う人がいることは励ましになっています。
清水昇栄堂
建物や景観と生業は京都の重要な課題であると思います。当事者でなくても、それを何らかの形で享受してきた私たち一般市民はどう考え、何かできることがあるのか。これからも考えていきたいと思います。
惜しくもなくなる生業や建物があっても、それまでつないできた仕事や家族の様子を、この京のさんぽ道という、小さなブログの領域であっても大切に描き続けていこうと思いました。

 

清水昇栄堂
京都市上京区寺町今出川上る表町37
定休日 日曜、祝日

長岡京の都の夢を つなぐ旧家

京都府の西南部、向日市は住宅地と竹林や田畑のなかに、1200年前の長岡京の都の跡を示す石碑や公園が点在しています。塀をめぐらせ、門を構えた格式ある「旧上田家住宅」も長岡京の跡に建てられています。
2016年、国の登録有形文化財に登録され、昨年11月に一般公開が始まりました。りっぱな床を設えた座敷やおくどさんのある土間、内蔵、外蔵もある伝統的な形式を受け継いだ農家住宅としての見どころとともに、1200年前の歴史の地層の上にいることをイメージできる、他にはない文化施設となっています。

長岡京の都と上田家住宅が刻んだ時

旧上田家住宅旧上田家住宅
旧上田家住宅は明治43年(1910)に、建築され、昭和17年(1942)旧国鉄による、戦地への輸送強化のための通称「弾丸列車」という新線計画によって現在の場所、長岡京跡に移転されました。今も建物の内外に遺跡の一部「築地回廊」の柱や雨落ち溝などの位置を示す表示があります。
今立っている場所が1200年前とつながっているような、どきどきする感覚を覚えました。同時に、移転した経緯や移転先が長岡京の歴史を物語る地であったことに、交錯する歴史を感じます。
旧上田家住宅
敷地の東側には農機具の収納や米蔵として使われた「外蔵」が、主屋脇には野菜を貯蔵した室(むろ)があり、大農家の営みがうかがえます。
主屋に入ると、長岡京の宮と参内する人々を描いた襖がはるかな時代へ誘ってくれます。桓武天皇によって長岡京が造営された時、大極殿の西にあった「西宮」は、6か月という最速の日数で建てられたそうです。遷都の理由の一つとなった大和の寺院や一部の貴族などの勢力に気付かれず、極秘のうちに建設を進める必要があったからです。
背割堤
また、川の少ない大和に比べ、長岡は桂川、宇治川、木津川の三川合流地点にあり、長岡へ入ってからは小畑川があって船運の好条件がそろっていたことがあります。それは平城京で使った木材をそのまま長岡京で再利用するために船が使えることはとても好都合だったのです。「長岡京から平安京へ移った時もまた再利用されました。この時代はとてもエコだったのです」というガイドさんの説明に同感、納得しました。
また当時はごみは川へ流して処理していましたが、川の少ない大和ではごみがたまって困っていたそうです。奈良時代のごみ問題を聞いて当時の人々に親近感を抱きます。

旧上田家住宅
長岡京を北から見た図にもその近さから川が描かれています

襖の反対側には北から南を向いた長岡京の全体図が描かれています。当時の人口は約5万人、そのうち7~8000人が政府の役人だったそうです。「お役人が多いですね」という感想に「当時は記録一つにしても木簡に手書きですから、一つ一つの仕事にとても手間がかかったのです」という答えにまた、なるほどと思いました。
小畑川の洪水や疫病の蔓延、また桓武天皇の身内の不幸が続くなどわざわいが重なり、10年で平安京遷都となりました。長岡京は「幻の都」とも言われていましたが、その存在をあきらかにしたのは、人生をかけて長岡京の発掘を続けた考古学者、中山修一さんの情熱と不屈の精神のたまものです。
旧上田家住宅内の内蔵ギャラリーには、発掘作業の写真パネルが展示されています。そのパネルには中山修一さんと協力した学生たちの姿も写っています。旧上田家住宅の空間は歴史を今につなぎ、そこにかかわった人々の存在を私たちに伝えています。

ていねいな暮らしの痕跡

旧上田家住宅
旧上田家住宅は平成28年(2016)に所有者の方から向日市に寄贈されました。見学して感じたことは「暮らしが見える」ということです。たき口が6つもあるかまどは、Cの形の構造をしていて一人で火焚き番ができます。大きな鍋釜がかけられた様子に多くの人が働いていた大農家の活気が伝わってきます。
床柱や床板やかまちに、最高の材や熟練の技が駆使され、ガラス戸のゆがみのある古いガラスや、美しくそしてしっかり作られた建具など見どころが多くあります。

旧上田家住宅
障子の下部分には玄関に入って来た人を見ることができるスライド式の建具が

旧上田家住宅旧上田家住宅

昭和の初めに製造された柱時計はまだ正確に時を刻み、手押しポンプからは水がほとばしり、子どもたちに大人気だそうです。水質検査も受け、飲料水として使用できます。足踏みミシンは「SINGER」シンガー社製、多くの家庭にあったミシンでなつかしく思う人も多いようです。製造番号があり1929年に製造されたとわかります。
また庭木やりっぱなつくばいも移転の際に運ばれたもので、優に100年を超えています。きりしまつつじは今年もみごとに真っ赤な花が咲きそろい、離れの庭にある金木製が咲く秋は、あたりは甘い香りに包まれるそうです。
旧上田家住宅
現在のご当主で6代目になられるそうですが、代々のていねいな暮らしぶりが思われる建物です。この空間の心地よさは、建物が住む人とともに刻んできた日々の積み重ねなのだと感じました。

足元に古代、そして旧暦を楽しむ空間

旧上田家住宅
今年旧暦のひな祭りに飾られた、地元の方のちりめん細工

今年四月のはじめ、ちょうど桜が咲いた時期に「旧暦で祝うひな祭り」の催しが行われ、ちりめん細工のつるし雛や大正元年作製のお雛様が飾られ、多くの人が足を運び、うららかな桃の節句を楽しみました。
昔の暦では一月は七草、三月桃、五月端午、七月七夕、九月重陽(菊)と五つの節句がありますが、現在では新暦で行っているため実際の季節感より早めになっています。たとえば桃の節句の今の三月三日はまだ寒く、花も開く前です。その点、旧暦(月遅れで行う場合が多い)は、その季節にぴったり合います。旧上田家住宅では五節句を旧歴でお祝いし、季節の習わしを楽しもうと企画されています。
ちなみに五月「端午の節句」は今月24日から開催予定とのことで、着々と準備が進められています。伝統的な建物にふさわしい催しです。
旧上田家住宅
このほかにも、かまどを使って餅米を蒸してお餅つき、また4部屋ある座敷は講演会や仲間うちの気の置けない集まりにも使用できます。内蔵ギャラリーも作品展が予定されているそうです。今を生きている私たちのみなもとには10年の短い間であっても、平安京に匹敵する都があったことを知り、100年を超えて大切に受け継がれてきたすぐれた文化財の建物を身近に使えるすばらしさを、これからも多くに人に広げてほしいと思います。そして地元のみなさんが誇りとする、ふるさとの文化資産を共同して今に生かす活動に期待がふくらみます。

 

国登録有形文化財 旧上田家住宅
京都府向日市 鶏冠井町(かいでちょう)64-2
開館 9:30~16:30
休館日 月曜及び毎月1日

ふたりで営む喫茶店 42年たちました

長岡京市の中心部から少し離れた住宅街に「京都スタイル」という形容がふさわしい雰囲気の喫茶店があります。サイフォン式コーヒーの味わいと心のこもった応対で、多くの人に「喫茶店で過ごす心地よいひと時」を提供し続けています。「コロラドコーヒーショップ マサヒロ」は今年で開店42年を迎えます。
蝶ネクタイがピシッと決まっているダンディなオーナー、マサヒロさんと、おかあさんのようなほがらかさが魅力の奥さま、メグミさんに話をお聞きしました。

コーヒーと京都へのあこがれが出発点

コロラドコーヒーショップマサヒロのご夫妻
マサヒロさんは京都にあこがれてふるさとの徳島からやって来ました。「70~80年代の京都はおもしろかったですね」と語ります。アニメやマンガが若者文化として広がり、伝説のライブハウスが元気で、雑誌や広告が華やかな時代でした。長い歴史と伝統の上に、新しい文化を取り入れていく進取の気風も旺盛で、そのなかにコーヒーと喫茶店もありました。
マサヒロさんは、もともとコーヒー好きだったことから、京都のコーヒー文化広げ、本格的なコーヒーが飲めるコーヒーショップを牽引した「ワールドコーヒー」の北白川本店で仕事をしました。白川通りのけやき並木と天井が高いガラス張りのこの本店は、京都の老舗喫茶店の代表の一つです。
コロラドコーヒーショップマサヒロ
はじめから開業を決心し経験を積み、1981年自らの名を付けた「コロラドコーヒーショップ マサヒロ」を長岡京市に開店しました。当時の長岡京市は、京都市内はもとより、大阪への通勤圏として人口が急増している時期でしたが、ほかの都市にもみられるように、今は子育て世代よりもシニア層にあたる人の比率が高くなっています。それでも、近くに小学校と中学校があるため、店の前を通る小学生や中学生の姿にほっとし「地域のなかにある喫茶店」であることを思い起こさせてくれます。
コロラドコーヒーショップマサヒロ
7時30分の開店早々から、電話でコーヒー豆の注文が入り、モーニングメニューで一日をスタートするお客さんもやって来ます。カウンター席に座ると、マスターがサイフォンでコーヒーをいれる様子が目の前に見え、待つことも楽しい気分にさせてくます。マスターのコーヒーをいれる様子は「所作」という言葉が浮かぶ、流れるような動きです。きちんと並んだカップやグラスの棚を背にして立つ、蝶ネクタイのマスターの姿はさすが絵になります。朝の一杯のコーヒーから、それぞれの一日が始まります。

いつも一生懸命のおいしいメニューと空間

コロラドコーヒーショップマサヒロのランチ
厨房は奥様のメグミさんの担当です。モーニングセットもランチメニューも、一切手抜きということをしない、おどろくほどの充実ぶりです。サラダも野菜の量と種類がしっかりあり、ランチの定番カレーとオムライスにはサラダのほかに「おかず」が2品も付いているなど、はじめてなら思わず声をあげてしまう豊富な内容です。朝は「今日も気持ちのいい日になるといいね。行ってらっしゃい」、お昼は「午後から、もうひとがんばりやね」と励ましてくれるメニューです。
コロラドコーヒーショップマサヒロのインスタグラム
メグミさんはインスタグラムでメニューや店内の様子などを@coloradomeguchanで日々発信しています。これは「コロナに負けたくない」と2018年の秋から始めました。フォロワーが200人になった時はその記念に、感謝をこめて、上にケチャップで「200」と書いたオムライスをアップしました。こういう、くすっと笑えるほほえましいセンスもすてきです。
また「コロナで時間ができたから」と、カウンターのスツールのカバーやテーブル席のクッションを生地選びから縫製まですべて自らの手で作りました。柄や色あいもすてきで格調を感じる店内によく調和しています。

コロナの影響でだれもが不安を抱え、気持ちが暗く落ち込みそうになる時、メグミさんは少しでも先に向かって切り開いていこうとしました。このお店とお客さん双方が明るい気持ちになって今を乗り越えられるようにという思いでした。欠くことのできない最高の同士です。たまにマスターと「言った」「聞いてない」で、ちょっとした応酬がありますが、それもすぐに通常の状態にもどる「けんかするのも仲がよろしい証拠」とみえます。42年間一緒に積みあげてきたことの厚みを感じます。

コーヒーと文化が香る得がたいお店


ゆったり広々した店内は、カウンターと4人がけ席のほかに、ソファーと長テーブルの席、入口の近くにはテラスかサンルームのようなコーナーなど、一つの店内とは思えない個性の席があります。
コーヒーの収穫の様子を描いた銅のレリーフ、ワールドコーヒー時代から使っているコーヒー豆の缶、食事を出してなかった頃に使っていた狭いテーブルを重ねて作った衝立など、お店の隅ずみまでお二人の思いが表現されています。それぞれがまだお店に存在する現役なのです。
また珍しい実をつけたコーヒーの木は、娘さんのホームステイ先のカナダのホストさんが京都へ来られて1か月半も一緒に過ごした時に、お礼と記念にとプレゼントされた苗木です。その若苗がりっぱに成長しました。
コロラドコーヒーショップマサヒロ

コーヒーの実
喫茶店はセルフ式のチェーン店が増え、このような個人のお店は少ない現状のなかで、どうしたら42年間も継続できたのか、すごいとしか言いようがないと思いましたが、今回の取材で少し感じたことがありました。
それは、お店にあるものそれぞれに物語があり、その思いのこもったものたちを大切にして、ものにも心があるように一緒にお店をつくってこられたのだということです。そしてこういコーヒーショップが近くにあってよかった、うれしいと思うお客さんが大勢いるということです。

お店の前のプランターで育てたビオラの花を飾ったテーブルに明るい季節を感じさせてくれます。つばめも毎年、巣をつくるそうです。
つばめが巣をつくると幸運がやって来ると言います。お二人のお元気でお店を続けられることをお祈りしています。

 

COLORADO COFFEE SHOPマサヒロ
長岡京市今里北ノ岡18―5
営業時間 7:30~17:00
定休日 日曜、祝日

憩いのカフェ&バーは 徒歩圏内

気の置けないご町内の親しい雰囲気を感じる千本丸太町に、去年の秋の初め、全面ガラス張りのお店ができました。建物の少し突き出た部分は、ショーウインドウのようですが、そうでもなさそうです。と、ふさふさした毛並みの堂々としたネコがひらりと身をひるがえしてキャットタワーにのぼりました。
彼は昨年9月に開店したカフェ&バー モチモチの副店長を務めるメインクーンの「おもちくん」2歳です。おもちくんに会いたい人はどんどん増えて、さらに新規の層を招く、すばらしい働きぶりです。しかし、このお店はネコカフェではありません。昼間は内容の充実したランチメニューや看板メニューのパンケーキでおいしいひと時を過ごし、夜は一日の終わりにゆっくりとお酒を楽しむバーになります。 早くもお客さんの8割がご近所さんという、地域に愛されるお店となっています。店長の廣畑真紀子さんに話をお聞きしました。

縁と偶然が呼び寄せた出会い

カフェアンドバーモチモチ店長の廣畑真紀子さん
カフェアンドバーモチモチ店長の廣畑真紀子さん(左)

飲食店の経験なし、ねこや犬と暮らしたこともなかったという廣畑さんですが、2年前、おもちくんとは目が合ったその瞬間に、お互いに通じ合うものを感じたそうです。また、お店は繁華街ではなく、住宅街よりの地域にしたいと考え、物件をいろいろとあたっていくうちに出会ったのが現在の場所でした。
カフェアンドバーモチモチ
千本界隈は廣畑さんが以前よく訪れていたなじみの地であり、雰囲気もすきだったこと「出っぱり部分をおもちの部屋にすれば、さみしく留守番させなくてもいいし、キャットブースの中にいれば、アレルギーなど、ねこがだめなお客さんにも、ゆっくり食事やお酒を楽しんでもらえる」と決断は早かったそうです。
カフェアンドバーモチモチ
そしてお店の名前もはじめに考えていた名前とはまったく違う「モチモチ」になりました。店内は、廣畑さんがすきなピンク色の壁と、カウンターのいすや喫煙ブースの回りの赤が、かわいらしさとモダンな雰囲気がうまく調和しています。かわいいねこのロゴマークがあちこちに見られ、思わず口元がゆるむなごみの空間になっています。
おもちくんは、キャットブースのハンモックに揺られたり、ふれ合いたそうな人の近くに行ってなでられたりと、かわいがられながらもほどよい距離感を保っています。さすがです。「ほとんどの方がおもちに会いたくて来られています」と廣畑さんは笑います。
カフェアンドバーモチモチのおもちくんカフェアンドバーモチモチのおもちくん
この場所は以前酒屋さんを営んでいて、キャットブースになっているショーウインドーには、ビールなどの販促物とともにまっ白の美しいペルシャ猫が悠然と座り、歩いている人がよく「あの猫、ぬいぐるみやろか。あっ、動いた」などと話していました。男の子ですがマリちゃんという名前で「マリちゃんのお酒屋さん」と呼ぶ人もいました。
マリちゃんはだいぶ前に病気で亡くなりましたが、今モチモチカフェとなり、マリちゃんがいつもすわっていたウインドーが今、おもちくんの部屋になっています。
廣畑さんは「全然知りませんでしたが、開店してからそのねこちゃんの話を聞いて、おどろきました。偶然の出会いでしたが、何かのご縁かなと思いました」と感慨深げに話されました。おもちくんの存在は、お客さんはもちろん、道行く人たちも「今日も会えるかな」と、ほのぼのした気持ちにしています。

みんなで一から作り上げたお店

カフェアンドバーモチモチの猫パンケーキ猫パンケーキの金型
飲食店の計画が動きだし、カフェを重点的に50軒まわったそうです。メニューの種類や味、店内の雰囲気、接客などいろいろな観点で見ていきましたが、答えはみつかりませんでした。それなら自分たちが食べておいしいと思うものを一生懸命つくろうと、みんなで意見を出し合ってメニューを考え、試作と試食をくり返し、試行錯誤しながら決めたそうです。
お客さんの様子や注文されるメニューの傾向など様々に見て、改良は変更を加えています。なかにはお客さんの声に応えて生まれたものもあります。その代表が看板メニューの「にゃんこパンケーキ」の小さいサイズと抹茶入りです。従来のサイズは直径15センチ、厚さは約4センチという大きさです。「もう少し小さかったらなあ」「小さいサイズがあれば食事の後に食べられるのに」の声に「ちびにゃんこパンケーキ」が登場しました。また「抹茶味がすき」との声にこれもメニューに加わりました。「あったらいいな」の思いをかなえてくれたのです。このパンケーキは、何か話題になるメニューを作ろうと考えられたものでした。
大きな型は、大阪道具屋筋の金型専門店で特注で作ってもらったものです。簡単なラフスケッチを見せただけなのに、思い通りの金型ができあがったと、職人さんの技の確かさについて語ってくれました。
カフェアンドバーモチモチのランチ
限定の「本日のサービスランチ」は本当に充実しています。夏日となった日は、涼し気でさっぱりしたパスタが用意されていました。そのなかで選んだのは「なめたけおろし」です。上にたっぷりかかった花かつおとバターがなめたけと好相性となって、奥深いおいしさでした。サラダとスープも、しっかりきちんと作ってあります。スープはキャベツやにんじんなどの野菜がトロトロに煮込んであり、サラダの野菜はみずみずしく、ドレッシングも自家製でした。心のこもったおいしさで何気ない毎日を応援し、幸せにしてくれます。

地域に愛され、みんなに元気と笑顔を

カフェアンドバーモチモチの常連さん
毎日のようにお店を訪れる常連さん

モチモチカフェは最初「全部ガラス張りで何の店かようわからんし、入りにくかった」とよく言われたそうです。でも「一回行ったら入りやすい」と、ほとんどの人がご常連になってくれます。お孫さんと一緒に、友だち同士、一人でとお客さんの層は様々です。取材当日のバータイムには「明日が誕生日」という常連のお客さんに、居合わせたみんなが、おめでとうの声をかけていました。
カフェアンドバーモチモチのオムライス
「私たちがおいしいと思うものを、一生懸命ていねいに作っています。その料理をお客様がおいしいと感じて、ほっとして、ああ幸せと思っていただけたら私たちもうれしいです」と廣原さん。スタッフのみなさんも「なめたけおろしパスタ、私もだいすきです」「スープは厨房で朝からコトコト煮込んでいるんですよ」などと、おいしさにつろくする(つろくする:調和や釣り合いががとれていることを表す京ことば)、気持ちのよい言葉が返ってきます。

客席の下でくつろぐおもちくん
客席の下でくつろぐおもちくん

モチモチカフェで感じることは、アルバイトスタッフも含めて全員が「このお店がすき、ここで働くことが楽しい」という思いで、生き生きと仕事をしていることです。当初はランチタイムは若い女性中心、夜はおとなのくつろぎのバータイムと考えていましたが、毎日来店される人もめずらしくない、ご近所さんの憩いの場になりました。
廣原さんは「人と接する仕事、どうしたら喜んでもらえるかを考えることがすき」と語り「モチモチのコンセプトの、みんなが元気になる憩いの場としてのお店はできています。アルバイトスタッフも、自分自身で考えてお客様に接してくれています。ゆっくり過ごしてもらうのが一番」と続けました。千本丸太町に生まれたカフェ&バーは町の景色を明るくしています。ご近所付き合いの心でくつろぐ場があるということは、人のつながりのある地域である証しです。「このあたり、ええとこや」とあらためてみんなが思うことでしょう。居心地のよい空間へ、どうぞおでかけください。

 

Café & Bar MOCHI MOCHI(カフェ アンド バー モチモチ)
京都市上京区千本通丸太町上ル小山町880ピアージュ1階
営業時間 カフェタイム11:00〜18:00/バータイム18:00〜24:00
定休日 水曜