作り手と人の間を紡ぐ 西陣の元学生寮

昭和初期に建てられた2軒の町家が、昭和40年代に立命館大学の学生寮となりました。やがて最後の寮生が去ってから、しばらく空き家となっていましたが、西陣を中心とした町家の有効活用を支援する団体の協力を得て、ものづくりをする人達が入居する「藤森寮(ふじのもりりょう)」として生まれ変わりました。
2軒の寮の間にあった塀を取り払い、L字型に並ぶ北棟と南棟からなる、9つのアトリエや教室、お店になっています。四季の移ろいを感じる緑の多い中庭、タイルの流し、でこぼこのできた三和土、深い色あいとなった柱など、築90年の建物が刻んできた時を感じる空間となっています。訪れる人を拒まず、9人の創作活動の場である自由な「藤森寮の時間」が流れているようです。

淡々と無心に作業をする楽しさ


藤森寮のある紫野は、船岡山から大徳寺へかけての地域をさします。船岡山は、都の北にあたり、東西南北を守る霊獣のうち、北は玄武が司るとされ、平安時代から重要な基点となっていました。また、応仁の乱では、東に陣地を置いた細川勝元を、西に陣取った山名宗全が船岡山で迎え討った歴史ある地域です。

鞍馬口通には、大正12年に料理旅館として建てられた、登録有形文化財で現役の銭湯、船岡温泉をはじめ、古い建物がまだきちんと残っています。最近は町家に手を入れて営業しているお店や、ゲストハウスも増えましたが、藤森寮はそのさきがけです。今も低層の家が並び、昔からの西陣のまちの暮らしが色濃く感じられる地域で「町内の一員」の意識を持って、それぞれが創造活動を続けています。

南棟1階にある女性店主の「アートスペースCASAneかさね」で、日頃のあわただしさから解き放された、ゆったりした時を過ごし、かさねの名前の由来を伺いました。どんなに小さな端切れでも、紙や布、糸は捨てられないと語る店主。端切れの紙でも、もう少し大きな紙の上に張って重ねれば、新しいものとしてよみがえらせることができる。この「もう一度の紙たち」という思いを「重ねる」という言葉に込めています。作り手とその受け手をつなぐ空間です。
CASAneという名前については「重ねという漢字では少しそぐわないし、ひらがなもあまり伝わらないかな」と考えていた時「スペイン語で家のことをCASAて言うし、それにneを付けたら、かさねやし、ええの違うか」という大胆で新鮮な発想の提案をしてくださった方があり「小さな部屋なのでいいかな」と、すんなり決まったとのことでした。どんなネーミング誕生物語があったのかと思いきや、このおおらかさがいい感じです。

かさねには、店主の手から生まれる様々なサイズのメモ帳やそれ自体を贈り物にしたいレターセットやしおり、カードなどの「紙のもの」と、かぎ針編みのアクセサリーや小物とポジャギ、知り合いの作り手の陶器やガラス、クラフトがいい具合に折り合い、調和を見せてたたずみ、憩い、語りかけています。かさねの店内にいると不思議に、ものにも心や気分があるように感じられます。やわらかくやさしい白の器に添えられた野の花は、千利休が残した「花は野にあるように」を思い起こす姿です。
それぞれのコーナーに個性があり、何回も行ったり来たり、また、走り庭や中庭へ出たり入ったり。店主との間合いも心地よく、つい長居をしてしまいます。

店主の作るメモ帳の一番小さなものは小指の先ほどの極小サイズです。それでもちゃんと背があり、中紙がきちんと納まっています。
使われている紙は、チラシや会期の済んだ個展のはがき、カードや封筒を作った残りの紙等々。どんな紙が使われているかも、かさねのメモ帳の楽しみです。
外国の人は、たまご、肉とか日本語が書いてあるチラシを使ってあるものがお気に入りとか。豆メモ帳もポジャギの針目も、丹念なかぎ針編みも、くらくらしそうな細かい仕事ですが「淡々と無心に、紙を揃えたり切ったりの単純な作業は楽しいです」と語ります。きっと、ものを作る時の心持と藤森寮という空間がしっくり合っているのだと思います。さらに「作家や職人と呼ばれる人達は、見てもらう場や売る場が意外とないので、ここが、ものともの、人と人をつなぐ場所であればいいなと思っています」と続けました。

藤森寮に入ってから10年くらいたつそうですが、以前京都に住んでいてアメリカへ帰国した方が、「ここでカップを買いました」と、3年たってからまた来てくれたそうです。作り手もそれをコーディネートする人も、買った人も、自分の「好き」をはっきり持っていているのですね。しかもその場所が、前に訪れた時と同じように迎えてくれたら、どんなにうれしいでしょう。売る、買うということには、こんなにいいめぐり合いもあるのだと思いました。

藤森寮を生かす入居メンバー共通の思い


雨の日曜日にまた、かさねを訪ねました。鞍馬口通の入り口から入った時と、南側の中庭から入った時では、様子が違い、何となく楽しく迷う感じがしてそれも楽しいのです。春の雨に、中庭の木々の緑は生き生きとして、白い沈丁花は、晴れた日とは違う香り方をしていました。おちょこに植えた苔も、雨を含んで柔らかく、しっとりしています。欠けたおちょこは、こうして再び生かされ、縁のあった人の所へ行きます。

今、藤森寮に入居している9人は「作りたいものを作り、それを実際に見て、触れて、感じてほしい」という共通の思いを持って創作活動をしています。そして、西陣は、道具も自分で作ったり、使えるものは使い切るという京都の職人のやり方が根付いている所だと言います。
近所にはおじいちゃん、おばあちゃんという年齢の方が多いこの地域でお世話になっている、今の西陣があるのは、元から住んでいた人達が守って来てくれたおかげとという思いを、藤森寮のみんなが持っています。
おはようさんです、とあいさつを交わしながら、朝、家の前の道路を掃く「門掃き」は、京都の
ご近所付き合いの一つとも言えます。この門掃きも「朝、門掃きはちゃんとしようね」と、当たり前のようにされているそうです。
そして寮の修繕費を積み立てたり、簡単なことなら直してしまうなど、自分達でできることは自分達でやり、単なる間借り人ではなく、地域の一員として、この建物と向き合っています。

藤森寮の界隈は、お豆腐屋さん、酒屋さん、魚屋さん、お風呂屋さんなど暮らしに密着したお店が、今もしっかり地域のみなさんの日々の暮らしを支えています。子ども達の遊ぶ姿、けんかしたり、誘い合ったりする声も聞こえてきます。西陣織の機音は少し寂しくなりましたが「普通の京都」が息づくまちです。
歴史あるものと新しい感覚、若い人が交錯し、地域の力を強くしています。京都のものづくりは、こういうところで生まれるのだと感じました。建都は「住まい」の分野で地域を支える役割を担い、これからのまちづくりをご一緒に考えてまいります。

 

藤森寮
京都市北区紫野東藤ノ森町11-1
営業時間、定休日はショップにより違います