北野の天神さんの梅花祭も終わり、うららかな陽気の京都。三月三日の桃の節句は昔、紙で作った人形を子どもの身代わりとして、疫や災いを水に流した、流し雛が始まりだったそうです。やがて、女の子の健やかな成長を祈ってお雛様を飾る風習に。
子どもの頃、野原で摘んで来たよもぎで、草餅を作ってもらった方も多いのではないでしょうか。思い出とともに大切に仕舞われてきたお雛様が、今年もそれぞれのお家で飾られているでしょうか。
リビングで明け暮れを見守るお内裏様
哲学の道に沿って植えられた、日本画家橋本関雪ゆかりの桜の芽はまだ固いけれど、去年と同様に、今年も開花は早いそうです。近所に住む知人宅で、雅やかで気品のある、見事なお内裏様を見せてもらいました。ひな人形は、頭氏、織物氏、小道具師、手足師、髪付師、着付師の、6工程の分業で、それぞれ専門の職人さんによって製作されているそうです。最後の工程を着付師が担当し、全体の総仕上げをして完成させます。
6つの分業と言っても、藁で胴を作るところから数えると、とてもたくさんの細かい作業があり、本当に細心の注意と集中力のいる仕事だと思います。
こちらの男雛をよく見ると、装束が、以前有職故実について話を聞いた通りでした。儀式の折りの天皇にしか許されない「黄櫨染(こうろぜん)」と言う色の装束でした。他には許されない色ということで「禁色(きんじき)」と呼ばれています。頭の後ろに立っている黒く長いものは「えい」というもので、まっすぐに立っているのは、これも天皇のみなのだそうです。手には笏(しゃく)を持っています。
女雛は、十二単ですね。一糸乱れぬおすべらかしの髪の艶やかさ、袖口や衿元の重ねの美しさ。かんざし、檜扇などの小物も、サイズがミニチュアなだけで、完全に精巧に作られ、しかも有職故実にのっとっています。紗の生地がぴんと張られ、桜が描かれたぼんぼりは、灯りがともったらさぞ春の宵にふさわしいだろうと思わせます。
お雛様は、いつも家族のみなさんが一緒に過ごすリビングルームに飾ってありました。ドアに張ってあった、小学生の娘さんお手製の紙のお雛様が可愛らしく、とてもよくできていて微笑ましく思いました。
他の部屋に掛けられていた軸は、橋本関雪の立雛の色紙でした。20代の初め、日本画家として踏み出したばかり頃の作品だそうです。代表作の「玄猿」や中国に題材をとった大作をたくさん残している関雪のイメージとは違い、初々しく清新な感じがして親しみを感じました。
表具は、腕のいい職人さんの仕事でしょう。使われている裂地自体も好みも本当にいいです。床の間のない家も多いですから、軸を掛けることもなくなっていきますが、季節や折々の節目に、軸を掛けて楽しむことは、すばらしい文化です。床の間でなくても、工夫すれば茶掛けや色紙なら大きさも手頃なので何とか掛けられないものかと思っています。
「西陣の京町家 古武邸のお正月迎え」でお正月のお飾りの話をお聞きした、西陣の古武さんのお宅へまた伺いました。
古武さんのお雛様は、とても愛らしい木目込み人形です。妹さんのものだそうです。「戦後間なしの昭和31年頃、普通に百貨店で買うた小さいもんやから、たいしたことないお雛さんで」と言われましたが、細部に至るまで、本当にきちんとした仕事がされていて、これも職人さんの技ありと、感心しました。
古武さんは「その頃はまだまだ、歳のいった腕のいい職人が大勢おったからねえ。どんなものにも職人の仕事が必要やったから、それで暮らしが成り立っていたんやね」と話されました。
奥の離れの床には「桃花千歳の春」の書に立雛が描かれていました。関雪の立雛の軸は表具も風格がある仕上げになっていましたが、こちらは現代的に明るい色調の表装です。
平安時代に薄紅色が大流行し「今どきの流行り」という意味で「今様色」と言ったそうですが、まさに今様のはんなりした、雛にふさわしい色あいでした。
雛尽くしのしつらえがされているなかに、珍しい貝雛がありました。ご近所のご高齢の女性の方から贈られたものだそうです。これも、丁寧な細かい手仕事がされています。古武さんのお話によると、「ここら辺の人はみんな手先が器用なんや。西陣関係の仕事を長いことしてた人も多いし」ということでした。
経済や暮らしぶりが急激に変化するなかで「必要ではない」とか「もっと便利なものがある」などという理由から、それまで身の回りにあったものがなくなったり、あるいは姿を変えていき、職人さんの仕事がなくなっていったことは確かです。以前と同じようにはできないけれど、良いもの、継承していかなければならないものもあると思います。今の暮らし方を、ほんの少し見直すことで何か違うことができるようになるのではないかという気がします。
古武さんの町家と上京のまちをベースとする活動はさらに新しい展開を見せています。3月23日、24日の2日間、西陣織会館を会場に「手仕事の技、魅力満載!洛中マルシェ」の企画にかかわっています。手仕事を今に生かし、使ってもらえるものを生み出していこうという意欲的な取り組みも、こうして進んでいます。
今回見せていただいた、妹さんのお雛様を毎年飾っているのは「そのお雛さんを買いに家族でそろって百貨店へ行った。家族揃って百貨店へ行くなんて後にも先にも、その時だけだってね。その時の思い出があるから」という話が心に残りました。その大切な思い出を支えているのが、職人さんの技なのだと思います。ものづくりの力は、そう簡単に消えないぞ、という声を聞いた気がしました。