祇園祭の始まりです ここにもお祭の醍醐味

田の字型と言われる京都のまちの中心部に、優美で絢爛豪華な祇園祭の山や鉾が建ち並び、梅雨明け前の京都は一気に華やいできました。
各山鉾は七月一日から順次吉符入りし、三十一日の厄神社夏越祭(なごしさい)まで、一か月にわたり様々な神事がとり行われます。
そこに込められた意味や心を少しずつ知ることにより、千年を超え、今もなお多くの人によって支えられ続いている祇園祭の、これまでとは違う姿が見えて来ます。

「縄がらみ」の伝統技法を支える職人と縄


前祭は10日から、後祭は18日から山や鉾が建てられていきます。山鉾の大きな特徴として「釘を1本も使わずに組み立てられている」ことがあげられます。実際に見るとそのすごさがわかります。作事方と呼ばれる職人さんたちによって、がっしりした角材で土台のやぐらが組み立てられます。重さは懸想品や、囃子方音頭取りなど人も含めて、大きな鉾になると約11~12トン、高さは約25メートルにもなるそうです。

これだけ大きく高いものを、縄とくさびだけで持ち応えさせているのです。縄とくさびだからこそ、運行中の揺れやきしみを吸収し、破損から守れるそうです。伝統技法の「縄がらみ」は、それぞれの山や鉾、また部分によって巻き方が違い、緊密で潔い美しさです。
富裕な町衆が力をつけていくなかで、その財力や文化度を示すように、山鉾もどんどん豪華に大きくなり、職人集団はどうしたらそれを組み立て、動かすことができるか知恵をしぼったのでしょう。

そして質の良いわら縄こそ、鉾建ての命綱と言っても過言ではないでしょう。函谷鉾に、今年も福知山市の田尻製縄場から納品されました。代表の太さん、奥さんの民子さん、太さんの母親の久枝さんの家族三人で縄づくりを続けています。
母親の久枝さんは今年卒寿、90歳を迎えられたそうです。ご主人と一緒に製縄所を始められて60年。しっかり身にしみ込んだ縄づくりの腕は今も衰えていないということです。民子さんは久枝さんについて「誇りを持って縄づくりをしています。一緒に暮らしていて、こういう人生もいいなあと、私のほうが励まされています」と。
また「縄は表に出るものではない、縁の下の力持ちですが、伝統のお祭に今年も無事に縄を納めることができて、ありがたいなあと感謝しています。稲わらを手に入れるのが年々大変になっているけれど、家族三人でできるだけ長くやっていきたい」と続けました。
祇園祭には、様々な部所で喜びと感謝の念を持ってたくさんの人が係わっています。

祇園祭の主役である御神輿の神事


前祭の鉾立てが始まった10日は、御神輿を鴨川の水で清める神輿洗いが行われました。
それに先立って、八坂神社からお出ましいただく御神輿をお迎えする「お迎え提灯」が行なわれました。お囃子に続き、鷺舞や赤い毛のかつらをかぶった赤熊(しゃぐま)小町踊り、祇園音頭踊りの可愛く華やかな列が続きます。暮れなずむ頃、四条通から四条大橋、祇園を行く行列は絵巻物さながらの美しさです。平日にもかかわらず沿道は人で埋めつくされ、以前は知らない人が多かったのにと、隔世の感ありです。

大松明が御神輿の先導としんがりをつとめ、「ほいっと、ほいっと」の掛け声が大音声となり、いよいよ御神輿のお出ましです。中御座、東御座、西御座の三基のうち、神輿洗式には、素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀る中御座が渡御されます。四条大橋の中ほどで、神職が榊に浸した鴨川から汲み上げたご神水を御神輿に振って清めます。このしずくを浴びるといいということで、見物の人たちが押し寄せます。お清めがすむと提灯行列の人々が楼門の前に並ぶ八坂神社へと戻っていきます。
四条通には、消し炭のようになった大松明のかけらを、縁起がいいということで持ち帰る人を見かけました。見ず知らずの方から「これ小さいけれど持って帰りなさい」といただきました。こんなこともお祭の醍醐味です。
山鉾の巡行が祇園祭の最高峰と思われていることが多いのですが、巡行はあくまで、神様が移られた御神輿が渡御される時の先導役なのです。ですから、17日の夜、御神輿が四条の御旅所へ行かれる神幸祭と24日に八坂神社へおもどりになる還幸祭が重要な神事とになります。
とは言え、昔の人たちも華麗な山や鉾を見て、楽しんでいたようですから、難しく考えることはないのかもしれませんが、御神輿に乗せた神様を御旅所という、人間が住んでいる世界へお連れして、都に流行った悪霊や厄神を退散させることを祈ったお祭であることは覚えておきたいと思います。

遊び心いっぱいの提灯も盛り上げる、193年ぶりの巡行参加


お迎え提灯とはだいぶ趣を異にする、おもしろい提灯が目に入りました。にわとり、ぞうり、たこ、饅頭食い人形、コーヒーカップ等々。聞くと、江戸時代には祇園の旦那衆が遊び心で、家業を表す提灯を作って楽しんだのだそうです。楽しくお祭の盛り上げに一役買えたらということで3年前に始められたそうです。28日の後祭の神輿洗式の時には練り歩きをされると聞きましたので、今から楽しみです。

今年は、鷹山が193年ぶりに、後祭に唐櫃による参加が発表され、話題となっています。
鷹山の隣りの町内にお住まいだった歴史研究科の廣田長三郎さんが95歳の時に著した「鷹山の歩み」には、幾多の試練を乗り越え、その都度、前よりよいものにして復活させてきた鷹山の歴史を解いておられます。
鷹山は「祇園社記 応仁の乱前分」に記載が見えるほど古い歴史のある山です。鷹匠、犬飼、樽負の三体のご神体をお祀りして居祭を続けられてきました。山の復興を2026年としていましたが、保存会のみなさんの勢いある活動で2022年の復活と、4年早い目標を設定されています。後祭は夜店もなく、屏風祭を見がてら、しっとりした情緒を楽しむことができます。
今年は自然災害や厄災のないことを祈ります。