千年の都京都は、長い歴史のなかで育まれ、磨かれてきた伝統産業、工芸品が今も継承されています。一方、明治以降の近代のものづくりも、めざましい発展をとげています。
前回に続き「京都かみはこ博物館 函咲堂」館長の山田芳弘さんに、京都の紙箱製造のさきがけであった泰山堂と紙箱の歴史、技術や製品の変遷について伺いました。お話からは、伝統と進取の気風があいまった、京都独自のものづくりの姿が見えてきます。山田館長のおだやかな語り口と、函咲堂のユニークな活動に、京都のゆとりと底力を感じ、これからの京都の在り方も指し示していると感じました。
大看板とともに引き継いだもの
紙箱製造にかかわる多くの道具や機械とともに、正面に掲げられた木製看板が泰山堂(たいさんどう)の風格を伝えています。
泰山堂は明治35年の創業時に、いち早くドイツから機械を輸入し、その後も本格的に機械化を進めるなど京都の紙箱製造の先駆者となり、業界に大きな役割を果たしました。十数年前に会社を閉じた時に所有されていた機械や貴重な資料、紙器や箱の工業組合のものも含め保存展示されています。
東京や大阪など他の大都市でも機械が導入されていましたが、第二次世界大戦中の金属供出や戦災により、多くが失われてしまいました。そのような状況のなか京都では、軍に50キロ爆弾の弾頭を紙で作ることを命令されました。それは四角い箱のみを作っていた業界に、変形のものも製造できるようになったという、革新的なできごとをもたらしました。函咲堂が発行したパンフレットにはその製造現場の写真も掲載されています。
現在展示されている舶来の機械は、おそらく日本最古のものと考えられています。函咲堂では、前回ご紹介したように貼箱体験と、機械や資料の説明と見学を行っています。紙箱の歩みを知ると、函咲堂の展示物や体験によって紙箱の存在を知ってもらうという活動が、本当に貴重でほかに例をみないことがわかります。
函咲堂は「一般社団法人 函咲堂」として、2018年に設立されました。法人としたのは、貴重な機械や資料が個人の都合や状況などで散逸させないためと山田館長は語ります。紙箱以外にも、京都は全国の写真を印刷して絵はがきにする最大の印刷産地であったということで、使用された524枚の銅板も保存展示されています。
機械を2階へ展示するために鉄筋を使ったおおがかりな工事をし、大看板は天井にレールを通し設置しました。公的な所有として保存することとあわせて、製造技術の継承も活動にあげられています。
貼箱の一級技能士資格者であった、泰山堂三代目専務水守千里さんは、貼箱体験の指導もされていました。今年の7月にお亡くなりになりましたが、ほぼ毎日姿を見せ、機械の手入れをし、子どもたちの貼箱体験は元気に楽しそうに指導されていたそうです。展示されている数々の機械はきれいに磨かれ仕事の相棒として大切にされていたことが伝わってきます。
体験の時に感じる現場の臨場感は、泰山堂が築き継承してきたものづくりの精神なのだと感じました。また泰山堂以外の会社の機械や道具、組合に関する資料も保管され、企業や業界の貴重な歩みを後世に継承するかけがえのない場となっています。函咲堂は唯一無二の紙箱の博物館です。
奥が深く間口も広い、紙と箱
体験では貼箱が主ですが、御朱印帳も作ることができます。山田館長は「御朱印帳は紙を使った素朴なものでいいと思います。それを自分ですきなように作れたら楽しいし、思い入れもあるものになります」と、素材の和紙や中身に使うロール紙で説明してくれました。
御朱印帳のかなめは、じゃばらにきちっと折ることです。そのためにまず、練習用の紙を使って折り方やコツを覚えます。紙がロールの形になっているというも発見に思えて新鮮です。
「ここで作るのは大きさも厚さも自由にすきなようにできます。御朱印だけでなく、写真やチケット、お店のカードなど自由に貼ったらいいのです。だから思い出帳なのです」「お孫さんにプレゼントする思い出帳を作る人もいます。楽しそうに作っていて、心がこもっているのでお孫さんも喜ばれたのではないでしょうか」と続けました。
レコードジャケット、木版や箔押しがほどこされた呉服関係の包み、木版刷のデザイン画や型染和紙など見どころも満載です。その意匠は今みても色あせず、モダンであったり優雅であったり感度の高いものばかりです。デザインや絵画を勉強している若い人にも、ぜひ見てほしいと思いました。
伝統産業に分類されるものだけでなく、近代京都の先進的な技術も、もっと広く知られて大切にされるようになってほしいと感じました。
かみはこ博物館はコミュニティーの場
体験会とは別に「函咲会」という集まりも行われています。70代を中心に集まって、紙について勉強をして「何を作りたいか」の希望によって、御朱印帳や貼箱作り、みんなで歓談を楽しまれているそうです。
おどろいたことにバランスボールやフィットネスの器具、卓球台まであります。コロナにより中断を余儀なくされていますが山田館長は「またそろそろ始めたい」と考えています。
紙と箱の博物館のみならず、地域の寄合処のようで、参加される方の楽しそうな雰囲気が目に浮かぶようです。
山田館長に「函咲堂はどなたが考えた名前ですか」と聞くと「僕や。箱はそのままではおもしろくないから函にして、咲くは作る。箱作、そのまま」お茶目な答えが返ってきました。かみはこ博物館という略称については「なんや知らん間に、みんながそう言い始めてそうなった」と鷹揚です。
おみやげに滅菌紙を使用したマスクケースをいただきました。発売元は一般社団法人 函咲堂です。ものづくり現役です。今、京都も含め全国の中小企業は厳しい経営環境にあると思いますが、先人が培ってきた土壌の上で、新たな豊かさを築いているという力強さを感じました。
入口に鎮座している御駕籠は、実際に担ぐ計画をしているそうです。縁あって心ある人によって守られた日本最古の紙箱作りの機械は、こうして多くの人々とかかわりながら、渋い光の存在感を放っています。
京都かみはこ博物館 函咲堂(はこさくどう)
京都市下京区西七条比輪田町1-3