経糸横糸が織りなす 真田紐の可能性

掛け軸や茶道具を入れた桐箱に結ばれている紐と言えば「ああ、あの紐」と思い浮かぶでしょうか。経糸と横糸を使って機で織る織り紐であることが、真田紐と他の紐との一番の違いと言えます。
一番幅の狭いものは一分(約6mm)。この幅に決められた柄を織り込んでいきます。世界で一番小さな織物と言われるこの紐は、戦国時代には、甲冑や物資の輸送など軍事用に使われ、さらに茶道や各寺院の道具の箱など、その用途はさらに広がっていきました。450年続く「真田紐師 江南(さなだひもし えなみ)」十五代目、和田伊三男さんが語る、強く美しい真田紐のめくるめく世界へ引き込まれます。

武士、忍者、茶人。真田紐と交わる人々

紐の源流、サナール紐

真田紐の源流を探ると、ネパールの「サナール」という仏教とともに伝来した織り紐にたどり着きます。真田紐は、戦国時代の初め、そのサナールを参考にして近江や京などで織り始められたと考えられています。
和田さんのご先祖は近江守護の佐々木六角家の家老職に就いていましたが、領地振興の一つとして真田紐を織り、領民に指導もされていたそうです。ちなみに「江南」の江は近江のことで、近江の南部の所領であったことに由来しています。

真田紐は、通常の倍以上の本数の糸を使って圧縮して織ることにより、伸びずにとても丈夫に織りあがります。「元々は庶民が荷物紐として使っていたのを見て、武士も活用し始めたのでしょう」と和田さんは語ります。
大河ドラマで一躍注目された真田氏の名が付いたのは、真田昌幸・信繁父子が、関ケ原の合戦の後、紀州の九度山に幽閉された時、恐らく紐を織っていて、行商人が、西軍の中で唯一勝利し、功績のあった真田氏の名を出して「あの真田の紐」と宣伝文句のように使って売り歩いたことから、真田紐の名が一般に広がったと推察されています。
また、この頃の豪族は、山賊の一族と山岳密教の修験道者を組織化して庇護し、諜報活動や天候の予想や鉱脈の発見などに役立てました。これが忍びの者、忍者となったそうです。しかし、庇護されているとしても生活の糧がなければ、また山賊にもどってしまうので、農閑期の仕事の一つとして真田紐も製作していたそうです。伊賀、甲賀、柳生、根来など、真田紐あるところ忍びの者ありだったようです。
真田紐は刀を受け止めることができるほど強靭で、まさに戦いの実践の場において、強さを発揮したのです。また、武将たちはそれぞれ家紋のように独自の織り模様の真田紐を使い、どこの誰の所持品であるかを知る手立てとしましました。

また戦国時代は毒を盛られる危険もありましたから、結び方も複雑にして決め事とし、結び方が変わっていれば、誰かがほどいたとわかるようにしました。この習わしにヒントを得たのが、豊臣秀吉の茶の湯師範を務めていた千利休です。利休の発案により、茶道具の桐箱にも、所有者がわかる独自の色柄の真田紐を使うようになりました。
今も、各流儀の家元、寺社や作家独自の「約束紐」「習慣紐」として伝えられています。この紐は他の人や流派には使えないものであり、道具が偽物でないことの証明にもなるのです。和田さん流でいくと「紐の柄はID,結び方はパスワード」です。道具に箱、紐まで含めて「しつらえ」が決まっています。真田紐の世界はとてつもなく広く、深いのです。

製作とともに伝える仕事の大切さ


江南は京の五条の大橋に近い、町家が並ぶ通りにあります。最近のホテルやゲストハウスの建築ラッシュで急激に変化していますが、問屋町という通り名にふさわしい、暮らしのあるまちのたたずまいをとどめています。
江南は真田紐のすべての工程とお店を、和田さんと奥様の智美さんの二人でされています。通りからも、きれいな色合いの商品がよく見えます。店内は甲冑や刀、古色が付いた風格のある木の鑑札、各家元のきまりの箱、木綿と絹の大きな巻きの真田紐に何種類ものオリジナル商品で彩られています。さながら真田紐博物館です。

真田紐をつくるところが次々姿を消し、戦国時代の製法を踏襲する木綿の糸を草木染めし、整経から手織りまで一貫して織っているのは江南ただ一軒になりました。木綿草木染の棚に、智美さんの、2019年度日本民囈館展―新作工藝公募展―に入選した2点の真田紐がありました。深くあたたかみのある色、しっかりした打ち込みの木綿の紐は、ものにも美しいたたずまいがあるのだと感じました。
そして、なんと、この入選作品を商品として、好きな長さで切り売りしてくれるのです。思わず、本当にいいのですかと聞いてしまいましたが、智美さんは「用の美ですから、役立ててもらうのが一番なので」という短い答えに、すべての思いが表れていると感じました。

和田さんは、時によって刀や桐箱を使って実にわかりやすく説明してくれます。取材当日も茶碗を納める箱について聞きに来られたお客さんに「納める先の流儀はわかっていますか?」など重要な点を確認しながら話をしていました。実際に裏千家、表千家、遠州流の箱を手に取って、作りの違うところなどを、わかりやすく説明します。お店へ来られた方にも「箱を注文する時は、きちんと伝えてくださいね。箱や紐のことでわからない時はいつでも聞いてください」と丁寧にアドバイスしていました。江南は桐箱などを作る指物師としても仕事をされていたので、箱についても知り尽くしているのです。
また、茶室についても詳しく、その見識には驚くばかりです。和田さんは、真田紐を使う場面のある映画やテレビ番組の、時代考証や技術指導をしていますが、明治以降の洋風化の流れ、戦争、そしてさらに急激な生活習慣の変化によって、これまで守られてきた伝統が途絶えそうになっていることに危機感を持っています。
真田紐の技術のみならず、歴史や約束事もきちんと伝えていかなければ、「本物の証し」としての真田紐の役割が果たせなくなってしまいます。膨大な資料の整理や講演会などで伝えることもこれからの大切な仕事になります。

真田紐と何かが一緒になる楽しさ


真田紐をわらじのようにかけたおもしろいスニーカーがあります。これは、京都造形芸術大学が運営するホールラブキョートの若いメンバーと江南が共同開発した「SANAD BANDOSHOES」(サナダバンドシューズ)です。とても履きやすいそうで、試してみたいと思いました。
京コマのストラップは、江南も参加している、ごく少数の職人によって受け継がれている伝統工芸の分野の会「京都市伝統工芸連絡懇話会」の会員、京こま雀休との共同開発商品です。(雀休は以前「職人の心を映す京こまの魅力」で紹介させていただきました。)江南の真田紐を使った竹工芸のバッグが評判を呼んだこともありました。

和田さんは、鼻緒スニーカーの隣にある、明治から昭和の時代まで長野県で使われていた「下駄スケート」を手にして説明してくれました。明治時代にスケートが日本に伝わりましたが、スケート靴など作れなかったので、普通の下駄に、鍬や鍬を作っていた鍛冶屋さんがブレード部分を作り、真田紐で足を固定した傑作です。なかったら工夫して作る。昔の人はとてもクリエーティブだったのですねと、楽しそうに続けました。

和田さんは脱プラスチックの取り組みの提案として、エコバッグバンドを考案しました。買い物した後重くなったバッグをバンドに止めれば、リュックサックのように背負うことができるという優れものです。
「世界で一番小さな織物」真田紐は、伝統の本道がしっかりあるからこそ、楽しんで新しいことができます。450年の伝統は重いけれど、新たなものを生み出す源泉です。

 

真田紐師 江南(さなだひもし えなみ)
京都市東山区問屋町通り五条下ル上人町430
営業時間 10:00~17:00
定休日 水曜日