京都の町は、碁盤の目の通りに生業と深く関係する、低層の町家が並ぶ町並みに特徴があります。一方、大正から昭和初期にかけて建てられた特徴のある個人の住宅は、西洋建築を取り入れながら、京町家の様式を所々に受け継ぎ、みごとに京都らしい文化性と美しさを備えています。
進取の精神と自由な気風がみなぎる、北白川の梅棹忠夫邸をギャラリー&カフェ ロンドクレアントとして再生した、次男のマヤオさんに話を伺いました。
京都大学関係者が北白川の新住民
左京区北白川はかつて、京都市中から離れた田畑が広がり、古くから花の栽培が盛んな里でした。農家の女性が手甲脚絆姿で花を売り歩き「白川女」と呼ばれました。その北白川が住宅地になったのは、大正時代から昭和の初めにかけてでした。近くに京都大学があり、その関係者が多く住み、学生の下宿もできています。
梅棹家が北白川の家に住み始めたのは昭和24年。家はその時点ですでに修繕が必要な個所がありましたが、梅棹氏は自ら大具道具を揃えて手を入れ、学者仲間を驚かせたそうです。
家は真ん中の枯山水の庭を囲んで、回廊を巡らせたとても独創的な造りになっています。中庭の飛石や手水鉢は、すべて西陣の生家から運んで来たもので、梅棹氏は、この石の上を歩きながら考えをまとめていたそうです。この庭を一緒に造った、京都大学造園学教室の吉村元男氏は「枯山水もかつては、庭の中に入って石組みを鑑賞していた。その意味では、枯山水を元の姿で楽しんだ『庭の改革者』です」と語ったそうです。
梅棹氏は、国立民族学博物館の初代館長に就任し、19年間の長い間館長を務めた民族学の大家であると同時に、探検家としても知られています。自宅には毎日のように、後輩の学者や学生、ジャーナリスト、作家といった多彩な人々が集まり、いつしか「梅棹サロン」と呼ばれるようになりました。型にはまらず、上下関係のない自由な談論風発の場となり、多くの研究者が育っていきました。
その発展形として「京都大学人類学研究会」が誕生し、会場が近衛通にあったことから「近衛ロンド」と呼ばれました。ロンドとはエスペラント語で「集まり、小集団」を意味します。梅棹氏はエスぺランチストでした。
エスペラント語は、19世紀末に、ロシア領ポーランドのユダヤ人、ルドヴィコ・ザメンホフが考案した人工言語です。彼の生きた時代も、世界の各地で戦争が絶えることがなく、国境を超えた共通のことばで話し合い、理解し合うことが不可欠だと考えたのでした。マヤオさんもエスペラント語の精神に魅かれ続けたきたと言います。
マヤオさんは小さな頃から絵を描くことが好きで、高校の陶芸科からカナダの芸術大学を卒業しました。「外国へ行ってみたいと思うようになったのも、子どもの頃、家に集まるいろいろな人の話を聞いたり、なかに留学生もいて、そんな環境があったからだと思います」と語ります。「カナダへの留学や芸術大学へ進むことも反対されことはなく、自由に自分自身がやりたいことをやっていくように導いてくれたのかなと思います」と続けました。北白川の家は、梅棹サロンに集った人々やマヤオさんの源流です。
美山での35年間と北白川の家
マヤオさんは昭和56年、作陶と住まいとなる家を探している時に、築120年の大きなかやぶきの農家と出会いました。その家は、雪の量や日当たりなどの立地条件はどうでも良いと思えてくる圧倒的な存在感があり、あらがえない魅力を放っていました。
美山の大自然のなかで二人の息子さんを育て、美山の季節料理「ゆるり」を経営しました。若手の腕のいいかやぶき職人との出会いや、夏祭り、30回に及ぶコンサートの開催はなど、美山でも様々な楽しいことをつくりあげてきました。
現在、ゆるりはマヤオさんの息子さんご夫婦が経営されています。息子さんは、子どもの頃同じように美山で遊びまわり、現在は猟師と料理人になっている二人の友人と、増えすぎたシカとイノシシを美味しく食べて、荒れてしまった里山を取りもどそうと、有限責任事業組合「一網打尽」を立ち上げました。捕獲、解体、精肉、販売までを行い、新鮮でおいしいジビエを提供しています。誰もやっていないことでも、やりたければやってみるという梅棹家の精神が、息子さんにも受け継がれています。
マヤオさんは、北白川の家を約2年かけて改修し、2015年8月にギャラリー&カフェ「ロンドクレアント」をオープンしました。名前はエスぺラント語からの造語です。ロンドは先述したように集まり、サークル。クレアントは創造者、つくり手、クリエーターといった意味です。
音楽、工芸、写真、小さな報告会など様々な人が集まり、交歓し発信していく。そんな空間となってほしいというマヤオさんの願いがこめられています。築80年以上経っている建物は、耐震化、断熱化をしっかり行うこと、回廊や中庭など基本は残すことにしました。マヤオさんの友人とその息子さん、忠夫氏とともに家つくりにかかわった工務店の次代をはじめ、デザイナー、設計者造形作家などたくさんの人が参画しました。この改修自体がまさに、梅棹サロンだったと言えます。
格子が建物の前面を覆い、シンプルで北白川の景観になじみ大きな看板を立てなくても「ちょっとのぞいてみたい」と思わせる雰囲気をかもしだしています。伝統的な京町家とモダニズムの住宅のそれぞれの良さをあわせもった新たな空間が生まれました。
人と人がつながり、育てていく
マヤオさんは、「若い人が外に向かってアートを発信しなくなっている」と感じていました。ギャラリーはもっと自由でいい。質の高い音楽を楽しみ、知らない人同士でも音楽談義ができる。通りがかりの人や近所の人が、ふらりと寄って、お茶を飲んだり本を読んだり。ごろんとして、ゆっくり過ごしてもいい。そんな空間にしたいと考えて、ロンドクレアントをオープンしました。より早く、より刺激の強いものへと向かっていくこの頃。もっとゆっくり、季節の移り変わりも感じられるような、ゆとりが必要だとも感じています。
写真展、ギャラリートーク、多彩な作品展、おとななジャズ、オーストラリアの先住民の木管楽器など民族楽器の音色やリズムが魅力的なデュオ、堅苦しいイメージを払拭したクラシックのトリオ、また未就学児も聞ける歌のコンサートなど「ジャンルは問わず質は高く」のスタンスで、すでにたくさんの企画展やコンサートが開かれ、終了後は、マヤオさんと奥様の美衣さん手づくりのおいしいお料理とワインやビールを楽しみながら、出演者を囲んで、とてもフレンドリーな雰囲気のパーティもあります。
マヤオさんは今「点が面になって来た」と実感しています。ここへ足を運んでくれた人たちが、さらにこの輪を広げてくれることでしょう。
家も住む人と一緒に歳を重ねていきます。家族やそこを訪れる人たちが良い関係を結べる家であるように、建都は今後も住まいのあり方を追求してまいります。
rondokreanto
京都市左京区北白川伊織町40
営業時間 11:00~19:00
定休日 月曜日