師走に入り、日一日と慌ただしさが増してきます。
お正月の迎え方は、以前とはだいぶ変わってきていますが、新年の清々しく華やいだ気分は誰しも感じるのではないでしょうか。「お正月にはたこ揚げて、こまを回してあそびましょう」という、町かどの風景には、なかなかお目にかかれなくなりましたが、伝統を受け継ぐ京都のこまは、今も健在です。
芯に木綿の平たいひもを何重にも巻き付けて完成させる色鮮やかな「京こま」は昔、公家の女性たちが衣装の裂地を竹の芯に巻いて作ったものを始まりとする、やさしい風情のこまで、回り方も優美です。定番の形状から、創意あふれる新作まで、一つ一つと驚きの出会いがあります。手のひらに乗る小さなこまから夢が広がります。
伝統の京こまを、ただ一軒、家業として誠実に作り続ける工房を訪ねました。
御池通り、建都がリノベーションを手がけたマンションのご近所です。史跡「神泉苑」にも近い、暮らしの空気が感じられる地域です。
再び、雀休の看板を掲げる
日本玩具博物館によると、こまは世界各地に分布していますが、日本には東北、関東、関西、九州と、地方色豊かなこまがあり「こまの宝庫」と言われているそうです。
日本各地のこまが木地で作られているのに対し、京こまは心棒に平たいひもを巻くというまったく異なる方法で作られています。そして現在、京こまの作り手は「京こま匠 雀休(じゃくきゅう)」の、中村佳之さんと奥様のかおるさんのお二人だけになっています。
雀休という珍しい屋号は、京こま職人であった佳之さんのお祖母様が付けられた屋号で、庭に舞い集った雀たちを見て「雀たちが羽を休めることができる和みの場所に」という意味が込められています。以降、お父様、佳之さんと受け継がれています。
佳之さんは、子どもの頃からお祖母様とお父様の仕事ぶりを普段から見て育ち、自然と京こまを手にするようになり、中学生の時には、商品になるこまを作れるまでの腕前になりました。しかし、昭和の初めから広がり、手頃な京みやげとして人気のあった京こまも、1980年代(昭和50年代後半)になると、売り上げは減少の一途をたどり、職人さんは廃業、転職をせざるを得ない状況となり、雀休もついに廃業されました。一般企業の会社員となった佳之さんが退職し、一身をかけて、家業であった京こまの職人となり、再び雀休の看板を掲げて出発したのは2002年。廃業されてから実に20年後のことでした。
「以前のように、数少ない種類のこまだけでは通用しない。もっとおもしろいこま、子どもの遊びだけではない、新しいこまや、新商品をつくらなければ」と、一人で大車輪の活躍でした。
そして、かおるさんと結婚されたことにより、一人で手いっぱいだった状況が変わり、新しいこまの構想を話し合い、実際にかたちにして魅力ある商品が生まれていきました。
どの世代も、常日頃楽しめる京こま
店内には、基本の京こまと並んで、ストラップ、ブローチ、かんざし、ピアスなど、気軽に、いつも身に着けられるアイテムもいろいろあります。愉快なのは、創作京こまです。干支、ひな人形、鯉のぼり、祇園祭、金魚、京野菜、乾物など、日本の習わしや季節、京都をテーマにしたシリーズです。「こまはお正月のもの」と思われているので、何とか通年楽しく使ってもらえるものをと、考えたアイテムです。
伝統の手仕事に生活をかける厳しさは、外からはうかがいしれないものがあると思いますが、「京こま 野菜シリーズ」に書かれた「野菜がきらいなお子様も、コマで遊んで野菜に親しもう」という紹介の文章には、そんな重圧を感じさせない、ものづくりが好きな優しいお人柄が表れています。
京こまは、ひもを同じ強さで、きっちり巻いていかなければなりません。また、時間がたつとゆるみが出てくるので、できるだけ早くコーティングします。細い心棒に一からひもを巻き、重心を考えて仕上げるのは大変な手間と根気、技術、そして研究心が必要です。「飾っておきたい」と思う創作こまなど、どんな形のものも、すべてきちんと回るということが本当に驚きです。来年の干支の亥や京野菜の聖護院かぶら、九条ねぎが軽やかに回るのを見れば、まず目を見張り、そして思わず笑いがこぼれてきます。
新商品の開発や既存商品の改良に、お客様の言葉や感想が、とても役立つそうです。「それは、家の奥で作っているだけでは得られないこと。お客様の言葉が励ましにもなります。」と、かおるさんは語ります。すべてが夫婦二人の肩にかかっているので、慢性睡眠不足の忙しさですが、それでも「お客様に、ここにあるものは全部私達が作ったものです、と言えます。ただものを売っているのではなく、だれが、どういう人がつくっているのかが大事」と考えています。雀休のこまは、壊れたらきちんと修理してもらえます。「長く使ってほしいから」その気持ちが使い手にも伝わり、丁寧に作られたものへの愛着を育みます。
応援してくれるご近所さん
かおるさんは大分県の生まれ育ち。京都に知人は一人もおらず、ものづくりの経験もありませんでしたが、佳之さんのかけがえのない相方となっています。「京都のいけず、とよく言われますが、そう言う目にあったことはないですね」と笑い、「近所の方はみなさんよくしてくださっています。がんばれと、応援してもらってると感じます」と続けました。
今、世界的に、伝統的なものづくりが注目される流れが生まれています。縁あって、これまでにロンドン、ニューヨーク、パリへ招かれ、2年生の息子さんも一緒に家族で訪れ、京こまについて語り、実演も行いました。文化や言葉の垣根を越えて、とても喜んでもらえたそうです。地元京都の大学や小学校にも出かけ、京こまについて語り、こま作り体験も実施するなど、こまにかける情熱はますます燃えています。
京都で一軒だけの京こま作り。京都で一軒ということは世界にただ一軒ということです。
息子さんも自然とこまを作り始め、ものづくり大好きなのだそうです。家族三人のこま作りの歴史が、動き始めています。年齢、性別、国籍も超えて、みんなから、ほほえみが生まれる京こまの魅力を、多くの人に知ってほしいと願っています。
京こま匠 雀休
京都市中京区神泉苑町1
営業時間 11:30~18:00
定休日 日曜日、月曜日