味のある 千本出水界隈

京都は通りの名に特徴があり、東西の通りと南北の通りを組み合わせて所在地をあらわしています。千本通と出水通は、とても簡単な名前ですが、果たしてそのまま「せんぼん」「でみず」と読んでいいものかどうか迷う通り名です。
南北の千本通は平安京の朱雀大路にあたります。一説には葬送の地、船岡山へ至る道であるため、千本の(たくさんの)卒塔婆が建てられたことに由来するとされています。壮大な朱雀大路が葬送の道すがらであったとは、イメージが結びつきにくいのですが。
一方、東西の出水通は、平安京の近衛大路にあたり、またその名の通り水が豊富な所であり、水質も良いことから名水の湧く井戸も多くあり、この地に聚楽第を造った豊臣秀吉や千利休が茶の湯に使ったと伝えられています。そして良い水は、酒、豆腐、湯葉など水が命の京都の名産品の味わいを鍛え、磨いてきました。豆腐店の店先

「うちはまだ新しい。100年やから」

千本出水あたりは、室町時代から酒造りが盛んでした。地元の方の話では「昔は造り酒屋がたくさんあって、仕込みの時期には、小学校までお酒の匂いがしてきましたえ」ということでした。
今では「洛中の蔵元」は一軒だけとなりましたが、おいしいお豆腐屋さんは健在です。
水槽に入った豆腐
地元がお守りする千年前に創建された神社の隣りの豆腐店は、この道60数年、三代目で御年83歳のおじさんが、娘さんの助けもかりながら、82歳の奥さんと切り盛りしています。
長さ40センチ近い大きなお揚げは、作るのが難しく、ほかではほとんど作られていないのでは、ということです。焼いておろし生姜と生醤油をかけた熱々や、青菜や大根などその時期の野菜と炊いたり、焼き豆腐を合わせた「夫婦炊き」にと重宝します。ひろうす(飛龍頭)は夏はお休みで、そのかわり、柚子がふぅと香る絹ごし豆腐の出番です。
おじさんは毎朝バイクで、お得意さんへ配達もしています。年季の入った道具や機械は、きちんと手入れされ、代替えのきかない働き手です。「このお店、だいぶ古くからされているんですか」と聞くと「うちはまだ新しい。100年やから」と、事も無げな答えでした。

昭和の人と値段が現役のご近所

豆腐店のご主人と手作り油揚げ
絹ごし一丁と特大のお揚げ一枚で340円也。いつも申し訳ない気持ちになりますが、おじさんはほがらかです。以前、雑誌の取材を受けたこともあるけれど、つい最近はラジオの取材があったと嬉しそうでした。町内を行き交う人が減っていく現状にも一喜一憂せず、驕ることなく、毎日おいしいお豆腐を作ることに精を出す誇り高き人。
斜め向かいの44年続く女性店主の喫茶店は、毎日やって来るご常連にとって、なくてはならない憩いの場です。コーヒー1杯350円。モノの値段は安さだけではない。店の主人の心意気がつくり出す値打ちなのだと思いました。

祇園祭の伝統と新しい変化

「田の字型」と呼ばれる京都の中心部は、辻々に祇園祭の鉾や山が立ち並びます。
日中の蒸し暑さがいくらかやわらいだ頃、駒形提灯が灯り、お囃子の響きが重なり合い、一気に華やいできました。

京町家
最近は「◎◎鉾と○○大学」というように、それぞれの山鉾保存会と大学との連携が進んでいるようです。揃いのTシャツを着た学生が、一生懸命「ちまきどうですか」「手ぬぐいどうですか」と声を張りあげています。大学の多い京都の特徴です。
伝統のお祭への参加は、またとない貴重な経験になると思います。京都で学生生活を送るということは、こんなすばらしいチャンスにもめぐり合えるのです。

中国の故事や、当時はやった能の演目も題材に

山鉾の美術工芸のすばらしさは「動く美術館」と評されるほど価値の高いものですが、中国の故事や謡曲にちなむ、山や鉾の題材もまた、注目したい都の文化を示すものだと思います。

函谷鉾(かんこぼこ)
山の題材となった能を実際に演じる「宵山能」が一昨年から、後祭宵山の23日に行われています。会場は京都御所近くの能楽堂「嘉祥閣」。演者の息づかいまで感じられ、初心者にもわかりやすく、且つ趣きのある会でした。昨年は「八幡山」由来の「弓八幡」、今年は鈴鹿山にちなむ「田村」が演じられます。去年も今年も、もたもたしているうちに完売と相成り、初回を鑑賞したのみ。
祇園祭の楽しみをより深くし、これをきっかけに、能に興味を持ってもらえるようにという主宰者の思いが、伝統のお祭に新たな魅力を生みだし、これが真の京都の力だと感じます。

お囃子を復活させ、山の復興を目ざす鷹山

鷹山は、応仁の乱以前から巡行していた由緒のあるりっぱな曳山でしたが、190年前に大雨による大きな被害を受けて以来、巡行に参加しない「休み山」となり、ご神体を飾るのみの「居祭(いまつり)が続けられてきました。

鷹山の囃子方
そんななかで、地元の有志が集まり「鷹山復興」に向け、3年前に囃子方が結成され、その後、鷹山保存会の設立、公益財団法人の認定など、復興へ大きく弾みをつけています。地元の行事「たついけ浴衣まつり」でお囃子を披露し、「お囃子体験」は子ども達に大人気です。

ご神体をかたどった鷹山の授与品「犬みくじ」と「鷹みくじ」
鷹山のご神体は「鷹匠」「犬飼」と、樽を背負った従者の「樽負い」の三体です。かつては、樽負いが粽を食べる、からくり山だったそうです。ご神体をかたどった鷹山の授与品「犬みくじ」と「鷹みくじ」の表情がなんとも可愛いく、思わずにこっとしてしまいます。授与品は21日から23日まで販売され、夜の7時からはお囃子も披露されます。(室町三条)復興の目標は2026年。私たち一般市民も、その歴史に立ち合えると思うと、わくわくしてきます。

浴衣の子供達
時代が変わり、私たち一般市民も、何らかのかたちで、以前より近しく祇園祭や伝統文化にふれることができるようになりました。それは「もっと多くの人に知ってほしい」と願う、伝統文化に携わる方たちの「革新性」ではないでしょうか。それが、1200年の都でありながら、いつの時代も新しいものごとを追求してきた「京都らしさ」なのだと感じます。

七月一日「吉符入」

夏の京都がハレの空間となる祇園祭。
七月一日から一か月に及び続くお祭りの始まりが、吉符入(きっぷいり)と呼ばれる祭事です。
各山鉾町にて、その年の祇園祭に関する打ち合わせをし、祭りの無事を祈願します。

祇園祭と言えば、雅やかなお囃子、宵闇に浮かびあがる駒形提灯と人の波。そして都大路を行くけんらん豪華な山鉾巡行を思い浮かべる人が多いことでしょう。
でも、鉾や山には、それぞれの成り立ちや由緒、様々な行事や仕事があります。それを知ることにより、これまで気付かなかった祇園祭の魅力を発見することができます。
そしてそこには、時代の変化に柔軟に対応しながら、千百年の古式を守り、祇園祭を支える多くの人々の姿も浮かびあがってきます。

神事初めの前から進められている、お祭りの準備

函谷鉾(かんこぼこ)
起源は、応仁の乱以前にさかのぼる函谷鉾(かんこぼこ)。その名は、清少納言も歌に詠んだ、中国の孟嘗君(もうしょうくん)が家来に鶏の鳴き声をまねさせて、函谷関の門を開かせたという故事に由来します。
七月一日の吉符入が「神事始め」となりますが、早くも四月には最初の会合が持たれ、六月には、小学生の囃子方の新入会式や、火の用心とお祭の無事を祈願するため「火伏せの神さん」の愛宕神社への参拝など、準備が粛々と進みます。

重量12トンの鉾の、堅固な本体を影で支える伝統の力

優美で絢爛豪華な数々の工芸品で飾られた鉾の表の顔に対して、本体の櫓はあくまでも堅固です。七月十日から十二日までの三日間「鉾建て」が行われ「釘を一本も使わない縄で巻く工法で本体が組み立てられます。縄で巻くことによって、巡行中の揺れやきしみによる破損から守るというすばらしい知恵と技術です。その縄の巻き方が部分部分違う、実に美しい飾り結びになっています。
釘を一本も使わない縄で巻く、鉾建ての工法
この縄をつくっているのは、福知山市の田尻製縄所です。材料のわらを調達するのも困難な状況が続くなか、父親の跡を継いだ田尻 太さんと奥さんの民子さん、太さんの母親の久枝さんの三人がわら縄つくりを続けています。
「わら縄は、表舞台を影で支える地味な仕事ですが、日本の伝統文化を守る仕事に係わらせてもらっていることに誇りと喜びを感じています」と太さん。「わら縄つくりは私の代限り」とも。
たくさんの人が「神事と伝統に係わらせてもらっている」という感謝の気持で支えていることを知れば「観る」という参加も、深めることができると感じています。

 

*掲載した写真は許可を得て昨年撮影したものです。また(公財)函谷鉾保存会より、この「京のさんぽ道」への掲載許可をいただいています。

梅雨の晴れ間 まとう着物は春単衣

外の喧騒とは別世界の空間。
梅雨入りしたとは思えぬ、爽やかさを感じる日が続いています。週末、着物好きのみなさんの小さな集まりに仲間入りさせてもらいました。会場は銀閣寺畔、大文字山を間近に眺める、哲学の道沿いの「白沙村荘 橋本関雪記念館」(はくさそんそう はしもとかんせつきねんかん)。
関雪は、大正から昭和にわたって活躍した日本画家です。代表作「玄猿」は、美術の教科書に載っていた「手を長く伸ばしたお猿の絵」と言えば、ああ、あの、と思い出す人も多いのではないでしょうか。関雪自ら設計し、30年の歳月をかけて完成させた庭園や、制作をおこなった大画室(おおがしつ)、茶室、母屋など全体が公開されています。

茶室に飾られた枇杷の枝
上がり框にびわの枝。邸内のあちらこちらに、季節のしつらいの心遣い

着物を楽しむ醍醐味

着物の装いの楽しみは、洋服ではできない色や柄の合わせ方、季節の表現、素材や意匠の多彩さ、小さくても決めてになる帯揚げ、帯締めなどの小物の組み合わせにあると思います。
きもの暦では、6月は裏の付いていない単衣(ひとえ)の季節。単衣は6月と9月のきものですが、同じ単衣でも6月は「春単衣」(はるひとえ)。少しだけ透けていたり、涼しげな装いを意識し、9月は「秋単衣」で、残暑であっても、秋を意識したしっとりした色あい、透け感のない質感のものを心がけるそうです。
こう聞くと「着物って、やっぱり面倒」と思いがちですが、これこそ、きものの醍醐味だと思います。

美しいきもの姿に、それぞれの物語

当日参加されたみなさんの装いも、渋目の紫の着物に白地の帯、きれいな浅葱色の着物と同系の小物、生成り色の着物に焦げ茶の帯、下の着物が透ける、微妙な陰影が美しい黒い羽織、半えりに自分でスパンコールを縫いつけたりと、取り合わせや工夫がすばらしく、とてもおしゃれでした。藍色の地に大胆な縞、凝った織り方をした麻の長じゅばん、プラチナ素材のメタリックな羽織紐など、お母さんのものを受け継いでいる話も好ましく聞きました。ひと昔前のものと言っても、モダンで洗練されていて、今見てもすてきでした。
年代も20代から70代まで幅広く、様々な人たちが「きもの」でつながり、和やかな時をともに過ごしました。輝くような緑、木々を通り抜ける心地よい風、小鳥のさえずり。時間もゆっくりと過ぎていきました。

扇型の器に盛られた和菓子
白沙村荘ゆかりの走井餅でお茶を頂く。庭の青もみじがさりげなく

普通の人が親しんでこそ、伝えられるもの

織屋さんや展示会を見学させてもらった時、「これはもう織れる職人さんがいません」という説明を何度か聞きました。ひと頃に比べると、着物を着る人、関心を持つ人は増えていると思いますが、産業、生業としては困難なことなのでしょうか。
でも今、つくり手、売り手、そして着る側が一緒になって、新しい動きが出てきているのも事実です。それぞれの立場でブログを通して発信したり、今回のような集まりを企画したりと、「着物を着る人を増やしたい」「着物が好き」「着物を着てみたい」という波が、小さくても確実に広がっているように感じます。
白沙村荘で過ごしたひと時は、着物を着ることで少し非日常を楽しみ、豊かな気持になれました。着物を着ることも、名庭を訪れることも、私たちのような、多くの普通の人が親しむことで伝えていけると感じた一日でした。
橋本関雪の美意識の結晶である空間が、そういう心持へ誘ってくれた気がします。

京都の市めぐり

それぞれの土地の匂いがする名物市から、フリーマーケット、手づくり市など日本の各地に、実に様々な「市」があります。全国の主な市を集めた本も出版されるなど、すっかりみんなが楽しめるエンターテイメントになっています。
毎月21日の東寺の弘法さん、25日の北野天満宮の天神さんをはじめ、お寺や神社の境内で開かれる市、学生や若手作家によるアートフェア、若い骨董ファンが集まる古道具市など、個性的な市が多いのも、京都の特色と言えるでしょう。

すがすがしい境内で昔ながらの市「ほんびょうさんの朝市」

「ほんびょうさん」とは、親鸞の墓所である大谷本廟のこと。
環境問題への関心が高まるなか、まず身近な「暮らしと食」を見直そうと、安全安心にこだわる生産者と、それを求める消費者をつなぐ場として、毎月第3日曜日に開かれている朝市です。「人と人が、心と言葉を交わす市。かつて、境内で開かれていた昔ながらの朝市にという趣旨にひかれて行って来ました。

大谷本廟の朝市

 
真夏を思わせる日差し、青々と葉を繁らせた木立ちに映える薄紫色ののぼり。ぽん菓子、木工品、布小物、棕櫚たわしなど、こじんまりした規模の、伸び伸びした雰囲気のなか、ゆっくり見て歩くことができます。すがすがしい緑の多さも魅力です。
きちんと黒の礼服を着た参拝の人が、出店ブースに立ち寄る光景が「ほんびょうさんの朝市」らしい感じです。
今朝、家の近くで採って来たという、葉付きのふきを買いました。葉っぱは湯がいて、よくよく水にさらしてから、ちりめんじゃこと炊きます。こうした手間仕事も、季節を味わう楽しさのうちと思います。

“世界の国からこんにちは”エネルギーあふれる弘法さんの市

こちらはすごい人です。「最高に旨い」と言って、ビールにたこ焼きで盛り上がっている人たちがいます。
上賀茂の農家で作っている柴漬けと、お買い得のすぐき漬けの葉を買いました。
瀬戸内海の島で育てた甘夏は、見た目は無骨ですが、中身がぎゅっと詰まった実直なおいしさを感じます。大人気の無農薬レモンは売り切れでした。残念がっていると、来年をお楽しみということで、お手製レモネードと、小さな甘夏1個をおまけしてくれました。

着物を選ぶ海外の女性

 
境内は外国の人の姿が目立ちます。きものをはおってみては、身ぶり手ぶりで何事か交渉しています。その店のご主人によると「外人さんのほうが、うまいこと工夫して古いものをじょうずに使わはる」そうです。
あれこれ迷って、結局、古布4枚を買いました。微妙な色あい、デザインが新鮮、細部に宿る職人技。小さな布に、京都のものづくりの心意気を垣間見る気がします。こういうめぐり合いも市の醍醐味です。

まちの面影を伝え 記憶に刻まれる並木道

毎朝、駅へ向かう道は桜並木が美しい。
まだ寒いなかで、枯れ枝のように見える梢に固いつぼみを見つけた時が、桜暦の始まりです。初々しい二分三分から、次々咲き始めると春の嵐が気にかかります。
今は緑の色濃く、葉を繁らせています。強い日差しをさえぎってくれる木陰をありがたく思う日もすぐでしょう。

京都市近郊の昭和初期に開発されたモダンな住宅地

この私鉄の駅周辺は、昭和の初めに上下水道が完備した住宅地が開発され、多くの学者や文化人、実業家が移り住み、東京の田園調布、大阪の千里や箕面などと並び、モダンな郊外型住宅のさきがけとなったそうです。
様々な人との交流があった、当時の文化的な雰囲気がうかがえる邸宅が、今も残っています。

地元の人々によって保たれる桜並木と景観

開発当初、新しい時代の住宅地にふさわしい街路樹として、ソメイヨシノが植えられ、美しい桜並木に成長しました。ソメイヨシノの樹齢は短く、細やかな管理が欠かせない大変さがありますが、地元の方の、桜とこのまちへ寄せる思いは強く、地域のシンボルとして大切にされています。秋には、見事に色付いたたくさんの落ち葉を、ご近所の方がいつも掃除しています。
こうした住む人の意識が、当初の理想が失われず、魅力を放つ住宅地を持続させているのだと思います。

アカデミックな白川通と葵祭ゆかりの御蔭通の並木

比叡山の麓を源流とする白川に沿った、一番東の主要な通りの白川通。
銀閣寺道を北へ、しばらく欅並木が続きます。造形芸術大学、おいしいパン屋さん、入ってみたくなるカフェやレストランがあり、若い人がたくさん行き交います。欅並木が洗練された雰囲気をかもしだし、京都に使われる形容詞の「はんなり」とは違う開放的な空気を感じます。
御蔭通は、葵祭の三日前、五月十二日に執り行われる御蔭祭の神事の行列が通ります。並木はめずらしいエンジュです。「延寿」に通じる縁起の良い木とされているそうです。
以前、車で通りかかった時、房のような白い花を付けているのを見て、いったい何という木なのかと思ったことがありました。マメ科のエンジュと知ったのはずっと後のことでした。

花が咲き始めるのは7月頃です。

まちに四季の彩りを添える並木道を愛おしむ

たくさんの落ち葉の掃除は本当に大変だと思います。「その苦労を知らんと、並木道がきれいなんて」とおっしゃる向きもおありと思いますが、気忙しい毎日に、季節の訪れという自然の営みを教えてくれる木々を、愛おしく思う気持ちを持っていたいと思います。

 

 

宇治から届いた新茶 召しませ

桜が話題になったのも束の間、季節は初夏へと向かっています。
五月は草木が力強く繁り、まばゆい緑がかおり立つ季節です。「新茶入荷しました」の文字が目につくようになります。

今年のお茶はとてもいいらしいー最後まで気が抜けないお茶の栽培

春に宇治のお茶の栽培製造農家の方に話を聞く機会がありました。「冬に気温がぐんと下がったので、今年のお茶はいいですよ」と、胸を反らす感じでニコッとされました。お米と同様、寒暖の差が大きいほうが良いお茶ができるそうです。
夏も近づく八十八夜は、立春から数えて八十八日目。昔から農家にとって大切な日であり、種まきの目安とされてきましたが、「八十八夜の別れ霜」ということわざがあるように、最後の春霜が心配される時にもあたります。自然のご機嫌をうかがいながら、慎重に茶摘みの時をはかるなど、気の抜けない日々が続きます。

家でお茶をいれるのはどんな時

このお茶園では「お茶を急須でいれて飲むという文化が、日本から消えてしまわないように」と、ボランティアで小学校に出かけ、お茶のいれかたを教えたり、茶摘み体験を受け入れたりしています。「子ども達が感想文をくれたんです」と笑顔で見せてくれたそのなかの「今まで、麦茶やウーロン茶しか飲んだことがありませんでした。こういうお茶があることをはじめて知りました」という文章が目に止まりました。うーん。でもその感想文には続けて「今日摘んだお茶の葉を、教えてもらったように、家でいれてあげたら、みんなおいしいって喜んでくれました」と書いてありました。
かえりみて、お茶をいれる時、飲む時っていつだろうと考えてみると、小学生の感想文に驚いていられない、私も一杯のお茶も飲んでない日があるなと気付きました。

最先端の日本茶の話題、そしてお茶と日本の習慣

少し前の新聞に「東京に、世界初のハンドドリップでいれる日本茶専門店オープン」という記事が出ていました。なんでも、コーヒー専門店のように、バリスタがカウンターに立ち、独自に考案された日本茶専用のドリッパーで香り高い煎茶をいれてくれるのだそうです。流通している日本茶は、普通はブレンドされたものだそうですが、ここでは「シングルオリジン煎茶」と言って、単一農園、単一品種のお茶を味わえるのだとか。
京都でも蛸薬師通りの寺町あたりに、若い男性が経営するとても小さな「日本茶ティースタンド」があって、気軽に全国のお茶が飲めました。久しぶりに行ってみた時には残念ながら閉店していました。日本茶では難しかったのでしょうか。

玉露発祥の地、宇治小倉の巨椋(おぐら)神社の狛犬。

幼い頃、お茶をいれるとまずお仏壇にお供えするのは子どもの役目でした。また、大抵の会社で朝はみんなでお茶を飲んだと思います。その習慣は今かなり薄れているように思います。あわただしい毎日に、お茶を飲んでほっとするひと時は、気持ちのゆとりとして、しみわたる気がします。京都には、すばらしいお茶と、季節をみごとに写した美しいお菓子もあります。この楽しみをもっと味わわなくてはもったいない。今日はいつもよりていねいにお茶をいれてみよう。近所の和菓子屋さんに並んでいるお菓子はどれにしよう。なんとなく、明日もいい日かなと思えてきます。

京都に初夏を告げる 薫風吹き渡る

みずみずしい緑がまぶしい季節です。梅雨に入る前の、ひと時の爽やかさです。
日本には四季折々、2000を超える風の名前があると言われています。
かすかな風のそよぎにも、自然からのメッセージを受け止め、巡りくる季節を感じた昔の人の豊かな感受性には目を見張るものがあります。
また農作業や海の仕事にちなむ名前も多く、地方色も豊かで、なかにはくすっと笑えるユーモラスなものもあります。だれもが思い浮かべる「薫風」は、まさにこの季節を言い表しています。

田植えとカエルの合唱

田植えの季節がやってきました。
たんぼに水が張られ、風が通ると水面が揺れて、風の道が見えてくるようです。
都会ではあまり見かけなくなった光景ですが、電車や車で郊外に出ると水田が広がる地域がたくさんあり、田んぼのあぜ道で、ぼんやり座って過ごしたら気持よさそうです。
そして、夜になるとカエルの合唱が始まります。
「ケロケロ」、「ゲロゲロ」。静まりかえっていた周辺がいきなり騒がしくなり、水が張られた途端、待ちわびたように鳴き出すから不思議です。動物行動学者の故日高敏隆さんによると、オスがメスを誘うラブコールだそうです。
カエルたちは近くのあぜ道や草むらで水が張られるまでじっと待っていて、ようやく水が来たとでも思っているのでしょう。実際に見たことはありませんが、待ちわびていたプールに子どもが飛び込むのとよく似ているような気もします。ところが、カエルたちは必死なのです。鳴くのはオスだけで、メスに美声を聞いてもらい、メスはその声でオスを選ぶそうです。
どんな声がメスに好まれるのかよくわかりませんが、きっとたくましい声でないとオスは子孫を残せないのでしょう。

いつまでも残したい田んぼのある風景

厳しい掟があると知って、少し興ざめしますが、それでも私達人間が聞くと、季節を感じ心地良い響きになります。俳句に「世にでろと われに蛙(かわず)の 鳴きたつる」(小杉余子)があります。「ゲロゲロ」の響きが、早く世に出ろと聞こえてくると詠んでいます。なんともほのぼのとした句です。
やがて、水田に植えられた苗が育ち、田んぼ一面、緑一色になります。風が渡るとサラサラサラ…とかすかな音が聞こえ、「薫風に 草のさざなみ 草千里」(山口速)の句が思い浮かびます。青葉の香りを含んだ心地よい風です。
そして温かくなるに連れ、カエルの合唱も聞こえなくなります。
これが自然のサイクルで、日本人の季節感を生んでいます。この季節感を大切にしたいものですが、田んぼを受け継ぐ人が減っています。
休耕田がどんどん増えて、カエルの住みかも狭まっています。カエルの鳴き声を聞いたことのない子どもも増えているのではないでしょうか。いま一度考えたいものです。
あの合唱を聞くと「田んぼ残してケロ」と聞こえなくもないのですが。

香りと薫陶

女性経営者のセンスが感じられる、こじんまりしたカフェを最近見つけました。
ゆるやかな時間が流れ、その居心地の良さに魅かれ毎日通う常連さんもいます。材料に気を配った手づくりの焼菓子も人気です。先日は目先を変えて、白玉小豆と抹茶をいただきました。

粒よりの大納言が香る、本当においしい小豆でした。
炊き方はお母さんの薫陶のたまものでしょうか。薫陶とは、香の薫りをたきしめ、土をこねて陶器をつくることから「徳の力や品位で人を良いほうに導く」意味となったと言います。我が家にまぎれ込んできた、ネコのコトラも、ノラネコかあさんの薫陶よろしく、人間に甘える術を心得ています。

多面体の京都

「京都」と聞いて、どんなイメージが浮かぶでしょうか。
春の桜、秋の紅葉、清水寺や金閣寺と名所旧跡も数知れず、江戸時代の作家、滝沢馬琴も京のよきものとして「女子、賀茂川の水、寺社」をあげています。歴史都市、文化都市、大学の街等々京都に付く冠はいろいろありますが、一番は「都」でしょう。
「都といえば京」以外になく、昔から人々の憧れをかきたててきました。

 

また古きよきもののほかに、チェーン店に押されているとは言え、まだまだ個性的な喫茶店や古い洋食屋がある、おいしいパンやケーキ、チョコレートもレベルが高い、他都市に例をみないマンガミュージアムの建設など、新進の気風もあわせ持ち、その点も世代を超えて多くの人が訪れる吸引力なのかと思います。

 

ある時、老舗の和菓子屋さんで買い物をしていると、ランドセルの女の子がばたばたとかけこんできました。そして、やおら小さな財布から小銭をじゃらじゃら出して「今日のおやつ、何にしよ」と品定めを始めたのです。お小遣いで買えるお菓子を選び「ここの水羊羹はほんまにおいしい」と言い残して帰って行きました。小学生でもりっぱに「京都のお人」です。「いけず」「京のぶぶ漬け」「一見さんお断り」など、本当の意味はいざ知らず、京都というまちの性格を表す代表的な言葉としてとらえられていますが、京都は本当に奥深いまちです。日常の些細な場面でも「おっ」と思うことに出会います。

 

尊王の思想家として吉田松陰などに影響を与えた高山彦九郎が、御所の方角に向いてひざまずいている大きな銅像の前は「土下座前」と呼ばれ、若い人たちの待ち合わせ場所となり、同じく幕末に坂本龍馬とともに京のまちを駆け巡った中岡慎太郎の「寓居跡」と刻まれた標柱が建つ場所には、抹茶ティラミスを目当てにいつも長蛇の列です。
このように、町並みや暮らしの様式、人々の意識も大きく変化しましたが、1200年の都の気質を今も受け継ぎ、京都はひとくくりにはできない、多面的な顔を持っています。最もプライベートな空間でありながら、町並みを形成する重要な要素である「住まい」を「都に建てる」建都がとらえた、様々な京都の姿をお届けしてまいります。
お気に入りのさんぽ道を見つけていただければ幸いです。