緑したたる季節は、若々しい学生の街に似合います。左京区の京都大学周辺は、学術的な空気と、普段の学生生活をうかがわせる親しみのある雰囲気があいまっています。そんな学生の街にふさわしいもの、あってほしいのは本屋と喫茶店です。
京都大学の周辺の、それぞれ物語のある喫茶店や古本屋さんは、以前より少なくなっているとは言え、現在も健闘しています。百万遍の交差点から少し脇へ入ったところに、その喫茶店はありました。
ダンディーな初代マスターは明治生まれ
久しぶりに足を向けた百万遍で、落ち着ける喫茶店に入りたいとぶらぶら歩いていていました。「ゆにおん」と、やさしいひらがなで書かれた看板、高くそびえる棕櫚の木、緑に囲まれ年輪を感じさせながらもどこか愛らしさがあるお店がありました。少し汗ばむくらいの午後の日差しの中、中へ入るとほっと一息つける空間です。おやつの時間帯に、コーヒーとトーストのセットをお願いしました。
お店はお父さんから受け継いだという店主さんが一人で切り盛りされています。
コーヒーをいれたり、トーストを焼いたりしながらも気の置けない、楽しいやりとりが居心地をよくしてくれます。
壁に沿って趣きのある木彫の装飾が施され、見まわすとカウンターの食器棚などにも同様のしつらいがされています。木の色は飴色になり、このお店の雰囲気をつくりだしています。絵がすきで自ら絵筆をふるうこともあったという、お父さんが懇意にされていた作家さんの作品ということでした。
天井の灯りはお父さんがつくられたそうで、芸術に造詣が深い型だったのだなと、そんな会話をはさんで運ばれてきたセットは、しっかり噛みごたえがあって小麦の香りがする天然酵母のパンに、新鮮ないちごミルクがついていました。たまごサンドもおいしくて、すべてがきちんとていねいに作られています。
味とともに「作ってくれた」というあたたかさを感じます。カップやグラスも、お店の雰囲気と調和した味わいがあるものです。自家焙煎のコーヒーは香り高くしっかりした味わいでした。
ゆにおんは開店から今年で75年を迎えました。初代は明治生まれですが、毎日きちんとチョッキを着て店に立ち「本当に喫茶店のマスターでしたね。娘から見ても本当に格好よかったです」という言葉に、会ったことはないけれど「さぞ、素敵だっただろうな」と思いをはせました。
カウンターの奥には見守っているかのように、やさしい顔立ちのマスターの写真が置かれています。聞けば店主さんもずっと一緒に仕事をされていたそうで、父娘で紡いできた年月が、ゆにおんのおだやかな空間をつくりだしているのだと感じました。
壁には多くの絵画がかけてあります。「すきなものをかけてある」という言葉の通り、それぞれの個性を放ちながら調和しています。テーブルや花瓶に入った季節の花もすべてが、自然体であるべき場所に置かれています。飾ったり、奇をてらうことのない姿勢が、だれにとっても居心地のよい場所になっているのだと感じます。
歴史や文化は日々の営みの積み重ね
ゆにおんの店内は、さほど広くはありませんが、とてもいい感じにレイアウトされています。窓の取り方もおしゃれです。建物はその時々の補修をしながら、基本的には変えていません。前は木のドアでとてもいい雰囲気だったのを、代えないとならず今のドアになって、とても残念と話されました。現在のドアもいい感じだと思いますが「どんなドアだったのかな」と想像してみたりしました。
窓から見える向かい側の鬱蒼と繁る木々の緑にいやされます。この広大な敷地は「清風荘」と言い、明治時代に首相を務め、立命館大学を創設した西園寺公望の別邸で、現在は京都大学の所有となっています。
新緑の今もすばらしいですが、秋の紅葉は、それは見事なのだそうです。お客さんが「ここに座って、こんなきれいな紅葉見たら、わざわざ他所へ行かんでもええわ」と言われるそうです。
お客さんは初代の頃からの常連さんや京都大学の先生が多く、90歳になった方も来てくれるそうです。なかには久しぶりにやって来て「おお、まだあったか」と言われると笑って話されました。
おとうさんは明治まれですが、その年代の人にしてはめずらしく、偉そうにすることがなく、家族をとても大切にされていたそうです。お孫さんに「おじいちゃん、この宿題教えて」と言われて勉強をみたり、絵を描いていると「上手やなあ」と、とてもうれしそうにされていたということです。曾孫さんもかわいがり、危なっかしい抱っこをしていたという話を、ほほえましく聞きました。
お客さんや周囲の人々に愛されたお人柄を感じます。明治時代にはとてもめずらしい、大恋愛の末の結婚だったとか。自由で愛情深く「コーヒー、喫茶店」という進取の分野に乗り出した明治の京都人です。98歳で亡くなる少し前までカウンターに立ち、お客さんと話しを交わしていたという見事な生き方を聞き、京都の文化、京都のまちの深さを感じました。
店主さんは「これまで、いいこともあったけれど、本当に大変なこともたくさんありました。それでもずっと店を開け続けてきました。あきらめへんことやね」と語ります。大学院生の若い人もよく来てくれて「若い人はこんな古い店より、新しいきれいな店のほうがいいんと違うの」と言うと「ここは静かで落ち着けていい」と言って来てくれるそうです。世代を超えて、香り高いコーヒーと喫茶店文化は、京都の学生街に息づいています。
「気まぐれやから」という営業は、だいたい10時開店、閉店は午後4時です。話しているうちに時間切れで頼めなかったプリンを、次回はぜひと思いを残しながら、あたたかい気持ちで帰路につきました。
ゆにおん
京都市左京区田中大堰町92
営業時間 10:00~16:00
定休日 日曜日
(ただし営業時間、休業日は変更となる場合があります)