「ヨシ焼き」で始まる 伏見の春

マスク越しでも感じる梅の香り、お米粒のような花が二つ、三つ開き始めた雪柳。ずいぶん日も長くなりました。こんな小さなことにも気持ちが弾みます。自然から受け取る春の知らせが日ごとにふえています。
伏見の宇治川河川敷は、関西でも有数なヨシ原の群生地となっていて、面積は35ヘクタール、甲子園の約27個分にもなる広さです。枯れたヨシを刈り取ったあと、3月に入ると春に元気な新芽が出るようにヨシ焼きを行います。広大なヨシ原に燃える火が今年も伏見に春を告げます。

ヨシを生業としヨシとともに歩んだ地域


ヨシは昔から、よしずやすだれ、屋根を葺く素材として使われてきました。ことに伏見向島の宇治川河川敷や、大きな遊水地であった「巨椋池(おぐらいけ)」は良質のヨシ原が広がり、そのヨシを刈り取り生業とする「ヨシ屋」が何軒もあったそうです。伝統建築の寺院や茶室、民家のほか、地元の三栖神社(みすじんじゃ)の祭礼「炬火祭(たいまつまつり)」には、ヨシのみの大きなたいまつを奉賛会のみなさんが調製されるそうです。たいまつは「松明」の文字をあてるように、松をはじめ竹など木を使うことがほとんどで、ヨシはめずらしいようです。このことからも、ヨシとの古くからのつながりがわかります。

山田雅史さん(山城萱葺株式会社サイトより)

しかし、よしずは安価な中国産に押され、暮らし方の変化などから伝統構法の建築も減少するなどして、ヨシが利用されることも少なくなっていきました。多くの人がかかわっていた「ヨシ屋」も、ついに一軒だけになってしまいました。唯一、京都でヨシを扱い、茅葺屋根工事も行っているのが「山城萱葺株式会社」です。
代表の山田雅史さんは、ヨシ屋の五代目として家業を継いだのですが、その当時すでにヨシのお得意さんである屋根葺職人さんは急減し、少ない職人さんも高齢化していました。そこで「使う側の人」になることを決心して、修業をし、自ら屋根葺職人になったのでした。
今では全国の民家の屋根葺や文化財の修復、また「美しい萱葺屋根をもっと身近に」と新しい事業も展開されています。
そして「ヨシ原を守る」ことを重要な事業として掲げ「伏見のヨシ原、再発見プロジェクト」の事務局を会社内に置き、地元企業として地域の力になっています。

実際にヨシ焼きを目にした時

伏見のヨシ焼
今年のヨシ焼きは3月7日から26日までのあいだの、風の弱い安全な日に5日間ほど、早朝5時30分から10時頃までと予定されています。実際にヨシ焼きの現場へ行き、燃え盛る火を目の前にすると、なぜか胸にこみあげるものがありました。神聖で、あたたかく明るい火。普段、火の用心くらいは思っても、深く感じることもないけれど、広いヨシ原で見た火は落ち着いて振り返ることも大切であると気づかせてくれた気がしました。
帯状に燃やして、ちょうどグラウンドに白線を引くような感じで、焼く区域の区切りをつけたり、ヨシの束をかついで、風向きに細心の注意を払いながら進めていく作業の大変さをつくづく感じました。「春の風物詩などと、のんきに見ているものではないと思いました」いう私の言葉に山田さんは「のんきに見てくれたらいいんですよ。火事にまちがえられて通報されるよりずっといいですよ」と笑いました。
伏見のヨシ焼
以前、煙りが道路に充満して通行止めになってしまったこともあったそうで、ヨシが湿っていると煙りが出るので、よく乾かすなど、とても細やかに厳しいチェックをされています。ヨシ原は、すこやかなヨシを育てることと同時に、動植物のすみかとしてもとても大切です。小さな生き物にとっての35ヘクタールの楽園は、毎年このようにして守られているということが実感できました。
伏見のヨシ
刈り取った3~4メートルもあるヨシが、空に向かって円錐形に束ねられてあります。中へ入れるヨシの「かまくら」版のようにも見えてきます。耕された田んぼや畑にも感じることが、農家の人や職人さんの仕事の美しさです。このヨシの塔も、ヨシ原の景観の重要な要素になっています。このような束ね方も継承されて来たし、これからもそうして、一つ一つ継承されていくことに感慨を覚えました。

地元の文化・自然の資産をみんなでつなぐ

めじろ
この大切なヨシ焼きですが、産廃規制法にふれる可能性があるということで中断されたことがありました。それを知った地元のさまざまな団体・個人が集まり、シンポジウムを開くなどして「地域みんなで考える」ことに取り組み、1年後には「伏見のヨシ原、再発見プロジェクト」が発足するという迅速な動きで次の年には行政にもかけあい「ヨシ焼きスタート」が実現しました。以後、行政とも協調体制ができ、市民参加の恒例行事として定着しています。
つばめ
子どもたちにヨシ原の大切さ、自然のおもしろさを伝えたいと、25000~35000羽もやって来る西日本有数のツバメのねぐらでもあることから「ツバメの観察会」も毎年行っています。このような、地元のみなさんによる地道な活動の積み重ねに、とても希望を感じました。
山城萱葺株式会社の山田社長さんは「京都建築専門学校」の卒業生で、今も学校へ行って後輩の指導をされていると聞き、この京のさんぽ道でも取材させていただいた学校と佐野校長先生につながるご縁がありました。
伏見のヨシ
ウグイスの初音や、名前は知らねど、とてもきれいなさえずりも聞くことができました。枯れ草のあいだから小さな緑の芽が出ています。堤防の道を歩く人の足取りも何となく軽やかに思えます。今回のヨシ焼きの見学は、自然の営みとその環境を守るために日々かかわっているみなさんの活動の重みを感じました。伏見向島のヨシ原の自然は多くのことを告げてくれます。ヨシ原が緑の色におおわれ、何万羽というツバメがネグラへかえってくる夏にまた訪ねたいと思います。

 

山城萱葺株式会社(「伏見のヨシ原,再発見!」プロジェクト事務局)
城陽市寺田中大小100番地

自分で決めた道 自然体でぶれない農業

三月の声を聞き、暦は土の中の虫も目覚めて動き始める啓蟄を迎えます。
京都の西南部、長岡京市は京都市内・大阪のベッドタウンとして人口が増加したまちですが、西山の緑と住宅地に続く田んぼや畑が広がる自然を身近に感じることができるまちです。
農家の直売所も点在し、季節ごとに新鮮な野菜が並びます。長岡京市の特産、地元では「花菜(はなな)」と呼ぶ菜の花の収穫はそろそろ終わりの頃となり、もうすぐ、全国に誇るブランド品、京筍の出番となります。
長岡京の菜の花畑
化学肥料を使わずに手をかけて育てた野菜やお米が喜ばれている直売所へ、しばらくごぶさたしていましたが、最近またちょくちょく足を運んでいます。それぞれの野菜の特徴や料理のヒントなど次から次へとくり出される興味深い話に、訪ねた時はいつも、つい長居になります。

めずらしいものがある楽しい直売所

山本農園の直売所
山本農園の直売所は、西山の名刹「光明寺」へ向かう、田畑がゆるやかに広がる場所にあります。道路側の側面に大きく「低農薬、有機栽培 季節の野菜 お米販売しています」と書いてあります。通称おとうさんは「そやけど、車やと全然気がつかんと通り過ぎていく」と、さほど残念そうでもなく、おっとりした口ぶりです。それでも、車や自転車、散歩の途中の人など次々とお客さんがやって来ます。
山本農園
すべてその日の朝に収穫された、朝露にしっとりぬれている野菜を、袋詰めをしながら並べていきます。見るからに元気いっぱいの野菜です。5キロもあるはくさいの迫力、切り口のみずみずしさが想像できるずんぐりむっくりした大根の名は「三太郎」。みどりが鮮やかな春菊、養分たっぷりの畑の土がついた里芋やえび芋など、季節の顔がそろっています。
そのなかにちょくちょく、めずらしい野菜や時には果物も並びます。「これは何ですか」と聞くと、少しうれしそうに説明してくれます。
山本農園の黄金カブ
最近目についたものは、中まで黄色の「黄金かぶ」です。中まで黄色なので、サラダにしても色がきれいで、しかもほかの野菜に色が移らないと教えてくれました。炊いてもいいということですので、菜の花と一緒にオリーブオイルで焼くと彩りもきれいでおいしそうですそして「中まで緑色の大根もあるよ」と裏の畑から抜いて来てくれました。成長するにしたがって、どんどん土から上へ出ていくので太陽の光を浴びて緑色になり、皮も固くしっかりした食感になるそうです。「直売所をやっていたら、1シーズンにひとつはめずらしいものを置きたいと思う」ので、種や苗を注文する時に、何か変わったもんはないかとさがすそうです。

山本農園のフェイジョア
パイナップルやイチゴなどをミックスしたような風味がするフェイジョア

定番の季節の野菜と一緒にめずらしい野菜を置いて、お客さんにも喜んでほしいという気持を感じます。秋には「フェイジョア」というとても香りの高いあまずっぱい果物がありました。5月にはピンクのかわいい花が咲き、やはり香りもよく、イタリアンレストランのシェフは、食用花に使っているそうです。ほとんどの人が普通に売られているピーナツしか知らない「落花生」も評判になりました。殻付きのまま塩ゆでにして、まだ温かいうちに食べるおいしさを教えてもらいました。「つくる側もお客さんも楽しくなる」直売所です。

子どもたちに食べてもらえるお米野菜

山本農園の「おとうさん」
大きな芋を手に笑顔で話す「おとうさん」

おとうさんが、建築会社で技術系のサラリーマンから実家の農業を専業にして26年たちました。アレルギー体質の子どもたちにも、安心しておいしく食べてもらえるお米や野菜作りを大切にしています。小学生のお孫さんは「おじいちゃんの作った野菜」はよく食べてくれるそうです。他でとれた野菜は、これはおじいちゃんのと違うとわかると聞いて、普段の食生活の積み重ねの大きさを感じました。
山本農園の大根
「子どもの舌は正直。おとなのようにお世辞を言ったり知識の刷り込みがないから、そのまんま」という言葉には私たち買う側にとっても大切なことが含まれています。田んぼは、さらに自然豊かで水がきれいな美山町にあります。通うのは大変だと思いますが「化学肥料を使わず、減農薬で育てたおいしいお米を作る」という思いで美山へ通い続けています。
そして「うちのお米や野菜つくりの考えに賛同してくれる人がお客さんになり、常連さんになってくれる」という語り口に、26年間つちかってきた確かで静かな自信が感じられます。「来る者は拒まず、去る者は追わず」とほがらかです。
そして「野菜の説明でも、押しつけに感じることになるかもしれないから、これはおいしいというようなことは言わない。たとえば、えび芋なら皮をむく時に手がかゆくならないとかヒントになることに止めておいたほうがいい」という考え方やお客さんとの間合いは、見積りから現場、掃除までやったという建築会社での経験も生かされています。そして「お米も野菜も手をかければかけるほど、ちゃんとこたえてくれる。子どもと一緒。手をかけすぎてもだめやけど、それぞれの特性を生かして育てることが大事」と続けました。経験豊かな人の含蓄のある言葉です。

寿命が来るまで精いっぱい好きなことを

山本農園のおとうさんとおかあさん
「前は正月以外ずっと直売所を開いていた。休むとかえって調子が悪い」そうです。健康管理をして体力を保ち、おいしいものをみんなに食べてもらえるようにと、いつも心がけています。「二人で一人前。ひとりではできないことも二人ならできる」という欠くことのできない大切な存在は「おかあさん」です。
「このあいだのえび芋の頭芋、びっくりするほど大きかったけど、炊いたら本当においしかったです」と伝えると、にこっと、うれしそうに「そやろ。ひと味ちがうやろ」というおとうさんの言葉に続いて「素揚げもおいしいよ。油が飛びそうなら片栗粉を付けて。揚げたてに塩をぱらっと振って、あれば青のりをちょっとかけると香りもいいしね」と教えてくれて二人の間合いが絶妙です。
長岡京市の山本農園に飾られた菜の花
農機具収納庫の直売所には、いつもさり気なく季節の野の花があり、心がなごみます。長岡京市内には、いくつも直売所があります。おとうさんは「それぞれが特色を出してやっていくことが大事」だと考えています。そして化学肥料を使わない減農薬の農業についても「無理をしない程度に、うちはうちの自然体で続けていく。自分でこれと決めた道をぶれないでやっているだけ」と気負いはありません。
ポポーという北アメリカ原産のめずらしい果樹を育てた時は、15本植えたのに、実が付いたのは1本だけという出来事にも「美山やったから目が行き届かんかったから」と原因をとらえ、前向きです。

「自分で一生懸命作った作物を納得する売り方をしたい」と考えて始めた直売所は、これからも私たちに、当たり前のように感じている毎日の食卓は、一年中、田んぼや畑に出て仕事を続ける人たちの存在があってこそという原点に立ち返らせてくれます。普段の暮らしが普通に送れるということの重みと、どれだけかけがえのないものなのかを思い、感謝する気持を忘れてはならないと感じています。
「どんなに寒くても植物は自分でわかっていて、3月になればちゃんと準備を始める」という言葉に励まされました。

 

山本農園
長岡京市 光明寺道と文化センター通り蓮ケ糸交差点西南角
営業時間 10:00~17:00頃(途中、昼食休憩あり)
定休日 水曜日

時代の彩りと空気を 伝える紙のもの

デジタル化が進み、スマートフォンがあれば情報をいち早く受け取り、本は電子書籍で読めます。それにつれて紙の印刷物がずいぶん少なくなり、紙だから伝わるものがあるのにと、さみしい気持ちのこの頃でしたが「アンティーク&ヴィンテージプリント」を集めたお店「Comfy design(コンフィーデザイン)」に出会いました。
1700~1800年代はじめ、1900年代にかけてヨーロッパやアメリカで制作された図鑑やポスター、書籍、ラベル、カードなど、今の最先端の技術にはみられないあたたかみや美しさを感じます。すべて店主みずからフランス、イギリス、北欧で買い付けたものです。知り合いのお宅を訪問したような雰囲気の空間で、店主のマキさんに話をお聞きしました。

雑貨からアンティークプリント専門に

コンフィーデザインの外観コンフィーデザインのマキさん
マキさんは子どもの頃から古いものが好きだったそうで、おかあさんの1970~80年代の洋服がおしゃれでかわいかったので着ていたという感性の持ち主です。そして20代のはじめには大阪から京都へ度々来て骨董屋さんめぐりをしたそうです。
「今なら、とても入っていけない骨董屋さんへも若気の至りで入りました」と笑って話してくれましたが、たくさん良いものを見てお店の人からいろいろ教えてもらったことが、後々の糧になったのだと思います。
コンフィーデザインの店内
以前扱っていたアンティーク雑貨の販売をしていましたが、雑貨のお店が急激に増えたことと、インテリア関係の勉強をしていたこともあり、アンティークプリントはインテリアとして楽しめると考え、紙もの専門に決めて再スタートしました。商品は1000点を超え、さらに増えているそうで、取材に伺った日も荷物が届いたところでした。
コンフィーデザインのアンティークプリント
1700~1800年代の銅版画に手作業で彩色された植物や鳥の図録は、実物を忠実に描いているのですが、本当に細やかに彩色がほどこされ、また余白の取り方や配置のバランスもみごとです。お客さんに気の遠くなるような細かい彩色を手仕事でしていると説明すると、みんなおどろくそうです。
ラ・ヴィ・パリジェンヌ
1863年に創刊されたフランスの週刊誌「LA VIE PARISIENNE(ラ・ヴィ・パリジェンヌ)」は当時の売れっ子イラストレーターの作品が表紙や広告ページをサイン入りで飾っています。
女性たちのしぐさや表情、ファッションも楽しめる大型サイズです。コンフィーデザインのすばらしいコレクションのひとつです。1900年代テレビコマーシャルの時代になる前のポスターや雑誌広告は、力のあるイラストレーターやデザイナーが腕を振るっています。広告が一般に届くようになった幕開けの時代に、制作にかかわった人たちのエネルギーが伝わってきます。
マキさんは「手彩色の部分をルーペで見ると少しはみ出していることがあるけれど、それも愛おしい」と感じるそうです。彩色に手を動かしている名もない人たちを思うと情がわいてきます。紙の手ざわりや色合いから遠いヨーロッパの昔の職人さんを知っているような心持ちになりました。紙が伝えてくれる豊かさです。

心にひびく自分がすきなものが一番

コンフィーデザインの店内コンフィーデザインのアンティーク
お店にはいい具合に年を経たテーブルやいす、ランプシェード、鏡、マントルピースなど家具もあります。マキさんは「錆び、キズやへこみも味になります」と語ります。希望があれば販売するとのこと。錆び、キズ、へこみを味として長く愛用してくれる人のもとへ行くのもいいなと思いました。
コンフィーデザインのボタニカルアート
お客さんに「何がおすすめですか」とたずねられることもあるそうですが、手はじめには植物の彩色したものを提案するとのことでした。はじめてでも、このようなアドバイスがあればどきどきしなくて安心できます。
そのうえで「自分がすきなものが一番ということを大切にしてほしい。無名のプリントであっても自分の心にひびくもの、直観を信じて選んでほしい」と続けました。
アンティークも希少なものは当然高額ですし、そこに価値もあります。それは一つのしっかりした基準として、あとは信頼できるアドバイスと自分のすきという気持で決めることができるかどうかだと思いました。それを自分に問うてみると、けっこうぐらぐらしそうな気もしてきます。
「自分の好きが一番、自分の心にひびくものを大切に」という言葉は、毎日を送るなかのいろいろな場面にも生きてくる言葉だと感じました。

改めて感じる京都のブランド力

以前ご紹介した昆布屋さんもある昔ながらの北野商店街

コンフィーデザインは、通称下の森と呼ばれる北野商店街にあります。顔なじみのお客さんが変わらず通って日常の買い物をする地域密着型の商店街です。
偶然通りかかってお店を見つけた時は「雰囲気の違うお店」と感じましたが、そこがまたこういう商店街のおもしろいところだとも思います。ここでオープンしたのは2019年4月。もうすぐ満3年を迎えます。この建物は前に洋品店だったそうで、広さも手ごろで一度見てすぐ決めて、自分たちで楽しく壁塗りをして入居したそうです。
もっとまちなかは考えなかったのですかという質問には「まちなかだと、お客さんがちょっと入ってみようかなと次々来られて、ゆっくりしてもらえないと思ったからです。気軽にゆっくりできるお店にしたかったので」という答えでした。
マキさんは京都で暮らして20年以上になるそうですが来たきっかけは「古いものを扱うなら京都、という軽いのりで引っ越して来ました」と笑いました。

壁に飾られているのはスウェーデンで作られた石版画の果物図鑑

紙ものだけのお店はお客さんは限定されると思いますが、紙がすきなひとは遠くからでもさがしてやってくるそうです。そしてオンラインで買ってくれたお客さんが京都観光の折にお店に寄ってくれたそうです。京都なら行きたいと思う「京都のブランド力」は強いと感じるそうです。京都は大学が多い街なので、時々学生さんも入って来るそうですが、かえって若い人のほうが緊張せずに入って来るので、アンティークプリントのこともいろいろ話せるのだそうです。「敷居を高く感じないで。気軽に入って、ゆっくりしてください」と願っています。
コンフィーデザイン
マキさんはもちろん、本は紙派です。「コーヒーを飲みながらページをめくるのと、クリックやタップするのとは全然違う、いちいちめくる楽しさがいい」そして「アンティーク屋はとてもエコだと思います」と続けました。
ものを大切に使い続けるというヨーロッパの人と、始末のこころでとことん使い切る日本人も本来は似ている気もします。急ぎすぎたり、少し疲れた時、古い紙の手ざわりや色合いがきっと気持ちをおだやかにしてくれます。
通勤に使っているという、赤いかわいい自転車が戸口にあれば開店しています。

 

コンフィーデザイン
京都市上京区三軒町48-7
営業時間 12:00~18:00
定休日 木曜日

商店街の乾物屋さんが 教えてくれたこと

立春のころが一番寒いという、京の底冷えを実感する毎日に、湯気があがるあたたかかい食卓は何よりうれしく感じます。普段の食材を買いにくるおなじみの地元のお客さんが多い出町枡形商店街に、産地名が書かれた様々な昆布や鰹節、豆などが並んだ乾物屋さんがあります。
最近は乾物について聞いたり教えてもらう機会が身近には、なかなかありませんが「和食の基本はだし」と言います。日本の風土気候と昔の人の知恵が育んだ、すぐれた食材である乾物は、保存がきいて、濃厚なうま味を持ち体によい成分があると、いいことづくめです。今の時代こそ乾物を上手に活用したいと思います。
京都の食や素材、だしの取り方、さらに鰹節や昆布が育つ海の変化など、とても深く広い興味深い話を「ふじや鰹節店」店主 藤井英蔵さんにお聞きしました。

諸国名産が集まった京の都


千年の都の京都には、宮中や寺社へ全国から逸品が献上され、そのなかに今も伝統野菜として栽培されている野菜や、鰹節に昆布もありました。次第に京都でも野菜の栽培が盛んになり、風土にあった改良も重ねられました。鰹節や昆布も一般に手にすることができるようになり、海から遠く離れていることもあり、野菜と出汁すぐれた素材を組み合わせて独自の食文化が発達したと言われています。

ふじや鰹節店の藤井英蔵さん
ふじや鰹節店の藤井英蔵さん

藤井さんも「京都は特に格付け、ものの良しあしに厳しいところです。京の都には全国から超一級品、最上のものが入ってきたので」と話しておられました。お店に置いてあるきれいな銀色の煮干しは、ほっそりと小ぶりです。「小さいのを好まはる」ので、10センチまでのものを仕入れているということでした。普段使いの煮干しにも「好み」という表現に違和感がないのが京都のすごさとも感じます。
鰹節に昆布、小豆や黒豆、椎茸等々、乾物とはこんなにいろいろあるのだと知るだけでも、いい勉強になります。さらに何でも答えてもらえる先生がいる「まちかど乾物博物館」のようです。

専門店としての特色が大きな強み

ふじや鰹節店の店頭
ふじや鰹節店は「乾物は不況に強い商い」とうことで藤井さんのおばあさんが開業しました。藤井さんが小学校3~4年生頃から高度成長期に入り大阪万博もあり、商店街はたいへんな人出で沸き返ったような様子だったそうです。藤井さんも高校生の時にはバイクの免許をとり、学校から帰ると毎日、遠くは鞍馬あたりまで配達していたそうです。
それは経済活動が活発であったこともありますが、いつもお店で削った削りたての鰹節を買うことができ、昆布もきちんとしたまちがいのないものを届けてくれたからだと思います。

ふじや鰹節店の藤井英蔵さん
まだまだ現役、30年選手の鰹節削り機

今お店にある鰹節削り機は3代目、使い始めて30年になります。製造メーカーは廃業してしまいましたが、かろうじて社員だった方がメンテナンスをしてくれているそうです。
こうして鰹節を削って袋詰めするお店はほとんどなくなり、乾物屋さん自体を見かけることがありません。以前は町内に2~3軒はあり、この枡形商店街にもほかに乾物屋さんがあったそうですが今はふじや一軒だけとなりました。
「食生活や暮らし方そのものの大きな変化のなかで、乾物屋としてどうしていくか」それは「ほかにはない商品がある。目利きが選び、作った商品でふじやというブランドにして専門店としての強みを大切にすること」と方向を定めました。
ふじや鰹節店の鰹節
取材伺った日はいつもにも増して、鰹節のいい香りがただよっていました。鰹節を削る日に当たっていて、削りたての鰹節が次々と袋詰めされていきます。おいしいものは美しいと感じます。今では製造できる人はわずかとなった「薩摩形本枯節」を使っています。
1匹、1匹、職人さんが見定めて15㎏はある一本釣りされた鰹を4節に切り分けることから始まります。カビ付と天日干しをくり返し、7~8か月かけてやっと完成する最高の鰹節で日本料理には欠かせません。
ふじや鰹節店の鰹節
ふじやは鹿児島県の熟練の職人さんのものだけを扱っています。昆布も普通出まわっているのは養殖物ですが、ふじやでは天然ものを揃えています。最近は海水温の上昇が続き、昆布の生育にも異変が起きているそうです。
これまでも取材などの折に「後継者はいるのですか、とよう聞かれましたけれど、後継者うんぬんの前に、売るものがなくなりそう」という危機感を抱いています。

お正月に作るたつくり用のごまめは、毎年宮津で11月に水揚げしたものだけを入れていますが、今年は不漁で非常な高値となり仕入れることができなかったそうで異変は広がっています。
長引くコロナの影響など社会の変化は個々の暮らしにも及んで、今は「すぐに食べられるもの、価格が安いもの」に傾いている状況ですがそのなかでも少しでも鰹節や昆布のことを知ってもらいたいと、切り出しや色が少しよくないといったもので買いやすい価格の「品質はそのままのお買い得商品」をつくっています。

地域のなかの店だから続いてきた

ふじや鰹節店のある出町枡形商店街
「変化のなかだからこそ、鰹節や昆布についての豊富な知識、お客さんにとって役に立つ情報」を商品と一緒に提供しています。乾物入門的なお客さんには、質問に答え相談にのり、乾物を取り入れた食生活のよいところなど、無理をしない利用の仕方をアドバイスしています。もうすぐ節分・立春ということで枡形商店街では「立春大吉大売り出し」中です。藤井さんはお客さん一人一人に、大売り出しのチラシを渡しながら「抽選会もあるので」と宣伝も怠りません。

ふじや鰹節店で昆布も豊富に取り扱っています。
昆布も種類豊富に取り扱っています。

ふじや鰹節店ではお寺やお宮さんのお供え用の昆布も納めています。藤井さんは「それがあるんで店をやめられへんかった」と笑いました。
また「鰹節の持ち込み」があり、削りを頼まれることもあります。「加工代をいただいている」そうですが、預かった鰹節は洗って蒸して乾燥させてから削り機にかけるそうです。「商店街でずっとやって来た乾物屋やから、こういうこともやらせてもらってます。」
ふじや鰹節店の福豆
鬼のお面と豆の横に栃木県産のかんぴょうが置いてありました。節分のころは巻きずしを作るお客さんが多いのだそうです。巻きずし用にと干し椎茸をしな定めしていたお客さんには「芯にいれるんなら薄いほうが巻きやすいから」と具合のよいものを選んであげていました。
京都というまちと暮らしをお互いに支えている枡形商店街とお客さん、そしてふじやのようなお店があることが、京都の誇りとするところだと思いました。地域密着のお店にははじめて知ること、発見がたくさんあります。

 

ふじや鰹節店
京都市上京区枡形通寺町東入三栄町63
営業時間 10:00〜18:00
定休日 水曜日

ぼたん鍋の季節 京都寺町のゐの志し屋

寒の内、京都のまちを囲む三方の山々も冬時雨にけむっています。自然となべ物の登場回数も多くなる季節です。
幅広いふちどりのような脂身がたっぷりある猪肉のぼたん鍋は、代表的なご馳走鍋でしょう。昆布でとった出汁に白みそを入れて、脂身の旨みを味わいます。
煮込むほどにおいしく硬くならない最高のイノシシを販売する、京都市内で一軒だけのお店があります。大正5年の創業時から今も変わらず、寺町今出川で商いを続ける「改進亭総本店」の三代目店主、松岡啓史さんに話をお聞きしました。

牡丹、山くじら、桜に紅葉、薬食い

改進亭総本店店頭
日本では仏教の殺生をしないという教えや、牛や馬は大切な働き手であったことなどから肉食は禁止、あるいははばかられてきた歴史があります。ではそれまでまったく食べていなかったのかといえば、そうでもなかったようです。牛馬以外の、山に住む獣肉は古くから食べられていて、江戸時代には馬を桜、鹿を紅葉、そして猪は牡丹と呼んで楽しんでいいました。その名前がついた理由は諸説ありますが、そうやって隠語を使って舌鼓を打っていた様子を想像するとほほえましく思います。

歌川広重 江戸名所百景 びくにはし雪中
歌川広重 江戸名所百景 びくにはし雪中(wikipediaより)

猪は「山くじら」とも言われていました。「これは山にいるくじらですから、猪ではありません」というわけですね。歌川広重の「名所江戸百景」に、山くじらと書いた看板が見える浮世絵があり、気軽に屋台でも食べることができる人気メニューであったことがうかがえます。
また「薬喰い」と称して、体の養生のために薬として食べていることにするなど、様々にこじつけて食していたようです。おおっぴらに食べられるようになったのは時代が明治になって、牛肉のすき焼きを出す「牛鍋屋」ができてからです。
御所があり寺院の多い京都では、食文化においても有職料理や精進料理、茶懐石の料理を伝えてきましたが、進取の精神で新たな文化も次々取り入れ、すき焼きの店も明治の初めにできていきました。改進亭総本店も大正5年に現在の地で創業しました。

今もみずからの手で解体して店頭へ

改進亭総本店の店頭
創業者は松岡さんのおじいさんで、当時、京都ではまだ豚肉の扱いはなく牛肉のみを販売していました。「加茂牛」という、とてもおいしい牛肉だったそうです。「京都は小さいまちなので、すぐ近くに山があります。それにここは京都のまち中でも北のはてやから、上賀茂や西賀茂の猟師さんから、猪が持ち込まれるようになったと聞いています」と松岡さんは語ります。
その買い取ったイノシシを多くの人に知ってもらい、実際に買ってもらうために考えたすえ「洛北名物」と銘打って売り出しました。才覚のある初代が築いた改進亭は、その時から「寺町のイノシシ屋」として、ぼたん鍋のおいしさを広げ、まちがいのない店として知られるようになりました。
いのしし
イノシシは仕留めたらすぐに血抜きして内臓を出し、冷たい谷水につけるのだそうです。そうすることで肉がいたみません。猟師さんの仕事はそこまでで、皮をはぐ作業は今でもお店でしていると聞いて、これにもおどろきました。イノシシの旨みは何と言っても脂にあり大事なので、できる限り脂が多く残るように、皮と脂の境い目ギリギリのところではぐそうです。
断熱材の役目を果たす脂の層は、普通は2・5センチくらいですが、いいものは3~4センチもあるそうです。「持っている脂がイノシシの財産」なのです。そして「野生で生きているものは太って元気なのがおいしい」と断言します。「苦労して走り回って、たくさんえさを食べたシシはすごくおいしいです。彼らは自分の身ひとつが財産です。人間で言えばお金持ちですね。僕なんかシシだったら生きてられないですよ。けんかも弱いし」と物静かな口調のなかにユーモアを織り交ぜながらの「もっと聞きたい」と引き込まれるお話でした。
改進亭総本店の猪肉
現在は道路網が整備され輸送が短時間になったので、丹波、若狭、丹後、滋賀県のイノシシも入っていますが、産地うんぬんより、そのイノシシがよい個体であることが肝心になります。そして重要なことは血抜きがうまくできているかどうかです。血抜きがうまくできないと、せっかくの宝が台無しになってしまいます。血抜きがうまくできていないと脂身は赤くなり、赤身の部分は黒くなってしまうと聞きました。個体差のあるイノシシを吟味して血抜きの具合も見極めることは、経験に裏打ちされた目利きの仕事です。
精肉の仕事も一度外で修業して店は入ることが多いのですが、イノシシを扱う精肉店は他になかったので、松岡さんは最初からおじいさんとお父さんの仕事を見ながら経験を積んできました。京都市内で一軒だけのイノシシ屋としての信頼をしっかり引き継いでいます。

今も変わらぬ生まれ育った家と店

改進亭総本店のある寺町通り改進亭総本店の店頭
改進亭は、様々な業種のお店が並ぶ地元の頼りになる「出町枡形商店街」に続く寺町通にあります。近所には「傘」や「貸布団」の看板がかかった町家があり、営業を続けるモダンな建築の理髪店や「茶」と染め抜いたのれんが下がるお茶屋さんもあります。
以前、この通りの雰囲気に魅かれて歩いていて目にとまったのが「寺町ノゐの志し屋」の看板でした。出かけられるところの松岡さんと居合わせ、少し立ち話をさせていただき「イノシシは11月から3月まで販売しますので、その頃またどうぞ」と聞き、看板のとおり「イノシシ屋」さんだったのだと思いました。

改進亭総本店のご主人、松岡啓史さん
改進亭総本店のご主人、松岡啓史さん

お店の構えはいかにも「まちのお肉屋さん」の懐かしい雰囲気をまとっています。時々お店を手伝う妹さんから「子どもの頃は、イノシシが店の中へ台車で運ばれてきて、その上に乗って電車ごっこをしていました」という思い出は、他では絶対に聞けない貴重な話でした。
松岡さんは上京中学校でブラスバンド部へ入りホルンを吹いていました。上京中学校は毎年吹奏楽コンクールで上位入賞を果たしていて、練習もかなり厳しく「運動部からも恐れられるくらい」だったそうです。今も自転車にホルンを乗せて、人のいない山のほうへ出かけて吹くことを楽しい趣味にしています。本当はトランペット志望だったのがホルンをあてがわれてしまったけれど、調べてみたら狩りの時に吹いていたと知って「うちはイノシシ屋なので縁があるんやなあと思いました」という、本業以外の話にも、おだやかなお人柄があらわれていました。
ぼたん鍋
お店には毎年来店する常連さんや飲食店の方をはじめ料理屋さんからの注文もあります。猟師さんもお客さんも長い付き合いが続いています。松岡さんは「京都はそういうまちやから」と言います。「昆布出汁をしっかりとって、白みそと赤みその割合は7対3。しっかり煮込んで脂のおいしさを味わう」改進亭総本店流のぼたん鍋が京都の底冷えのなか、多くの人の体と気持ちをあたためてくれます。

 

改進亭総本店
京都市上京区寺町通今出川上る表町35
営業時間 10:00~19:00
定休日 水曜日

きっと行きつけになる 着物屋さん

みなさん、すこやかな新年をお迎えのことと思います。また、どのようなお正月風景のなかでお過ごしでしょうか。お正月は着物を着るいい機会ですね。
「着物は持っていないけれどいいなと思う」「家の古いたんすに入ったままの着物を着てみたい」「久しぶりに着てみようかな」また、おかあさんの若い頃のおさがり、おばあちゃんが縫ってくれたウール、市で手に入れたお気に入りなど、着物にまつわるそれぞれの思い出も大切にしながら「着たい気持ち」に応えてくれる着物屋さんがあります。「自由に、今、着る」ことを楽しみ、着物の世界を広がてくれる、頼れるお店が「燈織屋(ひおりや)」さんです。「燈」は着物好きの人の足元を照らすともしび、「織」は、着物にかかわる様々な人たちが糸のように交わり、一緒に布を織りなしていけますようにとの思いをこめて名付けられました。
その燈織屋店主の森島清香さんに話をお聞きしました。汲めども尽きず、湧き上あがるお話は切り上げることができないほどの楽しい時間でした。

自分のすきを基準にしたものたち

燈織屋店内
燈織屋で扱っている着物や帯はリサイクル品も、オリジナル商品もあります。リサイクルの着物は「古物商免許」を持つ森島さんが、自身の感性や「すき」を基準に仕入れしています。旧来の着物の柄の概念にしばられない、大胆でアート作品のようなデザインが特徴の銘仙やアンティーク、手仕事が静かな存在感を放つ友禅や刺繍の着物や帯など、そこに居合わすだけでわくわくしてきます。そのなかに「燈織屋オリジナル」商品が個性を発揮しながらも、他とぶつかることなく一つところに並んでいます。
燈織屋オリジナル帯ちよ
チョコレート好きの森島さんが企画・デザインした半幅帯と角帯シリーズ「ちよ」はチョコレートと、ながい年月を意味する「千代に八千代に」からとって「ちよ」に決めたそうです。色の説明も「ミルク多めな甘め」「ダークな苦め」など、伝え方もオリジナルです。
燈織屋オリジナル名古屋帯
もう一つのシリーズは、大好きなイラストレーターの作品をデザインしています。「線香花火のアイスティー」など、こちらも他にはない世界観をあらわしています。身に付けた人も周囲の人も楽しくする帯です。ほかにも、ころんとした形がほのぼのするガラスの針山、きりっと美しい縫製の袱紗、水引のアクセサリーなど、小物も魅力的です。これはどのように燈織屋へやってきたのか話していただきました。

積み重ねた経験と人との出会いが後ろ盾

燈織屋店主の森島清香さん
森島さんは、とても厳しかった和裁の専門学校、膨大な枚数をこなしていた着物のしみ抜きとクリーニング、手描友禅の各工程のプロに技術を教えていただいた友禅組合、販売に関わったアンティーク着物店など様々な経験をされてきました。
すべて順風満帆というわけではなかったそうですが、それも含め今の燈織屋のなかに生きていると感じます。
燈織屋和裁教室スペース
厳しい和裁の専門学校で、実技のスピードが追いつけない時、友だちが放課後に教えてくれたそうです。今、和裁教室をしていて、生徒さんがどこでつまずいているか、何がわからないかなど、自分がわからなかった経験があるから教えることができると語ります。きものの形、なりたちがわかるように、窓に貼った和裁教室の案内には、たとえば「袖なおし」ならどこの部分をなおすのかが、イラストを使って説明されています。商品に付けられたサイズ表示や、「洗濯済」などのタグも親切です。
リサイクル着物の販売では、そこへやってくるお客さんは正統派だけでなく、和洋折衷の自由な着方を楽しまれている方が多く、普通の着物の着方とは全然ちがうけれど「着方は自由なんだ」と感じたそうです。違いをみて、否定から入らずに発見につなげる柔軟性と軽やかさです。それはとても大切なことだと感じました。
燈織屋の水引アクセサリー燈織屋の数寄屋袋
水引アクセサリーは以前住んでいた新潟県長岡市の和装レンタル店「縁(えにし)」さんの燈織屋オリジナル配色、袱紗は和裁の専門学校時代の友だちとの共同制作とのことです。表と内側の古布の組み合わせなど、すべておまかせですが、縫製はもちろん、センスのある美しいパッケージは「自分に贈りたい」と思います。帯のデザインのもとになった「満月珈琲店」さんの世界にまぎれこんでみたい気持ちになります。
染めやしみ抜き、洗いも信頼できる職方です。それぞれの分野の仕事の人々が専門の技術を生かし、また新たな一面を見せて燈織屋のやりたい事を実現させています。その「織」の重なりが、お店に来てくれる人たちの足元を一層明るくする「燈」になっていると感じます。

着物屋さんですが中身は変化進化しています

燈織屋外観
お店の販売日は週2日、和裁教室は週3日行われています。ゆかたを縫っている生徒さんたちで、縫いあがったら近くにある国登録有形文化財の建物「なかの邸」へ食事に行くのを楽しみにして、そのゴールをめざしてがんばっていたのですが、コロナでやむなく中止になってしまいました。
なかの邸では今、藍を育て、そのワークショップを行っています。森島さんも参加し、手始めに半幅帯を染める目標を掲げて、生徒さんと一緒に楽しみにしています。このようにご近所さんとつながりができ、それが次の新しい試みが生まれることを期待できそうです。
燈織屋内装
燈織屋の店内は上手に内装されていて、青い壁の色が印象的です。この色にする時はだいぶ冒険だったそうですが、個性的な色でありながら、ずっといても疲れない色です。和裁の仕立台を前にしても違和感がありません。空間デザインはすべてご主人がされたそうです。森島さんも全面的に信頼し、いい内装になったと言われていました。めざすもの、やりたいことが共有されているからでしょう。
燈織屋の針山
「ガラスの透明感を大切にしたかった」という針山や、果物をイメージしたおいしそうできれいな帯留め、かんざしなどガラスの作品も手がけておられます。ガラスは硬質、冷たい、鋭いイメージがありますが、ご主人の作るガラスは、やさしく、やわらかささえ感じます。帯の柄や商品の台紙は、森島さんが色鉛筆で描いたイラストをご主人がパソコンに取りこんで完成させているそうです。
燈織屋ディスプレイ燈織屋着物
森島さんは店内のディスプレイや商品、ワークショップなども含め、もっと季節感のある店内にして、季節の移ろいを感じ楽しんでもらえるようにしたいと話していました。水引ピアスの台紙に記された「いろ かさなる 織りなす 季節」の清香さん作のコピーがすてきです。伺った時はウィンドウには、すがすがしい新春の気分の、白地の着物に梅の花の染帯がディスプレイされていました。このウィンドウを楽しみにして通る人もいることでしょう。お店には梅の意匠の着物が他にも集められていました。凛とした花の姿に香りも漂ってくるようです。
燈織屋店主
森島さんは、きちんとした場に着る時はそれなりのきちんとした礼にかなった着方を大切にしています。そして、それ以外、普段のケとハレのあいだにある「ケのなかのハレ」を楽しんで、と言っています。普段の暮らしのなかにこそ、楽しみや喜びを見つけよう、そうやって着物を自由に着る楽しみを多くの人に知ってほしいと森島さんは願っています。
今の季節のヒットは「コーデュロイの羽織」です。思ったよりずっと軽くあたたかい。しかもサイズや色も選べるセミオーダーです。なくて困っている、あったらいいな、をかなえてくれるうれしいお店です。新しい一年が始まりました。着物を着る楽しさを多くの人と分かち合えるよう願っています。

 

燈織屋(ひおりや)
長岡京市友岡3丁目9-3
営業時間 11:00~18:00(販売及び仕立てその他の相談)
営業日 金曜、日曜日

やっぱり 街のクリーニング屋さん

天井から太い電気のコードが何本も下がり、おじさんが、いかにも重そうなアイロンを巧みに動かしているクリーニング屋さん。以前はごく普通に見られた光景でしたが、今は取次のみの店舗がほとんどです。クリーニング店を利用する人や機会が減少していることは確かですが、そのなかでも「ここへ出したら心配ない」と、お客さんの信頼を得て長いお付き合いを続けているお店もあります。右京区にある「太清クリーニング」もそんな、頼れる「まちのクリーニング屋さん」です。手を休めることなく忙しく作業されているなか、代表の瀬戸達生さん、恵子さんに話をお聞きしました。

様々な機械や道具が並び製造現場のよう

太清クリーニングの店内着物のクリーニング
普通は見せてもらうことはまずない、クリーニング屋さんの中へ入らせていただきました。
洗いが終わったシャツが何枚もハンガーにかけられ、工場や病院のユニフォームに交じって七五三に着たのか、かわいい晴れ着がひときわ目を引きます。「衣」というものは、節目となる晴れの日、そして毎日の仕事の場にかかわっていることを物語っています。
衣類の種類や工程によって使い分ける機械や道具が並んでいます。アイロンのほかに、肩や衿を立体的に仕上げるアイロン台の馬、袖、ズボンやシーツなどそれぞれ専用のスチーム、奥にはドライ用、水洗い用の大きな洗濯機と乾燥機が据えられています。
洗濯機太清クリーニングの太清クリーニングのプレス機械
瀬戸さん夫妻と昨年からお手伝いいただいている方と三人がそれぞれの工程で、きびきびと仕事を進めています。さながら製造業の現場のようです。「そこさわったら、やけどするし気ぃつけてや」という瀬戸さんの声にそばを見ると、袖の仕上げに使う横に長い器具から高温の蒸気が噴き出していました。このほかにも、ドライクリーニング用の石油系溶剤や、しみ抜きなどあと処理に使う揮発性の高い薬品など、取り扱いに注意が必要なものがあります。きれいに仕上げるだけではなく、仕事中のけがや事故を防ぐためにも細心の注意と機械の正確な操作が重要です。
太清クリーニングの機械
それにしても、預かってから仕上がるまでに、驚くほどたくさんの細かい仕事があります。ポケットの中やボタン、ほつれ、シミの有無などのチェックに始まり、素材や種類などによって、ドライ、水洗い、手洗いなどに分け、洗い、アイロンがけ、仕上げ、出来上がりはたたみかハンガー掛けなのかのほか、お客さんの要望があればそれも加味して仕上げます。
一日にワイシャツなら50枚から多い時は70〜80枚、それにスーツなどが加わります。重いアイロンを使って仕上げることも、強烈なスチームの出る機械を使っての仕事は、夏にはさぞつらい重労働だと思います。しかし雰囲気はなごやかで明るく、阿吽の呼吸でスムーズに仕事が進んでいきます。一着、一着ていねいに扱う様子を見ても、お客さんを大切にする個人店ならではの行き届いた仕事を感じます。

住込みの修行を3年半

太清クリーニング
太清クリーニングは、瀬戸さんのお父さんが昭和41年に開業しました。瀬戸さんは高校を卒業する時にお父さんから「東京のクリーニング専門学校へ行くか、福知山で住込みで修業するか」を選択するように言われ、住込みを選びました。「まだ18歳の遊びたい盛りに東京へなんて行ったら、勉強そっちのけになるやろなあ」と思ったからです。
修業時代はつらいこと、大変なこともあったけれど、がんばったその3年半があったからこそ、その後に帰って来てお父さんと一緒に仕事ができたのだと語りました。
太清クリーニングの瀬戸達生さん
新しい機械の展示会には必ず行って情報を吸収し、新規のお客さんを増やすために営業も徹底し、一軒、一軒回りました。「最初はけんもほろろで、話しもさせてもらえなかったけれど、3回めには会ってくれてお客さんになってくれた。あの頃は営業もクリーニングについての勉強も本当にがんばった」と当時をふり返ります。信用してもらうまでは大変だけれど、一度お客さんになると、他のクリーニング店を使うということはなく、その頃のお客さんは、そのまま続いているそうです。

展示会には必ず足を運び確かな情報を得て「いいと思う機械はすべて入れた」という時代を読んだ積極的な設備投資が、功を奏して家族経営のクリーニング店を支えています。太清クリーニングでは、集荷・配達も行っていますが、タブレット端末を導入して出先でも処理を可能にして、預かり品を一括管理できるシステムになっています。取り入れるものは取り入れ、技術革新や省力化をすすめたことが、個人店の良さを生かす経営につながっています。

家族で経営していてすごい

南太秦小学校のみなさんからの手紙
近くの小学校の2年生が職場見学で訪れ、その感想文が壁に貼ってあります。恵子さんは「子どもたちはまっ白な素直な状態でものを見るので、時々はっとさせられることがあります。感想を聞いて、初心を大切にして毎日の仕事をていねいにしようと思いました」と話してくれました。
「お父さんの背広はこうやって洗ってもらっているということがわかった。クリーニングをするのに、こんなに時間がかかって大変だなと思った」そして「かぞくぜんいんで、しごとをしていてすごいとおもった」と感想が綴られていました。
太清クリーニングの瀬戸恵子さん
作業の合間にお客さんがやって来ます。みなさん長いお付き合いで恵子さんと親しくやり取りしています。「お父さんが定年退職してスーツやワイシャツを着ることは減ったけど、ずっとここへお願いしています。親切やし、きれいにしてくれるから」という、お客さんの言葉です。
クリーニング依頼品の帽子
高い技術力のある太清クリーニングでは衣類以外にも「洗えるものは洗います」と依頼に対応しています。取材時には紳士用の夏の帽子がありました。これからも使いたいという持ち主の愛着が感じられます。
ファストファッションの台頭や昨年からのコロナの影響で、仕事や授業がリモートになり、行楽や食事なども含め外へ出かける機会が極端に少なくなりました。衣料品の不振やクリーニング店への打撃も大きかったと思います。しかし瀬戸さんは、ファストファッションの衣類であっても、これは長く着たいと思えば出す人は出すと言います。もちろん、影響がないわけではないけれど、まったくクリーニングが必要なくなるとうことではないということです。そして「きれい仕上げた時はすごく気持ちがいい。そしてお客さんが喜んでくれた時は本当にうれしい」と言葉をつなぎました。
太清クリーニングの従業員さん
わきあいあいと手ぎわよくズボンのプレスをしていた従業員さんは、なんと一年前に入った新メンバーで、長年のお客さんと聞きこれにも驚きました。恵子さんが嫁いで来た時より前からのお客さんで「家族同然」なのだそうです。心強く欠かせない一員となっています。小学生の感想に「かぞくぜんいんで、しごとをしていてすごいとおもいました」と書いてありました。家族で生業を続ける太清クリーニングのようなお店の存在が、人が暮らす京都のまち証しであると改めて感じました。

 

太清クリーニング(たいせいクリーニング)
京都市太秦棚森町6-63
営業時間 8:00~20:00
定休日 日曜日、祝日

タルトとフランス菓子を 長岡京で

世の中にはあらゆる種類のお菓子があふれています。有名シェフと言われる人が作ったものでも、遠く離れたお店のものでも手に入る時代です。そんな今、ケーキを買う日はどんな日でしょう。家族の誕生日、記念日、いいことがあった日、反対に心が沈んだ日。お菓子はその時々の気持ちにもかかわって、思い出として刻まれます。
フランス文学を専攻した青年が、お菓子作りの道へと進み、生まれ育ったまちでお店を開きました。おいしさを追求し、素材に妥協なしの「何気ない普段の日を少し豊かにする」お菓子です。
タルトとフランス菓子の専門店「プチ・ラパン(小さなうさぎ)」は、開店から14年を迎えました。こじんまりしたかわいいお店は、オーナーシェフの個性とお菓子への思いが凝縮されています。お菓子と一緒に楽しい会話も手渡し、味わう場面をより幸せにしてくれます。パリで出会った一つのお菓子が人生を決めたプチ・ラパンの物語です。

フランス菓子にたどり着くまで

プチ・ラパン外観
阪急電車の長岡天神駅から3,4分歩くと、地中海の町を思わせる白い建物のショッピングモールがあります。こみちをたどるように、レンガの通路を進むとそれぞれの感性にあふれる店舗が並んでいます。白地にオレンジ色が映える日よけと、オレンジ色のドアが可愛いお店がプチ・ラパンです。
オーナーシェフの友田成生さんは、高校生の時から友だちを呼んで「パーティのようなこと」をするのが大好きだったそうです。そこで「パーティならフランス料理」と思いたち、インターネットもない頃のこと、すぐに近所の本屋さんで5冊組の料理本を購入し読んでみると、フランス料理の背景や食に対するこだわりに衝撃を受け、あこがれを抱きました。しかし「好きなことは趣味にしたほうが楽しい」と、大学へ進学しました。ただフランスへの思いは断ちがたくフランス文学を専攻。しかし「就職超氷河期」が囁かれる状況となり「フランス文学を学ぶ男子が就職できるのか」という不安がわき上がり、中退してフランス料理の道へ進みました。
パリの街並み
横浜や東京のレストラン、結婚式場、ホテルで経験を積む中で、休暇をとってパリへ行き、有名店めぐりをしてみたものの「これがわざわざパリまで来て食べる味なのか。東京でもどこでも食べられる味だ」と残念な思いがつのりました。そんな時に入った名も知れないパン屋さんの「りんごのパイ」を食べて、お菓子への価値観が一気にくつがえったのでした。良いりんごと小麦粉にバターを使い、ていねいに焼いたごく普通のパイこそ本当においしいのだと教えてくれたのです。友田さんの進むべき道がはっきりした、かけがえのない出会いでした。
プチ・ラパンのモンブランプチ・ラパンのタルト
最高の素材を使ったシンプルなタルトやフランス菓子を、地元長岡京のみなさんに日常でも気軽に楽しんでほしいと、2007年2月にプチ・ラパンが誕生しました。お店に並ぶのは、きらびやかなデコレーションや、生の果物を色とりどりに使った華やかなケーキとは違っています。「菓子屋の仕事は素材の旨みを引き出す最大限の糖分量と火入れの時間の見極め」と語るように、果物も火を入れた、生とは違うおいしさがしっかり味わえる焼き込んだタルトが中心です。
季節限定の商品もありますが、常時5~7種類のタルトとシュークリームなどが並んでいます。時々「甘さ控えめですね」と言われるそうですが、フランス菓子の基本をきちんと踏襲しているので、糖分量を抑えて作ることはないと言います。甘さ控えめのケーキがほしい、あるいはおいしいと思っているお客さんが、ここのケーキをおいしいと感じたということは、素材に妥協せず、ていねいにつくったプチ・ラパンのお菓子の味が伝わったのだと思います。「一生懸命やっていれば必ず見てくれる人がいる」という言葉を大切にしていると話してくれましたが、甘さ控えめ云々の出来事がこの言葉を裏づけています。

早い時期に本物を知ってもらう職場体験

オーナー友田さんとピカピカに磨かれたクリームをたく銅の大鍋
オーナー友田さんとピカピカに磨かれたクリームをたく銅の大鍋

今年はコロナのために実施されませんでしたが、毎年中学生の職場体験を受け入れています。学校へは「アシスタントを一人入れるつもりで受け入れます」と伝え、3日間一人で参加すること、お店のユニフォームを着てお店で日々こなしている仕事と同じ内容で働いてもらうことを条件としています。
実際の仕事は、タルトと並ぶ看板商品のシュークリーム作りです。いつもと同じ量のシュークリーム用のクリームを銅の大鍋でたき、皮に詰め、3日目はお店の外で販売してもらいます。
プチ・ラパンのシュークリーム
大きな銅の鍋でクリームをたきあげることも、皮にいっぱいのクリームを詰めることも、どれだけ大変かを知ると、指示がなくても自ら次々仕事を進めていくそうです。そして、自分が完成までかかわったシュークリームが売れると、顔つきが変わると聞き、友田さんが求めている「仕事の本質を知る」ということに一生懸命取り組んだ中学生は、きっと得難い経験になったに違いないと感じました。
また再生繊維のユニフォームやテイクアウト用には再生紙の箱、夏場はクリームを冷やすために使った水で打ち水をするなど、毎日の仕事のなかでできる少しでも環境への負荷を減らすことを行っています。バターや牛乳、小麦粉などお菓子作りの素材はすべて自然と人の営みのなかから生まれています。プチ・ラパンのお菓子をこれからも多くの人に届けるために、毎日の少しの努力が続けられています。

お菓子だけにとどまらずNEXT GOAL


友田さんにお店の名前はどのようなことからつけられたのか聞くと「よく覚えてないのです。最初はパリの学生街のカルチャラタンからとって、カルチェラパンという名前を考えたのですが、わかりにくかったので、プチ・ラパンならかわいくてミッフィーのイメージもあるし覚えやすかったからだと思います」と返ってきました。肩に力など全然入っていないゆるやかでとても柔軟な答えで笑いがこみあげてきました。

「プチ・ラパンコーポレート」のサイトは「上級ウェブ解析士」の資格を持ち、自社のホームページやフライヤーなどの制作もこなす友田さんが、段々とこの分野の仕事の相談や依頼を受けるようになり、開設されました。食品表示法についてなど、食品や飲食にかかわるすべてのお店に必要な情報が、わかりやすく紹介されています。また、ウェブを活用する一方で紙媒体の良さも生かしています。奥様のMIYAマネージャーさんは、10年以上ほぼ週刊で発行される手書きの「プチ・ラパン通信」を担当されています。
去年のクリスマスケーキの予約チラシを地元中心に新聞折り込みしたところ、すぐに予約数が埋まったそうです。また市内9店舗の洋菓子、和菓子、パンのお店合同の「秋冬コレクション」のチラシも近々折り込みされるとのことでした。経営者、シェフ、ウェブ関連の仕事と、よくこれだけできるものだと感心します。しかし「よく時間がありますね」「すごいですね」などの愚問は差しはさむ余地のない明快でおおらかで、楽しそうな話ぶりです。
プチ・ラパンのガラシャの絆シリーズ
地元長岡京の特色を生かした長岡京産レモンのタルト、細川ガラシャゆかりの地として「ガラシャの絆」シリーズなども商品化されています。絆シリーズはスパイスがきいた焼き菓子「激昂・信長」アーモンドに砂糖の衣かけをほどこした「父光秀の愛情」など傑作ぞろいです。
本場フランスのタルトとフランス菓子の専門店プチ・ラパンはこれからも、私たちに想像もつかないおもしろくておいしいお菓子の夢を見させてくれそうです。

 

プチ・ラパン
京都府長岡京市開田3-3-10ロングヒル1階
営業時間 10:00~19:00
定休日 月曜日

秋の大原野 ゆるやかに流れる時

低く垂れこめていた雲が去り、気持ちよく晴れた日、前回に続き少し足をのばして、里の秋を楽しみに出かけました。
丘陵に開かれた洛西ニュータウンを抜けると、のどかな田園風景に切り替わります。京都市郊外、大原野は西山のふもとに豊かな田園風景が広がる地域です。目の前をさえる建物がなく、四方を見渡せるということはこんなにせいせいと気持ちの良いことなのかと感じます。
大原野地域は古くから開けた地域で、由緒ある神社やお寺、石碑などが点在し、歴史の片鱗をあちこちに見ることができます。東海自然歩道のルートにもなっていて、歴史、自然、地元の農産物など様々な楽しみ方ができる地域です。紅葉にはまだ早く、秋が深まるまでには少し間がある今は訪れる人も少なく、いっそうのんびりした気持ちになります。

農耕、生産の神様をまつる大歳神社

大歳神社の鳥居大歳神社
はじめに、大歳神社へお参りしました。最近整備された様子で、神楽殿や本殿の柵なども新しくなっていました。創建は養老二年(718)の由緒ある神社です。お祀りしている「大歳神」は農耕、生産を司る神様と記されています。かつては代々石棺などをつくっていた一族のご先祖を祀った「石作神社」も境内にあったとされています。
十月に行われる氏子祭に毎年、金剛流宗家による仕舞が奉納されているそうです。残念ながらお祭りの時期を逸してしまっていましたが、ぜひ拝見したいと思います。この宗家による奉納は江戸時代中期から行われているそうですが、それを観光に結び付けることもなく、連綿と地元の伝統行事として引き継がれていることに、地域の力強さを感じました。
大歳神社の栢の木
「栢(かや)大明神」の別名があるように、境内には栢の木がおい繁っていたそうですが、現在は危険な木は伐採されすっきりと整備されています。それでも、「区民の誇りの木 クロガネモチ」をはじめ、空へ高く伸びた木々が立ち並び、神聖な杜の雰囲気に満ちています。
寄進をされた人の町名や名前が刻まれた新旧の玉垣が並んでいます。年代を経たもののなかの一つは「癸巳(みずのとみ)女」とかすかに読むことができます。どんな人だったのかなと思いめぐらせます。新しいものには「灰方町」「小塩町」と地元の名前が連なっています。地元の氏子のみなさんが今も変わらず大切にされていることがうかがえました。

十月の例祭、氏子祭りがすんだばかりの境内はひっそりして小鳥の声だけが聞こえるばかりでしたが、農耕の神様として地域とともに歴史を刻んできた神社が今も健全に存在していることにほっとするような、あたたかい気持ちにさせてくれました。

優しくたおやかな「京の春日さん」

大原野の風景
大歳神社を後にして、大原道を進みました。大原野小学校の前を通ると、子どもたちの声が聞こえてきました。時代の変化によって統合された小学校も少なくありませんが、やはり学校は、子どもたちが毎日通学する地域の学び舎であってほしいと思いました。
途中には昔、神社へ参る時のグループであった「〇〇講中」の名が入った石灯篭や大原野神社の一ノ鳥居跡、仁徳天皇ゆかりの樫本神社など、見どころに次々と出会います。
大原野神社大原野神社の紅葉
急がずのんびり歩いていくうちにりっぱな一の鳥居が見え、大原野神社へ着きました。参道を一歩入ったとたんに、すっと清澄な空気を感じ、秋にしては強い日差しのもとを歩いて来て、少しくたびれていたからだがよみがえった心地でした。境内には多くのかえでの木があり、紅葉の名所として知られています。一番の見ごろは11月末のようですが、それでも中には色づき始めた木もあり「紅葉のはしり」に出会った気分でした。
大原野神社の池大原野神社の鹿
大原野神社は、長岡京遷都の際に、藤原氏の氏神である春日大社の分霊をお祀りする神社です。境内や社殿は、藤原氏が栄華を誇った平安朝の雅やかな雰囲気がただよい、本殿の前には狛犬ならぬ「神鹿」が控えています。
石灯篭や神鹿の新しくなっている台座や一部の建物は、台風の被害を受けて修復したそうです。近年の地震や相次ぐ台風は京都の文化財にも大きな被害をもたらしました。伝統工法による修復も規模が大きいだけに大変なことだと思いました。
大原野神社、権禰宜 杉原淳一
社務所で、木彫りの神鹿をいただいた折に、権禰宜 杉原淳一さんにいろいろ話を伺いました。権禰宜(ごんねぎ)は神職さんの役職です。杉原さんは「千二百年たった今もこの姿で存在することに、先人が守って来たことの偉大さを改めて感じます」と話されました。「最近は観光で気軽にお越しいただけるようになりましたが、神社というと宗教のイメージを持たれて、少し縁遠く感じる方もいらっしゃると思いますが、むずかしいことではなく、この自然に囲まれた境内でゆっくり気持ちのよい時を過ごして、季節を感じていただければと思います。」と語り「私たちは神社とお参りするみなさんの仲立ちの役割だと思っています。」と続けました。
大原野神社の鹿の縁起物
令和六年に迎える「御鎮座千二百二十年」の大きな看板には、可愛い鹿のマスコットキャラクターが描かれています。千二百年の歴史の重さと品位を保ちながらも、今後に継承するためにいろいろと考え、取り組んでいるのだなと感じました。「新年に始まり一年間、ゆっくりした時が流れていると感じます」という杉原さんの言葉が印象的でした。
源氏物語ゆかりの神社でもあり、秋の初めには藤袴の花が咲きそろう優雅な雰囲気の大原野神社ですが、伝統行事に「奉納相撲」があります。そう言えば以前、大原野小学校には、子ども相撲に参加する練習のための土俵もあると聞いたことを思い出しました。「京の春日さん」と親しく呼ばれる地元の神社としての姿も垣間見られます。紅葉の時期も、さほど混みあうことはとないそうで「ゆっくり静かにに楽しんでいただけると思います」ということです。次に訪れる時には、大原野はもう冬の初めの趣かと思いながら石段を下りました。

近郊農業の健在が景観も豊かにしてくれる

大原野のかかし
刈り入れの終わった田んぼですが、大原野のかかしは交通安全のたすきをかけて年中立ってくれているようです。西に傾いた日差しを受ける田んぼに郷愁を誘われます。
大原野地域は「市街化調整区域」に指定されているため開発に歯止めがかかっています。開発と保全は、各地に共通する課題だと思いますが、農業が継続されていることが地域の環境や景観に大きな役割を果たしていると感じます。
大原野では毎週マルシェが開かれ、地元の野菜を買うことができます。道を歩いていると「無農薬で育てました」「不揃いですが甘くておいしい柿です」など思い思いのメッセージを添えた「軒先直売所」があります。重いから帰りに買おうと思っても、その時にはほとんど売り切れ状態のところが多く、人気は根強いようです。
また近郊農業という要素が地域の大きな魅力と今後の展望にもなっているのだろうと感じました。次はみずみずしい冬野菜が直売所に並ぶ頃にまた訪れたいと思います。

 

大原野神社
京都市西京区大原野南春日町1152

地域農業の成果 名物そばどころ

「新そば」ののぼりを見かけるようになりそろそろ新そばの季節がやって来ました。晴天が続いたある日、思い立って亀岡市の西南端のそばの名所、犬甘野(いぬかんの)へ行って来ました。標高400メートル近い山間地にあり、きれいな空気と水に恵まれ、昼夜の寒暖差が大きいという農業に最適な条件を備え、もともとおいしいお米が作られて来た地域です。転作作物として、そばの栽培に取り組み、自家栽培、自家製粉のそばは今「犬甘野そば」の看板をかかげ、多くのそば好きが繰り返し足を運ぶそば処となっています。運営の主体は、地域ぐるみで豊かな自然環境と農業の継続に取り組んできた「犬甘野営農組合」です。一面に咲く白いそばの花と黄金色の稲は、犬甘野を象徴する秋の風景です。香り高いそばには「ここで暮らす」人々の30年近い年月の活動が土壌となっています。

開店早々から、あふれる活気


JR亀岡駅前から出発し、京都先端科学大学前で小型の「ふるさとバス」に乗り換え、木々が生い茂るつづら折りの険しい道を進みます。途中バス停でなくても自由に乗り降りできる「フリー乗降区間」も設定されていて、その旨の車内アナウンスがありました。地域を持続可能にするためには、こういった配慮や工夫は大切です。30分足らずで目的地「風土館 季楽(ふうどかんきら)」へ到着です。
犬甘野風土館 季楽犬甘野風土館 季楽
秋というには強い日差しを受け、野菜の直売所とそこにつながる飲食スペースに、よしずが優しい影をつくっています。平日の週始めにもかかわらず、地元産の新鮮な季節の野菜や名物のそばを楽しみにして、次々とお客さんが訪れています。
犬甘野地域は、亀岡市街から10㎞、大阪府能勢町や高槻市、兵庫県池田市からは20~25㎞という距離にあり、丹波と北摂地域の境界にあたります。その立地から、京都よりも大阪、兵庫からの来店が多いそうです。
犬甘野風土館 季楽の農産物
代表的な京の伝統野菜の万願寺とうがらし、加茂なす、九条ねぎをはじめ、生産者の名前が記されたラベルが付いた多くのつやつやの野菜が並んでいます。銀寄せと呼ばれる大粒の丹波栗やぶどうなど、季節の味覚もあり「わざわざ買いに来る価値のある直売所。いつも楽しみです」という声に納得します。自家製の切り干し大根やローリエなど加工品もあり、いろいろと工夫され、一生懸命直売所を盛り上げています。
犬甘野で収穫されるお米は豊かな自然のなかで、たい肥を使った土作りを行い、化学肥料や農薬の使用を極力減らした安全でおいいしいお米です。「京都府エコファーマー」の認証も受けています。10月1日から新米の発売となりましたが、毎年大好評で「本当においしいから米はここで買うことに決めている」と10㎏袋を抱えて話す人もありました。隣接の精米所も休みなく動いています。そばはもちろん、お米は、豊かなむらづくりに励んできた犬甘野の象徴です。

新しいものを生み出す工夫や努力

犬甘野風土館 季楽犬甘野のそば
そば好きの人のあいだでも定評のある犬甘野そばの一番人気は、そば粉8割に亀岡産の山芋をつなぎにした二八の手打ちです。早々に売り切れになることもあるそうです。風土館 季楽は開設から27年を迎え、これまでの積み重ねの上に研究と工夫を重ね、経営努力を続けています。そばのメニューも、きつね、山かけ、月見、おろしなどの定番のほか、そばそのものの香りや風味を、ていねいにとった出汁で味わえる「そばがき」もあります。
犬甘野米のおにぎりや、お餅は、そばに足して、しっかりおなかを満たしたい人にもうれしいメニューです。ぜんざいやあん餅の小豆もすべて季楽で炊いています。日曜日限定の、山菜ごはんや草餅は待つ人多しの人気ぶりです。
犬甘野風土館 季楽のぜんざい
季楽でのゆっくりした時を過ごしてもらいたいと力を入れる一方、そばは亀岡市の特産品として出荷を喜ばれていることから、季楽で販売のほか量販店へも出荷しています。「そばパスタ」は打ったそばの端を活用した商品で、ごみを出さず、そばのまるごと活用です。ドレッシングでサラダ風に、また和え物にもよいとスタッフの方に教えてもらいました。
壁には、そば打ち体験をした地元の小学生から寄せられたメッセージを貼ってあります。「自分で作ったそばはおいしかった」「これからも、そばをたくさん作って人気者になってください」など、顔がほころぶ素直な感想が書かれています。窓に面したカウンター席は、目の前に広がる景色を眺めながら食事ができます。

飾られた季節の花は気取りのなさが素敵です。

きびきびと立ち働く女性スタッフの、細やかな情のある接客も気持ちよく、それも季楽の雰囲気の重要な要素になっています。一人一人が、自ら考えながら楽しく働く季楽の雰囲気に、心地よい時間を過ごすことができます。「コロナ以前に驚くほど人が来ていたわけでもないし、また、コロナになっても来店数や売り上げは以前とさほど変わっていません」という言葉にも季楽の強みを感じました。

循環型農業で地域の将来に希望を


「楽しみながら農地活用」「美しいふる里 みんなのおもい」と書かれた看板が周囲の景色に溶けこんで立っています。ふしぎと説得力を感じます。この二つの言葉は、机上のことではなく、まさに犬甘野営農組合がこれまで築き、今も取り組んでいるテーマです。
元組合長の和崎邦夫さん
元組合長の和崎邦夫さんに6年ぶりにお会いしました。変わらぬ意欲で「来年2月で80歳になるけれど、米や野菜を作っていれば健康でいられる」といたって元気な「生涯現役」農家さんです。昨今の異常気象で、去年こうだったからという経験則ではだめで、毎年考えながら農業を続けないといけない状況だと話されました。
昭和50年代後半に入ると、農業に従事する人が減り、農業を中心とする犬甘野でも地域の崩壊が懸念されました。そのようななかで、みんなで地域の自然環境と農業を守ろうという機運が高まりました。そこで3つの集落が一緒になって営農組合として組織化し後に法人として設立しました。
稲からの転作として始めたそばの栽培や製粉、製麺技術も努力して習得し、研究を重ねました。このようにしっかりした土台があったことで、そばや地元の味の提供、加工品製造、販売への思い切った展開ができたのでした。そばの花が咲き、稲穂が揺れる景観は、収益をもたらすとともに、ふるさとの資産となっています。
犬甘野のそば
和崎さんは「30年前からCo2を出さない農法にいち早く取り組んできた」と犬甘野の先見性を力強く語りました。エコファーマー認定項目の一つ、たい肥を入れた土つくりには、近くの和牛肥育場の牛糞を利用しています。循環型農業の実践は地元の他企業と共同して安全で地球に負荷をかけない農業を継続することにつながっています。
犬甘野の牛
肥育場では、現在約70頭の黒牛がいます。一頭につき1回に5㎏の餌が必要であり、朝6時と午後3時の2回餌やりをするので、10㎏が必要になります。牛舎の清掃もあり休む間もない仕事です。「ことみ」「ひさこ」など一頭一頭に名前が付けられていて、餌を食べる合間にこちらに顔を向けるなど愛嬌も感じます。2年間育てると聞き「情がわきませんか」と聞くと「やっぱり情がわくねえ」という答えでした。そのつらさも含めて、本当に大変な仕事であることが深く実感されました。
持続可能な社会と口にするけれど、食料を生産し、そこに住み暮らすことで地域の自然や文化を守る人たちの尊さ、そのおかげで今があるということを強く感じました。少子高齢化や空き家問題などは、全国各地が抱える課題です。それにどう向かっていくのか。犬甘野の「楽しく農地活用」のスローガンが後押ししてくれているように感じました。

 

犬甘野風土館 季楽(いぬかんの ふうどかん きら)
亀岡市西別院町犬甘野樋ノ口1-2
営業時間 10:00~16:00
定休日 木曜日