京都の歴史や、美しい町並みを大切にした京町家再生に取り組む、建都の町家探訪。
世界中から、多くの人が訪れる京都。北、東、西になだらかな三山を眺め、まちなかを鴨川が流れる豊かな自然。そして、都の暮らしを支えてきた、様々な生業、低層の家が並ぶ町並みなど、その魅力は人々の心をとらえて離しません。
京都の町並みを形成する重要な要素である京町家は、1200年の時を重ねて育まれてきた、京都の文化と伝統の技が凝縮されています。
相続や大がかりな補修の課題、経済資源として町家を買い取る動きもからみ、町家を維持することは並大抵ではありません。そんな厳しい現状のなか、大規模な改修を施し、先祖から受け継いだ町家と、暮らしの営みを未来へつなげようと、奮闘を続けるお家を訪ね、お話を伺いました。
職住一体の伝統的京町家
伺ったのは、築150年の京町家で、約100年にわたって京扇子の製造・販売を続ける、大西常商店です。建都の「京町家再生プロジェクト」が手がけた燈籠町の家のすぐ近く、「田の字型」と言われる京都の中心部にあります。
大西常商店の家屋は、母屋と離れ、坪庭と中庭、茶室、土蔵、作業場がある、職住一体となった、伝統的な町家造りとなっています。この店や作業場の奥で、家族が暮らしを営む「職住一体」という造りは重要な意味を持つと考えます。子どもたちは、おとなが働く姿を見て育ち、そのなかで、それぞれの家の仕来りや、流儀を身に付け、先人が築いてきた多くのことを継承できたのだと思います。
京町家を今も命ある存在として守り、暮らしの文化を伝える大西優子さんは、おくどさんを「家の心臓」と語ります。京言葉でかまどのことを意味するおくどさん、家族や職人さん、大家族の毎日の食事をまかなってきた台所の要です。
おくどさんは「うなぎの寝床」の言葉とおりの、奥へと細長く続く、走り庭と呼ばれる土間に据えられています。少し前まではよく、台所や流しのことを「走り」というお年寄りがおられました。上は「火袋」といわれる吹き抜けになっていて、煙や火の粉は高く舞い上がって消えて、火事にならないように工夫されています。
京町家は、細長い土地の形を生かして、光や風が通るようにとてもよく考えられています。
住まいの文化、暮らしの工夫に学ぶことがたくさんありそうです。これからの建築やリノベーションにも十分生かしていきたいものです。
お話を伺った日は小春日和の暖かさでしたが、「暖房器具のない時代、冬にここで三度の食事の支度をするのは、辛抱がいったやろな」優子さんは、しみじみと言葉をつなぎました。
火を大事にして、火事にならんよう気ぃつけて、ご飯ごしらえします
おくどさんの上には、入口の方向を向いた七体の布袋さんと「火廼要慎」(ひのようじん)と書かれた愛宕神社のお札が張られています。火伏(ひぶせ)の神様である愛宕神社は、京都では「愛宕さん」と親しみ込めて呼ばれています。「火、すなわち慎みを要する」という、火に対する畏敬の念を忘れずに暮らすことの大切さを教えてくれているのです。
おくどさんにかけた大小三つのお釜を、効率よく使っていきます。真ん中はご飯を炊き、右側では煮物や野菜を茹でたり。一番左の大きなお釜はお湯を沸かして、煮炊きの時や、後片付けに使うなど、火を遊ばさんように、三つの焚口とお釜を、上手に使いまわします。ひと昔前まで、台所の上がりがまちで、家内を束ねる奥さんが、うまく仕事がまわるように差配していました。
この家は、ご先祖さんからお預かりしてる家。私らも守って伝えていく
京町家に親しみ、五節句(人日=桃の節句、端午の節句、七夕、重陽)や、おくどさんでご飯を炊くなど、暮らしの文化に楽しくふれてほしいと「常の会」を立ち上げ、能、長唄、津軽三味線などのミニライブや、ワークショップなど、様々な企画で町家の魅力を広げています。初代の常次郎さんは、茶道や謡曲を嗜む趣味人で、商いだけではなく、文化サロン的な場にもなっていたそうです。優子さんは、その集まりの雰囲気を現代によみがえらせ、たくさんの人とつながる文化の発信の場にしたいと、熱い思いで会の運営にあたっています。
おくどさんで炊いたご飯は、参加者から「おいしい!」という声が次々聞かれる、本当のご馳走です。薪を焚く匂いや炎の色、シュルシュルというお釜が吹いてきた音。炊きたてのご飯の匂いと甘さを含んだ味。たくさんの人の手をかけた食物を頂くありがたさ、おかげさまという気持が生まれてきます。
「初代の努力を忘れない、常日頃を大事にする」そんな心が込められた常の会は、その名のとおり、日々、地道に歩みを続けています。
大西常商店
京都府京都市下京区本燈籠町23