この場所と コーヒーとアンティーク

霜が降り、水たまりが凍っている今年の京都の冬です。しばらく前のこと、通りがかりに古びたがっしりした建物が目にとまりました。大きく「COFFEE」とあります。先日、近くに行った時に思い出し、ずっと気になっていた建物まで行きました。
そこはコーヒーの焙煎所とアンティークの雑貨や食器が一緒になった、住んでいる人の思いがやどる「だれかの家」のようなお店でした。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ドアのガラスにはWIFE&HUSBANDに続きDAUGHTERとSONの文字が見えます。「妻と夫」「娘と息子」という、まっすぐな名前に深い思いを感じます。オーナー夫妻の家族との日々も映し出された、かけがえのない空間です。
2015年に賀茂川のすぐ近くに自家焙煎のコーヒー店WIFE&HUSBANDを開いてから1年半たった頃、大きな焙煎所とアンティークが一緒になった空間としてオープンしたROASTERY DAUGHTER /GALLERY SONです。コーヒーの香りとともに、季節や時間によって、差し込む光が変化するゆるやかなひと時を送ってくれます。

 

古いビルが生きる焙煎所&アンティーク

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
新たな夢をかなえる焙煎所に適した場所をさがしていたオーナー夫妻が、やっと見つけたのが現在のビルでした。自然を身近に感じる賀茂川畔のお店とはまったく違う街中の古びたビルでしたが二人で「ここだ」とすぐに決めたそうです。
車が頻繁に通る堀川通に面していますが、落ち着いた雰囲気はそこなわれることなく存在感があり、周囲とも調和しています。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
お店の1階はコーヒーの焙煎と豆の販売、2階はオーナー夫妻がこつこつ集めてきた多くのアンティークの食器や雑貨、ビンテージの洋服がwife&husbandの物語を紡いでいます。
そこに集められたものはフランスの19世紀から20世紀初めの食器や小物、そして日本の文房具や暮らしの道具など洋の東西を問いません。丹念にガラスペンで書かれた古いノートの文字の美しさにおどろいたり、反物の端に付ける下げ札の先端の、針より細いくらいのこよりにも、昔の人の手先の器用さに感服したり、あっと言う間に時がたちます。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
窓辺や壁、天井と、あらゆる空間に国の違いを超えて、人の手が作り、人が使ってきた時を刻んだもののあたたかさやおもしろみを感じます。
毎日の暮らしのなかで、元の使い方と違うものに転用するも楽しいでしょうし、何かに使うという目的がなくても眺めているだけで、気持ちをあたたかく包んでくれそうな気がします。時を経て今もあるもののよさを感じることができる空間です。

 

つくろいながら使い続ける

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONの金継ぎ
販売している古い食器や雑貨には時々「金継(きんつぎ)」が施されているものがあります。これはスタッフの方がされていると聞き、本当に古いものを受け継ぎ、すきになってくれるだれかに手渡す仕事をされているのだと感じました。
日本でも少し前までは、つくろい物をする夜なべ仕事が、ごく当たり前のこととしてありました。ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SONは、つくろいながら使い続ける暮らし方を思い起させ、そのことはそんなに難しく考えなくてもよい、自分が心地よいと思えることでいいのだと応援してくれている気持ちになります。
ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
1階にもアンティークの小物が前からそこにあったようにたたずんでいます。最新の焙煎機とともに、コーヒーの麻袋やアンティークがある風景は、始めて来た人にもおなじみの気安さを感じさせてくれます。
海外からのお客さんもゆっくりと滞留しています。きっと心に残る日本の思い出になることでしょう。

 

お店をみんなで育てている

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
ビンテージの雰囲気のユニフォームが似合い、自然な笑顔がすてきなスタッフさん。何か聞いたり、商品をじっと見ていた時に、スタッフの方みんなが的確に答えてくれたり、声をかけてくれたことがとても印象的でした。
みなさん、本当にこのお店が好きで大切にしていることが伝わってきました。コーヒー豆を選別し、お客さんを迎え多くの古いものの様子を確認しながらの毎日を尊く感じます。

ROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON
焙煎前、焙煎後と2回行うコーヒー豆の選別

賀茂川畔のwife&husbandと次に生まれたROASTERY DAUGHTER / GALLERY SON はこれから、スタッフのみなさんと一緒に育てる家のようです。これからもゆっくりと通いたい空間でした。

 

ロースタリー ドーター/ギャラリー サン
京都市下京区鍵屋町22
営業時間 12:00~18:30
定休日 不定休(ウェブサイト営業カレンダーでご確認ください)

うどんと 本格フレンチが一軒に

時雨模様の寒の内、あたたかい湯気が恋しくなります。千本丸太町に70年以上続くうどん屋さんがあります。しっかりとった出汁と細めの麺。京都らしいうどんです。
大改装を経て「うどんとフレンチのお店」に生まれ変わって8年。その間熟成されてきた心地よいお店の雰囲気を感じます。平日のお昼はうどんや丼物、夜と週末は本格フレンチとワインでゆっくり過ごせる得がたいお店です。

カウンターと蝶ネクタイ

阿さひのきつねうどん
うどん屋はシェフの実家です。ご両親が元気に切り盛りしています。繁華街の喧噪から少し離れた千本丸太町という立地にも、この新しいスタイルがしっくりなじんでいます。
付近は、かつて平安宮の中心地で、大極殿跡とされています。西陣織など伝統産業にかかわる人の住むまちで、個人商店や会社も多く、活気にあふれていました。今はマンションやビルが増えましたが、銭湯や和服しみ抜きなどの看板に、かつての面影が感じられます。
阿さひは、長く地元の人たちに親しまれてきました。近所の会社で働く人たちのお昼ごはんや残業の時の出前と、お世話になった人も多いことでしょう。麺類、どんぶり物の定番から、先代から受け継いだ看板の味、巻き寿司や分厚い身が評判の鯖寿司もお品書きにあります。
 

阿さひ阿さひ
お店は大きな提灯が目印です。うどんの時間は赤地、フレンチは白地になります。入口の通路は、京都の路地の趣です。奥にテーブル席、通路の右手がカウンター席になります。
カウンターをはさんで、シェフのご両親がきりっとした立ち居振る舞いで仕事をしています。蝶ネクタイにベスト、ベレー帽と、とてもおしゃれなお二人も、この新しいお店の雰囲気をつくる欠かせない配役のようです。
昼間は、グラスにたっぷりのあたたかいお茶が出され、ほっと一息つけます。何十本もの洋酒が並んだ様子はインテリアの一部のようです。待つ間に瓶のかたちや、ラベルを見るのも楽しいひと時になります。おうどんは変わらぬ「あさひの味」です。
落ち着いた色合いの、夜はフレンチとワインのお店になるカウンターでおうどんをいただくのは、新鮮な感じがします。オープンキッチンのうどん屋さん、なかなかいいものです。

気取らず楽しめる本格フランス料理

阿さひ
シェフは2002年から左京区で、ビブグルマンにも選定されたフレンチレストランを13年間続けました。生まれ育った地へ移転し、実家のうどん屋も引き継ぎつつ、フランスへ渡って得た経験も生かして、おいしいと自分で納得したフランス料理を提供できるお店をめざしました。そして2015年「うどん屋もありフレンチもやる」という画期的な「阿さひRive gaucahe」を開店しました。
リヴ・ゴォシュにはフランスワインはもちろん、ウイスキーやブランデー、リキュールなど様々な洋酒が揃っています。シェフとソムリエールに聞いて「この一杯」を楽しめます。薬草の風味のとてもめずらしいリキュールなど、ワイン以外にも試してみたいお酒がいろいろあります。
阿さひ
料理は、一つ一つがとてもていねいに作られていて、素材に対する真面目な向き合い方を感じます。その日はおつまみと軽めの一品にしました。おつまみに選んだピクルスは、それぞれの野菜の食感も生かしながら中までしっかり味がして、単調ではないおいしさを感じます。野菜のすごさを改めて思いました。
もう一品は、えびとじゃが芋の料理です。えびとじゃが芋の組み合わせがどんなものかイメージできませんでしたが、オリーブオイルと香草になじんで、これが「出合いもの」になっていい味を出していました。自家製のパンがまたおいしくて、料理のよい相棒です。

合間、合間にシェフやソムリエールの方のワインのこと、お二人とも住んで仕事をしていたフランス郊外のことなど、興味のつきない話も、食事をより豊かにしてくれます。フランスの郊外の家は、広い庭があり料理に使うハーブはそこで摘み、買わない、ヨーロッパは乾燥しているので野菜や果物も水分が少なく固いが、火を通すとすばらしく深い味になるなど、聞きながら、行ったことのない、そのフランスの片田舎の風景が何となく目に浮かんでくるような気がしました。
またフランスでは家具なども含め、生活に必要なものは身のまわりにあるものを生かしているとフランスの暮らしぶりも話してくれました。

料理がよく映えるいい感じの器だったので「雰囲気のいい食器ですね」と言うと「それは彼女が作ったのですよ。ほかにもいろいろ店で使っています」というシェフの答えが返ってきました。ソムリエールで、その上、お店で使える陶器を作れるとは、すごいですねとおどろくと「土をさわっているあいだは無心になれます。その時間がとてもいいのです。何も考えない、頭をからっぽにする時間は必要かなと思います」と言われました。
 
左京区のお店で獲得した「ミシュラン・ビブグルマン」は「費用対効果がよく、価格以上に満足感のある料理」高級レストランではなく気軽に食べられるお店が選定されます。リヴ・ゴォシユはその真価のあるお店です。
シェフと対面する「カウンターのフレンチ」など、緊張するというか、少し気づまりな感じがしそうですが、まったくそんなことはなく、気軽に料理もお酒も楽しめます。一人でも友だちや家族とでも、たまには気前よく、家での食事とはちょっと違う、豊かな時間を持つことを大切にしたいと思いました。

親しみやすく本道を行く得がたい店

阿さひ
フレンチの営業時間に掛けられる白い提灯

シェフは、どんな素材も、ここへ来るまでどれだけの月日と手間をかけ、納品されるまでどれだけ多くの人がかかわっているか、食材やワインをはじめいろいろなものが納品されるがそのうち何か一つ欠けてもだめなのだ、そのことを考え、大切にすること、そしておいしい料理にすることを、スタッフに常に伝えています。その視点で目利きした素材を、信頼できる取引先から仕入れています。それらのことが味に接客にあらわれ、お店の空間が生まれているのだと感じます。
「うどんをフレンチ風にアレンジしたら」などとよく言われるそうですが、そういったことはまったく考えていません。きちんととった出汁とバランスのよい麺、それで完成成立しているあさひのうどんです。フレンチも「渾身のブイヨン、フォン」を使った本格フレンチです。
ビヴ・グルマンに選定されたことはすばらしいことですが、お店のプロフィール的にさらっとふれているだけです。お店を探す時の選択のデータの一つに、といった扱いです。
コロナで休業していた期間に黒だった壁を漆喰で白く塗ったり、カウンターも今の色に塗り替えるなどの作業をおとうさんと一緒にされたそうです。それも含めて「これから店をどのようにしていくのか」を考えるよい機会になったと話されました。
阿さひの折り詰め
ワインセラーを背にして、鯖寿司を作ったり箱詰めをしたり息のあった夫婦二人の仕事が進みます。「あんかけ」用の生姜をすったり出汁を用意していたシェフは、魚をさばき、ブイヨンやフォンの様子をみたり、諸々の下ごしらえや仕込みをしています。奇をてらった「うどんとフレンチ」ではなく、それぞれのおいしいと思う料理でお客さんに喜んでもらう、そこに集約されています。おいしいものをいただくことは幸せなことです。
阿さひet Rive gaucheは、食べることを通して、私たちの気持ちをあたたかくしてくれる、静かな誇りを感じる得がたいお店です。

 
阿さひet Rive gauche
うどん屋「あさひ」 フレンチレストラン「リヴ・ゴォシュ」
京都市上京区千本丸太町上ル東側小山町871
営業時間
フレンチ/平日17:30~22:00、土曜・日曜・祝日11:30~15:00
うどん/11:30~15:00
定休日 フレンチ/不定休、うどん/土日祝

西陣のいすず張り子で おめでとう

きのうの続きの同じ一日なのに、一月一日は別格です。大層な準備をしなくても、お正月は心を弾ませます。
今も機音が聞こえてきそうな西陣の商店街の一画に、たくさんの張り子が笑顔を投げかけているお店があります。鮮やかな色と愛嬌たっぷりの表情やしぐさに、通りがかりの人も足を止め、顔をほころばせます。お正月気分になれる張り子の数々と本やレコード、「イスズ薬局」と記された銘板、人体模型などが同居する不思議な魅力を感じる空間です。
張り子づくりに忙しいなか、話を聞かせてくださったのは「イスズ楽房」の主人で、張り子の作者、古川豪さんです。張り子創作のこもごも、子どもの頃の西陣、商店街のまちづくりや今も続けるライブのことなど、豊富に湧き出る話の泉です。本年最初の京のさんぽ道は西陣から始まります。

ご両親の出身地伊勢にちなむ「イスズ」の名

イスズ楽房
イスズ楽房は北区の新大宮商店街にあります。最初に見つけたのは京のさんぽ道の「自然の恵みぎっしり正直なパン」の取材の折りに、いかにも地元の商店街という雰囲気がよくて歩いている時でした。鮮やかな色彩をまとった張り子たちは天真爛漫、ほのぼのとしたあたたかみがあります。京都の西陣なのに「いすず」という名前がついているところも興味をひきました。取材をさせていただいて、やはり一回では書ききれないと感じるほどでした。

五十鈴川
由来となった三重県の五十鈴川

お店は古川さんの実家であり、薬局を営んでいました。開業は昭和12年(1938)、ご両親の出身地伊勢の清流、伊勢神宮の杜を流れる「五十鈴川」にちなんで「イスズ薬局」と名付けられました。若い夫婦が京都で新しい道を歩み始める時の思いが込められた名前です。
薬局の仕事をされたのはお母さんで、大正4年(1915)生まれ、三重県初の女性薬剤師でした。好奇心旺盛で研究熱心で「今生きていたらきっとパソコンもやっていたと思います」と古川さんは語ります。まだまだ女性が専門の教育を受けて職業につくことは少なかった時代に、今言われる「リケジョ」の草分けであり、とても先進的な方だったのです。しかし、それを口にすることはなく、亡くなってから「三重県初の女性薬剤師誕生」という新聞記事や表彰状が出てきてはじめて知ったそうです。世の中の評価や権威付けのようなこととは一切無縁に、自分の生き方をされたことは、すばらしいと思いました。

イスズ楽房の張り子
上段中央には今年の干支であるうさぎが。白兎は人気で昨年中に売り切れたそう

また理系でありながら、鴨川でチラシの裏に色鉛筆でスケッチをするというご趣味もあり、そこは今の張り子つくりにつながっていると感じるそうです。古川さんは「薬種商」の資格を取りイスズ薬局を継いでいましたが、薬事法が改正されてからは、それまで販売できていた指定医薬品以外の医薬品や漢方薬や健康食品が扱えなくなり、薬局としての看板は下ろすことを決めました。
今度は「書籍商」の免許を取得し、古本やレコードなどの古いものを置き、また小さいころから手を使うことが好きだったこともあり、「いすず張り子」の工房「イスズ楽房」をたちあげました。新しい選択にもイスズ薬局の名前を受け継ぎました。今も商店街にお店を置き、職住一体の営みを続けています。地に足のついた実のある「京都」を感じるのは、こういう時です。

生まれ育った西陣という地域

イスズ楽房
イスズ楽房のある新大宮商店街は南は北大路通、北は北山通まで1キロメートルにわたる京都で一番長い商店街です。西陣の中心地で、
どこにいても機織りの音が聞こえる地域です。
住んでいる人のほとんど言っていいほど多くの人が西陣織をはじめとする伝統産業にかかわる仕事に従事していました。新大宮商店街は、仕事に忙しい人々にとって日々の暮らしをまかない、また息抜きを楽しむ欠くことのできない場所として機能し続けてきました。
いすず張り子は、この地域を題材とするものがあるのが特長です。氏神様である玄武神社や今宮神社のやすらい祭のお稚児さん、禅宗の托鉢僧、野菜の振り売りにやって来る加茂のおばさん、仏教を庶民にわかりやすく広めるための手段であった「節談説教(ふしだんせっきょう)」のお坊さん等々、それぞれの地域の人々や子どもたちに愛されてきた素朴な張り子にふさわしいものです。

イスズ楽房
地域のキャラクターの中で優しく微笑むモルガンお雪人形(右上)

「モルガンお雪さん」は、明治時代に現在のモルガンスタンレー財閥の一族につらなる大富豪と結婚した実在の人で、日本中がその話題でもちきりだったとか。そのお雪さんが高齢になってから近所に住んでいて「クッキーをもらったことがあって、それまで食べたことのないお菓子やって、ほんとにおいしくて、また食べたいなあと思った。ほっそりしたきれいなおばあさんやった。今になったら、いろいろ話を聞いておいたらよかったなあと思うけれど、子どもやったから」と、びっくりすることを笑って話してくれました。
ものづくりの歴史のみならず、そこで暮らす人々も多彩です。遺跡の発掘ではないけれど、京都の地層はどこでも、あっと驚く話がどんどん、しかもさらりと出てくることに驚愕します。知らないこと、埋もれていることがまだまだあることは確かでしょう。色彩や音、手の動き、交わされる言葉など、培われてきたことが今も、ものづくりにかかわる人々に伝承されていると感じました。

より道は多くの出会いを生む

イスズ楽房の張り子
張り子人形は全国に見られる民芸品で、木型に和紙を貼り、大きさにより何層にも貼り重ね、乾燥させてから切れ目を入れて半分にして木型から抜き取り、それをきちんと合わせて一体にして下地塗りをくり返し、それが乾いてから絵付けをします。なかなか手間と時間のいる仕事です。
古川さんは木型づくりからすべての工程を一人で行って完成させています。そこに自分なりの工夫と創造を加えているのがいすず張り子です。

イスズ楽房の木型
木型もすべて古川さんのお手製です

お面は、平たい木の土台に、鼻や耳、髪形など様々なパーツを穴に差し込み組み合わせて、伝統の顔かたち、豊かな表情をつくっていきます。おもしろいのは、同じ木型がお面によって耳になったり、鼻や眉毛など変幻自在に組み合わせられていることです。かごいっぱいのパーツからふさわしいものを選んで組み合わせる過程はパズルのようです。大変だと思いますが、古川さんは楽しそうでです。
様々な動物や鳥は、筋肉や足がどこにどのようについているかなどを調べてデッサンしてからつくり始めます。伺った時は「おめでたい鶴亀を揃えたいが、鶴の羽はどこから黒くなっているのか考えているところ」とのことでした。
イスズ楽房の張り子
衣装も伝統にならい、配色や模様も後ろ姿まできれいに描かれています。京都は伝統産業に関係するすごい人たちがたくさんいるので、それに比べたら「僕がやっていることなんて、あそびみたいなもん」と言われていましたが、押さえるべきところはきちんと押さえ、ものづくりの骨格がしっかりしていると感じました。自由で楽しい雰囲気はこうした目には見えないけれど、おろそかにしない普段の細かい仕事の積み重ねにあると思います。

 

「ぶれまくり、より道ばかりしてきたけれど、そのおかげで本当に多くの人と出会えてよかったなあと思います」商店街の活動も続け、商店街の主婦を対象にしたアンケートに取り組み「普段から、この地域で暮らし商いを営む人たち」の実態と本音を引き出し報告書も発行しました。夏まつりの歩行者天国や「新大宮商店街振興組合50周年誌」の発刊などにも尽力しました。商店街の活動をしていたことから地元紙に2回、連載の執筆の機会が生まれました。また地元の児童館の館長も8年間務めました。「地域に恩返し」という言葉が使われますが、古川さんの越し方を伺ってみると本当に、その通りと思います。

バンジョーの名手としても知られる古川豪さん

「古川 豪」と聞いて「もちろん知ってる。当たり前」という人も多いことと思います。古川さんは、京都以外でも、静岡、東京など各地でライブのステージに立っています。「待っていてくれる人、喜んでくれる人」がいます。
11月も10日間も東京でライブがありました。ライブには「いすず張り子」も積み込んで自ら運転して行きます。一番人気は托鉢姿の雲水さんだったそうで「わからんもんやなあ」とつぶやいていました。
福蓑
棚に残る薬局時代の備品と本が、張り子の面々と同居しています。新年に福を運んでくれる「福箕(ふくみ)」には、えびすさん、大黒さんのほかにも金の俵、鶴亀、鯛などおめでた尽くしの飾りがどんどん増えていました。「普通に存在していることに意味がある」という古川さんの言葉にとても共感ました。いすず張り子を振ると、やさしい鈴の音が聞こえます。気持をやわらかくしてくれる音です。
地域色濃い新大宮商店街のイスズ楽房へ出かけて、たくさんの個性ある張り子と会ってみてください。そして「関西フォークの草分け」「バンジョーの名手」などのくくり方では、はまらない古川豪さんが静かに楽しそうに、手を動かしていると思います。

 

イスズ楽房
京都市北区紫野上門前町21
営業時間 10:00~18:00
定休日 火曜日

昔からの京の生菓子、 今日も店頭に

「気がついたら今年ももう終わり」と、毎日が過ぎていく早さにおどろきます。
地域の商店街も、決まり事に沿ったお正月用の品揃えを厚くし、ここ一番と力が入っています。おせち料理に注連縄や松飾など、お正月迎えも年々簡略化されている昨今ですが「これだけは外せない」のがお餅です。「正月餅承ります」の堂々とした筆太の文字が師走の気分を高めています。
お正月のお餅はつつがなく今年をしめくくり、すこやかな新年へ向かう暮らしの暦です。
「大福餅老舗」は、創業110年。お餅と、なじみのある生菓子やお赤飯、年中行事に欠かせないお菓子が並ぶ、西陣に根付くお店です。忙しい合間を縫って三代目西井裕さんと敏恵さんご夫妻、息子さんで四代目の一樹さんに話をお聞きしました。お菓子作りに誠実に向き合い、親子でともにお店を盛りたてて来た家族の歴史とものづくりのこころがしっかり伝わってきました。

気持ちのよい売り買いと建物の持つ力

大福餅老舗のおけそく
お店には、お供え用の小さなお餅「おけそく」も毎朝、店頭に並びます。開店は朝8時と早いのは「お供え用のおけそくさんを買いに来はるから」です。年中行事以外にも、日々の習わしがしっかり根付いている地域であることがわかります。
8時にお店を開けるには5時起床です。目覚まし時計がなくても、長年の習慣で自然と目が覚めるのだそうです。こうしたことを大層に言うわけでもなく、ごく普通のことになっているところが、すごいです。
また「みたらしを2本、大福1個でもいいですか」と遠慮がちのお客さんに、敏恵さんは「はい、どうぞ。一個からでけっこうですよ」と、ていねいに答えました。お客さんも気遣いがあり、それに対してお店の、ほっとする答えが返ってくる。そうすれば、お互いに気持ちのよい売り買いができると感じました。
大福餅老舗
大福餅老舗は大正元年(1912)創業、昭和3年(1928)に現在の地に店舗を新築し、移転しました。今の建物は当時のまま、戸棚やショーウインドー、工房と売り場を仕切る格子戸は建築当時のものと、新しいもの両方ありますが、新しく作った格子戸も見事な仕事がなされています。ずっとお世話になってきた職人さんの仕事なのだそうですが、高齢となり引退されてしまったそうです。建具や大工仕事も技術の継承と道具や材料となる木材の確保がますます重要になると感じました。
大福餅老舗大福餅老舗
もち蓋、古い台秤など道具も現役です。三代目は、材料を量る単位は「匁(もんめ)」で教えられたので、今でも匁を採用しています。今ではもう製造されていない台秤は、しっかり手入れされています。お店の奥に石臼の餅つき機が見えます。新しい餅つき機を入れたので今は使っていないとのことですが、現役さながらにきれいです。お店のたたずまいに魅かれるのは、年月を経た趣があることはもちろんですが、このようにお菓子作りの現場や道具を大切にしていることも深くかかわっていると感じました。建物が放つ魅力は人とともにあるということを教えてくれました。

四代目が開拓した新たな看板菓子

三代目西井裕さんと敏恵さんご夫妻、息子さんで四代目の一樹さん
四代目の一樹さんとお母さんの敏恵さん
三代目西井裕さんと敏恵さんご夫妻、息子さんで四代目の一樹さん
三代目の西井裕さん

製菓学校で学んだ一樹さんが、四代目としてご両親と一緒に仕事をするようになってから、いろいろな面で新しい展開が生まれています。
まずカステラができました。底についている紙を慎重にはがすと、焦げ茶色の生地とザラメがあらわれます。これはカステラを食べる時のお楽しみです。てらいのない素直な味が好ましく、安定した人気で常連さんも少なくありません。掛け紙のセンスもよく、西陣のイメージにつながる糸巻きの図柄と「かすてら」の書き文字がよく調和しています。気のきいた手みやげにも重宝しそうです。この、かすてらの文字は四代目の手書きと聞き、取り組むことの幅の広さにも感心しました。
1回に焼けるカステラは20個ということで、品切れにならないように気をつけているそうですが、それでも「ああ、残念」というお客さんもあります。「西陣の手みやげ」の定番になることでしょう。
大福餅老舗

大福餅老舗
一級技能検定試験の課題のお菓子

Pay Pay も早くから導入し、利用する人は多いと聞きました。四代目を頼もしく感じながら、自分たちも今の持ち場をしっかり守っている三代目夫妻の存在も光っています。ショーウインドーにつつましく置いてある工芸菓子は、一樹さんが和菓子の「一級技能検定試験」を受験した時の試験の課題です。毎日家で一生懸命練習し、見事合格されました。
「作ってから何年もたって、色も変わって割れたところもあるけれど残してある」と敏恵さんは思いのこもった言葉で語りました。二世代で、職住一体の老舗の屋台骨を支える大福餅老舗のこれからの展開に明るさと可能性を感じました。

季節と紋日が生きる西陣に根を張る

大福餅老舗
これからの毎日は「正月餅」で大忙しの毎日になります。鏡餅の形をした半透明のケースは、お餅がひび割れたりかびたりせず、長もちするというすぐれものです。このように新しく良いものは素早く取り入れる経営感覚にも注目しました。そしてケースに入れた後に、もう一度蒸すというていねいな仕事に職人としての姿勢を感じます。
大福餅老舗
今は正月餅中心の時期であり、店頭に並ぶお菓子の種類も一番少ない時です。「いつもはもっと、いろいろ並んでるんやけど、今はほんま一番少ない時やから」と敏恵さんはとても残念そうでした。そう言ってくれる気持ちもとてもよくわかるし、うれしく思いました。「京都は少なくても月に一日は紋日があって、決まったお菓子がある」と聞き、改めて暦や年中行事とお菓子は深く結びついていることを感じました。
12月に入ったばかりの時、お火焚きまんじゅうがあったので「今日はありませんか」と聞くと「あれは11月のものやから。まあ12月の頭くらいは作ってたけど」という返事に深く納得しました。お二人が季節ごとのお菓子を教えてくれました。もう少し早く来たら「栗赤飯があったのになあ。うちの作り方はお米とお米の間に栗をまるごと入れる。そうすると栗の甘みがごはんに移ってほんまにおいしい」と力を込めて話してくれました。それはぜひとも、来年を楽しみに1年待つことにします。

大福餅老舗
栗入りではありませんが、通常のお赤飯はいつも店頭に

また、年末はもちろん超多忙ですが、今宮神社のお祭と重なる端午の節句あたりもとても忙しいそうです。またお盆の五日間は朝四時起きとなるとのこと。十五日にお供えする糯米だけを蒸した「白むし」はおいしいと評判で、お供えだけでなく食卓用もつくるとのことでした。また食べたい人のために十五日だけでなく、前後の何日かは「白むしあります」となるそうです。定番のお赤飯は、色合いもやさしく、糯米のおいしをしっかり感じます。小豆はふっくら大粒です。白むしもさぞ、と思います。
お店の名前にもなっている大福はむだのない、きれいな動きに見とれてしまいます。この大福は技術だけではなく、誠実な仕事を日々重ねるなかで生まれる形でありおいしさです。

雅な京都の本筋、底流は大福餅老舗のようなお店の存在がになっていると感じました。京都の奥深さはこうした地域の暮らしを支ええている商店街の営みにあると思います。
年が明け、店頭にうぐいす餅や桜餅、桜もち、よもぎ餅、花見だんご等々彩も豊かに並んだ時にまた訪ねます。来る年が平和でお明るいとしになりますようにと願い、今年の京のさんぽ道で出会ったみなさん、お世話になったみなさんにお礼申し上げます。

 

大福餅老舗(だいふくもちろうほ)
京都市上京区千本通寺之内上る西五辻北町439
営業時間 8:00~18:00
定休日 おおむね月曜(月によって異なります。事前にご確認ください)

タイルで遊ぶ、知る、 そして使う

建物の外装や少し前まではお風呂や台所の流しなど、ごく身近にあったタイル。最近は目にすることが少なくなりましたが、民家の外壁に貼ってあるごく普通のタイルも、モザイク模様のおもしろさや色使いに、ものづくり精神や職人さんの姿を垣間見る気がします。
そんなタイルについて、どこで、どのようにしてつくられているか、製造方法や種類、最新の製品など、およそタイルに関することのすべてを知ることができるギャラリーがこのほどリニューアルして新たなスタートを切りました。職人の誇りも遊び心、これからの暮らしにどう生かしていくかなど、産地も含めてタイルのおもしろさと可能性を感じるタイルギャラリー京都は、新鮮なおどろきと楽しさがいっぱいでした。

タイルは焼き物、窯元でつくられる

タイルギャラリー京都
タイルギャラリーは、京都駅から歩いて5分ほど、大通りの喧噪から離れた静かな場所にあります。モダンで周囲になじんだよい雰囲気の建物です。
ギャラリーの中へ一歩入ると、広々としたスペースに、めくるめくタイルの世界が広がっていました。色、形状、質感も様々な本当にたくさんのタイルが、すてきなレイアウトで展示されています。余分なものがなく正味タイルだけで構成されていることがすばらしいと感じました。
タイルギャラリー京都
ギャラリーの運営を任されている篠田朱岐さんに「タイル事始め」のようにていねいに説明していただきました。窯元は愛知県の常滑、岐阜県の美濃、多治見など、もともと陶器の産地であった所に多いなど、始めて知ったけれど、聞けばなるほど思うことが多くあり新鮮でした。
窓側も上手に利用して、各窯元の特徴や得意とする製品、新しい提案などがよくわかるように展示されています。ていねいで楽しい話ぶりからも、展示の工夫からも、タイルへの深い思いが伝わってきます。
タイルギャラリー京都
海外ではタイルの需要が増えているそうですが、費用の点で日本はクロス張りが増えていると聞きました。しかし、耐用年数はタイルのほうが優れているので最終的にみればタイルが高いわけではないのです。それでそれぞれの窯元もキッチンのカウンター部分に使うなど、一部でもタイルを取り入れられ、家の雰囲気に合った使い方を発信しています。
需要が減少して厳しいなかでも、これまで培ってきた技術と先進性をもってがんばっている会社が多いのだと思います。デザイン的にも優れ、分業が多い業界のなかで、うわぐすりも自社でつくるなど新しい歩みを始めている会社もあるそうです。「タイルをもっと知ってもらえば使い道はきっとある」という気持で、新たな行く末を考えているのだなと感じました。
タイルギャラリー京都
また、窯元とギャラリー双方の思いが一致しているからこそ、会場全体が楽しく、明るく感じられるのだとも思いました。
「これをひとつ、ひとつ手作業で作ったのか」「ここまで狂いがなく、きちんと合わられる技術と心入れがすごいな」など、タイルがみずから発信しているように感じます。
展示パネルは黒い鉄板で、マグネット式に自由自在に張り付けられるようになっています。ひとつひとつの、1センチにも満たないタイルにもマグネットが付けてあります。生半可ではとてもできないことです。思いのこもったタイルの芸術に物語を感じます。

源流を大切にしつつ、概念をくつがえす

タイルギャラリー京都タイルギャラリー京都
タイルは四角く平たいもの。その概念を打ち破る形状のタイルも生まれています。インテリアとしてもすてきです。ピアスや掛け時計などの雑貨の分野にも進出し、現代の暮らしにあった食器も生産されています。
もともと食器を作っていた窯元がタイル製造に乗り出した例も多く、マグカップやプレートなどは得意分野です。「手元に置きたいな」と思うものがいろいろあります。余った粘土でつくった「うどん玉」という、お茶目な作品には思わず笑ってしまいました。

海外でもタイルは製造されていますが「きちんと作る」の精度が日本はすぐれているそうです。細かいモザイクタイルを貼りつけた四角のタイルをさらに何枚も寄せてきちんと一枚の絵画にした「錦鯉の図」がありました。
寸分の狂いもなく仕上げた迫力に、ものづくりの精神は健在なのだと感じました。
堅持すること、革新していくなかみ、その両輪がしっかり噛み合っています。

日本のものづくりの未来

タイルギャラリー京都
タイルギャラリー京都は、タイルの施工会社「山陶」が運営母体となり、元タイル職人であり代表取締役の山下暁彦さんが館長を務めています。ギャラリーは新たにレンガの展示スペースを設け「煉瓦の家」の構想がスタートしています。
タイルの源であるレンガは、明治の工業の近代化のなかで全国各地にりっぱなレンガの建物ができ今も残して活用している所もあります。新しく始まる「煉瓦の家」の取り組みは、伝統的な煉瓦のすばらしさとそれを積みあげ構築する職人技の融合です。
タイルギャラリー京都
現在、館内にはスマートブリック工法という新しい工法で施工された外壁の小さな家が建てられていて、実際に打ち合わせなどに利用しています。キャスターで移動も可能ということで、これから在宅での働き方が増えるなかで需要が見込まれます。
また、レンガに曲線をつけて積み上げた展示もされています。四角なレンガに曲線をつけて積むのは相当難しいことなのだそうです。職人魂のなせるわざです。それぞれ違った風合いを見せるレンガにあたたかみを感じます。篠田さんも「これが味ですねえ」と愛おしげに口にされました。
タイルギャラリーでは、ワークショップも行っています。これから多くの人に参加してもらえるプログラムも増やしていくそうです。

タイルギャラリーのロゴマークはタイルの花びらが開き、花がさく明るい未来を示しているように見えます。「タイルと出会い、遊んで、活かす」を掲げた本当の京都のものづくりを知ることができる楽しい場所です。
前回の紙箱に続き、伝統産業だけではない京都のものづくりの源流と進取の精神を感じた取材でした。また京都のみならず、日本の各地に、志をもってものづくりに励む人たちがいることも知りました。
京都を訪れた人、また地元の人もぜひ足を運んでもらいたいと思います。最期は土にかえる煉瓦とタイルを身近に置く暮らしが広がりますように。

 

タイルギャラリー京都
京都市下京区木津屋橋通西洞院東入学芸出版社ビル3階
開館時間 11:00~16:00
開館日 毎週月曜、火曜、木曜日/第2・第4の金曜、土曜日

発見いっぱい 京都かみはこ博物館

千年の都京都は、長い歴史のなかで育まれ、磨かれてきた伝統産業、工芸品が今も継承されています。一方、明治以降の近代のものづくりも、めざましい発展をとげています。
前回に続き「京都かみはこ博物館 函咲堂」館長の山田芳弘さんに、京都の紙箱製造のさきがけであった泰山堂と紙箱の歴史、技術や製品の変遷について伺いました。お話からは、伝統と進取の気風があいまった、京都独自のものづくりの姿が見えてきます。山田館長のおだやかな語り口と、函咲堂のユニークな活動に、京都のゆとりと底力を感じ、これからの京都の在り方も指し示していると感じました。

大看板とともに引き継いだもの

京都かみはこ博物館 函咲堂
紙箱製造にかかわる多くの道具や機械とともに、正面に掲げられた木製看板が泰山堂(たいさんどう)の風格を伝えています。
泰山堂は明治35年の創業時に、いち早くドイツから機械を輸入し、その後も本格的に機械化を進めるなど京都の紙箱製造の先駆者となり、業界に大きな役割を果たしました。十数年前に会社を閉じた時に所有されていた機械や貴重な資料、紙器や箱の工業組合のものも含め保存展示されています。
東京や大阪など他の大都市でも機械が導入されていましたが、第二次世界大戦中の金属供出や戦災により、多くが失われてしまいました。そのような状況のなか京都では、軍に50キロ爆弾の弾頭を紙で作ることを命令されました。それは四角い箱のみを作っていた業界に、変形のものも製造できるようになったという、革新的なできごとをもたらしました。函咲堂が発行したパンフレットにはその製造現場の写真も掲載されています。
京都かみはこ博物館 函咲堂
現在展示されている舶来の機械は、おそらく日本最古のものと考えられています。函咲堂では、前回ご紹介したように貼箱体験と、機械や資料の説明と見学を行っています。紙箱の歩みを知ると、函咲堂の展示物や体験によって紙箱の存在を知ってもらうという活動が、本当に貴重でほかに例をみないことがわかります。
函咲堂は「一般社団法人 函咲堂」として、2018年に設立されました。法人としたのは、貴重な機械や資料が個人の都合や状況などで散逸させないためと山田館長は語ります。紙箱以外にも、京都は全国の写真を印刷して絵はがきにする最大の印刷産地であったということで、使用された524枚の銅板も保存展示されています。
機械を2階へ展示するために鉄筋を使ったおおがかりな工事をし、大看板は天井にレールを通し設置しました。公的な所有として保存することとあわせて、製造技術の継承も活動にあげられています。
京都かみはこ博物館 函咲堂京都かみはこ博物館 函咲堂
貼箱の一級技能士資格者であった、泰山堂三代目専務水守千里さんは、貼箱体験の指導もされていました。今年の7月にお亡くなりになりましたが、ほぼ毎日姿を見せ、機械の手入れをし、子どもたちの貼箱体験は元気に楽しそうに指導されていたそうです。展示されている数々の機械はきれいに磨かれ仕事の相棒として大切にされていたことが伝わってきます。
体験の時に感じる現場の臨場感は、泰山堂が築き継承してきたものづくりの精神なのだと感じました。また泰山堂以外の会社の機械や道具、組合に関する資料も保管され、企業や業界の貴重な歩みを後世に継承するかけがえのない場となっています。函咲堂は唯一無二の紙箱の博物館です。

奥が深く間口も広い、紙と箱

京都かみはこ博物館 函咲堂の御朱印帳
体験では貼箱が主ですが、御朱印帳も作ることができます。山田館長は「御朱印帳は紙を使った素朴なものでいいと思います。それを自分ですきなように作れたら楽しいし、思い入れもあるものになります」と、素材の和紙や中身に使うロール紙で説明してくれました。
御朱印帳のかなめは、じゃばらにきちっと折ることです。そのためにまず、練習用の紙を使って折り方やコツを覚えます。紙がロールの形になっているというも発見に思えて新鮮です。
「ここで作るのは大きさも厚さも自由にすきなようにできます。御朱印だけでなく、写真やチケット、お店のカードなど自由に貼ったらいいのです。だから思い出帳なのです」「お孫さんにプレゼントする思い出帳を作る人もいます。楽しそうに作っていて、心がこもっているのでお孫さんも喜ばれたのではないでしょうか」と続けました。
京都かみはこ博物館 函咲堂の木版京都かみはこ博物館 函咲堂
レコードジャケット、木版や箔押しがほどこされた呉服関係の包み、木版刷のデザイン画や型染和紙など見どころも満載です。その意匠は今みても色あせず、モダンであったり優雅であったり感度の高いものばかりです。デザインや絵画を勉強している若い人にも、ぜひ見てほしいと思いました。
伝統産業に分類されるものだけでなく、近代京都の先進的な技術も、もっと広く知られて大切にされるようになってほしいと感じました。

かみはこ博物館はコミュニティーの場

京都かみはこ博物館 函咲堂の木版
体験会とは別に「函咲会」という集まりも行われています。70代を中心に集まって、紙について勉強をして「何を作りたいか」の希望によって、御朱印帳や貼箱作り、みんなで歓談を楽しまれているそうです。
おどろいたことにバランスボールやフィットネスの器具、卓球台まであります。コロナにより中断を余儀なくされていますが山田館長は「またそろそろ始めたい」と考えています。
紙と箱の博物館のみならず、地域の寄合処のようで、参加される方の楽しそうな雰囲気が目に浮かぶようです。

京都かみはこ博物館 函咲堂の木版
御朱印帳を手に説明してくださる山田館長

山田館長に「函咲堂はどなたが考えた名前ですか」と聞くと「僕や。箱はそのままではおもしろくないから函にして、咲くは作る。箱作、そのまま」お茶目な答えが返ってきました。かみはこ博物館という略称については「なんや知らん間に、みんながそう言い始めてそうなった」と鷹揚です。
おみやげに滅菌紙を使用したマスクケースをいただきました。発売元は一般社団法人 函咲堂です。ものづくり現役です。今、京都も含め全国の中小企業は厳しい経営環境にあると思いますが、先人が培ってきた土壌の上で、新たな豊かさを築いているという力強さを感じました。

入口に鎮座している御駕籠は、実際に担ぐ計画をしているそうです。縁あって心ある人によって守られた日本最古の紙箱作りの機械は、こうして多くの人々とかかわりながら、渋い光の存在感を放っています。

 

京都かみはこ博物館 函咲堂(はこさくどう)
京都市下京区西七条比輪田町1-3

紙の手ざわり 貼箱作り体験

季節やお祝い事など、暮らしの場面に合わせた進物は、それぞれ用途に合わせた形、素材の「化粧箱」におさめて先方へ贈られます。美しい意匠の紙箱は、どこの家でも当然のように再利用されていました。子どもの頃、宝物をきれいな箱に入れていた思い出のある人も多いのではないでしょうか。
前回の「高田クリスタルミュージアム」に続く「学びの秋」企画は「貼箱作り体験」です。紙箱を通して、近代京都のものづくりの一端を知ることができる「京都かみはこ博物館 函咲堂」を2回にわたってご紹介します。

紙の手ざわりと、形になる達成感

京都かみはこ博物館 函咲堂の館長
案内された体験の会場には、各工程の機械がずらりと並び、元気に稼働していた様子を彷彿とさせます。指導をしてくださるのは、かみはこ博物館館長、山田芳弘さんとご家族のみなさんです。参加者それぞれの前に、展開図の形に切り抜いた貼箱の本体が、大小2種類置かれています。何種類か用意されたなかから箱に貼る紙を選びます。モダンな雰囲気を選ぶか、でも華やかな色目もいいと迷った末、やっと決めました。

京都かみはこ博物館 函咲堂の紙
会場には多くの紙が展示されています

次は、あらかじめ折り線が深く入れてある厚紙の四辺を折り上げます。四隅をテープで止めて、箱の身とふたができます。
今度は、選んだ紙に刷毛で糊を付けていくのですが、刷毛の扱いもぎこちなく、糊の付き方にむらができてしまいそうです。また、いざ貼ろうとすると、糊が乾いてしまっている部分があり、糊を付け直します。その日の気温などによって糊の乾き具合が違うそうで、こういった微妙なことがわかるのも体験だからこそです。
京都かみはこ博物館 函咲堂の張箱体験
ふたの表面に紙を貼る時、やさしく手でなでようにして、しわやでこぼこができないように気をつけます。無心に作業に没頭する工作の時間のようです。最初は失敗しないようにと、やや緊張気味でしたが、函咲堂のみなさんの、優しく細やかな教え方のおかげで、母娘で参加された方と一緒に、とても和やかな、いい雰囲気で時間が過ぎていきました。
京都かみはこ博物館 函咲堂の紙箱
そしてそれぞれの「私の箱」の完成です。形になったうれしさに、自然と顔がゆるんできます。折り線がしっかり付けてある型取りされた厚紙と、同じ大きさに裁断された紙、このキットがあれば、手先が器用ではないと思っている人も、また、経験や年齢も関係なく貼箱体験ができます。手作業の楽しさを久しぶりに実感しました。

舶来の機械が並ぶ工場のような臨場感

京都かみはこ博物館 函咲堂の山田館長
貼箱が完成した後に、函咲堂に保存・展示されている多くの種類の機械や道具、貴重な資料と、紙箱の歩みについて山田館長さんの解説で見学しました。
ひと口に紙箱と言っても、本体とふたに分かれている貼箱、型で抜いて折る、組み立てるものなど様々なものがあります。また、それぞれの箱の工程に専門の機械があることを知りました。裁断の機械も複数あり、体験で作った箱の厚紙の折り線をつける機械、ホッチキスのように金具を止める機械等々、本当に多くあります。
京都かみはこ博物館 函咲堂の機械
機械は、それぞれの工程を順番に理解できるように配置も工夫されています。紙箱の歴史や、どのようにして作られているのか知ってほしい、そして箱に入れて贈るという文化も伝えていきたいという思いが伝わってきました。
展示されている機械や資料は、明治時代に創業した京都の紙箱業界の雄であった「泰山堂」が所有していたものです。縁あって函咲堂が受け継ぎ、展示しています。展示室は2階にあり、1階に鉄骨を入れて補強し、重機で搬入したそうです。紙箱製造機がこれだけ一堂に展示されている所は他に例を見ないのではないでしょうか。

貴重な資料と歴史を受け継ぐ

京都かみはこ博物館 函咲堂の展示
展示品のなかには箱作りが手作業だった時代のものもあります。糊を入れていた大きな木桶、刷毛、紙を切る包丁など、これらの道具で作るのはさぞ手間ひまがかかったことだろうと想像できます。
しかも今よりもっと、日常的に行き交うものに箱が使われていたと思います。風呂敷を入れる浅い箱、反物用の深く長い箱、うちわや扇子用の箱。商いや暮らしのなかで受け継がれてきた習わしと結びついて、箱の需要も様々あったと思います。そしてそれぞれの時代の箱に携る人々が、時代の大きな波も含め、困難もあるなか、研鑽と研究、工夫を重ねて発展の歴史を刻んできました。
京都かみはこ博物館 函咲堂
おかあさんと小学生の娘さんも興味深そうに熱心に見学されていました。キットを使ってだれでも気軽に貼箱が作れるというだけに終わらず、ものづくりそのものについて知ることは大切なことだと感じました。多くの機械や道具が並ぶ様子は、箱作りの現場にいる臨場感があり、こうした環境で体験できることは貴重です。自分で作った箱が、いっそう思い入れのあるものになりました。
京都かみはこ博物館 函咲堂の紙
紙箱は上に貼る紙や印刷技術も不可決です。紙の材質、デザイン、印刷技術の向上といったことと深くかかわっています。その点にも大いに興味をそそられました。次回は、函咲堂を開設した思いや、これまで取り組んでこられたことなど、山田館長さんに伺います。

 

京都かみはこ博物館 函咲堂(はこさくどう)
京都市下京区西七条比輪田町1-3

美しく神秘な 石の世界を多くの人に

川原や行きかえりの道で見つけた石を持ち帰った思い出はありますか。身近にある石を面白いと思ったり、不思議に感じたり。そんな子どもの頃の心を持ち続け、とうとう個人で開設した「石の博物館」があります。日本各地で採集した岩石や鉱物は1万点に及び、日本に約1300種あると言われている鉱物のうち、800種の標本を所有する、すばらしい博物館です。自然が生み出す、不思議で美しい石と結晶の世界の話を、館長の高田雅介さんにお聞きしました。

創意と熱意あふれる展示と解説

高田クリスタルミュージアムの高田館長
マスクも結晶柄の高田館長

高田クリスタルミュージアム
高田館長は、石のほかにも昆虫や植物を採集して、いつも自然と親しむ子どもだったそうです。そして中学2年生の時に「益富地学会館」を創設し、地学研究に貢献した、益富寿之助氏を紹介され、益富さんも熱心にやって来る中学生をかわいがってくれました。毎週土曜日は益富先生の家へ行き、日曜日は鉱山へ採集に行くという日々を過ごしました。亀岡の大谷鉱山、岐阜県の伊吹山の鉱山、高校3年では、銅を採掘していた秋田県の尾去沢鉱山へ出かけるなど、フィールドワークを重ねました。親切に案内してもらい、採掘した場所から鉱石を持ち帰ることもできたそうです。当時(1968年頃)は、日本全国で1万、京都府内でも50近くの鉱山があり、鉱石がごろごろしたということです。この時期に各地の鉱山を巡り、採集した標本は今やとても貴重なものとなっています。
高田クリスタルミュージアム高田クリスタルミュージアム
また、このミュージアムで注目したいのは鉱物の結晶の模型です。高田館長は長らく、結晶の形態を研究し、結晶を立体の模型と、なかなか描ける人がいないという「結晶図」で、展示説明されていることです。たとえば水晶は美しい色や形状をしていますが、それはすべて理由があるいうこと。すべて化学式や数式など科学的な方法で表すことができるという説明に驚きました。立体模型はさながら、組木のクラフト作品のようであり、水晶図は、どうじたらこのように、立体を平面図に描き表せるのかと、おどろきの連続です。そして、その美しい結晶はすべて自然がつくり出しているということに、畏敬とも言える思いを抱きました。
高田クリスタルミュージアムの千葉石
高田館長が地道に続けてきた、この「結晶形態学」は、千葉県で採取された「千葉石」が八面体になっていることを突き止め、新種の鉱物であることを証明することに貢献しました。結晶の形はとても大事と語りました。しかし、今、結晶形態学は忘れ去られようとしていると聞き、それは大変な懸念だと思いました。地味な研究分野なのかもしれませんが、どうぞ引き継いでくれる人があらわれるよう願う気持になりました。

高田クリスタルミュージアム
自身が高校生の時訪れ撮影したものも含め、貴重な日本の鉱山コーナー

展示室には日本の鉱山の資料もたくさんあり、すでに閉山となってしまっている今、とても貴重な「産業遺産」と言えるのではないかと思いました。展示してある写真は高田館長自身が撮影したものが多くあり、岩石だけに興味や関心がいくのではなく、こうした日本の産業の歴史、そこに働く人の営みにも目を向けられていたことがすばらしいと感じました。しかも中学、高校の若い時分にです。それは石を狭い対象にとらえず、科学を志す人の精神性なのだと感じました。
日本は世界に誇る地下資源豊かな国であったことも知りました。質の良い金、銀、銅、鉄を産出し、明治時代に入って鉄道が敷かれた時もレールなど建設設備の資材は国産でまなかえたそうです。「日本は資源がない」のではなかったのです。明治時代に入り、産業構造が変わってからは、あっと言う間、80年でほとんど掘りつくしてしまったそうですが、わずかに残っているところも人件費等経費を考えると見合わないようです。明治、大正、昭和と日本の経済を発展させたのはこれらの地下資源のおかげです、と館長は力を込めました。とても深い学びがある展示室でした。

55年かけて収集、標本4000点

高田クリスタルミュージアム分館
佐賀県から見学のためにお越しになった方
ハート形の日本式双晶のコレクション
ハート形の日本式双晶のコレクション

展示室前の道路を渡った元のご自宅が「鉱物と結晶の博物館」です。一階には分類され、きちんと並んだ石に説明が書かれたカードが置かれています。結晶には手のひらのように、対の結晶となっているものがあり「右手結晶」「左手結晶」と言います。これはなんと、自然界には右と左がちょうど同じ数の割合で存在しているのだそうです。本当に不思議なことです。神秘的な自然の営みです。
また「双晶」という2個以上の結晶が規則的につながったものもありました。この分館には新鉱物である「千葉石」が展示されています。また「だんご石」「やきもち石」など、なんとも愛嬌ある名前をつけてもらった石もあります。
4000点に及ぶ標本が、それぞれの形態や状態により、それに見合った容器に入れて収納されています。展示品以外に、これだけ多くの標本を整理管理することは、並大抵のことではないと思いますが、これができなくては石の収集は無理なのだなと思った次第でした。

UVライトで蛍光する鉱物
UVライトで蛍光する鉱物

「ちょっとこっちへ来て」と角のコーナーへ招き入れられました。と、暗いなかに美しい色の灯りが浮かび上がりました。何の変哲もない石に見えた鉱石に紫外線を当てるとこのように変化したのです。この原理は蛍光灯やブラウン管に応用されていると聞き、岩石や鉱石は様々なところで利用されていることを知りました。説明をしながら高田館長は「こんなにきれいなのはなかなかありません。これを見つけた時はうれしかったなあ」とその時のことを思い浮かべ、相好を崩しているようすをとても笑ましく感じました。分館は石の秘密の隠れ家的な感じもして、石好きな人は興奮するだろうと思いました。
この日は、九州からこのミュージアムをめざして来たという方と一緒になり、知識も豊富で石が取り持ってくれた縁でよい同道をさせていただきました。

クリスタルにあふれている

高田クリスタルミュージアムのカフェ高田クリスタルミュージアムのカフェ
敷地内には、奥様が担当するゆったり過ごせるカフェとミュージアムショップがあります。何万年、何百万年という時を重ねて私たちの前にいる石と同じ呼吸を感じる空間です。お手製のカレーやシチュー、ケーキを、ていねいにいれたコーヒーや紅茶と味わうことがきます。そしてここにも、石をいながらにして眺めることができ、仲間の作品も置いたグッズのスペースも楽しめます。チョーカーやTシャツ、エコバッグも結晶図がデザインされています。Tシャツの結晶イラストは館長自ら描いたものです。ステンドグラスも結晶です。これはご親戚の母娘さんの合作とお聞きしました。あいにくの雨の日でしたが、淡い光線を受けて、その美しさを見せてくれていました。
高田クリスタルミュージアムのカフェ
小学2年生くらいの子も常連さんと聞きました。「明日その子と、西山へ水晶を取りに行く約束しているんやけど、雨かなあ」というつぶやきが聞こえました。高田館長が生まれ育った大原野のクリスタルミュージアムがこれからも多くの人に大地の自然の大切さ、美しさを知らせる場として親しまれるよう、またコロナで中断されている講座も再開されることを願っています。

 

高田クリスタルミュージアム

京都市西京区大原野灰方町172-1
開館時間 10:00~16:00
開館日 金曜、土曜、日曜日
(分館「鉱物と結晶の博物館」は日曜のみ開館。事前予約が必要です)

暮らしのかたわらに 一閑張を

一閑張(いっかんばり)とは、和紙を張り重ねた上に柿渋や漆を塗って仕上げた生活道具です。軽くて丈夫、また補修して長く使えることから、日々の暮らしに重宝されてきました。形あるものは最後まで使い切って、ものの命をまっとうする大切さに気付かせてくれます。
「伝統を暮らしに生かす」とは、どういうことかについては「そんなに難しく、堅苦しく考えなくていいのですよ。それより楽しんで、そのなかで一閑張の良さを知ってもらえれば」と、語るのは、飛来一閑 泉王子家十四代尾上瑞宝さんです。もの心ついた2、3歳の頃には見よう見まねで、おもちゃを作るように、一閑張にふれていたという申し子のような方です。伝統工芸一閑張の本当の姿を多くの人に知ってもらい、日々の暮らしが少しでも豊かになるようにと熱い思いがあふれるお話を、生まれ育った自然豊かな右京区のアトリエでお聞きしました。

和紙と柿渋、漆。そして人

一閑張 飛来一閑 泉王子家
一閑張の歴史は古く、江戸時代初期に、戦乱の中国から日本へ渡った明の学者、飛来一閑によって伝えられました。乾漆工芸の技術の持ち主でもあったことから、日本の質の良い和紙を主な原料として、独自の技術を開拓したことが日本での一閑張の始まりです。
かごや菓子器、文箱、つづらなど様々な日常の用に使えるものが作られてきました。このように生活に密着したものでしたが、ある時、茶道千家三代家元の目にとまり、茶道具としての用も果たすことになり、ここで千家十職「飛来一閑 飛来(ひき)家」と、暮らしに根差した生活道具を作る「泉王子家」に分かれ、今日まで、それぞれの歴史を刻んでいます。
「泉王子」の名は「菊水紋」とともに、江戸前期の百十二代霊元天皇から賜り、現十五代まで続いています。これだけでもう、泉王子家を雲の上の存在に感じてしまいますが、十四代の尾上さんはいたって気さくな方で、垣根を一切感じさせない物腰で、一閑張についてていねいにお話されました。
泉王子家十四代尾上瑞宝さん

和紙だけで作られたフレーム
和紙だけで作られたフレーム

一閑張は「竹に和紙を張ったもの」と思いこんでいましたが、基本は和紙です。何枚も張り重ねてもとても軽く、その上強度もあります。柿渋や漆を塗ることで防水性や防虫効果も生まれます。実際にアトリエにある作品を手にとると驚くほどの軽さです。和紙を張り重ねただけでも、しっかりしています。現代は「軽量・防水・耐久性」などをうたう商品があふれていますが、一閑張の丈夫で軽く、水に強いということが、江戸の昔の人々にとって、どれほどありがたかったことかと、しみじみ感じました。
和紙は、張り重ねることはもちろん、竹や木、石、布などどんな素材にも使うことができます。その柔軟性は無限に新しいものを生んでいきます。それを可能にしているのが、素材を大切にして、持ち味や特性を生かせる技術、人の手です。日本の素材と物を大切にする作り手によって生まれ、それぞれの時代を経てきました。一閑張を手にした時に感じるあたたかみややさしさは、まさに人の手によるものです。このことが長く愛着をもって使うことにつながると感じました。

家訓は今も変わらず大切な指針

一閑張 飛来一閑 泉王子家
泉王子家の家訓と技術は、代々一子相伝、口伝(くでん)によって受け継がれてきました。家訓の最初に「四十になるまで己の作品を世に問うてはならぬ」とあります。これはまず諸国をめぐり多くの人と出会い、見聞を広めよ、人間としてどうあるべきかが作品にも問われるということにつながります。
そして、長い間各地をめぐり歩き、京都へもどった時は風貌も変わっていることもあったでしょう。確かに泉王子家の者であることを証明する手立てとして「家訓をそらで言える」ことが重要でした。尾上さんは二、三歳の頃にはすでに、門前の小僧習わぬ経を読むのたとえの通り、完全に覚えていたそうです。泉王子家には、研究者や技術を習得したい人など多くの人が出入りしていました。そのお客様へ家訓を披露する時は、いつも尾上さんの出番でした。みんなが感心してほめてくれるのがとてもうれしかったとなつかしそうに話してくれました。

泉王子家十四代尾上瑞宝さんのアトリエ
愛用の道具が並んだ尾上さんのアトリエ

家訓は口伝を固く守ってきましたが、現在は文字にして公開し、伝統的技法も教室を開いてだれでも体験できるようにしています。一閑張の素材の確保は、年々大変になっていますが、信頼できる職人さんから入手しています。和紙はしっかりした技術の職人さんの手漉き和紙を多く使い、糊は添加物の一切ない天然のでんぷん糊、骨格として竹や木を使う時も、天然のものです。そして、受け継がれた技法によって、が天然自然の素材を生かした作品ができあがります。それに対して、合成の接着剤や天然素材ではない紙を使うなど、素材も技法も一閑張とは言い難いものが「一閑張」として世間に出回るようになった背景があります。このことに危機感を持った尾上さんは、本来の一閑張を知ってもらうための活動を始めました。このお話を聞いて、時代の変化のなかで、一閑張を継承していくためにはその時々の決断が必要なのだと感じました。家訓には「血筋にこだわるべからず 技術をもって引き継ぐを主とすべし」という条項があります。これも「本来の姿、本当の一閑張」を継承していくという本筋を大切にするための決断と感じられました。そして血筋にこだわらないという柔軟な考えにも感心しました。尾上さんが始めた、だれでも気軽に一閑張を楽しめ、そのことにより、正しく伝えていくという活動は「家訓の実践」であると感じました。それが実を結び、今の時代に一閑張のすばらしさを広げています。

日々の暮らしを豊かに、人生を楽しく

出前講座の生徒さんのお手製

尾上さんは、小学生や大学生、一般市民向けの教室を各地で開いて、一閑張の普及に積極的に取り組んでいます。近くの小学校へは3年間、出前講座を行いました。作るものは自由。みんな夢中になって、休み時間や給食もそこそこに、作品作りに没頭していたそうです。「自分の部屋がないから作りたい、と本当に自分が入れる大きさの部屋を段ボールなどで作り、家へ持って帰って、その中で宿題をしている」「かばんを作っておかあさんにプレゼントした。おかあさんは毎日使ってくれている」「おもしろい椅子を作った」など、作ることの楽しさ、完成した喜びにあふれた声が寄せられました。
高校生や大学生も、わいわい楽しく作業をしていたそうで「本当にみんな、きらきら生き生きしています。きっかけや出会いさえあれば、だれもが手先を動かすおもしろさを知ることができます。これからも、特におもしろさを伝えていければと思います。そのなかで自分に自信を持てたり、新しいことを知る楽しさを感じられます」と、体験教室の様子を尾上さん自身も楽しそうに生き生きと伝えてくれました。
泉王子家十四代尾上瑞宝さん
東日本大震災が起きた時も福島へおもむき、仮設住宅へ入っている妊婦さんから「中のにおいが耐え難い」という声を聞き、調べると化学物質の資材が原因とわかったそうです。そこであらためて、自然素材を大切にした、ものづくりや暮らし方を思ったそうです。
環境とものづくりがつながっていること、こうした考えを身近にしたい、広げたいと福島へは8年間通い、一閑張のワークショップを続け作品展を開くまでになりました。一心に和紙を張り、形ができる達成感はきっと地元のみなさんの気持ちの支えになったのだと感じました。教室は今も続いているそうです。

一閑張 飛来一閑 泉王子家
尾上さんが修復した網目が見事な思い出のかご

アトリエには、修復した250年前の箱、茶箱など時代を経たものや「おじいちゃんが大切にしていたかごを直してほしい。手元に置くと、僕をかわいがってくれたおじいちゃんの思い出がよみがえる」と持ち込まれた品もあります。また尾上さんは材木屋さんで捨てられていた木の端材をもらって来て、和紙を張り、柿渋を塗って手近に置いて小物として使っています。もう職人さんはいないという和菓子の木型も最後の職人さんからいただいたそうです。尾上さんのところへは、こうして一閑張という枠を超え、またどんな素材とも親しくなじむ一閑張だからこそ、様々な物が集まって来ます。人間が生きる時間より、物の命は長いのだと知らされます。またそのすぐれた特性から驚くものにも使われています。
八代将軍吉宗公に献上された望遠鏡、また全国を測量し日本地図を作った伊能忠敬が使った望遠鏡にも、筒に一閑張が使われています。武士の陣笠も軽くて丈夫、雨も通さない一閑張でした。そして今、だれもが一閑張を体験することができ、身近なアイテムも作られています。
和菓子の木枠
尾上さんは銀行員やその他の職業を経験した後、四十歳を迎えてから十四代となりました。父親の先代は跡継ぎになれとは一度も口にしたことはなかったそうです。尾上さんが跡継ぎになる決心を伝えた時「なぜ継ぎたいと思ったのか」とたずねられ「多くの人とめぐり合い、人との出会いの大切さを知った」と答えたところ「良し」と、こたえられたそうです。先代は常に「人として大事なこと」を基本にして「たて割りで世の中は成り立っていない。横割りで物を見られるように」と言われていたそうです。
失敗から学ぶ。失敗したからこそ工夫する。一閑張は伝統技術を引き継ぎつつ、新しいものをプラスしています。「作り出せるものは無限大。知恵や工夫でもっと使いやすく、おもしろくなります。そしてそれは身近にある物を利用して、だれにもできること。これは人生も同じ」と語ります。生きていく上でマイナスなことに度々出会うけれど、マイナスをプラスに変えていく力をみんな持っていると力を込めました。アトリエの屋号「夢一人」は20年間拠点をおいた北区のお寺のご住職がつけてくれたそうです。「ひとり、ひとりに夢を」という思いと期待を込めて贈ってくださった屋号です。
四百年の伝統は、実は普通の暮らしのすぐそばにあり、工夫することで普段の暮らしに生かせます。「だれもがその知恵をもっている。一閑張を通して、毎日が少しでも豊かになるように。そして自由自在な和紙のように楽しい人生を」というメッセージを強く感じました。そしてその根源にある家訓は、今を生きる指針でもあることを感じた取材でした。

 

一閑張 飛来一閑 泉王子家(いっかんばり ひらいいっかん せんおうしけ)
アトリエ夢一人

お寺は今も 地域のよりどころ

お寺とは今の私たちにとってどんな存在でしょう。お盆やお彼岸にお経をあげていただくくらいのお付き合い、お寺によってはお庭やご本尊の拝観といったところでしょうか。
「縁がないなあ」という人がほとんどのこの頃、お寺の存在、果たす役割は大きいと感じます。少子高齢化とそれにともなう家族構成や、まちの成り立ちの大きな変化によって「つながり」を持つことが難しい現代に、西本願寺の門前町の面影が今もなお漂う界隈に、地域に開かれ、様々な催しで人と人がつながるお寺があります。法話会や落語、コンサート、学生主催のイベントなど、堅苦しいお寺の敷居をぐんと低くして、みんなが軽々と自由に楽しく集まる「一念寺」の住職、谷治暁雲さんのお話は、まさにお寺と人が育む門前町のまちづくり物語です。

古い歴史のある寺院の再生

一念寺
取材に伺ったのは、ご住職がお経をあげに行かれ、戻られたばかりのお忙しい時でした。「明日お願いします」とお願いされることも度々あると聞き、お参りを大切にされている方にとって、お寺はなくてはならない存在なのだと感じました。
一念寺は西本願寺の門前町にある浄土真宗本願寺派の寺院です。戦国時代(1528年)に創建されたという記録が残っています。明治初期に建てられた現在の建物の、落ち着いたたたずまいは門前町の品格も伝えています。
一念寺
門から本堂までの庭は、少し逸れたように配置された敷石の妙、自然な雰囲気の植えこみなど、茶室の路地のような趣を感じます。そして、すぐにご本尊の阿弥陀如来様と身近に対面することができる、みごとに考え抜かれた構造です。「こじんまりしたお寺」とよく言われるそうですが、その言葉の通り、厳めしさではなく、おだやかなやさしさを感じる空間です。
一念寺の谷治住職
谷治住職は「在家(ざいけ、出家せずに普通の生活をしながら仏教に帰依する)」の人で、大学の専門は社会福祉でしたが、卒業後、仏教の専門学校で研鑽を積み、ご縁があって一念寺を受け継がれました。プロテスタント系の幼稚園へ通い、小学生の頃は毎週教会へ通っていたそうですので、本当にご縁なのだなと感じます。「スカウトされたのです」と茶目っ気のある話しぶりも、場をなごませてくれます。本堂は阿弥陀様はじめ大きなろうそく、お花やなどが「これ以外ない完璧なバランス」で配置されています。当時の名もない職人たちの美意識や感性、それを実際にかたちにした技は本当にすばらしいと住職は語ります。

「一念寺へはじめて来て、前の住職と話した時も、今座っているこの場所でした。この位置から見た阿弥陀様や内陣が本当にすばらしく、導かれているように感じました」とその時のことは今も鮮明です。その導きともいえる出会いから2000年に一念寺を受け継ぎ、自身の人生もお寺も新しい歩みを始めました。

仏教と理系が融合した「DIY」のお寺


受け継いだ時の一念寺は、雨漏り、崩れかけた壁、草が伸び放題の庭など大変な状態だったそうです。本堂以外にも中庭や、渡り廊下の先には洗練された意匠の茶室もあり当初の持ち主の文化度の高さを感じます。
釈迦涅槃図、牡丹が描かれた襖絵や板戸など、何気なくその場にあるものも、美術品・書画骨董と言えるようなものです。おそらく江戸時代後期のものではないかと言われていました。こういった調度品や、木彫の牡丹と格子の欄間もみごとです。
一念寺の涅槃図一念寺の襖絵
日本の美にふれることができるのもお寺の魅力です。「本当は襖もきちんと修復したいのですが、そこまで手が回らなくて」と言っておられましたが、剥がれていた壁はまわりと色を合わせて塗り、雨漏りも自ら修繕し、電気関係や耐震対策も、法律にふれない範囲でみずからやっていると聞いて驚きました。
一念寺の欄間とスピーカー
木彫の牡丹に続く格子の欄間は現代のものですが、牡丹の古色に合わせて色を付けるなど、職人さんの巧みな技とともに美意識が生かされています。また、各部屋の鴨居にスピーカーを取り付け、催しをしている本堂の様子が聞こえるようにしています。楽屋にいてもスピーカーから舞台の進行がわかるのと同じです。そして話の合間に「メーカーはBOSE、ボーズです」とサービス精神満載なコメントもいただきました。

オンライン法要の様子
サイトでは過去のオンライン法要の様子も見られます

また以前通信関係の会社で仕事をしていた経験からネット環境を整え、ホームページで「ひとこと法話」「御門徒様 連絡用ページ」「趣味のページ」など情報発信しています。趣味のページは、浄土真宗の実践活動に関する「真宗学の部屋」、故障が出たタブレットを修復する「改造日記」とマニアックとも言える濃い内容です。「真宗学の部屋」は、宗教者の実践的な社会福祉活動について書かれ、現代社会にも共通する示唆に富んだ内容です。「改造日記」はその分野が好きな人にはとても興味深いのではないかと思います。
一念寺
お寺は会場としてだれでも気軽に低料金で使えるようになっています。住職は、催しは必ず撮影をして、次の時にはその画像を見て必要な状態に整えておいてあげるそうです。「出演者は、傷つけたらいけないとか準備にも、いろいろ気を使ってしまいますが、私ならここへ釘を打とうとかできますから」という心遣いです。「DIYの寺なんですよ」と笑って話されました。副住職を務める奥様の真澄さんと一緒に日々みなさんをお迎えし、奮闘しています。

門前町の地元の大切な拠点


以前、屋根にのぼって修理しているところを門徒さんが見かけて「住職さん、そんなとこのぼって危ないですよ」と驚いて声をかけてくれたそうです。ほのぼのとした間柄がうかがえます。一念寺を受け継いだ時、25匹いた猫の貰い手探しに奔走し、そんなつながりから「犬、猫との出会い」の譲渡会も行っていて、普段地元の人と話す機会がなかなかないマンションに住んでいる人も「ねこちゃん見に来たよ」と交流することができました。また、芸術文化や様々な分野にもお寺を活用されています。
一念寺は門徒さんを「メンバー」と呼んでいます。これはだれでも自由にお寺へ来て、人と会い、話をして楽しく過ごし、そこからまた人と人がつながっていくという思いからです。住職は「建物が持っている力、空間の持つ力」と表現します。
一念寺の谷治住職
若い人もここへ来ると悩みや思っていることを話せる、心が解き放たれる場に感じています。「空」という考え方はこだわりや、ねばならないという思いから解放されることと語ります。それは「自分はどう生きたいか」考え守るために大切なことです。お坊さんは、そういう人々の話を聞く役割を果たせると考えています。「仏教が培ってきた2500年の教えは今こそ生かすことができます」と続けました。お寺に人が集まることでお寺は若返り、今住んでいるまちにとって何が必要かをあきらかにして、みんなで共有することが大切です。お寺はそういった点で、ハブ的な役割を果たせる地域の拠点だと考えています。地域の課題を地域で解決していくことは、これからますます大切になります。
正面通
一念寺の隣の歴史ある番組小学校はホテルの建設が計画され、地域の運動会もできなくなっています。長引くコロナの影響でお祭りの中止も続いています。そのような状況のなかで社会の変化に対応しながら、京都の歴史に学び、その良さを生かしながら住む地域づくりに果たすお寺の役割はますます重要になると感じました。帰り道、本願寺にまっすぐつながる「正面通」界隈を歩くと、法衣や仏具、数珠を商う店や旅館があり、門前町の面影を残しています。暮らしと生業が今も成り立つまちであってほしいと願いました。

 

一念寺
京都市下京区東中筋通花屋町下ル柳町324