だれもが笑顔になる 京都の猫本サロン

あどけない子猫、目やにのついたとぼけた表情の猫、不敵な面構えのボス風等々、たくさんの猫が迎えてくれます。思わず顔がゆるみます。棚一面に収められた2000冊以上もの本の中にいる猫たちです。ここは猫と人、人と人のよい関係を紡ぐ猫本専門の古本屋さんです。猫と本と旅をこよなく愛すオーナーと、店長を務める妹さんの櫻井映さんの、猫への愛情に満ちた店内には、今日もゆるく和やかな空気が流れています。地元の人が普段使いする商店街の猫本サロンを、久しぶりに訪ねました。

自由で気楽なサロンは開店3周年

猫本サロン サクラヤ
この京のさんぽ道でも「毎日通いたい京都三条会商店街」でご紹介した「猫本サロン 京都三条サクラヤ」は、文芸書、世界の名作、写真集、文庫、雑誌など、2年前よりさらに増殖し、よくも集めたり、天井近くまでぎっしり埋まっています。猫の本て、こんなにあるのかと思います。「どうぞ、手に取って見くださいね」と声をかけてもらい、夏目漱石、内田百閒、ヘミングウエイという文豪から岩合光昭など、洋の東西を問わず猫と深い結びつきのある作家や写真家、イラストレーターの本や作品集をゆっくり見ることができます。ミュージシャンにも猫好きが多いことを知り、ほのぼのとした気持ちになりました。なかには、現在、なかなか手に入らないものもあり、インターネットでの問い合わせや注文にも対応しています。
陶器の猫たち

立命館大学猫の会RitsCatのグッズ
立命館大学猫の会RitsCatのグッズ

本と同じように旅が好きなオーナーが、本に出てくる国や場所を訪ねた時に求めた、陶器の猫たちも、トルコ、ロシア、ウズベキスタンなど国際色豊かに並んでいます。作家さん持ち込みのポストカードや可愛い猫柄のマスクも あります。また、大学生がキャンパスで世話をしている猫の保護資金を得るための、猫の写真のポストカードやシールを置いたコーナーが、良く目立つ棚にあります。猫のしあわせのために頑張る、オーナーの大学の後輩たちへのエールです。ついつい長居をしてしまう人が多いのもうなずける空間です。「みんなが自由に気軽に集まり、楽しくいられるサロンに」という思いは、しっかりと3年の実りをみせています。猫本専門の古本屋さんは他にないそうですが、サクラヤの本はどれもきれいで、状態の良いものばかりです。仕入れたすべての本をアルコールで拭いて埃を落とし、透明のカバーをきちんとかけています。なかには新刊本と思いこんでいて、支払いの時に定価と違うので「え、これ古本なのですか」と驚く人もいるそうです。こういった本を大切にする心入れの一つ、一つも居心地の良い空間をつくっているのだと感じます。

小さな生き物への愛情は筋金入り

猫本サロン サクラヤの店内
映さんは、ご両親とお兄さん二人に弟さんの6人家族で育ち、お父さん以外は全員猫好きです。映さんがもの心ついた時にはすでに、家には猫が数匹と犬に小鳥がいたそうで、まさに小さな生き物たちと家族同様に育ちました。お母さんは「つい目が合ってしまったから」と捨て猫を度々連れ帰っていたそうです。家にいた猫や犬のエピソードは語り尽くせないほどです。

「子ねこが生まれる時にはお母さん猫が呼びに来ました。お腹をさすってあげたり、全部生まれるまでずっと一緒についていました。小学校の頃からお産婆さん役をしていたのです」と、微笑んで話をされた時には驚きました。逆児で難産だった時は、お母さんとふたりで必死に子ねこを取り上げたそうです。強い兄弟猫に押しやられて、なかなかお乳を飲めない弱い子ねこは、弟さんも自分のふところに入れて温め、授乳や排泄もさせてりっぱに育てたというのですから、櫻井家のみなさんの、猫との向き合い方は筋金入りです。
猫嫌いだったというお父さんですが、最後に白い子ねこ生まれた時に「白猫は神さんのお使いやから、よそにはやらん」と猫好きに鞍替えされ、その猫は20歳という長寿を全うしたそうです。
櫻井家には犬もいましたが、白猫が亡くなった後にやって来た黒トラねこと、とても仲が良く、黒トラが亡くなった時は、一週間くらい、その姿を探し回っていたという話や、お母さんが亡くなった時、そのわんちゃんは、ずっと側にいて4日間ごはんを食べなかったという話を聞いて、胸がいっぱいになりました。みんな本当に家族なのです。
サクラヤのあたたかい空気感は、猫本がたくさんあるからだけではなく、猫や犬と一緒に暮らし、気持ちを通わせた家族として最後まで見届けたことから生まれていると感じました。

猫が人の輪を広げてくれる、ゆるい場所

猫本サロン サクラヤの店内
映さんは「私は書店の仕事の経験がないし、本について知らないことが多いけれど、お客さんに教えてもらって、いろいろなことを知ることができました」と語ります。「こういう本はありませんか」と聞かれると「どこかにあるかなとお客さんと一緒に探したり」と笑います。このゆるく、それでいて親身な接客もサクラヤの魅力です。猫好きのためのマニアックな店というより、だれもが気軽に立ち寄って楽しく過ごせる場所です。
保護猫活動をしている人やボランティアで読み聞かせをしている人もやって来ます。「年齢がいって本を読むのはしんどいけれど、絵本は楽しくていい」と、時々顔を見せる人、常連の小学生のお母さんが一緒にやって来て「楽しい本屋さんですね」と安心したように言ってくれるなど、様々な人がやって来て、お客さん同士が親しくなることもしばしばとのことです。「外国の人でも猫好きな人は入って来た瞬間にわかります。言葉は話せなくても気持ちは通じますから、飼っている猫の写真をスマホで見せてくれて、一緒に笑ったり。人との出会いが本当に楽しいです」と映さんは語ります。
サクラヤの猫の絵本
将来、本のあるカフェを開きたいのでと、2、3か月ごとに猫の写真集を揃えている人もいると聞きました。そんな夢も育つ猫本サロン。学生時代、旅先から「櫻井金太様」と、猫の名前で絵葉書を送ってきたというオーナーのロマンと夢は続きます。映さんは「母が生きていたらきっとこの店を喜んでくれたと思います」と感慨を込めて続けました。オーナーの仕入れる本は、ますます増え、並べきれない本がまだたくさんあるそうです。
昨今は人通りが減り、少しさみしい日々ですが、多くの人が猫本探しや猫談義で盛り上がることができますように、一日も早くコロナウイルスと猛暑の影響が収束することを心から願っています。

 

猫本サロン 京都三条サクラヤ
京都市中京区 壬生馬場町5-1(京都三条会商店街)
営業時間:11:00~17、18:00頃
定休日:月曜日

西陣に開店 どら焼き&クラフト

北野天満宮にほど近い千本中立売(せんぼんなかだちうり)界隈は「せんなか」とも呼ばれ、西陣織の繁栄とともに歩んできた庶民的な繁華街です。観光地や四条、河原町近辺の繁華街とはひと違う、奥まった濃い京都が存在する地域です。
その千中に先月、素敵なカフェ&クラフトショップが開店しました。店内には紙と染を中心としたオリジナル商品が展示され、自社工房で作られるレアチーズケーキやどら焼きを、香り高いコーヒーと楽しめます。
スタイリッシュでありながら、どこか職人気質を感じるその店「天御八(てんみはち)」へ伺いました。

伝統的な味わいを大切にしながら、自由に

天御八の看板
「天御八(てんみはち)」という個性的な店名は、清水寺参道にある既存店「天」から一字取り御八は「おやつ」。しかしそのままおやつではおもしろみに欠けるので、読みは「みはち」としたそうです。店舗は、喫茶と雑貨の企画・デザインのメーカーである羅工房が、以前から工房としていた建物の一階をリノベーションし、自社で営業を始めました。
天御八の張子の猫
店内にディスプレイされた様々な紙の雑貨が、目を和ませ楽しい気分にしてくれます。とぼけた表情の張子や、手摺りの味わいのあるぽち袋や金封、何を入れようかと心が躍る小箱など、自社で企画・制作しています。
企画展として開催中の「かばんいろいろ展」では、シルクスクリーンや手描き、ステンシルなどの技法のおもしろいかばんに加え、インドシルクに手刺繍、刺し子などアジアの魅力ある手仕事も紹介しています。

中尾憲二さんとご家族
中尾憲二さんとご家族

羅工房の代表、中尾憲二さんは陶芸、飲食店、手漉きの紙雑貨、染めを手がけるなど、多方面にわたって仕事をされてきました。多くの作家さんと組んで暖簾の制作をするなど、プロデューサーとしても力を発揮しています。「桜」をテーマにした暖簾展は、会場を鹿児島から段々と桜前線のように北上する、日本の季節感と呼応したすばらしい企画も実施されました。
また、ものづくりについて共感し、刺激し合う間柄の石川県の呉服店と、昨年11月、のれんやタペストリー、パネルを一堂に展示した、圧巻の「百の絵展」も行なわれました。「作家」という定位置に納まらず、制作を続けながら、30年前にメーカーとして会社を起ち上げた中尾さんの行動力と決断は、天御八の開店にも発揮されています。
清水店は、コロナウイルスの逆風を受け、半年前には夢にも思わなかった状況ですが、そのなかで、伝統的な味わいや季節感を大切にしながら、和の文化を今の暮らしのなかに生かせるものづくりを追求しています。
そして「天御八」が「千中の、てんみはち」として親しまれるお店になるように、地元のみなさんの息抜きの場、他愛のない世間話ができる場となるようにと、汗を流す毎日です。

心強い、ご近所さんからの応援

天御八のある千本中立売
天御八のお店のある、千本通りの界隈は、古くは平安京の中心であり、豊臣秀吉の時代には聚楽第が造営された歴史ある土地柄です。
西陣織の織元や職人のまちとして栄え、チンチン電車が通り、飲食店や寄席、映画館などが建ち並んでいました。庶民的な親しみのある繁華街で多くの人が「千ぶら」を楽しみ、それはそれはにぎやかだったという話を聞くことは、以前はさほど珍しくなかったように思います。今は商店街の店舗も減り、人出も少なくなってはいますが地元の方が子どもの頃から行ってた店や、気取りのない雰囲気はまだまだ残っています。

天御八の外観
ガラス戸が素敵な天御八の外観

天御八の店舗の工事を始めた頃、近所のみなさんは「引っ越してしまうのやろか」と心配されたそうです。コーヒー屋さんとわかってからは、「がんばってや」「ここ何屋さんかわからんし、帰らはった人がいるし看板出したらどうや」などと、親身な助言もいただいたそうです。

天御八の内観
店内は木材を多く使ったシンプルなつくりの、今の雰囲気を感じるおしゃれな空間になっています。道路に面した扉の全面が波板ガラスで、外の風景が映像のように映ります。アンティークの風合いのランプシェード、ドアや壁にはめ込まれたステンドグラスなどは、中尾さんとご家族で、お店を回って探して来たそうです。コーヒーで一服し、ショップスペースを見て、一人でのんびり過ごすもよし、友達とおしゃべりを楽しむもよし。こんなお店が近所にあったらいいのになあと思う空間です。
お店へ来るのに、着替えて来られたお客さんもいたそうです。もちろん、気軽にげたばきで来られるお店がいいと思いますが、ちょっとおしゃれをしてお茶の時間を楽しむ。そういう喫茶店の使い方もすてきだなと思いました。お客さんの個性が交ざりあって、天御八というお店の個性も表れてくるのが楽しみでもあります。

スタイリッシュで職人気質の「家業」

天御八のどら焼き
お店におやつをイメージした名前をつけたことからもうかがえるように、厳選したコーヒーとともに「甘いもの」に力を入れています。飲食部門担当は、息子さんの凜さんです。清水店での経験を積み、今回は「どら焼き」に取り組みました。皮の微妙な焼き具合に苦労し、試行錯誤の末、出来上がったどら焼きはおやつを楽しむ天御八の看板です。中のあんにも工夫を加え、5種類が完成しました。うち一種類は季節のどら焼きで、この季節は粒あんに柑橘系の寒天との組み合わせが秀逸です。
天御八のキューバサンド
また、お客さんからの要望もあり、ランチタイムも楽しんもらえるよう「キューバサンド」の新メニューが登場します。チーズ、ハム、ローストポークにピクルスが定番ですが、凜さんはここに新味を出し、柴漬けとべったら漬け、白みそを使っています。マヨネーズには辛子に柚子胡椒を加え、これもまた風味があり、単なる添え物と言えない仕上がりで、すべてに手を抜くことがありません。和風味のおいしさも食べ応えも十分です。
取材でうかがった日は、スタッフの坂本圭さんがメニューの撮影中でした。ホームページやSNSの、美しく情感のある写真は坂本さんの撮影です。
来年の干支のカレンダー
ショップコーナーには、早くも来年の干支「丑」のカレンダーがありました。これは娘さんの清(さや)さんのデザインとお聞きしました。新鮮かつ日本の伝統色を思い出す色使いが印象的です。奥さんの幸恵さんも染めの仕事をされてきたそうで、商品についてもとても詳しく、ていねいに説明してくださいました。手摺りのぽち袋や金封、はがきも様々なデザインがあり、それを楽しむことができるのも、このお店の魅力です。
ぽち袋が並んだ天御八の店内
中尾さんは、お祝いの心を表す金封や、感謝やお礼の気持ちをさらりと渡すポチ袋など、この文化をぜひ、受け継いでほしいと語ります。SNSは、とても便利で伝達手段で、今では誰でも使うと言っても過言ではありませんし、なくては困ります。それは必要として使いながら、手紙やはがきにしたためた便りを送るということも、大事にしたいと思いました。家にいる時間が多くなった今、手仕事の味わいを感じるはがきや、ぽち袋の新しい使い方が生まれて来るように思います。
取り澄ました感じがなく、居心地が良い天御八に「家業」の良さと「京都の生業」の精神が脈打っていることを感じました。京都のなかでも「ディープ」な場所にあるスタイリッシュなお店のこれからが楽しみです。

 

天御八(てんみはち)
京都市上京区一条下ル西側中筋町19-84
営業時間 10:00~18:00
定休日 水曜日

京都のお花屋さんは 町家とフランスの粋

京都のまちなかの細い通りに、様々な緑にあふれ、個性的でありながら自然な感じの花屋さんがあります。よい風合いに錆びたプレートにペンキで記された「noix」とは、フランス語で木の実、くるみのことです。店主が学び、今の仕事の礎となった、フランスアルザス地方の風土のすばらしさへの敬意と思いが込められ、かけがえのない体験につながる名前です。
ノアはお豆腐屋さんの向かいにあります
京都の町並みにしっくりなじみながら、外国の町角のような雰囲気も漂わせるノアの魅力と、京都の生業のしなやかな強さを、花屋四代目、丸山沙記さんの言葉を借りてお伝えします。

花屋の実家を自らリノベーション

ノアの店頭
上長者町(かみちょうじゃまち)猪熊東入る(いのくまひがしいる)。歴史のある、いかめしい名の町内にノアはあります。丸山さんが生まれ育った実家を店舗兼住まいにしている、まさに職住一体の花屋さんです。
高校の園芸コースへ進み、専門的に学んだことを生かし、鉢植えや草花について、お客様に適切なアドバイスができます。店内にも外にも大胆に緑が配され、高い天井や窓の取り方など、ここが町家であるとは思えないモダンかつ古き良き時代の趣きもある空間となっています。
シックな水色の壁がおしゃれな店内
3年前、烏丸にあった店舗を移転し戻って来た時に、思い切ったリノベーションをしました。構造的な大きなところは、工務店さんにお願いしましたが、もともとインテリアが好きだったこともあり「できることは自分でやろう」と壁や天井のペンキ塗りや表の花壇は、自ら手掛けました。花壇つくりに孤軍奮闘していたところ、工務店の職人さんが見かねたのか「やったるわ」と、助けてくれたそうです。
ノアの店主、丸山さん
丸山さんは、華奢でやさしい雰囲気のなかに、強い思いやパワーを秘めた方とお見受けしました。それがお店の空間やディスプレイに表れ、訪れる人を「また来てみたいな。次はどんなものがあるのかな」という気持ちを抱かせるのだと思います。
お客様の好みもその時々で変わり、今はグリーン多めの草花系や、ドライフラワーにできるものを相談されることが多いそうです。花束やアレンジなど「自然ぽく」というのは一番難しいとという言葉も理解できる気がしました。また、花は実際の季節を先取りして店頭に並びます。「来る季節を待つ」という、日本人の感性である季節の楽しみ方について「季節ものはテンションが上がりますね」と語りました。
アジサイやバラなど色とりどりの花
花の種類の多さや微妙な色合い、それぞれの花に合った水揚げの仕方など、日本は栽培農家のみなさんがとても頑張っていてくれると、敬意を持って話されました。
また花屋も同業者同士、仲が良く、1店舗ではロットが多くて無理な花は、ほしい店で分け合うなど、協力し合っているそうです。以前は「競争相手」とみなしていた間柄だったそうですが、若い世代の人たちが参入することで、今は良い方向に変化し、発展しているのだと感じました。

フランス アルザス地方で培われたデザイン


丸山さんは、フランスのアルザス地方の花屋さんで働き学んだ経験があります。クリスマスツリー発祥の地と言われるストラスブールに近い村で、秋から冬の数か月を過ごしたのです。パリよりドイツやスイスのほうが近いという、日本人は一人もいない村で「日本人がいる」と、噂になったくらい日本とは遠い地です。よくぞその地へ一人で行ったと、その行動力に感嘆します。
クリスマスイブまでの約4週間を「アドベント」と言い、家々にはリースやオーナメントを飾り、ろうそくを灯し、この時だけのお菓子を食べたりして楽しく過ごすのだそうです。一年のうちで一番にぎやかで楽しい時のようです。この期間の花屋さんの店内は、それぞれドライフラワーや木の枝や実を使った手づくりのリースや吊り提げ型のスワッグや様々な飾りでいっぱいになるのだそうです。
息が白い寒いアルザスの冬、色とりどりのリースやオーナメント、ろうそくの灯はどんなに美しいでしょう。この時はまだ日本では、スワッグはもちろん、リースも一般的には知られていませんでした。丸山さんは伝統的なクリスマスリースやオーナメントの作り方など多くを学んだのでした。

「言葉のこともあるし、よく一人で行れましたね」という問いには「フランス語は1年くらい勉強しましたが、片言で話しているうちに段々お互いのことを知って通じるようになるのです」また「なだらかな丘が続いて、そこに羊の群れがいたり、かわいい家の集落があって、また丘があってという風景で、移動する時でもいつでも飽きるということはなかったですね」と語りました。
そしてノアの店名については「部屋を借りていた家に大きなくるみの木があったのです」と、目を輝かせて教えてくれました。独立してつくったお店の名前に本当にふさわしく、源なのだと感じました。

朝8時開店。お仏花もギフトも配達もあり

ノアの店頭
ノアは、定休日の木曜と月曜、金曜を除いては毎朝8時に開店します。朝早く開けるのは、ご近所のおなじみのお客様がお供え用の花を買いにみえるからです。こんなに早いのは大変と思いますが、丸山さんは「家と店が一緒なので、朝ごはん食べててもお客さんがあれば、すぐ出ていけますから、特別にどうと言うことはないのです」と、実にあっさりと答えが返り「住まいと店が一緒というのは便利です。私が配達や仕入れでいない時は、アレンジなどは無理ですが、それ以外のことなら家族が対応できますし、夜の配達にも行けます」と続けました。
ご近所の方がくれた古いミシンをディスプレイにご近所の方がくれた古い金庫をディスプレイに
ノアのインテリアは、全体に経年変化の味わい、あたたかみのようなものが感じらます。実際に古いラジオ、ミシン、頑丈な金庫などがディスプレイされて、いい雰囲気をつくっています。ラジオはおじいさんが使っていたもの、ミシンと金庫はご近所の方からの頂き物です。高齢のご近所の方が金庫を見て「こういうふうに使こうてるの」と感心されたそうです。その情景を思い浮かべると微笑ましくなります。
アンティーク風の空き缶を使った植木鉢
アンティーク風の植木缶は、「家族にも手伝ってもらいました」という、ペンキを塗りコラージュを施したオリジナルです。好きな缶を選んで好きな植物を植えて楽しむ人も多いそうです。また「一輪挿しに飾りたいので、1本だけでもいいですか」という方も増えているそうです。このような楽しみ方や、フランスのように、手みやげやちょっとしたプレゼントに気軽に花を贈ることが多くなればと思います。
丸山さんがインスタグラムにあげたアレンジメントなどを見て「こういう感じに」という注文も入るそうです。

花や緑のある暮らし、花で知る季節感、お仏花など暮らしの習わしとともにある花。ノアは、それを満たし、何でも相談できるうれしい、まちの花屋さんです。

 

Noixノア
京都市上京区上長者町通猪熊東入る杉本町462
営業時間 月・金 11:00~19:00
     火・水・土 8:00~19:00
     日・祝 8:00~17:00
定休日 木曜日

雨の季節の西陣の京町家 古武邸

日本には、季節や時間などにより細やかに表現された、400を超える雨の名前があると言われています。西陣の京町家、古武邸の庭の木々や敷石もしっとりと雨に濡れ、この季節ならではの趣をかもし出しています。
暴れ梅雨が早く収まることを祈りつつ、古武博史さんに話をお聞きしました。

面倒でも代えがたい、季節を知る楽しさ

古武邸表座敷の葭戸
伏見の旧家が建て替えでもらった葭戸が使われた表座敷

久しぶりに訪れた古武邸は、使い込まれ、飴色の艶を放つ葭戸や網代など、今年もきちんと夏のしつらいがされていました。昨年、お盆の行事を取材させていただいた折りには(西陣の京町家 古武家のお精霊さん迎え)お供え物があげられていたお仏壇は扉が閉じられ、床の間には「幸有瑞世雨」という、この季節にふさわしい軸が掛けられています。
幸有瑞世雨の掛け軸祇園祭の鉾とちまきを描いた色紙

訶梨勒(かりろく)
蝉の訶梨勒(かりろく)
西陣らしい繭の訶梨勒
西陣らしい繭の訶梨勒

鉾とちまきを描いた色紙や古武さんのお知り合いの方が作った和紙のミニチュア鉾、「訶梨勒(かりろく)」という、平安時代から魔除けとされた柱飾りなど、何となく華やいだ雰囲気も漂っています。この日飾られていた訶梨勒は、蝉と西陣にちなむ繭でした。

二階の座敷のほの暗いなかに浮かび上がる、萩の枝の戸や「四君子」の欄間の、陰影をたたえた美しさは、京町家が育んできた文化と美意識を端的にあらわしていると感じます。
欄間の端のモダンな雰囲気の意匠は、桂離宮の月を抽象化したデザインにならったものだそうです。古武さんはそのことを、見学に来た人から教えてもらったそうで「建築や庭園の研究者、大工や庭師の職人さん、いろいろな人が来るので、この歳になっても教えてもらうことがたくさんある」のだそうです。
奥座敷の廊下の、建てられた当初の建具そのままの戸が、長雨の湿りや、家にも歪みが出てきていることから、片方うまく開け閉めできなくなってしまったと笑って話されました。

古武邸の中庭

庭に敷かれた丸い白石は、汚れたり苔が付いたりするので、時々洗っているそうです。このほんの一例が示すように、町家を維持していくには、この上なく面倒なことがたくさんありますが、古武さんは「できることはするが、無理なことは無理」とさらりと言いながら、町家への情熱は衰えることを知らず、その手間暇には代えがたい、四季折々の発見を楽しんでいます。

店玄関に置かれたがっしりした、たんすは職人だった古武さんのおじい様がつくられたと聞き、つくった人が逝ってもなお生き続ける、職人の力が満ちた、迫るような存在感でした。

庶民の暮らしが回る「文化経済力」

上杉本洛中洛外図屏風の複製
離れは床のしつらいとともに、国宝に指定されている「上杉本洛中洛外図屏風」の四分の一の大きさの複製が置かれています。古武さんはこの複製屏風を使い、応仁の乱後の京都について語る企画を長年続けています。織田信長から上杉謙信へ送られたと伝えられ、老若男女、身分や職業を問わず約2500人もの人や都の四季が、生き生きと描かれています。夏は祇園祭の鉾、対極の冬の場面には雪の金閣寺が見えます。
上杉本洛中洛外図屏風の説明をする古武さん
当時の暮らしや生業がわかるこの屏風絵を古武さんは「その時代の縮図」と表現します。そして「450年前に描かれた図で、今の町並みを説明できるのがこの西陣を中心とする地域なのです」と続けました。そして、町家を維持するにも、資材の調達には林業、農業、園芸、それをかたちづくる専門の職人の存在が欠かせないと繰り返し強調しました。そこがうまくまわっていれば暮らしが成り立つ、庶民の暮らしが成り立つから、西陣をはじめとする伝統産業も継承できる仕組みがあったという、循環型経済です。1200年の地層のように、京都にはその蓄積があること、それをどう生かしていくかを、みんなで考える時が今と語りました。
古武邸の柴垣
古武邸の庭や建物を管理してくれてきた職人さんは90代になっているそうです。庭の柴垣も手を施さないとならない状態なのですが、材料も職人さんもいないという現実です。古武さんはその厳しい現実に直面していることと併せて、町家の文化と空間を多くに人に伝えたいと、新しいつながりに希望を見出しています。

古武邸を拠点とした明るい変化

古武邸
古武邸のご近所には、古くからの西陣の織元があります。和装産業も厳しさを増すなか、織屋さんも減少していますが、この状況を自ら切り開いていこうという動きも生まれています。西陣織の織元さんから、帯の展示会の会場に使わせてほしいと相談を受け、実現されました。古武さんは30年やってきて初めてのことと、驚きと喜びを隠せない様子でした。

また、座敷を会場に、謡曲を朗読形態で謡い、表現する「謡講(うたいこう)」が催されることになりました。これは、昔から京都で盛んにおこなわれ、楽しまれていたそうです。題して「謡講・声で描く能の世界 京の町家で うたいを楽しむ」です。元禄時代から続く、京観世の芸統を受け継ぐ一門のみなさんが出演されます。古武邸のすぐ近くには、観世家ゆかりの観世稲荷社と名水として知られる観世井があり、18年ぶりに行われるという謡講に本当にふさわしい会場であり、すばらしい出会いです。

古武さんは「経済や暮らし方が大きく変化し、高齢化が進むなかで、町家をこのまま残すことは難しい。では、どうするか。どうしていけば、この地域に住み、暮らしていけるのか。みんなで50年先、100年先のビジョンを考え、意見を交わす時です。未来はまず、今生きている私たちが考えんと、と思っています」と力強く語りました。
古いもの、歴史的建造物や文化を継承するためには、多くの人が係われる新しく楽しいことも必要です。みなさんもぜひ、古武邸で雨の匂いや濡れて美しい色を見せる庭石、ほの暗さの中に浮かぶ葭戸や欄間など、京町家の魅力を感じてください。建都も、町家の補修、継承など、住み続けられる住環境を守るために一層力を尽くしてまいります。

京都青谷 広がる楽しい梅つながり 

今年3月に「東風吹かば梅香る 京都青谷の春」でご紹介した京都府南部城陽市の青谷地区では、稀少種の「城州白(じょうしゅうはく)」や「加賀白」「南高梅」など梅の収穫に追われる日々が続きました。
田中保夫さんが経営する梅工房では、年々注文が増えている青梅の発送、梅干しや梅シロップ作りなど、寝る間も惜しむほどの忙しさですが、城州白特有の甘い香りが漂う作業場は、あわただしくも明るい活気にあふれています。大切に育てた「掌中の珠」のような、青谷の梅を仲立ちにした新しい輪が広がっています。

地域内の連携で、一粒たりとも無駄にせず


去年は梅が不作で、梅工房でも思うような量を確保することができませんでした。そして今年も、実の付きがあまりよくなく、近所の農家さんでも同じことを言われていました。
花が咲くのが早く、受粉がうまくできなかったのではないか、ミツバチそのものが少ないのではないかなどの原因が考えられています。
青谷が梅の産地であること、城州白が大粒で香りが良いことなどが知られるようになり、梅工房でも青梅での注文が年々増えています。実際、店舗へ買いに来られた方の第一声はみんな「わあ、いい香り」そして「城州白は香りが良くて、ふっくらした最高の梅干しができます」と、その魅力を語っていました。
収穫した城州白
しかし、今年の収穫量も少ないとみて止む無く一旦、青梅の注文受付を中止したところ、コロナウイルスの影響もあり、大口の製菓材料など、行き先をなくした梅が大量に生まれ、引き取りを依頼されました。田中さんは「農家さんが土作りや草刈り、剪定など一年通して手をかけ、やっと収穫できた大切な梅を一粒も無駄にしたくない。うちも、ほしいと言ってくれるお客さんを断らなくてすんでありがたい」と力を込めました。
今回のような「梅余り」が、今後も起きる可能性はあります。個別の問題ではなく、地域課題としてとらえ、みんなで解決の方法を探ることが、安心して梅作りができる環境と、特産の梅を守ることにつながると思います。そうした積み重ねのなかで、担い手も生まれてくるのではないでしょうか。

新しく頼もしい力が変化を起こす

城州白の選別城州白の選別
一つ一つていねいに手もぎした梅は、すぐに次の作業へと移ります。選果場で大きさ別に分けられ、その後工房でもう一度、人の目によってチェックし、秀・優など等級も仕分けしていきます。注文に沿って、梅の品種、サイズ、等級で選び出し計量、梱包となります。直接引き取りに来るお客様には、すぐに間違いなく渡せるように万全の準備がされています。同時に梅工房の梅干し作りも進めていきます。梅は畑から収穫されてきた後「こんなにたくさんの手作業があって、やっと人の手に渡るのだ」と感じました。

普段は別の仕事をされている4人の女性の、きびきびと立ち働く姿や、お客さんが入って来た時、作業中でも「こんにちは」「いっらしゃいませ」という、きりっとしたあいさつも、工房内に気持ちの良い雰囲気をつくっています。黙々と、きちんと丁寧な仕事をしている若い男性スタッフも一緒に息の合った仕事ぶりでした。
自分達で段取りや仕事量を考えてながら作業を進めていく、仕事のとらえ方や姿勢は、業種に関係なく、基本は同じということを改めて感じました。梅工房から離れた幹線道路沿いの梅畑に看板を立てて、梅を売ろうという提案もされています。今年は残念ながら実施できませんでしたが、来年に向けて実現したい企画です。
そして、みなさんの梅の扱いが手馴れてきて、何と言うか、梅への思いも深まっているように感じられました。こういうかたちの、青谷の梅の支え手が増えていけば、すばらしいと思います。梅農家とともに、梅の関連の雇用も生まれる循環は可能だと思います。

梅から生まれる「塩梅」のいいつながり

城州白の収穫

青谷の城州白を使い、京都の老舗製菓会社が開発した青梅金平糖

梅工房の梅を使った商品開発をされている、製菓業や飲食店運営・サポート等の事業を行う会社の方が参加して、収穫体験が行われました。どこで、だれが、どんな畑でどのようにして育てているのか、農作物の源流と素顔を知るという、とても大切なことを実践されています。このような企業が増えてほしいと願います。

インターネットで検索していて、たまたま知って大津から来たという小さなお子さん連れの30代前半と見えるご夫婦は、5㎏の城州白をお買い上げ。「毎日のお弁当に使う分くらいは自家製で」と毎年梅干しを漬けていると聞き、暮らしの知恵や技術はちゃんと受け継がれているのだなあと、感心すると同時にうれしく思いました。

青谷梅工房のインスタグラム
梅プロジェクトのみなさんが運用している青谷梅工房のinstagram

若い世代では、龍谷大学深尾ゼミ「梅プロジェクト」のみなさんが去年から活動を始め、自分達の視点で青谷地域と梅の魅力を発信しています。炎天下での梅の収穫も体験しました。なかなか大学での直接会っての授業やゼミ活動ができないなかで、地域と産業の関係、暮らしの在り様などについて考え、梅レシピをアップするなど、一生懸命青谷の梅を盛り立てています。こういった様々なかたちでの、地道なかかわりが今後も継続し、また新しく生まれていくことが、地域と産業・生業を応援することにつながると思います。
地域に根付く生業は、地域とそこに住む人の幸せにつながります。青谷はおしゃれな店や大型店はないけれど、地元に暮らす幸せ、仕事や働くことの意味を教えてくれます。青谷はそういうところです。
梅工房特製の、梅シロップは間もなく、今年漬けた梅干しは10月に店頭に並ぶ予定です。どうぞ、お楽しみに。

 

青谷梅工房
城陽市中出垣内73-5JR山城駅徒歩5分
営業時間 9:00~16:00
定休日 日曜・祝日

 

龍谷大学深尾ゼミ 梅プロジェクト

京都におもしろい 印刷会社あります

デジタル化が進み、読書や新聞もタブレットやスマートフォンという人もめずらしくなくなり、以前は町ごとにあった「名刺、はがき承ります」という印刷屋さんもあまり見かけません。「紙が好き」な者にとっては、さみしい思いがします。
しかし「紙と印刷」はしっかり存在しています。印刷は進化し、紙の手ざわりとも相まって、表現の豊かさは広がっています。新旧の機械と職人さんの協働で「こんなことができるの」と、目を見張る印刷物が生まれています。紙とインクの匂い、印刷機のまわる音。「京都でおもしろい印刷やってます」は商標のごとく、本当におもしろい印刷会社、「修美社」を訪ね、三代目の山下昌毅さんに話をお聞きしました。

「おもしろい」に込められた意味

今も活版の活字を使っての印刷やワークショップも行なっています

京都は印刷屋さんが多いと言われてきました。それは京都が寺社・仏閣、大学のまちであり、必然的に印刷の需要があり、技術も優れたいたことがあげられます。
修美社は、山下さんの祖父で、現在、会長を務める山下修吉さんが、活版職人として腕をみがいた後に独立し、自宅を改装して開業しました。社名は、ご自分と妻・美代子さんの名前から一字ずつとって名づけられました。勢いのある新しい時代に、自分たちで切り開く印刷という仕事へのふたりの思いが込められています。初めて受注した名刺が無事できあがった時の喜びは、修美社のみなもとです。以来60年、創業の地で変わらず印刷業を営んでいます。

1960年代と言えば、ドラえもん、ウルトラマンなどテレビアニメの放映開始、東京オリンピック、東海道新幹線開通など高度成長期の話題に事欠かない、何事においても旺盛な時代で、印刷業も技術革新が進みました。修美社は、この急激な変化に果敢に対応しながらも「人に喜ばれる仕事という原点は、ぶれることはありませんでした。山下さんの父親で、現社長の泰茂さんも一緒に仕事をするようになり、新しい機械を導入し社員も増やすなど会社組織として地盤を固めていきました。

山下さんは、自宅が印刷所という環境で育ちました。両親ともに仕事で忙しく、夜に「これ、頼むわ。なんとかして」と持ち込まれる仕事も断らず仕上げることもしばしばでした。家業を継ぐ気はなく、雑貨屋さんで働きながら、デザインの勉強をしていましたが、段々と家業への道が敷かれ、ついに2005年に入社しました。まわりの同業者からは「えらい業界へ入って来たなあ」「覚悟はあるんか」という言葉で迎えられました。「それなら、おもしろくやってやろう」と心に思ったそうです。しかし最初の3年間は、泣きながら印刷機を動かす毎日でした。「自分の進む道が見えていなかったのですね」と、その頃をふり返ります。

それから製版や印刷デザイン、断裁という工程の仕事ができるようになり、会社という組織や経営に必要なことが理解できたそうです。それは夢をあきらめたのではなく「印刷はおもしろい」と実感し、印刷を通して多くの人と出会い、新しいことに取り組み、それが自分の進む道だという確信でした。どんなところがおもしろいと感じたのですか、という質問に「紙にインクがのって、しゅっ、しゅっと出てくるんですよ。それってすごいですよね」と、いまだに印刷への興味は尽きないといった感じの答えが返ってきました。
印刷はインクの練りや機械の調整、湿気の多い日の紙の具合など、すべての工程に微妙な加減が不可欠であり、それは経験を積み、ベテランの域に達した職人さんだからこそ可能なことです。修美社は総勢14名。今は、ちょうどベテランと若手のバランスがとれていて、技術が次世代へと受け継がれています。おもしろいと思ってつくっている印刷物は、お客さんも「これ、おもしろいなあ」と喜んでくれます。それぞれの持ち場にかかわる社員みんな、そしてお客様も「おもしろい」を実感し、共有しています。

修美社の三代目、山下昌毅さん

山下さんは「おもしろいということは、単に修美社の事業のことだけではないのです。やはり人に喜んでもらう、だれかのためになるということ、印刷でできることは何か、そこを大切にしていきたいと思います」と語ります。
コロナウイルスの自粛要請により、大変な状況にある飲食店を応援しようという企画にも積極的に参画し「テイクアウトチラシ」「前払いフリーチケット」を共同してつくり、とても励みになったと喜ばれています。社会的にも「印刷でできること」の可能性を広げています。修美社の「おもしろい」は、これからも変化し、深くなり、進化を続けます。

行き場のなくなった紙の「生き場」をつくる


印刷の製品には仕上げの段階で「紙出(しで)」と呼ばれる、文字通りの、余り紙や切れ端がたくさん出ます。通常はまとめてリサイクルにまわされ、再生紙になってまた印刷所へ来ます。
原料となる木がいろいろな工程と人の手を経て紙になったのに、そしてまだ使えるのに、最後まで使命を全うできない紙が多くある、これを減らしたいという思いで有志が集まり、チーム「Noteb」をたちあげ、紙出を使ったワークショップや商品開発に取り組んでいます。そこから「星屑ノート」「印刷屋さんの星屑」「試行錯誤」が生まれました。いずれも、紙出を多くの人に知ってもらい、自由に生かす楽しみを見つけてほしいという思いが、まっすぐに伝わる商品です。

オリジナルの製品、カラフルな星屑ノート

星屑ノートは、種類、色、厚みも様々な紙が綴られています。この、紙を選んで揃える仕事を、ご縁ができた障がいのあるみなさんのクルーにお願いしています。みなさんとても楽しんで仕事をされているそうです。色や紙質の選び方など、メンバーそれぞれの個性や感覚があらわれているということです。ノートを手に取ると、一枚、一枚紙を選んで揃えている様子が浮かんできます。紙出は、行き先ができただけでなく、新しいつながりや仕事も生み出しています。この紙出の取り組みには、企業としての修美社の考えが明確に示されています。

ご近所のよしみと、人との出会い・つながり


修美社の界隈は、低層の家が並び「職住一体」のまちのたたずまいが感じられます。山下さんは今でも、近所のおっちゃんには「まさき」と呼び捨てにされる間柄です。
修美社の今日までをたどると「印刷機の音がうるさい」と近所から苦情があった時もありましたが、防音工事は複数回するなど、今の地で仕事を続けるために、ご近所と良好な関係を築いてきました。高度成長期に設備投資が進み、まちなかから南区の広い場所へ移転した印刷工場が多くあった頃です。

3年前、大規模な改修を行った時、山下さんが考えたことは「修美社へたくさんの人に来てほしい。そして印刷や紙のことを知ってほしい」ということでした。住居だったスペースを使って事務室と新たにショールームをつくり、打ち合わせや企画展もできるようにしました。センスが良く、今の雰囲気でありながら、京都らしい周囲の家並みに調和した建物です。外階段の植栽が通りにもやすらぎをもたらしています。
この改築には山下さんが親しくしている同級生や友人のみなさんの力を借りたと聞き、それで、建築主の思いが隅々まで行きわたっているのだと納得しました。

修美社では、他企業やデザイナーと組んで、装丁や印刷、書体などそれぞれの専門性を集約した美しい書籍や、普通の紙と普通のインクに新しい印刷のポスターを綴じ込んだ本など、美術印刷の領域の仕事も増えています。
「自社の商品で実験的なものもありますが、商品化した以上は売らなければなりません」と、その点がきちんとしていることも企業の経営を担う立場として、大切なことだと感じました。そして、社員さんのなかから出たアイデアで画期的な新商品がまもなく発表されるそうです。
常にやっていることをもっと広く簡単に、という考えは一貫しています。山下さんは入社して15年目。「ここでしか刷れない色の開発」を描いています。一人でも多くの人に「紙と印刷」のおもしろさが届くように願っています。
修美社はこれからも、近所のおっちゃんやおばちゃんが、夜かけ込んで来て「これ何とかして。頼むわ」と言われたら「わかった。やるわ」と引き受ける。そんな雰囲気をまとった、京都の印刷屋さんでいそうな気がします。

 

有限会社 修美社
京都市中京区西ノ京右馬寮町2-7
営業時間 9:00~17:30
定休日 第2土曜日、日祝

京都の竹林再生 幼竹がメンマに

5月に2回にわたってご紹介した、京都の西、乙訓の竹林では、来年も良い筍が育つように日々作業が行われています。
筍をとる親竹を選び、それ以外の「幼竹」を切る仕事も、待ったなしです。「京の伝統野菜」である筍の伝統的栽培法を継承し、乙訓地域の特徴的な景観である美しい竹林を守るための輪が、今、大きく広がっています。長岡京市の石田ファームと、向日市にある再生中の竹林での活動の様子をお伝えします。

厄介者の幼竹をおいしく加工する取組み


孟宗竹の筍の収穫が終わると、残った背の高いたけのこを切る作業は、成長して固い竹になる前「幼竹(ようちく)」のうちに切らないと処理が大変です。何しろ竹の成長は早くて、中には一日で1メートルも伸びることもあるくらいですので待ったなしの仕事です。そして、最近はこの幼竹を「純国産メンマ」に加工する取り組みが全国で広がっています。
石田ファームでは、この幼竹切りとメンマ作りが恒例となっていて、毎年顔なじみのみなさんが集まります。石田さんは「全国のラーメン屋さんに使ってもらえるメンマができるほどの幼竹。切っても切ってもまだある」と悲鳴をあげていました。

少し離れた竹林から軽トラックで運ばれてきた幼竹の皮をはがしていきます。主に2メートルくらいの大物を切ってきたので、皮もはがし甲斐があります。黙々と作業をします。ほとんど竹にしか見えないのですが、包丁を当てて、さくっと刃が入ったところから一定の長さに切り、湯がき、冷ましたところで塩漬けにし、重石を乗せて1か月ほどおくと、いい具合に水が上がり発酵します。

石田さんお手製のメンマ

今年はコロナウイルスによる自粛中でしたので、募集をすることはできませんでしたが、その代わりに希望者には「おうちでメンマ」セットを発送することにしました。塩漬けした幼竹を宅急便でその日に発送。作り方がよくわかるすてきなリーフレットもできていました。最初に伺ったときにごちそうになった「メンマ」も、塩漬け発酵したものを塩出しして味付けしたものだそうですが、とてもよくできていました。石田さんはメンマの商品化を試みていますが、小ロットで加工してもらえるところがなかなか見つからないと言われていました。乙訓の新しい名産にぴったりです。何とか商品化に漕ぎつけることができればと思います。


一方、向日市の竹林では2017年にたちあげた任意団体「籔の傍(やぶのそば)」のみなさんが、竹林整備を通して、様々な活動をされています。5月も末の日、朝9時から、にぎやかに作業を進めていました。この竹林は斜面にあるので、切り倒した幼竹を、作業をする平坦な場所まで運ぶのも一苦労なのです。指令があるわけでもないのですが、みなさん自然と分担ができて和気あいあいと仕事を進めていました。湯がいた幼竹を計るのに、参加者の方がヘルスメーターを持って来て、幼竹を持って人が乗り、その体重を差し引くという方法が何とも楽しげです。この日は38㎏のメンマ用幼竹ができました。

お昼には、お味噌汁が振舞われました。具は油揚げとお豆腐に、幼竹の穂先。そしてお椀はその場で切ってくれた青竹です。今ある物を工夫し、活かして使うという、暮らし方の基本も教えてもらいました。

世代をつなぐ活動で、よみがえる竹林

小学生も率先して仕事をしてくれています

任意団体「籔の傍」では、これまでに竹林整備を中心として、講演会、たけのこ堀り、たけのこお料理教室、竹かご編みなどを行ってきました。親子での参加も多く、顔なじみの家族も増えています。そして幅広い世代が参加していることが素晴らしい点です。
メンマ作り当日も様々な世代が交り合い、親戚が集まった大きな寄り合い的な雰囲気でした。包丁や火を使うこと、急な斜面の上り下りなど「危ない」と、心配されることが多いのではないかと思いますが、親子ともども伸び伸びと動いていました。
幼竹を担いで運んでくれた小学生の男の子は、竹皮のうぶ毛のチクチクで背中や腕が赤くなってしまったり、ずっと火焚き番をしてくれた男の子は、羽釜のふたを閉めたりずらしたり、火の加減を見ていてくれて、汗だくでした。おとなと一緒に作業をすることは、とても良い体験になるなと感じました。火の燃える匂い、目にしみる煙、竹の葉ずれの音、土の湿りなど、きっと心の奥にしまいこまれたと思います。

この竹林には、前回「暮らしの営みや 人とつながる建築の喜び」でご紹介した、京都建築専門学校の佐野先生と学生のみなさんがつくった玉ねぎ茶室のほかに、すべり台、ブランコ、シーソーなど竹尽くしの遊具もあります。茶室は子どもたちの、とても良い探検の場になっていました。この日も、佐野先生ご夫妻がみえてストーブの調子を見たり、パフォーマンスができるステージつくりのお話もされていました。これからどんなふうに進化していくのか楽しみです。
「籔の傍」では、6月28日、メンマ作りの先駆けとなった福岡県糸島市から「純国産メンマプロジェクト」の方のお話と「メンマ料理コンテスト」が企画されています。みなさん、どうぞ、ご参加ください。京都の竹林や環境について知り、考えるきっかけになれば幸いです。

 

 

石田ファーム
長岡京市井ノ内西ノ口19番1

 

任意団体 籔の傍(やぶのそば)

暮らしの営みや 人とつながる建築の喜び

手入れの行き届いた竹林に、土壁塗りの趣きのある建物が見えます。前回の「京都の筍はふかふかの畑で育つ」で、お話を伺った石田ファームの石田昌司さんが依頼し、京都建築専門学校のみなさんが取り組んでいる「山の竹林の道具小屋」です。
これがなぜ小屋なのと感じる、伝統構法の建屋です。去年の冬からあたためていた構想は、完成に近づいています。五月の風薫る良い日和のなか、壁塗りの作業が進められていました。

伝統構法の得難い実体験


伝統構法の建屋は、石田さんが管理する「山の竹林」の中腹にあります。今の季節は、来年筍を採る親竹にする竹に印を付けて残し、他の丈の伸びた幼竹は固くならないうちにどんどん切らなくてはならないので、出荷が終わっても筍農家は息つく暇もありません。石田さんは、この仕事をしながら、道具小屋の進捗を見守り、時々自らも作業をしています。

建築を担当されているのは、京都建築専門学校の校長、佐野春仁先生と教え子の学生のみなさんです。民家や古材文化について造詣の深い石田さんは、京町家に関する集まりで佐野先生と出会い、そこから「建築と竹」の協同の取り組みが始まったそうです。この道具小屋は、今年卒業したみなさんが仮組みや足場つくりから、寒い冬や雨の中でも作業を続け、卒業ぎりぎりまで取り組んだ、思いが込められた建物です。その後を後輩が受け継いで続けられています。とかくスピード優先、早く結果を求める今、こうして一つ一つの工程をきちんと積み上げていくことはとても大切なことだと感じます。

竹の合間から中のお茶会の様子がうかがえる堀川茶寮

建築専門学校では毎年学園祭に、学校近くの堀川の河川敷に「堀川茶室」を建て、数寄屋建築のお茶室の雰囲気を市民のみなさんに気軽に楽しんでもらう「お茶会」を開いています。先生の指導を受けながら、学生のプロジェクトがすべてを取り組んでいます。屋根に葺く稲わらは、京北町で自分たちではさにかけて乾燥させたものを、学校OBの専門の職人に習って葺き、荒壁の下地には石田さんの真竹が使われています。
にじり口や茶道口もちゃんとあるこの堀川茶室は、2009年から出展している学園祭恒例の企画で、秋の堀川の風物詩と言っても過言ではありません。お茶部、お花部による道具立てやお軸、お花などもすばらしく、若々しいお点前も雰囲気を和ませてくれます。

また、向日市の放置竹林対策に取り組むNPO法人の活動に協力して、竹林の中に「竹のお茶室」もつくりました。その形状から「玉ねぎ茶室」と名付けられ、お披露目茶席にはお子さん連れでの参加もあり、みなさん自然を満喫しながらの一服という、とても新鮮な体験を楽しんでいました。
学生主催のお茶席に寄せていただいていつも感じるのは、伝統の技術とともに、その背景や骨子となる日本の文化や自然への、しっかりした視点が養われていることです。そこから建築に対する深い思いが醸成されていくのだと思います。お茶室は、本当に豊かな学校生活を送っているからこそ可能な、かかわったみんなにとって、忘れることのない共同作品なのだと感じました。

人とつながり新たな価値を生み出す

青竹で作られた雨樋が付いています

さて、卒業生から引き継いだ道具小屋です。伺った当日は佐野先生と2年生の松井風太さんが、壁塗りに奮闘中でした。松井さんは、社会人として仕事に就いて後、建築専門学校に入学しました。「これまでの仕事とはまったく違う建築の分野を、年下の同級生と一緒に勉強するのは楽しいですよ。それと職人さんの仕事は本当にすごいですね」と、今の学校生活の充実ぶりが言葉の端々にあらわれています。

京都建築専門学校の校長、佐野春仁先生と教え子の松井さん

道具小屋の壁は、割った真竹を縦横に縄で編んだ下地に荒壁を塗り、その上に壁土を塗り重ねています。実際は難しいでしょうが、見ているぶんには同じ調子でスムーズに塗っているように思えます。しかし、壁一面を仕上げるには、体幹をしっかりさせて壁に向かうこと、また鏝の使い方などいくつものポイントがあるようでした。時々、佐野先生が進み具合を見てアドバイスされ、松井さんが真剣な面持ちで聞いています。集中しながらも伸び伸び作業する様子が伝わってきました。

途中で土練りの作業がありました。去年の夏に稲わらをまぜ込み発酵させた土に、もみ殻もまぜ、さらに古い土を入れて発酵を促したそうです。土はここの山の土です。佐野先生は運搬車を動かすのもお手のもの、追加する土を運んで来ました。筍栽培に使われる赤土粘土は壁土にも具合が良く、竹も自前の真竹という身近に調達できています。
佐野先生は「壁塗りは無心になるからいい。すっきり塗るのは難しいけれど、素人の農家さんが荒土で塗った風情かな」と楽しそうに話され、その気持ちが鏝の動きに表れているようでした。

柱と桁などの仕口を固定するため木材、込栓

この道具小屋は、見どころが多くあります。木材は、杉丸太の皮剥きをして、「はつり」という日本独自の方法で、ちょうなという斧のような道具で表面を削り、今回は最後に電気かんなをかけて仕上げています。防腐塗料は石田さん推薦の塗料で、なかなか優れものとのことでした。
柱や梁などは、込栓(こみせん)や鼻栓、くさびなど木の部材で止めています。またこのような技術以外にも、縦に通した竹の雨樋からホースを通して、雨水を貯水タンクに貯めるなど循環を考えた工夫を取り入れています。

佐野先生は「かつての家づくりのどの場面においても、関わっている人たちの間に共感が息づいています。様々な多くの知識とともに、根底にある建築する喜びを知ってもらいたい」と、学生へのメッセージを送っています。
石田さんと佐野先生と学生たち、かかわった多くの人が喜びをともにする「道具小屋」の完成が待たれます。壁や柱も年月を経て、いい味わいになっていきます。それも大きな楽しみです。建築専門学校で学んだ日々が、学生のみなさんにとってこれからの礎になり、それぞれのところで生かされるよう願っています。
建都も優れた伝統技術を継承する工務店さんや多くの職人さんとともに、今後いっそう京都の建築とまちづくりに寄与してまいります。

 

京都建築専門学校
京都市上京区下立売通堀川東入ル東橋詰町
174

京都の筍は ふかふかの畑で育つ

毎年待っている、淡い香りの白くやわらかい筍。京都では外せない季節の味わいです。春の初めの走りから、あたたかい雨を受けてぐんと成長する旬まで、時々の筍を楽しみます。
京都の西、乙訓(おとくに)地域は「京の伝統野菜」に指定された京筍の本場です。まだ地面から顔を出す前に、土の中から熟練の技で掘り起こします。「白子」と呼ばれるこの筍は、一年通しての手入れが欠かせない「畑」からしか収穫することはできません。
伝統の栽培方法を受け継ぎながら、多くの人に竹に親しんでもらう場としてのイベントの企画、竹パウダーなど新しい使いみちの開発、高齢化による放置竹林の整備など「日々是好竹」と忙しい毎日を送る筍農家三代目の石田ファーム 石田昌司さんに話をお聞きしました。

農薬・化学肥料一切なしの畑


筍は竹の若芽の総称です。成長が早いことから「十日」を意味する旬の字を当てたと言われています。出回る筍の多くは「孟宗竹」の筍で、江戸時代末期にはその栽培が急速に広まりました。乙訓地域の地質は、酸性の粘土質で水はけがよく、生育に適していることも好条件でした。明治35年、現在の京都市西京区、向日市、長岡京市、大山崎町の23か村にわたる筍組合が組織され、栽培方法が共有されていたことが記された文書が残っています。ずいぶん早くから地域の重要な農産物として育てていこうという先見の明があったのです。

石田ファームの石田昌司さん

こもれびがさし込む竹林は空気が違います。風にそよぐ竹の葉のさやさやという音や、すっかり上達したうぐいすのさえずりが絶え間なく聞こえてきます。取材に伺ったのは白子筍の最盛期で、石田さんは「うぐいすの声に耳を傾ける間もない」ほどの忙しさのなか、石田ファームだからこそのお話を聞かせていただきました。

白くやわらかな京都特有の筍は「京都式軟化栽培法」という伝統の栽培方法で育てます。春の収穫が終わると「お礼肥」を施し、筍を生む親竹の先を折って根と竹本体を守り、日当たりや風通しをよくします。その後6月には「さばえ」という細い竹の刈り取り、夏には肥料で養分を与えます。石田ファームでは有機肥料を使っています。秋は、古い親竹を伐採し、稲わらを敷きます。この稲わらは石田さんの田んぼで収穫されたお米のわらです。そして冬は、敷きわらの上に赤土粘土をを重ねる「土入れ」をすることで、ふかふかの布団のような畑になります。この土運びも重労働です。白子筍は短い間ですが、たけのこ畑の手入れは一年中の仕事です。

竹チップの堆肥とお手伝いにきてくれた美山町の岡さんファミリー

石田さんは農薬、化学肥料を一切使いません。竹林は有機認証を受けています。竹チップの堆肥は、奥のほうは、ほかほかしてあたたかく、かぶと虫の幼虫のベッドになっています。
竹林と隣り合う畑いっぱいに咲く白い花は、種を採るために植えられた「固定種」で、この地域のお正月を祝うお雑煮に使う、雑煮大根の花でした。固定種とは、先祖代々受け継がれ、農家が自ら種を採っています。昔ながらの味で個性がありますが、大量生産には向かず、病気にも強くありません。

有機栽培にしても固定種の種を守ることも手間はかかり、収量は少ないなど苦労されることが多いと思います。でも、これからは「作物は商品ではない」と消費者も認識する、双方向の関係がいっそう大切になってくると思いました。

お話が一段落したところで、石田さんのお父様、健司さんとご一緒になり、朝堀りの白子筍のごちそうにあずかりました。健司さんは今年の6月で94歳、3~4年前までは筍掘りもされていたと聞いて驚きました。「化学肥料を使わんと、ごま油の搾りかすをやって、土がええし、甘みがあってええ味や」と、土の大切さをしっかりした口調で話された姿は50年続くこの竹林を受け継ぎ、竹とともに過ごしてきた方のまぎれもない風格でした。
生まれて初めて、生の筍いただきました。石田さん曰く「りんごの食感と、とうもろこしの甘み」さくさく、しゃきっとして甘みと香りは果物のよう。初めて巡り合った滋味です。

掘るにも道具にも職人の技


やわらかい筍を土の中から掘り出す道具は乙訓独特のもので「ホリ」言います。長さは1メートルほどで刀を思わせる静かな鋭さがあり、先端はU字型になっています。土の中に刺しこみ、手に伝わる感触で筍と地下茎がつながっているところを突いて切り離し、てこの原理で掘り起こします。まさに職人技です。
父親の健司さんによると、ホリの先は一日で摩耗してしまいますが、鍛冶屋に渡せば夜なべをして次の日の朝には、またしっかり使えるようにしてくれたそうです。「昔はそういう鍛冶屋が村に一軒はあった」という話は、当時の乙訓地域の筍栽培の隆盛ぶりがわかります。
ホリをつくる職人さんも少なくなってしまったそうですが、石田さんが使っているホリは、まだ40歳くらいの職人さんの作です。

筍を入れるかごや運搬用の箕(み)などを作る竹細工の職人さんも少なく、手に入れにくくなっているそうです。以前は当たり前にあったものが、手間がかかるということでなくなる寸前になっている竹細工を、なんとか残したいと考えています。脱プラスチックが世界中の大きな課題になっている今、竹に光が当たる時がめぐって来たと感じます。

さて、いよいよ筍掘りの見学です。美山町の岡さん家族も一緒に筍畑へ入りました。乙訓地方では昔から「お客さんを座敷にあげても、竹藪には入れるな」という言葉があるほど、竹林を大切にしてきました。
「三方にひび割れが目印なので、そこを踏まないように。そこそこ」と石田さんに教えてもらいながら、踏まないように、おっかなびっくり目印に近づきました。石田さんは慎重にホリを使いながら、最後のほうは体重をぐっとかけて掘り出しました。

ヒビの中心に筍の先がほんの少し見えています


一日に何十キロもこうして傷をつけずに掘り出す仕事は、力もいるし、神経も使う、考えながらしないとならない、大変な職人技です。石田さんが言われたように、たけのこ農家は60代は若手と言われる現状で、畑つくりも含め、一貫して学べる養成講座のようなシステムが必要になると思いました。そして、環境に負荷のかからない循環型のたけのこ栽培を志す人が増えればいいなあと、竹の夢が広がります。

物々交換に似た関係が力になる


今回は竹や筍のことだけでなく、古民家や紙飛行機つくりなど趣味についても楽しい話を伺いました。吹き抜けになった二階の天井には、高校生の時に作ったという大きな工作飛行機が見えます。楽しそうにそして熱心に話す様子は少年のようです。このお人柄で、石田さんが言うところの「物々交換に似た関係」の輪がどんどん広がっています。
美山の岡さんご夫婦は、美山での獣害で全滅した「ねこやなぎ復活プロジェクト」がご縁で、たけのこ畑の作業などの手助けをしてもらっているそうです。「こういう関係が困った時に助けてくれるんです」とほがらかに語ります。

中央のメンマに加え、美味しい筍料理を色々いただきました

毎年ゴールデンウィークの最終日には、大きくなった不要なたけのこを切り倒し、その幼竹を使ってメンマ作りをするイベントが開催されます。メンマ作りは、今全国に広がっている、不要な幼竹の活用方法で、地域おこしや景観保全にも一役かっています。

少し離れたところにある、山の竹林に「茶室」建築中です。京都建築専門学校の校長先生と学生さんの協力でだいぶできあがっています。荒壁にはちゃんと竹が組まれています。昔のようにもっと身近なところで竹を使えるようにという願いも伝統工法によって活かされています。
石田ファームは、これから孟宗竹から、破竹(淡竹、白竹とも書く)そして、真竹のたけのこへと移ります。その合間を縫っての田んぼや畑の仕事も待っています。6月いっぱいまで気の抜けない石田さんですが、また助けてくれる人たちがやって来るでしょう。
「物々交換に似た関係」は、売り買いの場にも当てはまる気がします。作ってくれた人とお金というものと交換するものに感謝する。消費や経済にも、これからはこういうあり方が広がる可能性を感じた一日でした。

 

石田ファーム
長岡京市井ノ内西ノ口19番1

経糸横糸が織りなす 真田紐の可能性

掛け軸や茶道具を入れた桐箱に結ばれている紐と言えば「ああ、あの紐」と思い浮かぶでしょうか。経糸と横糸を使って機で織る織り紐であることが、真田紐と他の紐との一番の違いと言えます。
一番幅の狭いものは一分(約6mm)。この幅に決められた柄を織り込んでいきます。世界で一番小さな織物と言われるこの紐は、戦国時代には、甲冑や物資の輸送など軍事用に使われ、さらに茶道や各寺院の道具の箱など、その用途はさらに広がっていきました。450年続く「真田紐師 江南(さなだひもし えなみ)」十五代目、和田伊三男さんが語る、強く美しい真田紐のめくるめく世界へ引き込まれます。

武士、忍者、茶人。真田紐と交わる人々

紐の源流、サナール紐

真田紐の源流を探ると、ネパールの「サナール」という仏教とともに伝来した織り紐にたどり着きます。真田紐は、戦国時代の初め、そのサナールを参考にして近江や京などで織り始められたと考えられています。
和田さんのご先祖は近江守護の佐々木六角家の家老職に就いていましたが、領地振興の一つとして真田紐を織り、領民に指導もされていたそうです。ちなみに「江南」の江は近江のことで、近江の南部の所領であったことに由来しています。

真田紐は、通常の倍以上の本数の糸を使って圧縮して織ることにより、伸びずにとても丈夫に織りあがります。「元々は庶民が荷物紐として使っていたのを見て、武士も活用し始めたのでしょう」と和田さんは語ります。
大河ドラマで一躍注目された真田氏の名が付いたのは、真田昌幸・信繁父子が、関ケ原の合戦の後、紀州の九度山に幽閉された時、恐らく紐を織っていて、行商人が、西軍の中で唯一勝利し、功績のあった真田氏の名を出して「あの真田の紐」と宣伝文句のように使って売り歩いたことから、真田紐の名が一般に広がったと推察されています。
また、この頃の豪族は、山賊の一族と山岳密教の修験道者を組織化して庇護し、諜報活動や天候の予想や鉱脈の発見などに役立てました。これが忍びの者、忍者となったそうです。しかし、庇護されているとしても生活の糧がなければ、また山賊にもどってしまうので、農閑期の仕事の一つとして真田紐も製作していたそうです。伊賀、甲賀、柳生、根来など、真田紐あるところ忍びの者ありだったようです。
真田紐は刀を受け止めることができるほど強靭で、まさに戦いの実践の場において、強さを発揮したのです。また、武将たちはそれぞれ家紋のように独自の織り模様の真田紐を使い、どこの誰の所持品であるかを知る手立てとしましました。

また戦国時代は毒を盛られる危険もありましたから、結び方も複雑にして決め事とし、結び方が変わっていれば、誰かがほどいたとわかるようにしました。この習わしにヒントを得たのが、豊臣秀吉の茶の湯師範を務めていた千利休です。利休の発案により、茶道具の桐箱にも、所有者がわかる独自の色柄の真田紐を使うようになりました。
今も、各流儀の家元、寺社や作家独自の「約束紐」「習慣紐」として伝えられています。この紐は他の人や流派には使えないものであり、道具が偽物でないことの証明にもなるのです。和田さん流でいくと「紐の柄はID,結び方はパスワード」です。道具に箱、紐まで含めて「しつらえ」が決まっています。真田紐の世界はとてつもなく広く、深いのです。

製作とともに伝える仕事の大切さ


江南は京の五条の大橋に近い、町家が並ぶ通りにあります。最近のホテルやゲストハウスの建築ラッシュで急激に変化していますが、問屋町という通り名にふさわしい、暮らしのあるまちのたたずまいをとどめています。
江南は真田紐のすべての工程とお店を、和田さんと奥様の智美さんの二人でされています。通りからも、きれいな色合いの商品がよく見えます。店内は甲冑や刀、古色が付いた風格のある木の鑑札、各家元のきまりの箱、木綿と絹の大きな巻きの真田紐に何種類ものオリジナル商品で彩られています。さながら真田紐博物館です。

真田紐をつくるところが次々姿を消し、戦国時代の製法を踏襲する木綿の糸を草木染めし、整経から手織りまで一貫して織っているのは江南ただ一軒になりました。木綿草木染の棚に、智美さんの、2019年度日本民囈館展―新作工藝公募展―に入選した2点の真田紐がありました。深くあたたかみのある色、しっかりした打ち込みの木綿の紐は、ものにも美しいたたずまいがあるのだと感じました。
そして、なんと、この入選作品を商品として、好きな長さで切り売りしてくれるのです。思わず、本当にいいのですかと聞いてしまいましたが、智美さんは「用の美ですから、役立ててもらうのが一番なので」という短い答えに、すべての思いが表れていると感じました。

和田さんは、時によって刀や桐箱を使って実にわかりやすく説明してくれます。取材当日も茶碗を納める箱について聞きに来られたお客さんに「納める先の流儀はわかっていますか?」など重要な点を確認しながら話をしていました。実際に裏千家、表千家、遠州流の箱を手に取って、作りの違うところなどを、わかりやすく説明します。お店へ来られた方にも「箱を注文する時は、きちんと伝えてくださいね。箱や紐のことでわからない時はいつでも聞いてください」と丁寧にアドバイスしていました。江南は桐箱などを作る指物師としても仕事をされていたので、箱についても知り尽くしているのです。
また、茶室についても詳しく、その見識には驚くばかりです。和田さんは、真田紐を使う場面のある映画やテレビ番組の、時代考証や技術指導をしていますが、明治以降の洋風化の流れ、戦争、そしてさらに急激な生活習慣の変化によって、これまで守られてきた伝統が途絶えそうになっていることに危機感を持っています。
真田紐の技術のみならず、歴史や約束事もきちんと伝えていかなければ、「本物の証し」としての真田紐の役割が果たせなくなってしまいます。膨大な資料の整理や講演会などで伝えることもこれからの大切な仕事になります。

真田紐と何かが一緒になる楽しさ


真田紐をわらじのようにかけたおもしろいスニーカーがあります。これは、京都造形芸術大学が運営するホールラブキョートの若いメンバーと江南が共同開発した「SANAD BANDOSHOES」(サナダバンドシューズ)です。とても履きやすいそうで、試してみたいと思いました。
京コマのストラップは、江南も参加している、ごく少数の職人によって受け継がれている伝統工芸の分野の会「京都市伝統工芸連絡懇話会」の会員、京こま雀休との共同開発商品です。(雀休は以前「職人の心を映す京こまの魅力」で紹介させていただきました。)江南の真田紐を使った竹工芸のバッグが評判を呼んだこともありました。

和田さんは、鼻緒スニーカーの隣にある、明治から昭和の時代まで長野県で使われていた「下駄スケート」を手にして説明してくれました。明治時代にスケートが日本に伝わりましたが、スケート靴など作れなかったので、普通の下駄に、鍬や鍬を作っていた鍛冶屋さんがブレード部分を作り、真田紐で足を固定した傑作です。なかったら工夫して作る。昔の人はとてもクリエーティブだったのですねと、楽しそうに続けました。

和田さんは脱プラスチックの取り組みの提案として、エコバッグバンドを考案しました。買い物した後重くなったバッグをバンドに止めれば、リュックサックのように背負うことができるという優れものです。
「世界で一番小さな織物」真田紐は、伝統の本道がしっかりあるからこそ、楽しんで新しいことができます。450年の伝統は重いけれど、新たなものを生み出す源泉です。

 

真田紐師 江南(さなだひもし えなみ)
京都市東山区問屋町通り五条下ル上人町430
営業時間 10:00~17:00
定休日 水曜日