七月一日「吉符入」

夏の京都がハレの空間となる祇園祭。
七月一日から一か月に及び続くお祭りの始まりが、吉符入(きっぷいり)と呼ばれる祭事です。
各山鉾町にて、その年の祇園祭に関する打ち合わせをし、祭りの無事を祈願します。

祇園祭と言えば、雅やかなお囃子、宵闇に浮かびあがる駒形提灯と人の波。そして都大路を行くけんらん豪華な山鉾巡行を思い浮かべる人が多いことでしょう。
でも、鉾や山には、それぞれの成り立ちや由緒、様々な行事や仕事があります。それを知ることにより、これまで気付かなかった祇園祭の魅力を発見することができます。
そしてそこには、時代の変化に柔軟に対応しながら、千百年の古式を守り、祇園祭を支える多くの人々の姿も浮かびあがってきます。

神事初めの前から進められている、お祭りの準備

函谷鉾(かんこぼこ)
起源は、応仁の乱以前にさかのぼる函谷鉾(かんこぼこ)。その名は、清少納言も歌に詠んだ、中国の孟嘗君(もうしょうくん)が家来に鶏の鳴き声をまねさせて、函谷関の門を開かせたという故事に由来します。
七月一日の吉符入が「神事始め」となりますが、早くも四月には最初の会合が持たれ、六月には、小学生の囃子方の新入会式や、火の用心とお祭の無事を祈願するため「火伏せの神さん」の愛宕神社への参拝など、準備が粛々と進みます。

重量12トンの鉾の、堅固な本体を影で支える伝統の力

優美で絢爛豪華な数々の工芸品で飾られた鉾の表の顔に対して、本体の櫓はあくまでも堅固です。七月十日から十二日までの三日間「鉾建て」が行われ「釘を一本も使わない縄で巻く工法で本体が組み立てられます。縄で巻くことによって、巡行中の揺れやきしみによる破損から守るというすばらしい知恵と技術です。その縄の巻き方が部分部分違う、実に美しい飾り結びになっています。
釘を一本も使わない縄で巻く、鉾建ての工法
この縄をつくっているのは、福知山市の田尻製縄所です。材料のわらを調達するのも困難な状況が続くなか、父親の跡を継いだ田尻 太さんと奥さんの民子さん、太さんの母親の久枝さんの三人がわら縄つくりを続けています。
「わら縄は、表舞台を影で支える地味な仕事ですが、日本の伝統文化を守る仕事に係わらせてもらっていることに誇りと喜びを感じています」と太さん。「わら縄つくりは私の代限り」とも。
たくさんの人が「神事と伝統に係わらせてもらっている」という感謝の気持で支えていることを知れば「観る」という参加も、深めることができると感じています。

 

*掲載した写真は許可を得て昨年撮影したものです。また(公財)函谷鉾保存会より、この「京のさんぽ道」への掲載許可をいただいています。