みんなにうれしい居場所 Café.silt

前回の京のさんぽ道、三谷左官店の物語の始まりはこの喫茶店からでした。鮮やかな色合いのどろ団子にミニチュアサイズのかまどと個性的なディスプレーもさることながら、親しみを感じる「街の喫茶店」の雰囲気にひかれます。すでに常連さんもできて駅前の顔になりつつあります。
カフェ シルト。またの名は「さかんとおかん」。ドアを開けると、勝手に思い描いていたおかんのイメージとはほど遠い、チャーミングなおかん三谷啓子さんが、すてきな笑顔で迎えてくれました。

家族、親族、友人、みんなの共同作業で改装オープン

カフェ シルト
カフェ シルトは、長年親しまれながら閉店した喫茶店の店舗を、構想一年をかけて今年の2月にオープンしました。オーナーは三谷左官店の三谷 涼さん、お店を切り盛りするのは母親の啓子さんです。
カフェの名前には「どろ団子のワークショップができて、左官の仕事を知ってもらうきっかけの場になるように」という願いが込められています。「シルト」とは、左官業で使う土を分類した種類の一つです。このネーミングにも並々ならぬ意気込みを感じます。
店内の清掃、食器棚のペンキ塗り、おしゃれな椅子のカバーは「家にあった布を活用」、左官職人涼さんお手のもののいい味の壁など、内装をはじめオープンまでのほとんどの作業を家族、親族の共同作業でやり遂げました。
カフェ シルト
駅前の便利な場所にありながら店内は騒々しさがなく、明るく優しい雰囲気にあふれています。カウンター席とテーブル席がいい具合に配置されていて、一人でも連れ立ってでも、そして常連さんも初めてのお客さんも気分よく過ごせます。たとえば初めて入ったお店で、特に一人の時など「どの席に座ろうか」「カウンターのほうがいいのかな、それともカウンターは常連さんの席なのかな」と迷うことがあります。シルトはドアの脇に一人用のテーブル席があり、カウンター席も気軽に座ることができます。こういうところも、ほっとできる点です。
カフェ シルトカフェ シルト
店内には左官職人の一番大事な道具のこてや「育成途上」のどろ団子が置かれています。お客さんが立て込んできて注文のものが出てくるまでの間も、おもしろい壁や珍しい道具などを眺めていると「待たされている感」がありません。何より気持ちのこもった「お待たせしました」のひと言と、運ばれてきた本当においしそうな一皿にうれしい気分になります。軽食、デザート、飲み物と、すべてのメニューがきちんと手をかけて作られていて納得のおいしさです。軽く何か食べたい、コーヒーで一休みしたい、ケーキがあればいいなという思いに応えてくれる得難い存在になっています。

掛け値なしの「手作り」のおいしさ

カフェ シルトのさつまいものブリュレ
開店は10時。店内に朝の光が差し込む至福のコーヒータイムです。
シルトのメニューは、喫茶店でこれだけそろえているお店はなかなかないのではと思う充実ぶりです。飲み物やデザート系のメニューは季節によって変わります。レモンシロップにかわり今はジンジャーシロップ。堂々のボート型のさつま芋のブリュレ、りんごとくるみのタルトなど季節感のあるメニューが登場しています。
カフェ シルトのケーキ
シロップもタルトの生地もすべて手作り、メニューの考案も調理もすべて啓子さんです。
これまでデパート勤務とスーパーの総菜担当で仕事をされていたとのこと、だれもが「このお店来て良かったね」と思える接客に、その経歴が生かされています。
カフェ シルトのけいこさん
飲食店の経験はないと聞き、意外でした。「若い料理人さんの料理教室へ行ったことがあるけれど、飽きてしまってやめました」と笑い「食べることは好きなのでいろいろなお店へも行きました。それに今はインターネットもあるので、どんなものが好まれているかなど、最近の傾向とかすぐわかりますからね」と続けました。焼き菓子は材料の配合や焼き加減も難しく、オーブンのくせがわかるまで何度も失敗し、試行錯誤を繰り返してお客さんに出せるものになったと話されました。
カフェ シルトのカレー
デザートのソースに使うオレンジをことこと煮詰めたり、閉店後にキーマカレー用の仕込みをしたりと明日のための作業が続いています。見えないところで手をかける仕事と研究心がシルトのおいしさの土台を作っています。
手作りとはよく使われる言葉ですが、本当の手作りとは言葉だけではなく、甘えのない「お客さんに出して喜んでもらえるもの」へのお店の姿勢であると思いました。

お客さんとのいい距離感、間合いが生む心地よさ

カフェ シルト
ある日の閉店間際、帰り際にお客さんが食器をカウンターへ運んできました。知り合いの方かと思いましたが「初めて入ったのですがおいしかったです。また来ます」という言葉を残していきました。普通は初めてのお店で「こんな余分なことをしたら良くないかな」と迷いますが、シルトではごく自然に「ごちそうさまでした、おいしかったです」という言葉と一緒にカップやお皿が戻される光景が見られます。カウンターから出て「お待たせしてすみませんでした」という気持ちのこもった言葉で見送られ、みなさん表情をほころばせてお店を出ていきます。
カフェ シルトの常連さんと
カウンターに座った常連さんが「この前のどろ団子の時に来ていましたよね」と声をかけてくれました。おなじみのお客さんも初めてのお客さんも居心地の良い居場所になっています。カウンターの端にある大きな箱のようなものは実はオーブンです。二つ並べて置けなかったので止む無く今の場所になりましたがむき出しでは困るのでカバーをこしらえました。その巧みな仕上がりのカバーは「コーヒー2杯分の実費」で常連さんが作ってくれたそうです。
カフェ シルト
白木の子ども用のいすが目に入りました。聞くと「小さな子どもさんと一緒に入れるお店がなかなかないので用意しました」とのこと。先日はお父さんと小さなお子さんが見えて「この後、おかあさんのお仕事の終わる時間に合わせてお迎えに行きます」と話してくれたそうです。聞いていてほのぼのとした気持ちになりました。
お客さんが多かった日の閉店間際「洗い物を手伝って」との連絡に来てくれたのはお孫さん、涼さんの息子さんでした。中学生で一週間後にテストがあって追い込みの時ですが「とても頼りになる助っ人」です。
カフェ シルトのシフォンケーキ
シルトの看板メニュー「まんまるシフォンケーキ」は12cmサイズをまるごと楽しめる夢のような一品です。「このアイディアはお嫁さんなんですよ」と、涼さんの奥様の発案で生まれたそうです。いろいろなかたちで家族の協力があるようです。おなじみ、初めて、たまに、一人、だれかと、グループとそれぞれに、また年代も関係なくだれもがほっと優しい気持ちになれます。
左官の仕事を知るきっかけになり、どろ団子の発信基地でもあるカフェ シルトは、人と人を結ぶみんなにうれしい居場所です。

 

Cafe.silt「さかんとおかん」
長岡京市天神1丁目1-4
営業時間 10:00〜17:00
定休日 金曜、土曜(日曜は月2回)

左官職人が描く これからの左官屋

しばらく閉店していた喫茶店に、再開のお知らせが貼ってありました。名前は「Cafe silt さかんとおかん」にかわっていました。おかんはお母さん、さかんは左官なのか。窓辺にミニチュアのおくどさんと、どろ団子が並んでいます。色鮮やかな球形のものも、果たしてどろ団子なのかどうか。
左官とおかん、そしてどろ団子。その組み合わせがとても個性的で、強い主張を感じます。大いに興味をひかれ、オーナーで左官職人のその人、三谷涼さんに長時間にわたり話をお聞きしました。「利休さんは大先輩」「土ソムリエ」「おもしろい壁」など次々と意表を突く言葉がつむぎ出され「左官屋が語るこれからの左官」の話に引き込まれました。

小学生の時の左官職人さんとの出会い

三谷左官の三谷涼さん
三谷左官店の三谷涼さん

三谷さんが小学校3年生の時、実家の向かいに新築中の家があり、左官屋さんが毎日仕事をしていました。こてを使う様子がまるで侍の刀のように格好よく、ああいうおとなになりたいとあこがれ、毎日飽きずに見ていました。やがて土を練る手伝いをするようになりました。その頃、同級生はみんな仮面ライダーに夢中になっていましたが、三谷少年は左官の仕事に夢中になったのでした。
毎日左官のおじさんといるのが楽しくて、お昼ごはんも一緒に食べるほど親しくなりました。しかし、いつまでも続くと思っていた職人のおじさんたちとの楽しい日々も、現場の仕事がすんだところで当然のことながら終止符が打たれました。とてもさみしくショックを受けましたが、夏の暑い日の土が発酵した匂いや、練った土の感触、鮮やかにこてを使う所作など、土と親しむ楽しさは深く胸にきざまれました。三谷左官店の歴史は、この小学校3年生の時から始まったと言えます。そしてこの思いが実る道へと進めたのは、中学校の恩師の存在がありました。

三谷さんのアトリエにはさまざまな塗壁が

中学生になっても「壁塗り」への思いは消えず、どうしたらその仕事ができるのか先生に話したところ、親身になって相談に乗ってくれました。そこではじめて、自分がやりたい仕事は左官という職業であることを知ったのでした。「勉強も学校もそんなに好きではなかった」そうですが、自分のやりたいことをどうしていったらいいか悩む生徒に対して、真剣に向き合ってくれた先生との関係を築けていたことは本当に得難いことだと思います。今も交流があり、行き詰った時の励ましがうれしいと語ります。
左官職人のおじさんたち、中学校の恩師と、三谷さんのまわりは生き方の支えになるおとなの存在があり、それはとても大切なことだと感じました。

中学校を卒業すると迷わず、京都で一番厳しいと言われていた左官店へ入りました。当時は住み込みで、親方に仕えるといった感じの修行の日々だったそうです。その修行時代を20年ほど続けました。ずいぶん長い年月に思いますが、三谷さんはあっという間だったと語ります。
経験を積み、左官としての技術や知識がどんどん向上していくうちに「もっとこうしたい」「こういう方法も試したい」と、伝統と自分の感性を掛け合わせたら何ができるかという思いが募り「違う世界で左官の仕事を伝えたい」と考え、2018年9月「京都ぬりかべ屋 三谷左官店」の屋号で独立を果たしました。

左官にまつわるものが飾られた三谷さんのアトリエ

独立に際し、親方からは「これまでのつながりを一切捨てて、裸一貫でやっていけ」と言われたそうです。これまでのつながりを頼って仕事をするな、一から始める覚悟でやれということです。三谷さんは実際に、それまでの関係者や工務店を頼ることなく、独立の一歩を踏み出しました。「失うものがない強さ」とおだやかに話されますが、それは相当な困難を伴うものであったことは想像に難くありません。
とにもかくにもこうしてゼロから左官職人として独り立ちしました。

土を探求し、その可能性を見い出すことが使命


お話を伺ったのは、今年4月に新設されたアトリエです。「土と左官の博物館」と言った趣です。直射日光を避けやや落とした照明に、土の標本や様々な技法のぬり壁、壁土に混ぜ込む藁を細かくした「すさ」鮮やかな色のどろ団子などの見本が浮かびあがっています。まさに美しいアートコレクションです。

三谷さんは「左官は自然との良い関係がとても大切です」と語ります。塗り壁は主に「土、竹、砂、藁、漆喰」などの自然素材で構成され、それぞれの素材が持つ性質、力が合わさって、日本の風土と建物に適した塗壁となるので、素材の本質を知ることは左官の仕事といいます。
土一つとっても、その土地、産出した年によって性質が変わり、また水と混ぜると粘りが出て泥の状態になりますが、この泥の粘り具合が非常に重要になるそうです。そして藁や砂など混ぜる素材の微妙な配合も要求されます。

関西の土は特に塗壁に適した良い土なのだそうです。伝統的な建物の土壁の代表は「聚楽壁」ですが、少しずつ色目の違う聚楽土がずらっと並んでいます。良い素材があり、都であった京都は建築や左官の技術も発達し、全国各地の職人が京都で修業し研鑽を積んだのでした。
それまでは紙張りであった茶室の壁にはじめて土壁を用いた千利休を三谷さんは「利休さんは先輩だと思っています」とにこにこして語ります。400年以上も昔の大茶人と時空を超えて壁のことで交感できるとは、左官とは本当に奥が深いと感じ入りました。

「道具箪笥」とでも呼びたい木の引き出しを開けて見せてもらうと大小様々なこてが、きちんと仕舞われています。こての種類は1000種類ほどもあるそうです。三谷さんのこては、すべて「播州三木の打ち刃物」として知られる三木市の熟練の職人さんの手になるものです。
道具もこのように目の前にできることも、このアトリエの大きな魅力です。今後、左官の仕事、日本の四季に調和した実用と美しさを兼ね備えた塗壁のすばらしさの発信基地になっていくと感じました。

どろ団子から広がる創造する左官の世界


阪急電車の長岡天神駅前の「cafe Slit さかんとおかん」は、どろ団子ワークショップの場として開店しました。子どもの頃、どろ団子作りをした思い出のある人も多いでしょう。カフェ シルトのシルトは左官業で素材を意味するそうです。
三谷さんのお母さんがメニューの考案から調理、接客まで切り盛りしています。ワークショップを開いた時、終わってからみんなで楽しく感想を話したり、余韻を楽しめる場所がほしいと思っていたところ、運よく現在の場所が見つかったそうです。9月の終わりのどろ団子ワークショップを見学させていただきました。

当日参加されたのは、お友達同士の2名の方でした。「どろ団子ワークショップは、左官の仕事を出力したものだと思う」という表現や「手触など感触は実際にやってみないとわからないと思うから」「スポーツでも、自分ができなくても目の前で実際に見たら、すごいと感動する。職人さん、左官の仕事も同じだと思って」など、独自のしっかりした言葉で参加の動機を語っていたことがとても印象的でした。

鮮やかで、またかすかに微妙な色合いなどとても美しいどろ団子は「泥」のイメージをくつがえすものです。化学染料ではなく、すべて天然の鉱物から作られた顔料を配合して独自に作られています。
そもそもどろ団子は、左官の修行中にたくさん作っていたそうです。丸い壁のようなもので、手先の器用さや感性を磨くために切磋琢磨するツールとしてあったとのことです。どろ団子の由来は左官職人さんの修行のなかにあったとは思いもよりませんでした。
参加したお二人の作業中の集中した表情から、完成した時のぱっと輝くよう笑顔に、見ていたこちらもよかったとにこやかになりました。

三谷さんは、職人の仕事を身近に見られた自身の子どもの頃と違い、今は日本の建築や職人の仕事を知るきっかけすらありません。そのような現在、土壁の歴史からひもとき、自然やそれぞれの土地の自然風土をよりどころとした建物やそこで果たす左官の仕事とその大きな可能性を語ります。
三谷さんは長岡京市で生まれ育ち、そして左官店も自宅も長岡京市です。「地元のために」との思いを強く持っています。「今はどろ団子で、次は地元のお米と名産の筍を使った、たけのこご飯をかまどで炊いて、みんなで楽しむこと」と次の展開もイメージされています。

カフェにはかまどが飾られています

「三谷といえば左官職人と思ってもらえるようになりたい。そして100年後、200年後にこの壁、だれが塗ったのかなと思ってもらえる壁を残したいという言葉にも、揺るがない職人魂が感じられます。左官の夢は、確実に広がり、実りをみせています。

 

三谷左官店
アトリエ 長岡京市天神5丁目20-15
見学ご希望の方はご連絡ください。

 

Cafe.silt「さかんとおかん」
長岡京市天神1丁目1-4
営業時間 10:00〜17:00
定休日 金曜、土曜(日曜は月2回)

栄枯盛衰の跡と 秋の夕暮れ

「いつまで続くの、この暑さ」こう言った会話が途切れることのない今年の猛暑です。それでも日の暮れはおどろくほど早くなっていますし、たまに吹く涼風に秋の気配が感じられます。
かすかな秋を見つけられるかなと思い、以前、偶然通りかかった時に気になっていた神社を目指して東山七条へ向かいました。
そこは、現代の京都のなかに栄枯盛衰の歴史を垣間見る、独特の空気を感じる場所でした。

身近なところに歴史を知るよすがあり


東大路通と七条通の大きな交差点の東側、広く勾配のある坂道が山のふもとまで続いています。これは豊臣秀吉公が葬られたとされる「阿弥陀ヶ峰」(あみだがみね)へと続く「豊国廟」(ほうこくびょう)の参道です。少し上っていくと、豊臣廟の大きな鳥居の左手に「新日吉神宮」と染め抜いたのぼりが立てられ、鳥居も見えます。はじめにこちらからお参りすることにしました。
新日吉神宮
新日吉は「いまひえ」と読み、京都市の駒札には、永禄元年(1160)後白河法皇により、都の表鬼門にあたる比叡山坂本の日吉大社から方除け、魔除けの神様としてお招きされたのが始まりと記されています。酒造、医薬、縁結びの神様として大いに信仰を集めたとされています。
「豊国神社」は、この近くの国立博物館のそばにありますが、新日吉神宮境内にも「豊国神社」のお社があります。交差点の参道入口の立て看板には「新日吉神宮 江戸幕府により廃祀された豊臣秀吉公の御霊代を密かに祀り続けてきました」とあります。
新日吉神宮
左側にある「山口稲荷神社」は、鳥居の色は年月を感じさせますが「阿吽」の狐は風雪に耐えてお守りする風格とともに、かわいらしさも感じます。
鳥居と朱塗りの楼門の奥に本殿があり、境内には「菊の紋」の入った灯篭や、珍しい様相の狛犬、神様のお使いでもあり厄除け、金運のご利益のある阿吽の狛猿「真猿」(まさる)が迎えてくれます。
樹下社
境内にある豊国神社は「木下藤吉郎」の姓に通じることから「樹下社」(このもとのやしろ)という名で祀られ、豊臣家が滅亡後、徳川からの排斥を受けた秀吉公にまつわる寺院やご廟を守ってきたという由緒を今に伝えています。
豊国廟
次は今回「秋は夕暮れ」の景色を東山山麓から眺めたいということもあり「豊臣廟」阿弥陀ヶ原へ向かいました。
日も陰る、うっそうとした木立に季節知らずのミンミンゼミが勢いよく鳴いています。
まっすぐに伸びる石段を圧倒される思いで眺め、気持ちを奮い立たせました。
登拝料100円なりを志納金箱に納め、進んでいくと「御参拝の皆様へ」の表示があります。
ご墳墓までは五百段近く手すりのない石段が続くので、日没にかかる御登拝は大変危険ですと、呼びかけています。
すでに暮れかかって来ています。滝のような汗を流しながら「やめようかな」とも思いましたが「ここでやめたら意味がない」と続けました。しかし、最後の200段近くありそうな一直線の石段の手前で断念しました。人っ子一人いない山の中腹で、暗いなか急な階段をひたすら下りるのは相当危険で、物の怪ではないけれど何だか怖い。

萩の花
道中に萩の花が咲いていました

夕陽を拝むのは、秀吉さんもねねさんもみんな、最後は西方浄土へ行けることを願ったことでしょう。阿弥陀ヶ原一体は昔「鳥辺野」と呼ばれた葬送の地です。
そういう場に立って胸によぎるのは何だったのだろうという気持ちがわき上がってきました。

大学のキャンパスに囲まれた旧跡

豊国廟の鳥居
日はすっかり傾き、西の空は刻刻と色を変えていきます。さっきまでふうふう上っていた東の山手をふり返ると、こちらの空も薄紅色に染まっていました。
西の空の茜色はさらに鮮やかになりました。
東山七条からずっと、京都女子大学のキャンパスが並んでいます。授業を終えた学生さんたちでしょう、坂道を下っていきます。西日がきつい時間、また朝の登校時間に東に向かってこの坂を歩いていくのは大変だと思います。豊国廟の鳥居をくぐって歩いている人もいます。そうやってキャンパスを行き来するとは、京都のこの地だからこそと思います。

多くの人が足を止めて夕焼けを写しています。「きれい。今日もいい日やったなと思える」という声が聞こえてきました。自然が織りなす風景のなかに身を置くと、自然と気持ちがおだやかになって、その雄大さ、美しさや優しさを感じることができるのだと思います。そしてその感覚を共有することで、人と人は共感できるのだと感じました。
いろいろと感じることがあり、また少し心細い思いで山からおりて来て、家々やお店の灯りを見た時に、なぜか胸にこみあげるものがありました。
カスガ東林書房
お参りに行くときに気になった、本屋さんとカフェが一体となったようなお店はまだ明るく、閉店にはなっていないようでしたので、入ってみました。「カスガ東林書房」100年続く老舗の書店がリニューアルされたのだそうです。店内は木の香りが漂い、本当にこころが静まります。レモンとチーズのミルクジェラートをお願いしました。
カスガ東林書房カスガ東林書房のジェラート
お父さんと息子さんと思しきお二人応対がとても気持ちよく、はじめてのお店なのにくつろぎ気分になれました。そして今日の旧跡めぐりで感じたことを思い返しました。
歴史に名を馳せた勝者と言える人々も、壮大な建物も長い年月のあいだに様々なできごとにさらされて生きていくのだということを強く感じました。栄枯盛衰を繰り返してきた歴史。そして今もなかなか思うようにならない現実も厳然としてあります。でも、だからこそ、日々を普通に暮らすことのまぎれもない重みを感じました。旧跡と日常の接点がありました。
秋の夕暮れを見に来た東山山麓めぐりは、感じることの多いものになりました。
外へ出るとすっかり暮れていました。

 

カスガ東林書房
京都市東山区妙法院前側町435-1
営業時間 平日/11:00~18:30 土曜/11:00~18;00
定休日 日曜、祝日

五感に響く お香づくり190年

堀川三条東、和菓子屋さん、染物、呉服関係のお家、そしてお香屋さんの前を通ると、ほのかな香りが漂っています。お香の原材料やはるかな歴史、そして独自の文化にまで高めた日本人の繊細な感性など、その奥深さにおどろきます。
天保5年(1834)創業、今年で190周年を迎えた、お香の老舗「林龍昇堂」の林 英明さんにお盆休み中にも次々と入った注文の発送にお忙しいなか、お話をお聞きしました。お香についてのあらまし、そして新たな商品開発など伝統を継承しつつ、常に「今の時代のお香」を模索されている様子など、興味の尽きないお話の一端をお届けします。

お香について、ひも解いてみると

林龍昇堂林龍昇堂
落ち着きのある京都らしいたたずまいの木造の店構えが目を引きます。建物の両脇のショーウインドーには、香炉、昔の道具や看板に写真など貴重な品々が展示されていて、さながら「まちかど博物館」のようです。
通りすがりに足を止め、写真を撮っている人も見かけます。「日下恵」は「控え」であり、お香の調合表とのことで、原材料の変遷や時代によって変化する調合など、とても貴重な記録です。
林さんが構想を練って原案を作り、ウェブデザイナーの提案も入れながら完成させたホームページには、読み物的なおもしろさもあり、お香の始めの一歩からとてもわかりやすく説明されています。
林龍昇堂

林龍昇堂
すぐに試していただける場所にも香木が置かれています。

お香は仏教とともに日本に伝わったとされ、儀式に使われていましたが、平安時代に入って、貴族のあいだで流行し、それぞれ独自の香りを調合して衣服に香りを移して楽しむようになりました。お香の原材料は伽羅(きゃら)白檀(びゃくだん)沈香(じんこう)の香木と、他の天然原材料に丁子、桂皮、大ウイキョウなどがあり、スパイスとしてもおなじみのものもあります。
そして実際のお香になるまでには、原材料を調合して香りの素となる「匂香」を調製します。匂香には数種類から数十種類の原材料を使用するそうですが、林龍昇堂ではこの原材料の一つ一つを吟味して使用しています。
店内には今では手に入れるのが困難になってきた貴重な香木も目の前にあり、最高の体験の場となっています。

地域の特産品使用のお香の誕生

林龍昇堂の二条城梅だより
伝統的なお香を継承すると同時に、今の社会で求められている課題の取り組みの一つとして、環境の保全とあわせて地域の原材料や特産品を有効活用した商品開発に取り組んでいます。
世界遺産二条城は、ご近所と言えるところにあります。その梅園の梅の実をいただいてつくったのが「二条城 梅だより」です。白檀の香りのなかにほんのり梅を感じる、梅の花をかたどった紅梅色の雅なお香が完成しました。
また、福井県若桜町特産の梅と京都のお香が出会い、新商品になりました。梅のピューレを練り込み、天然の梅の香りを追求したお線香です。古くから若狭と京都を結ぶ鯖街道にちなみ、これからは梅を通したご縁がつながるように「梅街道」の名がついています。「若桜路女将の会」と林龍昇堂の共同企画は、梅、沈香、白檀の3種セットです。これからも人と人、昔と今をつなぐ架け橋となるようにと願いをこめて「香け橋」と名づけられました。この香け橋の香りが若狭の女将さんたちをどれだけ元気づけたことでしょう。
林龍昇堂の明けの橙台
直近に発売となったもう一つの商品は、竹の間伐材の有効利用として竹炭の生産に取り組む企業からの問い合わせが始まりでした。竹炭と一緒に、宮津を中心とする丹後の名産である「完熟みかん」の搾りかすも活用するという画期的な商品です。持続可能な地域の未来を照らす道しるべとなってほしいとの願いをこめて、その名は「明けの橙台」。お香は落ち着いた色合いの、これまでの柑橘系のものにはない、やわらかい酸味と甘さを感じる新しい感覚の香りがしました。
他の天然材料と違い、梅もみかんも果実そのものをお香にすることはかなり難しいことだったと思います。それぞれの香りを再現することや、色のバランスなど苦労を重ねた結果がまさに実を結んだと言えます。
「地域に今あるものを生かす」ものづくりは、それぞれの地元のみなさんが今住んでいる地域を見つめなおし、その良さを再発見することにつながると感じます。
新しい香りの共同の取り組みは、産地の人を勇気づけ、また多くの人にみかんの名産地であることを知ってもらうよい手立てになると思います。商品の広がりが期待されます。

家族4人で切り盛りする、まちなかの店

6代目店主の林慶治郎さん
息子さんの林英明さん

林龍昇堂のある三条通界隈は、お店と民家が並び「みんな顔なじみのお町内」といった親しみを感じます。
林龍昇堂は家族ですべてを切り盛りされています。原材料は吟味しているけれど、質の良いものが少なくなっているし、入手困難なものもある。その時々の実情に合わせながら調合しているそうです。「家族4人でやっているまちなかの店が、大きな店と同じようなことをしても始まらない。本当の意味でオンリーワンにならないと」と語ります。
お話を伺いながら感じるのは、応対も一つ一つの物事に対しても、とてもていねいで商品に対する思いや、根本の姿勢が本当にまっすぐであるということです。商品名にしても「架け橋」は「香け橋」「明けの橙台」と、原材料のみかんとつながる「橙」を当てています。お香の選び方を聞かれた時は「最初に自分で感じた感想を大切にしてください」と伝えているとのことでした。店舗なら商品をいろいろ見てもらい「試し焚き」をして実際の香りを体験することもできるので、ぜひ気軽にご来店くださいと続けました。
お線香はお盆や暮れにお供え・お使い物として使われる人は多いと聞き、そういった暮らしの習わしが続いていることにほっとしました。
林龍昇堂林龍昇堂
林龍曻堂の創業からの歴史を見ると、江戸時代にはすでに調香技術を確立し、明治時代にはアメリカなど海外取引を開始、その後も各種博覧会へ積極的に出展し、優秀な成績を収めるなど代々、進取の精神を持たれています。そして、お客さんを大切にするおおもとが少しも揺るがないという点もすばらしいと感じました。
それは英明さんの父親で六代目の慶治郎さんも「心のやすらぎをお届けしたいという信念」「香りを楽しんでもらえることが最上の喜び」と述べられているように、脈々と受け継がれている精神なのだと感じます。英明さんはサラリーマン生活を経てお店へ入られたと聞き「190年の暖簾を背負うことに、決心がいったのではありませんか」とたずねると、やや間をおいて「190年はとても重くて背負いきれませんよ」と、にこっとして、みごとな答えが返ってきました。
190年の歴史は、お客様を大切にし、誠実に仕事に向きあう日々の積み重ねにあると実感しました。香りとともにその形や色、立ち昇る煙にも奥深さ、美しさがあるお香の楽しみを一人でも多くの人に知ってもらいたいと思います。

 

香老舗 林龍昇堂(はやしりゅうしょうどう)
京都市中京区三条通堀川東入 橋東詰町15
営業時間 9:00~19:00(日曜、祝日は18:00まで)
定休日 日曜日

門前の名物菓子 「源氏巻」よみがえる

向日市の西国街道沿いにある創建1300年の由緒ある向日神社。その参道脇にあった和菓子店は、白あんを赤い羊羹で巻いた「源氏巻」が名物でした。惜しまれつつ閉店して20年、多くの人々の記憶に刻まれた源氏巻が創業者のひ孫にあたる辻山由紀子さんによってよみがえりました。
今年の1月25日に開業したばかりですが、源氏巻との再会を喜ぶ地元のみなさんが足を運び「なつかしい」「うれしい」という声を置きみやげのように寄せています。
つじ山久養堂
お店の十字の紋のロゴには「多くの人が交わり、交流できる和菓子店にしたい」という思いが込められています。「突き動かされるような思い」で再び掲げた「辻山久養堂」の看板には、明治30年創業の家業と和菓子の文化への辻山さんの熱意と覚悟がうかがえます。
お客さんとのなごやかなやり取りのなかにも、店としてのきちんとした居ずまいにすがすがしさを感じ、帰り際に「また来ます」と自然に言葉が出る、地域のみなさんの身近な和菓子屋さんの姿をお伝えします。

和菓子の伝統を大切にしつつ、新たな工夫

つじ山久養堂の辻山由紀子さん
「源氏巻」は、白こしあんと羊羹という和菓子の定番中の定番を組み合わせたお菓子ですが、辻山さんの曾祖父の初代が考案し、源平合戦の紅白の旗の色をイメージして名前が付けられました。
以前は夏は製造せず「お正月には必ず源氏巻をいただきました」と話してくれるお客様もあり、この地域の新年を祝うお決まりのお菓子だったことがわかります。羊羹のような棹物のお菓子ですが、おいしいうちに食べきれるカットした単品も並んでいます。また、基本は当日お召し上がりくださいの生ものですが、少し日もちする個包装もあります。カットされた面々は、渦巻き模様に愛嬌があり、単純な意匠ながら個性的です。
源氏巻の元祖「赤」に加え、抹茶、ほうじ茶、柚子、そして季節限定のお楽しみ版も販売されます。すべての商品に着色料は一切使用せず、自然素材の色あいや風味を最大限生かしています。そのため使用する原材料は吟味し、信頼できる取引先のものに限っています。白あんには北海産大手亡豆、素材の持ち味を引き出すゆっくり溶ける粒の大きなザラメ糖、天草100%の寒天など、お菓子の土台をしっかり支えています。
つじ山久養堂の源氏巻
「白あんを炊いたり、羊羹で巻いて、それを一切れずつに切って。大変ではないですか」という問いに「白あんの煮詰め方が難しいです。煮詰めすぎると巻く時に割れるし、ゆるいと巻けないので」と引き締まった職人の表情になりました。和菓子作りの原点を守りながら、今の生活にも和菓子が受け入れられるように「どうしたら喜ばれるか、おいしく楽しく食べてもらえるか」を考えたうえでの、一切れずつ買える、サイズ小さめ、色どりはきれいにといった工夫がなされています。

つじ山久養堂の7月限定源氏巻「源氏水羹」
7月限定源氏巻「源氏水羹」
つじ山久養堂の季節限定源氏巻「はれおう」
季節限定源氏巻「はれおう」

以前はどら焼きや柏餅や水無月なども作っていましたが、今は源氏巻のみの販売です。そのなかで辻山さんは、せめて和菓子の楽しみであり特長である季節感を提供したいと、源氏巻の新しい試みを次々と商品化しています。6月は「渦水無月(うずみなづき)」と名付けた豆の風味豊かな水無月源氏、7月は2種類の食感を楽しめる水ようかん仕立ての「源氏水羹(げんじすいかん)」が評判を呼びました。
春にいちごが登場した旬の果物シリーズも次は何だろうと、みんな心待ちにしています。夏はシャインマスカット「晴王(はれおう)」入りという太っ腹な「はれおう源氏」です。
一つ一つに菓名がつけられていうところにも、辻山さんのお菓子との真摯な向き合い方を感じます。地元のお店はこうしてお客様との関係を作っていくのだと感じます。

昔からやっていたことが今の時代にかなう

つじ山久養堂の辻山由紀子さん
辻山久養堂というどっしりした店名ですが「源氏巻と量り売りおかきのお店」と、とても潔い商いの中身です。
量り売りは最近、実施されているお店もありますが「おかきの量り売りは以前からやっていたのですよ」とのこと。源氏巻もさることながら、おかきも根強い人気商品です。求めるおかきをさがして試食し、何件もまわった結果、たどり着いたのは従来取引していたおかきや屋さんだったそうです。「好きなおかき、食べたいおかきを色々ほしい分だけ」を聞いてもらえる。買う側にとってうれしい販売の仕方です。
色とりどりのキャンディーを選ぶように、店頭に並んだおかきの品定めも子ども心を呼び覚ますような楽しいひと時です。昔からの定番おかきのなかでも、「たがねの里」は、ぱりぱりと粒々の食感も楽しめて指名買いされるお客様も多く、2.5キログラムの缶入りで買う方もめずらしくないとのことで驚きました。
つじ山久養堂のたがねの里つじ山久養堂のおかき
また最近は「マイ容器」持参のお客様も増えているそうです。手近にある容器や、お気に入りの缶やビンに詰めてもらえばそれだけでも楽しいし、気取らない贈り物にもぴったりで、そして小さくても省資源にもつながります。ショーケースの上の小さな木製プレートは、今あるものを大切にする暮らしの取り組みを進める「くるん京都」の「包装なしの商品から好きなものをすきなだけ」を実施している協力店を示すプレートです。
ひいお祖父さんの代からの商いは、少しゆっくり身の回りに目を向けてみようという今の流れと重なります。お話を聞いていて、大切なことのみなもとは100年前の久養堂にあったのだと感じました。

多くの人の力を借りて、思い描く和菓子店へ

つじ山久養堂
お店は阪急電車西向日駅から、歩いて10分足らずの静かな住宅街にあります。久養堂創業の地である向日神社のあたりにも近く、西国街道、光明寺道、善峰道など古くからの街道筋であった名残も見られます。
住み慣れた自宅を改装した店舗は、ケーキ屋さんと間違えて入ってくる人もあるというすてきな雰囲気をかもしだしています。店主の辻山久養堂というお店をこうしたいという思いと感性が隅々にまで生きていると感じる空間です。これは辻山さんの考えや思いをしっかり理解してくれて、それを専門的な立場から課題を見つけ出し、希望をかなえるために一緒に取り組んでくれたすばらしい工務店さんとめぐり合って実現しました。レジカウンターの後ろのふすまもぱっと目を引くデザインながら木を基調とした空間になじみ、モダンな明るさを添えてくれています。
つじ山久養堂
こじんまりしたスペースの上がりがまちは、さながら縁側のようです。辻山さんの思い描く「地域の方がほっとひと息つけるお菓子、多くの人が交わる場所」を表しています。いかにも縁側みたいでしょ、という主張ではなく、普通に、お菓子のことや子どもの学校のことなど、ここに座って雑談をしてしまう、そんな気取らない雰囲気がいい感じです。店内にいながら、緑が見えるのも気持ちがなごみます。
つじ山久養堂の辻山由紀子さん
地元の金融機関で働いていた辻山さんは、実は和菓子店を再興させよう、和菓子を作ろうとは思っていなかったそうです。金融機関の窓口でネームプレートを見たお客様から「辻山さんて、あの久養堂さんか」と話しかけてくれたことで「つき動かされるように」久養堂再興への道へ進みました。
まったく違う仕事からの転身は、お菓子作りに必要な素材や技術はもちろんの、包材ひとつにしても「量り売りには袋がいると、開業が近づいてから気づいたくらいでした」と、今では笑って話せることですが、てんてこ舞いだった様子がしのばれます。
ロゴや簡素で雰囲気のあるパッケージデザインやホームページもすてきですねと話すと「困った時、必ず助けてくれる人が現れるのです。本当に多くの人に助けてもらってやっていけています」と続けました。
つじ山久養堂つじ山久養堂
ショップカードや毎日がすてきな日になりそうに思えるイラストのカレンダーの作者は娘さん。また店内に置いてある思い思いに書き込み、訪れたひとがつながるノートも娘さんのアイディアです。
お店のコーナーに置かれた革や木の作品は息子さんが手がけました。お母さんはお菓子作りの欠かせない相棒です。
つじ山久養堂
源氏巻の風格ある看板は親戚の方がずっと保管してくれていたもので、新聞記事で開業を知り、運んで来てくれたそうです。
向かい側の散髪屋さんは子どもの頃からかわいがってもらいました。ずっと立ち仕事をする大ベテランの奥さんが「立ち仕事にスリッパ履いてたらあかん。足がむくむから」と教えてくれたり、すぐ近所の洋品店もお客さんに久養堂を紹介してくれたりと「うちの町内の、ひいお祖父さんの跡を継いだ店」を応援しようという気持ちがありがたいと辻山さんは語ります。お店にやってくるお客様が「おじいちゃんがこのお菓子すきやった」「子どもの頃に食べていたのでなつかしい。また食べられるとは思わなかった」など、源氏巻は地域の人々の大切な思い出ともなっています。
つじ山久養堂
地域のみなさん、家族、親戚、友人、仕入先等々、お客様やお店にかかわるすべての人々が新しい久養堂をつくりあげていると感じます。「源氏巻とおかきの量り売りのお店」が地域のしあわせにつながりますように、その思いをこめてこのブログを綴りました。

 

辻山久養堂(つじやまきゅうようどう)
京都府長岡京市滝ノ町2丁目2-6
営業時間 10:00~17:00
定休日 日曜、月曜日、祝日

街道のおもかげと 文化が脈打つ樫原

数年前、街道のおもむきのある道沿いに、京都らしい民家が並ぶ風景に出会いました。車で移動中のことで、そのまま通り過ぎてしまいましたが「いつかまた来てみたい」と思う印象深い町並みでした。
先日その思い出の場所であり、そこに暮らす人々の息遣いが伝わる「樫原(かたぎはら)」を訪ね、心あたたまる時を過ごしました。

街道を行く旅人になったよう

樫原本陣
樫原本陣

初夏のかおりを感じる風と気持ちよく晴れた空。思い立って出かけるのにぴったりの天気です。
最寄りの阪急電車桂駅からは歩いても行けますが、その日はバスに乗ってみました。すれ違いも大変そうな道を走るバスは、いかにも「地域の足」といった感じです。行く先は漠然と「樫原」と思っていただけで、降りる停留所も決めていない本当のふらり旅です。
旧山陰街道と物集女街道と呼ばれる西国街道が交差する樫原は、昔から交通の要衝であり、宿場町として大いににぎわい栄えた地域です。そのおもかげを今も色濃く残しています。
石標
歩き始めてすぐ目にとまったのは、小さいながら豊かな流れの川と、その川沿いにある「勤皇家殉難之地」と刻まれた石標と駒札です。
石標は、幕末の蛤御門の変で幕府軍と戦い、逃れてきた志士三名がここで討たれたことを悼んで建てられたそうです。石標の下のほうに「山陽之玄孫 頼 新書」とありました。山陽なら、頼山陽。玄孫とあるので新という方は「頼山陽のひ孫の子ども」ということになります。とても興味をひかれました。
石標は昭和に建てられたと刻まれていますが、一緒に祀られている風化の進んだ古い小さな像は、白いよだれかけもきれいで、地元の方が大切にお守りしていることがわかります。

明智川 小川の右側にあるのが郷倉です
小川の右側にあるのが郷倉です

背後の駒札は脇を流れる「小畠川(こばたけがわ)」の由来が記されています。用水路として造られ、西ノ岡と呼ばれたこの地域一帯をうるおしてきました。また別名「明智川」とも呼ばれる明智光秀との関連も説明されています。水に苦労していた地域の人々の、信長の命により水利を改善するために尽くしてきた光秀への感謝と信頼の気持ちが表れています。その用水路が今もよどみなく流れているという目の前の歴史に感慨を覚えました。その向かい側に建つ古めかしくりっぱな土蔵は「郷倉(ごうくら)」です。
平安時代に年貢米を保管するための建物が始まりで、以来、昭和に入って輸送手段が変化するまで、米麦の集積場として大いに活用されました。付近には多くの郷倉があったそうですが、今たった一軒だけ現存する貴重な歴史資産となっています。郷倉の駒札には「樫原町並み整備協議会(英)」とあります。地元のみなさんが地域の歴史遺産・資産を受け継ぎ、伝えていこうと地道な取り組みをされてきたことを感じます。古い民家のたたずまいを伝える「ばったり床几」のあるお家には、説明板がありました。

ばったり床几
ばったり床几

現在少なくなったこのような民家を目の当たりにできるとは、すばらしいことです。そして徳川三代将軍家光公をはじめ、諸大名が参勤交代などで宿舎とした「樫原本陣」の堂々とした構えは、街道の歴史を伝え、界隈の景観をかたちづくる要となっています。
風格がありながら威圧的でなく歴史を伝えている、どこか親しみのある雰囲気を好ましく感じました。

「樫原」という固有の文化と歴史が生きる

小泉仁左衛門家で使われていた油壷
数年前に通った時から見ると、町家にかわってマンションなど現代の建築の建物が多くなり変化していました。しかし、低層の家が並ぶ整然とした町並みや街道の雰囲気は変わらず保たれています。
「公会堂前」というバス停があり、門を入ってすぐのところに据えられた大きなかめは、江戸時代末期に油商として長州藩ご用達であった小泉仁左衛門家で使われていた油壷です。さりげなく置かれている用具も長い歴史を語り継いでいます。
ちゃーみーちゃっと
公民館の隣りに、古い民家のとてもいい雰囲気のお店がありました。中川行夫、政美さんご夫妻が切り盛りする「カフェ ちゃーみーちゃっと」です。
築130年の行夫さんの自宅を可能な限り、元の建築を生かした店内になっています。開業して今年で15年。新鮮な野菜をふんだんに使った季節感あふれるランチや、香り高い至福の一杯を味わうコーヒー、そして古民家の風格と心地よさを感じる空間に固定ファンも多く、SNSやウェブサイトで紹介されています。
ランチは前日の予約が必要なので、次回のお楽しみにして、紅茶とチーズケーキをいただきました。ていねいにいれた紅茶と混ぜ物のない素直なおいしさのチーズケーキで、ほっとひと息つきました。
ちゃーみーちゃっとのチーズケーキ
居合わせたご近所の常連のお客様から、樫原のことをいろいろ聞くことができました。
三ノ宮神社の本殿は、伊勢神宮の社を移築した建物であること「福定寺(ふくじょうじ)」の山桜はとてもみごとなので、ぜひ春に行くといい等々。そして「明治時代、京都でビールが作られて、その麦を樫原で栽培していた。子どもの頃は、ここらへんは麦畑が広がっていた」など、地元に生まれ育った方でなくては聞けない話です。おりしも季節は麦秋。一面に金色の麦畑が広がる風景はどんな感じだったのかなと想像がふくらみました。
三ノ宮神社の「子ども神輿」のことを話された時は特にうれしそうな笑顔になったのが印象的でした。地元の子どもたちのことをかわいがり、ほほえましい日常が浮かんでくるのと同時に、地域の習わしを大切にする思いが伝わってきました。
カフェ ちゃーみーちゃっとの内観
ちゃーみーちゃっとは、広々した座敷から庭が見え、自然の風や光を感じられるのも魅力です。建物に続いて庭と畑があり、今はあじさいが咲き始めています。これは政美さんのお父さんが農業のかたわら育てたものをもらい、それを段々に増やしていったそうです。咲き方や花の形、色も様々なあらゆる種類のあじさいを堪能することができます。あじさいの別名は七変化ですが、微妙な色の変化も存分に楽しめます。常連さんも「今ではここのあじさいは有名になって、あじさいを見たいから来るお客さんも多い」と言われていました。梅雨の時期にゆっくり、あじさいを眺める時間は静かな、すばらしいひと時でしょう。
カフェ ちゃーみーちゃっとの紫陽花カフェ ちゃーみーちゃっとのお庭
伺った日は夜の予約も入っていてとてもお忙しいなか、あじさいの庭を案内しくださいました。去年、今年と天候が不順で枯れてしまった木や、花の付きがよくないものがあったそうで、世話も大変だと思いますが、政美さんの「お父さんのあじさい」から始まった花々を愛おしく思い、大切に育てている様子が伝わってきました。
畑には、山椒、しそ、みょうが、ふき、みかん、きんかんなどがあり、カフェのメニューに季節感を添えてくれます。カフェちゃーみーちゃっとは、樫原に住み、普段の暮らしが根底にあるからこそのゆとりやあたたかさがあります。そこが多くの人が「また来たい」と思う気持ちになるのだと感じました。

短い旅で感じた樫原のすばらしさ

樫原の弁天様
ちゃーみーちゃっとの町内には弁天様の祠があり、毎年夏に「弁天祭」の行事が続けられています。その習わしに参加する家は「弁天町」の五軒(当番の意味の当屋と呼ばれる)のみで構成されています。弁天池のほとりにある祠から弁天様をお連れしてお祀りされるそうです。五軒あった当屋が二軒になってしまいましたが、昨年は地域の方にも声をかけて参加してもらい「地元の長老の方のお話を聞く」企画を実施されました。今年も七月十五日に行われるそうです。
このように、それまでは限られた家のみ参加できた祭りごとも、このように「地域に伝わる伝統行事を継続させる」ための決断もとても重要だと感じました。弁天池へは、7月のイベント企画の打合せに見えた方々も一緒に、ご夫妻が案内してくださいました。
樫原の弁天様の祠
朱塗りの鳥居の奥に木々がうっそうと生い茂るなか、小さな祠がありました。池というより広い沼のようです。以前はれんこんの栽培をされていたそうで、蓮の花がきれいに咲くということでした。ぜひ見てみたいものです。
祠の中の藁の敷物は行夫さんのお父さんが作られたと聞き、伝統の習わしに必要なものは本来多くを自分たちで作っていたのだと改めて思いました。木にのぼって池を見下ろしたり、ここはいい遊び場だったという、行夫さんの子ども時代の、楽しい話も聞くことができました。
愛宕詣りの石標
ちゃーみーちゃっとをお暇して、愛宕詣りの古い石標と御旅所から、さらに歩いてご常連のお客様に聞いた「樫原三ノ宮神社」へ向かいました。静かな境内をイメージしていたところ、意外にも子どもたちの元気な声が聞こえてきました。幼稚園と保育園があり、お迎えの時間でした。なかなか帰らず、友達と遊びわまっている子もけっこういます。心配なく、のびのびできる格好の遊び場のようです。
しゃがんで何やらさがしている男の子は小さな水晶やキラキラの石を拾うのだと教えてくれました。なんでもそれは「じいじの友だちの、カッパのおっちゃんが、撒いてくれた」のだそうです。袋に入れたお米粒ほどのきれいな石を見せてくれて「これあげるわ」と、大切な宝物を分けてくれました。小学校一年生ですが、遊びに来ているそうで、すぐに同級生がやって来てかけっこやかくれんぼを始めました。
こういう遊びをする子どもたちを久しぶりに見た気がしました。かけっこに誘ってくれたのですが、それはお断りさせてもらいました。

帰り道、男の子のお母さんも一緒に途中まで同行させてもらいました。お母さんも樫原幼稚園に樫原小学校卒業、今も樫原ですと笑いました。この夕方のひと時が樫原の印象をいっそう、あたたかくしてくれました。
樫原は、箱庭的な歴史遺産ではなく、今も住み、暮らす人々の存在が地域を生き生きとそして豊かにしていると感じます。代替わりをきっかけに町並みが変化し、伝統の習わしも継続が難しくなっているなどどこも共通する課題はありますが、課題は課題として、あきらめず、できるだけ楽しく、そして多くの人に知ってもらい参加してもらうことに一生懸命取り組んでいる姿が見えました。
ちゃみーちゃっと中村さんの息子さんが、東京から足しげく帰り、一生懸命樫原のまちづくりに取り組んでいると聞きました。こういうひとつひとつのことが明るい光、希望になると思います。

樫原は江戸の昔のように、街道を行く人々をあたたかく迎える習慣が息づいているようです。まちの魅力、地域の魅力はやはり人の力、魅力だとあらためて強く感じました。
このブログ「京のさんぽ道」も、その視点を常に大切にして、京都の地域や人々の姿を伝えていきたいと思います。

 

樫原三ノ宮神社 
京都市西京区樫原杉原町12-1
 
カフェ ちゃーみーちゃっと
京都市西京区樫原 下ノ町12

大切な本の橋渡し 気軽な古本屋

四方の棚ににびっしり本が並び、店の奥では博識の店主が書物のページを繰っている。こんな様子が思い浮かぶ古本屋さん。気軽にひょいとのぞける雰囲気ではないと感じる人もいるかもしれませんが「古本屋めぐり」も町歩きの魅力のひとつです。
文学書、専門書、新書、文庫本、古い雑誌や資料、地図や色紙に至るまで、新旧とりまぜて楽しい発見や思いがけない出会いがあります。ひとり静かに本の山脈に分け入る楽しさ、また、店主とお客さんとの気の置けない語らいも興味深い、良き時間が流れています。
だれかのものだった本。新しい持ち主となって手に取ると、以前の主と本の間柄を思ってみたりします。
ちょっと入ってみたくなる、そんな古本屋「中井書房」へ行きました。

本の山に分け入って出会う一冊

中井書房
本の配置にも、それぞれの古本屋さんの特長があらわれています。中井書房は全面ガラス張りの店舗が、明るく開放的な雰囲気をかもし出しています。ウインドーに書かれた「ちょっと入ってみませんか。お気軽な古本屋」のキャッチコピーと相まって「のぞいてみようかな」気持ちがそそられます。
中井書房の店主中井さん
中井書房は店主の中井和昭さんが、電子機器の会社のサラリーマンから一転して、平成7年(1995)に創業しました。サラリーマン時代は好景気の波に乗った時も、その後の不景気も経験されました。退職後、これから何をしようかと考えた時、思い浮かんだのが古本屋だったそうです。まず京都の古本屋をすべてまわり、その後、全国各地の古本屋めぐりを敢行されました。そして、老舗の古書店が多い京都で、まったく違う世界から参入し開業されました。直前の1月に阪神淡路大震災が起きましたが、予定通り4月にスタートしたこと、車いすでも店内を自由に通れるように通路を広くとったけれど今日まで車いすの人はまだ一人も来ていないことなど、おだやかに、楽し気にさえ見える表情で当時のことを語ってくれました。

古書店リストで同じ本の値段をチェックするが、以前は一冊調べるのに30分もかかっていたけれど、今はパソコンで瞬時にわかってとても便利になったこと。そこで「でもね、全然覚えられないです。お客さんがレジへ持って来た本を見て、あれ、こんな本あったかなと思うことがありますよ。脳が覚えようとしないのですね。どうせまたパソコンを使うやろと脳が働かないのです」と笑って続けました。
中井さんは「老舗でない古書店のいいところ」として「敷居が低くて、みんな気楽にゆっくり本を見ている」点をあげました。その自由な時のなかで「その人にとってのこの一冊、今日の一冊」を見つけることができます。
中井書房には幅広い年代の人が訪れ、学生も多くやってきます。今「書店ゼロ」の市町村が増えていますが、そういう地域からやって来た学生は、1時間以上、店内にいるそうです。多くの本を見て、そのなかから自分の好きな分野の本を選ぶという経験はとても新鮮で豊かな時間となっていると思います。中井書房は格好の書物の入門の場所になっているようです。

「蔵書一代」気がつけば30年

古美術商のような取り扱い品も

店内には「蔵書一代」と筆太に書かれたされた木の額があります。「本は持ち主にとっては、とても大切なものだけれど、本人以外はさほど思い入れはないことが多い。所有が一代だから、その本がめぐってきて古本屋ができる」という循環なのだそうです。
中井書房の本は、大学の研究室や先生から依頼があって、直接引き取ることが多いとのこと。自分で仕入れをすると、好きな分野の本に目がいって同じようなものが多くなってしまうけれど、持ち込みだと自分が興味のなかった分野の本も集まってくるので、幅広い本が並べられます。
中井書房のアテネ文庫
植物文様がデザインされた表紙の文庫本がまとまってあるのが目にとまりました。「アテネ文庫」と言い、戦後すぐの昭和23年(1948)から昭和35年(1960)まで弘文堂から発行されました。紙やインクなど資材の乏しいなか、60ページの限られたページ数ですが、哲学、自然科学、社会科学、芸術など幅広い分野にわたり「戦後日本をこうしていくのだ」と意気揚々と掲げた、当時の出版にかかわった人たちの高揚した雰囲気が伝わってきます。こうした未知の書物との出会いも古書店へ行く醍醐味です。
また時には、古美術商が扱うような、古文書の類を表装した逸品が持ち込まれることもあります。まわりからは「なぜ、こんなすごいものがここにあるのか」と不思議がられるそうです。
中井書房
「車いすでも通れる広い通路」には今、引き取った本がぎっしり入った段ボール箱が積まれ、棚に並べられるのを待っています。この本たちとの出会いも楽しみです。
「こんなに長く続けるとは思っていなかった」そうですが、創業から30年のあいだには様々な出会いや物語がありました。ある日若い女性が「この本がほしいのですが」と、訪れました。世に知られた書物ではなく、かなり古い本で、それを指定するとはめずらしいなと思い聞いてみると、著者はその女性の「おじいさんの叔父さん」だったそうです。「親族の手元に残っていないのでずっとさがしていて、ネット検索をしてやっとここにたどりつきました。本当によかった、うれしいです」と話されたそうです。「その時は、古本屋をやっていて本当によかったと思いました。」としみじみ語ってくれました。
中井書房
「中井書房」のある界隈は、コンサートホールや美術館、伝統産業をはじめ様々な企画展や、京漬物などのお店のある、落ち着いた雰囲気の通りです。先日ご紹介した「そば処 志な乃」や、おいしいコーヒーが飲める喫茶店、お菓子屋さん、京漬物など新旧のお店が静かにたたずんでいる通りです。
「蔵書一代」の看板の裏は「雨が降っても 風が吹いても ようこそ」と書かれています。これからは梅雨の時期になりますが、雨の日に静かに本に囲まれる味わい深いひと時を過ごしてみてはいかがでしょう。

 

中井書房 京都市左京区二条川端東入 新車屋町163
営業時間 11:00〜18:00
定休日 火曜日

やさいと元銭湯 「もったいない」の親和性

銭湯も、まちに似合うもの、あってほしいもののひとつです。
長年、地域の人々の一日の疲れを癒し、雑談に花を咲かす交流の場でもあった銭湯は、残念ながら減少の一途をたどっています。消えゆく銭湯に歯止めをかけることは困難でもその一方で、銭湯の魅力を発信する様々な出版物や企画が生まれています。
「銭湯としての役目は終えたけれど、この建物を再び人が集う場にしたい。なくしてはもったいない」「不ぞろいだけれど、手塩にかけて育てた新鮮な野菜。廃棄するのはしのびない、もったいない」その思いと、関心を持った人々が寄り合い、新しい使命を持って動き始めた元銭湯があります。伝統的な銭湯建築の空間で人と人がつながり、これまでにない何かを生み出す場として生まれ変わった「九条湯」。そこは何度も足を運びたいと思わせる魅力にあふれていました。

営業終了後10年。人がつながる場として再開。

コワーケーションスペース九条湯
九条湯は京都駅から歩いても15分ほど、大通りから少し入ったところにあります。民家が並び「お町内」といった暮らしの営みが感じられる、静かなところです。そこに、思いがけなくという感じで、堂々とした「唐破風(からはふ)」の玄関を備えた伝統建築の建物があらわれます。2008年(平成20)に営業を終えた九条湯です。建物はそのまま残されました。
持ち主の方の「この建物を再び人が集まり交流できる場に」という思いを大切に、現在も運営を担う「猪ベーションハウス(イノベーションハウス)」が話し合いを重ね、改装ののち2018年に、多くの人が利用できる場としてのかたちが生まれました。以来、コロナの影響により運営の見直しを余儀なくされる困難もありましたが、多彩な人々が参画して、ワークショップや様々なイベント、飲食など活用が続けられています。
コワーケーションスペース九条湯コワーケーションスペース九条湯
九条湯は外観、内部も含め、伝統の銭湯建築も大きな魅力です。番台、大きな扇風機、柳ごおりの脱衣かご、色鮮やかなプラスチックのおけ、店名やキャッチコピーが書かれた鏡。次々におもしろいものを発見します。「カラーテレビの時代です」という強烈なコピーや「喫茶パール」には、店をどんなお店だったのかなと想像します。今も残るその一つ、一つに九条湯が刻んできた歴史を感じました。

天井はがっしりした角材を組んだ「格天井(ごうてんじょう)」その下には欄間がはめ込まれています。意匠は竹に雀。また、銭湯のタイルにも注目です。小さなタイルを貼り合わせ絵画のように表現したモザイクタイルやモダンなデザインや色合いのものなど様々です。古い伝統のある産業ではないけれど、タイル製造に携わった陶器産業の人々、職人さんの意欲を感じました。「九条湯タイルガイドツアー」などという企画もおもしろそうです。
高い天井、外から差し込むやわらかい光。表通りの喧騒と離れた場所でのひと時は、心身がゆったりとほどけていくような心地よさでした。

健康な新鮮やさいが主役のランチ

コワーケーションスペース九条湯
時代を経たレストランのような趣の内部。ゆっくりお茶や食事を楽しめます。木の床がやさしい脱衣場スペース、タイル張りが楽しくおもしろそうな浴室スペース。ずらりと並んだヴィンテージの雰囲気のラベルがすてきな、クラフトビールやご当地サイダーの瓶がおしゃれ感をかもし出しています。奥の厨房は調理しているところが見えます。浴槽の名残の岩がそのまま残っていたり、およそほかでは見られない映画のセットのようです。
コワーケーションスペース九条湯
飲食は現在、伏見区や久御山町で九条ねぎ、聖護院大根、金時にんじんなどの京野菜を中心に生産している「しんやさい京都」が水曜日限定で「しんやさい九条湯@農家メシ」を提供しています。ひと目見ただけでその元気さがわかる、安心して食べられる新鮮な野菜がいっぱいです。野菜の持ち味、その味の濃さにも感動します。香り、食感、複雑で繊細な甘み等々、野菜が持つ力を感じます。サラダの野菜は、大きくちぎる、せん切りにする、すりおろすなど細やかに工夫されています。
しんやさい京都はフードロスに取り組み、規格外の野菜を生かす循環を常に工夫し、また近隣の農家の余剰分の野菜を買い取り、加工・販売するなど、安定的な生産や農家の収入の安定のために貢献しています。九条湯では水曜日のランチのほかに、毎月第三土曜日は「もったいない野菜たち」がどっさり並ぶ「もったいないマルシェ」を開いています。

代表の石崎信也さんは「自分たちで生産しているから野菜の味や状態もわかっています。不ぞろいというだけで使わないのは本当にもったいない。野菜の潜在能力をもっと生かしたいと思っています。それには他分野も含め多くの人といかに、どんなふうにコラボレーションできるかが大切だと考えています」と語ります。今メニューに載っている「豆腐ティラミス アイスプラント添え(ヴィーガン仕様)」は、京都橘大学経営学部のゼミの学生さんと連携して誕生しました。日の目を見るまでは何回も試行錯誤を繰り返したと推察しますが、連携して多くの人に楽しんでもらえるかたちで完成したことは何ものにもかえがたい喜びだったのではと思います。
元気な野菜いっぱいのお昼ごはんは、おいしさとともに大切なことを伝え、気づかせてくれます。

人もやさいも建物も「もったいない」でつながる

コワーケーションスペース九条湯
石崎さんは、しんやさい京都と九条湯は「もったいないがキーワード。とても親和性があります」と語ります。長く歴史を刻み、多くの人の思い出のある貴重な銭湯建築も、規格外の野菜も「もったいない」は一致する思いです。
石崎さんはここに「人」も加えて考えています。ランチの提供は、スタッフそれぞれが持っている能力を発揮できる取り組みです。「人はそれぞれ個性や得意なことがあります。その力を発揮してもらわないのはとてももったいないことです。その点、飲食はいろいろな作業があるのでみんなが得意なことを生かせます。本当にいい仕事だと思っています。」しんやさい京都は実習生を受け入れていますが、農作業だけでなく調理実習が体験できるのも得難いことだと思います。生産という川上から、自分たちで作った野菜を、規格外でも工夫して調理し、喜んでもらうという川下までを体験できるということは、とても貴重です。
梶山さん
メニューの組み立てから調理まで引き受けているのは、和束町のお茶農家で働く梶山幸一さんです。「もともと調理の仕事をしていたし、好きなのでずっといつかやりたいと思っていました。」11時開店で、仕込み開始は9時。意外に短い準備時間に思いましたが「その日に入った野菜を見て、あまり手がかからず作れるように考えます。週一日なので作り置きはできないし、短時間で簡単は大事なのです」と聞き、なるほどと感心しました。SNSを見て来る人が多いそうですが「銭湯」で検索して滋賀県からやって来た人もありました。これから九条湯がどんなふうに進化していくのか楽しみです。「九条湯」の名前を継承しているところにも、家主さん、再生にかかわったみなさんの思いや願いが込められていると感じます。
一人で来てもだれかと来ても、おだやかな気持ちになれる大切な空間、生き生きと仕事ができる九条湯が末永く健在であるよう願ってやみません。

 

コワーケーションスペース九条湯 京都市南区東九条中御霊町65
しんやさい京都 ランチ:毎週水曜日11:00~15:00
もったいないマルシェ 毎月第3土曜日10:00~15:00
 
https://camp-fire.jp/projects/view/749392
多様な人がいきいき働けるユニバーサル農園めざしクラウドファンディングに取り組んでいます。

「バイトの子もみんな家族」 のそば処

「ちょっと軽く、そばかうどんでも食べてこか」「ええなあ」という時、気軽に入れる店は重宝するありがたい存在です。「そば処 志な乃」は、その典型です。以前の場所からすぐ近くへ移転・開店してから2年半。大将が毎朝手打ちするそばときちんととった出汁の風味、ていねいな接客、ほがらかな活気に満ちた雰囲気はそのままに、木の材質を生かしたすてきな店舗になりました。
短時間ですませたい昼食も、ビールや日本酒でゆっくりやりたい時も、ほっと一息ついて満ち足りた気持ちになるそば処です。

てんてこ舞の忙しさが活気に変わるチーム力

志な乃の店構え
お彼岸の中日はめずらしく、吹雪になりました。寒いなか空腹をかかえて「まだ間に合う」と志な乃へかけ込みました。志な乃は出前にも応じています。夜7時を過ぎても出前の電話がかかっていました。
雨カッパ姿で吹雪のなか、続けて出前に行く大将に思わず「お疲れさまです」と声をかけました。すると「病院の先生方ががんばってくれてはりますからね。届けて来ます」と笑顔で返ってきました。京大病院はご近所さんなのです。
この大将の言葉からも志な乃とお客さんのつながりを感じました。昼11時開店夜8時までの営業は長いなと思いましたが、こういう人たちに応えているのだなあと感じました。そして「こんな寒い日にありがとうございます」と言葉をかけてくれました。

使い込まれた出前用のおかもち
使い込まれた出前用のおかもち

出前はご飯時とは限らず常に電話がかかってきます。注文の品や数、届ける場所の詳細、名前と電話番号、立て込んでいる時は少し時間がかかる旨等々、確認することが多くあります。メモを取り復唱し、それを間違いなく調理場へ伝えます。
大将はもどって来るとすぐに、次の出前を確認して出発します。奥の調理場ではみんなが「おかあさん」と呼んでいる奥さんが、てきぱきと注文の品をあげていきます。大将夫婦と「看板娘」のアルバイトさんの3人で、これだけの仕事をきびきびした流れで進めていました。それが少しも騒がしさがなく、店内のお客さんにはきちんと気配りがされています。気持ちの良い息が合った仕事ぶりです。
志な乃が常連さんでも、観光のお客さんでもみんなが満ち足りた気持ちになれるのは、味はもちろんこういうこともおいしさにつながっていると得心しました。

関西の麺の特徴を受け継ぐ安心のおいしさ

志な乃のざるそば
志な乃の麺は、そばもうどんもやわらかめにあげられています。そばについては、ゆで加減も含め、一家言ある人も多そうですが、志な乃はそうした評論はふわふわとどこかへ舞っていってしまう、安心するおいしさがあります。
「少しやわらかめやな」と思ってもそれはそれで受け入れることができるのだと思います。また味付けは少し甘めですが、これも関西の味と納得されているように感じます。全体に細やかに手が入っていて、しかも奇をてらうことをせず、普通の「麺類」「丼」の安心するおいしさをぶれずにつくることに専心してこられたことが「また来たい」という気持ちになるのだと思います。
志な乃のきつねうどん
奥からおかあさんの声が聞こえてきました。「きつねそば、まもなくです」続いて「お待っとうさんでした。きつねそばです」そして、看板娘さんが「お待たせしました」と運んで来てくれた時の笑顔がまたすてきでした。甘めのお揚げとしっかりした出汁、関東に住む京都出身者が「これこれ、ねぎはこれ」という九条ねぎと。
真ん中にどんとおさまった大きなにしんの上に、そばがきれいに揃えて渡してあるのも、京都らしいあしらいに感じます。時間をかけてたき上げた身欠きにしんのじんわり深い味とそばもまた最高の出合いもんです。海のない京都の先人の知恵が受け継がれ、手間ひまかかる味を、このように食べたい時にめぐり合えるのは幸せなことだとしみじみ思いました。

志な乃でみる幸せの風景

ご近所さんの京都大学
ご近所さんの京都大学

志な乃は京都大学が近いこともあり、代々アルバイトは京大生に引き継がれてきました。大将は「みんな、おとうさん、おかあさんて呼んでくれるし、うちは息子が三人おるけど同じようにバイトの子も息子やと思ってます。店を始めて48年。毎年バイトのOB会をやっています。前夜祭をやって次の日は、私がゴルフが好きなのでゴルフコンペをしてくれるんです」と聞いてそのつながりはおどろくばかりです。今年は大将が喜寿を迎えるので盛大に催される計画です。ゴルフをしない人も参加したいと希望しているので、今年は前夜祭の日にボーリング大会も開くことに決まっているそうです。まだまだ進化をとげています。
店内のりっぱな墨蹟はバイトOBがお金を出し合って贈ってくれたもの。東海道五十三次の浮世絵の額もOBからの開店祝いとのことです。本当に家族なのだなあと思いました。
志な乃の店内
大将夫妻はつい先日、金婚式を迎えられたそうです。奥さんは「子どもを保育園へ送ったら飛んで帰ってきてすぐ店へ入って。子ども三人育てながら、本当にようやってきたなあと自分でも思います」と話されました。そして「まだまだがんばりますよ」と、はじけるような笑顔で続けました。
志な乃店内

削り跡の凹凸が表情を生む名栗(なぐり)加工が施された志な乃のカウンター席
削り跡の凹凸が表情を生む名栗(なぐり)加工が施されたカウンター席

新しい今の店舗は木のぬくもりや落ち着きを感じます。入り口のドアやカウンターの側面は、あえて表面を削ったあとを残し、味わいを出す伝統的な仕上げとなっています。また貴重な一枚板もカウンターなどにさりげなく使われています。これは三男さんとその友人たちが担当してくれたそうです。
常連さんがカウンター越しに大将や奥さんと話様子も和やかな感じです。この一枚板をことさら主張するもではなく、時には届けられた食材が置かれたり、またある時はアルバイトさんがまな板を置いて包丁で何やら刻んでいたりと、屈託のない使い方が志な乃の空気感を表しているようで、親しい感じがしました。
志な乃のにしんそば
「清水のほうから歩いてきたら、えらい人やったわ。これで桜が咲いたら大変なことになるで。えらいこっちゃ」「ほんま、どうしようもなくなるなあ。えらいこっちゃ」などという、常連さんとのやり取りも、困ったと言いながら、どこかおっとりした感じで楽しいなと思いました。
それぞれの好みにかかわらず、志な乃を多くの人がいいお店だと感じるのは、大将ご夫婦のお二人やアルバイトさん、そしてゆっくりおそばやおうどんをすする人や、ボリュームのある丼のセットを旺盛に食べる人など、みんなが自分そのままに食事をしている、その風景に心が和むからだと思います。
今日まで、家族と家族となった歴代のアルバイトさん、そしてお客さんと築いてきたそば処です。その幸せな風景がこれからも末永く続き、多くの人のよりどころとなるよう願っています。

 

そば処 志な乃
京都市左京区二条通新高倉東入 正往寺町462-1 インペリアル岡崎1階
営業時間 11:00~20:00
定休日 毎週月曜日、第3火曜日

季節を知るよろこび 花店に山野の春

鴨川沿いの柳が芽吹き、風にそよいでいます。今年は桜の開花も早く、三月の末には満開という予想が出ています。花の名所がにぎわうのも間近です。京都でもっとも華やかな祇園にある様々なお店も春の装いで、道行く人もうきうきしている様子です。
いち早く季節の訪れを教えてくれる花屋さんは、明るい色にあふれ、華やいだ気配に満ちています。次々とお客さんが訪れるお忙しいなか「ぎおん 花重(はなじゅう)」のご夫妻に話をお聞きしました。

お客様は何でも知っている先生。毎日が勉強。

ぎおん 花重ぎおん 花重
古くは平安京と奈良を結ぶ道であったと言われる大和大路は、祇園の花街の地元として、専門店や長く営業を続けるお店が並ぶしっとりした雰囲気の通りです。インバウンドからコロナ禍を経て、新しい飲食店やゲストハウス、駐車場にかわるなど大きな変化を経て、そこからまた様相を変えています。
しかし、そのようななかでも変わらずに、しっかり家業を続けるお店も少なからずあり、地元に根を下ろしたそのたたずまいが、通りに落ち着きを与えています。「花重」もそういうお店の一つです。
早咲きの桜、鮮やかな黄色のミモザや可憐な鉢植えが出迎えくれます。花重は「枝もの」が多いことも特長です。店内には黒文字、青文字、山茱萸(さんしゅゆ)まんさくなど、普通はなかなか見ることのない花木が、生い茂るように立っています。目の前に早春の野山が広がっているようです。
ぎおん 花重
お客様には祇園の料理屋、旅館、お茶屋さんが多く、注文も季節感を大切にした和花が多くまります。床の間、玄関、客室と、それぞれの場所と季節、行事、様々な取り合わせを考えて花材を選ぶ、知識と美意識を備えた目利きの方ばかりです。
「いつもお母さん方に教えてもらっています。」と語るご主人に「長年花の仕事をされていても、まだ知らないことがありますか」と聞くと「まだまだ知らないことのほうが多いです。毎日が勉強ですわ」と明るく答えてくれました。
ぎおん 花重
花の知識だけではなく、日本の文化としての理解が必要です。京都を拠点にして奈良や大阪、神戸など近隣へ足を延ばす連泊のお客様に「お部屋の花を毎日替えられています。日本のおもてなしですね」と、言葉をつなぎました。一日の小さな旅を終えてもどって来たら、昨日とはまた趣の違う花が入っていたら、きっと心地よく、自宅でくつろぐような気持ちになれるのではないでしょうか。「お客様に心地よく過ごしてもらう」ことを大切にする旅館とその求めに一生懸命こたえる花店。「もてなす」「もてなし」という言葉の本来の意味を思い出させてくれました。

全国の産地の信頼できる人の手によって届く花

ぎおん 花重
伺った時はお茶花としてもよく使われる多くの種類の椿が集まっていました。
胡蝶侘助(こちょうわびすけ)白玉椿、乙女椿、そして長崎県五島で発見され、幻の椿と言われた玉之浦など、咲き方や色、大きさも様々です。洋花は一年に2~3回咲かせられますが、和花や枝物は一年に一度、その季節だけのものなので仕入れがとても難しいそうです。市場だけでなく、産地の個人を指定して入れる花もあります。その時々のお客様の求めに一番かなう仕入れ先に発注します。早く出荷したい産地に対し、お客さんは「ぴったりの季節、この時にほしい」という思いがあるので、そのタイミングをはかる調整も大事です。それがスムーズに運ぶのも長年の信頼関係が築かれているからこそ可能なことです。ことに最近のように、暑い期間が長く続くとその影響はとても大きく、仕入れに苦労されるそうです。その時に生きるのがやはり、長年培ってきた生産者さんとのネットワークです。
青文字の花
山野草や枝ものは、華やかではありませんが、地味ながら自然界の季節感を運んでくれる存在感があります。うっすら黄緑色の小さなつぼみをつけた枝が目に入り、たずねると「青文字の花です。全部が全部花をつけるわけではないので、育つ条件や切り時がよかったんでしょうね」という答えがかえってきました。こういう言葉にも産地との関係が垣間見られます。
最近の気がかりは、産地で仕事をされる方の高齢化で、若い世代の後継者をつくることが急務となっています。「若い人に継いでもらいたいけれど、じゃあ、あんたやってくれるかと私に言われたら、とてもできませんし、難しいことではあります」と言われました。後継者問題は業種を問わず、全国で大きな課題となっています。自然と向き合いながらの仕事は生やさしいことではないと思いますが、なんとか志ある若い人が見つかればと心から願う気持ちになりました。

手をかけ笑顔で話しかければこたえてくれる


店内は、舞妓さんや芸妓さんのうちわや青竹の花入れなどがはんなりした雰囲気をかもしだしています。花重は市場のセリ人でもあったお祖父さんが並行して開き、すでに創業100年くらいにはなっているそうです。それから現在まで、変わることなくこの場所で花店を営んでいます。
究極の京都が集約されている祇園で、料理屋、旅館、お茶屋さんを相手に100年も営業を続けていることは驚きですが「何年何月に始めたとか、書いてあるものがあるわけでもないし」と軽く言って笑っています。
途中で「福寿草はありませんか」と、高齢の男性がたずねてきました。「ちょっと、うちにはないのです。福寿草は鉢植えなので園芸店のほうがあるかと思います。ただ時期的に少し遅いかもしれませんね。すみませんねえ」と、ご夫婦でとても丁寧な応対をされました。「ここで長く店を続けていくことは、誰に対しても丁寧に花店としての対応をされることなのだ。それはどんな仕事でも同じことなのだ」と、教えられた気持ちでした。

「たくさんの花を盛りこむ洋花に対し、和花は主役に一種を足すだけ、引き算の美です。真逆の感覚ですね。でも花屋ですから、もちろんアレンジメントでも花束でも何でもやりますよ。洋花も扱いますし。これは今日入ってきた忘れな草です」りっぱな胡蝶蘭も並んでいます。お店のお祝い事に胡蝶蘭に代わるランが出て来ないのだそうです。
世相や業界など、奥深い話が続きます。「たとえばお正月飾りの根引の松でも、本来は男松と女松があって大小がついています。その習わし通りにお渡ししてもお店によっては、きちっと左右同じにしてほしいと希望されることもあります。意識も時代につれて変わりますし、押し付けるものでもありませんし。本来の形はしっかり守りながら、柔軟にやっていくことが必要ですね」と話されました。
和花や山野草はマニア的なお客さんが多いので「負けんように勉強せんとあかんのですわ」と、それが苦ではなく、楽しそうに話されました。「前にいただいた桃の花が次々つぼみが開いてまだ咲いています」と伝えると「それはきちんと手をかけてくれてはるからです。ありがとうございます」と本当にうれしそうに返してくれました。そして「毎日、きれいやなと見ているだけでもこたえてくれます」「きれいに咲いてねと毎日声をかけています」とご夫婦で話され、本当に花を大切にする心が伝わってきました。ぎおん 花重
「同級生でもお商売の家はここに残ってます」そうで、時代の波は押し寄せてもしっかり京都の営みは続いていると確かに感じることができました。
お店には早咲きの桜が数種類が入っていて「啓翁桜(けいおうさくら)」という名も初めて聞きました。鮮やかな色の菊は洋花で「日本の菊は9月からですね。やはり日本のものはその季節だけのものですね」と話されました。花重は、だれでも気軽に入ることができる心やすいお店です。花や自然が身近になり季節を知る楽しみを見つける暮らしが始まります。

 

ぎおん 花重(はなじゅう)
京都市東山区 大和大路四条下ル博多町64
営業時間 9:00~17:00
定休日 日曜、祝日