京都に初夏を告げる 薫風吹き渡る

みずみずしい緑がまぶしい季節です。梅雨に入る前の、ひと時の爽やかさです。
日本には四季折々、2000を超える風の名前があると言われています。
かすかな風のそよぎにも、自然からのメッセージを受け止め、巡りくる季節を感じた昔の人の豊かな感受性には目を見張るものがあります。
また農作業や海の仕事にちなむ名前も多く、地方色も豊かで、なかにはくすっと笑えるユーモラスなものもあります。だれもが思い浮かべる「薫風」は、まさにこの季節を言い表しています。

田植えとカエルの合唱

田植えの季節がやってきました。
たんぼに水が張られ、風が通ると水面が揺れて、風の道が見えてくるようです。
都会ではあまり見かけなくなった光景ですが、電車や車で郊外に出ると水田が広がる地域がたくさんあり、田んぼのあぜ道で、ぼんやり座って過ごしたら気持よさそうです。
そして、夜になるとカエルの合唱が始まります。
「ケロケロ」、「ゲロゲロ」。静まりかえっていた周辺がいきなり騒がしくなり、水が張られた途端、待ちわびたように鳴き出すから不思議です。動物行動学者の故日高敏隆さんによると、オスがメスを誘うラブコールだそうです。
カエルたちは近くのあぜ道や草むらで水が張られるまでじっと待っていて、ようやく水が来たとでも思っているのでしょう。実際に見たことはありませんが、待ちわびていたプールに子どもが飛び込むのとよく似ているような気もします。ところが、カエルたちは必死なのです。鳴くのはオスだけで、メスに美声を聞いてもらい、メスはその声でオスを選ぶそうです。
どんな声がメスに好まれるのかよくわかりませんが、きっとたくましい声でないとオスは子孫を残せないのでしょう。

いつまでも残したい田んぼのある風景

厳しい掟があると知って、少し興ざめしますが、それでも私達人間が聞くと、季節を感じ心地良い響きになります。俳句に「世にでろと われに蛙(かわず)の 鳴きたつる」(小杉余子)があります。「ゲロゲロ」の響きが、早く世に出ろと聞こえてくると詠んでいます。なんともほのぼのとした句です。
やがて、水田に植えられた苗が育ち、田んぼ一面、緑一色になります。風が渡るとサラサラサラ…とかすかな音が聞こえ、「薫風に 草のさざなみ 草千里」(山口速)の句が思い浮かびます。青葉の香りを含んだ心地よい風です。
そして温かくなるに連れ、カエルの合唱も聞こえなくなります。
これが自然のサイクルで、日本人の季節感を生んでいます。この季節感を大切にしたいものですが、田んぼを受け継ぐ人が減っています。
休耕田がどんどん増えて、カエルの住みかも狭まっています。カエルの鳴き声を聞いたことのない子どもも増えているのではないでしょうか。いま一度考えたいものです。
あの合唱を聞くと「田んぼ残してケロ」と聞こえなくもないのですが。

香りと薫陶

女性経営者のセンスが感じられる、こじんまりしたカフェを最近見つけました。
ゆるやかな時間が流れ、その居心地の良さに魅かれ毎日通う常連さんもいます。材料に気を配った手づくりの焼菓子も人気です。先日は目先を変えて、白玉小豆と抹茶をいただきました。

粒よりの大納言が香る、本当においしい小豆でした。
炊き方はお母さんの薫陶のたまものでしょうか。薫陶とは、香の薫りをたきしめ、土をこねて陶器をつくることから「徳の力や品位で人を良いほうに導く」意味となったと言います。我が家にまぎれ込んできた、ネコのコトラも、ノラネコかあさんの薫陶よろしく、人間に甘える術を心得ています。