京繍のすそ野を 世界へ広げる

日本の文化を象徴する着物や帯を、いっそう美しく彩る日本刺繍。奈良時代に仏教とともに伝来し、やがて十二単や武将の衣服、能衣装などに様々な刺繍がほどこされて技法も発達していきました。「京繍(きょうぬい)」は、優れた技術とともに、繊細で雅な色使いや意匠を特徴とします。京繍の伝統を、日本の文化とともに多くの人に伝えたいと、体験や教室、講師育成講座、そして日本で初の「日本刺繍通信教室」を開設し、新たな展開を実現した「中村刺繍」の、伝統工芸士 中村彩園さんに話を伺いました。

波乱万丈、京繍がたどった歴史


貴族や武士階級の衣装や、社寺の装飾に用いられた京繍は、様々な技法が発達し、安土・桃山時代には絢爛豪華な能衣装や小袖が生まれ、江戸時代まで、多くの刺繍職人や下絵師が腕を振るいました。しかし、明治維新になり、強力な注文主であった武士や寺社などが力を失い、その混乱のなかで、贅沢品であった刺繍も大きな打撃を受けました。そこで、先人たちは海外に活路を見い出そうとしたのでした。

ウィーン万博に出品して好評を得たことがきっかけとなり、大量に輸出されるようになり、製品も、壁掛け、額装、ついたてなど、インテリアにも多様に応用の範囲を広げました。その中で確立されたのが、画面を細かい刺繍で表現した絹糸の艶や風合いにより、絵画以上に写実的に見える「刺繍絵画」です。これらの刺繍製品は「貿易刺繍」と呼ばれ、手の込んだ良いものはほとんどが海外へ出て行き、日本に残っているものは非常に少ないそうです。
壊滅的な打撃から立ち直るために、果敢な挑戦をした当時の先人たちの並大抵ではない、強さを感じます。京繍の繁栄は続き、仕事は大量にあり、職人さんは大忙しだったそうです。しかし、経済の波や、刺繍絵画が中国で作られるようになったこと、近年では、生活様式の変化による着物ばなれなどの影響を受け、徐々に西陣でも後継者不足や刺繍屋さんの廃業などの問題があらわれてくるようになっていきました。
そのような状況のもと、中村刺繍は、一日体験コース、日本刺繍教室や講師育成講座を開設、初の通信講座など、伝統の京繍を次世代へつなげるための一石を投じたのです。

繊細、優美な京繍の魅力


京繍は、1976年に伝統工芸品として国の指定を受けました。技法は100に及び、絹の刺繍糸は3000~4000色、針は太さの違う15種類ほどがあります。刺繍糸は絹、縫う際は両手を使う点も京繍(日本刺繍)独自です。木枠に張った布の裏側から、刺繍する部分に針を刺すのは大変難しく思いますが、中村さんの、下に隠れた右手は、ぴたっと思い通りのポイントに針を通します。ひと針、ひと針の根気のいる緻密な作業から、美しい花や鳥、おめでたい意匠が形づくられていきます。

これから額装にまわすという、みみずくと鷹の大作を見せていただきました。鋭い目、翼を広げてこちらに飛び立ってきそうな迫力です。干支シリーズ、ふくさ、制作途中の作品なども、それぞれのイメージに合った配色と縫い方で、個性的であったり、優美さや可憐さが表現されています。仕事を受けた時、色使いや縫い方など細かい指定はなく、ほとんどが「おまかせ」なのだそうです。

常時2000色はある絹糸から配色を考えて糸を選びます。刺繍糸は、細い糸12本が1本になっていますが、使う時に、その都度撚りをかけ、撚り方と本数によって太さを変えます。絵具を混ぜるように、違う色の糸を撚り合わせることもあるそうです。お客さんの年齢や、発注してきたお店の好みなどを念頭に置き、イメージを描いて「色を塗っていく感覚」で針を進めるそうです。まさに職人のセンスと腕の見せどころです。

色の系統ごとに納められている絹糸は、ため息が出る美しさです。かめ覗き、浅葱、はなだ、茜、紅梅、萌黄・・・。日本の伝統色の美しい名前が浮かびます。中村刺繍は国産の絹糸のみを使用しています。その艶と微妙な色あいは、日本の絹の美しさです。広島県に一軒残るだけという針も含めて、雅な京繍の伝統を支えています。

新しい構想を胸にあたためて


中村刺繍は、街路樹の銀杏が色付き始めた堀川通りに近く、昔から染織に関連する店や職人が多い西陣地域にあります。大正10年に刺繍職人として活躍した彩園さんのお祖父さんが初代となり、そこから90年。現在は彩園さんのお姉さんで、やはり伝統工芸士の後藤美鈴さん、ネット担当の息子さんと三人で生業として勤しんでいます。

「日本一やさしい日本刺繍教室」と銘打った教室は「初めてでも、伝統工芸士さんの指導でわかりやすく安心できる」と生徒さんが増えています。ここで基本を学び、さらに高度な技術や知識を学ぶ「講師育成講座」を巣立ち、中村刺繍の分室と言える教室を地元で開く人も続いています。現在は東京、横浜、愛知、大分など各地に広がっています。
教室に通うきっかけは「自分で刺繍した着物や帯を身に付けたい」「歌舞伎が好きでよく行くことから興味を持った」「京都の伝統文化に関心があった」など様々ですが、みなさん「自分で作ったものを身にまとう喜び」を実感されています。一日体験コースは修学旅行の中学生や外国からの観光客にも人気ということです。また、同業者のみなさんも「がんばりや」とあたたかい目で見て、応援してくれているそうです。

中村さんには、今あたためている構想があります。一つは「京繍」に代わる名称の「中村刺繍ブランド」の立ち上げです。「京繍」は「京都刺繍協同組合」の商標であり、組合員でなければ、決められた技法を使い、そのレベルは達していても、京繍という名称は使うことができないのです。伝統の技術を受け継ぐ人みんなが使えるように、そしてもっと広げていくためにも中村刺繍ブランドへの思いを強くしています。

そしてもう一つ、海外への展開についても考慮中とのことです。絹の刺繍糸は韓国や中国にもありますが、日本の色に魅力を感じる人が多く、糸が単体で売れるそうです。京繍はもちろん、日本の優れた素材も海外で十分評価されるのではないかと、中村さんはみています。また気軽に日常的に使える商品開発も恒常的に考えていきたいと語ります。
日本の伝統産業は、右肩下がりの面がよく言われますが、厳しい現状を直視しながらも、その素晴らしさ、伝統が持つ力を信じて新たな展開をあたためている人の存在が、未来を切り開いていくと感じました。中村刺繍と生徒さんが、ひと針ごとに心を込めた作品の展示会が開かれます。繊細な美しさのなかにも、それぞれの個性や感覚があらわれた力作をぜひご覧ください。そして、京繍の魅力を感じていただければと思います。

 

中村日本刺繍教室作品展「童夢」
11月29日(金)~12月1日(日)
京都市中京区御池通 東洞院北角
しまだいギャラリー西館

 

中村刺繍
京都市上京区上立売通堀川東入堀之上町5
営業時間 10:00~12:00、14:00~18:00
休業日 土曜日、日曜日、祝日

ご朱印帳やお経本 和本製作を見学

読むという行為が紙でなく、パソコンやスマートフォンからということが多い昨今、紙や布を張り、外函に入りの凝った装丁の書物を目にすることは、めったにありません。
そんななかで、物議をかもしながらも衰える様子のない「ご朱印ブーム」により、美しい和綴のご朱印帳が広く知られるようになったということも事実です。和綴をはじめとする、日本の伝統的手法による「和本」を専門とする会社の製作現場を見学しました。

不便を解消し、美しさを備えて進化した和本


大陸から日本へ紙が伝わったのは7世紀の初めとされています。最も古い和本として生まれたのが「巻子(かんす)」という巻物の形態です。ありがたいお経や仏画、寺院の演技なども描かれ、絵巻物も誕生しました。平家納経や源氏物語絵巻などがあります。
身近なところでは、忍者が巻物を口にくわえていたり、和装に見られる「宝尽くし」の文様にも、隠れ蓑や打ち出の小槌などと一緒に巻子が描かれています。
紙を継ぐことで長さを自由に調節でき、くるくる巻いてコンパクトに保管できることからも、巻子はたいそう優れています。しかし、必要なところ、見たいところが、すぐに探し出せないという不便さが生じてしまいました。

そこで、考え出されたのが、巻物を適当な幅に折りたたんで、開きやすいように工夫した「折り本」です。不便から生まれた画期的な形態は、今もお経本やご朱印帳などに蛇腹折り本に製本され、よく目にするところとなっています。ところが、使っているうちに折り目が擦り切れてしまうという不具合が出てきてしまいました。そこから、またさらに改良を試みて、各ページを半分に折って重ねて綴じる冊子の製本「和綴じ」に発展しました。江戸時代に木版刷の技術が発達し、黄表紙、赤本などと呼ばれた絵入の娯楽紙「絵草紙」が人気を集め、人々の間に広がることとなり、和綴じの本の製造は、明治時代まで続きます。

古書店で、出版年が明治の和綴じ本を見かけることがあります。感心するのは、不便を解消し、補強や保護の役目を果たし、そのうえ美しさも備えながら進化していったことです。
綴じ方をとってみても、一般的な「四つ目綴じ」から「亀甲綴じ」「菊綴じ」など何種類もあり、装飾も兼ねて美しい色あいの糸を選ぶなど、細部まで神経を行き届かせています。他にも、書物ではありませんが、本を保存するためのおおいとなる「帙(ちつ)」も、爪や紐、張る紙の素材や色も吟味されています。この細やかな感性と確かな技術に裏打ちされた和本の伝統を受け継ぐ会社が「エヌワホン」です。

ベテランも慣れにおちいらず「毎日挑戦」


エヌワホンは、以前は箱の製造を主にしていましたが、書籍の出版の減少や外函入りの凝った本づくりがされなくなり、受注がなくなっていきました。そこで、まだきちんと仕事が確保できていた製本の分野を中心に、そのなかでも「お経本」に特化する方向に舵を切り、新しく会社をたちあげました。エヌワホンという、カタカナの社名は、創業者のひとりのイニシャルからの命名だそうです。和本もカタカナにしたところに、お経本という伝統の技術を受け継ぎながらも、蓄積された和本の総合力を発揮して、柔軟に新しい時代に対処していこうという意気込みが感じられます。

10年ほど前から、ご朱印帳の受注がぐんと増えたそうです。多少機械化した工程もありますが、ほとんどが微妙な手作業が必要ということで、作業の現場は和やかななかにも、きりっと引き締まった雰囲気です。ご朱印帳を作っている部署では「この道60年」の大ベテランと「糊付け3年」の一番の若手の職人さんが組んで仕事をしています。真剣なまなざしで、均等に素早く糊の刷毛が動き、それを受けて表紙を張る大ベテランは、肩の力の抜けた、乱れのない一定したリズムです。みごとに息のあった仕事ぶりに感嘆します。この道60年の大ベテラン、栄本敏枝さんは、熟練の技術はもちろんのこと、仕事場の雰囲気もリードしていきます。
「手を動かす調子が二人ぴったり合うてないとだめ。どこの部署も、それぞれがプロとして責任を持って仕事をしてる」と手を止めることなく話してくれました。そして「一度覚えたら、ずっとそれでいいなんていうことはないの。毎日挑戦」と続けました。

隣では、張り終えた蛇腹折りを、ばらばらと広げながら不備がないか点検をしています。お正月のテレビ番組で放送される「大般若経」の僧侶が空で広げる儀式を思い出しました。
検品担当は、厳しい目でチェックする仕事と同時に、総数は一日1000冊にもなる出荷する製品の数や種類、納品先など間違いがないかどうかのチェックも担当しています。地味だけれど、とても大切な仕事です。
代表取締役の内橋雅志さんは「みんながそれぞれの場で責任を持って仕事をしてくれているので私は一切口出ししません。和綴の技術があり、経本と巻子、それに函(箱)の両方ができる会社はエヌワホンだけです。今、気にかけているのは技術の継承です。可能な部分は、これからも機械化を進めるつもりですが、機械では手におえない、人の手でないとできないことのほうがずっと多いのです。次の世代の職人ををしっかり育て、残す、伝えることができるように、環境を整えることが経営者の仕事だと思っています」と語ってくれました。

エヌワホンで作られたご朱印帳やお経本は、日本の多くの人が知っている有名社寺をはじめ、全国の寺社に納められていますが、販売会社から納品されるので、直接取引以外はエヌワホンの社名が出ることはありません。しかし、信頼される間違いのない和本を作り続けています。世の中から脚光を浴びるかどうかではなく、こつこつと「毎日挑戦」の気持ちで淡々と仕事をする姿に、教えられました。京都が京都であること、歴史と伝統、ものづくりの誇りはこういうところで、受け継がれているのだと改めて感じました。
エヌワホンでは、和本の良さを広げ、もっと身近に楽しんでもらえるよう、家族の歴史や作品、旅の思い出を絵草子のように綴るなど、新しく自由な和本の使い方も提案しています。オリジナルグッズの開発もさらに進めたいとのこと。古きよき伝統と革新の気風が、京都の特徴とも言われます。エヌワホンは、その気風を受け継ぐ企業です。
建都も、京都の風土と歴史が経営資源として、生きるまちをご一緒に考えてまいります。

 

株式会社 エヌワホン
京都市右京区西院安塚町97
定休日 土曜日・日曜日・祝日