京印章の 1000年先をつくる

社内の書類、様々な手続きなど、はんこが必要な場面は多くあります。高校卒業の記念品として「はんこをもらった」という人も多いと思います。自分の印鑑を持つことは、おとなになった気持ちを促します。
行政手続きでの押印廃止案が発表され、メディアでも頻繁に取り上げられていますが、そのような騒がしさとは別に、印章(はんこ)は、長い歴史のなかで培われてきた技術と、崇高な文化を持っています。数センチの限られた面積のはんこに込められた作り手の思いと、その可能性について、府庁前のはんこやさん、河政印房の河合良彦さん、祥子さんに話をお聞きしました。

日本のはんこの源「京印章」

河政印房
府庁前に、大きく「はんこ」と書いた看板と「年賀状印刷」「お急ぎの実印、銀行印、認印すぐ彫ります」の張り紙も見えます。
はんこの代表的な文字は「篆書体」ですが、秦の始皇帝が決めたとされる「小篆」という書体、その後の漢の時代に「印篆」という印章に適した書体が生まれ、これが「京印章」の代表的な書体となったそうです。
金の落款
良彦さんは、このような歴史や印章全般についても、よく勉強されている「学究肌」の職人さんです。このように成り立ちの一端を聞いただけでも、はんこの奥深さを感じます。
「京印章」は、地域ブランドとして国から認定を受けています。平安時代からの伝統と技術を受け継いだ職人が京都でつくる印章を京印章と規定しています。

珍しい竹の根のはんこ
珍しい竹の根のはんこ

店内に様々な書体の「寿」の印を押した色紙が展示してありました。これは、良彦さんと祥子さんが所属する京都印章技能士会の取り組みで、100種類の寿を彫るというものです。色紙には妥協のない技術と、強く静かな心持ちがみなぎっています。来年には100種類に届く予定とのことで、京印章に新たな歴史が刻まれます。

尊重し合い刺激し合って、高みをめざす


河政印房は、良彦さんが三代目です。大学卒業後、地元の会社に就職しましたが、お父様が体調を崩されたことからサラリーマンとお店の二足のわらじの生活になりました。そして、残念なことにお父様が亡くなられ、決断の時は早く来てしまいました。その頃のはんこやさんは、注文を受けてそれを職人さんに発注する形態でしたので、良彦さんも、職人としての仕事を教えられたわけではなかったのです。しかし、せっかくここまで家族で守ってきた店を閉めるのはもったいないと、会社を退職して店を継ぎました。そして、外注して売るだけでは、はんこは、いつか消えてしまう、自分でもはんこを彫れるようになろうと決心して、職人さんに教えを乞う道を選びました。奥様の祥子さんは、結婚するまで歌劇のステージという、まったく違う世界で活躍されていましたが、職人の道を良彦さんと一緒に歩み始めたのでした。

苦労のあとを微塵も感じさせない、明るいお二人ですが、話し尽くせないほど様々なことがあったことと思います。祥子さんは時々「私たち本気やなあ。よし、本気や」と、お互いに確かめ、自分自身でも確認してきたと語ります。「大変苦労をされたと思いますが」という問いに「楽しかったのです。今も楽しいです。限られた面に、私なりの表現ができた時は本当にうれしいですし、もっと、もっと上手になろうと、いつも思います」と続けました。

はんこを彫るには、最初にお客様の好みや使用目的などに沿って、書体を決め、文字を入れるバランスなどデザインを考えます。次にそれを左右逆にした鏡文字にして、印材の面に筆で書いていきます。次は荒彫り、仕上げ、微調整という工程となります。手彫りの仕事は、見ているこちらも思わず息を詰めるほど、集中しての仕事です。その極小のスペースに広がる文字の深い世界に圧倒されました。彫りの技術以外にデザイン、書、印材など幅広い専門的な力が求められる仕事です。かたわらには、何本もの印刀が並んでいます。中には仕事を辞められた大先輩の職人さんから譲ってもらったものもあるそうで、とても大切にして手入れを怠りません。
はんこを掘る道具京もの認定工芸士の証
お二人はともに、国認定の一級印章彫刻技能士、京都府の京もの認定工芸士の資格があります。また、今年の10月には、大阪府技能競技大会に二人で出場し、祥子さんは並みいるベテラン職人さんのなかで、みごと2位に入りました。この結果を、お子さん達や先輩の職人さん達も喜んでくれたそうです。
「職人夫婦」と自ら語るお二人ですが、話しの端々から、お互いに尊重し合い、刺激し合って、京印章の高みを追求していることが伝わってきました。「彼女がワークショップで実技指導をすると、みんな本当に楽しそうで、雰囲気がすごくいいのです。デザインも繊細で感性にあふれていて」と良彦さんが、語ると「それは前段で、主人がはんこの知識をいろいろ楽しく話すので、みんな興味を持ってやってくれるからです」と、祥子さんが受けます。この間というか呼吸が絶妙です。ものづくりの道を歩む同士として、またお互いの仕事の環境をつくる家族として、そのひたむきな姿勢が、まわりも勇気づけているのだと感じました。

自在に広がる、異業種のものづくりの輪


10月の末、京の台所、錦小路の店舗の一画で「錦市場で伝統工芸 @丹後テーブル」というミニ展示会とワークショップが開かれました。飾金具、金箔、漆工芸、そして印章の4業種です。たくさんの人に楽しんでもらい、手応えがあったそうで、次はこういうものもいいね、などと話しをしたそうで、今後に期待がふくらみます。
このように、異業種の志を同じくする人たちとの出会いは大きなみのりをもたらしてくれます。京のさんぽ道でご紹介した「京都におもしろい印刷会社あります」の修美社さんの企画にも参加され、文字とはんこの世界を広げています。

新製品のシーリングスタンプ
新製品の封蝋(シーリングスタンプ)

「脱はんこ」が注目され、テレビや新聞の取材が相次いだそうですが、河政印房では、もっと以前から、はんこの新しい方向性を考えていました。実印、銀行印など今まだ必要とされるはんこはもちろんのこと、遊印、花や和柄をモチーフにしたかわいいはんこ、落款、さらに封蝋(シーリングスタンプ)など、新しい企画商品が生まれています。はがきや手紙、スケッチなどに押した、朱肉のワンポイントの色は、若い世代にも、きっとすてきに映ることでしょう。生活を豊かにし、楽しむことに、はんこを使う人が増える可能性を感じます。
「パソコンが普及すれば、なくなっていくものも当然あるでしょう。だから時代にも、技術にもしっかり向き合っていきます」と明快です。作り手の個性があらわれる、はんこ。「注文した人とはんこと職人は、一期一会。そういう気持ちで彫っています。京印章の歴史は千年ですが、次の千年を今の私たちがつくっていくのだと思っています」
取材中も、注文したはんこを受け取るお客様が続けてあり、電話での問い合わせも次々かかってきました。身近にある、まちのはんこやさんを、みんなが頼りにしています。

 

河政印房
京都市中京区丸太町釜座東入 梅屋町175-1 井川ビル1階
営業時間 月曜~金曜 10:00~20:00 土曜13:00~17:00
定休日 日曜、祝日